あの世の旅

第2部 六道輪廻編

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夜叉に促され、俺は椅子に座って見渡した。そして驚いた。何とそこは、円形の競技場のようになっていたのだ。ただし、観客席はそんなに多くはない。競技場をぐるりと3列の客席で取り囲んでいる程度だ。観客席の一部・・・ちょうど俺たちの真正面・・・は客席はなく、大きな鉄の壁になっていた。いや、おそらくそれは扉なのだろう。きっと左右に開くようになっていると思われる。円形競技場の直径は20メートルほどであろうか。
客の入りは少ない。客と言っても、鬼である。我々の外には、数人の鬼が客席に座っていた。
「昔はな、鬼だけじゃなく、夜叉とか・・・俺たちの仲間な・・・、羅刹なんかも見学に来ていたんだよ。あぁ、たまに天界からも見学者があったなぁ・・・。今では、こんなに少なくなってしまったか。まあ、開催される回数も減ったんだろうな・・・」
夜叉が昔を思い出したのか、そう話してくれた。
競技場の中央には、大きな丸い鉄板が置いてあった。鉄板の直径は8メートルほどか。その丸い鉄板には、八方に1メートルくらいの棒がくっついていた。その棒ののすぐ横に、背丈が3メートルくらいはありそうな大きな鬼が立っていた。そう、同じ体型の鬼が8人いたのだ。
「これより焦熱地獄からの昇格試験を行う」
どこからか、声が流れてきた。
「全員、担げ!」
その声にあわせて、競技場の中にいた大きな鬼が鉄板を担ぎ出した。八方に突き出ていた棒は、丸い鉄板を鬼たちが担ぐためのものだったのだ。8人の鬼たちは、鉄板を担ぐと
「エイエイオー」
と掛け声に合わせて鉄板を上げ下げした。
「よろしい。では、罪人を投入する」
すると、俺たちの正面の鉄の壁が左右に開かれた。やはり扉だったのだ。そこから罪人が出てくるのだろう・・・と思っていたら、そこから出てきたのは、巨大な鬼であった。
その鬼は、屈みながら扉から出てきた。競技場に出てきて背を伸ばすと、両手を突き上げ
「うぉー」
と一声叫んだ。背丈は、10メートル以上はあるのではないか。
その鬼が、自分が出てきた扉の方に手を入れた。そして振り返る。巨大な鬼の手には、罪人たちが握られていたのだった。
7人の罪人たちは、巨大な鬼の両手でつかまれていた。鬼の手の中から抜け出そうともがいている罪人もいれば、ぐったりとしている罪人もいる。鬼は、高々と両手を頭上に上げると、
「わははははは」
と笑いながら、彼ら罪人を鉄板に投げつけたのだった。

7人の罪人たちは鉄板に投げつけられた途端、
「熱い、あちー」
と叫びながら立ち上がった。すると、「それ!」という掛け声があり、鉄板の棒を担いだ鬼たちが
「猫じゃ猫じゃ、猫猫じゃ」
といいながら、鉄板を上げ下げしつつ、廻り始めたのだ。
「あの鉄板は、下からのものすごい炎で熱せられているんだ」
夜叉が隣でそう教えてくれた。
「つまり、あの鉄板は、フライパンのようなもの・・・ということですか?」
「そういうことだ。フライパンで生きたまま人間を焼いているわけだな」
恐ろしいことをさらっと夜叉は言ったのだった。
「で、あの掛け声に合わせて、鉄板を上下するんだ。罪人たちは、鉄板の上で転げまわる。まあ、むごたらしい刑罰と言えば、そういえるかもな」
「確かに、ちょっと見ていられないくらいですよね。全員裸ですし・・・」
そうなのだ。罪人たちは「熱い、助けて」などと叫びながら鉄板の上を転げまわっている。身体のあちこちが焼けただれて血が噴き出していた。しかし、これはこの焦熱地獄を出られるかどうかの試験であったはずだ。この刑罰のどこが試験なのだろうか?
「これのどこが試験なのか?、と思っているだろう?。まあ、見ていなって。そのうちにわかるから」
夜叉がそういうので、俺は悲惨な「猫じゃ猫じゃ」の刑に目をむけた。しかし、むごい。鬼たちの「猫じゃ猫じゃ猫猫じゃ」の掛け声も、また不気味である。
そのうちに、罪人同士で掴み合いが始まった。罪人が罪人の上に乗ろうとするのだ。なるほど、熱は下からだけである。一人の罪人が別の罪人の上に乗ってしまえば、その罪人は熱くないのだ。ただ、鉄板が上下しているため、なかなかうまく上に乗れないのだ。しかし、そうこうしているうちに、一人の罪人が二人の罪人掴まれ、殴られたり蹴られたりしている様子が見られるようになったのだ。そんな塊が2つ出来上がった。3人で殴り合いになっているグループ、4人で殴り合いをしているグループだ。3人のグループの一人が倒れた。倒れた途端、「ぎゃー」と叫び声をあげ、同時に肉が焼ける音と匂いがしてきた。一人が倒れた罪人の上に乗る。もう一人が「俺も乗せろ」と叫び上に乗った罪人に掴み掛った。
「やめろ!、お前が乗ったら俺が落ちるだろ!。来るな」
上に乗った罪人は、掴み掛ってきた罪人を蹴った。蹴られた罪人は後ろにひっくり返った。その途端、もう一方の殴り合いをしていたグループの中から一人の罪人が飛び出てきて、
「やった、ラッキーだぜ。は、人間サーフィンだ!」
と叫んで倒れた罪人の上に乗ったのだった。乗られた方は、ものすごい叫び声をあげ、上に乗った罪人の足をつかんだ。
「やめろ!。こけるじゃねぇか」
人間サーフィンだ、と叫んで上に乗った罪人は、足をすくわれ鉄板に転がった。その途端、今まで下にいた罪人が上に乗る。上下が入れ替わったのだ。
「ぎゃー、あついー、助けてくれー」
「うるせー、お前は下になってろ」
上に乗った罪人は、転ばされないように下の罪人に寝たまま覆いかぶさるような形をとった。腕や足の一部は鉄板で焼けてしまうが、他は助かるのだ。うまいやり方である。これなら、自分が下になることはないだろう。が、下の罪人も黙ってはいない。鉄板に張り付いた背中の肉を「ぎゃー」と叫びながら無理やりはがし、起き上がろうとしたのだ。二人はつかみ合ったまま、鉄板の上を転がっていった。

「わかりました・・・。これが試験だという意味がわかりましたよ」
俺はそうつぶやいた。
「わかったか・・・。これはかなり難しい試験だろ?」
「難しいですよ。この分では、彼らは全員不合格です。いや、そりゃ無理でしょ。合格者なんているんですか?」
俺の問いかけに、夜叉は「うーん」と唸ると
「まあ、いるんだよなぁ。少ないけれど。ただし、自力で合格した者はいないだろうな」
と言った。
「自力で合格した者はいない?・・・あぁ、そういうことですか。供養の力ですね?」
「そうだ。子孫か縁者か、それは知らないが、誰かが定期的に、しかも結構長い年月、その者の供養をしてくれる場合がある。そういう場合、そいつは正解を導き出せるのさ」
「そうか・・・供養の力か・・・。それがあれば、合格できるんだ。この試験の合格は、犠牲になることですね?」
「あぁ、そうだ。率先して自分が犠牲になる。それが正解だ。ああやって、掴み合い、殴り合いして、自分一人だけでも助かろうと、他の者の上に乗ろうとあがいているヤツは、不合格だな」
「ということは、今回は全員不合格ですね」
「あぁ、全員このまま焼かれて終わりだ。そろそろ終焉だな」
夜叉がそういうと、鬼たちの掛け声が早くなった。それと同時に、鬼たちは走って回っている。鉄板の上げ下げも早くなった。罪人たちは掴み合いどころではなくなっている。鉄板の上で転げまわったり、跳ねたりしていた。
「油を投入」
そう声がかかると、あの巨大な鬼が鉄板の上から油を注いだ。すぐに鉄板の上の罪人たちは焼けはじめた。炎に包まれた罪人たちが狂ったように鉄板の上で跳ね回り踊っている。それは、鬼の「猫じゃ猫じゃ」の掛け声に合わせているかのようだった。鉄板の上で、鬼の掛け声に合わせて炎に包まれた罪人たちが、両手を上につき上げ、踊っているのだ・・・。

やがて、すべてが灰になった。鬼たちは鉄板を下した。すると、灰が次第に元の罪人へと戻っていく。鉄板の上に7人の裸の罪人が現れた。罪人は蘇るとすぐに真っ赤に熱せられた鎖で縛られた。罪人たちは苦痛に叫び声をあげた。そんな叫び声は無視され、鬼は大きな声で罪人たちに告げた。
「お前らは全員不合格だ。もう一回、炎の金鎚で叩かれてこい!」
罪人たちは鬼に連れられ競技場を出て行ったのだった。観客の鬼たちも競技場を出ていった。俺と夜叉は、しばらくそのまま座っていた。なんとなく立ち上がる気がしなかったのだ。
「この試験にはいわれがあるんだ」
夜叉が話し始めた。俺は黙って聞くことにした。
「昔々の話だ。何千年も前のことだ。ある平和な国があった。その王様は人々思いの、すぐれた国王だった。しかし、その王様には一つだけ悪い趣味、楽しみがあったのだ。それは、大きな丸い鉄板を8人の屈強な男で担ぎ、火であぶり、その鉄板の上に猫を10匹ほど放す・・・という趣味だ」
その話に俺は「えっ?」という顔をしたのだろう、夜叉は
「そうだ。この試験と同じだな。罪人が猫になっただけだ。いや、元は猫だったんだな」
とうなずきながら言った。
「あぁ、それで『猫じゃ猫じゃ猫猫じゃ』なんですね?」
「そうだ。その掛け声に合わせて鉄板を上下させながらグルグル回るんだ。全く同じだな、この試験の刑罰と。その王様は、鉄板の上で熱さに跳ね回る猫を眺めるのが楽しみだったんだよ」
「なんとまあ・・・悪趣味な・・・」
「そうだな。他のことは優れているのに、その趣味だけが悪かった。その罪で、その国王は、ここにやってきたんだ。国王だけじゃない。鉄板を担いでいた者、国王を諌めなかった側近などもこの焦熱地獄に落とされた。で、彼らは同じ刑罰を受けることになったのだ。猫がされたことを国王たちがされることになったんだな。そう、それがこの刑罰の始まりだ。まあ、待て。話には続きがある。国王たちは、何度もこの刑罰を受けた。鬼たちは、『お前らのしたことの罪の深さがわかるか?。猫の苦しみがわかるか?』と何度も説いた。そのうちに・・・何回目かの刑罰だったか忘れたが、刑が始まる前に国王がこういったんだ。
『ちょっと待ってくれ。わしがこの刑罰を受ける理由はよくわかる。猫を集め、鉄板で焼いたのはわしだからな。猫が焼けて踊る様を楽しんだのは、このわしだ。鉄板を担いだ者たちは、わしの命令に従っただけだ。わしと一緒に猫が踊る姿を見て笑っていた側近たちは、本当は喜んではいなかったであろう。本当はイヤイヤだったのだろう。しかし、わしを諌めるようなことを言えば、処刑される。嫌な表情をすれば、立場を失い、国外追放になる。そう思って、わしを諌めることをしなかった。それは、すべてわしが悪いのだ。わしは、名君などと国民に言われて自惚れていたが、とんでもない暴君だったのだ・・・。すべてはわしが悪いのだ。だから、この刑罰を受けるのはわし一人でいい。他の者は助けてやってくれ』
とな。しかし、鬼は聞き入れなかった。『そういうわけにはいかない。みんな平等に罪を犯しているからな』と鬼はいい、国王の願いは聞き入れられなかった。しかし、刑罰が始まると、国王はすぐに鉄板に大の字に寝そべり、『みんなわしの上に乗るがよい。さぁ、わしを踏みつけ、みんなで支え合うのだ。そうすれば、鉄板がどう動こうと落ちることはない。わしは、絶対に身動きしないから、安心して上に乗るがいい』と言ったのだよ。その言葉を聞いた部下や側近たちは、『国王が寝そべるなら我らも』と言って、全員寝転がったんだ。そうして、彼らは叫び声一つ上げずに、鉄板の上で寝転がったまま、焼け死んだ」
「それが正解だったんですね」
「そういうことだ。国王とその部下や側近たちの覚悟が本物であったため、彼らはそのまま天界へ生まれ変わったんだよ。まあ、見事な覚悟だったからな」
「ということは、もし、あの罪人たちも、その国王と同じようにすれば・・・」
「あぁ、一つ上の地獄どころか、天界までストレートに行けるさ。ま、そこまでできる者はいないけどね。今までで合格した者は、静かに座っていたよ」
「座って・・・?」
「あぁ、鉄板の上で座禅をしていたな。誰が上に乗ろうが、踏みつけようがお構いなく、叫び声をあげずに苦痛と熱に耐えていたな。まあ、顔はゆがんでいたがな、叫び声はあげなかったな。静かに、座り続けて焼け死んだな。そのものは、ここを出られたんだよ」
「なるほど・・・。そういうことだったんですね・・・」
「ま、猫焼いた国王への刑罰以来、この焦熱地獄を脱出するための試験に採用されたんだ。それまでは、炎の中の鬼ごっこだけだったんだけどね、こっちの方がより試験らしいし、その国王が立派だったからな、敬意を表して残したんだ」
「う〜ん、国王としては喜んでいいのか悪いのか・・・。まあ、戒めにはなるのか・・・」
しばらく二人は黙って競技場を見つめていた。そこには誰もいず、冷え切った丸い鉄板が置かれているだけだった。かつて、その上で焼かれた国王。その国王も生きているとき同じように猫を焼いたという・・・。因果は廻るものなのだ。罪を犯せば、同じように苦しむのだ。たとえその相手が人でなくても、動物であっても・・・だ。

「ふ〜」
大きなため息をつくと「行くか?」と言って夜叉が立ち上がった。俺も
「そうですね」
と立ち上がる。そして俺は
「次へ行きましょう。もうここはいいでしょう」
と言ったのだった。夜叉はうなずくと、黙って競技場の階段を下りて行ったのだった。
しばらく歩くと、門が見えてきた。
「おぉ、夜叉殿と聞新殿!。もうお帰りですか?。あぁ、次の地獄ですな」
「あぁ、次へ行くよ。猫じゃ猫じゃも見学できたからな」
「そうですな。わははは。あれは久しぶりでしたから、ちょうどいいタイミングでしたな。わはははは」
相変わらずのノー天気な鬼である。大声で笑って俺たちを見送ってくれた。
「くれぐれも道を間違えないように。左に折れてくださーい」
鬼は俺たちの後姿にそう叫んでいた。夜叉は苦笑いしながら、「さぁ、次は大焦熱地獄だ」と言って先に歩きはじめたのだった。


どこも同じ風景だ。薄暗い中に大きな門が立っている。その門には、鬼の門番がいる。そして、その鬼はノー天気だ。
「おぉ、これは夜叉殿と物好き聞新!。お待ちしていましたよ。ようこそ大焦熱地獄へ」
満面の笑顔で・・・鬼の笑顔なんぞ決してかわいいものではない。子供用の鬼の面やCMの笑った鬼の顔に様にはならない。鬼の笑顔なんぞ不気味なだけだ・・・彼らは我々を迎え入れる。毎度おなじみのパターンだ。そして、自分の担当する地獄がいかにすごいかを自慢するのだ。
「やぁ、ここはすごいですぞ。なんせ大焦熱地獄ですからな。上の焦熱地獄とは比べ物にならないくらいの刑罰が待っております。愚かな人間どもがどうなるか、とくとご覧ください」
話し方が妙に大袈裟というか時代がかった鬼の言葉に苦笑いしながら夜叉が言った。
「あぁ、そうだよな。大焦熱地獄は焦熱地獄の数百万倍の熱量だからな。焦熱地獄の火を・・・そう小さなローソク一本の火を現世に持って行ったら東京都心は丸焼けだ、といったろ?。だが、ここの火ならば、都心どころか日本全土が丸焼けだ。そのくらいここの熱量は激しいんだよ」
夜叉が解説を加えた。時代がかった鬼は大きくうなずき
「聞新さんも気を付けてくだされ」
と声をかけてきた。俺はうなずきながら夜叉に続いて大焦熱地獄の中に足を踏み入れたのだった。

「熱い!。おかしい、熱に対して自動に防御が働くんじゃないんですか?」
俺は弥勒菩薩の力が封印してあるという手形をとりだし、そう唸った。
「あ、その前に言っておきます。変なポーズやセリフは無しですからね」
どうせ夜叉のことだ。また俺にアニメのようなセリフを言わすに違いないと思ったので、先に釘を刺しておいた。夜叉は「チェッ」という顔をしながら
「ま、お前さんがどれほどお人好しでもさすがにもう引っかからないよな。ちょっとつまらんが、やることは同じだよ。熱に対応してくださいと祈ればいい。それをカッコよく言えば、『スーパーオートガード・スイッチオン!』ってなるんだけどね」
夜叉はニヤニヤしながらそういった。俺は熱さ・・・そう暑さではない熱さだ・・・に耐えながら、熱に対応するよう願った。すると、手形が一瞬光り輝くと同時に熱さを感じなくなったのである。
「焦熱地獄のガードでは耐えられないほど熱い・・・ということを教えてくれているわけですね」
俺がムスッとして言うと、夜叉は澄ました顔で言った。
「さすがに親切だな、弥勒菩薩様は。経験はすべてに勝るものだ」
「経験しなければ熱さもわかりませんからね!」
俺はちょっと不貞腐れてそう言いかえした。どうもおかしい。弥勒菩薩様と言えば、慈悲の塊のような菩薩様だ。本来ならば、いちいち熱に対する対応を祈らなくても全自動で対応できるはずだ。そもそも夜叉は何度も俺に「オートガードオン」というような恥ずかしいセリフを言わせているではないか。どうもおかしい。新しい地獄へ来るたびに設定しないといけないというのは、オートではなくてマニュアルだ。これはどうやら、夜叉と先輩のじいさん坊主に騙されているようだ。
「俺は知らんぞ。何も聞いていない」
俺の心を読んだのか、夜叉は、俺が文句を言う前にそう言った。
「何を考えているのかしらんが・・・知っているが・・・俺は親切に教えてやっているじゃないか。それに地獄の熱のすごさを体感するのも必要なことだろ?。下の地獄へ来るたびに熱さを感じるのだから、地獄は下へ落ちれば落ちるほど苦しいということがよくわかるじゃないか。何事も体験だしな」
夜叉の言葉に俺は何も反論しなかった。ムカつくが、夜叉の言うことは正論である。なので、ふて腐れながらもそのことには触れずに
「こんなクソ熱いところには、どんなヤツが落ちるんですか?」
と尋ねた。夜叉は「ほう」というと、ニヤッと笑って
「ここはな、放火犯がやって来る場所さ」
と言ったのだった。

「放火犯と言ってもいろいろですよ。単なる放火だけもあるし、放火殺人もある。連続放火魔なんてのもいる。連続放火魔の中には、大した火も上がらずに終わる者もいる。それら全部をひっくるめて大焦熱地獄っていうのは、ちょっと不平等じゃないですか?」
「うん、まあ、そうなんだが、しかし、火は神より授かりしものだからな。それを犯罪に使うような者は、平等に火の神への冒涜だからな。だから大焦熱地獄なんだよ。ただし、犯した罪の重い軽いはあるからな。それは罪に応じて刑罰の重さも変わるさ。ただ、熱さだけは平等だ。それは大切な火を弄んだという共通の罪によるものだ」
そういうことだったのか。俺は納得がいった。基本的に火による犯罪を犯した者は大焦熱地獄へ落とすのだ。その中で犯罪者が犯した罪の軽重により刑罰も変わってくるということなのだ。なるほど・・・意外に合理的ではある。
「放火犯というのは、ちょっと特殊だな。だから、ひとまとめにしたんだよ。ただし、ここに来るのは火を弄んだ者だ。故意による放火だな。悪意のない失火の場合は、こことは関係はない」
そりゃそうだろ。事故で火事を出してしまったものまで大焦熱地獄に来たのでは、割に合わない。失火をしてしまった者は現世ですでに苦しんでいるのだから。普通は、誰だって火なんぞ出したくはないのだ。火事で財産をなくしたいなどと望む者はいないのだ。
「そう、だから放火は特殊なんだよ。特殊で罪が重い。いたずらのつもりの放火でも大きな火事になり、犠牲者が出ることだってある。たまたま運がよく大きな火にならずに済んだ・・・ということもある。そう考えれば、放火をするヤツは
どいつもこいつも平等に特殊だ、ということになるわけだ。だから一律に大焦熱地獄なんだよ」
それはよくわかった。ならば、放火の罪の度合いによって、どのように刑罰がなされているのであろうか?。俺の考えを読んだ夜叉は、指をさしながら言った。
「それは、順番にここの刑罰を見ていけばわかるさ」
夜叉が指を刺した方向には、「順路」と書かれた標識があった。
「いや、それはないでしょうよ。それは・・・冗談でしょ?」
「ここの鬼は、親切なんだかノー天気なんだか・・・・」
夜叉は苦笑いしながら俺の顔を見た。
「ここの鬼、全部を見て欲しかったんですね。しかも、ここの仕組みを知って欲しかったんですね」
俺がそういうと、夜叉はうなずきながら「仕事熱心だよな」と言ったのだった。

大焦熱地獄の鬼のおかげで、俺たちは放火でも軽い刑罰から順にみることが出来るようだ。全く親切な鬼たちである。しかし、「順路」はないように思う。せめて番号をふっておくとか・・・あぁ、意味は同じか。ま「順路」の方がわかりいいだろう。
「まずは、単純な連続放火魔の刑罰だ。こいつらは、火を見るのが好き、燃えているのを見てあわてている人間を見るのが好き、消防車がやって来るのが楽しい・・・などという愉快犯が大半だ。火をつける場所は、つけやすい場所、というだけだ。被害者に恨みがあるわけでもなく、仕返しというものでもない。単に己の欲求を満たすために火をつけた連中だな。だから、この地獄の中では一番刑罰は軽い。ま、見ればわかる」
夜叉と俺は、単純連続放火魔への刑罰が行われている刑場に足を踏み入れた。早速鬼の声が響いてきた。
「おいおいおい、お前らは火を見るのが好きなんだろ?。じゃあ、楽しんで火を見ればいい。ほら、次はどこがいい?。どこに放火をしようか?」
単純連続放火をした連中は、三人いた。その三人は大の字になったの鉄の棒に縛り付けられていた。もちろん、裸である。おそらくは、貼り付けられている鉄の棒も熱く熱せられているに違いない。三人とも「熱い、熱い、助けてくれ〜」などと叫んでいた。よく見ると、手や足、お腹、さらにはむき出しになった性器にもやけどの跡があった。
「おいおい、助けてくれはないだろ?。お前ら、火を見るのが楽しいんだろ?。何かが燃えるのが好きなんだろ?。もっと歓べよ。嬉しそうな顔をしろよ。楽しい!と言ってみろよ。ほら、ほら」
鬼はそう言いながら、火のついた棒を持って彼ら罪人に近付いた。そして、
「今度は、髪の毛を焼くか」
と言って、火のついた棒を順に三人の頭につけたのだった。瞬く間に髪の毛が燃え上がる。その途端、縛られている罪人たちは、身もだえしながら「ギャー」と叫んだ。
「あ、悪い悪い。頭に火をつけたんじゃあ、自分で見れないな。すまんすまん、すぐに消してやる」
鬼はそういうと、大きな団扇で罪人たちの頭を扇いだ。火は風を受け、大きく燃え上がった。
「や〜、すまんすまん。火を消してやろうと思ってやったんだが、かえって火が大きくなってしまった。わるいなぁ、すまんなぁ、ごめんよぅ」
鬼は、ニヤニヤしがらそういった。
「じゃあ、水をかけようか、それとも自然に消えるまで待とうか・・・・どうしようかな・・・」
鬼が考えているふりをしているうちに、火は次第に消えていった。そこには、頭が焼けただれた罪人たちがいた。しかし、彼らはまだ生きている。
「おや、火が消えてしまった。そうかそうか、つまらんか。そうだよな。折角大好きな火がついていたのに、消えてしまったんだからな。じゃあ、今度は・・・おぉ、左手が焼けていないな。よし、左手を焼こうか」
鬼はそういうと、罪人の一人に近付き、火のついた棒でその罪人の左手を焼いた。とたんに叫び声が響く。それを見て、他の2人の罪人も恐怖の叫び声をあげた。
「う〜ん、なかなか火がつかないな。おかしいな。おいお前、上手な火のつけ方を教えろ。お前ら、そういうことはよく知っているだろ?」
鬼はニヤニヤしながら、その罪人の左手を焼いている。焼かれている罪人は失神しそうだった。
「おいおい、のびるんじゃないよ。気絶しちゃあダメだ。楽しいんだろ?。もっと喜べよ。おう、他の2人もだ。喜べ、笑え、楽しめ!。わはははは」

「あの〜、ちょっといいですか?」
俺は夜叉に話しかけた。夜叉は「なんだ?」という顔をして俺を見た。
「あの鬼、狂ってませんか?。あるいは、狂気を帯びたサディストですか?」
夜叉は何度もうなずき
「うん、ある意味狂っているな。しかし、これが地獄の刑罰だな。彼ら放火魔もある意味狂っているだろ。火を見るのが楽しいという連中だ。だからそれに合わせれば、ああなるしかないよな」
「ああやって、ネチネチといびるわけですか」
「うん、まあ、そうだな。ちょろちょろとした火を弄んだ連中だから、ちょろちょろとした火で弄ばれるんだよ」
そう言われてしまえば、何の反論もない。自分が犯した罪が、自分に返ってきているだけである。ただ、それだけだ。地獄らしいと言えば地獄らしい。
「あんなちょろちょろした火でも、一つ間違えば、大きな火になる。大惨事を起こすことだってある。だから、最後は・・・」
夜叉はそういうと、「見てみろ」というように顎を振った。
「なんだかなぁ・・・。こんな火じゃ物足りないな。もう少し大きくして、騒ぎをおこしてみたいな。消防車が地獄まで来たりして。あははは、そりゃないか。わはははは」
鬼が一人で言って一人で笑っている。その鬼は火の棒の外にいつの間にか、ペットボトルのようなものを持っていた。
「おいおい、俺を恨むなよ。俺はな、お前らがやったことと同じことをやっているんだ。お前らは、家の隅に置いてあったダンボールだの、古新聞だの、タイヤだのを燃やしたんだが、俺はお前らを燃やす。違いはそれだけだ。やっていることは同じだな。だから、俺も同じことをする。これ、なんだかわかるか?。そう灯油だ。お前ら、灯油をかけて火をつけただろ?。で、結局火が大きくなり、あやうく大惨事になりかけたよな。たまたま早めに発見されて、はやくに消防車が駆け付けてくれて火を消してくれたからよかったものの・・・。一つ間違えばとんでもないことになっていた。灯油って、怖いんだよ。そういうこと、身をもって知ったほうがいいよね」
鬼の話を聞き、手に持っている灯油を自分たちに振りかけるのだとわかると、罪人たちは悲痛な絶望的な叫び声をあげた。そして、
「ごめんなさい、もうしません。許してください。助けてください。自分が悪いんです。助けてください。お願いします。何でも言うことを聞きます。反省しています。だから、だから・・・・うわ〜ん」
と泣き叫んでいたのだ。
「反省の言葉を口にし始めましたよ」
俺がそういうと、夜叉は、
「いやいや、甘い甘い。人間はずるいからなぁ。生きとし生けるものの中で人間が一番ずるいよなぁ」
と淡々と言っている。鬼はというと
「それ、本心かなぁ?。本当に反省している?」
と白々しく質問している。罪人たちは、みんな大きくうなずき、反省の言葉を口にした。
「そうか・・・。そうだよね。散々、熱い目にあわされたんだからね、心から反省しているよね」
鬼はそういうと、今にも罪人につけようとした火の棒を下におろした。その様子を見て、罪人たちはホッとした表情をした。そして、「そうなんです。反省しています」、「もう二度と悪いことはしません。だから許してください」などとそれぞれ口にしたのだった。
「そうだよね。それって、本心だよね。じゃあさ、火を付けられても、文句は言わないよね」
鬼はそういうと、いきなり罪人の一人に火をつけた。さらに、その火に灯油を振りかけたのだ。罪人たちは
「あー、てめー騙しやがったな!。このクソ野郎、嘘つきめ!、てめーぶっ殺してやる!、覚えてやがれ!」
などと叫びだしたのだ。
「な〜んだ、やっぱり心から反省していないんだ。嘘つきは、お前らだな。本当に心から反省してれば、そんな言葉を吐かずに、刑を受け入れるよね。黙って焼かれるままにするよね。残念だなぁ。お前らみんな、焼け死ね!。さよならだな」
そういうと、鬼は残りの2人にも火をつけたのだった。やがて彼らは、完全に灰になってしまった。
「な、反省していないだろ?。人間は、本当にタチが悪いな。ま、この繰り返しさ」
地獄へ落ちてくる者は、どいつもこいつも同じようなものだ。口では反省の言葉を唱えるが、実際は反省などしていない。その場逃れの嘘である。ま、罪の重さは別として、その場逃れの嘘をつくのは、ここに来る者だけではない。大なり小なり、その場逃れの誤魔化しは誰でもすることだ。人間とは、残念な生き物である。
「あぁ、そう言えば、言い忘れたことがあった。ここでは、蘇りが急速になっている。ほら」
夜叉が指を刺した方には、先ほどと同じように大の字に磔にされた罪人が三人、並んでいたのだった。彼らは蘇った途端「ぎゃー、熱いー」と叫んでいた。
「うん?、蘇った?。じゃあ、また始めようか。お前らは、連続放火魔だ。自分がやった罪はわかっているか?。お前らはこんなことをしたんだよ」
鬼がそう言って、火のついた棒を罪人の一人の手に近付けた。途端に、「熱い!熱い!、やめてくれ」と罪人は叫びだしたのだった。

「本当だ。蘇る時間がものすごく短い。あっという間に生きかえっている」
「それもこの大焦熱地獄の特徴だな。さてと、あとはこの繰り返しだ。で、心から反省する姿を見せれば、解放だな。これは他の地獄と同様だ。ま、ここはいいな」
夜叉は、そういうと俺の顔を見て確認をした。俺はうなずいた。
「順路に従って次に行きましょう」
我々は、次の刑罰に行くことにしたのだった。


「次はどんな罪を犯した者の刑なんですか?」
俺は順路に従って歩きながら、夜叉に尋ねた。
「あぁ、次は恨みや思想から放火した奴らへの刑罰だ。特定の家や人に恨みがあって、その腹いせにその人の家に放火したヤツとか、偏った思想にカブレて放火したヤツとかだな。あぁ、そうそう、かつて日本でも爆弾テロ事件を起こしたヤツがいたが、そいつらはここじゃないな。もう一つ下だ」
「もう一つ下ってことは・・・一番下の地獄じゃないですか」
「そういうことだな。お前さんもジャーナリストの端くれなら、かつて日本であった爆弾テロ事件くらいは知っているだろ?」
もちろん知っている。その事件があったときは、俺は生まれていなかったが、TV番組やネットなどで見聞きしている。当然、大学の授業でも扱っていた。過激な思想からテロ行為をすることは、俺には全く理解できない。
「爆破事件で大量の犠牲者を出すような連中は、最も重い刑を受ける地獄へ行くんだよ。爆破は放火とは違うからな。次の刑は、爆破まではしなかったが、恨みや過激な思想による放火事件を犯した者が受ける刑罰だ。だから、さっきの罪人よりはちょっとキツイな。ただし、犠牲者はいない」
「放火殺人ではない?、ということですか?」
「そうだ。被害は、物質的なものだけだ。だから、そういう意味では刑は軽いな」
そんな話をしているうちにどうやら刑場についたようだ。罪人の叫び声と鬼の怒鳴り声が聞こえてきた。
「熱い!、助けて!、許してくださ〜い、もう勘弁してくださ〜い。あぁぁぁ」
「うるさい!、お前はな、恨みをもって一軒の家を全焼させただろうが!。それはものすごく罪深いことなんだぞ!」
「わかっています、わかっています・・・。でも、ほかに手段が・・・」
鬼にいたぶられている罪人は、泣きながら訴えていた。まだ、言葉が発せられるのだから、その刑罰は軽いのだろう。罪人は、焼けた十字状の鉄に裸で磔にされているだけだった。しかも一人だけだった。
「これで終わりじゃないよ。これからだな」
夜叉はそっけない顔でそう言った。

「何を言ってやがる。ほかに手段がないだと?。この大ばか者め!」
鬼はそう叫ぶと、火がついた棍棒で罪人を殴った。殴られた罪人は「ぎゃっ」と叫んだあと「ぐわー」と大声で叫んだ。罪人の顔は焼けただれていた。
「恨みがあったって、家に火をつけていいわけないだろ、この大ばか者が」
そういいながら鬼は火のついた棍棒を罪人の体に突きつける。そのたびに罪人は「ぎゃ〜」と叫ぶ。鬼の説教は続く。
「だいたい恨みといっても、お前の逆恨みだろ。おいこら、白状してみろ、何を恨んでいたんだ?」
鬼はひとこと説教するたびに、火のついた棍棒で罪人を殴った。そのたびに彼は
「ぎゃ〜」と叫んでいる。そして、彼の体には焼けただれた跡が増えるのだ。
「すみません、すみません、すみません・・・。許して下さい。だって・・・、あいつらいつも楽しそうにしやがって・・・キャーキャー騒がしいし、俺なんか俺なんか・・・一人ぼっちで・・・、くっそ、あいつら家族が隣にいなけりゃ、俺だって大学に落ちることはなかったんだ。あの家族がうるさいから、騒がしいから、俺は勉強ができずに・・・。あぁ、あいつらのせいだ、あいつらのせいだ、あいつらがいるから俺が不幸なんだ・・・」
「だから火をつけたのか?」
「ぎゃ〜・・・痛いよ〜、熱いよ〜、助けてくれよ〜・・・あぁぁぁ、あいつらのせいで、俺は地獄に落ちたんだ、くっそ、ついてねぇ、俺はなんて運が悪いんだ!。くっそ、あいつら・・・いっそのこと全員死ねばよかったのに、みんな逃げ出しやがって!、あぁぁぁぁぁ、全部やつらのせいだぁぁぁぁ!、ぶっ殺してやるぅぅぅぅ!」
「この大ばか者が!」
鬼は罪人を思いっきり殴りつけた。罪人は大きな叫び声をあげた。でも、彼はまだ生きている。
「いいか、大学に落ちたのは、お前の実力がなかったせいだ」
ここで鬼は、一発殴った。
「一人ぼっちで友達がいないのは、お前の性格がゆがんでいるせいだ」
また殴った。
「全部、お前が悪いんじゃないか。他人のせいにするんじゃねぇ」
鬼は、罪人をぼこぼこに殴った。罪人の身体は、いたるところ焼けただれてしまった。それでも彼は死ななかった。ものすごい苦痛で叫び声をあげ続けているが、それでも彼は死なないのだ。
「あんな状態で、鬼の声は彼には届いているんですかねぇ・・・」
あんなに殴られていたら、普通なら鬼の声など耳に入らないだろう。しかし、夜叉は
「いや、ちゃんと聞こえているよ。罪人には鬼の声は聞こえているんだよ。ま、聞き入れるかどうかは別だけどな」
と言ったのだった。そして
「聞こえていなきゃ、この刑罰の意味がないだろ」
と俺の顔を見たのだった。確かにそうだ。鬼の説教は正しいことなのだ。それが聞こえていなければ、意味がない。地獄は、罪人に反省を促す場所である。反省を促し、「自分が悪いのだからどんな罪でも受け入れる」という気持ちにさせる場所である。そういう気持ちになって初めて、本当の反省と言えるのだから。だから、どの地獄でも鬼は説教をするのだ。
「おい、わかっているのか!」
鬼の説教は続く。そのたびに罪人は、火のついた棍棒で殴られるのだ。そして、殴られ続けた罪人は、ついに全身に火が付き、燃えてしまった。骸骨になるまで彼は叫び続けていた。そして、きれいに灰になってしまったのだ。
そう思った次の瞬間、灰の中から人間が生まれてきた。今まで殴られていた罪人だ。彼が蘇ったのである。すぐに彼は真っ赤に焼けた十字の鉄に、自動的に磔にされた。そして鬼が言う。
「ほう、蘇ったな。前のことは覚えているな?。うん、そうか。よしじゃあ、初めからやり直しだな」
そういって鬼は、火のついた棍棒で罪人の顔を殴りつけ、説教が始まったのだった。
「他人を恨んで、その腹いせにその人の家に放火をした者。世の中を恨んで、あちこちに火をつけまわっていた者。そういう者は、この刑を受けるんだ。地味な刑だが、案外キツイ刑なんだぜ。殴られ、いたぶられ続けるんだからな。その間に説教をされ、反省に導くわけだ」
「なるほど・・・・。じゃあ、ゆがんだ思想から放火をした者は、どうなるんですか?」
「まあ、ほぼ同じだな。説教が変わるだけだ。それがあっちのヤツだな」

夜叉が指をさしたほうには、もう一人、男が磔にされていた。その男も同じように鬼に説教されながら火のついた棍棒で殴られている。夜叉の言うように、説教の内容が違っているだけだ。
「おい、お前の思想ってのは、放火をすることなのか?。あぁん?、どうなんだよ!」
「おい、叫んでないで、何とか言えよ。ご立派な思想があるんだろ?」
「俺に説明してみろよ、お前の思想をな!」
鬼は一言いうたびに、罪人を殴りつけている。その罪人は、泣き叫ぶだけで、今のところ言い訳めいたことは一言も言っていない。鬼は焦れているようだ。
「いい加減にしろよな!」ここで一発。
「泣いてばかりいないで、はっきり言ったらどうだ」一発。
「うるさいんだよ、叫び声が」一発。
「あ〜、面倒くせいヤツだ」焦れた鬼は三発殴った。
「しょうがねぇ。一回死ぬか。お前はまだ刑を受け始めたばかりだからな。反省もくそもないわな」
そういうと、鬼は何度も罪人を殴り始めた。「お前の思想ってのはなんだ!」と叫びながら・・・。
「ああやって死んでいく罪人に言葉を植え付けているんだ。今度蘇ったとき、罪人の意識の中には『自分の思想について説明しなきゃ』という気持ちが芽生えるんだよ。だから、しつこく鬼は同じことを問いかけているんだ」
「単にいたぶったり、いじめたりしているわけではないんですね。ちゃんと計算しているんだ・・・」
「そうじゃなきゃ、地獄の意味はないさ」
夜叉は淡々と言ったが、そのあとに小声で「それにしても刑罰はエグイけどな・・・」とつぶやいたのだった。夜叉でも、地獄の刑がちょっとひどいと思うのだ。あぁ、だから夜叉は地獄の番人の職を解かれたのか・・・。だから、感情を持たない鬼が造られたのか・・・。鬼でなければ、地獄の番人は務まらないのである。
「ま、そういうことだ。さて、次へ進むか?」
夜叉に促され、俺たちは次の刑場へ向かうことにした。ここにも「順路」と矢印が書かれた札がある。俺たちは、その親切な案内札の通りに進んだ。
「ふん、次はかなりエグイぞ。ちょっと覚悟したほうがいいかもな」
「えっ?、じゃあ、次は・・・」
「あぁ、放火殺人を犯したものだ。生きているままに人に火をつけて殺害した者、殺害してから遺体を処理するため放火した者。被害者の数は関係ない。その行為をした者が受ける罰だ」
夜叉が言っているそばから、大きな叫び声が聞こえてきた。その叫び声は言葉になっていないで、純粋に叫び声だった。
「盛大な叫び声だろ?。叫喚地獄よりもすごい叫び声だ。インカムで話していても聞き取りにくいくらいだ」
本当にすごい声だ。叫喚地獄で、叫び声がすごいからということで会話をインカムでするようになっていたが、それですら聞き取りにくい。夜叉が言っていることの半分も俺は聞き取れなかった。
「イン・・・****るか・・・」
夜叉が何かつぶやいたが俺はよく聞き取れなかった。
「えっ?、なんですって?」
「あぁ、インカムの性能を上げるか、とつぶやいたんだ。どうだ、これで聞き取りやすくなったろ?」
「はい、聞きやすくなりました。それにしてもすごい叫び声ですね」
「それだけ苦痛が激しんだ、次の刑罰は。そりゃそうだろ。放火殺人だからな」
夜叉は、吐き捨てるようにそう言った。そして
「おや、静かになったな。どうやら一通りの刑罰が終わって、罪人が死んだようだな。すぐに復活するから、急ぐぞ。今なら、刑罰が始めから見られる」
と嫌そうな顔をしながら、先を急いだのだった。

「あそこだ」
夜叉が示した方向には、三人の男が裸で立っていた。どうやら、夜叉が言った通り、刑罰が始まったばかりのようだ。
「おいお前ら。お前らがなぜここに来たかはわかっているか?」
体格のいい鬼が罪人に質問をしている。三人の罪人たちの後ろには、鬼が三人立っていた。質問をしている鬼の左右にも鬼が一人ずついる。鬼の数は、全部で六人だ。鬼の質問に、罪人が同時に答えた。
「人を殺したからです・・・」
三人とも同じ答えだ。その答えを聞いた鬼は「違う!」と大声で叫んだ。叫ぶと同時に罪人の口が燃えた。その途端、ものすごい叫び声が響いた。
「お前ら、何度言ったらわかるんだ?。お前らが犯した罪は、単なる殺人じゃない。放火殺人だ。その罪の深さ、大きさがまだわからないのか!」
鬼がそう叫ぶと、今度は罪人の耳が燃えた。あまりの苦痛に罪人たちはのたうち回っている。「起こせ」鬼が言った。
罪人の後ろに控えていた鬼たちが、罪人の両手を上にあげ、彼らを吊し上げた。罪人の耳はまだ炎に包まれていた。口は、火は消えていたが、大きく焼けただれている。その焼けただれた口からは叫び声が続いていた。
「うるさいやつらだ。いいか、お前らは、生きている人間を焼いたんだよ。放火殺人を犯したんだ。生きたまま焼かれた人間の苦痛がどんなものか、お前らにはわからないだろう。だから、そんな罪を犯すんだ。生きたまま焼かれる苦痛をお前らに十分わからせてやる!」
鬼はそういうと、火のついた棍棒を手に取った。左右の鬼たちもいつも間にか、火のついた棍棒を手にしている。
「この炎は、お前らが生きていた世界の炎の数万倍の熱さだ。一瞬でお前らなんぞ燃えてしまう。が、それでは苦痛が感じられないだろ?。だから、熱さは数万倍だが、熱量を抑えてある。わかるか?。熱エネルギーは、現世の炎の百分の一くらいに抑えてあるんだ。その意味が分かるか?。はっ、お前ら、頭が悪いからわからないだろうな。ちゃんと現世で勉強していないと、地獄でも苦しむんだぜ。ガハハハハハ」
鬼は大声で笑うと、火のついた棍棒を罪人の股に押し付けたのだった。その途端、一段と大きな声で罪人たちは叫び声をあげた。
「がははは。熱いだろ?。でも焼けない。いつまでも熱さは続くが、お前らは焼けないんだ。いいか、お前らに火をつけられて亡くなった者は、これ以上の苦しみを受けているんだ。なぜかわかるか?。それはな、死にたくなかったからだ。お前らは、罰として焼かれるが、亡くなった者は罰として焼かれたわけじゃない。何の罪もないのに、焼かれて死んでしまったんだ。お前らは納得して焼かれているが、お前らが殺した人たちは、納得して焼かれたわけじゃないんだぞ。だから、苦しみもお前らより大きいんだよ!。さぁ、もっともっと苦しむがいい」
鬼はそういうと、罪人の全身に炎をつけ始めた。そして「離せ」と命じた。罪人を釣り上げていた鬼たちは、一斉に罪人を突き放す。罪人たちは、熱さに転げまわっている。が、彼らはいつまでたっても死ななかった。熱さと苦痛に叫び続けながら、彼らはのたうち回っているのだ。

「鬼が言っていたろ。あの炎は、熱いんだが・・・いや、その熱さは現世の炎の数万倍なんだが・・・熱量がないんだよ。だから、なかなか焼けないんだ」
「だから、ああやって、熱さに叫びながら絶叫しているんですね」
「あぁ、そうだ。普通ならもう焼け死んでいるか、気絶してしまうんだが、あの炎は特殊でな。そう簡単に気絶しないし、焼け死にもしない。ああやって、炎に包まれたまま、長時間苦痛を受け続けるんだ」
罪人は、まるでスタントマンが炎に包まれるシーンを撮影しているかのように、大きな炎に包まれて地面を叫びながら転がっていた。しかし、火が消えることはない。いや、転がれば転がるほど、炎が大きくなっている。
いったいどれくらい時間がたったのか・・・。罪人たちの身体が徐々に崩れ始めてきた。肉が所々落ちてきて骨がのぞいている。それでも、彼らは気絶することすら許されなかった。地面をのたうち回り、あるいは立ち上がり踊るように回転し、走り回り、助けを求めながら叫んでいる。一気に焼けないから、苦痛は長く続く。放火殺人の罪を犯した者は、こうした刑罰を受け続けるのだ。
「彼らも、いずれは反省して、ここを抜け出す日が来るんでしょうね」
俺は、虚しくなってそうつぶやいていた。夜叉は、大きくため息をついて
「何年かかるかわからないが・・・ひょっとしたら何千年もかかるかもしれないが・・・永遠ではないな。ま、現世からの供養があれば、早く出られるが・・・。それは期待できそうにない・・・かな」
と悲しそうに言ったのだった。
俺たちの目の前には、まだ焼け死ねずにのたうち回っている三人の罪人たちが叫び声をあげていたのだった。


「大焦熱地獄は・・・恐ろしいところですね・・・」
いまだに焼け死ねずにのたうち回っている罪人を眺めながら、俺はそうつぶやいていた。すると夜叉は
「いいや、本当に恐ろしいのは、放火して他人を殺してしまうヤツの心のほうさ」
と言ったのだった。そうだ、その通りだ。夜叉の言うとおりである。
そもそもこういう人間・・・放火殺人をするような人間・・・がいなければ、こんな刑罰はないのだ。本当に恐ろしいのは、放火殺人をやってのけてしまう人間である。
「現世で最も恐ろしい生き物は人間だよ」
夜叉は言う。確かにそれもそうだ。地球上に人間がいなければ、世界は平和なのだろう。大気汚染もないし、地球温暖化もない。戦争もテロもない。殺人もなければ、窃盗もない。強姦もなければ、浮気だってないし、憎しみあい、騙しあいもない。すべての罪はなくなるのだ。そうか、地球にとって人間は天敵なのだ。
「だけど・・・」
夜叉が続けた。
「だけど、人間だけなんだよね、悟れるのは・・・。あぁ、灰になったな」
3人の罪人は、きれいな灰になった。絶叫だけを残して・・・。が、すぐさまその灰は、元の罪人に戻るのだ。そう思っているうちに、3人の罪人は、元通りの姿に戻っていた。戻ったとたん「熱い、苦しい・・・」と叫んでいた。すぐに鬼がやってきて、3人を捕まえ、また刑罰の繰り返しが始まった。
「彼らも悟る時が来るのでしょうか?」
俺の問いかけに夜叉は
「地球が滅びるころには悟れるかもな・・・」
と寂しそうに答えたのだった。

地球が滅びるころ・・・。50億年くらい先の話か?。それとももっと早いのか・・・。いずれにせよ、相当長い時間なのだろう。が、悟ることは不可能ではないのだ。誰しも、いつかは悟ることができるのだろう・・・。
いや、待てよ。放火殺人の罪でこの焦熱地獄に落ちて、脱出するのには相当長い時間がかかるはずだ。ならば、あの歴史的放火事件を犯した織田信長はどうなっているのだ?。なぜ、ここにいない?。彼こそは、放火殺人の代表者じゃないか。しかも、相手は坊さんだし、場所は比叡山だぞ?。なぜ、織田信長がここにいないのだ?。あぁ、もしかしたら、もう一つ下の地獄、最低の地獄へ行っているのか?
「違うよ」
俺の考えを読んだ夜叉がそういった。
「織田信長は、まあ、確かに地獄に落とすべきだろう、という議論はあったんだよね」
「えっ?、ぎ、議論?。どういうことですか、それは」
「あぁ、閻魔様を始め、四十九日までの裁判官様が集まって、織田信長をどうすべきか議論したんだ。彼は、扱いに困ったらしい」
「詳しく教えてください」
目の前では、放火殺人を犯した3人の刑罰が始まっている。とてつもなく熱いけど熱量の少ないあの焼けない炎に包まれた罪人たちは、絶叫しながらのたうち回っていた。
「ここじゃなんだから・・・そうだな、あぁ、あっちに行って話そう」
夜叉が指さしたほうは、ちょっと小高い丘になっているところだった。行ってみると、ベンチが置いてある。ピクニックなどにある休憩所のようなところだ。
「まあ、座れよ。飲み物はないけどな。ま、お互いそんなものは必要ないけどな。ケケケケ」
夜叉は不気味な笑い声を発しながらベンチに座った。俺も夜叉に向かい合うように座った。
「で、信長なんですが・・・・」
「あぁ、さっき言ったように、裁判官様たちで議論があったんだ。信長をどうすべきか、というな。本人の信長は、『わしは当然地獄へ行く。当たり前だろ』と主張していた。しかも、最も苦しい阿鼻地獄・・・無間地獄ともいうがな・・・に落とせ、というんだな。しかし、信長の功績を考えるとな、そうもいかないって話になったんだ」
「そうもいかないって、信長は比叡山焼き討ちをやっているんですよ。それに一向一揆の農民を大勢殺している。まあ、戦は仕方がないとしても、比叡山焼き討ちや農民の殺害は、いかんでしょう。罪のない人々を殺しすぎているじゃないですか!」
俺は興奮して言った。
「お前さん、信長が嫌いなのか?。俺は、嫌いじゃないがなぁ・・・。面白い奴だったぞ。なんせ、閻魔大王の前で『地獄に落ちて、地獄の王になる』って叫んだからな。あれは、地獄の炎を浴びても、叫び声一つ上げないだろう。まさに魔王だな」
信長らしいといえばらしい。いかにもそういうことを言いそうだ。
「夜叉さんは、信長が好きなんですね」
「う〜ん、好きか嫌いか、と問われれば、好きだな。でも、そういう問題ではなくて・・・たぶんな、多くの人が勘違いしていると思うんだな」
「勘違い?」
「そう、勘違い。お前さんもな。お前さん、ジャーナリストの端くれなのに、歴史小説とかは読まないのか?」
残念ながら、歴史小説は読まない。俺は歴史小説が好きではないのだ。仕事でも関係がないことだったし、読む必要性がなかったのだ。しかも俺は、ジャーナリストの端くれといっても、本当に端くれで、三流出版社の三流雑誌担当だ。内容はエログロナンセンスがほとんどだ。あとは政治家や芸能人のゴシップネタ、流行もの、大した内容の雑誌ではない。なので、日本の歴史とかは取り扱ったことはないのだ。宗教に関しては、たまたま先輩が坊さんだったことや、霊感商法や霊能者の取材があったから知ったのだ。それもかじった程度だ。
夜叉は、俺の心の中の弁明を読み取り
「まあ、そういうものかな。じゃあ、信長についても、教科書程度の知識しかないわけだな」
と俺に聞いてきた。情けない話かもしれないが、その通りなので、俺は素直にうなずいたのだった。
「信長の功績は大きい。彼がいなければ、戦国時代は終わらなかった。彼がいたからこそ、秀吉が育ち、信長と秀吉を見てきたからこそ、家康が戦国を終わらせることができたのだ。江戸時代という長い平和な時代をもたらしたのは、信長から始まったともいえる。この功績は、歴史的に見て大きいものだ。まあ、待て、お前さんの言いたいことはわかる。比叡山と一揆の農民たちだろ?。順番に話すよ。
まずは、比叡山についてだ。信長がいたころの比叡山は、僧兵が闊歩し、僧侶は堕落しきっていたんだな。比叡山内で酒は飲む、女は抱く・・・。金と権力が渦巻いていた。もちろん、真面目に修行に励んでいる僧侶もいたが、少数派でな。酒を飲み、女を抱き、武器を持った坊主たちに意見しても聞き入れてもらえなったわけだ。山内には混浴風呂まであったという。まさに酒池肉林の世界だな。僧侶にあるまじき姿だ。実はな、仏様の間でも
『比叡山の僧侶たちはには困ったものだ。人間たちで何とか解決できないのか。できないなら、こちらから手を回さねばならないが・・・』
という話は出ていたらしいんだな。まあ、俺も噂で聞いただけだから、真実のほどは知らないけどな。いずれにせよ、こっちの世界じゃ、比叡山の荒廃は問題になっていたんだよ」
仏様の間で、そんな話し合いがあったのか?。それほど当時の比叡山は荒れていたのか・・・。

夜叉は遠い目をして語り続けた。
「信長はな、戦国時代を終わらせて天皇を中心とした日本を作ろうとしていたんだな。だが、それを理解できない連中がいたんだよ。いや、多くの者が理解しようとしなかった。信長に従うくらいなら殺してやる・・・と思ったわけだよ。それは、自分の権力が奪われる、と思い込んでいたからだ。意地の張り合いだな。ちゃんと話し合えば、わからないことではないのだが、個人的に信長は嫌い、自分の国が奪われるのではないか、という欲で目が曇っていてね、信長の考えは理解されなかった。比叡山においては、自分たちの権力が奪われる、元の真面目な僧侶に戻らなければならない、というのが嫌で信長に逆らったんだ。それは、もう僧侶じゃないよな」
夜叉は、もう何千年と生きているのだろうから、信長の事情も比叡山の状況も、それについての仏様の意見のこともよく知っている。だから、夜叉の言葉には嘘はない。
しかし、だからといって、焼き討ちしていいのだろうか?。それは仏様の代わりを務めたということで許されるのだろうか?・・・。

「信長は、何度も比叡山側に戦うことの愚かさを説いた。戦うべきではないとな。まあ、脅しといえば脅しだけどな。そもそも出家者は、そうしたことに関わってはいけないものだ。だが、比叡山の多くの僧たちは、信長に逆らったんだ。で、焼き討ちにされたんだ。彼らが、僧侶の本来の姿に戻ろう、戻って修行に励もう、権力に絡むのはやめよう、と決心すれば、比叡山の焼き討ちはなかったんだよ」
「ということは、比叡山を仕切っていた僧侶たちがいけないんだと・・・」
「そうなるな。自分たちの欲に目がくらんで、多くの犠牲者を出した。それは坊主が悪いんだ」
「じゃあ、一揆の農民たちは・・・」
「農民たちをあおっていたのは、坊主だろ?」
確かにそうである。当時は一向宗と言われていたが、それは今の浄土真宗の母体だ。一向宗の座主は、親鸞さんの末裔である。確かに彼らも、自分たちの権力を守るため、信長に逆らった。出る大きな杭は早く打たないといけないのだ。そのために、農民たちを煽って信長に当たらせたのである。イスラム原理主義がテロで行うジハードと同じだ。
「農民たちに、『お前らは騙されている。そんなことをしても極楽へ行けない』と説いたところで、誰も聞き入れないだろ。一向一揆だって、先導したのは坊主だ」
「あ、ということは・・・。地獄へ落ちるべきは、その先導者である坊さん・・・ですよね」
「当然だ。出家者は修行をするべきであり、権力を握るのが出家者ではない。坊さんは、人々に生き方を説くべきであり、己が権力の座につき、それを貪るなんてことはもってのほかだろ。地獄へ落ちて当然だよな。だから、裁判官たちで議論になったんだよ。悪いのは誰かってな」
なるほど・・・。力を持っていた僧侶たち・・・比叡山や一向宗など・・・が、信長の考えに賛同し、他の大名たちに根回しをしていれば、戦国時代はもっと早くに終わっていたのだ。時代の流れが読めず、自分たちの権力にしがみつきたいばかりに、信長に逆らった罪は・・・大きいのだ。それは、本来の僧侶の姿ではないのだから。
「そういうことだ。信長は、今では天界のどこかで静かに過ごしているさ。だから、ここにはいない。案外、第六天の他化自在天様の世界に行ってるかもな・・・。ここに来る罪人はな、自分のことしか考えず、自分の欲望に従って、我欲のために放火殺人を犯した者だけだよ」
信長の比叡山焼き討ちとは、内容が違うのである。
「比叡山の僧侶にしてみれば、因果応報だな。酒や女、権力や暴力に溺れ、修行を忘れた、その報いが来ただけだよ。まあ、バチが当たったんだな」
俺は、ようやく納得した。そして、表面上だけで判断をしていた自分を恥じた。信長の比叡山焼き討ちなどには、そうした事情があったのだ。事情を知らなければ判断できないことは、たくさんあることくらいは承知していたのだが・・・。まだまだ未熟だな、と俺は反省したのである。

「どうやら、納得できたようだな。まあ、地獄へ落ちる落ちないにも、難しい事情があるんだよ。簡単に地獄には落ちないよな。地獄に落ちるには、我欲のために殺人や盗み、強姦などをしないといけないわけだ。だから、戦争で相手を殺してしまった者などは、除外されるんだよ。戦争では多くの者が、いやいや殺人を犯していたんだからね。国家の命令じゃ、仕方がないからね」
いつの時代も、悪いのは権力者だ。時代の流れや先が読めない、我欲のために無謀な行為を強いる権力者である。その陰で泣くのは人々なのだ。一部の権力者によって、多くの人々が苦しむことになるのである。
「さてと」
夜叉が立ち上がった。
「その愚かな権力者たちがいる地獄へ行こうか。ここは、もう見るところはないからな。順路に戻れば、きっと門に到着するだろう」
夜叉はそう言うと、元の道に向かって歩き始めたのだった。俺も素直にそれに従った。もうこの大焦熱地獄で見るべきところはない。
丘を降りると、順路の看板が見えてきた。それに従って進んでいく。すると、見慣れた大きな門が見えてきた。
「おぉ、これはこれは夜叉様に聞新さん。いかがでしたか大焦熱地獄は。罪人の連中、ちゃんと自分の罪の深さを理解していましたか?」
「いや、なかなか難しいな。悪いことをした、と理解はしているが、償いは・・・となるとなぁ・・・。本当に人間って愚かだよな」
夜叉は、珍しく愛想よく鬼に答えていた。
「本当にそうですな。しかし、もっと愚かな人間がいますからね。聞新さんも、そいつらをじっくり見てくるといいですよ」
脳天気な鬼かと思っていたら、意外なことを言う鬼だった。こんな鬼にあったのは初めてである。
「いやあ〜、私としたことが、つまらないことを。では、もう次に進みますかな?。はいはい、ならば、門を出て左に進んでくださいな」
鬼は、いつものように陽気に笑って、俺たちを見送った。俺たちは、いつものように左に進み、闇に包まれた。そして気が付いたときは、次の地獄の門に出るのである。

その門は、今までの門と違って、真っ黒で不気味な雰囲気を醸し出していた。妙に重々しく、苦しい感じがするのだ。嫌な予感がする、入ってはいけないぞ、と語っているような門だった。
「今までの門とは違うだろ?。どこが違うかといえば、うまくは言えないが、この門をくぐったら、もう二度と出られないぞ・・・みたいな感じがするだろ?」
俺もそう思ったので、うなずいた。いや、言葉がでないくらいの息苦しさを感じていたのだ。
「はぁ、ここはいつ来ても嫌なところだな」
夜叉も、夜叉ですらも、大きくため息をついて門を眺めている。
「しかし、これも仕事だからな。さぁ、行くか」
夜叉が門に向かって歩き始めた。俺はその陰に隠れるように付き従った。実際、かばってもらおうと思っていたのかもしれない。自然に恐怖を感じていたのだ。
「ほう、ついにここまで来たか。待っていたぞ、夜叉に聞新よ」
門の真ん中に突っ立っていたのは、真っ黒の鬼だった。その鬼は、にこりともせず、脳天気は雰囲気などはみじんもなかった。俺たちを一睨みすると
「ふん、物好きな連中だ。いいか、ここは今までの地獄とは全く違う。なめてかかるなよ」
とすごんだのだった。すごまれなくても、その鬼の言いたいことは、ひしひしと感じている。
「覚悟があるのなら、入りな」
鬼はそういうと、俺たちを中に招き入れたのだった。


「うっ、お、重い・・・」
それが阿鼻地獄に入ったとたんに感じたことだった。ともかく重苦しいのだ。
「苦しいか?、まあ、そうだろうな。俺でも嫌な気分だ」
夜叉はそういうと、「手形に祈れよ」と言ったのだった。
俺は弥勒菩薩から授かった手形を取り出し、
「この世界に対応して下さい」
と祈った。手形が光る。そして、俺は楽になった。死んでいるはずの俺が、本当に苦しかったのだ。
「楽になったか。ま、それでも嫌な感じは残るけどな」
夜叉の言うとおりである。重苦しさはなくなったが、なんとなく嫌な感じは残っている。しかも、ここは歩きにくい。今までの地獄は道が平坦に整備されていた。歩くのに困難な感じはしなかった。しかしここは、道がとがった岩でできている。歩きにくいことこの上ない。罪人の連中は、ここを歩くだけで足は血だらけになるのだろう。しかも、かなりの熱量のようだ。つまり、処刑場に連れていかれる間に、罪人は足の裏は傷だらけになり、火傷を負っているのだ。
「ここに落ちてくる奴らは、今までの地獄のような扱いはされない。処刑場への道がすでに罰になっている。お前さんが気付いたとおりだ。さらに、罪人を縛っている縄は、無数の針が付いていて腕や身体に突き刺さっている。その針からは毒液が流れ込んでいて腕や身体に激痛を与える。鬼の力は大焦熱地獄の鬼の力の数千倍で、罪人の腕をちょっと引っ張れば、すぐに抜けてしまう。鬼が罪人の頭をつかめば、俺たちが生卵をつかんで潰してしまうように簡単に潰してしまう。いやいや、そんな顔をするな。お前の言いたいことはわかる。それでは簡単に死んでしまうじゃないか、そういいたいんだろ?。だがな、ここの大きな特徴は・・・」
夜叉は、そこで息をためた。そして、
「罪人は絶対に死なない、ということだ」
と言って、ニヤッと笑ったのだった。

死なない?・・・どういうことだ。今までの地獄は、刑罰を受けると、罪人は必ず死んだ。そして、すぐに生き返って、また刑罰を受けるのだ。その繰り返しが地獄の刑罰だ。もっとも、その生き返るまでの時間は、下の地獄へ行くほど短くなっている。つまり、重い刑罰の地獄になればなるほど、生き返るインタバルが短いのだ。ということは、休憩時間が短くなる、ということでもある。あぁ、なるほど・・・。ここはその時間がないのだ。死なないということは、生き返ることもないのだから、延々と刑罰を受け続けることになる。いや、しかし、つぶれてしまった頭はどうなるのか?。瞬時に蘇るのか・・・。
「そういうことだ。つぶれた瞬間、すぐに元に戻るんだな。まあ、鬼たちも馬鹿じゃないから、力加減はできる。そう簡単に潰さないさ。長い苦痛を与え続けるほうが効果的であることくらいはよく知っているさ」
ということは、長い苦痛をずーっと受け続けなければいけないのだ。休みはない。気を失うこともできない。それは・・・嫌だ。無性に嫌だ。あまりの苦痛に死にたくても死ねないのだ。ストレスが限界になって胃に穴が開いても死ねないのだ。それは、この上なく恐ろしい。終わりがないというのは、恐怖である。
「そういうことだな。だから、この阿鼻地獄は無間地獄ともいうんだ。間がないんだ。生と死の間がないんだよ。すぐに再生されてしまうんだ」
夜叉はそういうと、ふと立ち止まった。そして「確か、ここだったよな」とつぶやくと
「さてと、ここに来る連中は、ちょっと特別だ。代表的な者は、自分の権力にものを言わせ、多くの人々を苦しめた連中だ。まずは、そいつらの刑罰を見るとするか」
言って、再び歩き始め、すぐに横道にそれた。そこは、ちょっと険しい山道だった。俺はついていくだけである。
「まあ、お前さんは怪我することはないから大丈夫だと思うがな、ここで転ぶと、転んだところが腐るからな、気をつけろよ。この地獄の道はみんな同じだ。コケて膝でもついたりしたら、そこから腐るんだ。でも大丈夫だ。足が痛くて苦しくて腐って落ちてもすぐに生えてくる。まあ、そう言いうヤツは、また転んで腐り始めるけどな」
嫌な地獄である。転ぶことすらできない。転んで手をついたら、手も腐ってくるのだ。よろけて手をついただけでもアウトである。地面についても腐らないのは、足の裏だけだ。
「ここはな、何度でもすぐに再生される。再生された途端、痛みはリセットされるから、痛みに慣れるということはない。しかしな、恐怖の記憶は残るんだ。それがどういうことかわかるか?」
山道を登りながら夜叉は話し続けた。まるで、話をしていないと不安を感じるかのように、夜叉はよくしゃべった。
「以前な、こういうことを言った坊主がいた。『地獄に長くいれば、そのうちに地獄の苦しみに慣れてしまって、痛みも感じなくなる。この世の人間だって、拷問を受け続けるとその痛みはそのうちに感じなくなるという。それと同じだな。だから、地獄にいるものは、そこが地獄だと分からなくなる。地獄も慣れてしまえば、極楽さ』。すごい話だろ。こんないい加減なことを言う坊主もいるんだ。ほかの地獄でもそうだが、地獄の苦しみに慣れることは、まずない。それに鬼たちが説教もするから、どんな罪人も地獄を出たいと願うさ。しかし、ここはちょっと違う。鬼は説教はしない。だが、苦痛には慣れることもない。習慣性もつかない。なぜなら、痛みは肉体が死んだとたんリセットされるからだ。また新鮮な痛みを感じることとなるんだな。しかも、痛みはリセットされるが、恐怖心はリセットされない。新しい肉体にその記憶は引き継がれるんだ。まあ、今までの地獄もそうだったんだけどな。鬼の説教は新しい肉体に引き継がれる。しかし、ここは、恐怖だけだ。恐怖だけが引き継がれるんだよ。蘇ったとたん、絶望的な恐怖も蘇るんだ。それが間断なく続くんだよ。だから、苦しみの限度がないんだ。そうなりゃ、どんな罪人であっても、早くここを出たいと願う。願うが、どうしていいかわからない。鬼の説教はないからな。救いは、ただ一つ。現世に生きている縁者の供養だけだ。まあ、しかし、ここに落ちてくる連中の子孫や縁者に、そんな殊勝な心構えのある者がいるとは思えないけどな・・・」
夜叉は、そこまで話すと一息ついた。急な上り坂だから、夜叉にも堪えるのだろうかと思ったら、そうではなかった。何かを確かめていたのだ。
「あぁ、ここからならよく見える。そうだな、もう少し前に出るか・・・」
罪人の刑罰が見えるかどうかを確認していたのだ。
「よし、よく見える。まあ見てみな。ここは、自分の権力にものを言わせ、多くの人々を苦しめた者が刑を受ける場だ」
そう言った夜叉の顔はちょっと怖かった。

ひどいありさまだった。刑場の中は、さながら迷路のようになっていた。その迷路は炎で包まれていた。つまり、炎の中を裸で迷路を走り回っているのだ。迷路には、いろいろな仕掛けがしてあった。一つ角を曲がると火炎放射器から発射されたような炎が吐き出された。罪人がその炎に包まれのたうち回る。でも死ななかった。のたうち回りながらも、罪人は必死に這いずり回っていた。その罪人を巨大な岩が転がってきて潰した。叫び声とも思えないような声がした。しかし、罪人は死んではいない。潰された肉体は瞬時に蘇っている。炎は消えていたが、その熱さと恐怖は新しい肉体にも記憶されている。それだけではない。潰された痛みも恐怖も新たな肉体は記憶している。その罪人は狂ったように叫びながら、その恐怖から逃れるため、ふらふらと迷路の中を歩き始めた。その罪人は角を一つ曲がった。その途端、無数の槍がその罪人を突き刺した。槍は罪人の身体を突き抜けている。なんと、罪人の腹を突き破っており、槍の先には内臓がぶら下がっていた。罪人は死んだ・・・がすぐに蘇っている。残っているのは記憶だけだ。角を曲がることを恐れる。チラッと炎が見えただけで恐怖の叫び声をあげる。どこかでドンと大きな音がした。その途端、溶岩の塊が降ってきた。逃げ惑う罪人。降ってきた溶岩が彼に直撃する。が、すぐに彼は蘇る。容赦なく降ってくる溶岩。何度も潰され、何度も蘇り、何度も恐怖で逃げ惑う・・・。
ここは、鬼が刑罰を与える場所ではなかった。自動的に刑罰が行われる世界に放り込まれているのだ。刑罰がどこから飛び出すかわからない処刑場なのである。
ならば、じっとしていれば助かるのではないか・・・。俺のそんな疑問は、すぐに吹き飛んだ。
溶岩に潰され、すぐに蘇った罪人は、そこでうずくまっていた。恐怖に動けなかったのか、動かないほうがいいと判断したのか・・・。しかし、いずれにせよ、無駄なことだった。いきなり、地面から鋭い槍が飛び出したのである。槍の先端には、その罪人が突き刺さっていた。槍は、回転し始めた。罪人も振り回されている。罪人は死んではいない。いや、何度も死んでいるのだろうが、何度も蘇っているのだ。やがて、その罪人は槍から外れて飛ばされた。飛ばされた先は、針の山である。先端だけがとがった、ギザギザの岩場に彼は落ちた。彼は死んだ。しかし、すぐに蘇る。ギザギザの岩に刺さったまま、彼は生き返り、そして死に、そして生き返る。何度か繰り返しうちに、ギザギザの岩が引っ込んだ。そこは、炎の海だった。彼は、走った。炎が彼を包む。彼は燃えながら、走り、のたうち回った。やがて彼を包んだ火が消える。すると、小さな子供たちのような生き物が現れた。彼らは、罪人を担ぐと、池らしきところへ放り込んだ。その池にはピラニアのような魚がいたらしい。いっせいに罪人に群がったのだ。無数の魚らしき生き物が、罪人を食っている。見る見るうちに罪人は骨になった。魚たちが、その骨を池の外へ放り出す。その途端、罪人は蘇っている。地面に投げ出された時には、彼は元の裸の姿に戻っていた。その彼を小さな子供たちのような生き物が、引っ張り始めた。手を引っ張るもの、足を引っ張るもの、性器を引っ張っている者もいる。首を引っ張るもの、身体に乗って腹に穴をあけ、内臓を引っ張り出すものもいた。口を開け、舌を引っ張るものもいれば、目の玉をえぐっている者もいる。罪人の身体はバラバラになった・・・途端に元に戻っていた。そこに群がる子供たち。と思っていたら、巨大な炎の手が罪人をつかんだ。そして、地面にたたきつける。彼の身体はぐしゃりとつぶれた。しかし、すぐに戻ってしまう。彼は、再び迷路の中にいた。彼の後ろからは、小さな子供たちが追いかけてくる。叫び声をあげ逃げ出す罪人。前からはオオカミのような動物の群れが現れた。板挟みになって立ち止まっていると、下から無数の細い針が突き出た。全身を針で突き刺され、彼は宙に浮いていた。彼の肉体は、針をずるずると滑り落ちてくる。もちろん、彼は死んではいない。口から大量の血を吐きながらも叫び声をあげている。彼の身体が地面に落ちたとたん、針は消える。同時に彼も蘇る。そこにオオカミの群れが襲い掛かった。彼の身体はオオカミに食われてしまった。そのオオカミがクソを垂れた。するとそのクソの中から彼の罪人が蘇ってきた。身体中、オオカミのクソまみれである。すぐに上空から大型のカラスのような鳥が彼を襲い始めた。ギャーギャー叫びながら、その大カラスは罪人を襲う。目をつつく、身体のあちこちをつつく、むき出しの性器をつつく、カラスのくちばし攻撃の痛みに彼は倒れる。一斉にカラスが彼を襲う。しばし真っ黒な鳥に覆われたと思ったら、炎の流れがそこにやってきた。カラスが飛び立つ。彼の肉体は蘇っていた。その彼は、流れてきた炎の水に流されていった。そして、元の迷路に彼はたどり着いた。彼は、後ろから何かが襲ってくるのが怖いから、あるいは下から突き刺されるのは怖いから前に進みたいのだが、その角を曲がると罠が仕掛けてあるから角は曲がれず、どうしようかと思案した瞬間、壁から大きな手が飛び出て彼を思いっきり殴りつけたのだった。彼は、這いずっていた。その上から、巨大なハンマーが彼を殴りつける。当然、彼は潰された。しかし、すぐに蘇る。彼は、よろよろと起き上がり、前に進もうとするが、地面から生えた無数の手が、彼を捕まえていた。恐怖のあまり叫ぶ。その無数の手は、彼の肉体をちぎり始めていた・・・。

「もういいです。もう見ていられません・・・」
俺は弱音を吐いた。初めは驚きで、まるでアクション映画を見ているようで、その様子に目を奪われたのだが、あまりのエグサに耐えられなくなってきたのだ。ちなみに、アクション映画では主人公は絶対に死なない。が、これは違う。主人公である罪人は何度も死ぬ。そして、何度も蘇る。蘇るたびに耐えがたい苦痛と恐怖を味わい、そして死ぬのだ。それを繰り返すのだ、何度も何度も・・・。俺は、とても見ていられなくなってしまった。
「そうか、見ていられないか。そうだよな。普通の神経じゃあ、見ていられないよな。ああやって、連続して恐怖がやってくるんだよ。休む間はない。何度も死んで何度も蘇る。その都度、恐怖も痛みも苦しみも蘇るんだ。ところで、あの罪人、誰だかわかるか?」
俺はうなずいた。彼の罪人は、日本を戦争に導いた者だった。
「仕方がないよな、こういう刑罰を受けても。いまだに日本は戦争の責任を負っているんだからな。日本から戦争の影響がきれいさっぱりなくならない限り、あの罪人の刑も終わらないんだろうな・・・。いや、それでも足りないのかもな。それほど罪は大きい・・・」
夜叉はしみじみと言ったのだった。
俺が刑罰を見ていたのは、現世の時間にしたら、ほんの数分だろう。いや、もっと短かったかもしれない。その短い間に、彼は何度死んで何度生まれ変わったのだろうか?。しかし、何度生まれ変わっても、彼には絶望しかない。休む間もなければ、救いもないのだ。せめて、説教くらいはあってもよさそうなのだが、それもない。彼には、恐怖と痛みと苦しみと絶望しかないのだ。
「あれが、権力を使って、多くの人々を死に追いやった者の行く末なんだよ」
夜叉は、溜息をつきつつそう言ったのだった。
「彼のほかにも、暴力団の長だった者が同じような刑を受けている。ま、そりゃそうだよな。多くの者を苦しめた罪だからな・・・。さてと、次へ行くか。次は、うそつきの宗教家だ」
げんなりした様子で夜叉は登ってきた山道を下り始めた。俺はその後ろを重苦しい気持ちでついていったのだった。


重い足取りで夜叉は歩きにくい山道を降りていく。俺もそのあとについていった。二人とも無言である。会話ができるような雰囲気ではなかった。
山を下り切ったところで
「こっちだ」
と、ようやく夜叉がしゃべった。と言っても一言だけである。夜叉は無言のまま、ひたすら前だけを見て歩いていた。俺は、その背中を眺めつつ、溜息をつきながらついていった。あたりを見回す気分にもなれない。もっとも、暗い中に炎があちこちに見えているだけで、何もない。もうあの激しい叫び声にも慣れた。まあ、弥勒菩薩様の手形のおかげなのだが・・・。
「しかし・・・なんだって人間どもは、あんな嘘までついて教祖になりがたるんだ?。俺には理解できん」
突然、夜叉が話し始めた。
「そんなにも人と違った能力が欲しいのか?。超能力ってやつか?。それとも多くの人に崇められたいのか?。だけど、みんながみんな、そう思うわけじゃないしな。ときどき、わけのわからん教祖のようなものが出てくるんだが、あれはいったい何なんだ?。どいつもこいつも、死んでからみんなここにやってくるよ。仏様や神様の名を騙った罪でな」
話しながら歩いていた夜叉が急に立ち止まった。そして
「見てみろ。仏様や神様の名を騙って、民衆を苦しめた者の行きつく先があそこだ」
夜叉が指さしたほうは、我々が立っている地面よりさらに下にあった。我々は山に登ってきたわけではない。平坦な道・・・あの針のようにとがった石が敷いてある道・・・を歩いてきただけだ。つまり、夜叉が指をさしたのは、そこよりもさらに下の大きな穴だったのである。
その穴は、炎の海だった。そこには、ざっと数十人の男女が炎の海に呑まれてもがいていたのだ。炎は、あの熱いけど焼けない火である。彼らは、その炎の海に溺れたような状態でもがいているのだ。
「上から見ただけじゃあ、わからないな。あいつら、まるで炎の海で溺れているとしか見えないだろ?。で、時々沈んでいくよな」
俺はうなずいた。罪人たちは、その炎の海でもがいているだけではなく、時々沈んでいくのである。で、しばらくすると浮いてくるのだ。先ほどから観察していると、どの罪人もそれを繰り返している。そして、俺は知っている顔を三人見つけたのだった。
「知っている者がいます」
「ほう、どいつだ」
「まずは、あの男。あのジジイです」
俺はその男の方を指さした。
「あのジジイは、『自分は死者を再生できる能力がある』とか言って、亡くなった人をミイラ化していたんですよ。で、その亡くなった人の遺族から大金を巻き上げていた。『このミイラは、今まさに生き返ろうとしている。この能力が使えるのはワシだけだ』とTVのワイドショーで嘯いていましたよ。ま、そのあと逮捕されたんですけどね。あぁ、当然裁判で刑を受けましたが、まあ、死体遺棄とか、詐欺とかですからね、刑期は短いですけどね。確か、数年前に死んだって聞いたけど、あのジイサンここにいたのか・・・」
「愚かな奴だ。死んだ者が生き返るわけがないのに・・・。遺族の人たちもそんなことを信じてしまうのか。はぁ・・・人間は愚かなだなぁ。生あるものは必ず死ぬ、当たり前のことじゃないか・・・。で、ほかのやつは?」
夜叉は、うんざりしたような口調でそう聞いてきた。
「あの男・・・そうあいつです。それとあのおばさん。あの男は、言わゆる霊感商法でぼろもうけした奴ですよ。『自分にはナントカの神の力が宿っている。私の言うことを聞けばあなたの悩みは一発で解決する。まずは、このご神体を家に安置しなさい。このご神体は、私の分身である。私に宿った神とつながっているので、あなたの家は守られるのだ』とか言って、一体百万円もするような変な像を売りつけていたんですよ。報道番組のインタビューでも『私は神だぞ!、私に逆らったり、誹謗中傷すると天罰が下るぞ!』と叫んでましたよ」
「お前は取材に行かなかったのか?」
「ほかの者が行きました。あの詐欺男、死んでいたんだ・・・」
「あぁ、刑務所の中でな、こいつも数年前に血を吐いて死んだんだ。突然死だ」
「あ、じゃあ、詐欺で捕まってすぐですね。ふーん・・・。あぁ、ちなみに取材に行った同僚は、まだピンピンしていますけどね」
「当たり前だ。あんな奴に、人に天罰を下すような能力なんてない」
夜叉の吐き捨てるような言い方が、ちょっと面白かった。夜叉は、本当にこういう連中が嫌いなんだということがよくわかる。
「あのおばさん、あの人はこっちの世界であった人ですよ。なんだか、自分のことを『不動明王の化身』とか言ってましたね。死出の山の中でも『悪霊退散!、キエー』って叫んでましたよ。で、最初の裁判で『不動明王の名を騙った罪で本当は地獄へ直行だったのだが、反省があるかどうかを見極めるために最初の裁判に呼んだ』と不動明王様に言われてましたけど、反省の色はなく、三途の川で流されていきました。三途の川の河原で、船に乗せろって騒いだんですよね〜」
「あっはっは・・・なんて馬鹿な奴だ!。三途の川の河原で騒いで、挙句の果てに川で流されたのか!。そうか、便所で流されたのか、あのおばさん」
「便所?、便所って何ですか?」
「そうか、便所を知らないのか・・・。そうだよな・・・」
夜叉はニヤニヤしながら考え込んでいた。どう説明しようか考えているのだろう。それにしても、ここにきて初めて夜叉が見せた笑い顔だった。俺は、その顔を見て、なぜかホッとしたのだった。
「三途の川って、いろいろ流れていただろ?」
「あぁ、はい。もっとも印象に残っているのは、水子の魂ですよね」
「あれは悲しいな。子供としての肉体を持つ前だからな、ドロドロしたものが流れてくるよな」
「そう、しかも大量に・・・。水も濁ってましたしねぇ・・・」
「その三途の川の汚れなんだが、途中で汚水と清浄水とに分けられるんだ」
「へぇ〜、そうなんですか。そんな話、聞かなかったですよ。あの粋な船頭さん、何にも言ってなかったなぁ」
「その時は、話す必要はないと思ったんだろ。実際、その時は関係のない話だからな」
俺は、「あぁ、なるほど」などと言ってうなずいた。確かに、三途の川の水のことは、その後の裁判にも関係のないことだ。ただ、三途の川の先が地獄につながっている、あの霊感おばさんはそこに流された、どこに行ったかはわからない、という話だけで十分だったのだ。
「三途の川はな、先の滝に落ちる寸前で清浄な水と汚水とに分かれるんだ。川面から見ていても、たぶんよくわからないと思う。まあ、流れながら汚水が上に浮いて、清浄な水は下に行くようになっているから、見た目には汚れた川にしか見えないからな。だから、三途の川で流された死者は、当然ながら汚水と一緒になるんだ。三途の川の汚れ、穢れ、それと一緒に地獄に流されるから『便所』なんだよ。あぁ、ちなみに、その汚水や穢れた水は、この無間地獄である刑罰に使われているんだぜ。今は、内緒だけどな。そのうちにわかる」
もったいぶった言い方をした夜叉だったが、さっきよりなんだか元気が出てきたようだ。
「それにしても、よく言えたもんだ・・・。不動明王様の化身だって?。笑えるねぇ・・・。愚かな奴だ。あのな、お前さんは知っていると思うが、仏様が人間にとり憑くようなことはない。人間に化身することもない。仏様のような人はいるが、化身はない。あそこの炎の海にいる奴らは、みんな『我こそは不動明王なり!』とか『私は観音様の生まれ変わりなのよ』なんて言ってな、人々を騙してきた連中ばかりだ。始末に悪いのは、初めは騙しているつもりだったのが、そのうちに本気で『不動明の生まれ変わり』だとか『観音様の生まれ変わり』だとか化身だとかいうことを信じ込んでしまうことなんだよ。嘘がいつの間にか本気になってしまう。だから、あいつらはみんなここに落ちてきても、初めは『我に何をするか!』って叫んでいるよ。愚かな奴らだ。ま、すぐに自分の間違いに気が付くんだけどね・・・」
夜叉は「フン」と鼻息を荒げ、炎の海の中の罪人たちを見つめた。そして
「本当に愚かな奴らだ・・・」
と小さくつぶやいたのだった。

「しかし、現世の人々は、なんであんな連中を簡単に信じるのかねぇ。『あなたには魔物がとり憑いている。その魔物を祓ってあげましょう』なんて言葉に簡単に騙されるんだよな、現世の人間は。死んだ人間が生き返る?、そんなわけないだろ!。なんでそれを信じるのか?・・・。そりゃな、苦しい時は何にでもすがりたくなる気持ちはわかる。わかるけど、死んだ人間は蘇らないし、不治の病が絶対治るなんてことはないんだよ。そりゃ、祈願しましょう、その祈願でよくなるといいですね・・・って話はあるだろうさ。仏様に一心に祈れば、それが通じることはある。あるが、あんなうそつきの連中が祈っても無理な話だろ。そういう祈願をするのは、ちゃんと修行をして、本当の修行者らしく、自分に厳しく生きている本物の僧侶だけだろう。お前の先輩の僧侶のようにな。修行もしたのかどうかわからないような、占い師なのか行者なのかわからないような、胡散臭そうな拝み屋のようなモノの言うことを簡単に信じてしまう方にも、責任の一端はあると思うぞ。あんな連中を信じる者がいなくなれば、ああいう連中は存在しなくなるのだからな」
夜叉は、よほど仏様の名前を騙っていた連中が嫌いなようだ。珍しく鼻息荒くしゃべっていた。
確かに、ああいう胡散臭い拝み屋に騙される方も騙される方である。しかし、人の弱みに付け込んで言葉巧みに騙すのだから、弱い立場の人は簡単に騙されてしまうのも無理はないのだろう。冷静に考えららない状態の時に、ああいう連中は付け込んでくるのだ。しかし、日本人はオカルト的なことが好きな人種であることは否定できない。多くの者が、「不思議な力」や「不思議な現象」を信じたり、期待したり、望んだりしているのが現実である。そういえば、先輩も言っていた。
『超能力なんぞ存在しない。それを理解しておかないと簡単に騙されてしまう。物理の法則くらいは、知っておいたほうがいいんだよ。その物理の法則を超えるようなことが起こる確率は、ものすごく低いんだ。宝くじに当たるよりも低いんだよ。それが自分たちの周辺にゴロゴロしているわけがないんだよ。そういう現実をちゃんと受け入れなきゃダメなんだ』
と。つまり、「こんなことが起きればいいのに」、「こうだったらいいのに」、「奇跡が起きないかな」なんて現実離れをしたことを心のどこかで持っているから、言葉巧みな拝み屋に出会ってしまうと騙されるのだ。現実は厳しいものなのだ、ということをよく知らなければいけないのだ。ちなみに、俺の先輩は、そんなに立派な坊さんではない。結構怠けものだし、口が悪くひどいことも言う。冷たいところもあるし、そんなに修行をしているようにも思えない。暇さえあれば本ばかり読んでいるような坊さんだ。だが、なぜかこっちの世界では評判がいいようだ。そればかりは理由がわからない・・・。

「ああいう仏様を騙る連中はさ・・・」
夜叉はまだ言い足りないらしい。
「本気で自分は勝れた人間だ、と思い込んでしまうから恐ろしいんだよ。仏様が、自分のような者に力を貸すなんてことがあり得ると思う方がおかしくないか?。どんだけ自惚れているんだ?。どんだけ自己評価が高いんだよ。あいつらは、そんなに勝れた人間か?。謙虚な心がひとかけらもない。初めは仏様が力を貸してくれた・・・が、そのうちに仏様の生まれ変わりになってしまう。仏様は・・・菩薩様にしろ、明王様にしろ・・・生まれ変わる存在じゃないのに、そんなことも知らないんだからな。バカバカしくて話にならんよ。あいつらはな、自分は穢れた存在だとか、至らない存在だとか、まだまだ修行ができていないんだとか、そういった謙虚な心がないんだよ。心底から謙虚な心がないんだよ。自分は優秀だと思ってしまう、自分は特別だと思ってしまうんだな。そこが最も怖いところなんだよ」
そう言って、夜叉は俺の顔を見ると
「お前の先輩の評価がこっちの世界で高い理由はな、自分のことをわきまえているからなんだよ。『自分には、そんな特別な力はない、仏様の加護があって生かされているだけだ、自分の力ではない』ということをよく知っているからなんだよ。そういうことを知っている僧侶は、あまりいないんだよ、残念なことに・・・」
と言って、ちょっと寂しそうな顔をしたのだった。
なるほど、そういうことだったのか。そういえば、先輩はよく言っていた。
『俺なんか、坊さんにならなければ、下手したらホームレスだ。怠けものだし、ろくな人間じゃないからな。坊さんになって救われているんだよ。仏様のおかげで、こうして威張って説教できるんだよ。自分の力じゃないさ。みんな仏様のおかげだよ』
あれは本気で言っていたのだ。自分のことをよく知っていたのだ。

「ところで、ここから見ているだけでは、あの罪人たちがどういう刑罰を受けているかわからないんですが・・・」
「あぁ、そうだった。つい興奮して話し込んでしまったな。あいつらが受けている刑罰はここからじゃ見えないんだよ。まあ、炎の海の中で行われていることだからな」
「それって見ることはできないんですか?」
「できるよ。見せるつもりだったしな。じゃあ、刑罰が見えるところへ行こうか」
そういうと、夜叉は平坦な道からわき道に入った。そこは、下り坂になっていた。
「ここをどんどん下っていくんだ」
その道は複雑に曲がりくねりながら、下っていく。やがて、洞窟のようなものが見えてきた。
「ここの中を通っていくんだ」
夜叉はスタスタと洞窟の中に入っていった。俺もそれに続く。洞窟の中も下りの道だった。
「そういえば、あの中には『夜唐道交(よるからどうこう)』の姿がなかったなぁ・・・」
夜唐道交とは、怪しい宗教の教祖だった人物だ。自分を仏陀だといい、出家主義の教団を築いた。しかし、怪しい薬を売ったり、教団に対して批判的な人物を殺害したり、挙句には地下鉄で化学薬品によるテロ行為を行ったのである。その罪で教団は解散、夜唐は逮捕され死刑になった。教団幹部の多くも極刑に処されている。あんなひどいことをした教祖とその一味なのに、あの炎の海には一人も姿を見なかった。
「そいつらはな、あの炎の海にはいないよ。もっとひどい刑を受けている。ま、そのうち出会えるさ」
夜叉は、吐き捨てるような口調でそう言った。それは、「これ以上何も聞くな」と言っているようだったので、俺は黙って歩くことにした。

一体どれだけ薄暗い道を下ったのか。道がやや平坦になってきたときに、先のほうから赤々とした光が差してきているのがみえてきた。
「もうすぐだ。そこを曲がれば終わりだ」
赤い光はますます強くなってくる。夜叉が指さした緩い曲がり角を曲がると、そこは真っ赤な光の海だった。
「これが炎の海の底さ」
俺の目の前に広がっていたのは、炎の海の水族館だった。巨大な水族館の水槽が目の前にあったのだ。水族館と異なるのは、中に入っているのが水ではなく炎であり、その中にいるのは人間である、ということだけだ。多くの人間が、炎の海の底でもがいていたのだった。


「炎の中で人は溺れることがあるんだ・・・」
それが俺の率直な感想だった。炎で溺れるなんて、考えららないことだろう。しかし、目の前の罪人たちは、まさに炎で溺れているのである。
多くの罪人たちが、炎の中でもがいていた。上へ上へともがいているのだ。まるで海の底から水面に這い上がろうともがいているみたいだった。ある者は、苦し気に喉を両手で抑えていた。ある者は手足をばたつかせ泳いでいるようにも見えた。ある者は胸を両手でかきむしっていた。ある者は片方の手を上に突き立て何かを掴むかのように必死に浮き上がろうとしていた・・・・。しかし、誰も炎の海の底からは浮き上がることができない。なぜなら、炎の手が罪人たちの身体に絡みついているからだ。
そう、それは手だった。手としか言いようがない。炎の手が罪人たちの足を掴み、浮き上がろうともがく罪人を炎の海の底に引きずり下ろすのだ。そして、その炎の手が海の底に沈んだ罪人の身体に絡みつくのだ。その手は罪人の皮膚をめくり、肉をそぎ、内臓を掻き出していた。あるいは、口や鼻の穴などあらゆる穴から身体の中に入り込み、身体の中から小さな爆発を起こしていた。そのたびに肉は飛び散り、骨は砕けていった。
しかし、彼らは死ぬことはない。破れた皮膚はすぐに再生するし、飛び出た内臓はすぐに元に戻る。砕け散った骨もいつの間にか再生されている。残るのは、ただ恐怖だけだ。炎の手にぐちゃぐちゃにされるという恐怖だけが記憶に残る。痛みや苦しみは、再生さるたびにリセットされ再び激痛が走る。決して死なない罪人たちの苦しみや恐怖は永遠とも思える長い時間、続くのである。

しかし、それでも罪人は、しつこく絡みつく炎の手を必死に払いのける。必死に払いのけていると、何とかうまく払いのけられる瞬間が実はあった。ほんの一瞬だが、炎の手をすべて払いのけられるのだ。罪人は、必死で炎の上に出ようともがく。それは溺れている者が水面に上がろうともがいている様子と同じであった。罪人はもがいたかいあってほんの少しだが、炎の上に顔を出すことができる。きっと「助かった、息ができる」と思うのだろう。が、そんな息抜きはほんの一瞬だ。あっという間に罪人は炎の海の底に沈められるのだ。
一瞬だけ目の前に現れた希望、救い、息抜き・・・それらは、あっという間に消し飛ぶのだ。そんなことなら、息抜きなどいらないくらいではないか、と俺は思った。ほんの少しの救いなら、むしろ無いほうがましだろう。絶望しかない中で、夢を見させるような行為はかえって残酷である。炎の海の海面に顔を出し、「助かった!」と安堵の顔をした罪人。しかし、すぐに炎の海に沈められ、さらなる絶望を味わうときの悲痛な表情は、単に炎の手で襲われているときよりも辛そうだった。
「あいつらはな、救うことなんてできないのに、超能力があるとか仏の力があるなどと嘘をついて、苦しんでいる人を喜ばせた。絶望の中にいる者に喜びを与えんだな」
ふと夜叉が話し始めた。
「でも、それって嘘じゃないですか」
「あぁ、嘘だ。そんな嘘はすぐにばれるし、つじつまもあわなくなる。つまり、絶望から救い上げられた人はさらに絶望へと突き落とされるわけだ。それがどれほど苦しいことか、わかるよな?」
そうだ。余計につらくなるのだ。救われると少しでも思った分、辛さはさらに増えるのだ。
「前よりも苦しい、前よりも辛い・・・。救われて落とされる、救われて突き落とされる・・・。残酷なことをしたんだよ、この罪人たちは」
夜叉が吐き捨てるように言った。
「しかもな、仏様の力だとか、不動明王の力だとか、観音様の力だとか、そうした仏教的なことを言うだろ。それによって、仏教が怪しいものへと落とされていくんだな。こいつらは、本当の仏教を誹謗しているんだ。本当の仏教を落とし込んでいるんだ。こんな連中がいるせいで、真面目に御祈願や御祈祷をしている僧侶も同じような目で見られてしまうんだな。いい迷惑なんだよ、こいつらがやっていることは。だから、人を殺したわけでもないのだけれど、この無間地獄へ堕ちてくるんだよ。こいつらの罪は・・・深いんだよ」
そう言って夜叉は、大きくため息をつき、頭を左右に振ったのだった。
「あの罪人にしがみついている炎の手は、騙された人たちの思い・・・苦しみや悲しみ、辛さ・・・の手なんですね」
俺の言葉に、夜叉は「あぁ、そうだ」とうなずいただけであった。

しばらく黙って炎の海の底でもがき苦しんでいる罪人たちを俺たちは見ていた。あのミイラを生き返らせると豪語したジイサンも、神の力が宿っていると騙した男も、不動明王の化身だと叫んでいたオバサンも、みんな炎の海の底で炎の手によって苦しめられていた。まさか、自分がやったことの報いがこうなるなんてことは、生きているときは夢にも思わなかっただろう。生きているときは、自分は生き神様のような存在だったのだから。哀れなものである。自分を知らないもののなれの果ては、本当に哀れなものである。
「もう・・・いいか?。こんな連中でも、まあこうなると哀れなものだな。見ていると本当に嫌になる」
夜叉は、そこで溜息を一つ着くと、
「次はもっと胸糞悪いが、仕方がない。これも仕事だからな。次へ行くか」
と言って、寂しそうな苦笑いをして歩きだした。
「次は、もっと胸糞悪いんですか・・・。じゃあ、覚悟しなきゃいけないですね」
俺の声も重くなっている。こんな光景ばかり見ていたら、そりゃ気分は重くなって当たり前だろう。それなのに、次はもっと嫌な気分になるのだという。
「無間地獄って・・・本当に救いがないんですねぇ」
「うん、まあな。でも、あれでも・・・あの罪人の縁者が供養を続けてくれれば・・・、ここを出られる日が来るんだけどな。唯一の救いは、現実世界の縁者による供養だけだな」
「あまり期待できなさそうですけどねぇ・・・。あとは、自分で悟れってことですか?」
「まあ、そうだな。あまり期待はできないな。そう、あとは自分で悟るしかない。これは自分が犯した罪の清算なんだから仕方がないことだ、とな」
夜叉の言葉に、それも無理そうだな、と俺は思った。あの罪人たちにそんな思いが生まれてくるのだろうか、はなはだ疑問である。
「まあな、そうなんだが・・・。しかし、何千年も何万年も同じ罰を受け続けていたら、ふと気が付くときは来ると思うぞ。実際、過去にもそういう例はあるからな」
夜叉の言葉は、まるで自分を慰めるかのようだった。俺は「そうだといいですね」とだけ答えた。

炎の海の底が見える地下から俺たちは出てきた。それだけでも、なんとなく俺はほっとした気分だった。地下だって、地上だって無間地獄の中には変わりはないのだが、あの地下は地上よりもなんとなく重苦しく感じるのだ。だから、思わず俺は
「は〜、何だかホッとしますね」
などと場違いな感想を漏らしてしまったのだ。それを聞いた夜叉は
「のんきな奴だ。ここも無間地獄だぜ」
とあきれつつ、笑っていた。きっと、夜叉だって、なんとなくホッとしていたに違いない。それほどあの地下は重苦しいのだ。
「そんなのんきなことを言っているのも今のうちだ。次は、本当に胸糞悪いぞ。ま、ある意味笑えるかもしれんが・・・」
「笑えるんですか?」
「う〜ん、まあ、見方によっては・・・かな。でも、やっぱり哀れだなぁ。まあ、愚かさの極みってとこかな・・・」
夜叉の表情は次第に渋くなっていった。「笑える」とは言ったが、ちょっと言い過ぎたと思ったのかもしれない。
我々は、しばらく無言で歩いていた。やっぱり重苦しいのである。それは当たり前だ。無間地獄なのだから。空気全体が重く、苦しい。他の地獄とは全く異なる。冗談の一つも言えないくらい、嫌な雰囲気なのだ。
「うん?、なんか臭くないですか?」
異臭がしてきた・・・ような気がした。異臭と言っても、昔、子供のころ住んでいたど田舎で嗅いだ便所の匂いだ。俺が住んでいたど田舎は、子供のころはまだ汲み取り式のトイレだった。小学校4年生のときに浄化槽にした。ようやく水洗便所になったのだ。だからそれまでは、いわゆる「ぼっとん便所」だ。落ちたら大変な便所である。あの時の匂いが急に漂ってきたのだ。
「近付いてきたんだよ。もうすぐだ」
「何に近づいてきたんですか?」
「地獄の便所・・・いや、地獄の肥溜めだな」
夜叉はそう言って、俺の顔を見て苦笑いをした。
「前に、三途の川の話をしただろ?」
「三途の川の便所の話ですか?」
「あぁ、そうだ。三途の川は汚水と清浄水に分かれるんだな。で、汚水は地獄へ流れつく。そう、ここに流れ着くんだ。あの霊感ババアか?、あのババアは、三途の川の汚水と一緒にここに流されてきた。ババアはさっき見た炎の海のほうへ放り込まれた。一方、汚水はというと、あそこに溜められるんだ」
夜叉が指さしたほうには、大きな岩山があった。
「あの岩山はな、真ん中がくぼんでいるんだ。まあ、大きな岩山の風呂みたいなものだな。深さはそれほどでもない。そんなに広くもない。大きめの露天風呂と言ったところかな。20人くらい入ったら満杯って感じの露天風呂だな。ただし、中には温泉が湧いているわけではない。まあ、見たほうがはやいな。それにしても臭いな。久しぶりにこの匂いを嗅いだが、これはたまらんな」
その匂いは次第に強烈になってきた。しかも、目にもしみてきて、目が開けづらくなってきた。
「うっ、おえ〜、は、吐き気が・・・。目が開けられない」
「おい、そういう時は・・・」
「わかってますって。今、手形を出すところです。あった、あった・・・。この環境に対応してください」
いくら地獄の状態を体験することが大事とはいえ、毎度毎度、勘弁してほしい。できれば自動的に対応してほしいものだ。いちいち手形をだして「対応して」というのは・・・。
「そうぶつぶつ言うな。ここの環境がいかにひどいかということも体験しておかないとだな・・・」
「世間に伝えられない・・・でしょ。わかっていますよ。いや〜、しかし、窒息死するかと思った。息ができないくらいの臭さですからね。おまけに、目がひりひりして痛いのなんのって・・・。夜叉さんは、よく耐えられますよね」
「うん?、まあな。昔長年いたからな、ここには。ま、身体が覚えているっていうか、順応しやすいというか、そんなものだ」
夜叉は、「この匂いはたまらん」と言っていたのだが、いつの間にか平気な顔をしている。やはり特殊な身体をしているのだ。でなければ、地獄の番人など務まらないだろう。
「手形によって、環境に対応してもらったのですが、それでも臭いですねぇ。目にもしみます。相当強烈ですよ、この匂いは」
「一般人がこの匂いを嗅いだら、即死だな。それほど毒素も強い。そこの階段を上っていくんだ。まあ、岩山のクソ風呂を見てみろよ」
我々は、岩山にある階段を昇って行った。匂いもそうだが、近付くにしたがって「ドボドボ、ドボドボ・・・」という音が聞こえてきた。しかし、ここでは罪人の叫び声は一切聞こえない。罪人は一人もいないのだろうか?。
「さて、ついたぞ。まあ、見てみなよ」
俺は岩山を登り切り、中をのぞいてみた。そこは、確かに風呂だった。ただ、風呂の中がお湯ではなく、汚水なのだ。その汚水は糞尿によるものと同じだと思われた。つまり、大きな「肥溜め」なのである。俺たちが立っている向こう側には、滝があった。その滝からは汚水が流れ落ちている。先ほどから聞こえていた「ドボドボ」という音は、この滝の音だ。
それにしてもこの汚水はひどい。夜叉は、確か三途の川の汚水だと言っていた。だとすると、三途の川は、相当汚れていることになる。そんな川、泳いだらそれだけで死んでしまう。いや、死人だから死ぬことはないが、気持ちが悪い。悪すぎる。しかし、あの時、三途の川はこんなに臭くはなかったはずだが・・・。
「三途の川の汚水だけじゃないんだよ、ここに流れているのは。餓鬼界の汚水、畜生界の汚水、修羅界の汚水、そして天界の汚水も一緒になっているんだ。だから、こんなに汚れているんだな」
「人間界の汚水は入っていないんですね」
「いいところに気が付いたな。さすが、ジャーナリストだな」
夜叉の嫌みに、俺はムッとした。
「怒るなよ。人間界の汚水は三途の川に入っている。三途の川は人間の善悪で、その汚さが決まってくるのだが、いくら人間が愚か者だと言っても、大きな悪はそれほどはない。今のところ、善のほうが勝っているからな、三途の川程度の汚水となるんだよ。そのほかの世界の汚水は、そりゃひどいものだ。餓鬼界は三途の川の汚水の数百万倍の汚れだ。畜生会は数十万倍。修羅界は数万倍だ。天界は、意外と汚れている。まあ、世界が広いからな。三途の川の数千倍汚れている。それとここ以外の地獄の汚れだな。これが三途の川の汚れの数億倍ある。それらの汚れを集めると、あの滝となるんだよ。あの滝の汚水を一滴、東京の都心部に落としたら、その時23区内にいた人間は即死だろうな。それほど毒素が強いんだ」
生き物は、生きている以上、食べて排出をしなければいけない。しかし、汚れとはそれだけではない。糞尿は自然の汚れだから、これは仕方がない部分もある。食えば出さなきゃいけないのだ。それが生き物だ。しかし、それ以外に汚れは存在している。それは「心の汚れ」だ。こっちのほうが始末が悪い。ここに集まってくる汚れは、糞尿の方ではなく、心の汚れの方だ。この心の汚れは、いわゆる「悪意」のことだ。
自分さえよければいい、他人などどうでもいい、他人など死んでしまえばいい、あいつが憎い、こいつが憎い、殺してやりたい、あれが欲しい、これが欲しい、奪いたい、自分のものにしたい、自分だけが助かりたい、自分だけが優遇されたい、自分だけがいい思いをしたい・・・。
こうした、我欲の強さが悪意である。この悪意が高じると、犯罪を犯したり不倫騒動をおこしたりするのだ。犯罪やマナーの乱れが多くなればなるほど、人間の心が荒めばすさむほど、三途の川も汚れることになる。今のところ、三途の川はそれほどひどくは汚れていないようだ。まだ、人間も捨てたものではないようだ。
それにしても、こうして岩山の汚水の露天風呂をのぞいてみても、誰もいないのは不思議だ。叫び声すら聞こえない。この地獄の刑罰は開店休業中なのだろうか?。
そんなことを思いながら、糞尿の風呂を見ていると、白い何かが浮かんできた。
「あ、あれは・・・」
それは、巨大なうじ虫のようなものだったのである。

つづく。



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