歌麿・写楽の仕掛け人 その名は 蔦屋重三郎」展
Tsutaya Juuzaburo Publisher who Discovered Utamaro and Sharaku

Ver. 1.1 2011/07/20
展示会ポスター    .
「歌麿・写楽の仕掛け人 その名は蔦屋重三郎」展 を見てきました。

1.名 称  「歌麿・写楽の仕掛け人 その名は蔦屋重三郎」展

2.会 場  サントリー美術館

3.見学日  12月13日(月) 14:30〜16:00

4、会 期  2010年11月3日(水・祝)〜12月19日(日)

5.感 想
 昔も今も変わりなく芸術家を有名にするパブリッシャーがいた事に驚きました。花形スターを育て上げ、今でいう会社経営の安定のため色々努力された様子は、今のパブリッシャーを超えるものがあったと思いました。

6、概 要  
 18世紀後半、安永・天明・寛政期の江戸には、浮世絵の喜多川歌麿(1753?−1806)・東洲斎写楽、  戯作の山東京伝(1761−1816)、狂歌の大田南畝(なんぽ)(1749−1823)といった江戸文化を彩る花形スターが登場します。 このスターたちの作品を巧みに売り出し、江戸文化の最先端を演出・創造したのが、版元の「蔦重」こと蔦屋重三郎 (1750−1797)でした。江戸吉原の人気ガイドブック『吉原細見』の独占出版、狂歌と浮世絵を合体させた豪華な 狂歌絵本の刊行、当時の情勢を風刺した京伝らによる戯作の出版、歌麿の才能を存分に開花させた美人大首絵の発明、 謎の絵師・写楽の“発見”など、次々と流行の最前線を創り出し、リードした人物です。
 「蔦重」は『吉原細見』や<往来物>など、確実に部数を稼ぐ出版物を手がけて経営の安定をはかる一方、南畝や朋誠堂 喜三二(ほうせいどうきさんじ)(1735−1813)、恋川春町(1744−1789)など、売れっ子の狂歌師や戯作者の人気に乗じ て自分の店の「ブランド化」をもくろみ、版元としての地位を確固たるものにしていきます。さらに、新人発掘に力を 注ぐ名伯楽でもあり、歌麿や写楽を始め、葛飾北斎(1760−1849)や十返舎一九(1765−1831)、曲亭馬琴(1767−1848) など、無名時代に「蔦重」に才能を見出された逸材は少なくありません。
 また、華美な絵本や浮世絵、当時の寛政の改革を風刺した戯作などの出版は、時の権力者の目を引き、寛政3年(1791)に は身代半減の処罰を受けました。しかし、それに屈することなく、処罰後も「蔦重」は歌麿の美人大首絵や写楽の役者絵 などを意欲的に刊行し、人々に常に新鮮な驚きを与え続けたのです。 本展では、この名プロデューサー「蔦重」の出版物を通して、多様な“江戸メディア文化”の華をご紹介します。
展示会ホームぺ−ジから転載

MT=2  

表紙に戻る