1945年、8月。
現人神のおわす国、大日本帝国は今、まさに滅亡のその日を迎えようとしていた。
人々の失望は嫌増し、日毎夜毎、絶望だけが彼等に齎された。
[明日]と云う名の光の存在は、今はまだ、漆黒の暗闇の中で息を潜め、
来るべきその時を待っていた。


8月6日。
人類史上初、無差別殺戮兵器として原子爆弾が広島に投下された。
未曾有の大惨事。
しかし、これはまだオープニングにすぎないのだ。
米軍は、第二、第三の広島を目指し、南の島々から
大型爆撃機を発進させようと目論んでいるのだ。
次の悲劇の地は何処か?
日本中が言い知れぬ恐怖に怯えきっていた中、
一人の男が呼び出された。




呼び出した男は、帝国海軍軍令部作戦課長。
朝倉良橘大佐。
海軍兵学校、海大を創立以来の優秀な成績により、首席で卒業した男で、
海外留学による世界に対する広い視野と経験を買われ、駐米武官を歴任、
人材の宝庫と謳われた帝国海軍の中でも、
将来を有望視された者ばかりが集まる軍令部へとその身を置いていた。
朝倉の年齢から考えると、[大佐]の地位は過ぎる地位と云えたかもしれない。
しかしながら、本来、彼ほどの頭脳と、リーダーとしての資質、
その他を総合してみた場合、もっと早い段階で上の階級へ昇っていても
何の不思議も無いはずだった。
なのに何故、未だ大佐の地位のままなのか?
誰もが首を傾げていた。
そして思い至るのだ。
彼の最前線での戦闘経験不足が原因ではないのかと。
朝倉は軍令部所属のまま、最前線行きが見送られ続けている。
一兵として御国の為にその身を差し出し、最前線で戦うべきなのに、
将校として、その身を晒して部下の先頭を走るべきなのではないのか?
つまりは実戦においての[武勲]が足りないのではないか?


けれども、誰もが朝倉の姿を目にすると、途端に納得せざるをえなかった。
朝倉の手には、いつも杖が握られている。
軽く引き摺った、右の足への負担を少しでも軽くする為に。
アメリカからの帰国後、自ら希望して赴いた南方戦線での苛烈極まる戦闘の果て、
奇跡的に生還したものの、右脚に戦傷を負い、以後杖を手放せない身体となった。
戦場での、一瞬一瞬の動きが生死を左右する現場で、
朝倉のそれは、何よりも高いリスクとなるはずで、
故に朝倉は机上での、陸上での働きを余儀なくされていた。


それが朝倉の昇進を阻む理由だと、朝倉本人も含む世間の考えとなっていた。



対する男は、絹見真一。
[腰抜け艦長]。
帝国海軍少佐で、嘗ては名潜水艦艦長として名を馳せていたが、
上層部に異を唱え、陸上の閑職へと追い遣られた今ではこう呼ばれていた。
[人間魚雷・回天特別攻撃隊]。
その名に絹見の魂が反応した。
「綿密に練られた計画、或いは鍛え抜かれた躁艦技術が我々には有る!!
 それを・・・・・特攻という貴重な戦力の浪費で命を落とすなど・・・。
 まさに非合理的作戦!!愚かの極みである!!」
絹見は叫んだ。
その存在を、真っ向から批判したのである。
軍法会議に掛けられ、地位を剥奪、
その場で処刑されても反論できる立場ではなかった。
その絹見が、彼に対し裏でどのような力が働いたのか、
今となっては推測するしかないけれども、
命は勿論の事、少佐という地位さえもそのまま、
但し、船乗りとして死んだも同然の、
潜水学校教官という陸上勤務を強いられつつ日々を送っていた。


朝倉大佐は、度重なる空襲によって今は廃墟と化した軍用ドックへと、
絹見少佐を呼び出したのであった。


                                               〜第1週〜