オニギリと言えば三角形と決まっている。私はハイキングやスポーツジムには妻特製のオニギリを持って行くことが多い。三角形のオニギリは美しく食べやすい。
昨年十一月、ニューヨークの娘宅に居候した時の話。娘の多忙を軽減すべく、初めて自らオニギリを作った。
昔のようにご飯を直接素手で握れば簡単に三角のオニギリが作れるが、手が汚れるのでラップの上にご飯を敷きシャモジで叩いて平らにするその上に具を載せて巻寿司のように具を中に取り込む。ところがそれを三角にしようとするとラップが邪魔して四角になってしまう。握ってあれば四角でもよいかなと思い、しっかりと海苔で巻いたものを持って出掛けた。一つはやや△、二つはやや□で合計三つのオニギリをニューヨークのセントラルパークで食べた。
だが何となく心が落ち着かない。やはり△でないとオニギリでない気がした。翌日には、色々工夫をして△のオニギリを三個作った。今度はセントラルパークでも様になる。先ずその形状が美しい。「やはりオニギリは△であるべきだ」などと独り思い巡らしながら、紅葉の満つ公園でオニギリを食する情景は至極のひと時であった。
大体、セントラルパークでオニギリを食べている人はいない。でもアメリカ社会では誰が何しようと皆気にしない。日本老人が独り「三角形でないものをオニギリと言うのか」と言う哲学的な難問を自分に投げかけても問題ない。
英語ではオニギリをライスボールと言うそうだが、一寸違う気がする。彼らにそういう機微を問うのは所詮無理があるが、彼らの社会では「ガサツの中に合理を見つける」というように私は感じた。
初夢は「正三角形のオニギリを雅の雰囲気の中、独りセントラルパークで食べる」という至極の時を夢見たい。