バックナンバー(一)  第一話〜第十四話

あれは何の音だ・・・・?どこかで聞いたことがあるような・・・・・。
あぁ、あれは仏壇の鈴(りん)の音だ・・・・。

りーん、りーん、りーん、りん、りん、りんりんりんりんりりりり・・・・・。
りーん、りーん、りーん・・・・・。

俺は、その音で目が覚めた。随分と寝ていたようだ。いつ寝たのか、どのくらい眠っていたのか、全く覚えがない。頭が朦朧としている。霞がかかったようだ・・・・。
でも、なぜ、仏壇の鈴が鳴っていたのだろう。それとも、あれは鈴なんかじゃなく、新しい目覚し時計だろうか。まさか、そんなこともなかろう。目覚し時計が、あんな鳴り方はしないし・・・・・。まあ、いいや。さあぁてと、起きなきゃな。
俺はそんなことを思いながら、起き上がろうとした。が、しかし・・・・。

アレハダレダ?
あそこで寝ているのは、ダレダ?・・・・・・あれは・・・・・・・。あれは、俺じゃないか。じゃあ、俺は???

どうやら俺は死んだらしい。
小さなマイホームのたった一箇所しかない和室で、俺は布団に寝かされていた。それは、確かに俺だった。俺が寝ている布団の前では、知り合いの和尚が神妙な顔をしてお経をあげていた。
女房が泣いている。子供達も泣いている。・・・・・俺は死んでいる・・・・・。
そうした光景を俺は上から眺めている・・・・・。俺は空中に浮いているらしい。

俺は、すべてを思い出した。そうだ、確か、仕事の途中で胸が急に苦しくなり、病院に運ばれたのだ。そして、そのまんま死んでしまったようだ。
そうか・・・。俺は死んだのか・・・・。こんなに早く己に死がやってくるとは・・・・。まだ、やりたいことがいっぱいあった。子供達も小さいのに。女房にだって、苦労のかけっぱなしだ。そうだ、家のローンだって・・・。あっ、それは生命保険で払えるのか。

マジかぁ?。ホントに死んだのかぁ?。うそだろ・・・・。死にたくない・・・死にたくねぇよぉ・・・。何とかならないのか。生き返れないのか!。くっそ!。涙も出やしねぇ・・・・・。
え?、おい、ちょっと待てよ。今、俺は自分の死体(なんて嫌な表現なんだ!)を見ている。っていうことは、眼はあるのだろうか。身体はないはずだし・・・・。なのに俺には見えている。いや、待てよ。だけど、自分は見れないじゃないか。手や足はないぞ。自分は見えないぞ。自分の死体は見えるのに!。女房や子供は見れるのに。いったい、俺はどうなっているんだ?。

「この度は、ご愁傷様でした。」
和尚のお経が終わったようだ。
「故人とは、いささか私もお付き合いがありまして、まあ、友人でありました。しかし、こんなに早くに亡くなるなどとは・・・・。タバコは止めるように注意はしていたんですけどねぇ。遅かったようです。
今、枕経をあげさせて頂きました。これは亡くなられた方に、その死を気付かせるためのお経であります。この鈴の音とお経により、亡くなられた方は、自分の死を認識するのです。今ごろ、故人の魂は、そう、この辺りに漂っていることでしょう。奥さんやお子さんのことは見ることができるのに、己の姿は見えない、などと慌てている頃でしょうねぇ。」
和尚はそう言いながら、上空を(つまりは俺の方)を指差し、ニヤニヤしていた・・・・。

俺は漂っていた。そうとしか言い様がない。和尚の言う通り、俺には自分の遺体や女房・子供は見えている。が、己は見れない。しかも、歩いているのではない。立っているのでもない。そう、空中をフワフワと浮いている状態なのだ。そう、漂っているのだ。

「まぁ、彼のことだから、今は自分の死を冷静に受け止めていることでしょう。しかし、おっちょこちょいだから、手足がない、などと騒いでいるかもしれませんな。普通は、生への執着心から、自然と亡くなった時の姿になるんですけどね。亡くなった者の魂は、普通、球状の状態です。魂というくらいですから、ボール状・球状になっているんですな。人魂がそれです。それがフワフワと浮いているんです。だが、生き返りたいという思いや、遺族への思いが、魂を亡くなった時の姿へと変化させるんですな。で、その魂は、葬式が済むまでは自由にできる。家の周りや、遠く離れた知人の処へも行ける。いわゆる、夢枕に立つ、のです。」

なるほど。俺は和尚の言葉に従い、生前の姿を想像した。するとどうだ。身体が戻っているじゃないか。生きている時と同じだ。ただ異なるのは、透き通っているだけだ。全体的に色が抜けていて、白っぽく透けているのだ。ちゃんとお気に入りのスーツ姿はしているんだけど、色がない。しかも、ぼんやりしている。
俺は動いてみた。歩くのではない。泳ぐ・・・と言った方がいいか。そう、無重力状態にあるような(実際に経験はないが)、そんな感じだった。驚いたのは、意識すれば、一瞬で行きたい所へ移動できる、ということだった。隣の部屋に行きたい、外に出たい、と思うだけで一瞬のうちに移動ができる。瞬間移動である。俺は、ちょっと嬉しくなって、家の中を移動しまくっていた。そんな時だった。

「あの〜、和尚様にお聞きしたいことがあるんですが・・・・。」
「何ですかな。私にわかることなら、何なりとどうぞ。」
「ハァ・・・。よく、突然亡くなった人は、自分の死に気付かない、って聞きますが・・・。本当なのでしょうか。もしそうなら、主人も・・・。」
何を聞くのかと思ったら、女房のヤツ・・・・。気付かないことはないぞ。現に俺は気付いたし。自分の死に気付かないなんて、そんな馬鹿なヤツがいるものか。どうせ、TVでインチキ霊能者がそんなことを言っていたのだろう。くだらねぇ・・・。
「あぁ、よくそう言いますなぁ。でも、ちゃんと枕経をあげたり、通夜をすれば、自分の死に気付かないなんてことはありませんな。ちゃんと自分の死には気付くもんです。ただね、思いを残すことがあるんです。例えば、事故現場などに幽霊が出る、という話、聞くでしょ。それはね、死に気付いていないんじゃないんです。この世に未練がある、執着があるんですね。まだ、あの世、あっちの世界に行きたくない、この世に留まりたい、という思いが、強く残るんです。その思いが幽霊になるんですな。つまり、幽霊とは、死んだことに気付いていないのではなく、あの世に行きたくない、この世に留まりたい、という思いが生むものなのです。
さらに、残された者、遺族ですな、その遺族が悲しみのあまり、死者への思いをいつまでも強く持ち続けることもよくない。死者へのそういう未練や悲しみを持ちつづけると、その亡くなった方も、あの世へ行きにくくなるんです。で、この世に留まることになってしまう。そうして、幽霊はつくられていくんですな。それが幽霊の正体なんですよ。奥さん。」
「幽霊の正体・・・ですか?」
「そう。人はね、亡くなったら、ちゃんと枕経やお通夜をして、葬式をしてもらうでしょ。だから、死に気付かない、ってことはないんです。ところがね、未練や怨み、執着がすごく強くある、そういう方がたまにいるんですな。そういう人は、あの世になかなか行きたがらない。あの世に行くことを拒否したり、生まれ変わることを拒否したりするんです。そうなると、どこへも行く場所がなくなってしまう。しょうがいないから、自分が死んだ場所や遺族の周り、或いは怨んでいる相手のところをウロウロするしかないでしょう。で、幽霊となるんです。
幽霊とは、あの世へ行くこと、生まれ変わることを強く拒否する思いを持った者の魂なんですな。普通は、そんなに強い念を残さないですから、ちゃんと皆さんあの世へ行きますよ。ご安心下さい。
尤も、四十九日が終わるまでは、あの世とこの世は自由に行き来できますけどね。おわかりいただけたかな。」

なるほど、そういうことか。幽霊というのは、この世に強い念―怨みや執着心、未練―を残した者の魂だったんだ。そうか、ふふ・・・。じゃあ俺は幽霊には絶対ならないな。この世に強い未練や怨みはないからなぁ。女房や子供のことは心配だが、死んでしまった以上、仕方がないし・・・。まあ、女房も子供も何とかなるだろう。そう・・・・。何とかなるさ・・・・・・。

「他に何かお尋ねになりたいことは、ありませんか?。なければ、このへんで・・・・。あぁ、そう、忘れるところだった。戒名はどうされますか?。院号をつけてくれとか、ご希望はありますか?。なければ彼に相応しい戒名を、私の方でつけさせて頂きますが。」
「はぁ、別に取り立てて、これといった希望はないですけど・・・。たぶん、主人は院号とか好きじゃないと思いますので・・・・あの、和尚様にお任せいたしますので、よろしくお願い致します。」
「うん、そうですな。院号を欲しがるようなヤツじゃないから。じゃあ、私に任せてください。それでは、今日はこのへんで失礼させて頂きます。通夜は、明日の夜7時からでしたな。では、失礼。」

そうか、戒名か・・・・。俺に戒名がつくんだ・・・・・。そう、戒名が付くようになっちまったんだ。俺は死んだんだ・・・・。
戒名・・・・その言葉に、俺は自分の死をさらに知らされたような、再確認させたれたような、嫌な気分を感じた。今更ながらに、俺は寂しくなった。もう誰にも会えないし、好きなこともできない。あれほど嫌だった満員電車にも乗れない。
嫌な上司がいた。面白い同僚がいた。頼りになる後輩もいた。かわいい女子社員もいた。つらいこともあったけど、楽しいこともあった。疲れたけど、毎日が充実していた。仕事から帰れば、女房の笑顔があった。子供達が元気に遊んでいた。今から思えば、幸せだったんだなぁ。何の変哲も無い、ごくごく平凡な家庭だった。平凡な夫だった。それが幸せだったんだ。それがよかったんだ。生きている時に気付くべきだったんだ・・・・。死んでからでは、もう遅いのか・・・・。

俺は、ちょっと打ちひしがれていた。
が、しかし・・・そうそういつまでも沈み込んでいられるものではなかった。次第に退屈になってきたのだ。フッと気付くと、退屈が悲しみを駆逐していたのだ。
そう、退屈なのだ。な〜んにもやることがない。弔問客もまだ来ない。家族のものは、バタバタしているか、沈み込んでいるか、だ。子供達など、退屈なものだから、TVゲームまで始めだした。あぁ〜、何てことだ。父親が死んだと言うのに・・・・。まあ、わからないでもないが・・・。

しかし、本当に退屈である。死者がこれほど退屈だとは思いもよらなった。当たり前のことではあるけれども。寝ることもできないし、食事もとれない。その必要がないのだから・・・。
話をすることもできない。死人と言うのは孤独なものだ。孤独、孤独、孤独だけである。孤独以外何も無い。はぁ〜、自ら死を選んだ人は、ちょっとショックだろうな。きっと苦しみから逃れるために死を選んだんだろうけど、その死の先にこんな孤独が待っていようとは・・・。それとも、案外ホッとしているのかな。現実の苦しみから逃れることができて、孤独を楽しんでいるのかも知れないな。
などと、俺は退屈のあまり、そんなことを考えながら漂っていた。その時だった。あの声が聞こえたのは。

「そんなことはないぞ」

えっ?なんだ今のは。確かに人の声だったような・・・・。俺に話し掛けたような・・・。まさかね、空耳(死人にも空耳があるのだろうか・・・)だろう。死人の俺に話し掛けるヤツもいなし、俺の考えていることがわかるやつもいないだろうし。俺はそう思って、その声をやり過ごしたのだが。
それは、今度は、はっきりと聞こえたのだった。

「そんなことはない、といったのだ。確かに自殺をすれば、現実の苦しみからは逃れることができよう。しかし、その後に訪れるのは孤独じゃない。現実よりももっと激しく厳しい苦しみがやってくるのだ。」

だ、誰だ!俺に話し掛けるのは。空耳なんかじゃなかった。俺は慌てふためいて、叫んだ。といっても声が出るわけじゃない。何ていうのか、心の中で叫んだ、と言えばいいのだろうか。実際、その声も、聞こえた、というのではなく、直接心の中に響いてきた、と言ったほうが正しいであろう。そう、心に直接語りかけてくるのだ。
「現実の苦しみは、生きているうちに乗り越えなければならない試練なのだ。それを途中で放棄して、自分だけ救われよう、というのは卑怯の極みであろう。自殺は、究極の自分勝手、我が儘なのだよ。そんな者に安らぎなど訪れはしない。少しは残される者のことも考えよ。」

確かにそうであろう。その声のいう通りだ。確かに、自殺は卑怯ではある。自分勝手ではある。しかし・・・・。
周りの者のことまで考えることができたら、自殺などするだろうか。考えられなくなるほど思いつめるから、自殺してしまうのだろう。それほど苦しんでいるのだ。それに、死後に生きている時以上の苦しみが来るとは思ってもいないし。現実に耐え難い苦しみにあっている人にとっては、死を選ぶことは禁断の誘惑なんだろうなぁ・・・・。

「何を馬鹿な事を!いいか、自殺をした者がどれほど苦しむか、ちょっと見せてやる。外に出てみろ!」
そう言われて、俺は何が何だかよくわからなかったのだが、その声に従って、外へ出てみることにした。すると、そこには・・・・・。

俺は慌てて外に出てみた。
こ、これは・・・・。その光景に俺は息を飲んだ。何とも言えない、恐ろしい光景だったのだ。

穴があいていた。大きな穴である。その穴の中は・・・・・まさに地獄だった。人々は穴の中で苦しみもだえていた。ある者は炎で焼かれ、ある者は首を切り落とされ、ある者はドロドロの溶岩のようなものを口に注ぎ込まれ、ある者は針の山に投げられていた。
何人もの人々が助けを求めて手を差し伸べていた。穴の上のほうに這い上がろうとすると、鬼のようなものが槍で突き刺していた。おどろおどろしい声が響いてくる。助けを求める声なのだろうが、それは人間の声とは思えないような、空恐ろしい声だったのだ。生きていれば、きっと全身総毛立ち、吐き気をもよおしていたに違いない。地獄だ・・・・。昔話に聞く、地獄絵図そのものだった。
俺は吸い込まれそうな気になって、思わず叫んでしまった。
『やめてくれ、もういい、わかった。勘弁してくれ・・・・・。』

肉体があれば、きっと涙が溢れていただろう。自殺した者の行き場所があそこかと思うと、なんともやりきれなくなった。頭の中が真っ白だ。まさか、あんな世界があるなんて・・・・。信じたくない、その気持ちの方が強かったのだ。だから・・・・。
『待てよ、俺は死んでいる。だから、あんなものを見たんだ。そうだ、きっとあれは幻だ。死のショックでそんな幻を見たんだ。そうさ。現実なんかじゃない。現に今は見えていないじゃないか。そう、俺は自分の死のショックでどうにかなっていたんだ。だから変な声も聞こえたんだ。そうに違いない。わははは・・・・。なんだそうか。幻を見るなんて、死人も楽じゃないな。わはははは。』

「そうやって現実から目をそらすな!。」
まただ。またあの声がした。声は、また直接俺の心の中に入ってきた。
「今見たものは、幻ではない、現実だ。生きている者には、普通見えないものだが、死人のお前には見ることができるものだ。よいか、今見たところは地獄だ。自ら死を選んだ者は、そこへ行かねばならん。生きている時よりももっと苦しむことになるんだ。現実の苦しみを放棄して逃げ出したのだから、当然と言えば当然なのだ。真の幸福は苦しみや辛さを乗り越えたところにあるものなのだ。死の世界にそれを求めてはならん!。」
『いったい誰なんだ。死人の俺に話し掛けるなんて・・・・。いい加減にしてくれ!。俺は死んでるんだ!。死人の俺に話し掛けてきて、何か面白いのか!。何の怨みがあって、俺に話し掛けるんだ。俺に地獄を見せるんだ。』

俺は取り乱した。しかし、それとも・・・。死んだものは皆地獄の光景を見たり、こんな声を聞いたりするのだろうか・・・・。
「いいや、この声が聞こえているのはお前だけだ。ちなみに、お前が考えていることはすべてお見通しだ。」
俺はぞっとした。俺の考えていることはお見通しだって・・・・?。まさか・・・・。あ、でも、そんな・・・・。それは恐怖だ。こちらの心の中を相手は全部わかっている。それは、恐ろしい。何で・・・・。何で死んでまで、死んでからこんな恐怖を味わなきゃいけないんだ・・・。
「まあ、そう怖がるんじゃない。お前を捕って食おうと言うわけでも無いんだからな。実はな。お前にやってもらいたいことがある。それで話し掛けているんだ。わかったか。お前は特別扱いなんだ。わっはっはっは・・・・・。」
その声は、大笑いしていた。何がおかしいんだ。俺にやってもらいたいこと?。死人の俺にか?。
『俺にやってもらいたいって・・・。俺は死んでいるんだぞ。』
「そんなことは、百も承知じゃ。まあ、落ち着け。死人にしかできないことだってあるんだから。」
『誰かに化けて出ろ、とでもいうのか?。そんなのは、ゴメンだね。面白いかもしれないが・・・・。』
「ふっふっふ。それもいいかもしれんがな、そうじゃない。まあ、話を聞け。」
その声のトーンが変わった。一段低く、重々しくなったのだ。

「結論から言おう。お前にやってもらいたいことは、あの世の取材じゃ。」
『はぁ?。取材?。取材って・・・・。』
「お前は、生きている時、雑誌社の記者をやっていたろう。ならば、取材はお手の物だな。だから、あの世の取材をお前に頼んでいるんだ。」
確かに、俺は雑誌の記者をしていた。取材は何度もやった。しかし、雑誌と言っても三流だし、社会性のあるものでも無い。どちらかと言うと、青少年の目には触れさせるな、と言う系統に入るものだ。記者だ、と威張って言えるようなものでもなさそうな・・・。
「いいか。生前お前がどんな内容の記事を書いていたか、そんなことはどうでもいいんだ。こちらは、ただ、取材をしてもらいたいだけなんだから。なぜ、こんなことを頼まなきゃいけないのか、そう思うだろ。それはな、本当の死後の世界をリアルに伝えて欲しいからだ。
最近、どうもあの世の存在を軽んじている、そうは思わんか。くだらない霊能者とかが、やれ心霊だの、やれ悪霊だの、と騒いでおる。全くくだらんことだ。お経に説いてある死後の世界のことを誰も言わないし、誰も信じない。坊主ですら否定するものもいるし、知らない者もいる。あきれて物も言えんよ。
で、お前に真実のあの世の世界を伝えてもらいたんだ。お前にあの世を取材してもらって、現代人に正しいあの世を知らせてあげたいのだよ。どうだ。引き受けてくれんか。これから行く、あの世で優遇されるぞ。何しろ、特別扱いだからな。」

あの世の取材ねぇ・・・・。実際、俺は迷っていた。迷っていたと言うより、半信半疑なのだった。なんか、話がうそ臭いのだ。あの世の取材なんて、どうも話がおかしい。
「お前、疑ってるな?。お前を騙してどうなるんだ?。お前は死人なんだぞ。そんなお前を騙して得するか?。まあいい、よく考えてくれ。」
うっ、そうか、声の主は、俺の考えていることがわかるんだったなぁ・・・。やりにくいなぁ・・・。確かに、俺は死人なのだから、俺を騙しても何の特にもならないだろう。金を出すわけでも無いし。取材か・・・・。

『俺はどうすればいいんだ?。取材と言っても、ボイスレコーダーも無いし、ノートも無い。ましてや、どうやって伝えるんだ?。どうやって活字にするんだ?。』
「あぁ、それは気にせんでもよい。お前は、これから行く先々で、いろんな感想を思うだろう、それでいいのだ。それと、いろんな人物に合うはずだ。その出合った人物に疑問に思ったことを聞けばよいのだ。そうすれば、それがこちらに自然に伝わる、という仕組みになっておる。」
俺は、全面的に声の主のことを信じたわけではなかった。ただ、死人を騙しても仕方がないだろうということ、いずれにせよ俺は死人なのだから失うものなど何も無い(魂を失うかも知れないが、それはそれで構わないような・・・・)し、それよりも何も、記者根性が出てきたのだ。がぜん、興味が湧きてきたのだ。あの世で取材・・・・。面白いじゃないか。
『よし、わかった。引き受けよう。俺は感想を思えばいいんだな。で、あの世で出会った人物にインタビューすればいいんだな。それが自由にできるんだな。』
「ふむ。そういうことだ。引き受けてくれるんだな。よろしくたのむぞ。」
『ところで、一つ聞きたいことがある。あんたは一体何ものなんだ?。本当に死者を特別扱いさせることができるのか?。どうやって、俺の感想を知ることができるんだ?。どうやって、俺に話し掛けているんだ?。』
「ふっふっふ・・・。まあ、それは気にするな。ちゃんと、お前の感想は届くから・・・・。ちゃんと、特別扱いされるようにできるから、安心して取材してくれ。ま、わしの正体はそのうちにわかるじゃろう・・・・・。
おっと、いかんいかん。もうこんな時間だ。そろそろ、通夜の時間だな。じゃあ、よろしく頼むぞ。はっはっはっは・・・・。」

笑い声を残して、その声は遠ざかっていった。そのかわりに、家族の声が聞こえてきた。そうか、もう通夜の時間か。俺は外に出っ放しだったことに気付いた。確か、あの声に外に出るように言われて、そのままそこで話していたのだった・・・。
弔問客が訪れている。ざわざわしている。泣くもの、慰めるもの、談笑しているもの、挨拶しているもの・・・・。それぞれが、それぞれの都合にあわせて、それぞれの顔をしている。主役である死者の俺をはずして・・・・。
ま、こんなものだろう。通夜にしろ、葬式しろ、義理があるだけ、縁があったから仕方がないから、という理由だけで人々が集まってくるものなのだ。本当に悲しんでいる者は、極わずかのものしかいない。

我が家は、すっかり様変わりしていた。祭壇がおかれ、幕が張られ、すっかり葬式仕様だ。俺の遺体はすでに棺桶に入れられていた。遺影も飾ってある。年をとるにつれ、こういう光景は何度がお目にかかることになる。しかし、まさか、そこに飾られているのが自分であるとは・・・。こんなにも早く、こんなにも若いのに・・・・。
まるで他人事のようだった。自分で眺める自分の棺桶、自分の遺影・・・・・。悲しいとも、辛いとも、やるせないとも、なにものでもない。ただ、虚しいだけだった。空虚。それだけだった・・・・。

親戚の者も続々と集まりだした。懐かしい顔もある。みんな口々にお悔やみの言葉を言っている。
「早かったねぇ・・・。まさか、こんなに早いとは・・・。気をしっかり持ってね・・・。」
友人も集まりだした。会社の同僚もやってきた。狭い、小さな我が家は、いまや満杯状態だ。
俺、嫌われていなかったんだな・・・・・。よかった・・・・。率直な感想だった。それにしても、なぜ、女房は自宅で通夜や葬式をやったんだろうか?。斎場を使えばよかったのに・・・・・これじゃあ、入りきれないだろう。

「やあ、おそくなって申し訳ない。あ、そうそう、位牌を・・・。葬儀屋さん、ちょっとこれ、置いてくださいな。」
和尚がやってきた。和尚は手にもっていた白木の位牌の紙包みを取って、葬儀屋の人に渡していた。
「あー、戒名ですが、『釈聞新』とさせていただきました。意味は後ほど、通夜の後にお話させて頂きます。」
和尚のその言葉に、女房が顔をあげて、和尚に尋ねた。
「あの、和尚様、戒名ですが、それ、あの、いくらなんでも短かすぎやしませんでしょうか?。」
俺もそう思っていたところだ。女房に俺の気持ちが伝わったのか。いくらなんでも、短かすぎやしないか、それは・・・・。
「いや、別に短かすぎやしませんよ。これでいいんです。他の文字をつけてもたいした意味はないですしな。長くしたけりゃ、いくらでも長くしてあげるけど、そんなのは、お金の無駄でしょう。ま、あとで理由はお話しますから。」
「そうですかぁ?・・・・。なんだか、それじゃあ、寂しいような・・・・・。」
和尚はその言葉を無視して、着替えのために別の部屋に入っていた。『釈聞新』と書かれた白木の位牌が祭壇の上に置かれた。

『釈聞新』・・・・・。短かすぎやしないか。院号までつけろ、とはいわないが、もう少しあるだろう。普通、あと二文字はつくんじゃないか。それに、信士だの居士だのがつくんじゃないのか。しかもだ。反対から読んでみると『新聞』だ。ふざけているのか、あの和尚は。長くなると、金がかかるとか言っていたな。結局金か。普段偉そうなことを言っていても、結局は金なんだな。

そんなことを考えているうちに通夜が始まった。和尚が着替えを済ませ、神妙な顔で祭壇の前に座る。葬儀屋の司会者が決り文句の「ご一同様、がっしょうー、礼拝。」と独特の言い回しで、独特の口調で告げる。(これを聞いて、笑えてくるのは俺だけだろうか・・・・。)
和尚が何かごにょごにょ言っている。あれは五鈷(ごこ)とかいう仏具だ。あぁ、洒水加持(しゃすいかじ)とか言う作法だな。和尚は、真言宗なので、こういう作法があるのだそうだ。洒水をしながら和尚がご真言を唱えている。
「おん あぼきゃ べいろしゃのう まかぼだら まにはんどま じんばら はらばりたや うん」
その瞬間だった。俺の魂は、というか、俺自身、なぜかやわらかい、暖かいものに包まれたような感じがした。乾いた砂に水が染み込んでいくように、その柔らかなうるおいというか、何ともいえない心地よさに、俺は満たされていった。自分が死んだ、と気付いてから、悲しんだり、辛かったり、怒ったり、いろいろしたけれど、そんな感情は、静かに消えていった。今はただ安心感があるだけだった。俺は、心地よい安らぎに包まれ、棺桶の上をふわふわと漂っていた。

続いて、和尚はかみそりを手に取り、お経を唱え始めたのだった。
「流転三界中(るてんさんがちゅう)  恩愛不能断(おんないふのうだん)・・・・・・」
そして、かみそりをほんの少し上げ下げする。それを三度繰り返した。その時、俺は、俺の魂は一瞬にして感じ取ったのだった。
『あぁ、出家だ。俺は今、髪を剃られて出家したんだ・・・・・。』
なぜ、そう思ったのかはよくはわからないのだが、和尚の作法とお経を聞いた途端、そう思ったのである。思ったと言うより、わかった、と言ったほうが正確かもしれない。うまくは説明できないのが、辛いところだが、とにかく、今、俺は和尚の手によって出家させられたのである。

和尚の声が響く・・・・。
「今、汝まさに釈氏門に入る。名を『聞新』と改むる。永く俗塵を離れ・・・・・・」
そうなのだ。俺は、今、俗世間と離れ、お釈迦様の弟子となったのだ。(なのだろうと思う。)。 『聞新』は出家者の名前なのだ(ろうと想像する。) 。つまり僧の名前なのだろう。そういうことなのか・・・・。わかった。ようやくわかった。死んだ者は、仏教で葬式をすると、みんな出家するんだ。坊さんや尼さんになるのだ。戒名は出家者の名前なのだ。きっとそうに違いない・・・・。

そんなことを考えているうちに読経が始まった。このお経は聞いた事がある。確か、真言宗で唱えられている「理趣経」というお経だ。生きている時は、意味どころか、聞く気もなっかったし、全く興味などなかったのだが、今は違う。なぜか今は、何となくではあるのだが、意味がわかるような、そんな気がするのだ。否、実際意味がわかるのではない。そんなことはないのだが、何ていえばいいのだろうか。心にお経の一文一句が染み込んでくる、そんな気がするのだ。心が安らぐ・・・・。何の不安も感じない。あたたかな安心感で包まれている。そんな感じだった。

生きている時にこんな状態になれたなら、感激の涙が溢れていただろう。なぜ、生きているうちには、こんな安心感を感じなかったのだろう・・・・。死んでからこんな安心感を得られても・・・・・。生きている時に、もっとお経を聞いておけばよかった。もっと仏教に慣れ親しんでいればよかった。俺は何をしていたんだ・・・・・。この気持ち、生きている時に味わいたかった・・・・・。

そうか。お墓や仏壇などでお経をあげるのは、この安らぎを与えるためだったんだ。お寺で供養してもらうとき、お経を読むのは、亡くなったものに、この安心感を与えるためだったんだな。お経を聞くだけでこれだけの幸福感に浸れるのだ。お経はそのためにあったんだ・・・・。

こういうことは、きっと死んでみて初めてわかることなのだろう。生きている時は、お経を聞いても、その文言が耳から入ってこないからな。たとえ入ってきても、意味もわからないし・・・・。死ぬと、耳で聞かないから、魂そのものに響いてくるから、だから、お経のありがたさがわかってしまうのだろう。それはわかろうとしてわかるものではないのだろう。わかってしまう、そういうものなのだろう。
女房よ、我が子らよ、和尚にお経をあげてもらうことを忘れないでおくれ。そして、できれば、お前達も心でお経を聞くようにしておくれ。今、俺に言える言葉はそれだけだった・・・・・。


「願以此功徳 普及於一切 我等与衆生 皆求成仏道・・・・・・。」
読経が終わった。通夜のお経もこれで終わりだ。俺は、心地よく祭壇の上を漂っていた。お経の余韻で俺の魂はいっぱいだった。

和尚が参列者の方を振り返った。話を始めるつもりなのだろう。
「只今、通夜の作法と読経が終わりました。少々話をさせていただきますので、どうぞ、足を楽にして下さい。
彼は亡くなった・・・・。確かにこの世から見ればそうなのですが、実はそうではない。彼は亡くなった、死んだのではなく、違う世界へ生まれていくのです。今はまだ、生まれ変わる先も決まっていませんし、あの世へ旅立っているわけではありません。まだ、その祭壇あたりにふわふわとしておりましょう。明日、葬式が済むと、あの世へ旅立つんです。で、四十九日が経ちますと、生まれ先が決まるのです。ですから、今はそう、例えて言うなら、母の胎内にいる状態のようなものですね。」
話は長くなりそうだった。参列者は、足を崩し始めた。中にはこっそり退席する者もいたが、ほとんどの参列者が話に耳を傾けていた。

「ということで、生まれ変わるのは、まだ先ですので、そのことについては、またの機会にお話しましょう。今日は戒名について、お話させて頂きます。
戒名と言うのは、出家者の名前です。お釈迦様の弟子になった時につけられる名前のことを戒名と言うんです。それまでついていた名前は俗世の名前なので、俗名と言いますね。

今日、彼に戒名を授けました。彼は、今日から『聞新』という佛弟子になったのです。釈は、お釈迦様の弟子、という意味ですね。
本来、出家は生きている時にするべきものです。生きているうちにお釈迦様の弟子となり、戒律を授かり、覚りへの道を歩むのです。しかし、なかなか生きているうちに出家するわけにはいかないですね。まあ、生前戒名、と言うのもありますけどね。普通は、あまりそういうことはしませんね。ま、生きているうちの出家と言うのは難しいものがあります。ですから、亡くなってから出家させるわけです。亡くなってからでは、遅いような気もしますが、それでも戒名を授からないよりはいいですからね。あの世で、『私はお釈迦様の弟子だ』と言えますんで。こうして、死者に戒名を授けるようになったわけです。

ところで、戒名ですが、これは実は二文字だけなのです。普通、戒名と言うと、院号がついた長ったらしいものや、彼のように釈○○という短いものまで様々ですが、戒名というと、本当は二文字だけなんですよ。
院号・・・・○○院だれそれというものですね・・・・これは、お寺を現しているんですな。例えば、『○○院釈聞新』ならば、これは『○○院という寺の聞新という住職』という意味になるのです。院号がつくと、死んだ途端にその者は寺の住職になってしまうのです。まあ、それがあっている方もおいででしょう。寺のために良く働いた方とかね。お経をよく読まれた方とかね。院号がついてもいい、という方もいらっしゃることは確かです。
しかし、彼にはあっていないですね。生前の彼を知っているならば、彼が寺の住職になるなんて、そんなことはない、そう思うでしょう。ですから、院号はつけなかったのです。」
なるほど・・・。院号にはそんな意味があったのか。単なる飾りじゃなかったんだな。死んだ途端に寺の住職になる、というのも何だか無意味なような気もするなぁ。いずれにせよ、俺にはあっていない。そんなものは不要だ。

「次に、戒名と言われる文字の上にもう二文字つける場合があります。例えば『○○聞新』という感じですね。で、さらにこの下に信士や信女、居士・大姉がつくこともあります。『○○聞新信士』と、こんな具合ですね。何か、戒名らしいでしょう。でも、戒名と言われるのは『聞新』の部分だけです。○○の部分は『道号』というのですが、言わば雅号のようなものですね。俳句や絵画を嗜んでいる方がつける芸名と言うか、ペンネームのようなものですね。生前、そういう趣味を持っていたのなら、道号をつけるのはよろしいかと思います。風流人ならばね。しかし、ご存知のように、彼は風流などとは無縁の世界にいました。ですから、これもつけませんでした。」
うんうん、確かに、俺は風流などというのは無縁の人間だ。どっちかと言えば、俗物の方に入る。だから、ここまでは理解できる。戒名が短い理由はよくわかる。しかしだ。問題は下の文字だ。その信士とか居士とか言うものだ。それがないと、何だか味気ないじゃないか。

「さて、問題は下の文字、信士・信女、居士・大姉、ですな。
信士とは文字通り『信じる男性』と言う意味です。信女は『信じる女性』ということです。つまり、『仏教を信じていた男性、或いは女性』と言うことになります。信仰心があった、ということですね。居士や大姉は、仏教の信者の中でも取り分けお寺に協力的だった方、という意味を表しております。ということは、信士・信女、居士・大姉、いずれも在家の方を表す言葉なのですよ。出家者には使わないのです。出家者は、仏教の信者であるのだし、寺はその働き場であるのですからね。
では、なぜ戒名にこれらがついているのか。それは、本当の出家者ではないからです。生きている時に出家したわけではないからです。亡くなって初めて出家したからです。ですから、信士・信女、居士・大姉がつくんです。本当に出家したものと区別をつけると言う意味もあるのでしょう。現に、お坊さんが亡くなると、信士・信女、居士・大姉はつきませんでしょ。」
ほう、そういえばそうだな。坊さんは確かに、死んでも信士などと言うものはついていなかったように思うぞ。だいたい、坊さんの場合、もう出家しているのだから、戒名を改めてつける必要はないしね。

「私は、彼には一人の僧侶、一人の出家者として、あの世に行って欲しいんです。だから、あえて、院号も、道号も、信士も居士もつけなかったんです。私たち僧侶と同じ立場であの世に行って欲しいんですな。だから、あえて戒名の二文字だけをつけたのです。ただし、生前出家していたわけではないので、一番下っ端の僧侶ですけどね。」
なるほど、そういうことか・・・・。あの和尚、ちゃんと考えているじゃないか。適当に戒名をつけているわけじゃないんだな。ちょっと物足りないような気もするが、まあ、よしとするか。となると、問題は名前の意味の方だ。『聞新』は『新聞』をひっくり返しました、なんて言うんじゃないだろうな。

「さて、前置きが長くなってしまったが、肝心なのはこれからです。名前の意味ですな。この『聞新』という名は、もちろん『新聞』をひっくり返した、というのではありません。」
参列者の中から笑い声が聞こえた・・・・。みんな、新聞をひっくり返したと思っていたんだ・・・。

「これはね、これからの彼の状況を表しているんですよ。これから彼は、あの世へ行きます。そこでは、聞くもの見るもの初めての事柄ばかりでしょう。あぁ、そうっだたか、ほう、そういうことか・・・・ということばかりに出会うでしょう。彼にとっては、新しいことばかり見聞きすることになります。本来は、ずぅーっと以前から、この世に生まれる前から見聞きしていたんですが、この世に生まれた途端、どうも忘れてしまうんですね。で、死んでから気付くんですな。まあ、中には、生きているうちにあの世のことを学習するものもいますが、彼の場合は、そんな学習はしなかったでしょう。ですから、これから見聞きすることは、ほとんどが新しいことなのです。もうおわかりでしょう。だから『聞新』なんですよ。お前さんもわかったろ?。」
和尚はそういうと、祭壇の上のほうを振り返ってみた。それは、ちょうど俺の真正面だった。

和尚の長い話は終わった・・・・。和尚は帰り、残っているのは家族や親類のみだけとなった。今夜は夜通し飲んだり食べたりして、過ごすのだろう。通夜の習慣はどこでも同じようなものだ。
俺は、相変わらずふわふわと漂いながら、和尚の話を思い出していた。これから行く世界は、どんな世界なのか、全く未知だ。見ること聞くこと、すべて新しいことなのだ。聞新・・・・・そういう意味では俺に相応しい名前なのだろう。あの世の取材もしなきゃいけないようだし。
しかし、あの世って、一体どんな世界なのだろうか・・・・・・。

そんなことを考えながら、俺は漂っていたのだが、なぜか妙におなかがすいているような、そんな感じがしてきた。まさか、肉体はないのだから、腹が減る、ということはないのだろうけど、生きている時のような空腹感がしてきたのだ。それとともに、徐々に力が抜けてきた。ちょうど、生きている時なら、おなかがすいて力が出ない、という状態だ。
『うん?、どうなっているんだぁ。だんだん力が抜けてくるぞ。何か、腹が減ったような・・・・。おい、どうなっているんだ。』
俺は焦ってきた。漂いすぎてエネルギーを使い果たしてしまったのか、それとも考えすぎたのか。情けないことに、うまく動けなくなってきたのだ。このままでは、棺桶の上にへたり込むしかない。

「あ〜、線香が消えてる。ダメじゃん、お母さん。忘れちゃ―。」
「あーら、大変。あらあら、線香が消えてから、もう随分たつみたいね。灰も冷えちゃってるわ。」
「笑い事じゃないよ。和尚さんに言われたジャン。四十九日が終わるまでは、線香とローソクの火は絶やさぬようにって。亡くなったばかりはエネルギーを使うんだって。これがお父さんの食事なんでしょ。全く、お母さんたら。話に夢中になってるから。オバサンはこれだからねぇ。」
「もうわかったわよ。これでいいんでしょ。ほら、線香もついたし。ローソクは明日までもちそうね。線香は、これなら充分持つわ。あなた、ゴメンナサイね。ちゃんと線香、つけておきましたから。さ、少し寝ましょう。」

線香の煙が祭壇周辺に漂い始めた。それとともに、俺は再び元気を取り戻していった。
『娘よ、ありがとう。君は、お父さんを救ってくれた。今度君に困ったことがあったなら、必ず救いにこよう。』
などと思いながら、俺は、線香の香りと煙の中に飛び込んでいった。線香の香りと煙が魂に浸透してくる。染み込めば染み込むほど、俺は力が湧いてきた。満腹感に似た感じだ。線香にはこんな働きがあったのか。仏壇やお墓で線香をたくのは、こういう理由からだったのか。まさか、線香が死者の食事だったとは・・・・。

眠ることはなかった。肉体がないのだから、それも当然だろう。俺は線香の香りやお供え物の気を吸いながら、家の中をうろうろしていた。酔っ払っていた親戚のおじさんたちも、大きなイビキをかいている。今や起きているものは誰もいない。それは、うらやましくもあった。俺にはもう眠ることなど無縁なのだろう。あの心地よさはもうない。それも寂しいものだ。俺はこうして明日の葬式を待つのだろう。

夜が明けた。家族の寝顔をぼんやり眺めながら過ごした俺だったが、さすがに朝になると、シャキッとしてくる。習慣なのだろうか。死んでからも、生きている時の習慣が残るものなんだ、などと感心しながら、俺はまたあちこち漂い始めた。
女房達も起き出し、バタバタし始めた。極普通の朝の光景である。ただ、違うのは、そこに父親はいず、いつも父親がゴロゴロしてた和室には葬式の祭壇がしつらえてある、ということだけだ。順に朝食を済ましていく。子供達も大人たちも。時間をもてあましている連中は、祭壇の前に行き、お鈴を鳴らして手を合わせたりする。線香を新しいのにかえる。
葬儀屋もやってきた。そうこうするうちに、和尚もやってきた。今日は、役僧を一人連れている。葬式は二人で行うのであろう。世の中は動いていた。時間は流れている。

「御導師様のご入場です。ご一同様、合掌礼拝お願い申し上げます。」
葬儀屋の司会のアナウンスが流れる。チーン・チーン・チーンという鉦の音とともに、役僧に先導された和尚が重々しく部屋に入ってきた。和尚は、祭壇前の椅子(どうもキョクロクと言う名前の椅子らしい)に座る。今日は、椅子に座って行うようだ。役僧は、和尚より少し後ろの椅子に座っている。その役僧の隣には、もう一つ椅子がおいてあった。あとから、和尚が座るための椅子なのだろう。
導師の礼拝が始まった。曲つきのお経だ。そのお経にあわせて立ったり座ったりしている。続いて焼香。そして、通夜の時も行った洒水だ。洒水が始まると同時に、役僧が声を出した。これも曲つき、ふし付きのお経である。確か、「讃(さん)」と呼ばれるものだったと思う。
俺は、祭壇の上で静かにしていた。洒水の水が魂に染み込む。何とも心地よい。讃が魂に響いてくる。まるで、森林の中にいるような気持ちよさだった。

葬式に行われる引導の作法というのは、なかなか忙しいものだった。テキパキと和尚は両手を合わせたり、手で様々な形を作っては真言を唱えていた。印を組み、真言を唱えているのだ。
讃が終わり、鉢(和風シンバルンとでも言おうか)が打ち鳴らされている。その中、和尚は役僧の隣の椅子に下がった。鉢が終わると、鐘が打ち鳴らされ、お経が始まった。
「ご列席の皆様方には、お焼香をお願い申し上げます。」
順に司会から名前を呼ばれ、焼香が始まった。まずは女房、子供達、そして親族・・・・。読経の中、近しい順に焼香が行われる。祭壇前の焼香は主に身内用だった。一般の焼香客は、別の焼香台で焼香を行っていた。
祭壇前の焼香が終わる(一般の焼香はまだ続いていた)のと、ほぼ同時にお経も終わった。そして和尚が立ち上がる。祭壇正面に向い、懐紙を取り出し、広げ読み上げ始めた。
「それ、六大は無碍にして・・・・・・」

諷誦文(ふじゅもん)と呼ばれるものらしい。和尚は朗々と読んでいた。その内容は、どうやら、「お前はもう死んだのだよ。戒名もついたし、これからは仏の弟子としてあの世へ行くのだよ。できればいいところへ行けるように願ってあげよう。」というもののようだ。いわば、この世の卒業証書といったところか。異なるののは、最後に、ご真言が授けらることであろう。その真言を和尚が唱えた。
「オン アビラウンケン バザラダドバン・・・・・アサンメイ・・・・・」
その瞬間だった。俺の身体というか、俺に異変があったのは。自由が利かなくなったのだ。いや、それだけではなかった・・・。
『ど、どうなっているんだ。あっ、吸い込まれそうだ。』
祭壇の奥のほうからだった。ものすごい力が、俺を吸い込もうとしていたのだ。
『う、うわぁ〜、吸い込まれるぅ〜。あ、あぁぁぁぁぁ・・・・・・。』

そこは真っ暗だった。何も見えない。否、自分の身体だけは、ぼんやりと光って見えた。
『ここはどこだ。真っ暗だ。俺は立っているのか。浮いているのか・・・・。おかしい。ついさっきまで俺は確か葬式の場にいたはずだ。どうなっているんだ。』
サッパリわからなかった。葬式の場にいたときは、体の自由がきいた。俺は好きなところへ飛んだりできた。だが、今は、そう、何かに引っ張られているような、そんなかんじがするのだ。身体が前のほうへと引っ張られるような・・・・・。もちろん歩いてはいない。宙に浮いている感覚である。だが、うん、やはり引っ張られている。真っ直ぐ立ったままの状態で前へ前へと移動しているようである。音もなく、スゥーッと・・・・。そう、ちょうど、TVのオカルト番組に出てくる幽霊の動きのように。

『ここはどこだろう・・・・。あ、あれはなんだ。光っているが・・・・。』
落ち着いてきた俺は、周りを眺めてみた。周りは真っ暗なのだが、遠くにボーッと光る珠を見つけたのだ。後ろを振り返ってみた。すると、後ろの方にも光の珠があった。よく見ると、前にも、横にも光の珠があった。それはそんなに大きなものではない。しかも、みな遠くに見える。そう見えるだけで本当に遠くにあるのかどうかはわからなかった。真っ暗の中に数個の珠が光っている。

「その光はお前の仲間だよ。死んだ者達さ。」
そ、その声は・・・・。
「覚えてくれていたようだな。今、お前はあの世の世界に入ったのだ。ということで、約束通り、これからお前にはあの世の取材してもらう。といっても、前にもいった通り、お前は感想を述べればよい。また、出合った人々に聞きたいことを自由に聞けばよい。それができるのは、お前だけなのだから、しっかり頼むぞ。はっはっはっは。」
『お、おい、ちょっと待ってくれ。おい!』
俺は、慌てて声の主を呼び止めたが、返事はなかった・・・・・。そうか、俺は、あの世に入ったのか。ということは、ここはあの世の入口か?。それにしても、三途の川があるわけでも無いし、お花畑も無い。まさか、地獄の入口ってことはないだろうな・・・・・。
俺は、そんなことを考えていた。少々混乱していたのかも知れない。だから、気付かなかったのだ。目の前に火の車が迫っていたことに・・・・。




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