あの世の旅

第2部 六道輪廻編

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蓮の花タクシーの乗り心地は、意外にも快適だった。
「あぁ、なんか、気持ちいいですね」
「でしょでしょ。この蓮の花タクシーは、何回乗っても気分がいいんです」
ギリシャ彫刻男がニコニコしながら言っている。確かに、心地いい。こんな乗り物ならば、いつまでも乗っていたい気分だ。いつまでも、いつまでも・・・。
「はい、着きましたよ〜」
「えっ?、着いたって?」
「トウリ天の一番下の天界ですよ。あなたたちがやってきた」
「あぁ、もう着いたんですか? っていうか、俺寝てました?」
「あぁ、皆さん、そうなります。気がついたら天界に着いていた、って感じですね」
俺は、蓮の花タクシーを降りて、周囲を見回した。蓮の花が浮いているのは、大きな池である。周囲には、何もない。殺風景この上ない。おまけに地面は砂利だ。これが天界か?とがっかりもするが、夜叉さんによると、一番下の天界だから、仕方が無いらしい。
「それにしても、何もないですね」
「いや、そんなことはないですよ。ここから先に行けば、いろいろありますよ。でもね、その前に、ここに来た人たちがしなければならないことがあります」
「しなければならないこと?」
「一応、天界も輪廻の世界です。生まれ変わりの世界ですね。なので、ここに生まれ変わってくるわけですが・・・あぁ、ちょうどよかった、蓮の花が流れてきました。どなたか、ここに生まれ変わってきましたよ」
ギリシャ彫刻男が指を指した方に蓮の花が一つ浮いていた。それはゆっくりここに流れてきているようだ。
「シュメール山の蓮の花乗り場で乗った蓮の花タクシーは、トウリ天のどこかの池に必ず着きます。で、ここでは私が案内係をしています。生まれ変わってきた新人さんの手伝いをするのです。トウリ天のどこについても、私のような案内係がいるんですよ」
トウリ天の他の国には、こんな男はいないだろう。いきなりこんなギリシャ彫刻男が目の前に現われたら、生まれ変わった来た人もさぞ驚くに違いない。いや、案外、目覚ましにはいいのかも知れない。

「さぁ、どうぞ、ようこそ天界へ。ここは、トウリ天の最下位の国ですぅ」
ギリシャ彫刻男が、到着したばかりの蓮の中を見ていった。俺もその中をそっと覗いてみた。そこには・・・。
「あ、赤ちゃん?」
「そうなんですよ、まだ赤ちゃんなんです。でもね、ほら・・・」
その赤ちゃんは、みるみるうちに育っていった。そして、蓮の花が大きく開き、その中で立ち上がったのだった。
「ようこそ、天界へ」
ギリシャ彫刻男は、さっきと同じ事を言った。蓮の花に立った人は、全体がのっぺりしていて細い、丸太が立っているような、そんな感じだった。一応、頭・首・肩・腕・胴体・腰・足のような凹凸はある。だが、顔ははっきりしないし、腕も胸の前で組んでいる状態だ。人間の形だけのマネキンのような感じだった。ギリシャ彫刻男は、そのマネキンに言った。
「さて、あなたはどちらの性別にしますか?」
マネキンは、顔をギリシャ彫刻男の方へ向けた。どうやら、声のする方向は分かるらしい。
「えぇっと・・・」
「あぁ、迷うと思いますが、途中でも変えられますから、とりあえず、どちらかにしましょう」
ちょっと待て、性別が途中で変えられるのか? そのまま、俺はギリシャ彫刻男に尋ねると「そりゃ、もちろん。こんな姿にもなれるのですから」とニコニコしながら答えてくれたのだった。なるほど、ギリシャ彫刻男にもなれるのだから、性別くらい簡単に変えられるのだろう。理屈はよく分からないが、おそらくは神通力によるものなのだろう。
「じゃあ、では・・・とりあえず、女性で・・・」
「はい、分かりました。女性と言うことで・・・」
そういうと、のっぺりしたマネキンが女性っぽくなっていった。胸の膨らみが出て、腰がくびれてきている。
「あぁ、この姿はね、この方が想像している女性像によってできてきます。なので、これからできてくる姿は、すべてこの方の理想に近い姿になります」
ギリシャ彫刻男がそういうと、蓮の花に立っていたマネキンは、あっという間にモデルのようなしなやかな美しい女性へと変化していた。その女性は、自らの姿を池に映して
「こ、こんなに綺麗になって・・・いいんですか?」
と言った。
「いいんですよ。ここは天界ですから。でも、サービスは、ここまでですね。では、蓮の花を降りてください。あなたの居場所へと案内しますから」
ちょっと待て、サービスって・・・?
「あっ、サービスのこと、気になったのでしょ。えっとですね、天界の御利益というか、天界に生まれ変わると、初めの姿形は自分の好きなようにできる特典がついています。でも、それ以降は、自分でしなければなりません。それが天界での修行です。それをこれから説明しま〜す」
ギリシャ彫刻男は、歩きながらそう言ったのだった。ギリシャ彫刻男の後ろには、先ほどの生まれたばかりの女性がついてきている。

しばらく歩くと、足下がんとなく柔らかく感じるようになった。よく見れば、いつの間にか砂利ではなくなっている。柔らかいふかふかした芝生のような道になっているのだ。そして、ちょっと先を見ると、大きな蓮の花があちこちに点在していた。
「あれが、ここの人たちの住まいです〜。もちろん、神通力が強くなれば、蓮の花形ハウスではなく、自由設計の家が持てます。でも、多くの方は、しばらくは蓮の花ハウスですね。住まいよりも、ほかに神通力を使いたいですからね。さてと、あなたの家は、ここで〜す」
ギリシャ彫刻男の目の前には、大きな蓮の花があった。
ギリシャ彫刻男の声に反応したのか、蓮の花は大きく開いた。そこには蓮台というのか、蓮の花の真ん中にある、あの種が詰まったような部分があった。
「ここで寝るのです。あぁ、食事とかは、好きな時間にとれます。食べたいな、思ったら自然に食べたいものが現われます。ですが、初めのうちは、ちょっと物足りないかも知れません。でも、修行が進むと贅沢な食事も可能です。なお、あなたが身につけている、その衣装も、あなたのイメージで自由に変えることができます。私のように、美しいギリシャ彫刻の像にもなれるんですよ」
いやいや、なりたくはない。生まれたばかりのモデルのような女性も、ちょっと引いていた。
「さて、肝心の修行ですが・・・」
そうだ、それが大事だ。そこが聞きたかった。
「一日のうちに、2回、鐘が鳴ります。鐘というか、鈴なんですが・・・。え〜っと、やってみます。チーン・チーン・チーン、チーン・チーン・チーン、チーン・チーン・チーン・・・チン・チン・チン・チン・チン・・・チン・チン・チン・・・というような、鈴の音が聞こえたら、あそこの」
ギリシャ彫刻男が指さした方には、平たい台地があった。
「あの台地に集合してください。佛様や菩薩様のお話があります。そのお話を聞き、瞑想をします。それがここでの修行です」
それだけなのか? それでいいのか? それだけで神通力が身につくのか?
「お話を聞くだけで修行になるのか、神通力が身につくのか、と言う心配はあると思いますが、大丈夫です。佛様や菩薩様が、そのように導いてくださいますから。天界での生き方をしっかり教えてくださいます」
ギリシャ彫刻男は、なぜか胸を張ってそう言った。

「あぁ、でもね、注意点があります。それは、あなたの子孫からの供養です。その供養がないと、日々の体力が次第に奪われていきます。全く供養がなくなれば、天界での生活はできなくなる場合もあります。はっきり申し上げれば、日々のあなたの食事は、子孫の供養でまかなっているのです。ですから、供養が滞れば、食事の質も量も悪くなります。そうなれば、次第に身体も衰えます。そして、やがては寿命を迎えることとなります。なので、くれぐれも、子孫に、供養を怠るな、という思いを伝えてください。伝え方は、いろいろありますが、まだ神通力が身についていないうちは、強く願う、ことです。日々、供養を怠るな、と強く願って下さい」
ギリシャ彫刻男は、一気にそうまくし立てたのだった。

「あの女性、分かっているんですかねぇ」
生まれ変わってきたばかりの女性の、蓮の花ハウスを出て、俺は思わず、そうつぶやいていた。
「あぁ、大丈夫ですよ。皆さん、初めはあんな感じです。返事も曖昧ですし、分かっているのかどうなのか、まあ、はっきりしません。でもね、明日になれば分かるんですよ。あぁ、天界も一応、一日があります。日が昇り、日が沈みます。明るいときが多いですが、日が沈むときは、一気に沈みます。急に暗くなっていきます。まあ、神通力がある程度ある人にとっては、昼も夜も関係ないですけどね。さて、聞新さんでしたっけ?、あなた、今夜どうしますか? あぁ、そういえば、夜叉様の姿がないですが・・・」
おっと、そういえば、すっかり忘れていた。夜叉さん、いったいどこへ行ったのだ? はぁ〜、閻魔大王の下へ帰っているんだな。こんなギリシャ彫刻男とは付き合いたくない、と逃げたのだろう。
「今夜どうするって?」
「天界は、人間界と似たようなものです。まあ、夜でも外は安全ですけどね。獣もいませんし、暴漢もいません。治安はバッチリです。ですが、野宿もねぇ。まあ、お好きにすればいいですが。夜叉さんの元に戻りますか?」
あの夜叉さんが、「俺のところに来るか?」などというわけがない。そういえば、今まで見てきた世界は、一日、という単位がなかった。いつも同じ空だった。日が沈むこともなければ、日が昇ることもない。いつもどんよりした空間だった。
だが、天界は、どうやら人間界と同じらしい。とはいえ、俺は霊体だ。寝ることはないし、横になるとかもない。どこをフラフラしていても、眠たくなることもなければ、疲れることもない。幸い、天界は、他の世界と違って、我々霊体には優しいようだ。魂のエネルギーが減ることが少ないように思う。
「ここは天界だけあって、あなたのような霊体の方には、過ごしやすいと思います。我々生まれ変わった者よりね。我々は、一応、天界での肉体を得ていますから、夜は寝る方が多いですね。休んだ方が、魂のエネルギーの消費が少なくなりますから。あぁ、もっとも、天界の肉体と言っても、あなたのような霊体に近いですけどね。何というか、一応肉体はあるけど、人間界の肉体とは異なっていて、半分霊体、半分肉体というか・・・。う〜ん、表現が難しいです。あなたが霊体でなく、人であったならば、私に触れることが可能です。手をつなぐこともできます。ですが、そうそう、意識ですね。ちょっと意識すれば、霊体になることができるのですよ。肉体・霊体を自由に行き来できると言えばわかりやすいですかねぇ」
そういう仕組みになっているのか。と言うことは、普段は人間と同じような状態なのか。いや、それも自分の意思によるのか。人間の状態でいたいと思えば、その状態を維持できるし、霊体が楽だと思えば、霊体のままでいられる。
例えば、神通力を使って、どこかへ移動するときは霊体の状態なのだろう。他の神通力を使うときも、霊体の状態のほうが便利そうだ。だが、食事をするときは、肉体がないと食事はできない。問題は、エネルギーの消費だ。どっちが消費しやすいか、ということになるのだろう。これは、天界で過ごすうちに分かってくることなのかも知れない。

「ここはねぇ、天界と言っても一番下です。なので、結構、人間的欲望が残っています。上の天界へ行けば、食事などしなくてもよくなります。魂のエネルギーを吸収すればいいのですから。でも、ここでは、人間の時の習慣が強く残ってしまうんですね。なので、夜寝る人が多いです。まあ、出歩いている人もいますが。私は寝る派ですけどねぇ・・・」
そう言って、ギリシャ彫刻男は、微笑んだのだった。
俺は迷った。天界の人が寝る姿を見るのもいいが・・・このギリシャ彫刻男の寝姿などは見たくはない。あのモデルような女性なら、とも思ったが、まあ、見ても仕方が無いか、と思う。
「迷いますよねぇ。以外と夜も長いですし。あぁ、人間界の感覚と変わらないですけどね。そうだ、天界のお酒などどうですか? あ、霊体じゃあ、飲めませんか。じゃあ、私は、飲みますから、ちょっと話をしましょう。夜叉さんもどっかに行っちゃいましたし、ヒマでしょう。どうぞ、マイ蓮の花ハウスへ。どうですか?」
そう誘われて、嫌だとも言えないだろう。このギリシャ彫刻男は、悪い人間ではないようだし。まあ、何があっても、俺は霊体だから、危害を加えられることもない。危険は無いのだ。
「そうですねぇ、じゃあ、お邪魔します」
俺は、ギリシャ彫刻男の蓮の花ハウスに行くことにしたのだった。


ギリシャ彫刻男の蓮の花ハウスは、意外に大きかった。二人で中に入っても、余裕の広さだ。
「う〜ん、人間の世界で言うと、3LDKくらいの広さですかねぇ。バストイレ付きです。天界の者でも、トイレは必要なんですよ。っていうか、ここは一番下の天界だけあって、ほぼほぼ人間界と同じような生活ですね。上に行けば、トイレも風呂も必要ないんですけどね」
そう言いながら、ギリシャ彫刻男は、俺を部屋へ誘ってくれた。
「まあ、どうぞ、座ってください。え〜と、あぁ、そうか、聞新さんは霊体だから座るも何もないか。あははは」
「あぁ、いや、一応、それらしく座りますよ。その方が話もしやすいでしょうから」
と言うことで、俺はギリシャ彫刻男の部屋のリビングに当たるのだろう、その部屋の椅子に座ったのだった。
「こういう家具とかもね、自分の神通力でだすんですよ。初めのうちは、神通力が使えないですから、与えられたものしかありません。最初は、寝るための蓮台だけ。で、そのうちに神通力がつけば、寝具や簡単な椅子程度を自分で作っていくんです。まあ、この程度あれば、ここでは不自由はしませんけどね。中には、ハウスの中を飾ったりする方もいますね。次第に神通力がつけば、自分で自由に部屋が造れます。家具も自由です。自分の好きなように過ごせるんですよ」
こういう所が天界の天界たるところであろう。人間界では、家を得る、家具を整える、生活する、ということに、必ず金銭が必要となる。しかし、天界では、金銭はないようだ。すべては、自分の神通力によって得られるようだ。
「神通力で、何でも賄えるんですね? お金なんてないんですね」
「そうなんですよ、お金はありません。ここで通用するのは神通力です。神通力の強さ、多さが、人間界で言うお金持ちに当たるのですよ。で、神通力で、こうしてお酒を飲むこともできるんです。天界の酒は、またうまいんですよ。人間界の酒とは比べものになりません。けど、これも上の天界へ行けば、もっとおいしいそうです。格差はあるんですよねぇ」
そう言いながら、ギリシャ彫刻男は、おいしそうにお酒を飲んでいた。

「一つ聞きたいことがあるんですが」
「はい、何でしょうか?」
「天界の時間は、その一日が人間界の50年に当たる、と言うじゃないですか。今、ここって、日が暮れましたよね。と言うことは、人間界では、50年過ぎているんですか?」
「あぁ、それはないんですよ。確かに、一番低い天界の一日は、人間界の50年に当たります。ですが、今、日が暮れたことによって、人間界の時が50年過ぎたわけではありません。実は、この日没、方便なんですよ」
「方便?」
「はぁ、上の方の天界に行けば、日が暮れることはありません。長〜い、それこそ何百年も昼間です。日が落ちることは、本当にないですね。まあ、いつかあるのでしょうけど。そういう上の方の天界の人々は、寝ることもないんですよ。いつも起きています。なので、夜も必要ないんです。ですが、ここ、一番下の天界は、まだ人間時代の習慣が根強く残っているんです。天界の時間に慣れないんですよね。なので、方便として、一日を作っているんです。この天界トウリ天は、一桁台は上位クラスです。最高位は、帝釈天様がいらっしゃる世界ですね。NO1です。NO1〜NO9までが、上位クラス。NO10〜NO19までが中級クラスです。NO20〜NO29までが下位クラスです。私がいる33番目と32番、31番、30番は、最下位クラスとなっています。ちなみに、いわゆる神々と言われる方は、トウリ天の中級クラス以上の方ですね。中級クラス以上にならならいと、神にはなれないんですよ」
天界も格差が大きいようだ。いわゆる神々となると、トウリ天の中級に行かないとダメらしい。と言うことは、中級クラスに入れば、神になれるとも言える。日本の神々は、どうなっているのだろうか?。出身が違うから、除外されるのかも知れない。

「日没があるのは、この最下位クラスのみですね。それは、天界に慣れさせるためですね。なので、最下位クラスでも、上に行けば、日が長くなります」
「なるほど、そういうことですか。まだ、下のクラスの天界人?と言えばいいのかな、は慣れてないんですね」
「そうですね、慣れないですね。あぁ、我々のことは、天界人でいいですよ」
ちなみに、日本の神々は、どのクラスになるのですか?」
「そうですねぇ。神通力で言えば、中級クラスに入るでしょうね。まあ、このトウリ天に住んでいるわけではなく、日本の世界に住んでいますから、実際の所は分からないですけどね。日本の神々は、土着の神ですから」
なるほど、日本の神々は、どうやら天界の神々とは違うらしい。
「トウリ天が存在する世界は、広い広い天界の中です。天界は、宇宙の広さと同じですから、ものすごく広いんですよ。で、トウリ天のほかにもいろいろな世界があります。国といったほうがわかりやすいかな。そう、このトウリ天も国と思った方がいいですね。大きな国の中に、さらに33の国がある、それがトウリ天です。そのほかにも、いろいろな天界……国が存しているんですよ。その国々で、トウリ天の中級クラス以上の世界の住民……天界人ですね……ならば、神と言われる存在になります。ただし、日本の神々は、このグループには入っていません。それは、日本という国の神だからです」
やはり、そうなのだ。日本の神は、天界の神々のグループとは違うのだ。
「ただし、日本の神でもインド系の神様は別ですね。大黒天とかダキニ天とか弁財天とかですね。こうしたインド系の神々は、天界のどこかに自分の国を持っています」
ようやく俺は理解した。日本の神でも、インドから伝来した神……それは天部と仏教では言うのだそうだ……は、天界の住民なのだ。しかし、日本古来の神々は、日本という国の住民である。天界に国を持っているわけではない。だから、天界の神々のグループには入らないのだ。
天界とは、宇宙のことだと思えばいい。で、その中に、人間の目には見えないけど、いろいろな世界……星なのか、国なのか知らないが……が存在しているのだ。で、その国の数だけ神々が存在している。その数たるや……いやはや、天界は広い。

俺は、話を戻した。
「そうですか。そんなに広いんですね。で、トウリ天でも最下位クラスの人たちは、天界の生活に慣れていないから、人間界の習慣を持ち込んでいるんですね」
「そういうことなんです。だから、人間臭い所が多いでしょ。上の方の、特にトウリ天の中級クラス以上は、もう神々ですからね。そのあたりになると、人間臭さはなくなります。ここは、まあ、人間界に毛が生えたようなものですよ」
「じゃあ、こうやって日が暮れたのも、人間界の時の習慣によるものなのですね」
「そうです。何ですかねぇ、日が暮れないと、落ち着かないんですよ。でもね、昼間の時間は長いですよ、人間界よりはね。そんな感じがします」
ギリシャ彫刻男は、そう言うとお酒を飲み、「これも人間界の習慣ですよね」とつぶやいていた。
「そして、何よりも、こうしてお酒を飲めるのは、子孫の供養があるからなんですけどね」
と、ちょっと遠くを見つめるような目をして、ギリシャ彫刻男は言ったのだった。確かに、あの新たにやってきた女性に、そんなことをこの男は言っていた。子孫の供養がないと、ここでは生きていけないようなことを。確か、食事も着替えも、供養によるのだと。
「供養があれば、私たちはエネルギーを得られるんです。このお酒だって、供養のおかげです。天界人は、エネルギーを得るために、一応、食事という形でエネルギーを得ます。まあ、肉体はあってないようなものですから、本来は、食事などしなくてもいいのでしょうけど、これも生きていた時の習慣ですかねぇ。あぁ、でも、上の方の天界人も食事を取ることもある、とか言う話ですし。ま、一応、肉体的なものはありますからね」
ここが不思議なところだ。そういえば、夜叉さんも、一応、肉体がある。が、今は食事はしない、と言っていた。霊界の気だけで十分なのだと。天界人も、肉体はあるにはあるのだ。そういえば、風呂もトイレもある、と言っていた。と言うことは、汗だってかくのだろうし、身体も汚れるのだろう。糞尿もするようだ。
「ほぼ、人間と変わらないんですね」
「そうですね。もちろん、神々クラスになれば、部屋に風呂やトイレがあるなんてことはありません。まあ、中には、酔狂な神様もいて、人間界の温泉に行っている神様もいますけどね。まあ、そういう神様は、こっちの世界よりも人間界が好きな神様なんですよね。天界よりも人間界が楽しいらしいです。下位ののクラスの天界人は、身体が汚れるってこともあるし、糞尿もします。これも、神通力の強さによります。神通力が弱ければ弱いほど、身体も汚れやすいし、疲れやすいし、糞尿も臭いし、体臭もあります。その神通力も、自分の修行と子孫の供養にかかっているんです。私の場合は、まあ、そこそこ供養してくれていますから、なんとか案内役まで授かっています」
やはり、中級クラス、神々の世界になると、身体が汚れるとかはなくなるようだ。糞尿もしないのだ。まあ、食事も必要が無いから、それもそうであろう。エネルギー源が食事ではないのだから、クソも出ないのは当然だろう。しかし、そこまで行くのは大変なのだろうと思う。長年の、多くの供養、子孫からの供養が必要なのだろう。子孫が先祖を供養し続ければ、いつしか、神のような先祖が生まれてくる、と言うこともあるといえる。まあ、相当長い年月が必要になるのだろうが……。

それにしても、天界人には、職業があるのだろうか? このギリシャ彫刻男は、案内役をやっていると言っていたが……。
「その案内役なんですけど」
「あぁ、それは佛様が決めることです。一つの国に一人の案内役がいるんですよ。各国に、そうした案内役がいるんです」
「ほかの人は、そうした役割というか、仕事はないんですか?」
「う〜ん、私の知る限り、ないと思います。集会、あぁ、修行のことですね、その時も、皆さんボランティアで動いていると思います。まあ、私の案内役といっても、生まれ変わってきた人を案内すればいいだけですしね。ですから、ここには仕事はないですね」
「仕事とかないんですか。じゃあ、何をやっているんですか? ヒマじゃないですか?」
「そうですね、ほぼほぼ、神通力の修行ですね。こう、精神力を高めてですね、神通力の強化を図る瞑想をするのですよ」
そう言うと、ギリシャ彫刻男は、座禅を組んで瞑想の姿をした。ギリシャ彫刻男の座禅は、ある意味、見応えがあった。
天界人の仕事は、主に修行になのだ。特に下位のクラスにとっては、まずは神通力の修行が重要な仕事になるのだろう。それがなければ生きてはいけないのである。神通力の強化は、必至なようだ。
「あとは、問答ですね。佛様や菩薩様が説かれた教えをみんなで話し合うんです。あれはどう解釈するかとか、菩薩様が問いかけたことに対する答えは何かとか、そうした話し合いをします。たまに、熱い議論になったりすることもありますよ」
「ケンカとかにはならないんですか」
「ケンカにはならないですね。議論をしても、怒りに変わることはないですよ。もし、そういう人がいれば、仲間はずれになりますね。概ね、穏やかな話し合いです」
天界人となると、議論で怒ることは無いらしい。時間に余裕があるからなのか、全体的にのんびりしているのかも知れない。

「そう言えば、女房のおじいさんが、女房や私の子供たちの守護霊をしているのですが……」
「あぁ、そうですか、それはそれは。そのおじいさん、下位クラスの上位にいると思いますよ。子孫の守護霊が務まるほどの神通力をお持ちなら、きっとそのクラスでしょう。トウリ天の20番台の前半にいると思います」
「守護霊を務めるのは、大変なんですか?」
「もちろん。自分の事に関して使うエネルギーの上に、さらにエネルギーがないといけませんからね。相当、神通力を身につけていないと、エネルギー配分もうまくいきません。ましてや分身の術を使えないと、子孫のもとへと行けませんしね。結構、修行されたようですね、そのおじいさんは。きっと、子孫の方も供養をちゃんとしているのでしょう。おそらくは、月に一回必ず、お坊さんが供養のお経をあげているのだと思います。いい子孫をお持ちのようですね。私なんて、まだ分身の術はできませんからね。今の、この状態を維持するのでいっぱいいっぱいです。贅沢は言いませんが、もう少し供養してくれると嬉しいですね」
ならば、無理にギリシャ彫刻男何ぞになる必要はないのではないか。結構、エネルギーを食いそうな気がするが、エネルギーの無駄遣いではないのか……。その考えが顔に出たのか、ギリシャ彫刻男は、あわてて言った。
「あぁ、あの、肉体の変身は、そんなにエネルギーを使わないんですよ、エネルギーは、瞑想、修行ですね、それに最も使います。瞑想は、神通力の修行ですから、結構、エネルギーを使ってしまうんですよ。だから、いつも、瞑想の後は、ぐったりです。供養が早くたくさん欲しいと思いますよ」
なるほど、エネルギーは修行に費やすのが多いのだ。もっとも、神通力が身につかないと、天界では生きていけないようだから、神通力は重要だ。その神通力は、修行しないと身につかない。その修行のもととなるエネルギーは、供養なのだ。子孫の供養がなければ、神通力の修行もできない。神通力の修行ができなければ、天界では生きにくくなってしまうのだ。
「そうなんですよ、供養がないとねぇ……。折角、天界に生まれ変わってきたのに供養がないと、生きていけませんよね」
「もし、供養がないとどうなるんですか?」
俺が、そう問うとギリシャ彫刻男は、深刻な顔を俺に向けて
「そ、それは、とても恐ろしいことになります」
と言ったのだった。

「天人五衰ってご存じですか?」
「てんにんごすい?、いや、知りません」
「天人五衰というのは、我々天界人の寿命がやってきた兆候を示す五つのことがらなんです。それが現われると、この世界での寿命がやってきた、ということになります」
「そ、それは……どういったことなんですか? もしかして、見たことあるのですか?」
ギリシャ彫刻男は、深刻な顔をして、「えぇ」とうなずいたのだった。


ギリシャ彫刻男は、深刻な顔をして話し出した。
「まずは、天人五衰についてお話ししましょう。天人五衰とは、この天界の人々の寿命のことを表わしている言葉です。この天人五衰が我々天界人に表れたなら、それは寿命が近いと言うことなのです」
彼は、ここで大きく息を吐いた。語るのが、怖いのだろうか? 彼は、大きく息を吸うと続きを話し出した。
「天人五衰は、実は二種類あります。それは、『大の天人五衰』と『小の天人五衰』です。現世で天人五衰を知っている人は、多くはいないと思いますが、現世に伝わっているのは、『大の天人五衰』のほうでしょう。小は伝わっていないと思います。知っている人はごく少数でしょうね。まずは『小の天人五衰』から話します」
彼は、そこでお酒を少しなめるようにして飲んだのだった。
「実は、私たち天界人のこの外見は、肉体を変化させています。人間界のようにように、衣服を着るのではなく、肌や肉体の表面を変化させることができるのですよ。力さえあれば、どんな姿にもなれます。寒さや暑さも感じません。というか、この世界は、気温は快適ですからね。寒さ暑さなんて無いですから、肌には関係ないですね。そう、私たち天界人の皮膚は、自由自在に変化させることができるのです。また、声も心地よい声を発します。周囲が楽しくなるような声ですね。身体も、自然と光っているように見えます。私も明るいでしょ? 暗くは見えませんよね?」
彼は、俺のほうを見てそう尋ねてきた。
「えぇ、確かに、ぼんやり光っているように見えます。明るいです。それに声もいいですよね」
そうなのだ。このギリシャ彫刻男の周りは、ぼんやりと明るい。ほのかに光っているのだ。しかも、いい声をしている。聞き心地が善い声だ。これが、天界人の特徴なのだろう。
「そのほかにも、私たち天界人の身体には特徴が有ります。まず、実は頭の上に蓮の花が咲いているのです。私は隠していますが、そのまま見せている方もいます」
頭の上に蓮の花? ちょっと想像してみたが、何だか変だ。妙な姿しか思い浮かばない。
「そんなに大きな蓮の花じゃ無いですよ。かわいらしい花です。それが、頭のてっぺんに咲いているんですよ。それを見せたくない人は、隠しています。まあ、隠しても、天界人同士なら、うっすらと見えてはいますけどね。そういう特徴があるんですよ。次に、私たちは汚れません。汚れないんです。でも、気持ちがいいので沐浴しますし、お風呂も入ったりします。それは、気持ちがいいと言うだけで、実は必要ないんですよね。汚れないですから。汗もかかないんですよ。なので、汗臭いとかないんです。というか、いつも芳香を放っていますから。力が強くなればなるほど、いい香りがします。私は、まだまだですけどね」
とギリシャ彫刻男は言ったが、確かにこの蓮の花ハウスもいい香りがしているし、彼自体、ほんのりと淡い心地よい匂いがしている。そのことを伝えると、彼は嬉しそうにうなずいていた。どこか、安心している、という感じもする。
「そうそう、私たち天界人も沐浴やお風呂に入るんですが、身体に水がつかないんですよね。野生の動物のように、水がさっと流れてしまうんです。人間のようにいつまでも濡れていることはないんですよ。便利でしょ。バスタオルとか要らないですからね。あっはっはっは。それにね、瞬きをあまりしないんですよ。眼が乾かないんですね。眼精疲労なんてないんですし。これも便利ですな。で、毎日、落ち着いて暮らしていますし、イライラすることもないんです。天界人は、平和なんですよ。これが、天界人の特徴です。まずは、これを知っておいてください」
俺は、頭の中で天界人の特徴をわかりやすいようにまとめてみた。
@身体が汚れることは無い
A頭のてっぺんに小さな蓮の花が咲いている
B身体が臭くなく、いい香りがする
C汗をかかない
D声がいい
E身体に水が着かない
F身体がほんのり輝いている
G瞬きをしない
Hイライラしないで、落ち着いている
どうやら、これが天界人の大きな特徴らしい。天界に生まれ変われば、このような状態になるのだ。

「天界人の特徴を理解していただいた上で、まずは『小の天人五衰』についてお話しします。
この『小の天人五衰』が起きますと、天界人は、次のような状態になるんです。
まず1、楽しいいい声が出ないんです。これを楽声不起といいます。
2、身体の輝がなくなってくるんです。それも急激に。これを身光忽滅といいます。
3、沐浴やお風呂の時に身体に水がつくようになるんです。バスタオルがいるようになるんですよ。これを浴水著身といいます。
4、まわりの環境や状況にボーッと見入ってしまうんです。思考が停止するとでも言いましょうか。そうなってしまうんです。これを著境不捨といいます。
5、やたら瞬きをするようになります。眼が乾くようになるんですね。異常に。これを眼目数瞬といいます。
これが『小の天人五衰』です。これは、死が近いぞ、と言うサインなのです。でも、まだ助かるんですけどね」
「助かるのですか? 死が近いサインなのに?」
「そうなんです。天界人には、死に関してチャンスが1回有るんです。『天人五衰』が表れたら、すぐに死ぬ、と言うわけではないのですよ。まずは、『小の天人五衰』で、寿命を延ばすチャンスが与えられるんです」
「寿命を延ばすチャンスですか? それはどうするんですか?」
「もし、この『小の天人五衰』が表れたら、この天界に住まう賢者に会うのです。私で言えば、このトウリ天の最下位に住まう賢者に会えばいいのです。トウリ天の各階層には、必ず一人の賢者います。その賢者に会えば、死を回避することができるのです」
「なるほど、じゃあ、その賢者がどこに住んでいるか、皆さん知っているんですね?」
「おおよそは……」
「えっ? おおよそって、それじゃあ……」
「賢者が住まう場所は、どなたも大体知っています。しかし、ここだ!と言う場所は、わかりません。また、分かったとしても、会えるかどうかも分かりません。そこに賢者がいない場合もあります」
「それって、運次第ってことになるじゃないですか」
「はい、運が無いと賢者には会えません。それも縁でしょう。つまり、助かる縁が無ければ、賢者には会えないのです。賢者に会えなければ……」
「会えなければ?」
「『大の天人五衰』へと進みます。賢者に会えれば、寿命を延ばすことができます。が、しかし、それで安心はできません。一時的に寿命を延ばしてもらっても、その後の修行をサボれば、瞬く間に『大の天人五衰』へと進むのですよ」
彼の顔は、ちょっとこわばっていた。
「『小の天人五衰』が表れたら、私たち天界人は、各階層の賢者の元へと急ぎます。しかし、縁が無ければ、賢者の場所も突き止められないし、会うこともできません。その時は、諦めるしかないんです。もし、会うことができれば、賢者から寿命を少し与えられ、それを元に修行に励みます。そうすれば、更に寿命を延ばすことができるのです」
「そ、それは、ちょっと怖いですね。一種の賭けだ」
「そうですね。怖いです。そのことを想像すると、背中がぞわっとしますよ」
そういって、彼は酒飲み、あははと笑ったのだった。そして「でもね、遺族からの供養があれば、そうはならないんですけどね」とつぶやいたのだった。
そう、遺族からの供養があれば、天人五衰にはならないのだ。
「おそらく、賢者に会えば、その供養のことを伝えられるのではないか、と言われています。供養を請求せよとか、供養が無いからダメだとか。会えない場合は、供養が完全に途絶えている、ということになるんでしょうね」
彼は、そういうとちょっと遠くを見るようにし、天を仰いだのだった。

「さて、『小の天人五衰』については、理解していただいたと思います。次に、それが進んでしまった『大の天人五衰』について話しましょう。先に言っておきます。この『大の天人五衰』が表れたら、私たち天界人は助かりません。死を迎えます。避けることはできません。なので、我々天界人は、これをものすごく恐れます」
彼は、酒の入ったグラスを持ったまま、深刻な顔をしてそう言った。で、グラスに入った酒を一気に飲んだのだった。
「『大の天人五衰』は次のようになります。
1、身体の表面に汚れがつくようになります。どのように身体の衣装を変化させても、汚れるんですよ。これを衣服垢穢と言います。
2、頭のてっぺんの蓮の花がしぼみます。枯れてくるんですよ。これを頭上華萎と言います。
3、身体汚れてくるので、当然、体臭がします。身体から臭い匂いが出てくるんです。これを身体身穢と言います。
4、脇の下に汗が流れるようになります。初めはじわじわですが、次第に大量に脇汗をかくようになるんです。まあ、これも異常な匂いを発しますけどね。これを腋下汗流と言います。
5、とにかく落ち着かなくなります。座ってられない。修行なんてできる状態じゃ無い。落ち着きがなく、いつもそわそわして、じっとしていられないんです。これを不楽本座と言います。
このような特徴が表れましたら、もうダメですね。寿命が尽きるのですよ」
と彼は、深刻な顔のままでそう言ったのだった。そして、そのまま黙り込んだのだった。

「その姿を見たことがあるんですか? あるんですよね?」
沈黙が重く、たまりかねて俺はそう尋ねた。確か彼は、見たことがある、と言っていた。だからこそ、詳しいのだろうと思う。
「えぇ、一度だけ、見ました。その天界人は、まずは、『小の天人五衰』を発しました……」
そう言うと、彼は身震いをしたようにフルった。よほど、その姿……天人五衰の姿……が恐ろしかったのだろうか。
「それは、う〜ん、ちょっと怖かったですね。『小の天人五衰』でも、恐怖なんですよ。はじめに気がついたのは、私でした。その方、本当にいい声をしていたのに、声がかすれたんです。で『あれ、声が変ですよ』と言ったんですよ。でも、御本人は気付いていないようでした。『そうですか?』なんて平気そうな顔をしていたんです。ですが、その後のことです。どうも私たち他の天界人を避けるようになったんです。よくよく見てみますと、身体が輝いていないし、沐浴をしなくなったんですね。それはおそらく、水が身体に着いてしまうことを知られたくなかったのでしょう。で、時々、ボーとしているし、かと思ったらやたら瞬きをしているんです。声が変、身体の輝が無い、身体に水が着く、ボーッとしている、瞬きが多い……これはもう、『小の天人五衰』そのものです。なので、私は、その方を追いかけ、賢者に会うことを勧めたのです。その方、初めはそんな必要は無い私は元気だとか言ってましたが、途中から声が出なくなりましてね、それで諦めたのですよ。賢者へ会いに行く決意をしました。おおよその場所は知っていますから、一人で会いに行く、と言って旅立たれました。もう、神通力もほとんど使えない状態ですから、とぼとぼ歩いて行ったのです」
「賢者の住まいは、遠いのですか?」
「遠いと言えば遠いですが……歩いて行けない距離ではありません。ただ、『小の天人五衰』が進行していますと、ちょっと辛いですねぇ。初期の状態なら、キツくはないんですが……」
「あぁ、じゃあ、その方は、結構『小の天人五衰』が進んでいたんですね」
「そうなのですよ。ですが、なんとか、賢者の場所まではたどり着いたようでした。会えはしませんでしたけどね……」
彼は、さも残念そうに、大きくため息を吐いたのだった。
「まあ、これも縁だし、運命と言えば運命なのかも知れませんし。ですが、もっと早くに賢者のもとに行っていれば、助かったかも知れません。他者からの注意を素直に聞いていればねぇ……」
他人の忠告を素直に聞くことによって、助かる場合があるのは、天界も人間界も同じらしい。周囲の意見は、決して聞き逃してはいけないのだ。耳に痛いことは、金言でもあるのだ。今更ながら、俺はそのことを自分自身に言い聞かせた。

「その方」
ふと思い出したように彼は話を続けた。
「その方、賢者の元から帰っては来たのです。私の所に来たとき、会えなかったからもうダメだ、と言ってました。で、これから隠れるから、もう追わないでくれ、と頼みに来ました。他の皆にもそう伝えてくれと。そう言って、その方は、消えて行かれました……。その後、その方がどうなったかは、誰も知りません。ですが、どこかに生まれ変わってはいることでしょう。どこかは分かりませんけどね」
しんみりとした空気が流れていた。
「私たち天界人は、普段は陽気です。何の憂いも無い……と言う顔をしています。楽しく修行もしています。神通力の試し合いもします。佛教について、問答もします。上階層からたまにやってくる天女とも問答をしたりします。それはそれは、楽しいです。ですが、たまにふと頭をよぎるのです。天人五衰のことが。もし、子孫からの供養が無くなったらどうしようか?、どうなるのだろうか? とかね。そのためには、もっと修行しなきゃ、とも思いますし。案外、天界も苦の世界でもあるのですよ。一応、天界は、快楽の世界となっていますが、それは表面上のことだけですね。やはり、天界も輪廻転生の世界です。苦はあるのですよ」
彼は、ちょっと笑いながら、そう言ったのだった。


随分、長く話していたように思う。気がつけば、蓮の花ハウスの窓から、光が少し差し掛けている。夜明けらしい。
「夜が明けてきましたね。これから、急激に明るくなってきますよ」
ギリシャ彫刻男が言ったとおり、急に明るくなってきた。俺がやってきた頃の天界の明るさだ。
天界は、人間界で言う晴天というわけでは無い。だが、明るい。晴天の時の状態とほぼ同じだろう。が、太陽そのものがないのだ。なので、晴れによって明るいわけでは無い。どう表現していいのか……。電灯がともっている?、と言うわけではないのだが、自然と明るくなっていたのだ。
「天界は、人間界のように太陽があるわけではありません。先にも言いましたが、上の階層になると常に明るい状態です。ここのような下の階層は、それに慣れるため、人間界に近くしていますが、明るくなるなり方は、徐々ではなく、いきなりです。これも天界の環境になれるためなのでしょう。さぁ、外に出ましょう。明るくなってくると天界人が動き出しますから」
そう言うと彼は、俺を誘って外に出た。

空気は綺麗だ。きもちいい。あちこちに人の影が見える。
「朝は、泉で沐浴する人もいます。まあ、我々は、汚れないのでそんな必要は無いのですが、気分的に気持ちいいから、ということなのでしょうね」
泉の近くを歩いていると、確かに沐浴をしている天界人が何人かいた。みな、裸では無い。いつもの姿のまま、泉に入っている。例えば、もし、ギリシャ彫刻男が泉に入れば、彼はそのまま、ギリシャ彫刻男のまま泉に入ることになるのだ。
泉から上がってきた天界人は、どこも濡れていなかった。水が身体に着かない、ということはそういうことなのだ、と俺は納得したのだった。
「やぁ」
いきなり、ギリシャ彫刻男が言った。ちょっと離れた相手に手を振っている。
「ちょうどいい、友人を紹介しましょう」
そういうと、彼は俺を伴って手を振っていた相手のほうに向かった。
「おやおや、客人ですか? 珍しいですね。半透明ですよ。しかも、ジャケット姿だ。サラリーマンって感じですな」
そう言った相手は、なんと、ウルトラマンだった。その横に立っているのは、ウルトラセブンだ。今更驚かない、と思っていたが、さすがにこれには驚いた。
「おやおや、聞新さんが、ビックリしていますねぇ。まあ、そうかもね、こんなところにウルトラマンとウルトラセブンがいるんですから。ほほほほ」
「いやいや、ロマンですよ、ロマン。折角、どんな姿にもなれるんですから、ねぇ……」
「そうそう、子供時代の憧れですからね。残っている前世の記憶で、再現してみたんですが、どうですか? 本物に近いですか?」
俺は、ちょっと返事に困ったが「えぇ、まあ、いけてます」とだけ言った。

「改めて紹介しましょう。このかた、死人で聞新さんと言います。なんでも、あの世の取材をしているそうで、六道を廻っているんですって。で、地獄から廻ってきて、今は、天界を巡っているのだそうですよ」
そうギリシャ彫刻男がいうと、ウルトラマンとセブンは、「ほー」とか「それはそれは」とか首を縦に振りながら聞いていた。
「死人ってことは、肉体はないって事ですよね。この姿は、仮の姿ですか?」
「はい、まあ、そうですね。一応、与えられた姿というか……」
「なんか、神通力めいたものは使えるんですか?」
「いや、何も……。ただ、死人なんで、息もしないし、食べ物いりません。まあ、環境に適するような特権めいたものは与えられています。でも、まあ、ここは天界ですから、いい気で満たされているので大丈夫なんですが、皆さんと同じようにエネルギーを使いすぎると、動けなくなります。下手をすると消滅するらしいです」
俺の説明に、ウルトラマンとセブンは、へ〜、そういうものか、死人も大変だねぇ〜、などとブツブツ言っている。しかも、俺をつついて「スカスカだ!」とウルトラマンは叫んでいた。変な連中である。

「あ、あの、皆さん、前世の記憶はあるんですね?」
俺は、質問に転じた。このままでは、言いようにおもちゃ扱いされる。
「あぁ、ありますよ。でもね、初めからじゃ無いです。初めは、前世の記憶はないですよ。徐々に回復というか、思い出すというか、そんな感じで前世の記憶が蘇ってくるんですよ。ほんの少しずつね。で、神通力の修行をするようになると、次第に記憶が戻ってくるんですよね。もっとも、一回前の前世ですけどね。もっと修行がすすめば、更に何代か前の前世の記憶も蘇るかも知れませんけど。今は、前世だけだよな」
ウルトラマンの問いかけに、セブンもギリシャ彫刻男もうなずいている。この光景、めちゃくちゃシュールだ。
「ところで、なんでウルトラマンやセブンなんですか?」
との俺の質問に、二人は、待ってましたとばかりに、にんまりとした。聞いてはいけないことを聞いてしまったようだ。
「そりゃ、君、ロマンでしょ、ロマン。この姿で、飛びたいじゃないですか、シュッワッと」
「そうですよ、憧れですよ、憧れ」
そのあと、ウルトラマンとセブンは、どんなポーズで飛ぶかとか、あそこの山で旋回すると格好がいいとか、空を自由に飛び回って、天女をビックリさせるとかで、大いに盛り上がってしまった。

「あ、あの、ちょっといいですか?」
二人は、はい?という顔をして、俺の方に向いた。
「で、飛べるんですか?」
俺は素朴な疑問をぶつけただけだったが、どうもそうでは無かったらしい。二人は、がっくり肩を落として
「ほんの少しだけなんですよ。ふわふわと浮く程度ですかねぇ、恥ずかしながら」
「もっとエネルギーを、エネルギーをくれ〜」
「そんなことを言ってもね、仕方が無いですよ。ひたすら修行しましょう」
ギリシャ彫刻男の言葉に、ウルトラマンとセブンは、肩を落としたまま、「ですよねぇ〜」とハモっていたのだった。
「じゃあ、朝の修行とまいりますか」
ウルトラマンの言葉に、他の二人がうなずいた。どうやら、神通力の修行をするようだ。これは見物である。どんな修行をするのだろうか。

三人は、ちょっと小高い山の上まで移動をした。
「ここは、気が集まりやすいんですよ。修行にはもってこいの場所なんです。こういう所が、ここには点在しているんですよ」
どうやら、修行場所というのがあるらしい。そこは、気が集まっているから、エネルギーを節約できるのだろう。
三人は、その小高い山に登ると、適度な間隔を置いて座禅をしたのだった。
三人とも静かに座禅をしている。俺は、邪魔をしてはいけないと思い、少し離れた場所から見ていた。
すると、一人の姿が光り出した。ギリシャ彫刻男だ。彼が少し輝いている。輝きが増すと、身体浮き始めた。空中浮遊である。そのまま、ギリシャ彫刻男は、空中に浮き、とどまった。手をゆっくり伸ばす。次に足を伸ばした。伸びをするような姿になっている。彼は、ゆっくり身体を曲げると、横になった。そのまま、ふわふわと浮いている。以前、俺を蓮の池に案内してくれたときの飛び方だ。両手を伸ばす。彼はえい!と言って、気合いを入れた。すると、スーッと流れるように飛んでいるではないか。ずいぶんの進歩だ。彼は一回り飛んで、帰ってきた。
「どうですか?、以前より綺麗な形で飛んでましたよね」
「えぇ、随分、格好良かったですよ。しなやかでした」
「はぁ、もう少し長く飛べればねぇ……。おや、他のお二人はまだですかねぇ」
そう言った矢先、二人も突然、輝き始めた。次第に身体が浮いていく。まだ、座禅の状態だ。そこから、二人は、ゆっくりと手を伸ばした。次に、足も伸ばす。背伸び状態になる。そして、そのまま、横に回転を始めた。
背筋を伸ばしたまま、横になった状態で浮いている。さて、このまま、前に進めるのかどうか……。
「シュワッ!」
ウルトラマンが叫ぶ。続いて、セブンも「シュワッ!」と叫んだ。そして……彼ら二人は、10メートルほど進んで落下したのだった。

「の、伸びましたね」
「あぁ、伸びた。先日の倍は行ったな」
二人で、抱き合って喜んでいる。どうやら、以前より距離が伸びたようだ。ギリシャ彫刻男も二人にかけより、「格好が綺麗でしたよ、距離も出ましたね」と喜びあっていた。これが、彼らが今取り組んでいる神通力の修行なのだ。彼らは、まずは飛びたいと願っているのだ。
「大変ですねぇ、修行も」
俺は、三人に近付いて、そう声をかけた。
「そうなんですよ。これがね、なかなかキツくて。結構、エネルギーを消費するんです。うまく飛べるようになるには、まだまだですねぇ」
「この世界の天界人で、うまく飛べる人は結構いるんですか?」
「いや〜、ここは最下層ですからね。あの天女のように、気持ちよく飛べる人は、いないよねぇ」
その時、数人の天女が、たまたま空を飛んでいた。いったい、どこから来て、どこへ行くのだろうか?
「結構上から、たぶん、10番台だろうね、そこから来て、遊んでいるんですよ。修行をしている僕らを見て、笑っているんですよねぇ。天女もヒマだから」
「見せびらかしているんですよ、綺麗な飛び方を。フン!、天女め、いつかぎゃふんと言わしてやる!」
「そんなに興奮すると、寿命が縮まるよ。穏やかに、穏やかに、ね」
ウルトラマンをなだめるギリシャ彫刻男も、とてもシュールだった。

「空を飛ぶのはね、意外に難しいんですよ。どうしても、我々クラスじゃ、エネルギー不足になる。まあ、それでも、長くここにいれば上手に飛べるようにはなります。二つ上の天界に旅にいけるくらい、飛べるようにはなるそうですから」
あこがれだよねぇ〜、いいよねぇ〜、そうなれば、などと、ウルトラマンとセブンがつぶやいている。旅したいよね〜、上はどんなだろうね、などと会話が弾んでいた。
「この修行を何回も繰り返すんですか?」
「調子がいいときは、三回くらいするかなぁ。それが限度だよね」
「それ以上やると、身体がキープできなくなる。基本体系に戻っちゃうからね」
そうか、エネルギー切れてくるとウルトラマンの姿が維持できないのだ。しかし、そのエネルギーを神通力修行には回さないのだ。いや、それを言えば、「これはロマンだから」と返事が返ってくるに違いない。余計なことは言わない方がいいだろう。
「いつもはね、まあ、二回はするんだけど、なんだか今日は気が乗らないな」
「一回目で張り切っちゃったしね」
「そうだねぇ、じゃあ、散歩でもしようか」
三人は、うなずいて歩き始めた。その後ろを俺は着いていく。この光景……夜叉さんが、いつの間にかいなくなった理由がよく分かる。夜叉さんじゃ、着いていくのが困難どころか、発狂して彼らを殴り飛ばしそうだ。夜叉さんは、逃げたのだ。これが見たくなくて。

散歩をしながら、彼らは仲間の天界人に声をかけていく。そのたびに「この人は?」と聞かれ、俺は何度も紹介されることとなった。そのうちに、話が回っていったのか「あぁ、この人が」になっていた。まあ、その方が助かる。挨拶だけで終わるからだ。
「これでほぼ全住民と会いましたかねぇ」
「新人さんは、分からないですが、以前からの住人ならこれで全部ですよ」
「さすが、ギリシャさん、全員の顔を覚えているんですね」
「まあ、役目もありますから」
ギリシャ彫刻男は、ギリシャさんと呼ばれているらしい。じゃあ、ウルトラマンはウルトラマン、と呼ばれているのだろう。

彼らのおかげで、いろいろな住民と出会ったが、ほとんどの人が、変わった格好をしていた。多くはコスプレである。人気アニメやゲームのコスプレである。だが、みな、被らないようにはしていた。年代も、20歳代〜30歳代の感じが多い。男女の差は、同数くらいだろうか? 若干、女性のほうが多いかも知れない。ジェンダーフリーの人もいた。いわゆる、天女をイメージした女性は、少数派だった。男性も、古代の格好や、貴族風は、少なかった。というかほとんどいない。自由な姿ができるとなると、前世の記憶が蘇りしだい、アニメやゲーム、映画のコスプレに走るのだろう。そういう世代がここに生まれ変わってくるようになったのだ。天界も時代の変化に影響されるのかも知れない。
そんなことを考えていると
「そろそろ、修行の時間ですかねぇ」
「もう、そんな時間ですか?」
「じゃないかな、と思うんですが」
「ギリシャさん、時間には正確ですよね」
と言っていると、どこかで「カーン、カーン、カーン……」と鐘の音が鳴り始めた。
「ほら、やっぱり、ギリシャさん、すごいですね」
「これも、一種の神通力?」
「いやいや、カンですよ、カン。それよりも、遅れるといけません。修行場に行きましょう」
ギリシャ彫刻男は、二人をせかすようにそう言ったのだった。
「聞新さんも、修行に出られるといいですよ。いいお話が聞けます」
ギリシャ彫刻男は、俺を振り返ってそう言ったのだった。


修行場というか、法話会場と言った方がいいかも知れない。そこは、やや小高い丘の上にあった。丘の上は芝生のような緑の草で覆われていた。雨は降らないのだろう、そこには屋根などなかった。
「ここですよ。好きな場所に座ってください。私は管理の都合上、一番後ろの端に座りますが」
とギリシャ彫刻男は説明してくれた。ウルトラマンとセブンは、前の方へと進んでいった。結構な人数が集まっている。集まってくる天界人に、ギリシャ彫刻男は、挨拶を交わしている。
「結構な人数ですが、100人くらいですか?」
「そうですね、総勢で126人です。ここは少ない方ですね。そうですね、一番多いのは、きっと30番台〜28番目くらいじゃないですかねぇ。そもそも、天界に生まれ変わってくる者は多くないですしね。天界に生まれ変わって、その人の徳次第で生まれ変わる階層も変わってきますし。20番台でも上位になれば、元々いた天界人の数のほうが多くなりますから。まあ、実際に見たわけではないですよ、聞いた話です。法話界の時にね。ほぼ、全員集まりましたねぇ……。あぁ、やはり、一人欠席ですか。困ったものです」
「欠席の常連でもいるんですか?」
「はぁ、一人ね、いるんですよ。注意はしているし、誘ってはいるんですけどね、『わしはいいんじゃ』と言われるだけでね、法話会に参加しようとしないんですよ。困ったものです。そのうちに、罰が当たると思うんですけどねぇ」
それは、修行をサボっていることになるのだろうと、俺は思った。修行をサボればどうなるのか。はっきりしたことは分からないが、いずれ天界を追われるのではないだろうか? たとえ、子孫からのエネルギー、つまり供養があったとしてもだ。
「さぁ、法話会が始まりますよ。今日は、僧侶の方ですね」
法話会場というか修行場というか、そこの奥の中央にお坊さんが立っていた。年齢的には、50才代あたり見える。もっとも、こっちの世界では、実年齢などない。見え方もひょっとしたら各人それぞれ違うのかも知れない。若く見える人もいれば、中年に見える・老僧に見える、という人もいるのだろう。天界は、イメージの世界でもあるからだ。
「今日は、私が法話を担当します。このように、お坊さんではありますが、一応、声聞界から来ております。はい、六動輪廻から解脱しております。まあ、言う必要はないことですね。解脱していないと、法話はできませんから。なぜ、わざわざ、皆さんが知っていることを申し上げたかというと、本日は、特別なゲストさんがいらっしゃるようだったので、説明をいたしました。え〜っと、聞新さんでよろしかったでしょうか?」
急に振られて、俺は戸惑ったが、「は、はい、そうです」と答えた。
「聞くところによりますと、現世から見たあの世の取材をしているとか」
「はぁ、何の因果か知りませんが、知り合いの僧侶のおじいさま僧侶に命令、否、頼まれて取材をしております」
「その僧侶の方は、よく知っております。弘法大師様のお使いをなさっております。立派な方ですよ」
やはりそうなのか。ただ者ではないと思っていたが、弘法大師のお使いしているとは……。

「さて、前置きはこのくらいにして、お話を始めます。あぁ、今日も欠席者が一人降りますね。毎回、同じ方ですね」
そう言ったとき、あちこちから「大ちゃんだ」、「大ちゃん、またサボっているんだ」、「ギリさんがいくら注意してもダメなんだって」、「そのうちバチが当たるんじゃないか?」と言う声が聞こえてきた。どうやら、毎回法話会をサボっているのは、大ちゃんと皆から言われている人らしい。どんな人物なのか?
「困った方ですね。ギリシャさん、何か聞いておりますか?」
「はい、いつもは法話会に誘うのですが、今日はその・・・」
「それはいいのです。その者から、何か聞いているかどうかを尋ねているのです」
「はい、法話会の後、家を訪問するのですが、いつも『わしはいいんじゃ。甥っ子が、あちこちのお寺に寄付して徳を積んでくれておるおかげでね、力も満タンだがね。ま、こうやってのんびり暮らしていければ、わしはええんじゃ』と言う始末で……。私も『のんびりって、修行はしなきゃダメですよ。せめてその甥っ子に礼を言えるような神通力を身につけたらどうですか?』と注意をしているのですが『ええのええの。あれは、わしのおかげで今の地位にいるんだから。むしろ、わしに感謝せにゃいかんの』とばかり」
「やはり、困った方ですね。いいですか、皆さんもよく聞いてください。皆さんは、こうして修行の場に来られていますから大丈夫だと思いますが、この修行に参加しないと、天界での義務が果たせません。現世では、まずは働くことが義務でした。働かない者は、畜生道に落ちてしまいます。皆さんもよくご存じだと思います。この世界でも、それは同様なのです。修行をサボれば、いくら甥っ子が徳を積んで、そのおこぼれをもらっているからと言っても、そのうちにその道は閉ざされます。つまり、甥っ子からのエネルギーは遮断され、消費するだけになってきます。そうなれば、どうなるか分かりますよね?」
「じゅ、寿命がくるのですか?」
前のほうで誰かがそう言った。
「その通りです。ここは、天界でも最下層です。随って、寿命も長くはありません。ましてや、現世からのエネルギーが遮断されれば、それは直接、寿命に関わってきます。忘れてはいけません。この世界も輪廻の世界の一部なのです。それも、最も落ちやすいという危険を持っている場所が、ここなのです。甘い考えは持ってはいけません。まあ、ここに参加している方々は、重々承知していると思います。なお、ご存じとは思いますが、この法話会に参加すれば、エネルギーもいただけます。御仏からの慈悲のお授けですね。だからこそ、法話会には参加して欲しいのですが……」
「今日、お聞きした話を大ちゃん、あっ、言っちゃった、まあいいか、みんな知っているし……に伝えます。それでもダメなら……」
「仕方がありませんね。放っておきましょう」
そこで、大ちゃんなる、困った天界人の話か終わり、法話へと入ったのだった。

法話は、佛教の基本的な話が中心だった。諸行無常にはじまり、四苦八苦の話が多くを占めていた。特に四苦八苦でも生老病死苦ではなく、愛別離苦・怨憎会苦・求不得苦・五蘊盛苦についての話が主だった。
確かに、この天界も六道輪廻の世界だから、欲は結構残っている。欲があるからこそ、空を飛びたいとか、こんな姿をしたいとか望むのだ。欲がなければ、そんなことは思わないだろう。そして、そこに執着すれば、苦が生まれることもあるのだ。ギリシャさんやウルトラマンやセブンのように、明るくのんきにやっているうちはいいのだろう。それがムキになったりすれば、苦が生まれるのだ。天界だからといって、その危険がないとは言えない。また、天界でも、相手の好き嫌いはあるのだろう。ウルトラマンの姿が嫌いな者もいるのではないかと思うし、ギリシャ彫刻の姿を滑稽に思い、バカにしている者もいるのではないかと思うのだ。まあ、アニメやゲームのコスプレ系が多いから、スルーする人が多いのだろうけど。寿命については、誰もが恐れているようだし、そこはタブーな話になるのかも知れない。いくら寿命を延ばそうとしても、無理なときは無理なのだし、そこに苦が生まれるのだろう。今のところ、血気盛んな人や精神的に病んでいるような人には会ってはいないが、中には、性的欲求不満を抱えている人もいるかも知れない。隠しているだけで……。
天界も欲の世界の一部だし、輪廻する世界でもあるのだ。だからこそ、四苦八苦は忘れてはいけないのだろう。
法話が終わって、僧侶が俺に近づいてきた。そして、
「さすがにいろいろな世界を取材されてきただけのことはありますね。あなたの解釈の通りです。あぁ、夜叉殿からの伝言です。『楽しく取材してろ。そのうちに、また付きあってやる』とのことでした。仲のよろしいことで。夜叉殿は、閻魔大王の下で、休んでいますよ。それなりに彼も疲れていたのでしょう。今は、休まさせておやりなさい」
と教えてくれた。そう言い残し、僧侶の方は空へと浮かび、スーッと消えたのだった。

「いいお話でした。そうなんですよね、ここで暮らしていると、諸行無常や四苦八苦のことは、ついつい忘れてしまうんですよね。ダメなことなのですが……」
「いやいや、現世なんて、もっとひどいですから。坊さんが、そういう話を説かないし、聞く人も少ないですからね。妙な胡散臭いスピリッチャルな話はもてはやされるんですけどね」
「そんなものですか。やるせないなぁ……。まあ、それはともかく、修行に励めばいいという話なので。問題は、大ちゃんなんです。はぁ、気が重い。ま、今日の話をするしかないですね」
「これから行くんですか、その大ちゃんとか言う人のところに」
「えぇ、行きます。私一人でね。聞新さんも行きますよね?」
ギリシャ彫刻男は、どこか俺に救いを求めるような目でそう言った。
「はぁ、もちろん、ギリシャさんがいいと言うのなら、ぜひお付き合いしたいです」
「私もその方がありがたい。皆さんに声をかけたのですが、誰もが嫌だとうんですよ」
「そんなに頑固な人なんですか?」
「まあ、それもありますが、どうもねぇ、女性を見るとその……色目を使ったり、セクハラめいたことを言ったりしたりするんですよね。本当に困った人で、まあ、いわば昭和の悪い人代表のような……」
大方それで俺は理解できた。昭和の威張ったオジサンなのだろう。俺たちのおかげでこの国の繁栄はある、と勘違いしている団塊の世代のジジイたちなのだ。やっかいな人物なのは理解できる。
「ギリシャさん、伝言でーす」
と言って目の前に表れたのは、とても美しい天女だった。
「帝釈天様からの伝言です。あら、あなた聞新さんでしょ。噂は聞いているわよ。ねぇ、取材が終わったら、天界に来るんでしょ。どこに生まれ変わるかは知らないけれど、また会いましょうね。うふっ!」
おいおい、そんな顔をされ、うふっ!なんて、そりゃもう、男として天にも昇る気分だろう。俺はしばしボーッとしてしまった。
「じゃあ、ちゃんと伝えましたからね。はいさようなら〜」
そう言って天女は、去って行った……らしい。というのは、俺はギリシャさんに声をかけられるまで、のぼせ上がっていたからだ。
「聞新さん、聞新さん、あぁ、聞新さん、天女の魅力にやられてしまいましたね。気をつけてください。男性の天界人は、みんなアレにやられるんですよ」
「ア、アレって」
「天女の、うふっ!」
「あー、アレですか。アレはいったい……」
「あれはね、我々最下層の天界人を修行させるためにあるんです。ちなみに、女性用・ジェンダーフリー用、など天女がそれに応じて変身して「うふっ!」をするんです。そうすれば、励ましになるでしょ。天女のいる上を目指そうって」
なるほど、女性やジェンダーフリーの人は、もちろん天女ではないのだろうが(どう言えばいいのか? 天女でないなら天男か? あぁ、神々でいいのか)、ここの住民をいい意味での誘惑で、この上を目指すように励ましているのだ。
「じゃあ、その大ちゃんですか、その人も天女が釣ればいいんじゃないですか?」
「そうなんですけどね、その大ちゃん、天女にも嫌われているようで。ある天女が言っていたんですが、キモいと。すぐわしの女にならんか、と言ってくるのだそうです。で、私をものにしたいのなら、上を目指せ!といったらしいですが、ならいらん。と言われたそうで……ここにも女はいるからな、と」
その話を聞いて、大ちゃんたる者が知れたような気がした。そりゃダメな人間でしょ。
「そんな人間が、よくここに来られましたね」
「そうなんです。どうやら、その甥っ子が、すごい徳積みをしているらしく、そのおこぼれでここに来たんですよ。そういえば、池を流れてくる蓮の花タクシーも、半分腐ったような感じがしてましたから、怪しいとは思っていたのですが、ここまでとはねぇ」

話しながら歩いていると、前方に垣根に囲まれた純和風の、平屋の家が見えてきた。立派な門が見える。その門を俺たちはくぐった。庭もたいしたなもので、結構広く、松や桜、梅、紅葉などが植わっていた。そして、その家の縁側には、大ちゃんと呼ばれる人物があぐらをかいていた。高級そうな和服に身を包んでいる。姿は、ややでっぷりとした、60歳代後半のジイサンである。横には、お茶(おそらくは)とまんじゅうが置いてあった。
「なんじゃ、くそ気持ちの悪いギリシャか。何しに来た」
「今日も修行に来られませんでしたね」
「あんなものには、わしはいかん。歌舞伎なら見に行くがな。がははは。そもそも、わしに修行は必要なかろう。甥っ子が、たっぷりわしにエネルギーを送ってくれるからのう」
「そのことですが、どうやらあなた、大ちゃん、何か勘違いをされているようで」
「勘違いじゃと?」
「はい、今日、法話会で、あなたのことが取り沙汰されました。修行を怠ると、痛い目に遭うと。そして、先ほど帝釈天様からの通知を受け取りました」
「た、帝釈天様からの通知じゃと?」
「あまりよくないお知らせです」
そう言われた大チャンは、ようやく顔に緊張を浮かべたのだった。


「た、帝釈天様から、よくない知らせだと……」
大ちゃんは、顔面蒼白でそう言った。
「まあ、仕方がないですよねぇ、修行をサボっていましたから。当然ですよねぇ。まあ、黙って聞いてください」
ギリシャ彫刻男は、意外にも冷たくそう言い放った。「いいですか」と彼は言うと、左手を差し出した。すると、仰向けにした掌に、巻物のようなものが現われた。
「帝釈天様、こういう演出、好きなんですよ」
彼は、右手で巻物を取るとヒモをほどき、巻物を広げ目の前に掲げた。
「天界名大ちゃん、汝に告ぐ。汝は、この天界に来て以来、修行を怠り続けている。甥がエネルギーを供給してくれるという立場に甘んじ、一向に努力をしない。それは、天界での最も重要な戒律違反である。よって、今後もこの状態が続くならば、天界から追放を命じる。行き先は、最大重要戒律違反故、最悪の場所になる。覚悟しておくように。なお、甥からのエネルギー供給は、遮断しておいた。以上、帝釈天」
いつの間にか、大ちゃんの家の周りには、大勢の天界人が集まってきていた。みんな、帝釈天様がどう判断したのか、気になったようだ。
「さて、大ちゃん、どうしますか? あとは、あなた次第ですが」
「い、今のままでは、ここにいられないということじゃな。しかも、その文章だと、追放先は、ぢ、地獄……のようじゃ。甥からのエネルギーもなくなる。あぁ、なんってこった。わしは、図に乗りすぎたようじゃ……。次回からは、修行に参加します。御法話を聞き、修行に励みます。わしが、間違っておったようじゃ」
大ちゃんは、そういうと、土下座したのだった。その時
「セクハラもやめてよね!」
と集まった天界人から、そう声が上がった。
「そうそう、それだけじゃなく、威張るのもやめて!」
「そうだ、偉そうな態度するなよ!」
「キモいんだよ、昭和のオヤジ!」
と、次々、罵声が上がったのだった。
「あぁ、わしは、そんなにも嫌われていたのか。あぁぁぁ」
大ちゃんは、頭を抱えて嘆いたのだった。
「まあまあ、皆さん、本人も反省しているようですし、ここはちょっと様子を見ようじゃないですか」
ギリシャ彫刻男がそういうと、次第に文句の声は収まっていった。さすがに、この世界のリーダーをしているだけのことはある。
「いいですか大ちゃん。明日から、ちゃんと修行の会に出席してくださいね。皆さんも、彼の態度をこれから見ていきましょう。そういうことで、帰りましょうか」
集まっていた天界人も、バラバラと帰り始めた。全員が帰るのを見届けると
「人間界を生きていた時のようには行かないんですよ。人間界での身分はここでは通用しません。それを理解することです。では、明日の修行会で」
ギリシャ彫刻男は、そう言って頭を下げると、「帰りましょう」と俺に言い、歩き始めたのだった。歩きながら、振り返ってみると、縁側で大ちゃんは頭を抱えてうずくまっていたのだった。

「さて、これからどうしますか?」
いきなりギリシャ彫刻男が俺に尋ねてきた。
「あぁ、何も決めていないんですよ。夜叉さんも休んでいるらしいし(絶対嘘だと思う)。予定はないですが、大ちゃんが、ちゃんと修行に参加するか確認したいですねぇ」
「じゃあ、またうちに来てください」
「迷惑じゃないですか? 私なら、霊体ですからどこでも休めますよ」
「私も寝ることはしなくても大丈夫です。その必要がないですからね。私もこの世界は長いですから、寝るなんて新人のようなことはしません。ですから、差し支えなければ、うちに来てください」
「じゃあ、お言葉に甘えてお世話になります」
そういうことで、その日も俺はギリシャ彫刻男の蓮華ハウスに世話になることになった。
部屋に入り、椅子に落ち着くと、彼は天界の酒を飲み始めた。
「私のような仕事は、得点になるんですよ」
彼は、お酒を一口飲むと、いきなり話し始めた。日頃、話せないことを俺に語りたかったのかも知れない。彼には彼のストレスがあるのだろう。
「結構しんどい仕事ですが、子孫からのエネルギー供給が少ない私にとっては、重要なエネルギー源にもなっているんです」
「この世界のリーダーですからね、そりゃ結構しんどい仕事でしょう。今回のようなこともありますしね。もめ事とかあれば仲裁もするんですよね?」
「まあ、ごくまれですが、もめ事もあることは確かです。天界に来てまで、揉めることはないと思いますが、人間はね、どこまで行っても愚かな生き物ですね、そう感じますよ」
それは俺も同じ思いだ。いろいろな世界を見てきたが、おしなべて言えることは「人間は愚かだ」と言うことである。なぜ、もう一歩考えないのだろう、とそう思うことが沢山ある。こういう行動をしたら次はどうなるか、と言うことをなぜ想像あるいは考えないのか、と思う。もう一歩、もう一歩だけ考えや想像を巡らせば、悪い結果にはならいのに、と。
「天界に来てまでも、愚かな行為をする者は、いるんですよね。その愚かさから抜け出すために修行があるのですが、身につくまでは時間がかかりますね」
彼はそう言うと、大きくため息を吐いた。ふと、俺は思った。意外にギリシャ彫刻男さんは、こんな最下位の天界にいるような立場じゃないのではないかと。
「ギリシャさん、本来なら上の階層にいけるんじゃないですか? ひょっとして、わざとこの階層にいるんじゃないですか?」
俺がそう言うと、彼は顔を上げ、俺に目を合わせた。そして、かすかに微笑むと
「実は、もう随分前から、といっても時間の概念が人間界と違うので、何日前とか言えないのですが、前々から天女を通じて、帝釈天様から二段階上の階層に来ないか、と誘いは来ているんです。あぁ、帝釈天様は、このトウリ天のすべての天界人を把握しています。人事も決めます。すごい神通力の持主なのですよ、帝釈天様は」
帝釈天の神通力にも驚いたが、ギリシャさんが、上に上がるようスカウトされているのにも驚いた。
「帝釈天様ってすごいんですね。このトウリ天にどれだけ天界人がいるのか知りませんが、それをすべて把握し、人事もまでも決めているとは……。一人ですべて仕切っているんですか? 部下とか使わずに?」
「帝釈天様には、千の眼がありますからね。同時に千のことが見え、千のことが考えられるのですよ。今では、阿修羅との戦いもないですから、トウリ天の管理に集中できるのだそうです」
「その帝釈天様から二段階上に上がらないかと誘いが来ているんですよね?」
「はぁ、まあそうなんですが……」
「何を迷っているんですか? やっぱりエネルギー源のことですか?」
「それは大きい悩みですね。うちの子孫は、年に一回しか供養をしてくれません。まあ、それでも供養をしてくれるだけマシなんですが……。祥月命日だけの供養では、正直なところ、修行ができていない私には、辛いところではあります。ですが、それは私の修行が進めばなんとかなる問題です」
「じゃあ、ほかに悩んでいることがあるんですね?」
「そうなんですよねぇ。ぶっちゃけて言えば、自信がないんですよ。せめて、スイスイ飛べるくらいの神通力が使えれば、少しは自信になるのかも知れませんが……」
もともと、人間界にいたときから、彼は生真面目なのだったのだろう。小心者で、コツコツ仕事をしていかないと気が済まないタイプなのだ。それでも、自信が持てない……日本人サラリーマンに、よくあるタイプだ。欧米人ならば、当たり前の仕事を当たり前にこなしているだけで、自信満々になるのだが、日本人の多くは小心者なのである。
「二段階上がっても、飛べない天界人だっているんじゃないですか?」
「そりゃまあ、そうかも知れません。実際、天女にも聞いたことがあります。私レベルの天界人もいますよ、少数派ですが、といっていました。ちょっと意地悪でしょ、天女って」
そうだ、わざわざ「少数派」なんて言わなきゃいいのに、と思う。そんなこと言われれば、躊躇するのは当然だ。
「それにね、ここは最下位層だから、楽なんですよ。まあ、それに甘んじている、自分も情けないですが……」
そう言うと彼は、再び大きなため息を吐いたのだった。

「すみません、愚痴っぽくなってしまって」
「いや、大丈夫ですよ。私にとっては、天界人の本音や悩み事を聞くのも仕事ですから」
「そうなんですか。あぁ、取材ですもんね。というと、これは一種のインタビューなんですかねぇ」
「そうですね、インタビューです。人間界風に言えば、『私、聞新が最下層の天界の管理者にインタビューする』と言ったところですね」
「あぁ、そういうの面白いですね。じゃあ、インタビューに応じて、話しちゃいましょう」
「ぜひ、ぶっちゃけトークでお願いします」
そういうと、ギリシャ彫刻男は、少し微笑んだのだった。
「そう楽なんですよ。仲間もいい人たちばかりですしね。確かに管理の仕事は忙しいですが、でも人間界にいた時ほどじゃない。新しい生まれ変わりの人が来たら、自動的にお知らせが届きますし、何かもめ事があれば、それもお知らせが来ます。どれだけ遠くにいても、すぐに駆けつけられる力もあります。まあ、だいたいやることは決まっていますし……楽なんですよねぇ。楽な上に、得点がもらえる。エネルギーも与えてもらえる。でも、それもこの最下層にいるからできることなんじゃないかと……。上に行ったら、もっと厳しいんじゃないかと、そう思うんですよね。今の自分じゃあ通用しないよって心のどこかで叫んでいるんですよね」
「まあ、当然上に行けば、役職もなくなりますしね。そうなれば、余分にもらっていたエネルギーももらえなくなりますよね」
「そうなんですよ、そこなんです。悩ましいところです。上には行きたいのですが、果たしてやっていけるのかどうか……。たかが、33から31になるだけのことなんですが、その差が大きく感じられるんですよ」
彼はそういうと、三回目の大きなため息を吐いたのだった。

「ギリシャさんは、31階層のことをもう少し知りたいんですよね?」
「そう……なんですよ。できれば、31階層の人たちがどんな様子なのか、こことあまり変わりないのか、もっと進んでいるのか、それが知りたいんですよね」
「私が見てきてあげましょうか?」
「えっ?、それは本当ですか?」
「まあ、私は取材者ですから、自由なんですよ。あっ、でも、どうやって行けばいいのかな?」
「あぁ、そうですよね。聞新さんでは、上の階層に行く手段がない」
「いや、そこは夜叉さんに頼むしかないな。まあ、なんとかなるでしょう。夜明けを待ちましょう」
そうして、あとは、二人でとりとめの無い話をして過ごした。やがて、夜が明けてきた。

俺とギリシャさんは、綺麗な芝生まで歩いてきた。
「さて、夜叉さん、聞こえているかな? お願いです夜叉さん、俺を31階層まで連れて行ってください。あとは、一人でなんとかしますから」
俺は、そう言って一心に願った。しかし、夜叉さんからは、何の返事も無かった。
「う〜ん、聞こえているはずなんだけどなぁ……」
よほどこのギリシャ彫刻男が嫌いらしい。困った、エラそうなことを言った手前、後には引けないし……。
「聞新さん、もういいですよ。きっと夜叉さんも疲れているんですよ。大丈夫です。私にもう少し自信がつくまでここで修行に励みますから」
「あぁ、いや、どうもすみません、エラそうなこと言ってしまって。申し訳ないです」
その時だった。
「お困りですか?」
とかわいい声でそう言いながら、突如、天女が現れたのだった。
「な〜に驚いているんですか、聞新さ〜ん」
俺は、この天女が苦手だ。天女の魅力とか言うモノに簡単にやられてしまう。
「いや、聞新さんが31階層にどうやって行くかを話し合っていたんですよ」
俺がボーッとしている間にギリシャ彫刻男が、いきさつを話していた。
「あ〜ら、だったら私が連れて行ってあげるよ。簡単なことじゃ〜ん」
俺は、後ずさりしながら「あ、いや、それはちょっと、滅相もない」などと訳の分からないことを発していたようだ。やがて、俺は芝生の上に座り込んだ。霊体のくせに。

その時だ。
『いいじゃないか、連れて行ってもらいな』
と夜叉さんの声が頭に響いてきたのだった。
『俺はもう少し休みたいんでね。31階層をその天女とデートしてくればいいんだよ』
「な、なにを!」
『まんざらでもないくせに。まあ、固いこと言うなよ。行ってこい。あはははは』
絶対、楽しんでいる。くっそ! そうだ、俺は霊体だ。天女と同じようなものだ。相手を女性だと意識するからいけないんだ。俺も天女も霊体だ。同じレベルだ。ならば、大丈夫だ。うんうん、なんともない。よし、天女の妙な魅力にも慣れてきたぞ。
「聞新さ〜ん、どうしたんですか? さっきから黙ってしまって〜。それじゃ、ちゃんと取材できませんよ」
その声がした方に俺は顔を上げると、天女が俺をのぞき込んでいた。
「うわー!、び、ビックリした。やめてくださいよ、からかうのは」
「からかってませんよ、聞新さんがおかしいんですっ!」
「わ、わかりました、わかりました。はふ〜」
俺は、大分落ち着いてきた。霊体のくせに息を整えるような感じだった。大きく深呼吸してみた。よし、大丈夫だ。気合いを入れて、俺は立ち上がった。
「よしっと。では、天女さん、私を31階層に連れて行ってください」
と俺はきっぱり言ったのだった。


「うふふ、よ〜し行っちゃおう」
天女は、そう声高らかに言うと霊体であるはずの俺の腕に手を絡めてきた。
「えっ、どうして? すり抜けるはずじゃ」
「そうね、普通は、あなたのような霊体はすり抜けるんだけど、どうやら天界の影響を受け始めたようね」
「天界の影響?」
「ギリちゃんに聞いてなかった?」
この天女、ギリシャさんのことをギリちゃんというのか、と妙なとろこに感心してしまった。なんと軽いノリであることか。まるで、現世の女子高生並みだ。
「聞いてなかったって、どういうことですか……」
「この天界は、確かに人間界と違って肉体を持ってはいないよ。けど、それに変わる肉体を持っているの。基本的には霊体だけど、ちょっと特殊な肉体があるのね。だから、いろいろな物に触れることもできるし、物を持ち上げることもできる。触れる感覚があるわけ。普通に、人間界にいたときと同様の働きが、身体でできるのよ。まあ、無いのは、生殖行為くらいかな。あははは」
天女の最後の言葉は、とりあえず俺は無視して
「あぁ、それでさっき尻餅をついたとき、本当に尻餅をついた感覚があったんだ」
「そう、そろそろ聞新ちゃんも、こっちの影響を受け始めているのよ。肉体があるような感覚が戻ってきているの。だから、こうして腕を組むと人間界にいたときと同じような感覚になるのよ。うふふふ。なに赤くなっているのよ」
いや、そりゃ、赤くはなるだろう。死んでからこっち、女性と腕をくんだ感覚は無くなっているのだし、その際、胸が腕に当たる感覚も久しぶりだし、おまけにこの天女、巨乳だし。そりゃ、肉体の感覚が戻ってきていたら、赤くもなるものだ。まだ、それ以上、興奮していないのが救いか。
そういえば、先ほど、天界では生殖行為が無いといっていたが、それはどういうことなのか? 気持ちが落ち着いてきたので、そのことを聞いてみた。
「さっき、その、え〜っと、天界では生殖行為が無いとか言ってましたが……」
「そう、無いのよ、天界ではね。だから、誰も生殖器は持っていないよ。その必要が無いからね。天界人は、え〜っと、ハグだね、そうハグするだけで、生殖行為をしたときと同じ快感を得られるのよ。便利でしょ。うふふふ」
天女は、何やら怪しい眼で俺を見てきた。イヤイヤイヤイヤ、そんな誘惑には乗らないぞ。ここで、「じゃあ、ハグしてください」なんて、口が裂けても言わないぞ。
「そ、そうなんですか。それは便利で……。じゃあ、相手と場所を選ぶのも大事ですね」
「う〜、そうね。階層の低い天界じゃ、そんな感じだけど、まあ、そんな余裕もないしね。階層が上に行けば行くほど、結構オープンかな」
天女は、首を少し傾けながら「そうね、階層も10番台になると、オープンね」などと言っている。と言うことは、そこら中で、ハグし合っているということか?
「でもね、人間がその際に受ける興奮とはちょっと違っているのよ。もっと上品よ。動物的ではないな。こっちから覗いて見るとさ、人間のその行為の興奮とか、後の様子とかは、なんていうか野性的でしょ。天界人はそんな事は無いわ。汗なんてかかないし、あんな興奮の仕方じゃないし……。まあ、体験しないと分からないかも知れないけどね」
そう言って、天女は、また怪しい目で俺を見てきた。イヤイヤイヤイヤ、その手には乗らないぞ、まあ、何でも経験しないといけないのが記者ではあるのだが、今ここでとなると、それはまずいだろ。やはり順番とか、雰囲気とか、そういうものも大事だし。
「へぇ〜、そう言うものですか。じゃあ、そのうちに俺も経験してみますよ。じゃあ、早速、31階層に行きましょうか。ギリシャさんも報告を待っていることでしょうし」
俺は、何とかごまかしてみた。天女は「ノリが悪いな誰も見てないのに」とブツブツ行っていたが「じゃあ行くよ」と言って、俺の腕をとったまま、空中に浮いたのだった。

まるで、雲に乗っているような、そんな気分だった。夜叉さんの神通力で、一人で浮いたときとはまた違った感覚だ。
「一応ね、二人で浮くから、私の神通力の節約のために筋斗雲を呼んだの。眼には見えないけど……ちょっと見えるようにしてみようか、その方が楽だし」
と天女が言っているそばから、俺の周りには雲が浮き出てきた。
「これが筋斗雲……。ドラゴンボールにでて来たのとそっくりだ」
下を覗くと、33階層の天界人たちが、あちこちうろうろしているのが見える。散歩なのか、歩きながら修行をしているのか……。あぁ、あれはウルトラマンさんとセブンさんだ。二人で飛ぶ練習をしている。そんな姿があちこちに見られたのだった。
「いい眺めでしょ。まあ、昔は人間界でもよく飛んでいるところを見られたからね。今じゃ、見えないようにしているし、まあ、飛ばないよね。空気が汚れたからね。たまに飛んでる物好きもいるけど、人間は気がつかないよね」
天女は、ブツブツ言っている。その間に筋斗雲は、徐々に上昇し始めた。
「こんな便利なものがあるなら、ギリシャさんたちも使えばいいのに」
「それが残念なことに、この筋斗雲を使うには、資格がいるの」
なるほど、そういうことか。何か、条件が必要となってくるわけだ。おそらく、天界でのレベルの問題だろう。
「そう、筋斗雲を使えるのは、このトウリ天の一桁台の天界人だけに限定されているのよ」
一桁台!、まだ遥か先だ。と言うことは、このちょっとふざけた天女も一桁台の天女なのか。
「失礼ね、これでも一桁台にいるのよ。端っこだけど」
はしっこかい!、と突っ込みたかったが、俺は何とかこらえた。
「端っこだから、徳を積んで上を目指さないとね、長老のババア天女に怒られるし。あっ、ババアなんて言っちゃった、聞こえてませんように」
天女は、あわてて合掌して頭を下げている。天女は天女で、いろいろと苦労があるものらしい。

「まあ、そんなことはいいわ。怒られたら謝れば済むことだし。話を戻すとね、階層を抜けるとき、ちょっと厚めの空気の層みたいのがあるのよ。人間界で言えば、成層圏みたいなものね。で、その中にトンネルがあるの。上に行くトンネルと、下に行くトンネルね。それを通して、自由自在に階層を移動するの。まあ、地面から湧き出るってことも可能だけど、天女は空を飛ぶってイメージがあるでしょ。だから、空気層のトンネルを利用するの。菩薩様クラスになると、そんなトンネルなど使わずに、地面から湧き出たり、空から表れたりと自由自在だけど、まあ、私たちはそんな力も無いし、天からのほうが神通力の節約にもなるしね」
天女でも、神通力の節約を気にするのだ。このトウリ天の一桁台にいる天女すらも。そうか、天女ともなれば、活動範囲も広くなるのだろう。何か活動して、徳を積まなければいけないようだし。天女も働いているのだ。そのために神通力の節約も必要となってくるのだろう。
「わかっているじゃない。私たちも忙しいのよ。さぁ、空気層にっ込むわね。と言っても、成層圏に突っ込むようなことはないけどね」
その言葉を合図に筋斗雲は勢いよく上昇したのだった。

何か空気が変わった、という感じがした。そう思って下を覗いて見ると、もう33階層の天界は見えなかった。周囲は濃い霧に包まれているようだった。その霧の中に光っている丸い物が見える。それがどうやらトンネルのようだ。筋斗雲は、真っ直ぐその光に突っ込んでいった。
あっという間だ。急に周囲が明るくなると、俺と天女が乗った筋斗雲は、空に浮いていた。
「まあ、まずは、上から眺めてみようか。33階層と31階層の違いをね」
そう天女が言うと、下を眺めやすいように、筋斗雲の一部が透明化した。足下が透けて見える。それはそれで、ちょっと怖かったが、俺は死んでいる状態だから、落ちても死なないのだ。そう思えば恐怖もなくなる。
ゆっくり、下の状況を眺めてみた。天界人の人数は多くはない。33階層とそう変わりはなさそうだ。人々の動きも、似たようなものだ。33階層と同じように、あちこちで修行に励んでいる。少し異なるのは、上手に空中を飛んでいる人たちが多いと言うことか。それでも、まだ上手に飛べずにいる者もいるようだ。そういう姿を見れば、ギリシャさんでも安心できるだろう。
「そんなに変わらないでしょ、33階層も31階層も。彼のレベルなら、31階層でも通用すると思うんだけどね。彼は、真面目だし」
「こうしてみると、そんなに変わらないですが、奇抜な格好の人は少ないですね。33にいるウルトラマンとかセブンとか、まあ、ギリシャさんもそうですが、全体的に落ち着いた感じの姿が多いですね」
「それも、神通力の節約だよ。外見に凝る必要は無いし、その分、ほんの僅かな神通力でも飛ぶ方に回すとか、他の神通力に回すようにしているんだよね。じゃあ、下に降りてみようか」
筋斗運が徐々に下がっていった。どんどん地面が近付くと、ふと足下が抜けるような感覚がした。「落ちる!」と思った瞬間、俺は地面に立っていた。腕はしっかり天女に捕まれている。

「天女さんだ」
「天女だ、天女がなぜ?」
と言いながら、近くにいた天界人が集まってきた。
「あぁ、ちょっと皆さんに聞きたいことがあって……。え〜っと、この階層の代表者はいる? 本来なら、私が来たことを真っ先に気付いていないといけないんだけど」
「あぁ、代表の修功さんなら、また落ち込んでいるのかな」
「サボっているだけだよ。あの人は、すぐに怠けるから」
集まっていた天界人たちは、その代表をディスり始めていた。どうやら、評判は悪いみたいだ。
「あ〜すみません。これでも目一杯飛んできたんですが、遅れました」
集まっていた天界人を押しのけ、修功と呼ばれていた代表者が来たようだ。その姿は、まあ、他の天界人と若干異なっていた。
まずは、見た目が悪い。天界人にしては、少々不潔感がある。外見も、格好はインドの修行者のような布を身体に巻き付けている風なのだが、ちょっと汚れているように見えるし、何だかだらしない。
そういえば、やはりこの階層では、奇抜な格好をした物は少なく、全体的に修行者風の姿が多い。男性では、布を身体に巻き付けたような者からお坊さん風の和装の修行者と言った者、山岳修行者のような姿の者が多い。女性は、主に天女風の姿をしている。巫女さんのような者もいた。多少、コスプレの女性がいる。そのコスプレも奇抜さはなく、和風が多い。階層を2つ上がっただけで、そこの住民の落ち着き度が変わってくるのだと、俺は思った。33階層に比べると、何となく落ち着いているのだ。何というか、33階層は、まだ子供っぽいのだ。そう、はしゃいでいるという感じがするのだ。まだ、天界の空気に慣れていないせいもあるのだろうが、全体に落ち着きが無い感じがするのだ。これは、比較してみないと分からないことだ。なるほど、ギリシャさんの不安もそういう所にあるのだろう。

「相変わらず鈍いよ、修功さん。あんた代表なんだから、すぐに来なきゃ」
集まっていた天界人たちは、あちこちで文句を言っている。
「はぁ〜すみません。まあ、俺としちゃあ、そんなに文句が出るんなら、いつでも変わって欲しいんですけどね。好きでやっているわけじゃないし。誰か変わってくれませんか〜」
修功とばれた代表者は、ふて腐れた口調でそう言ったが、誰も返事はしなかった。みんな知らん顔をしている。そこには、ただ仕事を引き受けるのが嫌というのではなく、何か事情があるのだな、と俺は感じだ。これは、記者の勘である。あとでゆっくり取材してみようと俺は思った。
「え〜っと、で、天女さん、何の用事っすか? それとそこの隣の人、誰?」
この代表、しゃべり方もふざけている。これで代表とは……よほどの事情があるようだ。
「修功さん、まあ、事情は分からんでもないないが、あんたはその仕事をしないと、ここでは生きていけないだろ」
集まっている人の中で、ジャケット姿の中年のおじさんが言った。どうやら、この修功と呼ばれている代表者、代表者の仕事をしないと、ここでのエネルギーの供給ができないようだ。そのあたりは、ギリシャさんと似たような状況なのかもしれない。
「せめて態度だけでも謙虚でいたらどうだね。ふて腐れても、状況は変わらないでしょう」
「分かってますよ、そんなことくらい。で、あんたら何?」
「相変わらずね、修功さん。今日はね、用事できたの。この人は、こっちの世界、六道輪廻の世界を取材している聞新さんよ」
天女が俺のことをそう紹介すると、あちこちで「へぇ〜、この人が」とか「噂には聞いていたが」などという声が聞こえてきた。トウリ天の31番台でも俺の噂が流れていることに、俺はちょっと嬉しくなった。
「取材ですか? 大変ですね。まあ、何なりと聞いてください。ここの人たちは、皆さん親切ですからね」
先ほどのジャケットのおじさんがそう言うと、周囲のみんなもうなずいている。こういう所は、33番台にはなかった。ここに比べると、あっちは、どうもバラバラで落ち着きがないような感じがする。たった2番違うだけで、こんなに変わるものだろうか?
「あの、そうですね、取材なんですが、今まで私、33番台にいたのですよ」
そういうと、「お〜最下位、あそこはヤバいんじゃないのか?」とか「ひゃ〜、辺境の地よね」、「最後の天界か……怖いな、絶対行きたくない!」などと言い合う声が聞こえてきた。
「あの、ここの方からすると、33番台は、そんなイメージなんですか?」
「そりゃもう、私たちにとっては、下に落ちるというのはね、屈辱だし恐怖なんですよ」
ジャケットオジサンがそう言うと、周囲の皆はうなずいた。そして、その視線は、一斉に修功さんに注がれたのである。


「ふん、仕方が無いだろ」
修功さんは、そういうとむっとした顔をして下を向いた。
「この修功さんはね、33番台に落ちなさい、って言われているんですよ」
ジャケットオジサンは、続けて言った。
「まあ、隠していても仕方がないことだし、いずれ分かることだし。聞新さんも取材したいだろうから言うけど、この修功さん、初めから態度が悪いんだよ。折角、31番台の天界に来られたのに」
「はん、俺に修行なんて……。俺は、何も信じちゃいないしね」
「そういう態度だから、代表者をやらされたんでしょ。帝釈天様の配慮よね」
そう言ったのは、周りに集まっていた中の女性の天界人だった。
「それなのに、あなたはずーっとその態度。少しは、考えたらどう?」
「もうお遅いけどね。さすがの帝釈天様も頭にくるわよね」
周りにいた天界人たちは、口々に話し始めた。
「しかし、信心が無くて、この天界に来られるんですね。しかも最下位じゃなく」
俺はそう質問してみた。
「修功さん、亡くなる間際に、大きな徳を積んだんだよ」
「どなたかの身代わりになって亡くなったのよね」
「修功さんのおかげで、その人は死ななくてすんだらしい」
集まっていた天界人によると、どうやら修功さんは、事故に遭いかけていた人を救って、身代わりで亡くなってしまったらしい。それまで彼は、あまりまともな生活をしていたわけではなく、ブラブラと怠惰な生き方をしていたらしい。フリーターとは言っていたが、まあ、まともなフリーターでは無かったようだ。それが、最後の最後に大きな徳を積んでしまったのである。そのおかげで、ここに来たのだそうだ。もっとも、怠惰な生き方はしていたが、特に他人に迷惑をかけるようなこともしていなかったのだし、大きな罪もなかったことも考慮されたのだろう。しかし、家庭環境もあまり良くないようで、両親は供養などしない家庭なのだそうだ。信心や信仰心とは、かけ離れた家庭らしい。なので、本人も信心や信仰もなく、供養によるエネルギーも期待できないのだ。当てになるのは、この天界の代表によるエネルギーと修行による補填だけなのだ。それが、あまりに本人の態度が悪く、それが改まらないので、どうやら最下位の天界に落ちろ、と言われているのだ。つまり、ギリシャさんと交代せよ、と言うことなのだ。その方が、エネルギーも31番台より消費しにくいと言うことなのだ。

「上に行けば行くほど、エネルギーの消費は激しくなるんだよ。下へ行けば楽になる。修功さんには、一番下がちょうどいいんじゃないか。そこで、改めて修行し直せば、天界にいられるさ。それが、帝釈天様の慈悲なんだけどね」
ジャケットオジサンがそう締めくくった。
「天界なんてさ、どうでもいいんだよ、俺は」
その言葉を聞いて、俺はちょっと頭にきた。
「修功さん、あんたは知らないからそう言えるんだよ。地獄や餓鬼、畜生などの苦しさを知らないから、そんなことが言えるんだ。実際にその世界をみてみたら、そんな態度はとれないと思うよ。あの世界は、本当に苦の世界なんだよ。生きているときの苦しさの何十倍、何百倍も苦しいんだよ! 甘ったれたこと言ってるんじゃ無い」
俺の言葉に、修功さんも驚いたようだ。
「ここはね、快適だよ。こんないい世界は無い。みんな陽気だし、助け合って生きている。一人でふて腐れているんじゃ無い。いい加減にしろよ。お前みたいな甘ちゃんには、もったいないくらいの世界だ。ふん、一度、地獄に落ちてみたら分かるかもな、あの恐ろしさが!」
「あ、あの、地獄ってそんなにひどいんですか?」
修功さんではなく、別の天界人がそう質問してきた。なので、俺は、今まで体験してきたことを簡単に説明した。
「ほ、本当に血の池地獄とか、針の山とかあるんですね……。切り刻まれたりするんだ」
「それも何回もね。すぐに復活するから、その苦しみは延々と続くんだよ。あの苦しみの絶叫を聞くのは、耐えがたいことでした」

それから、俺は救われない餓鬼の話をした。そしてふと思った。修功さん、このままでは餓鬼なのだろうな、と。
「修功さん、悪いことはいわない。このままでいると、間違いなくあんたは餓鬼に落ちるよ。そうすると、家庭の環境を思えば、餓鬼からの脱出は無理だろうな。永遠に餓鬼の世界にいることになる。あそこは、地獄のような救いは無いから、もっと苦しいんだよ」
俺の話に集まっていた天界人は、口々に「恐ろしい」、「落ちたくないな」、「ここはいいところだ」などと言っていたが
「あぁ、俺、そこに行きたいかも」
と修功さんが、ボソッと言ったのであった。その言葉に、そこにいた天界人は、固まってしまったのだった。

「そうか、修功、餓鬼が良いか」
その時だ、上の方から声が聞こえてきた。その声は、ものすごく透明で澄んだ声だったが、重苦しくもあった。
「あっ、帝釈天様!」
天女がそう叫んだ。どうやら、その声は帝釈天様の声だったようだ。帝釈天様は続けた。
「ならば、望み通りにしてやろう」
その言葉と同時に、修功さんの姿は消えたのだった。

「はぁ〜、バカな人。修功さん、餓鬼に落ちちゃった」
天女がそうつぶやいた。
「そ、そんな。まさか、いきなり? そんな……救いはないのかよ」
俺は、天女に向かってそう言った。そんないきなりは無いだろうと。もう少し、説得できたのではないかと……。
「聞新」
それは帝釈天様の声だった。
「いくら教えを説いても聞き入れない者もいる。いくら救い手の差し伸べても、頑なに拒む者もいる。素直になれなくて、他者に頼ることができない者もいるのだ。すべての人々を救うことは、たとえ如来様でもできないのだよ。そのことは、重々知っているのではないか?」
まさにその通りだ。俺は、痛いほどそれを経験してきたはずだった。
「仰るとおりです。帝釈天様の慈悲が届かないことも、おそらくは多くあるのでしょう。すみません、熱くなってしまいました」
俺は、素直に頭を下げたのだった。
「修功は、餓鬼を望んだ。それもいい経験になるだろう。そこから這い上がる可能性も無いわけでは無い。それにかけてみるのもいいのではないか」
帝釈天様は、そういうと気配を消したのだった。
「そうなんだよね、帝釈天様の言うとおりなんだよね」
天女の言葉に俺も集まっていた天界人も大きくうなずいたのだった。

「空きができちゃったね」
「あぁ、修功さんの代わりか」
「困ったねぇ、どうしようか」
「親容さんがやるってのはどう?」
「俺がか? 俺はそんな器じゃ無いよ」
親容と呼ばれたのは、あのジャケットオジサンだった。
「あの、ちょっといいですか?」
「何、この大変な時に」
「この31番台では、お互いのその呼びかけは……」
「あぁ、戒名だよ。戒名で呼び合っているんだ。えっと、33番台は違うの?」
「はぁ、違いますよ。あだ名で呼び合っています」
「あだ名?」
31番台の人たちは、「なんだそれは、ふざけているな」、「さすが最下位だ」、「低レベルよねぇ」などと騒ぎ出していた。その言いかたに、妙に俺は腹が立った。
「いや、それはそれでフレンドリーでいいですよ」
「いや、それでは緊張感が無いだろう? ここは修行の場なのだ」
ジャケットオジサンが、きつい口調でそう言った。
「甘えは許されない。もちろん、天界の楽しみはある。いつも修行しているわけではない。しかし、あまり馴れ馴れしいのもよくはないだろう。ここの人々は、友人関係ではあるが、基本的には誰もが、真面目に修行に取り組んでいるのだ。あまり砕けすぎてもどうかな、と私は思う」
「でもまあ、あだ名で呼ぶのもいいとは思いますけどね」
おっと、違う意見がでてきた。これは珍しいのではないか。
「あまり固すぎてもねぇ。私なんかは、修行の場や公共の場では戒名で呼びますが、プライベートなときは、あだ名で呼ぶこともありますよ」
そう言ったのは、インドの修行僧のような格好をした若者だった。30才くらいに見せている。
「ふん、まあな。まあ、プライベートはいいだろう。しかし、公共の場ではなぁ、どうなんだろう」
ジャケットオジサンの問いに俺は、気楽さを出して答えた。やはり、ここと33番台では違うのだ、と実感できたからだ。
「そうですね。確かに緊張感はないですが、みんなフレンドリーです。お互いに助け合っているって感じですね。まあ、天界に慣れていないって感じはしますね。その分気楽ですが、うーん、ここに比べると、修行に励んでいるって感じはしないな」
「やはり最下位は、そんなものだな。あぁ、そんなところには落ちたくないな。一生懸命,修行に励んで上に行きたいものだ」
「そう思うのなら、やっぱり親容さんが代表をやるべきよ」
そういう女性の声に、「そうだ、そうだ」という声が湧き上がった。
「親容さんだけに信用もあるしね」
とくだらない駄洒落も飛び出した。
「仕方が無い。私がやろうか」
ジャケットオジサンは、そう言って微笑んだのだった。

「ちょっと質問していいですか?」
俺は、取材者らしく質問をし始めた。
「ここでは、みなさんその姿は、どうやって選んでいるんですか?」
「あぁ、この格好かね。好きでこの姿をしているんだよ。私はね、このジャケット姿に憧れがあってね」
親容さんは、そう言って少しはにかんだ。
「他の方もそうですか?」
俺の問いに、「そうだね、好きな格好をしているね」、「修行者らしい格好を選んでいる」、「天女に憧れがあるから」と言う声が多くでた。
「はぁ、そういう点では、33番台と基本変わらないですね。まあ、あそこは、ちょっとふざけていますが」
「ふざけている?」
「そうなんですよ。たぶん、皆さんがみたらそう思うでしょう。多いのは、コスプレですかねぇ。あと、子供の頃憧れていたヒーローとか」
「あぁそうか、昔憧れていた姿、と言う点では、ここも最下位も同じってことか」
「そうです。まあ、やっぱり憧れの姿ってしたくなるものですよね」
「わかった、聞新君、君が言いたいことはわかったよ。33番台、最下位と私たちはバカにしたようなことを言ったが、基本的にはそんなに変わらないのだな。私たちは、慢心していたようだ。そうだな、比較はいかん。我々は、我々の修行をすべきなんだ。ありがとう、いいことを教えてくれた」
親容さんの言葉に、集まっていた31番台の人たちは、反省の言葉を口にしたのだった。しかし、実際にここの人たちが、あのウルトラマンやセブン、コスプレーヤー、ギリシャさんの姿を見たら、ショックは受けると思うのだが、まあ、それも度合いの問題である。33番は、お子様なのだ。

俺は、天界人たちと別れ、天女とともに31番の天界を散歩してみることにした。「ちょっとしたデートだね」と天女は、腕を絡めてきたが、さりげなくその腕を俺は払い、スタスタと歩き出した。天女はちょっとむっとしたが、すぐに機嫌を直し
「実際、彼も悩んでいたんだよね」
とつぶやいたのだった。
「彼って、修功さんのこと?」
「そうそう。彼はね、自分がこの世界に来てはいけない人間なのではないか、とずーっと悩んでいたの。怠惰で何の目的もなく、ただダラダラと毎日を過ごしてきた自分が、志も高く一生懸命に生きている人たちの世界にいていいのか、って悩んでいたの」
「場違いってことかな。そんな資格が無い、という……」
「そう、だからあんな態度していたのよ。帝釈天様もそれを知っていたから」
「餓鬼の世界の話なんかするんじゃ無かったかな」
「うぅん、それが良かったんじゃないの? 修功さんにとっては、自分が生きる世界は餓鬼なんじゃないかって、きっと気がついたように思うの。だって、あなたの餓鬼の世界の話に眼を輝かせていたから。ま、それに、彼の心も覗いちゃったしね」
そうか、天女だから神通力が使えるんだ。他者の考えはすぐにわかるのだ。
「普段は、読心術は使わないようにしているよ。そういう戒律もあるしね。やたら神通力を使わないことっていうね、ルールがあるの。でもね、今回は、ちょっと使っちゃった」
天女はそういうと、ちょっと前に現実世界で流行っていた「てへぺろ」をしたのだった。
「案外、餓鬼に行くことを決めて、修功さんは救われたのかも知れない。そういう救いもあるのかもな」
「そうね、そういう救いがあってもいいかもね」
「現実世界の寂れた食堂の換気扇の下、そこに群がる餓鬼ども……」
「それが修功さんの姿なのかも」
救いの形は決まっていないのかも知れない。それが、たとえ苦しみを生むものあったとしても、その者が望むのならば、それを与えることが、救いになることもあるのだろう。う〜ん、奥が深い!
俺は、改めてこの世界……六道の世界の奥深さを知ったような気がしたのだった。

つづく。


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