バックナンバー(九)    第四十九話〜第五十三話

「覗見教師信士(しけんきょうししんじ)こちらへ座りなさい。」
と初江王にいわれ、俺の右隣の、強欲爺さんの隣に座っていた中年男が、ふと顔を上げた。すかさず、鬼のような、悪魔のような者が(いったいそいつの正体はなんなのだろうか、後で聞いてみよう)、
「正面に座れ。」
と言った。中年男は、ゆっくりと静かに初江王の正面に座ったのだった。同時に鬼のようなヤツが
「場所をずれろ。」
と静かに言った。俺と隣の強欲爺さんは、静かに席をずれた。すると鬼モドキ(こう呼ぶことにした)が、
「次の者、入れ。」
と、同じ調子で言った。その言葉に応じてなのか、扉が開いた。その扉から、俺の後ろに並んでいたお爺さんが入ってきた。そのお爺さんは中を見て、ちょっとびっくりしたような顔をして
「ナンマンダブ、ナンマンダブ・・・・。」
と合掌して唱えていた。きっと、お釈迦様を阿弥陀様と思ったのであろう。
「そこに座れ。」
鬼モドキが、念仏を唱えているお爺さんに言った。お爺さんは、素直に空いてる席、俺の左となりに座った。座ったとたん、お爺さんは静かになった。きっと、自分の過去をいろいろ見せられているのだろう。この爺さんの過去は、いったいどんなものだったのだろうか・・・。

そうこうしているうちに、中年男の裁判が始まった。
「さて、覗見教師信士、汝は奪衣婆からの報告によると・・・、うぅぅむ、罪重し、か。お前、何をやったのじゃ?。正直に言いなさい。」
先ほどとは、ちょっと初江王の雰囲気が変わっていた。これがいつもの調子なのだろう。先ほどは、相手がお坊さんだったので、興奮気味だったのだ。今は、妙に落ち着いていて、いかにも裁判官、という感じであった。
初江王にそう問われた中年男は、
「あ、いや・・・、その・・・。特に何も悪いことはしていないように思うのですが・・・・。」
とあわてて答えていた。しかし、この答えはおかしい。あの小汚いババアからの報告によれば、罪が重い、というのだから、何か罪になるようなことはしているはずである。この男、しらばくれているのだ。自分の番が廻ってくる間、自分の犯した過去の罪をさんざん見させられているはずでもある。それなのに、この期に及んで白を切るとは・・・・。いやはや、人間とは浅ましいものだ。こんな普通の男が、この場でうそをつくとは・・・・。
「覗見教師信士、ウソはいけませんよ。ウソはねぇ・・・。こちらは、何もかもわかって聞いているんですから、正直に言ってください。そこで順番を待っている間も、自分の犯した罪を散々見せられたでしょう。」
「えっ?、えぇ、まあ・・・・。」
あいまいな返事をして、その中年男は下を向いた。
「じゃあ、もう少し言いましょうか。ここでは、盗みに関しての罪について裁かれます。あなた、随分盗んだでしょ?。」
随分盗んだ・・・?。俺は初江王の言葉に驚いた。こんな普通の中年の男が、いったい何をやったのだろうか。

初江王の言葉に、中年男はあわてて顔を上げ、首を横に振った。
「いや、私は、盗みなどしてません。盗んでなどいないですよ・・・。」
「そうですかねぇ・・・・。困りましたな、正直に言ってもらえないと。」
「と言われましても・・・・。」
そう言いつつ、男はまた下を向いてしまった。
「そうですか、じゃあ、少しだけ言いますよ。あなた、盗み見したでしょ?。盗み見る、ということも盗むことなんですよ。」
初江王の言葉に、その中年男は、さっと顔を上げた。その顔は、蒼ざめていた。
「あっ、その、いや・・・・。えっと・・・。」
わけのわからないことを言いながら、その男はまたまた下を向いてしまった。いったいどうしたのか。初江王は「盗み見をした」と言ってた。この男「盗み見した」のか。なるほど、確かに盗み見も、盗んでいることには違いはない。しかし・・・。

しかし、盗み見る、ということは、たいていの者は、一度や二度は経験はあるのではないか。ちょっと、垣根の向こうを覗いてみる、ちょっと隣の窓を見てみる、ちょっと隙間を覗き込んでみる、男性などは若い女性のスカートの中をチャンスがあれば覗こうとするじゃないか、そんなことはよくあることで・・・・。
そこまで考えて、俺は思い至った。まさか、コイツ、覗きをしていたのか?。
「いい加減、正直にいなさい。それとも何ですか、私の方から指摘した方がいいですか?。」
初江王の口調が変わってきた。イライラし始めたようだ。
「あっ、いえ、その・・・・。はい、盗み見していました。」
「そうそう、そうやって正直に言えばいいんですよ。さて、その盗み見は、一般の方がたまにやる盗み見とは違うでしょ?。」
「はぁ・・・。はい。私は・・・・その、常習的でした・・・・。」
やっぱりそうだったのだ。この男、ノゾキをしていたのだ。ノゾキの常習者だったのである。
「すべて正直に言いなさい。」
「はい・・・。確かに、私は、その・・・ノゾキをしていました。それは、ほんの出来心で・・・。」
「あのね、出来心でノゾキの常習者にはならないでしょう。そういう言い訳はいいから、正直に全部告白しなさい。いいですか?。ウソやごまかしはいけませんよ。言い訳もいりません。すべてを正直に言いなさい。」
その男は、また下を向いてしまった。考えをまとめているのか、男は黙り込んでしまった。

しばらくして、男は顔を上げた。
「はい。私は、ノゾキをしていました。それは主に、通勤途中のことでした。電車の駅の昇りのエスカレータで、ミニスカートの女性や女子高生の後ろにくっついて、その・・・・手鏡を使って・・・・、スカートの中を・・・・み、見ました・・・。」
やっぱりだ。こいつ、覗き見をしてたんだ。なんてイヤラシイヤツなんだ。変態だ。
「は、初めは、その、本当に出来心だったんです。たまたま、携帯電話を取り出したら、前の女性のスカート中が写ってしまったんです。どうやら、携帯電話のカメラの機能が勝手に動き出していたらしいんです。」
そんなわけがあるか、携帯電話のカメラの機能が勝手に動くなんて・・・。故意に見たに決まっている。しかし、初江王は、何も言わなかった。
「で、それから病みつきになってしまって・・・。携帯電話のカメラで撮影をすると、音が出ちゃうんで、それで手鏡を使いました・・・悪いことだとは思ってました。けど、もうどうにも止まらなかったんです・・・。」
男は泣き崩れた。
「それだけですか?。それだけじゃないでしょ。」
初江王の冷たい言葉が泣き崩れている中年男の背中に降り注いだ。男は、おずおずと顔を上げ、ボソボソと話しはじめた。
「す、すみません・・・。確かにそうです。私は・・・、その・・・・カメラを設置して・・・。盗み撮りを・・・・。」
なんと、盗撮までしていたのである。
「それは、あなたの勤務先でのことですね。さぁ、正直にいいなさい。あなたの勤務先は、どこですか?。」
「はい・・・。学校です。私は、さる有名な女子高の教師をしていました。私は・・・その、部活用の更衣室やプールの更衣室にカメラを仕掛け・・・・。」
なんと、コイツ教師だったのだ。なんてヤツだ。教師の分際でそんなことをしていたとは。やっていいことと悪いことの判断がつかなかったのだろうか。もうびっくりである。

「それは、見つからなかったのですね。」
初江王の口調が優しくなっていた。男が正直に語りだしたからであろう。
「はい、私が死んだ後で、見つかったと思いますが・・・・。私が生きているうちは、覗きや盗撮は見つかりませんでした。でも、悪いことをしてるという思いは、いつも持っていました。やっちゃいけない、でも見たい・・・。いつもその葛藤でした。それが、胃にきてしまったようです。」
「そうですね。あなたは、あなたの欲望に勝てなかったがために、寿命を縮めてしまったのですよ。覗きの罪を犯していなければ、もっと長生きできたものを。」
「はい、そうだと思います。私はいつも覗きや盗撮がバレるのを畏れていましたから。いつもドキドキしていました。カメラを仕掛けた場所を確認するときなどは、心臓は破れそうになるし、ものすごい吐き気がしました。こんなことをいつまでもやっててはいけない、早く止めなきゃ・・・何度そう思ったことか・・・。」
「でも止めることはできなかった。」
「はい、いつの間にか気付くと、カメラをセットしたり、回収したテープを喜んで見ている自分がいたんです。」
「よく話しました。それでいいのです。」
「あの・・・。」
「なんですか?。」
「私は、地獄へ行かなければいけないのでしょうか・・・。まあ、それも仕方がないことだとは思ってますが・・・。」
「そうですね。地獄行きは間違いないでしょう。それは仕方がないですね。」
初江王の言葉が冷たく響いた。そのときだった。優しい声が聞こえてきた。その声は、優しい感じはしたのだが、厳しくもあった。
「いや、ここで判決を出すことはない。初江王、先に送りなさい。」
お釈迦様であった。初江王は、お釈迦様の方を振り返り、
「は、よろしいのでしょうか。」
と尋ねた。
「よい、よい。先に送るがいい。その理由は・・・。」
そういうと、お釈迦様は黙った。しばらくして、
「あぁ、そういうことですか。わかりました。では、この者に伝えます。」
と初江王はいうと、中年男に向き直っていった。
「お釈迦様の言葉を伝えます。よく聞いてください。」
どうやら、お釈迦様は初江王に、言葉ではなく、お釈迦様の思いを直接伝えたようだ。そういうことができるのだ。さすが、お釈迦様である。

「お釈迦様は、こうおっしゃっていました。あなたは、一方では優秀な教師でした。指導力もあったし、よく生徒の相談に乗ったりしていました。あなたに感謝している生徒さんや親御さんもたくさんいることも事実です。それは、罪に対する徳の面ですね。この徳は大きなものです。しかし、あなたの行為は、あなたに感謝していた生徒さんや親御さんを裏切る行為でもあったわけです。裏切りの罪ですね。」
情けない顔をして、その中年男は初江王を見つめていた。
「あなたの行った行為は、単なる盗みの罪だけではありません。他の罪も重なっているのです。」
「他の罪?・・・ですか・・・。盗みだけじゃなく?。」
「はい。わかりませんか?。」
「は、はい・・・。」
「先ほど言った『裏切りの罪』も、その一つです。そういう他の罪も犯しているのですよ。そのことをあなたがよく理解するまで、裁判を受けた方がいいでしょう。お釈迦様はそうおっしゃっているのです。」
「どういうことですか?。」
「つまりですね、ここで判決を出して、あなたを地獄へ送るのは簡単です。しかし、あなたは自分の犯した罪をよく理解していない。単なる覗き見、盗撮という盗みの罪だけだと思っている。そこには、他の罪も潜んでいることを知らない。ですから、それを知るためにも、この先の裁判を受けるほうがいいでしょう・・・と、そういうことです。」
「この先の裁判で、その潜んでいる罪を指摘されろと・・・・そういうことですか。」
「そうです、そうです、その通りです。」
「はい・・・。わかりました。」
「そういうことですので、覗見教師信士、次の裁判に進みなさい。それとですね、この裁判所をでると、現世に帰ることができます。」
「えっ?、生き返る・・・・のですか?。」
「いいや、違いますよ。現世の様子を見に行くことができるのですよ。遺族の方には、あなたの姿は見えません。ま、たまに見える方がいますけどね。一度、現世に戻って、家族の状況を見てくるといいでしょう。あなたの罪が如何に深いかがよくわかりますよ。」
「はい・・・。そうします・・・。」
男は、元気なく答えた。そりゃそうだ。きっと、この男の家族は、知ってしまっていることだろう、この男の秘密を。この男が亡くなったあと、誰がこの男が勤務していた学校の遺品を整理しにいったかは知らないが、その誰かは気付くはずである。男の机の引き出しや、ロッカー。そこには、盗撮の道具や盗撮されたテープが多々あったことであろう。遺品の整理をした家族は(きっと奥さんなのだろう)、恥ずかしい思いをしたに違いない。後始末は大変だったであろう。遺族はどんなに恥ずかしい思いをしたか、学校関係者はどんなに大変な思いをしたか。それは想像に難くはない。それを思えば、現世の様子などは見たくないだろう。この男は、いったいどうするのか・・・。
「いいですか、覗見教師信士。必ず、現世の様子を見てきなさい。わかりましたね。」
その男に追い討ちを掛けるような初江王の言葉であった。中年男は、初江王に頭を一つ下げると、鬼モドキに支えられ、トボトボと出口へと向かったのだった・・・・。


「次、強欲院金泥腹黒厚顔大居士、こちらへ座りなさい。」
初江王の声が響いた。俺の右隣の強欲爺さんは、静かに立ち上がると、ゆっくりとの初江王の正面へと向かった。鬼モドキが低い声で言った。
「正面に座れ。」
強欲爺さんは、神妙な顔つきで座った。と、同時に、鬼モドキが
「場所をずれろ。」
と静かに言った。俺は、先程まで強欲爺さんが座っていた席にずれた。俺の左隣のお爺さんもずれる。すると鬼モドキ、
「次の者、入れ。」
と、同じ調子で言った。全く変わらない。同じことの繰り返しである。鬼モドキの言葉に応じて扉が開く。その扉から、中年の色っぽい女性が入ってきた。順繰り順繰り・・・。ところてんの押し出しのようだ。死者が順に入れ替わるだけで、他は何も変わらない。鬼モドキの声も、この静けさも・・・。
その色っぽい中年の女性は、初江王を色気のある目付きで見ると、続いて、その後ろのお釈迦様を見た。ちょっと驚いたような顔をして、眼を伏せた。直視できないのか。うつむき加減で空いている一番左端の席に座った。

「さて、強欲院金泥腹黒厚顔大居士、汝は奪衣婆からの報告によると、罪重し、だな。お前、何をやったのじゃ?。正直に言いなさい。」
初江王が、強欲爺さんをじっと見つめた。
「はい、ワシはたいそうな悪じゃった。法律すれすれ、あるいは、違法な行為を幾度となくしてきた。ワシの罪は、重いものだと思う。地獄でもどこでも行きましょう。覚悟はできております・・・。」
俺は驚いた。強欲爺さん、いったいどういう変わりようなのか。確かに、三途の川での一件以来、強欲爺さんは憑き物が落ちたように、おとなしく、極普通の爺さんになっていた。しかし、ここでの態度は、それどころじゃない。まさか、お芝居なのか?。いい印象を得ようと、殊勝な態度をしているのだろうか?。そうであるなら、強欲爺さんらしいとは思うのだが・・・。

「ほう、なかなか良い態度ですな。いったいどうしたのです?。一回目の裁判では、随分突っ掛かったと聞いてますが。」
初江王も驚いたのだろう。意外だ、という顔をしていた。
「いや、なに、これが本当のワシの姿なんじゃろうと思う。今は、すごく気分が楽なのじゃ。お不動様の計らいで、三途の川を渡らせていただけた。ありがたかった・・・・。あの船頭と行き会ったおかげで、ワシは・・・・自分を取り戻すことができた。ワシは生きているとき、随分と無理をしていたようじゃ。」
「無理をしていた?。あなたは、生前、名声を欲しいままにし、政財界に君臨していたようですが、それは無理をしていた、と言うのですか?。」
「そうです。無理をしていたのです。今から思うと・・・・。確かに、日本を動かしているのはワシじゃ、と思うと、天にも昇る気分ではあった。ワシは天下人じゃ、秀吉や家康と同じじゃ、と夢中になっておった。あの頃は、それがすべてだと思っておった・・・・。しかし、そんなものは虚しいものじゃ。儚いものじゃ。ここに来れば、それがよくわかる・・・。
今から思えば、ワシは随分無理をしておった。いつ自分の地位を脅かすものが現れるか、いつぞやのバブル崩壊のような日がまた来るのではないか、身体は大丈夫か、裏切り者は出ぬか、アヤツは信用できるのか、頼んであった事項は進んでおるのか・・・・そういうことを考えると、不安で眠れなくなる夜もあった。いつか、自分が得ているすべてがなくなってしまう日が来るのではないか・・・。そういう思いに怯えている日もあった。
それにな、三途の川でも言ったが、ワシはバチが当たるのが恐ろしくてなぁ・・・。」
強欲爺さんは、顔を上げ、遠くを眺めるような眼をしていた。船頭さんとのやり取りを思い出しているのかもしれない。強欲爺さん、これは、どうやら本当に反省しているようだ。俺にはそう思えてきた。

「そのことなら、聞いていますよ。」
初江王の声に、強欲爺さんは我に返った。
「あぁ、そうでしょうな。裁判官様は・・・お釈迦様は、何もかもお見通しでしょうなぁ・・・。」
俺は、またまた驚いた。強欲爺さん、初江王の後ろに控えている仏様が、お釈迦様だとわかっているようだ。たいていの死者は、阿弥陀様だと思うのに、強欲爺さんは間違えなかったのだ。
初江王も驚いたようだ。
「ほう、後ろにお控えになっている仏様が、お釈迦様だとよくご存知でしたね。」
「はい、何かの本で読んだのか、・・・いや、どこかの和尚に教えてもらったのか・・・。確か、阿弥陀様は、四十九日の間には登場されない、と聞いていたような気がしたのでな。」
「そうです、そうです、その通りです。阿弥陀様は、四十九日の間は、まだ登場されません。尤も、生前に阿弥陀信仰をよくしていて、仏法に叶った生き方をしていたものは、阿弥陀様が迎えに来てくださいますけどね。」
「はぁ・・・、そういう生き方をしておけばよかったと、今は思いますよ。死んでから気が付いても、もう遅いのじゃがなぁ・・・・。さぁ、判決を下され。覚悟はできております。」
「まあ、まあ、そうあわてるでない。一応、ここでの裁判の決まりもあるから。決まりに則って裁判を進めねばならぬからな。」
「そうですか。それは失礼を致しました。では、裁判官様、進めてくだされ。」
強欲爺さんの強欲らしからぬ態度に、ちょっと拍子抜けしたのか、初江王はペースを乱されていたようだ。ここの裁判では、本来、盗みの罪について問われるのである。それが、いきなり反省の弁である。初江王もやりにくいのかもしれない。いや、やりにくいであろう。まさか、こんな展開になるとは予想していなかったのだろう。全面的に反省しているものに対して、改めて罪を追求するのは、ちょっと気が引けるというものだ。

「では、汝の裁判を始めよう。」
初江王は、仕切りなおした。
「強欲院金泥腹黒厚顔大居士、汝は、生前、盗みの罪を働いていますね。」
「はい、しました。他の会社の情報を盗み、自社の社員の動向をいつも盗み見し、政財界の連中の裏事情を盗み聞きし、疑わしき相手の居場所には、スパイを送ったり、盗聴器を仕掛けたりもした。妾の家にも盗聴器を仕掛けた。裏切られるのが怖かったのじゃ・・・。おう、そうそう、先程うしろで控えていたときに、過去に犯した罪を何度も見せられて思い出したのだが、子供の頃、よその畑から大根や芋を盗んだよ。うちは貧しかったからのう・・・。ちょくちょくと盗んだことがあった。もう、すっかり忘れておったがな。自分の番が回ってくる間に、いろいろ思い出させていただいた。ワシは、随分と悪いことをしたようじゃ。地獄は、免れんじゃろう。そうですな、裁判官様。」
「いや、まあ、その・・・。そうですな。普通は、地獄行きでしょうな。間違いなく。しかし・・・。」
「しかし?。しかし、なんじゃというのかね。」
初江王は、なぜか困った顔をしていた。何か考え込んでいるようで、黙り込んでしまった。

しばらく考え込んだあと、初江王は後ろを振り返って、お釈迦様に問いかけた。
「如何致しましょうか、お釈迦様。」
その問いかけに、お釈迦様が優しい声で答えた。
「初江王よ、あなたの思うがまま、それが正しい判断でしょう。」
その答えを聞いて、初江王はほっとしたような顔をした。
「はい、わかりました。では、そう致します。」
初江王は、お釈迦様にそう答えると、強欲爺さんに向き直った。
「強欲院金泥腹黒厚顔大居士、判決を言い渡しましょう。汝は、次へ進んでよろしい。ここでは、判決を下さず、猶予いたします。」
「よ、よろしいのですか?。ワシは、罪多きものですが。」
「いいのですよ、強欲院金泥腹黒厚顔大居士。う〜ん、長いなぁ・・・。あなた、先に進みなさい。あなたは、随分反省している。後悔もしている。自分の犯した罪を素直に認めてもいる。
仏法は、非常な教えではありません。自らの罪を認め、深く反省するものに対し、罰を与えるようなことはしません。もちろん、心から反省している場合ですけどね。ウソ偽りの反省ではいけませんよ。あなたの場合、あなたの反省の言葉にウソはないです。素直に、まっすぐに反省している。そういうものに対し、慈悲の心を持ってあたるのが仏法なのです。有罪・無罪を問わず、心から反省し、自分の間違いを認めるものに対して、仏様は寛大な処置をなさるのですよ。それが仏法なのです。私は、その仏法の教えに則っただけです。それに・・・。」
「それに?。」
「生前、あなたは様々な仏教教団に寄付をなさっていますね。それが売名行為であろうと、罰が当たるのを怖がって、少しでも罪が消えるようにと思って行った行為であろうと、寄付をしたことには代わりはないでしょう。第一裁判所では、随分と追求されたようですが、それはあなたの態度が悪かったからでしょう。ここでのように、素直に罪を認めていれば、追求されるようなことはなかったでしょう。それは、どういうことかわかりますね。」
「はい、もちろん、わかっております。ワシが素直な態度をしていれば、ワシの寄付行為もとやかく言われずに終わっていたことでしょう。情状酌量の要素に入れられていたことでしょう。ついつい、突っ張ってしまいましたからな。」
強欲爺さんはそう言うと、恥ずかしそうに微笑んだ。
「そうです、そうです、その通りです。あなたは、よく自分のことをわかっているようです。いや、ひょっとしたら覚りに近付いているのかもしれない。そういうあなたに、ここで判決を下す意味はないでしょう。今後も、裁判を通して、自分の心をよく知り、己を磨くといいでしょう。
ですから、次の裁判に行くことを許します。」
「はぁ、ありがとうございます。そうですな・・・。また、裁判を受けて、己の罪の深さをよく知ることにしましょう。それが、一つの罪滅ぼしになればいいのじゃが・・・。」
「なりますよ。十分、罪滅ぼしになります。・・・話は変わるのですが、この裁判所をでると、現世に戻ることができます。」
「戻ることができる・・・のですかな?。」
「そうです、そうです、その通りです。もちろん、肉体はありません。霊体のまま、つまり幽霊ですね。そういう姿ではありますが、生前関わりのあったところには、戻ることができるのです。あなたがいなくなった後の様子を眺めてくるのもいいでしょう。」
「うぅん、そうですなぁ・・・。ワシがいなくなったあとの状態・・・。見るのが怖いですなぁ。まあ、しかし、見ておくのもいいのでしょうな。ワシの価値など、小さなものだとわかるのでしょうなぁ・・・。」
強欲爺さんの、その言葉には、初江王は何も答えなかった。ただ、淋しそうな笑顔をしただけであった。
「さぁ、あちらへ行っていいですよ。」
初江王が、そういうと、鬼モドキが強欲爺さんの傍らにやってきた。強欲爺さんは、初江王とお釈迦様に一礼すると、鬼モドキに案内されて出口へと向かったのだった。

強欲爺さんの姿が見えなくなると、初江王は、俺のほうを向いて
「こういう裁判もあるのですよ。私は、否、仏法は、ただ死者の犯した罪を追求しているだけではないのですよ。」
と言うと、にっこり微笑んだのだった。


「さて、いよいよ釈聞新あなたの番ですね。さあ、こちらへ座りなさい。」
初江王は、優しい口調でそういった。俺は、
「はい」
と返事をして、静かに立ち上がり、ゆっくりとの初江王の正面へと向かった。すると、鬼モドキが例の如く低い声で言った。
「正面に座れ。」
俺は、ちょっと緊張して座った。と、同時に、鬼モドキが俺の後ろの方で
「場所をずれろ。」
と静かに言った。俺の後ろでは、あとの死者達が席をずれているのだろう。しかし、その音は聞こえては来なかった。静かなものである。ただ聞こえるのは、鬼モドキの声だけだ。
「次の者、入れ。」
彼等は、そういうように仕込まれているのか、口調も声音も何もかも変化なしだ。同じことの繰り返しである。それが仕事なのか、それ以外言葉を知らないのか、それ以外の言葉を発すれば何かお咎めがあるのか・・・・。まるでロボットのようだった。
そして、無感情の鬼モドキの言葉に応じて扉が開く。その扉から、次の死者が入ってくる。工場の流れ作業のように・・・・。次に入って来たのはどんな死者なのだろうか。俺は振り返ることができなかったので、その者を見ることはできなかった。

「さて、釈聞新、先に裁判を始めますか?。それとも先にあなたの質問に答えましょうか?。どちらにしますか?。私は、どちらでもいいのですが・・・。」
「あぁ、そうですね。じゃあ、先にいろいろ質問させてください。私の裁判はその後で・・・・ということで。」
「はい、わかりました。いいでしょう。では、何なりと質問しなさい。」
「はい、では、え〜っと、まず初めに、ここにいるその鬼のような方たちは何と言うのですか?。今までみた鬼とは違いますよね。角はないですし。また、馬頭や牛頭とも違います。なんだか、ちょっと怖いような、悪魔的な顔をしていますよね。目付きはきつく吊り上ってますし、口も裂けたようになってますし、その口からは牙もちらりと覗いているし・・・。その、外見は怖い姿をしていますよね。」
俺はそういって、チラッと鬼モドキを見た。気を悪くしていないだろうか、と思ったのである。しかし、鬼モドキは、無表情のまま座っていた。俺は、初江王の方に向き直って話を続けた。
「いったい、彼等はなんという方たちなのですか?。なぜ、あのような恐ろしい姿をした者を使っているのです?。」
「あぁ、彼等ですか。彼等は夜叉ですよ。鬼・・・・ではないですが、まあ、鬼みたいなものですね。」
「夜叉・・・夜叉って確か恐ろしい魔物・・・でしたよね?。」
「そうですそうです、その通りです。その恐ろしい魔物の夜叉です。」
「その夜叉がなぜ・・・。」
「ここにいるのか、ですか?。それはね、夜叉はお釈迦様に救われたからですよ。」
「救われた?、夜叉が?。」
「はいそうです。教えてあげましょう。」

「夜叉は、羅刹鬼と並んで魔物の代表です。どちらも死者を食らいます。死体を食べちゃうんですね。夜叉は、お釈迦様のお生まれになったインドでは、鬼神として恐れられてもいます。
その夜叉がなぜここにいて、なぜお釈迦様の元で働いているのかと言うと、それは先程もいいましたように、夜叉がお釈迦様に救われたからです。
大昔の話です。と言いましても、お釈迦様が覚りを開かれた後のことです。あるとき、夜叉の王が、規律を破って生きている人間を食べようとしたのです。」
「ちょっと、待ってください。夜叉は生きた人間を食べちゃいけないというルールがあったんですか?。」
「そうです、そうです・・・・あ、うん。そうなのですよ。夜叉にはね、死体は食べてもいいが、生きた人間は食べちゃいけない、というルールがあったんです。それを夜叉の王は破ろうとした。生きた人間に襲い掛かったのです。
そのとき、たまたまその場所をお釈迦様が通りかかったのです。で、神通力をもちいられまして、夜叉の王を止めたのですね。つまり、食べられそうになった人間を救ったのです。そして、夜叉王を諭したのです。」

そこで初江王は、姿勢を正して話し始めた。
「『夜叉王よ、規律を破ってはいけない。』」
なんと初江王は、お釈迦様のまねをしていたのだった。
「『いくら夜叉の王である汝と言えども規律を破れば地獄に落ちよう。夜叉族自体も地獄へ落ちることとなる。醜い夜叉よりもさらに苦しみの世界へ行くことになる。よいか夜叉王よ。与えられたもの以外を手にしてはならぬ。欲望にまみれ、欲望に執着して死した者の生まれ変わりが汝ら夜叉なのだ。それ以上欲望の罪を犯してはいけない。』
そうお釈迦様に説かれた夜叉の王は、
『あぁ、お釈迦様、私を止めてくださりありがとうございます。』」
今度は夜叉王のまねをしているのだろう。お釈迦様のときと声音を変えていた。初江王、一人芝居の状態になっていた。

「『私は、もう少しでとんでもない罪を犯すところでした。私の一時の欲望を満たそうすることで、夜叉族すべてを苦しみの世界へ落とし込んでしまうところでした。あぁ助かった、救われた。これよりは、我々夜叉はお釈迦様とお釈迦様の教えを信じるものを守護いたします。』
といって、それ以降、お釈迦様を守護することを約束したのですよ。それを喜んだお釈迦様は、夜叉を「死体を食べなくてもいい身体」に変化させたのです。ですから、それ以来、夜叉は死体を食べなくなったのですよ。もちろん、生きている者に襲い掛かることもありません。
あのような恐ろしげな姿をしていますが、実は全く怖くないのです。」
「死体を食べなくてもいい身体に変えてあげたのですか、お釈迦様は・・・。すごい・・・ですね。なるほど・・・。お釈迦様やその弟子、教えを信じるものを守護する代わりに、もうそれ以上罪を犯すことのないように改造されたのですね?。」
「そうですそうです、その通りです。」
初江王は、にこやかにそう言った。一人芝居に満足したのだろう、嬉しかったのだろう。それまで言わないようにしていた、あの口癖がぽろっと出てしまった。別に我慢しなくてもいいのに、と俺は思っているのだが、ご本人は妙に意識しているようだ。

初江王は、やや顔を赤らめ(そんなように見えた)、咳払いを一つしてから話し始めた。
「う、ううん。夜叉は、それ以来、鬼神ではなくなったのですよ。それを契機に毘沙門天の配下に属しています。ここでは、その中でも特に優れたものを選んで、働かせているのですよ。」
「そういうことだったのですか。」
「そうなんです。それに、夜叉が救われたきっかけが『規則を破る』ということだったので、それ以来、夜叉は規則には忠実になったのです。」
「あぁ、それで、ここでも余分なことはしゃべらないのですね?。」
「そうですそうです、その通りです。それにね、ここでは沈黙を重視するのですよ。」
「沈黙を重視する?。」
「余分なおしゃべりは必要ない、ということです。これはお釈迦様の教えでもあります。ふーむ、わかっていないようですねぇ。では、教えてあげましょうか。」
初江王は、実に嬉しそうな顔をしていた。どうやら初江王、説教が好きなようである。

確かに俺は意味がよくわからなかった。しかし、まあ大体察しはつく・・・ような気がする。座禅のようなことなのだろう。余分な話をしていないで、自己を見つめる、ということなのではないか。
そう思ったとたん、初江王が面白くなさそうな顔をしたのだった。
「まあ、そういうことなんですけどね。よくわかっているじゃないですか。」
しまった。ここでは、死者の思っていることがわかってしまうのだ。
「あなたの思っている通りですよ。沈黙は己を見つめなおすためです。座禅と同じですね。くだらないおしゃべりは無用です。おしゃべりをしている暇があったら、自己を見つめなさい、というお釈迦様の教えに則って、ここでは沈黙を重んじているのですよ。この中も外も、極めて静かなのは、そのためなのです。あなたも、あまりの静けさに、恐怖すら覚えたでしょう?。」
そうだ、思い出した。この中に入る前は、静けさの重さに苦しかったのだ。恐ろしいくらい静かだったのだ。音がないと言うことの恐怖を知ったのだ。聞こえるのは自己の心の声だけだった。
「その自分自身の心の声に耳を傾けることが大事なのですよ。それを教えるためにここでは余分な音はしないのです。」
「なるほど。よくわかりました。確かに、静かだと落ち着きますし、神経も研ぎ澄まされていきます。特にここの空気はそういう感じを与えてくれます。それに、ここに座れば、自分の裁判の順番を待っている間中、己の過去の罪を何度も見せられるのですから、いやでも反省しますよね。・・・・あぁ、でも、前の覗きの人のように、ウソをつくものもいましたが。」
「人は罪深いものですね。それをよく知るためにも、いろいろ工夫を凝らしているのですがね、我々も。それでも、ウソをつこうとする。哀れなものですよ。
よいですか聞新、ウソをついても無駄、ということを現世に伝えてくださいね。」
初江王は、神妙な顔をしてそういった。

「さて、もういいですか?。裁判を始めましょうか?。」
「あ、いや、もう一つお聞きしたいことが。」
「まだあるのですか?。・・・まあいいでしょう。なんですか?。」
先程はしゃべり足りないような素振りだったのに、今は説明するのが面倒なような口ぶりだった。沈黙の理由を説明できなかったことで、初江王は機嫌を損ねてしまったのか・・・。それでも構わず、俺は質問を続けた。
「いや、三途の川のことです。あの川は、死者の罪を量るだけではなく別の意味もある、と前に初江王はおっしゃいましたよね?。」
「ほう、よく覚えてますね。確かにいいましたよ。」
これでも生前は記者である。それぐらいは覚えている。それとも、イヤミなのだろうか。初江王の顔を見ると、ニヤニヤしていた。イヤミに違いなかった・・・・。
「その別の意味を教えていただきたいのです。」
「ほう、三途の川の別の意味ですか?。まあ、いいでしょう。今度は、察しはつかないのですか?。」
またもイヤミである。初江王って、ちょっと粘着質なのかもしれない。そういえば、お坊さん爺さんを妙にしつこく責めていたっけ・・・。おっと、こういう思いは、初江王には筒抜けなんだった。
「そうですね、多少粘着質・・・かも知れませんねぇ。」
口を片方吊り上げて、初江王は俺を見つめた。
「あ、いや、まあ、そのそれはそれとしまして。お気になさらずに・・・・。あの、で、三途の川のことですが。」
「三途の川ねぇ。あれはね、一種の結界なんですよ。本来は。」
「結界?ですか。」
「そうなんですよ。」
初江王は、ふてくされたように、そういったのだった。


「昔はね、三途の川は、あの位置にあったわけじゃないんですよ。死者は、もっと早くに川を渡っていたのです。」
初江王は、面倒そうにそういった。
「三途の川の位置ですか・・・・?。それがもっと、前のほうだったと・・・。」
「そうですそうです、その通りです。死者は、こっちの世界に来ると、すぐに川岸に出たんですよ。で、川をすぐに渡ったんです。その川が三途の川です。つまり、三途の川は、死者の世界と生者の世界を隔てる結界なんですよ。」
「あっ、なるほど。川のこちら側が死者の世界で、川を渡る前が生者の世界・・・ということなんですね。」
「そういうことですね。生と死を分け隔てる川が、三途の川なんですよ。本来はね。」
「しかし、今では死者はすぐには川を渡りませんが・・・。」
「そう、三途の川は、後ろのほうへ下がってしまったんです。昔はねぇ、人は死んだら三途の川を渡り、お花畑の道を歩いていくと、第一裁判所に出たんですけどねぇ・・・・。今では、順番が入れ替わってしまいました。」
「それはなぜですか?。」
「三途の川が、あまりにも有名になってしまったからですよ。」
「は?。」
いったいどういうことなのだろうか。三途の川が有名になってしまったことと、そのために三途の川の位置がずれてしまったことと、どういう関係があるのだろうか。
初江王は、遠くを見つめるように顔を上げてボソボソ語り始めた。

「あれは・・・、もうずいぶん昔のことです。といっても、お釈迦様が涅槃に入られてから、数百年後のこと・・・・だったですかねぇ。」
というと、紀元1世紀頃のことだ。
「ある僧侶が死を迎えたのですが、三途の川を渡る手前で気がついたのですよ。」
「何に気付いたのですか?。」
「この川を渡ったら、本当に死んでしまう・・・・、ということに、気付いたんです。」
「あ、なるほど。目の前にある川が、生と死を分ける結界だとわかったんですね。」
「そうですそうです、その通りです。その僧侶はこう考えた。
『自分は確かに死んだ。死んだからこそ、この真っ暗な世界にいるのだろう。しかし、目の前には川がある。この川の向こうは、たくさんの花がゆれている。明るい世界だ。こちらは暗闇、川を隔てた向こうはお花畑で明るい・・・・。おぉ、間違いなく川の向こうは死者の世界だ。ということは、まだ自分は生者の世界にいるのではないか。ひょっとしたら、この川を渡らなければ生き返ることができるのではないか』
とね。で、それを実行してみたんです。」
「川を渡らなかった・・・・。」
「川に向かって自分は立っていたので、振り返って走ればいい・・・そう思ったんです。で、実際にその僧侶は、振り返って思いっきり走ってみた。すると、目が覚めたんですね。周りを見てみると、弟子たちが泣いている。それでわかったんです。自分は生き返ったのだと・・・・。」
「あぁ、なるほど、そういうことですか。その話を、そのお坊さんは広めてしまったんですね。」
「そう。それ以来、人は亡くなると、川に出くわす、その川を渡らずに振り返って走れば生き返ることができる・・・という話が定着してしまったんです。こうなると、多くの者は死にたくはありませんから、川を渡らなくなってしまうんですね。」
「三途の川が有名になってしまった。」
「それどころか、三途の川の意味も人々に伝わってしまったんですね。」
「それで三途の川の位置をずらしたのですか。」
「そうなんですよ。死者がどんどん生き返ってしまう・・・・それは絶対に避けなければなりません。そうでないと大変なことになってしまいます。」
それは大変である。死んでも川を渡らなければ生き返ってしまう・・・ということがわかれば、誰もが川を渡らなくなる。そうなれば、この世は生き返りの死者が増えてしまうだろう。その生き返りは、いずれまた死を迎えるが、また川を渡ることを拒否すれば、肉体が腐っていない限り、生き返ることができるのだ。ということは、不死になってしまう。

「そう、肉体が腐ったり、滅んだりしていなければね。」
初江王は、俺のほうを見て、暗い表情でそう言った。
「でもね、肉体もいつかは腐るものなのですよ。あなたたち生き物の肉体は、単なる器ですから。魂を入れている器に過ぎないのですから、いずれは壊れたり、腐ったりするものなのです。その器が壊れてしまい、魂を受け入れることができなくなったらどうなりますか?。」
「魂の行き場が・・・なくなってしまいますよね。」
「そうですそうです、その通りです。魂はさ迷うことになる。三途の川を渡るのもイヤ、かといって生者の世界に魂の入る器は、もうない。どこにも行き場のない魂は・・・。」
「幽霊になるしかない・・・。」
「そういうことです。」
「それで、三途の川の位置を変えたのですね。」
「大工事でした。閻魔大王をはじめ、我々初期の死者によるこちらの世界の大工事を行ったんです。そのときに、死出の山の仕組みを作ったり、裁判所の数も増やしたりしたのですよ。」
そうか、そのときにあの死出の山はできたのだ。山おとこさんや山おんなさんは、元気だろうか。俺は、急にあの二人の声が聞きたくなってしまった。

「あの二人なら、相変わらず元気で、死者を迷わせていますよ。」
そうか相変わらず、死者を迷わせているんだ。俺は不謹慎かもしれないが、さ迷っている死者を想像し、微笑んでいた。
「そういえば、山おとこさんたちが、本来まだ死を迎えてはいけない者が、間違ってこちらに来てしまったとき、三途の川やお花畑を見せて、それを渡らぬように導く、と言ってましたが、それは今の話に基づいているんですね。」
「ほう、そんなことをいってましたか。うんうん、彼らもよく考えていますね。それでいいでしょう。世の中には、そのような伝説が残っていますからね・・・。まあ、そういうことで、三途の川は、本来死者の世界と生者の世界とを分け隔てる結界だったのですよ。」
「はい、わかりました。ありがとうございます。」
「では、釈聞新、あなたの裁判に入りましょうか。」
「あっと、その前にもう一つ・・・。質問というより確認したいのですが。」
「なんですか、まだあるのですか?。」
初江王は、ちょっと不服そうだった。
「あなた、もしかして裁判を受けるのが怖いのですか?。」
「いやいやそうじゃありません。裁判は、ちゃんと受けます。ただ、一つだけ確認したいことがあるんですよ。」
「なんですか、それは、早く言いなさい。」
「三途の川を渡って、我々死者は、どんな者でも丸裸にされてしまいますよね。で、あの木の葉っぱで隠すように言われます。これは、人間誰しもみな平等である、ということを教えている、と解釈していいのでしょうか。」
「えぇ、その通りですよ。人間は、結局のところみな平等なのです。それに気付かせるために裸にするのです。しかし、裁判所で丸裸というわけにもいきません。ましてやお釈迦様の前で、それは失礼でしょう。それで葉っぱを身につけるのです。ただし、葉っぱを身につけても、周りの者は下着を着ているように見えます。自分だけが葉っぱしか身につけていない、というように見えます。ご存知ですね。」
「はい、それは気付きました。自分は葉っぱしか身に着けていないのに、周りはいつの間にか下着を身に着けている。これは変だと思いました。自分だけが惨めだ、これは何かの罰かもしれない・・・と当初は思ったりもしました。しかし、よくよく考えてみれば、たった一人自分だけが葉っぱを身につける、なんてことはありえません。ですから、きっとこれは、自分で自分を見ると葉っぱしか身につけていないように見えるけど、他人から見たら、自分も下着姿なんだろうな、と気付いたのです。」
「まあ、多くの者は気付くようですけどね。もちろん、なかには気付かずに、自分だけなぜ葉っぱなのか・・・と尋ねる方もいますがね。それに、裁判所のこの静けさや、己の罪を見せられる・・・・ということで、自分の姿すら忘れてしまいますけどね。」
「そうですね。私も忘れていました。しかし、それじゃあ、みな平等だという教えも意味がないんじゃないですか。」
「いやいや、そうでもないんですよ。なぜなら、この先、ずっとその格好なんですから。嫌でも気付くでしょう。」
「えっ、これから先、ずっとこの姿なんですか?。」
「そうですそうです、その通りです。」
初江王は、嬉しそうにそう言ったのだった。
「じゃあ、家族の様子を見に行くときも・・・・?。」
「あぁ、そのときは、三途の川を渡る前の姿に戻ります。家族の元へ行くときは、三途の川を逆に渡っていくのですが、その間に前の姿に戻るんですよ。」
「な、なんですって?。また、あの川を渡るのですか?。私は船だったからよかったですけど、泳いできた人は、また泳ぐんですか?。」
「ほっほっほっほ・・・。そうじゃありませんよ。三途の川を泳ぐことはありません。空中を越えて渡るのです。ある場所から、飛び上がって、三途の川を越えていくのですよ。そして、そのまま生者の世界へ行けるのです。その時、三途の川を上空で越えると、自然に姿は元に戻っていますから、安心してください。」
「三途の川を飛び越えるのですか・・・。それは、空を飛ぶように?。」
「まあ、そんなもんですね。感覚的にはふわっとしたものだし、ほんの一瞬の出来事ではありますけどね。まあ、空を飛んでいるのでしょうねぇ・・・。」
俺は、早くそれを試したくなってきた。まさか、こっちの世界で空を飛べるような体験ができるとは・・・・。
「早く空が飛びたいのでしたら、早く裁判を終わったほうがいいですね。」
「はい、そうですね。では、お願いします。」
「ふむ。では、釈聞新、汝の裁判を始めよう。」
こうして、俺の2回目の裁判は始まったのだった。



「釈聞新、奪衣婆からの報告によると、この者罪軽し・・・か。ふむ。よかったですね。罪は軽いですよ。」
「はい・・・。しかし、先ほど自分が過去に犯した罪を見せられましたから、罪が軽いといっても・・・。まあ、悪いことの一つや二つはしてますよねぇ・・・。」
「そうですね。そんなに重い盗みの罪じゃないですが・・・。」
「はい。まあ、子供のころ駄菓子屋さんでチョコレートを一つ持ってきてしまったとか、そんなようなものですけどね。」
「それだけですか?。」
「はぁ、大人になってからも、ま、多少の盗み見は・・・しましたけど。まあ、男性ですから、チャンスがあれば覗いちゃいますよね。お恥ずかしいことですが・・・。」
俺は少々恥ずかしかった。しかし、健康な男性なら、胸元やスカートのすそに目が行ってしまうのは仕方がないだろう。見えそうな場面に出くわせば、ついつい目が行ってしまうのが男なのである。初江王は、俺の心を読んだのか、ニヤリと笑いながら
「そうですね。ま、そういうことはよくあることでしょう。先ほどの方のように、道具を用いて覗いたわけじゃないですからね。見えてしまった・・・のでしょ?。」
と助けてくれた。
「はい、まあ、そういっていただければ・・・。」
「子供のころ、ついつい親に黙ってお菓子を持ってきてしまった・・・。こういう経験がある方は結構いるものです。確かに、それは盗みの罪です。しかし、その行為を悪いことと認識し、それ以後、繰り返し行わなければ、ここでとやかくはいいません。ただ、つい盗んでしまったことを反省せず、繰り返し行うようになれば、これは犯罪です。もちろん、この場でも追求されます。覗いてしまった・・・というのも、あえて自分から覗こうとしたり、道具を使い継続的に行えば、これは追及されることになります。つい見えてしまった、ちょっと見てしまった・・・というのは、厳しく追求はしませんよ。
それにしても、あなた雑誌記者をやっていたわりに、覗き見や盗み聞きの罪がほとんどありませんね。珍しいですね。雑誌記者は、盗み見したり盗み聞きしたりするものなのではないですか?。あなた、しっかり仕事をしていなかったのではないですか?。」
初江王は、意外なことを聞いてきた。そうなのだ。俺は雑誌記者ではあったが、写真を盗み撮りしたり、盗聴したり、ということはしてこなかった。

「はい、たまたま私のいた部署が、そういうゴシップ系の部署ではなかったんですよ。私が担当していた記事は、流行りものに関することでしたので。」
「流行りもの・・・ですか。」
「はい。そうですねぇ・・・、たとえば、最新の携帯電話とか、パソコンだとか、電化製品だとか、ともかく巷で流行っているものを取材していたのですよ。ほかにも、占いが流行ればその占いを取材しましたし、あぁ、もちろん風俗で流行りものがあれば、そういうものも取材しました。そういえば、陰陽師が流行ったときはその取材もしましたね。最近では、いい加減な女占い師が流行っていましたので、その取材をしていました。あ、でも・・・。」
「なんですか?。」
「その女占い師の取材は、いわば暴露記事ですが・・・。それは罪にはならないのでしょうか?。」
「秘密を暴いたのですか?。」
「はい、その女占い師の裏側というか、影で悪いことをしていたのでそれを暴いたんですよ。それは、その女占い師の私生活を覗いた、裏側を盗み見た、ということにはならないのですか?。」
「その女占い師は、どうやら大変な悪者のようですね。」
「はい。とんでもないヤツです。自分の占いを信じない者や批判する者には、『地獄に落ちる』といって脅迫したりしていました。しかも、裏側では、インチキな印鑑を売りつけたり、変な石を売りつけたり、仏像を売りつけたりしていました。不幸な目にあった人は、結構います。それで、その裏側を暴いて記事にしたのです。これってやはり罪なのでしょうか?。」
初江王は、俺の質問には答えず、その女占い師について話をし始めた。
「その女占い師の行状については、よく知っていますよ。こちらでも有名です。」
「そうなんですか?。そうすると、まさか、本当にあの女の言うことを聞かないと地獄に落ちたりするのですか?。」
「ほっほっほ。まさか。とんでもない出鱈目ですよ。こちらで有名なのは、その女占い師が仏教のことも、霊の世界のことも、何にも知らないのに、さも知っているような顔をして民衆を脅している、という行為をしているからですよ。閻魔大王も怒ってます。ですから、あなたが暴露記事を書いたことは、むしろ善いことですね。善行です。罪にはなりません。」
「あぁ、そうなんですか。よかった・・・。じゃあ、私の取材は役に立ったのですね。」
「そうですね。あの女占い師の真実の姿を世に出した、とうことはいいことですね。」
「じゃあ、逆にあの占い師を持て囃して、TVに出している連中は、罪になるのですか?。」
「それはもちろんなるでしょう。あんな者をさも正しいこという者のようにして、世間に広めている人々は、悪の片棒を担いでいる者ですよ。共犯者ですね。」
「なるほど・・・。それによって、苦しむ人が増えるのですから、当然共犯者ですよね。」
「そうですそうです、その通り・・・、あの者は、まあ、仏教を利用して、己の懐を肥やしている罪の重いものですよ。当然、罰が下ります。この者の罪は重いですよ〜。地獄へ行くのは本人でしょうねぇ・・・。」
初江王は、険しい顔をしてそういった。

「まあ、それはいいでしょう。いずれわかることだし。それよりも、釈聞新、あなたです。」
話が俺の裁判に戻った。
「あなたは、罪が軽い。しかも、よく反省している。よって、先に行きなさい。これで裁判を終わりましょう。何か質問は?。」
「いや、特にありませんが・・・・。」
俺の裁判はあっさり終わってしまった。罪が軽いのだから、前例を見れば当然といえば当然である。
「そうですね。責める材料もないですし。さぁて、ここを出たら現世へ戻れるようになります。すぐに戻りますか?。」
おかしなことを聞く初江王である。現世に戻れるなら、すぐにでも戻りたい、そう思うのが人情であろう。だから、俺はそう返事をした。
「はい、すぐに戻るつもりです。」
「そうですか・・・。まあ、そうでしょうね。ちょっと、残念でもあるのですが・・・。」
なんだろう、この言い回しは・・・。初江王は、何を言いたいのだろうか。俺は、ちょっと腹が立ったが、あえて聞かなかった。やはりすぐにでも現世に戻りたいのだ。残してきた妻や子供の様子を見たいのだ。
「まあねぇ、そう思いますよね、誰しも。」
初江王は、俺の思っていることを読んだようだ。
「どういうことなんですか?。」
「いやなにね、あなたの次に裁判を受けるものは、まあこの者はパスしてもいいのですが、その次の中年女性、この者の裁判は傍聴してもいいかな、と思いましてね。聞いておいたほうがいいんだけど、残念だなぁ、現世に戻っちゃうのか・・・。」
初江王、ちょっと意地悪である。
「ちょっと待ってください。自分の後の裁判を傍聴できるのですか?。そんなこと聞いてませんでしたよ。」
「もちろん、一般の死者はできませんよ。しかし、あなたは特別です。さて、どうします。傍聴しますか、それとも現世に行きますか?。」
俺は考え込んだ。初江王が聞いておくといい、というのだから、きっとためになる内容なのだろう。しかし・・・。現世も気になる。う〜ん、困った。どちらをとるべきか・・・。

ふと思いついたことがあった。それを初江王に尋ねてみることにした。
「こういうのはダメですかねぇ。」
「どういうのです?。」
「私の次の人は、まあ、聞いても参考にはならないんですよね。」
「はい、そうですね。」
「じゃあ、その人が裁判を受けている間、現世に戻っている・・・というのはできませんか?。」
「なるほどねぇ・・・。そりゃあ、無理でしょう。」
あっさり否定されてしまった。
「なぜならね、次の人の裁判、きっとすぐに終わります。だから、あなたが現世に戻ったら、次の次の人の裁判までに戻ってこられないですよ。」
「現世に戻ることができるのは、確か一回こっきりじゃあないですよね。裁判と裁判の間は、現世に戻れるんですよね。」
「はい、そうですよ。時間的猶予は、現世の日数で7日間あります。まあ、戻らなきゃいけない時間が近づいてきたら、自然にわかりますけどね。こっちに戻らなきゃいけないってことが。」
「ということは、次の次の人の裁判を傍聴してからも、少しの間なら現世に帰ることができますよね。」
「まあ、おそらくは・・・。」
「ならば、次の次の人の裁判を傍聴させてください。」
「それはいいことでしょう。その言葉を待っていました。しかし、次の人の裁判はどうします。」
「あぁ、そうですね・・・。う〜ん・・・、次の人の裁判は、聞く必要はないんですよね・・・・。じゃあ、こういうのはどうでしょうか。とりあえず、この裁判所を出て、裁判所の周りとか、そう、そう、現世に戻ることができる場所とか、そういったところを取材してますから、次の次の人の裁判が始まったら、呼んでもらえないですか?。そういうのはダメですか。」
「ほっほっほ。そうきましたか。いいでしょう。では、夜叉を一人つけましょう。案内役もできますし、こちらから連絡を取ることもできますから。それがいいですね。うん、そうしましょう。」
ちょっと待て。夜叉をつけるって?。夜叉って、あの恐ろしい姿をした夜叉だろ?・・・。俺は周りにいる夜叉を見回した。
「いえいえ、いけませんね〜。」
初江王は、考え直したのだろうか。この言葉を聞いて、俺はほっとした。ところが、
「私が勝手に決めるわけにはいきませんね。お釈迦様の許可を得ないと・・・。」
初江王はそういうと、後ろにいらっしゃるお釈迦様のほうを振り返った。お釈迦様は、静かに首を縦に振った。
「お釈迦様もお許しのようですから、じゃあ、夜叉を一人つけましょう。」
初江王は、俺の気持ちなど無視して、さっさと夜叉を一人呼び寄せていた。しかし、とんでもない、あんな恐ろしい顔をした夜叉となんて一緒に歩きたくない。だから、
「ちょ、ちょっと待ってください。いや、いいですよ、そんな夜叉さんを案内につけるなんて。とんでもないですよ。」
と訴えたが、初江王はニヤニヤしながら
「いえいえ、大丈夫ですよ。頼りになりますから。」
と言うと、奥のほうからやってきた夜叉に何かボソボソと話していた。その夜叉の顔は、周りにいたどの夜叉よりも、悪そうな顔をしていた。俺は、その夜叉を見て、死人にもかかわらず、血の気が引いてしまったのだった・・・・。


つづく


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