今が有事なのだという事を忘れてしまいそうな程の規模の晩餐会である。 招待客の数、飲食のメニューの豊富さ、煌びやかな光と華やかな音楽。 どれを取ってみても戦時の世には場違いな世界だった。 実家の家業が家業で、偶に実家に帰った際に触れる 華やかな世界を知る甲太郎でさえ、本当にこれが浅倉の言っていた、 身内だけの小規模な晩餐会なのかと眼を見張っていた。 甲太郎の目の前の木崎に至っては、その場の雰囲気に酔っているのか、 僅かに頬さえ紅潮させている。 「ご無沙汰しております」 己に笑い掛ける木崎に、身の内の震える程の歓喜を隠して甲太郎は、 務めて平静を装いながら近付き挨拶した。 見ると、今夜の木崎の服装は、出席している軍人の殆どと同様、 第一種軍装姿だったが、思い返してみれば甲太郎にとってはこれも初めて目にする 木崎の濃紺の軍衣姿だった。 初めてその姿を目にした時は潜水艦乗りとして略式の軍衣を身に着けていたし、 座敷で助けた時は夏の白い軍衣姿だった。 濃紺の軍衣は、木崎の細身の身体を尚一層スッキリと見せていたが、 それでもそれは先日までの不健康な細さではなく、 軍人として規則正しく生活し、鍛錬を積んだ事により整えられた痩身だった。 第一に、今の木崎は気力の充実がその身に現れていて、 海軍自慢の制服が、とても良く似合っていた。 「元気そうで何より。 しかし、不思議なもんだ・・・以前も思ったが、 同じ棟に居ながら、普段は廊下で擦れ違う事もないのに」 なのに今夜みたいな夜にと木崎がまた笑う。 柔らかな笑顔。 知り合って以来、こんな風に笑う木崎を見る事はこれまで一度たりとも無かった。 自ずと甲太郎の笑みも、それまでの貼り付けたような笑顔から、 気心の知れたものの知る、根の部分の良さそうな笑みへと変わっていた。 「今夜、木崎さんは?」 甲太郎が、どういう伝手でこの晩餐会に招待されたのか?と聞いてみると、 僅かに片方の眉を上げた木崎が、人を探す様にホールへと視線を動かす。 釣られて甲太郎も木崎の視線を追えば、ホールの中央付近で、 ヒラヒラと手を振る大湊を捕えた。 口元のニヤニヤとした笑いは、一癖も二癖も有りそうな其れで・・・・・。 甲太郎は、先程の遣り取りを思い出した。 先程中野の言い掛けていた「今夜は他にも・・・」の続きは此れだったのかと、 木崎に気付かれない様に、大湊に苦笑を寄越す甲太郎だった。 人込みが動き、直ぐに大湊の姿は見えなくなってしまったが、 彼の事だ、今頃は甲太郎の苦笑に、 また副官が諌める程の大笑いをしている事だろう。 自分の上官の姿が見えなくなって、木崎が甲太郎を振り返る。 「最近、忙しい中野君の補佐の様な仕事をしているんだ。 だからかな? 今夜も勉強になるからと、中佐のお供を俺も言い付かったんだ。 高宮も浅倉大佐のお供で?」 「お供と言うか・・・一応は警護として同行してきたんですが・・・・・」 「が?」 一旦、先を言い淀んだ甲太郎に、木崎が興味津々の態で先を促す。 「・・・・・」 確かに甲太郎は何か言ったのだが、調度大きくなった音楽と人々のざわめきで、 木崎はよく聞き取る事が出来なかった。 「え?何?」 周りの音のせいで聞き取り難い言葉と、 かといって無骨な軍人の大声は憚られる雰囲気に、 躊躇する事無く、木崎は一気に2人の間合いを詰め、 今度こそ聞き逃すまいと、甲太郎の腕さえ掴んでその身をピタリと寄せた。 「すまない、良く聞き取れなくて」 そう言って自分より頭一つ分背の高い甲太郎を、ジッと見上げてきた。 甲太郎を見上げてくる瞳を見下ろせば、それは相変わらず黒目勝ちで、 今夜も真っ黒な瞳には甲太郎が映って見える程だった。 知らず知らずの内に、一瞬見惚れていたのかも知れなかった。 我に返ると、木崎が何かを懸命に話し掛けていた。 「え?」 慌てて聞き返すと、今度こそやっと木崎の声が耳に入ってきた。 「其方のお嬢さんが・・・」 振り返ると、また何処ぞのご令嬢が一人立っていた。 するりと木崎の腕の感触が甲太郎の二の腕の辺りから引いていった。 何故だか、このままでは今夜は此れきりになってしまう、 甲太郎はそう思った。 眼の前の娘はそろそろ始まる次の踊りの相手をして欲しいと言っていたが、 甲太郎には応える気は無く、踊りは苦手だから勘弁して欲しいと さっさと断ってしまった。 その断り方が、余りに型通りの断り方だったので、流石に娘も察し、 夜会服の裾捌きも荒く立ち去っていった。 さてとばかりに木崎を見返れば、立ち去る娘の後ろ姿を呆然と見送っていた。 そしてハタと自分を見ている甲太郎に気付き、慌てて言った。 「いいのか、あれ?」 「構いません、今夜はそろそろああいう方達に辟易していた所ですから」 「俺が邪魔をしたんじゃないのか?」 「まさか」 見当違いも甚だしい木崎の言葉に笑ってみせる。 「・・・本当に踊りが苦手・・・・・な訳はないよな?」 「貴方と居る方が楽しいから」に決まってる。 甲太郎は心の中で呟いた。 「俺はそういう環境に無かったからな・・・まるで踊れない。 だから、あんな風に誘われたらと思っただけでドキドキしてくる」 本心なのだろう、さっきより木崎の頬が赤く染まっていた。 甲太郎でさえ驚いてばかりの今夜の晩餐会では、 音楽さえ生の演奏が用意されていて、 そろそろ次の踊りの為のチューニングが始まっていた。 ふっと気付けば、其処此処から明らかに甲太郎狙いと思われる娘達が、 一人で、或いは保護者連れで近付いてきつつあった。 浅倉からは離れての監視を命ぜられていたが、今の所は不審な者も見当たらない。 甲太郎は、隣で踊りの為に ホールの中央に集まり始めた人々に見入っている木崎の肘を掴むと、 そのまま人々とは反対側へと歩き出した。 「た、高宮?」 直ぐ傍の硝子の嵌った扉を押せば、その先は直ぐに庭へと続いていた。 有無を言わせない態度ながら、甲太郎から緊迫感は感じられず、 木崎は黙って甲太郎に引かれるまま付いていった。 手入れの行き届いた庭は、此処もまた今夜の夢の世界の続きの様に、 珍しくも美しい冬の花々に彩られている。 いつの間にか中の熱気に中てられていたのだろう、師走の外気が気持ち良い位で、 歩きながら木崎は、以前にも一度、こんな風に甲太郎に手を取られ、 歩いた事が有った事を思い出したりしていた。 あの時は、確か甲太郎の実家の[翠山]の和風の庭で、 今回は西宮の西洋庭園。 庭のタイプはまるで違うけれど、今回もまた、自分の前を歩く青年は無言で、 自分も引かれるまま黙って青年に付いて行く。 唐突に立ち止まった青年の前には、小さなガラス張りの建物が有り、 中に入る為の扉さえも硝子が張られていたが、 その扉を押し開いた青年は、木崎の手を掴んだまま、 躊躇する事も無く、建物の中へと足を踏み入れた。 後に続いた木崎が見た物は、見渡す限りの薔薇の花、花、花。 花のアーチを追って見上げた天井は、それさえ硝子で出来ていた。 そうしてその先の初冬の天上からは降り注がんばかりの星々。 夜の闇の色に慣れ始めた目には、残る月の明かりで充分だった。 浮世離れした空間。 此処は温室なのだと、やっと木崎も気付いた。 ぽっかりと花の途切れた一画で、漸く青年が歩みを止めた。 それを待ち兼ねていた様に、今し方出てきたホールで始まった演奏が、 開け放した硝子の扉から密やかに流れ込んできた。 |
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