あの世の旅

第2部 六道輪廻編

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「うわっ、何ですか、この蒸し暑い世界は・・・。それに何だかクサイ」
「これが精神世界・・・霊界の畜生界だ。蒸し暑くてクサイ。ジメジメしている。蒸し風呂にいるようだ」
周囲は、腰のあたりまでまばらに草が生えていた。道があったので歩くことにした。少し歩くと水辺に出た。
「夜叉さんが嫌いな水辺ですよ」
「いいんだよ、あれは現実じゃない。こっちの世界の水辺は気にならないんだよ」
そんな勝手のいいことを・・・と思いつつ水辺に近付くと、そこは濁った池だった。
「汚い池ですねぇ。こんなところに落ちたら腐って死ぬそうですよ」
「あぁ、臭くてたまらんな」
と言いつつ、夜叉さんは少しも嫌そうではない。やはり、現実世界よりも精神世界の方が過ごしやすいのかもしれない。
「ちゃぽん」
その時、汚い池で音がした。その音の方を見ると、お婆さんの顔が汚い池から覗いている。顔は泥水で汚れていた。
「うへぇ〜、嫌じゃ嫌じゃ、あのしつこい嫁め。どこまでも追いかけて来よって・・・。何とか逃げることができたか・・・。はぁ〜、やれやれじゃ」
池から出たお婆さんは、よく見ると身体がカエルだった。またカエルである。この婆さん、一体何をしたのか?。話によると、どうやら嫁に追われているようだが・・・。その時、汚い声が聞こえてきた。
「ババア、待ちやがれ〜、長年の恨み、晴らしてやるぅ」
そう叫んでいたのは、やはり婆さんだった。婆さんの顔が汚い池の表面に浮かんで、するするとカエル婆さんに迫ってくる。
「ギャ〜、見つかったか。逃げにゃきゃいかん」
「待ちやがれ、クソババァ。今度こそ、お前を食ってやる〜」
よく見ると、追いかけているのは婆さんの顔をした蛇だった。婆さん顔の蛇が婆さん顔のカエルを追いかけているのだ。
「バカなやつらだ。きっと、前世であのカエルババァが蛇ババァをイジメたんだろうな。で、仕返しをしているわけだ。意地悪だったババァは、意地汚くてゲロゲロうるさかったからカエルになったんだろう。で、それを恨んでいた嫁が年を取って死んで蛇になって追いかけているってことだな。愚かなことだ」
夜叉さんが、解説をしてくれた。なるほど、そういうわけなのか。嫁をイジメた婆さんは、今度はいじめられる側に回ったのだ。まさに因果応報である。
「ダスゲテグレ〜」
カエル婆さんは、だみ声を上げて必死に逃げている。追いかける蛇ババァも「待ちがやれ〜」とこちらもだみ声を上げて必死に追いかけている。醜い争いだ。
「キキー」
そこへ、キーキー鳴きながら鳥が飛んできた。なんと、顔はおじいさんである。ジイサン顔の鳥が蛇を突こうとしている。
「クソジジイ、ババァを庇うか!。わたしゃ、お前にも恨みがあるんじゃ!」
そういうと、蛇ババァは果敢に鳥の足に噛みつこうとしている。
「助かった・・・。じいさん、お前さんもここに来たのか。まさか、一家が揃うとは・・・。情けないのう・・・。それにしても、なんじゃその姿。貧相な鳥じゃのう」
「うるさいぞばぁさん。助けてやったんだ、文句を言うな!」
「ふん、少しでも罪滅ぼしをしようっていうのか。このクソエロジジイ!。ババァ、知ってるか。このクソエロジジイは、お前が死んだ後、嫁の私の風呂を覗いたんだよ。それだけじゃない。近所の風呂も覗きやがった。とんだクソエロジジイじゃ。だからこんなところに来たんじゃな」
「う、うるさい!。お前の裸なんか見とりゃせんわい!」
「ジジイ、おぬし、わしが死んでから、そんなことをしておったのか!。昔からスケベだとは知っていたが・・・」
「キィー、どいつもこいつも、くたばってしまえ!」
婆さん蛇は、ジイサン鳥の足に巻き付いた。ジイサン鳥は、元々力がないのか、すぐに池に落ちてしまった。婆さん蛇は、鳥にからんだまま、大きな口を開け、婆さんカエルに噛みつこうとしている。
「いや〜、すごい光景ですね。畜生道でこんな争いがあるなんて・・・。これじゃ修羅道じゃないですか」
「まあ、そうだな。畜生道と言っても、のんびり畜生の姿をしてるわけじゃない。いつも食うか食われるか、殺されるか逃げるか、の争いがあるさ。それが自然だろ?。弱肉強食、それが動物の世界じゃないか」
「まあ、そうですが・・・。そうか、そこに恨みだの、妬みだのといった感情が入ってくるから、こんな醜い争いになるんですね」
「そう言うことだな。これが純粋に動物の世界なら、食物連鎖で終わるところだが、ここへ来た元人間は、恨みがあるからなぁ。だから、こうなる」
全く持って醜い世界である。こんな姿になってまでも、まだ争い続けているのだ。そこに本人たちは気が付かないのだろうか?。反省とか、そういう気持ちにはならないのだろうか?。

「ぎゃ〜」
汚い叫び声が聞こえた。ついに婆さんカエルが食われたのか、と思ってみてみると、なんと叫んでいたのは婆さん蛇だった。婆さん蛇、鳥にからめていた身体を解き、水辺から必死に陸に上がろうとしている。
「ぎゃははは、ざまぁみろ。これで助かった・・・ぎゃ〜」
今度はジイサン鳥が叫んだ。
「何やってるんだ、ジイサン。まあいい、この間にあたしゃ逃げさせてもらうからね。あ、あぁぁぁ」
続けて婆さんカエルも叫んでいる。いったいどうなっているのか?。
陸に上がった婆さん蛇を見ると、その身体には無数の白い虫・・・うじ虫のような・・・がくっついていた。蛇の身体に噛みついているようだ。蛇だけじゃない、鳥の足にも噛みついている。おそらく、カエルにも噛みついているのだろう。
「池の中の虫にかまれたな。あぁ、あの虫は何かの生まれかわりじゃないよ。そうだな、いわば地獄の鬼のようなものか。この世界で反省がないと、水辺関係の生き物は、あぁやって噛みつかれるんだ」
「なるほど、これで争いは終わりますもんねぇ。でも、反省しますか?」
「まあ、見てなって」
夜叉さんは、そういうとニヤニヤしていた。どうやら、このうじ虫、噛みつくだけではないらしい。

「痛い、痛い、くそっ、離れろ、うじ虫め!」
蛇はそう言いながら、のたうち回っていた。鳥も痛い痛いと叫びながら、転がっている。鳥は足だけでなく、羽や胸のあたりまでうじ虫に噛みつかれていた。カエルも同じだ、ギャーギャー叫びながら泥の中を転がっている。
「わかった、わかったから・・・、離して・・・、噛みつくのをやめて・・・、許して、許してください」
蛇がそう叫ぶと、鳥やカエルも同じように、許しを請うのだった。
「もう争いはしません。追いかけません。反省してます。だから許して、許してください」
蛇がそう叫ぶと、鳥が「わしもじゃ」と言い、カエルも「私もじゃ」と続けた。三者三様に許しを願っていた。
「あれはな、アイツらだけに聞こえているんだよ」
「えっ、どういうことですか?」
「あのうじ虫、噛みつきながら小さな声で『噛みつかれたくなかったら反省しろ。自分のやったことを反省しろ』と言っているんだ。周囲には聞こえないけどな」
「そう言うことですか。それでアイツら許してくれって言ってるんですね」
「そう言うことだな」
「あぁ、それであのうじ虫は、地獄の鬼のような存在、というわけなんだ」
「そう。ああやって噛みついて、反省を促している。時には、助かりたければ、子孫に供養をしてもらえ、などとささやくこともある。そういう役目のうじ虫なんだよ」
「ほう、じゃあ、あの連中も反省して・・・って、ちょっと待ってください。ひょっとしてあの連中、あのうじ虫に噛まれるのは初めてじゃない?・・・ってことは・・・」
「あるだろうな。きっと、反省してます、許してください、と言いつつ、うじ虫が身体から離れたら、また蛇はカエルを追いかけるだろうな。何度も同じことを繰り返していると思うよ。鳥は、今回が初登場のようだから、これからの行動が問題になるな」
何と情けない。反省します、もうしません、追いかけません・・・と言っているのは、どうやら口だけのようだ。うじ虫が身体から離れたとたん、また追いかけるのだ。反省なんてしていないのだ。でも、その言葉を信じてうじ虫は、噛みつくのをやめてしまうのはなぜなのか?。うじ虫にしてみれば、口先だけの反省だということくらい、見抜けるのではないか・・・。
「まあ、見抜けるさ。でもな、そうなると、噛みつきっぱなし、というか、食い殺してしまうだろ。それじゃあ、終わってしまうじゃないか。ここで、あのうじ虫に食い殺されたら、下に落ちるしかない。餓鬼か地獄だ。それはなるべく避けたほうがいいだろう、という閻魔様たちの計らいだな。できれば、ちゃんと反省させたほうがいい、ということだな。だから、時間はかかるかも知れないが、心からの反省を待つんだよ。しかも、あの連中・・・というか、この世界に来た者は、次の生まれ変わりのチャンスまで死なないしな。生きて苦しまなければならないんだ」
「この次の生まれ変わりのチャンスって・・・」
「現実世界の法事・年忌供養だな。年数が経ち過ぎて・・・確か五十回忌で終わりだから、それが過ぎてしまえば、先祖供養だな。先祖代々での供養だ。それがあるまでは、苦しみ続けることになる。あの婆さんカエルやジイサン鳥は、下手すりゃ五十回忌が終わっているんじゃないか。そうなると、先祖代々での供養しか救われる道はないな。あとは、延々とこの世界で生きて、自分で少しずつ悟るしかないな」
「それを導いているのが、あのうじ虫ですか」
「そうだな、水辺ではな、そうなる。水辺付近ではない生き物には、また別の導き手があるさ」
あのうじ虫は、濁ったクサイ汚い池で生きる連中に噛みついて、反省を促し、あるいは供養をしてもらうように導いているのだ。で、その言葉を聞き入れ、深く反省するか、何らかの方法で子孫に供養を頼み、それが為されれば、この世界から脱出することも可能になるのだ。いや、それしか、この世界から助かる方法はないのである。
あの連中、それがわかっているのだろうか?

「反省してます。もう、ババアを追いかけたりはしません」
蛇はとぐろを巻いて小さくなっていた。鳥は、
「こんなことなら、助けるんじゃなかった。あぁ、いや、その反省してます・・・。なんてこった。うちの家の者は、みんなこんな世界に来てしまったのか・・・。あぁ、極楽へ行けると信じていたのに。こんな醜い姿になってしもうて・・・。あぁ、情けなや、情けなや・・・」
と嘆いていた。カエルババアは、
「はぁ、どうすりゃええんじゃ。わしが嫁をいびったのがいけないのか?。わしだって、イジメられたぞ。あぁ、痛い、痛い、わかったわかった、やり返したのがいけないんじゃな。はぁ、もっといい世界に生まれかわりたいものじゃ・・・」
とグチグチ言っていた。さて、どうなることやら。うじ虫は、一斉に連中から離れて、池の中へ戻っていく。その姿が、完全に池の中に消えた。
「わしは、もう行くぞ。お前らには関わらん。婆さんや、お前を助けることも、もうない。わしは、早く極楽に行きたいんじゃ。ようやく来たところが、こんなところだったとは・・・。極楽は遠いのう」
「じいさんや、お前さん、前はどこにおったんじゃ?」
「う〜ん、ぼんやりとしか思い出せんが・・・、我が家の風呂場に張り付いておったような・・・」
「はん、死んでも風呂場をのぞいていたのか!。このドスケベジジイ」
その言葉に、鳥は首をすくめた。
「わしが悪いんじゃ。もう行く。これからは、この世界でいいことをしようと思う」
そう言うと、ジイサン顔の鳥は飛んで行ってしまった。案外、悪い人ではなかったのかもしれない。嫁姑に挟まれ、オロオロしながらも、ちょっとスケベ心があって、風呂覗きが好きだったのだろう。それで、風呂に住み着く虫?を経てここに来たようだ。今度こそ、反省して、現実世界へ戻れるといいのだが・・・。
「極楽へ行きたいのなら、供養をたくさんしてもらうことだな。まあ、ほど遠そうだけどな」
夜叉さんがボソッとそう言った。哀れみのこもった声だった。
「はぁ〜私も、もう疲れたわ・・・。いったい何年ババアを追いかけ続けてきたのか・・・。いい加減、気が付くべきだね。こんなことは愚かしいことだって・・・。ババァ、あんたには恨みはあるけど、あんたを恨んでも私は蛇から逃れられない。まあ、醜いカエルになったあんたを見ているだけで気が晴れるしね。許してやるから、さっさとどこかへ行きな!。はやく私の目の前から消えろ!。今度会ったら、タダじゃすまないからね。いいかい、わかったか!。わかったなら、さっさと消えろ!」
蛇はそう凄むと、そそくさと自分から草むらの方へと行ってしまった。残ったカエルは、大きくため息をつくと、「嫌じゃ嫌じゃ」とつぶやきながら汚い池の中へと入っていったのだった。
「どうやら、反省したみたいですね。蛇もカエルも、心を入れ替えたようですね」
「お前さんは、めでたいねぇ。そんなわけないだろ。あの蛇とカエルは、きっと何度も同じことを繰り返しているさ。毎回、同じセリフを吐いているに違いないさ。これが何回目なんだろうな。何年も何年も同じこと繰り返しているのさ」
「そ、そうなんですか?。でも、もう許してやるって、蛇の姿は嫌だって・・・」
「だから、うじ虫に噛まれ、諭された時は反省するさ。でもな、しばらくすると、また同じことを繰り返すんだよ。それがここの世界・・・精神世界の畜生界なんだよ。本当に助かりたければ、子孫に供養を頼むしかないんだよ」
「それをしないとなると・・・」
「ずっーっとあのままか、下に落ちるだけだ。まあ、おそらく、あの一家の子孫は・・・どうなったのだろうな、きっと没落しているのか、一家バラバラか、もしかしたら、無くなっているのかもな」
「じゃあ、供養はできないですよね」
「そうだな。まあ、最後の一人が永代供養を頼んでいれば別だが、そうしていれば蛇にもカエルにも鳥にもならないから・・・。きっと、信仰心のかけらもなかった子孫なんだろ。ま、仕方がないな」
子孫が、少しでも信仰心があれば・・・。おそらくは、この世界から脱出で来ていたのだろう。で、子孫も繁栄していたに違いない。いや、たとえ、子孫が繁栄していなくても、家を継ぐ者がいなくても、絶える家であっても、お寺に永代供養を頼んでおけば、こんなことにはならないのだ。あぁ、そうか、だから俺の家は、俺の父母は、お寺に永代供養を頼んだのだ。俺が仏事やらない人間だ、信仰心のかけらもない人間だと知っていたから。俺が死んで、迷ったりしないように、自分たちも嫌な世界へ行かないように、永代供養を頼んで死んでいったんだ。
「そう言うことだな。信仰心があれば、未然に防げることもあるんだよ」
結局は、信仰心に行きつくのだが、その信仰心を失くすような坊主が多いから・・・。
「原因は、現代のお坊さんだな。これが諸悪の根源だな。結局、そこへ行きつくんだよ。さて、ブラブラとこの世界を見ていこうか」
夜叉さんは、そういうとスタスタと歩き始めたのだった。


「なんだか臭さがアップしてませんか?」
元々この世界は臭かったのだが、その臭さがさらに増してきたように俺は感じた。鼻につく匂いがだんだん強くなってきている。さらには、目にしみるのだ。強烈な糞尿の匂いに近い匂いがしてきたのだ。
「あぁ、さらに臭くなってきている。人間はつらいだろうな。目にしみるだろ、この匂い」
夜叉さんは平気なようだ。現実世界じゃなければ、なんと言うこともないのだろう。そういえば、地獄も修羅の世界も平気だった。餓鬼界だけは嫌だったみたいだが・・・。
「この先はな、邪淫や怠けを極めた連中がいるところだ。まあ、見てみるといい」
夜叉さんの言葉は、ちょっと陰気を含んでいた。

「あっ、あれは・・・」
そこには泥にまみれた人間の顔をしたブタがズラリと並んでいた。その数・・・100人?匹?近くいるのだろうか、否、それ以上か?
その人間の顔をしたブタたちは、横一列に並んでいた。泥の中に四つん這いの足が浸かっていて、腹が泥にあたっている。ブタたちの後ろには、主に女性が一人立っていた。主にと言ったのは、その中に男性が10人程度混ざっているからだ。女性たちは大半が若い女性で、プロポーションがいい。モデルのような女性だったり、アダルトビデオに出てきそうな女性だったりする。中にはおばさんも混ざっていたし、ぽっちゃり体型の女性もいた。男性は概ねマッチョだ。なぜか、デブの男性が二人いた。どういう基準で女性や男性、その体型が決められているのかわからない。
驚いたのは、その女性や男性たちは、這いつくばっているブタを鞭のようなもので殴っているのだ。
「こ、これはいったい・・・」
「あいつらはな、邪淫の果てにこうなっているんだよ。邪淫+怠け者、という場合もあるな。あの泥は・・・まあよく見てみな」
そう言われ俺は臭い匂いを我慢しつつ、少し近付いてみた。よく目をこらすと、その泥は泥ではなかった。便なのだ。そう、糞だ。文字通り糞なのだ。あのブタたちは、糞尿の中に這いつくばっているのだ。道理で臭いはずである。
「あんな中に・・・しかも鞭で叩かれて・・・」
「邪淫のなれの果てだな。ブタの多くは男どもだろ。あいつらは不倫して家庭を壊し奥さんや子供を不幸のどん底に落とし、さらには相手の家庭も壊し、親や会社関係に大きな迷惑をかけた奴らだ。そのほかには、異性に溺れ働きもせず淫乱な毎日を過ごした者とか、だな。女の・・・メスと言った方がいいか?・・・ブタは、浮気を繰り返し、それだけではなく男を貪り、家庭や子供を捨て、相手の家庭も壊した連中だな。フン、下らん連中だよ」
夜叉さんは、苦虫を噛み潰したような顔をしていた。よほどああいう人たちが嫌いなのだろう。しかし・・・。
「しかし、現実世界でも不倫をして虫や動物になった者もいましたよね。そうではなく、ここに生まれ変わってくる者もいる。この違いは何ですか?。さっきのジイサンやバアサンもそうです。なぜ、こっちに来たのでしょうか?。現実世界でもよかったのではないですか?」
「現実世界に生まれ変わるか、こっちの世界に生まれ変わるか、その差はな、その罪の深さや反省の度合いによって異なるんだよ。ここにいる連中は、邪淫や怠けがひどく、なおかつ反省がない連中だよ」
「でも彼らや彼女らだって、一応裁判は受けているんですよね?。あの49日の間の裁判を受けているんですよね?。ならば少しは反省をすると思うんですけど・・・。えっ?、ひょっとして裁判を受けていないとか?ですか?」
「あぁ、そういう連中もいるよ。否、そういう連中が多いかな。葬式もそこそこで後はなし、っていう者もいるんだろうけどな。まあ、信仰心のかけらもない連中だよ、あいつらは。だから、裁判でも嘘ばかり言っていたんだろうな。口先だけの反省さ」
あの7日ごとの裁判で誰もが反省の言葉を吐く。もちろん、中には文句を言う者もいるが、大半は反省の言葉を口にするのだ。しかし、それがどの程度の反省なのか、それはわからない。心から反省しているのか、とりあえず謝っておけ、なのか・・・。なるほど、ここにいる者たちは、口先だけの反省だったのか。
「そういうことだ」
夜叉さんの態度は冷たかった。

横一列に並んだ人間の顔をしたブタたちは、後ろにいる女性や男性から鞭で叩かれ「痛い、やめて、助けて」などと叫んでいた。中には、オッサンのブタがマッチョな男性に叩かれている者もいた。それはきっと、同性愛者でなおかつ周囲の人たちを巻き込み、不幸に陥れ、さらにはその反省がなかった者なのだろう。
後ろから眺めると、ブタたちのお尻は一様にミミズ腫れになり、血が流れていた。殴っている者の鞭を見てみると、その鞭にはトゲが無数についていた。あれで叩かれれば、そりゃ痛いはずである。
血が流れ傷ついた尻に後ろの女性や男性たちは、糞尿をヒシャクのような物ですくってかけていた。きっと尻の傷にものすごくしみるのだろう。糞尿をかけられるたびにブタたちは悲鳴を上げていたのだ。
「おい、お前、こうして遠くからずーっと眺めているだけか?」
俺が呆然とブタたちを眺めていると、夜叉さんが突然そう言った。
「えっ?、眺めているだけかって・・・そう言われても・・・」
「ここにいたんじゃ、詳しいことはわからないんじゃないか?」
「あの、ひょっとしてあのブタに話を聞いてこいと?」
固まっている俺を見て夜叉さんは、ニヤニヤし出した。あっ、これは意地悪で言っているな、と気付いた。
「いやいや、意地悪で言っているんじゃない。実際あいつらが何をやってこうなったのか、反省をしているのか、助かる方法はあるのか、ということを聞いた方がいいんじゃないかと思ってね、そう言ったんだけどな」
と、もっともらしいことを言っているが、夜叉さんは今にも笑い出しそうだった。おまけに「ほら、早く行けよ」と俺をつついてくる。
「マ、マジですか?」
そう聞き返した俺に、夜叉さんはニヤニヤしながらうなずいている。首を振って「ほら行け」と言っている。
どうやら冗談ではないようだ。本気で夜叉さんは、インタビューに行けと言っているのだ。
「マジっすかぁ〜。あそこへ行けと・・・。鼻がもげそうですよ。目だって痛いし・・・。吐き気がしますよ」
「何言ってるんだ。お前、霊体だろ。鼻はもげないし、目も大丈夫だ。吐く物なんてないだろう。いい加減に霊体の身体に慣れろよ。全くヘタレだなぁ」
どうも生きているときの感覚が抜けきらない。そうだ、俺は霊体なのだ。本来は感覚なんてないのだ。もげる鼻もないし、目だって実体はないのだ。スカスカの霊体なのだ・・・。と思っても、なかなかあの糞尿に近付く勇気がわいてこなかった。
「まったく・・・。しょうがない、ホレ」
何かにドンと突き飛ばされたような感じがした。否、実際、俺は突き飛ばされたのだ。俺は空中を飛んでいた。
「お前がグズグズしているから、飛ばしてやった。わはははは」
糞尿のすぐ近くに落ちた俺に、夜叉さんの笑い声が聞こえていた。

「うへぇ、なんてことだ。うわ、臭い!、オエェェェ」
吐き気がした。といっても吐くものはない。俺は「気のせい気のせい」と言い聞かせ、ゆっくりと立ち上がった。
すぐ近くにブタの顔がある。そのブタはオッサンだった。
「な、なんだお前は!。い、痛い!。痛いよぉ〜、勘弁してください。痛い、痛い、許してください。こら!、お前見るんじゃねぇ!。あぁ、痛い!やめて!」
「うるさいね、許さないわよ。これがお前の妻だった女の怨みだ!」
ブタの後ろにいた女性は、思いっきり鞭を振り上げブタの尻を叩いた。
「ぎゃ〜!、死ぬ〜」
「うるさいんだよ。お前の妻のほうがもっと苦しんだんだ!」
そう言って女性はブタの尻をまた叩いた。血が飛び散った。
「汚いね!、血ぃ出してんじゃないよ!」
そう言って、また女性はブタの尻を叩いた。
「あ、あの〜、なんでそんなに尻を叩くんですか?」
「あ〜ん?、なんだお前は?・・・・あっ、お前、ひょっとして・・・・噂は聞いていたが、こんなところまで来るとは。物好きだねぇ、聞新!」
「俺のこと知ってるの?」
久しぶりに名前を呼ばれて、俺は驚いた。
「あぁ、知ってるよ。このブタやろう!。これがお前の娘の怨みだ!」
俺と話しながらも、その女性はブタの尻を打つことをやめなかった。
「お前の噂は聞いてるよ。ここまで伝わっているさ。物好きな死人がいて・・・娘の怨みはこんなもんじゃないぞ。思い知れ!」
女性は、ブタの尻を連続で3発鞭打った。
「物好きな死人が、夜叉様とこっちの世界を旅しているってな」
話しながらも女性は手を緩めない。
「いいか、このブタやろう。お前のせいで娘の縁談は壊れたんだ!。その怨みは、こんなものじゃない!」
バシバシバシ・・・と鞭が尻を叩く音が響いた。血が飛び散った。
「汚ねぇな、血ぃ出してんじゃねぇよ。これで洗い流しな」
女性は、柄杓で糞尿をブタの尻にかけた。
「ぎゃ〜、死ぬ〜」
ブタの尻が「ジュ〜」と肉が焼けるような音を出した。実際、やけどをしているようだ。普通なら、まともに見ていられない状況だが、地獄の刑罰を見てきた俺にとっては、これはそんなにたいした罰だと感じられない。それはそれでいいのかどうか、ちょっと問題だが、そのことは今度じっくり考えることにした。今は、取材だ。話を聞かねばならない。

「私のことを知っているようなので、単刀直入に質問します。お姉さんは、何者なんですか?」
「あたしか?、あたしは、こいつを恨んでいる女たちの権化・・・化身だよ。いわば、怨みの塊だね。わかったか、コラ!。お前を恨んでいるのは、お前の女房や娘だけじゃないぞ。お前が弄んだ女たちもお前を恨んでいるんだよ。お前は、もっと苦しめばいいんだ。わかったかコラ!」
話しながら、その女性・・・怨みの化身は、ブタに何度も鞭打った。そのたびにブタは叫んでいる。
「こいつはな、女房がありながら他の女に手ぇだした。まあ、そんなことはよくある話だ。だがな、こいつの悪いところは、浮気だけで終わらなかったってところだ。家の金を持ち出しちゃあ、よその女につぎ込む。女房がパートで稼いだお金もむしり取ってだ。ひでぇ話だろ。女房がやめてくれと言えば、女房を殴る蹴るだ。たまりかねた女房は、弁護士頼んで離婚したんだが、慰謝料は払わねぇ、養育費は払わねぇ、それだけじゃねぇ、自分の娘を風俗に売ろうとしやがった。とんでもねぇ野郎だ」
ブタの尻を叩きながら、オッサンの顔をしたブタの生前の悪行を怨みの化身は話した。
「それだけじゃねぇよな。もっとひどいのは、こいつはな、自分の娘を児童ポルノに売ろうとしたんだぜ。すんでの所で女房が気がついて止めたから良かったんだけどな。とんでもねぇヤツだ!」
「とんでもねぇヤツだ」と同時に放った鞭でブタは気絶した。糞尿の中に倒れ込んだのだ。
「チッ、死んじまったか。全く面倒くせいな」
気絶じゃない、死んだのだ。
「こ、これ・・・いいんですか?、死んじゃって、その・・・」
「いいんだよ、すぐに生き返るから。己の罪がこれで消えたと思うなよ、オラァ!」
怨みの化身はそう言うと、思い切りブタの尻を蹴り上げたのだ。
「ブヒ〜」
と叫びながら、ブタが跳ね上がった。
「ぐへ、げほ、オエェェェ、やめてください。助けてください。そこの人、た、助けて!」
「うるせぇんだよ。今度は、お前が泣かした女たちの怨みだ!。オラァ!」
「ぎゃ〜、許してくださ〜い」
「許さねぇよ!」
ブタは何度も尻を叩かれている。そのたびに血が飛ぶ。化身が「汚ねぇ」と叫び糞尿をかける。傷がやけどのようになる。ブタが叫ぶ。鞭が飛ぶ。ブタが死ぬ。化身が尻を蹴飛ばす。ブタ、生き返り許しを請う・・・。
この繰り返しだった。
「こいつはな、女房や娘だけじゃない。よその女も苦しめた。最初は金を貢いだが、そのうちに金を無心するようになった。女が金を出すの渋れば、殴る蹴るの暴力だ。で、その女の全財産を持ち逃げして、別の女のところに転がり込む。その繰り返しだ。それで何人の女を泣かせたんだ?、何人の女を苦しめたァ!」
化身の鞭に力が込められた。鞭の音はますます激しくなっていった。
「この野郎を恨んでいる女は、わんさといるんだよ。その怨みが固まって、あたしになったんだよ。いいかい、お前の痛みは、お前が女たちに与えた痛みなんだよ。あたしたちは、こんなにも苦しんで苦しんで苦しんだんだよ。もう、痛くて痛くて、死ぬ思いだったんだ。いいや、実際に死にかけた女もいた。全部お前のせいだ。お前は何度死んでも足らないんだよ!」
振り下ろした鞭がブタを打つ。ブタは死んだ。そして蹴飛ばされ、生き返る。
「簡単に死ぬんじゃねぇ。もっと苦しめよ。あたしたちが受けた苦しみの何百倍も苦しむがいい!」
「ブヒ〜!、ぎゃ〜!」
ブタの叫び声が虚しく響いた。
「他のブタたちも同じようなものですか?」
「あぁ、同じさ。どいつもこいつも、クソばかりだ。みんな女を苦しめてきた連中さ」
「中には女性もいますが」
「あいつらは、男を食い物にしてきたヤツラさ。旦那がありながら、他の男と遊びまくり、旦那の金を奪っては男に貢ぎ、ってヤツラだよ。淫乱になるのは、男より女の方がひどいね。最近じゃあここに来る女が増えてきている。恐ろしい世の中だよ。あたしらみたいに男に食い物にされる女もいりゃ、男を食い物にする女もいるんだね。恐ろしいことだ。オラ、休んでいるんじゃねぇ、殺すぞコラ」
オバサンの顔をしたブタは、このオッサンブタの女性版なのだ。旦那をATMだと思い、旦那の目を盗み不倫をする。で、離婚されれば男を渡り歩くようになる。まあ、最終的には誰にも相手にされなくなるのだろうが、そうなったら元の旦那を頼ったり実家を頼ったりして、また迷惑をかけるのだ。自分の淫乱さのために、多くに人に迷惑をかけ、多くの人から恨まれた結果が、このブタたちなのだ。己の制御できない性欲の果てがこれなのだ。
「この世界から助かる方法はないんですか?」
「このブタからかい?。オラァ!、死ね、コラ!。ないことはないよ。まあ、あるっちゃあるよ」
「それはいったいどうやって・・・」
「お前さんも知ってるだろ。オラァ!、もっと苦しめ、コラ!。供養だよ」
「結局それですか。でも、この人もそうだけど、このブタたちのほとんどが・・・」
「供養なんてしてもらえないよ!、哀れだな、おい!」
と言って化身は思い切り鞭を振るった。また、ブタは倒れる。チッと舌打ちしながら化身はブタを蹴り飛ばした。ブタは、ビクッとして生き返った。
「こいつらは家族を捨てたんだ。親も捨てている。かろうじて最後に一緒にいた者が葬式は出してくれたが、その後の供養なんて、誰がすると思う?。骨だって行く場所がない。誰も引き取らない。無縁墓地にばらまかれて終わりだ。誰も供養なんてしてくれないから、供養で助かろうなんて・・・笑わせるね!」
化身が話している間も、化身の手は休まない。ブタも叫び続けているのだが、もはや、ブタの叫び声は俺の耳に入ってこなくなった。
「じゃあ、他に助かる方法は・・・」
「簡単さ。あたしたちの怒りが鎮まればいいんだよ。あたしたちの怨みが消えるときが、救われる時さ!」
なるほど、この怨みの化身が消えるときが、ブタの罪の精算がなされる時なのだ。つまり、この怨みの化身が消えれば、ブタの罪も終わるのだ。で、ブタもここでは生き返らない。次の世界へ生まれ変わるのだ。おそらく下に落ちることはないだろう。現実世界の畜生になるのか、修羅の世界へ行くのか、それはわからない。ひょっとしたら、人間界へ戻れるかも知れない。その差は、おそらく・・・。
「本気で反省していれば、ひょっとしたら、人間になれるかも知れないね。ほら、あそこの化身を見てみな」
俺は化身が鞭で指した方向を見てみた。そこの化身は、半透明になっていた。
「ぼんやりしているだろ。叩かれているブタのやろうが、反省し始めた証拠だね。いいかい、あたしら化身はね、お前が心から反省すれば、お前がやってきたことをマジで反省すれば、だんだん薄くなるんだよ。そうなれば、鞭の力も弱くなる。痛みも減るんだよ!」
「で、やがて怨みが消え、化身も消えていく・・・」
「そういうことさ。ところが、この野郎は、反省どころか、自分が悪いなんて少しも思っちゃいねぇ。いつまでもヘラヘラしてやがる。いい加減にしろよ、クソヤロー!」
思い切り放たれた鞭は、ブタの尻の肉を大きくえぐった。その1発でブタは息絶えたのだった。と言っても、すぐに生き返るのだが、このブタ、少しも懲りないようだ。
「このままでは、このブタは反省しないんじゃないですか?」
「しょうがねぇな、選手交代だな」
化身はそう言うと、鞭打つのをやめたのだった。


「選手交代?」
「あぁ、こいつはいくら殴られ叩かれ蹴られてもちっとも懲りない。だから手段を変えるのさ。こいつへの怨みは深いからね、これで終わりじゃない」
化身は、そう言うと一瞬で姿を消した。叩かれていたオッサンブタはクソの泥の中で横たわってあくびをしている。のんきなものだ。あの化身はこれで終わりじゃないと言った。と言うことは、今まで以上の苦しみがこのオッサンブタに降りかかるということだろう。そうとも知らずにオッサンブタは、クソの泥の中で眠り始めたのだった。

「おい、起きろ。寝てるんじゃねぇ」
その言葉と同時にオッサンブタの周りに大勢の姿が現われた。その人たちは、若い女性もいれば子供もいる。おばさんもいれば青年もいた。「起きろ」と言ったのは、若い女性だった。
「あっ、お前は・・・。なんだ、会いに来てくれたのか。助けに来てくれたのか」
オッサンブタは、その若い女性を見ると身体を擦り付けてきた。が、その途端に蹴飛ばされていた。
「哀れだな、お前。お前、今の自分の姿、わかっているのか?」
「おい、オヤジ、久しぶりだな。なんだその姿は。おまけにめっちゃクセーぞ。惨めだな、お前。あんなに威張っていたのによ。おい、なんとか言ったらどうなんだ?」
「お、お前ら・・・なんでここに・・・。助けにきてくれた・・・」
「んなわけねーだろ、バッカじゃねーの」
その青年はそういうと、オッサンブタの顔につばを吐きかけた。
「な、何をする。お前、息子の分際で!」
「威張ってんじゃねーよ、クソブタ。フン、哀れだな、おい。生きていた時みたいに俺をぶん殴ってみろよ。あはははは」
「なに、このオッサン、そんなに威張っていたの?。私の前ではいつもデレデレしてたのに。おい、オッサン、生きていた時みたいにデレデレしてみなよ。ま、その格好でデレデレされてもキモいけどね。キャハハハハ」
オッサンブタの周りを囲んでいたのは、どうやら生前に関わりのあった者たちのようだ。彼ら彼女らは、一斉にオッサンブタを罵り始めた。
「や、やめろ、やめろ、うるさい、勘弁してくれ。おい、そんな目で俺を見るな!」
「うるさい?、うるさいのはお前だ、バーカ。おまけに臭い。臭くてたまらん、死ねよクズ!」
「あ〜あ、ホント、惨めだなぁ。これじゃあゴキブリ以下だぜ。ほら、何か言えよ、ブヒーとかさ。あはははは」
全員が冷めたような目、蔑みの目でオッサンブタを見下していた。そして罵詈雑言の嵐だ。それだけではない。彼ら彼女らは、トゲトゲのついた靴でオッサンブタのケツを蹴ったりグリグリしたりした。中には、槍のようなものでチクチク刺している者もいた。彼ら彼女らは、オッサンブタに大きな怪我や傷を負わせたりはしない。ジクジク、グチュグチュ・・・といった感じで、じわじわとなぶっている。これは、陰湿なイジメである。
「おい、どうしたんだ?。さっきまでの勢いはどこ行ったんだ?」
「私たちに会えて嬉しいだろ?。お前のおかげで、さんざん苦労したんだよ、私たちは。何か言ったらどうなのさ。おい、クソブタオヤジ、何か言えよ、ホラ」
「あなたのせいよ、あなたのせいよ、あなたのせいよ」
「死ね死ね死ね死ね・・・・・」
怨みの言葉や呪いの言葉を吐きながら、彼ら彼女らは、チクチクとオッサンブタを痛めつけていた。一つ一つの攻撃は小さいものだろうが、何人かに囲まれて、一斉にチクチク攻撃されれば、かなりの痛手だろう。その証拠にオッサンブタは、女性一人の化身にいたぶられていたときより元気がない。泣きそうな顔をして「やめてくれ、許してくれ」とつぶやきながら、自分を取り囲んでいる者たちを見回していた。
「や、やめてくれ、もう許してくれ、俺が悪かったよ。だから、許して・・・。あ、お、お前、お前もいたのか?。助けてくれ。俺が悪かった。お前を捨てて女遊びをした俺が悪かった。だから、助けてくれ」
オッサンブタは、取り囲んでいる者たちの中の一人の方へと進もうとした。その方向にいたのは、やつれたオバサンだった。
「あんた・・・なんだいその姿は。惨めだねぇ・・・。助けてくれって?。はぁ〜、ため息が出るよ。あんた、よくそんなことが言えるねぇ」
「お、お前しかいないんだ。お前だけが頼りだ。本当はお前だけを愛していたんだ。な、だから、助けてくれよ。頼むよ」
オッサンブタは、よろよろと身体を引きずりながらオバサンの足下へとすがった。オバサンは、無表情の目をオッサンブタに向けた。
「助けてくれ?。あぁ、そうかい、ふふふ」
オバサンはそう言うと、ちょっと微笑んだ。その表情を見て、オッサンブタもほっと息を吐き、にっこりする。
「そんなこと・・・」
それは小さな声だった。
「よく言えたな!、このクソヤロー!」
声と同時にオバサンはオッサンブタの頭を踏みつけた。
「これで終わりじゃないんだよ。死ね死ね死ね!、何度も死にやがれ!」
そう叫びながらオバサンは、オッサンブタの頭を何度も何度も踏みつけたのだった。
「ママ、もういいよ。もう死んでるよ」
オバサンを止めたのは、どうやら娘のようである。
「ふん、クソオヤジ、生き返れよ。おい、早く生き返れ!」
オッサンブタは息子に蹴飛ばされた。
「ブヒ〜」
激痛で生き返ったようだ。転がったオッサンブタは、転がった先にいた女性に蹴飛ばされ、また転がった。そして、さらに蹴飛ばされる。まるでサッカーのようだ。転がりながらオッサンブタは
「やめてくれ、許してくれ、俺が悪かった。だから、助けてくれ」
と言い続けている。さすがに見ているのが心苦しくなってきた。これは、集団イジメなのだ。

確かに、いたぶられる原因を作ったのは、オッサンブタである。あの化身の刑罰でも反省しなかったのは、オッサンブタが悪い。しかし、この罰は、さすがに見ているのがつらい。どうしても集団でのイジメを連想してしまうのだ。
オッサンブタは、泣きそうな顔をして、家族や自分がひどい仕打ちをした女性たちの間を転がっていた。オッサンブタの顔が次第にやつれていく。「助けてくれ」と懇願するが、誰も助けてくれない。もはや、彼ら彼女らは無表情で、無言で・・・ただ目だけがオッサンブタを蔑んでいた・・・オッサンブタを蹴り続けている。
オッサンブタの顔に諦めの表情が浮かんできた。と同時につぶやきが「すまない、すまない」に変わっていた。蹴飛ばされ、クソの泥の中を転がりながら、オッサンブタは「すまない、すまない」とつぶやいている。それはあまりにも惨めな姿だった。
やがて、オッサンブタは、オッサンブタを取り囲んだ者たちの真ん中で動かなくなった。どうやら死んだようである。周囲の者たちも動かなかった。みな、無表情でオッサンブタを見下ろしている。
「ザザザザッ」
クソの泥がザワザワし出した。すると、小さな白い虫がオッサンブタの身体にかみつき始めた。
「ぎゃ〜!」
オッサンブタは、死んではいなかった。気絶していただけだったのだ。オッサンブタは、ものすごい叫び声をあげながら、クソの泥の中をのたうち回った。虫たちは、オッサンブタを食いちぎっている。どんどん肉を食い破っている。やがて、骨が見えた。そして、しばらくすると叫び声もなくなり、オッサンブタの骨だけがクソの泥の中に残っていたのだった。オッサンブタの周囲には誰もいなかった。

「えっ?、えっ?あれ・・・一体どうなったんですか?」
「あのオッサンブタ、どうやら心から反省したようだな。オッサンブタは刑罰から解放されたんだよ。今頃は、この世界の生き物か現実世界の生き物に生まれ変わっているだろうよ」
突然、夜叉さんが横に現われてそう言った。
「あぁ、なるほど、そういうことですか。そうか、あのオッサンブタ、ついに反省したんだ。それで最後は骨になってしまったんですね」
「そういうことだ。どうやら、自分が捨てた家族や女たちからの攻撃が効いたんだろうな。その前の、怨みの化身じゃあ効果は無かったんだな。いや、むしろ喜んでいたくらいだ。だが、さすがに自分の家族や関わった女性たちからの攻撃には参ったようだな」
「はぁ、まあ、あんな目で見られたらねぇ。そりゃ、応えますよ。まるで、ボロボロのぞうきんとかゴキブリの死骸とかを見るような目でしたよ」
「あぁ、本当に惨めだな。あんな目で見られたら、俺も立ち直れないよ」
夜叉さんは、そういうと大きなため息をついた。
「不倫するのは勝手だが、その代償は大きいな。家族や不倫相手、多くの関係者を不幸にした結果がこれだ」
「不倫の果てにこんな世界が待っているなんて、誰も知りませんからね。まあ、知っていてもやるヤツはやりますけど。それにしても、哀れすぎるし、苦しいでしょうねぇ」
いつの間にか、骨もクソの泥も我々の前から消えていた。だが、他のオッサンブタやオバサンブタが消えたわけではない。ちょっと目を上げれば、鞭を打たれているオッサンブタやオバサンブタが並んでいるのが見える。苦痛の叫び声も聞こえる。よく見れば、何人かで取り囲まれているオッサンブタもいた。ここのオッサンブタのように集団イジメの刑罰を受けているのだろう。そこまでされなければ心から反省できないのかと思うと、それはそれで心苦しかった。
「人間って、愚かですねぇ」
「今頃何を言っているんだ?。人間は愚かだよ」
「いや、改めてそう思いましたよ。こんな目に遭わなければ反省できないなんて・・・。本当に愚かです」
「遙か昔から、人間が愚かなのは変わらないよ。いつまでたっても真理を知ろうとしない。目の前の欲望に振り回されて生きていく。それが人間だな」
「この光景を生きている現実世界の人たちに見せることができたら、少しは変わるんじゃないでしょうか?」
そういう俺の顔を夜叉さんは、じーっと見つめた。
「な、なにか変なことを言いましたか?」
「いや、お前の言うことはわかる。だけど、人間ってそんなに甘くないと思うぞ。たとえこの光景を見せたとしても、人間は愚かなんじゃないか」
「そうですかねぇ・・・」
「昔はさ、こういう光景の話をよく僧侶がしていた。地獄絵図だってあった。極楽の絵図だってあった。どっちに行きたいか?って話もした。地獄が信じられていた時代も確かにあったよな?。だけど、犯罪はなくならない。地獄や極楽がもっと身近に信じられていたにもかかわらず、悪者はたくさんいたよな。この光景を今の人間に見せたって、『しょせん作り物でしょ。CGでしょ?』で終わりじゃないか?」
夜叉さんの言葉に、俺は「あっ」と思った。もっと人間が純粋だった時代、TVもない時代、幽霊や妖怪、奇怪な話が信じられていた時代、地獄や極楽が信じられていた時代、そうした時代であっても、人間は愚かだったのだ。犯罪はなくならなかったし、不倫もあった。結局は、その人その人の倫理や道徳、マナー、自制心の問題なのだ。
「それでも・・・、こういう話を説いた方がいいですよね?。説かないよりはましですよね?」
「もちろんそうだな。でもな、僧侶ですら信じない時代だからな」
夜叉さんの言葉は、ずしり俺の心に響いたのだった。

「なに落ち込んでいるんだ?。今更じゃないか。こんな時代だからこそ、お前が取材をしているんだろ?。しっかりしろよ」
「は、はぁ〜。本当にこの取材、役に立っているんでしょうかねぇ・・・」
「立っているんだろ、どこかではな。まあ、そんなことは、考えない方がいいんじゃないか。お前はお前で取材をすればいい、それでいいんじゃないか?」
「まあ、そうですね。いろいろなところを見られますしね」
「そういうことだ。さて、どうする?。このままこの世界を探索するか?」
「う〜ん、結構強烈なものを見てしまったからなぁ・・・。この先、これ以上のものって・・・」
「まあ、ないかな。あとは、初めに見た連中のような、この世界での生き物の争いくらいかな」
「ですよね〜。じゃあ、戻りますか?」
「どこへ行く?。餓鬼界へ戻るのか?。俺たちは、餓鬼界から順に、人間界・修羅界・畜生界を巡ってきた。あの餓鬼界の河の最後は、地獄へ落ちている。もっと奥へもっと奥へと光を追っていけば、地獄へ落ちるようになっている。欲望も深すぎると地獄行き、ってことだな。欲ばらずに早めの光に飛び込めば、まだ救いがある世界へとつながっている。それはわかっただろ?」
「はい、餓鬼界の仕組みはよくわかりました。おかげで他の世界も見ることができました。となると、後行く世界は天界ですか?」
俺はちょっと嬉しくなった。いよいよ天界へいけるのだ。天界の取材は楽しそうな気がした。
「まあ、そうだな。だが、その前に一つ忘れているところがあるんだ」
「忘れているところ?。なんですそれは?」
「精神世界の人間界だよ」
「精神世界の人間界?」
「そう、まだ行っていないだろ?」
「ま、確かに行ってませんが・・・そんなところあるんですか?」
「餓鬼界は、まあ特別だから別として、修羅界だって畜生界だって、現実世界と精神世界、それぞれの世界があっただろ?」
「まあ、確かにありました。ここも精神世界の畜生界ですしね」
「じゃあ、人間界だって精神世界の人間界があってもいいんじゃないか?」
「そ、そりゃまあそうですが・・・」
「じゃあ、行こうか、そこへ。あっと、その前にちょっと寄り道するけどな」
「寄り道?」
「まあ、いいじゃないか。じゃあ、行くぞ!」
夜叉さんがそう言った途端、俺と夜叉さんは暖かい光に包まれたのだった。


「あっ、なんだ、ここって先輩の寺の本堂じゃないですか」
「そうだよ、ちょっとエネルギーを補充しようと思ってな」
「エネルギー補充って・・・・あぁ、俺の・・・・」
精神世界にいれば、夜叉さんはエネルギーを消費しない。もともと精神世界の住人なのだから。しかし、俺はそういうわけにはいかない。元人間だし、精神世界に行き来できる霊体であるとは言え、まだ霊体を維持するエネルギーの総量も少ないらしい。しかも、消費も激しい。随分なれたとは言え、まだまだだ。精神世界にいたほうが長く保つことができるが、それでも消費することは変わらないのだ。確かに、俺は疲れていた。
「どうだ?、気分いいだろ?」
「はい、確かに落ち着きます。あぁ、気持ちいいですね・・・・。どうやら先輩はいないようですね」
俺は本堂の中に座り、あたりを眺めてみた。どうも誰もいないようだ。本堂の入り口は開けっぱなし、中には誰もいない。こんなので大丈夫なのだろうか?。賽銭泥棒とか来ないのか?。と心配しているところに
「ピンポ〜ン、ピンポ〜ン」
とチャイムの音が鳴った。その音とともに、本堂の中に先輩がずかずかと入ってきた。
「ちゃんとセンサー式のチャイムが設置してある。チャイムが鳴れば家内が庫裏から出てくるさ。ほら」
先輩が指さした方には、先輩の奥さんがいた。奥さんは「なんだ、住職か」と言って庫裏へと戻っていった。
「ま、いらぬ心配というヤツだな。それにしても、夜叉さん、久しぶりですね」
先輩は、まず夜叉さんに挨拶をしている。俺は後回しかい!、と思ったが、それどころか、俺のことは無視して、夜叉さんと話を始めた。
「こんなヤツを連れて霊界巡りは嫌でしょう。お疲れさんです。ホント、うちのじじいが無理を言いまして申し訳ないですな」
「いやいや、結構面白いですよ。そのおかげで、久しぶりに阿修羅様とも話しましたしね」
「ほう、阿修羅神と・・・・。未だにカッカしていますか。まあ、神にしてみればたいした時間は経ってないですからね」
先輩、座り込んで話に夢中である。
「あの〜、先輩、俺は・・・・」
「あぁん?、あぁ、お前いたんだな。なんだ、お疲れ気味か?。ま、ゆっくり休んでいくんだな。さて、着替えてくるか」
先輩はそう言うと、夜叉さんに「ゆっくりしていってください」などと言って奥へ引っ込んでいった。
それにしても、寺はいい。気分がすごくいい。身体も・・・・肉体はないから魂といった方がいいか・・・・すごく楽だ。生きていたならば、寝てしまうところである。
「それだけ疲れていたんだよ。修羅界と畜生界を巡ってきたんだし、神通力も少し使ったしな。まあ、疲れるよな。生きていたならば、結構ボロボロ状態だな」
気が張っていたせいか、俺は気付いていなかったが、どうやら結構疲れていたらしい。限界が近かったのだろう、夜叉さんの声も聞こえなくなっていった。

「いい気なもんだな、俺の本堂で眠り込むとは」
「はっ?、えっ?、なに?、えっ?」
「お前、眠り込んでいたんだよ。霊体が寝るなんて、俺は初めて見たよ」
俺はキョロキョロした。あぁ、確かここは先輩の本堂で・・・・。
「えっ?、俺、寝てたんですか?」
「そういうことだ。ここでお前はのびていた。人間で言えば、失神していたわけだ」
先輩の隣で夜叉さんがニヤニヤしている。
「俺って・・・・、相当疲れていたんですね」
「結構、活躍したからな。ギリギリだったようだな」
「夜叉さん、優しすぎですよ。こいつにはもっと厳しくしないと。途中でエネルギー補充とかしてもらってこれでしょ?。情けないヤツだ。で、どうだったんだ?」
「どうだったって・・・・えっと・・・・」
「餓鬼界の話は聞いた。で、その後だな。修羅界や畜生界へ行ったんだろ?。ボケッとしてんじゃないぞ」
先輩は、ニヤニヤしながらきつい言葉で責めてくる。俺は、まだ半分ぼーっとしていたが、次第にスッキリしてきた。どうやら、本当にギリギリ状態だったようだ。
「あぁ、はい、大丈夫です。落ち着いてきました。いや、これってやばかったんですかねぇ」
「畜生界で見た刑罰が応えたんだろう。ああいうのは苦手なようだな」
夜叉さんの言う通りかも知れない。集団イジメ的なあの刑罰は、見ているのが辛かった。
「なんだそりゃ?。話してみろ」
先輩に言われ、俺はオッサンブタが受けていた刑罰の話をした。初めは怨みの化身の女性がむち打ちなどをしていたが、それでは反省しないので、生前の関係者による集団イジメ的刑罰を受けたと言う話をしたのだ。先輩は黙って最後まで聞いていた。
「そりゃ・・・・端から見ているのは厳しいなぁ。辛くなって当然だろう。本人も相当キツいだろうな。自分が関わった者たちからイジメを受けるのだからな。しかも抵抗できないし、助けもない・・・・。いやはや、不倫で配偶者や関係者、周囲の者に迷惑をかけ、苦しめると恐ろしいことになるなぁ」
先輩は、うなずきながら一人で納得していた。
「畜生界は、怠惰と淫欲の罪によって落ちるところだからな。地獄・餓鬼・畜生は、三悪道とも言われている。三悪趣ともいうな。刑罰もひどいが、救いもあまりない。自己反省が大事なのだが、そこに至るまでとにかく苦しい。その世界から救われるには、遺族による供養しかないのだが、そんな世界に落ちるようなヤツは、遺族も供養はしないからな。遺族のないものもいるしな。救われるのは大変だろう」
先輩の言葉に、その場が静まりかえってしまった。

「なんとかならないんですかねぇ・・・・」
「どういう意味だ?。あの連中を救えないか、ということか?」
「それもありますが、それ以前に、あんな世界に落ちないように教えるというか、未然に防ぐ方法はないんでしょうか?」
「あるよ。あるけどな・・・・。まあ、聞く耳持たない場合が多いな。例えば、うちに相談に来る人たちの中にも、引きこもりの子供を抱えている家庭がある。そんな家庭の人たちに話をしても、これが難しいんだな。だいたい、子供が引き籠もり始めても放置しておく家庭が多い。長年放置しておいて、これじゃあ困るからって相談に来ても遅いんだよ。引きこもりは、初めが肝心だ。引きこもり始めてから、一週間が勝負だ。この間に、引き籠もっている本人と話をしなきゃいけない。とことん話をしないといけないんだな。だが、大抵は親が逃げる。で、こじらせてしまうんだ。まあ、大体騒ぐのは母親で、放置するのは父親だな。この父親がダメなんだ。いくらアドバイスを言っても・・・・まあ、実行しないな。引きこもりの子供がいる家庭は、まあ大抵は親に問題があるんだけどね」
「そういうものですか?」
「そんなものだ。不倫も同じさ。注意したってやめないヤツはやめないよ。あれは、一種の麻薬だからね。特に女性は、嵌まると抜け出しにくいな。旦那の不倫は、始末の付けようもあるが、奥さんの不倫はなぁ・・・・。泥沼が多いな。だから、そんな苦しいことになる行為をあえてするな、もっと楽しいことが世の中にはある、と言う話をするのだが、聞かない人だっているんだよ。言っておくが、我々坊主だって、何もしてないわけじゃない。ちゃんと説教はしている。怠けるな、邪淫するな、愚かな者になるな、楽しいことを見つけよう、生きる喜びを知ろう・・・・。そんな話はしているんだよ。でもな、聞かない人も多いんだな。しかも、坊主の話は聞きたくない、というものも多くなっている。まあ、金満坊主がいけないんだろうけどさ、そんな坊主ばかりじゃない、ちゃんとしている坊主のほうが多いんだよ」
「結局は、聞く側の問題だと言うんですか?」
「全部が全部そうだ、とはいわないよ。だけど、いい話を聞いても身にならないことも多いだろ。ダイエット本を何冊も読んでいるのにダイエットできない人も多いじゃないか。聞くと、知ると、実行は、それぞれ別だ」
「でも、地獄や餓鬼・・・・あぁ、餓鬼はしゃべれないですが・・・・畜生、修羅の世界に転生した人たちは、みんな言いますよ『こんな世界があるとは知らなかった。なんで教えてくれないんだ』とね」
俺がそう言うと先輩の顔色が変わった。目が怒っている。俺は、まずいことを言ったらしい。

「ふぅー、ふん、で?。お前はそれをどう思うんだ?」
先輩にそうすごまれて俺は何も答えられなかった。
「おい、どうなんだよ。どう思うんだ、お前は!」
「あ、あぁ、はい・・・・。えっと・・・・。地獄とかの世界があることを教えないといけないと・・・・。それを伝えるべき立場にある人がもっと話をしないといけないんじゃないかと・・・・」
「はっきり言えよ、坊主が悪いって!」
「えっ、あの、はい、そうです。坊さんが悪いです。坊さんがもっと話をしないといけないと思います」
「だから、してるって言ってるじゃないか。お前もわからないヤツだな。はっきりっておくが、地獄へ落ちるようなヤツ、餓鬼に落ちるようなヤツ、畜生界に落ちるヤツ、ついでに修羅界に落ちるようなヤツは、他人の忠告や話を聞かない連中が多いだろ。だから、罪を犯すんだろう。昔から、我々宗教者がどんだけ話をしていると思っているんだ。それを信じないほうが悪いんじゃないのか?」
「まあ、そうですが、最近ではお坊さんだって地獄を信じないような人もいますし・・・・」
「まあ、いるな。でもそれも一部だ。そんな坊主は、自分で自分の首を絞めるような愚かな坊主だな。自分が生きている世界を信じられないと言っているのと同じだからな。まあ確かに、信じられやすいように話をしないといけないな、とは思うがな」
「あぁ、そこですよ、そこ。坊さん自体が信じていないから説得力が無いんですよ」
「目に見えない世界のことだから、納得してもらえるように説明するのは確かに大変だけどな。だがしかし、人間の心の中には、特に日本人のDNAの中には、『バチが当たる』という言葉が刻み込まれていると思うけどな。それでも悪いことをしてしまうものはするんだよ。これはな、確かに我々宗教者の役割も重要だが、それよりももっと大事なことがあるんだ。わかるか?」
「教育・・・・ですか?」
「そういうことだ。つまり、親の問題だ。教養の無い親が欲望の果てに子供を作り、産み、そのままちゃんとした教育もせずに放置する。だから、地獄に落ちるようなものが生まれるんだ。幼少期の教育によって、地獄や餓鬼、畜生に生まれるような者を減らすことは可能だろう。我々は、その手伝いをするくらいしかできないんだよ。残念ながらな。しかも、仏教が信じられなくなってきている世の中だ。なかなか難しいんだよ」
「教育か・・・・」
確かに先輩の言うとおりだろう。人を育てるというのは、国の基本だ。教育がなっていなければ、犯罪に走るものが増えても仕方が無い。実際、教育が行き届いていない国では犯罪発生率は多い。教育は重要な要素だ。

「貧しいから泥棒をした、と泥棒をして捕まった犯人が言ったとしよう。じゃあ、貧しい人間はみんな泥棒をするのか?。違うだろ?。貧しければ働くよな。それが基本だ。しかし、貧しかったら働け、と教えられていなかったらどうする?。その泥棒をした者の親が、『食い物が欲しければ盗めばいいんだ』と常日頃言っていたとしたらどうだ?。そんな親に育てられた子供は、『食い物が欲しければ盗んでいい』というのが、当たり前だと思うようになるだろう。人間の行動は、本能によるものもあるが、教育によってすり込まれていくもののほうが多いんだよ。親が信仰心がある家庭に育った子供は、やはり信仰心があるし、神仏を信じやすい。たとえ、お寺の子供であっても、親が信仰心を持たないようなら、そういう教育をしていないなら、子供は信仰などしないさ。大事なのは、教育なんだよ」
教育は、確かに大事だ。今では、教育にも格差がついてしまっている。金銭的に余裕のある家庭は、子供の教育にお金をかけることができるから、教養も勉強も身につき、いい学校へ進み、いい会社に就職し、金銭的に余裕のある家庭を築きやすい。ところが、金銭的に余裕がない家庭の場合、教育にお金がかけられず、いい学校へ進みにくくなり、いい会社へもいけず、収入が少なくなる。よって、嫌な言い方が、底辺の家庭は底辺から脱出できなくなる・・・・となってしまうのだ。底辺のループとなるのだ。そして、ますます格差が生まれてくるのだ。貧しいものは貧しく、富めるものは富める。差は開くばかりである。社会の仕組みがそうさせているのだから仕方が無いのかも知れないが、仕組みを変えれば変わることもできるのではないだろうか、と俺は常々思っていた。
「お前、格差ができるのは社会が悪いとか思っているんじゃないだろうな。もしそう思っているのなら、もうここへは二度と来るな。もっと勉強してから来い」
「ど、どういうことですか?。だって、社会の仕組みを変えれば・・・・」
「お前はアホか。あのな、ちゃんと教育すれば済む話じゃないか。親が酒飲んで、タバコ吸って、パチンコやって、低俗なTV番組見てぎゃはははと笑っているような家庭と、親が子供と一緒に、なぜ?どうして?ということをよく話をし、考えることを子供にさせ、なるべく子供と時間をともに過ごし、本を読み、夜早く寝て朝早く起きるという生活をしている家庭と、どっちがいい教育の家庭だ?」
「そりゃ、決まってますよ、あとのほうですよ」
「だろ?。じゃあ、そういう家庭って、金持ちじゃなきゃできないか?」
「あっ」
「あっ、じゃねぇよ。どんな家庭だって、金持ちだって貧乏だって、できることじゃないか。貧乏な家だって、子供一緒に過ごす時間を増やし、子供が『なんで?、どうして』って聞くことに耳を傾け、『どうしてだろうね?、どうしてだと思う?』などと会話をすることくらいできるだろうが。それは金のかからないことだろ?。いいか、親の生活態度が問題なんだよ。子供をちゃんと育てることもできないような人間が親になること自体、間違いなんだよ。ろくに社会のマナーを守れないような者、仕事をしているんだかしていないんだかわからないような者、自分の我が儘ばかり通そうとする者、教養の無いヤツ、そんなようなヤツが親になるから教育ができないんだろ。親の責任じゃないか。社会や宗教のせいにする前に、自分たちの行動を省みろ、と俺は思うぞ」
俺は、何も言い返せなかった。先輩の言うとおりである。社会の仕組みのせいにする前に、自分が生きてきた道はどうだったのか、省みるべきだろう。今ある結果は、自分が歩んできた道によるものなのだ。
そりゃ、運の善し悪しだってあるかも知れない。しかし、運ばかりでは無いはずだ。努力なしでは、幸運も呼び込めないだろう。結局は、自分自身の問題なのだ。

「誰かのせい、何かのせい、社会のせい・・・・といって、自分以外のことに責任をなすりつけるのは、楽なんだよ。地獄へ行くヤツだって、俺が人を殺したのはあいつがいけないんだと言う。自分が間違ったことをしました、悪いのすべて自分です、と言う者はほとんどいない。引き籠もるヤツだって、親が悪いだの、先生が悪いだの、クラスの連中が悪いだのと言う。違うだろ、引き籠もる本人の問題だろう。引き籠もるものが、何をどう考え、どうしたいのか、ということをはっきりすればいいんだよ。それをよく話し合えばいいんだ。だけど、親も引きこもりの本人もお互いに責任をなすりつけ合う。だから前に進まないんだな。不倫するヤツラもそうだ。夫が悪い、妻が悪い、だから不倫していいんだ・・・・と言い訳する。全部人のせいだ。違うだろ?。全部自分の責任だろ?。そうじゃないか?」
それは死んでからの裁判で散々言われてきたことだった。俺はすっかり忘れていた。そうなのだ。あんなイジメのような陰湿な刑罰を受けるのも、地獄の刑罰を受けるのも、餓鬼の世界から出られないで苦しんでいるのも、みんな元は自分のせいなのだ。自分が選んだ道なのである。
「世の中は自己責任である、と言う教育を本当はしなきゃいけないんだよ。何でも国がやってくれる、困ったら誰かが助けてくれる、国がなんとかしてくれる、なんて思っていたら大間違いだ。もしそうして欲しいのなら、国にもっと貢献すべきじゃないか?。国に何もしないで、助けて欲しいときだけ願うのはおかしいだろ?。そういうおかしい国に、この国はなりつつあるんだよ。権利を主張するなら義務を果たせよ、ってことだ。地獄へ行きたくなかったら、そういう生き方をしろよ、ってことさ。で、そんな話は、坊さんは、みんなしているさ。聞かないほうが悪いんだよ」
俺はぐうの音も出なかった。


「すみません、俺の・・・俺の勘違いというか、認識不足でした」
俺は素直に先輩に謝った。そう言えば、大きなお寺の貫首と言われるお坊さんは、説法会などを催している。否、小さなお寺だって機会があれば説教はしている。確かに、坊さんだって話はしているのだ。しかし、なぜかその言葉は届かないことが多い。坊さんが批判されることも多い。で、その批判のほうがいつも目立ってしまうのだ。お坊さんのいい話は、批判に消されてしまうのである。
「わかればいいさ。ま、お坊さんだってサボっているばかりじゃないってことさ。ただなぁ・・・、なかなか届かないんだよ、お前もそう思っているだろうけどな」
あぁ、やっぱり先輩もそう思っているんだ。
「なぜ、届かないかわかるか?」
「はぁ、俺もそれを考えていたところなんですけどね。思うに、批判されるお坊さんも多いからじゃないかな、と・・・・。どうしても、批判のほうが目立ちますから。他人が批判されることには注目が集まりやすいですしね」
「そうなんだよ。結局は、坊主自体の責任なんだよな。確かに、俺も相談に来る人たちから、その人の檀家寺の愚痴を聞くことが結構あるよ。例えばな、寺の修繕だと言って寄付を募る。まあ、寄付を募ること自体は仕方がないにしても、一軒につき数十万も寄付をしろ、と言われる。寄付しないと檀家から外すと、半ば脅迫めいたことも言われる。分割でもいいとも言われる。で、その集めた寄付金で、間違いなく寺の修繕は行われるのだけど、なぜか庫裏まで新築になっている、なぜか車まで外車になっている。それはおかしくないですか?・・・とな。そんな話はよく耳にするさ。高額戒名の話は、うんざりするほど聞くし、小さいところでは、法事の際の会食の場を指定してくるとか、昼食の金額はこれ以上じゃなきゃいけないとか、そんな話まで耳にするさ。片方では、欲を慎め、餓鬼になるな、少欲知足だ、心が大事だ、なんて説教しながら、片方では金銭を貪る。そういうことが無いとは言わない。否、むしろよく聞く話だ。だから、坊主自体に信用がなくなっている、と言うのも事実ではある、とは思っているよ」
「先輩もそう思っているんですね。少し安心しました。実際そうですよね、金満坊主はいますよね。なんか、坊主というと、金の亡者的な印象をもってしまうんですよねぇ。ついつい悪いことして稼いでいるんじゃないかとか、偉そうにしているけど裏で金まみれなんじゃないかとかね。そう思ってしまうところがあります。まあ、そういうお坊さんは少数派なんでしょうけど」
「どんな職業でもそうだが、大半は真面目に取り組んでいる。だが、一部の者が悪いことをするんだ。そうすると、その職業の人たち全部が悪者になってしまうんだよ。盗撮をする学校教師がいると、学校の教師は変態が多い、となってしまう。ロリコンで捕まった教師がいると、今時の教師はみんな最低だ、になってしまう。使い込みやサボっている公務員、威張っているだけで仕事をしない公務員がいて、そういう公務員の話題が出ると、公務員全体が嫌われる対象になってしまう。税金泥棒なんて言われる始末だ。坊さんだって、多くは真面目で貧乏なんだが、一部の金満坊主のおかげで、坊主はうさんくさい眼で見られるようになってしまうんだな。個々は皆違うのに、一つに大きくまとめられてしまうんだよ。お前ら雑誌記者だって同じだろ?」
「はい、確かにそうです。雑誌記者と言えば、ハエかゴキブリのように言われることもあります。他人の秘密をのぞいて何が楽しいのか、と罵られることもあります。しつこくつきまとうような記者はごく一部なんですけどね。雑誌記者の名刺を見せると、まあ嫌な顔はされますよね」
「みんな同じさ。その世界のことを知りもしないくせに、ごく一部を見聞きしたというだけで、さも全部を知っているような顔をしたり、判断をしたりする。みんな同じだよ。そういうことをするのも、教育が悪いからだよ」
そういうことなのだ。教育の仕方によって、人はどうにでもなるのだ。日本の教育は、今、曲がり角に来ているのかも知れない。

「問題は、集めた情報によって、どう判断するか、なんだよ。自分が集めた情報は、確かなのか、裏付けはあるのか、信用性はどうなのか、その他の要素は無いのか・・・。そうした情報を集めて、そこからよく考えて判断していくことが大事なんだよ。だから、人の話はよく聞いていないといけないんだ。だけど、聞かないんだよねぇ、これが。否、聞いても身につかない。俺なんか、何度も何度も同じ話をしているのに、まあ身につかないよな」
「そんなもんですか」
「そんなもんだよ。誰だって、嫌なことや辛いことはしたくないだろ。自分にとっていいこと、大事なこと、周囲の人たちのためになること、そういうのは実行しにくいんだよ。だけど、悪いこと、やってはいけないことは魅力的だし、実行しやすいんだよ。人間の脳は、そういう風にできているんだから仕方がないよな」
その通りだと思う。思えば、それは子供の頃からそんなものだ。宿題はやりたくない、ゲームはしたい・・・。その誘惑と毎日戦っているようなものだ。誰からも注意されなければ、宿題なんかやらずに遊びほうけてしまうかも知れない。まあ、頭のどこかに「あっ、宿題やらなきゃまずい、やばいよな」と言う思いはある。あるにはあるが、それを見ないようにしてしまうこともある。もちろん、性格の差はある。先に宿題をさっさと済ませ、それから遊ぼうという、優秀な子供もいることは確かだ。そうか、子供自体、それぞれ性格が違うのだから、その性格に合わせて教育すべきなのだろう。もしかしたら、子供の頃に、その子の個性に合わせて教育ができれば、もっとましな大人になれるのかも知れない。
「お釈迦様はさ、基本的に人間は怠け者だ、と説いている。さらに、目の前の誘惑や快楽に弱い、とも説いている。まさにその通りだな。人間の脳は、働くことも善しとしているが、怠けることにも快感を感じるようにできている。やってはいけないことに快楽を覚えるようにもできている。悪事は大きな快楽を伴っているものなのだよ。その脳が求める快楽に打ち勝つのが、人間の生きる目的なんだよ。それは、辛く苦しい道だろ?。それを身を以て示すのが、僧侶の生き方なんだが・・・・ま、口だけ坊主が多いよな」
先輩は、そう言うと大きくため息を吐き、肩を落とした。
「ま、そういう俺も偉そうなことは言えないがな。完璧に戒律を守っているわけじゃないし、欲がないかと言えば、嘘になるし。だが、僧侶として恥ずかしくない範囲ではあるけどな。そこだよな。果たして僧侶として恥ずかしくない生き方ができているのか、と言うことだな。そこから、信用が生まれるのだろう」
「そうすれば、坊さんの話にも少しは耳を傾けますよね」
「そういうことだな。ま、いずれにしても、教育の問題は大きいし、坊主の責任も大きい。が、最終的には自己責任だ。自分の責任で判断しなきゃいけないんだよ」
人のせいにしているうちは、浮かばれないのだ。それが、あの世の仕組みであり、現実世界の仕組みでもあるのだ。

「なかなか僧侶も大変ですな。人間は愚かですからね」
今まで黙って話を聞いていた夜叉さんが、腕を組んでうなずきながら言った。
「霊の世界・精神世界があることすら信じない人が多いですからね。我々からすると、なんと見識の狭い、と思いますよ。遙か昔は、この世界の人々も精神世界を身近に感じていたんですけどね。我々だって、普通に人々と接していましたし」
「そういえば、お経の中には、夜叉と出くわした人の話がたまに出てきますな」
「お釈迦様が肉体を持っておられた頃は、我々は人間と共存していましたよ。ほんの二千五百年前の話ですよ。あの頃は、まだ我々も人間を食べていましたしね」
そ、そういえばそうなのだ。夜叉族は、もともと人間を食う一族だったのだ。でも、神の扱いだ。しかも、霊界・精神世界に住んでいる者たちだ。すっかり忘れていたが、夜叉さんたちは、かつては人間・・・この現実世界と交わっていたのだ。
「我々が人を食うのをやめたのは、お釈迦様に諭されたからです。お釈迦様の力は神々を超えるものですからね。お釈迦様が説かれるとおりに、人間を食うのをやめました」
「よくすんなり止められましたな。食に関することですよ」
「まあ、人間を食わなくても天界には美味なる食べ物がたくさんありますからね。日本人だって、鯨を食うの止めたでしょ。まあ、中にはまだ食べているものもいるようですが」
「まあねぇ、鯨は捕らなくなりましたからね。これからまた捕鯨は再開するようですが、もう食べたいとは思いませんな。あぁ、それと同じですか」
「そう。人間は我らにとっては一つの食材だった、と言うだけのことです。なので、お釈迦様に諭され、止めたんですよ。ハーリー神・・・あぁ、カリテイモ・・・鬼子母神だけは、ちょっと抵抗したのでお釈迦様から痛い目に遭わされましたけどね。いずれにしても、あの頃は、この人間界と精神世界は比較的自由に行き来していたんですよ。人間だって、ちょっと修行して神通力を得れば、我々の精神世界に来ることができましたからね。今では、難しくなりましたけど」
「そうだったんですか。そんなに簡単に精神世界に行けたんですか」
「神通力を得るのも、そんなに難しくは無かったのだよ。もちろん、修行は必要だったが、特別なことじゃないな」
「それがなぜ、今のようになってしまったんですか?」
「さぁ、いつの時代からかなぁ・・・。日本でいえば、室町時代・・・否、江戸時代でもたまに、我々の世界に来た者もいたなぁ。もっとも少なかったけどな。でも、江戸後期の頃でもこっちから江戸の町に遊びに行くものいたしなぁ。で、見つかったものもいた」
「そういう神の世界から遊びに来た霊体が人間に見つかって、妖怪と言われるようになったのでしょ?」
「そうそう、日本人は、『妖怪』と我々の仲間を呼んだな」
夜叉さんの話を聞いて、先輩は嬉しそうな顔をしたのだった。

「神々も江戸時代の人間をからかって遊んでいたのだろうな。いやいや、神や物の怪、人間が楽しく交わっていた時代だ。いいねぇ、そういう時代は。それが今じゃ、神も仏も人間の都合のいいときだけ信じられて、その教えはスルーされてしまう。妖怪だって、アニメの世界だけで語られる。全く以て残念なことだ。こうして夜叉さんだってちゃんと存在しているし、異形な姿の神だって存在している。もちろん、妖怪だって存在しているのに・・・」
「先輩は、そういうの見たりするからわかるんでしょうけど、一般の人じゃわからないですよ」
「江戸の終わり頃まで交流があったよ。もっとも、我ら夜叉族はこっちには来なかったがな。あぁ、ヨーロッパに行った者がいて、そいつはゴブリンと呼ばれるようになったなぁ。それも随分昔のことだよ」
ゴブリンの正体は夜叉族だったのか・・・。
「そうか・・・。となると明治時代以降ですかな、交流がなくなってきたのは」
「そんな頃に、精神世界は忘れ始められたようですね。そうですね、徐々に薄くなっていったというか、次第に精神世界と現実世界が分かれていったようです」
その話を聞いて先輩は、深くうなずいた。
「お前は死んでいたから知らないだろうが、つい最近、反ニュートリノという素粒子が見つかったそうだ」
「反ニュートリノ?。なんですかそれは。ニュートリノは知ってますけど」
「反ニュートリノは、そのニュートリノの反対の性質を持つ素粒子だそうだ。ニュートリノは、この現実世界を作っている最小の物質だな。まあ、今のところ、だが。すべての物質はニュートリノからできている。原子も分子もそうだな。ニュートリノが無ければ物質はできない。しかも、ニュートリノは、いつでもどこでも飛んでいて、我々を通過してもいるという物質だな。そのニュートリノの反対の性質を持った反ニュートリノは、理論上は存在していた。すべての現象には、作用があれば反作用がある。物質もそうだな。ある物質が存在すれば、それに反する物質も存在している。でないと、物理学的秩序が保たれない。となれば、ニュートリノだって反ニュートリノが存在しておかしくはない。否、存在していないとおかしいのだよ。わるよな?」
「まあ、そうですよね。すべて一対になっている、ということですよね」
「乱暴な言い方をすればそうなるな。で、その反ニュートリノが、最近発見されたらしい」
「えっと、それはどういうことですか?」
「鈍いヤツだな。ニュートリノが物質世界を作っているなら、反ニュートリノは何を作っていると考えられる?」
「えっ?、もしかして・・・精神世界?」
「そうだ。反ニュートリノの存在を証明した科学者に記者が質問したそうだ。『反ニュートリノが作る世界はどんな世界なのですか?』とな」
「科学者は、なんと答えたんですか?」
「それは、神々の世界です、だってさ。反ニュートリノは、神々の世界を作っていると答えたんだよ。そうとしか言い様がないと」
驚いた。科学の世界、物理学といったほうがいいのか、そちらでは、精神世界が存在していることを認めているのだ。最先端の物理学が、である。
「物理学では、精神世界の存在を認めている。が、多くの人間は認めていない。まあ、知らないんだよね、その話を」
「先輩は、どこでそれを知ったんですか?」
「新聞に載ってたよ。普通の朝刊にな。新聞を読まないからな、今の人間は。まあ、読んでも見出しだけとかな。結構、大事なことが書かれているんだけどな」
いやいや、反ニュートリノとか精神世界が存在しているとか、すごく重要なことだろう。もっと大きな話題になっていいのではないだろうか?。この世界とは別の世界が存在しているかも知れない、と言う話なのだ。話題にはなっていないのだろうか?。
「ちなみに、この話はその日の朝刊に載っていただけで、それ以来、話題にも何もなっていない。スルーだ。完全無視だ。おそらく、一般の人は誰も理解できないからスルーされたんだろうな。新聞社の科学担当の記者も理解できなかったんだろう。学者の冗談だと思ったのかも知れない」
「そ、そんな・・・。現に俺は存在していますよ。俺もその反ニュートリノによってできているってことですよね?」
「そうさ。この夜叉さんだって、お前らだって、幽霊だって、妖怪だって、神々だって、みんな反ニュートリノでできている物質だ」
「それって、大事な話じゃないですか。俺たち霊体が認められるかどうか、って話ですよ」
「そうだよ。でもスルーされた。そんな記事は、もう忘れ去られたんだよ。残念だな。あぁ、そうそう、そういえば、こういうことも書いてあった。反ニュートリノは、ニュートリノに比較して、寿命が短いのだそうだ。だから、昔は我々人間にも見えていたはずだが、次第に見えなくなった。今は、存在しているかどうかもわからない。寿命が来てしまったのかも知れない、とな」
「それは・・・精神世界は、もう消えてしまったかもしれない、ということなのですか」
俺の問いに先輩は、何度もうなずいた。
「だが、反ニュートリノは今でも存在はしている。ニュートリノがある以上な。実際に見つかってもいるそうだ。だが、寿命が短いからすぐに消えてしまうのだそうだ。しかしな、それは単に見えなくなっただけ、なんだよ。きっと、見える人には見えるのだろう。こうして、実際に神である夜叉さんは存在しているし、霊体であるお前は存在している。が見えないだけだ。それは、反ニュートリノがそういう性質を持っているから、なのだろうな。さすがに物理学者もそこまでは理解できないだろうさ。まあ、俺みたいに見えてしまう者が物理学者になれば研究も進むかも知れないけどね」
「今からじゃ、先輩も物理学者にはなれませんしね」
「当たり前だ。でもな、霊の世界を説明するときに、この話は使えるんだよ。うさんくさい霊の世界の話が、反ニュートリノを使えば科学的な話になるだろ。そのほうが信じられやすくなる。そういう意味では、一歩前進だ。否、科学的な話にしなければ、信じられなくなってきているのは残念なことだけどな」
先輩はそういうと、大きくため息を吐いて、本尊さんを見たのだった。


「ま、今は、そんな世の中さ。昔は信じられていたことが、信じられなくなってきている。うさんくさい話は、簡単に受け入れるくせにな」
先輩は、本尊様を見たまま、そう言って「文句を言っても始まらんが」とため息をまた吐いたのだった。そして、ふと俺の方を見ると
「ところでお前、何をしに来たんだ?。休憩だけか?」
と聞いてきた。
「あぁ、いや、違います。これから・・・」
「これから、霊界の人間界へ行こうと思いまして。で、その前にエネルギーを補充に立ち寄ったんですよ」
俺が返事をしようとしたら、夜叉さんが答えてくれた。
「ほう、霊界の人間界か。ふ〜ん」
「先輩は知っているんですか?」
「まあな。俺は、待機所っていっているがな」
「ほう、待機所ですか。それは言い得て妙。うん、いい表現ですね」
「夜叉さんに褒められると嬉しいですね。まあそういうことだ。よく見てこい」
「待機所・・・・ですか・・・。はぁ・・・・」
「なんだ、その気の抜けた返事は。しっかりしろよ」
「では、彼も元気になったようなので、これから行きます」
夜叉さんがそう言うと、先輩は「ご面倒をかけます」と言って夜叉さんに頭を下げていた。先輩のそういう姿は見慣れていないので、何だか新鮮だった。
「へぇ〜、先輩も頭を下げることってあるんだ」
思わずそう言うと、なぜか俺の頭に衝撃が走った。
「痛ってぇ〜、えぇ〜、なんで?、今、頭を叩かれたような・・・」
「叩いたんだよ。ま、軽くだけどな」
「えっ?、だって俺は霊体ですよ。叩くってどうやって?」
「物理的に叩いたんじゃない。まあ・・・そうだな、あぁ、カメハメ波を打ったような感じかな。軽いカメハメ波。あはははは」
「先輩、そんなことできるんですか?」
「お前らを叩くくらいのカメハメ波ならな。夜叉さんなら、もっと特大のが打てるんだろうけど」
隣で夜叉さんがニヤニヤしていた。そういえば、以前、夜叉さんのカメハメ波で助けられたことがあった。あれと同じようなものか・・・。
「まあ、俺ができるのは、言うことを聞かない霊体をあの世へ送り出す程度のカメハメ波・・・霊的エネルギーの放出・・・だけどな。それ以上の力はない。夜叉さんくらいになれば、町を破壊できるレベルのエネルギー放出は可能でしょ」
「えぇ、まあ。もちろんやらないですが。疲れますしね。もう何万年も前に打ったきりですよ」
夜叉さんはそう言うと、「はっはっは」と笑ったのだった。
「この世での何万年前だから、夜叉さんにしてみれば、ちょっと前ですな。いやいや、天界の時間の単位は恐ろしいですな」
先輩の言葉に、なぜか夜叉さん、頭をかいて「いやあ」とか言っている。変な会話だ。俺にはついて行けなかった。
「ま、そのうちお前にもわかるさ。しっかり霊界を見てこい。では、夜叉さん、よろしくお願いします」
先輩の言葉に送られて、俺と夜叉さんは、先輩の寺から霊界の人間界へ旅立つこととなった。「じゃあ、いくぞ」という夜叉さん声が聞こえたかと思うと、俺は柔らかな光に包まれたのだった

「ここは・・・」
「ここが霊界の人間界だ」
そこは、穏やかな感じがする世界だった。いい天気である。暑くも無く寒くもない、過ごしやすい陽気だ。俺と夜叉さんは、平坦な一本道に立っていた。道といっても舗装はされていない。土の道だ。周囲は花畑である。いろいろな花が咲き乱れていた。どれも俺の膝くらいの高さである。
「空気がきれい・・・って感じがしますね。なんだかすがすがしい」
「あぁ、ここは霊界の人間界といっても、天界に近いからな」
「へぇ〜、じゃあ天界もこんな感じなんですね」
「まぁな。もっと心地いいけどな。ま、いずれわかるさ」
「それにしても、誰もいないですね。人間界なんですから、誰かいてもいいと思うんですが・・・」
「ここは道路だからな。みんなあそこにいるんだよ」
夜叉さんは、そういうと先の方を指さした。そこには、大きなお寺の門のようなものが建っていた。
「あれ?、あんなの建ってましたっけ?。気付かなかったな」
「順に見えるようになるんだよ。ここにきてすぐは見えない。辺りを見回して、歩き始めると見えるようになっている。ここに来た連中は、そうしてあの門を見つけて、そこへ向かうんだ。誰もよそへは行かないな。もっとも、よそへ行こうとしても結局は門の前に出るけどな」
どうやら、この一本道は、どっちに進んでも門に行き着くようになっているようだ。「じゃあ、行くか」と夜叉さんは、歩き始めた。
ほんの少し歩いただけである。そんな感覚だった。あっという間に門の前についてしまった。
その門は、大きく開いていた。中には、大きなお寺のような建物がある。
「お前には門に見えるし、あの建物がお寺に見えるだろう。だが、人によっては大きなコンサートホールのように見える者もいるし、球場に見える者もいる。見え方は、その人その人のイメージによる。巨大なビルに見える者もいる。ま、人それぞれだ。いずれにせよ、どんな見え方にしても、中身には変わりはない」
「へぇ〜、そうなんですか。俺のイメージは大きな寺なんですね。まあ、死者に関わるのは寺っていうイメージがありますからね」
人の想像力はそれぞれ異なる。どんな想像にしろ、見え方はそれぞれ違っていたとしても、ここには大きな建物があるのだろう。
「さぁ、中へ入るぞ。おっと、その前に許可をもらわないとな」
夜叉さんと俺が門の中に入ろうとしたとき、門の脇から人が現われた。その人は、お坊さんの格好をしていた。黒い衣に黄色い袈裟をつけている。あぁ、これも俺のイメージか・・・・。
「おや、夜叉様・・・あぁ、夜叉様と、そっちは聞新さんですね。ここの取材ですか。それはそれは、さぁ中へどうぞ」
俺と夜叉さんは、お坊さんに案内されて門の中に入った。中は砂利道である。周りには何の木かわからないが、木が植わっている。どの木々も緑がまぶしいくらいだ。砂利道を進むと巨大な寺の入り口が見えてきた。
「さぁ、どうぞ中に・・・・。皆さん勉強中です」
案内のお坊さんはそういうと、中に俺たちを誘った。入り口からすぐに広い・・・それはとてつもなく広い・・・部屋というか講堂というか、そんな場所だった。そこには、多くの人が座っていたのである。
「一体あの人たちは何をしているんですか?」
俺は案内のお坊さんに尋ねた。
「皆さん、お勉強の真っ最中ですよ。ここは、学び舎なんです」
お坊さんは、そう言って俺の方を振り返った。

学び舎・・・確かにそこにいた人たちは、皆座って真剣な顔をしていた。
「学び舎っていいましたけど、一体何を学んでいるんですか?。みんな座っているだけですが」
「皆さん、考えているんです。考察しているんですよ」
「考察?。何を」
「生きていたときのことや、これから先のこと、子孫のこと、そして仏教についてです」
話がよくわからない。まあ、ここにいる人たちは、全員死者である。だから、生きていた時のことを振り返ったりするのかも知れない。また、この先、どこへ生まれ変わるのか、それを思っているのかも知れない。子孫のことも思うだろう。しかし、それが勉強なのか?。仏教のことならば、それは勉強かも知れない。仏教の教えについて学んでいるのだろうか?。誰に?・・・・。
「あの、仏教について考察するとか言ってましたが、どなたが仏教を教えるんですか?。あなたですか?」
「いや、私は案内だけで仏教を教えたりはしません。他の人が教えます」
俺はちょっとイライラしてきた。さっきから、この坊さん、話が通じないように思う。確かに質問したことには答えてはくれるが、その説明がない。表面の答えしかないのだ。「ええっと、そうじゃなくって」と言いたくなる。あんたが教えていないのなら、じゃあ誰が教えているのさ、そこまで答えてくれよ、察しろよ、と思う。いや、普通はそこまで答えるだろう。
「まあ、イラつくな。彼は、案内役だけで、唯それだけの存在なんだよ。ま、彼も作り物というか、幻のようなものだ。俺とは違うんだよ」
「夜叉さん。夜叉さんの話もよくわかりません。えっと、じゃあ彼、このお坊さんは、夜叉さんみたいな天界の住人ではないんですね。ということは、この世界・・・霊界の人間界・・・の住人ではないのですか?」
「う〜ん、この世界の住人なんだが、彼には意思はない。いわば案内役のロボットのようなものだ。だから、応用は利かないんだよ。尋ねたことにしか答えない。今、俺たちが話していても、彼には何にも通じていない。簡単に言えば、このお坊さんも閻魔大王が、この世界を管理するために作り出した霊体だよ」
そういうことか。このお坊さんは、この世界の管理用ロボットなのだ。だから、こんな感じなのだ。
「じゃあ、俺の質問の仕方を変えればいいんですね。相手がロボットだとわかれば、それ相応のやり方じゃないとね」
「まあ、そういうことだな」
ロボットが相手なら、聞き方を変える必要がある。一つ一つ、具体的に聞かないと話がわからない
「ここにいる人たちは、なぜこの世界に来たのですか?」
俺の質問に、案内のお坊さんは固まってしまった。しばらく待ってみたが動かない。やや上の方を向いたままである。
「あっ、ひょっとしてフリーズ?。なんだか、昔のPCみたいですね」
「難しい質問はダメなんだろ。しょうがない。俺が説明するよ」
夜叉さんは、大きくため息を吐くと、お坊さんに「もういいよ」と言った。お坊さん「では」と言うと、そそくさと門の方へ行ってしまった。俺の質問は、予想外のことだったのだろう。そりゃそうかも知れない。ここに来る人たちは、「なぜここに来たのか」なんて質問はしないのだろう。いや、そもそも彼は案内役なのだし。質問をした俺が悪いのだ。というか、初めから夜叉さんが説明してくれればいいじゃないか。
「一応な、説明くらいできるかな、と思ったんだけどな。まあ、仕方がない」
夜叉さんは「全く面倒だ」と小声で言ってから、話を始めたのだった。
「ここへ来ている者たちは、簡単に言えば、行き場のない者たちだ」
「行き場がない?。えっと、それって、どういうことですか?。だって、みんなどこかに生まれ変わるんでしょ?。49日が終わったら、みんな行き場が決まるってことだったじゃないですか」
「うん、まあそうなんだが。なんて言うか・・・。ここの人たちは、地獄へ行くことはない、餓鬼へも行かない、畜生にも行かない、修羅でもない。かといって天界へいけるかというと、それにはちょっと足りない。そういう者たちなんだよ」
「一つ抜けてますよ。人間界があるじゃないですか。現実世界の人間界、そこに行けるじゃないですか」
「うん、まあ、そうなんだが、現実世界の人間界へ行くには、条件があってね。それをクリアしないと、行けないんだ」
「条件?。それはどんな条件なんですか?」
厳しいルールでもあるのだろうか?。
「現実世界の人間界へ生まれ変わるには、死んだ者の縁者が妊娠をしないといけない。それが条件だ」
「あっ、そうか・・・・。現実世界の人間界へ生まれ変わると言うことは、現実世界で赤ちゃんになる、ということか。ということは、誰かが妊娠しないといけないんだ」
「誰かではダメだ。その死者の縁者が妊娠しないといけないんだ」
「縁者って・・・。自分の子孫の誰かってことですか?」
「大雑把に言えばそうだ。まあ、厳密に言えば、生きているときに縁が深かった関係者の子孫でもいい。自分の子孫、血縁者でなくてもいいんだ。他人であっても、縁が深くて、付き合いがあった家の人でもいい。そうした中で、妊娠しそうな女性がいれば、そこに生まれ変わることができる。いいか、現実世界の畜生界は、現実世界の動物や昆虫類だった。そこは、生まれるチャンスはめちゃくちゃ多い。虫はいくらでも生まれてくるし、動物だって、野生はもちろん、ペットもたくさん生まれてきている。ブリーダーもいるしな。海の中の生き物もいるしな。地獄は霊界の地獄しかないよな。餓鬼もそうだ。餓鬼は、たまたま現実世界へ行くだけで、現実世界の餓鬼に生まれ変わるわけではない。修羅界もそうだ。現実世界の修羅の人間もいるけどな、それは人間に生まれ変わって修羅界を生きている、と言う話だ。実際には、修羅界は霊界だけだ。天界もそうだな。霊界にしかない。ところが、人間界だけは現実世界がメインだ。特殊なんだよ、人間界は。だが、現実世界の人間界は、そうそう簡単に生まれ変わって出てくるわけには行かないんだよ。人間は、虫や動物のようにたくさん子供を産むわけじゃない。すべての動物の誕生数と昆虫類の誕生数を合計すれば、簡単に人間の誕生数を上回るよな。しかも、現実世界の人間界に生まれ変わる場合、どこでもいいってわけじゃない。縁がないと生まれ変わることができなんだよ」
そうなのか。縁がないと生まれ変われないのか。
「ということは、もし俺が人間界に生まれ変わるとするならば、俺の縁のあるところ、例えばウチの娘のところ、ということですか?」
「そうだな。他には、お前の嫁さんが再婚して妊娠するとかな。あるいは、息子の嫁だな。他には、同僚や友人で縁が深かった人の家庭内で妊娠しそうな場合とか、だな」
俺の嫁が再婚・・・それは嫌だな、と思いつつ、俺は思い出したことがあった。
「俺が生きているとき、とある霊能者・・・自称ですが・・・、あぁ、自称しかいないか・・・その霊能者がTV番組でゲストの前世を教えるっていうのに出ていたんですよ。で、その霊能者、ゲストに『あなたは16世紀のフランスの貴族の家庭に生まれた方の生まれ変わりです』なんて言っていたんですよ。もちろん、うそくせーと思って聞いてましたが、夜叉さんの話しによると、それって絶対無理な話ですよね」
「まあ、難しいかな。絶対ではないけどな。そのゲストの先祖で、どなたかがフランスに留学していたとかならば、まああり得ない話ではないけどな。というか、フランス人の生まれ変わりなら、フランス語をちょっと習えば、できると思うがな」
やっぱり嘘だったんだ。あの霊能者、誰でも彼でも「ヨーロッパのどこそこの人の生まれ変わり」とか言っていた。そうそう、ヨーロッパ人が日本へ生まれ変わってきてたまるか、と思っていたが、まああれもやらせなんだろう。TVだし。
「一般的には、特殊な事情がない限り、その家の子孫として生まれ変わってくるよ」
「ということは、自分は先祖の誰かだった、ということですか」
「そういうことだ。先祖が飼っていたペットの場合もあるけどな。前世が人とは限らないが、人間に生まれ変わる場合は、その家の子孫が主流だな。よその家でものすごく縁があった場合は、そのよその家にも行くけどな」
「あっ、じゃあ、例えば、嫁はどうなるんですか?。嫁に来て、嫁にきた家で亡くなり、人間界へ生まれ変わるとなると、嫁に行った家なんですか、それとも実家なんですか?」
「第一候補は嫁に行った家だ。次が実家だな」
なるほど・・・。つまり、縁の濃い順番、というわけか。
「そういうことだ。縁の濃い順に生まれ変わり先が決まる。しかし、濃いといっても、濃密じゃなきゃダメだ。例えば、さっきの話で、嫁が実家と縁が切れている、なんて場合は、実家への生まれ変わりは難しいな。親戚付き合いがあれば、そっちへ行く場合もあるが。例えば、お前は親戚付き合いもないだろ?」
「ないです。実家もありません」
「となると、お前が生まれ変わる先は、お前の家の子孫くらいしかない」
「じゃあ、娘が妊娠するときまで待つか、不本意だけど、嫁が再婚して妊娠するとか、そんな状態を待たないといけない・・・・あぁ、そうか」
「わかったか」
「わかりました。じゃあ、ここにいる人たちは、そのチャンスを待っている人たちなんですね。あっ、そうか。それで先輩は『待機所』と言ったんだ」
俺はようやく納得できたのだった。


なるほど、待機所というのはわかりやすい。ここにいる人たちは、現実世界の人間界へ生まれ変わる時機を待っているのだ。彼ら彼女らは、亡くなった時の姿のまま、この待機所で暮らしているようなものである。もちろん、魂の状態だから、飲み食いするわけではない。寝る必要もない。この人たちは、ひたすら待っているのだ。
「しかし、待っている間はどうするんですか?」
「だから、学び舎なんだよ」
夜叉さんは、案内のお坊さんが言った言葉を繰り返した。
「ここにいる連中は、人間界へ生まれ変わる時を待つ間、仏教を学んでいるんだ」
「仏教を学んでいる・・・・」
俺は、中にいる人たちをもう一度よく見てみた。みんな座って考え事をしている様子だ。瞑想をしているのかも知れない。中には本を読んでいる人もいる。そういえば、案内のお坊さんは、生きていた時のことやこれからのことを考察していると言っていた。
「そうか、まず、この人たちは、あの裁判で指摘されたことを振り返っているんですね」
「そうだ。裁判で己の罪を指摘されたはずだ。お前もな。まず、最初に行うのは、指摘された罪について考察するんだ。なぜ、罪なのか。どこがいけないのか、ということをな。で、それができたら、罪を犯さずに生きることを考えるんだ。それには、仏教を知らないといけない。だから、仏教の基本を学ぶんだよ。本を読んでいる連中は、仏教の基本を学んでいる人たちだ」
「いや〜、それってすごいじゃないですか。ひょっとしたら、待っている間に仏教に詳しくなったりしません?」
「まあ、そういう者もいるな。仏教を学び、瞑想しているうちに、悟ってしまう者もいなくはない。ごく稀だが、いることは確かだ。だが、多くは、違うな」
違う?、夜叉さんらしくない、変な言い方だった。違うって、どう違うんだろうか?

そのときだった。ある一人のおじいさんが、案内のお坊さんに呼ばれた。そのお坊さんは、おじいさんに何か伝えたようだ。おじいさん、一瞬びっくりしたような顔をした。その途端、「あぁ・・・」といって、膝から崩れ落ちていった。
「どうしても・・・出なければいけませんか?」
おじいさん、顔を上げてお坊さんにそう聞いている。お坊さんは、首を横に振って「決まりですから」と言うだけだった。
おじいさんが立ち上がるのを待って、お坊さんは「では行きますか」と言い、おじいさんを伴って部屋の外へと出て行ったのだった。
すぐに、別のお坊さんが現われた。そのお坊さんは、部屋の隅にいたお婆さんに近付いていった。と思うと、またお坊さんが、やってきた。そのお坊さんは、中年のおじさんに近付いていった。
「まあ、一種の肩叩きだな」
「肩叩き?」
「あぁ、あれはここからの退去命令を告げに来てるんだよ」
「退去命令?」
「まあ、見てなよ」
お坊さんが近付いていったお婆さんも中年のおじさんも、お坊さんに何か伝えられた途端、「えっ」という顔をした。そして、がっくりとうなだれている。お坊さんは、
「決まりですから。さぁ、立って」
と言うだけだ。お婆さんも中年のおじさんも、立ち上がるとお坊さんの後ろについてとぼとぼと歩いて行く。
「あの人たち、この学び舎、待機所から出て行くんですか?」
「あぁ、そうだ。追い出されるんだよ」
「と言うことは、人間界に生まれ変わるチャンスはなくなると・・・・」
「そういうことだな。ま、仕方がないさ。決まりだからな」
一体どういうことなのだ。なぜ、追い出されなければいけない?。彼らが何をしたというのか? で、ここを出てどこへ行くというのか? 俺は疑問が次々と浮かんだ。
「まあ、あわてるな。一つずつ答えてやる。まずはなんだ?」
「あぁ、じゃあ、まずは、なぜあの人たちは追い出されなければいけないんですか」
「ここにいるということは、ここでの魂の維持が必要だ。そのためにはエネルギーがいる。地獄や餓鬼、畜生、修羅は、もう生まれ変わった世界だ。しかも、生きているとき犯した罪の罰として生まれ変わっている。そのため、魂を維持するためのエネルギーを必要としない。耐えられなければ死ぬだけだし。だが、ここはあくまでも待機所だ。地獄へいくでもない、餓鬼でもない、畜生でも修羅でもない。かといって天界でもない。まあ、いわば中途半端な世界だ。その中途半端な世界で魂を維持するには、エネルギーが必要となる。もっとも、天界でも魂の維持のためのエネルギーは必要だがな。それは知っているだろ?」
「はい、知ってます。天界では魂の維持のためのエネルギーが必要だという話は、嫁の守護霊のジイサンから聞きました。そのためには、現実世界での先祖供養が必要だと・・・・。ということは」
「そうだ。天界とこの待機所では、魂の維持のため、現実世界で先祖供養が行われないといけないんだ。先祖供養が、天界やこの待機所で生きている魂のエネルギーとなる。当然、先祖供養がなければここで魂を維持することはできない。つまり、ここで消えなければいけないことになる」
「消えるって・・・・。あぁ、そうか、俺もそう注意されてましたよね。魂を維持するエネルギーが無くなってしまうと、消えることになると」
「そうだ。お前の場合は、たまに先輩の寺に行って補充できるし、供養もしてもらっているだろ。だから、この間のように使いすぎなければ大丈夫だ。しかし、ここの連中は、自分でエネルギーの補充にはいけない。頼りになるのは、子孫による先祖供養だけだ」
「でも、毎月毎月、先祖供養する人って少ないですよ」
「あぁ、だから普段はなかなかエネルギーがこない。日々、仏壇に供えられるお供え物とか、お香とか程度だ。それでいいとみんな思っているからな。それじゃあ、本当は全然足らないんだが、何年かに一度大きなエネルギー補給の時があるだろ」
「ひょっとして年忌供養・・・法事ですか?」
「そうだ。法事は、それを行えば大きなエネルギー補給となる。まあ、エネルギーの貯金ができるわけだ。だから、普段はあまりエネルギーが来なくても、法事で得たエネルギーの貯金を取り崩して魂を維持できるんだよ」
「じゃあ、ここの人たちは、そうやって魂を維持して、人間界に生まれ変わるチャンスを待っているんですね?」
「そういうことだ。じゃあ、法事がなければどうなる?」
「当然、エネルギーの貯金ができなくなります」
「そういうことだな。貯金がなければ、いつかは魂を維持できなくなる」
「あぁ、それでここを追い出されるんですね」
「そういうことだ。魂の維持ができなくなれば・・・つまり、子孫が法事をしなくなれば、ここにはいられなくなるんだよ」
なんということだ。せっかく、人間界に生まれ変わるチャンスを待っているのに、魂自体の維持ができなくなってしまうなんて・・・・。やはり、ここでも先祖供養が大きく影響しているのだ。

「なぜ、あの人たちが退去させられたか、よくわかりました。あの人たちは、エネルギーの貯金がなくなった人たち、つまり、法事が行われなかった人たちですね」
「そういうことだな。まあ、法事も子孫が『忘れてました』とか言って、一年後にやったりすることもあるだろ?」
「そうですね。遅ればせながら・・・・とか、そういうこともあります」
「ここも非情ではない。だから、法事がその年になくても、1年くらいは待ってくれる。まあ、普通は法事がスルーされても、1〜2年くらいは追い出されることはない。エネルギーの残量ギリギリまで、待ってはくれる。その間に子孫が気がついて、月一回の供養とか始めれば、追い出されることはないんだけどな」
「一応、1〜2年の猶予期間があるんですね」
「そういうことだ。ただし、この世界、待機所での勉強具合も加味される。真面目に修行に励んでいればエネルギーがなくなってきても猶予期間が長くなるし、サボっていれば短くもなる。ここでもサボる連中はいるんだよ」
人間は、誰も彼も真面目ではない。こんな世界に来ても、その差は出てしまうのだ。いや、むしろ、仏教を学べ、生きていた時の反省をしろ、と言われるだけの世界だ。案外、真面目に取り組む方が少ないのかもしれない。
「そうだな。一応、案内の坊さんの他に、指導の坊さんがいるが、彼らはこの世界の住人の質問に答えるだけだ。仏教でわからないことがあれば、彼らに質問をする。で、彼らは答える。それだけだ。ここでの学びは、自発的なんだよ。それがここでの修行だ」
「それって、キツいじゃないですか。サボろうと思えばいくらでもサボれますよ」
「そうだな。しかし、生前、以外と真面目に生きてきた人が多いからな、ここは。それほど罪を犯してない者が来ているのだから、意外と従順なんだよ。お坊さんから『生きていた時の反省をしなさい、仏教を学びなさい』と言われれば、真面目に従う者が多い」
「でも、仏教を勉強しろと言っても、どうやって・・・」
「見てみろよ、みんな本を読んでいるじゃないか」
「そう言われれば、みんな真面目に本を読んでますね。忘れてました」
「あの本は、仏教の基本が書いてある。ただし、読む読まないは自由だ。これも自主性に任されている。だから、サボっている者もいる」
確かに、本を読んでいるようなふりをして寝ている者もいるし、ボーッとしている者もいる。
「そういうことも見られているんだよ。エネルギーが切れてきても、本人が真面目で一生懸命に仏教を学び、悟りに近付いていたら、ここは追い出されない。むしろ、上の世界へいけるかも知れない」
単に子孫からの供養がないだけで、ここを追い出されるわけではないのだ。ここでの学びの態度も考慮されるのだ。学びの態度が良く、修行が進んでいれば、追い出されることはないのである。

「おそらく、あの中年のおじさんは、サボりがかなり入っているだろうな。態度が悪いからな」
そうだ。その中年のおじさん、お坊さんに何か告げられたとき、「あぁん?」と言うような態度をしていた。ちょっとふてぶてしいというか、エラそうと言うか、いい態度ではなかった。
「で、あの連中がどこへ行くかだ」
「そう、どこへ行くんですか?」
「それは、人それぞれ異なる。そこは、生きていた時の罪の度合いや種類によって異なるんだ。それとここでの態度だな」
「まあ、それぞれ罪は違いますしね。いくら地獄や餓鬼、畜生、修羅を逃れたとしても、罪を犯してないわけじゃないですから」
「そうだ少しでも罪はある。で、裁判の時、目こぼしされた罪によって、ここを追い出された後の行き場所が決められるんだよ」
「じゃあ、ちょっと欲深かったとなると餓鬼とか?・・・・」
「まあ、そういうこともあるが、まず地獄や餓鬼へはいかないな。そこまでひどくはないよ。悪くても畜生界だな。しかも、畜生界でも優遇された畜生だな」
「高級なペットとか?ですか?」
「そうだな。大事にされるペット、だな。あとは、修羅界だ」
「あぁ、あの争いの世界ですか」
「そこでも優遇はされる。あまり争いに巻き込まれない位置にはいる」
「一応は、優遇される位置に生まれ変わるんですね」
「そうだ。だが、ここでの態度が悪かったりすると、そうでもない。優遇されない場合もある。さしずめ、あの中年おじさんは、修羅界だろうし、結構争いの中に放り込まれるだろうな。しかも、その後も供養がなければ、法事がなければ、どんどん立場は悪くなるな」
「じゃあ、それが続けば、供養の無い状態が続けば・・・・」
「畜生界や修羅界を追い出され、餓鬼や地獄もあり得るな。まあ、法事や仏事をおろそかにする家は、繁栄しないからな。それは、先祖の子孫を守護する力が不足しているからなんだが、そりゃ、いいところに生まれ変わってなければ子孫を守護するなんてできないよな。法事や仏事をサボると先祖が力をなくす、善くない世界へ行く、すると子孫を守護できなくなる、子孫はますます衰えていく・・・という悪循環に落ちるわけだ」
結局、ここでも子孫の供養が関わってくるわけだ。いや、それだけではない。自分たちの反省の度合い、仏教を学ぶ意識も問われるのだ。

「逆にだ、ここで真面目に自己反省をし、仏教を学び、なおかつ子孫からの供養もあれば、人間界に生まれ変わることを待たず、天界へ行くことになる。そういう者も、ここにはいるよ。まあ、少ないけどな。あぁ、でも・・・・。お前は運がいい。どうやら、天界へいける者がいたようだ」
夜叉さんは、そういうと、「ほら、あの人」と指さした。その人は、おじいさんのようだったが、かすかに光っているように見えた。そのおじいさんにお坊さんが二人、近付いている。そのお坊さんが声をかけた。その人は、驚いたような顔をした。周りの人たちが拍手をしている。
「いや〜、なんだかすまないですねぇ。私のような者が、本当にいいのでしょうか? あぁ、そうですか。では、皆さん、お先に行っております」
おじいさんは、そう周りの人に告げると、二人のお坊さんの後に従った。おじいさん、満面の笑顔である。
「どうやら、天界へいけるようだな」
夜叉さんは、そう言ったのだった。

つづく。


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