1、日 程
1995年 10月18日〜27日
2、訪問地
ドイツ・ロマンチック街道とイギリス・ロンドン&ホーブ
3、旅行企画の経緯
今回の旅は三女がイギリスのホーブに語学・進学留学をしており、そのホームステイ先を訪問するのが第一の目的であるが、折角、ヨーロッパに行くのならドイツのロマンティック街道の旅を追加しようということになった。
また今回の旅はばらばらに住んでいた家族がロンドンで集結するという画期的な旅でもあった。長女はロンドンで語学研修、次女は東京で大学生、三女はイギリス・ホーブに語学・進学留学、妻は東京で留守宅番、私は大坂に単身赴任中ということで、家族5人がばらばらに生活していたときである。
4、旅行のハイライト
項 | ポイント | 内 容 |
---|---|---|
1 | 旅行企画の経緯 | ホームステイ先を訪問とドイツ旅行 |
2 | ドイツ・ロマンチック街道 | 私の初めてのドイツ旅行 |
3 | 家族がロンドンで集結 | 家族5人が異なる住所、ロンドンで全員が揃った。 |
4 | イギリスの高速道路 | イギリスで初めてのドライブ旅行。 |
5 | ホーブ訪問 | 三女のホームステイ先を訪問、ホーブ地方を観光。 |
5、同行者
妻、長女、次女、三女
6、三女留学の経緯
(1)1年前の家族旅行
前回報告の1994/10/23〜11/1「私の最初の家族旅行・ロンドン&パリ」がきっかけとなって、三女が「イギリスに留学したい」と言い出した。家族で行ったので全員イギリスが気に入り「留学するならイギリス」という気持ちを家族全員が持っていたので、三女の留学は反対者がなく決まった。
三女曰く「小学3年生のときにイギリスに留学したい」と言ったというのだが、両親共にその当時まともに聞いてないので記憶は全くなかった。三女の決意は固く「どうしても留学したい」といい、長女、次女も「三女を留学させて欲しい」というのだ。従って、私共両親は反対の理由もなくむしろ「本人が留学したいというなら行かせたい」という気持からすぐに「三女のイギリス留学」を了承した。
実際には、留学費用が捻出できるのかが大きな問題であった。計算上は大学進学前まではどうにかなりそう。しかし、大学進学は経済的に無理かもしれない。「自分の仕事で稼いた金を出してでも三女を留学させて欲しい」との長女の熱意に我々両親は兎に角、留学を了承・決断した。
大学留学は金銭的に無理かもしれないので、それは、大学受験直前に判断することにした。(実際にはロンドン大学に飛び級で合格して、3年後好成績で卒業も出来た)
(2)留学エージェント
留学エージェントは三女が自分で探してきた。現地でお世話をしてくださる方の名前が私が30年程昔に会社の先輩と一緒に千葉県館山の海水浴場でご一緒したことのある人の名前と同じだった。その方は会社の先輩の妹さんでイギリス人と結婚された人だった。先輩に直接伺ってその妹さんと確認された。将に、奇遇であった。この幸運に私共家族の不安(高校2年になったばかりの娘をイギリスに行かせる不安)は大変癒された。
(3)空港到着後一週間音信不通
成田空港で悲しい見送りをして、翌日ヒースロー空港到着との電話を受けて一安心したの束の間、翌日も翌々日も電話がない。心配は募るばかり。こちらからの電話連絡の術もなく1週間が過ぎた頃、やっと本人から電話があった。
その間、色々悪いことばかりを想像してしまう。ところが、本人はそれ以上に大変だったらしい。ホームステイ先に行ったものの、普通の高校2年の英語では全く言葉が通じない状況で、自分が何をして良いのかパニック状態だったらしい。従って、自宅に電話することなど頭に湧かなかったばかりでなく、思いついたとしても家に電話する方法すら分からなかったというのだ。最初から大変な苦労をさせてしまった。(その後、大変強い人間になったのでやはり「可愛い子には旅をさせろ」の諺道りであった)
(4)初めてのホームステイ先の訪問
三女は色々苦労をしたが、私(大阪赴任中)も妻も現地に行く機会もなく1年が過ぎた。そこで、今回現地へ行って本人を慰め、ホームステイ先へのお礼の訪問をすることにしたのであった。
「【第1回】三女留学の経緯」は大変なものであった。
【第2回】は「ドイツ・ロマンチック街道」(私の初めてのドイツ旅行)をご報告します。