あの世の旅

第2部 六道輪廻編

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何回同じことを繰り返しているのか・・・。罪人は、血の池を梯子を目指し走り出し、争い、殴り合い、我先にと梯子に登ろうとして、結局は梯子を壊してしまう。愚かな行為を何度繰り返せば、彼らは気が付くのか。なぜ、協力しないのか。なぜ、自分一人だけ助かろうとするのか。なぜ、鬼たちの思惑、いや、この地獄の仕組みに気が付かないのか・・・。
「生きているときに、人を信用して痛い目に遭っているんだろうな。いや、そもそも親に捨てられた連中が多いだろうから、他人からの愛情というものがわからないんだろう。自分以外は信用できない、という環境にいたのだろう。ま、哀れと言えば哀れだが、愚かと言えば愚かだな」
俺の心を察して、夜叉はそう言った。
「さっき、今はお彼岸だと言ったけど、それっていわゆるお彼岸のことですよね?。何か関係あるんですか?」
「お彼岸に他のお彼岸はないだろ?。現世でのお彼岸のことだよ。まあな、たまになんだが、お彼岸やお盆には変わった光景が見られることがある。ただし、それは、こいつら罪人の子孫が、こいつらのために供養したら、の話なんだけどな」
「あぁ、子孫の供養があれば、ちょっと特別に扱われることもあるんでしたね。前の鬼ごっこの女性の罪人のように・・・」
「あぁ、そうなんだが、ここではちょっと違う形になるな。まあ、見られれば一番いいのだが・・・。うん?、おぉ、これはいいかも」
夜叉は、ちょっと驚いたような表情で、血の池を見つめていた。俺もそれにつられ、血の池に目をやった。
「あれ?、あれは・・・霧ですか?。もやが立ち込めてきたような」
「あぁ、そうだ。もやだな。まあ、黙って見ていな」
そのもやは、血の池全体を覆うようになった。そのせいで、岸上の鬼たちのの姿は見えなくなった。しかし、俺や夜叉の方からは、血の池の中の様子はよく見えていた。
「な、なんだ、この霧みたいなのは。前が見えねぇじゃねぇか」
罪人の一人が叫んだ。
「くそ、方向がわからねぇ。梯子はどっちだ?」
「おい、触るな!、邪魔だ!」
「あぁ、くっそー。これも鬼たちの罠か?」
罪人たちは、周りが見えない影響でイライラが募り、殺気立ち始めた。あちこちで争いが始まっていた。そんな時であった。もやの中をどこからともなく、突然に船が現れた。船と言っても、3〜4人ほどしか乗れない木の船である。船というより、ボートと言ったほうがいいか。しかも古そうである。新しいボートではない。全体的にくすんだ茶色の木船である。その船は、「協力しよう」と提案した中年のオッサンの方へと音もなく流れていった。
「な、なんなんだこの船は?」
「おい船だぞ!。これに乗っていれば助かるじゃないか」
「バカ、鬼の罠かも知れない。乗った途端、血の池の底に一気に沈むとかな」
その船は、中年のオッサンの前で止まったままだった。その様子に、罪人たちは警戒をしていた。
「なんでオッサンの前に行くんだ?」
「オッサン、何かしたのか?。鬼に逆らうとか?」
「お、俺にそんな覚えはねぇ。俺は、何もやっちゃいねぇ・・・」
中年のオッサンは、木船をじーっと見ていたが、「乗れば助かるんだ!」と叫んで船に飛び乗った。その途端、一斉に罪人たちは動き出した。
「俺も乗せろ!」
「うるせい、どけ、俺の船だ!。お前ら乗るんじゃない!」
「オッサン、独り占めするのか?。汚ねぇ野郎だ!」
船の上で争い始まった。船の上の真ん中には、一番最初に乗り込んだ中年のオッサンが陣取り、船に乗ろうとしてくる者を殴り飛ばしていた。そのすきに、オッサンの後ろから他の罪人が船に乗り込もうとする。船は大きく傾いた。
「危ねぇ、ひっくり返るじゃないか!」
オッサンが叫ぶ。そんなことはお構いなしに、罪人たちは、一斉に船に乗り込もうとした。舳先から乗り込む者、オッサンの足につかまり、這い上がろうとする者、船に乗り込み「オッサン、協力するぜ」と言いながら、上から頭を踏みつける者・・・。船は大いに揺れた。
「あ、あぁぁぁ」
ザブンという音とともに、船に乗っていた者たちは血の池に落ちた。船もひっくり返り、底を上に向けていた。それでも、罪人たちは、その船にしがみつこうとしていた。血の池に船から落ちたオッサンたちが這い上がってきた。
「俺の船に触るな!」
オッサンは、そう叫ぶとひっくり返った船にしがみついている者たちを後ろから羽交い絞めにし、そのまま放り投げ始めた。どこにそんな力があるのか、オッサンは次から次へと罪人たちを投げ飛ばしている。投げ飛ばされた罪人は、驚きのあまりしばらく呆然としていたが、「この野郎!」と叫ぶと、オッサンに飛び掛かっていった。結局、ひっくり返った船を中心に醜い殴り合いが始まったのだ。
「あ〜ぁ、そうなったか。残念なことだ。哀れな奴らだ・・・」
夜叉は、その光景を見て、大きくため息をついた。俺は、何も言えなかった。彼らがあまりにも愚か過ぎて、何といっていいのかわからなかったのだ。
「これで終わりじゃないから、そのまま黙って見てな」
俺は、夜叉の顔を見た。夜叉は血の池を食い入るように見つめていた。

「哀れな者たちよ。汝らは、まだわからないのか・・・」
突然、上の方からなんとも心地よい声が響いてきた。そう、聞こえてきたのではない。響いてきたのだ。
「愚かな者たちよ。なぜ、汝らは助け合おうとしない・・・。まだ、気が付かぬのか・・・」
その声とともに、一筋の光が上の方・・・はるか上空・・・からさしてきた。
ここ地獄は、ほぼ暗い。空なんてない。真っ暗だ。星のない、月のない夜と同じである。しかも、都会の夜ではない。深い山の中の夜である。ただ、鬼ごっこをやる場所とか、血の池の周りとか、罪人たちが受ける刑罰の周辺だけが、ほのかに明るくなっている。
そんな暗い中に、その一筋の光は降りてきたのである。
罪人たちは、争いを止め黙った。誰もがその光を仰ぎ見ている。やがて、誰からというのでもなく、罪人たちは座り始めた。どうやら、血の池の中で正座をしているようだ。誰もが畏まった顔をしていた。その光には、彼らをそうさせてしまうような威圧感と威厳があったのだ。そして・・・。
「あぁぁぁ、あぁぁぁ」
罪人たちの口から声が漏れてきた。彼らは、一斉に頭を下げたのだった。その光の中に、阿弥陀如来・・・だろうと思う・・・が、二人の菩薩を連れて空中に立ったまま浮かんでいた。

阿弥陀三尊像である。中央に阿弥陀如来、向かって右に観世音菩薩、左に勢至菩薩。それは、有名な阿弥陀三尊像そのものであった。
「汝・・・」
阿弥陀如来が指をさしたのは、中年のオッサンであった。
「汝、汝の子孫が彼岸の供養を行ったのだ。その功徳により、私が汝に船を差し出した。しかし、汝は、その船を我が物にしようとした。誰もその船に乗せまいとした。そうして汝らは争いを始めた。汝は、子孫のせっかくの彼岸供養を無駄にしたのだ。いったい、いつになったら気が付くのだ?。いったい、いつになったら汝らは争いを止めるのだ?。まだ、わからぬのか?。争いから何が生まれるのだ?。このまま、永遠と思えるほど長い時間をこの地獄で過ごすというのか?。争いからは何も生まれぬ。この地獄から救われたいと願うのなら、お互いに助け合うことだ。よいか、答えは目の前にある。よく考えることだ・・・」
阿弥陀如来は、優しい声でそういうと、空中高くゆっくりと上がっていった。その時である。罪人の一人が急に立ち上がって叫んだ。
「ふ、ふざけるんじゃねぇ!。おめぇも仏なら、俺を救いやがれ!。仏は人を救ってナンボのものだろ!。きれいごとを言うんじゃねぇ!。こんな奴らと助け合いなんかできるかっ!」
そして、その男は阿弥陀如来を指さして
「俺はお前なんか、信じないぞ!」
と叫んだのだった。
阿弥陀如来は、空中に留まると、何とも言えない、それはそれは哀れな目で男を眺めた。
「愚かな者よ。汝の心にもすがる心はあるものなのに・・・。汝の心にも、悲しみの心、慈しみの心、優しさの心はあるものなのに・・・。汝、その心をよく見つめ、素直になるがよい。それができた時、汝は救われよう・・・」
阿弥陀如来と二人の菩薩は、空中高く昇っていった。そして、スーッと消えていったのだった。
ふと気が付くと、一筋の光も、船も、もやも消えていた。いつもの血の池に戻っていたのだった。いつもと異なるのは、罪人たちが一人を除いて、血の池の中で・・・おそらくではあるが・・・正座をしていたのだ。誰もが頭を下げている。阿弥陀如来に言いがかりをつけた者も立ったまま頭を下げていた。彼らは今、いったい何を思っているのだろうか・・・・。
「さて、どうでるかな?」
最初に声を発したのは、夜叉だった。もちろん、その声は罪人たちには聞こえていないのだが、そのおかげで俺も緊張がほぐれた。そう、俺は緊張で身体が固まっていたのだ。
「び、びっくりしましたよ。阿弥陀如来を見たのは初めてです。こんなことってあるんですねぇ・・・」
「おいおい、阿弥陀如来を見たっていうのは、阿弥陀様に対して失礼だろう」
「あっ、あぁ、そうですね。はい・・・」
「ま、いいけどな。せめて阿弥陀様にお会いした、とでもいうことだな」
夜叉の指摘に、俺はちょっと恥ずかしくなった。記者の端くれにしては言葉を知らんな、と言われたような気がした。
「お彼岸だからな、現世では。だから、こういうことがあることもあるんだ。こいつらの子孫が、たった一人でもいいから、彼岸供養を行えば、こういうことはあるんだ」
「船が出てくるような?」
「あぁ、その時その時で違うけどな。船の時もあれば・・・」
「蜘蛛の糸」
「あぁ、そうだ、そういう時ある。あれは名作だぜ。よく地獄のことをわかって書いてある。実際にああいうことはあるのだ。こいつらだって知らないはずはないんじゃないのか?。蜘蛛の糸は有名な作品だろ?」
「はぁ、まあ、原作は読んだことはないにしろ、話には聞いたことがあるとは思いますけどねぇ。今の若いものはいざ知らず、中年以上の者なら、たいていは知っていると思いますが・・・」
「知っていても、忘れてしまっては何もならんな。応用できなければ意味がない。まあ、あれは物語であって、実際に地獄に蜘蛛の糸なんぞあるとは思わないのかもしれないけどな・・・」
夜叉は、そこでいったん話を止めた。そして、血の池の罪人たち・・・いまだに呆然としている彼ら・・・を見て、
「実際にあるんだよ。蜘蛛の糸は・・・」
とつぶやいたのだった。

「彼らはどうなるんでしょうか?」
沈黙に耐えられなくなって俺は夜叉に聞いた。
「さぁねぇ。罪人たち次第だな。阿弥陀様の言葉が心にしみたなら、協力し合うだろうし、そうでなければ・・・」
「また、争いが?」
「地獄っていうところは、そういう連中が集まっているところだからな。どうなるかは、わからない」
「昔も今も?」
「あぁ、昔も今もだ。協力し合って地獄から救われるものもいれば、結局争いになり、下の地獄へ落ちる者もいる。人それぞれさ・・・」
夜叉は寂しそうにそう言った。さて、彼らはどう出るのか・・・。
「動き出したぜ。きっと、血の池が深く、熱くなってきたんだろう。鬼たちも、岸に現れた」
なるほど、さっきまで姿が見えなかった鬼たちが、いつの間にか岸に立っている。罪人たちも立ち上がり、動き始めた。再び梯子に向かって走り始めたのだ。しかし、その速度はゆっくりであった。走るというより、歩いているのだ。まだ、阿弥陀如来の言葉の影響が残っているのだろう。
「なぁ、さっきの阿弥陀さんの言葉だけどよぉ」
走りながら中年のオッサンが誰にともなく声をかけた。
「なぁ、協力しわねぇか?。なぁ、いいと思わねぇか?」
すぐに返事はなかったが、
「協力って、どうやるんだ?」
という声が聞こえた。中年のオッサンのちょっと後ろを歩いていた者である。
「おぉ、協力してくれるのか?」
「するとは言ってねぇ。どうやるんだ、って聞いているんだ」
「あ、あぁ、そうだな・・・。だけど、まあいい。他の者も聞いてくれ」
オッサンがそういうと、「聞いてるよ」とか「さっさと言え」とか言った声が聞こえた。中年のオッサンは、その声ににこやかになり話し始めた。
「あ、ありがとうよ。いいか、あの梯子は、一人乗っただけじゃあ壊れない。それに鬼たちも助かるのは一人だけとは言ってない。つまり、あの梯子を使えるのは、2〜3人くらいは大丈夫だ。どうみても、4〜5人はキツイだろう。そこでだ。体重の軽そうな者から、あの梯子を使うんだ。壊れるまでな・・・。うん?、なんかこんな話前にもしたような・・・まあいい」
「で、それからどうするんだ?」
「梯子が壊れたらどうするんだ?。3人は助かったとしても、残りの方が多いんだぜ?。俺なんか、体重が重い方だ。きっと最後だろう。俺はどうなるんだ?。勝手なことばかり言ってんじゃねぇぞ」
あぁ、結局はこうなるのか。こうやって前も争いが始まったのだ。中年のオッサンの提案を無視して、結局は争うこととなり、全員血の池で溺れてしまったのだ。今回も同じだ。阿弥陀如来の諭しは意味がなかったのだ。
と思っていたら、オッサン以外の者が
「そういきりたつなよ、デブ。とりあえず、オッサンの話を最後まで聞けよ」
と言ったのである。それは、なんと阿弥陀如来に言いがかりつけた者だった。だからこそ、効果があったのだろう。誰もが黙ったのだった。
「ありがとうよ。まさか、お前さんが助けてくれるとはな・・・」
そういって、中年のオッサンは、言いがかりをつけた若者に微笑みかけたのだった。
「じゃあ、続きを話す」
オッサンは、気を取り直して、協力の仕方を話し始めたのだった。


「とにかく、体重の軽い順から梯子を使って岸に上がるんだ。梯子が壊れるまでな。で、梯子が壊れちまったら、岸に上がった者と、池に残っている者が協力して残りの者を岸に上げるんだ。最後の一人は、上から引っ張ってもらうしかないがな」
中年のオッサンは、走りながら他の罪人にそう言った。罪人の一人が言った。
「オッサン、先に岸に上がったヤツが逃げたらどうするんだ?」
「あぁ、そういうヤツもいるかもしれないな。でも、俺はあんたらを信じるぜ」
中年のオッサンは、一度立ち止まってそう言った。再び走り出すと
「とりあえず、あんたらを信じるしかねぇだろう。そうじゃなきゃ、こんな計画話せねぇ」
「俺は信じられない。どうせ俺は最後に決まっているしな。俺を先に岸に上がらせてくれるというなら協力してやってもいいけど」
「うるせーデブ。お前なんざ、はじめっから助けてもらえないよ」
「なんだと、コラッ!。てめぇ、ふざけんじゃねぇぞ」
長身の男と太った男が立ち止ってにらみ合った。今にも取っ組み合いのケンカになりそうだった。
「まあまあまあ、ちょっと待てよ。そういきりたつなって。にーちゃん、安心しな。最後は俺だ。俺も中年太りで体重は重い方だし、言いだしっぺだから最後は俺がやる。にーちゃんは、なるべく早めに岸に上げてやるよ」
中年のオッサンの言葉に、にらみ合っていた二人は「ふんっ」と鼻を鳴らし、走り始めた。
「この計画は、協力し合うことが大事だ。ケンカしちゃならねぇ。ケンカしたいなら、みんなが助かったあと、岸の上で好きなだけやればいい。どうだい?、協力できるかい?」
オッサンの問いかけに、すぐには返事はなかった。しばらく無言で罪人たちは走っていた。
「あたしは・・・協力してもいいよ」
女の罪人がぼそりと言った。
「別にあたしが女だからって言ってるんじゃないよ。あたしは、見ての通りデブだしね。でも、こうして走ってばかりいて、梯子の前で殴り合って、梯子を奪い合っているうちに、結局は全員この池で溺れてしまうんだろ?。だったら、少しは望みのある方に賭けてみてもいいかなと思うんだよ」
確かにその女性は太っていた。太い身体を揺らしながら、息を切らして走っている。
「ねーさん、あんたデブだから最後の方だぜ。それでもいいのか?」
長身の男が遠慮なく言った。そいつは、みんなよりも少し前を走っている。つまり、梯子に一番近い位置を保っているのだ。
「あたしは構わないさ。仕方がないさデブなのは。ま、この身体があったんで、男をたぶらかすこともできたんだけどね。うふふふ」
「さぁ、他のみんなはどうなんだ?。協力するのかしねぇのか?」
オッサンの問いかけに、「しょうがねぇな、やるか」とか「やってもいいぜ、俺は軽い方だからよ」というような声があちこちから聞こえてきた。どうやら、みんな協力的なようだ。
「俺は・・・、協力してもいいけど・・・、裏切るかもしれないぜ」
そう言ったのは、阿弥陀如来に突っかかった者だった。
「お前さん、なかなか正直者だな」
「なに言ってんだよ、オッサン。俺のどこが正直者なんだよ」
「いやいや、正直者だろ。裏切るかもしれない、なんて、普通は言えないぜ。そういうことは、たいていは黙っているもんだ。悪いヤツは黙って裏切るもんだよ。初めから裏切るかもしれない、っていうお前さんは・・・いいヤツだ。今どきの若い奴にしたら、お前さんはいいヤツだよ」
オッサンにそう言われた男は、「チッ」と舌打ちをして
「わかったよ、協力するよ。俺は、その話に乗った」
と言ったのだった。
「じゃあ、みんな協力するっていうことで決まりだな。で、順番はどうするんだ?」
先頭を走っていた長身の男が言った。
「順番は、軽い順だ。梯子が壊れるまではな。梯子が壊れた後は、とにかく押し上げる。踏み台になれそうな男や力のある奴は、最後の方まで残ってもらうしかねぇな」
「俺も最後の方でいいよ」
そう言ったのは、裏切るかもしれないといった、阿弥陀如来に突っかかった男だった。オッサンは、その男の顔を見ると、ニヤッとし「そう言うと思ったよ」と小声で言ったのだった。

そうこうするうちに先頭を走っていた長身の男が梯子にたどり着いた。その男は後ろを振り返ると
「悪いな、先に上がるぜ」
と言って、さっさと梯子に登ってしまったのだった。するすると岸に上がると
「そのオッサンに言いくるめられて、のんびり走っているお前らが悪いんだ、バカめ」
と言って、なんと梯子を池からあげてしまったのだった。
「あっ、あのヤロウ、なんてことをしやがる!」
岸の上では、長身の男が腹を抱えて大笑いしていた。走っていた罪人たちは、口々に罵りの声をあげていた。しかし、その時にそれは起こった。
「あははは、ざまぁねぇ。こりゃ見ものだぜぇ・・・うわっ、うえっ!」
大笑いしていた長身の男は、急に苦しみ始めたのだ。
「ぐっ、あぁ、や・・・やめ・・・やめて・・・たす・・・」
長身の男の異変に池の中にいた残りの罪人たちは、立ち止ってしまった。長身の男の身体は、ゆっくりとねじれていった。誰かが頭と足を持って、ねじっているような状態になったのだ。
「ぐわっ・・・ぐふっ・・・」
苦しそうな声をあげ長身の男の身体はねじられていく。バキバキバキと骨が折れる音が響いた。「ぐわー」という叫び声とともに口から噴水のように血があふれた。池の中の残った罪人たちは、ただ呆然と見ているしかなかった。いや、彼らだけではない。俺もただただ呆然と見つめていただけだ。
そのうちに長身の男の身体がねじれたまま回転し始めた。くるくると回っている。まるで・・・そうだ、ネジのようなのだ。
それは、まさに人間ネジだった。長身の男の身体は、ねじれたまま、くるくると回転し、岸の地面にめり込んでいった。まるで、地面にネジを打っているような状態だ。大きな力が、長身の男の頭をつかみ、地面にネジを打ちこむように回転させて埋めているのだ。
長身の男の身体は、ゆっくりと地面にめり込んでいった。苦しみの叫び声をあげながら、男の身体は地面に埋まっていく。腰まで埋まり、腹が見えなくなり、胸がよじれて消えていった。そして、ついに頭も地面に消えていったのだった。
誰も何も言えなかった。みんな口を開けたまま、唖然としていた。
「いいところまでいったのに、裏切るからさ」
俺の隣で夜叉が言った。
「あいつは、初めから出し抜くつもりだったんだな。岸に上がった時点で、みんなを助けようとしたなら、あんなことにはならなかったんだけどな。バカなヤツだ」
夜叉は、頭を左右に振りながら、吐き捨てるように言った。
「あの男は、いったいどうなったんですか?」
俺は、恐る恐る夜叉に聞いた。夜叉の目が怒っているように見えたから、ちょっと怖かったのだ。
「アイツはな、遥か下の方の地獄に送り込まれたんだよ。ひょっとすると最も深い地獄かもな。アイツはな、阿弥陀様の言葉を聞かなかったんだよ。この罪人の中でただ一人だけな。みんな、阿弥陀様の言葉が少しは身に染みていたんだ。だから、あのオッサンに協力する気になった。あの阿弥陀様に口答えした若者だって、迷いながらも協力する気になっていた。だけど、あの長身の男だけは、阿弥陀様の言葉が響かなかったんだ。アイツの心は腐りきっていたんだな。あそこまでいくと、もう救いようがないな。あんなヤツが人間だったかと思うと・・・まあ、いいや、これ以上は言わない方がいいな」
夜叉の顔を見ると、さっきまでは怒りに燃えていたようだったが、今は悲しみの目をしていた。あまりにも愚かなものを見た、と言ったところか。
夜叉は長年にわたり、地獄で罪人を見てきている。こういう場面は嫌というほど見てきただろう。しかし、それでも、こういう愚か者を見るのは、キツイのだろう。バカで、愚かで、救いようがない者・・・そういう者は、いつの時代にもいるのだ。阿弥陀様の言葉も通じない、愚か者がいるのだ。そういう者が、人間として現世にいたのだ。否、今も現世にはいるに違いない。他人のことなど、どうでもいいと思っている非情な人間は、今も現実にいるのだ。怖ろしいことである・・・。

「どうするんだよ、梯子がなくなっちまったじゃねぇか」
デブの男が不貞腐れたように言った。オッサンは、
「仕方がねぇ。今度は逆にするしかねぇな」
「逆って、どういうことよ」
「みんなで協力して、重いヤツから岸に押し上げるんだ。重いヤツが下に残ったんじゃあ、俺一人の力じゃあ岸に押し上げられねぇ。だから、重いヤツから順にあげるのさ。まさか、あれを見た後で、裏切るやつはもういねぇだろ」
「オッサン、まだやる気なんだ。もう梯子はないのに・・・」
「梯子は、あってもぜいぜい三人くらいしか使えねぇ。一人目で壊れたと思えばいいじゃねぇか」
「それもそうか。よしわかった。じゃあ、デブのねーさんから押し上げるか」
「デブは余計だよ。せめてぽっちゃりと言ってくれよ」
罪人たちは、意外にもブレなかった。もうがっかりして、あきらめてしまうのかと思ったが、あのショックな光景を見て、逆に一つに固まったようだ。今では、全員ひと塊りで歩いている。とび抜けて前へ進もうという者はいない。もっとも、一人抜けしても梯子がないから意味はないが。
「あきらめなかったな。あの長身の男の裏切りで、かえってかたまったな。これは見ものだ。さて、どう仕上げるかな」
夜叉は、少し嬉しそうな顔をして言った。実際、罪人たちが協力し合っているのが嬉しいのだろう。その気持ちは俺にもよく分かった。いくら罪人であっても、ひどい仕打ちにあうのは見たくはないし、今まで勝手ばかりしていた者たちが協力し合うところを見るは楽しいものだ。いつの間にか、俺は心の中で彼らを応援していた。

そうこうするうちに、罪人の一団は岸の下までたどり着いた。血の池は、腹のあたりまで深くなっている。
「俺が岸に手をついて土台になる。できればあと二人くらい同じように土台になって欲しい。で、残りの者で、岸に上がるヤツを俺たちの背中によじ登らせてくれ」
中年のオッサンは、そういうと岸に手をつき、背中を丸めた。同じように二人の者が横に並んだ。その一人は、阿弥陀如来に言いがかりをつけた若者だった。
他の者で、太った女性を土台になった者の背に押し上げた。太った女性は、必死の形相で土台になった者たちの肩につかまり、その背中をよじ登っていった。後ろから他の者がお尻を押し上げている。女性の手が岸に届いた。岸につかまりながら、土台の背に立ち上がる。太った身体で懸命に岸に這い上がった。
「やったよ。上がれたよ。次は、デブのにーちゃんだね」
岸上からそう言われたデブの男は、「先に行っていいのか?」と言いつつ、土台の背中にしがみついた。同じようにして岸に手をかけ、土台となった者の上で立ち上がる。彼も無事に岸に上がることができた。
同様にして、順に岸に上に上がっていく。岸の上から手を差し伸べ、引っ張り上げようともしていた。みんなが協力し合っている。そして、中年のオッサンと、阿弥陀如来に突っかかった若者だけが池に残った。
「お前さんは、軽いから簡単に俺の肩に乗れるだろ。さぁ、乗っかれ」
「俺は最後でいい。オッサンの方が重いんだから、一人では登れないだろ。俺は、みんなが引き上げてくれれば、軽いから何とかなる。オッサンを上から引き上げるのは、大変だからな。あははは」
若者は、笑いながらそういうと、オッサンに「早く肩に乗れ」と真顔で言ったのだった。
「いいのか、お前?」
「早くしろよ、池が深くなってきてるだろ。早く乗れ」
オッサンは、一つうなずくと若者の肩にしがみつき、よじ登り、肩に足をかけた。若者は、オッサンの重みに必死になって耐えている。オッサンの手が岸にかかった。岸に先に上がった者たちがオッサンの手をつかみ、引っ張り上げた。
「はぁはぁ、次は、彼の番だ。みんな頼む」
岸に上がったオッサンは、ぜいぜい言いながら、若者を引っ張り上げるように頼んだ。
岸から一斉に手が差し伸べられた。
「さぁ、早くつかまるんだ。なにをしている、早くつかまれ」
「早くつかまって。あんたも早く岸に上がるのよ」
血の池は次第に深くなり、若者の首くらいまでになっている。若者は、思いっきり手を伸ばした。しかし、ほんの少しで届かない。
「誰か、俺の足を支えてくれ。いいか、絶対手を離すなよ」
そう言ったのは、ヤクザ風の男だった。男は岸に寝そべると「足を押さてくれ」といって、身体を腰のあたりまでずらし、池の中へ身体を落とした。そして、池の中の若者の手をつかむ。
「よし、みんなで俺の身体を引っ張ってくれ。おい、若いの、俺の手を絶対離すなよ」
罪人たちは一斉にヤクザ風の男の身体を引っ張った。
若者の手が見えた。彼は、岸の端に手をかけた。すかさず、別の者がその腕をつかんだ。みんなで彼を引っ張り上げる。最後まで残った若者が、岸に上がってきた。
「やったなぁ、これで全員助かったぞ!」
「すっげぇ、やればできるんだな」
「あぁ、なんか、気持ちがいい・・・」
「そうだな、協力し合うっていうのは、なんだか、いい気分だな」
罪人たちは、口々に喜びの言葉を発した。そして、肩を抱き合ったり、背中を叩いたり、みんなで喜び合ったのだった。
「こんな・・・こんな嬉しいことは・・・初めてだ。人を助けるって・・・なんだか、すごく気持ちがいい・・・」
最後に岸に上がった若者がぼそりとそう言った。それを聞いて、皆うなずき合っている。誰もが涙を流しているようだった。
「俺たちは、罪人だ。この地獄へ来る前は、みんな結構ひどいことをしたと思う。俺も人殺しだ。それも一人や二人じゃねぇ。ひどいもんだ。他人を信用したことなど一度だってありゃしねぇ。人を騙して、脅して金を巻き上げて、挙句の果てには殺してしまった。いつもイライラして、周りに八つ当たりをし、気に入らねぇとすぐに殴り飛ばした。嬉しいことなど一つもなかった。なんで、こんな人間になっちまたのか、世の中を恨んでばかりだったよ。でもよ、そんな俺でも・・・嬉しかったぜ。初めて人の役に立てたというか・・・。人を助ける側になれてよかった。ありがとうよ、オッサン」
這いつくばって若者に手を伸ばしたヤクザ風の男は、オッサンに握手を求めた。
「オッサンの言うことを聞いてよかった。俺たちが間違っていたんだ。これからは、考え方を変えなきゃいけないな」
みなが、それぞれ反省の言葉を口にしだした。
「今の気持ちを忘れないようにするこった。そして、これも阿弥陀様のお陰だ」
オッサンがそういうと、皆がうなずいたのだった。
「よ〜し、全員合格だ!」
ひときわ大きな声がした。それは鬼の声だった。鬼がニコニコしながら罪人たちに近付いていった。
「お前ら全員合格だ。いいことがあるぞ」
鬼はそう言って、罪人たちの前で立ち止まったのだった。



「お前ら、よく頑張ったな。みんな合格だ。これはな、試験だったんだよ」
鬼は、そう言って岸に上がった罪人たちの顔を見回した。
「お前たちは、この地獄で何度も何度も死を繰り返してきた。そうだな?」
鬼の言葉に、罪人たちは大きくうなずいた。
「それはもう・・・言葉では言い表せないくらい、苦しい思いをして何度も死んできた。それはなぜだかわかるか?」
鬼は、意外にも優しい声で問いかけた。
「そりゃ、俺たちは、人殺しだから・・・」
「あぁ、俺なんぞこの手で何人も殺してきたからな。地獄で苦しめられるのは仕方がねぇ」
罪人たちは、口々に己の罪状を告白し、地獄へ来たのは仕方がないと答えた。そのことに関しては、彼らはよくわかっているいるようだった。
「ふむ、お前たち、ちゃんとわかってはいるんだな」
と鬼が言うと
「わかってはいるさ。あんたらにさんざん言われたしな。『お前らは、助けてくれと命乞いをしたものまでも殺してきただろうが。それなのに、今さら助けてくれと言えるのか?』ってな。そうやって随分いたぶられたよ・・・。今、振り返ってみりゃあ、俺らは随分身勝手な人間だったなということがよくわかる。ま、これもそこのオッサンがわからせてくれたからなんだけどよ」
とヤクザっぽい男が答えた。その言葉に、皆がうなずいていた。
「確かに、そこのオッサンがみんなをまとめて引っ張ってくれたから、お前らも自分の身勝手さがよく分かったのだろう。しかし、本当に助けてくれたのは、そこのオッサンじゃないよ。まずは、それをお前らにわかってもらえないと、この先のご褒美はない」
鬼は、そういうとニヤッと笑ったのだった。
罪人たちは、顔を見合わせてきょとんとしていた。鬼の言っている意味がよくわからなかったのだろう。その時である。あの阿弥陀如来に突っかかった若者が
「阿弥陀さんのおかげと言いたいんだろ?。オッサンもそう言っていたぜ」
と、ちょっと不貞腐れた表情で言ったのだ。鬼は、まだニヤニヤしていた。
「うん、まあ確かにそうだが、では問う。その阿弥陀如来様がここに来たのはなぜだ?」
「そんなこと知らねぇよ。阿弥陀さんの気まぐれだろ?」
若者は、そう言い放った。
「今はな、現世ではお彼岸なんだよ。お彼岸と言えばなんだ?」
鬼はさらに問いかける。罪人たちは、黙って考え込んだ。もはや、鬼に食ってかかるような者はいなかった。みんな大人しく鬼の問いかけに答えていた。
「彼岸・・・供養か?」
オッサンがぼそりと答えた。
「そう、正解。オッサン、あんたの子孫が彼岸供養をしてくれたんだよ」
オッサンは「おっ、そう・・・なのか」とつぶやいた。他の罪人たちは一斉にオッサンを見つめた。
「まあ、それだけじゃないんだがな。いいか、そもそもお前ら、この血の池地獄に来る前はどこにいた?。よ〜っく思い出せ。思い出せるはずだから」
鬼の言葉に、罪人たちは考え始めたのだった。

「俺は・・・確か・・・。あっ、思い出しただけでも胸糞い悪い。あ、あんな目にあうのはもう嫌だ」
ヤクザ風の男が身震いをして言った。
「どこにいたんだ?」
鬼がニヤニヤしながら聞く。
「お、俺は・・・針山のようなところにいた。たくさんの針で突き刺され、そのまま放置されるんだ。針には俺が・・・俺が殺したヤツラの顔が浮かんでいた」彼は、顔をゆがめながら告白した。額には汗が流れていた。彼はさらに続ける。
「血が少しずつ抜け落ちていくのがわかるし、その上激痛で気絶しそうになるんだが、気絶しないんだ。いつまでも激痛は続く。その上、俺が殺したヤツラの恨み言が聞こえるんだ。血が抜けてだんだん気が遠くなりそうになると、熱くて乾いた風が吹いてくるんだ。この風は本当に乾燥していて、血がすぐに乾いてしまう。それどころか、のどが渇いて仕方がねぇ。いやいや、そうじゃねぇ。肌がカサカサになっていくのがわかるんだ。だんだん俺の身体がしぼんでいくんだよ。身体からどんどん血も水分もなくなっていくのに、死なねぇ。俺は、だんだん干からびていった。そこへ大きな鳥が飛んできて、身体中をつつきやがる。俺を食ってやがるんだ。怖くて叫びたいんだが、声も出ねぇ。俺は、生きたまま針で刺されて、干からびて、鳥に食われたんだ。それを何回も繰り返した・・・。俺は声にはならなかったが、何度も謝った。許してくれ、助けてくれと。最後には、誰でもいいから助けてくれと叫んでいた・・・。だけど、声なんて出やしねぇ。ただただ、心の中で叫んでいただけだ」
男は、真っ青な顔をして汗を大量に垂らしながら、そう語った。
「ふ〜ん、百舌の速贄地獄だな。人を殺して、山などに捨てたものが受ける地獄だ」
俺の隣で夜叉がそう言った。
「俺は、鎖で両手両足をつながれて・・・裸にひん剥かれ、大勢の小さな鬼たちに殴り殺された。その鬼たちは、俺が殺したヤツの顔をしていた。あぁ、ケンカで殴り飛ばした奴もいた。そいつらは、俺が抵抗できないから、笑いながらトンカチや金属バットで殴ったり、ビール瓶で頭を殴ったり、ブロックを投げつけたりしてきた。俺も、何度も謝った。許してくれと何度も謝った。俺が悪かったと・・・。でも、許されなかった。当たり前だ。俺も助けてくれと叫んだヤツの頭を思い切り金属バットで殴ったんだ。許されるわけがない。だけど、どうしても言葉に出てしまうんだ。許してくれ、助けてくれってな。俺が悪かった、もういいだろ、許してくれよ、助けてくれよ、勘弁してくれよ・・・。何度も何度もそう叫んだ。でも、誰も助けに来ないし、小鬼たちは、俺を殴ることを止めない。俺は何度も死に、何度も生き返り、何度も許しを願い、助けを頼んだ」
若者もやはり震えながらそう語った。
「ほう鉄鎖業縛地獄か。まだあるんだな」
夜叉がつぶやく。そうして、順に自分が前にいた地獄を語ったのだ。残るは、太った女性の罪人だけだった。
「あ、あたしは・・・。恥ずかしくて言えないよ。どうしても言わなきゃいけないのかい?」
彼女は、下を向いて恥ずかしそう黙り込んでしまった。周りの罪人たちは「みんな白状したんだ、お前も言えよ」と彼女を急き立てた。鬼も「一応白状してもらわんと、先に進まんからな」と言い、彼女が語りだすのを待っていた。オッサンが、「今さら恥ずかしがることはないだろ」というと、彼女は「これでも女なんだよ」と顔を赤くし、もじもじしていた。
「はは〜ん、あの女、性的な苦痛を与えられたな。色欲地獄か。等活地獄にあったけ?」
夜叉が一人わかったようなことを言っている。俺は、夜叉に聞いてみた。
「シキヨク地獄ってのは、どんな地獄なんですか?。性的苦痛って?」
「うん?、あぁ、そのものズバリだ。あの女、たぶん男を身体でたぶらかして金銭を巻き上げた挙句、その男を殺したのだろう。だから、シキヨク・・・漢字で書くと色と欲だ・・・その地獄の刑を受けたのだろう。だから恥ずかしくて言えないんだ」
俺は俄然興味を持った。まあ、正常な男子ならば、興味がわくと思う。それに、あの世での裁判中に出会った浮気女のことも気になった。もしかしたら、その地獄の刑を受けているのかもしれない。俺は詳しく話を聞きたかったが、夜叉はあまり語りたくないようなそぶりだった。なので、俺もそんなに興味がないようなふりをして尋ねた。
「へぇ〜、そんな地獄の刑もあるんですか。ふ〜ん、いろいろあるんですね、地獄の刑も・・・・」
「うん?、あぁ、そうだな。あそこは・・・性的な虐待を受けるんだ。まずは、裸にされる。強姦されるようなものだな。それをやるのは、殺された男だ。あの女、きっとたぶらかした男は一人や二人だけじゃないな」
「あぁ、そういえば、俺が死ぬ前に、何人もの独身の男をたぶらかして、金を巻き上げ、挙句の果てに自殺に見せかけて殺してしまった女がいましたよ。あっ、そうえいば、あの女だ。思い出した。確か、裁判で極刑になったはず・・・。刑も執行されたよな・・・確か、あれは数年前の話だ。ということは、あの女、もう数年も地獄にいるんだ・・・」
「数年なら短い方だ。数年で血の池地獄に回してもらえたのか・・・。しかし、俺の睨んだ通りの悪行をしたんだな、あの女。そりゃ、色欲地獄でも仕方がないな」
失敗した。俺が余計な口を挿んだばかりに、話がそれてしまった。
「たぶん、単なる色欲地獄じゃないな。男をたぶらかしているとなると、舌も抜かれるだろう」
おっ、話が戻った。ラッキーだと思いつつ、慎重に質問をしてみた。
「舌を抜かれるって、生きたまま?」
「当然だ。あいつらはみんな生きたまま刑を受ける。色欲地獄じゃあ、裸にされたうえ、両手両足を目いっぱい引っ張られてはりつけにされるんだ。で、あの女は男を騙しているから、口も大きく無理やり開けられる。その次に真っ赤に焼けたペンチのようなもので、舌を挟まれ引っこ抜かれるのさ」
人を騙すからだ、と小声で夜叉は続けた。
「それだけじゃない。やっぱり真っ赤に焼けた鉄の棒で、胸や陰部をつつかれるんだ。そりゃ、ひどいもんだよ・・・」
それは、俺の想像以上の刑だった。
「で、最後はその焼けた鉄の棒で陰部から口に貫かれるんだ・・・・それが色欲地獄さ。ま、あの女も随分改心しているみたいだから、刑の内容を口にするのは恥ずかしいだろうな」
それは・・・ちょっと話せないだろうな、と俺は思った。しかし、本当に反省しているならば、みんなの前で告白するべきなのかもしれない。私はこんな刑を受けていました、それはこういう罪の報いなのです・・・と。

罪人たちや鬼が注視する中、その女の罪人は、大きく息を吸った。
「わかったわよ。ま、恥ずかしがるようなタマじゃないしね、あたしも・・・」
そう言って、女は自分が受けた刑の内容を話しはじめた。それは、夜叉が俺に教えてくれた通りの内容だった。
「というわけで、あたしは真っ赤に焼けた鉄の棒で犯され、口まで貫かれて・・・何回も死んだんだよ。何度も助けてくれ、やめてくれって叫んだけど、舌も抜かれてるしね。言葉にはならない。しょうがないよ、散々男を騙して金を巻き上げ、挙句の果てに殺しちゃったんだから。こんなデブでブスなあたしが生きるには、デブ好きの男を騙すしかなかったんだよ」
「今でもそう思ってるのか?」
中年のオッサンが、悲しそうにそう聞いた。
「今・・・・今は、あたしはひどい女だと思ってる。なにもあんなことしなくても、普通に生活していればよかったとね。普通に働いて、普通の家庭を持って、普通の家族に囲まれて、平凡だけど何の心配もない・・・そんな小さな幸せを手に入れるだけでよかった。本当にあたしが望んだのは、そういう平凡な生活だった。今なら、ちゃんとそう言えるよ。あたしは愚かだったってね」
女は、そういうと姿勢を正し、「本当に悪かった」と言って土下座をしたのだった。誰に向かってしたのではない。自然にそういう行動をとったのだろう。
「どうやら、みんな心から反省しているようだな。ここからが大事なところだ。お前らのその反省の気持ちも大事なのだが、もう一つ大事なことがある。お前ら、この血の池地獄へ来る前の地獄で『助けてくれ、許してくれ、自分が悪かった』と心から叫んだだろ?」
鬼の問いかけに全員がうなずく。
「その叫びはな、現世にまで届くんだ。お前らの縁者にな」
鬼はそう言って、罪人たちを全員見回した。
「だけど、俺には縁者なんぞいねぇぞ」
ヤクザ風の男がそう言ったが、鬼はニヤニヤしながら言う。
「お前だって、女がいただろう?。お前に惚れてた女がな」
あっ、と言ったまま男は固まった。そして、恥ずかしそうに横を向く。
「その女がな、お前のためにと供養をしていたんだよ」
「な、なんで俺なんかのために・・・・」
「お前、許してくれ、助けてくれって叫んだだろ。その叫びが、その女に届いたんだ」
「届いたって・・・どうやって・・・」
「お前なぁ、助けてくれって叫んでいた時、頭の中にその女を思い浮かべていただろ。お前も大切にしていたんじゃないのか?。素直になれよ」
鬼にそう言われ、ヤクザ風の男は少し赤くなっていた。見かけによらず、純情なところもあるのだ、と俺は思った。
「でな、お前が地獄の苦しみを受けているころ、その女にな、いろいろと異変があったわけだ」
「異変?」
「そう、妙に体調が悪い、身体が重い、寝苦しい、なんだかソワソワする・・・。病院にっても異常なし。友達に相談してみるとお祓いに行けばって話になった。行った先のお坊さんが『あなたの知り合いにこのような人がいませんか?』と聞かれた。それがお前さんだったわけだ。そのお坊さん曰く『この人、苦しみの世界に生まれ変わっています。供養を願っています。この人の供養をしてあげれば、体調は次第に良くなるでしょう』。で、彼女はそのようにしたわけだ。その結果、お前は針山地獄・・・百舌の速贄地獄・・・から抜け出すことができ、この血の池地獄へ来たわけだ。他の者もだいたい同じだ。お前らが刑を受けていた時、誰かの顔を思い浮かべ、助けを求めたはずだ。それに呼応して、お前らが思い浮かべた者たちは、何らかの異変があった。病気や怪我、体調不良、事故などなど、いろいろな障害があったのだよ。病院に行ってもよくならない。そこで彼らは、相談できるところへ行ったんだな。占い師だったかもしれない、拝み屋だったかもしれない、坊さんだったかもしれない。どこへ行ったかは知らん。が、幸いにもそういう連中に騙されることなく、彼らはお前らの供養という答えにたどり着いた。これはよくあることじゃない。多くは騙されたり、見当違いの見立てをされたりして、お前さんたちの救いの声は届かないことが多い。未だ、他の刑罰を受けている連中は、そういう者たちだな。ま、お前らの縁者は、ラッキーだったわけだ。つまり、お前たちもラッキーだったのだ。そうして、供養してもらえるようになって、お前らは前の地獄を脱出でき、この血の池地獄へきたのだ。等活地獄の試験場である血の池地獄にな」
鬼は、ジロリと罪人たちを全員なめるように見回すと、
「お前らは、本当に勝手な連中だよ。生きている時、地獄なんざ怖くもないと思っていただろ?。本当に勝手なヤツラだ、お前らはっ」
と吐き捨てるように言ったのだった。


「おい」
と鬼は凄んでヤクザ風の男に聞いた。
「お前も、生きているときは地獄なんざない、と思ってただろう」
鬼の顔つきにちょっとたじろいた男は、勢い良くうなずいだ。鬼が顎を振り「で?」と凄む。
「あっ、はい、俺は地獄なんざあるわけない、と思ってました。今生きている世界が地獄のようなものだと思っていたんで・・・」
鬼は、うなずき話を促す。
「それに、もし地獄へ落ちたとしても・・・。実際に、耳にしていたような地獄に落ちたとしても、そんなものは屁でもねぇ、と思っていました。人の生き死にを目の当たりにしてきた自分にとって、地獄なんぞどういうこともないだろうと・・・」
鬼は、ニヤニヤしてうなずき、「他ものもそうか?」と尋ねる。
「俺もそうだな。たとえ地獄へ落ちても、仕方がない、好き勝手やってきたんだから、地獄の苦しみも受け入れるしかねぇ、誰の助けもいらねぇ、と思ってましたよ」
と中年のオッサンが答えた。他の者もうなずいている。
「俺は、そもそも地獄なんて信じていなかった。死んだら終わり、だから好きに生きればいい、好き勝手やればいい、と思ってた。まさか、本当に地獄があって、生きていたとき以上の苦しみを与えられるとは・・・思ってもいなかった」
阿弥陀さんにたてついた若者が言うと、太った女もうなずいていた。
鬼がみんなをなめるように見回す。そして
「み〜んなそうなんだよ。ここへ来るものは、みんな同じだ。地獄なんてないと思っているヤツラか、地獄なんぞ屁でもないと思っているヤツラなんだ。お前らは、自分が地獄に落ちてもそうたいしたことはない、とナメテかかっていたんだな。ところが、思った以上に、いやいや、本当にそれ以上に地獄は苦しい世界だった。誰の助けもいるものか、と思っていたやつらも、泣きながら『助けてください、許してください、もうやめてください』と泣き叫ぶ。惨めだのう、哀れだのう。あれだけ威張って偉そうにしていたお前らがな、予想外の苦しみに泣いているんだ。お前ら、なめすぎだよ。そうだよな」
鬼の言葉に、全員が身を縮める。
確かに、皆そうだろう。地獄を本気で信じている人はほとんどいない。地獄を本気で信じて、ビビりながら生活している者はごくわずかであろう。多くの者は、地獄はあるかもしれないと思いながらも、自分とは関わり合いはないと思っているし、普段は忘れている。中には、そんものあるわけないと鼻から信じない者もいる。あるいは、地獄に落ちても助けなんて呼ばないし、ましてや子孫に助けてくれとか、迷惑をかけることなんてない、自分の不始末は自分で責任を取るさ、と豪語するじいさんもいるだろう。しかし、そんな甘いものじゃなかったのだ。地獄は実際にあるし、子孫に迷惑をかけるほど、思わず「助けてくれ、許してくれ」と叫ぶほど、キツクて苦しい世界なのだ。そう、生きている人間は、考えが甘すぎるのだ。ナメているのである。地獄なんて・・・と。

「結局な、お前らが威張って偉そうに言っていてもだ、お前らはションベンちびりながら助けを現世の生きている者へ頼むんだよ。生きている時もたくさん迷惑をかけてきた子孫や縁者に、さらに迷惑をかけているんだよ。お前ら、まずそのことを忘れるな!。頭に叩き込んでおけ!。お前らが、血の池地獄の試験に合格できたのは、お前らの子孫や縁者が供養をしてくれたおかげだってことを忘れるんじゃないぞ。お前らの考えの浅さ、世の中に対する態度、自分勝手さ、それが、今でも現世の遺族や縁者に迷惑をかけているんだ。わかったか!」
鬼の怒声に、彼ら罪人たちは首を縮めて小さくなった。そして、全員が
「わかりました。供養をしてくれた人たちに感謝します」
と言ったのである。
「よし、話はこれで終わりだ。これからお前らは、この地獄を出ることになる」
鬼の一言に
「マジっすか」
と若者が思わず叫んでしまった。すぐに鬼が睨みつける。
「あ、いや、すみません。つい嬉しくて・・・」
「ふん、そりゃ嬉しいわな。そうだ、お前ら全員、嬉しいだろ。長いことこの地獄で苦しんできただろうが、それもこれで終わりだ。次はお前ら、どこに生まれ変わるかは知らないが、地獄よりはましなところであることは確かだ。よかったな。ふふふ、はははは」
鬼は、大きな声で笑ったのである。罪人たちも、お互いに顔を見合わせながら、手を取り合って喜んでいる。
「この罪人たちの喜びが現世に伝わるんだ」
俺の隣で夜叉が、少し嬉しそうに言った。
「罪人たちは、地獄の苦しみから救われたい、と願っただろ。それが、現世の子孫や縁者に届く。すると、子孫や縁者に何か不運なこと・・・病気や事故、けがなど・・・が起きる。子孫や縁者は、病院などに行くがよくならない。彼らは、寺や神社、拝み屋や占い師のところへ行く。そこで、『あなたの関係者が苦しみの世界にいる。供養してあげなさい』と導く。子孫や縁者は、その苦しみの世界に行っている関係者の供養をする。一回だけじゃない、月に一回の供養を何年か続けるんだ。まあ、たいていは一年くらい続けると、地獄に落ちていた関係者は、地獄から出られるようになる。地獄に落ちていた者どもは喜ぶな、そりゃもうすごく喜ぶ。その喜びが、供養をしてくれた子孫や縁者に伝わる。すると、子孫や縁者に何かいいことがある・・・。こういう仕組みになっているんだ」
なるほど、これが地獄における先祖供養の仕組みなのだ。俺は、先祖供養は、なくなった人のエネルギーになるのだ、と聞いていた。それは天界に行った人のことで、地獄では供養の意味がちょっと異なるのだ。
「そうだな。天界に行った人にとっては、供養はエネルギーだ。天界で生活や修行をするためのな。しかし、地獄や餓鬼、畜生、修羅といった、苦しみの世界では、供養はちょっと意味が異なる。そういう苦しみの世界に行った者にとって、供養は本当に救いになるのだよ。供養がなければ、苦しみの世界から抜け出すことはできないんだ。苦しみの世界に落ちた者は、供養されることによって、苦しみが軽減されたり、その苦しみの世界から出る試験を受けさせてもらえるようになるんだな」
夜叉が説明をしてくれた。
「ところ変われば、供養の意味も変わる、わけだ。だけどな・・・」
急に夜叉の声のトーンが低くなった。
「あの罪人たちも喜んではいるが、次はどこへ行くかはわからない。地獄から一気に天界へ・・・ということはない。よほどの供養をしたならば別だけどな。あぁ、その人の供養のためにと言って寺を一つ作ってしまったとかな、それくらいの供養をすれば、地獄から一気に天界へ上がるだろう。しかし、そんなことをできる者はそうそういないだろ。だから、アイツらはきっと、順に生まれかわっていくだろうな」
「そうすると、次は餓鬼の世界・・・ですか?」
「まあ、そうだな。よくて畜生界だな」
夜叉は、ちょっと悲しい目をして喜んでいる罪人たちを眺めている。
「ま、地獄よりはマシなことだけは確かだ。だけど、苦しみの世界であることには間違いはない。餓鬼界ならば、地獄の苦しみの20%割引セールって感じかな。畜生界ならば、30%オフってところか・・・・。いずれにせよ、また供養は必要だな」
ということは、喜んでばかりもいられない、ということだ。しかし、それは、先の話である。なにはともあれ、地獄から出られるという喜びに沸いている彼らを温かく見送ろう。俺には、そう思えたのである。
「ま、それもいいことだな」
夜叉が俺の心を見透かして言った。思わず、お互いに顔を見合わせ笑ってしまった。夜叉も嬉しいのである。

その夜叉が、急に真面目な顔をして俺の方を見ていった。
「しかし、地獄はこんな平和なところばかりじゃない。もっとひどいところだ。誤解してもらっちゃあ困る」
「平和って、少しも平和じゃないですよ。誤解してませんよ」
「そうか?。まあいい。地獄は本当に苦しいところだと知ってもらうために、一段階下の地獄へ行こうじゃないか」
「一段階下の地獄?」
「あぁ、そうだ。その名を黒縄地獄(こくじょうじごく)という」
夜叉は大真面目な顔をして、ちょっと凄んで見せた。
「と言っても、その苦しみは、この等活地獄のたった10倍だけどな」
そう言って、夜叉はニヤリと笑ったのだった。この等活地獄の10倍!。俺は、ちょっとめまいがした。
「おいおい、そんなことでビビるなよ。一番下に行けば、苦しみはこの等活地獄の10億倍になると言われているんだぜ」
「じゅ、10億倍?。そこまでいくとかえって想像できない分、ビビりませんよ。あきれてものが言えません」
俺がそう答えると、夜叉はちょっとつまらなさそうな顔をした。どうやら、俺をビビらせたいらしい。
「ふん、そうか。まあいい。ま、とりあえず次の黒縄地獄へと行くか」
夜叉はちょっと不機嫌そうにそういうと、歩きはじめたのである。

途中、すれ違った鬼に声をかける。「やあ、元気か」とか「どこへ行くんだ」とかお互いに話している。こういうところを見ていると、ここが地獄とは思えなくなってくる。あまりにものんびりしているのだ、鬼たちも夜叉も。もっとも、俺も耳に届く罪人の苦しみの叫び声・・・助けてくれ〜、やめてくれ〜、許してくれ〜、ぎゃー、うわー、ぐえー、うおぉぉ・・・といった声も、もう聞き慣れてしまっている。単なるBGMだ。ここに来た当初は、耳をふさぎたいくらい忌まわしい声だったのに、慣れとは恐ろしいものである。この分だと、そんじょそこらの刑罰を見てもビビらないかもしれない。地獄の刑罰を見慣れるなんて、いいのか悪いのか・・・。
「ま、しかし、次を見たら、きっとまた吐き気をもよおすさ」
いきなり夜叉が俺を振り返ってそう言った。
そうこうするうちに門に到着した。鬼が二人立っている。
「ここは地獄の入り口の門ですか?」
俺は夜叉に聞いてみた。どうみても、地獄の入り口の門に似ていたのだ。入り口に戻ってきたのだと俺は思ったのだ。
「いや、違うよ。ここは等活地獄の出口だ。あぁ、あの罪人たち・・・地獄から脱出できるできるようになったあいつら・・・あいつらも、もうすぐここに来るさ。で、ここから追い出される」
夜叉は、鬼と何か話しながらも、俺の質問に答えてくれた。
「じゃあ、そこを出て左な。まあ、わかっているとは思うけど」
鬼が夜叉に言っている。夜叉は軽く手を挙げ、鬼に挨拶を済ませた。
「さて、行くか」
夜叉とともに門の外に出ると、道が左右に別れたいた。しかし、その道は左右とも先が真っ暗で、数メートル先までしか見通せない。
「右が、次の生まれかわる世界へ通じる道だ。この道を一人ずつ歩かされる。すると、歩いて行った先でふっと消えるんだな。ついでだから、あの罪人たちが門を出るのを待っているか?。見送ってやろう」
そういうと、夜叉は、左の道へ少し進むと、そこに座り込んだ。
「お前さんも、ここに座るといい。なに、ここは熱くもかゆくもない。普通の地面だ」
夜叉がそう言うので、俺は夜叉の隣に座りこんだ。とたんに闇があたりを包んだ。見えるのは、右の道の曲がり端、ほんのちょっとのところだけだ。
しばらく、俺たちはそこで座って待っていた。すると、あの中年のオッサンが出てきた。
「えーっと、右の道へ進めと言ったな。左へ行くと、もっと苦しい世界に行ってしまうから気をつけろ、と・・・。おぉ、もう苦しいところは勘弁してもらいたいものだ」
そうブツブツ言いながら、オッサンは右の道の方へと折れていく。とぼとぼと歩いていく後ろ姿が見えた。すると、次第にその姿が薄くなっていく。そして、ふっと消えるようにオッサンは消えてしまった。続いて出てきたのは、ヤクザ風の男である。男も同じように右の道へと進んだ。やがて、スーッと男の姿も消えていった。次から次へと、見慣れた罪人たちの姿が右の道へと消えていったのである。
「ああやって、次の世界へと生まれ変わっていくのさ。不思議なもんだろ。これが、転生の通路だ。さ、行くか」
俺たちは立ち上がって、あの罪人たちと反対の方向、左の方へと進んだのである。

しばらく歩くと、また門が見えてきた。もやがかかったような空に大きな門が見えてきたのである。門に近付く。門には、大きく「黒縄地獄」と横書きされた額がかかっていた。
「黒縄地獄へようこそ」
門の前に鬼が二人立って、ハモった。二人とも、ニコニコしている。とても地獄の番人とは思えない。まるで、「パーティーへようこそ」と言った感じである。だが、騙されてはいけない。この先は、パーティーなどではなく、苦しみの世界なのだ。
「あ、なんだ。夜叉か。あぁ、そいつが、物好き聞新か。話には聞いてるぜ」
どうやら物好き聞新が定着しているようだ。俺はあまりいい気分がしなかったが、文句も言えない。
「なんだ、楽しそうじゃないな、物好き聞新。お前、地獄巡りを希望したんだろ?。ホント、物好きなヤツだぜぃ」
そういって、鬼たちは大笑いをしている。夜叉も一緒になって笑っていた。しかし、ここで言い訳をしても、いや、本当のことを言っても、どいつも信じないだろう。もうどうでもいい、そんなことは。結局は地獄めぐりをしなきゃいけないことに変わりはないのだから。なので
「そうです。私が物好き聞新です。よろしくお願いします」
と、ふて腐れて言った。
「なんだ、あまり嬉しそうじゃないな。あぁ、そうか、地獄の恐ろしさにビビってるんだな。あはははは」
こんなものなんだろう、鬼たちは。人の話などは聞いてないし、こちらの気持ちなど汲んではくれない。まあ、陽気だからいいのだが・・・。
「まあ、なんでもいいですよ。早く入りましょう」
俺がそう言うと、鬼たちは「おっ、やる気だねぇ」と笑っている。こいつらだけなのか、個々の鬼たちが皆そうなのかは知らないが、妙に陽気である。陽気過ぎるのも地獄には似つかわしくはないような気もするのだが・・・・。と思っていると
「アイツらだって、罪人にはきつい顔をするさ。やってきたのが、俺だったから、それにお前を連れているから、陽気なんだよ」
と夜叉がつぶやいたのだった。
「さて、じゃあ、中に入らさせてもらうよ。いいかい?」
夜叉が鬼たちに言うと
「あぁ、いいぜ。どうぞどうぞご自由に!」
と陽気に答えたのだった。
その陽気さに半ばあきれながら、俺たちは黒縄地獄へと入っていったのである。

「ピシッ」、「ぎゃー」・・・「ピシッ」、「ぎゃー」・・・「ピシッ」、「ぎゃー」・・・「ピシッ」、「ぎゃー」・・・。
黒縄地獄に入った途端、俺の耳に聞こえてきたのは、その音だった・・・。


「な、なんですか、あの音は?」
俺は、その音に恐怖を感じて夜叉に聞いた。
「なんだと思う?」
夜叉は、ニヤニヤして俺に聞き返してきた。
「ひょっとして、ムチ打ちの刑・・・とか?。バラの棘がついたムチで地獄の罪人を叩いているんじゃないですか?」
俺の答えに夜叉は、腹を抱えて大笑いをした。
「お、お面白れぇ・・・。ひゃはははは。これは笑える」
「そんな笑わなくていいじゃないですか」
「いや、あまりにもベタ過ぎてな。バラの棘がついたムチって・・・。おいおい、お前さん、漫画の読み過ぎだろう」
俺は、ちょっと腹が立った。あの音から想像できるのは、それくらいしかないだろうに。まったく、イヤな奴だ。
「すまんすまん。あまりにもベタな答えだったんでな。もう少しひねりを入れるかと思ったんだが」
「だけどねぇ、ここは地獄でしょ。ムチ打ちの刑があったっていいじゃないですか」
「まあな。まあ、確かにムチ打ちの刑もあるけど、バラの棘じゃないな。地獄のムチは、先端が鋭い針がついているムチだ。しかも返しつき。まあ、めちゃくちゃ鋭い釣り針のようなものだな。その針がついたムチで撃たれるから、肉がえぐれる。その上に塩やカラシを塗りたくり、くちばしの鋭い鳥や虫につつかせる。と、まあ、地獄のムチ打ちの刑は、それぐらいエグイ」
夜叉は、いつの間にか笑いをやめ、真剣な顔でそう言った。その情景を創造した俺は、背筋が寒くなる。
「ま、それはいいのだが、あの音は、ムチ打ちの刑じゃない。百聞は一見にしかず、だ。、こっちに来てよく見てみな」
夜叉はそういうと、ちょっと小高い丘の上に上った。俺も後に続く。なるほど、そこからは、全体がよく見渡せた。
夜叉が指をさした方向を見る。そこには、罪人が何人もベッドのような台の上で一人ずつ裸で寝かされていた。彼らは、ベッドにベルトのようなもので、動けないように固定されていた。罪人が寝ているベッドの左右には鬼が立っている。罪人の首のあたりだ。鬼は、二人ともその手に黒くて細い縄を握っていた。その縄は、ピーンと張っていた。いや、よく見るとただの縄ではなかった。その縄には短くて細い針がついている。すると、罪人の上から大きな手が、手だけがゆっくりと降りてきた。その手は、張り詰めた黒い縄を引っ張り上げる。弓の弦を弾くような感じだ。大きな手は、縄が切れそうなくらいに、その縄を引っ張り上げた。そして、縄を放す。
「ビシッ!」
その音がした途端、罪人が「ギャー」と叫んだ。縄は、罪人の首のあたりに当たったと思ったとたん、すぐに跳ね返る。跳ね返るときに、血だろうか、何かが飛び散るのが見えた。罪人の首には、赤黒い線が付いていた。すぐに鬼は一歩だけ罪人の足の方へ向かって移動した。縄が再びピーンと張り詰められる。また、あの大きな手が下りてきた。罪人たちは逃げようとしてもがくが、無駄な抵抗だ。縄が大きな手によって引っ張られる。そして、手は縄を放す。
「ビシッ!」、「ギャー」
罪人の胸のあたりに赤黒い線が残る。
「墨打ちって知ってるか?」
夜叉が唐突に聞いてきた。
「墨打ちですか?。えーっと、確か大工さんが家を建てるときとかに、材料の木材に切るための線をつける・・・んじゃなかったかな。それが墨打ちじゃなかったでしたっけ?」
曖昧な答えである。
「まあ、だいたい正解だな。木材だけじゃなくて、地面なんかにも墨打ちをするけどな。簡単に言えば、何か切りたいときに、まっすぐの線を引くだろ。その線が短い時は、定規と鉛筆を使うが、長い場合は、縄に墨をつけてその縄をぴんと張って線をつけるんだ。さっきの鬼と大きな手みたいな」
「えっ、ということは、罪人たちは墨打ちをされたってことですか?」
「そう言うことだな。まあ、ただの墨打ちじゃないけどな。お前も見たろ?。あの縄には、細かい針がついている。返しつきの、な」
「じゃあ、縄で打たれるたびにその針は肉に食い込み・・・」
「そう、跳ね返るときに、肉をえぐっている。結構、痛いだろうな」
夜叉は、渋い顔をしてそう言うと、口をつぐんだ。あたりは、罪人に縄のあたる音と、罪人の叫び声以外、何も音はしない。
いや、何か忘れている。そうだ、あの縄は、墨打ちなのだ。ということは・・・。
「ひょっとして、あの墨打ちが下まで行った後って・・・」
「うん、まあ、下まで行っただけじゃダメなんだけどな。今は、横に墨打ちがされているだろ。次は縦だ。縦に墨打ちがされる」
「ということは、身体全体がマス目上に墨打ちされるってことですか?」
「そう言うことだ。身体の上に碁盤の目ができるわけだ」
「か、顔も・・・ですよね」
「あぁ、最後の方にだけどな。顔は、ちょっと気持ち悪いぞ。眼にあの縄が食い込むからな」
それは怖い。あの縄が眼に落ちてくるのだ。いくら眼をとじたって、あの縄の針は眼球をえぐるだろう。俺は、恐怖のあまり身震いした。
「おいおい、そこでビビるなよ。お前さんだって気が付いているだろ。墨打ちをしたってことはさぁ」
夜叉は、口の端を片方だけ上げて俺の顔を見つめた。
「で、ですよねぇ。墨打ちをしたってことは、そこを切るんですよね」
「そういうことだ。端っこの方から、徐々に切っていく。すぐには死なないようにな」
おいおい、待ってくれよ。さらっと言ってくれるのはいいけど、簡単には受け入れられない。ちょっと想像しただけで、吐き気がしてくる。俺は、そんな光景を見なきゃいけないのか?。ちょっと勘弁して欲しい。これじゃあ、等活地獄の方が随分とマシだ。
「だろ?。等活地獄の方がマシだと思えるだろ?。そうなんだよ。地獄は下へ行けばいくほど、苦しみが増える。ということは、その刑もひどくなるってことだ」
夜叉は、真剣な顔をして言った。しかし、その眼は、どことなく悲しそうだった。

「さて、墨打ちがすべて終わったようだな」
夜叉は、下の方を眺めてそう言った。ベッドに寝かされていた罪人たちの身体には、きれいなマス目が出来上がっていた。マス目は大きな罪人もいれば、細かい罪人もいる。大きなマス目だと、20センチ四方くらいのマス目だろうか。細かいマス目は・・・これは細かい。5センチ四方くらいか。
「あの線に沿って罪人を切るんだ」
怖ろしいことを何でもないように言う夜叉に、地獄の恐ろしさを感じた。
「いいか、マス目が大きな奴は、この黒縄地獄へ来たばかりの奴だ。等活地獄から落ちてきたのか、いきなりここへ生まれ変わったのか、あるいは下から上がってきたのか、それはわからない。まあ、下から上がってきたのなら、ここの刑罰はどうということはないだろうけどな。マス目が細かくなればなるほど、ここでの期間が長い奴になる。あの5センチ四方くらいのマス目の奴は、黒縄地獄のベテランだな。あれくらいになると、もう慣れたものだろう。ふっふっふ。ま、しかし、痛みと恐怖は慣れないとも言うしな。ま、それはいいのだが、どうやって切ると思う?」
夜叉の解説はとてもありがたいのだが、言っている内容はひどいものである。普通は平気で口にできないような内容だ。その上、どうやって切ると思う?だ。そんなこと、簡単に答えられるわけがない・・・。が、答えは一つしかないだろう。のこぎりだ。大きなのこぎりで、鬼が左右から、あるいは上下から、ギコギコギコギコ・・・と。おえっ。吐き気がしてきた。
「想像すると、気持ち悪いだろ。安物のホラー映画みたいだな。そう、のこぎりで切るんだ。しかし、刑の軽い奴は、電気のこぎりだ。刑が重くなればなるほど、切れ味の悪いのこぎりになる。なぜだかわかるな?」
そりゃもう、よくわかります。電気のこぎりで、一気に切ってもらったほうが、まだマシだ。切れ味の悪いのこぎりなんて、最悪だろう。なかなか切れないから、のこぎりの刃が肉に・・・・、あぁ、もうダメだ。めまいと吐き気がして、耐えられない。
「おいおい、まだ見てもいないのに、そのザマはないだろ。お前は取材に来たんだろ。よ〜っく、目を広げて、あの光景を見るんだな」
夜叉の言葉は、もっともだ。俺も取材を引き受けた以上・・・無理やりでも、強制的でも(断れる余地はないわけではんかったが)・・・しっかり取材しなくてはいけない。
「さ、始まるぜ。まずは、刑の軽いヤツからだ」

向かって一番右端のベッドの上に大きな円型の電気のこぎりらしきものが下りてきた。おいおい、ちょっと待てよ、電気のこぎりって、ここは電気が来ているのか?。地獄には電気があるのか?。どういう仕組みなんだよ、あれは・・・。
「お前はバカだなぁ。ここに電気なんてあるわけないだろ。あれはな、地獄のパワーで動いているんだよ」
「な、なんですか、その地獄のパワーって」
「ま、一種の神通力さ。天界へ行けば、誰でも持てる力、神通力だ。ここでは、その力は、刑罰の道具類を動かすために使われているんだよ。罪人には与えられない」
うん、待てよ、ということは・・・、そのパワーって、どこにでもあるものなのか?。天界では、そこに生まれ変わった人に分け与えられているのか。
「そういうことだ。そのパワーは、宇宙のパワーだ。自然の力だな。天界のランクに応じて、そこに生まれ変わった者には神通力の元が与えられる。天界の住人は、それをもとにして修行し、自分で神通力を使えるようにしたり、パワーアップしたりするんだ。もちろん、供養の力もそれに加わるがな。地獄や餓鬼、畜生の苦しみの世界では、その力は刑罰の道具や環境に振り分けられる。罪人には与えられない。修羅は、修羅で戦いの道具類になる」
「じゃあ、そのパワーって、人間界でも?」
「もちろんだ。人間には、運という形で与えられる。運のいいヤツ悪い奴っているだろ。その人物の徳の差が、運・・・パワー・・・のランクになる。運がいい奴は、自然にその力が備わっているってことだ。しかし、下手に運がいいと、努力しないから簡単に使い切ってしまうけどな」
「あ、ということは、その運は、努力すればパワーアップすることができるわけですね」
「そう言うことだ。天界の神通力と原理は同じだ」
「ギャー」
大きな叫び声で、俺たちの会話は中断された。まだまだ聞きたいことがったが、それは後にしよう。今は、ここの罪人たちの刑を見ておかねばならない。

「おっと、まだ切ってないぞ。叫ぶのはまだ早い」
鬼が笑いながら言った。罪人のベッドの横に左右にいる鬼は、罪人の足元にいた。
「うーん、まずは、足の先から切っていこうかな。墨打ちの線は、足首にある。ここをガリガリガリって感じで切っていくんだ」
「安心しな、足首を切っただけでは死なないから。ここではな、そう簡単に死ねないんだよ。たとえ、太い動脈を切ったとしてもな。わはははは」
左右の鬼たちが、それぞれ罪人に笑いながら脅していた。
「た、助けてくださ〜い、お願いしま〜す。いやだ〜、助けてくれ〜」
罪人は叫び続けていた。
「うるさい奴だなぁ。まだ、電ノコは下りてきてねぇよ。まだ、どこも切ってないって」
「いくら叫んでも無駄だな。お前だって、助けてくれって命乞いをしたヤツを殺したんだろ?。その上、金まで奪っている。お前はひどい奴だなぁ。そんなヤツが、助けてもらえると思っているのか?。えぇ、おい、お前さんよぉ」
鬼が罪人の生前の罪を責めたてた。
「許して下さい。私が悪かったです。本当に謝りますから、許してください。悪いことをしました。すみません、すみません、すみません・・・」
罪人は泣きながら謝っている。
「あのなぁ、今さら許してくれはないだろ。お前だって、人を殺したじゃないか。しかも、殺した相手をバラバラに切り刻んだじゃないか」
「で、金を奪って逃げた。それも一人だけじゃない。ひっでぇ〜なぁ。お前、よく死体をバラバラにしたなぁ。気持ち悪くなかったか?」
「俺らはな、毎日お前らをバラバラにしているけど、いつも気持ちが悪いんだよ。吐きそうだ。新米の鬼には、ゲロを吐くやつもいるんだぜ。あはははは」
完全に鬼にいたぶられている。しかし、あの罪人、そんなにひどいことをしたのか。強盗殺人に、死体損壊。しかも複数。となると、生前では極刑だったに違いない。
「すみません、仕方がなかったんです。あの時は・・・・仕方がなかったんです」
「仕方がなかっただと!。お前、反省してないのか?。本当に悪いと思っていないんじゃないのか?」
「言い訳するんじゃない!。お前のやったことを考えてみろ!。お前みたいなやつは、絶対許さないぞ」
鬼は急に怒りだした。きっと、あの罪人が言い訳をしたからだ。しかし、「仕方がなかった」はない。いくらなんでもない。「仕方がなかったから」という理由で、人を殺していいものか?。いや、当然いけない。いや、どんな理由があろうとも、人を殺してはいけないのだ。それを「仕方がなかった」は・・・ないよな。鬼が怒るのも当然だ。
「あー、すみません。今の間違いです。許してください」
「いいや、許さねぇ。お前に殺された人たちの恨みも込めて、あの電ノコを下してやる。さて、いくか、相棒」
「おうよ、準備はいいぜ」
鬼たちがそう言うと、上空に浮かんでいた電気のこぎりが、ゆっくりと降りてきた。
「おっと、もうちょい右だな。線の通りにちゃんと切らないと、後で生き返った時に足の長さが違っちゃうからねぇ」
「この位置でいいか?」
「おぉ、いいぞ。そのままゆっくり、そうそう」
「ぎゃー、やめてくれ〜、おかーちゃーん。助けてくれ〜」
鬼たちの電ノコの操作の声は、罪人の叫び声でかき消された。そして、
「ガリガリガリガリ、バリバリバリ」
という音で、罪人の叫び声も消されてしまった。俺は、思わず顔をそむけてしまったのだった。


ものすごい叫び声、電気のこぎりのものすごい音・・・・。
俺は見ていられなかった。
「いつみても悲惨だが、まだ足首なんだよねぇ。胴体じゃないだけマシなんだよ」
夜叉が冷めた声で言う。
「いや、しかし、見てられないですよ、いくらなんでも・・・。悲惨すぎます」
「ま、そうだろうな。俺も初めてここに配属されたときは、顔を背けたさ。いくら夜叉でもこれは無理、って思ったもんだよ」
そう言う夜叉の目は、悲しそうだった。
そんな我々の会話など当然耳に入っていない鬼たちは、淡々と作業を進めるように罪人を脅していた。
「どうだい、足首を切られた気分は?。お前だって同じことをしたんだぜ。なんだ、失神しているのか?。おい、起きろ、コラッ!」
鬼に頭を叩かれた罪人は目を覚ました。その途端、
「あぁ〜、いてぇー、痛いよー、ぎゃー」
と叫んでいた。
「うるせーんだよ、コイツ。お前も何人もバラバラにしたじゃないか。バラバラにして埋めたり川に捨てたりしたじゃないか。わかってるのか?」
鬼の容赦ない言葉が罪人に降りかかる。
「はぁ、はぁ、はぁ、で、でも・・・お、俺が切った・・・のは、死体・・・死体だ」
あぁ、これは言ってはいけないセリフだ。確かにそうだろう。この罪人が切り刻んだのは、すでに死んでいる人間だったのだろう。生きたまま切り刻んだじゃない、だから、痛みなど感じないはずだ、と言いたいのだろう。しかし、この言葉は、自分の罪を心から反省していないから出てくる言葉だ。当然ながら、鬼を怒らせるだけだ。
「な、なんだと!、コイツ全くわかっていないな。反省が全くない」
「こんな奴、もっと痛めつけたほうがいい」
鬼たちの怒り度合いがアップした。
「じゃあ、次は左の手首だな。いいか、太い動脈を切っても、ここじゃあ簡単に死ねないからな。血は出るが、死ねないんだよ。ぎゃはははは。さぁ、いくぜ」
上に戻っていた電ノコがゆっくりと降りてくる。位置を修正しながら、電ノコは罪人の左手首の上に来た。壮絶な叫び声と電ノコが腕を切り刻む音が響いた。やはり見ていられない。しかし、俺は見ていなければいけない立場だ。今度は、恐ろしさをこらえながら、しっかりとその状況を見ていた。
血が飛ぶ。手首が下に落ちた。大量に流れる血液。青ざめる罪人。電ノコの音が止まり、上空へ戻る。
「おい・・・また気絶していやがる。おい、起きろ」
鬼にはたかれる罪人。目を覚ますと「うぎゃー、いてー」と叫ぶ。そんな罪人に
「ほれ、これがお前の左手だ」
罪人の顔の上に切られた左手が放り投げられた。再び大きな叫び声をあげて罪人は気絶した。
「根性のねぇヤツだ」
そう言って鬼は罪人を起こす。「クソ面白くねぇヤツだ。次、右手だ」と言いながら、鬼たちは罪人を切り刻んでいった。

罪人は、もはやバラバラだった。切られていないのは首から上だけだ。腹も胸もマス目上に切り刻まれている。ベッドの上には、墨打ちの線の通りに切られた身体が崩れることもなく、そこにあった。切られる前と異なるのは、墨打ちの線が血と肉片で汚れているように見えることだけだった。
罪人は、まだ生きていた。ショックで痛みなど感じないのか、息は荒いが叫んではいなかった。いや、待てよ。胸が切られているのに、息をしているなんて、おかしくないか?
「アイツは、切られる前とほぼ変わらない身体になっているんだよ。でも、痛みは感じている。本人は、切られた痛みを感じているが、生きている時と変わらない身体なんだ。首を切ったとしてもな」
夜叉が解説をしてくれた。
「だが、もうあまりの激しい痛みで、脳がマヒしているんだろうな。痛みはそれほど感じないはずだ。それよりも恐怖の方が大きい。心臓も切られているんだが、アイツは自分の心臓の激しい鼓動も感じている。息苦しいし、心臓は破れそうに早く打っているし、恐怖で逃げ出したいだろう。だけど、手足はバラバラで動かせない。見てみな、もうアイツはベッドに縛られていない。逃げ出そうと思えば逃げられる。しかし、身体はつながっていないから動かない。そのこともアイツはわかっているんだよ。だから、余計に恐ろしいんだ」
なんという刑だろうか。身体はバラバラに刻まれているのに生きている時のように息もできれば心臓の鼓動も感じられる。激しい痛みは感じなくなっただろうけど、手足の感覚はあるのだ。きっと、触れば触られている、ということはわかるのだ。だけど、身体は動かせない。
「おい、お前の身体がどうなったか、見てみるか?」
鬼が罪人に言った。罪人は、力なく首を左右に振る。そりゃそうだろう。見たくないに決まっている。が、鬼は罪人の髪をつかんだ。
「遠慮しなくていいんだぜ。よく見ろや」
鬼が罪人の髪をつかみ、持ち上げた。罪人は、首のちょっとしたあたりで、身体から離されていった。
「ぎゃー」
一言叫ぶと、罪人は気絶した。そりゃそうだ。バラバラになった自分の身体を自分で見たのだ。気絶しない方がどうかしている。罪人にビンタする鬼。目覚める罪人。再び叫ぶ。しかし、今度は気絶しなかった。眼を閉じ、激しい息をしている。
「お前がやったことがどんなことかわかったか?」
鬼は、重苦しい声でそう言いい、罪人の頭を元に戻した。罪人は小さな声でしきりにつぶやいている。
「助けてください、助けてください、助けてください、助けてください・・・」
もはや、他の言葉を忘れたかのようだった。
鬼は、全く無視していた。
「さて、今度は首か。首の次は、顔だけど、簡単に死なせちゃあつまらないから、顔はまず縦に切るか」
と、作業をしているかのように淡々と話している。電ノコが下りてきて、首を切る。罪人の叫び声、気絶・・・・。同じことの繰り返しだ。残ったのは、首から上、顔だけだ。電ノコが下りてくる。顔を縦に割った。血がほとばしる。叫び声が響く。そして気絶。
顔を縦に切られても、罪人は生きていた。気が付くと同時に絶叫する。口から血を吐きながら「許してください、許してください、許してください・・・」と呪文を唱えるようにつぶやいていた。
「こんなんになっても死ねないなんて、お前もつらいなぁ」
鬼が声をかけるが、罪人の反応はない。ただひたすら「許してください」と唱え続けていた。
「許せないな。まだまだだ。そんなに簡単に許せないんだよ。お前に殺された者の恨みは深いんでな。だが、次が最後だ。最後は・・・眼だ」
鬼がそう言うと、電ノコが罪人の目に上に下りてきた。
「おっと、目は閉じられないよ。そうなっているんだ。電ノコがゆっくり下りてくるところを、じっくり眺めながら切られるんだな」
鬼がそう言うと、今までにない位の大絶叫があたりに響いた。しかし、今度は気絶もできない。電ノコがゆっくり下りてくる。罪人は、口から血を吹き出しながら叫び続けている。ゆっくりゆっくり下りてくる電ノコ。やがて、それは罪人の目に食い込んだ。最大級の叫び声がこだました。

「ふぅ、終わったか。久しぶりに見ると、堪えるなぁ」
夜叉は額に汗をかいていた。
「なんだよ、俺だって嫌なものは嫌なんだよ。あんなの、本当は見たくはないさ。あの鬼だって・・・もう慣れているとは言っても、嫌なもんだよ」
「そりゃ、そうですよね。あれが楽しいと思うのなら、その鬼は切られる側になりますよね」
「その通りだ。実際、正常じゃいられなくなって、罪人を切ることが楽しくなってしまった鬼がいたんだよ。遥か昔だけどな。その鬼は、捕まえられて下の地獄の罪人となった」
夜叉は大きくため息をついた。
「因果な仕事ですね、地獄の鬼も・・・」
「あぁ、だから、その事故以来、鬼たちは罪人を独り切り刻むと、奥へ引っ込む。自分たちの嫌な仕事の記憶を消すのさ」
そうでないと、自分たちが参ってしまうのだろう。罪人を切り刻むという恐ろしい記憶に負けてしまうのだ。
「本当に嫌な仕事さ、地獄の鬼たちもな」
夜叉が言った通り、罪人を切っていた二人の鬼は、ベッドの罪人の死体に一礼をすると、奥へ引っ込んでいった。その足取りは、重苦しいものだった。

新しい鬼たちがやってきた。向かった先は、先ほど切り刻まれた罪人の隣のベッドだ。
「さて、次はお前さんの番だ。隣の様子は見ていたよな?」
鬼がそう声をかけると、
「た、助けてください。あれは・・・あれは嫌です。何でも言うことを聞きますから、あれはやめてください」
と、罪人は縛られているベッドの上で叫んだ。
「う〜ん、俺たちもな、できれば許してやりたんだよ。あんな残酷な刑はしたくないんだ。だけどなぁ、お前がしたことを考えるとなぁ・・・・」
「そうそう、それに裁判で決まったことだしな」
「そういえば、お前は切られるの二回目だな。覚えているよな、前回の処刑のことは」
二人の鬼は交互にそう言った。
「は、はい・・・覚えています。もう、二度とあんな恐怖は・・・・。助けてください、お願いします。私がやってしまったことは、深く反省しています。助けてください。何でも言うことを聞きますから」
罪人は声を震わせて懇願した。しかし、鬼は聞く耳を持たない。
「いや、俺たちに懇願されてもなぁ・・・」
「頼む相手が違うんじゃないか?。お前が許しを請うのは、俺たちじゃないだろ」
鬼にそう言われ、「あっ・・・」と小さく罪人は言った。そして
「で、でも、私が殺してしまった人たちは、ここにいないし・・・」
とつぶやいている。
「ここにいなくてもいいんじゃないか?」
「そうそう、許しを請うのは、お前が殺してしまった人たち。助けを求めるなら、お前の縁者で人間界にいる人、そうだろ?。俺たちに言っても無駄だよ」
鬼たちは、それとなく救われるヒントを教えていた。後は、罪人がそれに気付くかどうかだ。罪人か考え始めているようだった。
「さて、くだらないおしゃべりはこれまでだ」
「墨打ちをするか」
鬼たちは、墨打ちの準備をし始めた。
「ちょ、ちょっと、ちょっと待ってください」
「待てないな。お祈りをするなら、墨打ちをされている間でもできるからな」
鬼は冷たく言い放つ。しかし、それも罪人への教えだ。鬼は、罪人に救われる方へと導いているのである。
罪人は、きつく目を閉じた。そして、つぶやき始めた。
「私が殺してしまった皆さん、許してください。こんなお願いをするのは、厚かましく自分勝手ですけど、どうか許してください。あの時は、本当に申し訳ございませんでした。深く反省しています。もし、許してもらえるなら、私は虫でもなんでも生まれ変わってもかまいません。そう、そうです。虫に生まれ変わった私を何度も何度も殺してください・・・」
「水を差すようで悪いけどさ。お前が殺した人たちも、まだ人間に生まれかわっていないんだよねぇ。どこに行ったかもわからないし。だからさ、虫に生まれ変わったお前をさ、殺すことってできないんだよね」
鬼にそう言われ、罪人は言葉に詰まってしまった。
「あぁ、じゃあ、どうすれば罪の償いをできるんだ・・・。俺はいったいどうすればいいんだ・・・・」
「ただ、ひたすら許しを請う。これだな。よし、ピンと引っ張れよ」
墨打ちの用意をしながら鬼たちは、罪人に教えていた。「ピシッ」という墨打ちの音が響き、罪人の「ぎゃー」という叫び声が続いた。
「ま、叫ぶのをこらえてさ、ひたすら許しを請うか、お前の縁者に助けを請うか、だな」
「え、縁者と言っても・・・俺には一人もいないんですよ。天涯孤独なんで・・・」
「じゃあ、やっぱり許しをひたすら請うしかないな。よし、次だな」
鬼の言葉に続き、墨打ちの音と罪人の叫び声が響いた。
「だから、叫んじゃダメだって。ひたすら許しを請わなきゃ」
鬼の言葉に、罪人は首を縦に激しくふる。
「そ、そうですね。次は叫ばないようにします」
そういうと、大きく息を吸って
「許してください、許してください、私が悪かったのです。すべて私がいけないのです。深く反省しています。あなたたちの気が済むことならなんでもします。ですから、どうか許してください・・・・」
罪人はひたすら許しの言葉を唱え続けた。

「ほほう、いい調子じゃないか。そうそう、そのまま唱え続けろ」
墨打ちは終わっていた。罪人の身体には、きれいなマス目が引かれている。彼は、墨打ちをされている間、ほとんど叫び声をあげなかった。時折、顔をしかめる程度だったのだ。彼は、鬼に教えられたとおり、許しの言葉、反省の言葉をひたすら唱え続けていた。
その時だった。隣のベッド・・・先ほど切り刻まれた罪人が寝ていたベッド・・・から、大きな叫び声が聞こえてきたのだ。
「ぎゃー、痛いー、うぎゃー、ぎゃー」
「うるせぇなぁ、そりゃ、生き返ったんだから、痛いに決まっているだろ。なんせ、お前は切り刻まれたんだからな」
鬼が隣のベッドに向かって大きな声で言った。
そう、先ほど切り刻まれた罪人が生き変えったのだ。前とそっくりそのまま同じ状態で・・・。
「生き返るのは、等活地獄と同じだよ」
夜叉が教えてくれた。
「せっかくいい調子で許してもらうことに精神を集中していたけど、今の叫び声でパニックを起こしたな」
夜叉が言うように、二番目の罪人は、「うわ、うわ、うわ」と過呼吸をおこし、叫び始めていたのであった。

つづく。

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