ところで、合気道とはどのような武道かを簡単に説明しますと、稽古風景から見ると柔道のようでもあり、空手のようでもあります。しかし、根本は全く違います。
「合気」とは、相手の力を限りなくゼロにする法であり、無力化でもあります。我と相手との調和、結び、崩しの究極化ともいえます。即ち、@人体の骨格、筋肉構造を利用する。A神経反射、生理反応を利用する。B空間、視覚の錯覚現象を利用する。C精神状態を利用する。という武道で、他の武道と比べると全く根本が違うことがお分かりでしょう。
合気道は攻撃するのが目的ではなく、外部からの攻撃をかわし、身を守ることにあります。しかし、必要により相手を一撃で倒すことも出来ますし、多人数からの攻撃から身を守り、相手を制することさえ出来るのです。
合気道の創始者植芝盛平翁によれば、合気道の「合気」という意味は気に合するという事で、天地の気、分り易く言えば自然の姿と一つになる事であるという。
従って、柔道や空手のように筋力トレーニングは必要でなく、むしろ、合気道を習得するためには害にさえなるのです。筋力も弱く身体の柔軟な人には合気道は大変適しており、女性が護身用に習得するのもよいでしょう。
私の師範(合気道五段)は人差し指一本で相手を投げ飛ばすことが出来ます。この例のように合気道の究極では力は不要であり、将に「気」の力で投げるのです。「気」を広辞苑で調べると「心の動き、状態、働きを包括的に表現する語」と書かれています。また、「気とは「呼吸」であり霊気、雰囲気」また、「天地間を満たし、宇宙を構成する基本またはその動き」とも書かれており、前述の説明とかなり符合するところがあります。
人は気によって良くも悪くもなります。「気」が病めば病気になりますし、「気」に活力が出れば元気になります。
すなわち、自らの「気」の持ちようで「病気」にもなり、「元気」にもなれるのです。
この気を自分で制御できると楽しくなります。蕪村の句に「牡丹切って気の衰ひし夕かな」が有ります。
皆様、「気」を入れて俳句の道に励みましょう。