鹿屋・航空基地史料館
5/3 佐伯⇒鹿児島県・鹿児島市 朝5時前に起床。天気は小雨。暫く早朝の海をボ〜ッと見た後撤収開始。6時半頃には走り出す。 予報では1日雨しかも時々強く降る、との事でレインウェアフル着用・荷物完全防水仕様でスタート。結局1日中レインウェア着て走る事になるのだが。 今回九州へ来た最大の目的は鹿屋と知覧にある「神風特攻隊」の史料館見学。なので雨だろうが晴れだろうが移動出来れば良い、と考える(ことにする。だって雨なんだも〜ん)R217-R10で延岡へ。途中雨足が強まる。延岡市内を通り過ぎた頃「土々呂駅」の入口発見。そうこれは「土々呂」と書いて”トトロ”と読む。以前も通り掛ったことはあるが立ち寄った事はない。朝食もまだだったので、近くのコンビニでパンとコーヒーを買って土々呂駅で朝食と休憩を取ることにする。行ってみれば住宅街の中にある何の変哲もない小さな無人駅で、電車も1時間に0〜2,3本の各駅停車が止まるのみ。その傍ら時々特急やら快速が駆け抜けていく。そんなのを見ながら地元のおばぁちゃんと話したりしながら(ほとんど理解不能な言葉を喋る)の朝食。たまに家族旅行中の車がやってきて記念撮影していく。やはり子供に人気があるのだろうか。。。 その後再びR10に戻りひたすら南下。車は多いがそこそこ流れているのでまぁまぁ走り易い。たまにトロいサンデーカーなんかもいるが。 宮崎市に入り「明日の夕方にはここへ来なきゃならないんだなぁ・・・」なんて考えながら通り過ぎる。宮崎市内はもう数回来ているので、見慣れたとまではいかないがまぁ新鮮味は無い。宮崎市内からR220−R269へ。都城の市街地をダラダラ走るのがイヤだったので途中山之口でK47−都城盆地朝霧ロード-K12−R222-K12と繋いで再びR269へ。この途中”スコール”にあう。それまで小雨や所によっては止んでたのに。暫くR269を南下すると程無くして鹿屋市到着。早速自衛隊・鹿屋基地内にある「鹿屋航空基地史料館」(無料)へ。場所はとても判り易い。駐車場(無料)に単車を止め早速見学開始。ここには旧日本海軍の歴史を展示してあり、その中で最も目を惹くのが旧海軍特別攻撃隊の関係資料。あのTBS二代目水戸黄門の俳優、故・西村晃氏もかつてこの特攻隊に配属され遺書まで書いていた。その遺書も展示されていて読んでいる内に何か込上げて来る物があった。結局氏は出撃することなく終戦を迎えたのだが、その他に実際に出撃して行った隊員の遺書等も展示されていた。 ココには他にも海軍の歴史やら現在の海上自衛隊の紹介みたいなのも展示されてたが、あまりそれらは見なかった、時間も無くなってきたし。明日は知覧に行きたいので鹿児島市辺りまで行きたいし桜島も走りたいので。 後ろ髪を引かれる思いで資料館を後にする。R220−R224で桜島へ。桜島は今まで何度か間近に見てはいたが走った事は無かった。残念ながら雨模様のため裾野しか見えなかったが、それでも道路近辺の溶岩流跡などその独特の荒涼とした風景の一部はは垣間見る事が出来た。 鹿児島市へはフェリーで渡るつもりだったのでフェリー乗り場へ。行ってビックリ、乗船の車の列が国道まで並んでいて高速道路の料金所渋滞の様。実際ココは料金所ゲートがあってそこで料金を支払って乗船する。一瞬三崎での国道フェリーの悪夢(?)が頭をよぎる。が今回はすんなりと乗船出来た。鹿児島市内まで所要僅か15分・\310也。 今夜以降大雨になるらしく、大雨の中キャンプするのもイヤなので市内のビジネスホテルに避難する事に。しかし鹿児島中央駅(旧西鹿児島駅)。新幹線開業してはしゃぎすぎてんのか屋上に観覧車乗っけてた。なんか大阪で同じようなもん見た気がする・・・。 (走行距離 340km) |
日豊本線・土々呂駅。森の中ではなく住宅街の中にある。 航空基地史料館。旧海軍〜現海上自衛隊までの史料も展示されている。
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5/4 鹿児島市⇒宮崎港 泊まったホテルの部屋が異様に狭かったが、そんなことはお構いなしでよく寝た。昨夜買ってあったパンとコーヒーで朝食を済ませると8時頃とっとと出発。単車は建物の入口階段に置かせてもらえたので雨に濡れること無く準備が出来た。そう今日も予報通り雨。大雨。今日は知覧の特攻隊資料館を見学した後とっとと宮崎港へ行く事にする。R225−K27と走り知覧へ。9時過ぎには知覧特攻平和会館に到着。まだ午前中で開館してすぐなので割と空いていた。早速見学開始(\500)。 ここは昨日の鹿屋の資料館以上に衝撃的だった。最初の展示スペースには中央に当時実際に使用された戦闘機「飛燕」の本物の機体が展示され、周囲の壁一面には特攻で戦死した1036名全員の遺影が掲げられている。そしてその遺影の下のショーケースには彼等の遺書・家族への(又は家族からの)手紙・絶筆等が展示されていて、それら全てに目を通すのは到底出来ないがそれでも出来る限り目を通すようにしたくなる。そしてそれを読んでるうちに何かこうこみ上げて来る、と言うか考え込むというか・・・。とにかくそこにはフィクションなど存在しない。すべて本物・事実であり、また彼等は本気で国を思い家族を思い、そしてそれらを本気で守りたいが為敵艦に突入すべく250kg爆弾を抱えて片道分の燃料で飛び立ち、そして死んでいった。まだ17〜22歳くらいの少年達が(最高齢で32歳の方が1名いた)。事の良し悪しは別として、何かを信じ又は崇拝し、それを守る為に戦う。その中には家族の為、という思いも含まれる。国を守る、という事はそこで暮らす大切な家族を守るという事。そこには強い信念がある。意思がある。その為の行動がある。己の身を犠牲にしてまでも守るものがある。己の身は己で守ることすら出来なくなっている現代では、忘れてしまっている大切なものがそこにはあるような気がする。 そして日に日に戦局も悪化する一方で、日本の敗戦はもはや時間の問題となっていた。しかしそれが判っていてもなお飛び立っていった隊員達もいた。彼等の思いは「(戦争に)負けると判っていても何もせず負けるよりも、出来うる限り体を張って戦い負けていく。後世の日本の発展を信じ。」 それからこのいわゆる「神風特攻隊」は海外からも評価されている部分もあるらしい。それは「人は戦いの中において、とっさに死を覚悟する事は多々例がある。しかし特攻隊は死を覚悟してからの時間が余りに長い。その”勇気”は賞賛に値するものだ」ということだ。 それからここに展示されている戦闘機、飛燕・疾風・ゼロ戦。それらのメカニズムもかなり興味があった。特に飛燕。旧日本軍唯一の液冷式エンジン、即ち水冷エンジンを持つこの機体は川崎重工製。そのエンジンは水冷倒立V型12気筒。単体展示されていたエンジン、かなり面白い。ちなみにこの機体そのものは特攻隊とは関係無く、元々は旧日本陸軍の航空審査部所属の機体だったらしい。 ここは決して戦争・特攻隊を美化している訳ではない。ただ紛れも無い史実・事実を後世に伝えるべく残し、展示しているに過ぎない。これらをどう考えるかは受け手の問題だと思う。機会があれば是非一度訪れてほしい。必ず何か考える所があるはずだ。 まだまだ目を通したかったが昼くらいになると修学旅行生やら一般の団体客等が押し寄せてきてかなり混雑してきたので退散することに。出来れば空いている時に静かに見学したい。 知覧はその町並みもきれいで武家屋敷等も見ながらゆっくりと散策して歩きたいところ。だがしかし本日は雨。雨具フル着用のオフローダーにそんな事が出来る訳もなく、また今夜帰京せねばならない・・・。後ろ髪引かれる思いで知覧を後にする。 その後、K23-指宿スカイライン(雨風とても強くまた霧で視界最悪)−九州道姶良IC−R10-R269で宮崎へ。コンビニで食料を買い込みそのまま港へ。天気悪いし船揺れそう。。。 (走行距離 215km) |
知覧特攻平和会館。館内撮影禁止なので外観のみ 都城で雲の切れ間に霧島韓国岳が見えた (左)道の駅山之口にて ココの自販機に\100コーナーがあり帰りのフェリーの分まで買い込んでしまった・・・ (右)その帰りのフェリー こーして見るとデカイ |
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下船準備 もうじき旅が終わる 日常へと帰らねば |
hidezou 2004.