昭和16年10月19日:軍令部、連合艦隊へのハワイ作戦を正式に認可。

昭和16年11月08日:山本五十六司令官[大海令第一号]発令。

昭和16年11月13日:作戦説明。
              南遣艦隊を除く、各艦隊の司令官・参謀長・選任参謀を
              岩国海軍航空隊に召集。
              山本司令官「全軍将兵は、本職と生死を共にせよ」と語る。

昭和16年11月17日:機動部隊、旗艦[赤城]艦上で壮行会挙行。

昭和16年11月18日:内地出撃。

昭和16年11月26日:択捉出撃。
              早朝、機動部隊択捉島単冠湾を出港。
              針路97度、真東へ進む。
              警戒隊に続き、第八艦隊(巡洋艦隊)、第三艦隊(戦艦)、
              空母部隊の順で出港。
              隊列は、実に名古屋から大阪までの距離に匹敵したという。

昭和16年12月01日:開戦正式決定。
              午後2時、宮中東一の間にて御前会議開催。
              東条英機総理の議事進行で開戦正式決定。

昭和16年12月08日:午前1時30分(現地時間午前6時)。
              「発艦始め」の令。
              北緯26度1分、西経157度1分。
              オアフ島北方230哩。気温22℃。
              日の出26分前、月齢19日、下弦の月。
              東北東13メートルの風。
              6隻の空母より第一次攻撃隊、183機飛び立つ。
              全機発艦に要した時間は僅か15分。
              午前7時55分、攻撃開始。
              真珠湾にて開戦。
              太平洋戦争勃発。





絹見と木崎が、互いに[腐れ縁]と呼ぶ関係の始まり。




以来、潜水艦伊16の艦橋には絹見が、
そして傍らには片時も離れる事無く、航海長木崎の姿が在った。
それは当たり前の光景であったが、
戦場においてはまさに[生と死]は紙一重で、
さっき冗談を言い合った人間が、今はもう冷たい骸となって、
海へと還ってゆく。
一日を生き残れた強運と、一日を生き延びた幸運と、
それらを相殺して、やがて訪れる慙愧の念。



こうして相反する感情に苛まれる日々の繰り返しに、
やがて精神(こころ)は磨耗し、麻痺してゆく。



この戦争が始まる以前、木崎は妻を娶った。
横須賀の海軍ドックの食堂で賄いとして働いていた娘だった。
別段、飛び抜けて見目の良い娘ではなかったが、
誰にも分け隔ての無い優しさを持った明るい娘に、
木崎の他にも好ましく思っている輩が少なからず居た様だが、
ふと気付いた者が居た。
木崎の分のトレーの中身だけが、微妙に多目によそってあるという事に。
指摘され、互いに赤面して俯いてしまった。
今思い出しても、かなり微笑ましい始まりだった。
時代の流れにも背を押され、結婚を申し込んだのは、
それからそう間もない頃。
軍人の妻になる事に迷いが無かった訳でも無かっただろうが、
それでも娘はニッコリと笑って言った。
「嬉しい」と。
娘の笑顔に、亡き母を見た。
木崎は思う。
「ああ・・・これで俺はもう、一人ではなくなるんだ」
家族という、何より欲しかったものを木崎は手に入れた・・・・・筈だった。



或る日、気付いてしまった。
足りない。
まだ、何かが足りていない。
己が欲したものは、何なんだ?



そうしてまた、振り出しに戻った。



幸せなのに。
満ち足りている筈なのに。
何かが足りない。

                                                   〜第8週〜