1、日 程
2003年 9月3日(水)〜10日(水)
2、訪問地
【第1回】2003/09/03〜04 初めてのミュンヘン
【第2回】2003/09/05
モーツアルトと "The Sound of Music" のザルツブルク
【第3回】2003/09/06
サウンド・オブ・ミュージック・ツアー
"The Sound of Music" Tour
【第4回】2003/09/07 博物館・教会・公園 巡り
【第5回】2003/09/08〜09 BMW博物館・オリンピア公園・3教会・ホフ庭園
3、本日のハイライト
・ ミュンヘンの街並み
・ 見学場所「レジデンツ(宮殿)&ダッハウ収容所」
4、同行者
妻、三女
5、プロローグ
ドイツは10年程前に「ドイツ・ロマンティック街道とイギリス」というパック旅行に参加したが、ミュンヘンは観光バスで通過しただけだった。そういう意味で今回の旅行は私にとって「初めてのミュンヘン旅行」である。
(1)ドイツ語の「耳慣らし」
聞くところによるとドイツは日本と同じように一般市民は英語が通じないと聞いた。
そこで、35年前ソ連を旅行した時の経験から、ドイツ語の「耳慣らし」のために旅行前の1ヶ月間NHKラジオ・ドイツ講座を受講することにした。なにせ、ドイツ語は学生時代少々勉強したものの今では全く忘れてしまっている。覚えているのはアインス、ツヴァイ、ドライの3数字、グーテンモルゲン等の挨拶、イッヒ・リーベ・ディッヒ(私は貴方を愛します)位しか覚えてないというお粗末さなのだ。
そこで、買い物に必要な数字を100迄覚える事にした。横文字国でも数字は上位の桁から21(英:twentyone) というのにドイツ語の数字の読み方は逆で、1桁目を先に2桁目は次に einundzwanzig「1と20」というのだから閉口する。
(2)エージェント抜きの観光旅行
今回はパック旅行でなく、航空券とホテルを別々に予約して独自に旅行する。
今年6月から三女がミュンヘンに語学研修で滞在しているので、その現地を訪問するというのが名目上の目的である。しかし、実際には娘が調べてくれた観光地を3人で訪れ、娘が同行できない時間帯は家内と二人だけで観光するというものだ。
(3)ミュンヘン直行便
東京からミュンヘンへはルフトハンザ・ドイツ航空以外は直行便が無い。当初「JAL悟空」というパックで行く予定だったが、パリまたはフランクフルト経由なので諦めた。経由便ではトランジットに4時間程余計にかかるからだ。
6、旅程
日 程 [1日目]
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東京
成田空港
Terminal 2 9:30〜12:20
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映画3本 |
Munich AP
Terminal 2 |
空港線列車
(途中から地下) |
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17:23〜50
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車窓は明るい
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Universitaet
地下鉄駅 |
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Hotel Hauser
チェックイン |
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小さく綺麗な
レストランで夕食 |
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Hotel Hauser
入浴・就寝 |
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18:20
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18:30〜19:00
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19:05〜21:55
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22:00〜23:00
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[第1日目] 9/3
(1)フライト
航空会社はLH(ルフトハンザ・ドイツ航空)だ。東京からミュンヘンへの直行便はLHしかないためこれに決めた。使用機材は勝手にジャンボ(Bouing 747)と思い込んでいて窓際から2席取ると3人席でトイレに行くときに大変と思って中の席通路側を取った。後で気付いたことだが使用機材は A300 だった。そういえばヨーロッパの航空会社はヨーロッパ生れの A300 をよく使用する。A300 は窓際2列の中4列だったのだ。それでも取れた席は前が壁で足が伸ばせる席なので結果的には「エコノミー症候群」防止に好都合であった。
A300 は Bouing 747 と比較するとテーブル、物入れ棚、トイレ、乗務員が使用するトレイなど使い勝手が良くない。民間機の大半のシェアを持っている Bouing 機は流石だ。
(2)機内での映画鑑賞
往路は11時間20分の飛行なのでアルコールを飲みながら映画を見る以外することがない。全3本の映画を見たが日本では未公開の「Angry Management」が大変良かった。帰国してからTVニュースで知ったことだがアメリカでは7年程前から「怒りの管理」を研究しているそうだ。日本でも最近「切れる人」が増加して色々な事件を引き起こしている。犯罪の先進国アメリカでは同様な事件が多発してこのような研究を始めたらしい。この映画は「そのような背景」が基になっているものと思われる。
(3)ミュンヘン国際空港
この空港の建物は新しく大変綺麗だ。今までみた空港では最も綺麗だった。通路全体ガ広く床は全面同じ材質の大理石でピカピカに磨かれている。トイレも同じ床で、床の境目や段差が無い「バリアフリー」構造になっていて機能的だ。
(写真の上部にある赤い乗り物はドイツが実用化した磁気浮上高速列車の模型だ) |
(4)大学駅に到着
空港から乗った電車は途中から地下に入り地下鉄となった。降りた駅は Universitaet(大学)という名前の駅で周辺に大学が多いので大学駅とつけたらしい。東京の私鉄にも「中央大学・明星大学」という駅名がある。
ミュンヘンの街並みは建物の高さが統一されていて道路も広く余計な看板類も無く大変整然としている。
外に出ると目前に教会が | 整然とした大学等の街並 |
(5)ホテルとレストラン
ホテルは地下鉄駅から徒歩7分くらいのところで近い。先程の教会を背に直進すると左側に小さなHOTELの表示がある小さいが綺麗なホテルだった。チェックインを済ませて荷物を解いてから、徒歩数分の小さく綺麗なレストランで夕食にドイツ料理を取った。
小さく綺麗なレストラン | HOTELの表示(夜) |
日 程 [2日目]
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Hotel Hauser
出発 9:30
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Universitaet |
Odeonplatz
地下鉄駅 |
Residenz
宮殿内見学 |
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9:40
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9:45
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10:00〜12:00
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Marienplatz
地下鉄駅 |
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Viktuarienmarkt
昼食 |
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Marienplatz
地下鉄駅 |
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Bus |
Dachau
国鉄(DB)駅 |
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Bus |
12:15〜30
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12:45〜13:30
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13:35
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14:00
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Dachau収容所
見学&散策 14:20〜16:50
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Bus |
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Dachau |
Hauptbahnhof
(中央駅) |
Sendlinger Tor
地下鉄駅 |
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17:30
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17:50
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18:00
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Cafe Ostrio
夕食 |
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Sendlinger Tor
地下鉄駅 |
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Universitaet
地下鉄駅 |
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Hotel Hauser
帰着 |
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18:15〜19:25
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19:35
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19:40
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19:50
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[第2日目] 9/4
(0)Hotel Hauser の朝食
Hotel Hauser は小さいが大変綺麗で洒落ている。Hauser は家、家庭という意味だと思うので名前の通り家庭的なホテルだ。朝、レストランに行くと清楚な女主人がグーテンモルゲンと挨拶してコーヒー紅茶の好みを聞きポットを持ってきてくれる。お客さんも互いにグーテンモルゲンと挨拶する。小さいレストラン内は皆が家庭の一員のようで良い雰囲気である。そのレストランが家庭的で大変可愛いかったので写真でご紹介しよう。
小さくお洒落なレストラン | 可愛いテーブル | 料理の棚 |
(1)ドイツの鉄道ルール
ドイツは「乗客が正規の切符を買って乗る」というのが前提になっている。そのため、改札機(切符確認ゲート)が無い。乗客と鉄道会社との信頼で成り立っている社会なのだ。切符は最初に乗るときに日付と時間を自動的にスタンプしてくれる機械(写真の青い箱のようなもの)に一旦かける。あとは何度乗っても乗り換えても切符を見せる必要もない。従って、もし悪意を持って乗ろうとするなら切符なしでも乗れる。但し、見つかれば莫大な罰金を取られる。 |
(2)Odeonplatz駅周辺
午前中は娘が学校なので家内と二人でResidenz(宮殿)の見学をすることにした。ホテルを出て地下鉄で最寄のUniversitaet駅から一駅でOdeonplatz駅だ。この周辺は駅名の通り「オデオン広場(platz)」にあり教会や宮殿がある。その宮殿(Residenz)も駅から数分なので本当に便利だ。 |
(3)Residenz宮殿内見学
ミュンヘンを代表する建物の一つバイエルン州立オペラ劇場のあるマックス・ヨーゼフ広場の左にResidenz(宮殿)がある。
Residenz入口 | 絢爛豪華な廊下 | Residenzのの中庭 | 首を切って掲げる像 |
<戦争で破壊されたResidenz(宮殿)>(モノクロ説明写真から転写)
戦争で破壊されたResidenz | 1944年破壊⇒1958復元 | 現在の復元された通路 |
<豪華な部屋の数々を見学>
部屋から見た中庭 | 壁全体の大タペストリ | 豪華な部屋 | 絵画の部屋 |
<宮殿内の宝物展示>
日本からの贈物 | 宝石で装飾された宝石箱 | オパールで装飾 | ルビーで装飾 |
(4)マリーエン広場
<マリーエン広場と新市庁舎>
娘との待ち合わせ場所をマリーエン広場の噴水に決めた。ここは市庁舎があるところでよく知られている。写真の新市庁舎は昔の建物のようにバロック調にデザインされている。この辺がドイツ人の「周囲の美的環境や文化」を大切にしていることが読み取れる。ここは多くの人が待ち合わせ場所としていて周囲の綺麗な建物などを見ていると待っていても苦にならない。地下鉄の駅がこの噴水の近くにあり「Uバーン」「Sバーン」のMarienplatz駅があり「S」「U」の看板が分かり易く表示されている。
待合せ場所の噴水 | SUの表示 | マリーエン広場と新市庁舎 | 時計塔からくり人形 | からくり人形 |
<ヴィクトゥアリエンマルクトで昼食>
昼食はViktuarienmarktヴィクトゥアリエンマルクト(英訳読:ビクトリア・マーケット)の野外テーブルで食事をすることにした。新市庁舎のすぐ隣に旧市庁舎がありその右の聖ペーター教会の間を歩くと正面がViktuarienmarktだ。各所に野外テーブルがあり楽しそうに食事している。私は勿論、ミュンヘンビール1リットル大ジョッキーを注文した。 |
(5)ダッハウ収容所の見学
<Dachau駅でバスに乗り換え>
午後はダッハウ収容所の見学だ。食事を終えてからMarienplatz駅からS2線というSバーンでDachau駅に向かう。車内では車掌が一度検札に来た。Dachau駅ではバスが数台待機しておりそのうちの空いているバスに乗った。前述の通り下車駅でもバスに乗るにも切符は見せない。駅員もバス運転手も全く感知しない。やはり日本の常識では考えられない。満員のバスが先に出るのかと思ったら後から乗った私たちの空いているバスが先に出発した。満席の先客はお気の毒だった。
<ダッハウ収容所>
バスを降りるとすぐに収容所が見えた。映画などでよく見る高い監視所が幾つもある光景で大変異様だ。中に入るとまたその広さに驚く。
ダッハウ収容所の建物(独房)全景 |
<収容所の中>
ドイツは自分の国が昔行った蛮行を反省して「ダッハウ収容所」を一般公開していて入場料は無料である。ここはユダヤ人の強制収容以外に政治犯や凶悪犯も収容したとの事。外国人ではユダヤ以外にイタリヤ、スペイン、イギリス、フランス、ロシア等ヨーロッパの人々がかなり収容されたらしい。
正面のモニュメント | 独房の建物 | 集合房のベッド27人分 |
<収容所内の教会>
収容所内には幾つかの質素で洒落た教会があった。ユダヤ人が多かったためかユダヤ教会が特別に設けられていた。戦争の後半に作られたというロシア正教の教会もあった。
収容所内の教会 | ユダヤ教の教会 | ロシア正教の教会 |
<死体焼却場>
ここは実際に死体を連日焼いたという場所だから見るのも抵抗がある。初期の頃は一度に2体しか焼けない炉で焼いていたが間に合わなくなり同時に大量に焼ける炉を作ったとの説明がついていた。また、「シャワーを浴びるので裸になるように、と騙して全員裸にして毒ガスを注入して大量虐殺した」というコンクリートの部屋がありその出口側に大量焼却炉があった。裸の死体を山積みにした実際の写真もあり無言の時が過ぎた。収容所の敷地の隅には焼却した骨灰を埋めた所が数箇所あったが、2坪程の所に「氏名不明の3000人分の骨灰が埋められた」との説明もついていた。無言。
死体焼却場 | 初期の焼却炉(2体/回) | 大量焼却炉(複数連続) |
<実際の写真・パネル・ポスターの展示>
収容所建物の一部を展示説明会場としており、実際の写真やパネルを沢山展示して当時の様子を再現している。目を覆いたくなる写真もかなりあった。頭を丸坊主にされて脱走しようとした女性が鉄条網の脇で射殺され放置された写真もあったが、余りにも惨くてその写真を撮る気にはならなかった。
当時のポスター@< | 当時のポスターA | 当時のポスターB |
「ダッハウ収容所」は気の重い見学だったが目を反らしてはならない事だと思う。戦争は人間を獣以上に残酷で醜いものにしてしまう事を忘れてはならない。第二次大戦後の今でも世界各地で同様な蛮行が繰り返されている。
(6)イタリアンレストランで夕食
ミュンヘン市内に戻り Hauptbahnhof (中央駅)で乗り換えて Sendlinger Tor 地下鉄駅で下車、落ち着いたホテル・レストラン街に来た。 Cafe Ostrio というイタリアンレストランで夕食を取ることにした。
ホテル・レストラン街 | 早速ミュンヘンビール | 料理を楽しむ娘妻 |
【註】 Hauptbahnhof という駅名は Haupt は首、 bahnhof は駅であり日本語訳で「中央駅」といっている。
日本語でも国の中心都市を首都というのと同じだ.
2日目のミュンヘン観光は無事終了した。明日からオーストリア・ザルツブルクの観光だ。