合衆国横断は昔からの夢。しかし、古希を過ぎた自分の体力に不安を感じながら、大きな旅の挑戦をすることにしました。メンバーは昔の会社の男性四人でした。
成田空港を出発して米国の西端サンフランシスコに入り、二日間思い出の街を懐かしく回想に耽りました。
第一の見学ポイントはグランドサークルと言われる国立公園群の内、十箇所を一週間かけてトレッキングし四人の健脚振りをお互い認識しました。
その中でも大きな感動は西部劇に出てくる広大な茶色の世界モニュメントバレーで、ナバホ族が岩の上から飛び出してくるような情景に圧倒されました。もう一つはグランドキャニオンをヘリコプターで回遊し切迫する岩肌の迫力に感動し「長生きしてよかった」と思いました。
次の見学ポイントは「アメリカの動脈となった旧ルート六六」を尋ねる事で、タイムスリップしたような街並とバーやカフェーで往時の雰囲気を楽しみました。今はルート四十となったフリー・ウェイを東に走り、歴史の街、セントルイス、シカゴ、デトロイト、ナイアガラ、ボストン、ニューヨークと二週間で一気に走ったのです。
レンタカーでの総走行距離は八千八百キロで日本列島の四・四倍を走破、一日の最高走行距離は千キロを達成しました。しかも、三週間丁度で完走出来たのです。
宿は事前予約無しに到着地で探すというものでしたが一件を除き全て確保。一件はその町が一週間の祭でホテルは満室の状態、百キロ離れた夜道を隣村までひたすら走るというアメリカならではの広大さを体験できました。
メンバーの平均年齢は六六・五歳という高齢でしたが、最も懸念した病気には一人も罹らず、仲間割れすることなく最後まで和気藹々と出来た事は、最高の幸せでした。
人生は気力・体力・知力をフル活用すれば夢は実現できる事を確信しました。
【註】本誌ではA5版・縦書き2段構成・3/4ページ