バックナンバー(七) 第四十話〜第四十三話
お地蔵さんは、子供たちに優しく語りかけた。その声は、真綿のように柔らかく、暖かな声だった。 「子供らよ。私は、お前たちみんなを私の懐に抱きかかえ、極楽の世界へと連れて行ってやりたい。しかし、この世界にも決まりがあるのだ。私が連れて行けるのは、正しく供養された魂だけ・・・と決まっているのだよ。よく修行をしたお坊さんによって、お釈迦様の教えの通りに供養された、そういう魂だけを連れて行くことができるのだよ。そのような供養を受けていない魂は連れて行くことができないのだ・・・・。私の言っていることがわかるかね・・・。 子供らよ。極楽の世界に行きたいのならば、お前たちの親に供養をしてもらうことだ。魂のまま現世に戻り、親に供養をお願いすることだ。 供養を受けた子供らは、私の懐に入るがいい。供養を受けていない子供らは、現世に戻るがいい。さぁ、極楽へ行こう。さぁ、現世に戻るがよい・・・・。」 お地蔵さんがそういうと、そこに集まっていた子供らの3割ほどはお地蔵さんの懐へと、ゆっくり飛び込んでいった。お地蔵さんは、その子供たちを抱えると、空中に浮かび上がり、山の彼方へと飛んでいってしまった。一方、残りの子供らは、その場で次第にゆっくりと消えていったのであった。こうして、子供たちが集まっていた場所は、誰もいなくなったのだった・・・・。 「そういうことだったのですか。」 「そうよぉ。わかったかい。あの子らは、全員お地蔵様に助けてもらえるわけじゃねぇ。助けてもらうには、条件がいるんだよ。」 「なんだか、かわいそうですね。・・・しかし、お地蔵さんもちょっと厳し過ぎやしませんか?。」 「そりゃ、どういうこった?。」 「だって、仏教って慈悲の教えじゃなかったですか?。特にお地蔵さんは、子供の神様のような存在じゃなかったでしたっけ?。なのに、供養されている・いないで差別するのは・・・。」 「バカいうんじゃねぇ。生きてるときは、仏教のぶの字も信じちゃいなかったくせに。わかった風な口を利くんじゃねぇよ。」 船頭さんの語気に俺はあわててしまった。 「あ、いや、す、すみません。確かに、生きてるときは、仏教のことはよく知りませんでした。信じてもいませんでしたし。いや、その、今もよくわかりません。す、すみません。」 「そんなに、あやまることはない。小僧、お前の言う通りじゃ。ああいう差別は、どこか理不尽に思えるぞ。」 強欲爺さんが、俺を助けてくれた。 「まったく、どいつもこいつも、馬鹿ばっかりだねぇ。おめぇらは、本当にバカもんだよ。いいかよぉ〜っく聞いてなよ。これから、ちゃんと説明してやるからよ。」 船頭さんはそういうと、胡坐をかいて、懐からキセルを取り出し、火をつけた。 「ふぅ〜。いいかい、確かに仏教は慈悲の教えだ。そいつは間違いねぇ。お釈迦様は、そりゃ優しいお方よ。お地蔵様だってそうだ。あの恐ろしげなお不動様だってやさしかったろ?。」 「は、はい、優しいお方でした。」 俺は素直にそう答えた。お不動様は、あの怖い顔に似合わず、慈悲にあふれた仏様だった。 「そうだろ。いいかい、仏様は、どのお方も本当に優しい方ばかりよ。」 「じゃあ、なんでお地蔵さんは、子供らをみんな連れて行かなかったんじゃ。」 「あわてるんじゃねぇ。これからそれを話すんじゃねぇか。いいかい、お地蔵様だって、できりゃあ全員連れて行きてぇさ。お地蔵さんだって心苦しいのよ。いいか、お地蔵様もおっしゃってたろ。この世界にも決まりがあるってよ。その決まりって言うのは、供養なんだよ。」 船頭さんは、そこまで話すと、キセルにタバコを詰め始めた。死後の世界でもタバコが吸えるんだ・・・などとくだらないことを俺はぼんやり考えていた。 「ワシは特別なんだよ。」 船頭さんは、タバコの煙を吐き出しながらそう言った。 「お前たち、死人は吸えない決まりよ。ま、そんなことはどうでもいいんだよ。大事なのは、供養なんだよ。」 「すみません、話の腰を折りまして・・・。」 俺は恐縮した。船頭さんは、それを無視して話を続けた。 「いいかい、供養もされていない子供たちを、否、子供たちだけじゃねぇ、魂全部だな。その供養もされていねぇ魂全部を仏様方が引き受けちまったらどうなるよ。うん? 考えてみな。」 「まあ、そんなことをすれば、現世で誰も供養をしなくなりますよね・・・。」 「そう、正解。そうだろ、供養も何もされてない魂を全部極楽に連れて行ったら、現世での人間は、供養なんてしなくなる。それどころじゃねぇ。供養しなくても、死んだものはみんな極楽へ行けるってわかっちまえば、みんな悪いことも平気でするようになるだろ。水子だって作り放題だ。先祖もへったくれもねぇ。仏教もなくなっちまうよ。」 「あ、なるほど、そういうことですか。」 「わかったかい。」 確かにそうだ。供養しなくても仏様がさ迷う魂をすべて救ってしまったら、人間は何もしなくなるだろう。先祖を敬う気持ちも、水子を哀れむ気持ちもなくなってしまうだろう。 「馬鹿じゃな。」 「なんだとぉ!。」 「馬鹿じゃ、と言ったんだ。」 「どういうことだ。」 強欲爺さんの屁理屈が始まったようだ。これは、見ものである。 「そんなものは、振りをすればいいじゃないか。お地蔵様が子供らの魂を全部救ったかどうかは、現世のものにはわからないだろう。だからじゃ、一応、全部の魂を救ってもらって、それでもって救ってません、供養は必要ですよ、って顔をしてればいいことじゃないか。それぐらいサービスせい。」 「仏様に向かって、人間にサービスしろって言うのか、あんた。さすがに、強欲爺さんだな。」 「誰が強欲じゃ!。わしが言いたいのは、そういう手もあるじゃろ、ということじゃ。」 「馬鹿はあんただよ。そんな振りはいつかはばれるし、仏様が人間にサービスする必要なんざ、さらさらねぇだろ。救いを求めているのは人間のほうなんだよ。偉そうなこと言うんじゃねぇよ。そんなのは、論外だ。」 「じゃあ、聞くがな、供養が必要かどうかは、現世の人間にどうやってわかるのじゃ。実際、ワシの妾たちは、水子の供養なんぞしておらんかったぞ。供養の必要性がわからなければ、お地蔵様のとった行動は無意味になるじゃろう。それよりも、差別なく救ってくれたほうがいいんじゃないのか。」 「供養が必要だってことは、わかるんだよ。さっきのお地蔵様の話、聞いてなかったのか。」 俺は、お地蔵さんの言葉を思い出してみた。確か、子供たちに現世に戻って親に供養してもらうようにお願いしろ、と言っていたような・・・・。 「聞いていたにきまっておろう。お地蔵様は、子供らに現世に戻って供養のお願いをしろ、と言ったよ。」 「そうだろ。だから、現世の者には供養が必要だってわかるんだよ。」 「そんなことはないぞ。ワシの妾たちは、わかっていなかったぞ。あいつらが子供を堕胎したのは、何年か前の話だ。それなら、とっくの昔に水子の魂が供養のお願いに来てるはずじゃ。じゃが、そんなことは一言も言っておらんかった。」 「そりゃ、あんたの妾たちが、あんた同様、鈍感だっただけだろ。水子の訴えに気がついていないだけだよ。普通は、子供を堕胎したと言う後ろめたい気持ちも持ってるから、気付くもんなんだよ。それにな、体調が悪くなったりもするしな。子供の幽霊を見るヤツもいるしな。そうなれば、いわゆる霊能者やお坊さんに相談するだろ。だから、供養されるようになるんだよ。あんたの妾たちは、命に対しての優しい気持ちがないんじゃないのか。だから、気付かないんだよ。」 「う、うぅん、確かに、あの女どもは、金さえ与えておけばいい、と言うヤツラだった。金さえ与えればやさしくなったが・・・・堕胎したときも平気な顔をしておったなぁ・・・。」 ひどい女性たちである。堕胎しても平気な顔とは・・・・。生まれていなくても命であることには違いないのに。しかし、現世でそういう人間が増えているのも事実ではある。男でも女でも命を軽く扱いすぎている傾向にあるのは、紛れもない事実であろう・・・。 「あんたが金の亡者だったから、そんな女しかつかねぇんだよ。自業自得だ。ふん。」 「な、ならワシの水子たちは、永遠に救われないことになるのか。それは不公平じゃないのか。」 「だから、それは不公平じゃないんだよ。差があるから平等なんだよ。供養されてもいないのに、供養された魂と同じように扱うほうが不公平だろうが。」 その通りだと思う。供養もされていない魂を救ったら、供養してる側は不公平に感じる。働いてもいないのに給料をもらうようなものだ。供養もされていないのに、極楽へは行けなくて当然だろう。今回は、強欲爺さんの横車も通じないようだ。 「じゃあ、ワシの水子はどうなるんじゃ。」 「大丈夫だよ。しつこく、粘り強く供養を願っているからな。あんたの鈍感な妾にな。」 「それでも気付かなかったらどうなるんじゃ。」 「その妾たちが死ねば気付くよ。死んでここに来れば、嫌でも気付くさ。ま、その時じゃあ遅いんだけどな。」 「子供らの魂はどうなるんじゃ。お地蔵様に救われないじゃないか。」 「もちろん、そうなるな。まあ、母親であるあんたの妾と一緒にここで裁かれることになるよ。子連れでこの道を歩み、子連れで裁判を受けるのさ。」 「ひょっとしたら、あの鬼に連れて行かれることもあるのか。」 「それどころじゃねぇよ。この河を渡れずに、あの霊感オバサンか、みたいなように下流の滝に落ちていくこともあるわな。」 「それは、地獄へ行くってことじゃないのか。」 「そういうことだな。地獄で鬼にいじめられるってことになるだろうよ。」 「お、鬼に・・・。鬼にいじめられるのか・・・・。ワシの子供が鬼に・・・。」 この爺さん、子供が鬼にいじめられるのが、そんなに怖いのだろうか。そういえば、鬼に子供たちが追い回されるのを船の陰から震えながら覗いていたよな・・・・。 「爺さん。あんた、子供が鬼にいじめられるのが、本当に怖いんだな。それは、え〜っと、虎・・・じゃねぇか、えっと馬・・・だっけか。」 「ああ、トラウマですか。」 「そうそう、そのトラウマってやつじゃねぇのか。あの歌のせいか?。」 「う、うるさいわい。そんなことはどいうでもいいんじゃ。」 「そりゃ、よかねぇよ。あの歌が怖いんだろ。いいじゃねぇか。最後はお地蔵様に救われるんだからよ。」 「あの〜、さっきから思っていたんですが、その『あの歌』ってどんな歌なんですか?。」 「あぁ、そうか、おめぇさんは知らなかったんだったな。よし、じゃあ、ワシが歌ってやろう。」 「バ、バカ、歌うんじゃない。鬼が来たらどうするんじゃ。」 「はっ、何をビビッてるんだ。鬼なんざ来やしねぇよ。大丈夫だ。」 「ほ、本当じゃな・・・。お、おい、岸を見てみろ。」 強欲爺さんは、岸のほうを指差して叫んだ。岸には、再び子供たちが何人かいたのだ。川からハイハイして岸に上がっていく子供もいた。 「また、同じことが繰り返されるんだよ。ある程度の人数が溜まったら、また鬼がやって来るんだ。」 「ほ、ほうら、やっぱり鬼が来るんじゃないか。そんな歌は歌わんでいい。それよりも、先に行け!。」 「いんや、歌ってやるよ。鬼が来るのは、まだ先だしな。それに・・・・。それに、あの子たちのためにも、お前さんにこの歌を知ってもらいたいしな。よぉ〜し、船を漕ぎながら歌うか。」 船頭さんは、そういうと、立ち上がって船の棹を取りながら「あの歌」を歌い始めたのであった。 「こいつはな、『賽の河原地蔵和讃』っていうんだ。歌の中に登場する子供たちは、生まれる前に堕胎されたこどもじゃなくって、生まれたけど育たずに亡くなった子供たちだ。けど、産まれていようがいまいが、子供たちの魂には違いねぇ。ま、よ〜く聞いてくれ。」 それは歌と言うより、節つきの詩のようだった。調子は五七調である。船頭さんの声はよく通った。 「これはこの世のことならず〜。死出の山路の裾野なる 賽の河原の物語。聞くにつれても哀れなり。この世に生まれしかいもなく 親に先立つ有様は 諸事の哀れをとどめたり。 二つや三つや六つ七つ 十にも足らぬ幼児が 賽の河原に集まりて 苦しみ受くるぞ悲しけれ。 娑婆と違いて幼児が 雨露しのぐ住みかさえ なければ涙の絶え間なし。 河原に明け暮れ野宿して 西に向かいて父恋し 東を見ては母恋し 恋し恋しと泣く声は この世の声とはこと変わり 悲しさ骨身を通すなり。 昔は親の情けにて 母の添い寝に幾たびの 乳を飲まするのみならず 荒き風にも当てじとて 綾や錦に身をまとい その悲しみ浅からず。 しかるに今の有様は 身に単衣さえ着物なく 雨の降る日は雨にぬれ 雪降るその日は雪中に 凍えて皆々悲しめど 娑婆と違いてだれひとり 哀れむ人はあらずなり。 ここに集まる幼児は 小石小石を持ち運び これにて回向の塔を積む。 手足石にて擦れただれ 指より出ずる血のしずく 体を朱に染めなして 一重積んでは幼児が 紅葉のような手を合わせ 父上菩提と伏し拝む。 二重積んでは手を合わし 母上菩提を回向する。 三重積んではふるさとに 残る兄弟我がためと 礼拝回向ぞしおらしや。 昼はおのおの遊べども 日も入相のそのころに 冥途の鬼が現れて 幼き者のそばに寄り やれ汝らはなにをする 娑婆と思うて甘えるな ここは冥途の旅なるぞ。 娑婆に残りし父母は 今日は七日や二七日 四十九日や百箇日 追善供養のその暇に ただ明け暮れに汝らの 形見に残せし手遊びや 太鼓人形風車 着物を見ては泣き嘆き 達者な子供を見るにつけ なぜに我が子は死んだかとむごや哀れや不憫やと 親の嘆きは汝らの 責め苦を受くる種となる。 必ず我を恨むなと 言いつつ鉄棒振り上げて 積んだる塔を押し倒し 汝らが積むこの塔は ゆがみがちにて見苦しし かくては功徳なり難し とくとくこれを積み直し 成仏願えと責めかける。 やれ恐ろしやと幼児は 南や北や西東 こけつまろびつ逃げ回る。 なおも獄卒鉄棒を 振りかざしつ無残にも あまたの幼児にらみつけ すでに打たんとする時に 幼児その場に手を合わせ 熱き涙を流しつつ 許したまえと伏し拝む。 拝めど無慈悲の鬼なれば 取りつく幼児はねのけて 汝ら罪なく思うかよ ことに子供の罪科は 母の胎内十月のうち 苦痛様々生まれ出で 三年五年七年を わずか一期に先立って 父母に嘆きをかけること 第一重き罪ぞかし。 かかる罪科あるゆえに 賽の河原に迷い来て 長き苦しみ受くるとよ 言いつつまたもや打たんとす。 やれ恐ろしやと幼児が 両手合わせて伏し拝み 許したまえと泣き叫ぶ。鬼は聞く耳もたぬなり。 折りしも西の谷間より 能化の地蔵大菩薩 揺るぎ出でさせたまいつつ 幼き者のそばに寄り なにを嘆くか嬰子よ 汝ら命短くて 冥途の旅に来るなり。 娑婆と冥途は程遠し いつまで親を慕うとも 娑婆の親には会えぬぞよ。 今日より後は我をこそ 冥途の親と思うべし。 幼き者を御衣の そでやたもとに抱き入れて 哀れみたもうぞありがたや。 いまだ歩まぬ嬰子を 錫杖の柄に取りつかせ 忍辱慈悲の御肌に 泣く幼児を抱き上げ 助けたもうぞありがたや。 南無能化の地蔵尊・・・・。」 「この歌はな、ワシが生まれるず〜っと前に、ここにやってきた偉い坊さんが作ったんだそうな。歌では、初めにも言ったように現世に産まれてまもなく亡くなった子供たちが、この賽の河原にやってきた時の様子を歌ってる。昔は、水子と言えば、幼くしてなくなった子供のことを言ったもんだ。そんな頃は、産まれる前に堕ろされる子供よりも、産まれて間もなく亡くなったり、幼いうちに亡くなったりした子供が多かったんだな。親も幼くして亡くなってしまった我が子を悲しく思ったものよ。 ところが、今じゃ、その逆だな。産まれる前に殺されちまう。親は、悲しみもしねぇ。子供を堕胎して平気な顔をしてる。嫌な世の中になったもんだぜぇ。 だから、今の状況に当てはめるなら、幼児のところは、この賽の河原で成長した堕胎された子供たち・・・とでも言い換えなきゃいけねぇし、親が嘆き悲しむってぇところもカットしなきゃいけねぇな・・・・。」 「歌の中では、お地蔵さんが子供たちみんなを救うんですね。今とは、その点も異なってますね。」 「この歌ができた頃は、親が亡くなった子供の供養をちゃんとしてたんだな。歌にも、親が追善供養をしてるさまが出てくるだろ。ところが、今は、供養する親は少ねぇよ。」 「なるほど・・・・。ということは、昔も今も、お地蔵さんに救われるのは、供養されている子供たちって言うことですね。」 「そういうことさ。悲しいけれどな。」 船頭さんは、悲しい顔をしてそういった。そして、板切れにつかまって、船の後ろから着いてくる強欲爺さんに問いかけた。 「あんた、何でこの歌が怖いんだ?。この歌をどこで聞いたんだ?」 「婆さんじゃ。ワシの婆さんが、毎晩寝る前にこの歌を歌ってワシを寝かしつけたんじゃ。」 「この歌が子守唄だったてぇのか?。お前さんの婆さんも変わってるねぇ。」 「あぁ、変わった婆さんだった。よく怖い話をして、子供たちを怖がらせては楽しむような婆さんだったよ。 ワシの家は貧しくてな。父親も母親も朝から晩まで働きっぱなしじゃった。ワシは婆さんに育てられたようなもんだな。だから、毎晩この歌を聞かされていたんじゃよ。この歌を歌ってから、 『坊や、坊も悪さすると鬼に連れて行かれるぞ。鬼に地獄へ連れて行かれるぞ。暗くなるまで外で遊んでいかん。鬼が来るからのう。早よう寝んと鬼が来るぞ。早よう寝んとのう。』 とな、毎晩、寝る前にそう言われておったんじゃ。しかも、ワシが聞かされた歌は、お地蔵さんのところがなかったんじゃ。鬼にいじめられるところばかりじゃ。」 「なるほどなぁ・・・・。それで、鬼が怖くなったわけだな。」 船頭さんの言葉に、強欲爺さんは遠くを眺めているよう顔をして、話し始めたのだった。 「そうじゃ・・・・。小さな頃から、毎晩耳元でこんな歌を聞かされ、鬼の話をされたら、鬼が怖くなるのは当たり前じゃろう。 『悪さすれば鬼が来る。怠け者は鬼にさらわれる。坊も働き者になれ、鬼にさらわれんようにな。働くんじゃ。働けば鬼にはさらわれんからのう。』 そう言われ続けてきたんじゃ。おかげで、ワシは働き者になったよ。怠けるのが恐ろしくてな。働いていれば鬼は来ない・・・・そう思って働き続けたんじゃ。」 「そのおかげで一代で財を築けたんですね。」 「あぁ、そうじゃが・・・・。確かに鬼にさらわれるのが怖くって働き続けた。おかげで金には不自由しなくなった。しかし、人はな、小僧、金を持つようになると、悪いこともせにゃいかんようになるんじゃよ。世間で大物と言われるようになるとな、汚いことも悪いことも潜ってこなきゃいかんのじゃ。ワシはそのたびに恐ろしかったんじゃ。いつ鬼がやってきてワシを地獄へ連れて行くのか・・・・。恐ろしくて眠れん時もあった。が、反対にいくら悪さしても鬼など来ないし、病気にもならん。なに、鬼など来やせん、ワシはもう子供じゃないからな、と自分に言い聞かせたもんじゃ。 だがのう、三つ子の魂百までも・・・じゃ。幼い頃に植えつけられた記憶は、そう簡単には取れないもんじゃ。やっぱり怖いんじゃよ。悪いことをした後は特にな。そんな時に限って、婆さんの夢を見るんじゃな。何度うなされたことか・・・・。」 「そうか。それであんた、いろんな仏教教団の本山に寄付をしたりしたんだな。まあ、売名も含んではいたんだろうが、本心は恐怖心があったからだな。」 「まあな、そういうことじゃな。本音を言えばな・・・。少しでも罪滅ぼしができれば、鬼もこないだろうし。心配もなくなる。そう思ったんじゃ。」 その話を聞いて、俺は意外に思った。じゃあ、なぜお不動さんにあんなに絡んだんだろう。素直に、鬼が怖かったから寺に寄付した、と言えばよかったのに。その素直さがここでは大事ではないのか。 「小僧、意外だという顔をしているな。そう思われるのがワシは嫌なんじゃ。いい人にはなりたくないし、天下の強欲ジジイのワシが、鬼が怖いから、鬼に連れて行かれないようにするために塔を建てました、多額の寄付をしました、と言えるか?。言えんじゃろ。そんな恥ずかしいことはいえないんじゃ。 しかし、お不動さんは、わかっていたようじゃった・・・。あのお顔はそうに違いない。慈悲深いお顔じゃった。だから、ワシを先に行かせてくれたのだろうし、こうして板に縋ることもできるんじゃろう。」 「なんだ、爺さん、わかってるじゃねぇか。」 「ワシはバカじゃないぞ。そこの小僧より、目もよく見えてるし、耳も聞こえている。頭も働いているぞ。」 「えっ、えっ?どういうことですか?。」 俺には話が見えていなかった。強欲爺さんの寄付の話と、お不動さんのことと、今爺さんが捉まっている板とどういう関係があるんだ?。 「お前さんものんきなヤツだねぇ。お不動さんはな、何もかもお見通しで、この爺さんを地獄へ落とさずに先に行かせたんだよ。」 「どういうことですか?。」 「この爺さんの心のうちを知っていたのさ。正直に鬼が怖かったから寄付をした、って言わないことを知っていたんだよ。意地張っていることを知っていたのさ。で、素直な気持ちを取り戻すチャンスを与えたってわけだよ。粋なことをなさるな、お不動さんもよぅ。」 「じゃあ、板って言うのはどういう関係があるんですか?。」 「お前さん、覚えてないのかい。ワシはここで溺れている者を助けちゃいけないって話、しなかったかい?。」 「あぁ、そういえば、そんなこと言ってましたね。あぁ、あの霊感オバサンが流されていった時だ。確か、助けたりすると閻魔様に怒られるとか言ってました。それに、この川は自力で渡らないといけないって言ってましたよね。」 「そうよ、そういう決まりよ。じゃあ、なぜ、ワシは、この爺さんを助けたんだ?。」 「あっ・・・・。すべて予定通り・・・なんですか?。」 「ようやくわかったようだな。」 こうなることは、お不動様はお見通しだったのである。というより、そういう計画だったのだ。お不動さんは、強欲爺さんが、寺や慈善事業に多額の寄付をした理由を素直に認めさせるように取り計らったのである。船頭さんに着いて行かせて、水子たちの様子を見せ、己のトラウマを見つめなおさせる。それで、素直な心を取り戻せたら・・・・。そうお不動さんは考えたのであろう。 素直な心を取り戻した爺さんは、優しい顔をしていた。素直に自分が恐れていたものを認め、自分の罪を認め、すっかり重荷をおろしたような、そんなすがすがしさがあった。 「爺さん、お不動様に感謝だな。」 「あぁ、そうじゃな。お不動様は粋なお方じゃ。ワシは助けられたよ。いい気分じゃ・・・。」 「その気持ち、忘れるんじゃねぇよ。もう岸に着くからな、ここらでおさらばだ。」 「あぁ、もう川底に足が着く。あんたにも世話になったな。すまんのう。」 「なに、いいってことよ。おい、聞新さんよ、そろそろ向こう岸に着くぜ。」 「はい、お世話になりました。いろいろありがとうございます。」 船は桟橋に着いた。爺さんもびしょぬれのまま岸に上がっていた。 「びしょぬれじゃ。重くてかなわん。しかし、死人でも重さを感じるもんなんじゃな。」 「はぁ〜、そうなんですか。私は濡れてないからわかりませんよ。」 そういいながら、船を降りようとした俺は、どうしたことか桟橋から足を踏み外して、川にはまってしまったのだった。 「あっ、うわっ、おっとっと・・・。はぁ〜、よかった。足が濡れただけで済んだ。」 「まったくドジなヤツじゃなぁ。はっはっは。」 「しかし、なんであんなところから落ちたんだろう。」 そのとき船頭さんが笑いながら 「なに、それがお前さんの罪の重さなんさよ。爺さんも、今はびしょぬれで重たいだろうが、すぐに軽くなるさ。じゃあな、達者でな。」 と教えてくれた。 「すぐに軽くなるってどういうことですか?。」 そう尋ねると、船頭さんは 「それはこれからのお楽しみよぉ。じゃあな、あばよ。」 と言って、船を出して行ってしまったのだった。俺と爺さんは、その姿をしばらく見送っていたのだった・・・・。 「行ってしまいましたね、船頭さん。」 「あぁ、いい親爺だったなぁ・・・・。」 強欲爺さんは、いまやすっかり好々爺といった感じだった。あの憎ったらしい顔もいまや見る影もない。 「さて、先へと進みますか。」 「そうじゃな。ところで順番は、どうなったんじゃろう。ワシの前にいたあの変なオバサンはもういないのだろ?。」 俺と強欲爺さんは、並んで先へと歩き出した。俺は、『こうして二人並んで歩くこともできるんだ、川を渡る前は、こんなことできなったのに・・・』などと妙なことに感動しながら、強欲爺さんと話をしながら歩いていたのだった。 「あぁ、あの霊感オバサンですね。かわいそうですが、あの川で流されてしまいましたよ。」 「地獄行きか?。」 「そうらしいです。下流の滝つぼに落っこちてしまったんですが、船頭さんに聞いたところによると、それは地獄に直結してるらしいです。」 「他に落ちた者はいるのじゃろうか・・・・。」 「いや・・・。いないと思いますよ。他の方の叫び声は聞こえませんでしたし・・・・。」 「そうか・・・。しかし、重いのう。折角の和服が水を含んでグショグショじゃ。重くてかなわん。脱げんものかのう。」 「どうも、そういう自由はないみたいですよ。たぶん、この姿は、亡くなる寸前の姿で、自分が一番気に入ってる姿・・・・らしいんですよ。」 「まあ、確かにこの着物はワシのお気に入りだったがな。それにしても重い。あの船頭は、すぐに軽くなると言うとったが・・・。」 その時であった。 「うわ〜、な、なにをするんだ、やめてくれ。おい、こら〜。」 と、前方のほうから、叫び声が聞こえてきたのだ。 「な、なんでしょう?。行って見てきましょうか。」 「ワシは走れんから、お前さん見てくるがいい。」 俺は、駆け出そうとした。しかし、どうにも身体が動かなかった。 「どうしたんじゃ、はよう行かんかい。」 「そ、それが、走れないんです。こうやって歩くことはできるんですが、身体が前に進まない。」 「ほう・・・。ひょっとすると、ワシを追い抜くことはできんのかも知れんな。順番は変えられないんじゃろ?。」 「あぁ、そうですね、確か、順番は大事なような・・・・。あぁ、ダメです。どうあっても走ることはできません。」 「そうか、ならしょうがないじゃろ。まあ、どうせ、同じ道じゃ。いずれわかるわい。」 「そうですね。じゃあ、のんびりといきましょうか。」 我々は、そう納得して、のんびりと歩くことに決めたのだった。 「しかし、こんな世界で話しながらのんびり歩いていていいんでしょうかねぇ。」 「何を言うとるか。ワシらは死人だぞ。いいも悪いも、勝手に歩いてしまうんだからしょうがないだろう。」 「はぁ、まあ、そうなんですがね。」 そうなのだ。どうやら我々は、勝手に歩いているようなのである。歩くことに決めた、と思っていたのだが、そうではなく、勝手に歩いているのである。足が勝手に動いているのである。それも一定の速度で。走ることもできなきゃ、止まることもできない。 「これもこの世界のルールなんじゃろ。それにしても、ワシは濡れた着物が重いわい。お前はいい。足元だけだからな、濡れてるのは。代わってもらいたいくらいじゃ。」 「はぁ、そればっかりは交代できないようで、お気の毒ですが・・・。」 「ふん!、面白くもない。まったく、どこまで歩かせるつもりか。そうじゃ、あの大きな木の下で一服できんものかのう。」 ほんのちょっと先には、大きな木があった。それは見事な木であった。 「あぁ、あの木ですか。いや〜、大きな木ですねぇ。あの木、何の木なんでしょうかねぇ。気になる木ですねぇ。」 「なにをしゃれておるのだ。CMじゃないんだぞ。」 「ははは、わかりましたぁ〜?。あのCMソング、好きなんですよ。それにしても、あんな木の下で座って休めば、そりゃ、気持ちがいいでしょうねぇ。あれ、木の下に誰かいますよ。あぁ、お婆さんみたいですね。休んでるのかな。」 「ふん、ババアもずぶ濡れで疲れたんだろうよ。ワシも休みたいもんじゃ。それにしても、あのババア、えらく貧乏くさくないか。」 「あぁ、そういえば、小汚い格好をしてますね。ボロボロの着物を着てるようですよ。なんか、臭そうですね。手足もがりがりだし。何なのでしょうか?。」 そのお婆さんは、確かにみすぼらしかった。まるで、骨にシワシワの皮が張り付いたような感じで、ガリガリにやせこけていたのだ。妙に背は低いし、着ている物もボロボロの着物で、ひどく汚れているようだった。髪型や着ているもので、かろうじてお婆さんらしい、とわかる程度である。見方によっては、その婆さんはミイラのようにも見えるくらいであった。 「おい、あのババアには、関わらんほうが賢明だぞ。知らん振りして通り過ぎるぞ。休憩はあきらめた。」 「はい、俺もそう思います。どうも、怪しいですからね。」 俺と強欲爺さんは、そ知らぬふりで木の下を通り過ぎることに決めた。決めたといっても、果たして休めたのかどうかは定かではないが、実際に婆さんが木の下にいるということは、少しは休めるのかもしれなかった。しかし、ここは通り過ぎたほうが賢明であろう。どうも、この婆さん、怪しすぎるのだ。変に絡まれたりでもしたら、厄介なことになるかもしれない。 ひょっとしたら、妖怪・・・?なのかもしれない。そう思ってみてみると、本当に妖怪のような気がしてきたのだった。 俺と爺さんは、知らぬ振りをしてその木の前を通り過ぎようとした。しかし・・・。 「キエ〜ッ!」 いきなりであった。いきなり、その木の下にいた老婆が、変な雄たけびを上げて強欲爺さんに飛びついてきたのである。 「うわ、な、何をするか、離れろ、やめろ、おい、こら、お、おまえ、助けんか。はようせい。このババアを離せ!。」 変な老婆は、強欲爺さんの背中にがっちりしがみついてた。それどころではなった。なんと、その婆さん、そのか細い足で爺さんをしっかり挟み込むと、あいた両手で、強欲爺さんの着物を引っ張っりだしたのだ!。 「こら、ジジイ、暴れるな。いいから脱ぐんじゃ。はよう、この着物を脱げ!。」 強欲爺さんは、老婆を振り払おうと必死にもがいていたが、どう暴れようと、老婆は離れなかった。それどころか、爺さんの着物を脱がしにかかったのである。 俺は、あっけにとられて身動きができなかった。声すら出なかった。まるで、金縛り状態である。 「な、なんだと。き、着物を脱げというのか。な、なぜじゃ!。」 「なぜもくそもないわいな。いいから脱ぐんじゃ〜。」 老婆はそう叫ぶと、スルスルスルッと、爺さんをあっという間に丸裸にしてしまったのであった。それは見事な早業であった。 「う、うおぉぉ〜、こら、なにをするんじゃ。返せ、ワシの着物を返せ〜。」 「返すわけにはいかんぞえ。そうら爺さんや。」 その老婆はそう叫ぶと、傍らにあった大きな木の上に向かって、今脱がした強欲爺さんの着物を丸めて放り投げたのだった。ガリガリのみすぼらしい婆さんだっだが、なかなかに素早い動きだった。 強欲爺さんは、放り投げられた自分の着物を追って、木の上を見上げた。俺も身体は動かせなかったので、目だけで着物の行方を追い、その木を見上げた。 着物の行く末には、何ともみすぼらしい、貧乏くさい爺さんがいた。木の下にいる婆さんと匹敵するくらいボロであった。それは、まさしく貧乏神としかいいようがないほどみすぼらしい爺さんだったのだ。 「どうだえ爺さん。こやつの罪は重いかえ〜。」 ボロの婆さんがそう叫ぶと、 「そうじゃな、こやつなかなか重いぞ。こやつの罪は重いぞ〜。」 と、ボロの爺さんが叫び返した。 「そうかえ、わかったぞ〜。このジジイ罪重し、と。さぁ、もういいぞ、そこのジジイ、先に行け。ケケケケケ〜。」 ボロの婆さんは、そう叫ぶと、不気味に笑ったのだった。 あまりの出来事に我を忘れ、強欲爺さんはしばし呆然としていたが、自分が真っ裸であることに気付き、あわてて前を手で隠しながら、 「お、おい、先に行けって・・・この格好でか。ワシの着物はどうなるんじゃ。返せ、ワシの着物を返せ。」 と怒鳴ったのだった。 「ケケケケ〜、裸で何を叫ぼうとも威厳はないぞえ。裸になりゃ、皆同じじゃ。威張ってみても、みっともないだけじゃのう。ケケケケケ〜。」 ボロのババアが不気味に答えた。 「な、なにを・・・。ぐっ、このクソババア〜。」 「なんじゃ、裸がいやか。じゃがのう、お前の着物は返すわけにはいかぬ。この木がもう食ってしもうたわ。ケケケケケ〜。」 そういわれて、強欲爺さんは、自分の着物がかけられた辺りを見上げてみた。そこには、すでに自分の着物はなく、青々とした葉が茂っているだけであった。 「ひゃ〜ひゃっひゃっひゃ。こやつの着物はたっぷり三途の川の水を含んでいたからのう。この木にも栄養がようまわったぞえ。見てみろ、この青々とした葉を。ひゃ〜ひゃっひゃひゃ。」 「うんぐっ、クソジジイにクソババア・・・。許せん。」 「許せんもなにも、お前さんは死人じゃ。はよう行け、裸で行け。ほう、そんなに裸が恥ずかしいか。なら、そこの葉っぱで前を隠すがよい。ケケケケケ〜。」 ボロいババアの不気味な笑い声だけが響き渡っていた。 「そら、どうした。はよう、この木の葉っぱで前を隠さんと、素っ裸のまま歩き出すことになるぞ。ケケケケケ〜。」 ボロいババアは、まばらにしか残ってない小汚い歯をむき出しにして笑った。 「う〜ん、クッソ〜。悔しいが、ババアの言う通りじゃな。」 強欲爺さんは、奥歯をかみ締めながら、本当に悔しそうにそう言うと、傍らの木から葉っぱを一枚ちぎって、その葉っぱで前を隠したのだった。 「そうじゃ、そうじゃ、それでいいんじゃ。お前らは死人じゃ。ここでは、お前らの自由はない。さあ、先へ行け!。ケケケケケ〜。」 そうなのだ。ここでは、我々の意思とは関係なく、勝手に移動し、勝手に何がしかのイベントが生じるのだ。我々は否応なしに、そのイベントに参加させらているのである。 どうやら、これも、この世界でのイベントの一つであるらしい。 ババアに先に行けと言われた強欲爺さんの身体は、後ろ向きのまま・・・顔も身体もババアの方を見たまま・・・勝手に先に進みだしたのだった。 「くっそ〜。どういうわけか知らないが、嫌なババアじゃ。このクソババアめ!。覚えておれ!。おい小僧、何が何だかわけがわからんが、これも通らねばいかんことらしい。よく話を聞いておくんじゃな。先に行ってるぞ。」 俺にそういい残して、強欲爺さんは先へ歩き出した。もう、爺さんの身体は、向こう向き、つまり俺のほうへ背中を向けていた。 「ひゃ〜っひゃ〜っひゃ〜。なかなかいい爺じゃないか。結構、罪が重いくせに、お前さんにあんなことを言うとはな。」 木の上でボロい爺さんが言った。 「お前、聞新じゃろ?。」 俺は木の上を見上げた。 「えぇ、そうです。ご、ご存知なんですか?。」 いつの間にか、俺の金縛り状態は解けていて、身体も動くし、声も出るようになっていた。 「あぁ、知っとるとも。なぁ、婆さんや。」 「ケケケケ〜。聞いておるぞよ。取材者であろう?。はよう話を聞けっ。はよう、いんたびゅ〜せんかい。ケケケケケ〜。」 「で、では早速・・・・。あ、あの、その前に、私は服を脱がなくてもいいんですか?。」 「ケケケケ〜。それは後でじゃ。後の楽しみじゃ。後で脱がしてやるワイ。ケケケケ〜。」 ボロいババアは、不気味に笑った。何度聞いても気味の悪い笑い声である。まばらな歯をむき出しに笑うその顔は、おぞましいものであった。吐く息も体臭も臭そうだ。できれば近付きたくはなかった。しかし、ここでビビッてもいられない。俺は取材者なのであるから。 「で、では、早速・・・。」 「それはさっき聞いたぞえ。ケッケッケ〜。」 「あ、はいはい。では、その・・・。え〜っと、まず、お二人のお名前を教えてください。」 「ワシは、懸衣翁(けんねおう)と言う。懸ける、衣の、翁、じゃ。」 木の上から声がした。 「わしゃ〜よ、懸衣嫗(けんねう)じゃ。またの名を奪衣婆(だつえば)ともいう。聞いたことあろうが〜?。」 汚いババアがそう言った。 「奪衣婆・・・というのは、聞いたことがあるような気がしますね。で、お二人は、ここで何をなさっているんですか?」 「お前、さっきのこと、見ておったろうに。わからんのかえ?。」 意地の悪そうな目をして、汚いババアが俺を見上げた。 「あっ、あっ、そうでした、そうでした。お婆さんは、死者から着ている物を剥ぎ取るんですよね。で、木の上にいるお爺さんに渡すんですね。」 「そうじゃそうじゃ。で、ワシがな、その着物をこの木にかけるんじゃ。この木はな、衣領樹(えりょうじゅ)と言ってな、死者の衣をこの木の枝に引っ掛けると、その死者の罪の重さがわかるんじゃ。」 「それでな、その結果・・・罪が重いか重くないか・・・は、次の裁判所に自動的に届くんじゃよ。わかったか、ケケケケケ〜。」 「な、なるほど・・・。ということはですね、我々死者の着ている物を脱がして、この衣領樹に引っ掛けると、罪の重さがわかり、その結果は、次の裁判所に自動的に伝わると・・・、こういうことですね。で、お二人は、その役目をされている・・・と。」 「そういうことじゃ。ひゃ〜っひゃっひゃ。もう、わかったろう。ならば、聞くこともなかろう。婆さんや、そろそろ脱がすかえ。」 「ケケケケケ〜、そうじゃなそうじゃな。そろそろ、脱がすか。ケケケケ〜。」 「あいや、ちょっと待ってください。もう一つ教えてください。どういう仕組みで、罪が重いか重くないかわかるんですか?。」 俺は、あわてて質問をした。なぜ罪が重いか軽いのかがわかる仕組みぐらい、察しがつく。着ているものに含んだ三途の川の水分量によるのだろう。そんなことはわかっている。簡単なことだ。 だが、俺は時間稼ぎがしたかったのだ。別に服を脱ぐのが嫌なわけではない。嫌なのは、あの汚いババアに脱がされることなのだ。あのババアに羽交い絞めにされ服を脱がされるのが嫌なだけなのだ。俺は、何とか自分で脱げないのか、試してみたかったのだ。そのための時間稼ぎである。 「なんじゃ、お前、そんなこともわからんのかえ〜。」 ババアは、そう言いながら、疑わしそうな、ねちっこい視線で俺を見回すと、 「まあ、よいわ。教えてやろう。ケッケッケ。」 と笑い、話し始めたのであった。 「罪が重い死者の着物はな、三途の川の水をたっぷり含んでいるんじゃよ。だから重いんじゃ。簡単なことよな〜。ケッ。」 「そ、そんな単純なことで・・・。」 「お前さん、なんで三途の川と言う名があるのかしっとるけ〜?。」 そういえば、そんな話は聞いていなかった。これは取材者としては失敗である。 「いえ、それは聞いてなかったです。」 「お前さん、それでも取材者かえ〜?。情けないのう。まあよいわ。ババが教えてやろう。ありがたく聞けっ。ケッ!。 三途の川と言うのはな、川を渡る道が三箇所あるから、三途の川というんじゃ。浅瀬を歩いていく、深水を泳いでいく、橋を渡る・・・の三つの道じゃあ。まあ、特別扱いの船、と言うものもあるがな、あれは別もんじゃ。普通の死者は、浅瀬か深水か橋のどれかなんじゃよ。だから、三途の川なんじゃ。」 「ということは、私は特別扱いで・・・?。」 「そういうことじゃな。ケッ、こんなトロいやつが特別扱いとは。現世の世界も末じゃのう・・・。」 まあ、確かにトロいかもしれないが、こんなババアに言われたくない。こっちだって、一応は取材者なんだし。俺は、少々腹が立ってきた。 「まあ、そう怒りなさんな。罪が増えるだけじゃぞ。お前さん、若いのう・・・。」 木の上から声がしてきた。木の上の爺さんが、ババアの後を継いだ。 「罪の重いヤツはの、三途の川の深いところを泳いでくるじゃろ。だから、ソヤツの着ているものは、たっぷり三途の川の水を含んで重くなっておるのじゃ。じゃから、この木に懸ければ、木の枝が下がる。つまりは、罪が重い、ちゅうことじゃな。浅瀬を渡ってきたものは、濡れた部分も少ない。必然的にその者の着物は軽い。じゃから、この木の枝も下がらんのじゃ。そうやって、罪が重いかどうかを死者に教えてやっているんじゃよ。わかったか?。」 「は、はい、わかりました。三途の川とここは、繋がっているわけですね。いわば、裏付けですね。」 「そういうことじゃな。婆さんや、そろそろよかろ。さあ、その小僧の衣を寄越せ。」 「よっしゃ。では、脱がすとするかのう。ケ〜ッケッケ。」 汚いババアは、そう叫ぶと、俺に飛び掛ってきたのだった。 「小僧、自分で脱ごうと思っても無駄なことじゃ。お前ら死者の着ている物を脱がすことができるのは、わしだけじゃ。ケ〜ッケッケッケ。」 「き、気付いていたんですか・・・?。」 俺は、さっと身構えた。ババアが飛び掛ってくるに違いないからだ。しかし、服を自分で脱ごうとしていたことをすっかり気付かれていた。ちょっと甘く見ていたようだ。 確かに、この汚い爺さんや婆さんの話を聞きながら、俺は服を脱ごうとしたのだ。しかし、どう頑張っても服は脱げなかった。そりゃそうかもしれない。もともと、服を着ているわけじゃないのだから・・・・。 ババアは、予想通り、俺の背中に飛びついてきた。それは避ける間もないほどの早業であった。ババアは、俺の背中にしがみ付くと、嬉しそうに大声で 「当たり前じゃ。わしゃ〜よ、死者の着ている物を脱がすのが好きなんじゃ。特に若い男はええよのぉ〜。ケケケケケ〜。」 と不気味に笑ったのだった。その吐く息は、やはり臭かった。魚が腐ったような、吐き気を催すような腐敗臭であったのだ。俺は思わず、顔を背けた。 「ケケケ。そう嫌がるんじゃない。すぐに済むわい。それとも、もう少ししがみついてやろうかのう。ケケケケ。」 「何をしとるか。はようせんか。まったく、若い男の死者が来ると、長くしがみ付きたがるのは、悪い癖じゃ。はようせい。」 「なんじゃ、ジジイ。わしに妬きもちかえ?。ケケケケ。」 ババアは、そういうと、俺の着ていたものを全部剥ぎ取って、丸めて木の上にいる爺さんのほうへと投げ上げた。 俺は、素っ裸になり、前を手で隠しながら、間抜けな姿でたたずんでいた。 「何を馬鹿な。さっさと仕事を済ませぇ、と言うておるのじゃ。閻魔様に怒られるぞ。ふん、小僧、お前の罪は軽いのう。こやつの罪は軽い。」 「ケケケ。よかったのう、小僧。お前の罪は軽いそうな。さあ、そこの葉っぱを取って、先に行くがよい。ケケケケ〜。」 「は、はい。そうします。では・・・。」 俺は、それだけ言うと、衣領樹の葉っぱを一枚とって、その葉っぱで前を隠したのであった。するとその葉っぱは、俺の身体にぴったりとくっつくではないか。 「この葉っぱ、落っこちませんね。」 「その葉っぱは、下着の代わりじゃ。いくらなんでも素っ裸で裁判所に行くのは失礼じゃろ。ましてや、次に控える仏様は・・・・。まあ、よい。行けばわかることじゃて。ケケケケ。」 「え、どういうことです?。次は、どなたがいらっしゃるのですか?。ねぇ、教えて下さいよ〜。あ、待って、まだ、聞きたいことが・・・。あ、あ〜。」 「さらばじゃ。ケ〜ッケッケッケ〜。」 俺の意に反して、俺の身体は、勝手に先に進みだしてしまった。後に残ったのは、汚いババアの不気味な笑い声だけだった・・・・。 つづく。 |