私の初めての韓国(ソウル)
 My First Korean Trip

Ver.1.1 2004/01/11
Ver.2.1 2004/02/24
 【第2回】 ソウルの中心「明洞」界隈、京廟、宗昌、聖徳宮、昌徳宮

写真をクリックすると拡大されます  ⇒   韓国・ソウル・敦化門にて   .
1、日   程
        2003年 12月6日(土)〜8日(月)

2、訪問地
   【第1回】2003/12/06
       初めてのソウル(京福宮、民俗博物館、「南大門」界隈)
   【第2回】2003/12/07
       ソウルの中心「明洞」界隈、京廟、宗昌、聖徳宮、昌徳宮

   【第3回】2003/12/08
       雪のソウルと金浦空港の歓迎振り

3、プロローグ
 今日はソウルの中心「明洞」界隈を散策して、その後、京廟、宗昌、聖徳宮、昌徳宮を見学する予定である。

4、旅行のハイライト
見 学 先説   明
ソウル駅東京駅と同じ位置付けの駅で、新ビルと東京駅に似た旧駅舎が並んでいる。
ソウルの地下鉄ソウルは東京のように人口が多くないので電車は大変空いている。
明洞界隈ソウル・ビジネス街の見学。女性に人気のエステの店「明洞汗蒸幕」がある。
露天商日本の戦後の風景に良く似ていて、リヤカーでの露天商も懐かしい。
宗廟左右一杯に繋がった廊下状の建物は圧巻。横から見た廊下は中々の景観。
昌慶宮1418年建立1592年に日本侵略で焼失し、再度の焼失後1616年に復元。
昌徳宮敦化門前で模擬儀式が見もの。
仁寺洞韓国の骨董通りとも言える所で陶器や雑貨の入手に絶好の場所。

5、同行者
      妻、長女、次女

6、旅程
日  程 [2日目]
 
 
Hotel Hilton Seoul
出発
7:00〜10:00
 
 
 

ソウル駅
地下鉄

明洞駅界隈
周辺散策
レストラン
昼食
 
 
11:00〜50
 
 
 
小物店
土産物
明洞駅
地下鉄
宗廟
見学
昌慶宮
見学
11:50〜12:05
12:10〜
12:35〜
13:40〜
 
 
昌徳宮
見学
13:55〜14:55
 
 
 

仁寺洞(北)
買物

傳統茶院
休憩
仁寺洞(南)
買物
15:10〜
16:15〜
17:00〜
 
 
 
明洞
夕食
明洞駅
地下鉄
ソウル駅
地下鉄
Hotel Hilton
帰着
 
16:40〜 
 
 
 20:00〜

[第2日目] 12/7

左に南大門界隈のビル ソウルタワー
(1)HILTONホテルの朝
 HILTONホテルはソウルのほぼ中心地、中区の南山公園の西にある。ホテルの正面には南山公園の丘の頂上にあるテレビ塔「ソウル・タワー」が見える位置にある、しかもホテルの左(北)には南大門界隈が見え背後(西)にはソウル駅があるのだ。そういう点でHotel HILTON SEOUL は大変よい位置にあるといえる。

(2)ソウル駅
 ソウル駅は何といってもソウルの中心駅で、日本の東京駅と同じ位置付けの駅である。幸い私たちの泊まったホテルからは徒歩で行ける。駅には新しい建物と昔の由緒有る建物が並んでいる。旧駅舎は煉瓦造りで東京駅に似ている。実は東京駅の設計者と同じ人の設計との事、似ている理由がわかった。
駅には新しい建物と昔の由緒有る建物が並んでいる

(3)ソウルの地下鉄
 ソウル駅の地下にソウルの地下鉄駅がある。ソウルの地下鉄は意外と改札の機械化が遅れていて定期やプリペードカードを使う人が少ないのか切符を買うのに行列が出来ていて、しかも窓口は一つしか開いていなかった。数十年前の日本のようだ。
 地下通路には映画広告のオンパレードで韓国では映画が盛んなことが分かった。ハリソンフォード主演のアメリカ映画と日本映画のアニメ「紅の豚」の広告が目に止まった。通路は乗る側と降りた人の列がレンガの壁で区切られているのでぶつかり合うことがない。
地下通路には映画広告 アメリカ映画と日本アニメ 通路はレンガ積で区切 スッキリ公衆電話

 車両は日本のものとほぼ同じであったが車内は広いように思えた。新しく作ったので初めから広く作ったものかは分からなかった。なぜか、韓国の地下鉄火災を思い出した。ソウルは東京のように人口が多くないので電車は立っている人がいないくらい空いていた。

(4)明洞(ミョンドン)界隈
 ソウル駅から地下鉄で2つ目の駅「明洞」に行った。ここはソウルのビジネス街なので雰囲気の見学をして早めの昼食を取ることにした。地下鉄駅を出ると大きな映画の看板が目に付いた。やはり韓国では映画に人気があるに違いない。その角のビルの下には「明洞汗蒸幕」(ハンジュンマク=サウナ)の看板があり日本人にも人気の店らしい。いわゆる若い女性に人気のエステの店なのだ。この町の雰囲気を観察して小さな土産店に寄った後、早めの昼食を取った。なにせ長女が旅行ガイドで調べた限りでは「人気がある店なので12時では待たされる」との情報から30分ほど早く行ったのだが、既に数グループの客が食事をしていた。

大きな映画広告 「明洞汗蒸幕」の看板 明洞ビジネス街 早めの昼食

(5)露天商
 明洞駅から4号線地下鉄で1つ目の駅「忠武路」で3号線に乗り換えて2つ目「鍾路3街」で降りて「宗廟」に行った。ここからは「宗廟」「昌慶宮」「昌徳宮」「景福宮」と観光名所が集中していので順番に観光する予定だ。
 地下鉄を降りて外に出ると露天商が舗道に「縁日の参道」のように並んでいた。地べたにそのまま並べたり、台の上に並べたりしているが、写真のようにリヤカーの上と道路に商品を並べた靴屋もあった。日本の戦後の風景に良く似ている。リヤカーも懐かしく見たが日本で使っていたものと全く同じであった。その又近くに日本では見たことのないオート三輪トラックを見かけた。一見すると普通のオートバイが大型のリヤカーを牽引しているように見えたが、実がこれが一体になっているのだ。1960年代に日本にあったオート三輪トラックよりももっと原始的なバイクである。良くご覧下さい。
 近くの公園入口に朝鮮風の門があり朝鮮の雰囲気を醸し出していた。昨日見た宮殿のような色使いである。昨日の宮殿もそうだが、よく見ると素材が雑で柱、梁、垂木等が大きな「ひび割れ」をしている。日本ではこの「ひび割れ」を防ぐための「背割」という技法がある。この技法は見えない部分「背の部分」に予め柱の半分ほど深く溝を掘っておくのだが、これを「背割」といって材木の乾燥による「干割れ」を防ぐための技法なのだ。しかし、韓国の場合素材そのものにも粗雑感があった。

露天の靴屋 日本にない三輪トラック 公園にある朝鮮風の門 大きな「干割れ」

(6)宗廟(チョンミョ)
 宗廟は1395年に建てられた李氏朝鮮王朝で最も神聖な場。歴代国王と王妃の位牌の安置場所となっている。
 天気はよく晴れているが−5℃という寒さでご覧の通り3人とも寒そうな顔をしている。ここも昨日の宮殿のように中庭が石畳になっている。宗廟は写真のように左右一杯に繋がった廊下状になっていて圧巻だ。少し歩いて建物の横からこの廊下を見ると中々の景観である。朱色の柱に囲まれて、一寸京都伏見稲荷の鳥居の連続道に似た感じがした。

宗廟の左半分 晴れているが-5℃ 宗廟の右半分 横からの「廊下の美」

  ついでに、「朱色」について述べると、韓国の朱は日本の寺院の朱よりも濃い色をしている。「どす黒い」という感じである。関係があるかは分からないが、印鑑に使う「朱」も日本のものは赤と橙の中間的色だが、韓国や中国の印鑑に使う「朱」は赤と黒を混ぜ合わせてような色である。
日本の朱肉 韓国の朱肉

(7)昌慶宮(チャンギョングン)
 昌慶宮は第4代世宗王が父太宗のために建てた離宮で、造営された1418年当時は壽康宮と呼ばれていたが、第9代成宗王が3人の王妃のために1484年に明政殿、文政殿、通明殿等を増築し昌慶宮と改名された。
 入場時に日本語と英語のパンフレットをもらっておいたのだが、その後の説明が日本人に気を遣っている記述がある事に気がついた。
 日本語パンフレットには「この宮殿は、宣祖25年(1592)任辰倭乱(文禄慶長の役)の時、全て焼失されたが、光海君(1616)に復旧された。」と書いてあり、英語のパンフレットには「The place was totally destroyed by fire during a Japanese invasion in 1592. It was rebuilt in 1616.」と日本の侵略によって焼失した」と明確に書かれていた。その後の記述でも「1909年にJapanese colonial rule (日本の植民地統治〔日本帝国〕)が宮内に博物館を建てると共に動植物園を含め昌慶園と改称して宮の品を格下げした。 」とこれは日本文にも書いてあった。

 「豊臣秀吉による朝鮮出兵」を「任辰倭乱」という。第一回朝鮮出兵が1592年干支年の「任辰」にあたること、朝鮮では日本の侵略を「倭乱」という。第二回出兵は1597年「丁酉」で日本では両方合わせて「文禄慶長の役」という。朝鮮では秀吉の出兵を総称して「任辰・丁酉倭乱」といっている。出典=「韓国・朝鮮を知るための55章」明石書店/井上秀雄:鄭早苗 共著/2004/02/10 雪男調
 これを見るとあながち日本人観光客に気を遣ったのではないかもしれない。

 昔の日本人の悪行はこれほどにして宮内を見学することにした。

 どの建物も当然ながら、上下と中央に二本の横骨のある朝鮮格子の障子がはめられていて朝鮮の雰囲気を醸し出している。

朝鮮格子の小屋 涵仁亭と松之木 歡慶殿も朝鮮格子 明政殿の廊下

広大な中庭のある明政殿・360度のパノラマ ≪写真をクリックすると実感できます≫
  (注:写真の繋ぎに不自然さ有り)

(8)昌徳宮(チャンドックン)
 明政殿の門を出ると国道が走っており次の観光スポット「昌徳宮」の表示があった。道路標識も日本と良く似ている。しかし、日本では一般道は青地に白文字、高速道路は緑地に白文字と決まっているので、日本の高速道路と同じ色だ。
 10分ほど歩くと丁度旗を立てた行列が来た。昌徳宮の敦化門前で模擬儀式が終了したらしい。急いで写真に収めた。門のところに行くと観光客サービス用に自由に写真を撮らせてくれた。このレポートのトップ写真はそのときのものである。暫くすると又次のデモンストレーション「模擬儀式」が始まった。お陰で儀式の最初から最後まで観光することが出来た。
敦化門 模擬の儀式 退場風景 退場する列

 昌徳宮は1405年に第3代太宗王の離宮として建てられた。正宮である景福宮と同じく1592年に任辰倭乱で大部分を焼失してしまったが、1610年拡大再建をし、以降300年間政務を行う場となった。宮殿は世界遺産に登録されており、文化遺産保護のためにガイドツアー制がとられている。

日本語が上手な二人  .
 この観光を終了後あまり寒いので近くの土産店に入り、お茶を戴いたりして身体を温めた。この土産店の女性2人は日本人と変わらないくらい日本語が大変上手で韓国土産の話や日本についての話もした。韓国土産に良いと思い青磁の夫婦茶碗を買った。ご存知の方が多いと思うが青磁とは薄緑色の磁器に白い鳥等が絵柄としてかかれているもので、この絵柄自体が染料でなく磁器なのだ。セットで3500円だった。他店で2000円で売っているところがあったが作者が違うのである。
 この後、昌徳宮に入ろうと入場券を買ったものの敦化門入口でストップを食った。韓国語と日本語の遣り取りですぐには分からなかったが、日本語のガイドは本日終了で英語のガイドは1時間後であることがわかった。しかも、ここは世界遺産の指定を受けているので文化遺産保護のためガイドツアー制がとられており、ガイド同行でなければ入場させないという。これから気温が下がる一方なのと大分歩いて疲れたので入場を諦めて料金を返却してもらった。敢えて言えば切符発売時に客の確認をすべきと思うのだが、異国でのこと仕方なく承知した。

(9)仁寺洞(インサドン)
 昌徳宮から徒歩20分程で仁寺洞に来た。仁寺洞は韓国の骨董通りとも言えるところで陶器や雑貨を手に入れるのに絶好の場所だ。骨董品など一店一店見て歩くのも楽しい。また韓国の新しいアートにも出会える。
 街頭では一人の若者がギター片手にギャグを飛ばして群集を笑わせる街頭芸をやっており若者に大変人気があった。店以外にも露店商が沢山出ていて若者に人気があるようだ。

新アートのテーブル 街頭のコントに人気 露天商を物色 街中のポスト

(10)食堂と飲み屋の路地
 メインの道を横に入ると食堂や飲み屋の路地に変わる。食堂のメニューはハングルと日本語で書いてあるが訳の分からない日本語が多くて誰が翻訳したものかと笑ってしまう。写真上から3番目の「踊りのから場ザ」は多分「鶏のから揚げ」と思う。散策で疲れたので「傳統茶院」に入ったが板の間に座布団やら切株椅子に座布団といった田舎風茶房で楽しかった。

焼肉店 ハングルの看板 日本語メニュー 変な日本語 「傳統茶院」

(11)新発見
 また元のメインの道に戻ると骨董品屋や新しい文化の土産店などが混在していて楽しい。路上では具のないお好み焼きのような物を売っていて行列の人気だ。早速トライしてみたがこれが美味しい。ウインドウショッピングしては又この焼物を買って食べた。
 やや大きな土産店で20分程で注文印鑑の出来るコーナーがあり早速注文した。内側には日本の実印のような文字で「福島雪男」その周囲に「SNOWMAN HAPPYISLAND」とデザインしてコンピュータ制御の機械で彫って貰った。値段も1500円と安い。これは私の遊び用で年賀状等の「篆刻」(テンコク)として使う予定だ。

お好み焼き風 印鑑作成機 完成した印影

(12)明洞の焼肉店
 日が暮れて周囲は一段と寒くなったので明洞の焼肉店に行くことにした。日本の大型赤提灯のような雰囲気で当方の人数を言うと奥の席に案内された。四人が夫々別の焼肉セットを注文するとすぐにお新香類やスープが来た。
 適度に肉が焼けると係りの人が来て挟みで切ってくれる。手際はよいが何か世話しなく挟みで肉を切るのは日本人に馴染まない。ご飯が来て置き場がないとの事でまだ殆ど食べてない野菜を持って行かれてしまった。日本語が通じないのであっという間の出来事で「まあいいか!」という感じになってしまった。
 日本の焼肉屋のように客のペースで食べたいものだと思った。あっという間に食べ終わって「さあ勘定」という具合で落着かない食事が終わった。

(13)韓国の交番
 食事が終わってホテルに戻る途中、韓国の交番を見ることが出来た。「交番」とは日本だけの制度と聞いていたが、韓国にあるということはこれも日本が残した文化の一つなのかもしれない。
 先程ポストの写真があったがポストや郵便局には日本でお馴染の「〒」マークがついていたが、これも日本が残した文化の一片と思う。何故なら、「〒」は旧日本政府が考えたマークで、郵便業務を司る「逓信省」(テイシンショウ)の「テ」を図案化したものなのだから理解頂けると思う。
 ともあれ、その交番の前には巡回用のファミリーバイクがあったが、日本警察の”ラーメン出前用バイクと同じ「スーパーカブ」タイプ”よりもスマートに見える。白バイも巡回バイクも日本より韓国のほうがスマートでよい物を使っていると思った。

 「初めての韓国(ソウル)の旅」第二日目は私の好奇心を十分満足させてくれて無事終了した。
 次回は「雪のソウルと金浦空港の歓迎振り」を紹介しよう。

以上  
 【使用カメラ】 CANON Kiss Digital 18〜55mm(35mm判換算29〜88mm)
MT=24 VOR

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