性の悩み増大
第2部 六道輪廻編
バックナンバー12
「何だお前、食うぞ」 いきなりクモが話しかけてきた。 「あの、ちょっとお尋ねしていいですか?」 とりあえず、俺はそう声をかけてみた。というのは、さっきのアリのような反応ではないからだ。 「あぁ、食いたい。食い物、食い物・・・」 ダメだ。どうやら通じないらしい。 「夜叉さん、どうも話が通じないみたいです。食い物食い物としかいいません。このクモ、魂補充組じゃないですか?」 「あぁ、聞こえているよ。う〜ん、どうかなぁ・・・。ちょっと待ってろよ」 夜叉さんはいったい何をしているのだろうか?。こちらからは夜叉さんの姿は見えないし、声も聞こえなくなっていた。 しばらくすると、クモが唸り始めた。「う〜ん」だの「くえ〜」だの、妙な声を出している。 「追加の神通力をかけてみた。どうだ、何か反応ないか?」 「えっ?、追加の神通力ですか?」 「あぁ、やってみた。どうだ、クモは」 「あぁ、えっと、うんうん唸っています」 「さっきからうるせーんだよ」 いきなり、低く太い声が聞こえてきた。その声は、イライラしているようだった。 「こちとら、腹が減って死にそうなんだよ。あ〜、何か食いてぇ〜」 「あ、あ・・・あの、今、しゃべりましたよね?」 俺はあわててクモに問いかけた。 「何だお前は。あぁ、腹が減った・・」 「あの、あなた、今の自分の姿わかってます?」 「あぁん、自分の姿だと?・・・な、な・・・なんだこれ、俺の手がない。足もない。身体・・・どうなってるんだ!。俺は、どうなってるんだ?」 そのクモは、身体をくねくねしだした。頭を振り回している。 「どうやら、当たりだったようだな。そのクモも人間の成れの果てだったようだな。よかったじゃないか」 「神通力を追加したって言ってましたが、何をしたんですか?」 「あぁ、記憶を掘り起こしたんだよ。たぶん、そいつはさっきのアリみたいに死んですぐにクモになったわけじゃないようだ。やっとクモになったんじゃないか?。ま、その辺聞いてみな。記憶はよみがえっていると思うぞ」 どうやら、このクモは、下から・・・地獄か餓鬼か・・・上がってきた魂の成れの果てらしい。人間界からやってきたわけではないようだ。 クモは、まだ暴れている。ちょっとしたパニックになっているのかもしれない。 「あの、ちょっといいですか?・・・あのね、あなたはクモになってしまったんですよ。それも小さいクモに。ちょっと!、聞いてください。おい、クモ!。お前だよ!」 なかなか反応してくれないので、俺はついつい怒鳴ってしまった。ようやく俺の声が届いたのか、中型犬程度の大きさのクモは、ビクッとして俺の方を向いたのだった。クモの顔が真正面に見える。クモってこんな顔だったのか、と改めて確認したが、なんだか気持ちが悪い。ちょっと不快だった。 「あのですね、あなたは何らかの理由があって、クモになってしまったんですよ。で、クモになる前は、別の世界の生き物だったはずなんですよ。覚えていませんか?」 俺は優しくクモに話しかけた。クモは、何の反応も見せず、ボーっとしていたのだった。 「えっ?、えっ?、俺がクモ・・・。はっ?、クモ?。いやいや、言葉はしゃべっているぞ。あぁ、確かに言葉はしゃべっている。うんうん、お前の言っていることも聞こえる」 「そうですね。言葉はわかるようですね。でも、あなたはクモなんですよ」 「あっ?・・・クモ?、俺が・・・?、夢か?、えっ?、おかしい・・・なんか薬を盛られたのか?」 「ちょっと落ち着いて。いいですか、ゆっくり思い出してください。あなたは、ここにどうやってきたんですか?」 「どうやってきたかって・・・。歩いてきた・・・と思うぞ。あれ?、いつだ?、いつからここにいる?・・・おい、はぁ、はぁ、はぁ・・・」 クモの息が荒くなってきた。相当焦っているようだ。 「落ち着いてください。深呼吸をして・・・ってできるのかな、クモに。まあいいや、深呼吸したつもりで、大きく息を吸ってください。」 俺の言った通りにクモは、深呼吸を始めたようだ。頭の後ろの肉・・・クモの身体の部分・・・が膨らんだりしぼんだりし始めた。クモでも深呼吸するんだ、と俺は驚いた。いや、たぶん、これは特別だろう。神通力によるものに違いない。人としての記憶がよみがえり、クモの身体に反応しているのだろう。 「お、俺は・・・」 どうやらクモは落ち着いてきたようだ。ぽつぽつと話し始めた。 「俺は・・・。あぁ、思い出した。俺はヤクザだった。よく待ち伏せしては、金を持っていそうなオッサンや若者を脅して金を巻き上げていたっけ・・・。博打もやったなぁ・・・。いかさまもした。あぁ、思い出してきた。はっ、ヤクザでもねぇな。そのへんのゴロツキだ。あぁ、そうだよ。正式に仲間になっていたわけじゃねぇ。ただのゴロツキだ。あぁ、やだやだ。思い出したくもねぇ。ま、あいつらに・・・いいように使われていただけだな。ちっ、あいつら、俺を利用するだけしておいて、いらなくなったらポイかよ。鉄砲玉だってやってやったのに。言われた通りに相手のタマだってとってやったのによ。くそっ、汚ねぇ野郎たちだぜ。結局、利用されただけじゃねぇか・・・。で、挙句の果てには、邪魔になったからってよ、抗争相手の中に放り出しやがって・・・。くそ、犬死じゃねぇか・・・」 クモは、前足をバタつかせながら「くそ、くそ、くそ」とわめいていた。 「へぇ〜、大変な目にあったんですねぇ。裏切られたんですね?」 「あぁ、そうだよ。っていうか・・・初めから俺のことなんか仲間にしていなかったんだ。裏切りもくそもねぇな。ふん、俺はな、誰ともつるまねぇんだよ。ケッ、誰があんな奴らとつるむもんか!」 「それって、いつの話ですか?」 「いつ?・・・いつの話だ?・・・あれは・・・。思い出せねぇ・・・。いつだいつだいつだ・・・えっ?、あぁ、う〜ん、おぉ、確か・・・江戸が終わったとか・・・。いや、あれはガキの頃だ。明治政府が何とかだとか・・・」 百年以上前の話である。どうやらこのクモ、いや、クモだった人は、ヤクザで人殺しのようだ。それも利用されただけで、この人が(クモが?)、相手を憎んでとか金品を奪うためとかではなく、誰かに命令されて人殺しをしたようだ。そのあげく、不要になったら捨てられたらしい。で、利用していた者たちの反対の勢力の者によって殺されたようである。それは明治時代の話なのだ。それからすぐにクモのなったのではないのだろう。 「そうですか、じゃあ、あなたは仲間の裏切りにあって、仲間の反対の勢力に殺されたんですね」 「あぁ、そうだよ。思い出したぜ。クソ!、俺はハメられたんだ」 「で、死んでどうなったんですか?」 「えっ?、何だと?」 クモは、俺の質問の意味が分からなかったらしく、首を傾け俺の方を見た。いくつもある目が不気味だ。クモは、ゆっくりと顔を下に向けると「う〜ん」とまた唸り始めたのだった。 「あぁ、俺は死んだのだ・・・。あっ!、うわっ!、うわ〜」 急にクモは叫び出した。前足で頭を抱えている。 「嫌だ、嫌だ、許してくれ!、あぁ、死にたくねぇ〜、ぎゃー」 クモは大声で叫んだ。で、静かになった。何も言わない。動きも止まってしまった。死んだ・・・のではないようだ。ゆっくりだが、胴体の部分が動いている。ヤクザのクモは、そのまま気絶してしまったらしい。 「夜叉さん、これって・・・このクモ、気絶しているんですよね」 「うん、そうだな。そのようだ。ま、おそらくは、地獄でのことを思い出したんだろうな」 「あぁ、そういうことですか。で、恐怖のあまり気絶してしまった」 「そうだな。全くだらしがないヤクザだな」 「いや、仕方がないですよ。地獄のあの刑罰を受けたんでしょ。そりゃ、思い出せば気絶しますよ・・・。さて、どうしましょうか?、待ちますか?」 「ちょっとつついて・・・といってもお前には無理か。水をかける・・・こともできないしな。このまま目を覚まさなければ、神通力もそのうち切れてしまうし。まあ、放っておくか。気が付いたときには、通常のクモに戻っているしな」 「はぁ、まあ仕方がないですねぇ。このまま死んでしまうってことは?」 「まあ、ないだろうけど、あったとしてもそれもいいんじゃないか。どうやらこのクモ、まだこっちの世界で一匹の虫も殺していないようだからな」 「そんなことわかるんですか?」 「あぁ、クモにしては若い。まだ、幼虫っていうのか?、大人のクモじゃない。生まれて間もないのだろう。巣だって真新しい。おそらく、エサもとってはいないだろう。水分だけで生きてきたようだ。ならば、このまま死んだほうがこのクモにとってはいいんじゃないか。殺生の罪を犯さずに済むからな」 そう言われてみれば、このクモはやけに小さいのだ。手足だってだって細い。子供のクモ、なのだろう。クモについては詳しくはないが、どう見ても幼いクモにしか見えないのだ。きっと夜叉さんの言っていることが正解なのだろう。 「じゃあ、このまま放っておきましょうか」 「そうだな。まだ、他の虫を殺していないようだし、殺生する前に飢えて死んだのなら、この次はクモよりはマシなものに生まれ変われるだろう」 それにしても長い道のりだ。明治の時代に人を殺して地獄に落ちて、地獄の刑罰を何度も受けて、ようやくクモに生まれ変わってきた・・・。100年以上の時を経てだ。 「人の命を奪った罪は大きいですね。100年以上たっても、クモですか・・・。なんだか哀れですねぇ」 「まあ、仕方がないな。このクモに身内がいて、供養でもしてくれていればな、そんなに長く時間はかからないのだが・・・。まあ、ヤクザだったんだ。きっと家族もいなかったんだろうな。誰も供養をしてくれなかったのだろう」 人が亡くなり、犯した罪によって地獄へ落ちてしまう、それは仕方がないだろう。自業自得だ。しかし、その地獄へ落ちた者でも家族がいて、その家族が供養をしてくれていれば、そんなに長く地獄にいるわけではない。だが、家族もなく、いや、たとえ家族があっても、供養が無ければ、長い年月の間、地獄で苦しまなければならないのだ。さらにそのあとには、餓鬼や畜生の世界が待っている。長い長い、とてつもなく長い時間を経て、何度も生まれ変わり、罪は消えていくのだ。そう思うと、法律を犯すような罪をしなくて生きてこられたことに感謝するべきなのだろうと、俺は思った。このクモの人だって、生まれた時の環境がもっと良ければ・・・。 「いや、それは違うぞ。生まれた環境がいくら悪くたって、罪を犯さない者はたくさんいる。大事なのは本人の考え方、生き方だろ」 「あぁ、そうですね。もちろんそうです。でも、生まれによって、罪を犯す犯さないの危険度は、影響しますよね。常識的な家庭に生まれたか、親が暴力的でマナーが悪い家庭に生まれたかで、やっぱり差は出ますよ。もちろん、本人の自覚も大事ですけどね。だから、常識的な家庭に生まれたってことだけでも、感謝はすべきなんでしょう」 「まあな、それも一理あるけどな」 それっきり、俺も夜叉さんも黙り込んでしまった。あまりにもクモが・・・目の前で気絶したままでいるクモが、惨めだったから。 「さて、次へ行こうか。どうする?、このまま草むらを歩くか?」 夜叉さんが、不意に聞いてきた。 「う〜ん、そうですねぇ・・・。このまま草むらを進んでも、また同じようにアリだのクモだの・・・よくてコウロギですか、そんなものくらいにしか会わないんでしょ?」 「まあな、草むらだからな。そのあたりの虫くらいしかいないよな」 「じゃあ、田んぼの方へ行ってみましょう。虫じゃなくて、カエルとかに会えるかもしれません。虫よりはマシかも・・・」 「田んぼねぇ。まあ、いいけど、俺は下には降りないから。じゃあ、行くか」 気乗りしなそうな夜叉さんだったが、俺は気にしないで、足を田んぼの方へ向けた。今来た道のりを引き返すのだ。 「疲れることはないですが、ちょっと遠くないですか?」 「まあ、距離はあるよ、今のお前のサイズじゃな」 「田んぼに着くまで時間がかかりますよね。その間、夜叉さんは退屈じゃないですか?。俺はいろいろ見て回れるから退屈じゃないですけどね」 「お前・・・嫌なヤツだな。素直に飛ばしてくれって言えばいいのに」 「素直に言っても聞いてくれないでしょ。いや、素直に言えば、『歩け、それも修行だ』って言いそうじゃないですか」 「ちっ、まあいい。空中で待っているのも確かに退屈だしな。お前がカエルやザリガニにイジられるのを見るのも楽しかろう。仕方がないな、そらよ!」 夜叉さんの掛け声とともに俺の身体は宙に浮いた。浮いたと思ったら、あっという間に田んぼのそばまで来ていた。すごい、俺も早く神通力を身に着けたいものだ。せめて、瞬時に移動ができるようになりたいものである。 「ありがとうございます。田んぼですよ、夜叉さんの嫌いな。なんだか、懐かしいな。子供のころ住んでいた田舎を思い出しますよ」 「はぁ〜、この田舎の匂い、これが俺は嫌なんだよな・・・」 夜叉さんの大きなため息を無視して、俺は田んぼに近付いた。確かに田んぼ独特のにおいがしてくる。泥臭いにおいだ。道路のへりに行き、田んぼのあぜ道に降りてみた。身体が小さいから結構大変だ。しかし、落ちたとしてもケガはしないし、死ぬことも無い。疲れることも無い、今のところ。魂のエネルギーは、まだまだ十分ありそうだ。水辺に近付いた。稲の根元を見てみる。 「何かいないかな・・・。あっ、あれは茶色いカエルだ。よく泥の中にいるカエルですよ。そんなに大きくないな・・・。夜叉さん、カエルを見つけましたよ。何とか近づけないですかねぇ」 「水の上を歩いて行けばいいんじゃないか?」 「そんなこと、できるんですか?」 俺が本気にしたのが予想外だったのか、夜叉さんは黙ってしまった。しばらくして 「そうか、そのほうが手っ取り早いか・・・。よし、こうしよう。お前が神通力を使えるようにしてやる。そうすれば、俺がいちいち見ていなくてもいいだろ。うん、我ながらいい考えだ」 「そんなこともできるんですか?。もしできるならやってくださいよ」 「よし、いいだろう。じゃあ、これからお前に俺のつかえる神通力の一部を少しだけ貸してやる。使える神通力は、自由に移動できる力と、相手に言葉を話せるようにできる神通力と、前世の記憶をよみがえらせる神通力だ。いいか、貸してやるのは、ほんの少々だ。そうでないと、お前の魂がパンクするからな、ボカンっと。だから、神通力が使える量、時間も少ない。つまり・・・」 「長時間は、水の上にいられないし、相手と話すこともできない、ってことですね」 「あぁ、そうだ。いいか、身体がふらつき始めたらすぐに陸に降りろ。でないと、魂が水に飲まれてしまうかもしれん。もし、そうなったら、俺でもお前を救うことはできないからな。いいな、注意しろよ」 「わかりました。身体がふらつくようになったら、すぐに陸におります」 「よし、じゃあ始めるぞ」 夜叉さんはそういうと、なにやらまた呪文を唱え始めたのだった。その呪文は、前の呪文より長い呪文に感じられた。 「よし、これでいいはずだ。」 長い呪文を唱え終えて夜叉さんがそう言った途端、俺は宙に浮いていた。 「あ、あわわわわ」 「何を慌てているんだ。あぁ、うまく態勢を保てないのか?」 そうなのだ。俺は宙に浮いたはいいが、まっすぐ立ってられないのだ。身体が横を向いたり、斜めになったり、回転しそうになったりするのだ。 「はぁ・・・情けないなぁ。言っておくがな、お前は肉体がないんだぞ。なんでそうなる?。今の姿は仮の姿だ。スカスカの姿だ。どうして普通に浮けない?」 「そ、そんなことを言われましても・・・。で、でもね、仮の姿と言っても、肉体がないと言っても、一応、地面にくっついているじゃないですか。地面に立って歩くような感じで移動するじゃないですか」 「まあな、生きているときの習慣だからな。それが残っているわけだから、仕方がないさ。部屋に入る時だって壁を通り抜けないのと同じだ」 「そういうことなら、生きているときは宙に浮くことなんてなかったから、こうなるのも仕方がないんじゃ・・・あっ」 「あっ、じゃないし・・・。まぁ、慣れるまで仕方がないか」 「な、何か・・・そのまっすぐ立っていられるようなコツとかないんですか?」 もはや俺の身体は俺の意思に関係なく、くるくる回っている。肉体がないはずなのに、目が回りそうだ。吐き気もしてきた。 「あのな、意志の問題だ。強くイメージしろ。まっすぐ立っているイメージだ。まずは、回転を止めろ」 「は、はい、やってみます」 俺は回転が止まるよう強く念じた。すると、仰向けのまま、俺は宙に浮いた状態で回転が止まった。次に、地面に立つ感じをイメージした。すると身体がまっすぐになった。立った状態になったのだ。 「お前、ダメじゃないか。地面に立っているぞ」 「あっ、あぁぁぁ。そっか、地面に立つイメージをしたから」 「はぁ、どんくさいなぁ・・・。ひょっとしてお前ってさ、運動音痴だったか?」 その言葉に俺はちょっとムッとした。はいはい、そうですよ。俺は運動音痴ですよ。運動は苦手ですよ。どんくさいですよ。 「まあ、そう言われればそうでけどね。運動神経は、ありません!」 夜叉さんは、ケラケラ笑っている。 「あ、あは、あははは・・・。運動音痴の死人なんて初めて見たぞ。これは笑える。あぁ、久しぶりに大笑いした」 そう、俺は子供のころから運動が苦手で、周りからよくからかわれたのだ。走れば転ぶ、ボールを投げればあらぬ方向に飛ぶ、もちろんドッヂボールなんてできない。縄跳びなんて飛べないし、持久走だって苦手だ。身体を動かすことはすべて下手くそだった。下手くそどころか、センスがない。唯一できたのは水泳くらいだ。あれは水に浮くんで・・・。あぁ、そうか、あの感覚か・・・。俺は立ち泳ぎのやり方をイメージしてみた。すると・・・。 「おぉ、身体が浮いたじゃないか。それにしても、なんだその手足は。なんで空気を掻くように動かしているんだ?」 「こうしないと、沈んでいくんですよ。ちょっと待ってください。手足を動かさなくてもフワッと浮けるようにイメージしますから」 そう言いつつ、俺は手足の動きをゆっくりと止め始めた。一瞬、身体が地面に落ちそうになる。が、浮くイメージを強くすれば、落ちないで空中にとどまることが分かった。 「ほう、大分できるようになったな。そうだ、その調子だ。それを意識しないでもできるようにするんだ。はぁ・・・。こんなことなら、お前に神通力を使えるようにするんじゃなかったな・・・」 「じゃあ、カエルのところに付き合ってくれるんですか?」 俺がそういうと、夜叉さんは「んぐ」と変な声を上げて黙ってしまった。やはり、カエルは嫌なのだ。田んぼに近付くことすら嫌なのだ。 「まあ、そのまましばらく練習すればいいか。時間はたっぷりあるしな。エネルギー切れになったら、俺が分けてやるよ。うんうん。だから俺は下へは降りない」 結局、俺がやるしかないのだ。夜叉さんは、絶対に田んぼには近づかないのだ。 しばらく浮く練習をしていた俺は、どうにかこうにか自由に動くことができるようになった。空中を前後左右上下、どこでも動けるようになったのだ。が、ひどく疲れた。仕方がないので、地面に降りてきた。 「ダメです。疲れました。息切れした感じがします」 俺は両手を膝についた格好で地面に立っている。が、実は、立っているのが辛いくらいだった。死人にもこんな感覚があるんだ、と不思議に思った。 「ほう、エネルギー切れか。まあ、あれだけ飛ぶ練習をしたんだ。仕方がないな。そのままほっておくと、お前の魂は消えてしまうからな。仕方がない、ちょっと待ってろ」 魂が消えてしまう?、そりゃマズいじゃないんですか! 早くしてくださいよ!・・・と叫びかったが、声すら出ない。夜叉さんの方へ顔を向けるのが精いっぱいだった。 夜叉さんは、両手をからませ・・・印を組むというのだそうだ・・・何やらまた呪文を唱えた。今度はそんなに長くない。そして、手のひらを俺の方へ向けた。その途端、手のひらが光る。 温かい光だった。身体が、魂が、優しい空気に包まれているような気がした。次第にエネルギーが満ちてくるのが分かった。身体がとても軽い。 「まあ、こんなもんだな。目いっぱいエネルギーを補充しておいた。これで結構な時間飛べるんじゃないか。いいか、さっきみたいに体が重く感じるようになったらすぐに地面に降りろよ。また、俺が補充してやる。が、俺もエネルギーがずいぶん減ったから、ちょっと補填してくるよ。じゃあな」 そういうと夜叉さんは一瞬で消えてしまったのだ。おそらくは、閻魔大王の元に戻ったのだろう。そこで魂のエネルギーを補充するのだ。満タンになれば、すぐに戻ってくるだろう。それを信じて、俺はカエルの方を見たのだった。 土色をしたカエルは、まだ田んぼの中にいた。今は、水の上に浮いている。カエルまでは結構な距離がある。しかし、一応、俺は陸から手を振りながら大声を出してみた。が、何の反応もない。俺の存在に気付いていないのだ。 「そうだな、まずは、話ができる神通力を使ってみるか。あっ、この神通力ってどうやって使うんだ? やり方を聞いてなかった。あぁ、もう、夜叉さん、まだ戻ってこないなぁ・・・」 困ったことに、神通力の使い方がわからない。なにが呪文を唱えなければいけないのだろうか? そういえば、夜叉さんは呪文を唱えていたように思う。そんな呪文、俺は聞いてない。さて、どうするか・・・。もしかしたら、呪文はなくてもイメージでできるのかもしれない。まあ、ダメもとでやってみるか・・・。 俺はそう思って、とりあえず、手を伸ばし、手のひらをカエルに向けてみた。手のひらから神通力が発射されるのをイメージしてみたのだ。 「よ〜し、話ができる神通力よ、この手のひらから出て、あのカエルに当たれ!。ハッ!」 すると手のひらがぼんやり光り出した。そしてその光は、ゆっくりと手のひらを離れ、フワフワと飛んでいきカエルに当たった。その途端、カエルは俺の方を見たのだった。 「な、なんだ、何だお前?。ふん、食えそうにねぇな。あれ?、あたし、言葉をしゃべってる? えっ、しゃべって当たり前か? でも、なんか久しぶりにしゃべったような・・・。うん? ここはどこだ? いや、腹減ったし。なんか食い物ねぇかな」 「やった〜!」 と俺は思わず叫んでいた。次は、カエルへの接近だ。俺は空中を移動した。 「オッサン、何なんだよ。近付くんじゃねぇーよ。うぜぇーんだよ」 カエルのすぐ目の前で俺はとどまった。カエルからは、やや上にいることになる。 「あの、ちょっといいですか? あなたはカエルなんですけど、わかりますか?」 「ハァ?、オッサン何ふざけてんの? バカじゃねぇの? あたしがカエル? てめぇ、うっせーんだよ」 「いや、よく見てください。ほらあなたの手、それ人の手じゃないでしょ?」 そう言われたカエルは、自分の目の前に手を上げようとした。が、動きがぎこちない。しかし、かろうじて手が見えたようだ。 「ギャー、な、なんだこれ。これあたしじゃない! あ、あ、あぁぁぁ」 カエルは暴れ出した。水の上でじたばたしている。それで自分が水の浮いているのに気づいたようだ。 「何だここ、ここどこだ! あたし、水の中にいるのか?」 「だから、あなたはカエルなんですよ。よく見てください、己の姿を」 カエルは体をくねらせ、自分を見ようと必死になっている。カエルの目は上の方にある。そりゃ、己の姿は見にくいだろう。ちょっと俺は意地悪になっていた。 カエルは暴れまくっている。このままでは埒がか無いので、俺は次の神通力をかけることにした。そう、前世の記憶を蘇らせるのだ。さっきの要領だ。同じように手のひらをカエルに向け、前世の記憶が蘇る神通力が手のひらから出るとイメージしたのだ。そして、それが光となってカエルにあたるのだ。 そのイメージ通り、俺の手のひらから光が発射された。それは、カエルに当たった。暴れていたカエルは「フンギャ」という変な声を上げたかと思うと、おとなしく浮かんでいた。 「あ、あぁ・・・あれ? あぁ、あたし、死んだのか・・・」 「どういうことなのかな? ちょっと教えてくれるかい?」 そこまで言って、俺はいいことを思いついた。エネルギーを無駄にしないように、カエルを陸に誘えばいいのだ。 「水に浮いたままで話すのもなんだし、あそこの土のところへ行かないか?」 俺はカエルにそう言ってみた。カエルは、「あぁ、そうだね」と言うと、スイスイ泳ぎ出し、陸に上がった。俺もその後に続き、カエルの前に降り立った。 「君は死んだの?」 「えっ? あぁ、死んだ、そう死んだんだよ」 「どうやって?」 「えっ?、え〜っと・・・。確か、事故に遭って・・・。そう、チャリで・・・あぁ、あっ、キャー!キャー!」 「あぁ、ちょっと落ち着いて。はぁ、クモと同じだな。やっぱり、前世の記憶が戻ると、パニックになるらしい。いいから、深呼吸をしよう。さぁ、落ち着いて、ゆっくり空気を吸って・・・」 カエルは深呼吸をした。ゆっくりゆっくり呼吸をするうちに、次第に落ち着いていった。 「あぁ、思い出した。あたし、チャリで・・・信号無視したんだよね。そしたら、トラックにはねられて・・・病院に行ったような・・・救急車に乗ったよな?・・・あぁ、でも死んだんだ。そうだ、葬式したし。あっ、あっ、あいつら、笑ってやがった。くっそ〜、思い出した。アイツらあたしが死んだこと、笑いやがった。許せねぇ!」 カエルの口調からすると、このカエル、カエルになる前は女性・・・あまり品行方正でない女性、中学生か高校生か・・・だったのだろう。 「君はいくつだったの?」 「17、JKだよ、オッサン。あいつら、あたしの葬式の後、チャリで死んでざまーねぇのつってたんだよ。許せねぇ。なぁ、オッサン、アイツらに復讐する方法知らねぇ?」 「あの、話がよく分からないんだけど、わかるように説明してもらえるかな?」 「ちっ、使えねぇーな」 品行方正じゃないどころか、正真正銘の不良女子高生のようだ。まあ、カエルに生まれ変わるくらいだから、生きていた時の行動はひどかったのだろう。でなければ、こんな泥色の汚いカエルに生まれかわるわけがないのだ。カエルの口の利き方にちょっとムカついたが、カエルに生まれ変わったのかと思うと、なんだか哀れになってきた。 「あのな、あたしは女子高生で、ダチがいたの。で、あたしはチャリに乗ってて、信号無視してトラックにひかれて死んだの。で、あたしの葬式の時、そのダチが来てて、あたしが死んだこと、バカにしてたの。ムカつくぜ、アイツら。ち、なんであたしが死ななきゃいけないんだよ、うっぜー」 「いや、だって、自転車に乗って信号無視して走れば、そりゃ轢かれるでしょ。死ぬ確率は高いよね」 「はぁ?、うっせーんだよ」 カエルは俺を見上げて、思い切り睨みつけてきた。といっても、そう感じるだけで、実際はカエルが俺を見た、という程度だ。別に怖くもなんともない。それどころか、やはり哀れで滑稽だ。カエルですごまれても・・・。 「なぁ、オッサン、アイツらに復讐ってできねぇーもんかな」 「できないんじゃないの、だって、君、カエルだよ?」 「うわー、ギャー、そうだった、あたしカエルじゃん!、しかも、なにこれ、きったねぇー。うげー、吐きそう! なぁ、オッサン、どうすりゃいいの?。なんであたしがカエル? オッサン、助けてくれよ。何でもするからさ。一晩くらいなら付き合ってもいいから」 いや、だからカエルだし、カエルに言われても・・・。 「君は、なに?、その援交とかしてたんだ?」 「はぁ?、そんなもん、当たりめーだろ、しないほうが変じゃん。ばっかじゃねぇーの」 あぁ、そういう女子高生だったんだ。まあ、カエルでも仕方がないか。醜い汚いカエルでも。 「じゃあ、学校はあまり行ってなかった?」 「そんなもん、テキトーだろ。センコーだって、あたしたちと寝てるんだし、でかい面できねぇーつうの。キャハハハハ」 生徒も生徒なら先生も先生だ。どうなっているんだ、まったく・・・。 「君は、この地域に住んでいたのかい?」 そう聞くとカエルは周囲を見回した。しかし、よくわからなかったようだ。 「ふん、どうせ、うちらは田舎の女子高生だよ。ここがどこか知らねぇーけど、田んぼはあったよ。あぁ、もう、どうしてあたしがカエルなんだよ! あぁ、ムカつく」 どうしてカエルになったのか・・・。その理由は何となくわかる気がする。それを話したほうがいいのだろうか? 話して、果たして理解できるのだろうか? 神通力が切れてカエルに戻っても、俺が話したことを覚えているものなのだろうか? 覚えていないのら、話しても無駄なことだ。しかし、少しでも覚えているのなら・・・カエルから少しマシな生き物に生まれ変わることができるかもしれない。まあ、覚えていなくても、話しておいたほうがいいだろうな・・・。俺はそう思って、カエルに、なぜカエルに生まれ変わったかを、自分なりの考えを話すことにした。 「カエルさん、教えてや・・・」 「カエルっていうんじゃねぇよ、このクソオヤジ!。あたしは、・・・あっ、名前・・・なんだっけ・・・あ、あぁ、あたしの名前・・・うえ、うえ、思い出せねぇ・・・あぁぁ、うえぇぇぇぇん」 カエルは泣き出してしまったのだった。 「うえぇぇぇぇん、うえぇぇぇ・・・ど、どうしよう、あたし、あたし・・・名前がわからない・・・うえぇ、うえぇ・・・うえぇぇぇぇん」 まいった、もとJKだったカエルが泣き出してしまった。まあ、名前がわからなくなったのだから、そりゃ泣きたくもなるだろう。いや、待てよ、このカエル・・・もとJK・・・は、死んだのだから戒名があるはずだ。それならわかるのではないだろうか?。俺は、そう思ってカエルに問いかけてみた。 「あ、あの、取り乱すのはわかるけどね、君、死んだんだよね。なら、名前がなくても当然じゃないか?」 「うえぇ・・・、うえぇ?うえぇ、うえぇ・・・。あぁ、あ、そうか、あたし死んだから名前も消えたのか・・・あぁ、そうか、そうか、え〜、でも、じゃあ、あぁ〜もうわかんない!」 「あのね、亡くなった時、葬式したよね?」 「うん、した」 「その時にさ、お坊さんきたよね?」 「来た・・・と思う・・・。あぁ、訳の分かんないお経読んでた。へんなじじいだった」 「あぁ、まあ、じじいってのはいいんだけどさ、その時に、戒名とか法名とかいってなかったか?」 「え〜、そんなのわかんねぇよ・・・。か、戒名? そんなの知らねぇし」 「いや、絶対にそういうのあるはずなんだけど。それが、死んでからの名前になるんだよ。それがないと死んでから名前がない生き物になっちゃうんだよね」 「えっ?、な、なにそれ? 名前がない? えっ? でも、あたしカエルだし。あ、それは名前じゃないか・・・。えっ、戒名? 何だっけ・・・。あぁ、確か何か言ってたような・・・。何とか院?何とか・・・しんにょ?」 「そうそれ、それが君の名前だよ。思い出せないか?」 「え〜っ! ちょっと待って・・・。あ〜っ!思い出せねぇ・・・。なんっつたかなぁ・・・。え〜っとねぇ、え〜っと・・・。思い出せねぇよ」 カエルは、その短い手で頭を抱え込んだ。身体をくねらせて考え込んでいる。この女子高生は、一体いつ死んだのだろう? そんなに前のことではないと思えるが、それでも戒名を忘れるなんてこと、あるのだろうか? まあ、少なくとも生まれ変わっているのだから、亡くなって49日は経っているのは間違いない。その間に忘れたのか? いやいや、そんなことはないはずだ。この女子高生がものすごく・・・アホ?・・・なのだろうか?。あぁ、ひょっとすると親が供養をしていないのかもしれない。もしかしたら、死んでからロクに供養していないのか? もしかして49日もしていないとか? いや、49日をしなきゃ生まれかわらないか・・・。だとすると49日以降、何もしていないのか・・・。娘なのに? 若くして亡くなったのに? まさか、この子の親は「厄介払いができた」とか思っているのだろうか? もし、そうなら、それはとんでもないことだ。もしそうなら、その親も不幸なことになるのではないか。そんな親はいない・・・と言いきれないから、今の世の中は恐ろしいのだ。 「どう?、思い出せない?」 俺が考え事をしている間、このカエルは戒名を思い出そうとしているのかと思っていたが、何のことはない、このカエル、ボーっとしていた。 「おいおい、思いう出そうとしたんじゃないのか?」 「え〜っ、もういいしぃ、頑張っても思い出せないしぃ。もういいっかなぁって」 「いいのか、それで?」 「あぁ?、いいんじゃね。どうせカエルだしぃ。はぁ〜、それよりさぁ、なんであたしカエル? ほかのでもいいんじゃね?」 立ち直りが早いのか、それとも何も考えられないバカなのか・・・。とはいえ、このもとJKの言っていることにも一理ある。所詮カエルだ。名前はどうでもいいのかもしれない。何でカエルか・・・確かにその方が重要だろう。 なぜカエルになったのか・・・。俺は俺なりに考えてみて、俺なりの考えを話してみた。 「君ってさ、女子高生の時、あぁ、いや中学や小学校の時もそうだけど、イジメしてたでしょ」 「えぇ? あぁ、イジメ、したよ。で、何か?」 「いわゆる、弱い者いじめだよね」 「だから、したって。で、それがなんだっていうの?」 「その報いなんじゃないの? カエルの姿」 あぁ、俺まで話し方が似てきてしまった。ちゃんとした文章になっていない。 「弱い者イジメしたから、その罰としてカエルになったんだよ。しかも、お小遣いくれそうな男にタカって、男を食い物にしていただろ?」 「それってさ、あたしが悪いんじゃないよね。あたしに群がった男が悪いんじゃん」 「まあ、そうだけど、当然、君に群がった男たちも天罰は食らうけど・・・」 「あいつらバチ当たるんだ、きゃはははは、ウケル〜」 はぁ・・・こいつ、全く脳天気だ。だから、カエルになるんだよっ・・・と俺は毒づいたが、それは言葉には出さず、 「君も悪いところはあるだろ? 高校生として、やってはいけないことをした。いや、人としてやってはいけないことをした。イジメや援助交際だけじゃないだろ、万引きもしただろ?」 と諭すように話したが、だんだん腹が立ってきた。ボーっとしたカエルの姿を見ていたら、余計にムカついてしまった。 「だから、姿の醜い、泥にまみれたカエルになったんだよ。こっそり万引きするみたいに、これからはコッソリ、ハエや小さな虫を食って生きていくんだよ。で、子供に見つかるとイジメられたりするんだよ。蛇や鳥に追いかけられて、ビクビクしながら生きていくんだよ。それもこれも、お前が生きているときにやったことの報いなの。この世に敵なし、怖いものなんかない、我が世の春、世の中なんてチョロイもんよ・・・なんて生きてきたから、そんな醜いカエルになったんだよ。わかったか。少しは生きていた時の、自分の行いを反省しろ!」 俺はついつい語気が荒くなってしまった。カエルはというと、どうやら俺を睨んでいるようだ。 「ちっ、っせーな。説教なんていいんだよ。うるせーんだよ、じじい。あ〜も〜だりぃ、わかったから、もう行くわ。じゃあな、オッサン」 カエルはそういうと、もそもそと歩き出し、田んぼの水の中へ飛び込んでいった。その瞬間だった。稲の脇から蛇が出てきたのである。 「ギャ〜、お、おっさん、助けて、へ、蛇、蛇が来た。あたしを食おうとしているよ。助けてよ、おっさん」 勝手なものである。つい今しがた、ウルセーと言っていたの誰なのか? 身勝手にもほどがある。俺は思いっきりため息をついた。そして 「仕方がないんじゃないか。蛇に食われろよ。それが報いなんだからさ。じゃあな、カエル」 と冷たく言い放ったのだった。 「ま、待って、待って、悪かった、悪かったよ。反省するしぃ、あたしが悪かったんだよ。ギャー、ちょっと助けて、お願いだから、何とかして!」 カエルは手足をバタつかせながら、蛇から逃れようとして必死に泳いでいた。しかし、何ともしようがない。助けようがないのだ。俺がつかえる神通力は、空中を移動することと対象者が話ができるようにすること、前世の記憶を蘇らせること、ただそれだけなのだ。物を掴んだり、持ち上げたりはもちろんできなし、夜叉さんのようにかめはめ波的なものは打てないのだ。しかも・・・。きっと、この場合、何の手出しもしてはいけないのだろう。俺が手を出すことではないのだ。カエルが蛇に食われずに安全に暮らす方法は、遺族・・・この場合はもとJKの親・・・の供養に頼るしかないのだ。それがルールのはずだ。だから・・・。 「俺には君を助けることはできない。もし、助かりたいのなら、君の親に供養をして欲しいと強く念じることだ。救われる方法はそれだけだよ」 カエルは一瞬を俺の方を見て、「えっ?」という顔をしたが・・・そういう顔をしたと思いたいだけなのかもしれないが・・・すぐに必死な形相で泳ぎ始めた。そして 「なんのことか、わかんねぇけど、く、くよう?、くようって言えばいいんだな、わかったおっさん、サンキュー」 と叫んだ。なんだ、素直に聞けるじゃないか。俺は少しほっとした。人間、究極的な立場になると、素直になれるのだろう。本当は、もっと早く素直に他人の助言が聞ければ、カエルになんてならなかったのだろうけど・・・。あのカエルの声が、蛇に食われる前に親に届けばいいのだが。そうすれば、たとえ蛇に食われても、次はカエルではないだろう。もう少しマシな生き物になっているに違いない。俺はそう思って、カエルの姿を追いかけた。カエルは必死に逃げていたが、とうとう力尽きたのか、蛇に追いつかれてしまった。あっという間である。あっという間にカエルは蛇に飲まれてしまった。 「供養の願い、届いていればいいんだけどね・・・」 「だといいな、そうすればあのカエル・・・もとJKも救われるのにな」 「夜叉さん、いったいつからいたんですか?」 俺の頭上に夜叉さんは浮いていた。 「お前がカエルに説教しているあたりかな。それにしても、うまいこと神通力を使いこなしているじゃないか。カエルを誘導して、陸に上がるなんて、なかなかやるな」 「へへへへ、いい考えでしょ。だから、意外と疲れてませんよ」 「そのようだな。しかし、いい経験になったんじゃないか?」 「はい、いろいろ考えさせられましたよ。前世の因縁・・・怖いですね」 「あぁ、怖いねぇ。人間として生きているときの行いが、次の生命に反映されるんだからねぇ、恐ろしいよ」 「そういうこと、ちゃんと伝えていかないといけないなと思いましたよ。まあ、信じない人が多いかもしれませんけどね」 「そうだな。しかし、信じる人は少なくても、因果応報を伝える事は大事だな。少しでも信じてくれる人がいて行動を慎んでくれれば、それが次第に広がっていくと思うぞ。それでいいんじゃないか」 俺は「そうですね・・・」とうなずいたのだった。ちょっとだけ、ちょっとだけだが、すがすがしい気持ちになれた。 「さて、次はどうするんだ。もういいんじゃないか、こんな田舎は」 「う〜ん、そうですねぇ。水の中は入る気はしなくなりましたねぇ。入っても仕方がないと思いますし」 夜叉さんは、「そうだろ、そうだろ」とニコニコしながら頷いている。 「でも、なんか物足りないというか・・・。そうだ、元の人間サイズに戻れませんか?」 「戻ってどうするんだ?」 途端に夜叉さんは嫌そうな顔をした。 「普通のペット・・・犬とか猫とか・・・そうした動物の意見も聞きたいんですよ。あと家畜とか・・・」 「ペットに家畜ねぇ・・・。まあ、お前が望むのなら、仕方がないけどねぇ。俺はどうせガイド役だし。俺の意見は却下だよなぁ・・・」 「家畜は、このあたりで取材できそうですが・・・そうですね、ペットは都会に出てもいいんじゃないですか?」 「あぁ、そうだな。どうせなら、田舎のペットと都会のペット、両方の意見を聞くのもいいかもな」 都会へ行く、という言葉に夜叉さんは、急にやる気を出してきた。本当に田舎が嫌いなのだ。 「よし、それがいいぞ。じゃあ、元のサイズに戻るか」 夜叉さんはそういうと、また印を組んで、呪文を唱え始めた。短い呪文だった。あっと思った瞬間に俺は元のサイズに戻っていた。 「ふ〜、やれやれ、このサイズがやっぱりいいですねぇ。極小サイズは、ちょっと怖いですよ」 夜叉さんも普通のサイズに戻ったが、降りてくるのは嫌らしい。相変わらず宙に浮いている。 「上から家畜のいそうな家を探してくださいよ」 俺は空中にいる夜叉さんに言った。夜叉さんは、「あいよ」と返事をするとさらに上空にあがったのだった。そして「見つけた」と言って降りてきた。 「飛べばすぐだ。俺についてこい」 夜叉さんがそういうので、俺も宙に浮いてみた。今度は回転しない。ちゃんと使いこなしている。で、そのまま夜叉さんについて移動もできた。夜叉さんは俺の顔を見て、ニヤッとしたのだった。 しばらく飛んだあと、夜叉さんが下の家を指さした。なるほど、そこには牛舎がある。俺はうなずくと、スーッと下に降りたのだった。今度は牛である。 牛舎に俺は近付いた。中にはいる。牛が両方に15頭ずつくらいいた。結構広い牛舎だ。それを見て俺はしまったと思った。すべての牛に神通力をかけて話しかけるわけにはいかない事に気付いたのだ。約30頭の牛だ。その中からいずれか1頭を選ばなければならない。その選択によって内容は大きく変わるのだ。 例えば、人間からすぐに牛になった場合もあるだろう。あるいは、下からあがってきた場合もある。できれば、両方の話が聞ければ言うことはない。その場合は、2頭を選択するのだが、その2頭がちょうどよく人間から生まれ変わった場合、下から上がってきた場合にあてはまればいいが、そうでないなら厄介だ。神通力のエネルギーもどれだけ保つかわからない。さて、困った・・・。いったいどの牛を選べばもっともいい話が聞けるのか・・・。 「何を迷ってるんだ?」 夜叉さんが上から声をかけてきた。ここは田んぼじゃないのに、夜叉さんは降りてくる気はないようだ。 「いや〜、どの牛にすればいいのかと思って・・・」 「あぁ、なるほどねぇ。まあ、仕方がないんじゃないのか? 運を天に任せて適当に選べよ」 なんとお気楽なことか・・・。そんなことでいいのか?と思ったが口には出さなかった。どうせ思ったことはわかっているだろうし。 「いいじゃないか、いいのに当たらなかったら、さっさと神通力を解いて別の牛にすればいいじゃないか。エネルギーの節約にもなる」 あぁ、なるほど、いい話が聞けそうにないなら、すぐに元の牛に戻せばいいのだ。今までは勝手に神通力が切れるまで放置していたけど、こちらから解除もできるのだ。 「そうか・・・。じゃあ、適当に選んでみます」 俺は、牛舎の中にはいり、中央あたりまで進んだ。1頭1頭牛の顔を見回した。 ここは乳牛の牛のようだ。乳を搾っているのである。今は誰もいない。今日の搾乳は終わっているらしい。牛の顔を眺めながら全体を見回した。ふと視線を感じた。俺は霊体だから牛からは見えないはずだ。だが、見られているような気がした。その視線を感じるほうに顔を向けると、1頭の牛が俺をじーっと見つめていた。目が合う。これも縁だ。俺は俺を見つめてきた牛に神通力をかけることにした。 「話ができるようになれ、そして前世の記憶よ蘇れ」 そう念じて手のひらから光を放った。 「はぁ〜、めんどうくさい。何もかも面倒くさい・・・はぁ・・・」 その牛が、最初に話した言葉がそれだった。 「はぁ〜、面倒くさい。はぁ〜、もう嫌だ。うぅぅぅ、はぁ〜」 何なのだ、この牛は。さっきから「面倒くさい」、「あぁ、イヤだ」しか言わない。その合間に溜息ばかりついている。どうやら、俺の存在にも気が付いていないみたいだ。一応、はずれではなかったが、この牛、どうなんだろう? 「あの〜、ちょっといいですか?」 俺がそう声をかけると、その牛はようやく俺の方を見た。 「あん?、なにあんた・・・。なんで、透き通っているの?」 どうやら牛には、俺が半透明に見えるらしい。 「あれえ?、あれ?、なんで・・・なんで私しゃべってるの?」 やれやれ、やっと自分がしゃべっていることに気が付いたようだ。 「あのね、君は・・・」 「あぁ、まあ、いいか。面倒くさいし・・・」 俺が説明しようとした途中で、この牛はしゃべっていること自体どうでもよくなったようだ。そのまま、あらぬ方向を向いてボーっとしている。 「あの、ちょっといいかな。聞いてくれるか?」 反応を待っていても仕方がないので、俺は牛の思いは無視して、一方的に話をすることにした。そのうちに何か反応があるだろうと思ったのだ。 「君は、いつから牛なんだ?。牛の前は何だったの?」 俺の問いかけに牛は俺の方を見た。見ただけだ。すぐに下を向き 「あぁ〜、だりぃ〜、面倒くさい。はぁ〜」 と言っている。今まで会ったアリもクモもカエルも、自分の姿に驚いていた。驚き、なぜこんな姿に?と質問してきた。俺の問いかけにも反応してくれた。まあ、パニックを起こしたりもしたが、何らかの反応はしてくれた。だが、この牛はどうだ?。何の反応もしない。愚鈍なのだろうか? 「えっと、君は前世のことを思い出しているはずなんだけど、わかるかい?」 神通力をかけたのだから、この牛も当然、前世の記憶が蘇っているはずだ。だから、俺は前世について問いかけてみたのだが・・・。 「ぜんせ?・・・ぜんせって・・・前の生のことだよね。あぁ、前世か。なんか、占いとかあったなぁ・・・。はぁ〜、どうでもいいわ」 「占いとかしてたんだ。ということは、前世は人間だった・・・女の人だったのかな?」 そう問いかけると、なぜか牛は俺を睨んのだった。鼻息をフンフン出している。 「ふん、どうせ私はデブですよ。ふん、みんなしてデブデブいいやがって・・・。占いでもそう。何が前世占いよ。あなたの前世は牛ですねって・・・。クソがっ!。前世じゃなくて、今が牛だよ、バ〜カ・・・。え、私、牛じゃん・・・まあ、いいか。はぁ〜面倒くさい」 ようやく反応してくれたのはいいのだが、どうも相当こじれているようだ。 「えっと、君はちょっと太っていたのかな?」 「あん?、太っていた?。うるせーんだよ、私はデブじゃない、ぽっちゃりだ。ふん、あいつら、私が案外男にモテるもんだから、妬みやがって。ざまぁ〜見ろってんだ。人をデブデブ言いやがって。デブじゃねぇ、ぽっちゃりだ。しかも男にモテモテだったんだよ。ふん、バカめ!」 「ほう、そんなにモテたんですか?」 「モテたんだよ。男はね、私のような巨乳が好きなんだよ。みんな、ぷにぷにして気持ちいい、って言ってくれたんだよ。そりゃあさ、部屋は汚かったよ。掃除は苦手だし、料理もしたくないし。でもね、それでもモテたんだよ。掃除も大好き、料理もします、綺麗好きです、なんて言ってた女よりもね!」 ようやくスイッチが入ったようだ。この調子で話が進むといいのだが・・・。 俺は、とりあえず、それまでの話をまとめてみた。 「ほうほう、君の話をまとめると、君は今は牛だけど、その前は女性だった。ややぽっちゃりの女性だった」 牛は、頭を下げた。どうやらうなずいているらしい。 「で、男性にはよくモテた。ただ、掃除は苦手、料理もダメ、綺麗好きでもなかった・・・」 牛は、ちょっと上を向いて「フン」と鼻を鳴らした。 「面倒くさいんだよ。あぁ〜、掃除も面倒くさい、料理も面倒くさい。いいじゃん別にさ、風呂だって毎日入らなくても死なないじゃん。部屋がゴミだらけでも、寝るところはあるんだよ。放っといてよ。ダラダラしたいんだよ。うるせーんだよ」 「あぁ、大丈夫大丈夫、別に責めているんじゃないよ。ちょっと聞いただけ。そんなんでも男性にはモテたんだね」 「ふん、男なんて・・・みんな巨乳が好きなんだよ。ちょっと相手してやれば、みんな喜んでたわ。バカばっかり」 「あぁ、そう・・・。まあ、男はバカだよねぇ・・・。ところで、君はいつどうやって亡くなったの?」 俺の質問が唐突だったのか、牛は固まってしまった。どうやら、考え込んでいるようだ。というか、やっと考え始めたのか?。どうもこの牛、相当鈍いようだ。 「あぁ・・・。いつだっけ・・・。わかんないわ〜。いつからここにいるんだ?・・・はぁ〜、まあ、どうでもいいけどね・・・。あっ、そういえば、若いくせに高血圧で高脂肪で血管が詰まって、で破れて・・・。それで死んだんだ。そんなようなことを医者が親に言ってたような・・・」 「親と一緒に暮らしていたの?」 「ううぅん、違う」牛は首を横に振った。 「私は一人暮らし。ちっ、あのクソババア、『全くこの子はゴミダメの中で死んじゃって、本当にいい恥だわ』とかなんとか言いやがって。聞こえてんだよ、クソババア!」 どうやらこの牛、太り過ぎで血管のどこかが詰まって、血管が破れて亡くなったらしい。しかも、ゴミだらけの部屋の中で。 「クソババアっていうのは、君のお母さん?」 「そうだよ。あのクソババア、『部屋を掃除するのが大変だわ。最後までお金がかかる、本当に迷惑な子だわ、この子は!』なんて言いやがって。てめぇの育て方が悪いんだチューの。あぁ〜、思い出したら腹が立ってきた。クッソー、あのクソババア、許さねぇーぞ!」 牛は興奮しだした。ンモウ、ンモウと声を上げ、足をばたつかせている。 「まあまあ、落ち着いて。ちょっと落ち着こう。君の母親がひどい人だということは分かったから」 「わかってくれる?。そうなのよ、ひどい親よ。私がお菓子ばかり食べてたら、それを取り上げるのよ!。勉強は嫌いだっていうのに、塾へ行けっていうし。勉強なんかしたくないのよ。やったってわからないし。私はゴロゴロして、ポテチ食ってコーラ飲んで、TVが見たいんだよ。それをさぁ、あのクソババア、邪魔ばっかりして。そんなんじゃいい学校にいけないだの、嫁にいけないだの、だらしないだの、デブだの、ブタだの言いやがって。キィィィ〜」 「ちょ、ちょっと落ち着いて、分かったから、分かったから」 「うぅぅぅ。興奮してしまった・・・。私さ、あんまりクソババアがうるさいから、家の金、全部持ち出して家を出たんだよねぇ。ざまぁみろってんだ」 「えっ、でも、住むところないんじゃないの?。友達のところにでも転がり込んだの?」 「あんたバカ?。ネットカフェがあるじゃん。友達なんていねぇーし」 「あぁ、まあね。でも、収入がないからいつまでもいられないでしょ」 「需要があるんだよ。需要が。私のような身体が好きっていう男がたくさんいるんだよ。私が家を出たことで、クソババアも喜んだだろうし、私も一人で生活できるようになったし、ウインウインじゃん。きゃははは」 どうやら、この牛、家出をしてネットカフェで寝泊まりしているうち、売春を覚えたようだ。それで稼いで、一人暮らしを始めたのだろう。で、売春で生活をしていたのだ。なんといっていいのか・・・。まあ、それでも生きていけるのだから、世の中平和なのだろう。 「ところで、前世は人間だったんだけど、今は牛だよね」 「見りゃあわかるだろ、やっぱ、あんたバカだね」 何かと、ムカつく牛である。どうにかならないのか、その言葉遣い、と思ったが、まあ牛だし、仕方がないか、と思いつつ話を進めた。 「牛で満足しているのかなぁ?。牛って嫌じゃないの?」 「なんで?、嫌じゃないよ。楽だし、牛。毎日、乳搾ってもらって、あとは寝てるか草食っているかだろ。いいんだよ、生きるの、面倒くさいからね。牛最高!」 その牛は、そう言うと「ンモウウウウ」と雄たけびを上げた。すると、周りの牛も「ンモウウウウ」と叫び始めたのだ。それも一頭や二頭ではない。牛舎の全部の牛が「ンモウウウウ」と叫び出したのだ。 「ほらね、みんな牛最高!って思ってる。そりゃさ、ハエがうっとうしかったり、アブに刺されたりとかするけど、別にさ、メシ食って乳出して、寝てればいいんだから、私らのような怠け者には最高だね。イエ〜イ、牛最高だぜ!」 牛たちは、再び「ンモウウウウ、ンモウウウウ」と叫び出したのだった。 「い、いいのか、それで?。いいの?、牛だよ?。人間のように遊びたくないの?。人間のように生きたくないの?」 「面倒なんだよ。牛でいいんだよ。ていうか、牛がいいんだよ、ウルセーんだよ、大きなお世話なんだよ。黙れクソジジイ!」 牛は、そう言うと、前足を上げ、俺に突っかかるようにした。どうやら、俺を追い払おうとしているようだ。すると、他の牛も「モウモウ」雄たけびを上げ始めた。さっきの「ンモウウウウ」とは違い、どうも殺気をおびている「モウモウ」だ。牛舎のすべての牛が、俺を睨み、前足をバタつかせている。すべての牛が、この牛の意見に賛成らしい・・・。ってちょっと待てよ、なんでほかの牛にこの牛の気持ちがわかるんだ?。なぜ、他の牛に通じるのだ。俺は、目の前の一頭の牛としか話をしていないのだ。なぜ、他の牛まで共感しているのだ・・・。同じ牛舎に飼われているから・・・なのだろうか? 「まあ、それもあるが、どの牛も似たような前世の持ち主だからだろうな。それと、人に近い存在だからな。ある程度は、人の話は理解できるんだよ。今までのアリやクモ、カエルとは脳の出来が違うからな」 夜叉さんが、上空からそう言った。そうか、牛は虫などと違い、ある程度、人と通じることができるのだ。そういえば、馬だって人の気持ちがわかるという。牛も、こうして人の世話になっているのだから、ある程度は人間の言葉というか、感情がわかるのだろう。言葉を理解する、というのではなくて、感覚的に気持ちが少しは通じる、ということなのだろう。 いずれにせよ、この牛舎の牛たちは、俺が話をした牛と同意見らしい。牛たちは、俺にさっさと出て行け、と言っているのだ。 「ふん、分かったようだね。うっとうしいんだよ、お前みたいなヤツは。ここの主人は、よくわかっているよ。説教なんてしない。いつも私らを誉めてくれる。撫でてくれる。可愛がってくれる。いい男なんだよ。あんたとは大違い。キャハハ・・・モウモモモウウウウ」 どうやら、神通力が切れたらしい。俺は、さっさと退散することにした。これ以上いると、牛に突進されそうな気がしてきたのだ。この牛舎の中、敵だらけなのだ。俺は牛舎を出て、牛舎の上あたりまで飛んでみた。 「なんだ、なんだ、牛たちが騒いでいるようだが・・・何があったんだ?」 ちょうどそこへ牛舎の持ち主がやってきた。やや腰が曲がった歩き方をしている。 「おいおい、どうしたどうした。うん?、何かいたのか?。嫌なヤツでもいたか?」 牛を一頭ずつ撫でながら、興奮を抑えている。次第に牛たちは静かになっていった。 「何か知らんが、嫌な夢でも見たのかのう。まあ落ち着け、落ち着け。よしよし、かわいいぞ。そうじゃそうじゃ。よしよし、いい子じゃいい子じゃ」 主は、そう言いながら牛を撫でている。なるほど、牛たちは案外幸せなのかもしれない。人間だったころの方がつらかったのかもしれない。何も人間がいいとは限らないのだ。その光景を見ていると、牛だからダメ、ということでもなさそうだ。 「いろいろな生き方があるさ。牛として生きるほうが幸せ、という場合もあるさ。虫やカエルと違ってな」 「そうですね、でも・・・。例えばですよ、牛の生をまっとうして、あぁ、幸せだった、いい牛の生だったと思って死んだとします。特に罪を犯すことなく、いい乳を提供して人々の役に立って死んだとします」 「まあ、多くの牛がそうなるだろうな」 「そうなると、次はきっと人間に生まれ変わるかもしれませんよね?」 「まあ、絶対とは言えないがな。牛から人間、というのもあり得るよな」 「そうなった時、生きるのが辛くないんですかねぇ。前世の癖というか、思いというか、そういうものを引きずることはないんですか?」 「うん、そりゃ、前世の影響は出るさ。だから、まあ、働くのは苦手かもしれないな」 「牛の方が楽だった・・・、ということもあるかも知れませんよね。それって、なんだか、矛盾しているような・・・。下手をしたら、また牛に逆戻りってこともあり得ますよね」 「まあ、あるな。牛から人間に、人間から牛に・・・と繰り返すこともあり得るな」 「うぅぅん、何だかそれって・・・」 俺は考えこんでしまった。それでいいのだろうか。それで救いはあるのか? 「言いたいことはわかる。しかしな、人間に生まれないと得られないものもたくさんある。何よりも自由がないぞ、牛は。牛から人間になって、『自由があるんだ』と気が付けば、変わることあるし、学ぶことも出てくるだろう。そうなれば、また牛に逆戻り、なんてことも無くなるだろうな。そこに救いも生まれるだろうな。問題は、生まれた家の環境だな。さっきの牛の家みたいに、あまりにも小うるさい母親がいたりすると逆効果かもしれない。怠けものをうまく操る親ならば、また違った人生になったんじゃないか?。まあ、それも縁なんだけどな」 「う〜ん、なんだか、難しいですね。怠け者の子供を持ってしまう親、子供のことを考えない小うるさい自分勝手な親・・・。よくある話ですが、それも縁か・・・」 「まあ、その家に徳があればそんなことにはならないんだけどな。何度も言うが、先祖供養ができていれば、怠け者の子供も生まれないし、親もしっかりしている。大元の先祖がしっかりしていれば・・・ということだな」 そういうことなのだ。根っこの部分である先祖がしっかりしていれば、家庭に問題はそうそう起こらない。牛になったりするようなことは、まあないのだろう。だがしかし、それも見えない世界のことだから、信じる者が少なくなってきているのだ。 「いずれ大きなツケを払わされる時が来るのかもしれませんね、人間は」 「そうかもな・・・」 俺は、夜叉さんの隣に浮いて、しんみりとしてしまったのだった。 「ワン、ワンワンワンワン、ワオォォォ〜」 急に犬の鳴き声が聞こえてきた。声のする方を見てみると、空中に浮いている俺と夜叉さんの方を向いて犬が吠えているのだ。 「な、なんじゃなんじゃ、今度はお前さんか。牛が騒いだと思ったら、今度は犬かい・・・。はぁ〜、何じゃ今日は。いったい何があったんじゃ」 やや腰の曲がったじいさんが、牛舎から出てきて犬のほうへ向かった。犬は俺たちを見てやたらと吠えている。そんなに上等な犬ではないようだ。どうやら、雑種らしい。 「どうやら我々のことがわかるようですね」 「面白そうだから、ちょっと神通力をかけてみるか」 夜叉さんは、そう言うと手のひらを犬の方へ向けた。手のひらから光が飛ぶ。その光は犬に当たった。 「神通力をかけた。ゆっくり話してみるといい」 と夜叉さんが言ったすぐに犬が人間の言葉で吠えてきた。 「お前ら何もんだ!。なんで飛んでおる!・・・お前ら・・・霊体か?」 「さっきからそう言っていたんですか?」 「うん?、おぉ、わしは言葉をしゃべっておるぞ。ど、どういうことじゃ・・・」 「私の横にいる夜叉さんが神通力をあなたにかけたんですよ。人間の言葉が話せる、そして前世を思い出す神通力をね」 「な、なんじゃと・・・夜叉じゃと・・・。そ、そこの恐ろしい姿の者は、夜叉じゃったか。オノレ、立ち去れ!、この家を呪う気か?。そうはさせんぞ!。ま、魔物よ、たたたた立ち去れ!」 「おいおい、どうしたのじゃ。何をそんなに吠えている。こら、うるさいぞ。空に何かいるのか?。いい加減に黙れ!」 どうやら腰の曲がったおじいさんには、犬が吠えているだけにしか聞こえないようだ。まあ、そりゃそうだろう。他の人間に犬が話していることがわかってしまったら大変なことになる。しかし、あまり吠え続けさせるのもよくない。いくら田舎とはいえ、近所がないわけではない。近所の人が出てきても困る。ここは犬を落ち着かせなければいけない。 「ちょっと落ち着いてください。我々は何もしませんよ。私たちは魔物じゃありません」 「なななんじゃと。魔物め、たぶらかす気か!」 怒り口調ながらも犬は腰が引けていた。逃げ腰で吠えているのだ。これはいい、と思った。それなら我々が魔物になったほうがいい。 「え〜い、うるさいわ!。いい加減に黙らぬか!。そうやって吠え続けるなら、お前の家ごと焼いてしまうぞ!」 「ひ、ひえ〜、だ、黙ります、黙ります・・・。うんぐ、ぐぶぶぶ」 犬は尻尾を股にはさみ、キュンキュンいいながら、へたり込んだ。 「いいか、よ〜っく聞け。これからいくつかお前に尋ねる。それに包み隠さず答えよ。よいか!」 「へ、へへへぇ〜」 犬は完全に伏せの状態になっていた。腰の曲がったじいさんは 「うん?、なんじゃ、急におとなしくなったと思ったら今度は伏せか?。何か怖いものでもいるのか?。何もいないがのう・・・。まあいい。静かになったのならいいか」 と言って、母屋の方へ去って行った。これで気兼ねなく話ができる。 「おい犬、お前はいつからここにいる?」 「は、はい、え〜っと・・・」 犬は考え込んだ。 「え〜っと、わしの息子の子供の子供・・・孫の一番下の子供が小学1年生の時からここに住んだと思うので・・・かれこれ、10年くらいかと・・・。そうですな、あのひ孫が高校生だから、10年くらいになると思います」 「おいおい、今、変なことを言ったぞ」 「な、なにかお気に召さないことでも?、それは申し訳ない。どうかご勘弁を」 何かやりにくい。どうも時代がかっている。 「お前、わしの息子と言ったが、どういうことだ?」 「あぁ、そのことですか。先ほどいた腰の曲がったじいさんが、わしの息子です。その子供、わしの孫は会社に行っております。で、その子供・・・わしの一番下のひ孫が高校に行っております。あ、あ、ひ孫は3人おりまして・・・」 「そうか・・・いやいやそういうことではなくて。う〜ん、じゃあ、お前は誰だ?」 「あ、あ、あぁ、そういうことですか。わしは、あの腰の曲がったじいさんの父親です。もう死んでおります」 死んでることくらい知ってますよ!、と突っ込みたかったが、話がややこしくなるのでスルーした。 「ふん、お前は死んですぐに犬になったのか?」 「いいえ、とんでもない。わしは・・・その・・・ちょっと・・・」 「なんだ、素直に言え、言わないと」 「は、はいはい、言います言います、言いますからご勘弁を・・・。その、犬の前は牛でした。そこの牛舎に飼われていました」 「牛の前は?」 「う、牛の前は・・・え〜っと・・・何だったかのう・・・。あぁ、あの、この家の裏山に住むイタチだったような・・・。あ、モグラだったかな・・・。あぁ、それはイタチの前のだ・・・。えっとその前は・・・あ、あぁ、一番初めが牛のクソの中にいる虫だったかな。えへへへ」 犬は頭をかいて恥ずかしそうにした。 「お前、なかなか悪だったようだのう。何をした?」 「へ、へい。飲む打つ買うで・・・。じ、実は、わしの家は代々地主だったのですが、わしがその・・・」 「放蕩したのか?。飲む打つ買うで田畑を失ったのか?」 「へいへい、その通りで・・・。何とも面目ない。残ったのは、そこの母屋の土地とこの牛舎だけで・・・。息子には苦労かけました」 「息子だけじゃないだろ?」 「あ、あぁ、すみません。女房にも嫁にも苦労かけました」 「そうか、それでクソの中の虫に生まれ変わり、次にまた虫か?」 「へ、へい、あまり覚えてはいませんが・・・虫を何回か・・・。それから、あぁ、カエルとかも・・・」 「よく覚えているのが、牛の頃か?」 「いや、はぁ、何となく・・・。そこの牛舎にいて、乳を搾られていたような・・・」 「で、今は犬か。一応、出世しているようだな」 「は?、はぁ、そう・・・なんですか?。よくわかりませんが・・・」 「なぜ、虫や動物に生まれ変わったのかわかるか?」 「えっ?・・・なぜ虫や動物か?」 「そうだ、何でお前の姿は犬なのだ?。その前は牛だし、その前はイタチか?。その前はモグラだったかな?。で、ずっと前は虫だ。一番最初は牛のクソの中にいる虫だ。なんでそんなものに生まれ変わったのだ?」 「あ、あぁ・・・それは、生きていた時の罪の報いで・・・。罰が当たったんで・・」 「バチが当たった?。そうではないだろ!」 「あ、ああ、すみませんすみません。間違いました。わしが、わしが悪いんです。バチではないです。身から出た錆です。すみません、そのわしは学がなくて・・・」 「まあよい。わかっているならよい。悪いことをしたと、分かっているのだな?」 「へい。先ほども言いましたが、女房にも息子にも息子の嫁にも苦労も迷惑もかけました。先祖にも顔向けできないことをしました。ご近所の人や和尚様にも迷惑をかけました。おかげで財産もほとんどなくなりました。本当にすまねぇことをしました。深く反省しております」 「そうか、で、今は家を守っておるのだな?」 「へい、その通りで。不審者がいたら、すぐに知らせるようにしております。家に悪さをしないように守っています。番犬です」 犬は胸を張ったような仕草をした。 「番犬?そうか?・・・そういう割には、腰が引けていたのではないか?」 「えっ?、あ〜、いや〜、その・・・あの、そのお方が・・・」 犬は、頭を下げ、情けない顔をして片方の前足で上をさした。どうやら、夜叉さん指さしているらしい。 「そのお方が、その・・・恐ろしくて・・・へっへっへ」 どうもこの犬、いや、この家のもと主、ダメ人間のようだ。まあ、飲む打つ買うで放蕩したのだから、どうしようもないヤツだったのだろうが、その性格が未だに抜けていないようである。 「お前、懲りてないのじゃないか?。まだ、賭け事をしているのではないか?」 「め、滅相もない。わしは犬ですよ。犬がそんなこと・・・」 「いやいや、犬同士で賭け事をするとか?。どうなのだ?」 「す、するわけないじゃないですか。勘弁してください。その・・・気が小さいのは生まれつきで・・・」 「酒も飲んでないな?。メス犬を襲ってもいないな?」 「酒だって飲めませんよ。飲みたくもねぇ・・・。メス犬なんぞ・・・そんなことをしたら、殴られてしまいます。あぁ、おそろしい」 「そうか、ならばよい。こちらの夜叉様は、お前がちゃんと過ごしているか、しっかり反省しているかどうか、確認にいらしたのだ。私はその部下である。わかったか」 「へ、へへい。どうか、この通り生前のことは反省して、一生懸命この家を守っております。どうかよしなに・・・」 ここで夜叉さんが、ふんぞり返って言った。 「その言葉にウソはないな?。ウソを言えば、またクソの中の虫に戻すぞ!」 「う、ウソはありません・・・。その、ときどき、怠けているかもしれませんが・・・普段はしっかり番犬を務めています」 そう言いながらも犬の目は泳いでいた。オドオドして、挙動不審である。とはいえ、何か悪さできるわけでもない。鎖につながれている犬なのだ。 「ま、真面目に番犬を務めています」 犬がそう言って頭を下げた時、高校生らしきカップルが現れた。 「あんたのところの犬、何か吠えているよ」 「ホントだ、うるっせーな。何だよお前」 どうやら、男の方がこの家の子供らしい。この犬からすればひ孫にあたる高校生なのだろう。横にいる女子生徒は彼女なのだろう。それにしても、素行がよろしいような高校生には思えなかった。 犬は、高校生を見ると、しきりにしっぽを振って愛嬌を振りまいた。媚を売っているようである。二人に近付いている。その時だ。俺は気が付いた。 「おい、犬。お前、その女子高生のスカートの中を覗いただろ!」 「キャイン」と言って犬は飛びのいた。高校生カップルが驚いている。 「うわっ、いや、その・・・そんなことはしていません。ご、誤解です」 「この犬、なにキュンキュン言っているんだ?」 「変な犬だよね、あんたんとこの犬。この間は、私の胸元をじーっと見ていたような感じだったし。この犬、スケベなんじゃないの?。今だってスカートの中に頭を入れようとしたし」 「あっはっはっは。そんなことをするわけないだろ。犬だぞ、犬。バッカじゃねぇの。自意識過剰なんだよ」 「うっせーな、犬だってオスだとスケベなんだよ。ネットに書いてあったもん」 「マジか?。ふ〜ん、おい、お前、コイツのパンツ見たのか?。何か言ってみろ」 「バッカじゃないの。犬がしゃべるわけねぇっつーの。きゃはははは」 「マッタク、がははは。じゃあ、行こうぜ」 どうみてもバカな高校生カップルは、腕を組んで母屋の中へ入っていった。これから一体何をするのやら・・・。まあ、そんなことはどうでもいい。それよりも・・・。 「おい、バレたな、このスケベ犬」 「いや、あの、その・・・」 犬は両前足で頭を抱えこんだ。 「何とも情けない・・・。女子高生をねぇ・・・。情けないと思わないのか」 「えっ、えぇ、まあ、その・・・」 「お前、ひょっとして、女子高生だけなじゃないな。近所の奥様とか、ババ様とかも覗いていたんじゃないのか?。おい、素直に白状しろ!」 「あっ・・・あぁ・・・。その、それがわしの唯一の・・・楽しみで・・・」 俺と夜叉さんは、後ろにのけぞってしまった。まさかとは思ってはいたが・・・。なんとも情けない話である。 「お前、それって、意識していたのか?。それとも無意識のうちにそうなったのか?」 犬は、しばらく首を傾け、考え込んだ。やがて 「いつの間にか・・・いつの頃からか、見るようになったと思います。なんだか、その・・・人間の女性の匂いが嬉しくて・・・」 と情けなさそうに白状した。 「人間の匂いが?・・・。メス犬はいないのか、このあたりには?」 「ここらには、メス犬はいません。いても、わしのような雑種は相手にされません。その・・・したくても・・・できません。だから・・・」 「人間の女性の匂いで代用していたわけか。まあ、前世が前世だからねぇ。ついつい本性が出てしまうのかもな。しかし、それではなぁ・・・」 「ま、また虫ですか?。虫は勘弁してくだせぇ。あれは嫌だ。思い出したくもない。モグラやイタチも、できれば勘弁してほしいです。なんとか、何とか助けてはもらえませんか?。お願いします」 犬は頭を地面にこすりつけた。 「おい犬」 夜叉さんが、重々しいい声を発した。どうやら、芝居を楽しんでいるようである。 「おい、犬。汝は汝がしていることが、いいことか悪いことかわかっておるのか?」 「は、はい・・・。その、覗いたりしたのは悪いことだと分かっております。わかっていて、ついつい我慢できずに・・・」 「ふむ。そのことを反省しているか?」 「そ、そりゃもう、深く反省しております。これからはもう覗いたりはしません。番犬として生きていきます」 「それは本当か?」 「御仏に誓って・・・」 「そうか、ならばよい。おい、犬」 「へ、へい」 「もうすぐ法事があるだろ。お前の法事だ。33回忌かな?」 「あぁ、そうですね、そういえば。もうそんな時期ですな」 「それが何を意味するか分かっているな?」 「はい、生まれ変わりの機会がやってきた、ということです」 「そうだ。来年かな、33回忌は」 「へい、そうです。来年です」 「さて、人間に生まれ変わりたいか?。それとも・・・」 「で、できれば人間に生まれ変わりたいです。そういえば、ひ孫の長男が今度、結婚する予定です。そこに子供が生まれるかもしれません。あっ、これってちょうどいいじゃないですか」 「バカモノ!」 夜叉さんが怒鳴ると、犬は頭を抱えた。 「調子に乗るな!。そんなことでは人間はほど遠いぞ。よいか、人間に生まれ変わりたければ、これから法事までの日々、品行方正に生きるのだ。わかったな。決して、覗きなどしないようにせよ。よいな!」 「へ、へヘヘヘイ」 犬は前足をなげうって頭を地面についた。土下座をしているらしい。 犬をそのままにしておいて、俺たちはそこから離れた。もう犬のいた家も牛舎も見えない。そんなところまで飛んで、俺たちは地面に降りた。 「あの犬、真面目にやりますかねぇ」 「まあ、無理だろうな。次は、よくて犬。下手すりゃ、タヌキあたりかな」 「タヌキですか。まあ、虫よりはマシですからいいんじゃないですか。しかし、人間の頃の性格って、なかなか抜けないものなんですねぇ」 「前世の性質は、どうしても引きずるな。特に悪い方の性質は影響しやすい。あの犬もそこに気付いているのだから、少しは我慢すればいいのだけどな。ま、これからの生き方次第だな」 「怖いですねぇ。アブナイアブナイ。自分の悪いところをよく知っておかないと、恐ろしい目にあいますね」 「あぁ、そうだな。ちゃんと知って、自覚しておかないとな・・・。さて、どうする?。都会へ出るか?」 「そうですね。一応、都会のペットとも話しておきたいですね。さっきの犬は、いかにもド田舎のオヤジ犬、って感じでしたからね」 「セクハラ犬だな。田舎にいそうなクソジジイって感じだな」 「ですね。だから、都会の犬や猫も知っておきたいです」 「そうか、じゃあ、都会に出るか!」 「嬉しそうですね、夜叉さん」 「俺はな、都会が好きなんだよ」 夜叉さんは、そういうと「それ!」と声をかけた。その途端、夜叉さんと俺は柔らかな光に包まれていたのだった。 「ここはどこだ?」 夜叉さんがキョロキョロしながらつぶやいた。繁華街ではないようだ。どちらかというと、住宅街か。ブティックも何軒かある、そこは閑静な通りであった。 「どうやら青山あたりですね、ここ」 「青山?。高級なところじゃないか。ふん、じゃあ、あのマンションも高級マンションか?」 「そうですね。南青山かな。住宅も結構ありますよ。古くからの住民も多い地域ですね。新しいマンションは、新しく住み始めた方たち、一戸建てなんかは古くからの住民、ってところですね」 「まあ、都会に来たのはいいんだが、俺はなぁ・・・繁華街がよかったなぁ・・・」 「繁華街って・・・新宿とかですか?」 「いや、六本木のほうがいいな」 「夜叉さんって、意外とチャラいですね」 チャラいと言われてムカッとしたのか、夜叉さんは俺を睨んだ。が、すぐに笑って 「チャラくはない。ただ、賑やかなところが好きなだけだ」 「でも、東京の繁華街の生き物は、ドブネズミかゴキブリくらいじゃないですか?」 「まあ、そうだな。そいつらに神通力をかけて話を聞いても、おそらくは元暴力団構成員だろうしな。意味ないか・・・というか、ここに着いてしまった意味があるはずだぞ」 「えっ?、夜叉さんが決めたんじゃないですか?」 「だから、俺は繁華街がよかったって言っただろ」 どこに着くかは、夜叉さんが決めているわけではないのだ。夜叉さんは「都会に移動したい」と思っただけなのだ。いや、繁華街に行きたい、と願ったかもしれない。しかし、ついたところは都会の閑静な住宅街。まあ、ブティックやおしゃれな喫茶店くらいはあるが・・・。ここに着いた意味・・・。いったい何だろうか?。俺はあたりを見回しながら考えてみた。 「もうすぐ夕暮れですね。日が傾いてきてます」 「そうだな、そんな時間だな。それより、なぜここなのか、思いついたか?」 俺は頭を横に振り「いや」と答えた。ぐるりと見まわす。ふと、一つの新しいマンションが気になった。 「あのマンション・・・何か気になります」 「どれだ?。あぁ、あれか・・・。まだ新しいな。ちょっとおしゃれなマンションだな」 そのマンションを見ていると、益々気になった。それも7階だ。7階がどうも気になる。なんだか、引き寄せられているような気がする。 「おい、何か感じているなら、素直に認めたほうがいいぞ。抵抗するな。間違ってもいいから、その感覚に従え」 夜叉さんが俺を見ながらそう言った。俺は、「はぁ、そうですね・・・じゃあ」と小声で答えたような気がする。そのうちに、身体が自然と動き始めたのだ。 「ほう、動き出したな。そのまま行け」 「は、はい。なんでしょうね、勝手に身体が動いていきます」 俺は、そのマンションに吸い込まれるようにして近付いていった。 マンションの入り口に立った。 「ここの7階です。そこが妙に気になるんですよ」 「ほう、じゃあ行ってみようか」 「行くって・・・ここオートロックですよ」 「関係ないだろ、俺たちゃ霊体だぞ」 すっかり忘れていた。ドアは楽に通り抜けられるのだ。壁とか、通常人が抜けられない場所は、我々霊体も通り抜けるにはエネルギーの消費が激しくなるが、ドアや出入り口、窓類は楽なのである。人が通り抜けられるところは、霊体も通り抜けるのは楽なのだ。 我々は、オートロックのドアを通り抜け、エントランスに入った。 「さて、どうしますか?。エレベーターに乗りますか?」 夜叉さんにそういうと、夜叉さんはすでにエレベーターの前に立っていた。 「どうするんですか?。我々霊体じゃ、ボタンは押せませんよ」 「あのな、霊体は電気エネルギーと同じだ。まえに言わなかったか?。電気エネルギーとほぼ同じなら、静電気を起こすこともできるし、電気系には強いんだ。このエレベーターのボタンは、押すんじゃないだろ。触れるタイプだ。人間の電気を利用しているわけだな。だから、触れれば何とかなる」 そう言うと夜叉さんは、エレベーターの△を指さした。 「ほら、動いた」 やってきたエレベータに乗る。ちゃんとドアが閉じるのか?と思ったが、夜叉さんは7階のボタンを指さすとすぐに「閉」を指さした。ドアがゆっくり閉まる。 エレベーターが7階に着いた。 「どの部屋だ?」 「あ、あぁ、うん、待ってください・・・あ、あそこの部屋です」 俺は廊下の突き当りの部屋を指さした。 「じゃあ、その部屋にお邪魔しようか」 夜叉さんは、そう言うとさっさと歩きだした。そして、チャイムも慣らさず、ドアをすり抜けたのだった。 「にゃ〜」 聞こえたのは子猫の声だった。声とともに子猫が玄関に走ってきた。 「なんとまあ、子猫じゃないか。まだ、生後2か月くらいか?」 「そう・・・ですね。まさか、この猫が、俺たちを呼んだ?のですかねぇ?」 「そうかも知れないぞ。どうやら、部屋の主は、まだ帰ってきてないようだし、都合がいい。家主が返ってくる前に一仕事片付けるか」 「それじゃあ、まるで泥棒ですよ。でも、家主がいないのはありがたいですね」 この子猫と話をするには、そのほうが何かと都合がいい。 「よし、じゃあ、神通力をかけるぞ。それ!」 夜叉さんの手が光り、柔らかな光が猫に当たった。 「にゃ〜、あにゃ、あぁ、あれあれ・・・あれ?。あたし、しゃべってる?」 「うん、しゃべってますよ、子猫ちゃん」 俺たちは、床に座って子猫と話をすることにした。 「あ、あなたたち・・・人間じゃない、そうでしょ。そっちの人?、なんて怖いし・・・あっ、でもどこかで見たことがあるような・・・。あっ、あなたも・・・あなたもどこかであったよね?」 その時だった。俺は思い出したのだ。この声、この感覚、あの世の裁判で出会った浮気女だ。 「あ、君はあの時の・・・」 「ほう、知り合いか?。裁判中に出会った女か。気になった女だな」 そういう夜叉さんは、ニヤニヤしていた。 「ふ〜ん、なんなら席を外すぞ。いないほうがいいか?」 「止めてくださいよ。そんなんじゃないですよ。ただ、裁判を受けているとき、気になった内の一人なんですよ」 夜叉さんは「ふ〜ん、あっそ」と面白くない顔をして、別の部屋へ移動していった。 「ちょっと、止めてください。勝手にあの人のものを触らないで!」 子猫が叫んだ。ちょっと怒っているようだ。夜叉さんは、子猫を振り向いて「やれやれ」と言って、その場に座り込んだ。 「なんなの、あなたたち・・・。あなたたち、霊体でしょ?。幽霊よね?」 「幽霊・・・ではないですが、霊体ではあるよね。で、あそこにいる夜叉さんが君に神通力をかけた」 「えっ?、何が何だか・・・。どうなっているの?。なんで私がしゃべれるの?。それに・・・いろいろなことを思い出しているんだけど、どういうこと?」 俺は子猫を落ち着かせるために、我々の正体を明かし、夜叉さんの神通力によって、一時的に言葉が話せるようになったことと猫に生まれ変わる前の生を思い出したことを伝えた。 「君は、裁判で俺の前だか後だかにいた女性だろ?」 「そうね・・・。思い出したわ。あなた、いたよね。よく私を見ていた」 「なんか、変な印象を持たれているのかな?。まあ、俺は事情があって、いろんな人の裁判を聞いていたんだ。覚えているかな?、覗き見をした教師がいただろ?」 子猫は首をかしげると「う〜ん」と唸った。 「そういえば、何かいたような。大騒ぎをして地獄へ送られたような・・・」 「そうそう、その人。その人、地獄にいたよ。俺は地獄も旅してきたんだ」 その話に、子猫は大きく目を開いた。驚いているようだ。 「まあ、いろいろ事情があってね、死後の世界をあちこち見まわっているんだ。あの夜叉さんに案内してもらいながらね」 子猫は、夜叉さんを睨むように見た。 「で、君にも話を聞きたいんだけど」 「話って言っても・・・あなた知っているじゃない。私が浮気しまくっていたこと。で、浮気相手のところで死んだこと」 「知っているけど・・・。え〜っと、ここは、ここの主は・・・男性だよね?」 「元の旦那よ。私の旦那だった人。仕事が忙しくて私を見捨てた人。見捨てた・・・と私が思い込んでいただけだけど」 やっぱりそうだったのだ。あの時の浮気女・・・今は子猫だが・・・地獄へ行ってもいい、そのつもりだ、とか言っていたが、猫に生まれ変わって、旦那のところに戻ってきたのだ。 「地獄行きは、免れたようだね」 「どうやら、そうなったわね。ありがたいわ。また彼の所に戻れたんだから」 そういう子猫だったが、あまり嬉しそうではない。下を向きながら、ちょっと膨れている。 「何か不服でも?」 子猫は、顔を上げたが、すぐに下を向いた。よく見ると、どうやら涙をためているようだ。 「私が死んで間もないころは、そりゃ、別の女をここに連れ込んではいたけど、それでも私への愛情を持っていた。私はそれが感じられた。49日の間、ここに戻ってくるたびに、私は安心した。彼が私のことを本当に愛してくれているとわかったから・・・。でも、49日が過ぎて私が猫になってここに来てみれば・・・」 子猫は、黙り込んだ。どうやら、49日が過ぎたとたん、彼の態度は変わったようだ。 「でも、ちゃんと仏壇があるぜ。しかも、お前のだろ?、このお骨」 夜叉さんが隣の部屋から出てきて、そう言った。 「今時、仏壇を買って、祀っている若者なんて珍しいぞ」 「ふん、でも何もしていない。たまに・・・本当にたまに、気が向いたら手を合わせるだけ。線香もローソクもお供えもない・・・。もう彼の中で、私は存在していない・・・」 「だけど、子猫になった君をかわいがっているんじゃないの?」 子猫は、俺の言葉に俺を睨むようにして見たのだった。 「私がここに来たのは・・・彼の新しい女がペットショップで買ってきたのよ。たまたま、気まぐれよ。私にしてみればラッキーだったけどね。強い縁を感じた。確かに、彼は私をかわいがってくれてる。仕事から帰ってくると『子猫ちゃ〜ん、ピアノちゃ〜ん』てね。ピアノってのは、私を買ってきた女が着けた名前。その女が、何とピアノって名前なの。キラキラネームね。しかも本人は気に入ってるらしいし。ふん、ムカつく女よ」 子猫は、爪を立て床をひっかいた。 「ムカつく名前だけど、可愛がってくれるから・・・抱きしめてくれるから、彼がひとりの時は許せる。でも、あの女が来るときは・・・私は邪魔ものよ」 「ここに閉じ込めらるのか?」 夜叉さんは、いつの間にか俺の後ろに座っていた。で、指をさしたほうには、猫用の籠があった。 「そうよ。寝室に入ってこないように、そこに閉じ込められるのよ」 「でも、旦那とその女の・・・が見えなくていいじゃないか」 夜叉さんは遠慮ない。聞きにくいことをそのまま言ってしまう。 「あなたって、本当に失礼ね・・・。でも、その人の言う通りよ。見なくて済むのは助かるわ。でもね、それはもっと辛いのよ・・・本当に辛いの」 子猫の目からは、涙が流れ落ちていたのだった。 「声は聞こえるのよ。声だけはね。それって・・・想像してしまうでしょ。聞きたくない、そんな声聞きたくない・・・。そう思っても、聞こえてしまう。本当に忌々しい。あの女を殺してやりたいくらい。でも、私には何もできない。あの狭い籠の中で頭を抱えて泣いているだけ。本当に辛い・・・。これなら、地獄の方がよかったかも・・・」 「う〜ん、それはどうかな。地獄は、本当に救いがないよ。君の場合だと、どうだろうな・・・。あの覗き見教師と同じ、鋭い刃をもった葉っぱのついた木を何回も登らされるだろうな。それは、肉体的にも精神的にも辛いと思うけど」 「そう、そうなんだ。結局、救いなんてないんだ。仕方がないよね。私が犯した罪の報いなんだから。私が、何度も何度も浮気をして、情事を繰り返していたから・・・。だから、今があるんでしょ?。これって、私のせいなんだよね?」 「まあ、そうだよね。君が犯した罪の報いだよね」 「でも、ひどすぎない?。なんだって、こんな苦しみを味わなきゃいけないの?。確かに、悪いのは私よ。でもだからって、こんな仕打ち、ひどすぎない?」 子猫は、床に突っ伏して泣いていたのだった。 「でもね、よくよく思い出してみてよ。裁判の時、君は何て言っていた?」 俺の質問に、子猫は顔を上げた。そして、首を傾け考え込んだ。思い出そうとしているのだ。 「私・・・私・・・もしかして、言ったのかな。猫に生まれ変わってでも彼のそばに居たいって・・・。あぁ、確か、それはとても辛いことだと言われたような・・・。旦那が女を連れ込んでいろいろなことをするのを目の当たりにしなければいけないぞ、と言われたような・・・。はぁ・・・結局、そういうことか」 「結局、そう言うことなんだよ。辛くても仕方がないんだよ。これは君が望んだことなんだから」 子猫は、俺を恨めしそうな目でにらんだ。そして、ふと視線をはずと 「ふん、そうね。ごもっともだわ。バカみたい。結局、自分の犯した罪の償いなのよね。はぁ・・・あんなことするんじゃなかった。バカな女よ、私は」 と言った。 「もういいわ。よくわかった。今まで、辛い辛いとしか思っていかったけど、あの女、いつか引っ掻いてやる、としか思っていなかったけど、何とか納得できたわ。あなたたちのおかげよ。ふ〜、よかった・・・。あの女ののどに噛みつこうと思っていたけど、そんなことをしなくてよかった。よかった・・・。また罪を重ねるところだった・・・」 子猫は、そう言うと横を向いた。そして 「今日は・・・きっとあの女が来る日よ。私の辛い日。でも、もういい。理由が分かったから。辛抱するわ」 「そうだね、仕方がないね。そのほうがいいよ。でさ、猫の生を終えたら、今度こそ、人間になってさ、いい恋愛をすればいい」 「そうね、そうする。・・・ねぇ、ところでさ、聞きたいんだけど、もし、私があの女ののどに噛みついて、あの女を殺していたら、やっぱり地獄行きよね?」 「そりゃ、もう当然、地獄行きだよ。それも、きっと長い年月を地獄で過ごすことになる」 「そっか・・・。女は?女はどうなるの?」 「その女は・・・独身かい?。不倫じゃないんだろ?・・・じゃあ、女には罪はないから・・・」 「地獄行くことはないんだ。そうね、被害者だもんね。よかったやらなくて。もし、私があの女ののどに噛みついて、あの女が死んだりしたら・・・きっと私も処分よね」 「まあ、おそらくは・・・、殺処分だろうね・・・。そんな女のために殺さるなんて、割に合わないだろ」 「そうね、そう思う。はぁ、ありがとう。あなたたちのおかげで、いろいろなことが分かった。助かったわ。もうそろそろ、彼が帰ってくる時間よ。だから・・・」 「あぁ、俺たちもお暇するよ。君にかけた神通力もそろそろ切れるころだしね」 「そうなんだ。あなたたちと会ったことは、忘れるのかな?」 「たぶん、忘れると思う。だけど、今の状況は自分が招いたこと、というのは忘れないと思うよ。心のどこかに残っているはずだ」 「そうなんだ・・・よかった。忘れたくないしね。じゃあ、またどこかで会えるかもしれないね。その時は、声をかけて。本当にありがにゃ〜・・・」 言葉の最後は、猫の鳴き声に変わっていたのだった。 「おい、行くぞ」 そう言って夜叉さんが動いた方向は、玄関ではなくベランダだった。 「気配を気付かれるといけないから、ベランダに出るぞ」 夜叉さんは、ベランダのある窓ガラスを通り抜けた。俺は、わけが分からなかったが、とりあえず夜叉さんの後に続いてベランダに出た。 「なんでベランダに?」 「これから起こることを見るためじゃないか」 「えっ?、夜叉さんって、そういう趣味があったんですか?。他人のベッドシーンを覗くのはまずいんじゃないですか?。それ変態ですよ」 俺は思わず大声で言ってしまった。大声と言っても夜叉さんにしか聞こえないのだが。言った途端、頭に衝撃が走った。と同時に夜叉さんの怒鳴り声だ響いた。 「バ、バカモノ!。俺がそんな覗きをするか!」 どうやら夜叉さんに頭を叩かれたらしい。 「えっ?えっ?な、なに?、なに今の?」 頭がまだジンジンしている。 「俺がお前の頭を叩いたんだよ。いわゆる突込みってやつだ。お前が大ボケをかましたからな!」 「ボケてなんかないですよ。だって、これから起こることを見るって言ったから・・・。それにしても、霊体でも殴れるんですね」 「バーカ。電気ショックを与えただけだ。言っただろ、霊体は一種の電気エネルギーだ。お前の頭付近に電気ショックを与えたんだよ」 「そ、そうだったんですか・・・。でも、結構痛いですよ。これ、大丈夫ですか?。だいたい、何で霊体に痛みが・・・」 「地獄の住人だって痛いし苦しいだろ?。霊体だって傷つくし、痛いし、苦しいさ。そんなのしばらくしたら治るさ。それよりもだ」 「一体何が起きるって言うんですか?」 「お前、気付いていないのか?・・・お前、女にモテなかっただろ」 「な、何ですか、いきなり・・・そりゃ、まあ、モテなかったですよ」 頭のしびれは次第に消えていった。それにしても、夜叉さんはいったい何が言いたいのか、俺にはさっぱりわからなかった。俺の答えを聞いて、夜叉さんは隣で思いっきりため息を吐いた。 「ダメなヤツだなお前。女心がちーっともわかっちゃいない。これじゃあ、奥さんも苦労しただろうな」 俺はムッとした。まあ、確かに女房からは「どうしてわからないの?」とか「話が通じない」とか言われたことがある。というか、よく言われた。だから、そりゃまあ、鈍いのかもしれない。だけど、男なんてみんなそんなもんでしょ、と思ってもいる。所詮、男の脳と女の脳は違うのだ。通じ合うことは難しいのだ。という話を何かの取材で聞いたことがある。女心は男にはわかりにくいものだと。 「ま、お前さんにはわからないだろうな。だから、黙ってみていろ。面白いことがきっと起こるから」 何が何だか訳が分からないが、ここで怒っても仕方がないので俺は素直にベランダから部屋の中を見ることにした。 「ただいま〜、帰ったよ〜、ピアノちゃ〜ん、元気にしてたぁ?」 気持ちの悪い言い方で子猫の元旦那(この表現が正しいのかどうかわからないが)が帰ってきた。 「ピアノ〜、ママだよ〜」 子猫が言ってた通り、元旦那の彼女も一緒だ。「ニャ〜」と鳴き声をあげて子猫は、元旦那とその彼女に近付いていく。 彼女が「かわいいわね〜」と言いながら子猫を抱き上げた、その瞬間だった。 「ぎゃ〜、痛い!、なにするのよ、このクソ猫!」 彼女は、子猫を床にたたきつけたのだ。彼女ののどからは、血が流れていた。 「キャ〜、血、血が!。ギャー死ぬ〜!」 「な、何するんだ。ピアノになんてことを!」 二人が同時に叫んだ。元旦那は慌てて子猫を抱き上げる。彼女はのどを抑えて座り込んだ。 「大丈夫かい?、骨は折れてないかい?。おぉ、かわいそうに・・・。そうだ、病院に行かなきゃ。病院で診てもらおう」 「ちょっと、私の心配はしないの?。そんな猫より私でしょ?。早く病院に連れてってよ。血が出てるんだから!」 彼女は座り込んだままそう叫んだが、元旦那の方は 「お前なんか出て行けよ。ピーちゃんに何てことをしてくるんだ。すぐに出て行けよ。そんなくらいのケガ、どうってことないだろ。早く出ていけ!」 と、ものすごい剣幕で彼女に言ったのだった。それどころか 「お前の罪は軽くないぞ。すぐに出ていかないのなら俺が追い出してやる」 と蹴りかかったのだ。彼女は、「キャ〜やめて〜」と叫びながら這いずり回っていた。とんだ修羅場である。 「クソ、こんな女どうでもいい。それよりもピーちゃんを病院に連れて行かなきゃ」 元旦那は、そう言うとあたふたと玄関から出て行ってしまったのだった。残された彼女は、 「糞ヤロウ〜!!!」 と叫んで、しばらくの間、物を投げたり蹴飛ばしたりしていたが、やがて 「もう二度と来るか、こんなところ!」 と叫んで自分のバッグをとるとどたどたと出て行ってしまった。あの様子だと、のどのケガは大したことはないらしい。 静かになった。誰もいなくなった。我々霊体を除いて。 「い、今のって・・・だって、あの時、やらないって・・・、やらなくてよかったって・・・」 俺は半ば放心状態だったから、そう言うのがやっとだった。 「だから、お前は女心がわかっていない、と言ったんだ」 「あっ、じゃあ、夜叉さんには・・・」 「わかっていたさ。だからベランダに出たんだよ。お前、子猫の話を聞いていなかったのか?」 「聞いていましたよ。だって、噛みつかなくてよかったって言ってたじゃないですか」 「そうやって、女の言葉をストレートにとるからダメなんだ。女ってのはな、逆のことを言うんだよ。表情とかから読み取れよ」 「そ、そんなぁ・・・。そんなの読み取れないですよ」 夜叉さんは、俺を哀れなヤツという目で見た。そして、大きなため息を吐く。 「ま、しょうがないか。女心が読み取れるくらいだったら、もう少し出世していただろうしな。まあ、そんなもんだな」 何だか、思いきりバカにされたようで、俺はムカついたが、その時ふと気が付いた。 「あっ、夜叉さん、神通力で子猫の本心を覗いたでしょ。心を読んだんでしょ。俺にするみたいに。それってズルですよ、ズル」 「バ、バカ!、そんなことするわけないだろ。俺には女心がわかるんだよ、お前と違って!」 どうやら、俺のカンが当たったらしい。 「いいよなぁ〜、夜叉さんは神通力が使えて。俺は使えないもんなぁ〜」 と俺はわざとらしく言ったのだが、夜叉さんはそれを全く無視して 「なんであの子猫が噛みついたかわかるか?」 と聞いてきたのだった。 「そ・・・そんなこと、わからないですよ」 俺は不貞腐れて答えた。 「まあ、そうだろうな、わからないだろうな。所詮、男には女心はわからないものだよな」 「わからないです。さっきまで、『噛みつかなくてよかった』って言っていた彼女が、まさか噛みつくなんて・・・」 「覚悟ができたんだろ、きっと」 「覚悟?」 「お前から地獄の話を聞いて、そこへ行ってもいいっていう覚悟ができたんだろうよ。今、元旦那と新しい彼女のラブラブな行為を聞いているのが耐えられなくなったんだよ。それこそ地獄だ、と思っていたのだろう。だったら、いっそのこと地獄へ行った方がマシ、と思ったんだろうな。ここじゃあ、精神的に苦しむ。だが、地獄は、まあいわば肉体的だ。どっちが耐えられるか・・・。あの子猫は、それを考えたのだろうな」 「その結果、地獄を選んだ方がマシ、と?」 「あぁ、そうだ。同じ地獄なら、本物の地獄のほうがいい、元旦那と決別して、本当の地獄へ行ったほうが納得ができる、と思ったんだろうな」 「まあ、確かに元旦那とその彼女のイチャイチャを聞かされるのもねぇ・・・。苦痛ですよね。そうか、それよりも元旦那と別れてしまったほうが気持ちがいいか・・・」 「そういうことだな。子猫になっても元旦那の奥さんだったわけだ」 「それならそれで、『噛みつくのはやめた』って言わなくても、復讐の仕方はないか?って聞いてくれれば・・・」 「そう聞かれたら、お前は何て答える?。それはよくないって説教するだろうが」 「あっ・・・」 「あっ、じゃないし。そんなことは、あの子猫はすぐに気が付いただろうな。だから、反対されないように、邪魔されないように、素直にお前の言葉に従ったんだよ」 「あぁ・・・。はぁ・・・。女って怖いですね。よくわからないです」 「まあ、しかし、子猫でよかったよな。いくら思いっきり噛みついても、大したケガにはならない。もし、元旦那が怒って子猫を処分したとしても、子猫の思う通りだ。実際に起きたように、彼女よりも子猫をかばった子猫を取った、何てのは、子猫にしてみりゃあ、めちゃめちゃラッキーだったろうな」 「まさか、あぁなるとは思っていなかったんでしょうね」 「たぶんな。死んでもいい、否、死にたい、いっそのこと相手をかみ殺して自分も死のう、ってことだったんだろう」 「逆にうまくいってよかったですよ。子猫だったのが幸いだったんですね」 「まあ、そういうことだ。さて、面白いものが見れたから、帰るとするか」 「ちょちょ、待ってくださいよ」 「なんだ、まだあの子猫・・・いや子猫の前世の女に未練があるのか?」 「ち、違いますよ。ただ、この先はどうなるのかな、と思って・・・」 「まあ、大丈夫だろ。あの色っぽいキレイなお姉ちゃんより、子猫を選んだんだ。前世の因縁だろうね、きっと・・・」 そう言うことなのか。結局、元の夫婦に戻ったのだ。そう、もともと旦那はあの浮気女を嫌っていたわけではなかった。仕事に忙しく放置しただけだ。その結果、浮気に走ったのだ。案外、子猫と元旦那という関係の方がうまくいくのかもしれない。それも幸せなのかもしれない。きっと、彼女に噛みついた罪は、大したことはないだろう。これから、元旦那と仲良く暮らしていけば、いずれは人間に生まれ変わることもできるだろう。そう思うと、なんだか俺はほっとした。これでいいのだ、と納得できる。 「夜叉さん、帰るって言いましたが、どこへ帰るんですか?」 「あぁ、そうか。ついつい帰るか、って言ってしまった。じゃあ、言いなおそう、どこへ行く?」 「そうですね。まずは下へ降りましょうか」 俺がそう言うと、夜叉さんは、「わかった」とうなずき、二人でゆっくり下へ降りていったのだった。夜叉さんに飛ぶことができる神通力を分けてもらって助かった。魂を傷つけることなく、俺は7階から地上に降りることができたのだった。 それから俺たちは、青山界隈の邸宅などに勝手にお邪魔をして、そこで飼われている贅沢なペットたちと出会った。どの家も似たようなもので、そこで飼われている贅沢なペットたちは、その家の先祖の生まれ変わりだった。 「戦中は大変だったんだよ。金に物を言わせて食い物をかき集めたものだ。その行いの報いで今は犬になったんじゃのう」 「お金があるんですから、贅沢して何が悪いの?。えっ?、犬に生まれ変わったのは前世の罪だって?。んまぁ失礼ね。いいのよ、犬だって。贅沢ができるんですから。おほほほほ」 なんていう犬もいた。なかには、 「この家は私の物なの。死んでも私の物。家も土地も何もかも私の物なのよ。えっ?、そんな思いを持っているから蛇になったって?。結構ざ〜ます。蛇で結構。えっ?、子孫がかわいくないのかって?。ふん、あんな馬鹿嫁が産んだ子供なんて可愛くもなんともないわ。あのクソ嫁め、ここの財産は絶対渡さない。ホント、息子が私をペットショップで買ってきてくれてよかったわ。いつか、あの嫁を呪い殺してやるのよ。あの嫁の太い首に巻きついて殺してやるわ」 などと恐ろしいことを宣言していた蛇もいた。どんな生き物を飼おうと、それは個人の自由だ。しかし、蛇はねぇ・・・。まあ、俺が嫌いなだけなんですが・・・。それにしても執念とは恐ろしいものだ。その蛇は、亡くなって49日後、すぐに蛇なったようだ。このままでは、蛇が終わると、その家にはびこるネズミになるのか、あるいはゴキブリか、だろう。執念を燃やし続けるなら、どんどん下に落ちていくしかない。結局それは、憎たらしい嫁には負けるのである。ゴキブリに生まれ変わっても憎たらしい嫁に殺されるだけなのだ。ということを説明したのだが 「ふん、大きなお世話よ」 と一蹴されてしまった。 その他に変わったところでは、近所のジイサンの生まれ変わり、という例もあった。そのジイサン、根っからのスケベジジイで近所でも有名だったらしい。お尻を触られなかった奥様方はいない、と言うほどのスケベジジイだったそうだ。女性の下着なんぞ干してあろうものなら、ずーっと眺めているという折り紙付きの変態だったのだそうだ。そのスケベジイサンのお隣に、別嬪の嫁が来たのだそうだ。ジイサン、その嫁に一目ぼれ。朝、挨拶するだけでその日一日機嫌がよかったくらいだ。近所の奥様方は、その別嬪の嫁に、ジイサンに注意するように教えていたのだが、当のジイサンは、どうしてもその嫁に嫌われたくなかったから手は出さなかったのだ。しかも、他の奥様方にも手を出さなかった。女性の下着にも目もくれず、いいジイサンになっていた。しかし、毎日、その嫁さんとデートしたり、旅行したり、××したりする想像をしていたらしい。で、そのうちぽっくりと亡くなってしまった。やがて、ジイサンは猫になって憧れの嫁さんのもとに来たのである。 「もう毎日、憧れの嫁さんの膝に乗ってウキウキだぜぇ。嬉しくって嬉しくって。もう極楽だよ。うっひゃっひゃっひゃ〜」 まあ、こういう生き方もあっていいのかな、と思うが、それにしても、よく憧れの嫁のもとにけたものだと感心してしまう。夜叉さんによると、 「純愛だったからだろう」 とのことだった。確かに、近所に憧れの嫁が来たおかげで、スケベジイサンはまともなジイサンになっていた。もしかしたら、そのご褒美で憧れの嫁のもとに行けたのかもしれない。ただし、それまでの罪があったから人間ではなく、猫として、だ。まあ、それでも幸せなのだろう。大好きな人の膝の上で「ごろにゃ〜」と甘えているのだから。 なんだか、ちょっとうらやましい気分になったのはいけないのだろうか? 「とはいえ、所詮は猫だからな。膝の上でゴロゴロはできても、そこまでだ。そのうちに嫁の旦那に嫉妬するようになるさ。その時は、あの子猫のようにはいかないだろうな」 夜叉さんの言う通りである。いくら好きでも、猫と人間じゃあね。何も成就しませんよ。イライラするのが関の山、なのだろう。 「さて、人間界にある畜生界はもういいか?」 「そうですね。まあ、どれもこれも似たようなものでしょうから」 「じゃあ、精神世界の畜生界へ行くか。まあ、そっちが本物の・・・いい方は変だがな・・・畜生界だからな」 「はい、興味があります」 「よし、じゃあ、精神世界の畜生界へ行くか。それ!」 夜叉さんの掛け声とともに、俺たちはまたまた光に包まれたのだった。 つづく。 |