[知ってしまう自分]
[知らないままの自分]
どちらを望むのか。
今はまだ見ぬ海に打ち寄せるという波の如く、寄せては戻り、戻っては引く思考の果て。
辿り着くのは・・・・・何処(いずこ)?



胸の内で彼の人を想えば
アルフィリンの黄金なす鈴が鳴る




アルフィリンの黄金なす鈴[1]





裂け谷での御前会議の後、旅の仲間の面々は、
ある者はより一層の情報を求める為の旅へと、
そしてある者はダメージを受けた身体を少しでも良い状態へと戻す事に勤め、
またある者は何も出来ぬまま過ぎる一分一秒に歯軋りし、
それぞれに出立までの日々を、この美しい谷間で思い思いに過ごしていた。





そんな或る日の夜更け。
闇の森の王子は、一人木々の間を気の向くままに歩いていた。
エルフは人の子やドワーフ、小さい人達とは違い、彼らの云う『眠る』という必要がなかった。
だからこそどんなに夜が更けていこうと、こうして歩き回っていても誰に咎められる事も無い。
何処までも高く、伸びやかな、金と銀に彩られた幻想の森。
谷を流れてゆく水音さえも、何処か密やかな響きに聞こえる。
そよぐ風は優しく、月の光で照らされた足元には、柔らかな色とりどりの花々。
それらを踏んでしまわないように気をつけながら、当ても無く歩き続ける。
どの位そうして歩いていただろう。
流石に自分に当てがわれている部屋へ帰ろうと通り掛かった館の中庭。
エルフの持つ、類稀な聴力が何かを聞き付けた。
思わず足を止め、辺りの様子を伺ってみる。
(この私が『空耳』?)
そう思い始めた時。
(聞こえる)
やはり『空耳』ではなかったのだ。
今度こそ、はっきりと聞こえた。
迷わず、音の方に面を向けた。



見上げたバルコニーは、確か南の国から来た人の子へと当てがわれた部屋。
面を元に戻し、暫し思案するのだけれど、その間にも絶え間なく聞こえてくる。
どうしてもそのまま通り過ぎてしまう事が出来なくて、彼はもう一度頭上のバルコニーを振り仰いだ。
どうせこのまま知らぬ振りをして通り過ぎ、自室へと帰ったとしても、
到底気になって、ゆっくり寛ぐ事等出来そうもないのだから。
「しょうがない・・・」
自分自身に言い訳するように呟くと、小さき鳥が枝から枝へ軽やかに飛び移るが如く身軽に近くの木の枝へ、
それから目指すバルコニーへふわりと音も立てずに降り立った。



裂け谷の四季は穏やかで、気温の変化に対して耐性のあるエルフでなくとも、
たとえ人の子や小さき人達でさえも、晩秋の今をとても心地よく過ごしている。。
建物という建物はバルコニーへと続く部屋の扉も、窓も、寒さなど少しも感じないせいなのだろう、
その谷自体の醸し出す清浄な大気を取り込む為にも、大きく外に向かって開け放たれている。
バルコニーに立ったまま、そっと中の様子を伺ってみた。
部屋の中は灯り一つ燈ってはいなかった。
明るい外の月明かりの下から入ってきたばかりの目は徐々に今の状況に順応してゆく。
普段ならば、この程度の暗闇の中では容易に見通せる筈の視覚を持ったエルフに見えないはずはなかったが
居る筈のこの部屋の住人の姿は、調度死角になっているのか、今立っている場所からは見遣る事が出来なかった。
未だ途切れ途切れに聞こえる『それ』は、尚も彼の注意を引き続けている。
意を決した彼は、とうとう部屋の中へと足を踏み入れた。



果して、部屋の主は寝台に居た。
足音を忍ばせずとも、エルフの足音は無いに等しい。
普段どおりの足取りで、大胆に彼の元へと近づいた。
枕元に立ち、落ち掛かって彼を起こしてしまってはと自分の長く真っ直ぐな髪を片手で押さえながら覗き込んでみた。
「やはり・・・」
思った通りだった。
先程から聞こえていたのは、彼の魘されている声だったのだ。
眉間にくっきりと刻まれている苦悩の皺。
額に浮かぶは脂汗か冷や汗か。
常ならば、安らかな寝息が漏れているであろう筈の唇からは、懊悩の篭った呻き声が、
さほど耳を近づけなくとも聞こえてくる。
「・・・我が祖国・・・・・我が民・・・・・」



先日の御前会議を思い出す。
あの場に居た者の、誰が彼程に熱く語ったか。
『忌まわしき物』について。
善し悪しはともかく、彼の指輪を欲する熱情は、一瞬であれ、あの灰色の賢者やこの谷の領主すら凌駕してはいなかったか。
全ては『祖国』と『民』の為。
今や存亡の危機に瀕している祖国を想い、日々失われてゆく命を惜しみ、彼の国の統率者たる御父上の片腕として、
また自身未来の統率者として、誰よりも『守る為』に指輪を欲しているのがあの場に居た誰もに伝わった。



だからこそ、危険なのだ。
あの、ただひたすら祖国に一途な人の子は。
囚われてしまう。

「授かり物だ!!」

熱に浮かされ、何処か夢見る眼差しで、引き寄せられるように『忌まわしき物』へと近づく彼。

ああ・・・いけない!!

あの時既に、彼はもう指輪に・・・囚われてしまったのだろうか?
いや、まだ大丈夫だと思いたい。
彼ならば、大丈夫だと。
まだ間に合うと。
彼なら、きっと指輪の誘惑にも打ち勝てる。
私利私欲の者ならば、既に囚われ人となっていようが彼ならば・・・。
自分自身の為に欲する人ではないのだから。
「此れで皆が助かるのだ」と。
嬉々とした声音の中にも、ほんの一瞬ながら、心からの安堵の響きが感じ取れなかったか?



目の前に苦しげに横たわる彼を黙って見下ろしながら、その様子を見ているのが居た堪れなくなり、
王子はせめてもと思い、そっと額に手を当て、エルフの言葉で癒しの言葉を呟いた。
僅かばかりでも彼の心を心安くしてはやれないものかと。
気付けば、彼の目の縁には今にも零れ落ちそうな涙の雫が一粒、見て取れた。
夢で見るのは、荒れ果ててゆく祖国の姿か?
それとも、次々に倒れ、地に臥す同胞達の姿だろうか?
人の子の涙の一粒が、とても尊く、重く、大切に思えた王子は静かに彼を肩口の辺りに抱き寄せた。
起こさぬようにと十分に気を付けながら。



一刻も早く抜け出して欲しいと願っても、悪夢から抜け出すのは容易い事ではないらしい。
一体、どれ程の時間そうしていたか。
漸く、彼の身体から力が抜け、唇からも健やかな寝息だけが漏れ始める。
やっと悪夢が通り過ぎたらしい。
王子の唇からも、ほぅと吐息が漏れる。
見違えるほど穏やかになった寝顔を確認して、ゆっくりと彼を抱いていた腕を外し枕に戻す。
「夜はまだ長い。ゆっくり休まれよ」
聞こえては居ないだろう部屋の主に、それでも一言言い置いて、王子は部屋を後にした。


★アルフィリンの花
  本当は[黄金の鐘]に似ているという事なんですが、
  原作でレゴラスが歌った歌の中で[黄金なす鈴]ともありましたので
  お話の内容上、こちらを使わせていただく事にしました。
  ・・・だって、[鐘]がなってしまってはねぇ・・・・・ちょっと。

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