バックナンバー(十)    第五十四話〜第五十八話

「さて、釈聞新、次の次の方の裁判が始まるまで、外へ出ることを許可します。そして、またここへ戻ってくることも許可します。さぁ、この夜叉を連れて出なさい。」
初江王は、そういうと、隣にいた夜叉に俺を迎えに行くよう、促した。俺は、恐ろしかったが、何も抵抗できないので、仕方がなく立ち上がった。そんな俺の前に、夜叉は近づいてきて、俺に合掌して頭を下げたのだった。
「よろしくお願いいたします。何でもご質問ください。お答えできることは、お答えいたします。」
意外に言葉は丁寧だった。しかし、声は太く低かった。こんな声で凄まれたら、さぞ恐ろしいだろう、という声だ。俺は一瞬ビビッたが、体裁を繕い、
「あ、あぁ、こちらこそ、よろしくお願いしますよ。いろいろ教えてください。」
と、頭を下げたのだった。
「さて、挨拶も終わったし、聞新、行くがいいでしょう。また、あとで戻ってきなさい。」
初江王は、そういうと、続けて、
「次のもの、前へ来なさい。」
と言った。その声を背に聞き、俺は夜叉に案内され、出口へと向かったのだった。

外に出ると、そこは裁判所の裏手に当たるのだろうか、一面のお花畑だった。俺は思わず感嘆の声を上げた。
「お花畑だ。これは・・・・きれいですねぇ。いやぁ、すごい、見渡す限り、お花畑ですね。」
そうなのだ。見渡す限り、花が咲いていたのだ。色とりどりの、可憐な美しい花が咲いていた。その花は見たことがない花だった。もちろん、単に花に関する知識がなかっただけかもしれないが、それにしても、美しい花だった。
「いや〜、美しい。それにいい香りだ。夜叉さん、この花は何という花なんですか?。」
俺は夜叉に聞いてみた。夜叉さん、と呼びかけてみたが、彼は怒ってはいないだろうか・・・。
「この花は、辻が花です。現世には無い花です。」
夜叉は、俺の不安をよそに、ただ淡々とそう答えた。その話し方は、なんとなくだが、ロボットのような感じがした。つまり、感情が感じられなかったのだ。
しかし、下手にそのあたりの事は突っ込まないほうがいいな、と俺の記者魂は警告していた。否、そんな大それたものではない。ただ単に、怖かっただけである。
「辻が花・・・というのですか・・・。いや、待てよ、辻が花って、確か着物の柄にあったような気がしますが。」
「そのようですね。日本の着物の柄に、辻が花染め、などというものがあるようですね。それは、おそらく、ここの辻が花ではなく、天界の辻が花でしょう。それを見た高僧がいらしたのでしょう。」
「天界にも辻が花ってあるんですか。ここのとは違うのですか?。」
「ほぼ同じです。ただ、ここのはなんとなくですが、淋しげです。はかない感じがします。」
この答えに俺は驚いた。夜叉といえども、淋しいという感情はあるのだ。しかし、こうした答えを、この夜叉は無感情に言葉にしている。あいかわらず、淡々と答えているのだ。表情を見ても、淋しそうな感情は読み取れなかった。
俺と夜叉は、並んで辻が花のお花畑の中にある一本道を、黙りこくって歩いていた。少し先に、強欲爺さんの背中が見える。

「感情を出さないように修行してます。」
突然に夜叉がそういった。横を見ると、夜叉はややうつむき加減だった。
「我々は、お釈迦様より、感情的にならぬように、と言われているのです。それが、我々夜叉族の修行なのだと・・・・。」
俺は、言葉に詰まった。どう受け答えていいのか・・・・。そんな俺の気持ちを察してか、夜叉は、一人話し続けた。
「我々夜叉は、いわゆる鬼の一族です。本来は羅刹同様、人間の屍骸を食って生きています。たまに、まだ生命のある者も食らったりします。それをお釈迦様に注意されたのです・・・・。」
背筋に冷たいものが走った・・・・様な気がした。俺は死者なので、肉体は無いのだが・・・。
「いやいや、安心してください。もちろん、今ではそんなことはしません。ここにいれば、食を取らなくても生きていけます。我々は食事をする必要は無いのです。」
「そう・・・なのですか?。そういえば、今まで疑問にも何にも思わなかったのですが、初江王たちのような裁判官さんや、あなたたち、牛頭・馬頭のようなここで働いている方、それから船頭さん・・・・、こうした方たちは、どういう存在なのでしょうか?。肉体は無いのですよね?。」
「もちろん、肉体はありません。一見、裁判官様は、生きている人間のように見えますが、それはそう見えるだけで、肉体は無いのです。牛頭や馬頭にしても同じです。肉体はありません。魂のみの存在です。しかし、肉体があるように見えているのです。」
「じゃあ、夜叉さんも?。」
「そうです。あなたもね。ここでは、誰も肉体を持っていません。仮の姿を見せているだけです。ですから、食事の心配もないし、排便の心配も無い。暑さや寒さもないのです。あるのは・・・。」
「あるのは?。」
「心だけです。」
「心だけ・・・・ですか。」
「そうです、心だけです。あなたたちの世界では、魂(たましい)、といいますね。」
「魂・・・・心・・・・。そんな存在なんですね。私たちは。」
「そうです。心だけの存在なのです、今は。あなたたちは、それでも感情を出す。どんな死者も、裁判では泣いたり、怒ったり、ふてくされたり、ゴマをすったり、だまそうとしたり、様々な感情を顕わにします。」
「まあ、確かに・・・・。裁判は怖いですし、地獄へ行け、などといわれると嫌ですからね。恐怖のあまり泣くものもいるでしょうし、逆ギレするものもいるでしょう。うまく誤魔化そうとするものもいるでしょう。無駄なんですけどね、そんなことをしても。」
「そう・・・無駄です。私たちは、数多くの人間の無駄な感情を見てきました。人間の愚かさを見てきました。己の罪を棚に上げ、感情をむき出しにする、その愚かさを知りました。すべては、自分を優位にしようとする欲が元である、ということも知りました。お釈迦様のもとで、そういうことを学んだのです。」
「なるほど・・・。」
何がいいたいのだろう。俺は夜叉が言っていることの意味がわからなかった。
「ですから・・・。」
夜叉は俺のほうへ顔を向けた。俺も夜叉の顔を真正面から見た。こんなに近くで、まともに夜叉の顔を見たのは初めてだった。その顔は、一見恐ろしそうであはあったが、どこか優しさがあった。
「ですから・・・。何も恐れなくても大丈夫です。あなたが私にどのような悪態をつこうが、悪く言おうが、あなたを食ってしまうようなことはありません。私たちは修行者ですから。」
「あっ・・・。」
俺は恥ずかしくなった。つまり、夜叉は俺が怖がっているのを、そんな心配は無い、と説いてくれたのだ。安心させてくれたのだ。俺はとんだ誤解をしていたのである。見た目の恐ろしさから、機嫌を損ねたら取って食われるのではないか、恐ろしい目に遭わされるのではないか、と思い込んでいたのだ。
「あっ、いや、これは申し訳ないことでした・・・・。すみません。気を遣わせてしまいました。申し訳ない・・・。」
「いや、いいのですよ。あなたの不安は、当然のことでしょうから。こんな恐ろしい姿ですからね。お釈迦様に出会うまでは、我らの一族は魔物として恐れられていたのも事実ですし。それに・・・・。」
「それに?。」
「はぁ、それに・・・たまにですが・・・・。たまに、何というか、暴走するものもいますから。」
「はぁ?。暴走・・・ですか?。」
「そう、暴走ですね。その・・・感情が爆発して、ね。」
俺はまたまた背筋が寒くなった。その暴走とは・・・・。俺は恐ろしいことを想像してしまった。
「あぁ、いや、まあ、そんなことは滅多にありませんから。ご安心ください。あっ、ほら、あそこの高台、あそこから、生前住んでいたところに戻ることができるのです。」

夜叉が指を指した方向は、小高い丘のようになっていた。周りはもちろんお花畑である。お花畑の道は、上り道になっていたのだ。
その小高い丘の上は、丸い広場状になっていた。そこには、牛頭の姿が、一人見えていた。
「あそこで牛頭さんのチェックを受けるのです。そして、現世の様子を見に行くかどうか、決めるのです。見に行くことが決まれば、あの丸くなったところから打ち上げられるのですよ。」
牛頭は、ちょうどあの覗き見教師と話をしているようだった。もちろん、何を話しているのかは、遠くて聞こえなかった。
「牛頭と覗き見教師、何か話をしているようですが・・・、ちょっと遠くて、何を話しているかわかりませんねぇ・・・。もう少し近づけないかな。」
「それは無理ですね。順番を抜くことはできませんから。特別に許可を頂かないと。事前に順番を自由にできる、という許可をもらっておけばよかったですね。」
「そうだったんですか。それは惜しいことをしたな。くっそ〜、ここから駆け上がって、強欲爺さんを追い抜く、ということはできないんですね。う〜ん、何を話しているのか、聞きたいなぁ・・・。」
「よろしいです。私が聞かせてあげましょう。」
「えっ?。そんなことができるんですか?。」
「はい、私には聞こえますから、彼らの話が。」
そういうと夜叉は、頭の上のほうに生えている大きな耳に手をあてがった。そして、片方の耳を丘の上のほうへ向け、もう片方の耳を俺のほうへと向けたのだった。
「片方の耳で、遠くの声を聞きます。そして、もう片方の耳で、あなたに聞こえるように増幅します。よく聴いていてください。」
すると、声が聞こえてきたのである・・・。

「まったく、どうするんでぇ。さっさと決めやがれ。さぁ、行くのか行かねぇのか。さぁさぁさぁ・・・。」
それは牛頭の声だった。例の覗き見教師は
「う〜ん、どうしましょうか・・・。迷うなぁ・・・。見に行きたいけど、怖いし・・・・。う〜ん、どうしましょう。」
と、泣き声を出していた。
「まったく、優柔不断だな。あんた、初江王様から、必ず現世を見に行くようにって、言われてるんだろ。じゃあ、行けよ。行きゃあいいんだよ、素直にな。さぁ、さっさと行け。」
牛頭にそういわれても、なお覗き見教師はうろうろしていた。なんともはや、はっきりしない男である。まあ、迷うのは理解できないでもないが、いつまでも迷っているわけにも行かないだろう。あとが詰まってきてしまう。
「なんて優柔不断な男なんでしょうね。はっきりすればいいのに。あとがつかえてしまうでしょう、あれじゃあ。」
俺は、ついついそういってしまった。
「そうですねぇ。次の方が追いつきますね。あれではね。どうしたものでしょうか。」
夜叉は、優しくそう言った。
「あれって、その強制的に現世に返したりはできないんですか?。無理やり、あの丸いところへ引きずり込むとか・・・。」
「さぁ・・・どうなんでしょうか。上からの命令があれば、そうするのでしょうが・・・。あぁ、どうやら強制的に現世に向かわせるようですね。」

「まったく優柔不断なやつだ。こうなったら力ずくでぇ。こっちへきやがれ。」
そういうと、牛頭は、覗き見教師を引っ張り出した。
「いいか、こちとらぁ〜初江王様からの命令も出てるんだ。お前を必ず現世に送るように、とな。文句言うんじゃねぇぞ。さぁ、そこに立て。」
牛頭に引きずられ、丸い広場の真ん中に覗き見教師は、押し出された。と、その瞬間・・・。
覗き見教師の身体が光だし、一瞬のうちに上空へとあがった。
と思ったら、その姿はもう見えなくなっていた。覗き見教師の姿は、跡形もなく消えていたのであった。
「まったく、世話焼かせやがってよ。はぁ〜。」
残っていたのは、牛頭のため息だけであった。

「やっと現世に飛んでいきましたねぇ・・・。」
相変わらずの感情のこもっていないようなしゃべり方で夜叉が言った。
「まあ、彼の犯した罪を思えば、現世に帰るというのは、つらいでしょうね。」
「人間は、愚かしいですね。」
夜叉といえども、長年お釈迦様の元にいただけのことはあるのだ。我々よりも覚っている。姿に似合わずたいしたものだ、と俺は思っていた。そんな俺の気持ちを察してか、
「夜叉でも、まだまだ覚りに遠い者もいます。自分で言うのは何ですが、私は上位のほうです。私よりももっと覚りに近い夜叉もいます。夜叉もいろいろですよ。人間ほど愚かではないですが・・・。」
というと、夜叉はニヤッとした、ように見えた。否、実際、ニヤッと笑ったようだった。なぜなら、そのあと、
「私にも感情はありますからね。」
とボソッと言ったのだ。いつの間にか、俺は夜叉に親近感が沸いてきていた。

と突然、夜叉が
「はい、わかりました。」
と答えた。何事だろうと思っていると、
「初江王が、そろそろ戻るようにとおっしゃってます。」
と俺に教えてくれた。
「そうですか。じゃあ、急いで戻りましょう。」
そういって、丘を走り下りようとした俺の肩を夜叉がつかんだ。
「待ってください。私が聞新さんについて来たのは、ただ案内をするためだけではありません。私たちは神通力が使えます。」
「えっ、どういうこと?、なのかな?。」
キョトンとしている俺の肩をつかんだまま、夜叉は、
「私に掴まって下さい。離さないでくださいね。」
というと、肩から手を離し、俺の手を取って、自分の腕に掴まるように言った。俺は、言われたとおりに彼の腕にしっかり掴まった。
「ハァ〜!。」
と夜叉は叫んだ。と、その瞬間・・・・。

そこは初江王のまん前だった。
「おや、戻ってきましたね。ちょうどいいところです。これから、あなたに傍聴して欲しいと思っていた女性の裁判が始まります。」
俺は、まだ状況が把握できていなくて、キョロキョロしていた。
「あれあれ、大丈夫ですか?。ここは裁判所ですよ。あなたは丘の中腹から、夜叉の神通力でここまで・・・え〜っと、ワープしてきたのです。昔の言葉で言えば、『天足通(てんそくつう)』ですね。わかりすか?。」
初江王は、立ち上がって心配そうに、ボ〜っとしていた俺の顔を覗き込んだ。
「あ、あ、あ〜、はいはい。だ、大丈夫です。」
「うむ。大丈夫なら、そこの裏に引っ込んでいてください。」
初江王は、自分の左手の方を指差した。
「ここで堂々と座っているわけにはいかないですからね。その裏は、死者のほうからは単なる壁にしか見えませんが、あなたのほうからは、死者の姿・表情がすべて見えます。もちろん、声も聞こえます。マジックミラーと同じようなものですな。ほっほっほ。」
俺は、一緒にいた案内役の夜叉に背を押され、初江王が指差したところの裏手に引っ込んだ。引っ込む途中、夜叉が小声で俺に謝った。
「びっくりしたでしょう。すみませんでした。先に言っておけばよかったですね。」
「あ、いや、ちょっとびっくりしましたが・・・。もう、大丈夫です。いや、しかし、え〜っと天足通でしたっけ。便利ですねぇ。俺もその力、欲しいなぁ・・・。」
そういって、俺はニヤッとした。
「あはは。まあ、なかなか身につかないですよ、この力は。年数がかかります。さぁ、ここで座って聞いていてください。」
そういわれて、俺は丸い椅子に腰掛けた。そこへ初江王の声が響いてきた。

「釈妙艶信女、前へ出なさい。」
すかさず別の夜叉が
「正面に座れ。」
と低い静かな声で言った。また別の夜叉が
「そこの者、一つずれろ。・・・・次の者、入れ。」
いつもの裁判が始まった。夜叉に促され、中年女性が初江王の前に座った。その女性は、30歳代後半だろうか。美人で、なかなかスタイルのいい、妙に色っぽい、いわゆるそそる女性だった。
「さて、釈妙艶信女、汝は奪衣婆からの報告によると・・・、う〜ん、罪重し、か。お前、何をやったのじゃ?。」
「いやですわぁ〜、裁判官様ぁ〜、あたしは何もしてませんよぉ〜。」
その女はシナを作って、上目遣いで、甘ったるい声を出した。その声は、若い女性が彼氏に甘えるような、そんな声だった。甘く、やさしく、どことなくワイセツさがあり、男をとりこにする声だ。
「はぁ〜、あのね、みなそうやってうそを言うんですよ。正直に自分の犯した罪を告白したほうがいいのですよ。」
「いいえ、あたしは、何にも悪いことなどしてません。そんな怖い顔で睨まないでぇ〜、お願いしますぅ。」
「いくら甘い声を出しても、私には通用しません。人間とは違うのですから。あのね、あなた、後ろで座っている間、自分がどれほどひどいことをしたか、何度も見てたでしょ?。何度も盗みを働きましたね?。」
「盗みなんてしてませ〜ん。ひどいわ、そんなことを言うなんて。あたしは、悪いことなんてしてないですもん。あたしは、あたしのしたいようにしただけですから。それって、罪なんですかぁ?。」
「どうやら、あなたには、あなたのしたことが罪である、という認識が無いようですな。わかりました。では、私の口から、あなたの犯した罪を述べましょう。」
初江王は、そういうと、チラッとその中年女性の方を見た。その瞬間、女性は、初江王に微笑みかけた。絶妙のタイミングである。その微笑みは、なんともいえず色っぽかった。現世の男性なら、あんな微笑をかけられたら、それだけでイチコロだ。俺も思わず、椅子から落ちそうになった。この女、魔性の女のようである。

「妙艶・・・。ここでは、盗みの罪について問います。汝は、盗みを働きましたね?。」
「いいえ〜、盗みなんてしてません。」
「そうですか。でも、妻子ある男性を誘惑し、その妻からその男性を寝取ったのではありませんか?。これも盗みの罪ですよ。」
「えっ?、そんな〜、それはひ〜ど〜い〜。あたし寝取ってなんかいません。誘惑なんてしてません。向こうから誘ってきたんですぅ。」
「どちらから誘ってこようが、すでに他人のものになっている男性を取ったことには変わりは無かろう。汝のせいで、どれだけの夫婦が仲違いしたことか。汝は、妻から夫を奪う、常習者なのだ。それは盗むということと同じなんですよ。」
「ふん、そんなのちょっとした不倫でしょ。遊びよ、遊び。本気になって家庭を壊した男が悪いんでしょ。あたしは、あんな女たちから男を奪うつもりなんか無かったわよ。ちょっと遊びのつもりで誘っただけなのに。まさか、家庭を捨てるなんて。そんなの、こっちも迷惑なのよ。」
ついに、その女は本性を表し始めた。
「すべて他人のせいですか?。罪深いですねぇ・・・。妙艶、あなたが男性を誘惑しなければ、その男性たちは、家庭を壊すようなことは無かったでしょう。あなたは、妻から夫を盗み、平和な家庭からその平和を盗んだのですよ。」
「そんなの知らないです。勝手に男どもがやったことよ。あたしは関係ないわ。」
そういうと、その色気女(こう呼ぶことにする)、プイっと横を向いてしまった。
「それだけではないぞ。妙艶、あなた自身、夫がある身ではないか。」
ほう、この色気女、結婚していたのか。なんともはや・・・。
「夫の仕事が忙しいことをいいことに、夫の目を盗んで遊び歩いていた。そうだな。」
「だってぇ〜。暇なんですもん。」
「ひま?!。暇ならば、他人の夫を盗んでいいのですか?。あなたは、夫の眼を盗み、時間を盗み、他人の夫を盗み、家庭の平和を盗んだのですよ。しかも、あなたの誘惑に引っ掛かった男性に、妻の目を盗むようにさせ、時間を盗まさせた。この罪は重いです。」
初江王の声が力強く響いた。その迫力に色気女は眼をむいた。そして、俯いていった・・・。
「どうだな、妙艶。己が罪を認めるか。それともここで地獄へ落ちるか。どうするね。」
初江王の問いに、色気女は、うつむいたまま黙りこくっていた。

しばらくして、小さな声が聞こえてきた。
「そんな、あたしは遊んだだけなのに。不倫が盗みの罪になるなんて・・・。不倫なんて普通じゃん。誰でも結構やってるじゃん。男だって悪いし。あたしだけなんで地獄なの。あたしだけ、何で責められるの、地獄?。ふっ、なんで地獄?・・・。」
ボソボソ、ボソボソ・・・下を向いたまま、色気女は呟いていた。と、突然、顔をあげると、
「なんでよ〜!、なんであたしだけが地獄なのよ!、あたしが何をやったって言うのよ!。ぬ〜す〜み〜?、なにそれ。不倫のどこが盗みなのよ〜!」
と叫びだした。と同時に、いきなり立ち上がって初江王に掴みかかろうとした。

夜叉が両方から飛び出した。がっちり色気女の腕を両方からつかんだ。夜叉につかまれ、色気女は、両足をばたつかせ、暴れだした。
「あたしが何をしたっていうのよ〜!。離せ、離せ、気持ち悪い、お前ら離せ!。」
もう〜いやだ、離せ!、などと叫びながら、色気女は夜叉にぶら下げられたまま、足をばたつかせていた。。
ふと、初江王が、右手のひらを暴れている女の方へ向けた。何かゴニョゴニョいっている。すると・・・。
女は、途端に静かになった。力が抜けたように、ダラリと、夜叉にぶら下がった状態になった。
「ちょっと落ち着きなさい。はぁ〜、やれやれですな。逆ギレするとは。あなた、外見はきれいなのに、心は汚いですねぇ。なんで、こんな心の汚い女性に騙されるのか。現世の男性も愚か者が多いですなぁ・・・。」
そういうと、初江王は俺の方を振り返って苦笑いをしていた。
「ま、それはいいのですが・・・。妙艶、落ち着きましたか?。」
そう言われて色気女は、座りなおし、姿勢を正して
「は、はい、ごめんなさい。取り乱しました。もう、大丈夫です。」
と小声で言った。そうやって、殊勝にしている姿を見ていると、それはそれでまたそそられるものがある。こうしてみると、こんなに美人というか、色っぽく生まれてしまったのがいけないようにも思う。この女性もかわいそうなのかも、一種の犠牲者(?)なのかも、と俺は思った。(きっと、この女に旦那を寝取られた妻たちが聞いたら、怒るだろうな。俺はボコボコにされるかもしれない・・・。)
確か、美しいことも罪なのね・・・なんていうセリフがあったよなぁ〜、などと言うくだらない思いを初江王の声が打ち砕いた。
「よいか、妙艶。もう一度言う。不倫は、罪なのだ。本来は、次の裁判で取り扱う事項なのだが、不倫の中にはここで問うべき盗みの罪も含まれている。だから、その部分をここでは問うているのだ。」

ほう・・、不倫は本来、次の裁判で問われるのか。そういえば、裁判ごとに問われる罪の内容が決まっているようだ。第一裁判所は、生き物を殺したかどうか、殺生の罪について問われた。ここ第二裁判所は、盗みの罪だ。で、次の・・・きっと第三裁判所というのだろう・・・裁判所では不倫?について問われるという。あの覗き見教師の裁判でも、他の裁判を受けて盗みだけでない、他の罪を知れ、と言われていた。やはり、裁判ごとにテーマがあるのだ。

「どうだね、妙艶。理解できたかな。盗みの罪を認めるか?。」
そう問われた色気女は、しおれて
「はい・・・。認めます。確かに、よその妻たちから夫を盗みました。それも何人も・・・・。あたしはあたしで、夫の眼を盗んで、時間を盗んで、不倫に走りました・・・。それは間違いありません。でも、悪いのはあたしだけじゃない。あたしの夫だって・・・。あたしを放っておいて、仕事ばっかり。・・・・つまらなかったんです。面白くなかったんです。だから・・・。」
「だから、他人の家庭も同じようにしたかった、のかな?。」
色気女は、こくんと、かわいくうなずいた。この女、大丈夫か?。ちょっと、行っちゃってないか?。俺はそう思った。どうも、この女性、アブナイ・・・。
「うん・・・あ、はい。あたしと同じようにしたかった。幸せな家庭を見ると、壊したくなったんです。だから、よその夫を盗んでやったの。自分の夫が盗まれたと知ったときの妻たちの驚いた顔・・・。楽しかったわ〜。それを見るのがあたしの生きがいだったの。でも・・・。」
「でも?。」
「あたし、罰が当たっちゃった。そうですよね。こんなに若くてきれいなのに、もう死んじゃったんだもの。もっと生きて楽しみたかった。なのに・・・。」
「妙艶よ、お前は、よその夫を盗んで、本当に楽しかったのか?。本当に満たされたのか?。」
初江王の問いに、キョトンとしながら、その色気女は、首をかしげたのであった。
「本当に満たされていた・・・・のかなぁ・・・。」
と・・・。

「う〜ん、よくわからない・・・。満足していたような、いないような・・・・。」
「満足していたのなら、次々と男性を替えることは無かったのではないかな?。」
「そうですねぇ・・・・。そういえるかもしれないです。でも、楽しかったことは楽しかったし・・・。やっぱりよくわからない。」
そういうと、彼女は淋しそうに初江王を見上げて微笑んだ。初江王は、
「はぁ〜・・・。」
と、大きくため息をつき、何か言おうとして、やめた。沈黙が流れた。
つと、初江王が話し始めた。
「まあ、よいわ・・・。でも、これだけは言っておこう。汝が求めていたものは他にあるのではないかな。それを次の裁判までに考えておくといい。」
「求めていたもの?。他に・・・ですか?。」
「そうだ。他に、だ・・・。ここを出ると、現世に戻ることができる。現世に戻って、汝が関った男性の家庭を眺めてくるのもいいのではないかな?。」
「ここを出ると、現世に戻れる・・・。へぇ〜。そうなんだ・・・。でも、それは、幽霊みたいな感じなんですよね?。」
「もちろん、そうだ。肉体はないからのう・・・。それでも、汝が関ったところへはいけるし、人を見ることもできる。話も聞くことができる。」
「そうですか、じゃあ、戻ってみようかな・・・。」
「そうじゃな、それがいいだろう。それで、汝が求めていたものをよく考えよ。」
「あたしが求めていたもの・・・・。はい、わかりました。」
そう素直に色気女がいうと、初江王は、その色気女に次へ行くように指示した。そして、傍らにいた夜叉に小声で言った。
「次のものを呼ぶ前に聞新をここへ。」
と。

「どうだった、聞新よ。なぜ、私がここへ呼び戻したのか、わかったかね?。」
初江王は、俺にそう聞いた。
「はぁ、盗みの罪にもいろいろある、ということを教えたかった・・・・のではないでしょうか。」
「そう、その通り。盗みと言えども、いろいろある。モノを盗むことから、人を盗む、人の目を盗む、盗み聞きする、他の家庭の安楽を盗む、他の家族を盗む、隙を突いて時間を盗む・・・・。殺生もいわば、盗みだ。人の命を盗むことと同じだからな。そういう意味では、罪というのは、一概には裁けない。一つの罪で、一括りにできるものではないのだ。」
「はい、わかります。殺生の罪であっても、人の目を盗んでするのでしょうし、生き物の命を盗んでいるのでしょう。いろいろな罪が重なっているのですね。」
「そういうことだ・・・・。先ほどの女性は、不倫が主な罪だ。不倫は本来次の裁判で審議されることなのだが、盗みの罪も当然犯している。一つの罪を犯せば、いろいろな罪を犯してしまっているものなのだ。そうして、人の罪は増えていくのだよ。」
「はい、わかります。表面的には、一つの罪しか犯していないようですが、その実、いろいろな罪が絡み合っている、ということですね。」
「その通り。だからこそ、7回も裁判があるのだ。・・・よいか、聞新。これから受ける、聴いたり見たりする裁判でも、罪は単純ではない、ということをよく頭に入れておくことだ。人の罪とは、いろいろな要素が複雑に絡み合っている、ということをな。」
「はい、わかりました。そのことを忘れずに、今後の裁判へ進みます。」
「うむ。よし、では、現世へ戻ってもよいぞ。おぉ、そうだ。おぬしも早く現世に戻りたいだろうから、すぐに現世への出発台まで移動させてやろう。なに、心配しなくてもよい。任せなさい。」
初江王は、そういうと、俺の方へ手をかざした。そして、ゴニョゴニョ言ったかと思うと、
「はぁ〜!」
と叫んだ。その瞬間・・・・。

「こ、ここは、どこだ・・・?。」
「な、なんだ、お前、突然現れやがって!。どっからきた!。」
その声の方を振り向くと、そこには牛頭がいた。
「あぁ、牛頭・・・さん・・・。すると、ここは・・・。」
俺は周りを見回した。周りはお花畑である。俺がいるところは高台になっている。
「あぁ、やっぱり。ここは、現世に戻れる場所、ですね?。」
「あぁ、そうだよ。あ、お前、聞新か?。」
「はい、そうです。聞新です。たった今、初江王にここへ飛ばされたんですよ。」
「はは〜ん、そういうことか。天足通だな。あれは慣れないと、飛ばされた後、頭がちょっとぼんやりするからな。」
「あぁ、そうなんですか。確かに、頭がボーっとしました。」
「お前のことは、閻魔大王からも聞いているし、初江王からも、ここへ来るのが遅れるって聞いてるぜ〜。」
「そうなんです。たった今まで、他の人の裁判を傍聴していたんですよ。ところで、俺の順番はどうなってますか?。」
「順番?。あぁ、現世へ戻る順番か?。一人抜かされたよ。さっき、じーさんが飛んでったぜぇ。」
「あぁ、そうですか。じゃあ、次は本当は色気女・・・あ、いや、中年の女性ですよね。」
「おぉ、そうよ。そういう順番になってる。だから、お前は、一人抜かされたんだって。」
「はい、わかりました。じゃあ、早速、私も現世へ飛ばしてください。」
「なんだ、もう行くのか?。それじゃあ、つまんねぇだろう。」
「は?、何かありますか?。」
「そうじゃねぇ、そうじゃねぇが、その、なんか質問とかあるだろ?、この俺に、さ!。」
牛頭はそう言うと、ニ〜っと、歯を見せて笑った。その顔は、なんだか恐ろしかった。
「あ〜、そうですね。はいはい、もちろん、ありますよ。え〜っと・・・。」
どうもいけない。どうして俺はこう気が小さいのだろう。ちょっと恐ろしげな顔を見ると、ついつい言いなりになってしまう。自分の意思が通せない。おい、俺!、はっきり言ってやれよ、お前に聞くことはない、早く現世に戻してくれ、早く家族に会いたいんだ!って。
が、しかし、口から出た言葉は違っていた。は〜、情けない・・・。
「ここの場所の名前ってあるんですか?。」
「おう、よくぞ聞いてくれた。あるとも、あるとも。ここはな、よ〜っく聞けよ、『お返り台』っていうんだ。こっちの世界の名物よ。」
「『お帰り台』って・・・、そのまんまじゃないですか。」
言ってしまってからしまったと思った。ついつい癖で突っ込んでしまった。
「なんだと〜、お前、意味わかってんのか?。どういう字を書くかわかっているのか?。」
「えっ、お帰りって、家に帰る、ってときの帰る、でしょ?。」
「これだからトーシローはいけねぇや。べらぼうめ。」
この口調、あの船頭さんと同じだ。この牛頭も江戸言葉を習ったのだろうか。まさか、江戸っ子の牛頭ってことはないよな・・・・。
「何考えてやがんだ、おめぇはよ。あのな、そうじゃねぇ、ここの名前は、帰るって字じゃねぇ。そっくり返るの『返る』だ。返事のほうだよ。」
「あぁ、そっちの『返る』ですか。でも、なぜそれにこだわるのですか。」
「お前、な〜んにもわかっちゃいねぇな。お前ら死人は、本心は現世に戻りたいんだろう。できれば生き返りたい。だからじゃねぇか。」
「なるほど、生き返りたいから、『お返り台』ですか。」
「そうよ、生き返りたい、っていう思いが込められているのよ、この場所にはよ。」
なるほど、それなら意味がよくわかる。やはり、誰もが生き返りたいのだ。
「誰がそう呼んだかは知らないが、いつの間にか死者のみんなが、『お返り台』と呼ぶようになったのよ。悲しいじゃねぇか。つらいじゃねぇか。みんな、生き返りたいのよぉ・・・。」
「あぁ、でも、たまに嫌がる人もいますよね。ここから飛び立つのを。」
俺は、あの覗き見教師のことを思い出していた。あの男、ずいぶんこの牛頭をてこずらせていた。結局は、強制的に発射されてしまったが・・・。
「そうよ、たまにな、嫌がるヤツがいるんだよ。ま、強制的に飛ばすけどな。」
「絶対、返らなきゃいけないんですか?。」
「そうさなぁ〜、まあ、そんなことはないんだけど。でもね、現世に帰りたい、って思わねぇのは、家族に迷惑かけたヤツだけよ。恥ずかしいやら、めんぼくねぇやらでな。しかしな、そういう奴らこそ、裁判官様は現世に戻れ、っていうんだな。そりゃそうだろ?。現世見て、反省してこいってぇわけよ。わかるかい?。」
「はいはい、わかりますよ。おっしゃる通りで。ところで・・・。」
「ところで、なんだ、あん?。じれってぇな、さっさと言いやがれ。」
「あの、牛頭さんは、江戸っ子なんですか?。」
俺は、思っていたことをそのまま口にしてみた。すると、その牛頭、嬉しそうな顔をするではないか。
「あったぼうよ。こちとらぁ、江戸っ子さね。」
この答えに俺は驚いた。
「えっ、どういうことなんですか?。それって・・・。」
「わかんねぇようだから、教えてやるよ。耳の穴かっぽじって、よ〜ぉく聞きな。昔々の話しでぇ。江戸時代の初めのころ、神田のはずれで、そりゃあよく働く牛がいた。そいつの生まれ変わりがこの俺よ。どうだ、参ったか。」
な、な、なんだ、それで終わり?。俺はてっきり長い物語が始まるのかと思った。
「そ、そうなんですか。よく働いた牛だったのですか。」
「おうよ、おいらはよく働いたよ。何でもな、お釈迦様が現世にいらしたころ、人間に生まれ変わりたがった牛がいたんだそうな。ヤプーだかヤフーだか、忘れたが・・・。」
(ヤフーはないだろヤフーは、と俺は突っ込みたかった。)
「でな、お釈迦様がいうには、一生懸命働いたら、人間にしてやる、っていうんだな。なぜなら、お前は前世で怠けたから牛に生まれ変わったのだから、もう一度人間になりたいのなら、寝る間も惜しんで働かないといけねぇっていうんだな。で、その牛は死ぬ気でもって働いたのよ。そんでもって、人間に生まれ変わることができたんだそうな。俺は、その話を聞いてよ、俺も働いたわけよ。俺も人間に生まれ変わりたかったのよ。」
牛頭さんは、遠くを見つめるような目をしたのだった・・・。

「その話は、いつどこで聞いたのですか?。」
「だからよぉ、江戸の初めの頃だって。俺がいた村のそばに寺があってな、そんなには大きくはなかったんだが、そこの住職が説教好きでよ、よく村の人集めちゃあ、お釈迦さんがどうしたとか、極楽にいきてぇだろうとか、そういうことはしちゃあいけねぇだの、感謝しなきゃいけねぇなんてぇことをよく話していたのよぉ。そんなかで、その牛の話が出てきたんだ。」
「牛頭さんは、そのとき牛だったわけですよね。」
「あたぼうよ。そん時から、おいらは牛よ。今じゃあ、牛のエリートの牛頭よ。前は、その村のある家で飼われていた牛だったわけよ。」
「牛なのに、住職さんの説教が聞けたんですか。」
「お前もばかだねぇ。聞けるに決まってるじゃねぇか。牛だって話を聞くよ。」
「あ、いや、その失礼しました。そういう意味じゃなくて、まあ、そういう意味もありますが・・・。」
「なんだよ、じれってぇなぁ。何が言いてぇんだ。怒らねぇから言ってみな、うん?。」
「あぁ、はい。えっと、そのですね、牛頭さんは、その寺へわざわざ住職の話を聞きに行ったのですか?。」
俺の質問に、牛頭さんは合点の言った顔をした・・・ようだった。
「あぁ、そういうことか。俺が寺に行って話を聞いた状況を知りてぇんだな。なんでぇ、それならそうと最初っから言いやがれ。
そりゃあ、簡単なことよ。俺の前世の飼い主だったオヤジは、寺に行くときは、俺を連れて寺に行ったんだ。俺を運動させるためだったのか、どうだかわけは知らねぇが、寺に行くときは、いつも一緒だった。で、俺を門前にあった大きな木に繋いで、自分は寺の中に入っていったんだな。俺は門前にいたわけだ。でもって、住職ってのは、声がでかい。寺の外まで話し声が聞こえてくるんだな。それで俺にも住職の話が聞けたわけよ。」
「あぁ、なるほど、門前の小僧習わぬ経を読む、ってやつですね。」
「うん?、おぉ、そうよ、そう。門前の小僧さ。で、その牛の生まれ変わりの話を聞いたんだよ。」
「しかし、牛って、話が聞けるんだ・・・。」
「お前、牛をバカにしちゃあいけないよ。牛だけじゃねぇ。人の身近にいる動物は、ちゃんと話を聞いてるもんだよ。もっとも、その内容が理解できるかどうかは、そいつ次第だけどな。」
「えっ、ということは、同じ話を聞いても理解できない動物もいるんですか?。」
「お前って、ホント馬鹿だねぇ。でぇ〜じょうぶか、おい。」
俺は、ちょっとむっとした。牛頭さんはいかにも馬鹿にした、あきれ返った顔つきで俺を見たからだ。
「お前ね、人間だって同じ話を聞いても理解できる、できないの差があるだろ。みんながみんな、同じ話を聞いて同じように理解するわけじゃねぇ。動物だって同じさ。」
「あぁ、そうか。そりゃそうですよね。でも、人間ってそんなに差がないじゃないですか。」
「そうかねぇ、理解力の乏しい奴もいっぱいいると思うけどねぇ。ここにいると、それがよくわかるよ。ま、とはいっても、そんなに大差があるわけじゃないけどな。動物ほどな。」
「動物は差が大きいと・・・・。」
「おうよ。俺なんかは、牛になる前が人間だったから、比較的人間の言葉が理解できたがな、同じ牛でも牛になる前が他の動物だったりしたものは、理解力がなかったねぇ。」
「へぇ〜、そういうもんなんですか。前世ってすごく影響するんですね。」
「まあな、俺は詳しいことはあんまりよくわからねぇが、影響するんだよ。俺がそうだったしな。
ま、ともかく、俺はな、その住職の話が聞けたし、理解できたわけよ。」
「で、その住職さんは、怠けると牛になるが、牛でもよく働けば人間になれる、とそう説いたんですね。」
「おぉ、そうよ。お前、まとめるのがうめぇじゃねぇか。その通りよ。」
「でもって、牛頭さんは人間に生まれ変わりたいと思った。」
「そうそう、そう思ったわけよ。」
いつのまにか、牛頭さんはその場に座り込んでいた。気がつくと、俺も一緒に座っていた。こうなると、近所のオヤジどうしの会話である。これで酒が入ったら、たんなる酔っ払いの絡みあいだろう。

「でな、俺は一生懸命働いたわけよ。そりゃあ、お前、血のにじむような努力よ。その住職が話していたヤプーだかも、皮膚が破れても、鼻が裂けても、足が動かないくらい疲れても、それでも畑を耕したそうだ。重い荷物を持って運んだそうだ。その話を聞いたときゃあ、泣けてきたね。泣いたよ、俺はよ。感動したよ。で、俺もそうしようと思ったわけだな。だから、一生懸命に働いたんだよ。」
「そうだったんですか。それで、その後は、牛頭さんになったんですね。」
「そうそう、そういうことだな。俺はな、働いて働いて働いて、そいでもって死んじまったんだが、その時に声が聞こえたんだよ。」
「亡くなった時にですか?。」
「うんうん。そう、声が聞こえたの。お前はよく働いた。だが、残念ながら望み通り人間に生まれ変わることはできない。その代わり、閻魔大王の下で働いてはどうか。牛頭として、魂の世界で働くのはどうだ?・・・・てな。」
「へぇ〜、すごいですね。死んですぐにスカウトされたんだ。で、はい、っていったんですね。」
「いや・・・・。」
「は?、な、なんですか、それ?。」
「返事ができなかった。どう答えていいかわからなかったんだ。その・・・なんだか、怖かったしな。」
「へぇ〜、じゃあ、どうしたんですか?。」
俺は、ちょっとバカにしたような口調で言った。さっきの敵討ちである。
「そりゃ、お前、怖いぞ。死んですぐにそんな声が聞こえてみろ。びっくりするぞ。だから・・・。」
「だから?。」
「黙ってた。」
「だ、黙ってた〜?。なんですか、それ。あ、でもこうして牛頭さんになってるじゃないですか。」
「いや〜、まあ、返事は関係なかったんだな。返事しようがしまいが、牛頭になれた、ってわけよ。」
「な〜んだ。でも、それって、一生懸命働いたから、ですよね。」
「そうだな。それと、やっぱり住職の話を聞いて、それを信じた、ということも考慮に入れられたらしい。」
「あぁ、なるほど。仏法をちゃんと信じた、ってことですね。しかし、よく信じましたね。」
「それはな、住職の話の中に、『怠け者だったから牛に生まれ変わったのだ』ということがでてきたからだよ。おいらは、怠け者だったからな・・・。」
「牛になる前ですか?。それを覚えていたんですか?。」
「いや、違うよ。牛になってからだよ。おいらはね、牛になってから怠け者だったんだよ。その住職の話を聞くまではな。だから、怠け者は牛になる、って話がすんなり入ってきたわけよ。それに・・・。」
「それに?。」
「それに他の牛より、人間の話がよく理解できた。」
「あぁ、そうか、そういうことから考えてみると・・・。」
「そう、俺は牛になる前、人間だったのかも、と思ったわけよ。周りの牛どもは、モーモー言うだけで、人間の話を聞こうとしなかった。聞いても理解できねぇんだな。『モ〜、そうかモ〜、よくわからんモ〜』てな感じよ。そんなんだから、俺の前世は人間だったんじゃないか、俺が牛になったのは、あの住職の話にあったように、きっと人間だったとき怠け者だったからだ、と納得できたんだな。」
「なるほど、それで、もとの人間に戻りたいと思ったんですね。」
「そういうことだ。お前ね、牛なんて楽だと思うでしょ?。」
俺はそうは思っていなかったが、そういう俺の思いは無視されて、牛頭さんは、また一人でしゃべり始めた。
「そうじゃねぇんだなぁ、これが。今なら牛が畑を耕す、田んぼを耕す、重い荷物を背負って歩く、なんてことはないけど、あのころはなぁ・・・・つらいことばかりよ。固い畑の土地を耕すのはつらいぞ。あの道具を身体につけるだろ、紐がよ、肌に食い込むんだよ。これが痛いんだな。休もうとするとさ、鼻輪を引っ張るんだよな。これがまたいてぇーのなんのって・・・。
炎天下、重い荷物をもって運ぶのもつらいぞ。のどが渇いても水はのめねぇし。疲れて休んでると、ムチでたたかれるし。いいことなんてひとつもねぇ・・・。
ま、今じゃあ牛もそういう扱いをされなくなってきたけど、それにしても、今は今で嫌な時代だよな。だって、食われるために太らされているからな、それもつらいだろうと思うよ。いや〜、牛に生まれ変わるなんて、嫌なもんだぞ。」
そういって、牛頭さんは、俺の顔をジロッと見た。そして、ため息混じりにボソッと言ったのだった。
「お前は何に生まれ変わるんだろうねぇ・・・・。」
と。
その言葉に俺はちょっとゾッとしてしまった。牛頭さんの目つきもなんだか嫌な感じだったせいもある。しかし・・・。そうだ、俺は何に生まれ変わるのだろうか。たぶん、地獄へ行くってことはないように思うけど・・・・。

「ま、何に生まれ変わるか知らねぇけど、俺には関係のないことだな。もし、牛に生まれ変わったなら、よ〜っく働くこった。そうすれば、俺みたいに牛頭になれるかもよ。あっはっは〜。」
牛頭さんは、一人大笑いしていた。
「おっと、いけねぇ、そろそろ次が来ちまう。それに、お前が現世に滞在できる時間も少なくなっちまう。いけねぇいけねぇ。さぁ、そろそろ打ち上げてやろうか、なぁ、おい。」
そういって牛頭さんは立ち上がった。つられて俺も立ち上がりながら、
「あ、そうですよ。すっかり話し込んでいて忘れていました。大丈夫なんですか?。まだ、あっちに戻っても時間はたっぷりあります?。すぐに返ってこなきゃいけないってことはないですよね。」
と文句を言ってみた。すっかり忘れていた自分も悪いのだが、俺は現世に戻るところだったのである。しかも、自分より後の、あの色気女の裁判を傍聴していたから、他の人よりも現世に戻る順番が遅れているのだ。これでさらに遅れてしまっては、現世での滞在時間が少なくなってしまうではないか。俺は心配になってきた。
「なに、大丈夫だよ。まだまだ、時間はあるさ。それに、現世に戻れるのはこれっきり、ってわけじゃねぇ。裁判と裁判の間は自由に戻れるからな。まあ、あわてなさんなよ。」
「とはいいましてもね、ただでさえ遅れているんですから・・・。」
「あぁ、わかったよ。じゃあ、超特急で現世に飛ばしてやるよ。怪我しねぇように気をつけな。おっと、怪我はしねぇか、死人だもんな、あっはっは〜。さぁ、真ん中に立ちねぇ。そうそう。」
牛頭さんにそう言われ、俺は高台の真ん中に立った。ちょっと不安だった。初めてのことなので、緊張気味である。
「あ、あの・・・・。」
「なんでぇ。なにかまだ聞きたいことでもあるのか。」
「いや、さっき超特急で飛ばすといってましたが。」
「あぁ、いったよ。特別サービスだ。」
「その怪我はしないといましたが・・・。」
「しねぇだろうがよぉ、魂だけだもんな。」
「えぇ、ですが、その魂に傷がつく・・・・なんてこともないですよね。」
俺の問いかけに牛頭さんは、呆れ顔になった。
「何バカなことを言ってるんだろうねぇ。そんなことがあるわけねぇだろう。ま、たとえ傷ついたとしたって、仏様が何とかしてくれるから安心しな。それと、俺の腕を信じろ。信じることは大事だぞ。」
そういうと牛頭さんは、ニヤっとした。そして、
「じゃあな、ちゃんと次の裁判の前には帰ってこいよ。じゃあ、あばよ。」
といったのだった。その瞬間・・・・。
俺は三途の川や裁判所、死出の山・・・を上から見ていた。しかも、それもほんの一瞬であった。気がつくと、俺は懐かしい我が家に戻っていたのだった・・・・。


「あなた、そっちで元気にやってますか?。はぁ・・・あなたが死んだなんて・・・。まだ、信じられないわ・・・。でも、死んじゃったのよねぇ・・・・。」
俺が戻ってきた部屋は、小さな我が家の唯一の和室であった。そこには、俺の写真と俺の戒名が書いてある白木の位牌おいてあり、その前には線香とロウソク・花がおいてあった。さらには、ご飯やお茶、供え物のお菓子や果物がおいてある。
女房が、その前に座ってボソボソ言っていた。俺は、その真上に降りてきたのだが、そっと女房の左横に並んで座った。いつの間にか、俺の姿は部屋着姿・・・ウニクーロのスウェット・・・になっていた。便利なものである、あの世にいたときは下着姿(葉っぱをつけていたのだが・・・)だったのに、ちゃんと生きていたときと同じような、くつろいだ姿になっているのだ。不思議だが、便利である。きっと、俺の記憶に反応しているのだろう。
女房は、やはり悲しんでいた。それは、俺にとって嬉しくもあり、つらくもあった。
「はぁ・・・。出るのはため息ばかり・・・。和尚さんは、悲しむな、っていうけど・・・。やっぱり悲しいわよね。だって・・・・。ねぇ、なんで、私たちを残して死んじゃったのよ・・・。」
女房は、そういってメソメソ泣き出したのだった。俺は、横に座って、女房の肩に手をかけた。が、手は女房の肩にとどまらず、すり抜けてしまった。そう、もう女房に触れることはできないのだ。
『俺だって、好きで死んだんじゃない。好きで死んだんじゃないよ・・・・。でも、死んじゃったんだから、仕方がないじゃないか・・・・。俺だって、俺だって・・・・、俺だってもっと生きたかったさ。お前や子供たちのそばに、もっといたかったさ。いたかったさ・・・・。』
俺は、悲しかった。こんな思いをしたのは、久しぶりだった。悲しくて悲しくて、どうしようもなかった。できれば、このままここにいたい、女房や子供のそばにいたい、もう一度、女房をこの手で抱きたい・・・。痛切に俺はそう思ったのだった。

「あぁ、でも、私が悲しんじゃいけないのよね。私が悲しめば、あの人が苦しむのよねぇ・・・・、あの人が・・・・。ねぇ、こっちに戻ってきているんでしょ?。私の言ってること、聞こえているんだよね?。ねぇ、ねぇってば!。和尚さんが言ってたわよ。昨日は二七日だったから、もうこっちに戻っているはずだ、って。戻れば、家族の話も聞いている、聞くことができるって。ねぇ、聞こえているんでしょ?。返事ぐらいしてよ!。・・・・って、無理か。無理なのよね・・・。」
そういって、女房は下を向いて涙を拭いていた。俺は何もできず、何も語れず、ただ黙ってそれを聞くだけだった。
ふと、女房が顔を上げた。
「はぁ、悲しんじゃいけないわ。強くならなきゃ。うん、あなた、私は大丈夫、だから、あなたもしっかりしてよね。和尚さんが言っていたけど、なんだかあの世で頼まれごとがあるんですって?。あの和尚さん『あんたの亭主は、あっちの世界で特別な仕事をしている。それは、仏様のお手伝いだ。だから、誇りに思ったほうがいい』なんて言っていたわ。ねぇ、本当なの、それ?。そんなことってあるの?。」
その言葉を聞いて、俺は驚いた。なんと、女房は、俺のあの世での立場を聞いていたのだ。俺は、思わず
『そうだ、そうなんだよ。何でか知らないけど、俺があの世を取材することになっているんだ。ひょっとしたら、俺の記者人生で一番の特ダネかもしれないんだよ。』
と言ったのだが、通じるものではない。
『どうにかして、俺がこっちに戻っていることを知らせる術はないものだろうか・・・。なんか、合図とか送れないものか・・・。あぁ、女房は霊感などというものはなかったからなぁ・・・。う〜ん、和尚でもいれば、俺の存在がわかるんだろうか。何とか、何とか、通じないものか・・・。せめて、女房の問いかけぐらいには答えたいものだが・・・。』
俺は、自分の存在のあやふやさにイライラしだした。

『まあな、新入りだから、仕方がないわな。』
すぐ近くから、しわがれた声が聞こえてきた。
『は?、だ、誰だ?。今のは、なんだ?。』
俺はびっくりして、辺りを見回した。ここには女房以外の人間はいない。ということは、女房以外の声は聞こえてこないはずなのだ。
『若い者はモノを知らんから、困ったものぢゃ。わしぢゃ、わしぢゃ。わっはっは〜。』
その年寄りは笑いながら、女房の影からひょっこり顔を出し、そのまま女房をすり抜け、俺と女房の間・・・人が座れるスペースなどないところに・・・座ったのだった。つまり、女房と重なっているのである。その爺さんは、着物姿であった。

『あ、あ、あ・・・』
俺は思わずのけぞった。
『何をそんなに驚いているんぢゃ。まったく、情けないのう。』
『あ、あんたは誰?、誰なんだ?。』
のけぞったまま、指を刺して、そう聞いた。情けないことに指が震えている。
『まあ、まあ、落ち着きなさい、あんたが落ち着かなきゃ、話にもならん。いいか、深呼吸・・・おっと、あんたも死人ぢゃったな。まあ、いいや、とにかく落ち着け。』
そういわれて、俺はハッとした。そうなのだ、俺にはあわてる理由がないのだ。なんせ、俺は死者だから。俺は死者なのだから、たとえ暴漢に出会おうとも、泥棒に出会おうとも、ピストルを突きつけられようとも平気なのだ。生きている人間からは見えない存在なのである。
そう気がついて、俺は落ち着いてきた。落ち着いたので、もう一度部屋をよく見回してみた。
『あ、あなた、誰なんですか?。女房と重なっている、ということは・・・。』
『やっとわかったかね。いやはや、鈍いねぇ・・・。そうぢゃ、わしも死人ぢゃよ。』
『で、ですよねぇ・・・、やっぱりねぇ・・・。えっ?、な、なんで、その死人のおじいさんがここにいるんですか?。あなたはどなたなんですか?。』
『ふう、やっと話ができるようになったのう。ぢゃあ、自己紹介するかのう。まあ、わしはお前さんのことはよく知っているのぢゃがな。まあいいわ。順番に話をせにゃあ、わからんからのう。』
その爺さんは、ニヤニヤ笑いながらそういったのだった。

『わしはな、あんたの女房のひいじいさんぢゃ。だから、あんたがわしを知らんでも仕方がないわな。わしが死んだのは、ずいぶん昔の話だからのう。あんたの女房、わしにとってはひ孫なんぢゃが、こいつもわしのことは、覚えておりゃあせんだろう。まだ、生まれたばかりだったからのう・・・。』
その爺さんは、ニコニコしながらそう言ったのだった。
『わかったかい。おい、お前さん、大丈夫か?。理解できたかね?。』
『あ、あ、はい、はい、わかりました。え〜っと、あなたは、女房のひいおじいさん、曽祖父なのですね。で、なんで、そのひいおじいさんが、ここに・・・?。』
『あのなぁ、わしはな、ひ孫の守護霊ぢゃよ。わしは、この子をず〜っと守っておったのぢゃ。』
『しゅ、守護霊?、ですか?。』
『そうぢゃ、そうぢゃ。やっとわかったかの?。』
『守護霊って、本当にいたんですねぇ・・・。そんな話、死んでから初めて聞きましたよ。生きているときは、インチキくさい話として聞いてましたがね。へぇ〜、本当にいたんだ・・・。あ、いやいやいや、ちょっと待てよ、おじいさん、それ本当の話なんですか?。』
俺は、このじいさんの言っていることを疑いだした。どうも胡散臭い。だいたい守護霊などというものが胡散臭い。ひょっとしてこのじいさん、そこら辺の死者かもしれない。つまり、行き場のない霊かもしれないと、そう思ったのだ。
『ちょっと、ちょっと、おじいさん、ひょっとして淋しいんじゃないですか?。あなた、本当はよその死人でしょう。よその家のおじいさんなんでしょ?。でも誰にも相手にされなくて、俺の姿を見かけて、淋しいから声をかけたんじゃないの?。ねぇ、そうでしょ?。怒らないですから、正直に言ってくださいよ。』
『なんと、そうきたか。お前さんも疑り深いのう。まあ、取材者は、そうぢゃなくっちゃいかんがのう。ぢゃが、残念ながら、わしはうそをついていないよ。』
そのおじいさんは、胸を張るようにして、そう言った。
『おっと、動くようぢゃな。お前さんも着いて来なさい。わしはな、お前さんと違って、自由にならないんぢゃ。ひ孫にくっついていないとな。』
そういうと、そのじいさんは、女房が立ち上がるのと一緒に立ち上がり、女房にくっついて部屋を出て行ったのだった。
『あっ、ちょっと待ってください。どうして女房にくっついているんですか?。』
俺はちょっと腹が立った。嫉妬である。俺だって、女房にくっついていたい。

女房は台所にいた。夕食の用意をするらしい。カウンターキッチンになっているので、俺はカウンター側、つまり女房の正面に回った。その方がよく女房を見れるからだ。ところが、その守護霊だと主張しているじいさんの霊体は、女房の前面にいた。俺から見ると、そのじいさんを透かして、女房が見えていることになる。おかげで女房がぼやけて見える。
『どうして女房にくっついているんですか?。俺の女房ですよ、離れてくださいよ。』
『なんだ、ヤキモチか。あっはっは、若い者はいいのう。わしもな、離れてもいいのだが、そうもいかんのぢゃ。なんせ、わしはこの子の守護霊ぢゃからのう。離れるわけにはいかんのぢゃ。』
『守護霊っていうけど、それ本当の話なんですか?。そんな話、あの世で聞いてないですよ。』
『そうか、まだ聞いておらんか。ふ〜ん・・・。まあ、いいわい。いい機会ぢゃ、わしが教えてやろう。』
女房は、泣いていたため目を張らしていたが、陽気に振舞おうとしてか、鼻歌交じりに調理をしていた。
『あのな、生きている者には、誰でも守護霊があるんぢゃ。それがないことには、うまく生きていけないんぢゃな。お前さんにも守護霊はいたんぢゃよ。』
『ちょっと待ってください。守護霊、というからには、守護しているんですよね?。守護している霊、ってことですよね。』
『そうぢゃ、守っているんぢゃな。わしもこの子を先代から引き継いで、守ってきたからのう。』
『せ、先代?。あ〜、もう、わけがわからない。順を追って話してくださいよ。え〜っと、まずは、おじいさん、あなたは、私の女房の守護霊である、そうですね?。』
『なんぢゃ、尋問か?。まあいいわい、その方がわかりやすかろう。そうぢゃ、わしはこやつの守護霊ぢゃよ。』
『あっと、しまった・・・。いや、そもそも守護霊ってなんですか?。』
『守護霊か、守護霊はな、さっきも言ったように、生きている者を守護している霊のことぢゃ。守護というより、う〜ん、サポート、といった方がいいか。』
『まあ、いずれにせよ、生きている者に一緒にくっついて、その者を守ったり、サポートしたりする存在、ということですね。』
『そうぢゃ、そうぢゃ。やっとわかったようぢゃのう。』
そのじいさんはニコニコして合いの手を入れた。
『わかったわけじゃあないですけど、まあ、いいでしょう。で、あなたは、女房の守護霊だという。それは間違いないんですね。』
『そうぢゃ。何度もそう言っておろうが。』
『それって、証明できますか?。』
俺の突っ込みに、そのじいさんは、ちょっと戸惑ったように眉毛をひねったのであった。

つづく。



バックナンバー(十一)


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