埼玉県小学校理科教育の歴史・・・・概要
明治5年 学制公布 近代的教育制度の始まり
      「村に不学の戸なく、家に不学の人なからしめんことを期す」

明治7年 埼玉県小学教則により  下等小学校6歳〜9歳(4年) 
                      上等 10歳〜13歳(4年)
     下等・・読本、算術、習字、書取、問答、復読、暗しょう、作文
     上等・・読本、算術、習字、輪講、暗記、作文
   当初は教授方法と教授内容が混同していた
   理科の教科はなく、読本や問答のなかで扱われた

明治9年 現埼玉県誕生(それまでは埼玉県と熊谷県があった)
       就学率・・男60%、女18%・・・・・男子は全国平均より高く、
       女子は低かった。

  青木輔清・・「師範学校改正小学教授法」出版
          掛図(単語図・連語図)を使っての教授法の解説書
          忍藩の士族・生年没年不明 教科書など20以上出版
  単語図・・・ 掛図に20ほどの動物等の絵と文字を並べたもの。
         文字を覚えさせる、図を除いて字を覚えさせる、翌日
         問答により確認する、「この物の名は・何の種類なるや・
         何よりなるや・何の用をなすや」
  連語図・・・ 単語を並べ、その単語を使って作られた短文が掲載されて
         いる。
         例  地球・月・昼・夜・春・夏・秋・冬・東・北・南・西等
         地球は日の周りを転じ、月は地球に随いて回る・・・・

  問答・・・・・ 単語図・連語図等を使って問答をする。正しい会話と記憶力
         を高めるの効あり。
         問答の例 
            「油の水に浮くのは何の訳なるや」
            答えがなければ 「木と水とどちらが重きや」と問う
             生徒は木が軽いと云うであろう
            「軽きものは浮くや、沈むやと問えば」 生徒は
            「油は水より軽いので水上に浮くなり」と自ら答えを
            発見するであろう。

明治9年 物理階梯 文部省編纂の最初の教科書 外国の翻訳物 
      上級3年使用    上巻・物性、力学  
                  中巻・気体、音、光 
                  下巻・電気、磁気、天体 
       小学化学書 仝
                  上巻・火、大気、水 
                  中巻・水、土、金属 
                  下巻・化合、定比例則、化合式の理解
       ファラデ−のロウソクの科学を踏襲し、学習に当たっては実物を
       重んじ暗記によらぬよう定めている。

明治12年 自由民権運動により 「学制」廃止「教育令」公布 就学率低下

明治13年 「教育令」改訂

明治14年 「埼玉県小学校教則」制定 小学校は
        初等科3年     中等科3年    高等科2年と定める
        (就学率50%)  (就学率数%)   (??%)
      科学分野は中等科から履修するので、その先はお寒いもので
      あった。

明治16年  教育普及のため「私立教育会」が設立された。 
        メンバ−・・郡史、村の学務委員、教員
    「埼玉教育雑誌」刊行(月刊) 教育学、心理学、教授法講演会開催
     明治39年「埼玉県教育会」に改組拡充されるまで続いた。

明治16年 開発主義教授法「改正教授術」ペスタロッチ思想の部分的取入
       れ指導案の形態をとる
     ○歩○課 当時多くは文字を教えるのみ
             1 目的 陶冶すべき事項
             2 大意 開発すべき観念
             3 題目 
             4 方法 教授の手続き
               (1) 復習
               (2) 教授
               (3) 演習
               (4) 約習

明治18年  森有礼文部大臣に就任

明治19年 「小学校令」公布 尋常小学4年 義務制
               高等小学4年 義務なし
     
「理科」誕生・・それまでは物理、化学、博物
              内容は衣食住生業に関することを扱う
              高等小学1、2、3、4年で学ぶ 週2時間

明治22年 教科書検定制度始まる 教育勅語下さる
     「理科」は天然物及び現象を観察し理解する科目である。
     対象の時季に合わせて組替えることがよい。
   20年代 5段階教授法のすすめ 準備・本文授業・演習・約習・摘要 
   30年代 3段階教授法 予備・教授・応用(今日の導入・展開・まとめ)
    しかし、形式化、画一化、方法にこだわり目的を失いがちであった。
  当時の画期的な主張(本庄・羽山好作氏)
     
「理科には標本が必要である」
       標本は、大きく・生で・自然の物で・たくさん・身近なものがよい。

      年間計画を立てよ

明治33年 授業料徴収廃止 就学率上昇90%

明治36年 国定教科書制度始まる
      理科は実物観察主義から教科書の使用を禁じていた。

明治43年に現場の要望から国定理科教科書が刊行された。
      教科書使用の可否は校長の判断による。
      教科書は地域に合わせて変更するも可

明治40年 義務教育6年となる

大正3年 第一次世界大戦
      科学技術の振興 生徒実験への国庫補助
      小学校4年から理科を教授
      学校園開設運動 外国にまねる (両神村1,000平米)

大正4年 埼玉県独自の「理科筆記帳」・「同教授書」刊行 
       これは、国定教科書準拠 全県使用 
       昭和16年まで続いた。 版元は浦和・須原屋、川越・謙受堂
            東京・金港堂など順次代わった。
   
当時の主張
       児童実験の奨励 4人1組、10組用意、教師の創意工夫による
       簡易機械の開発、危険のないもの、結果の明瞭なものがよいと
       された。
   児童実験の方法  1 教師の模範実験をまねさせる
                2 実験案内書をみて
                3 児童の創作による(予め用具与えず)
   理科実験の心得 
橋がなければ丸太橋を作ってでも渡れ
               実験の結果に善悪はない
               児童を実験のために使役するな
               実験は結果より過程を貴しとせよ
               結論は急ぐな、児童をして到達せしめよ


昭和初期 
平和になり、理科教育への関心が薄れる。

昭和7年 新井久三「私の理科観」
      書物や理屈を説くから嫌いになる。体験や方法を語らせる
      ところからはじめよ。

昭和16年 「国民学校令」公布 初等科6年 高等科2年となる
      初等科1年から「自然の観察」4年から「初等科理科」
      自然の観察の内容 (生活科に共通するものがある)
         1 自然の中で遊ばせ、自然に眼を開かせよ。
         2 飼育・栽培の初歩の指導を。
         3 玩具の制作、工夫をせよ。

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      単語図
 最初の頃は、教科書はなく、掛け図(単語図)
を用いて問答形式で授業がすすめられた。右
の図は、単語図の使い方について、教授指導
書に載せられているものである。なお、単語図
を用いるかどうかは教師にまかされていたよう
である。
  当時、理科という教科はなく、「問答
の中で、身近な素材を扱っていた。

  
トンボを指して、
     「コノ物ノ名ハ」
     「何ノ種類ナルヤ」
     「何ノ用ヲナスヤ」
 
などと、
 その物の性質や用法を質問する形で
授業がすすめられた。