バックナンバー(二十八)    第百五十話〜第百五十四話

「では、汝の裁判を始めます。さて、ここに至るまで、あなたは何を見ましたか?」
変生王の質問に彼女はすぐには答えなかった。考え込んでいるのか、どう答えていいのか迷っているのか・・・。しばらくして、か細い声のまま彼女は答えた。
「こちらの世界に来てからのことを・・・全部・・・もう一度・・・初めから・・・見ました」
「ふむ、それで、あなたはどう思われましたか?」
「わ・・・私は、罪な女です。私がしてきたことは・・・重罪です。私は・・・多くの人を・・・夫を・・・苦しめてきました。私は・・・ひどい女です」
「ふむ、では聞こう。なぜ、そのような罪を犯してしまったのですか?」
「そ、それは・・・」
そう言ったきり、彼女は黙り込んだ。きっと、考え込んでいるのだろう。なぜ、彼女が、浮気に走ってしまったのか、なぜ夫をないがしろにしてしまったのか・・・。彼女は、いったい何と答えるのだろうか?。

ものすごく長い時間が流れたような気もするし、ほんの2〜3分だったような気もする。しかし、この世界には、そもそも時間の概念がない。いや、時間自体が存在していないのだ。だから、どれくらい時間がたったか、などということは意味のないことである。しかし、現実世界でのことならば、俺は彼女が口を開くまでに、随分と長い時間を待たされたことであろう。そんな感覚が残るほど、彼女は考え込んでいたのだ。そして、彼女が言った言葉は
「満たされなかったからです」
だった。

「私は・・・満たされなかった。何をやっても満足ができなかった。それは・・・私が幼いころからそうだったように思います。なにを手に入れても、欲しいものを手に入れても、自分の思うようになったとしても、私は満たされなかった。かといって、思うようにならなかったり、欲しいものが手に入らなかったり、自分のわがままが・・・そう、わがままなんですけどね・・・それが通らなかったときは、もっと悔しかった。そう、悔しかったんです。つらいとか、苦しいとかじゃない。悔しいんです。私は、何もかも私の自由にしたかった。でも、そんなことは無理です。わかっています。そんなことはわかっています。でも、私の自由にしたかった、何もかも、誰であっても・・・。でも・・・周りの人たちが、私の言うことを聞いてくれて、『じゃあ、あなたの自由にしていいのよ』なんて言ってくれると、それも許せないんです。最初は嬉しくて・・・、私の自由にできることが楽しくて、イキイキとして、思うようにするんですけど・・・。次第に虚しくなっていくんです。こんなんじゃない、こんなんじゃない・・・。心の中でそう叫んでいる自分がいるんです。結局、思うようにしたって、何も満たされない。全然満足できない、嬉しくとも何ともない、楽しくもない・・・。理想の夫と結婚したって、いくら愛されていると知ったって・・・結局虚しいだけ。満たされないんです。そういう態度がすぐに出てしまうんです、私は。すると、友達も離れてしまうし、夫も私よりも仕事を優先するようになる。私からみんな離れていってしまう・・・。私は結局一人きりなんです。淋しい、寂しい、さみしい・・。虚しい、空しい、ムナシイ・・・。私の心にあるのはそれだけ。それしかないんです。だから、満たされようとして、いろいろなことに手を出しました。でも、どれもこれも全部中途半端。そりゃそうです。やっている途中から、虚しくなってくるんですから。どれもこれも違うんです。自分の求めているもの、こと、人・・・とは違うんです。肉体的快楽を貪ったって何も満たされない。精神的に落ち着こうとヨガだの、瞑想だのやっても落ち着かない。チヤホヤされたってつまらない・・・。なんて、厄介な女なんでしょう。私は、自分で自分を持て余していました。その結果が・・・これです」
「ふむ、あなたが罪を犯したのは、すべてあなた自身の『満たされない心による』ということですね?」
「えぇ、そうです・・・。いいえ、ちょっと違います。私が重罪を犯してしまったのは、満たされない心を持った私という人間を、うまく扱えなかった私自身の責任です。そうです。そう言ったほうが正しいと思います」
彼女はそうきっぱりと言った。

俺が思うに、今までの彼女は、「ともかく自分が悪い、自分が悪いから地獄へ」の一点張りだった。裁判官の言葉にも、ただ困惑している様子だった。しかし、今回は妙に落ち着いている。しかも、しっかりと自分を見つめて、何が原因で彼女の人生が狂ったか・・・ということをよく理解していた。この裁判所に至るまで、今までの裁判を改めて見させられ、自分を見つめ直すことができたのだろうか?。それとも、現世に戻って、旦那の姿を見て、自己を見つめ直すことにしたのだろうか?。いずれにせよ、彼女は、自分の本当の姿を知ったのだろう。
しかし、問題はこれからだ。自分の真の姿を知ったとしても、生まれ変わり先がどうなるかは別問題である。彼女の今の心境はどうなのだろうか?。まだ、地獄行きを望んでいるんどあろうか?。もし、その場合は、以前のような投げやりな望みではないであろうと思う。すべてをあきらめた果ての地獄行き希望ではないであろう。俺は、変生王が次にどんな質問をするのか、それに期待した。

「ふむ、あなたは、よく自分の心を見つめています。よくその答えに達することができましたね。それは、なぜですか?。どうしてその答えを見つけることができたのでしょうか」
「はい、ここに至るまで、過去の裁判をすべて見させられました。すべて私がやってきたことです。間違いありません。全部自分の行為です。その行為を再び見させられて、裁判官さんたちの言葉を思い出しました。投げやりじゃないのか、自分を捨てているのではないか、お前の夫はそんなことは望んでいない、考えることをやめてはならない・・・いろいろな言葉を裁判官さんたちは、私にかけてくれました。確かに、現世に戻ってみれば、夫は私がいいところへ生まれ変わってほしいと望んでいました。私の犯した罪をすべて赦すとも言ってました。きっと、それは本心でしょう。でも、その言葉を聞いた時も、私は『虚しい』と思ってしまったのです。『嬉しい』じゃない『虚しい』なのです。なんて嫌な女なんだろう、ってそのとき気が付いたのです。『あぁ、私はとても嫌な女だったんだ』だと。そんな状態で、過去の裁判を見ました。それで納得がいったのです。すべてはこの私にある。何をやっても、満たされない私にすべての原因がある・・・そう気が付いたのです。でも、そう気が付いた瞬間、初めて私は満足できたのです。私は私がわからなかった。でも、やっと私は私がわかったのです。私という人間がどういう人間なのか、初めてわかったのです。初めて、地面に足をついたような、そんな安心感がありました。こんな裁判、何度やっても無駄、と思っていましたが、それは大きな誤解でした。今までの裁判のお陰で、私は私を理解できたのです。ありがとうございます。今は、とても落ち着いています。今までになく、平穏な気持ちでいられます」
「そうですか。それはよかったです。そう言っていただけると、私たち裁判官も、裁判をやってきてよかったと思えます。あなたのような死者がたくさんいるといいのですけれどね。まあ、それはともかく、裁判は、次回が最後です。あなたが亡くなって、49日目の裁判が最後です。そこで、あなたの生まれ変わり先が決まります。そのことに関して、何か言いたいことはありますか?」
「いいえ、なにもありません」
彼女は、変生王の問いに即座にそう答えた。
「なにもないですか?。どの世界に生まれかわるかわかりませんよ?。地獄かも知れない、餓鬼かもしれない、畜生かもしれない、あるいは・・・」
「いいんです」
彼女は、変生王の言葉をさえぎって、そう言った。
「もういいのです。ここに来る前までは、私は地獄を望んでいました。地獄へ行くべきだと思っていました。でも、それは、地獄へ行くことで、私は私から逃げていたのです。いいえ、すべてから逃げようとしていたのです。そのことは、裁判官さんからも指摘されていました。そう、私は地獄行きを望むことで、私が犯してきた罪から目をそむけていただけなのです。私自身から目をそむけていたのです。逃げていたんです。地獄へ行けば、どうにかなる、赦される、私みたいな女は地獄へ行った方がいい、そのほうがいい、それでいい・・・。でも、それは単なる逃げだったのですね。私が犯した罪から目をそむけていただけなのですね。逃げたかっただけなのです。そのことに私はようやく気が付いたのです。ですから、私は何も望みません。私は私が犯した罪の清算をします。そのためにはどの世界に生まれ変わろうとも、私は大丈夫です。覚悟ができています。ですので、どの世界に生まれ変わるか、ということに関しては、何も言うことはありません。いいえ、私は、何ももう言うことはありません。今は、私の真の姿を知ることができた喜びで満足しています。この裁判があって、本当によかったです」
彼女はそういうと、きっと、変生王に頭を下げたのだろう、そんな気配が漂ってきたのだった。
「ふむ、見事だ。そこまで至るとは・・・。もう私の方からは何も言うことはない。あなたの未来は、あなた自身に託しましょう。弥勒菩薩様、よろしいでしょうか?」
変生王は、後ろを振り返って(きっとそうだろう)、弥勒菩薩にそう尋ねた。
「善き哉、善き哉、善女人よ。汝の至るところ、これ真実なり。汝は、真実の自分を知った。如実知自心・・・実のごとく自分の心を知ることは、これは一つの悟りである。よく至った。さぁ、今の心をよく保つがよい。その心で、次へ進むがよい」
弥勒菩薩は、そう彼女に言ったのであった。その声は、とても澄んでいて、心の奥深くにしみわたるような声であった。
「ありがとうございます。次の裁判まで、私は、静かに過ごしたいと思います」
「そうですか。では、そちらの方から出てください。あなたの裁判は終わります」
変生王は、そう言って、彼女を外へと誘ったのであった。こうして、俺が最も気にしていた彼女の裁判は終わったのである。

「いかがでしたか?」
変生王が俺にそう声をかけてきた。
「裁判を傍聴してよかったですねぇ。このような結果になるとは、思ってもいなかったでしょう?」
「えぇ、びっくりしました。ホント、正直、驚いています。彼女が、あんなことを言うとは・・・。この裁判でも、もっと取り乱すのかと、そう思っていましたから」
「そうですねぇ。私も今までの裁判の報告から、このような結果は想像していませんでした。私も驚いています。まあ、しかし、こうしたことは、たまにあるのですよ」
「こうしたこと・・・?。あぁ、今までの裁判で取り乱したり、罪を認めなかったりしたものが、この裁判では素直になる・・・ということですか?」
「そうです、そういうことです。そのようなことは、たまにあるのです。まあ、そうした結果を得させるためにこの6回目の裁判はあるのですけどね」
「それは、過去の裁判を再び見る・・・ということの効果ですね?」
「そうなのですよ。客観的になれるでしょ、過去の裁判を見させられた時は」
「えぇ、自分のことなんですが、ドラマを見ているような感じがして、冷静に過去の裁判を見られることは確かですね」
「客観的になる、ということが大事なのですよ。当事者では、なかなか客観的にはなれない。しかし、自分の裁判であれ、振り返ってみることができれば、客観的になれるのですよ。そうすることにより、今まで気が付かなかったことに気が付くようになるのですな。ここでの裁判は、それが目的で行われているのですよ」
「なるほど・・・。最後の裁判の前に、客観的に自分を見つめ、自分の罪や自分自身において、気が付かなかったことに気付くように仕向ける・・・。そういうことですね」
「そういうことです」
すごいシステムである。人が死んでから受けるあの世での裁判は、大変良くできたシステムなのだ。1回目〜5回目まで、「お前は罪を犯した、地獄行きだ、素直に認めよ」などと責めたてる。多くの者は、しおれてしまい、「地獄は勘弁してください、赦して下さい」と助けを請うであろう。中には「それは自分ではない、自分はそんなことはしていない」と素直にならない者もいるかもしれない。しかし、いずれにせよ、そうした死者たちの吐く言葉は、上っ面の言葉なのだ。その場逃れや言い訳なのである。心から、自分が悪かった・・・とは思っていない場合が多いであろう。地獄へ行きたくないばかりに、とにかく謝っておけ・・・といった程度の言葉なのである。人間なんて、そんなものだ。責められたら、言い返すか、言い訳するか、とりあえず謝っておくか、である。
しかし、そんな自分の姿を客観的に見させられたら、どうだろう。多くの者が、恥ずかしいと思うのではないか。で、なぜこんなに責められたのだろう、と考えるのではないか。そして、すべては自分の身から出た錆なのだ・・・と気が付くのであろう。いや、もちろん、気付かない者もいるだろう。そういう場合は、変生王が教え導くのだろう。
そうなのだ。こっちの世界の裁判は、最終的に、
「すべては自己責任である」
ということを教える仕組みになっているのだ。それを心得て、最後の裁判に臨むのである。
「その通りです。すべては自己責任である。それを理解していただけないと、次の裁判で少々困ることになるのですよ。まあ、困るといっても、大したことはないのですけどね。でも、すべては自己責任である、と理解していただいた方が、スムーズに進みますからねぇ。なかなか、いいシステムでしょ。こっちの世界の裁判は」
変生王は、そういうと、「ほっほっほ」と笑ったのだった。そして、
「さぁ、聞新、最後の現実世界に戻ってらっしゃい。もう、現実世界へは戻れなくなりますからね」
と優しく言ってくれたのだった。俺は、素直に「はい、そうします」とうなずいた。その瞬間であった。
そこは、見馴れた我が家の座敷だった。


「いよいよ四十九日が近づいたのう」
そこにいたのは、女房の守護霊のおじいさんであった。ついこの間会ったばかりなのに、なんだか久しぶりなような気がした。
「あ、あぁ、そうですね。いよいよ四十九日です。こっちの世界ともお別れですね・・・」
そう口にして言うと、実感がわいてきた。そうなのだ。この現実世界にいられるのは、もう数日間だけなのだ。その数日間が過ぎれば、俺はどこかに生まれ変わることになる。そうなれば、もうこっちの世界には来られないだろう。否、天界に生まれ変わることができれば、神通力さえうまくコントロールできるようになれば、こっちの世界に来ることは可能である。
「そうぢゃのう、天界に生まれ変わることができれば、な。しかも、なるべく上の階級の天界ならば、の話ぢゃがの」
おじいさんは、俺の思考を読み取って先回りしてそう言った。
「まあ、お前さんの先輩は、法力も強いし、供養の意味もよく知っておるから、お前さんのためにちゃんと供養はしてくれるだろう。ぢゃから、エネルギー的なことは心配はないわな。それに生きているときに、罪らしい罪も犯してはいないようぢゃからな、天界の可能性は高いのう」
確かにそうである。今までの裁判を振り返ってみても、俺が地獄へ行くようなことはない。餓鬼の世界もないであろう。畜生にもならない。戦いの世界である修羅とも縁がなさそうだ。人間界は・・・俺の女房が子供産むことはないから、あるとすれば、このおじいさんがいたような待機所だろう。となると、やがては天界だろう・・・。って、俺は何を心配しているんだ?。生まれ変わり先のことを俺は気にかけている?。今さら、何だというのだ・・・。
「何なんですかねぇ。今さらなんですが、俺は生まれ変わり先のことが気になってきちゃったみたいで・・・・」
「はっはっは、まあ、無理もないわな。こっちの世界に来られるのもあと数日。数日後には、審判が下る。そりゃ。誰だって判決が気にはなるし、心配にもなるわな。緊張もするぢゃろう。それはわかっていても当然ぢゃな」
「まるで受験生の気分ですよ。いや、こんな緊張感は、就職試験の採用通知待ち以来ですねぇ・・・」
「お前さんと一緒に裁判を受けた者たちは、みんな同じ気分ぢゃろうて」
あの強欲じいさんもそうなのだろうか?。あれだけ「覚悟はできている、地獄でもどこでも構わない・・・」と言っていたのだが、今の心境はどうなのだろうか?。もうどっしりと腹が座っていて、こんな緊張感はないのだろうか・・・。あの強欲じいさんなら、それもあり得るだろう。あの浮気女は・・・。やはり心配だろうな。緊張もしているだろう。おそらくは、地獄行きであろうと覚悟はしているだろうが、やはり、緊張感はぬぐえないだろう。そうか、そうなのだ。この数日間、我々死者は、どこへ生まれ変わるのかという不安を抱えて過ごすことになるのだ。

今さら何を・・・と思われるかもしれない。今までだって、生まれ変わり先を決める裁判をしてきたのだろう?、それなのに、今さら何をビビっているのだ・・・と言われるだろう。確かにそうである。今までだって6回の裁判を受けてきているし、その間に判決が出てしまう場合もある。しかし、おそらく多くの死者たちは、なんとなくではあるが、途中で判決が出るとは思っていないのではないか。しかも、裁判の回数を重ねるにしたがって、慣れも出てきているのだ。何だかんだと責められ、地獄行きだな、と脅されたりはするが、「それは勘弁してください」と頼み込めば次へ進める・・・ということは、わかってしまっているのだ。滅多なことで、途中で本当に地獄行きとはならない・・・ということは、誰もが暗黙の了解となっているのである。だから、「もう判決が出るぞ」という緊張感はあまりないのだ。それよりも、「この裁判をクリアすれば、また現世に戻れる」という気持ちの方が強いであろう。やはり、家族との別れはつらいものだから、なるべく家族のもとに長くいたいのだ。次第に迫ってくる判決よりも、家族と過ごす時間のほうが大事なのである。
が、しかし・・・。今回が最後の現世という現実を突きつけられると、妙な緊張が生まれてくるのだ。今までわかっていたけど、見ようとしなかった現実が、ついにそこまでやってきたのである。名残惜しいのだ。そして、怖いのだ。それは、一回死んだにも関わらず、もう一回死ぬことと同じだからなのではないか。そう、俺たち死者は、もう一回死ぬことになるのである。死への恐怖と同じような恐怖が差し迫っているのである。
そう思うと、この四十九日間というものは、案外過酷なものだ。確かに生前の反省はできるし、遺族との別れを惜しむことはできる。自分が死んだあとの遺族の想いも知ることができる。それが良いか悪いかは別なのだが。まあ、知らなかった方がよかった、という場合もあるのだが。それにしても、四十九日間で気持ちの整理はできる。できるのだが、死んですぐにどこかに生まれ変わったほうが潔いとも言えるのではないか。死んですぐに地獄へパッと生まれ変わったほうが、楽と言えば楽なのではないか・・・。
「そうなると、なぜ地獄へ来たのか・・・という理由が理解できんわなぁ。それは仏様の意に反することぢゃろう」
おじいさんは、俺の考えていることをずーっと読み取っていたのだろう、すかさず口を挟んできたのだった。
「まあ、確かにそうですけどね。えぇ、そうですね。いきなり地獄へ送られたら、何でこの俺が!と反発するでしょうね。生前の行為の善悪をしっかり見つめ、反省し、どこに生まれ変わっても納得できるようにするのが、今までの裁判の意味でもあるのでしょうねぇ」
「その通りぢゃな。自己を見つめる、自身を知る・・・それがあの世の裁判の目的なのぢゃからな。それにしても、お前さん、案外気が小さいな」
そういうと、おじいさんは、俺の顔を見て、ニヤリと笑ったのだった。
「気が小さいですよ。だから、真面目に生きてきたんですよ。小心者だからこそ、下手なことはしてこなかったんですよ。ついつい、先のことを心配して、大胆な行動ができないんですよ。だから・・・」
「あぁ、もうわかった、わかった。小心者がいけないとは言っとらんぢゃろう。そう突っかかるな」
おじいさんは、苦笑いしながらそう言った。そう、俺は、妙にイラだっていた。

「おじいさんは、どうだったんですか?。やっぱり緊張しましたか?」
気を取り直して、俺はそう質問してみた。そのほうが気がまぎれる。
「うん、そうぢゃのう・・・どうだったかのう・・・。わしはな、農家一筋で無学ぢゃったからのう、あまり深いことは考えられんかった・・・。それに・・・」
そういうと、おじいさんは俺の顔をみて優しく笑った。
「小心者ぢゃったからな、裁判の時も小さくなっておっただけぢゃったから。なんというか、ただ順番に並んでおっただけ、というのが本当のところぢゃな。最後の判決の時も、順番が来たから、何も考えず、六つの鳥居・・・あ、そうそう、お前さんは四十九日目のことは知っておるんぢゃったなぁ」
「えぇ、知ってますよ。詳しくは知りませんが、扉が六つあって、その一つを選ぶのだ、と聞いています」
「ふむ、そうか・・・。わしの時は、鳥居ぢゃったなぁ。鳥居が丸く六つ並んでおるのよ。その真ん中にわしはいたんぢゃ。で、上の方から、『どれでもいいから好きな鳥居をくぐれ』と言われたんぢゃ。で、何も考えず、目の前の鳥居に入ったんぢゃ。そしたら・・・」
「人間界の待機所・・・だったんですね」
「まあ、そうぢゃな。うーん、ぢゃから、わしは、あまり緊張せんかったのう・・・。ただただ、なんとなく、前の人について行った・・・というだけぢゃな。お前さんたちのような特殊な死者もいなかったしのう」
そうなのだ、俺の周りには特殊な死者が多いのだ。いや、そうじゃない。このおじいさんたちの時代は、俺たちの時代のような特殊な人間が少なかったのだろう。浮気ばかりしていたら村の噂になり、村八分になってしまうだろうから、そんな女性は滅多なことでは存在しないだろう。ましてや、覗きをやる教師など、いないに等しいだろう。村の強欲なジジイとか意地悪なババアというのは、存在したのだろうが、それでも裁判官とやりあったり、仏様に食ってかかるような者はいなかったに違いない。おそらくは、誰もが裁判官の前でひれ伏したのではないか。
「そうぢゃのう、お前さんが思う通りぢゃ。わしらの時代の人間は、裁判官に文句を言う者はいなかった。みんな、『その通りです。申し訳ないです』と頭を下げていたのう。上位のものには逆らってはいけない、というのが暗黙の了解ぢゃったからな。今の人たちとは違うのう。ぢゃから、お前さんたちのような、そんな状況の裁判はなかったのう・・・」
そういう状況ならば、何も考えず、ただ前の人についていけばいい・・・となるであろう。そうなのだ、そのほうが案外楽なのかもしれない。裁判でも、「すみません、もうしません。それは自分がやってきたことです。申し訳ない・・・」と言っていれば終わっていくのである。あれこれ考えさせられるようなこともないのであろう。本当はそれではいけないのだろうが・・・。
「そうなのぢゃ、それではいかんのぢゃ。本当は、裁判官といろいろ意見をやりとりして、己の心の中を深くまで考えることが大切なのぢゃ。そうでないと、生まれ変わり先で苦労するからのう。結局、なぜここに生まれ変わったか、ということを理解していないうちに生まれ変わってしまうからなぁ」
「ということは、おじいさんたちの世代は、今ほど裁判官も積極的ではなったのですか?」
「まあなぁ、そういう人もあったろうが、多くの者は、裁判官にへいこらしておったからな。裁判官も突っ込みようがなかった、というのが本音ぢゃろうて」
「なるほど・・・。そういう時代だったんですね。ま、現代人は、裁判官だろうが、誰であろうが、簡単にはひれ伏さないですからね。目上の者に対して、とりあえず従っておけ、という感覚は薄れていますね。あぁ、そういえば、たまたま私の周りは若い死者が多かったのですが、お年寄りなどは、すんなり先へ進んでいたように思います。そうか、ということは、私の周りがやはり特殊だったんでしょうねぇ」
「ま、そうとも言えるな。今でも、お年寄りの死者は、あまり裁判官に突っかからんぢゃろうて。ペコペコ頭を下げて、そのまま通って行くんぢゃろう」
おそらくそうなのだろう。まあ、中には反発をするお年寄りもいるかもしれないが、きっとそれは少数派だと思う。多くは、裁判官とのやり取りも少なく、さっさと進んでいっているのだろう。
「いろいろ知りすぎるのも、負担が増えますねぇ。知らなかったら、知らなかったで、すんなり通れるのかもしれませんね。こんなに緊張することもないのかもしれません」
「まあ、そうかもしれんがな、でも知っておいた方がいいのぢゃよ。生まれ変わった先で、『なぜ、こんなところへ?』と疑問に思うことも無かろう。あるいはな、『おぉ、天界へ来てしまった。ありがたい、ありがたい』と有頂天になって、天界での修行を怠ることにもなりかねん。なぜ、その世界に生まれ変わったか、ということは、できれば知っておいた方がいいのぢゃよ」
「あぁ、そうですねぇ。自分では地獄へ行くつもりはなかったのに、地獄行ってしまったら、不平不満だらけだし、本当の反省は得られないですからねぇ」
「そうなのぢゃ。そういう意味では、裁判官もつらい立場ぢゃなかろうかと、わしは思うんぢゃがのう」
それはそうであろう。裁判官としては、できるだけ、死者に自己反省を促したいのだから。自分を振り返り、自分を深く知り、「こんな自分だから、地獄に行っても不思議ではない」、「こんな自分だから、この世界に生まれ変わっても仕方がないのだ」と納得できるような状態にまでしたいところであろう。だが、ただただ「すみません、すみません、私が悪いんです」と繰り返すばかりの死者には、自己を深く知るように指導するということは難しいであろう。そういう者たちは、「なぜそこに生まれ変わったか」ということが理解できないまま、生まれ変わり先へ行ってしまうのだ。それは不本意なことなのである。
「私の周りの死者が特殊だったのは、私にとってはラッキーだったのですね」
「そういうことぢゃな。あの世の裁判の本当の意味を知ることができたのぢゃからな」
「そっか・・・。そういう意味では、よかったんだ。ということは、まあ、自分で言うのもなんですが、私はきっと、人間界か天界ですよね」
「まあな、おそらくはそうぢゃろう。もし、閻魔天様の世界に来たら、わしが案内してやるし、いろいろ指導してやるぞ。あっはっはっは」
「そうなるといいですね」
俺はようやく、心が落ち着いてきたのである。

「ところでお前さん、この最後のこの世はどう過ごすのぢゃ?」
おじいさんにそう言われて、俺は何も考えていないことに気が付いた。そうか、そうなのだ。この現実世界に来られるのは、これで最後なのだ。
「そうですねぇ・・・。何も考えてませんでしたよ。どうしようかなぁ・・・」
俺は、しばらく考えていた。そして
「そうですね。できるだけ家族と長く一緒にいたいです。それと、お世話になった人には挨拶に行きたいですね。まあ、お世話になったといっても、会社の連中に会うわけにはいかないので・・・っていうか、向こうもびっくりするでしょうし、今さらそんな必要もないでしょしね・・・だから、先輩のお寺に行って挨拶はしてきますよ。あとは、自宅でゴロゴロですかねぇ」
「ふむ、まあ、それがよかろう。女房の顔も、子供たちの顔も見納めぢゃからな・・・」
おじいさんのしみじみとしたその言い方に、俺はグッと来てしまった。そうだ、もう最後なのだ、と思うと、いたたまれなくなってしまったのだ。
「おぉ、悪いこと言ったな。まあ、一人でゆっくりと過ごすがいい」
そういうと、おじいさんはスーッと消えてしまったのである。
俺は、肉体があったならば泣いていたのだろう。とても悲しかったのだ。涙が出ないことに、今さらながら、あらためて自分は死んでいるのだと実感した。呑気なものである。今まで気にもしなかったのに・・・。
「ま、仕方がないか。さてと・・・。家の中でも見回るかな」
俺は、座敷を出て、狭い我が家を一部屋一部屋見て回ることにしたのだった。



安い建売を買ったのはいつのころだったか。サラリーマンにとっては、これが限界である。が、俺が死んだことによって、ローンは完済される。そんなことだったなら、もっと多額のローンを組んで、もっと大きな家を買えばよかった。
俺は、狭いLDKのリビングにある、ソファに座ってぼんやりしていた。ソファと言っても、大したものではない。皮張りじゃないし、高価なものでもない。ついていないTVを眺める。ゆっくりTV番組を見る時間などなかった。どこの家庭でもそうだろうが、残業だとか付き合いだとかいって、自宅に帰るのが遅くなる。俺の場合、本当に残業が多かったし、取材で深夜になってしまうことも多々あった。飲みに行っている暇もあまりなかったように思う。
この家にいた時間は、いったいどのくらいだったのだろうか。家族と過ごした時間は、どのくらいの時間だったのだろうか。
そういえば、女房がいない。女房の守護霊のおじいさんは、女房がいないのにもかかわらず、俺を出迎えてくれたようだ。あの姿は、分身だったのだろう。ありがたいことである。
女房は、この時間は・・・夕食の準備の買い物だ。女房の日常を知ったのも、俺が死んでからだ。平日の女房や子供たちが、いったいどのように過ごしているのか、そんなことは死ぬまで知らなかった。もちろん、女房は浮気をするような女ではない。働くのもあまり好きではない方だ。とりあえず、共働きなどしなくても家計は大丈夫だったので、女房は働きに出なかった。趣味のガーデニングを狭い庭を使って、せっせとやっていたようだ。今日も夕食の買い物をしながら、花屋に行っているのだろう。俺は、庭に出てみた。
庭には色とりどりの花が咲いている。その花は、時々俺の祭壇に供えられている。庭の向こうには、運転手を亡くした車が一台。それはどうするのだろうか?。女房は運転が下手だ。しかし、車がないと困るのも事実だ。きっと、軽自動車に変えるのだろうな。車の横には、自転車が二台置いてある。子供の自転車だ。もう一台ママチャリがあるのだが、それは今は女房が乗って行っている。子供たちは学校である。これからは、女房も庭や花をいじる時間は少なくなるのだろう。労災があるから、そんなには働く必要はないとは思うが、それでも毎日家にいるのも気が滅入ってしまうのではないか。少しは働いた方が気がまぎれるというものだ。そのうちに・・・いい人に出会い、恋をすることもあるのかも知れない。女房は、まだ30代なのだから・・・。
急にしんみりとしてしまい、俺は部屋の中にはいった。そして、二階に上がってみる。そういえば、よく幽霊は壁や床を突き抜けてくる、というような話を聞くが、あれは嘘だと思う。現に俺はこうして階段を上っている。部屋に入るときだって、わざわざ壁を通り抜けたりしない。なぜかと言えば、下手に壁や床を通り抜けようものなら、異常にエネルギーをロスするからだ。しかも、生きていた時の習慣が残っているのだ。緊急でもない限り、壁を通り抜けたりするものか、と俺は急に腹立たしくなってきた。怒っても仕方がないことだが、いい加減なことを言う霊能者の存在が、急にムカついてきてしまったのだ。
『まったく、いい加減なことを言いやがって・・・。死人だって、幽霊だって、ちゃんと律儀に階段も登るし、ドアから部屋に入るんだよ。まったくインチキな連中が多くて困る』
俺は、ブツブツ文句を言いながら子供の部屋に入って行った。もちろん、ドアを通ってだ。
子供たちは、二人で一部屋を使っている。将来的には二部屋に区切れるようになっている広さがある。俺は、そのようにしておいてよかったと思った。一人一人それぞれ部屋が分かれていたら、きっと淋しい思いをしたに違いない。父親が死んでしまったショックを抱え、一人で過ごす夜は、きっと辛いだろう。普段、ケンカもするが、こういう時は、姉弟がいるというのは心強いものだ。
壁には、学校で書いた絵がはってあった。時間割表もある。アイドルのポスターもはってあった。机の上は、きれいに片付いている。俺の子供のころなんぞ、机の上は物置だった。子供たちは女房に似たのか、部屋も机も整理整頓がしっかりとできていた。
『そういうところは俺に似なくてよかった・・・』
ぼそりと俺はつぶやいていた。
子供部屋を出る。その隣の部屋に入った。そこは、寝室である。今さらながら、気恥ずかしさがこみ上げてきた。部屋の入り口にたたずみ、部屋全体を眺めてみた。今夜あたり、忍び込んでみようかな・・・、と思ったとたん、いたたまれなくなって、俺は部屋を出た。
階段をゆっくりと降りていた時に、玄関のドアが開いた。女房が帰ってきたのだ。俺は、階段に座り込んで女房を眺めていた。女房は、ドアの鍵を閉めると、すぐにキッチンに向かった。買ってきたものを冷蔵庫に入れるのだろう。俺もキッチンについて行った。冷蔵庫にさっさとしまうと、コーヒーを入れ始めた。カップは二つ。それをお盆にのせる。お盆には、ケーキがのった皿が二つあった。そのお盆を持って、女房は座敷に入って行った。
ケーキとコーヒーカップを俺の祭壇に供えた。自分の分は、座卓においた。
「今度の日曜日が49日の法要ね。本当の49日は、少しあとだけど、和尚さんによると、たいていは土日やるそうだから、今度の日曜日にしたわ。和尚さんから聞いたんだけど、49日が過ぎると、もうこっちの世界には帰ってこれないそうね。いよいよ、本当のお別れね・・・。はぁ・・・。淋しくなるわね。あなたは、どこか違う世界に生まれ変わり、違う世界を生きるのだそうね。天界だったっけ?、そういういい世界に行けば、こっちにも来れるらしいわよ。きっと知っていると思うけど・・・。いい世界に行ければいいね。で、たまにはここに帰ってきてよね。一人でいい世界で遊んでないでさ・・・」
ケーキをつつきながら、コーヒーを飲みつつ、女房は俺の遺影に向かってそう独り言を言っていた。俺は、思わず、女房を後ろから抱きしめた。
「あら、帰ってきてるのね。とても暖かい・・・。49日が終わるまで、一緒に過ごして欲しい。もし、いい世界に生まれ変わることができたら、たまには会いに来て欲しい・・・。お願いね、あなた・・・」
愛する者との別れは、これほどまでに辛いものなのか・・・。なるほど、生まれ変わることを拒否して、この世に留まるという選択をする者がいても、納得ができる。
俺は、その日もその翌日も女房にべったりと張り付いて過ごしたのだった。

俺が先輩と顔を合わせたのは、49日の法事の日だった。この世での残りの時間は、その日を含めて3日。4日間、俺は女房や子供たちに囲まれて過ごしていたのだ。
その日、祭壇の横には真新しい仏壇がおさまっていた。建売り住宅でも、座敷には仏壇を収納するスペースが取ってあるのだ。
「名残惜しかろうが、あとわずかだな。ここに至って、お前のデレデレした顔が見られるとは思わなかったがな」
先輩は、ニヤニヤしながら俺に声をかけてきた。もちろん、実際には声には出ていない。法事が始まる前に俺を見つけて、心の中で話しかけてきたのだ。
『もうこの世には戻ってこれないかもしれませんからね。少しはデレデレしたいものですよ。あぁ、でも、天界のどこかに生まれ変わったら、できるだけ早くこっちにやってきますよ。先輩にも報告したいしね』
「まあ、お前さんは、天界に行けるだろうよ。安心していろ。さて、お参りを始めるか」
心の中でそういうと、先輩は、女房達に向かって
「では、これより釋聞新の49日の法要を始めます。祭壇も今日で終わり、これからは仏壇でお参りすることになります。仏壇の開眼の供養も一緒に行います。途中、御焼香のお盆を回しますので、皆さん順次御焼香ください」
そういうと、先輩は法要を始めたのだった。
法事には、会社の同僚や上司も参列していた。まあ、これでけじめもつくというものだろう。そうして、俺という存在は忘れられていくのである。それは、致し方がないことであろう。死人にかまっているほど、会社は暇ではないのだ。過去よりも先が大事である。
45分ほどの法要が終わった。先輩が話し始める。
「皆様、ご苦労様でした。彼は大学の後輩でもあります。大学時代にはそれほど深い付き合いはなかったのですが、顔見知りではありました。彼といろいろと関わるようになったのは、彼の仕事で霊関係の取材に来た時ですな。それ以来、ちょくちょくうちの寺に顔を出すようになったのです。しかし、頻繁に来るようになったのは、彼が亡くなってからですな。
皆さんは、ご存知ないと思いますが、あの世では、7日ごとに裁判が行われます。生きていた時の罪を裁く裁判ですな。ですので、我々僧侶は、亡くなった方の裁判が少しでも有利に進むように、仏様にお願いするため、7日ごとに読経します。それが、初七日、二七日、三七日・・・というお経ですな。裁判は7回あります。7回めの裁判で初めて生まれ変わり先が決まるのですな。それまでは、死者はあの世と言う世界に存在しております。で、こっちの世界と行ったり来たりをしているのです。えー、本当の49日は、明後日ですので、彼もまだこっちの世界にいられます。今もそう・・・仏壇の前に座って、こちらを眺めていることでしょう。別れを惜しんでいるのですな。それも明後日になれば、自動的にあの世に連れ戻され、最後の審判を仰ぐわけです。と言いましても、参考までにお話ししておきますが、最後の裁判は、裁判官が『お前は地獄行きだ』とか『お前は天界へ行け』と判決を言い渡すわけではありません。実は、生まれ変わり先は、自分で選ぶのですな。
人は亡くなると、輪廻します。輪廻という言葉は聞いたことがあると思います。六道輪廻と申しますな。下から順にいうと、地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天と言う順になっております。地獄は皆さんよくご存知ですな。餓鬼は、飢えた世界です。畜生は動物の世界ですな。修羅は戦いの世界です。人間界はここですな」
先輩はそういうと、指先で下をさした。
「天は天界ですな。天界は、神々が住む世界です。下は下天という四天王が住む世界から、上は有頂天まであります。ですが、まあ、人が天界に生まれ変わる場合は、多くは帝釈天の世界でしょうな。帝釈天の世界といっても、そこには33の国がありますから、そのどこかの国の住人として生まれ変わるわけです。
天界は、いい世界ですよ。快楽の世界でもあります。神通力という超能力も使えるようになる。そうすれば、こっちの世界にも遊びに来ることができますな。天界で一生懸命修行すれば、自分自身が神になることも可能ですな。いやいや、もっと上、菩薩の道も開くことができます。
さて、彼はどの世界に生まれ変わるでしょうか。それは、誰にもわかりません。先ほど、自分で選ぶ、と申しましたが、選ぶことができるのは、どの入り口なのか、と言うことだけなのです。
お経には、このように説かれておりますな。49日を迎えると、裁判官が六つの鳥居を示して、どこでも好きなところに入れ、とおっしゃるのだそうです。どの鳥居も、その向こうはわかりません。どこでもいいのです。好きな鳥居を選べば、その先がその死者の生まれ変わり先になるのですな。
さて、彼は六つのうちの何番目の鳥居を選ぶのかは知りませんが、まあ、彼の場合きっと天界のどこかに生まれ変わるのだと私は思いますが、もしそうなったなら、早く神通力を身に着けて遊びに来てほしいものですな。もし、天界でない世界に生まれ変わってしまったら、百か日の法要の時に再審があるので、私のところにお願いにきなさい。なあ、聞新よ!」
先輩は、そういうと仏壇の方を見て・・・俺の顔を見て・・・にやりと笑ったのだった。

そのあとも女房と世間話などをしながら、先輩はしばらく俺の家にいた。帰り際に、
「明日くらい寺に来い。みんな淋しがっているぞ。我々には挨拶なしか、って言われるぞ」
と俺を指さして言った。
『もちろん行きますよ。明日にはいくつもりをしていましたから』
俺は、そういってうなずいたのだった。そうだ、先輩の寺に世話になっている幽霊の皆さんにも別れの挨拶をしていかねばいけない。随分、お世話にもなったし・・・。先輩とも話しておきたい。明日は、忙しくなりそうだ。だから、今夜まではゆっくりと過ごすことにしたのだった。

翌朝、俺は先輩の寺に向かっていた。寺まで飛んで行ってもよかったのだが、俺はブラブラと歩いて出かけた。俺がいた町を歩いてみたかったのである。
『おやおや、やっと顔を出したねぇ。あたしたちのことは、もう忘れたのかと思ったよ』
着物姿の姉さんが、いきなり嫌味を言ってきた。顔を見れば、笑っている。
『すみません。もっと早くに足を運ぶつもりだったんですけど・・・』
『やっぱり女房の横がいいわよねぇ。年増のわたしなんかより』
『やめてくださいよ。そんなじゃないですよ。まあ、名残惜しいのは確かですけどね』
『そうじゃな、もうこの世に滞在できるのは、今日と明日だけ。まあ、できるだけ愛する者のそばにいたいのが人情と言うものじゃのう』
髭のおじいさんが、しみじみとそう言ってくれたおかげで、俺も少しほっとしたのだった。
『皆さん、先日はいろいろとお世話になりました。いよいよ、私も皆さんとお別れするときが来ました。もし、天界に生まれ変わることができたならば、なるべく早く神通力を身に着けて、ここに遊びに来ますよ』
『ふん、その時は、いい男の姿で来てほしいものだわね。そんなよれよれの中年オヤジじゃなくてさ』
『えっ?、俺ってよれよれですか?』
『よれよれではないが、なんじゃのう、アクが抜けたというか、妙にまるくなったのう』
『なんだか、ニヤニヤしている。だらしない』
あの時の決して心を開こうとしなかった少女がそう言った。
『あぁ、そうかもしれません。まるくなったというか、妙に穏やかなんですよ。もうこの世に帰ってはこれない、ということになんだか慣れていったというか、納得できたというか・・・。未練を感じなくなったのかもしれません。昨日の49日の法事の後から、妙に落ち着いているんですよ。それまでは、もっとこの世界に留まりたい、家族と離れたくない、と言う気持ちが強かったんですが・・・。お経って不思議ですよね。先輩が唱えているお経を聞いているうちに、妙に心が落ち着いてきてしまったんです。覚悟ができた、と言ったほうがいいのかな・・・』
そうなのだ。あの法事の後、俺の心は妙に落ち着いていたのだ。自分でもよくわからないのだが、心がすごく静かなのである。本当にこんな気持ちでいいのか、と思うくらいである。
「それでいいんだよ。そのための49日の法要なのだからな」
先輩の声が本堂に響いたのだった。


「どうだ、落ち着いたろう?。お経の力は、そういうものだ」
作務衣を着込んだ先輩は、そういうと本堂の外陣・・・参拝者が座るところ・・・に、どっかと胡坐をかいて座った。
「今日はヒマなんでな、ちょっと付き合ってやる」
そういって、御本尊さんの足元方向・・・つまり、我々がたむろしているあたり・・・を睨んでそういった。
『先輩、付き合ってやる、という割には、目つきが悪いですよ。そんな顔をしていたら怖いじゃないですか』
「何を言うか。俺の目はな、若いねーちゃんから可愛いって言われているんだぞ」
そういうと先輩は、ニヤッとしたのだった。やっと、空気が和んだような気がした。幽霊の皆さんも、先輩が本堂にいると、ちょっと緊張するようなのだ。
『あの、皆さんに聞いていいですか?』
改まった言い方に、幽霊の皆さんは、ちょっとキョトンとした様子だった。俺は、返事を待たずに質問をした。
『やっぱり、先輩って怖いですか?』
「こら、何をいうか!。俺が怖いわけないだろ。みんなだってわかっているさ」
『いや、先輩はちょっと黙っていてくださいよ。みんなに聞きたいんだから』
俺がそういうと、先輩は、苦笑いしながら横を向いたのだった。
最初に答えたのは、髭のおじいさんだった。
『そうじゃな、まあ、怖いというか・・・。大した人だとは思うがな。話が通じない人ではないからな、そういう意味では、怖くはないな。が、時々、鋭い目をするんで、小さな子は怖いかもしれんのう』
『あたしはさ、最初は、憎たらしかったよ。偉そうなことは言うし、態度はでかいし、何様のつもりって思ったけど、まあ、筋が通っているのは和尚の方だし、間違っているのはあたしの方だし・・・。それにさ、相談に来る人に話をしている和尚は、怖くはないし、憎たらしくもないからね。でも、正直なところ、和尚がいると、ちょっと緊張するね。雑談はできないかな、ってところかねぇ』
その答えに他の幽霊たちもうなずいていた。すると、あの少女がぼそりといった。
『うるさいオヤジ・・・そんな感じ』
なるほど、それが正解だろう。幽霊のみんなにとっては、「うるさいオヤジ」なのだ、先輩は。それを聞いて、なんだかほっとした。自分のことではないが、先輩が幽霊さんたちから嫌われていないか、ちょっと気になったのである。もし、幽霊さんたちが、先輩を敵対視していたら、それは誤解だと話しておきたかったのだ。
「余計なことを・・・。そういうのを大きなお世話っていうんだ。あのな、幽霊たちは、決して俺に対し、敵対心を持たないさ。最初は、持つけどな。だがな、ここへ連れてこられたら、もう敵対心はなくなる。それはな、お経が聞けるからだ。さらには、仏様の救いを感じられるからだ」
先輩は、俺を睨み付けてそういった。そして「お経の力はすごいんだぜ、お前だって落ち着いたろ」と言って、口の端をあげてニヤッとしたのだった。
確かに、49日の法事が終わった後、あの妙な寂しさや心残り、悲しさは消し飛んだ。否、いつの間にかなくなっていたのだ。今は、すっかり落ち着いている。こっちの世界には未練を感じない。うまくは言えないが、心がすっかり凪いでいるのだ。シーンとしているのだ。
「お前さんだって、49日の法事が終わるまでは、あっちの世界に行きたくない、この世に留まりたい、女房にしがみついていたい、って嘆いていたじゃないか」
『あ、いや、その・・・』
『ふん、ヤラシイ男だねぇ。あぁ、情けない。こんな男にあたしたちは説教されたのかい?』
『ほっほっほ、まあ、若いうちに亡くなったのじゃ。奥さんに未練があるのは仕方がないじゃろう』
大人の幽霊たちは、俺を見てニヤニヤ笑っている。あの少女は、まるで汚いものを見るかのような目つきで、俺を眺めていた。
『ちょ、ちょっと、先輩、それはないじゃないですかぁ。まいったなぁ・・・』
「何も照れることはない。本当のことだ。それに、奥さんに未練を持つことは、それだけお前が奥さんのことを愛していたからだろう。また、奥さんも、お前さんを愛していたからだろう。いい家庭だったということがよくわかる」
その通りだ。いい家庭だった。いい家族だった。いや、これからもきっといい家庭であり、いい家族だろう。
「あぁ、心配はいらんさ。あの奥さんは、しっかりしている。一人でもちゃんと子供を育てていくさ。ま、うちのカミさんも、たまに世話焼いているみたいだしな。心配はいらんから、早くあっちへ行け」
先輩は、そう笑いながら言ったのだった。

『先輩』
「なんだ、改まって」
『すっかり落ち着いてしまったんですが、お経って本当にすごいですね』
「なんだ、話が戻ったな。あぁ、お経の力は、すごいんだよ。死者の揺れる心を沈める効果があるんだ。恨みや妬み、羨み、悔しさ、悲しみ、つらさ、そういった死者が抱え込んでいる心の重みを軽くするのだ。お前さんのように、未練や恐怖心を取り除き、平常心に変えることもできる。生きている者の耳には届きにくいが、死者にはそれがストレートに伝わるんだよ」
『そうですよねぇ。生きているときは、お経なんか聞いても、ただ眠たくなるだけだったんですが、死んでからお経を聞かされると、その内容というか、功徳というか、それが心の中に直接響いてくるんですよ。でね、いつの間にか、心地よくなるんです。ふわ〜とした、何とも言えない気分になるんですよねぇ』
「だからこそ、死者にお経を聞かすのだ。本当はな、お経は教えが説かれているのだから、生きている者が、その内容を学ぶべきものなのだ。しかし、生きている者が、その内容を学ぶことはあまりないな。出家でもしない限り、お経に何が説いてあるか、なんてことは誰も気にしない。最近じゃあ、坊主だって気にしない者もいる。お経に何が説かれているか、全く知らずにお経を読んでいる坊主もいるからな。恐ろしいものだ。でも、それでも、お経の功徳はあるのだからな。大したものだよ。お経の意味が解っていなくても、死者に対しお経をあげてやれば、死者は気分がよくなる。心が落ち着く。そのうちに、お経を読んでいる本人も、気持ちが落ち着き、迷いが晴れるのだ。お経とは、そういうものなのだ。う〜ん、やっぱり、仏教ってすごいなぁ・・・」
俺は、先輩の話にしきりにうなずいていた。先輩の話は続く。
「たとえばな、俺にものすごく恨みを持って死んだ者がいるとしよう」
『えっ?、先輩、誰かに恨まれているんですか?。まあ、口が悪いんで、恨まれても仕方がないかも知れませんけどね』
「バカモノ、茶化すな。まあ、恨んでいる者もいるかもしれんがな。むっふっふっふ」
笑いながら「ま、こんな仕事してりゃ、しかたがないさ」と小声で言っていた。
先輩は、いろいろな人の相談にのっている。その相談内容は、実に様々だ。家庭内のことから、病気や死に関すること、会社関係、経営のこと、人間関係、霊的なもの、浮気に不倫、離婚に結婚・・・なんでもありだ。多くの場合、相談した側は、その答えに納得して帰っていく。あるいは、継続して解決するまで何度も通う人もいる。また、相談の結果、お寺の行事や供養法会に参加するようになる人もいる。しかし、中には、自分が思っていた答えと違う答えを言われたといって、怒り出す人もいるのだそうだ。「納得がいかない!、そんな答えは受け入れれない!。そんなはずはない!」ということらしい。そういう人は、こんこんと説明すれば、多くの場合は納得するのだそうだが、中には、頑なに自分の思いにしがみつく者もいるのだそうだ。で、そういう者は、人生うまくはいかない。自分の思うようには進んでいかない。「今のままではうまくいかないよ」と言われたにも関わらず、それを改善せずに、先輩の答えを突っぱねて、自分を貫き通した結果、やはり予想通りうまくいかないのだ。それは、初めから予定通りなのだが、それを逆恨みする人がたまにいるのだそうだ。
あるいは、先輩が示したアドバイスに従わず、自分勝手に行動した結果、問題が解決しなかったり、こじれてしまうことがある。もちろん、アドバイスに従わなかった者が悪いのだが、先輩に文句を言う者もいるのだそうだ。これも逆恨みである。そうした、理不尽なことを言われることがごくたまにあるのだそうだ。だから、「こんな仕事してりゃあ・・・」というセリフが出てくるのである。

「ま、俺の仕事は、お前さんも知っての通りの仕事だから、実際のところ、恨まれることもあるさ。逆恨みだけどな。それでも恨みは恨みだ。でな、そういう俺に対する恨みを持った者が死んだとしよう。そいつはどうすると思う?」
『先輩のところに化けて出てくるんですか?』
「出たいだろうな。実際は、そんなヤツは寺の結界に阻まれて、俺の枕元にうらめしや〜と出てくることはできないけどな。ま、しかし、そういう恨みを持った者が、死んで俺のところへ来たとしようじゃないか。で、そういう場合、俺はどうすると思う?」
『お祓いをするとか?。そんなの祓って、あの世へ放り込んでしまえばいいんでしょ?』
「まあ、それも可能だが、それはちょっと乱暴だと思うんだよ、俺はな・・・。俺は、そういう死者には、敵対心は持たないんだよ。だから、供養してやろうと思っている」
『あ、なるほど。お経をあげてやるんですね。それで、相手の心が鎮まっていくわけだ』
「そういうことだ。お祓いよりも、供養の方がいいんじゃないかと思うんだよ。お釈迦様はさ、恨みは恨みを持って鎮められない、恨みは慈悲によって鎮められる、って説いているだろ。そう説いているんだよ。だから、俺に恨みを持つ者がいたら、俺はその者に対して、やっぱり慈悲の心で接しないとまずいじゃないか。だから、俺に恨みを抱いて死んだ者が、俺のところに化けて出たら、俺はそいつのためにお経をあげてやるよ。きっと、恨みの心が消えて、すんなりあの世へ行けるだろうからね」
『なるほど・・・。いやいや、仏教は奥が深いですねぇ』
「そうだろ?。ホント、仏教ってすごいんだよ。他に言いようがないくらいにね、すごいんだよ、仏教は」
先輩は、そう言って優しく微笑んだのだった。

仏教はすごい。本当に驚くことがいっぱいあった。思えば、死んでから驚かされることばかりだった。そもそも死んでからの世界が、こんなようになっているなんて全く知らなかった。仏様にも実際に会うこともできた。本当に仏様っているんだ、と驚いたものだ。しかし、仏教では、もう千年以上も前から、その仕組みを教えているのだ。死の世界について、教えているのだ。そんなことは、とっくの昔に書いているのである。そうした仏教の教えに対し、まったく見向きもせず、くだらない霊能者が言うところの死の世界を受け入れたり、もてはやしたりしている。愚かなことだ。ああいう、霊能者とか自称している連中は、一度しっかり仏教を学んだ方がいいのだろう。いかに自分が言っていることが、でたらめで、上っ面に過ぎないということがよくわかるはずだ。いや、本当に霊感があるのなら、出家した方がいいだろう。ちゃんと修行すべきなのだ。TV出演という安易な道を選んでいる時点で、もうダメだと思ってしまう。死んだ世界を見聞きしてきたものから見れば、あの連中が言ったり、やったりしていることは、本当に茶番なのだ。くだらなさ過ぎるのである。心から俺は思う。この世に本当の死者の世界のことを教えてやりたい、と。
と、そこまで思ったとき、俺はふと思い出した。そもそも、俺があの世の取材者になれ、と言われたのは、今俺が思った理由からだった。あのとき、あの声の主は確かに
「あの世のことを知らない者が多すぎる。しかも、怪しい霊能者が、いい加減なことばかり吹聴している。全く困ったものだ。だから、正しいあの世のことをお前が伝えるのだ」
というようなことを言ったはずだ。そうか、そういうことか。俺は、今初めて納得がいった。あの声の主が俺にやらせたかったことが、今初めて分かったのである。あの声の主は、「仏教はすごい」ってことを伝えたかったのだ。
「ふん、やっと気が付いたか。鈍い奴だのう。まあ、気が付かぬよりはいいがな」
『あ、その声は!』
「久しぶりじゃな。まあ、近いうちに会うことになるから、その時にゆっくり話をしようじゃないか。今日は、それを伝えに来ただけじゃ」
『あ、ちょっと待った!。ちょっと・・・』
それっきり、その声の主の気配は消えてしまっていた。
「どうしたのだ?。何をそんなにあわてている?」
先輩が聞いてきた。
『いや、あの声がまた聞こえてきたんですよ。俺に取材を依頼した人の声です』
俺がそういうと、先輩はすっと立ち上がって、きょろきょろしだした。目つきが真剣である。そして、ニヤッとすると、座禅を組んで座った。本当は、半跏坐(はんかざ)というらしい。禅宗の座禅とは、足の組み方が少々異なっているらしいのだ。座り込んだ先輩は、眼を閉じ、背筋を伸ばした。どうやら、瞑想状態に入ったらしい。
しばらくすると、
「ちっ、逃げられたか・・・。まあいいや。また今度だな」
と小声で言っていた。
『知っている人なんですか?。今、逃げられたって言ってましたけど、それって・・・』
「うん、まあなぁ・・・。知らないわけじゃないが・・・」
何とも煮え切らない。いったい何を隠しているのか。
「まあ、そのうちにわかるさ。本人が自分で説明するだろ。俺の知ったことじゃない。俺には関係ないからな」
と言い放つと、先輩は、ふと立ち上がり
「おぉ、もうこんな時間か。さて、昼飯でも食ってくるか」
といって、奥へ引っ込んでしまった。俺は、逃げられた、と思った。きっと、あの声の主のことには、もう答えてくれないだろう。
『まあ、でもいいか。あの声の主本人も、近いうちに会うと言っているんだから。ひょっとしたら、俺が神通力を使えるようになって、先輩にあの声の主が誰か報告に来ることもあるかもしれないし・・・。ま、その時のお楽しみだな』
本堂にある時計を見ると、確かに昼時を指していた。
『死人は、食事がいらないから、この時間は暇ですね』
と幽霊のみんなに俺が言うと、彼らは笑いながらうなずいていた。昼からは、この人たちとのんびりおしゃべりでも楽しもうか・・・。俺はそう思い、御本尊の下まで移動し、彼らと輪になるように座り込んだのだった。



先輩のお寺に世話になっている幽霊さんたちと、俺は随分長く話し込んだ。気が付けば、もう夕方である。
『あぁ、もうこんな時間だ。そろそろ我が家に帰ります。今夜が我が家で過ごす最後ですからね』
『そうじゃのう、そうするがいい。あぁ、わしももうすぐ天界へ帰ることができると思う。だいぶエネルギーが回復してきたからのう。もし、お前さんが天界へ行ったら、神通力を早く身に着けて、わしのところへ来ておくれ』
『はい、わかりました。天界に行けたら、そのうちに立ち寄ります。あぁ、でも、俺ってわかりますかねぇ』
『わかるに決まっておろう。神通力が使えりゃあな』
『あぁ、それもそうですね』
『そっか・・・、おじいさんももうすぐ行っちゃうんだねぇ・・・。ここも淋しくなるねぇ・・・』
『まあ、そうかもしれんが、お前さんだって、いつかは観音様の元へ行くのじゃろう。みんないずれはどこかへ行くのじゃ。そういうものじゃ・・・。ま、たまにここにはやって来るつもりだけどな。ここは楽しいからのう』
そういうと、髭のおじいさんは寂しそうに笑ったのだった。
『では、そろそろ・・・。もし、天界に行けたら、なるべく早くここにも来ますよ』
おれはそう言い残し、そのあと本堂横の部屋に行った。そこには先輩がいる。先輩は、今日の仕事は終わったらしく、本を読んでいた。
『先輩、そろそろ帰ります。お世話になりました』
「あぁ、そうか。ま、元気でな。うん?、死人に元気もクソもないな。まあ、ここに来ることができるような身分になったら、たまには顔を見せろ」
『はい、きっといろいろ報告できることがあると思います。その時は、ちゃんと聞いてください』
俺がそういうと、先輩は本から目を離さず、「おう」と手を挙げた。俺はそのまま、スーッと消えたのだった。家に向かったのである。

俺は我が家のリビングに漂っていた。子供たちの笑顔、会話、女房の笑顔・・・それらを存分に眺めた。もう未練はない。子供たちや女房が寝静まったら、あっちの世界へ戻ろう、俺はそう決めていた。
楽しい最後の団らんの時間は、あっという間に過ぎていった。
『じゃあ、お別れだ。さようなら。もし、天界に行けて、神通力を身に着けることができて、守護霊になれる時が来たら、ここに戻って来るよ。お前たちを守るために・・・。それまで、しばらくの間、お別れだ。女房の守護霊のおじいさん、あとはよろしくお願いいたします。そこにいるんでしょ?』
『おぉ、いるよ。うん、なんだか寂しいのう。まあ、早く戻ってきてやるんぢゃな。そうすれば、わしの役目も終わるというものぢゃ。わしも、自分の修行に専念できるからのう』
『はい、それまでお世話かけますが、よろしくお願いします』
おじいさんは寂しそうに笑って
『ほれ、行け』
と言って、手を振ったのだった。俺は、頭だけ下げると、そのまま我が家から消えたのだった。

気が付くと静かな暗い場所に一人で立っていた。しだいに目が慣れてきた。というか、感覚が慣れてきた。俺は周囲を見て驚いた。俺の周りには円を描くように六つの鳥居が立っていたのだ。つまり、六つの鳥居に囲まれて、その中央に俺は立っているのだ。
「汝、釋聞新であるな?」
上の方から声が聞こえてきた。声のした方を見ると、なんと空中に大きな机が浮かんでおり、その向こうに裁判官らしき人物がいたのである。
「答えなさい。汝、釋聞新であるな?」
俺は、あわてて
「は、はい、そうです。私が釋聞新です」
と答えた。
「よろしい。私は、七七日・・・つまり四十九日の裁判官を務める太山王(たいさんおう)である。汝を擁護してくださる仏様は薬師如来様である」
太山王と名乗った裁判官は、そういうと後ろを振り向いた。その視線の先には、大きな姿の薬師如来が座っていた。奈良の大仏の何倍あるだろうか、という大きさだった。
「これまで汝は六回の裁判を受けてきた。それぞれの裁判で汝の罪をよく理解したことであろう。ここでは、最後の審判を行う。といっても、審議することは何もない。まあ、汝は取材者という特別な立場を担っていたから、もうすでに知っていよう。が、一応説明しておく。もう一度言うが、ここでは審議はしない。汝ら死者は、今までの六回の裁判で己の罪を理解し、なぜそうのような行動をしてしまったかを考え、己自身の愚かさに十分気付いていることであろう。だからこそ、ここでは審議はしないのだ。では、判決はどうするか・・・。簡単である。汝の周りにある六つの鳥居のどこか好きなところをくぐればよい。
汝ら死者は、地獄か餓鬼か畜生か修羅か人間か天かの六つの世界のどこかへ生まれかわる。汝が選んだ鳥居は、その六つの世界のどこかにつながっている。それがどこかはわからない。汝の罪と徳のバランスによって、または、この裁判を通じてどれだけ反省し、自分の愚かさを理解したかによって行先が決まるのだ。汝は、六つの鳥居の中から一つを選び、そこを通るだけなのだ。わかったかな?」
もちろん、俺はだいたいのことは知っていた。が、いきなり一人で鳥居を選択させられるとは思ってはいなかった。いつものように、死者が並んで、いつものように順番に呼ばれて裁判官の前に行く。そして、なんだかんだと審議をし、「じゃあ、好きな入り口を選びなさい」と言われるものだと思っていた。いきなり選択せよとは・・・。
「私の話が分かったのかね?、釋聞新」
「あっ、はい、あぁ、わかりました」
「ふむ、よろしい。では、最後に何か言いたいこと、もしくは質問はあるかね?」
「あっ、はい・・・。えっと・・・あの他の死者は、もうすでに鳥居をくぐったのでしょうか?」
「あぁ、汝は他の死者と会話をしていたのだったねぇ。気になるか?。まあ、気になるだろうねぇ。他の死者も同じようにこれを行う。汝より早く亡くなった者は、汝より早くに終わっているし、汝より後に亡くなった者も同じようにこれを行う」
「なぜ、ほかの裁判のように他の死者に見せないのですか?」
「自分の前の死者が選んだ鳥居が、たとえば地獄だったとしよう。すると、死者は鳥居を選びくぐった瞬間、恐怖の叫び声をあげてしまう。すると、その声を聞いた死者は『あの鳥居は危険だ、あの鳥居を選ぶのはやめよう』と考えるであろう。するとどうなる?。その者が選択する鳥居は六つではなく、五つになってしまう。それは不公平であろう」
なるほど、そういうことか。平等性を期すためには、妙な先入観を与えない方がいいのだ。しかし、鳥居の先は誰にもわからないのだし、前の人が選んだ鳥居が必ずしも地獄とは限らないのではないか?。
「そう、その通りだ。鳥居の先は、ランダムになっている。絶えず動いているのだ。ルーレットのようなものだな。だから、前の死者が選んだ鳥居が、たとえ地獄であっても、次の者が同じ鳥居を選んだとしても、地獄とは限らない。ということを知っていれば、やはり確率は変わってしまうな。『同じ鳥居を選んでおけば、地獄にはならないだろう』という浅はかな考えを持つ者も出てこよう。だから、一人ひとり行うのだよ」
太山王は、俺の考えを先読みして答えてくれた。
「ならば、いっそのこと、鳥居を一つにしてしまえばいいのではないでしょうか?。そうすれば死者は迷うこともないし、浅はかな考えを起こすこともないでしょう」
「ふむ、それもいい手なのだが、生まれ変わり先が六つある、という認識を持ってもらいたいのでな、それで六つの鳥居を用意してあるのだ。無駄なようでもあるが、無駄ではないのだよ。他に質問はあるか?」
なるほど、鳥居が一つでは、生まれ変わり先が六つあるという認識が薄れる可能性はある。目の前に六つの鳥居があれば、鳥居のどれかが六つの世界のどこかへつながっているという認識を持ちやすいのは事実だ。あぁ、そうか、六つの鳥居が輪になって並んでいるのは、平等性を期すためなのだ。横一列に並んでいたのでは、気分的に端の方を選ぶのものは少ないだろう。また、逆に端しか選びたくないという偏屈もいるかもしれない。選択に偏りができてしまうのだ。ところが、六つの鳥居が輪になっていれば、始まりも終わりもない。どれも平等である。そういう意味で六つの鳥居が輪になっているのだ。
「そう、その通りだ。いいところに気付いたな。どこの世界へ生まれかわるかは、我々にもわからない。仏様すらわからないことだ。すべて自己責任である。自分で選択した鳥居にくぐって初めてわかることなのだ。だから、選択に偏りが出ないよう、配慮されているのである」
「よくわかりました。あの、もう一つ質問というか、お願いなのですが、私の後の死者の様子を見せてもらうわけにはいかないでしょうか?。今までもそのようにしてもらったのですが・・・」
今回ばかりは、この願いは難しいのではないかと俺は思っていた。強欲じいさんの様子も見ることはできなかった。あのじいさんが結局どこへ生まれ変わって行ったのかは知ることはできないのだ。いや、あの強欲じいさんが一つの鳥居を選択する様子を見ても、答えは同じなのか・・・。どこへ生まれかわったのかは、俺には分からないのだ。ならば、俺の後の死者の様子を見ても同じことだ。どこへ生まれ変わったのかは、結局は俺には分からないことなのだ。そう、あの浮気女・・・彼女もどこへ生まれ変わるかは、俺には分からないことなのである。

「聞新、私が答える前に、汝は答えを出しているではないか。汝が考えた通り、どの鳥居を選択するかを汝が見ても、その死者の生まれ変わり先がわかるわけではないのだ。なので、汝の願いは却下する」
予想通りの答えだった。しかし、その時、とても優しく、しかも重々しい声が聞こえてきた。
「聞新よ。汝の役目はよくわかっている。これまで、よく務めてきた。汝が関わった死者の行く末が気になるのは当然であろう。しかし、今はそれを知ることはできない。もし、それを知りたいのなら、それはこの先にある。何も考えず、無の境地で鳥居をくぐるがよい」
「や、薬師如来・・・様?。は、はい・・・。わかりました。気持ちを落ち着け、鳥居をくぐります」
俺は驚いたが、薬師如来の言葉でようやく吹っ切れた。今まで関わった死者たちのことは、とりあえず気にしないでおくことにした。みんな、それぞれの道を歩んでいるのだ。機会があれば、また出会うことがあるかもしれないし、俺が天界に行って神通力を身につければ、彼らのその後を知ることができるかもしれない。そうだ、今はまず自分のことに集中しよう。
「よかったですな、聞新。薬師如来様の言葉をよく噛み締めて、さぁ、鳥居を選びなさい」
「はい、わかりました。といっても、どれを選んでも同じなんですよね。ならば、ここにします」
おれは、俺の正面にあった鳥居を選んだ。そして、その鳥居に向かって一歩を踏み出した。
うん?、ちょっと待てよ・・・。俺はゆっくり歩きながら考え始めた。薬師如来様の言葉をよく噛み締めて・・・?。なぜそんなことをわざわざ言ったのだろうか?。薬師如来の言葉・・・あっ、そうか、そうだったのか・・・。「今はそれを知ることはできない。もし、それを知りたいのなら、それはこの先にある」この言葉に何かあるのだ。しまった、もっと突っ込んで聞くべきだったのだ。
気が付いたときはもう遅かった。俺は、鳥居の中に足を踏み入れていたのである。
「あっ・・・・」
そこは空気がゆがんでいるような、もやもやした世界だった。暗くはなかった。しかし、明るいわけでもない。そのもやもやした世界へと俺は進んでいった。自ら進んでいったのではない。身体が吸い込まれるような、そんな感じだった。鳥居の中の空気は、いや、空間と言ったほうがいいか、そこは渦巻いていた。俺はその渦の中に呑み込まれていったのだ。恐怖はなかった。痛みや苦痛もない。穏やかな、温かな感じがしただけだった。最後に俺は
「この渦の向こうに生まれ変わりの世界が待っているのだな・・・・」
と思った。俺が死んでから49日間の短くて長い旅はこうして終わったのだった・・・。
「あの世の旅」完




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