バックナンバー(四) 第二十六話〜第三十話
「静かにしろ!、釈尼妙香!。」 「は、はい・・・。」 すぐに注意が来た。自称霊能者のオバサンは、その注意で静かになったようだ。扉が閉められ、あたりは静寂に包まれた。そして、あの声・・・。 「えっ、じ、地獄行きですか?。そ、そんなぁ・・・・。し、知らなかったんですよ・・・。助けてください・・・・。」 しばらくの沈黙が流れた。扉が開き、 「強欲院金泥腹黒厚顔大居士、中に入れ。」 と呼び声がかかった。 「ふん、やっとわしの番か・・・・。」 俺の前にいた強欲爺さんが中に入っていった。爺さんは、 「うっ、これは・・・・」 と、驚いた顔をして、何かつぶやいていた。扉が閉められる。俺は、何とか、覗き見しようとしたが、なぜか、よく見えなかった。まあ、いずれにせよ、次は、俺の番なのだから・・・・と思って、俺はおとなしく順番を待つことにした。 「そ、そんな・・・・。じゃあ、私は、地獄行きなんですか。助けてはもらえないのでしょうか・・・・。」 いつもの、助けを懇願する声が流れた。そして、しばしの沈黙。相変わらずのパターンだ。と言うことは、もうすぐ俺が呼ばれるだろう。いよいよ、俺の番が来るのだ。俺は、ちょっと緊張していた。心臓が動いているのなら、ドキドキしまくっていただろう。 「釈聞新、中に入れ。」 「はい。」 俺は、返事をして、開けられた扉の中に入った。中は、意外に明るく、一瞬まぶしさに目がくらんだが、そんな目にも、それはよくわかった。中には・・・・。 「あっ、あれは・・・。こ、これは驚くよな、誰でも・・・・。」 室内の奥の方には、大きな不動明王が鎮座していたのである。 「釈聞新、黙って進め。」 扉が閉められる。俺は、ゆっくりと中に入っていった。しかし、俺の目は、不動明王にクギ付けだった。 「あれは、本物なんだろうか。絵じゃないし、像・・・・でもないよなぁ・・・。」 「釈聞新、そこに座れ。おい、何をボーッとしているんだ。早く座れ。」 「あっ、あぁ、はい。」 座るように言われ、俺は我に返った。そして、その声のする方へ目を向けると・・・・それは、鬼だった。 そこには、椅子が用意されていた。俺は、鬼の指示にしたがって、椅子に座った。右横には、あの強欲爺さんが座っていた。爺さんは、苦虫を噛んだような顔をしていた。本当なら、文句を言いたいところなのだろうけど、周りに鬼がいては、文句も言えないだろう。それに、あの不動明王のお姿を見ては、何も文句は言えまい。 その右には、霊能者のオバサンが座っていた。霊能者のオバサンは、なぜか真っ青な顔色をしていた。ちょっと奮っているようでもあった。鬼が怖いのだろうか、それとも不動明王が怖いのか。 ここで指示をしたり、見張り(なのだろう)をしている者は、みんな鬼だった。角が一本の者や二本の者がいる。どれも、作務衣のようなものを着ていた。 「鬼って、裸じゃないんだ・・・。トラのパンツだけじゃなかったんだ・・・・。」 「釈聞新、何をくだらんことを言っている。黙って裁判をみていろ!。」 そばにいる鬼が、俺を睨んでいた。少しでもしゃべれば、すぐに注意が飛んでくる。 裁判は、俺たちの目の前で行われていた。俺たちは、傍聴者なのだ。しかも、ただの傍聴者じゃない。これから、俺たちも目の前にあるように、裁かれるのである。 俺たちは、裁きの場に対して、横に座っている状態だった。裁判官に向って右側に我々は座っていた。現世での裁判は、法廷の後ろで傍聴するようになっているが、ここの場合は、横で傍聴するようになっているのだ。傍聴者は、三人である。 今、裁きを受けている者は、中年の男性だった。その男は、裁判官の前で正座をして、裁判官の話を聞いているようだった。この男の裁判が終われば、次は霊能者のオバサンなのであろう。そして、座っている順番がずれ、俺の後に並んでいた爺さんが呼ばれるのだろう。傍聴者は絶えず三人である。ここは、傍聴席でもあり、待ち合い席でもあるのだ。 裁判官は、一人だった。閻魔大王のようないかつい顔はしていなかった。(とは言え、閻魔様にあったことはない。どこかの博物館で閻魔さんの絵を見たことがあるだけだ。)。ちょっと情けなさそうな、何だか、弱々しそうな裁判官だった。身につけている衣装は、博物館で見た閻魔像のような、昔の中国の王様が着ているような、そんな衣装だった。 その裁判官の後ろに、不動明王は鎮座しているのである。 不動明王は、大きかった。ここの建物の天井の高さは、一般的な建物の3階分くらいはあるだろうか。不動明王は、座っているのだが、その背の高さは、天井付近まであったのだ。全身を包んでいる真赤な炎は、もちろん、天井にも当っていた。しかし、この建物を焼くことはなかった。赤い炎なのだが、どこか冷めたような、そんな炎だった。 その姿は、俺が生きている時、お寺や博物館などで見た姿と同じであった。右手に剣を持ち、左手にロープのようなものを持って、恐ろしい顔で座っている。どんな悪者でも、ここでは、ビビッてしまうに違いない。横の強欲爺さんも、これじゃあ何もいえまい。目の当たりに不動明王の姿を目にしては、どんなに度胸のある者でも、しゅんとしてしまうだろう。平気なのは、坊さんくらいのものか。 だが、仏像などと異なっている点が一つだけあった。それは、不動明王全体がぼんやりしていることである。何というか、肉体があるような感じではないのだ。不動明王自体、半透明なのである。立体映像のような、そんな感じだったのだ。 「それでは、あなたは、地獄行きですね・・・・。」 裁判官が、ぼそっと、そうつぶやいた。声は優しい声だったが、それは、我々死者にとっては、最悪の判決(なのであろう)を告げたのであった。 「えっ、そ、そんなぁ・・・。そんなことって・・・。何とか助けてもらえないのですか。」 廊下で待っている間、聞こえていた助けを求める声は、裁判官に地獄行きの判決を受けた死者の懇願の声だったのである。その懇願の声だけを外に聞かせていたのであろう。 「そうは、言いましてもねぇ・・・。殺生の罪は重いですからねぇ・・・。」 殺生の罪・・・・?。この、今裁かれている男は、殺人でも犯したのか?。それなら、地獄行きでも仕方がないだろう。 「そんなぁ・・・。なんとか、なんとか、助けてください。」 その男は、泣きながら、頼み込んでいた。 その時である。半透明の不動明王が、裁判官に向って、何かぼそぼそとつぶやいた(ような気がした。)。裁判官は、不動明王の方をちょっと振り向き、 「はい、わかりました。」 と答えた。そして、 「もうよい。この場で判決を出すのは、猶予しよう。次の裁判所に行ってよろしい。」 と、裁きを受けている男に向って告げたのである。 「えっ?。許してもらえるんですか。地獄へ行かなくていいんですか。」 「そうじゃない。判決を先に延ばしただけです。次の裁判所に行ってもいい、と言っているんですよ。さ、連れて行きなさい。」 裁判官がそう言うと、鬼が二人やってきて、その男を両脇から抱え込み、裁判官に向って左側にある壁の扉を開けた。男は、鬼と一言二言話して、中に入っていった。そして・・・。 「次、霊法院釈尼妙香、前へ。」 と鬼が自称霊能者のオバサンを呼んだ。オバサンは、 「はっ、はい。んぐぅ。」 と変な返事をして立ち上がった。歩き方が、なんだかぎこちない。緊張しているのか、恐怖心に慄いているのか。それにしても、異常だった。顔色は、死人なんだけど、それ以上に真青だった。 「何している。早くしろ。」 「はっ、はい。今すぐ、行きます。」 オバサンは、あわてて歩き出した。足がもつれそうだった。 「よし、そこの二人、座っているところをずれろ。次、必殺院釈主水、入れ。」 俺と強欲爺さんは、座っている場所をずらした。俺たちが入ってきた扉が開き、俺の後ろに並んでいた爺さんが入ってきた。 「あぁっ、こ、これは・・・・。」 その爺さんも驚いているようだった。爺さんは、驚いた顔をして、黙って俺の隣に座った。その時だった。霊能者のオバサンが、いきなり叫びだしたのだ。 「も、申し訳ございません。不動明王様。わ、私は・・・・。う、うそをついていました。う、うぅぅぅ・・・・。」 霊能者のオバサンは、裁判官の前に出ると、その場で土下座して泣き出した。 「だ、だまれ、だまれ。静かに座っていろ。」 鬼たちが、あわててオバサンの横に駆け寄った。しかし、おばさんは、そんなことはお構いなしに、 「う、うわぁぁぁぁ・・・。許してくださ〜い。霊能者だなんて、うそです。私には、そんな力はありません・・・・。不動明王の力が授かった、なんて、全くのウソです。お不動様を・・・・・利用していました。ううぉぉぉぉん・・・・。」 「え〜い、うるさい。静かにせんか!。」 「あぁ、まあよい。これこれ、そなたの言いたいことは、あいわかった。しかしのぉ・・・・。ここでは、うその罪を裁くわけじゃないから・・・・。ここは、殺生について問うところなんじゃよ。どうしたものか・・・・。」 その時であった。腹のそこに響いてくるほど重々しい、けれども、心がすっかりきれいになってしまうような響きを持った声が聞こえてきた。 「秦広王(しんこうおう)よ。私が話そう・・・・・。」 その声は、不動明王の声であった。 「不動明王様が直々に・・・・?。」 不動明王に「秦広王(しんこうおう)」と呼ばれた裁判官は、後ろを振り返って、怪訝そうな顔でそう言った。 「そうだ。私から話をしよう。その理由は、後でわかるであろう。」 「はい、わかりました。お願い申し上げます。」 不動明王は、重々しい声で、淡々と語り始めた。 「霊法院釈尼妙香、汝が生前、私の名を騙って霊能者の振りをしていたことは、知っていました。」 「はぁぁぁぁ〜、お許しくださ〜い。わ、私は・・・・。」 「いいから、聞きなさい。私は、汝のうそを知っていて、そのまま放置していました。いつか気付いてくれる時がくるであろうと。・・・・・気付かなければ、汝は、汝の罪により、寿命を待たず、ここに訪れるであろう。だから、成るがままに任せていたのです。 汝は気付かなかった。それどころか、思うようにお金が入り、名声を得、人々に注目されるようになるにつれ、汝は有頂天になっていった。できもしないお祓いをし、見えもしない霊を見たといい、人心を惑わし、金銭を手に入れていた。使えもしない不動明王の力を使う、と偽って・・・・。 これは、お釈迦様の大切な教え、「法」を汚したことになる。それは、理解できるね。」 「は、はい。よくわかっております。私は、霊能者でもなんでもありません。霊なんて見えない。お祓いなんてできません。たまたま、知り合いの修験者の側にいただけです。見様見真似で覚えただけです。たぶん、その修験者もインチキだと思います。」 「その修験者なら、いまは畜生道に落ちています。生前のうそと貪欲なその心により、畜生に生まれ変わっています。汝は、その修験者と不倫関係にあった。その関係で、裏のからくりを教えてもらったわけです。そうですね。」 「この期に及んで、まだ、ウソをついていたのか・・・。何もかも正直に言ったほうがいいぞ。」 秦広王が、いらだった口調で口を挟んだ。 確かに、秦広王の言うとおりだろう。このオバサン、自分に都合の悪いところは隠し通そうとしているようだ。 「はい。そうです。申し訳ございません。隠していました・・・・。でも、向うから誘ってきたんです。私は嫌だったのに・・・。」 「そんなことは、どうでもいいのです。どっちが誘おうと、関係があったことには変わりはありません。 初めは、不倫相手の修験者の真似をしていただけであったろう。まあ、ある程度の占いの知識は有ったようだが。しかし、その程度では、細々とやっているだけで、金銭的にも潤わないし、注目も浴びれない。もともと、人の上に立ちたい性格であった汝は、悶々として時を過ごしていた。 そんな時であった。不運にも、汝は、魔の手に嵌まってしまったのだ。心が悪に染まっている時は、悪い誘いしか来ないものなのだ。 汝は、たまたま、世間をにぎわしていた幽霊騒動の解決に乗り出した。不倫相手の修験者を連れ、自分が中心となって、お祓いをしようと企てたのだ。成功すれば世間の注目を集め、名を売り出すことができる。失敗しても、言い訳はどうにでもなる。 悪いことに、お祓いは成功したようだった。否、本当は、成功していなかった、解決などしていなかった。ただ、汝と修験者がその地の怨霊を、その身体に引き受けただけだったのだが・・・・。そのため、修験者は命を落とし、汝はしばらく病に臥せってしまった。 その時に汝は気付くべきだったのです。本物の霊の世界は、ウソや偽りでは、どうしようもないことを。御仏の力を借りねばどうしようもないことを。にわか修行では、何ともならないことを・・・・・。 しかし、汝は気付かなかった。否、気付いてはいたが、欲望に負けたのだ。世間の脚光を浴びたい、生き仏だと、世間の人々からあがめられたい、同時に大金も手にできる・・・・。その欲求が、汝を狂わせていったのでしょう。 当時、世間では、汝に似たような自称霊能者や陰陽師なるものが、数多く世間をにぎわしていました。それに負けたくない、とも思ったのでしょう。 汝は、あの幽霊騒動で名をあげたが、体調を崩し、出遅れてしまった。しかし、名は残っている。そこで汝は考えた。修験者のご本尊である、不動明王の名を使おうと。 それで、汝は、山にこもって修行をした事にした。本当は、体調を崩していたのに、修行をしていたと偽ったのだ。そして、私−不動明王の力を得た、と世間に公表したのだ。こうして、ウソで塗り固められた、不動明王の遣い、霊能者の妙香尼はできあがったのだ。そうだね。」 「は、はい、その通りです。」 こんなものであろう。世間をにぎわしている霊能者なんて、こんなものなのだろう。俺はもともと、霊能者なるものは信じていなかった。ついでに陰陽師とかいうものも、信じてはいなかった。TVで見かけるお祓いのシーンは、まるでショーである。全くくだらない。なのに、世間のものは、すぐにああいうものを信じてしまうから、わからないものだ。 俺が勤めていた出版社でもそうだ。まあ、雑誌は売れなきゃ困るから、流行のものはすぐに特集を組んだりするのだが、どうもいけない。覚めた目で見ている記者ならばいいのだが、はなっから信じ込んでいる女性記者などは、もうさっぱりである。スゴイスゴイの連発だ。 あのね、そういうのはカラクリがあるんだよ、と言っても耳を貸さない。なんて単純なんだろう・・・・。TVに出るたびに、観客の中に悪霊が憑いている人がいるなんて、それ、おかしいでしょ、なーんて言っても、理解不能。困ったものである。 心霊写真とかいうのも、胡散臭くていけない。確かに、目に見えないものが写り込むことは、あるかもしれない。それは自然現象として、否定できないことであろう。しかし、それにもっともらしい解釈をつける輩がいるから、変になるのだ。そういうことは、確かめようのないことだから、どんな解釈でもできてしまうものだ。そこのところをTVを見る側は忘れているんじゃないのか。ちょっと想像力のあるものならば、いわゆる心霊写真を見て、簡単にストーリーを作り上げることができよう。それなのに、うちの女房でもそうだったのだが、 「キャーすごい、何であんなことまでわかるの?。」 なーんて言って喜んでいる。あのねぇ、そりゃ、わかるだろうよ、自分でストーリー作ってるんだから。おいおい、あんまり単純に物事を捉えると、騙されてしまうよ。そんなに簡単に信じちゃいけないよ。世の中、ウソが多いんだから。 でも、それをわかってない人も多いんですよね・・・・。 しかし、騙すほうが悪いのか、騙されるほうが悪いのか。あるいは、そういうインチキを、インチキと知りながら、視聴率稼ぎの為に世間に出しているマスコミ人が悪いのか・・・・。 不動明王の話を聞きながら、俺は、そんなくだらないことを考えていた。 「そうして、汝は、何人もの人を騙して、金銭を奪ってきた。中には、多額の金銭を払えず、借金を負う者まで出てきた。或いは、汝の言葉がきっかけで自殺をする者まで出てきた。 汝の罪は重い。不動明王の名前を騙っただけでも罪は重いのに、世間を欺いてきた罪はもっと重い。」 「で、でも・・・、助かった人も何人かいます。私が助けた人もいることは確かです。あの幽霊騒動の人たちだって、助かったではありませんか。」 「確かにそうだな。一見すると・・・・。しかし、よく見てみよ、それは本当に助かっているのだろうか。一時的に悪い種を取り除いただけではないのか。悪の根本を正したのか。 何ゆえ幽霊の出る家に住まねばならぬか、何ゆえ訳のわからぬ病に罹らねばならぬか、何ゆえ不運続きになるのか、何ゆえ子供が荒れるのか、何ゆえそうなっているのか、それを汝は、説いたのであろうか。そして、正しき道に導いたのであろうか。 不動明王の力を得たというのならば、正しく教えを説き、正しい方向へ導くのが本当であろう。ただ、現象だけにとらわれて、金銭を得る、というのは、私の力からは大きくかけ離れていよう。 憑き物を祓うくらいならば、魔物でもできよう。問題は、そんな現象ではないのだ。何ゆえそうなったか、そうならないためには、どうすればよいのか、ということを正しく説くことが重要なのだ。 それを怠れば、いくら今起きている不幸を取り除いても、やがて再び不幸が訪れることになるのだよ。汝がやっていることは、ほんの一時の悪い現象を取り除いただけなのだ。よく見てみるがよい、汝が解決した、と言っている者たちが、再び不運に見舞われているようすを。」 不動明王は、裁判官である秦広王と今裁きにあっている自称霊能者のオバサンの間に、現実世界の様子を映し出した。それは、まるで映画を見ているようでもあったし、立体映像を見ているようでもあった。すぐそこに、我々が生きていた世間が映し出されているのである。何とも不思議な光景であった。 そこには、あの幽霊騒動でにぎわっていた場所が映っていた。どうやらそこは、また不思議な現象に見舞われているようだった。そこに住む人々は、皆一様にやつれ、疲れ果てた顔をしている。 何も解決していなかった。未だに、その人たちは不幸であった。 場面が変わった。一人の若い女性が映っている。その女性は、うつろな目をしていた。その眼は怖かった。瞬きをしないその眼は、底知れぬくらいに暗かった。その眼は何も見ていなかったし、すべてを見ているようでもあった。まるで何かにとり憑かれているような・・・・。そうか、きっと、あのオバサンがお祓いをしたことがある女性なのだろう。しかし、根本的解決をしていないから、再び何かに取り憑かれてしまったのではないか。 場面は、その後何度か変わったが、皆、とても幸せとはいえない状態の人々ばかりであった。その人たちは、一度は、いま裁きにあっているニセ霊能者オバサンにお祓いなり、祈祷なりをしてもらった人たちなのだろう。 「どうです。汝の行ってきたことは、まったくデタラメだったことが、これでよくわかったでしょう。汝は、誰も助けることはできなかった。不幸に見舞われているものをさらに不幸にしただけなのです。一時的に幸福を与え、その後さらに不幸に陥れば、それは、以前の不幸よりも、よりつらいものとなるでしょう。天界から地獄へ落とすようなものです。 汝は、人を幸せにすることなどできなかった。霊能者などという世界に入らなければ、汝も周りの人を幸せにすることができたかも知れぬのに、汝の貪欲さがそれを阻んでしまった。 本来ならば、汝は、死後すぐに地獄へ落ちるはずでした。ここに来るように仕向けたのは、私です。なぜなら、汝のような、間違った霊能者が、現世には多数存在しているからです。 まず、汝のようなニセの霊能者が死後どうなるのか、ということを霊能者自身に知って欲しかった。そして、くだらない霊能者に頼ると、一時的にはいいかも知れぬが、根本的には何も解決はしないのだ、ということを現世に生きる人々に知って欲しかった。 さらに、こうしたニセの霊能者をもてはやしている者も罪は同じ、ということを知って欲しかったのだ。だから、あえてここに呼んだのだ。」 そして、不動明王は、俺のほうを向いてこういった。 「聞新よ。今、私が語ったことをしっかり現世に伝えるのだよ。」 と・・・・・。 不動明王の眼が俺を捉えていた。その眼は、その容貌に似つかわしくなく、とても優しい・・・いや悲しい眼をしていた。現実世界に生きている人たちを愁いているような、そんな眼差しだった。 「はい、わかりました。今のお話、しっかり伝えます。」 俺は、そうとしかいえなかった。俺は、なぜかドキドキしていた。心臓は、もう動いていないと言うのに。 不動明王が、再び語り始めた。 「霊法院釈尼妙香、汝は、本来地獄へ行かねばなりません。しかし、先ほどもいいましたが、ここへ呼んだのは私です。ですから、ここだけは通してあげましょう。これから先、汝がどうなっていくかは、汝の徳と罪によるものです。すべては、汝の行いの結果。どうなろうと、誰を怨んでもいけません。すべては自分の責任なのですからね。」 不動明王のこの言葉を受けて、秦広王が霊能オバサンに告げた。 「というわけだ。不動明王様の慈悲により、お前を通してやる。さあ、行くがよい。」 「は、はい。あ、ありがとうございます。」 こうして、霊能オバサンは、鬼に両脇を抱えられ、壁の扉に入れられたのである。 しかし・・・・。よく考えてみれば、不動明王の言葉は、意味深長であろう。「今はここを通すが、この先は知らない。どうなろうと誰も怨むな。すべては身から出た錆びだ・・・・・。」 これは、「この先は無いぞ」と言っているのと同じではないか。しかも、本来は地獄へ直行しているはずの身である。ならば、この先、地獄へ行くのは間違いはなかろう。ただ、先延べしただけである。それも、虚しくは無いだろうか・・・。それでいいのだろうか・・・・。そんなことを考えていた俺の頭に声が響いてきた。 「聞新、それでいいのだよ。あの者が、どうなるかをお前が見ることが大切なのだから。」 それは、不動明王の声だった。 そうか・・・・。俺が、あの霊能オバサンの行く末を見ることが必要なんだ・・・・。否、この世界をじっくり観察して、見て聞いて、現世に伝えることが大切なんだ。あらためて、俺は俺の責任の重さを感じていた。 あたりは、静寂に包まれていた。誰もが、不動明王の話に虚しさを感じていたのだろうか。しかし、それでは、裁判は先に進まない。その静寂を破るように、鬼の声が淡々と響いた。 「次、強欲院金泥腹黒厚顔大居士、前へ出ろ。」 「おう、わかっておる。」 鬼にそう呼ばれた、強欲爺さんは、ふて腐れた面持ち、横柄な態度で前に進んだ。 「よし、釈聞新、席をずれろ。」 俺は、そう言われて、席を一つずれた。そして、うしろのちょっと暗い爺さんのあとに、また一人呼ばれたのであった。そのものは、やはり、我々と同様に、中の様子を見て、というより、不動明王を見て、驚いたのであった。 裁判官である秦広王が口を開いた。 「さて、強欲院金泥腹黒厚顔大居士、汝は、生前、殺生の罪をたくさん犯してきたな。これでは、地獄へ行かねばなるまい。よいかな。」 「何をいうか。わしは、殺生などしておらんぞ。」 「そんなことは無いであろう。子供の頃は、野山でカエルや虫を殺したではないか。」 「ふん、そんなことは子供なら誰でもやること。最近の子供はやらんがな。だから、最近の子供は、命の大切さを知らん。子供の頃に、カエルだのトンボだの、ザリガニだのいじめておれば、長じて暴力を振るうことなどなかろうに。くだらん、イジメなどしないだろうにな。わしは、子供の頃、野山で遊び、自然とともに暮らしてきた。おかげで、命の大切さをよく知っている。だから、わしは命を粗末にはしてこなかったぞ。」 この強欲爺さん、たいしたものだった。この場に及んで、全く臆することも無く、堂々としている。他の者は、「地獄行き」と言われただけで、みんな震え上がっていた。第一、この場でびびらないものは普通いないだろう。なんせ、後ろには、不動明王が控えているのだし。 この爺さん、さすがである。生前一代で財を成し、政界や財界にその力を大きく及ぼしてきただけのことはある。心臓に毛が生えているどころではない。たいした度胸である。 「命を粗末にしなかった・・・・というが、お前は、長じてから、釣りにいそしんできたではないか。あちこちの海に行き、何の罪も無い、魚を釣り上げ、自慢にしていたではないか。これも殺生の罪であろう。命を大切にしたのなら、何ゆえ、他の命を奪うようなことをしたのじゃ。お前が釣り上げなければ、その魚達は、もっと生き長らえたものを。」 「何を言うかと思ったら・・・・。それは、魚が悪いのであろう。わしは釣り糸にえさをつけて海に投げただけ。えさに引っ掛かったのは、愚かな魚のほうであろう。わしに何の罪があると言うのじゃな?。」 「しかし、きっかけはどうあれ、魚の命を奪ったことには、変わりはなかろう。お前が、釣り糸を海に投げ入れなければ、その魚は命を奪われなかった。えさに引っ掛かかったかどうかは、別問題である。私が言っているのは、お前が、命を奪ったもののことについてだ。」 秦広王も負けてはいない。当然と言えば当然だろうけど。 「よいか。動機や殺生した事の効果は、どうでもよいことなのだよ。子供の頃、カエルや昆虫をいじめなかったり殺生しなかった者が、すべて長じて暴力を振るう者になったりはしないであろう。長じてから暴力を振るうようになるのと、子供の頃のカエルや昆虫の殺生は、関係のないことだ。私は、そんなことを言っているのではない。お前のその態度について言っているのだよ。 さも自分が優れたものであるかのような、その自惚れた、横柄な態度のことを言っているのだ。いったい、お前は何様のつもりなのだ。えさに釣られた魚が悪いだと。お前は、そういう考え方で世の中を渡って来た。泣かすものより、泣かされた者が悪いと言う考え方でな。お前のおかげで、随分と泣いた人々もいるであろう。お前が原因で自殺をした者もいるであろう。」 「そんなことは、わしの知らんことじゃ。関係ない。」 すごい爺さんである。ここまで言われて、まだ反省の言葉がでてこない。秦広王の言うことが理解できていないのか、理解はできているが頭を下げるのが否なだけなのか。おそらく、後者のほうであろう。こういう爺さんは、素直じゃないから。人に頭を下げるなら死んだ方がまし、というタイプだろう。何とか、相手を言いくるめて、自分に有利に引き込もうとするのである。こうじゃなきゃ、一代で財を築いたり、政界や財界に顔を利かすことはできないか・・・。 しかし、秦広王もそうは甘くはなかった。 「そうか、あくまで、そう言いはるか。ならば、仕方がない。地獄行きだな。」 秦広王のこの冷たい言葉に、これまで全くひるまなかった強欲爺さんもびっくりしたようだ。 「ち、ちょっと待て。わしの前のあの変なオバサンですら、ここを通されたぞ。わしは、生前、様々な宗派の本山に多額の寄付もしてきた。それなのに、地獄行きとは酷じゃないか。仏教発展の為に寄付してきたことは、斟酌されないのか。寄付しただけ無駄だったのか。そうか、仏教とは冷たい宗教じゃのぉ。」 そこまで言うと、この強欲爺さん、俺のほうを見て、こういったのである。 「おい、聞新とか言ったか、そこの若いの。お前は、どうやら、この世界のことを生前の世界に伝える役目を担っているようだな。ならば、よく伝えておくれ。生前、お寺に多額に寄付をしてきたのに、魚釣りをしたというだけで、地獄へ行かされる。仏教では救われぬぞ、とな!」 これには、俺も驚いたが、秦広王も驚いたようだった。さすがにこの爺さん、食えない。よく人の話を聞いている。そして、それを自分が有利になる方向へと捻じ曲げて使ってしまう。たいしたものである。そんなこと、誰も思いつかないだろう。こんな奥の手まで持っていたとは・・・・・。 「お、おい、何てことを言う。お前、言っていることが無茶であろう。そんなわがままが通用するとでも思うのか。」 秦広王は、あわてていた。動揺が隠し切れていない。これでは、不利だ。 「何を言っているか。わしは、本当のことを言っただけじゃ。わしが多額の寄付を仏教の各本山にしてきたことは、この場所にも報告がきておろう。そういうものじゃろう?。寄付をしたことは事実じゃ。なのに、そのわしを地獄へ送ると言うのか。どうなんじゃ、裁判官様!。」 「う、う〜ん・・・・。」 爺さんに問い詰められた秦広王は、困ってしまったようだ。爺さんに地獄行きを決定すれば、お寺に寄付をしてきたのに、それが報われない、と言われてしまう。地獄行きを言い渡せず、先送りにしたならば、裁判官の面目は丸つぶれ。反省の言葉も無いものを、自分の罪を認めないものを先へ送ってしまったという汚点を残してしまう。 さぁて、どうするのか裁判官秦広王。この裁判は、現世に伝わっているのですよ・・・・・。 その時であった。笑い声が聞こえてきたのである。 「ほっほっほ・・・・。なかなかのものですな。強欲院金泥腹黒厚顔大居士。ほっほっほ・・・・。」 不動明王が再び声を掛けたのであった。 不動明王は笑っていた。あの、いつも怒りの形相をしている不動明王が笑ったのである。信じられない光景だった。 「さすがに、たいしたものですね。生前、多くの著名な宗教家と親交を持っただけのことはありますね。では、問いましょう。あなたは、なぜ、多額の寄付を各宗派の本山に行なったのですか?。」 不動明王は、優しい声で強欲爺さんに尋ねた。 「そ、それは・・・。」 さっきまでの勢いはどうしたのか、強欲爺さん、言葉が出てこない。 「うそはいけませんよ、うそは。正直に言いなさい。」 またしても、不動明王が、優しく言った。強欲爺さんは、下を向いて、何かモゴモゴ言っている。どうしたのだろう。さすがに、不動明王には口答えができないのだろうか。強欲爺さんの、あの減らず口もここまでか・・・。 「そ、それはじゃな・・・・・、く、功徳を積むためじゃ。」 「何ゆえ、功徳を積むのですか。財も名誉も手に入れたあなたが。世の中を思うように動かしてきたあなたが。なぜ、功徳を積む必要があるのですか。」 「そ、それは・・・・じゃな・・・・。」 「正直に言いなさい。何も隠すことは無い。ここまで来て、隠しても仕方が無いであろう。」 しばしの沈黙が流れたあと、大きなため息が聞こえた。強欲爺さんのため息だった。そして・・・。 「わかった、わかりました。わしの負けじゃ。正直に言おう。 それは、名前を残すためじゃ。わしは、後世に名を残したかったのじゃ。世間では、わしはあくどい人間、守銭奴、影の宰相、乗っ取り屋などと言われておる。ひどい言われようじゃ。確かに、ここまで来るには、汚いこともしなければならん。裏切りはもちろん、騙したりすかしたり・・・・。嫌なことも進んでやらねばならん。自らの手を汚さずして、汚いことをやっていかねばならん。泣くものがいるのは当然じゃ。わしのせいで命を絶っていくものも大勢いた。罪なことをしたとも思う。しかし、それも仕方がなかろう。この世でわしのような地位につくものならば、それくらいのことは仕方がなかろう。ただな、それでは、わしの死後は、あまりにも不名誉じゃろう。少しは、世の中に貢献しているという事実を遺していかねば、わしは単なる悪人じゃ。 偽善とののしるのなら、ののしればいい。まさに偽善だからな。わしは、各仏教宗派の本山に塔を立てたり、庭を造ったり、参道の整備をしたり、様々な寄付や寄贈をしてきた。そうやって、功徳を積んでおけば、死後も地獄へ行かないで済む、とも教えられたしな。だから、様々なところに寄付をした。宗教関係はもちろん、慈善団体にも多額の寄付をした。少しでも、わしの罪が消え、名誉が残るように・・・・とな。」 「よく、話しました。その言葉を待っていたのですよ。」 不動明王がやさしく言った。そして、一呼吸おいた後、不動明王の声色が変わった。 「本当のことを言いましょう。」 その声は、先ほどまでのやさしい声ではなく、重々しく、威厳に満ちた声だった。その声に、その場にいた者は、みんな一瞬で緊張したようだった。あの強欲爺さんも背筋がしゃきっと伸びたようだったし、裁判官の秦広王の顔も急に引き締まった。鬼たちの間にも緊張がみなぎった。一瞬にしてその場の空気が変わってしまった。もちろん、俺にも緊張が走った。 「本当のことを言いましょう。本当ならば、あなたは、死後すぐに地獄へ行く身でした。生前の罪を思えば、当然でしょう。」 「あんなに多額の寄付をしたのに・・・・?。」 「あなたは、達磨大師と当時の国王との話を聞いたことはないのですか?。」 「達磨大師と国王の話・・・・。聞いたことはないですなぁ・・・。」 「それでは、教えてあげましょう。達磨大師が当時の中国を仏教の布教のために訪れた時のこと。当時の国王は、有名な達磨大師が来られたというので、宮中へ達磨大師を招きました。で、達磨大師にこう尋ねたのです。 『私は、これまで数多くの寺院を建立し、数多くの寄付をしてきた。このことによる功徳はどれほどあるのか。』 達磨大師は、この問いに対し、即座に一言 『無功徳』 とだけ答えました。この理由がわかりますか。」 不動明王の声は、また、やさしい声に戻っていた。この強欲爺さんを諭すような口調だった。 「多額の寄付をして、なぜ無功徳なのか。わしにはわかりませんな。それじゃあ、寄付の意味が無いではないか。」 「あなたなら、そう思うでしょう。しかし、布施というものは、そういうものじゃない。目的があってするものじゃないのだよ。『わしはこれだけのことをしてやった、だから徳が積めて、死後極楽へいけるだろう』などと思うのは、奢り高ぶった心なのだよ。それでは、本当の布施にはならないのだよ。本当の功徳にはならないのだよ。見返りを求める寄付や布施は、布施ではないのだよ。それは、名誉を買っているだけのことなのだよ。あなたの名前を後世に残すために、名前を書き記したものを買ったに過ぎないのだよ。布施や寄付というものは、見返りを求めないものなのだよ。それで、功徳が積めるのだよ。」 「じゃあ、わしがやったことは無駄だったのか。」 「無駄ではなかろう。後世に名前とあなたが建てた塔などは残っているのだから。」 「否、そういう意味じゃなく、わしは何の徳も積めなかったのか、ということじゃ。」 「否、何の功徳も無かったわけではない。先ほども言ったであろう。あなたは、本当は死後すぐに地獄へ行っているはずであった、と。」 「ならば、少しは徳があったと・・・・。」 「そういうことです。たとえ、動機が不純であろうと、たとえ、名誉を買っただけに過ぎなかろうと、仏教の布教のためにはなっていますから、一応功徳はあるのですよ。だから、死後、すぐに地獄へ行かなくて済んだのです。」 「それは、どのくらいの功徳だったのじゃろうか・・・・。」 この言葉には、びっくりした。この爺さん、賢いのか、ボケているのか、よくわからない。ついさっき、不動明王が達磨大師の例を出して話してくれたばかりじゃないか。何を聞いていたのだろうか。 「否、先ほどの話は、ちゃんと聞いておったよ。無功徳なのだろ。よくわかっている。しかし、無功徳なのだけど、一応は、功徳があるのだろう。地獄へ行かずに済むくらいの功徳はあったのだから。だから、それは、例えば、一般人が、どういうことをしたのと同じくらいの功徳なのか、ということが聞きたいのじゃ。」 なるほど、そういうことか。自分がしてきた寄付の功徳は、一般人が行なう寄付などの徳積みと、どれくらいの差があるのか、ということが聞きたいのだな。この爺さん、あくまでも計算高いのか・・・・。 不動明王が、さも仕方がなさそうに答えた。 「そうだね、あなたがある宗派の本山に寺を一つ建てた功徳と、アルバイトで暮らしている若者が慈善団体にわずかではあるが寄付をした功徳、それは同等であろう。」 「そ、そんな程度だったのか・・・・。なんということだ。あんなに寄付をしたのに・・・。そんなことなら、寄付などしなきゃよかった。」 「まだ、わからないようですね。まあ、いいでしょう。この先、あなたの罪の重さが嫌というほどわかるでしょう。そのためにも、すぐには地獄へ行かないほうがいいかも知れない。罪と徳の吊り合いをよく知るといいでしょう。 さあ、秦広王、あとを頼みます。」 そういうと、不動明王は、なぜか悲しそうな顔をして、黙ってしまったのであった。 あとを託された秦広王も、呆れ顔だった。そりゃ、そうでしょう。不動明王が直々に諭したのに、この爺さん、すっとぼけているのか本当に理解していないのか、言っていることがメチャクチャだ。いまだに、『寄付なんぞするんじゃなかった』などとブツブツ言っている始末である。 あんたは、名前を買っただけなんだ、と言っているのに。実際に、この爺さん、寄付に名を借りて、自分の名前を売り込んだだけに過ぎない。言わば、広告料である。ある本山に行けば、この爺さんが建てた寺院や塔があるかもしれない。「○○氏寄進の塔」などと、書いてあることであろう。一般的に見れば、確かに、すごいことだ。功徳が沢山ありそうに思える。しかし、それは、単に名前を売っているとも言えよう。言わば、広告塔だ。○○氏という名の塔にしか過ぎない。広告タワーなのだ。純粋に、仏教の布教のため、人々が手を合わせることができるように、という目的で寄進したのなら、なにも名前を書き記したりする必要はなかろう。名前などどうでもいいはずである。名を名乗らずに寄付をしていった人のほうが、本当の布施になるのであろう。そこに本当の功徳が生まれるのだ。この爺さんの場合は、全くの偽善である。そういえば、自分でも偽善だ、と言っていたか。それなのに、功徳があると信じているのだから、訳がわからない。 「さて、強欲院金泥腹黒厚顔大居士、そういうことで、本来なら地獄行きなのだが、己の罪の重さを知るためにも、先へ進むがよい。この先の裁判を通して、己の罪を知るとよい。さ、行きなさい。」 こうして、強欲爺さんは、不服そうな顔のまま、鬼に両脇を抱えられ、壁の扉へと入れられたのであった。この先、この爺さんに何が起こるというのであろうか。俺は、不謹慎かも知れないが、少し楽しみであった。 「次、釈聞新、前に出ろ。」 型通りに鬼が叫んだ。そして、俺の後の死者に席をずれるように行って、次の死者を呼んだ。そのものは、この場所に入ってきて、やはり型通りに不動明王を見て、驚いていた。すっかり、いつもの状態に戻った。そして、いよいよ、俺の裁判である。 「さて、いよいよですね、釈聞新。早速始めましょうか。」 秦広王が、にこやかに俺に告げたのであった・・・。 「あなたのことは、閻魔大王からも伺っております。ですから、何なりとご質問ください。」 にこやかに秦広王が言った。 「あぁ、はい。では、さっそく・・・・、えぇーっと・・・。」 聞きたいことは山ほどあったのだが、いざ「質問をどうぞ」と言われると、なかなか聞けないものである。それに、霊感オバサンや強欲爺さんの件で、何を聞きたかったのか忘れてしまっていたのだ。しかし、それでは取材にはならないし、これでも生前は雑誌記者だ。ここで質問しないわけにはいかない。 「あの、では、まず、あ、いやその前に、時間は大丈夫なんですか?。確か、この裁判所の外には、亡くなった方がたくさん並んでいたと思うのですが・・・。私も並びましたし。あまり長く話をしていると、死者で溢れかえる・・・・なんてことにならないですか?。」 「あぁ、それなら大丈夫なんですよ。ここは、時間がないですからね。」 俺は意味がわからなくて、どう答えていいかわからなかった。 「時間がない・・・・って、どういうことですか。意味がよくわからないんですが・・・・。」 「時間がないというのは、そのまま、時間がないってことですよ。この中では、時間が止まっているのです。ここの空間は特別なんですよ。ですから、いくら長く話していても、外で死者が溢れかえると言うようなことは起こり得ません。時間の事は気にしなくてもいいんですよ。さあ、ご質問ください。私に答えられる事でしたら、何でも答えましょう。」 「あ、はい、わかりました。では、さっそく・・・・。 あの、ここへ来ていろんな方に出会ったのですか、牛の顔をした方とか、馬面・・・あ、否、馬の顔をした方とか、この辺りにもいる鬼の方とか・・・・様々な方に会ったのですか、そういう方たちは、どういう方なのですか?。否、そもそも、裁判官である秦広王は、元々この世界に住んでいたのですか?。」 「あぁ、つまり、あなたは、この世界・・・・生きている者たちから見ればあの世・・・・の成り立ちが聞きたいのですね。」 「そうです、そうです。この世界は、初めからあったのですか。」 「わかりました。では、少々長くなりますが、この世界・・・・あの世・・・・の成り立ちについてお話しましょう。長くなりますから、楽にして聞いていてください。」 秦広王は、そういうと、一息ついてから話し始めた。 「この死者の世界を見つけたのは、実は閻魔大王なのです。閻魔様は、日本語では『閻魔』と書きますが、そもそもは、インドの方で、本名を『ヤマ』といいました。ヤマさんが、生きていたのは、もう随分昔のことになります。お釈迦様がこの世に現れるずーっと、ずーと以前の話です。 そのころのインドは、とても平和で悪い事を考えるものや、悪事を働くものはいませんでした。争い事は一切なく、皆が平和に楽しく暮らしていたのです。その頃は、寿命も長いものでした。今よりもずーっとね。ところが、閻魔様は、若いうちに亡くなってしまったのです。実は、閻魔様は人間の死者第1号だったのです。初めての死者だったのですよ。 閻魔様は、暗い道をひたすら歩いて行きました。山を越え、川を越え・・・・・。そして、素晴らしい楽園を見つけたのです。そこは、緑で溢れ、泉があり、輝かしい世界でした。 その世界には、如来様や菩薩様が住まわれていました。その世界の如来は、 『ついに人間の死者がここに来たか。待っていたぞ。さぁ、ここにお前たち死者の楽園を造るがよい。』 と閻魔さまに告げると、如来様や菩薩様は、さらに上の世界へと行ってしまわれたそうです。こうして、閻魔様は、その世界を自分の楽園にしたのです。 そのうちに、死者が次々とその楽園を訪れるようになりました。どの死者も、閻魔様が見つけた道を辿ってきたんです。私もその中の一人です。後々、あなたがお会いする他の裁判官も、閻魔様の歩いた道を辿って、楽園に行き着いた者たちなのです。 こうして、死者が増えたので、楽園を広げていきました。それでも足りなくなったので、地域を分けるようにしました。簡単に言えば、領域を造ったんですよ。これが、天界の始まりです。こうして閻魔様が発見した楽園は、天界と呼ばれるようになり、その世界もいくつか造られ、それぞれに王が決められたのです。これが神々の始まりですね。もちろん、閻魔様も初めは天界の一つの王で閻魔天と呼ばれているんですよ。実は、現在もご自分の天界を持っていますけどね。」 俺は驚いた。閻魔様は人間の死者第1号だったのだ。その閻魔様は楽園を見つけた。その楽園は、実は如来様や菩薩様の世界だったらしい。如来は、その世界を閻魔様に譲って、どこか別の世界へ行ってしまった。 そして、閻魔様は、後からやってきた死者の仲間とともに、天界を造った。それが、今、生きている人たちがお参りしている神々だという・・・。なんにでも、その成り立ちというものがあるものなのだ。 秦広王の話は、まだ続いた。 「ところがですね、困った問題が起きたのですよ。悪い死者が現れたのです。初めは、善人の死者ばかりだったのですが、そのうちに悪人の死者もやってくるようになったのですよ。で、その悪人は、天界を荒らすようになったのです。そこで、閻魔様をはじめ、我々天界の王たちが集まって、悪人を捕まえ、閉じ込めておく場所を造ったのです。それが、地獄ですね。しかし、天界に悪い死者を入れてから捕まえる、というのは効率が悪い。天界に悪い死者が来ないようにしたほうがいい、死者が天界にやってくる前に振り分けをしよう、という話になったのですよ。」 「あ、なるほど、それで死者の裁判制度を創ったんですね。」 「そうです。で、死者第1号の閻魔様を中心に、死者を振り分ける仕組みを創ったのです。死者が通ってくる道に門を造り、死者のチェックをするようにしたり、極悪人は、直接地獄へ行くようにしたり・・・・。 そのうちに、死者の犯した罪もいろいろ複雑になっていきました。文明が発達していくに連れてね。ですから、その罪に応じて、死者の行く先の世界を振り分けたのです。」 「死者の行く先?。ここじゃなくて・・・・ですか?。」 秦広王は、にこやかに笑って、 「いやいや、ここの事じゃないですよ。ここは、死者の来る、ほんの入口の世界です。」 と言って、少し考え込んでいた。 「何といったらいいか・・・・。そのですね、生あるものは死を迎えると生まれ変わるのはご存知ですか?。」 「輪廻転生・・・・ですか。」 「そうですそうです。閻魔大王をはじめ、天界を築いていった神々たちは、魂の状態で天界に行ったのではないのですよ。生まれ変わったのです。先ほど、閻魔大王は、如来の楽園を見つけたと言いましたが、本当はその世界へ生まれ変わったのですよ。で、私たちも、死を迎えて次々と楽園へ生まれ変わっていったわけです。」 「あぁ、じゃあ、その楽園に悪者も生まれ変わって来てしまったので、それに対応するために、生まれ変わる世界を造っていった、ということですね。」 「そうです。わかりにくくて申し訳ないですね。 まあ、ともかく、私たちは、死者の罪に応じて、生まれ変わる世界を六種類ほど造ったのです。地獄界、餓鬼界、畜生界、修羅界、人間界、天界です。天界は、初めからあった楽園のことです。こうして、私たちは、初期の死者として、現実の世界と死者の世界、生まれ変わりの世界の秩序を創っていったのですよ。」 秦広王は、遠くを見つめるような眼をしていた。懐かしがっているのだろうか・・・。 「それでね、死者に対し、生まれ変わる世界を決める役割が必要になってきたし、罪を調べる機関が必要になったのです。そこで、私たちがその役割を担当する事になったのです。初期の死者、六つの世界の創始者としてね。で、その場所がここなんですよ。」 「つまり、ここは、死者の生まれ変わり先を決めるための機関、ということですね。」 「そうですね。死者は、死の門をくぐってから、生まれ変わりの門へ至る間、全部で七回の裁判を受けます。他にも、死出の山越えなどがありますしね。死を迎えてより、四十九日の間、死者は、生前の罪を裁かれているのですよ。そのために、この世界を創ったのです。初めはなかったんですよねぇ、こんなところは。罪深いものが人間の中に生まれてきたから、この世界が必要になったんですよ。はぁ・・・・。」 なぜか、秦広王は、溜息をついた。ひょっとして、この裁判官の役割が嫌なのだろうか・・・・。 「あ、それからね、ここで働いている牛頭や馬頭は、前世は人間界にいた牛や馬ですよ。その中でも優秀なものをここで働かせているんですよ。」 「えっ?、じゃあ、あの牛や馬の顔をした人たちは、前は本物の馬や牛だったんですか。」 「そうですよ。それが、死を迎えて、別の世界に生まれ変わる前に、閻魔大王の命令で、ここへ生まれ変わらせるんですよ。で、働いてもらうのです。まあ、ここで働けるのは、すべての牛や馬じゃないですよ。優秀な牛や馬です。」 「じゃあ、あの鬼の皆さんは?。」 「あのもの達は、閻魔大王が造った人形・・・ですね。」 「人形?。」 「そう、人形。何かの生まれ変わりじゃなくて、ここで働かせるために、閻魔大王が造った人形なんですよ。たまにできの悪いのがいて、ここから逃げ出し、人間界へ悪さをしに行ってしまう鬼が出てきて困りますね。」 「あぁ、そうだったんですか。人形・・・ねぇ・・・。」 「人形と言っても、話もできるし、力も強いですよ。可愛いところは一つも無い。暴れる死者もたまにいますしね。罪深い人間は、甘やかすとすぐに付け上がりますからね。だから、鬼のような働き手が必要になってくるのです。地獄では、大活躍していますよ。」 なるほど、確かに、人間は甘い顔をすると、すぐに付け上がり、ウソをつくところがある。しかし、周りにこれだけ鬼がいちゃ、奮えあがってしまうだろう。たいていのものは、正直に答えるに違いない。ということは、人間はそれほど嘘つきで、罪深い生き物、ということなのだ。初めから正直な態度をしていれば、鬼など必要ないのだから。 「人間は、本当に罪深い生き物ですね。私たちが生きていた頃とは、大きく変わってしまいました。あの頃は、罪を犯すようなものは一人もいなかった・・・・。 ま、あなたも、これから、様々な罪深い人間の行く末を見ていくことでしょう。つらい思いをすることもでてくることでしょうが、しっかりその目で見て、現世の人々に伝えてくださいね。」 「あ、はい、わかりました。しっかり取材をします。」 俺は、あらためて俺の役割の重さを心に刻んだ。現実世界に生きている人々に、罪を犯すことの恐ろしさを伝えねばならない・・・・・。 「ところで、確かここは、生前の殺生の罪について裁く、というようなことを霊感オバサンの時に聞いたような気がするのですが、裁判所によって、裁く罪が決まっているのでしょうか。」 「えぇ、そうですよ。ここは、殺生の罪について裁きます。他の裁判所は、その裁判所によって裁く罪が異なります。私は殺生担当ですね。」 「しかし、いくら罪を裁かれるといっても、ほとんどの人が次へ進むように言われるみたいですが・・・・。」 「えぇ、ここで判決は出ません。たいていは、生まれ変わりの門まで判決は出ないのですよ。つまり、死を迎えて四十九日目に判決は降される・・・・というか、生まれ先が決まるのです。ここで判決が出るのは、まあ、希ですね。」 「あの、では、お不動様の役割はどういったことなのでしょうか。」 「あなたの前のお二方のように、特別な場合とか、私が答えられない時とかに助けて下さるのが、不動明王様です。」 「他の方のときも、秦広王様に何かゴニョゴニョとおっしゃっていたような気がしますが・・・。」 「えぇ、えぇ、一応、私はここで判決を出すような態度をとります。『じゃあ、お前は地獄行きだな』と。その時に、不動明王様が私に小声で、『初七日の供養もきてるから、先送りにしなさい』とおっしゃるのですよ。で、私は、死者に対し、『初七日の供養もあったし、不動明王の御慈悲により、先に送ろう』と判決を出すわけです。まあ、一種の演出・・・・ではありますね。」 「じゃあ、最初から決まっているのですか?。」 「まあ、だいたいね。しかし、先ほどのお二方のような場合もありますし。」 「なぜ、わざわざそんなことを・・・・。」 その時であった。重々しい声が響き渡った。 「勘違いしないようにしなさいよ、釈聞新。これには、訳があるのです。」 今まで何も話さなかった不動明王が、話し始めたのであった。 |