第2部 六道輪廻編
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「うわっ、うわっ、うわっ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、あー助けてくれぇぇぇぇぇ」 先ほどまで調子よく、ただただ許しを請うていた罪人は、パニックをおこし、暴れはじめた。 「やめろ、やめてくれ〜」 罪人の恐怖の叫び声が大きく響いた。 「おいおい、静かにしろよ。落ち着け、な、落ち着けよ」 「おい、落ち着かないと、電ノコがどこを切るかわからないじゃないか!」 鬼のその言葉に、罪人は「はっ」と息の飲んで気絶した。 「ありゃ、気絶しちまった」 「しょうがない、起こすか」 鬼はそういうと、罪人の顔をめがけ、水・・・おそらく水だと思う・・・をかけた。 「うわっ!、ぷはーっ」 大きく息を吐き出し、罪人は気が付いた。 「気付いたか?。大丈夫か?。覚えているか?」 鬼が確認をする。そのたびに、罪人は首を縦に振った。そして 「あぁ、取り乱してしまった・・・。私は、ただただ許しを願っていたはずだったのに・・・」 とメソメソと泣き出したのであった。 「おいおい、泣かなくてもいいだろう。まだ処罰は終わっていないんだから。これからが本番なんだぞ」 「そう、激痛はこれからだ。その激痛に耐え忍び、ひたすらに自分が殺してしまった者へ詫びればいいのだ。許しを請えばいいのだ。わかるか?」 鬼たちの言葉に、罪人は大きくうなずくと 「あぁ、そうでしたね。私にできることは、私が命を奪ってしまった人たちに対し、ただ詫びることでしたね・・・。あの痛みに耐え・・・。はぁ・・・、耐えられるかなぁ・・・」 「弱気を出すなよ。お前、自分が悪いと思っているんだろ?。こういう目にあっても仕方がない、と思っているんだろ?」 「えぇ、思っています。悪いのはすべて私です。私がしでかしたことを思えば、こんな目にあうのも仕方がない。いや、もっとひどい目にあってもおかしくないかもしれません。きっと・・・私に殺されてしまった人たちは・・・ものすごい恐怖と激痛だったのでしょうねぇ・・・。それを私は・・・あぁ、大変なことをしてしまった・・・。私は、なんと愚かなことをしてしまったのか・・・」 「そこまでわかっていれば大丈夫だ。耐えられるさ。さぁ、始めるぞ」 先ほどから、鬼が妙に優しく言っている。まるで、励ましているようだ。「がんばれ!、大丈夫だ!」と勇気づけているのである。 「たぶん・・・」 俺の疑問を感じ取ったのか、夜叉が説明をしてくれた。 「たぶん、アイツのために供養がなされたのだろう」 「供養?。あぁ、現世での彼の縁者が、彼のために供養をした、ということですか?」 「そうだ。その供養の力が届いたんだよ。だから、鬼が優しく励ましているんだ。しかも、あの罪人自身、反省が進んでいるし、さっきはパニックを起こしたが、すぐに自分を取り戻すことができた。もし、あの罪人が最後まであの処罰に耐えることができたら・・・」 耐えることができたら、きっとあの罪人はここでの処罰を許されるのだろう。そして、一つ上の地獄か、あるいは餓鬼の世界なのか、あるいは、もう少し上なのか・・・へ生まれ変わっていくのであろう。 「ま、そういうことだな。あの罪人の供養をした坊さんが、汚れのない坊主で法力のある者なら、容易く耐えられるだろう。ま、法力が無くても、汚れた坊主であっても、供養の力はちゃんと届くけどな」 そういうものなのか・・・。どんな坊さんであれ、供養をしたことには変わりはない、ということか。 「まあ、そういうことだ。そこに坊さんの法力とか清浄さがおまけでくっついている、というだけのことだ。でも、そのおまけが結構助かることにもなるのだけどね」 夜叉は、そういうとニヤニヤして「まあ、みてな」といったのだった。 準備は整ったようだ。電ノコが上空からおりてくる。やはり初めは足の先からのようだった。 「いいか、始めるぞ。許しを請う言葉を唱えな!」 鬼が優しく言う。罪人は 「許してください。私が悪かったです。許して下さい。こんな願いをするのは厚かましいですけど・・・、深く反省しています。どんな刑罰も受けます。私がすべて悪いのですから・・・」 そのうちに言葉が変わってきた。 「私が悪いのです。私が愚かだったのです。許されないことをしました・・・ぐわっ!、こんな痛みも仕方がないのです。皆さんが受けた苦痛を思えば、こんな痛みは大したことはありません。もっとひどい目にあっても仕方がありません。許されないことをしたのですから。ぐあ!・・・うぅぅん、皆さんの痛みに比べたら・・・あっ!・・・何のこれしき。もっとひどい目にあうべきなんだ、この俺は!。こんな程度じゃ・・・ぐっ!・・・ダメなんだ。こんなんじゃ、俺は許され・・・あっ!・・・ないんだ。もっと、もっと俺は苦しまなければ・・・うんぐぅぅ・・・いけないんだ!」 彼は、自分を責めながら、耐え忍んでいた。 自分を責める言葉は延々と続いた。身体は、ほぼ切り刻まれている。残すは首から上だけだ。 「よく耐えているな。そうとういいお坊さんが供養したに違いない。それも、一回や二回ってわけじゃないな。ほほう・・・。そうか、アイツのために1年間、供養をお願いした者がいたんだな」 「1年間?。どういうことですか?」 「あぁ、一回や二回供養をしたところで、あれだけの力は得られないからな。アイツのために毎月一回の供養を1年間続けたのだろう。その1年分の供養の力が、今働いているんだよ。だから、耐えられているし、反省も深くなっている。この分だと、最後まで耐えられそうだな」 夜叉はちょっと喜んでいるようである。優しい顔をして罪人の様子を見ている。そういえば、俺も今回は顔をそむけてはいない。そうなのだ、血や肉片が前の罪人のようにひどく飛び散っていないのだ。綺麗に・・・と言うと語弊があるが・・・切られているのである。 「それも1年間の供養の功徳だろう。1年分の供養の力が、彼を励まし、彼に力を与え、電ノコの切り方にも手加減が加わったんだよ」 「供養の力って、大きいですねぇ」 「当たり前だ。だからこそ、供養をするんだよ。しかもな、続けてしなきゃいけない。一回やって終わり、っていうんじゃあ、罪人に期待を持たせただけで終わるわけだから、かえって苦しめることになる。供養は、続けなきゃ意味のないことだ」 なるほど、一回供養をしてあげると、罪人になんらかのサインのようなものがあるのだ。で、罪人は「あっ、なんか少し楽だ。このまま、楽になればいいのに」と期待をしてしまうようだ。それが、続かないとなると、落胆は大きいだろう。 「そういうことだ。だから、供養は続けなきゃいけない。途中でやめるべきじゃないんだよ。たとえ、罪人が天界に生まれ変わったとしても、だ」 そう言えば、天界は天界で供養がなければ、命の維持ができない、と女房の守護霊のじいさんが言っていた。供養があるからこそ、天界での命を長らえられるのだ、と。供養は、天界でのエネルギーの元なのだと。ただ、天界もいいところに生まれ変われば、それほど供養のエネルギーを欲しなくなるそうだ。1年間に数度程度でいいらしい。お盆に彼岸に祥月命日、年忌でいいらしいのだ。そうか、天界では、エネルギー消費が少ないが、地獄では苦しみが大きい分、エネルギー消費が多いのだろう。車で言えば、天界はハイブリット並みの低燃費車だし、地獄はリッター0.5kmくらいしか走らない、ガソリンをまいて走るような車、というわけだ。ガソリン・・・供養のエネルギーを大量に消費してしまうのだ。 「まあ、そういうことだな。見てみな。あの罪人、顔を切られても耐えているぜ。口を切られても反省の言葉が聞こえてくる。大したものだ。相当な供養をされているようだな。毎月一回、アイツのための特別供養をした者がいたんだな」 罪人は耐えていた。激痛による叫び声など、一度もあげなかった。許してくれ、助けてくれ、もう嫌だ、などという言葉すら発しなかった。彼はひたすら、「己が悪い、こんな罰を受けて当然だ。許されるものではない」と唱え続けていたのだ。 ついに、目が切られた。彼の反省の言葉も終わった。 「よく耐えたじゃねぇか。たいしたものだ」 「よほど供養がよかったんだろうな」 「あぁ、さて、このまま生き返るのを待ってやろうか」 「あぁ、そうだな。おっと、手かせ足かせをはずしてやろう」 鬼はそういうと、バラバラになった手首や足首のベルトを外した。 「それから、自由に動けるように、ベッドの装置をオフにしなきゃな」 どうやら、罪人が自由に動けないのは、ベッドに何か仕掛けがあるようだ。きっと、これも地獄の力を使ったものなのだろう。 しばらく、鬼たちはバラバラになった罪人の身体を見つめていた。やがて罪人の身体が動き始めた。 「うぅぅぅ・・・」 「おっ、戻ってきたな。さて、これからが本番だな」 「おう、この激痛でどうなるかな・・・」 鬼は動き始めた罪人を見つめている。 「うっ・・・いっ・・・痛い・・・あっ・・・くっ・・・くる・・・しぃ・・・。うぅぅぅ・・・はぁはぁ・・・」 「ふむ、必死に耐えているな。パニックを起こさない」 「あぁ、これならいけそうか?」 その時、罪人は目を開いた。そして 「あっ・・・あぁ・・・だ、大丈夫・・・です。これ・・・しきの・・・くる・・・しみなんて・・・俺が・・・悪い・・・ん、はぁはぁはぁ・・・んがっ・・・ですから・・・はぁはぁはぁ・・・」 と痛みに苦しそうな顔をしながらも、懸命にこらえていたのだった。 その姿を見て、夜叉が言った。 「罪人の痛みや苦しみはな、復活するときの方が苦しいんだよ。切り刻まれて死んでいくときよりな。あの罪人、よく耐えているよ」 「そんなに苦しいものなのですか?。復活するときの方が?」 「あぁ、切り刻まれた肉や骨がくっつくんだが、その時の痛みは、切られたときの数倍とも十数倍とも言われているよ。それに恐怖も加わる。だから、復活するときは、たいてい叫ぶんだ。ギャー痛いーってな。叫ばずにはいられないんだよ。だけど、アイツは耐えている。珍しいくらいだ」 復活した時は・・・そうか、手術のすぐ後の状態と同じなのだ。しかも麻酔はない。しばらく気絶していたことと同じだから、生き返った時は壮絶な痛みが走るのだ。切られた痛みが一気にすべてやってくるわけだから・・・。 復活した罪人は、ベッドの上で転がりまわっていた。それでも叫び声一つ上げず、耐え忍んでいたのだった。 やがて、罪人がうつぶせのまま動かなくなった。 「気絶したんですかねぇ」 俺は誰に聞くともなくつぶやいていた。それでも夜叉は答えてくれた。 「いや、よく見てみな」 罪人は、ゆっくりと仰向けになった。鬼たちも何も言わず見守っている。罪人は、上半身を起こし、だらけた状態で座ったまま言った。 「私がすべて悪いんです」 そして、きちっと正座をし、いきなり頭を下げたのだった。 「許してくださいなんて、とても言えません。私がしたことはとんでもないことです。人の人生を・・・まだ生きるはずだったのに、奪ってしまった・・・・。それも何人も・・・。私は人間ではない。ケダモノですらない。切り刻まれ、バラバラにされて捨てられても仕方がないことをしたんです。いや、それは私がしたことです。だから、同じことをされても当然です。いやいや、それ以上のことをされても当然です。こんなことで許されるはずがない・・・。本当に申し訳ないことをしました。私はどんな罰も受けます。ですから、私が命を奪ってしまった人たちは、いいところに生まれ変わってください。お願いいたします」 罪人は、土下座をしてそう言ったのだった。 「よく言ったな。その言葉が本心からだってことは、よくわかるぜ」 「あぁ、お前さんはよく耐え忍んだ。そして、よくその言葉を言えた。合格だな」 「合格?」 鬼の言葉に、罪人は顔をあげて、きょとんとしていた。鬼の言っていることがわからないのだ。もちろん、俺もよくわかってはいない。いないが、うすうす察しはついている。この刑罰・・・この地獄から、卒業できるのだろう。 「実はな、お前のためにと、供養が届いているんだ。現世で、お前のためにと、1年間月に一回の供養した者がいるんだよ」 「私のために・・・?。私の供養を・・・?」 「あぁ、そうだ。お前はな、現世において極刑に処せられた。それは覚えているな?」 鬼の問いかけに罪人はうなずいた。 「そのあと、しばらくしてお前の縁者という人が現れたんだよ」 「あの・・・私には、家族はいませんが・・・」 「そんなことはない。お前の妹がいるだろう」 鬼にそう言われ、罪人は「あっ」といったかと思うと、ボロボロと涙を流し始めた。やがて、声をあげて泣きはじめていた。 「う、うそだ・・・。妹が・・・私のために供養なんて・・・。あんなことになって、めちゃくちゃ迷惑をかけたのに・・・。もう縁を切ってくれ、と頼んだのに・・・。俺は、身内じゃないからと言ったのに・・・。そんな・・・まさか・・・妹が・・・・う、うおぉぉぉ」 彼は頭を抱えて泣きじゃくっていた。 「お前さんは、縁を切ったつもりだったんだろうがな。妹さんはそうは思わなかったらしい。もっとも、葬式はお前さんに対する恨みや世間体もあって、しなかたのだが、その後、数年たってな、まあ、何かあったんだろうな、気が変わったんだよ。ま、どこかのお坊さんにお前の供養をしてやるといいと言われたんだろうな。理由はよくわからんが。ともかく、妹さんがお前さんの供養を始めたわけだ。しかも、それはもう1年も続いている。おそらくは、この先まだまだ続けてやっていくことだろう。その功徳がな、お前に届いたんだよ。お前がな、なぜあの激痛や苦しみに耐えられたか・・・。それはな、妹さんの供養のお陰なんだよ」 鬼は、彼の肩に手をおき、優しくそう言ったのだった。 「妹さんに感謝しなきゃな」 彼は、「うわー」と叫んで大声で泣き出したのだった。 「よかったな、身内がいて」 「その身内が、理由は知らぬが、供養をしてくれて、本当によかったな」 二人の鬼が代わる代わるそう言った。そして 「お前は、よく耐えた。しかも、心からの反省ができた。今のお前の心は、天界の池の水よりも澄んでいるだろう。その心を忘れるなよ」 と泣き崩れている罪人の肩に手をかけ言ったのだった。罪人は、泣きながら何度もうなずいていた。 「よかったですねぇ。これで彼も地獄から出られるんですよね。あっ、違うのか・・・。一つ上の地獄・・・等活地獄・・・へ行くんですね」 俺は、夜叉にそう言った。夜叉は、もらい泣きしたのか目を潤ませて 「あ、さぁ、どうかな。アイツが次にどこへ生まれ変わるかは、俺には分からねぇ。ま、おそらくあの分だと、地獄ってことはないだろうな。きっと・・・」 と説明してくれたが、言葉をいったん止めると、 「案外、妹さんの近くへ行くのかもな」 と言ったのだった。 「妹さんの近く?。ということは、人間界ですか?」 「うん?、あぁ、そう人間界だ」 「ということは・・・彼は・・・」 「いやいや、人間に生まれ変わるってわけじゃない。人間界でもいろんな生き物がいるだろ?。まずは、人間以外の生き物からだよ」 そうか、いくらなんでもいきなり地獄から人間に生まれ変わるということは、難しいようだ。ということは、まずは身近な動物から、ということになるのだろう。 「いや、それも外れだ。そんなに簡単に地獄から動物には生まれ変われないよ。もし、動物に生まれ変わったとしても、まずは人に忌み嫌われる動物からだな。いくらなんでも、そんなに甘くはないよ」 「どういうことですか?。忌み嫌われる動物って・・・」 「あのな、ここは地獄だぞ。地獄ってのは、とんでもない罪を犯した者がやって来るところだ。そこから脱出できたとしてもだ、次に行くのは餓鬼の世界か、畜生道だ。いきなり人間界とか天界とかは有り得ない。そんなのは、本当に稀だ。よほどの供養の力がない限り、有り得ないよ。あの男の妹は、通常の供養・・・月に一回の供養・・・を一年以上続けてくれたようだ。そのおかげで、この地獄の苦しみに耐え抜いた。供養の力は、そこで使ってしまっている。地獄の苦しみに耐え抜いたという以上のエネルギーは残っていないよ。次に生まれ変わる世界では、エネルギーゼロからスタートだ」 あぁ、そういうことか・・・と俺は納得がいった。有り余る徳が得られ、地獄を脱出するのではないのだ。つまり、地獄を脱出するための力の源は、それだけに費やされ、もう残っていないのである。妹さんが、供養を続けてくれれば、またエネルギーが溜まり、次の生まれ変わり先での苦しみに耐えられるのだ。妹さんが供養をしてくれて溜まったエネルギーは、もう使い切ってしまったのである。 「そういうことだ。しかし、彼が持っていた本来の正しい心が蘇ったのは、よかった。あそこまでの心境に達することができたのだから、次は餓鬼界ってことはないだろう。だから、おそらくは、畜生道だろうな」 「あぁ、だから妹さんの近くにいる生き物から、なんですね」 「そうだ。しかし、初めのうちは、寿命が短い生き物か、もしくは人間から忌み嫌われる生き物からだろう。たとえば・・・」 「たとえば?」 「ゴキブリとか、ハエとか、ダニとか・・・だな。ま、よくて蛾や蝶という場合もある。まあ、初めはそんなものさ」 なるほど、ゴキブリやハエなら妹さんの近くにいられるだろう。そこで・・・あ、そうだ、きっとそこで殺されるのかもしれない。いや、間違いなく殺されるのだろう。 たとえば彼がゴキブリに生まれ変わったとしよう。彼は・・・ちょっと待てよ。彼は、彼であるという意識があるのだろうか? 「そんなものはない」 夜叉は、俺の心を読みあっさりと答えた。 「たとえば、お前さんが考えたように、あの男がゴキブリに生まれ変わったとしよう。おそらくは、縁があるところに生まれ変わるから、まあ妹さんの家に住まうゴキブリだな。しかし、そのゴキブリは、彼であるという記憶は持っていない。ただのゴキブリだ。しかし、縁がある。妹さんとの強い縁だ。きっと・・・いや、必ず妹さんの目の前に現れるだろうな。妹さんは、そのゴキブリを殺そうとするだろうな。殺虫剤をスプレーするのか、新聞紙を丸めたヤツで叩くのか、踏む潰すのか、ホイホイを仕掛けるのか、それはわからん。わからんが、彼であるゴキブリは殺される。間違いなくな。で、また生まれ変わるんだな。違う生き物に」 「あっ、なるほど。そうやって何回も生まれ変わりを繰り返しながら、姿を変えていくんですね」 「そういうことだ。ただし、条件がある。罪を犯しているかいないか、だ」 「どういうことですか?」 「たとえば、さっきのゴキブリの話。あの男がゴキブリに生まれ変わったとしよう。彼は、妹さんの家に住まうゴキブリだ。縁が濃いから、妹さんの目の前に現れる。そして、殺される。が、その殺されるまでの間に、彼のゴキブリは病原菌をまき散らしているかいないか、が問題となる。あるいは、妹さんの家の台所に現れ、ラップなどをしていなかった食材にたかっていなかったかどうか、ということが問われるわけだ」 な、なんと・・・。ゴキブリも罪を問われるのか。しかし、ゴキブリに罪を犯したという意識はあるのか?。ないだろう。きっと、ゴキブリは無意識のうちに人間に迷惑をかけているはずだ。迷惑をかけようとして生きているのではない。ただ、生きるために食事を漁っているだけに過ぎない。それを罪というのか・・・。 「あぁ、疑問に思うだろうな。それは人間の身勝手だ、とね。でもね、供養をされているゴキブリは・・・あぁ、この場合はあの男の魂は、ということなんだが・・・人間の食材にたかったりはしないんだよ。その辺をコソコソ歩いているだけだ。食事は、家の外の草むらなどで取っている。あるいは、ゴミダメとかな。決して、妹さんの家の中の食材には手を付けないよ。な、なんだ、その眼は。疑ってるな?」 疑って当然である。いくらなんでも、そんなわけないだろう。そんな都合のいい話があるわけない。 夜叉は、「そりゃそうだな」という顔で俺を見た。その顔のまま 「ま、そう思うだろうな。だけど、それが真実だからなぁ・・・。まぁ、それも見なきゃわからないだろうな・・・」 と、一人納得したのだった。 夜叉の言っていることは本当かも知れない。供養の力によって、地獄から餓鬼や畜生に生まれ変わった者は、供養が続いていれば、その生まれ変わった世界で罪を犯さないのだろう。おそらく夜叉の言っていることは真実なのだろう。実際、この地獄でも、供養をされている罪人は、鬼たちが行う処罰を素直に受け入れたり、苦しみに耐えたり、自分だけが救われようとせずみんなも一緒に救われようとしたりするのだ。多くの場合は、地獄に落ちた者は地獄でさらに罪を犯す、というか、自分のしてきたことを反省しないで、不平不満を言ったり助けを請うたりしている。それは、その地獄に落ちた者への現世での供養がないためなのだ。だから、供養の力は「罪を犯させない」という力とも言える。そういうことならば、地獄以外でも・・・餓鬼の世界でも畜生の世界でも・・・供養がなされていれば、罪を犯さないのだろう。 確かに、理屈では理解できる。しかし、それが真実かどうかと言われれば、この目で見ないと納得はできない。 俺の思考を読んだ夜叉が俺の方を見て 「さすが、取材者だけのことはあるな」 と言った。言った後、優しい微笑みをしたのだった。俺も、夜叉の表情が随分とわかるようになった。 「おっ、あの罪人が解き放たれるぞ」 苦しみに耐え抜き、心からの反省をした罪人がベッドの上から降りた。自分の足で立っている。 「さぁ、お前はここから釈放だ。いいか、この道を行くんだ。この道をまっすぐに行くと、門がある。その門を出て右に行け。間違っても左に行っちゃいけないぞ。左はさらに下の地獄だ。ま、行こうと思ってもいけないけどな・・・。いいか、ここをまっすぐ行き、門を出て右だ。わかったな」 鬼からそう言われ、罪人は大きくうなずいた。そして、ゆっくりと鬼に教えられた道を歩きはじめた。その背中に向けて 「もう来るんじゃねぇぞ」 と鬼が大きな声で言ったのだった。しばらく彼の姿を見送っていた鬼たちは 「さて、次のヤツに取り掛かるか」 と言って、隣のベッドに移動したのだった。 「さて、どうする?」 夜叉が俺に聞いてきた。 「どうするって、どういうことですか?」 「いや、このまま見ていてもいいんだが、同じことの繰り返しだからさ」 「あぁ、そういうことですか」 次の罪人も同じなのだ。墨と棘のついた紐で身体に線を付けられ、そして切り刻まれる。苦しみながら罪人は死ぬ。しばらくして、壮絶な苦しみを受けながら罪人は生き返る。そしてまた同じことの繰り返し。罪人の縁者が現世で供養してくれるか、もしくは心から反省し苦しみに耐えるかしなければ、ここからは出られない。不平不満を言ったり、恨みがましいことを言ったり、鬼に食ってかかるような者がいれば、さらに下の地獄へ追いやられる。次の罪人はその候補だろう。俺がどうするか考えていると、鬼への暴言が聞こえてきたのだ。 「このクソ鬼ども!。また来やがったのか!。お前らなんぞ、手足が自由なら、ぶっ殺してやれるんだ。くっそ、いつか仕返ししてやる!。わかってるのか鬼め!。ふざけるんじゃねぇぞ!」 暴れて悪態をついている。鬼はうんざり顔で 「おい、もういい加減に理解しろよ。何回この罰を受けているんだ。いい加減にしないと、下の地獄へ送るぞ」 と、ため息まじりに言った。 「うるせー。何で俺がこんな目にあわなきゃいけないんだ!。ああん?、なぁ、どういうことなんだよ!」 「お前はバカか?。何度も言わせるなよ。自分のやったことを覚えているだろ?。いったい何人の人を殺したんだ?」 「うっせーよ!。俺が気に入らなかったヤツを俺の目の前から消しただけだ。それのどこがいけねぇっていうんだ?。それもたった二人だぞ。二人だけだ。邪魔な二人を消しただけで、俺がなんで何回も殺されなきゃいけないんだ?。くそ、死ね、鬼め。ぺっ!」 この罪人、なかなかのツワモノだ。鬼に唾を吐きかえた。しかし、ツワモノと言っていいのかどうかは、はなはだ疑問だ・・・。いや、やはり愚か者、と言ったほうがいいか。まあ、愚か者である。鬼もあきれている。やがて、鬼同士で何か話し合いを始めた。 「お、こりゃ、面白いものが見れそうだな。さっさとここを出なくてよかったな」 「面白そうなもの?」 「あぁ、ま、黙って見ていな」 夜叉がちょっと楽しそうな顔をして罪人と鬼たちを見ていた。 鬼たちは、相変わらず話し合っている。一人の鬼が、片方の鬼に向かって「ちょっと待て」と言った感じで手のひらを見せた。その鬼は、黙りこくって、何か集中しているような表情になった。時々うなずいている。 「本部と通信をしているんだ。頭の中で。ま、テレパシーのようなものだな」 夜叉が解説をしてくれた。それにしても本部って・・・。 「あぁ、本部っていうのは、閻魔様がいらっしゃるところさ。お前ら人間界では閻魔庁とかいうんじゃないか?。まあ、名称はどうでもいいがな、閻魔様がいらっしゃるところに、鬼はテレパシーでお伺いをたてているんだよ。あの罪人の処遇をな」 なんだ、なんだ、ということは、あの罪人、ヤバイってことじゃないか? 「そういうことだ。あの鬼に対するつば吐き行為がいけなかったんだろうな。レッドカードかもしれん」 あぁ、なるほど。つまり、一発退場ってことなのだ。ということは、下の地獄へ落とされる、ということなのだろう。 「まだ、決定ではない。イエローカードかもしれない。だけど、もう何度もここの刑罰を受けているようだし・・・。それであの態度というのはなぁ・・・。まあ、レッドカードじゃないかなぁ・・・と俺は見るのだが・・・」 どうやら鬼と閻魔様のいらっしゃる本部とのやり取りは終わったようだ。通信をしていた鬼が、もう一方の鬼に何か伝えた。伝えられた方は、うなずいている。そして・・・。 「おい、お前、ベッドから降りるんだ」 と告げた。どうやら、レッドカードが出たようだ。 そうとは知らない罪人は 「おっ、解き放ってくれるのか?。やるじゃねぇか。いいか、自由になったら、お前らを真っ先にひねり殺してやるからな。覚悟しておけよ!」 などと息巻いている。愚かなヤツだ。本当に鬼に勝てると思っているのだろうか?。もし、本当に思っているなら、相当なバカである。 ベッドに縛り付けられていた罪人の、手足や胴体を固定するベルトが、滑るように消えた。その途端、「よっしゃー」と言いながら、その罪人は起き上がり、鬼に蹴りを入れようとした。鬼は、あっさり罪人の足をつかむ。 「お前、俺たちに勝てると思っているのか?」 鬼は足をつかんだまま、罪人を逆さ吊りにした。 「どうやら、お前はこの方が恐怖を覚えるようだ」 鬼は罪人を放り投げた。その罪人の男は真っ青になっている。こんなはずじゃなかった、と思っているのだろう。めでたいほどバカである。鬼に勝てるわけがないのだ。と、次の瞬間、その男は逃げ出した。振り向いて走り出したのである。 「あ〜あ、自分で行ってしまったか」 鬼は溜息をついた。しばらくして、「ぎゃ〜」という叫び声が聞こえてきた。 「落ちたな」 「あぁ、落ちた。バカなヤツだ。黙って俺たちについてくれば、一つ下の地獄だったものを・・・」 「逃げ出したんじゃねぇ・・・。ありゃ、一番下かな」 「たぶん・・・。バカは死ななきゃ治らない、って人間界では言うらしいけど、死んでも治らないバカもいるんだねぇ・・・」 鬼たちは、しみじみと語り合っている。そして、次の罪人に向かって 「俺たちに逆らうと、あぁなるぞ。わかったか?」 と凄んだのであった。 「愚かなヤツはどこにでもいるんですねぇ・・・」 俺はついつい言葉にしてしまった。夜叉は、俺の方を見て 「地獄も現世も同じさ。愚かなヤツはどこにでもいる。自分を知らないってことは、恐ろしいことだな」 と、ため息まじりに言ったのだった。そして、 「さて、ここはもういいだろう。ま、あの切り刻む刑がここでのメインだ」 と言った。 「メインってことは、他にもあるのですか?」 「あぁ、あるよ。う〜ん、そんなに大したことはないんだが・・・。まあいい、ついでだから、ぶらぶら歩いて見学するか」 まるで、観光をするかのように夜叉は言った。しかし、観光と言えば観光でもある。俺は今、地獄めぐりをしているのだから。 「はい、行きます。できるだけたくさん見ておきたいですからね」 俺がそういうと、「じゃあ、行こうか」と言って夜叉は歩き出した。途中、鬼と出くわすと 「おう、久しぶり。うん?、あぁ、例の物好き聞新の案内か?」 と声をかけられる。そのたびに、夜叉は笑い、俺は苦笑し頭を下げる。もうすっかり物好き聞新が板についてしまった。 「これからどこへ行くんだ?」 途中で鬼に尋ねられた。夜叉は 「下へ行く前にね、綱渡りと蜘蛛の巣を見学しようと思って。まだ、やってるかい?」 「あぁ、あそこね。両方ともやってるよ。人数は少ないけどね」 まるで、何かのショーのような言い方である。綱渡りに蜘蛛の巣・・・。いったいどんな刑罰なのか。ショーじゃないんだが、まあ、刑を見る側として見れば、一種のショーのようなものかもしれない。すごくむごいショーだけど・・・。 「そうか、じゃあ・・・ここからだと・・・」 「綱渡りが近いな」 鬼にそう教えられ、我々は綱渡り・・・あくまでも鬼たちが言っている通称だと思う・・・を見に行くことにした。 「綱渡りはな、メインの切り刻みの刑よりは、軽いんだよ。大した刑じゃないな。だから、気分は悪くはならないから安心しろよ」 あの切り刻まれる刑罰を見てしまったら、他の刑罰はほとんどがたいしたことはないのではないか。あんな気分の悪い刑罰は、そうそう無いのではないか。今回は、そんなに構えなくてもよさそうだ、と俺は思っていた。 「さて、ここを登るぞ」 夜叉が指さした方を見てみると、それはちょっとした山だった。 「ここを登らなければよく見えないからな。まあ、幸いというかなんというか、お前は死人だから、疲れることはない。こんな山、スイスイと登れるだろう。ちなみに、俺は慣れているから、こんな山は平気だ」 そう言って夜叉はさっさと山を登り始めた。当然、俺もついていけないことはない。こういう点、死者は楽である。仮の肉体は持っているが、心臓が動いているわけではないし、いくら身体を動かしても疲れることはない。俺もスイスイと山を登りだした。 随分登ったようにも思うが、それほどでもないと思う。やがて頂上に出た。そこは、空中にちょっと突き出たベランダのような展望台になっていた。 「あまり身を乗り出すと落ちるから気を付けないよ。どうだ、いい眺めだろ?」 夜叉は笑顔でそう言った。 「あぁ、本当に・・・。いい眺めですねぇ、これで空が青くて明るければね」 「地獄でそれを望んじゃあいけないよ。空は真っ黒、どんより薄暗い。それが地獄だ。あ、下の方は炎で明るいけどな」 夜叉がそういうので、下をのぞいてみると、確かに炎が赤々と燃えている。否、炎じゃない。あれは火山の火口のようなものだ。溶岩がたぎっているような、そんな色をしているのだ。いやいや、それだけではなかった。確かに炎が燃えがっているところもある。よく見ると、そこには網がかかっている。そう、バーベキューを思い出してもらえばわかりやすいであろう。赤々と燃える炭火の上に網を乗せ、その上で肉や野菜を焼くように・・・って、まさか、あそこで人を焼くのか? 「いいや、違うよ。まあ、近いと言えば近いけどな」 夜叉が俺の思考を読んで答えた。 「それにそれだけじゃないだろ、下に見えるのは」 確かにそうだ。この山の頂上から下に見えるのは、さっき言った溶岩の口、赤々と燃える炎の上に乗った巨大な網、その横には沸騰する温泉?があった。そしてさらにその向こうには、先端が針のようにとがった岩が無数に立っていた。針山地獄のようである。 「眼の前を見てみな」 夜叉にそう言われ目を下から上に移す。「よく見てみろ」と夜叉は言った。俺は、目を凝らしてじーっと見た。すると、一本のロープが張られているのがわかる。そのロープは、真っ黒なので、周りの暗さに溶け込んで見えにくいのだ。 「ロープが張ってあるんですね」 「見えたか。黒いロープだから見えにくいだろ。あのロープは、こっちの山とあっちの山の間に張られているんだ。随分な距離だろ。数キロメートルはあるかな。でな、あのロープには油がたっぷりと塗ってある。そうだ、だから、すごく滑りやすいんだな」 「ま、まさか、そのロープを罪人が渡るわけじゃ・・・」 「渡るんだよ。だから、綱渡りさ。そう、綱渡り地獄なんだよ、ここは。これもこの黒縄地獄の名物なんだ」 夜叉はそういうと、「いったい誰が考えたんだか・・・。ムゴイよなぁ・・・」とボソボソと付け加えた。 確かに、そりゃむごいだろう。油の塗ったロープの上を、数キロにわたって渡るのである。落ちれば、溶岩で燃えるのか、熱せられた炎の上で焼かれるのか、熱湯風呂にはまるのか、針山に刺されてしまうのか・・・だ。 「しかもな、罪人は・・・。あぁ、これから刑が始まるみたいだから、見ていればわかるな」 夜叉が言ったように、どうやら綱渡りの刑が始まるようだ。ロープの向かって右端の方の台座のようなところに鬼に連れられた罪人が一人やってきたのだ。 鬼が大きな声で罪人に問いかけた。 「お前は、この刑罰は初めてか?」 罪人は震えながら何度もうなずいた。 「そうか。じゃあ説明しよう。いいか、これからお前は、ここで綱渡りをする。簡単だろ。ゴールはあっちの山だ。まあ、数キロメートルはあるかな。しかし、ゆっくり行けば何とかなるだろ。あぁ、ただし、こいつを背負ってもらうけどな」 鬼が罪人に渡したものは、リュックサックのようなものだった。それを鬼は罪人に背負わせた。すると途端に、罪人は、後ろにひっくり返ってしまった。 「あ、重すぎたか?。背負えないか。背負えるだろ。よし、立ち上がれ。手を貸してやろう」 鬼は、罪人を立たせた。背中に背負ったリュックは、相当重そうである。前かがみになって立っているが、ちょっとふらついている。 「おいおい、そんなんじゃあ、綱渡りはできないぞ。なに?。もう少し軽くしてくれだって?。さて、どうしようか」 鬼は、そう言いながら笑っている。そして、「仕方がねぇな」と言いながら、リュックから何か取り出しだ。重りのようだ。 「どうだ、少しは軽くなっただろ?。ふふふ、俺は優しいんだ」 鬼は笑いながら言っている。罪人は、恐怖のせいか、一言も発していない。 「さぁ、渡れ。ほら行けよ」 鬼につつかれ、罪人は恐る恐るロープに片足を乗せた。 「あっ。こっこれ、滑りますよ」 罪人が真っ青な顔をしてそういうと、鬼はニヤニヤしながら 「あぁ、滑るよ。だって、油が塗ってあるからな。もう大変なんだぜ、このロープに油を塗るのって。ま、頑張って行けよ。裸足だから、大丈夫だって!」 鬼に槍を突き立てられ、罪人はゆっくりとロープに足をかけた。「ほらもう片方の足」と後ろで鬼が言っている。言うだけではない。槍の先で罪人を刺している。刺されて下に落とされるのも嫌なのだろう。ロープを渡ってしまえば助かるのである。不可能かもしれないが、可能性はゼロではない。しかし、渡らなければ、鬼に槍で突き立てられ、下に落とされるのである。ならば、可能性はゼロに限りなく近いかもしれないが、ロープを渡る方に賭けるしかない。 罪人もそう考えたのだろう。ロープを渡り始めた。 「おう、決心したようだな。そりゃそうだよな」 夜叉が言った。俺もうなずいた。 「どこまでもつかな」 そうなのだ。到底、渡りきれるとは思えない。しかし、頑張るしかない。 罪人は、そろそろとロープに足をかけたが、すぐにすべってしまった。 「あっ」 と思ったが、なんとか、ロープにしがみついている。が、滑るのだ、あのロープは。手と足をからめて何とか猿のようにぶら下がっているが、背中のリュックが重いのだろう、とてもつらそうだ。 「背中は重いし、ロープは滑る。しがみついているのがやっとだな」 夜叉が「ありゃダメだな」と言った感じで呟いた。 その言葉通り、必死にしがみついていた罪人は、ほんの1メートルも進んでいないうちに、悲痛な叫び声とともに落ちていった。そこは溶岩の海だ。 「ま、一瞬で燃えてしまうから、そんなに苦痛はないだろうな・・・」 夜叉は、苦々しい顔つきで、小さな声で言ったのだった。 「でも、また生き返るんですよね?」 「うん、そうだ。生き返ってくる。あの溶岩の海の端、まあ、火山の火口のような端っこに放り出されるんだ。で、鬼に捕まって、ここまで登ってくるんだよ。アイツら罪人は、肉体があるから、ここまで登るのも結構大変だ。で、また綱渡りさ」 「いったいどんな理由でこの刑罰を受けているんですか?。あの切り刻みの刑はバラバラ殺人を犯した者ですよね。じゃあ、これは?」 「この刑は、絞殺で殺人を犯したヤツが受けるんだよ。首を絞めて殺したんだな」 「あぁ、だから綱渡りをさせられるんですか・・・」 ロープを使って殺人を犯したから、ロープを使って刑罰を受けるのだ。嫌な因果である。 「これ、渡りきれるんですかねぇ・・・」 「うん?、あぁ、もちろん、渡りきるヤツもたまにいるな」 「あぁ、そうか。供養ですね?」 「そう、供養だよ」 同じである。罪人の身内か縁者が、ぞの罪人のために供養をしてくれれば、こんなとんでもない刑罰でも乗り切れるのだ。供養の力は大きいのである。きっと、あのロープから落ちていった男だって、現世での供養があれば、あのロープを渡りきれるのである。 「もう一つ、あのロープを渡りきる方法があるけどな」 「あぁ、自分の罪を心から反省し、悪いのはすべて自分である、と悟ることですね」 「そうだ。そう悟れば、案外この刑罰は楽だよ。なんせ、滑るからな。身体をロープに絡ませて滑っていけばいいんだから」 そうは言っても、なかなか簡単にはいかないだろう。おそらく途中で落ちてしまうに違いない。しかし、すべて自分が悪いのだ、と悟っていれば、途中で落ちたとしても、きっと怖くはないし、自己責任なのだから当然の報いだ、と思えるのではないか。そう思えるようになれば、その次はきっと、この綱渡りをやり遂げることができるのだろう。 「そういうことだ。ま、たまにだが、自己反省がよくできていて、自分がすべて悪いのだ、と悟った者は、このロープから落ちていく途中で救われるけどな。ま、たまにね」 俺は、どういうこと?という顔をして夜叉を見た。その顔を見て、夜叉はすぐに話を続けた。 「そういう罪人は、ロープから落ちてもね、勢いよく落ちないんだ。フワフワと落ちる。で、ちゃんと着地できるんだ。着地したところは、普通の大地だ。針の山も、煮えたぎるお湯も、炎も、溶岩もない。そうしたら、合格だ。地獄から出られるんだよ」 罪人たちは、何度も何度も同じ刑罰をさせられているうちに、「なぜ自分はこの刑罰を受けているのだろうか?」ということを考えるのだろう。鬼の導きもある。鬼たちは、「こんな目にあうのは、お前自身が悪いんだぞ」という声をかけてくるのだ。その言葉を何度も聞くうちに、やがて罪人たちも気付くのだ。自分の愚かさに。そして、それは反省へとつながる。そうすれば、綱渡りができる距離も伸びていくのだろう。それが励みにもなる。その積み重ねにより、いつかは心から反省ができる日が来るのだ。 「あぁ、そういうことだ。随分長い時間が必要だけどな。ここに来る連中は、自分が悪い、などと思わない連中ばかりだからな。すべて他人のせいだと思い込んでいるヤツラばかりだからな」 『人のせいにしているうちは、自分を成長させることはできない』 会社に入った時に、上司から言われた最初の言葉がこれだった。どんな文章を書くのもいい、どんな取材をするのもいい、だが、批判は必ずある。それを「批判するヤツが悪い」と思ってはいけない。批判を他人のせいにしているうちは、いいジャーナリストにはなれない。絶えず自分の取材内容と文章を振り返ることだ・・・。その上司はそう言っていた。もはや、そんな言葉を発するジャーナリストなんていないのだろう。大きな新聞社の記者が平気で嘘をつく時代である。マスコミが、いとも安易に記事を創作する時代である。ヤラセが横行する時代なのだ。で、それが露見したら簡単に逃げまくる。言い訳ばかりして自己反省をしない。そんな連中が、大手のジャーナリストを名乗っているのだ・・・。 俺は、ついつい生前のことを思い出して、大きなため息をついてしまった。 「まあ、生きているうちは、いろいろあるわな」 俺の心情を察して、夜叉は優しくそう言ったのだった。そして、 「じゃあ、次の蜘蛛の巣へ行くか?」 と言って歩き出したのだった。 蜘蛛の巣・・・イメージがよくない。俺はそう思った。きっと、罪人が網に絡まれて・・・おそらくそれは黒いロープで作った網だろう、黒縄地獄だけに・・・、もがき苦しんでいるところへ大きな蜘蛛が罪人を襲ってくるのだろう。まるで、怪物映画かゲームの世界のようだ・・・などと想像をしていたら、 「う〜ん、ちょっと違うな。大きな蜘蛛なんて出てこないぞ」 と夜叉が言った。 「そうなんだ。蜘蛛は出てこないんだ。でも蜘蛛の巣なんでしょ?」 「まあな。見ればわかるよ。あぁ、あそこだ」 夜叉が指をさした方には、大きな八本の柱が立っていた。その八本の柱は、大きな網をつっているのだ。つまり、大きな網が、その八本の柱にぶら下がっているのである。 大きな網だった。やはり黒いロープで作ってある網だ。しかし、ただの網のようにも見える。確かに蜘蛛らしきものもいない。 「ひょっとして、この網の上に罪人は落とされるんですか?」 俺は、夜叉に聞いてみた。 「あぁ、そうだよ。お前さん、拍子抜けしてるだろう?」 夜叉が薄ら笑いを浮かべて俺に聞いてきた。そうだ。確かに俺は拍子抜けした。「えっ?、これが?」みたいな感じだ。こんな網の上に落とされて刑罰になるのだろうか?。サーカスの綱渡りの下に張ってあるネットのようなものだ。こんなところに落とされても弾むだけであろう。あっ、まさかあの網のロープが鋭い刃物でできていて、網に落ちると身体がバラバラに切れてしまうとか・・・。それならそれで恐ろしいし、納得もいく。 「違うよ」 夜叉もそうなのだが、ここの連中は、俺の思考を読むからどうもやりにくい。俺の考えていることが筒抜けなのだ。便利なこともあるが、不便なことの方が多いように思う。いや、そもそも頭の中を覗かれるのは、どうも気持ちが悪いのだ。 「すまないねぇ。好きでやっているわけじゃないんだよ。お前さんの思考が勝手に入ってきてしまうんだ。俺だって、うっとうしい時もあるさ」 夜叉はそう言って、俺の方を見てニヤニヤと笑ったのだった。俺は返す言葉もなく、大きなため息をついた。 「ま、それはともかく・・・。あの網に罪人が落ちるのはあっているが、罪人が網でバラバラになるわけじゃない。まあ、これから始まるから見てな」 10人ほどの罪人が長い階段を昇っている。みんな手枷、足枷がついている。手錠と足には鎖がついているのだ。やっとのことで、長い階段を昇りきると、ちょっと広めの踊り場で、罪人たちは手枷・足枷が外された。今ならば、自由だ。逃げることもできる。が、当然ながら、武器を持った数名の鬼たちが周りを固めている。逃げようとする者はいなかった。 「さて、手枷足枷も外したが、逃げるようなヤツはいねぇんだな。つまらねぇな。自由なんだから、逃げてもいいんだぜ」 その鬼は、片目だった。片方の目に眼帯をしている。昔の海賊がしていたような黒い眼帯だ。その鬼がダミ声でしゃべり続けた。 「なんだなんだ、逃げ出そうという勇気のある奴はいねぇのか。きっと後悔するぜぇ、この刑罰を受けるとな。あんとき逃げておけばよかったてな。むふふふ」 眼帯の鬼は、嫌な笑い方をした。鬼の中にも、イヤな奴はいるのだな、と俺は思ったが、案外そういう役を演じているのかもしれない、とも思った。そもそも彼らは反省への導き手なのだから。 その眼帯鬼は話を続けた。なんだか、明日のジョーに出てきたダンペイのオッサンに似ている。 「ここの刑罰は簡単だ。この網に落ちるだけだ。まあ、結構な高さがあるから、落ちるのは怖いかもしれないが、落ちても死ぬことはない。だから大丈夫だ。さぁ、落ちろ!」 眼帯鬼がそういうと、周囲にいた鬼たちが手に持った槍や金棒で罪人たちをつつき始めた。 「お前らが生前、悪事を働いたのだから、こうなっても仕方がないぞ。地獄なんてない、と思っていたんだろう?。ところがどっこい、地獄ってのはあるんだよ。お前らは、人を殺した。おまけに殺した相手の金品を盗んだ。強盗殺人だな。そういうヤツは、警察の網に捕まるんだよ。だから、お前ら、みんな網に捕まれ!」 眼帯鬼がそう叫ぶと同時に、他の鬼によって10人ほどの罪人たちは網に落とされたのだった。 叫び声とともに彼らは落ちていった。そして、その叫び声は 「ぎゃー、熱いぃぃぃー」 という声に変わった。罪人たちは、網の上を「熱い、熱い」と叫びながら転がりまわっていた。どうやらあの網は熱せられているようである。しかし、彼らは単に網の上を転がりまわっているだけではなかった。転がりまわっているうちに網が身体に絡みついているのだ。そう、蜘蛛の巣に虫が捕まってもがくうちに、網の糸に絡まって身動きが取れなくなっていくように、彼らも次第に動けなくなっていった。 「わかっただろ?。蜘蛛巣という名前があるのことが」 まさに蜘蛛の巣である。網の上に糸に絡まった虫のような塊がいくつかできていた。それらは、どれも罪人である。 「あの網の温度は、簡単には死なない程度の温度になっている。もちろん、火傷はする。熱いから罪人はもがく。もがけばもがくほど、熱せられたロープが身体に絡みつく。火傷の範囲は当然広がる。しかし、なかなか死ねない。熱くて痛いだけだ。全身がロープで覆われた時、燃え尽きて死ぬんだな。で、炭のようになって下に落ちる。しばらくして、網の下で生き返る。そこを鬼に捕まる・・・というパターンになっているんだ」 「これを何回か繰り返すんですか?」 「そうだな。しっかり反省ができるまでな。同じこのメンバーで繰り返すんだよ」 夜叉の説明に俺はうなずいただけで、なにも言葉にはできなかった。いや、俺は、夜叉の説明を聞いて考えていたのだ。どこかで似たような刑罰を見たような気がする、と。どこかと言っても、前の等活地獄かここの黒縄地獄しかない。そうだ、思い出した。これは血の池地獄に似ているのだ。 「いいところ気がついたじゃないか」 夜叉が俺の方を見てそう言った。そして、「まあ、見てな」と言ったのだった。 網の下で10人ほどの罪人たちは生き返った。等活地獄よりも生き返る速度がほんの少し早いように思う。 「そうだ、早い。地獄は、下へ行くほど生き返る速度が速くなる。一番下の地獄では、死ぬことができないけどな」 夜叉が解説を入れてくれた。 生き返った罪人たちは、すぐに鬼に取り囲まれた。逃げ出す暇はない。否、逃げ出そうと思えば逃げることはできるかもしれない。が、所詮そんなことをしてもすぐに捕まってしまう。捕まった後のことを考えれば、逃げずに鬼に取り囲まれた方が賢明だ。罪人たちもよく知っているのだろう。 罪人たちは、そのまま階段を昇らされた。今度は、手枷足枷はついていない。が、ここでも逃げるような者はいなかった。やがて、再び踊り場に出る。 「どうだったこの刑罰は?。熱かっただろう?。熱せられたロープが身体に絡みついて離れない。全身大やけど苦しかっただろう?」 眼帯鬼がダミ声で罪人たちに話しかける。 「さっきのは、本のお試しだ。こういう刑罰だ、ということをお前たちに教えるためのものだ。これからが本番だな。おい、お前らよく考えろよ。いいか、全員よ〜っく網を見下ろしてみな。何か気が付かねぇか?」 眼帯鬼はそういうと、罪人たちを踊り場のギリギリのところまで連れて行った。 「大丈夫だ落としたりはしない。不意打ちはしねぇよ。お前らとは違うからな。うふふふふ」 眼帯鬼の言葉に罪人たちは震えあがっている。震えながら網を覗き込む彼らに眼帯鬼は「気が付かねぇかなぁ?」とつぶやいている。しばらくして 「吊った網だから、真ん中がへこんでる」 と誰かがぼそりと言った。すると 「そう、その通り。吊った網だから、どうしても真ん中が落ち込んでいるんだな。お前らはここから落とされると、網の真ん中に向かって転がっていく。その間に熱せられたロープが絡みつくという仕組みになっているんだ」 一体、眼帯鬼は何を言いたいのだろうか?。そんなことを説明されても罪人たちには意味のないことではないのか・・・。が、俺の考えは次の眼帯鬼の言葉を聞いて浅はかだったと気が付いた。眼帯鬼は、こともあろうに 「ロープに絡まれたくなかったら、着地をうまくすることと、他人を利用することだな」 と言ったのである。 「あんなことを言ったら、悪い心のままのヤツが、悪巧みをしてしまうじゃないですか。いったいあの鬼は何を考えているんだか!」 俺は、つい語気荒く声に出していた。 「あぁ、まあそうなんだが、それが狙いでもあるんだよ」 妙に冷静に夜叉はし答えてくれた。それで俺も気が付いた。なので「あぁ、そういうことですか」と俺は答えたのであった。 眼帯鬼の言葉に、ニヤッとした者が何人かいた。そいつらはニヤニヤしながら他の罪人を見てうなずいている。 「さて、もういいかな。じゃあ、お前ら落ちろ」 眼帯鬼の掛け声とともに罪人たちが他の鬼の槍などでつつかれ網に向かって落ちていった。しかし、その中に少しだけ抵抗する者がいた。そいつらは鬼の槍を避けつつ、後から飛び降りたのだった。 後から飛び降りた者の中には、先に飛び降りた者の上に落ちた者もいた。その近くに落ちた者もいた。他の罪人の上に落ちた者は、下になった者を組み伏せ、そいつの上に乗り、巧みに網を滑るようにして中央のへこみに向かって行ったのだ。他の者の近くに落ちた者も、その近くの者が転がっていきそうになった状態の上に乗り、なるべく網に自分が落ちないように踏み台にしたのだった。 もちろん、失敗した者もいた。熱さに転げまわる者の上に乗るのは容易ではない。簡単に振り落されてしまう。それでも、自分はなるべく網に落ちないように、先に網に落ちてロープでぐるぐる巻きになった者たちを巧みに飛び乗りしながら中央に向かって行った。 結局、ロープに絡まれず中央のへこみに到達した者が3人いた。彼らは、すでにロープに絡まれジュウジュウと音を立てながら燃えつつある、他の罪人の上に乗って網に落ちないようにバランスを取っていた。しかし、やがて自分が乗っている罪人も燃え尽きてしまう。それに気が付いた3人は、互いに互いを網に落とそうとした。次の足場を確保するためだ。 「あぁ〜あ、始まったか。あれは逆効果なんだけどな」 俺は思わずつぶやいていた。何のことはない。眼帯鬼は、地獄へ来ても悪意のある者をあぶりだすために、わざと誘ったのだ。他人を足場にすれば自分は助かるんだぞ、とそそのかしたのだ。 地獄に来て、少しでも反省の心がある者は、他人を足場にして自分は助かろう、などということは考えない。それよりも、少しでも早くここを脱出したいと願うものだ。しかし、反省なき者は他人を足場にすることをためらわない。鬼としては、そいつらを見つけ出し、さらに刑罰を厳ししくするか、説教をするか、下へ送るかしないといけないのだ。また、逆に正しい心を持ち始めている罪人も区別できるのだ。血の池地獄と同じ仕組みである。ということは、この蜘蛛の巣もみんなで協力し合えば、救われる道があるのだろう。いつ彼らがそれに気が付くかだ。 「あっ、結局一人だけが残りましたね」 押し合いしていた3人の罪人のうち二人が転がってしまった。転がった彼らの上にすかさず残った罪人が飛び乗った。片方の足に一人の罪人を敷いている。そのころには、焼けてしまった他の罪人が網の下に落ちていた。 「がははは。俺は助かったぞ。見ろ!鬼ども。俺はほとんど焼けていねぇ。ざまぁ見ろってんだ」 男は大声で笑った。が、しかし、彼が足場にしていた罪人も焼けてきた。 「うわっ!、やべぇ。俺の足が燃えるじゃねぇか!」 そのころ、先に燃えていた他の罪人・・・7人ほどの者・・・たちは、生きかえって網にの下から出てきていた。鬼に取り囲まれているが、その鬼の一人が言った。 「よく見ろ。汚い手を使って刑罰を逃れよう、一人だけ生き残ろうとした者がどうなるかを」 罪人たちは、網を見上げた。その網の上では、最後まで生き残っていた罪人が叫んでいた。罪人の足から順にゆっくりと熱せられたロープが絡み始めていたのだ。そのロープは、まるで生きもののようにゆっくりと罪人の身体を上へ上へと這って来た。 「あ、あれじゃあ、転がり落ちてロープに絡まるよりも苦しいだろうな」 網を見上げていた罪人の一人が言った。他の者も「素直に落ちてよかった」とか「他人を踏み台にしなくてよかった」などとつぶやいている。 やがて網の上では、粘着質があるような炎が、最後まで残った罪人の身体を包んでいた。炎に包まれながらも死ぬことができず、彼は叫んでいた。「苦しい、助けてくれ、燃える、熱い、助けてくれ〜」と。 「まあ、悪趣味と言えば悪趣味だが、これで反省を促せるんだな」 夜叉はちょっと苦々しい表情でそう言った。実際、鬼たちは先に生き返った罪人たちに 「いつまでも反省しないで、他人を利用し、自分さえよければいいと考えていると、ここでは苦しむことになる。まあ、一応、あの男にもう一回チャンスは与えるが、次の刑であの男が同じ行為をしたら、アイツは下の地獄行きだな。それにな、地獄の刑罰は、心から反省すれば、そんなに厳しくない。耐えられるものなんだよ」 と説いていた。そう、地獄で助かる方法は、心からの反省と遺族や縁者の供養だけなのである。 「供養が期待できない連中は、たくさんいる。こいつらも、人の命を奪い金品を盗んだが為に現世で死刑となり、蜘蛛の巣地獄の刑罰を受けているんだな。そういう連中は、遺族や家族がいなかったりする。供養をしてやろうという縁者もいない場合が多い。多くは無縁仏となる。となると、供養の力は期待できない。ならば、地獄から救われるには、心からの反省、深い反省しかないんだ」 それが地獄の掟なのだ。 夜叉は、網の方に顔をむけたままそう言ったのだった。そして「この中で何人それができるのだろうか・・・」 と、ぼそりと言ったのであった。 「何年かかるかわかりませんが、いずれ気が付くんでしょうねぇ」 俺はつとめて明るくそう言った。空気の重苦しさに耐えられなかったのだ。 「そうだな。早く気が付けばいいんだが・・・。ま、そういうことだ。ここ黒縄地獄は、バラバラ殺人を犯した者、複数の絞殺を犯した者、強盗殺人を犯した者が落ちてくる場所なんだよ」 「バラバラ殺人者は自分も切り刻まれるし、ロープで首を絞めた者はそのロープに苦しめられる。強盗殺人をした者は網でからめ捕られる・・・というわけですね」 「あぁ、そうだ。等活地獄は主に下から上がってきた罪人が地獄を出るための試験を行う地獄と言っていい。あとは、単純な殺人だな。はずみで殺してしまった、頼まれて仕方がなく殺してしまった、殺意が希薄な殺人者という者が行くところだ。そこに悪意が加わり、複数の殺人を犯したり、盗みが加わったり、死体損壊が加わると、この黒縄地獄に落ちることになる。と言っても、ここはまだ軽いほうだがな。まだまだ、悪意は濃くない方だ。これでもな。下へ行けばいくほど、罪人の悪意は強くなる。人は、どこまで悪意を持てるんだろうか、といつも思っていたよ。恐ろしいことだよな」 夜叉はそう言った後、「次の地獄へ行くか?」と声をかけてきた。俺はそれにはすぐに答えず、 「きっと、この蜘蛛の巣地獄も反省を深くすれば、ロープが身体に絡まなくなったり、ロープの熱が下がってくるんでしょうね。で、あまり火傷をしなくなる。そのうちに深い反省を謝罪の心が持てれば、等活地獄へ行くのか、別の世界へと生まれ変わることができるんでしょう。みんな、早くそれに気が付くといいですね」 と感想を言わずにはいられなかった。そして、 「そうですね。次へ行きますか」 と小声で答えたのだった。 人はどこまで悪意を持てるのか・・・。 夜叉の言葉が耳にこびりついていた。いったい人間はどこまで悪人になれるのか・・・。多くの者は、善良な市民である。しかし、何かのきっかけで悪意を持つ者もいる。その悪意が持続しなければいいのだが、いつまでも恨み続ける者もいる。あるいは、悪意に凝り固まった者だって存在しているかもしれない。悪意の限界なんてあるのだろうか。できればあって欲しいと思う。底知れぬ悪意を持った人間なんて、できれば会いたくない。しかし、地獄の底へ行けばいくほど、その悪意は強くなっていくのだろう。 俺はその恐ろしさに、独り震えてしまったのであった。 俺は黒縄地獄の出口へ向かう道を歩きながら夜叉に話しかけた。 「等活地獄が軽い殺人・・・殺人にも軽いとか重いはないけど・・・を犯した者が行く地獄ですよね」 「あぁ、それと下の地獄から上がってきた者が、地獄を脱出するための最後の試験を受ける地獄でもある」 そう、等活地獄は、単に殺人の罪を犯した者が堕ちる地獄だけではなく、下の地獄から上がってきた者が、地獄から別の世界に生まれ変わるための試験を受ける地獄も兼ねているのだ。等活地獄での試験をクリアできれば、地獄から別の世界へと生まれかわるのである。 「で、黒縄地獄が、複数の殺人と死体損壊、強盗の罪を重ねた者が堕ちる地獄でしたよね」 「そう、その通りだ。強盗殺人やバラバラ殺人、複数の人を殺した者、そういう連中が落ちてくるのが黒縄地獄だ。しかも、地獄の刑罰の苦しみは、等活地獄の10倍となっている」 さっきまで見ていた黒縄地獄の刑罰の苦しさは、等活地獄の10倍もあるのだ。きっと、黒縄地獄から等活地獄へ上がった者は、随分楽に感じるだろう。 と、俺がそう思ったところ、 「いや、そうでもないよ。まあ、確かに初めは、このくらいなら耐えられる・・・と思うかもしれないが、すぐに苦しみを感じるようになるんだな。その点は、うまくできているさ。だから、この倍数は、上から落ちてきた者にとって、意味のあることなのだよ。たとえば、等活地獄で助け合うことをしなかったりした者は、下へ落ちてくるだろ。そういう連中にとってみれば、黒縄地獄の苦しみは、そりゃもう、大変なんだよ」 「あぁ、なるほど、この苦しみの倍数は、上から下へ落ちていく者への罰なんだ」 「そうさ。いきなり、黒縄へ落ちてきた者は、黒縄以外の苦しさを知らないからな。黒縄からさらに下に落とされて、初めて黒縄地獄の方がましだった、と気付く。そうじゃなきゃ、地獄を脱出したいと本気で思わないだろ」 そりゃそうである。どんどん下へ落とされることによって、反省を促すこともできるのだ。 「なるほど・・・そういうわけですか。じゃあ、次の地獄は、どういう名前でどんな罪を犯した者が堕ちるんですか?。で、黒縄地獄の何倍の苦しみなんですか」 一度に複数の質問した俺の顔を見て、夜叉は苦笑いをした。途中、鬼にすれ違い、俺たちは挨拶を交わしたりした。鬼たちは、「もっとゆっくりしていけよ」と言ってくれるが、さすがに地獄でゆっくりはできない。あんな悲惨なシーンは長くみられるものではない。よほどのスプラッター好きじゃないと無理だろう。あいにく俺はそんな要素は持っていない。仮の身体でなく通常の肉体ならば、吐きまくっているだろうし、気絶しているかもしれない。そん場所なのだ、地獄というところは。 「ゆっくりなんてしたくはないよな」 夜叉もそう言って苦笑いしている。 「次の地獄はな、衆合地獄(しゅうごうじごく)という名前だ。ここは、強姦魔、強姦殺人者が落ちる地獄だ。あぁ、不倫しまくって、夫や妻や周囲の者に多大なる迷惑や悲しみ、苦しみを与えた者も落ちてくることがある。まあ、簡単に言えば、性に乱れたあげく、大きな罪を犯した者が堕ちてくるところだな。で、その苦しみは、等活地獄の100倍だ」 「殺人を犯していなくても不倫だけで落ちてくる者もいるんですか?」 「あぁ、いると言えばいるなぁ・・・。だけど、よほどひどい不倫をしなければここまでは来ないけどな。たとえば、何度注意されても浮気しまくったやつとか・・・だよな」 俺は思い出していた。それは、あの裁判のとき、俺の後にいたあの浮気女のことだ。彼女は、夫に隠れて浮気をしまくっていた。その罪は深く重いと言われていた。本人も反省はしていた。地獄へ落ちても仕方がないと納得していた。もしかしたら彼女がいるかもしれない。 しかし、不倫だけで等活地獄の100倍も苦しむような地獄へ落ちるものなのだろうか?。殺人をしたわけでもないのに?。強盗をしたわけでもないのに?。ちょっと厳しすぎやしないだろうか・・・・。 俺の思考を読んで夜叉が言った。 「まあ、そう思うのは無理もないことだがな、不倫っていうのは、案外罪深いものなんだぜ。まず、夫や妻、子供、親がいるのものが不倫をした場合、夫や妻、子供、親とさらに周囲の者を騙さなければいけない。不倫は基本的に騙しなんだよな。それから、人目を盗まなければいけない。時間も盗まなければいけない。ま、一種の窃盗だな」 「なるほど、罪は深いかもしれませんねぇ。でも、その程度で地獄っていうのも、ちょっと納得できないなぁ・・・」 「まあ、待てよ。もちろん、不倫がバレなきゃ、地獄ってことはないだろうよ。まあ、餓鬼界か畜生道くらいかな。だがな、バレてしまったらどうだ?。多大なる迷惑が、広範囲に及ぶんじゃないか?。へたすりゃ、家庭崩壊だけでは済まないよな。それも、自分の家庭だけでなく、不倫相手の家庭も巻き込むよな。その影響は、広範囲で深い。で、これを複数回してしまえば、地獄も仕方がないかな、と思うよ」 そう言われれば、反論はできない、と俺は思った。どうやら、不倫で地獄へ落ちて来る者は、不倫でお互いの家庭を崩壊させるという行為を複数回行ったものらしい。一度の不倫では地獄に落ちることはないようだ。しかも、家庭崩壊しなければ、さらに地獄は免れそうだ。つまり、上手にバレずに不倫をしている者は、地獄は免れるのだ。いや、不倫が発覚したとしても、それが家庭崩壊に結びつかなかったり、それに懲りてやめたならば、地獄は免れそうなのだ。間違ってもらってはいけない。だからと言って、不倫していいと俺は思っているわけではない。ただ、あの浮気女のことが気になっているだけだ。 あの浮気女は、複数の浮気を繰り返していた。しかし、家庭崩壊は招かなった。浮気が発覚したのは、浮気中の死によってである。もっとも、それにより、彼女の夫は深く傷ついただろうし、恥もかいただろう。大きな迷惑も被った。が、夫も仕事に忙しく彼女の相手をしなかった、彼女を無視していたという落ち度もある。となると・・・。 「いったい何を考え込んでいるんだ?。気になる女でもいるのか?」 夜叉は、考え込んでいる俺の顔を覗き込んでニヤニヤしていた。チッ、俺の心を読めるくせに、わざわざそう言うことを言うか? 「いや、裁判の時にね、浮気を繰り返していた女がいて、その女が衆合地獄でしたっけ?、にいるかもな、と思ったんですよ。わかっているくせに聞くことないでしょう」 俺はムッとして答えた。夜叉はニヤニヤしている。 「よほどいい女だったのかな?」 ついに、夜叉は笑い出した。「おもしれぇ、死んでも恋愛感情は残るらしい」などと言って、笑っている。死んでも恋愛感情はありますよ、と俺は心の中で不貞腐れながらつぶやいた。 「おっと、黒縄地獄の出口だ」 夜叉が前を見てそう言った。その方向には、大きな門があった。鬼が二人立っている 「おや、もう行くのか?」 「あぁ、全部見たんでね。次へ行くんだよ」 確か、等活地獄の時は、道が左右に分かれていたはずだ。こんな門もなかった覚えがある。で、その道は、下の地獄へ行く道と地獄の上の世界へ生まれ変わる道とに分かれたいたはずだ。ここはどうなっているのだろうか。 「あぁ、ここはな、下へ落ちるものはこの門には来ないんだよ。ここは、上・・・等活地獄以上の世界だな・・・へ行く者が来る門だ。下へ行く者は、本当はここへは来ない」 「じゃあ、下へ行く者はどこから行くんですか?」 「下へ行く者は、直接行ってしまうんだな。ほら、走って逃げた奴いただろ?。あれも直接行ってしまったんだよ。地面に穴が開くんだな。で、そこから落ちるんだ」 なるほど、そういうことか。いきなり下へ落とされるのだ。ならば、我々はどうやって行くんだ? 「この門を出ると、等活地獄など上につながる道がありますが、その門の脇の出口から外に出ると下へ行けるんですよ」 鬼が快活にそう答えた。その門をよく見ると、門の大きな出入り口の外に、わきに通用門のような小さな出入り口がある。 「あれはね、鬼専用の通用門なんです。下から用事で来た鬼や下へ用があっていく鬼が使う通用門です」 なるほど、正規の出入り口は、下の地獄からここ黒縄地獄に上がってきた者か、上の等活地獄かもっと上の世界へ行く者が通る門なのだ。その時だった。門の正規の出入り口に鬼が一人やってきた。 「よぉ、新入りを連れてきたぜ」 その鬼の後ろには、人が二人連なってきていた。二人とも手枷がついている。 「下の衆合地獄からだ。よろしくな」 「はいはい、待っていましたよ。え〜っと、二人だったね。ふんふん、こいつらね。了解しました。ようこそ黒縄地獄へ。ま、下よりは少しは楽だから、ここでよく反省することだな。そしたら、また上に行けるからな。しっかり罰を受けろよ」 鬼は、下の衆合地獄から連れてこられたという罪人を二人受け取ると、彼らを黒縄地獄の奥へと連れていった。 「ま、こんな感じで罪人が移動するんだよ」 夜叉が解説を入れてくれた。 「こういうことはよくあるんですか」 「あぁ、しょっちゅうじゃないが、まああるよな」 夜叉は残っていた鬼に同意を求めた。鬼は、ニコニコしながら「たまにだけどね」と答えた。「で、たまにここからも出ていくよ。上へね」と続けたのだった。 「ま、そのための門だな、ここは。俺たちは、そっちの通用門を通る。さぁ、いくか」 夜叉はそう言って、門へと歩いて行った。俺もあわてて彼の後を追ったのだった。 通用門をくぐると、通用門の真正面で道が二本に分かれていた。右の道は上に向かっていた。左の道は下に向かっている。 「鬼用の道だからな。罪人には見えない。いわば、従業員用通路、といったところだな」 なるほど、地獄も鬼専用の通路があるのだ。そのほうが何かと便利なのだろう。 「さて、左の方、下へ向かって行くぞ」 夜叉はそう言うと、さっさと歩きだした。 ほんの少し歩いただけだと思う。ただでさえ暗い道なのだが、その暗い中に真っ黒な闇があった。その闇に夜叉が入って行ったので俺も続いて入って行った。すると、ちょっと明るいところに出たのだ。そこには、またまた大きな門があったのだ。 「さ、通用門へ向かうぞ」 夜叉はサクサクと進んでいく。通用門を開けて中に入ると 「おぉ、久しぶりだな。なんだ?、何か用か?」 と鬼が声をかけてきた。 「いや、今日は客人を連れているんだ」 夜叉は顎を俺の方へ振った。 「あぁ、噂は聞いているぜ。聞新だろ?。お前が案内係だったのか。ま、お前さんならうってつけだな」 鬼の言葉に夜叉は「やれやれ」といった顔をしている。鬼たちはニヤニヤ笑っていた。 「えへへへ。まあいいや。ようこそ衆合地獄へ、だな。聞新だっけ?、ここは結構楽しいぞ。黒縄地獄のようにひどくないからな。ま、楽しんでいってくれ。わははは」 夜叉は、うんざりといった顔をして、手をあげて「じゃあ、入るぜ」と言ってさっさと進んでいった。 「地獄が楽しいか?。あいつら、感覚が鈍っているな。まあ、地獄用に作られた存在だからな、仕方がないか。俺たちとは違うからな」 珍しく夜叉が愚痴言っている。俺が何も聞かないのに一人で話し始めた。 「お前は知っているかもしれないが、俺たち夜叉は、元々は悪鬼だ。人の肉を食らう存在だった。まあ、魔神と呼ばれて怖れられてもいた。それが、お釈迦様に諭されて、人を襲うことの罪深さを知ったんだな。それ以来、夜叉という存在は、全員お釈迦様を守護する存在へと変わったんだ。いわば、我々夜叉族は、お釈迦様を始め、一切の仏様、菩薩様の守護を担当するようになったのだ。それ以来、守護神とも言われるようになったが、守護神の中では一番下のランクだな。なので、地獄の番人もやらされたこともある。前にも言ったよな。しかし、いくら元は魔神だったと言っても、地獄の番人は辛い。あれは耐えられないな。俺たちでも精神的にやられてしまうんだよ。そこで、鬼たちが作られた。彼らは、この地獄へ来る連中に痛い目にあわされた被害者の怨念をもとにして作られている。被害者の恨みの思い、辛かったという悲しみ、復讐したいという思い、被害にあう瞬間の恐怖心などをもとに作ってあるんだ。だから、地獄の刑罰のむごさが平気なんだ。もっとも、思いをもとにしてあるだけだから、個人的な感情は全くないけどな。それはわかっている、わかっているんだが、あいつらの脳天気さを見ていると、時々遣り切れなくなるよ。確かに、刑罰を受けるような罪を犯したヤツらが悪いんだが、あまりひどい刑罰を見続けていると、次第に心が病んでくるってもんさ・・・。あっ、悪いねぇ、愚痴ってしまった」 「いや、まあ、地獄ですからねぇ。楽しい・・・っていうのは、不謹慎でしょう」 俺は何といっていいのかわからなかったが、さっきの鬼の言葉は、ちょっと引っかかっていたのは確かだったので、そう言ってみた。そう、確かに地獄の刑罰が楽しいっていうのは、いくら鬼でも不謹慎だろう。 「そうだよな。お前もそう思うよな・・・。ま、いいさ。確かに、ここは他の地獄とは刑罰がちょっと異なっているからな。興味がわくやつもいるんだろう。楽しいってことはないけどな。あぁ、被害者にとっては、すっきりするかもしれないなぁ・・・」 夜叉は渋い顔をしてそう言ったのだった。そして、その渋い顔のまま 「この衆合地獄で最も有名な刑罰は、『人切り樹林の罰』だろうな。まずは、そこから行くか。ま、愚かしい刑罰だよ。見ていると、うんざりするぜ」 と言ったのだった。 暗い道を進んでいくと、こんもりとした林のようなものが見えてきた。ときおり、その林の中からキラッとした光が見える。この暗闇の中、いったい何が光っているのか不思議だったが、まあ、地獄の世界であるから、何があっても今さら驚くこともあるまい。 夜叉は、その森の方向に真っ直ぐに進んでいた。 「森の木をよく見てみな。そのうちに見えてくるから」 夜叉にそう言われ、俺はぼんやりとしか見ていなかった森をしっかり見るようにした。すると・・・。 「あれ?、木の上に女の人がいませんか・・・。あれって、女性ですよね?」 俺が夜叉にそう問いかけると、夜叉は 「もっと近付くとよくわかるよ」 と言いながら、口の片方をあげて笑っている。さらに森に近付く。俺は、木の上を凝視した。 「あっ、あちこちの木の上に女の人がいますよ。しかも、ほとんど裸じゃないですか。っていうか、ちょっとエロくないですか?」 森の木々の上には、台のようなものがあり、その上にものすごく魅力的な女性が半裸の状態で座っているのだ。で、下を向いて何か言っている。木の下には、パンツ一枚の男が立っていた。一本の木の上に一人の女性がいて、その下に一人の男がいるのだ。よく見てみると、女性は、半裸の女性もいれば、制服を着た女子高生風の女性もいる。なんと、子供・・・女の子・・・もいるのだ。 「よく耳を澄ませてみな。あの女たちが何を言っているかわかるから」 夜叉に言われた通り、俺は耳に神経を集中してみた。すると、いろいろな女性の声が聞こえてきたのだ。 「ねぇ、はやく上がってきてよ。私を抱いてぇ・・・」 「おじさん、遊ぼうよ。今なら、サービスするわよ」 「おじちゃん、何をするの?。怖いことはしない?」 「嫌よ、来ないでよ、いい?、その木は登っちゃダメだからね」 「やめて、やめて、来ないで、助けて、誰か助けて!」 「おかえりなさいませ〜ご主人様〜、はやく登ってきてくださいませぇ」 女性たちは、それぞれ、いろいろなことを言っていた。 「下に立っている男のエロ心をくすぐるように、木の上の女たちは男に言っているんだよ」 「なるほど・・・。女子高生が好きな男には女子高生が誘っているんですね。ロリコンの男には小学生の女の子が・・・ってわけだ。男が木を登ってくるのを拒否している女性は・・・」 「強姦することにしか興味を抱かない男を誘っているんだ。さて、ニヤニヤした男どもは、もうそろそろ木を登りはじめるぞ」 夜叉が言ったとおり、木の下にいたパンツ一枚の男たちは、興奮した様子で一斉に木を登りはじめた。その木は、それぞれ登りやすいように手や足をひっかける枝が付いていた。 「これが・・・刑罰ですか?。意味がわからないなぁ・・・」 「ま、見てなよ。初めはスイスイ登れるんだがな、そのうちに悲惨なことになるんだよ」 夜叉は、唾を吐くような口調でそう言った。見るのもうんざりだ、と思っているようだ。 男たちは木の葉の中に入って行く。その時、木の中で何かがキラッと光った。その途端・・・ 「ギャー、いってぇ〜。何だこりゃ!」 と男たちが叫びだした。男たちは、いつの間にか頭や顔、手や身体から血を流している。中には、「痛って〜」と叫びながら落ちてきた男もいた。その男は、全身血だらけになっていた。そいつは「くっそ〜」と言いながら、再び木を登りはじめた。身体中に傷を受けながら、血を流しながら、痛い思いをしながら、その男は木を登っていくのだ。 「そう言うことか・・・」 「わかったか?。悪趣味な刑罰だろ?。誰が考えたんだか・・・。ま、最後まで見ていきなよ。登るだけじゃないから」 男たちは、眼を血走らせ、興奮した状態で木を登っている。「ぎゃー、痛い!、うおー」と叫びながら。 「ぎゃー」というひときわ大きな叫び声が聞こえてきた。次の瞬間、その叫び声が聞こえた木の上から腕が一本落ちてきた。 「うわっ」 俺は思わずのけぞってしまった。 「片腕が落ちても、登ることを止めようとはしないんだよ、アイツらは。腕がないことには気が付いているんだろうけどな」 腕をなくした男は必死の形相で木を登っている。向こうの木で大きな叫び声が聞こえてきた。すると、今度は足が一本落ちてきた。 血だらけになりながらも、腕や足を落としながらも、男どもは女が待っている木の上の台に登ってきた。 「あははは、待たせたな。今可愛がってやるからな」 頭も顔も血だらけ、身体も血だらけの男が女性に迫る。まるでホラー映画だ。気持ちが悪いことこの上ない。女がそれぞれ答える。 「早くしてよ」、「優しくしてね」、「やめて、来ないで、きゃー」、「怖いよー、おじちゃん怖いよー」・・・・。 男が飛びかかる。その途端女たちは消えていた。台の上で女を探す男たちは、身体中の痛みに気付いたのだろう、一斉に「ぎゃー、いてぇよ〜、助けてくれー」と叫び始めた。 「ここからは見えないけど、台の上、その床からは針が付きだしているんだよ。男どもは、女に飛び掛かった途端、針の床に転がるって仕組みになっているんだ。そうだな、あぁ、あの丘に登るか。あそこからなら、全体が見える」 夜叉と俺は、小高い丘の上に昇ったのだった。 丘の頂上から見ると、確かに男たちが台の上でのた打ち回っていた。しかし、転がれば転がるほど、床の針が身体を突き刺す。これは苦しいだろう。一気に殺されるのではないのだ。男たちは死ぬまで針の床を転がっていることになる。 しばらくして大きな針が突き出た。その大きな針の先には突き刺された男の死体があった。 「うっ、ちょっと・・・エグイですね・・・。これは・・・ひどい」 「あぁ、針の床で散々痛い目にあった男は、最後は、木の先端が突き出て刺されるんだ」 「あぁ、あれは、木の先端なんですか。それにしても鋭利ですねぇ」 「ところが、これで終わりじゃないんだな」 「えっ?、やっぱりまた生き返るんですか?」 「まあ、そういうことだな」 夜叉は、大きなため息をついて冷ややかな笑いをしたのだった。 ほんの数分くらいがたっただろうか、うめき声が聞こえてきたのだ。 「うぅぅぅ、助かった・・・」 男たちを貫いていた木の先端はいつの間にか縮んでいた。そのため、男たちは台の床に戻っていたのだ。しかも、台の床の針もなくなっていた。いや、それだけではない男たちの傷も治っていたのだ。なくした腕も足も戻っている。つまり、元の姿に戻っているのだ。これが地獄の仕組みである。 「元に戻った。そしてまた刑罰が始まる。それが延々と繰り返される。罪人が自分の愚かさ、罪に気が付き、心から反省するまでな・・・。これが地獄なんだよ」 俺は、あらためて地獄の恐ろしさを知ったのだった。 復活した男どもは、台の上から下を見ている。なんと、木の下には、さっきまで台の上にいた女たちがいたのだ。 「何やっているの?。私はここよ〜」 「おじさん、大丈夫?。折角あたしが下りてきてやったのに。もう、早くこっちに来てよ」 「おじちゃん、遊ぼうよ」 「あんたバカじゃない?。私とヤル気あるの?」 「あぁ、助かったわ。こっちにこないで!」 女たちは、それぞれそう叫んで男たちを誘っていた。その声を聞いた男たちは 「なんだよもう、折角登ってきたのに、今度は下かよ。待ってろよ、今すぐ行くからな」 などとニヤニヤしながら言っている。それが罠だとも知らずに・・・。否、知っているのか。知っていても我慢できないのだ。そういう罰なのだから・・・。 男たちは一斉に木を降りはじめた。そして、叫び始める。「ギャー、いてー、ぐわー」と。腕や足が落ちてくる。中には、飛び降りる男もいた。そういう者は、途中の刃物の葉っぱで、ズタズタに切り刻まれていた。下に落ちた時には、腕も足もなかった。腹は切れ、内臓が飛び出していた。首が皮一枚でつながってぶら下がっている。首をぶら下げ、足の付け根で立って、腕のない腕を突き出し、女に迫っていく。しかし、その時には女性はもういないのだ。地面に倒れ込んだ途端、地面から先端のとがった根っこが突き出て、その男の身体を突き刺した。ものすごく大きな叫び声をあげ、男は絶命した。 「ひょっとして、あれを繰り返すんですよねぇ」 俺はつぶやいていた。 「あぁ、そうだ。愚かだろ?」 「今まで見てきた刑罰で、最も愚かで、バカバカしい刑罰ですね。しかも、悲しい刑罰だ・・・・。男ってバカですねぇ」 「あぁ、男はバカだ。あんな目にあっても女を追いかける。まあ、そんなことをする愚かな男は、ほんの一部だけどな。その一部の男が犯罪を犯し、ここにきているんだ。あぁ、ちなみに、この刑罰の女性用もあるからな」 その言葉を聞いて、俺は思わず言葉に詰まった。そして、夜叉の顔を見た。 「そう驚くなよ。女性だって性的犯罪を犯すだろ?。浮気を繰り返す女だっているしな」 「ま、確かに・・・」 しかし、愚かだ。鋭い刃物がついた葉っぱに身体や腕・足を切り刻まれながら、自分の好みの女を手に入れるため木を登る。そして、その木を登りきったらお目当ての女はいなくて、針に突き刺される。最後は木の先端が伸びて串刺しになるのだ。で、しばらくしたら生きかえって、今度は木の下にいるお目当ての女性を追いかけ、木を降りるのだ。また身体は切り刻まれ、腕を落とし、足を切られ、首まで切られて血を流しながら必死に女を追いかける。壮絶な痛みに耐え、死にそうになりながらもお目当ての女性を犯さんが為に木を上り下りする。バカバカしい。途中で気が付かないものなのか。この木を登っちゃダメだ、って気が付かないのだろうか・・・? 「いや、気が付くんだよ。そりゃそうだろ。あんな痛い思いをするんだ、気が付かない方がおかしい。しかしな、これは罰なんだ。ヤツラが犯した罪を償うための罰なんだよ。気が付いたから止めます・・・てなわけにはいかないんだよ」 「えっ?、ということは、あれは半ば強制的なんですか?」 「半ばも何もない。強制的さ。喜んで木に登るのは、最初だけだよ。降りるときには、身体が勝手に動いているんだよ。ヤツラだって、あんな痛い思いをしてまで性行為をしたくはないだろう」 夜叉は吐き捨てるようにそう言った。 「嫌がる女性を無理やり犯し、いたぶり、弄び殺してしまった・・・。あるいは、浮気を繰り返し、その挙句のはて追いすがる女が邪魔で殺してしまった・・・。あるいは、子供をいたぶり、性的虐待をして殺した・・・。性的犯罪はいろいろあるけど、その罪の深さを心から反省し、自分が悪いと心から思えるようになるまで、アイツらは木を登り降りさせられるんだよ」 我々が立っている丘の下では、その時も男たちが叫び声をあげながら木を登っていた。「ぎゃー痛い」という叫び声が、「助けてくれ、登りたくない、やめてくれ、助けてくれ、ぎゃー」という助けを請う叫び声に、いつの間にか変わっていた。登りたくなくても登らされてしまう。身体を切り刻まれながら、何度も何度も刃物の葉っぱがついた木を登り降りさせられるのだ。 そこに鬼がやってきた。 「ほう、助けて欲しいのか?。なんだ、木に登りたくないのか?。そんなことはないだろう。木の上には、お前たちが望んだ女性がいるんだぞ。あの女性を犯したいんだろ?。なら、頑張って木を登れよ。ほら、ほら、さっさと登れ!」 鬼は罪人の連中をけしかける。罪人は、「イヤだイヤだ。登りたくない」と泣き叫びながらも木を登っていく。 「いいか、お前らが犯した女性も、イヤだイヤだ、助けてくれって言わなかったか?。それなのに、お前は助かりたいのか?。それはズルいんじゃないか?」 鬼は、ニヤニヤしながらそう言った。そして、一人の男を手に持った槍でつつきながら 「おい、お前。さっさと登れよ」 といたぶっている。槍でつつかれた男は、枝にしがみつきながら「イヤだイヤだ」と首を振り続けている。気の弱そうな陰気くさい男だった。 「おい、お前、お前はさぁ、そうやって嫌がる子供に何をした?。性的虐待をしただろうが。嫌がる小さな子供に、お前は何をしたんだっ」 鬼はそう叫ぶと、男の股間に槍を突き刺した。 「ぎゃー」 喉が裂けるような声をあげて、男は木を登りはじめた。登らなければ鬼の槍で股間をつつかれるのだ。しばらく登ると、男は木にしがみつきながら「許してください、許してください」と泣き出した。鬼はその男の様子にキレたようだった。 「お前がやったことの方がひどいんだぞ。お前は大人だが、お前が犯した相手は子供だぞ。それも何年にもわたってだ。で、子供が大きくなってきて反抗するようになったから殺したんだろ?。ひどい奴だ。いいか、お前はこの刑が終わっても、次があるからな。この刑だけで許されると思うなよ!」 鬼はそういうと、槍をその男めがけて投げつけたのだった。槍は男の肛門あたりに突き刺さったようだ。ものすごい叫び声をあげ、男は木を登りはじめた。ケツの穴に刺さった槍をぶら下げて、男は血まみれになりながら木を登っていく。耳が削げ落ちた。腕が片方切れかけてぶら下がっている。それでも、男は木を登っている。登りきったところにいたのは、きっと自分が殺してしまった子供なのだろう。その子を見て男は大声で叫んだ。するとその子が、 「うるせぇんだよ。死ねよ、クソオヤジ」 と言って叫ぶ男の口に木の枝を突き立てたのだ。男は叫ぶこともできなくなり、木の上の台でふらふらしていた。次の瞬間、木が伸びてきて、男を突き刺した。男は、口に木の枝が刺さり、肛門には槍が突き刺さった状態で木に胴体を突き刺されたのだ。 「惨めだねぇ。自分の子供を長いあいだ性的虐待してたんだねぇ。で、挙句の果てに子供を殺してしまった・・・。そのあと、死刑になったのかな。ま、現世での刑罰なんて、軽すぎるから、あの男だって反省なんてしなかったんだろうな。ここは現世ほど甘くはないからな。心から反省するまで、あれは続くんだよ」 「でも、そのあともあるとか・・・って鬼は言ってませんでしたか?」 「あぁ、あの子の恨みが相当深いんだろうな。心から反省をして、この木の刑が終わっても、本当に反省しているかどうかを確かめられるんだろうな。ま、子供を性的虐待するようなヤツだ。仕方がないだろうな」 夜叉はそういうと 「人間って、本当に愚かだよな」 と小声でつぶやいたのだった。そして 「これが『人切り樹林の罰』だ。この衆合地獄のメインの刑罰だ」 それは、思いきり後味の悪い刑罰だった。 つづく。 |