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第12章 帰国・完結編

◎最後の日

 7月22日、スイス最後の朝。部屋の窓から見たアイガーには今にも泣きだしそうな雲がかかっていた。

 最後のスイスの朝食をとる。みんな口数が少ない。

 荷をまとめ、ホテルを出、駅へ行く。グリンデルヴァルトから列車に乗って、下る。アイガーや、ヴェッターホルンが、後ろへ去っていく。さらばアルプス。

◎誰のせいでもない雨が

 インターラーケンで乗り換えた頃、雨が降ってきた。今度の旅で初めての雨。思えば、今回の旅は天気に恵まれていた。いつも晴れだった。一生一度の大山行に、これぐらい天気に恵まれるとは、よっぽど運に恵まれていたのだろう。俺の日頃の行いが良いせいだと、みんなが口にする。

◎ベルン

ベルン

ベルンの街並み→

 スピーツで、ベルン行きに乗り換え、終点で降りた。ここでしばし街の見物。

 ベルンは、一応スイス連邦の首都である。が、街の規模としては、チューリヒやジュネーブよりずっと小さい、こじんまりとした街である。

 みんな、今まで山の中や、村にしかいなかったから、街の風景が新鮮である。そりゃそうだ、初めて外国に来て、いきなりツェルマットに入った人もいるのである。

ベルン

 「きれい」「美しい」等言いながら、どんどん写真を撮る。スイスらしい落ち着いた、中世の雰囲気も残したいい街だった。

 もう既にみんな、スイスにも慣れてきて、平気でねぎりながら、買い物したり、Yさんなどは、道行く人と親しく話したりしている。

 「何語でしゃべってたの?」
 「わからん、でも意味は通じたよ」

 街外れの丘に登った。眼下に広がる中世の街。しばしスケッチして、写真撮って、ぼんやりとすごす。ずっといたい気もするが、いかんせん忙しい日本人。すぐに去らねばならないのがつらい。

◎スイスを離れて

ベルンにて

 ベルンからは、ジュネーブ行きの列車に乗る。車窓から見えるスイスの家々。1週間前、スイスに降り立ったときは、いちいち窓の風景を見て感動の声を上げていたが、もうあたりまえの事になってしまった。もうそのスイスも終わり。

 ジュネーブ空港で急ぎチェックインして、土産を買いローマ行きAZ1453便に乗り込んだ。帰りの飛行機ではもうアルプスは見えなかった。見えなくてよかった。未練が残るから。

◎ローマ、ここはどこ?

 あっと言う間にローマ到着。タクシーで旅行会社が予約していたホテルに向かった。(このタクシーが暴走タクシーでめちゃくちゃ恐かった)。ホテルは結構格式が高そうだが、全然きれいでない。スイスから来るとその差に愕然とする。

 せっかくローマに来たのだから、と言うことでローマ市内の観光に出ることにした。ところが、我々は今いるホテルがどこにあるのか全くわからないのだった。

 とにかく、ローマ郊外であることは間違いない。ホテルの前に線路があったから、それに乗れば、ローマのどっかに着くやろ、と適当に行くことにした。

 他のメンバーは、治安が悪いと聞く初めてのローマでかなり不安な様だ。僕はローマには一度来たことがあるから大丈夫と皆に言うが、僕自身も実はどこにいるのか全然わからないのだった。

 が、駅員に聞きながら言われるままにメトロに乗り換え、汚いメトロにうんざりしている皆を連れて、昔の記憶をたどって、聞き覚えのある駅で降りたら、そこがコロシアムの真下だった。偶然と言うか何と言うかローマのまんなかに出ることが出来た。

◎ローマにて

ベルンにて

 コロシアムからベネチア広場へ歩いていく。あたりにはローマ時代からの遺跡がゴロゴロしている。以前来たときもこのあたり歩いたなぁと懐しい。最初は恐る恐る歩いていた他のメンバーも、だんだん慣れてきて、あちこちの遺跡を見ながら圧倒されているよう。

 ベネチア広場から少し入ったところで、夕食を取り、途中アイスクリームを食べながら戻った。

 行きは、汚いと文句を言って乗っていたメトロも、スイスとの違いに気付いて慣れてくると、人間味があふれているように思えてくる。みんなたった数時間のローマ滞在で、すっかり順応してしまった。目の前にすごくきれいなイタリア美人が座ったと言って、さっそく声をかける者もいた。

 ホテルに戻ったら、もう夜の12時近かった。ラジオをつけたら日本の歌が聞こえてきた。日本は近い。

◎そして最後の朝

 7月23日。ヨーロッパ最後の朝。6時過ぎ、Oさんに起こされる。昨夜ローマで結構飲んだので、少し苦しい。

 部屋の窓から地中海が見えた。青い海だった。

 ホテルのあまりおいしくない朝食を撮って出発。近くの遺跡見物もして行きたかったが、みんな疲れ切っていたので、そのまま空港へ直行。

 空港でチェックインするとき、係官が我々のピッケルを見て、山に登ってきたのかと聞く。ツェルマットからマッターホルンに登ってきたと答えると、なんでイタリア側から登らないのかとおこりだした。確かに、マッターホルン=スイスの山と言う固定感念があるが、マッターホルンはまた、イタリアの山でもあるのだ。

 チェックインをすました後は、買い物。自分としては特に買うものもなかったから、あたりをブラブラしてすごした。

◎帰りの飛行機にて

 7月23日13時、飛行機はローマ、フィウミチーノ空港を飛び立った。離陸直後、眼下にローマの街が見えるが、すぐに青い海が広がっていく。

 また日本に帰るときが来たんだな。そう考えると少しさみしい。

 行きはOさんを除いて、全然眠れなかった我々だが、帰りは疲れているのか飛行機が飛び立つとすぐにみんな寝てしまう。

 気が付けばデリー。そこのトランジットでも、もう行きのようなハプニングはなく、平穏無事に飛び立つ。帰りは行きと違って、香港にも寄って行くが、日本人団体客が買い物に走るのを横目に見て、我々は何をするのでもなく、ブラブラしただけでまた飛行機に乗った。

◎帰国

 ほどなく、左手に陸地が見えて来た。それが日本だった。飛行機は銚子沖から回り込んで行く。我々の街が視界の端に一瞬見えた。
  どすんと言う音と共に、飛行機は成田空港に着陸した。

 出かけるときはまだ涼しかった日本も、もう完全に真夏になっていて、日差しもきつい。帰りのタクシーから見える台地の緑を見ながら、日本もまたいいもんかな、と思っていた。

*** おしまい ***


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