人込みへと紛れてゆく浅倉達の後ろ姿を見送っていた甲太郎の背後から、 皆が行ってしまうのを待っていたかの如くのタイミングで、 よく聞きなれた声が聞こえてきた。 「おんや〜? 珍しい事もあったもんだ、見ろ中野」 「あ、高宮さんじゃないですか?! 高宮中尉ですよね??」 振り返るまでもなく、背後に居る人物が誰達なのか 甲太郎には分かり過ぎるほど分かってはいた。 けれども片方の人物のノリは少々甲太郎には苦手に思えていて、 出来る事ならば知らぬ振り、聞こえぬ振りを決め込みたかったが、 その様な事が出来る訳もなく、甲太郎は渋々振り向いた。 案の定、そこには大湊とその副官の中野が立っていた。 「ご無沙汰しております」 2人には気付かれぬ程度の微かな溜息を付きつつ、 まずは上官である大湊へお辞儀をし、続いてその部下の中野にも、 丁寧な挨拶を寄越した。 「おう、元気そうじゃねぇか。 しかし・・・どうしたよ? 本当に珍しいじゃねぇか、オメェがこんなトコに来るなんてよ」 「大佐に、警護の為だから付いて来いと言われまして」 甲太郎の返事に、上官と副官は2人してキョロキョロと辺りを見回す。 「っと、あそこに居るな。 けどいいのか? こんなに離れたトコに居てよ」 「そうですね、近くで大佐の警護なさっていなくてよろしいのですか?」 また2人して尋ねてきたのに、甲太郎は苦笑混じりに返す。 「大佐の傍には土屋が居ますし、 私は少し離れた所から見ていろと言われましたので」 「そうか・・・そうだったな、土屋が居たな。 で?ほっぽらかされたか・・・・・」 「はい」 そのまま、暫し考え込む様に黙ってしまった大湊の代わりに、 甲太郎は中野に話しかけた。 「中野さん達こそ西宮氏と面識が?」 「え?私達ですか? ええ、まぁ仕事上何かとお世話になっていたりするんです。 頻繁にご意見を伺いにお宅へまでお邪魔したりね」 「そうですか・・・それで今夜も?」 「はい・・・と言いますか、 大佐の副官としてご招待いただいたんですけどね、私は」 「色々と、お大変そうですね」 「いやぁ、私はただただ中佐に引っ付いていくだけですから」 自分の上官を信頼しきった口調と何処かはにかむ様に軽く赤くなった顔で 中野は照れくさそうに笑って見せた。 「そうだ、今夜は他にも・・・・・」 「中野!!」 突然、それまで黙り込んでいた大湊がやや大きめの声で、 甲太郎と話し続けていた副官の名前を呼ばわった。 「はいっっっ!!」 驚いて飛び上がらんばかりの返事をした副官に、大湊が言った。 「俺達もそろそろ西宮さん達のトコに挨拶に行くぞ」 「・・・は、はぁ?」 「お供同士の無駄話は、後でゆっくりさせてやる。 いいな?それで文句はあるめぇ? お喋りは後だ、後!!」 その時、甲太郎には理解できなかったが、 大湊の副官としてそこそこの時間を傍らで過ごしてきた中野には、 大湊が物言わぬ内にも言わんとしている事が、 その口調の端々からだけで、充分理解する事が出来た。 「はい、じゃぁ高宮さん後で」 中野はイキナリの展開に少々呆然としていた甲太郎にぺこりとお辞儀をして、 さっさと歩き出した上官の後を追った。 (私の口から礼の事は知らせるなってんですか?!) と心の内で先を行く上司の背中に問い掛けながら。 その上司が、唐突に歩を止めた。 危うくぶつかりそうになった中野の事など無視して、 大湊が甲太郎を振り見て言った。 「浅倉が、今晩はオメェを護衛にとかって言ってたとか言ってたな? 護衛に来させておいて放っておく・・・・・オメェにさせようとしてんのは 自分の護衛ナンかじゃねぇな。 ははは・・・気を付けろ、今夜オメェが呼ばれたのは多分・・・・・」 そこで言葉を切ってしまった大湊に先を促す様に、 甲太郎は大湊を見る視線に力を込めた。 にやりと、人の悪そうな笑みを甲太郎へと送って寄越し、 やっと大湊は続きの言葉を口にした。 「軍や政財界の重鎮もそこそこ来てる晩餐会だ。 中には年頃の娘や孫娘を持ってる者もいる。 つまり・・・・・だ、分かるだろう?」 いよいよ耐え切れなくなったらしい。 遂に大湊は豪快に笑い出した。 「ははは、浅倉も良くヤル!! まぁせいぜい、下卑たお嬢様や阿婆擦れにに掴まったり、 ずうずうしい親に妙な娘押し付けられたりせんようにな」 「ワーッ、中佐ッ!! シーッ、シーッ!!」 「ま、ともかく無事、何事もなく逃げおおせるこった。 せいぜいがんばんな」 ヒラヒラと手を振り、周りを気にしてオロオロする中野を従えた大湊は、 それっきり振り向かずホールの中央へと紛れていった。 西宮夫妻、浅倉と見送り、今度は大湊達を見送った甲太郎は、 ホールに入って直ぐの壁近くで、今の大湊の言葉を反芻してみた。 「・・・・・そんなまさか、な・・・・・」 果たして、結局。 一人になった甲太郎の元へは、物怖じもせずたった一人で、 或いは父親に導かれ、或いは両親揃って付き添った娘達が、 次々途切れる事無く遣ってきた。 それを後々の憂いが無い様、丁寧且つきっぱりと断り続けながら、 「またやられた・・・」と 何度口には出さずに浅倉の事を罵ったか分からなくなった頃、 漸く、一息付く事が出来た甲太郎は、流石に軽い倦怠感を覚え、 間近の壁に寄りかかって眼を瞑った。 自然と大きな溜息が漏れる。 眼を瞑ったまま、今回の事を考えてみる甲太郎だった。 考えたくもない話ではあるが、この戦中・戦後の世において、 特にこの様な階層の人々にとっての最大の関心事は、 いかにして家を絶えさせず、存続させ続けるかだった。 だからなのだろう、少しでも好条件の男子とみると、 此方に都合の良い見合い話や養子の話は降るほどに有ると 甲太郎も聞いた事は何度もあった。 実際、そういう伝手で士官学校時代から婚約者の在る者さえ居た。 そうまでするお家大事の人々の気持ちが分からないでもなかったが、 元を辿れば遊郭を営んでいた[翠山]の跡取り息子の自分さえ 婿にと望まれるのかと、些かその妄念の凄まじさに寒気を憶えた。 相変わらず眼を瞑ったまま、一つブルリと震えた甲太郎に、 またしても声が掛かった。 「あの・・・失礼ですが・・・・・」 瞬時に察したその声は、その感じから 同じ様な娘の父親にしてはまだ歳若い声で、 付き添いの兄弟か親戚の者の声に思えた。 いい加減、嫌気も限界に来ていた甲太郎は 舌打ちしたいのをどうにか堪え、これを最後にならないものかと思案しつつ、 さっさと済ませてしまうべく、眼を開け、声の方へと振り向いた。 「ああ・・・やっぱりそうだ」 知り合って、初めてかもしれない。 己だけに向かって笑い掛けてくれたのは。 振り向いた甲太郎の視線の先、 思い掛けなくも微笑んで立っていたのは 甲太郎が密かに思いを寄せる、 木崎房茂大尉その人だった。 |
![]() |