バックナンバー(五)  第三十一話〜第三十四話

「釈聞新よ、なぜ私が、一番最初の裁判に立ち会っているのか、わかりますか?。」
不動明王は、やさしい声で俺に尋ねた。
「そりゃ、まあ、その・・・インパクトの強さでしょう。この裁判所に入ってきて、まず驚いたのは、不動明王様が座っていた、ということです。おそらく、ここに入った誰もが、ドキッとすることでしょう。多少、悪いことをしたという覚えがあるものならば、もうドキドキでしょう。冷や汗ものです。その効果を狙ってのことなのではないでしょうか。」
「そう、その通りですね。人間は、基本的に自分のした行為の中で、悪いことを隠そうとします。いい行いをしたことばかり話したがる。心に潜む闇の部分は、なかったことにしたいのです。見たくないのです。それが人間です。
しかし、死後は、その闇の部分に光をあてなければなりません。愚かなる人間の心の闇を消し去ってやらねばなりません。生きているうちに、心の闇を消し去ることが最もよいことなのですが、なかなかそれは無理な話でしょう。ですから、死後、それは行なわれるのです。
そのためには、自分の心に潜む闇を知ること、認めることが大切です。己の犯してきた大小様々な罪に目を向けることが重要なのです。
しかし、人間はそれを隠そうとする。ウソをついてでも。残念なことなのですが・・・・・。」
不動明王は、その恐ろしげな顔に似合わない、悲しそうな眼をしていた。

「先ほど、お前は、私をみてドキッとした、といいましたね。」
「はい、いいました。きっと、誰もがドキッとすると思います。」
「お前の思ったとおり、私が一番最初の裁判所にいる理由は、そこが狙いです。この通り、私の姿は恐ろしげに見えるでしょう。炎を身に纏い、剣をかざし、縄を持っている。私が、この眼で睨めば、どんな悪人も、悪鬼も魔物も、屈服してしまうでしょう。
が、しかし、人間はこの私を目の前にしても、言い訳はもちろん、ウソをつくこともあるのです。悲しいことなのですが。確かに、私の姿に恐れおののきはします。しかし、裁判は秦広王が進めます。そうすると、安心するのか、人間は言い訳をするようになるのですよ。ウソをつくようになるのです。私は、そこを見ているのです。」
「そこを見ている?。」
「そうです。正直に罪を認めるかどうか、それを見ているのですよ。」
「あぁ、なるほど、そういうことだったのですか。」

つまり、こういうことだ。
死者は、この第一裁判所の法廷に入り、不動明王の姿を見てびっくりする。重大な罪を犯した者でなくても、「こりゃ、やばい」と思うだろうし、ビビリもするだろう。これが、まず不動明王の第一の効果である。
次に、実際に裁判が行なわれると、不動明王は口を出さないことに気付く。裁判を進めるのは秦広王である。罪を責めるのは、不動明王ではなく秦広王なのだ。その時点で、正直に死者が罪を認めれば、不動明王が先に行ってよし、という。正直に認めなければ、不動明王が説教をする、という仕組みになっている。
問題は、この時である。不動明王が口を出さなくても、正直に罪を認めるかどうか、言い訳をしないか、そこを見ているのだ。ここが重要なポイントなのだ。
『なーんだ、罪を責めるのは、秦広王とかいう軟弱そうなヤツか。ならば、言い訳して逃れてやろう。』
そう思う輩がいるのだ。そこを試しているのだろう。相手が誰であれ、正直に罪を認めるかどうかを・・・・。

「そういうことなのです。そこに気付いて欲しいのです。だから、あえて一番最初の裁判所は私なのですよ。ほかの菩薩では、初めから救いを求めてしまうでしょう。菩薩は優しいから、多少のウソも見逃してくれるだろう、という甘えが出てしまうでしょう。それではいけないのです。初めは、正直に罪を認めることを教えなければなりません。素直になる、ということを教えねばなりません。ですから、私がいるのだし、わざわざ、私が後から口出しをするような演出をしなければならなくなるのです。
裁判が始まってすぐ、『私は、これこれこういう罪を犯しています。』と認めてくれれば、何もこのような演出はいらないのですよ。ところが、誰もが言い訳や言い逃れをするのです。悲しいことなのですが・・・・。」
「そういうことですか。それで、正直に認めだしたら、先に行っていい、というのですね。」

「しかし、人間は本当に愚かですよね。私が『それでは地獄行きだな』というまで、いい訳ばかりしていますからね。このセリフを言わなきゃ、自分の犯した罪すら認めないのですから。」
秦広王が、歎き半分のような言い方で話に入ってきた。
「もう、ほとんど脅しですよね。そこまで言わないと、罪を認めませんか。」
「そうなんですよ。地獄行き、と脅さないと、なかなか自分の悪い行為を認めないですね。素直じゃない。嫌になりますよ。」
なるほど、人間とは愚かな生き物だ。ここまできても、言い訳や言い逃れをしようとしているとは。もうすでに死んでいるというのに。現実世界で生きているというわけではないのに。それは、生きている時に身についた習慣なのだろうか。

考えてみれば、会社や家庭で、否、いろんなところで我々は言い訳をしているような気がする。ちっとも正直じゃない。間違っては言い訳、手違いがあって言い訳、遅くなって言い訳、サボって言い訳、悪いことをして言い訳、浮気して言い訳、飲んだくれて言い訳、罪を犯して言い訳・・・・・。言い訳だらけだ。
あーだから、こーだからと言い訳ばかりしているような、そんな気がする。その言い訳も、他人のせいにしたり、不可抗力によるものだとわめいたり、みっともないものばかりのような・・・・・。
素直に罪を認める、これは難しいことなのだろう。そういえば、俺自身も、よく言い訳してきた。原稿が遅れているのは、パソコンの調子が悪いからだとか、写真が出来上がってこないからだとか、体調が悪いからだとか、挙句の果てには、実家の親が死にそうだとか、まあ、とんでもないウソを並べ立てたものだ。
素直じゃなかったなあ・・・・。

「この死後に行なわれる裁判の目的は、己の罪を知る、と言うことにあるのだ。素直に罪を認める、ということにあるのだ。そして、それに見合った罰を受けなければならない、ということを知ることにあるのだ。49日間にわたり、死者はそれを思い知らされるのだよ。」
再び、不動明王が説いてくれた。
「それともう一つ、供養ということを知らせる目的もあるのだよ。」
「供養ですか?。」
「そう、供養。その供養の大切さを教える目的もあるのだ。」
「そういえば、秦広王さんは、『初七日の供養もあったし、不動明王の御慈悲により、先に送ろう』と告げるのでしたよね。」
「そうですよ。よく覚えてますね。まあ、それがここでの判決ですね。」
秦広王が答えた。
「そうなのだ。その供養こそが大切なのだ、ということを、死者は、49日間この世界で過ごすうちに知るのだよ。」
「それは、どういうことなのですか。」
「ふっふっふ・・・。それは、お前も、他の死者と同じように、これから先、自分自身で知るがいい。そのほうが、よく理解できるであろう。まあ、中には、49日間通しても、供養の重要さに気付かない者もいることは確かだが・・・・。いずれにせよ、供養は大切な要素なのだよ。」
「御仏の慈悲もね。」
秦広王がボソッと付け加えた。

「供養は、確か・・・・。あぁ、そうだ、私が死んで間もなくのことでした。お経の声が聞こえると、すごく落ち着くというか、本当に天に昇るような、そんな気分だったということは、ありましたね。」
「そうですか、そういう経験をしたのなら、供養の大切さもよくわかるでしょう。供養があるとないでは、大きな差が出てしまう、ということだけは覚えておくとよいでしょう。」
「はい、わかりました。これから先、その供養については、よく見聞きさせて頂きます。」
「その心意気です。よろしく頼みます。さて、秦広王よ、続きを・・・・。」
不動明王は、そう言って、再び秦広王に話を先に進めるように促した。

「ということで、もう、他に質問はないですか?。なければ、あなたを先に送って、次の人の裁判に入りますが・・・。」
「あぁ、ちょっと待ってください。もう一つ聞きたいことがあるのですが。」
「えぇ、いいですよ。前にもいいましたように、ここには時間はないですから、聞けるだけ聞いておいてくださいね。」
「ありがとうございます。では・・・と。もう一つ聞きたかったのは、戒名のことです。」
「戒名、ですか?。それならば、通夜のときに、あなたの葬儀を受け持った僧侶が説明をしたのではないですか?。」
「あぁ、はい、確かに覚えてますよ、その話は。今、教えていただきたいのは、それとは別のことです。というのは、どうやら私の後ろのほうで戒名のない方がいるらしいのです。」
「戒名のない方ですか。ほう、それはかわいそうに。」
「そう、それなんです。その戒名のない方が通ると、馬頭さんも牛頭さんも、一様に『かわいそうに』というんですよ。それが後ろのほうから聞こえてくるんです。しかも、最近増えているとか・・・・。」
「えぇ、確かにね、増えているんですよ。戒名のない死者が。残念なことにね。」
「そこのところが私は聞きたいのですよ。なぜ、戒名がないとかわいそうなのですか?。なぜ、最近、戒名のない方が増えているんですか?。」
「はいはい、質問の内容はわかりました。では、まず、戒名のない場合についてお話しましょう。」
秦広王は、一度、遠くを見つめるような顔をしてから、俺のほうに向きなおった。その顔は、どこか悲しげな様子だった。

「戒名がないとね、ここでは不利なんですよ。」
「不利・・・・、というと?。」
「戒名は、あなたもご存知のように、お釈迦様の弟子になった、という証しですよね。」
「えぇ、そう聞いてます。確か、和尚が・・・あぁ私の葬儀をしてくれた和尚ですが・・・・そう言ってました。」
「ということは、その戒名がない、ということは、どういうことですか。」
秦広王が、逆に質問してきた。
「それは、その、戒名がないのだから、お釈迦様の弟子になっていない、ということでしょうね。」
「そうです、そうです。お釈迦様の弟子になっていないから、戒名は付いていないんですよね。ということは、そりゃ、ここでは不利でしょう。」
「ですから、なぜ不利なのですか?。」
「ここは、お釈迦様の国土だからですよ。お釈迦様の仏国土、娑婆世界だからですよ。」
「え?、お釈迦様の世界?。ブッコクド?。なんですか、それ。」
「また、話が長くなりますが、まあ、いいでしょう。ここはね、現実世界も含めて、お釈迦様の国なんですよ。お釈迦様という仏陀の国なんですよ。」
秦広王の話は、長くなりそうだった・・・・。

「娑婆世界、という言葉は聞いたことがありますよね?。」
秦広王が問い掛けてきた。
「はぁ、知ってます。尤も、あまり言い意味では使われてませんけどね。犯罪を犯したものが、刑を終えて社会にでてきた時に、よく使いますよね。『久しぶりの娑婆だな』って。その娑婆、でしょ?」
「えぇ、そうですそうです。その娑婆です。もともとは、この世界、今、あなたがいる『あの世』の世界も現実世界も、全部含めて娑婆世界、といいます。」
「はぁ、で、その娑婆世界は、お釈迦様の国土・・・・なんですか。」
「そうなんですよ。この娑婆世界は、お釈迦様という仏陀が管理をする世界なんです。で、仏国土−ブッコクド−というんです。」
「ちょっと待ってください。娑婆世界って言うのは、日本だけじゃないですよね。世界中、どの国も含まれるんですよね。」
「もちろん、そうですよ。」
「じゃあ、よその国の人は、どうなるんですか。お釈迦様のことなんて知らない人たちがいっぱいますよ。」
「それは、大丈夫なんですよ。仏教のない世界には、それに代わる宗教があるからです。」
どういうことなんだ????

「現実世界には、様々な宗教があるのはご存知ですね。」
「もちろん、知ってます。」
「その様々な宗教は、その宗教に応じた神がいます。その神が、その宗教を信じるものたちの死者の魂を管理しています。つまり、キリスト教はイエスが、イスラム教はアッラーが、道教は道教の神々が・・・・・というように。その神々は、この娑婆世界の主であるお釈迦様に代わって、その宗教を信じるものたちの魂を管理しているのです。ですから、お釈迦様のことを知らなくても構わないんですよ。この世界が、娑婆世界という、お釈迦様の国である、ということも知らなくて構わないんです。」
「うーん、つまり、こういうことですか。この死者の世界も現実世界もすべては、お釈迦様の国だけど、各地を別の神々が管理している、というわけですね。ということは、たとえば、世界中の王はお釈迦様だけど、その下には、各地を管理する王がいる、というようなものですね。」
「そうそう、そうです、そうです。お釈迦様の元、様々な神々が、それぞれ神の国を持っていて、それぞれその神の国に住まう人々を救ったり、諌めたり、導いたりしているのです。もちろん、死者の導きもね。」

つまり、こういうことなのだ。
現実世界も、あの世の世界もすべては、お釈迦様の娑婆世界、と呼ばれる世界なのだ。それは、地球、といってもいい。地球に様々な国があるように、娑婆世界にも様々な神々がいるのだ。で、その神々がそれに応じた世界を持っている。それは、宗教と言われるものなのだ。つまり、宗教は、その信仰の中心にいる神の世界そのものなのだろう。で、その宗教を信じている者は、死すれば、その神の世界へと導かれていくのである。

「その通りです。」
秦広王は、俺の頭の中のまとめを読んだのだろう。俺の顔をみて、ニコニコしていた。
「で、その神が持っている世界には、それぞれルールがあります。戒律ですね。また、様々な儀式もある。もちろん、お釈迦様の説かれた仏教にも戒律がありますし、儀式もある。葬儀もその中の一つですね。わかりますよね。」
「はい、わかります。葬儀の仕方も、各宗教によって異なりますね。」
「そうそう、それは、それぞれの神のやり方があるからです。」
「各国の方針・・・・ですね。」
「そういうことです。で、仏教での死者の儀式の場合、死するものは、お釈迦様の弟子になっておく、というのが、一応の決まりなんです。」
「あ、なるほど。戒名は、お釈迦様の弟子になったと言う証でしたよね。それは、決まりなんですね。」
「そうそう。キリスト教でも、洗礼を受けると、名前がもらえるでしょ。私は、ずーっとここにいるから、他の宗教の神についてはよく知りませんけどね。ま、いずれにせよ、戒名は、仏教信者の証なんですよ。」
「じゃあ、それがないというのは、仏教信者として認められない・・・・ということですか。」
「うーん、まあ、それほどはっきりとは言いませんけどね。絶対、認めないぞ、というものではないですが、基本的にはそうですね。仏教の儀式で葬式を挙げながら、戒名を持たない、というのは、いわば、通行手形を持たないようなもので、いちいち、『本当にオマエは仏教信者なのか?』と疑われるんですよ。」
「あぁ、だから不利だというんですね。」
「そうです。どの神の世界でも、その神のルールに法って死者の導きがあります。先ほども言いましたように、神の弟子であるという証のために、その神にちなんだ名前をつける場合もありますし、死者の身体に印をつけておく場合もあるでしょう。御札を持たせる、というのもありましょう。仏教の場合は、仏教の信者という証のために、戒名をつけるのです。」

ようやくわかった。戒名は、仏教信者の証なのだ。証明書なのだ。
死者は、たとえそれがどんな宗教であろうと、その宗教の中心に存在する神の信者であるという証明を持って、その神の管理する死者の世界に行くのである。それが、決まりなのだ。
たとえば、その証明書を持っていない死者が、その神の死者を管理する世界に来た場合、果たして本当にその者は、その神の信者であるのかどうか疑わしい・・・・・と思われることもあるのだろう。だから、秦広王は、通行手形のようなもの、といったのだ。
しかし、仏教では仏は慈悲深いはず。戒名がないくらいで、不利になるのだろうか。問題は、その人が生きていたときの行いなのではなかったか。ここでは、生きているときに犯してしまった「罪」が問われるのではなかったか。

「そうですよ。ここでは、その人の生前の罪が問われるんです。それには、戒名のあるなしは、問題にはなりません。生前の行動は、すべて把握してますから、熱心な仏教信者かどうか、真面目な人だったかどうか、ということは、わかっていますからね。」
秦広王は、また俺の心を読んで、先に答えを示してくれた。ならば・・・。
「ならば、戒名がなくても困ることはないでしょう。かわいそうに、ということも無いんじゃないですか。」
「まあ、確かに、そうなんですが・・・・。まあね、御仏は、確かに戒名のあるなしは問いません。しかし、私達裁判官は、一応、考慮に入れます。それと、その人が生まれ変わった世界でも、問われる場合があります。なぜなら、戒名のない方の多くは、間違った仏教を信じていた方が多いからです。或いは、仏教を信じていなかったとか。仏教は信じていないけど、仕方がなしに仏教儀式に法って、葬式をしたためにここへやってきた死者である場合が多いんですよ。」
「あ、そういうことですか。戒名を持ってない死者の多くは、そういう人たちなのですか。」
「そうなんです。だから、仏教の信仰をしていなかったから、御仏達も弁護の仕様が無い場合もあるんですよ。つまり、無宗教の方達ですね。無宗教の方達は、増えているのは確かですが、たいていの場合、仏教を信じているいないに関わらず、葬式をして、戒名をもらうでしょ。その場合は、その死者が仏教を信じているいないに関わらず、供養も行なわれるし、そうなれば、お坊さんとの接触の機会も増えるでしょう。そうすれば、いずれ仏教の信仰に目覚める可能性もある。
ところが、戒名ももらわない者は、あとの供養も頼まないことが多いんですね。葬式がすんだら放りっぱなし。仏教に触れる機会もない。まあ、たとえ供養をしている家でも、仏の教えを聞かない家庭もありますが、それは坊さん側の責任ですからね、その家庭には問題は無いでしょう。
ま、こういうことで、戒名が無いと、ここでは不利だ、と言われるんですよ。」

やっと理解できた。つまり、「戒名がない」といことは、「仏教の信仰者ではない」とみなされるのだ。仕方がなしに、葬式をしたためにここへ来てしまった者たち、と見られるのだ。ならば、不利と思われても仕方がないであろう。弁護する立場にある御仏達は、平等には見てくれるであろうが、他の者はそうはいかない。それに、供養も響くようだし・・・・。その死者の家に、本当に信仰が無ければ、あとの供養も無いのだろう。そうなれば、御仏達も擁護のしようがなくなるのではないか。だから、かわいそうに・・・・となるのだろう。
そうだ、この世界では、「罪」とともに、「供養」も大事な要素なのだから。

「最近、戒名のない人が増えた、と先ほどもおっしゃってましたが、どういうことなんですか。それほど、無宗教、信仰心のない家庭が増えたのですか?。それとも、その間違った仏教の方なんですか?。」
もう一つの疑問であった、戒名のない者がなぜ増えているのか、俺は聞いてみた。
「無宗教の人たちも確かに増えているようです。これは、宗教家−お坊さんですな−の責任です。くだらないお坊さんが増えているせいでもあります。
それともう一つ問題なのは、変な新興宗教がはびこっていることです。その新興宗教は、以前はとある仏教系の宗派と組んで信者を増やしていたんですが、そこのお坊さんと新興宗教のお偉いさんが揉めてしまって、分裂したんですよ。で、それ以来、その新興宗教では、ちゃんとした葬儀が行なわれなくなってしまったんです。とはいえ、一応、葬儀が行なわれますから、仕方がないので、ここへは送られてきます。しかし、戒名はもちろんないし、お坊さんによる供養もない。その宗教団体には、困ったものです。坊さんをないがしろにして、仏教の新興宗教を標榜しているのですからね。」
俺には、その宗派がどの宗派なのかよくわかった。あの団体は、宗教と言うより、政党のバックアップ団体であろう。あれは宗教ではないのではないか・・・・。

「そこの信者はね、そりゃ、熱心な方もいるでしょう。しかしね、導き手がね、問題です。全く仏教のことをわかっていないようですからね。その頂点立つものもね、問題ですな。」
秦広王は、独り言のように、その宗教団体についてぼやいた。
「あれは・・・・、仏教に名を借りた別のもの・・・ですな。こういう変な宗教が流行って困りますなぁ・・・・。」
「はい、多いですよ。私も取材したことがあるんですが、訳のわからない宗教が本当に多いです。それに簡単に騙される者もいますしね。大きな犯罪を犯した宗教もありますし。」
「えぇ、知ってますよ。こちらでは有名です。あの首謀者のところには、火の車がお迎えに行くでしょう、そのうちにね。」
「そういえば、最近は、病気や不幸は鬼のせいだとか、鬼を使役して悪霊を退治するとか、やたらと鬼が出てきますよ。」
その話を聞いて、俺の周りにいた鬼たちの顔が引きつったのを、おれは見逃さなかった。
「鬼ねぇ・・・・。前にも言いましたように、鬼は閻魔様が作り出したものです。もちろん、話もできるし、一応、考えたりもできます。非常に忠実です。しかし、たまにできの悪いのがいて、現実世界に行ってしまうものもいます。」
「はい、前に聞きました。そういう鬼がたまにいるって。」
「でも、そういうのは多くないんですよ。現実世界で問題を起しているのは、鬼ではなくて、人間の残してきた怨念でしょう。そっちのほうです。それを鬼のせいにしたりしたら、ここの鬼が怒りますよ。ま、たまに、現実世界に行ってしまった鬼に、人間の残した怨念の固まりが入り込んでしまう・・・・ということはありますが、まあ、まれですな。」
周りの鬼たちが、苦笑いしていた・・・・。
「まあ、そういう変な宗教家が流行るのも、坊さんの責任ですな。本来の仏教を広めるべき僧侶がサボっているからいかんのですよ。彼らは、まあ、地獄行きだな。」
秦広王は、笑いながらそう言った。そして、
「さあ、そろそろいいですかな。まあ、この先にもいろいろ教えてくれる方がいるでしょう。どうです、先に進みませんか?。」
と、俺に勧めたのだった。
「はい、そうします。とりあえずお聞きしたいことは、もうありませんし、先に進むことにします。ありがとうございました。」
俺は、そういうと、お不動様の方を向いて、
「不動明王様、ありがとうございまた。この先、しっかり取材を続けていきます。では、失礼します。」
と別れの挨拶をした。不動明王は、こっくりとうなずいた。その恐ろしげな顔は、ほんのり微笑んでいるように、俺には思えた。

「さあ、鬼よ、釈聞新を連れて行きなさい。」
秦広王の指示に、鬼が俺の横にやってきた。そして、別の鬼が叫んだ、
「必殺院釈主水、前へ」
と。こうして、通常の裁判が、また始まったのである。

鬼に連れられ、次へと進むための扉に向かっている俺の背中に、秦広王の声が響いてきた。その話の内容に、俺は思わず、足を止めてしまった。
「必殺院釈主水、あなたは、お金で人を殺すことを請け負っていたものでしょう。」
「へい、そうです。ただ、私が請け負っていた殺しは、理由があるものだけです。ひどい仕打ちを受けたものが、なけなしの金で頼んできた場合だけです。」
「わかってます。怨みを代わって晴らしていたのでしょう。しかし、殺生は殺生です。理由はどうあれ、それは許されるべきものではありません。本来は、死後即刻地獄行きなのですが、一応、殺生の理由をもう一度確認したいがために、ここに呼んだのです。あなたは、本当に泣き寝入りしている方の怨みを晴らすために、殺生をしたのですか。」
「へい、そうです。怨みを代わって晴らすためです。」
「ならば、なぜ金銭を取った。お金のためではないのかね。」
「う、うぅ、それも確かにあります。」
「それは、自分の欲望を満たすためでもあった、ということだね。」
「へい、そうです。そのお金で生活していましたし、贅沢もしました。わかっております。言い訳は致しません。私の前の方の話も聞いておりましたし、覚悟はできております。どうぞ、地獄へ落としてください。そうでなければ、私の罪は消えないでしょう。」
「そうか、よくわかっておるのだな。素直に認めるのだな。しかし、お前の罪はちょっと重過ぎる。いくら素直に反省していると言えども、ここで許すわけにはいかん。しばし、地獄で苦しんでくるがよかろう。」
「へい、わかりました。これから、地獄へすぐに行くのですか?。」
「ああ、そうじゃ。しかし、お前も反省しておるし、まあ、地獄の番人も少しは加減してくれよう。さあ、行くがよい。」
「へい、では、行って参ります。」
そういうと、その男は、合掌して、静かに俯いた。すると、その男の座っている床が、いきなり落ちたのである。俺はびっくりした。その男は、あっという間に、床にあいた穴に吸い込まれていってしまった・・・・。いや、まさに、落ちていってしまったのだった。あれが、地獄に落ちる、というものなのか・・・・。
しかし、ひどい仕打ちを受けたものの代わりに、恨みを晴らすなんて、まるで、時代劇のような、変な男だ・・・・・。それにしても、ここで判決が出て、地獄へ落ちることもあるのだ、地獄ではどれ位の期間いるのだろう、どういう苦しみがあるのだろうか、また、それはこの先知ることになるのだろうか・・・・。などと、そんなことを考えながら、俺は出口へと向ったのである。

秦広王のいた、第一裁判所を出ると、そこは、ほんのり明るかった。第一裁判所へ入るまでは、曇った日の夕方のような暗さだったが、今は違う。相変わらず太陽が出ているわけではないが、曇りの日の日中のような明るさがあった。おかげで周りがよく見える。
少し前をあの強欲爺さんが歩いていた。まだ、怒っているようだ。なるほど、時間の概念がない、と秦広王が言っていたのがよくわかる。あれだけ長く、秦広王や不動明王と話をしていたにも関わらず、強欲爺さんとはそんなに離れていないのだから。その爺さんの前には、あの霊感オバサンがいる。順序も変わってはいないようだ。ただし、俺の後ろは、順序が変わるのだろう。俺のすぐ後の人は、地獄へ行ってしまったのだから・・・・。

しばらく歩くと、川が見えてきた。比較的大きな川だ。その川に向って、我々は緩やかに下っていた。もう少しで河原に着く、と言うところに、小さな門があり、立て札があった。そして、そこには、またまた馬面がいた。馬頭である。立て札には、
「三途の川」
と書いてあった。三途の川は、本当にあったのである。作り話ではなかったのだ。

馬頭は、他のところの馬頭と同様に、死者をチェックしているようだった。死者は、馬頭のところで並んで、順番に一人一人戒名を確認されている。しかし、よく聞いていると、戒名の確認だけではないようだった。どうやら、死者の振り分けもしているようである。
「はい次釈**。うん、お前は泳げ。泳いで渡るんだ。いいな。はい次××院釈○○。ほう、珍しい、お前は橋だな。橋を渡っていいぞ。はい次釈尼△△、浅瀬を渡れ。はい次・・・・・。」
などと聞こえてくる。大半は、泳げ、とか、浅瀬を渡れ、と言われているようだ。泳げと言うのは、この目の前にある川を泳げと、そういう意味なのだろうか。浅瀬を渡れ、と言うのも、この川の浅瀬を渡れ、というのだろう。そう思って、川のほうをよく見てみると、確かに、川を泳いでいるものや、歩いて渡っているものがいた。
その川には、橋がかかっていて、その橋を歩いているものもいた。しかし、橋を渡っているものは、二人ほどが見えるだけで、大半は、川を歩いて渡っているようだった。泳いでいるものも、あまり多くはない。

俺は、いつものように強欲爺さんのあとに並んだ。その前はあの霊感オバサンだ。俺の後ろには、すぐ後のあの男ではなく、違う男が並んだ。
ここから見る限り、川は結構幅が広いようだ。それにしても、妙な川だった。その川は、向って右側から左側へと流れていた。目の前に大きな橋があり、その橋を挟んで、深さが変わっているようだった。橋の右側、上流へ行けば行くほど浅くなり、川幅も狭くなっているのだ。従って、上流を渡っている者は、あまり濡れずに早く向こう岸に着く、ということになる。橋の左側、下流のほうは、下れば下るほど、深くなっているのだろう。橋のすぐ左側は、深さもあまりなく、腰ぐらいまで水に浸かって歩いている。ところが、橋から遠ざかるに従って、胸まで浸かって歩いている者、首まで浸かって歩いている者、足が届かないのか、泳いでいる者・・・・・、といった具合である。
驚いたことに、普通の川は、川幅が狭くなると流れが急になり、川幅が広くなると流れが緩やかになるのだが、この川は逆だった。川幅が狭くなり、水深が浅くなるほど流れが緩やかになり、川幅が広く、水深が深くなるほど流れが急になっていた。だから、泳いでいるものは、下流に流されそうになっていて、泳ぐのも一苦労である。

死者の列は、何事もなく順調に前へと進んでいった。いよいよ、霊感オバサンの番である。
「霊法院釈尼妙香、お前は泳げ、向うの左端だ。泳ぎ場所は、そこへ行けばわかる。」
「えっ?、泳ぐのですか?。私、泳げないのですが・・・・。」
「そんなことは知らない。泳いで向うに渡るか渡れないかは、あんた次第だからな。俺には関係ない。わかったら、さっさと行け。ズルして、橋に行こうと思っても無理だからな。素直に一番左端の『最深場(さいしんば)』に行ったほうがいいぞ。」
そう馬面に言われた霊感オバサンは、肩をがっくり落として、素直に左のほうへ、トボトボと向っていった。その背中に向って、馬面の容赦ない言葉が追い討ちをかけた。
「そうそう、左端のほうは、滝に近いから気をつけなよ。滝に流されると、そのまま地獄だからね。頑張って泳ぐんだね。」
霊感オバサン、相当ショックだったのだろう、馬面のほうを振り返ると、真っ青な顔をして、恨めしそうに睨みつけた。その顔は、まるで幽霊のようだった。まあ、死人ではあるのだけど。そして、
「おのれ・・・、馬面の分際で・・・。呪ってやる、呪ってやる、呪ってやる・・・・。」
とブツブツ言いながら、馬面に向ってきたのだった。馬面は、平気な顔をして、
「俺に逆らっても無駄だよ。さぁ、三途の川へ行け!。」
と叫んだのであった。その途端、霊感オバサンは、後ろ向きのまま川のほうへと引き摺られるように行ってしまった。
「ギャー、いやじゃー、助けてー。」
と言う言葉を残しながら・・・・。そして、しばらくして、「ドボン」と川に落ちた音がしたのであった。

続いて、あの強欲爺さんである。
「まったく、馬鹿なオバサンだね。まあ、いいや。はい次、強欲院金泥腹黒厚顔大居士、長い名前だな・・・・。お前もさっきのオバサンと同じ、左端から泳げ。はい次・・・。」
「なんじゃと、このワシに泳げ、というのか。キサマ、許さんぞ。」
霊感オバサンと同様に、泳げ、と言われた強欲爺さん、そう言うが早いか、馬面の服(作務衣)にしがみついたのだった。
「どうじゃ、これで、さっきのオバサンのように、引き摺られないじゃろ。さぁ、どうする。ワシは泳ぐのはいやじゃ。船を用意しろ。」
「誰に向って物を言っているんだね、爺さん。ここでは、我々のほうが偉いんだよ。あんたは、単なる死者。この手を早く離しな。どうあがいても、あんたは深いところを泳ぐって決まっているんだから。」
「ふん、馬鹿なことを言うな。いいから、船を用意しろ。」
「そこまで言うのなら、仕方がないな。わかった。その橋の下に船がある。それに勝手に乗ればいいだろう。わかったか?。わかったらさっさと行け。」
これは意外だった。あの霊感オバサンは、無理やり川へ引き摺られていったのに、この強欲爺さんには、言う通りに船の場所を教えたのだ。どうなっているのだろうか・・・・。

強欲爺さんは、馬面の服をつかんだまま、馬面を引き摺るようにして、橋の下まで行った。
「おぉ、本当に船があった。嘘じゃなかったな。ふっふっふ。最初から、素直に船に案内すればよかったのじゃ。無駄な時間を使いおって・・・・。よし、ワシが船に乗ったら、この手を離してやる。いいか、待ってろよ。」
そういうと、爺さんは、その船−よく池にある手漕ぎボートのような船−に乗り込んだのだった。
「よし、じゃあな、はっはっは・・・。これで、楽に向うへ渡れる。ほら、手を離してやるぞ。さらばじゃ。」
爺さんは、船に乗り込んで、馬面の手を離した。馬面は、ニヤニヤしながら、
「手を離してくれてありがとうな。まあ、充分気を付けて船に乗っていることだな。」
と言うと、ニヤニヤ顔のまま、チェック場所まで戻ってきた。

その時である。川が突然大きく盛り上がってきた。川の水が、膨れ上がってきたのだ。そして、その水は、あの強欲爺さんが乗った船をめがけていったのだった。
「うわ、うわ〜、助けてくれ〜!」
あっという間であった。強欲爺さんの助けを呼ぶ声も虚しく、爺さんは波に呑まれてしまった・・・・。
「馬鹿な爺さんだ。素直に泳いでいれば、向うに渡れたかも知れないのに・・・・。あれじゃあ、溺れただろうな。その資格も無いくせに無理に船に乗ろうとするから、ああいうことになるんだ。」
馬面は、誰にいうでもなく、そうつぶやいた。そして、並んでいる我々死者に対して
「さて、これでお前らもわかったろ。ああなりたくなかったら、俺の指示に従うんだ。この川は、地獄につながっている。地獄に流されたくなかったら、指示どおりにするんだ。いいな。」
と、真面目な顔で注意したのであった。

「さて、次、釈聞新。・・・・うん、あぁ、お前か、取材者と言うのは。お前は、その役目上、船だな。ありがたいことだな。本来ならば・・・・ふん、それでも浅瀬か・・・・。お前、意外と真面目なんだな。」
馬面は、そういうと俺の顔を、不思議そうに覗きこんだのであった。
「そ、そうですか。船に乗せてもらえるんですね。そうじゃなくても、浅瀬ですか。ということは、私、意外と罪がないほうなんですね。」
「うん、そうだな。普通の男性ならば、まあ、腰くらいの深さを渡るのだが・・・・。あぁ、そうか。お前の場合、まだ若いうちにここに来たからな。もう少し生きてりゃ、浮気の一つや二つもしただろうに。よかったな、早くここに来て。」
「いやまあ、別に良くはないですが、そうですね・・・・。まあ、まだ、浮気するような余裕はなかったし、飲んで歩くほど給料ももらっていないし・・・・。まあ、よかったかも知れませんね。」
「そうだろ、そうだろ、そう思うだろ。よし、じゃあ、船に行け。その橋の下だ。」
「いっ?、その船って、川に呑まれるって訳じゃないですよね。」
「大丈夫だ。ちゃんと船頭さんも付いている。船頭さんが、向う岸まで連れて行ってくれるさ。」
「あぁ、そうですか。それはよかった。ところで・・・。」
「おぉっと、話なら、その船頭に聞いてくれ。船頭が、この三途の川を案内してくれるよ。」
「そうですか。じゃあ、船頭さんに教えてもらいます。・・・・おや・・・・。」
俺は、前方の川面がざわざわしているのに気付いた。そして、その川面に、何かにょっきり浮かんできたのだった。
「あれは・・・・。あっ、あの爺さんだ。生きているのか?。」
「釈聞新、何を馬鹿なこと言っているんだ。死んでいるに決まっているだろう。くっくっく・・・。」
「あぁ、そうでした。我々は死人でしたね。それにしても、あの爺さん、流されなかったんですね。」

その時であった。
「くっそー、騙しおったな。この馬面め!。覚えておれ。いつか、懲らしめてやる。くっそ、意地でも泳ぎきってやるわい。」
と爺さんの、元気な毒舌が聞こえてきたのである。馬面は、
「懲りない爺さんだ。ああいうのは、珍しいなぁ。返って貴重な人材かもしれない。」
といって、くすくす笑っていた。この馬面、案外、いいヤツなのかもしれない。
「さぁ、さっさと行ってくれ。あの船だ。いいな。楽しんで、この川を渡ってくれ。結構眺めがいいぞ。」
「はい、わかりました。じゃあ、行きます。あの船ですね。」
俺は、そう言うと、橋の下の船に向っていった。

船の横には、馬面でも牛頭でもなく、普通のお爺さんが、座っていた。そのお爺さんは、なんとキセルをふかして、川を眺めていたのだった。俺が、船に近付くと、
「おう、あんたが釈聞新かい。さ、乗ってくれ。これから、この三途の川を案内しながら、向こう岸まで船を漕いでいってやるよ。」
と、言いながら、立ちあがったのである。その姿は、極普通の人間、否、職人さん風のお爺さんであったのだ。


「なんだ、何を驚いているんだ?。・・・・あぁ、俺の姿かい?。」
俺は、その船頭さんの姿を見て、不思議だ、というような顔をしていたのだろう、船頭の爺さんが、ニヤニヤしながら、俺に尋ねてきた。
「えっ? えぇ・・・。否、普通のお爺さんなんで、ちょっと・・・。」
「ワシはな、この通り人間よぉ。まあ、いいから、早く船にのんな。」
「はい、では、よろしく頼みます。」
そう言って、俺は船に乗り込んだ。
「さぁ、行くぜぇ。まあ、危険な川じゃないから、安心して乗っていなよ。聞きたいことがあったら、なんなと聞きな。ワシの知ってることなら何でも教えてやらぁな。」
なかなか粋な爺さんである。江戸っ子だろうか・・・?。俺は、そのまま質問してみた。

「船頭さんは、江戸っ子なんですか?。」
「おうよ、神田の生まれよ・・・・と言いたいんだが、実は違うんだ。ワシはな、美濃の出身よぉ。生きている時は、美濃の長良川で渡し舟の船頭をしていたのさ。もう、400年くらい前の話だけんどよ。」
「400年くらい前って・・・、じゃあ、その時に亡くなって、それからずーっとここで船頭をしてるんですか。」
「おうよ。この道400ウン十年だ。死んでからこっち、ずーっとここで船頭よ。腕がいいんでな、今風に言えばスカウトされたんだよ。わっはっは。」
船頭さんは、豪快に笑った。
「美濃の出身と言いましたが、訛りが無いですね。」
「そうかい?。へっへっへ・・・。ワシの江戸弁も板についてきたんだな。やっぱ、渡し舟には、江戸言葉が似合っているんじゃねぇかと思ってな、練習したんだよ。粋だろ?。」
「えぇ、そうですね。似合ってますよ。」
そういうと、船頭さんは、嬉しくてしょうがない、と言うような顔をして、微笑んでいた。
「あんた、いい客だねぇ。久しぶりに腕がなるぜぇ。はっはっは〜。」
「久しぶりって、どれくらい前に船に乗せたんですか。」
「そうさなぁ・・・。何年ぶりかなぁ・・・。2年くらい前だったかな。」
「えっ?、そんなに前・・・。船に乗る人は、そんなに少ないんですか?。」
「そうよ、船に乗れるヤツァ、少ないねぇ。船に乗れるのは、罪がほとんど無いやつだろ。そんなヤツァ、いねぇよ。罪が無くって、ちゃんと仏様ァ信じていたなら、極楽へ行ってるからな。ここへは来ネェよ。」
「あぁ、なるほど、そうですね。そうすると、前に乗せたのは、どんな人だったんですか。」
「あぁ、確か、あれは・・・。うん、坊さんだったかな。」
「坊さん?。お坊さんもここに来るんですか?。」
「そりゃ、来るさ。坊さんでも人間だからな。まあ、ここへ来ないで、地獄に直行するヤツも多いけどよ。」
「えっ?、お坊さんがですか?。」
「おうよ。地獄へ直行する坊さんも結構多いよ。極楽へ行く坊さんのほうが少ないさね。ここへ来るのも、まあまあいるよな。でも、船に乗るヤツァ少ないねぇ。みんな、ずぶ濡れさぁ。」

これは、驚きであった。お坊さんは出家者である。ならば、亡くなった後は、極楽とかに行っているのではないのか・・・・。まあ、中には、悪徳坊主、なんてのもいるから、全部が全部、極楽に行くとは限らないだろう。しかし、さっき船頭さんも言っていたじゃないか。『罪が無くって、ちゃんと仏様ァ信じていたなら、極楽へ行ってるからな。ここへは来ネェよ。』って。坊さんなんだから、仏様は信じているのだろうし、罪もわれわれ俗人のように多いとは思えない。それなのに、地獄へ直行したり、ここへ来てもずぶ濡れと言う・・・。なんでだろう?。

「おめぇさん、なんで坊さんが?、と思っているだろう?。」
「えぇ、はい。だって、坊さんは、仏様を信じている立場だし、俗人とは違うでしょ。」
「そんなことァねぇよ。坊さんだって人間さァ。それによ、坊さんのほうが、ワシら俗人より、罪が深けぇんだな、これが。」
「どういうことなんですか。」
「ふっふっふ。それは、この先、おいおいわかることだな。今、ワシが説明することもなかろ。」
「そんなこと言わないで教えてくださいよ。」
「いんや、そいつは、実物を見たほうがわかるってもんだぁ。ワシが教えてあげられるのは、この川についてだけだよ。ま、そういうことだ、ふぁーっはっはっは。」
「はぁ・・・そうなんですか。仕方がないな・・・。じゃあ、この川について教えてください。この川は、地獄につながっている、って川岸にいた馬面が言ってましたが、それ、本当なんですか?。」
俺は、質問の矛先を変えてみた。こういう爺さんは、頑固者が多いから、言わないと言ったら言わないものなのだ。しつこく食い下がるより、別の質問をして、そこから聞き出したほうがいいと判断したのである。

「この川かい?。その通りよ。この川の行く先は、地獄さ。この先は、滝になっていて、その滝は地獄まで落ちてるんだ。世界で一番長い滝だな。」
「じゃあ、この川の源流はどこなんですか?。」
「この川の元は、現世の川や海、沼、池なんかの水場、全部よぉ。」
「えっ?、どういうことなんですか、それ?」
「そうだな・・・。ついでだぁ、この先の滝を見に行こうか。そっちへ行きながら、教えてやらぁな。」
「な、なんですって?。滝を見に行くって、その・・・地獄につながっている滝でしょ。落ちたら大変じゃないですか。そんなところに近付いていいんですか?。」
俺は驚いた。なんと、船頭さん、滝を見せてやる、というのだ。
「なーに、でぇじょうぶだよ。すぐ近くまで行くわけじゃねぇ。滝が覗けるところまで行くだけだよ。」
「滝が覗けるって、そりゃ、すぐ近くじゃないですか。そ、そんなの勘弁です。やめましょう。」
「なんだぁ、根性ねぇなぁ。まあ、ワシに任せなよ。あんた、取材者なんだろ。ワシは、この道400年なんだよ。この腕、信じな。はっはっは・・・。」
「はっはっはじゃないですよ。私はまだ、死にたくないですよ。否、そうじゃない。もう死んでるんだから・・・・。」
「何バカなこと言ってるんでぇ。くだらねぇこと言ってんじゃねぇよ。ま、ワシに任せなって。ワシだって、地獄に落ちるのはかなわねぇからな。でぇじょうぶだよ。」
なるほど、そうだ。船頭の爺さんも一緒なのだ。爺さんだって、地獄に落ちるのは嫌だろう。仕方がない。これも乗りかかった船だ(まさにそうだ!)。
俺は、覚悟を決めた。だいたい、この爺さん、初めから俺を滝に案内するつもりだったのだろう。仕方が無い。爺さんの腕を信じよう。ひょっとしたら、久しぶりの客なんで、サービスのつもりかもしれない。前に乗せてもらった坊さんも、滝を覗き込んだのだろうか・・・。俺は気になって、聞いてみた。

「前に乗せたお坊さんも滝を覗き込んだのですか。」
「おうよ、ちゃーんと、覗き込んだよ。しかも、自分から連れて行ってくれって頼んできた。てぇしたもんだよ。さすが坊さんだけのことはある。」
「ほう。そうなんですか。じゃあ、覚悟を決めていきましょう。よし!、見に行きますよ!。」
「そうそう、そうこなくっちゃーね。こっちもやりがいがあるってもんよ。よし、そんじゃあ、滝に向かうとするか。」
「はい、お願いします。ところで、さっきの話の続きなんですが・・・。」
俺は、話を戻した。
「うん?、なんだっけ?・・・・あぁ、この川の源流だったな。」
「そうです。確か、先ほど、この川の源流は、現世の川や海、池、沼などの水場だと言ってましたが。」
「おお、そうよ。現世の水場は、みんなこの三途の川に繋がっているんだよ。現世の川がみんな海に繋がって、そいつが世界中に繋がっているように、現世のありとあらゆる水は、すべてここに繋がってくるんだよ。だから、この川は汚れてしまってるんだよ。ひでぇもんだ。」
「えっ?、現世の川の汚れがここまで流れてくるんですか?。」
「そういうことだね。ちょっとすくってみなよ。あんまりきれいな水じゃあないよ。」
そう言われて、俺は水を手ですくってみた。その水は、なんとなくヌルっとした感じであった。

「どうでぇ。ヌルヌルしねぇか。」
「はい、します。あまりきれいな水じゃないですね。」
「だろ。それはな、現世での汚れがここまで流れてきているからだよ。でもな、これでもマシになったほうなんだよ。」
「そうなんですか?。」
「あぁ、戦国時代は、この川は血の色に染まったそうだし、戦争時代は、それこそひでぇもんだったよ。」
「あぁ、そうか。戦国時代も、戦争の時も、多くの人が川で死んでますからね。」
「そういうこったぁね。最近じゃ、環境問題がうるさいだろ。だから、これでもマシになったんだな。ワシが知ってる中では、一番きれいな水だったのは、江戸のころだねぇ。その頃に戻りゃあいいんだが・・・・。」
船頭の爺さんは、遠くを眺めるような目をして、そう言った。

「ギャー流される〜、た、助けておくれ〜。」
その時だった。叫び声が聞こえてきた。その声には聞き覚えがあった。
「お、あれは・・・。あぁ、女の人が流されそうになってる。」
「あぁ、それは、きっと霊感オバサンですよ。オバサン、流されそうなんですか?。」
「霊感オバサン?。あぁ、さっき、岸で馬面のヤロウに突っ掛って行ったオバサンかい?。」
「えぇ、そうです。流されているんですか?。」
霊感オバサンの助けを呼ぶ叫び声は、まだ続いていた。
「いやじゃ〜、流され・・・・うっぷ、助け・・・・うぅ、ぷはっ。溺れる・・・。」
「ありゃあ、ダメだね。滝に落ちるぜ、きっと。」
「えっ、ホントですか?。助けられないんですか。」
「あぁ、無理だね。今から、この船を全力で漕いでも間に合わねぇな・・・。まあ、もっとも、そんなことすりゃ、閻魔様にこっぴどく怒られちまうけどな。」
「そうなんですか。助けちゃいけないんですか?。」
「おうよ。この川を渡るのは自力じゃなきゃダメなんだよ。自業自得ってヤツさ。手助けは御法度よぉ。そんなことすりゃ、助けたほうが怒られる。バチが当たる。かわいそうだけど、そういう決まりなんでね。仕方があるめぇ・・・。」
しばらく、俺も船頭の爺さんも黙り込んでしまった。その沈黙のなか、あの霊感オバサンの助けを求める声だけが聞こえていた。しかし、それも次第に途切れ途切れになってきた。

沈黙が苦しかったのか、船頭の爺さんが口を開いた。
「あのオバサン、いってぇ何したんだろうな。」
「不動明王の名を騙って、人々の心を惑わしたんですよ。」
俺は第一法廷で見聞きしたことを船頭の爺さんに語った。
「そうかい、それじゃあ、仕方があるめぇなぁ・・・。本当なら、地獄に直行してもいいくらいだ。お不動さんの温情だったんだろうな。川岸で、馬面に突っ掛らなきゃ泳ぎきれたかも知れねぇのに。謙虚さが足りねぇんだよ。ま、かわいそうだが、そういう理由じゃ、仕方があるめぇ。」
「はあ、そうですね。素直に罪を認める気持ちが大事だ、って不動明王さんに言われていたんですけどね。」
「どこまで言っても、わからねぇヤツはわからねえんだよ・・・。」
また、しばらく沈黙が流れた。

その沈黙を破るように、大きな叫び声が聞こえた。
「ギャ〜ァァァァ。落ちるぅぅぅぅぅぅ・・・・。」
叫び声を残して、霊感オバサンは滝に呑まれていってしまったのだった。行き先は、地獄である・・・・。


つづく







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