「人一倍、誠実で優しい貴方に、出来るの?そんな事・・・・・」



「誠実で優しい」
織田は言ったが、それは違うと柳葉は思う。



それなら、この気持ちは何だろう?と。
誠実な自分なら、目の前にあるこの背中に
何を想う事も無いはずだ。



確かに、知り合ったのは彼女との方が先だった。
3年付き合って、そして[結婚]という考えを出した。
ずっと一人で暮らしてきた自分にとって、
掛け替えの無い大切な人だった。
だからこそ、ずっと一緒に居ようと思って結婚を申し込んだ。



でも、織田を知って、自分の中から[誠実]という言葉は消えてしまっていた。
[優しい]自分も、彼女だけのものではなくなっていたのだ。



今なら解かる。
大切な人を[裏切る]自分が、何時からかこうして存在している。



「ホントの事言うと、解かんないんだ。
 俺。
 これからの事なんて、全然」
柳葉は言葉を選びながら話し、今度は織田が黙り込む。
「卑怯な事言ってるって解かってる。
 でも、俺・・・・・」
さっき電話で話した妻の、自分を労わる声が、言葉が、
その時、彼女がどんな表情だったかが、見ずとも解かる。
柳葉の心を、押し潰しそうになる。
その痛みを紛らわすかの様に、柳葉はますます織田を抱く手に力を込めた。
「今の・・・今のお前、放っとけない」
「・・・・・柳葉さん」
織田が、ゆるゆると顔を上げる。
柳葉も、それにあわせてゆっくりと身体を起こし、
間近に、互いに互いの瞳を覗き込む。



「これでもう充分だ」と織田は思った。
嫌われ、避けられていると思っていた人だった。
会える時も、会えない時も、夢の中でさえ恋をしていた。
どんなに自分が柳葉の事を想っているか、彼は知らない。
恋しい人からの、思い掛けない言葉だけで充分だった。



このまま、柳葉の前から去ってしまおう。



織田は思う。
暫くは辛くとも、柳葉の為ならと割り切れる。
不安なのは、寂しさに眠れない夜の闇だけ。
それさえも、いつかは時間がどうとでもしてくれるはずだ。



これまではそうだった。



きっと、今なら諦められると思う。
織田は、自分が無くした物は何一つ無い事に気付いた。
だから、一人この場を立ち去れば、それで済むのだと。
幸い、この後は暫く日本を離れる事になっていた。
先方で暮らす日々の中、慣れない土地での忙しさに紛れ、
賑やかな人波に流されてゆくだろう。
そうしていれば、きっといつの間にか、この胸の痛みも、寂しさも、
醒める夢の様に消えていくだろう。