その時、風が動いた。 風に吹き飛ばされぬよう、地を捉え、佇むのみ・・・・・ アルフィリンの黄金なる鈴[2] 立ち上がり、言葉を遮る。 振り返った人の子の眼には、谷風に煽られ、金糸と銀糸で織り上げられたエルフの髪が その背で羽根のように広がるのが映る。 見返し、人の子の瞳の熱さを知るエルフ。 それは思い詰めた者の、深く透き徹る眼差し。 エルフとしての安寧と清閑な日々の終焉の予感。 人の子としての露命の受容と、避け難く不動なる運命の到来の享受。 御前会議の終了。 その場から、足取り重く立ち去る人の子の背中を、レゴラスは瞬きもせず何時までも見送った。 止まない風の中で。 あれ以来、夜毎の訪問は続いている。 夜更けの訪問は、一度では済まなかったのだ。 どうしても気になってしまい、毎夜バルコニーの下で耳を澄ます。 そして魘され続ける彼の声を聞いてしまう。 聞こえぬ振りも出来ず、その度毎に、同じ様に彼の元を訪れ、 同じ様に彼を起こさぬ様気を付けながら癒しの言葉を呟き、そっと部屋を後にする。 自身の行動の理由(わけ)も解らず、それでも彼の許へと行かずにはおれない自分。 レゴラスは今夜もバルコニーの下から、彼の部屋を見上げ、耳を澄ます。 密やかな訪問は、今宵も続く。 そんな日々が、幾夜続いただろうか。 とある昼下がり、エルロンド卿の自慢の庭園を歩いていた所でよく知る顔に呼び止められた。 「貴方は・・・一体、何を考えておいでなのだ!」 目の前で、美しい双子の片割れが怒りさえ含んだ声で叫んだ。 隣では、もう一人がむっつりと黙り込んだままレゴラスを見ている。 二人は、知っているのだ。 レゴラスは、そう直感した。 己の夜毎の訪問を。 けれど何(なに)と問われても、自分自身ですら解らない行動なのだから、何とも答えようが無く、 レゴラスはただただ黙ったまま立ち尽くすしかなかった。 それを何と捕らえたのだろうか? 僅かに風を感じたと思った次の瞬間、レゴラスの左の頬が音をたてた。 黙って見ていた方の彼に打たれた(ぶたれた)のだと気付いたのは、 弾みで自分の髪が視界を遮ったからだった。 「エルラダン!!」 この双子はおかしなもので、片方が怒ると必ずもう片方が庇ってくる。 今回も。 最初に何を考えているのかと厳しく詰問していたエルロヒアの方が、 慌てて打った片割れを止めに掛かる。 落ちてきた髪を払い除け、打たれた頬と反対の右手の甲で頬を押さえ、 レゴラスはそれでも何も言わずに二人の前に立っていた。 エルラダンは、その態度にますます激昂したらしかったが何とかそれを押さえ、 先程叱責した自分を忘れたかのように、 今では必死になってレゴラスを庇ってくれようとしている片割れの方を向いて言った。 「此れは、解っているのだ!!解っていてやっているのだから始末に負えない!! あれ程、先人達が戒めていらっしゃるのに!! 『人には構ってはならぬ』『想いを掛けてはならぬ』と!!」 「・・・まさか・・・」 信じられないと言いたげな眼差しをこちら向ける片割れのエルロヒアを残し、 エルラダンはこれ以上構っても無駄とばかりに踵を返してその場を立ち去ろうとする。 「レゴラス!!」 去り掛けるエルラダンの腕を掴んで引き止めながら、 痛みさえも含んだエルロヒアの声が発せられる。 「何とか言っておくれ!レゴラス、『違う』と!!」 「放って置け!!」 怒りを含みながら、それでも彼の声音にも何処かに痛みが隠れているのが感じ取れる。 「レゴラス、何故?言っておくれ!!『定命の人の子に想いなど寄せぬ』と!!」 「エルロヒア!!」 それ以上を言わせぬように、エルラダンは今度は自分がエルロヒアの腕に手を掛け、 力を込めて、遂に彼をレゴラスの前から連れ去った。 思案にくれ立ち尽くすレゴラスを、二度とは振り返らずに。 己に背を向けて去って行く双子の後姿に、言い訳の一つさえ言えず、 最初は痛みさえ覚えなかった頬の痛みを今更感じながら、 レゴラスは黙って頬を押さえたまま、彼等を見送るしかなかった。 レゴラスは一人、その場で考え続けていた。 感情の起伏が穏やかな筈のエルフ。 双子は中でも、若干気性の烈しい所がなくも無かったけれども (月の内の、殆どを[オーク狩り]に費やしていたり) それでもやはり人の子などと比べると穏やかなもので、 第一、同族のしかも友人をいきなり打つ等という事は、大変稀な事だったのだ。 その双子を、己があれ程に激昂させ、嘆かせている。 『何故?』 問われても・・・レゴラスには何も答えられない。 自分でも解らないのだから。 自分が何を、どう考えていて、何をしたいのか・・・。 どうして自分は、こうもあの人の子に拘ってしまうのか。 そういえば、さっきエルロヒアは何と言っていた? 『人の子に想いを寄せる』 唐突にレゴラスは心の中で叫ぶ。 違う!!と。 エルフが人の子を想うなど。 有る事ではない。 有ってはならない事なのだ。 アラゴルンとアルウェンのように、例外が無いとは言わない。 けれど、彼は思った。 自分は違うと。 では『何故』? 人の子の姿を思い浮かべながら、もう一度、考えてみる。 けれど、答えを見つける事は出来なかった。 いつになったら、答えが出るのだろう? 今日?明日?それとも・・・・・ 答えの代わりに、胸の奥底で黄金色のアルフィリンの花が静かに揺れ、 微かな鈴音を響かせた。 ←BACK or NEXT→ |