【私の趣味】 俳句 Haiku


Ver.1.1 2005/01/25
 俳句誌「白」に掲載された私のエッセーをご紹介します。

「合気道」の気・俳句の気
福島雪雫   .
 私は六十歳の定年退職を機に平成十四年七月から合気道を始めました。目的は健康促進、精神修養、護身です。週二回(土曜の午後三時間、月曜の夕方三時間)ですがかなりハードな稽古です。二十人ほどの仲間の内、半数が大学合気道部の若者で、残りの半数は三十〜四十歳代の人です。六十歳代は私を誘ってくれた友人と私の二人だけです。この若く活気のある連中と一緒になって、相互に、突き、投げ、斬り、蹴りの稽古をしています。
 ところで、合気道とはどのような武道かを簡単に説明しますと、稽古風景から見ると柔道のようでもあり、空手のようでもあります。しかし、根本は全く違います。  「合気」とは、相手の力を限りなくゼロにする法であり、無力化でもあります。我と相手との調和、結び、崩しの究極化ともいえます。即ち、@人体の骨格、筋肉構造を利用する。A神経反射、生理反応を利用する。B空間、視覚の錯覚現象を利用する。C精神状態を利用する。という武道で、他の武道と比べると全く根本が違うことがお分かりでしょう。
 合気道は攻撃するのが目的ではなく、外部からの攻撃をかわし、身を守ることにあります。しかし、必要により相手を一撃で倒すことも出来ますし、多人数からの攻撃から身を守り、相手を制することさえ出来るのです。
 合気道の創始者植芝盛平翁によれば、合気道の「合気」という意味は気に合するという事で、天地の気、分り易く言えば自然の姿と一つになる事であるという。
 従って、柔道や空手のように筋力トレーニングは必要でなく、むしろ、合気道を習得するためには害にさえなるのです。筋力も弱く身体の柔軟な人には合気道は大変適しており、女性が護身用に習得するのもよいでしょう。
 私の師範(合気道五段)は人差し指一本で相手を投げ飛ばすことが出来ます。この例のように合気道の究極では力は不要であり、将に「気」の力で投げるのです。「気」を広辞苑で調べると「心の動き、状態、働きを包括的に表現する語」と書かれています。また、「気とは「呼吸」であり霊気、雰囲気」また、「天地間を満たし、宇宙を構成する基本またはその動き」とも書かれており、前述の説明とかなり符合するところがあります。
 人は気によって良くも悪くもなります。「気」が病めば病気になりますし、「気」に活力が出れば元気になります。
すなわち、自らの「気」の持ちようで「病気」にもなり、「元気」にもなれるのです。  この気を自分で制御できると楽しくなります。蕪村の句に「牡丹切って気の衰ひし夕かな」が有ります。
 皆様、「気」を入れて俳句の道に励みましょう。

【註】本誌ではA5版・縦書き2段構成・1ページ


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