ばっくなんばぁ〜5
第九話 神様の話H 2、仏教の神様 その6 H七福神 七福神は、実はすべてが仏教の神様ではありません。中国の神様も日本の神様も入っております。混在、神様の寄せ集め、ですね。七福神の成立は、室町時代のころと言われております。めでたい神様ばかりを集めて祈るといいんじゃないか、ということで流行したらしいですが、まあ、人間は欲が深いですからね。福の神ばかりを集めたくなるのですな。 江戸時代になると、正月に七福神が宝船に乗った絵を枕の下に敷いて寝ると、いい初夢が見られるということで、七福神は大流行しました。せめて夢でもいい夢を見たい・・・との庶民の願いだったわけです。 さて、七福神のメンバーですが、紅一点の弁財天、毘沙門天、大黒天、以上がインドの神メンバーです。ただし、大黒天は、大国主命スタイルが多いですね。中国からは寿老人、福禄寿、布袋の三名です。日本からは恵比寿さんが参加しております。幸運をもたらす神様の代表として7名の神様がエントリーされたわけですな。 弁財天さん、大黒天さんについては、すでにお話しいたしましたので割愛いたします。そのほかの5名の神様についてお話いたしましょう。 *毘沙門天 もともとは、四天王の一人です。北方を守護する神ですね。四天王ときは、「多聞天」と名乗っています。単独で祀られるときは、毘沙門天と名乗ることが多いです。毘沙門天さんは、四天王の一員ですので、ついでに四天王のことに触れておきましょう。 四天王は、東を持国天、南が増長天、西が広目天、北が多聞天です。天界の入り口である下天において、魔物が天界に入らぬよう四方を守護しているのです。いわば、ガードマンですな。これが、四天王の主な仕事です。そのほかには、寺のご本尊守護、仏法を信仰している人を守護する、という役目も持っております。 四天王の姿は、兜を被り、甲冑を着けた武者姿ですね。戦士の姿です。それぞれに武器や道具を持っております。まあ、守護が仕事ですから、戦う姿勢があって当然ですな。元々は、夜叉だったという説もあります。夜叉とは、人の肉を食らう鬼神で、インドではお堂も造られて祀られる存在でもあります。特に、墓地周辺で祀られることが多かったようですな。インドでは、遺体をガンジス川に流してしまう・・・と思われがちですが、すべての遺体をガンジス川に流すわけではありません。火葬にする場合もあれば、土葬にする場合もあります。鳥葬などといって鳥に食べさせることもあれば、風葬ではそのまま放置するという遺体処理の仕方もあります。いろいろな遺体処理法があるのですが、火葬や土葬の場合は、墓地も作ります。今の日本と同じですね。したがって、昔のインドにも墓地はあったのですよ。 夜叉は、死人の肉は食ってもいい、とされていたので、主に墓地に祀られていたようです。あるいは、墓地近くの空きの御堂に勝手に住み込んでいた、という場合も仏典では見受けられますな。ま、そんな野蛮な鬼神であった夜叉なのですが、お釈迦様に諭されて、お釈迦様を守護する役目を与えられますな。同時に、天界の入り口を守るように指示されます。それいらい、四天王という役目ができたわけです。 その後、夜叉ではなく、人間界の国王クラスが亡くなると、四天王に生まれ変わる・・・ということがあったようです。一説によると、マガダ国のビンビサーラ王は、死後毘沙門天に生まれ変わったそうです。もしかしたら、毘沙門天の寿命を考えると、現在の毘沙門天はビンビサーラ王の生まれ変わりかもしれませんね。 四天王の時の毘沙門天・・・多聞天・・・は、北方守護がその役割なのですが、単独で祀られるときは、守護という役目だけではありません。福を授けるという役目もあります。 毘沙門天の姿を見ますと、通常、右手に槍、左手に多宝塔を持っております。たまに逆バージョンもあるようですが、まあ、どちらでもいいですな。左利きの毘沙門天がいてもいいでしょうから。で、槍は守護の働きのために使いますから、もっていて当然ですね。では、多宝塔は?。何のために持っているのでしょうか? 実は、この多宝塔は、宝を生む多宝塔らしいのですな。まあ、多くの宝の塔ですからね、宝をたくさん生むのでしょう。で、毘沙門天さん、信心する者にその多宝塔から宝を授ける、というのですな。そこから、商売繁盛、増益の神として祀られるようになったのです。一説によると、夜な夜な「誰かこの塔の宝をもらってくれ〜」と毘沙門天さん、走っているそうですよ。その毘沙門天さんと出会えば、大金持ちになれるとか・・・・。ま、私は会ったことことがないですけどね。商売もいわば戦いですね。武器をお金と智慧に置き換えているだけです。毘沙門天さんは、もともとは、戦いの神です。しかし、ただの戦いの神ではありません。宝も授けます。そこから、商売に勝利し、利益を増し、宝を与えてくれる神となったのです。こうして、毘沙門天さんは福の神として知られるようになったのです。これで、七福神のメンバー入りとなったのですな。 *寿老人 頭が異常に長い老人の姿の神です。道教の神ですな。寿老人という名の通り、長寿を与えてくれる神です。 中国は、不老不死を求めるお国柄ですね。秦の始皇帝以来、不老不死は中国人の夢でもあります。まあ、どこの国の人も長生きはしたいようですけどねぇ。しかし、不老不死は有り得ませんな。自然の摂理に反しております。ならばせめて、不老長寿を・・・というのが、人間の欲望ですな。まあ、これは、インドでも中国でも日本でも欧米でも同じですね。特に女性は不老を望みますな。まあ、外見ばかりきれいにしても、中身が伴わなければ意味はないのですけどねぇ。人工的に手入れをして(まあ美容整形のことですな)綺麗にしても、心がねぇ・・・美しくなければ、結局は虚しいだけなんですけどね。それよりも、心がきれいな年の取り方をした方がいいと思うのですが・・・。 ま、それはいいとしまして・・・個人の自由ですからね・・・長寿を望む方は多いようですな。私はそんなに長生きしたいとは思いませんが、世の中の皆さんは、長寿を望まれるようですね。ま、長寿を望む望まないにかかわらず、死ぬ時が来たら死ぬのですからね。みっともない姿をさらしたり、身内から嫌われたりしてまでも長生きしたいとは思わないですけどねぇ。惨めなだけですな。どうせならば、同じ長寿を望むならば、いい年の取り方を望むべきでしょう。 「長生きしたいです」 だけじゃなく 「きれいに年が取りたいです」 という願い方がいいですね。ま、それには寿老人に願うのがいいでしょうな。寿老人、その姿を見ますに、飄々としています。な〜んにも憂いがないような顔をしていますな。そういう年の取り方がいいですね。長生きするならば、寿老人のようになりたい・・・。そう願うといいのでしょうね。 *福禄寿 福と禄と寿の神ですね。ただ長寿だけではないのですよ。福運も授けるし、禄・・・収入ですな・・・も応援してくれる。そしてさらに寿命ですね。寿老人のところでも書きましたが、ただ長生きだけじゃあ幸せとは限りませんからね。長生きでも貧乏じゃつまらないし、病気をしていてもいけません。できれば、健康で長生き、しかもお金があるほうがいいですな。まあ、なんて贅沢なことを!欲張りすぎでしょ!と思われるかもしれませんが、これは皆さんが望んでいる本音でしょ。善人ぶってはいけませんよ、心の奥底では必ず誰もが「健康で長生きで金持ちでありたい」と思っているはずです。「長生き」が嫌なら、「健康で若々しく、お金持ちでありたい」と言えばいいでしょう。それは、万人の願いです。すべての人がそう思っていることでしょう。みんな、福も禄も寿も欲しいのですよ。それを表しているのが、福禄寿でしょうな。 福禄寿、鹿を連れて桃源郷にいます。鹿は古来より神の使いですな。桃は中国では長寿をもたらす食べ物ですね。また、神の食べ物でもあります。福禄寿ともなると、理想郷であります桃源郷に住むことができるのですね。 「私もそのおこぼれを!」 と思うのなら、福禄寿をお参りすることですね。 *布袋 中国の方ですが、禅僧といわれております。仏教の人で、道教の神ではありません。一説によると、弥勒菩薩の変化身とも言われております。 本名を釋契此(しゃくかいし)といいます。布袋は袋を背負っていることからのあだ名です。 布袋さん、大きなおなかで、大きな袋を下げた姿ですな。福々しい姿で表現されます。袋の中には、皆さんが望むものが入っているのだそうです。この袋は、福袋ですな。あるいは、堪忍袋である、とも言われております。いつもにこやかで、飄々として余裕しゃくしゃくと言った感じで表現されることから、富貴繁栄の象徴として信仰を集めたようです。これが、七福神入りの理由ですね。まあ、お金持ちになりますと、贅沢になりますな。贅沢になると、いいものを食べますし、あまり働きませんから、太ってきます。また、金銭的に余裕があると、ちょっとやそっとのことでは動じません。「良きに計らえ」てなもんですな。そういうお金持ちの余裕を布袋さんの図像に庶民は感じ取ったのでしょう。「あぁ、布袋さんのように、ゆったりとした気分になりたい」ということですな。貧乏であっても、せめて心だけは裕福に・・・ということもあるでしょう。「ぼろは着てても心は錦」ですねぇ。 元来の布袋さんは、どこの寺にも住することなく、衣一枚で腹をだし、旅を続けていたそうです。真冬もあの格好。太っているから寒くない・・・ということもないでしょうが、いくら雪が降っても布袋さんの上には雪が降らなかった、というエピソードもあるそうです。太っていて体温が高いから雪がとてけしまった・・・わけではないですよ。 禅宗では、布袋さんはよく水墨画に描かれます。布袋さんの姿は、禅宗では悟りの境地にいる状態を表現しているのでしょう。禅宗で悟りに至る過程を解説する十牛図という書があるのですが、その最後の場面に布袋さんが描かれています。これは「悟ったあとの生き方」を示しているそうです。悟った後は、布袋さんのように布教の旅に出よ、ということなのでしょう。いずれにせよ、布袋さんは、いつも飄々として泰然自若、ニコニコと世間に福を配り歩いているのですな。 *恵比寿 恵比寿さんは、唯一、日本の神様からの七福神入りですね。大阪では、「えべっさん」と呼ばれ、親しまれております。 もともとは、漁業の神様ですね。ま、その姿からもよくわかると思います。一般的な恵比寿像は、右手に釣竿・左手に鯛を抱えております。まあ、この姿は、後付けのように思いますけどね。 恵比寿さん、日本の神様、と言いましたが、実は諸説あります。日本の神様説では、「蛭子」が大元だという説もあります。海の神からの派生とい説もあれば、大国主命の子供うちの一人・・・などという説もありますな。日本の神様、とはされていますが、その原型は定かではありません。とりあえず、海の神様、ということは確定しております。 そのほかに、インド由来説・中国由来説もあります。インドの場合は、毘沙門天の変化身・不動明王の変化身などとも言われているそうです。中国説では、中国の古来の神が渡来して恵比寿さんになった、という説ですね。そのほかにも、クジラなどの大型の魚類(クジラは魚じゃありませんが、昔の人は魚の一種だと思っていた)を神格化したもの・・・という説もありますな。 あの、鯛を抱えた姿は、ことわざの「海老で鯛を釣る」に由来しているのではないか、という説もあります。また逆に恵比寿さんの姿が先で、そのあとに「海老で鯛を釣る」ができたのではないか、と考える方もいるようで・・・。まあ、真偽のほどは定かではないですな。 ちなみに「海老で鯛を釣る」は、「小さなエビ(大量にとれる小エビ)を餌に高級魚の鯛を釣る」ということで、「小さな投資で大きな利益を生む」という意味を表しておりますな。どうもことわざの意味を考えますと、恵比寿さんの姿は後付けのような感じもしますね。そこから、商売繁盛の神に発展したのではないかと、そう思うのですが、いかがでしょうか。そのほうがしっくりいくとは思うのですが・・・。でも、ひょっとしたら、恵比寿さんの姿を見て、「小さなエサで大きな魚を釣るように・・・そう、恵比寿さんのように、小さな投資で大きな利益を得ようじゃないか、うわっはっはっは」といった悪徳商人?の言葉が、そのままことわざになったのかもしれませんな。ニワトリが先か卵が先か・・・ですね。 ま、いずれにせよ、恵比寿さんは、「小さなもとで大きな利益」を表し、商売繁盛の神様として祀られるようになったわけです。そして、めでたく七福神入りとなったわけですな。 以上の5名の神様に弁天さんと大黒天さんを加え、七福神となったのですね。 七福神巡り・・・という信仰があります。四国八十八ヶ所巡りと同様に、七福神さんをそれぞれ祀った寺院を七ヶ寺巡る、祈願参りです。商売繁盛のために巡るのですね。本場は淡路島ですな。が、各地方や東京にもあります。商売繁盛・事業繁栄を願う方は、七福神めぐりをするのもいいのではないでしょうか。 I金毘羅さん 七福神で終わろうかと思いましたが、まあ、ついでと言ってはなんですが、金毘羅さんも有名な神様なのでお話ししておきましょう。 金毘羅さん、この神様は、日本の古来の神様と思われている方が多いと思いますが、実はインド伝来の神様なのです。 神様、と言いましたが、その伝来には諸説あります。 一つには、お釈迦様の弟子のカッピナがもととなったという説。次には、薬師如来の守護を務める十二神将のうちの筆頭であるクンビーラが元であるという説。もう一つは、十一面観音が琴平宮に権現として現れたのが金毘羅である、という説。いずれにしても、仏教系であり、日本古来の神ではないのです。 お釈迦様の弟子のカッピナのという方は(この方にもいろいろな話があるのですが)、インド周辺の国王であったという説が知られています。で、コーサラ国を征服しようと企てたのですが、お釈迦様が転輪聖王に変身して、「お前さんなぞ小さいぞよ」と諭したのですね。とてもコーサラ国を征服できるような力量はない、上には上がいる、ということですな。まあ、それでカッピナ王はショックを受けてお釈迦様の弟子になるのです。それがなぜ金毘羅さんになったのかは、不明ですな。想像しますに、カッピナ王の国は、とても強大で、船などもたくさん持っていたそうです。海上を支配していたらしいのですな。そこで、海の神としてカッピナを祀ったのではないかと・・・。ま、これはあくまでも想像ですが。 有力な説はクンビーラ説と十一面観音変化身説ですね。 金毘羅宮は、香川県琴平町の象頭山(ぞうずせん)にあるのですが、象頭山という名前からもわかるように(象頭山はインドのにある山で、お釈迦様がよく説法をされた山なのです)、そこにはお寺があったのです。その寺は、真言宗の寺で松尾寺と言います。ここに寺の守護神としてクンビーラを祀っていたのですね。ある時、役行者が松尾寺を参拝しまして(この時は真言宗の寺ではありませんな。しかし、寺であったことは確かです)、このクンビーラを琴平の象頭山全山の守護神として祀ったのですな。単なる一寺院の守護神ではなく、山全体の守護神としたのです。これが金毘羅さんの始まりである、というのがクンビーラ説ですね。 もう一つ。これは役行者が、クンビーラを象頭山の神として祀ったのは、役行者がクンビーラを本尊さんの十一面観音さんの変化身・・・権現・・・であると感得したからだ、という説ですね。つまり、金毘羅の神は、松尾寺の本尊さんの変化身である、という説です。 こうして見ると、クンビーラ説と十一面観音権現説は、まあ、似たようなものです。 結局有力なのは、クンビーラ説と、クンビーラは十一面観音さんの変化身だ、という二つの説を合わせたものですね。いずれにせよ、金毘羅さんは、元はインドの神様なのですな。 なお、なぜ薬師如来の守護神であるクンビーラが海の神である金毘羅さんになったのかと言いますと、この象頭山付近は、もともと海の入り江が近かったそうです。で、船が盛んに往来していたのですね。象頭山はそうした船にとってはいい目印だったのです。クンビーラが象頭山の神となったのですから、船乗りたちはクンビーラに海上の安全を祈りますな。こうして自然にクンビーラは海の神になったわけです。海の神と言っても、本来は海上安全の神ですな。それが、豊漁の神の要素が加わり、商売繁盛の神へと発展していくわけです。 ちなみに、金毘羅宮が神社になったとのは、明治以降です。例のごとく廃仏毀釈で松尾寺と分離させられたのですな。象頭山には、松尾寺のほかに大物主命が祭事を行った跡があり、そこに琴平神社がありました。まあ、松尾寺と習合していたのですけどね。それが、明治の廃仏毀釈で松尾寺を廃寺とし、琴平神社を金刀比羅神社と改め、大物主命を主祭神として祀ることにしたのですな。松尾寺は廃寺にされてしまったのです。ひどいですな、明治政府。政策とはいえ、自国の文化を否定してしまったのですからね。 ちなみに本尊さんの十一面観音像は社宝として金毘羅宮に納められております。また、脇侍佛の不動明王と毘沙門天は岡山県の西大寺に納められているそうです。 ということで、金毘羅さんも、じつはインドの神様が元なんですよ。 さて、日本の神様、インドの神様、とお話ししてきましたが、このシリーズは今回で終了いたします。次回からは、「お釈迦様のとんでも弟子」のお話をしたいと思っております(題名は変更するかも・・・)。お楽しみに。 合掌。 第十話 お釈迦様のとんでもない弟子の話@ 今回から新しいシリーズのお話に入ります。 仏教の修行者には、厳しい戒律があります。男性の僧侶は250、女性の僧侶には350の戒律があると言われております。現在でも、その戒律は引き継がれ、昔からある仏教宗派で出家をすると、その戒律を授かることとなります(浄土真宗だけは、この戒律がありません)。戒律を授かったあとに僧としての名前をもらいますので、僧の名前は戒名でもあります。ちなみに、亡くなった方につける戒名は、「出家して戒律を授かった弟子としての名前」という意味なのですね。 さて、その戒律なのですが、仏教教団ができた時から、その数の戒律があったわけではありません。戒律の数は次第に増えていったのです。また、戒律は、「戒」と「律」に分けられます。「戒」は出家修行者の個人的生活を規制するルールであり、「律」は出家修行者たちの団体生活を維持するためのルールのことです。つまり、「戒」は個人的な決まり事で、「律」は集団生活における決まり事、なのです。もっとも、出家修行者は、絶えず集団生活をしておりますから、「戒」と「律」の境があいまいな部分もあります。なので、「戒律」と一つにまとめられるようになったのでしょう。いずれにせよ、集団生活で守るべきルールや、修行者個人で守らねばならないルールは、その状況に応じて次第に増えていったのです。その結果が、数多くの戒律となったのです。 しかし、その戒律ですが、確かに「それは守るべきことだ」と思えることも多く含んでいるのですが、「えっ、なんで?」ということもあるのです。「そんなことまで決めなきゃいけなかったの?」と思うようなルールも含まれているのですね。もちろん、そのようなルールが決められたということには、原因があります。そして、その原因を作ったのは、お釈迦様の弟子たちだったのです。お釈迦様の弟子の中には、「おいおい、それはないだろう」というような弟子もいたのですよ。決して、優秀な弟子ばかりいたわけではないのです。 今回は、そんな「おいおい、それはさすがにやらないだろう」ということをしでかしてしまった、とんでもない弟子を紹介いたします。 なお、一つお断りをしておきますが、今回のお話の目的は、みんなでアホな弟子の行為を笑おうというものではありません。お釈迦様の問題児弟子と同じような行為を現代でも行っているおバカな人間がいるので、そのことを考えたいと思い、紹介をするのです。また、自分の行為をも振り返ってみて、「いかんいかん、笑えないぞ」という自戒をしようかな、という意味も含めまして、お釈迦様の不出来な弟子を紹介するのです。決してバカにするためのお話ではありませんので、ご了解のほどお願いいたします。 @ピンドーラ・・・お調子者は失敗をする 賓頭盧(びんずる)さん、という名前を聞いたことはありませんか?。大きなお寺さんの本堂の縁側などに、座った姿の僧侶の像があることがあります。たいていは漆塗りで、真っ黒になっているか、黒ずんだ朱色をしております。この僧侶、なぜに本堂の縁側にいるのかと言いますと、本堂には入れないからです。入れてもらえないのです。つまり、本堂から追い出されているのです。しかし、立派な僧侶であり、よく人々の病を神通力で治した、という故事があるため、本堂の縁側の片隅に座ることを許されているのです。その僧侶の像こそが、賓頭盧(びんずる)さんなのです。 賓頭盧(びんずる)さんは、サンスクリット語の音写でして、元の名前をビンドーラと言います。もっとも、この名前も本名ではありません。あだ名です。本名は不明です。 彼は、コーサンビー国のバラモンの出身でした。父親は、大臣を務めております。身分は高かったのです。コーサンビー国とは、コーサラ国の近くの国で、ウデーナという王が統治していました。彼は、優秀なバラモンの教師にまでなっていたのですが、向学心が旺盛で、遊学にマガダ国へ向かったのです。何日も歩き続け、マガダ国の首都ラージャグリハに到着した時は、空腹に失神しそうなくらいでした。さて、どうしたものかと街の様子を見ておりますと、ラージャグリハには修行者が多くいること、その修行者は托鉢をしており、多くの食量を得ていることがわかりました。しかも、それが意外と贅沢な食事だったのです。当時のラージャグリハは富裕層が多かったのですね。そこで彼は、 「ふむ、このようなごちそうにありつけるのなら、出家してもいいなぁ・・・」 と思い、お釈迦様の弟子になったのです。なんともはや意地汚いことこの上ない、と言った感じなのですが、彼は、実は食い意地が張っていたのです。 出家の動機が「悟りを得たい」からではなく、「食を得たい」ということから、「団子のようなヤツ」というあだ名ビンドーラがつきました(ビンダとは「丸めた団子」のことだったそうです)。それ以来、彼はビンドーラと呼ばれ続けたのです。 ちなみに、お釈迦様は、出家の動機は問いません。動機は何であっても構わないのです。ちゃんと修行すれば、悟りは得られますからね。なので、「食が得たいから出家したい」というビンドーラであっても、歓迎したのです。 このビンドーラ、食い意地が張っているだけあって、大食漢でした。他の修行僧の何倍もある大きさの鉢を抱えて托鉢に出ていました。食うために出家したのですから、たくさん食べたかったのですな、彼は。しかも、仏教教団の律(集団生活上のルール)では、修行者の食事は午前中のみと決まっています。午後からは水分とちょっとした果物程度しか摂取できません。なので、大食漢であるビンドーラは、午前中のうちに腹いっぱい食べておこう、ということだったのです。 ある晩、修行僧がビンドーラの鉢に躓き、大きな音を立ててしまいました。その音で修行僧が目を覚ましてしまいました。その修行僧は、 「こんなところに、こんな大きな鉢があっては邪魔だ。何とかしてくれ」 とビンドーラに抗議します。鉢が置いてあったのは、寝台の下でした。つまり、ベッドの下ですね。ほかの修行僧の鉢は、ベッドの下のすっぽり収まるのですが、ビンドーラの鉢は収まりきらず、通路にはみ出していたのです。ビンドーラは考えました。 「鉢を小さくするのは嫌だから・・・そうだ、布袋を作ってその中に収めよう。そうすれば、ぶつかっても音もしないし、鉢がへこんだりすることもない。うん、それがいい・・・」 ビンドーラは、鉢の袋を作ろうとします。しかし、これにはお釈迦様がダメだ、と言いました。理由は、ビンドーラだけ鉢の袋を作ることは許されない、なぜなら、仏教教団の布は皆のものであり、一人だけのために使われるのは禁止されている、という律があったからです。特別扱いはできない、ということですね。ただし、これは表向きの理由です。真の理由は、 「ビンドーラよ、他の修行僧がお前の鉢が邪魔だと言い出したのは、そろそろ、その大食漢を直せ、という教えなのだよ。そこに気付かねばいかんのだよ、ビンドーラ。それが自然の成り行きというものなのだ」 ということなのです。そこでお釈迦様、鉢の大きさを統一することにします。これも律ですな。一人だけ突出した大きな鉢を持つことを禁止したのです。このことにより、ビンドーラは、腹いっぱい食えなくなりますな。お釈迦様も、暴飲暴食の害を説きます。また、出家者として下品はふるまいはいけないと説きます。食い意地が張っているのは、餓鬼なのだと説きます。節操が大事だ、ということですね。修行僧が餓鬼になっていては、話になりませんからね。こうした教えを受け、ビンドーラは大食漢を克服しますな。節制することを覚えます。やがて、そこから自分の心をコントロールすることを覚えますな。これは、悟りへの道ですね。自分の欲望をコントロールするのは、悟りを得ることにもなるのです。こうして、ビンドーラは阿羅漢の境地に至るのですな。同時に、優れた神通力者にもなったのです。 ビンドーラは、その優れた神通力により、大王だと自惚れていたコーサンビー国のウデーナ王を教化し、仏教に帰依させます。そして、王に対し、多くの教えを説きます。また、他の宗派の者たち・・・外道と呼ばれていた・・・からの論戦にも負けることなく追い返したりもして、お釈迦様から「教えを説く者たちの中で最も優れている」と褒められたりもしたのです。 が、それほどすぐれたビンドーラだったのですが、教団追放という最も重い罪を犯してしまうのですよ。いったい彼に何があったのか・・・・。 ビンドーラがラージャグリハに滞在していた時のこと。ある長者が高価な栴檀の木を使って鉢を作りました。その長者は、その鉢を何本も竹竿をつないだ先に結び付けました。そして、空高くその鉢を掲げ、 「さぁ、出家者であれバラモンであれ、神通力をもっている者は、その神通力でこの鉢を取ってみてくれ。見事鉢をとれたものに、この鉢を与えよう」 とラージャグリハの街を触れ回ったのです。これを聞きつけた他の宗派の6人の修行者が挑戦しますが、失敗します。たまたま、そこを通りかかったのがモッガラーナ(目連尊者)とビンドーラでした。ビンドーラはモッガラーナに言います。 「モッガラーナ尊者よ。尊者は神通力第一と称賛されるほどの神通力者です。どうか、あの鉢を取ってください」 モッガラーナは答えますな。 「いやいや、ビンドーラ、あなたこそあの鉢を持つのにふさわしい修行者でしょう。あなたが、あの鉢を取るがいい」 神通力第一のモッガラーナにそういわれ、ビンドーラは調子に乗ってしまいますな。それじゃあ、といい、ビンドーラ、神通力で空高く飛びあがりますな。しかも、空高く掲げられた竹竿のさらに上空で、ぐるぐると飛び回りますな。ラージャグリハの街全体を飛び回ったという話も伝わっております。まあ、派手に飛び回ったわけです。そして、竹竿に吊るしてある鉢を手に取りますな。そのまま地上に降りてくると、長者がビンドーラに向かって言います。 「ビンドーラ尊者よ、あなたの神通力は素晴らしい。さあ、その中にこれを入れてください」 長者は、高価な栴檀の鉢に、豪勢なごちそうをたっぷり入れますな。ビンドーラ、鼻高々です。周囲も大騒ぎですな。みな、ビンドーラを讃えております。そんなとき、「ギャー」という叫び声が聞こえます。そちらをみなが見ると、女性が血だらけで倒れておりますな。いったいどうしたのか、と街の人が問います。すると、そばにいた人が 「この人は妊婦さんです。先ほどの尊者の神通力を見て驚いて・・・流産したようなのです」 と言ったのですな。あたりは一気に静まり返りました。ビンドーラも真っ青ですな。さすがにどんな神通力をもっていたとしても、流産した子を元に戻すことはできませんな。先ほどまでお祭り騒ぎだったのが、大騒ぎになってしまいました。 このことを知ったお釈迦様、激怒しますな。 「ビンドーラよ、お前にはすべての人を救うようにと教えてきたはずだ。それなのにお前は、軽はずみな意味のない行動をし、尊い命を奪ってしまった。今後は、お前は私についてくることを禁じる。お前は涅槃に入ることもできないであろう。これよりは南インドの山中にこもり、そこで人々を救うために教えを説くがよい。さぁ、行くのだ!」 と仏教教団を追い出してしまうのです。ビンドーラは、がっくりとうなだれて、一人南インドへ旅立っていったのです。こうした経緯があり、ビンドーラは、お寺の本堂には決して入れてもらえないのですね。 さて、このことをきっかけに 「人々の前でむやみに神通力を使ってはいけない」 という戒であり律である項目ができました。ビンドーラが、この戒律のきっかけになったのですな。 ちなみに、ビンドーラが得た鉢は、粉々に砕かれ、目薬として使用されたそうです。また、ビンドーラをそそのかしたモッガラーナへの罰は不明です。まあ、モッガラーナのせいではありませんけどね。 また、ビンドーラのその後ですが、彼は南インドのとある山中で暮らしていたのですが、よく人々を救ったそうです。その周辺の人々は、困ったことがあると、ビンドーラがいたと思われる付近で香を焚き 「どうか私の願いを受け、ここにきて供養を受け取ってください」 と祈ったのだそうです。すると、ビンドーラがやってきて、願いを叶えたり、教えを説いたりしたそうです。また、病から人々を救ったりもしたそうです。これが伝わり、ビンドーラの像の頭をなでると、病が治るという伝説が生まれたのです。 周囲の人の甘言に調子に乗ってその気になり、大きな失敗をする・・・・。ビンドーラの失敗は、そこにあるのですが、こういうことはよくある話ですよね。ついつい、周囲のおだてに乗ってしまい、バカなことをやって恥をさらしてしまう・・・。酔っぱらったサラリーマンには、よく見られる光景です。 取り返しのつく失敗や笑って済ませられる失敗は、まあかわいいものですが、取り返しのできない失敗をすることもあります。どうぞ、みなさん、お気を付けください。ビンドーラのようにならないようにね。 「そそのかされて調子に乗ると、ロクなことはない」 という教えでした。 Aチャンナ・・・頑固で嫉妬深い者は嫌われる チャンナは、お釈迦様が王子だったころの城の馬番をしていました。実は彼は、お釈迦様と同じ誕生日です。お釈迦様は王子として生まれ、チャンナは奴隷の子として生まれました。同じ誕生日でも王子と奴隷の子・・・これほどまでに運命は異なるのです。誕生日による占いなんぞ、100%当たらないという証拠ですな。まあ、それはいいのですが、チャンナはお釈迦様と近しく育ったのです。というのも、お釈迦様が少年になり馬に乗るようになったとき、お釈迦様専用の馬番をチャンナが務めるようになったのです。お釈迦様は、子供の時より、あまり身分差別をしませんでした。奴隷だからと言って、その者にきつく当たるようなことはしなかったのです。ですので、チャンナは王子が親しくしてくれることに喜びを感じていたのですね。まあ、それでも王子は馬の上、チャンナは馬を引っ張るほう。差は歴然としていますな。使用する側と使用される側の差は、お釈迦様といえども、しっかりつけております。王子としての教育は受けていますからね。 お釈迦様が城を出て出家をした時も、城を離れるまでチャンナが付き添いました。馬に乗って城を抜け出たので当然ですね。城からずいぶん離れると、お釈迦様は馬を下り、身に着けた宝飾類をチャンナに渡し、国王に自分が出家したことを伝えるように命じます。チャンナは途方に暮れますが、その役目を果たしますな。それ以来、チャンナは呆けたようになってしまいます。仕事がなくなった・・・わけではないですが、世話をする相手がいなくなってしまったので、淋しかったのでしょう。 その後、お釈迦様は悟りを得て、しばらくして故郷のカピラバストゥへ戻りますな。その時、多くの者が出家してお釈迦様の弟子になります。その中にチャンナも入っていました。しかし、チャンナは困った弟子になってしまうのです。 まず、彼は真面目に修行しません。しかも、お釈迦様の二大弟子であるシャーリープトラとモッガラーナの悪口ばかり言ってました。チャンナはこう言っていたのです。 「俺はお釈迦様が出家されるとき、お供したのだ。俺は、お釈迦様が幼いころからそばで使えてきた。お釈迦様の隣に座るのは俺様だ。シャーリープトラとかモッガラーナが座る場所ではない。あの二人は、自分が一番弟子だと言いふらしているイヤな奴らだ」 お釈迦様の両横には、いつもシャーリープトラとモッガラーナが座っていました。お釈迦様の後ろにはアーナンダですね。これが仏教教団の定位置なのです。シャーリープトラとモッガラーナは、誰しもが認める優秀な弟子でした。お釈迦様も随分と二人を頼りにしていたようです。特にシャーリープトラは、お釈迦様の代役を務めるほどの弟子だったのです。チャンナは、それが面白くなかったのですな。いわゆる男の嫉妬です。醜いですな。「お釈迦様の横は俺だ〜!、俺の位置だ〜!」ということなのですな。そこで、シャーリープトラとモッガラーナの悪口ばかり言っていたのです。 当然のことながら、お釈迦様はチャンナを叱ります。出家者は悪口を言ってはいけないという戒があります。これを破れば罰せられますな。まずは、お釈迦様から厳重注意を受けるのです。 しばらくはチャンナは大人しくしております。が、再びシャーリープトラとモッガラーナの悪口をあちこちで言いふらしますな。真面目に修行している者たちの邪魔をして、悪口を吹聴します。お釈迦様、再び厳重注意しますな。が、やはりしばらくは大人しいのですが、またまた二人の悪口を言い始めます。さすがに修行僧たちから、「うざい、うるさい、邪魔だ、どっかに消えろ!」と言われるようになりますな。修行者が修行にならないくらい、チャンナはあちこちに行っては、悪口を大声で言い放つようになったのです。修行者たちは、お釈迦様に何とかして欲しいと訴えます。お釈迦様、3度目の厳重注意をチャンナにします。チャンナ、大人しくなりますな。それ以来、チャンナは、ふてくされます。 ふてくされたチャンナ、あちこちでちょっとしたルール違反をしますな。一つ一つは小さなことですが、それが重なると他の修行僧からは苦情が出ます。しかも、チャンナは反省会(布薩といいます)の時にも、ルール違反をしたことを報告しませんな。チャンナはふてくされていますから、他の修行僧の邪魔をしても悪いと思っていないのですな。反省しないチャンナは、お釈迦様から罰を与えられます。 「今日よりチャンナは、みなと一緒に食事をしたり寝たりすることを禁じる。つまり、チャンナは一人で寝食をすること。なお、これより、罪を犯した者がそれを自ら懺悔しない場合、その者は、一人で寝食を過ごすという罰を与える。これを教団の規則とする」 チャンナが原因で、「自分の罪を告白しない者は仲間外れになる」という律ができたのですな。 こんなチャンナでも、彼を慕う在家の信者ができました。しかも、金持ちです。驚きなのですが、そういう変わり者もいるのですな。で、その信者、チャンナ専用の精舎・・・お堂ですな・・・を建ててやる、と言います。ただ精舎を建てる場所は、自分で選んで欲しいと条件を付けますな。チャンナは早速、自分の好きな場所を決めますな。しかし、その場所にはその村の御神木が立っておりました。当時のインドでも、樹木には神が宿ると信じられておりました。樹神(じゅしん)といいます。樹神を祀っている村も数多くあったのです。チャンナは、自分の土地を得るために、なんと勝手にその御神木を切ってしまうのですな。これには村の人々が怒りだしました。当然ですな。村人はお釈迦様に苦情を言いに行きます。 「お釈迦様の弟子はどうなっているんだ。あのチャンナとかいうヤツは、村の御神木を切ってしまったぞ!」 お釈迦様、あきれ果てますな。チャンナを呼び、厳重注意をします。これ以来、「精舎を建てる土地に御神木があった時は、これを切ってはならない」という規則ができます。バカバカしい規則なのですが、そういう細かい規則までつくらないと、何をしでかすかわからない者がいるから仕方がないのですな。お釈迦様もさぞや溜息・・・だったでしょう。 しばらくしてチャンナ専用の精舎ができます。立派な精舎だったのですが、チャンナはもっと立派に見せようとして、屋根を二層にして欲しいと注文しますな。チャンナの信者は、その注文を受け入れ、屋根を二層にしますな。すると、屋根の重みに耐えきれず、精舎は倒れてしまいます。そのため、周囲の麦畑をつぶしてしまったのですな。農民たちは激怒しますな。で、お釈迦様に苦情を言いに行きます。お釈迦様は、チャンナに厳重注意しますな。これにより新しい規則が生まれますな。 「精舎の屋根は、むやみに二層にしない。周囲の畑をつぶさないように建てること」 このほかに、チャンナは勝手に高くて大きなベッドに寝ていて、周囲の邪魔をしていたので、 「修行僧は、高くて大きい贅沢なベッドに寝ない」 という規則もできました。 チャンナが注意されたことは、ものすごくたくさんあったようです。ことごとく他の修行者の邪魔をしていたようですな。そのたびにお釈迦様から注意を受けるのですが、ふてくされるだけで一向に態度を改めません。さすがのお釈迦様もキレますな。 「これよりチャンナにブラフマダンダと呼ばれる罰を与える。これは、次のような罰である。チャンナは自分の思ったことをなんでもしゃべってもよい。しかし、他の修行僧たちは、彼に返事もしてはいけないし、しゃべりかけてもいけない、戒めてもいけない、注意をしてもいけない、叱ってもいけない、教え諭してもいけない。つまり、誰もチャンナと話をしてはいけない、という罰である」 無視をしろ、ということですな。 この罰は、お釈迦様入滅後に与えられたという説もあります。アーナンダからお釈迦様の言葉を伝え聞いたチャンナは、三度失神したそうです。で、「尊者よ、私を見捨てないでください」と、アーナンダに泣いて懇願したそうですな。アーナンダは、お釈迦様の言いつけどおり、無視したようです。 罰を与えられたのが、お釈迦様入滅前なのか後なのかはともかく、その罰により、チャンナは一人修行して悟りを得ますな。悟り後は、自分の犯した数々の罪を反省し、皆に「こんなことはしてはいけない、苦しいだけだ」と説いたそうです。ま、終わりよければすべてよし、なのですが、頑固で嫉妬深いものは、結局は嫌われますな。 チャンナは、お釈迦様を自分だけのものしたかったのでしょう。お釈迦様、ラブだったのですな。しかし、お釈迦様は、すべての者に平等に接します。チャンナにしてみれば、 「あのころは、もっと親しく、一緒に遊んだではありませんか。二人だけで遊んだじゃないですかぁ〜」 ということだったのでしょう。一種のストーカーですな。それで、お釈迦様に近付く修行者やお釈迦様が頼りにしている高弟が気に入らなかったのです。嫉妬深いのも困りものですな。というか、これは単なる勘違いから始まったことなんですけどね。チャンナの一方的勘違いですな。これは、現代のストーカーにも言えることですよね。相手は何とも思っていないのに、勝手に「自分は特別じゃないだろうか」と思い込んでしまう。思い込みが激しいのですな。こういう人は、周囲から避けれらえる存在となるのです。 しかも、周囲の注意を聞き入れません。頑固に自分の考えに固執します。挙句の果ては、自分の世界が世間に通用すると錯覚しますな。そうなると、もうはや救いようがありませんね。結局は、周囲から無視されるようになるのですな。こうしたことは現代でも、まま見受けられますな。最近では、このような状態になると事件を起こしかねないので、恐ろしいですよねぇ。 ま、いずれにせよ、あまり思い入れが激しいと、チャンナのようになってしまいますな。 「頑固で嫉妬深いものは嫌われる」 若い人も中年もお年寄りも、嫌われたくなければ頑固や嫉妬心は捨て去りましょう。 さて、次回もこのような「やってしまった弟子たち」のお話をしていきます。もっとすごいのが出てきますよ。お楽しみに。 合掌。 第十話 お釈迦様のとんでもない弟子の話A お釈迦様のお弟子さんたちも、優秀な者ばかりがいたわけではありません。中には、とんでもない失敗や愚かな行為、悪巧みなどをした者もいるのです。そうした者のお陰で、仏教教団としての規律や僧が守るべき戒がどんどん増えていきました。このシリーズでは、そうした「とんでもないことをした弟子たち」を紹介しています。 ただし、そうした弟子たちを嘲笑おうという企画ではありません。自分たちも似たような愚かな行為はしていないか、反省の意味を込めてお話を進めております。誤解なきよう、よろしくお願いいたします。 さて、今回はお釈迦様がいらしたころの教団の中で「六人組」と呼ばれていた愚かな修行僧の話をいたしましょう。彼ら6人組の修行僧は、何かとくだらない行為をしては、その都度、教団の戒律を増やしていったダメ修行僧です。その中でも特に「ウパナンダ」という修行僧は、悪評の高い男でした。彼は、数多くのトラブルを引き起こしたのです。どんなことがあったのか、いくつか紹介してみましょう。 B六人組(リーダーはウパナンダ)・・・不良修行僧たちだって修行僧だぜぃ (1)遅刻だってしちゃうぜぃ コーサラ国の首都シュラーバスティーをウパナンダが托鉢をしていた。彼はとある長者(お金持ち)の家に托鉢に行った。その長者は、まだ仏教に帰依して間もない人だったので、ウパナンダの立ち振る舞いや説法にすっかり心酔してしまった。そこで長者は 「ウパナンダ様、実は先日、お釈迦様に食事の接待をお願いいたしました。お釈迦様は、快く私どもの申し出を受けてくださり、その日は数名の徳の高いお弟子さんたちと御一緒にお食事にこられます。どうかウパナンダ様もご一緒に来てください。お願いいたします」 と彼に頼み込んだのだった。ウパナンダは 「う〜ん、その日は・・・あぁ、少々用事がありまして、よその家に寄らねばなりません。う〜ん・・・しかし、あなた様がそこまでおっしゃるというのなら、なるべく早くその用事を済ませてこちらに参りましょう。ですので、私がこちらに到着するまでは、皆さんに食事の用意をしないでいただきたい。よろしいですか?」 と長者に言った。長者は、教団に「皆がそろうまでは食事を出してはいけない」という規則があるのだと勘違いをしてしまい、 「わかりました。ウパナンダ様の到着を待っています」 と答えたのだった。 接待の日、お釈迦様と高弟が長者の家にやってきた。お釈迦様は 「長者よ、我々は全員そろいました。お施主さんの挨拶をどうぞ」 と長者に促した。長者は、接待のできる喜びを述べ、お釈迦様たちに席に座るように勧めた。お釈迦様たちは、勧められたように接待の席に着き、食事を待った。しかし、いくら待っても食事は運ばれてこなかったのだ。 お釈迦様たちは、決して食事の接待を受けることを目的としてはいません。したがって、何も言わず黙って食事が出てくるのを待っていました。しかし、さすがにお昼近くになっても食事が出てこなければ、食事後の説法をする時間も無くなってしまいます。そこでお釈迦様はアーナンダに「食事の用意をしていただくように」と長者に伝えさせたのです。すると長者は 「実はウパナンダ様を待っているのです。ウパナンダ様から、『私が来るまで食事の用意はしないでください』と言われているのです」 と、アーナンダに答えた。アーナンダは、「ウパナンダは待たなくてもよい」と伝えたのだが、長者は「約束してしまいましたので・・・・」と、取り合わなかったのである。 お昼近くになってウパナンダはやってきた。 「やぁ、遅くなって済まない。では、さっそく食事をいただこうか」 こうして食事の用意がされたのであるが、出された食事はさっさとウパナンダがたいらげ、他の修行僧にいきわたらないこともあった。折角の食事の接待であったが、十分に食事をとれなかったり、まったく食べることができなかったりした修行僧もあったのだ。しかし、そうした状態であったにもかかわらず、お釈迦様は長者に礼を述べ、法を説いて精舎へと帰っていった。 その日は、ちょうど布薩の日であった。午後からは、修行僧が日頃の罪を告白し、反省しあう日だったのだ。その反省会は、精舎に滞在する全員がそろわねば、始めることができない決まりだった。何らかの都合で出席できない場合は、届け出が必要であった。しかし、ウパナンダは、その届け出をせず、布薩の会に出ることを忘れていたのだった。 待てど暮らせどウパナンダだけが姿を現さない。お釈迦様は、「もうよい、始めよう」と言い、反省会を始めたのだが、僧たちは 「何なのだウパナンダの態度は。食事の接待には遅刻する、布薩には無届で出てこない・・・。彼を何とかしないといけない」 と、ウパナンダへの不満ばかり言い合ったのだった。お釈迦様は、 「では、今、彼をここへ呼ぼう。彼は、まだ長者の家にいるはずだ」 と言い、アーナンダにウパナンダを呼びに行かせた。 「いや〜、すっかり時間が過ぎていたのに気づきませんでした。いや〜面目ない。すみません、すみません・・・」 ウパナンダの態度に他の修行僧の怒りが爆発した。しかし、ウパナンダは、皆が何を怒っているのかさっぱりわからないといった表情だった。お釈迦様は、皆に鎮まるように言うと 「ウパナンダ、そして皆の者に言っておく。食事の接待を受けた時は、その時間に他の用事を入れず、時間を守ること。もし、それに反した場合は、罪となる。また、接待を受けた後は、教えを説き、速やかに教団に戻ること。もし、それに反した場合は、罪となる。さらに、約束の時間を守ること。もし、約束を守らず遅刻をした者は、罪となる。これを教団の決まりとする」 と厳しい顔で言ったのだった。その言葉に、そこにいた修行僧は全員、ウパナンダを睨み付けていたのだった・・・。 「遅刻魔」という人は、どこにでもいますな。こういう人は、毎回遅刻をしているのですが、そのたびに 「あ、ごっめ〜ん、まったぁ〜?」 などと、ち〜っとも悪いなんて思っていない言い方でやってくるのです。本人は、少しも反省していませんな。なので、絶対に遅刻癖は治りません。むしろ、わざと遅刻しているのではないか、と疑いたくなるくらいです。 我々の僧侶仲間にも一人遅刻魔がいます。その方、集会があるたびに毎回遅刻をしてきます。ひどい時などは、法会が始まるギリギリの時間にやってくる・・・と言うこともありますな。何度注意されても直りません。なので、その方には集合時間を他の人よりも30分以上、早い時間を伝えておきますな。それでも、遅刻するのですから、もうどうしようもないですな。皆さん、あきらめてしまいます。 本人に悪気がないので、困ったものなのですよ。本人は、ちーっとも悪いと思っていないから、始末に悪いんですな。いくら説教されても馬耳東風。柳に風、馬の耳に念仏、糠に釘。今の時代は、「教団追放」なんてできないので(よほどの罪・・・法律に触れるようなこと・・・がない限り、その宗派を破門されることはありません)、まあ、放置状態ですね。ですが、こんなことを規則にしないといけないって・・・。と思いますが、今でも遅刻魔っていますからね。これが現実ですな。お釈迦様もさぞ頭の痛いことだったでしょう。人間て、ほんと愚かですな。 それにしても、遅刻魔は、嫌われますなぁ。間違いなくね。 (2)悪口だって言っちゃうぜぃ 不良修行僧の六人組は、他の修行者の悪口も言います。特に修行者の身体的特徴に関して悪口を言うのです。当然のことながら、悪口を言われた方は、傷つきますな。また、中には言われたことをいつまでも気にしたり、瞑想中に思い出したりして修行になりません。このように悪口を気にする者は、真面目な人が多いですね。なので、悪口を言われた修行者は、 「あんな悪口ごときで心が乱されるとは・・・。あぁ、修行が足りない。何とも恥ずかしいことだ」 と、かえって自分を責めてしまいます。そう、誰も悪口を言う六人組を責めないのですな。当の六人組も 「この程度のことで気にする者は、修行が足りないんだよ。そういうことを乗り越えてこそ、修行が完成するっていうものだ。あははは」 と豪語していた次第ですな。 しかし、ある者が意を決してお釈迦様に「六人組が悪口を言っている」ということを報告します。お釈迦様は、祇園精舎の全修行僧を集めて説教をしますな。 「修行僧たちよ、今、この祇園精舎には黒雲が立ち込めている。黒雲は修行を妨げるだけでなく、法を汚し、修行僧を悩ませ、僧団の秩序を乱している。一刻も早く、この黒雲を取り払わねばならない。 修行たちよ、この黒雲とは一体何か。それは、悪口雑言である。人をそしり、傷つけ、小ばかにして笑う者がいるのだ。この者が、悪口雑言と言う黒雲をまき散らしているのだ。その黒雲をまき散らしている者は誰なのか?」 さすがの六人組もお釈迦様には弱いですな。何といっても、お釈迦様には嘘が通じません。すべてお見通しですな。しかも、下手に隠し立てし、お釈迦様の怒りに触れたならば、教団追放になってしまいます。そのあたりのことは六人組は、よ〜っく心得ておりますな。居心地のいい教団を追放されるのだけは困ります。しかも、その場に集まった修行僧たちは全員、六人組を見ますな。口では言わなくても、これでは「犯人は六人組です」と言っているようなものです。なので、 「そ、それは・・・・私たちのことです・・・・。申し訳ありません」 と、立ち上がって謝りますな。 「そしられ、悪口を言われた者は喜ぶであろうか?、悲しむであろうか?」 厳しい目でお釈迦様は問いますな。 「申し訳ございません。私たちには悪意はありません。ただ面白半分に・・・つい・・・」 「そういうことを聞いているのではない。質問に答えよ」 「確かに悪口を言われた者は・・・喜びはしないと思います・・・・。しかし、いやしくも皆さん修行者じゃないですかぁ。そんな程度のことで心が傷つき、修行ができないなんて・・・。そんなことはないでしょう」 突然、六人組は開き直りますな。最低です、六人組。しかし、犯罪者も開き直りはよくやることですな。いつの時代も同じです。が、お釈迦様は許しませんな。ますます厳しい目をして 「身体的特徴の悪口を言われて傷つかない者がいるであろうか?。お前たちは、彼らが何も言い返さないのをいいことに、好き放題のことを言っていたであろう。お前たちは、自分がそしられ、悪口を言われたらどう思うか?。相手の立場になって考えたことがあるのか?」 口答えをしてもかなわないことを知っている六人組は、その場で土下座して 「お許しください。もう二度と悪口は言いません」 と謝りますな。当然ながら心からの言葉ではありません。お釈迦様もそんなことはお見通しですな。なので、しばらく哀れみの目で眺めておりますな。一言も発しません。六人組は、土下座のままです。 随分そのままでした。が、やがて、 「修行僧たちよ、人をそしってはならぬ。悪口を言い、雑言を吐いてはならぬ。これを犯すものは、教団の罪となることを知るがよい」 と言って、奥へ引っ込んでしまいますな。お釈迦様、よほど腹が立っていたのでしょう。しかし、彼ら六人組を追放するようなことはしません。それは、そんな愚かな者を世間に出してしまえば、もっと深い罪を彼らは犯すでしょうし、それにより深く傷つく者が増えることがわかっているからです。とりあえず、教団の中にいれば、被害は最小限にとどめられます。なので、最低の六人組ですが、教団追放にはならないのです。お釈迦様もさぞつらかったことでしょうねぇ・・・。 世間では、イジメ問題があちこちで起こっています。先生もしっかり対応ができていないため、大きな問題になったりしてますな。相変わらず、臭いものにはふたをしようと言う、事なかれ主義の先生が多いことがばれてしまいましたね。 そもそも、相手の立場になって考えて見よ、となぜ言えないのでしょうか?。イジメをしている者に、 「相手の立場になって考えて見よ。お前らだって、こういうことをされたら嫌だろ?。それとも、お前らはイジメられたいのか?。イジメられることに喜びを感じるのか?。変態か?、どMか?」 と、なぜ言えないのか?。説教どころか、イジメているところを見て見ぬふりをしてしまうって・・・・。腐っていますな、教師も。まあ、そんな教師は少ないと思いますが・・・。 職場でもイジメはありますな。悪口を言ったり、いびったり・・・。こういうことをする者は、精神的に腐っていますな。心が貧しいものですね。それを世間に知らしめているのですが、本人は気付いていないんですな。 もし、あなたの周りにイジメをしている者がいたら、 「こいつは黒雲をまき散らしている、心の貧しい者なのだ。哀れな人間だ」 と哀れんでやりましょう。「あぁ、ここにも六人組がいる」とね・・・。 (3)ジナ教の修行者だってだましちゃうぜぃ ジナ教は、裸形外道と言われ、修行者の中でも、下品な者たちと言われていた。実際、いつも裸で過ごし、床や地面に敷物をせず寝たり、あたりかまわず小便や大便をしたりしていたので、下品と言われても仕方がなかったのである。 ある日のこと、ジナ教の修行者の一人が、北の方から来た商人の団体から、きれいな布と珍しい果物などを施された。実は、商人たちは、その修行者が仏教教団の修行僧だと勘違いしたのだが、間違われた修行者は、その間違いを正すことなく布と果物を受け取ったのであった。彼は、珍しい果物は仲間と分けて食べ、きれいな布は自分のものとした。ジナ教の修行者は布は使わないのだが、彼は妙にその布を気に入って肩からかけていたのだった。 ある日のこと、六人組の一人ウパナンダが、そのジナ教の修行者を遠くから見ていた。 「アイツはジナ教の修行僧のはず。それなのに、あんな高価な布を身に着けている・・・。う〜ん、どう考えても似合わないぞ。あの布は、俺が身に着けてこそ生きるというものだ。今の俺は・・・あぁ、こんな襤褸布をまとっている。惨めなものだ。よし、あれは俺がいただくとしよう」 ウパナンダは、そう決心すると、高価な布を身に着けているジナ教の修行者に近付いて言った。 「おやおや、君は・・・ジナ教の修行者ではないのか?。修行はやめて俗人に戻ったのかい?」 そういわれたジナ教の修行者は 「なんだって?。なぜそんなことを言うのだ。私は修行をやめたわけではないぞ」 と声を荒げて答えた。ウパナンダは、すかさず言った。 「へぇ〜、それにしてはおかしいな。ジナ教は裸形のはず。なぜそんなきれいな布を羽織っているのだ?」 「これは、北の方から来た商人が私に施してくれたものなのだ」 ジナ教の修行者は、胸を張って威張って答えた。ウパナンダは、これは困ったな、と言う顔をすると話を続けた。 「いやはや、君はとんでもないことをしているねぇ。君の師は、質素を好み、弟子たちに裸形でいることを説いているよな。それが修行だと。寝るのも地べたで寝るよね。敷物はしない。高価な服、贅沢な食べ物、豪華な住居やベッドは、君たちの教えでは厳禁のはずだ。でも、君はそんなきれいで高価な布を身に着けている・・・。これは・・・・問題だよねぇ。もし、師がこのことを知ったら・・・・。あぁ、大変だ。下手をすると・・・破門?、追放?・・・だよねぇ。そうなると、街の人々は絶対に君を相手にしなくなるよねぇ。托鉢で食べていけなくなる。さて、困ったことだねぇ・・・・」 そういわれたジナ教の修行者は、 「うっ、確かに・・・確かにそうなのだ。実は、私も不安に思っていたところなのだ。こんな高価な布を身に着けているところを師に見られたら・・・・と。しかし、手放すには惜しいのだ。なにせ、これは高価な布だ。う〜ん、捨てるにはもったいないのだ。しかも、修行仲間も私がこの高価な布をもっていることを知っているのだ。さて、困った・・・。持っていればいずれ師にバレる。しかし、捨てるには惜しい。仲間にいつけられても困る・・・。う〜ん、やはり捨てるべきか・・・・」 「いやいや、捨てる必要はなかろう・・・。そうだ、いいことを思い付いた。我々の師は、君たちの師のような厳しいことは言わない。高価な布を身に着けてもよいと言っている。どうだい、そのきれいな布と、私が身に着けているこの襤褸布を交換しないか?。そうすれば、この高価な布を捨てる必要はないし、君も安全だ。襤褸布を身に着けていても、誰も文句は言わないだろうからね。それに、君に布を布施してくれた商人の気持ちも生きるじゃないか。その商人の心を踏みにじるようなことにはならない。もし、布を捨ててしまえば、君はその商人の気持ちを踏みにじったことになるからね。これは罪なことだよね。でも、私のこの襤褸布と交換すれば、君は罪を犯すことはない。それどころか、布を布施するという功徳が積めるよ。そうなれば、仲間からは尊敬されるし、街の人々もこういうだろう。『あのジナ教の修行者は、他宗の修行者にも施しをするくらい人間ができている立派な方だ』とね」 そういわれたジナ教の修行者は、明るい表情で答えた。 「あぁ、そ、そうだね。なるほど・・・。君の言う通りかも知れないなぁ・・・。そうだね、きっと街の人からも尊敬される・・・かもね。そうだな、君の言う通りにしよう。じゃあ、布を交換しよう」 こうして、ウパナンダは、言葉巧みに高価で綺麗な布を手に入れたのだった。 ジナ教の修行者が仲間のところに戻ると 「おや、あの高価な布はどうしたのだ?」 と聞かれた。彼は、一部始終を話すと 「バカモノ、お前は騙されたのだ。相手は誰だ?。ウパナンダだって?。彼は、仏教教団でも問題のある修行僧で有名だぞ。君はなんて愚かななんだ。今すぐ取り返してくるのだ。そして、師にその布を差し出して許しを請うのだ」 と修行仲間から叱咤されてしまった。仕方がなく、ジナ教の修行者は祇園精舎に向かったのだった。 彼は、祇園精舎にいくなり、大声でウパナンダを探した。その騒ぎにアーナンダが「いったいどうしたのですか」と声をかけた。事情を知ったアーナンダはすぐにお釈迦様に報告をした。お釈迦様は、アーナンダに「布をすぐに返すようにウパナンダに伝えよ」と命じた。アーナンダは、ウパナンダがこもっている修行用の部屋に行くと、お釈迦様の言葉を伝えた。 「ちっ、世尊にまでバレてしまっては仕方がない。あ〜ぁ、いい布だったのになぁ。ちっ、わかったよ、返すよ」 と言うと、ウパナンダは布を踏みつけたり叩いたりしてボロボロにしてしまってから返したのだった。そして、 「お前らには、高価な布は似合わないんだよ。これで充分だろ。さっさと帰れ?。わかったか、この腐れ外道が!」 とジナ教の修行者に大声で怒鳴ったのだった。その修行者は 「こ、こんな恐ろしいところに二度と来るものか」 というと、あわてて逃げて行ってしまった。ウパナンダは、その後ろ姿を見て、大声で笑い続けたのだった。 それからしばらくしてのこと、六人組は布施で得た高価な布や果物を勝手に売ったり、その金を高利で在家のものに貸したりして、金品を得ていた。それは、目に余るものとなっていった。 お釈迦様は、ようやく動いた。祇園精舎の修行僧を集め、 「今日より新たな戒律を追加する。自己の利益を求めてはいけない。高価な布を身に着けてはいけない。必要以上の布をもってはいけない。お金を所持してはならない。これらの戒律を破れば、それは罪に問われる。また、布施された品々は、教団に布施されたものである。個人に布施されたものではない。くれぐれもそれを忘れないように」 と冷たく、厳しく言ったのだった。お釈迦様は、射すくめるような眼で六人組を見た。その視線は、ほんの一瞬であったが、あまりにも鋭かった。それ以来、六人組は大人しくなったとのことである・・・・。 集団になると、どんな集団にも不良はつきものなのでしょう。誰もかれもすべて、いい人、真面目、と言うわけにはいかないのでしょうね。お釈迦様の教団ですら、このような状態だったのです。「悟りを得たい」と望んで、自ら出家して来た人たちの集団であるにも関わらず、なのです。ということは、嫌々通っている可能性のある学校ならば、不良集団が生まれても仕方がないことでしょう。 学校の教師は、すべての生徒が「良い子、よい生徒」などという認識を捨てたほうがいいですね。集団になれば、少数ではあるが、集団の規律を乱すものが生まれるのは当然である、という認識を持つべきでしょう。そういう思いを日頃から持っていれば、イジメ問題にもすぐに対応できるのだと思います。 会社も同じですね。集団になれば、さぼる不良社員もいるのは当然だ、と思っていた方がいいのです。 あ〜、と言うことは、政治家もそういうことですな。あんなに人数がいるのですから、不良政治家がいても仕方がないわけですね。官僚も同じですな。不良官僚がいても当然でしょう。お釈迦様の教団にいた六人組ならぬ、さぼり集団や聞こえません集団がいても仕方がないのでしょうね。 ま、そういう不良集団がトップに立たないことを祈りましょう。 ということで、次回もとんでもない弟子のお話を続けます。次回は、男性修行僧の問題児NO1のお話をいたします。 合掌。 第十話 お釈迦様のとんでもない弟子の話B 男性の僧侶は250の戒律、女性の僧侶は350の戒律があります。戒律ができた原因はいろいろですが、多くは弟子の誰かが問題を起こし、その都度「禁止事項」として戒律が増えていきました。前回話をした6人組も戒律を増やした悪い弟子たちです。 が、そんな問題児の弟子たち「6人組」よりも、戒律を増やした弟子が二人います。一人は男性の僧、一人は女性の僧です。お釈迦様の弟子・2大トラブルメーカー、ですね。今回は、そのうちの一人、男性の僧についてお話しします。 彼の名前は、カールダーインといいます。経典の中では、「カールダーイン」、「ウダーイン」、「マハーカールダーイン」と三種の名前で呼ばれています。そのため、別人物ではないか、という説もあります。しかし、現時点ではどうやら「同一人物」という説が有力です。というのは、よくよく経典を読みますと、もとは「ウダーイン」と呼ばれていたのですが、肌の色が黒かったことから「黒い」という意味の「カーラ」をつけて「カール・ウダーイン」→「カールダーイン」となり、悟りを得たあとは「マハーカールダーイン」と呼ばれたということのようです。ただ、マハーカールダーインとカールダーインの間に、ものすごく大きなギャップがあるので、別人物ではないか、という説が浮上したのですね。そう、マハーカールダーインは、弟子の指導も素晴らしく、人々のために教えを説いたという優秀な弟子だったのですが、カールダーインというと、まあとんでもない男で、特に女性問題を何度も起こしたという弟子なのですね。マハーカールダーインからは、カールダーインの姿は想像できないほどなのです。なので、別人物ではないか、という説があるのですが、まあ、悟る前・悟った後、と考えますと、その差もありかな、とは思います。なので、一般の説である、ウダーイン=カールダーイン=マハーカールダーインという説をここでは取ります(ですが、マハーカールダーインになってからの話は出てきません。あしからず)。 カールダーインの生い立ちを少々。 彼は、お釈迦様と同じカピラバストゥの出身です。釈迦族ですな。一説によると、お釈迦様と同じ誕生日だったとか。もっとも、お釈迦様が誕生されたその日、釈迦族では500人の子供が生まれた・・・そうですけどね(完全に後付けの話ですな。お釈迦様が生まれて7歩歩いた的な話ですな。インド人はこういう話好きですからねぇ)。嘘くさい話ですが、まあ、年齢はお釈迦様に近かったのでしょう。また、大臣の子供であったため、お釈迦様の幼少時代からの遊び相手であったことは確かですね。そういうこともあり、カールダーインは、お釈迦様が出家して城を出た後、お釈迦様の様子を探り、王に連絡をしていたようです。まあ、スパイですな。お釈迦様が悟った後も、仏教教団とカピラバストゥとのパイプ役を務めていますな。お釈迦様が故郷のカピラバストゥに戻って教えを説いたのは、カールダーインの働きによるものです。で、カールダーインも出家してしまった、というわけです。 出家前は、カールダーインは、お釈迦様の様子を王に伝えるという仕事のほか、コーサラ国とのパイプ役を務めていました。この男、人懐っこいというか、相手に警戒されにくいタイプの男で、誰とでも仲良くなってしまうのですな。特に女性にはモテたようです。コーサラ国とのパイプ役をやっていた時も、コーサラ国の外交の大臣と仲良くなったのですが、なんとその奥さんとも仲良くなってしまったのですな。どちらから誘ったのかはわかりませんが、いつの間にか相手国の外交大臣の奥さんと深い仲になってしまったわけです。表沙汰になれば大きなスキャンダルですな。が、相手の大臣は二人の仲に気付いたのですが、スキャンダルは避けたかったらしく、見逃してしまいますな。しかも、その数日後に急死してしまいます。なんだか怪しいのですが、証拠はありませんな。大臣が急死したことにより、奥さんは財産を没収されてしまいますな。カールダーイン、それは可哀そうと、コーサラ国王に掛け合い、奥さんのために財産を取り戻してあげます。こうして、カピラバストゥには本宅(もちろん本妻がいます)、コーサラ国には愛人宅を設けますな。なかなかやり手です、カールダーイン。しかし、この女癖が出家後も抜けないのですねぇ。しかも、人懐っこいということは、少々お調子者である、ということでもあります。まあ、人間が軽いんですな。これが原因で、教団内で様々なトラブルを起こすのです。その結果、戒律が増えていったのですな。その数々の悪行を紹介いたしましょう。 Cカールダーインは、お調子者で女にモテモテのチャラ男君で、さらにスケベな中年オヤジだったのだ! (1)チーッス、お前ら俺を大事しなきゃ、怒っちゃうよ〜 カールダーイン、まだ悟ってはいませんでしたが、なぜか若い僧からの人気が高く、彼を慕う者が多かったようです。また、意外とリーダーシップがあったため、一応、長老の立場になっていました。つまり、若手の指導者的立場だったのです。 ある日のこと、カールダーインは若い修行僧を何人か集めて言いました。 「お前たち、私と一緒に向こうの精舎に来るがいい。そうすれば、名誉も衣食も十分に得られるぜぃ。しかも、私が教えを説いてあげちゃうよ〜」 この言葉に若い修行僧十数名がカールダーインについていくことになりました。カールダーインは、若い修行僧に荷物を持たせ、自分は何も持たず、途中ですれ違う女性をからかいながら精舎に向かいました。若い修行僧たちは、カールダーインよりも早くに精舎に到着し、しばらくカールダーインの到着を待っていたのですが、待てど暮らせど彼は来ないので、先に敷物を敷いて寝てしまいました。その間、カールダーインが何をやっていたかは不明です。まあ、途中で出会った女性と・・・・していたのかもしれません。 夜遅くになって精舎に到着したカールダーインは、若い修行僧たちが自分よりも早く寝ているのに腹を立て 「お〜い、お前ら、俺より早く寝るっていうのは、どういう魂胆だ〜。そんなんじゃあ、修行にならないよぉ〜、お前ら〜、出ていけ〜」 と彼らを精舎から追い出してしまいますな。哀れ、十数名の若い修行僧は、寒い一夜を外で過ごす羽目になったのです。 このことを知ったお釈迦様、カールダーインを呼びつけ、修行僧を追い出したかどうかを確認し、 「今後、いかなる理由があろうとも、夜に修行僧を精舎から追い出してはならない」 という戒律を制定したのですな。 (2)カラスって縁起悪いんじゃん、だからやっちまえ〜ってかんじよぉ カールダーインは、カラスが大嫌いでした。とにかくカラスを見ると、殺したくなるくらい大嫌いだったのです。そこで彼は、弓を作ってカラスを射殺することにしました。毎日、彼は精舎の裏の方で、カラスを弓で射殺していました。ついに、カラスの死骸の山ができてしまうほどでした。しかし、それは目立たたない場所にあったため、精舎に暮らす修行僧は誰も気が付かなかったのです。 ある日のこと、お釈迦様の話を聞きに来た人たちが、なぜか精舎の裏側を通ってやってきました。そこで彼らは、山になったカラスの死骸を発見するのです。このことは、すぐにお釈迦様に知らされました。お釈迦様は、すぐさまカールダーインを呼びつけ、 「カールダーイン、カラスを殺したのは汝か?」 と問いただしました。カールダーインが「はい」と返事をすると 「なぜ殺したのだ?」 とお釈迦様は問います。するとカールダーイン、 「カラスが嫌いだからです」 これを聞いて、お釈迦様は改めて「獣や鳥なを含め、理由の如何に問わず、決して殺生をしてはならぬ」という規律を定めなおしたのです。 お釈迦様、カールダーインの軽さには、さぞやお嘆きだっただろうと思われます・・・・。 (3)寝起きに行けば、王妃の裸だって見れちゃうぜ〜 カールダーイン、軽い性格だからなのか、意外に説法が上手いんですね。そのため、結構人気があったのです。特に女性からは人気があったようです。まあ、口が上手かった・・・というわけですな。今も昔も、口上手な男は、モテるんですねぇ。 コーサラ国王の第二王妃であるマッリカー夫人も、よくカールダーインを指名して王宮に教えを説きに来てもらっていました。たいていは、食事の接待つきの法話ですね。なので、午前中にカールダーインは王宮に入ります。 ある日のこと、カールダーインは思いつきますな。「朝早く王宮に行ったらどうなるだろう・・・うひひひ」と。ま、ちょっと淫らな妄想をしますな。というのも、コーサラ国のプラセーナジット王は、マッリカー夫人にべた惚れで、いつも寝室を共にしていたのですな。そこで、カールダーイン、早朝に王宮に行けば、どんな姿が見られるだろうか、と想像したようなのですな。 そのような妄想をたくましくしているころ、マッリカー夫人から説法の依頼が来ます。待ってましたとカールダーイン、二つ返事で引き受けますな。そして、その日の早朝、彼は王宮にやってきます。 そんな朝早くにカールダーインが来るなんて思いもよらなかったマッリカー夫人、あわてて寝室から出てきますな。まあ、その姿はあられもない恰好。裸に薄い布を羽織った程度の姿ですな。それでも、まあ素肌は見えません。 「こ、これはカールダーイン尊者。こんなに早くにお越しなるとは・・・。すぐに用意しますので、少々お待ちを」 マッリカー夫人、そういいながら挨拶に出てきました。すると「あっ」と叫んだかとおもうと、肌を覆っていた布がするすると落ちてしまいますな。「あれ〜、きゃー」てなもんです。カールダーインはというと、何事もなかったような顔をしていますな。マッリカー夫人、すぐに布を拾うとさっと裸身を隠し、走って奥へ引っ込みますな。まあ、その日は、説法会もマッリカー夫人は、顔を赤くしておどおどしてしまいました。夫人の様子が変なので、王が問いただすと、夫人は朝のことを国王に報告しますな。国王は、怒りますが、マッリカー夫人、 「カールダーイン尊者は、顔色一つ変えませんでした。きっと、女性の裸などには興味がないのでしょう。それなのに、私としたことが、妙に意識してしまい・・・。なので、国王様、尊者を怒ったりしないように・・・」 と国王に願いますな。国王、 「それはそれは・・・。さすが尊者だ」 とカールダーインを褒め称えますな。そのことは、やがてお釈迦様の耳に入ることになります。 一方、カールダーインはというと、精舎に戻って 「今日はいいものを見ちゃったぜぇ。なにかって?。プラセーナジット王の宝物をすべて見たのよ。そうそう、マッリカー夫人の裸さぁ。いい身体してたぜぇ」 と若い修行僧に自慢しまくってますな。これも、やがてお釈迦様の耳に入ることになりますな。 お釈迦様、カールダーインはもちろんのこと、祇園精舎にいた修行僧や尼僧を集めますな。まずは、カールダーインを叱ります。 「女性の身体にとらわれるとは、何事かっ!。それでも修行者かっ。しかも計画的であろう。なんと浅ましいことかっ!」 てなもんでしょう。そして、修行者全員に、 「今後、早朝に王宮や接待に行ってはならぬ。また、みだりに王宮などから接待を受けてはならぬ」 という規律を設けることを言い渡したのですな。 こんなことを規律として定めなければならなかったお釈迦様は、さぞや残念だったことでしょう。虚しかったことでしょうねぇ。しかし、カールダーイン、やってくれますなぁ・・・。現代のスケベな中年オヤジそのもの・・・ですよね、これ。昔から、こういうスケベなオヤジっていたんですねぇ。 これだけじゃありません。まだまだスケベな中年オヤジのカールダーイン、やってくれますよぉ。 (4)昔のよしみじゃないか。ちょっとくらい、いいだろう? 「いいじゃん、いいじゃん、久しぶりだからさ。ね、いいじゃん」 そんなセリフが聞こえてきそうなことがありました。 ある日のこと、カールダーインは、いったい何を思ったのか、久しぶりにコーサラ国の愛人宅に行きました。それは、カールダーインが出家して以来、初めての訪問でした。一応、彼も、愛人宅を訪れのは慎んでいたわけです。出家者ですからね。 突然の訪問に元愛人は喜びますな。しかし、それは男性として迎え入れたのではなく、修行者として迎え入れたようなのです。 「カールダーイン様、あなたは今では立派な修行僧になっていらっしゃると聞きます。今日は、私のために教えを説いてくださるのですよね?」 そういわれたカールダーイン、教えを説かないわけにはいきませんな。そこで、 「う、うん、そうそう、今日はお前のために教えを説きに来たのだよ」 と彼女に次第にくっついてきますな。そして、手を取り、「さて教えを説こう」などと言い、お説法を始めますな。やがて、二人の距離はものすごく縮まり、いつの間にか膝をくっつけて話をしていますな。まあ、ひょっとしたら太ももをすりすり触っていたかもしれません。 その愛人宅の通りをたまたま通った女性がおりました。彼女もカールダーインのファンだったようで、愛人宅から聞こえてくるカールダーインの説法の声に引き寄せられるように愛人宅の中に入っていきますな。 「あぁ、カールダーイン様のお説法の声がする。私も聞きた〜い」 てなもんでしょうか。ところが、中に入ってびっくり。なんと、カールダーインとその家の女性が膝をくっつけ、イチャイチャしながらお説法をしているではありませんか。その女性、あわててこのことをお釈迦様に報告に行きますな。まあ、ひょっとしたら、その女性は嫉妬からお釈迦様に告げ口したのかも知れませんけどね。 いずれにせよ、元愛人とイチャイチャしていたことがバレてしまったカールダーイン、お釈迦様に呼び出されますな。そして 「今後、他の者がいないところで、修行僧は女性と二人っきりになってはいけない。また、女性とひざを突き合わせて話をしてはいけない」 という戒律が定められますな。やってくれます、カールダーイン。 (5)よその奥さんだって関係ないね。 ある日のこと、とある夫婦が祇園精舎に教えを聞きにやってきた。その夫婦は、より多くの弟子から話を聞きたいと思い、お釈迦様の弟子を順に尋ね、説法を聞いていた。最後にやってきたのは、カールダーインのところだった。 夫は、カールダーインの話にいたく感動し、帰り道に妻に言った。 「いやあ、最後のカールダーイン尊者の話が最も良かったなぁ。あの尊者の話は、とてもわかりやすかった。冗談もうまいしな。お釈迦様の教えがよくわかったよ。また、カールダーイン尊者の話を聞きに来よう」 すると妻が怒り出したのだ。 「何を言ってるんですか、あなたは!。あのカールダーインという男は、尊い説法をしながら私の身体をなでまわしていたんですよ。私は、怖くて声が出なかったんですよ。もう二度とこんなところに来るものか!、と思いましたよ」 「な、なんだって?、あの男、そんなことをしていたのか!。ゆ、許せん!」 夫はそういうと、走ってカールダーインの元へ戻っていったんですな。で、 「おい、カールダーイン、お前は、俺の妻の身体をなでまわしたのかっ?」 と問いただしますな。カールダーイン、 「いや、その〜、まあね・・・」 とニヤニヤしていますな。夫は大声で怒り出します。その騒ぎを聞いたお釈迦様が、カールダーインに問いますな。 「カールダーイン、汝は教えを説きながら、女性の身体をなでまわしたのか?」 「はい、おっしゃる通りで・・・」 「この愚か者がっ。お前のしたことは、修行僧としてあるまじき行為だっ。はぁ・・・・。こんなことを定めなければならないとは・・・。よいか、今後、修行僧、および尼僧は、決して異性の身体に触れたり、手を握ったり、髪をなでたりしてはならない。これを破った者は罪を犯したと知れ」 いつになく、厳しいお釈迦様であったそうですな。 カールダーインの悪行は、こんなものではありません。何度も何度も注意されても、彼は懲りませんな。同じような過ちを繰り返します。ちょっとアホらしいですが、でも憎めないカールダーインに、次回も少しおつきあいをお願いいたします。 一応、彼の名誉のために、カールダーインが悟った話も次回にする予定です。お楽しみに。 合掌。 第十話 お釈迦様のとんでもない弟子の話C 前回に引き続き、カールダーインの「やっちまったこと」を紹介していきます。 (6)新婚さんを邪魔すのって、たまんないよねぇ〜 ある日のこと、祇園精舎の近くの商人の若者が、結婚をしました。その若者は、妻にべた惚れで、仕事が終わるとすぐに家に戻り、女房に抱きついてイチャイチャするのが楽しみだったのです。当然ながら、新妻も旦那が帰ってくるのを心待ちにし、帰ってきたらすぐにイチャイチャすることを楽しみにしていましたな。まあ、新婚さんだし、それは当然のことです。どこの国でも、新婚時代は仲がいいことです。特にインドは、昔から解放的で、男女がイチャつくのはごく自然なことだったのですな。 カールダーイン、托鉢に出た時にその新婚さんの噂を耳にします。 「あの若者は、最近結婚してね、それはもう仲のいいことで。毎日イチャイチャいしているよ。うらやましいねぇ」 なんてことを街で皆が噂していますな。カールダーイン、 「むっふっふっふ、これはいいことを聞いた・・・。うふふふふ」 と、一人ほくそ笑みますな。 翌日の夕方のこと、カールダーイン、その新婚さんの家に行きますな。で、玄関先で説法を始めます。家の中には入りませんな。女性が一人の家の中には入っていけないという戒律ができたばかり(自分が原因で!)ですからね。若奥さん、初めは尊い教えを熱心に聞いていますな。しかし、旦那の帰ってくる時刻が迫っていて、そわそわし始めます。 「あの〜、そろそろ主人が帰ってくるので・・・」 などと言いますがカールダーイン 「旦那さんが帰ってくるならちょうどいい。ご主人さんにも、法を説きましょう。それに、旦那さんが帰ってくる前にこっそり私が帰ったら、かえって怪しまれるでしょう」 などと、もっともらしいことを言いますな。そんなところに旦那が帰ってきます。 「お〜い、帰ったよ〜、今日もさっそく・・・えっ?」 旦那さん、帰ったらすぐに奥さんとイチャイチャしようと思っていたのに、てなもんですな。とんだ邪魔者がいます。しかも修行僧。これではイチャイチャできません。旦那さん、奥さんに小声で 「なんか食い物渡して帰ってもらえよ」 と言いますな。で、奥さん旦那のいうようにしようとすると 「修行僧は午前中しか食事はしませんので」 とか言って、カールダーイン、説教を続けますな。旦那さん、あきらめて奥さんと並んでカールダーインの話を聞きますな。二人とも、もうシラケてしまいイチャイチャ気分など吹っ飛んでしまいました。元気をなくし、うなだれてしまってますな。 その様子を見て、カールダーイン、満足げに帰っていきますな。イヤな奴です、カールダーイン。 「ケケケケ、人の恋路を邪魔するのは、面白いねぇ〜」 なんてことを言って喜んでおります。そんなことを彼は、繰り返すのですよ。何日もね・・・。 ある日の朝こと。その商人の家にカールダーインとは別の修行僧が托鉢に行きますな。すると 「お前らなんぞにやる飯はねぇ。とっと帰れ!。二度と来るんじゃねぇ」 と怒鳴られますな。びっくりした修行僧、「どうしたのですか?。何かわけでも?」と尋ねます。すると 「カールダーインってやろうが、毎日毎日、俺たちの邪魔をしに来るんだよ!」 と怒り出しますな。「もう我慢ならねぇ!」といったところですな。 その話を聞いた修行僧、すぐにお釈迦様に報告します。お釈迦様、あきれ果てますな。カールダーインを呼び 「この愚か者がっ!」 と、いつになく強い口調で叱りますな。 「カールダーイン、いったい何ために法を説くのか!。人々を苦しみから救うために法を説くのであろう。それをこともあろうに法を説くことによって、人々に不愉快な思いをさせるとは!。よこしまな心でもって法を説くとは言語道断!。 よいか、カールダーイン、そして修行僧よ、今後は、夫婦者のところへ呼ばれもせずに出かけて行って、その家に上がり込み、長居するようなことがあってはならぬ。もしもこれを破るようなことがあれば、それは罪を犯したのだと知るがよい」 こうして、新たな(くだらない)戒律が生まれたのですな。 (7)お釈迦様の息子だって、関係ないもんねぇ〜 お釈迦様の息子ラーフラは、お釈迦様が故郷のカピラバストゥに教えを説くために戻った時、わずか6歳で出家していた。お釈迦様は、幼いわが子をシャーリープトラに預けて修行させていた。それから十年ほどたったある日のことである。 祇園精舎に滞在していたシャーリープトラは、教えを説くために旅に出ることになった。彼は、若い弟子・・・ラーフラと自分の弟であるチュンダ・・・に言った。 「私は旅に出ることにした。他の弟子たちは、もう自分一人で修行ができるから、そうするように言ったが、君たちはまだ長老の元にいたほうがいいだろう。あるいは、私と一緒に旅についてくるか、だ。さて、ラーフラとチュンダよ、どうする?」 弟のチュンダは「師についていきます」と、シャーリープトラと一緒に旅に出ることを選択した。華奢なラーフラは「ここに残り修行をしたいと思います」と、祇園精舎に残ることを選択した。シャーリープトラは、 「ではラーフラよ、汝を長老に預けねばならぬ。どなたがよいか?」 とラーフラに尋ねたところ、ラーフラはうつむき加減で答えた。 「カールダーイン長老がよいのですが」 それを聞きシャーリープトラは、 「いや、それは考え直したほうがよい。彼は、悪い長老ではないが、何かと問題がある人物だ。私がいないと、彼は汝に何を命ずるかわからない。他の長老にしたほうがよいのではないか」 と言ったのだが、ラーフラは頑なに意見を主張した。 「いえ、同郷の方ですし、普段よくしていただいております。今までにも幾度となく助けていただいておりますし、嫌なことは一つもされていません。私は・・・その・・・よく耳にするカールダーイン長老の悪い噂が信じられないくらいなのです。カールダーイン長老は、いつも私には親切なのです」 「そうか、そこまでいうのなら・・・。まあ、まさかいくらカールダーインでも、ラーフラ、君には無理難題をいわないだろう・・・なぁ・・・きっと。世尊の御子息だしなぁ・・・。いくらなんでも・・・。まあ、信じてみるのも大事だしな。では、カールダーイン長老に任せるとしよう」 ということで、ラーフラは、シャーリープトラが旅から帰るまでカールダーインのもとで修行をすることとなった。 「そうかそうか、ラーフラよ、君は私を選んでくれたのか。いやいや、それはありがとう。とてもうれしいよ。で、シャーリープトラ尊者は?。ほう、もう今朝早く旅立たれたと・・・。そうかそうか」 カールダーインは、ご機嫌だった。あのうるさい、真面目くさったシャーリープトラが祇園精舎からいなくなかったこと、ラーフラが自分を選んでくれたことに舞い上がってしまったのだ。 「よし、では早速、ラーフラ君、君にやってほしいことがある」 カールダーインは、ラーフラの顔を見てニヤリとした。 「いいかラーフラよ。この森の向こう側は尼僧が修行している精舎があるが、それは知っているな。うんうん、そうかそうだよな。そこには、君の母親もいるし、祖母のマハープラジャパティーもいるからねぇ。えっと、その方たちには、何も言わなくていいんだけどね、えっと・・・、そのね、最近なんだけど、その尼僧の仲間に新たに加わった少女がいるんだよ。知ってるかい?。うん、そうねぇ、年はちょうど君くらいかな。でね、その子を君と一緒に指導しようと思っているんだ。まあ、私は、女性に教えを説くのが上手いからね。新しく入った尼僧にも教えを説くのは大事なことだからね。まあ、そういうことで、ラーフラよ、今から尼僧の精舎に行って、その新しく入った少女の尼僧をここへ連れてきなさい。あぁ、あくまでも君の母親や祖母には、何も言わなくていいからね。その少女さえ連れてくればいいんだよ。君は、尼僧に人気があるし、警戒されずに尼僧の精舎に行けるだろ?。よろしく頼むよ」 そうまくしたてるカールダーインの顔は、いつもラーフラに見せる顔とは全く異なっていた。ラーフラは、大いに驚き、そして知った。「これがカールダーイン長老の真の姿なのか、これがシャーリープトラ尊者が言っていたことか」と。ラーフラは、きっぱりとカールダーインの命令を断った。 「カールダーイン尊者よ、それはとてもできません。そのようなことは、修行僧としてあるまじき行為です。私にはできません」 「な、何を言うのだラーフラよ。いいか、弟子は師に絶対服従なのだぞ。それに・・・そう、それに君は勘違いをしている。あぁ、きっと、シャーリープトラが私の悪口でも吹き込んだのだな。いいか、私は、何も悪いことをしようとしているわけではない。君たち若者を指導しようとしているのだ。シャーリープトラ尊者のように真面目な指導もよいが、たまには・・・そうだね、くだけた感じで教えを聞くのもいいと思ってね。ましてや、年が近い者同士がいたほうが、お互いに安心じゃないか?。向こうの少女は、修行に来たばかりで不安なんだぞ。その不安を解消してやりたいとは思わないのか?」 懸命にカールダーインは取り繕うが、真面目なラーフラは全く取り合わなかった。それどころか 「カールダーイン長老は、私がその少女をここに連れてきたら、何かと理由をつけて私をよそへ行かせ、その少女と二人っきりになるつもりなのでしょう?。長老ともあろうお方が・・・・。私にはとてもできません。あぁ、私が愚か者だった。このような方だと見抜けなかった私が・・・」 と、カールダーインの心を見透かすようなことをいったのだった。図星をあてられたカールダーインは、激怒した。 「こ、この愚か者め!。私がそんなことをすると思っているのか!。お前なんぞ、面倒なんて見てやるものか!」 カールダーインは、そういうと、ラーフラをさんざん殴り飛ばし、精舎の外へ放り出してしまった。放り出されたラーフラは、森で一人夜を明かしたのだった。 翌朝のこと、マハープラジャパティーが多くの尼僧たちを引き連れ、お釈迦様に挨拶をしようと森を通りかかった。その時、寒さに震えているラーフラを見つけたのだった。彼の顔には殴られた跡が黒々と残っていた。マハープラジャパティーが、彼に事情を聞くと、 「なんということ・・・。あの愚か者のカールダーインめ!。今日という今日は・・・許さない!」 と、すぐにお釈迦様に報告したのだった。 お釈迦様は、すぐにカールダーインを呼び寄せ、話の真偽を確かめた。さすがにお釈迦様の前で嘘を言うことはできないので、カールダーインはすべてを白状した。 「カールダーイン、汝は何という愚か者なのだ。あきれてものが言えぬ。しかも、自分勝手な行為で、弟子を追い出すとは・・・・。カールダーイン、しばらく自室で謹慎せよ。外出は禁じる」 カールダーインは、うなだれて自室に帰って行ったのだった。 これをきっかけに、弟子の叱り方をお釈迦様は、事細かく決めることとなった。それにより、師は毅然とした態度で弟子を指導し、間違った行為を行えば、堂々と叱ることができるようになった。また、弟子は、師の理不尽な振る舞いがあれば、すぐにお釈迦様や別の長老に報告し、判断を仰ぐという決まりごとができた。また、弟子が精舎を追い出されねばならないような行為をしたとしても、生活に必要な道具を持たせることと、裸体で追い出してはならないことが決められたのだった。 (8)へい彼女!、俺に惚れちゃあいけないぜぃ 謹慎が解けたカールダーインは、祇園精舎内からあまり出かけなくなっていた。さすがに、ラーフラの件で懲りたのだった。そこで、外出は控えるようにしたのだ。彼は、主に他国から祇園精舎を訪れた人々に、祇園精舎内を案内したり、教えを説いたりしていた。しかし、性格はなかなか変えることは難しく、彼は主に女性を中心に教えを説いていたのだった。また、彼の外見や立ち振る舞いが、女性を引き付けるところがあり、自然に彼の周りには女性が多く集まったのだった。他の修行僧は、女性は修行の妨げになるので、できるだけ避けたかったという思惑もあり、彼らにとってもカールダーインの行為は、都合がよかったのである。カールダーインは、女性に囲まれ喜んでいたし、他の修行僧は厄介な女性を遠ざけることができ、これまた喜んでいたのである。そのような事情もあり、カールダーインの周りには、毎日のように女性が集まっていたのだ。 そんなある日のこと、飛び切りの美少女が祇園精舎を訪れたのだった。その少女は、あまりの美しさに輝いて見え、また誰もが振り返るほどであった。カールダーインは、彼女を見て、一目で気に入ってしまった。 彼女は、バラモンの娘で、聡明であった。カールダーインが説く話を熱心に聞いていた。カールダーインは、時々彼女を見つめるようにして話をした。そんな彼の振る舞いに、少女はカールダーインに惹かれていったのだった。 カールダーインの話を聞き終えた女性たちは、バラバラと帰って行ったが、その美少女だけは帰らなかった。もっと話が聞きたかったのである。その気持ちを見抜いたカールダーインは、 「あなたがよろしければ、私の部屋でお話の続きをしましょうか」 と、戒律違反であるにもかかわらず、その美少女を部屋に誘ったのである。カールダーインに惹かれていた美少女は嬉しかった。喜んで彼について行ったのである。 カールダーインの部屋に入ると、その美少女は、いきなり彼に抱きついてきた。 「あなたのことが好きになってしまいました。私を抱いてください」 そう言って、彼女はカールダーインにキスを迫ってきた。カールダーインもまんざらではなかったが、彼は単に弄ぶつもり程度だったのだ。真剣になられては困るのである。 『まいったなぁ・・・。遊びのつもりだったんだが・・・。ここでキスをしてしまったら、きっとキスだけで終わらないだろうな。誰も見ていないし、この部屋にこの少女と入ったところも見られてはいないし・・・。う〜ん、魅力的ないい女なんだけど、マジはまずいしなぁ・・・・』 カールダーインは、少女を突き放した。 「どういうこと?。あっ、あなた私を・・・・」 少女は気が付いた。カールダーインが、単に少女を弄んだだけであったということを。 彼女は、家に帰って自分で自分の肌にひっかき傷をつけると、 「祇園精舎でカールダーインという修行僧に犯された」 と父親のバラモンに訴えた。バラモンは烈火のごとく怒り、大勢のバラモンで祇園精舎に乗り込んできた。カールダーインは、隠れていたところを引きずり出され、バラモンたちに取り囲まれていた。他の修行僧は、それを見ても「カールダーインは、また何かしでかしたに違いない」と無視をしていた。彼を助けようとする者は、一人もいなかったのである。 その日は、プラセーナジット王がマッリカー夫人とともに精舎に訪れる日であった。二人が精舎に来た時、この騒ぎに遭遇したのだった。プラセーナジット王は、そこにいたバラモンに事情を聴き、夫人に少女が本当にカールダーインに辱めを受けたのかどうか確かめるように言った。夫人は、少女を尼僧の精舎に連れて行き、少女の身体を丹念にしらべた。その結果、少女は辱めを受けていないことが判明した。少女は、カールダーインに弄ばれたことに対し、復讐がしたかったのだ。 少女がなにもされていないことがわかり、バラモンたちは怒りを収めたが、カールダーインの行為は大問題となった。彼は、他の修行僧の前で大恥をかいただけでなく、国王やマッリカー夫人にまでも迷惑をかけたことに、大きなショックを受けたのだった。しかも、バラモンたちが帰った後、カールダーインはマッリカー夫人に説教をされたのだった。修行僧が、在家の女性に教えを説かれたのである。こんな屈辱的なことはかつてなかった。この事件以来、カールダーインは、寡黙になり、一人塞ぎ込むことが多くなったそうである・・・。 どうですか?。とんでもないでしょ、カールダーイン。よほどいい男だったんでしょうねぇ、彼は。彼の可哀そうなところは、自ら求めなくても、女性が寄ってきてしまう、というところにあったのでしょう。もてすぎも困りものなのです。ちょっと女性の顔を見て、ニコッと微笑めば、女性は勘違いをしてしまったのでしょうね。また、もともとスケベな性格で、女性好きだったのもいけませんな。しかし、現代でもそうなのですが・・・最近は特にかもしれませんが・・・僧侶って意外にもてる人がいるんですよ。鎌倉時代も、念仏系の僧侶が、天皇の侍女に惚れられてしまい問題を起こすことがあったそうです。まあ、付き合ってしまったんでしょうな、きっと。現代でも、「美坊主」などと呼ばれ、人気のある僧侶の方もいるようですな。まあ、私には関係のないことですがっ(怒)。 まあ、それはいいとしまして、確かに勘違いをされることはあるでしょうな。坊さんは話が上手ですからね。いろいろな悩みの相談を聞いているうちに、「私に気があるのかしら・・・」などと思う女性の方もいるかもしれませんな。坊さん側は、仕事だと思っていることが多いですけどね。 まあ、カールダーインは、その典型的な人だったわけです。いい男、魅力的、いい声、ふるまいもしなやか、優しい、相談に乗ってくれる・・・・。そりゃ、好きになってしまう女性も多々いることでしょう。ただし、スケベはいけませんな。すぐに手を出してしまうのが、カールダーインの悪い癖だったわけです。しかし、それも(7)(8)の事件で、ちょっとこたえたようですな。この二つの話は、時系列でつながっていると思われます。ショックなできことが連続して起こったわけですな。特に(8)の事件は引きずったようですな。この後、カールダーインは、一人黙々と修行にはげみ、悟りを得ることになります。 彼の名誉のために、カールダーインの悟りを得た時の話と、彼の神通力の話、そして彼の死について話しておきましょう。 (9)ま、いろいろあったけど、覚ったことだし、死ぬのも怖くないよ 美少女事件の後、カールダーインは、寡黙になった。そして、一人黙々と修行にはげんだのだった。 ある日のこと、カールダーインはお釈迦様の部屋にやってきた。 「世尊よ、世尊は正午を過ぎてからの食事を禁じています。以前、私は夜食のおいしさ、楽しさに夢中になった時があります。しかし、夜食を得るには夜中に危険な場所に行ったり、女に出会ったり、子供驚かすようなことがあったりもしました。そんなある日、私はこのような話を聞きました。とある外道の修行者が夜に出歩いていて妊婦と出くわしたそうです。その妊婦は、大いに驚き流産してしまいました。不用意な修行者の行為が一人の命を奪ってしまったのです。私は、この話を聞き、夜食をやめました。あぁ、世尊の戒めは正しいのだと知ったのです。私は、人の命を奪うことがなかったのは運が良かっただけなのだと知りました。ひょっとしたら、その修行者は自分であったかもしれない・・・。欲望は、自分を地獄へと追い落とします。欲は恐ろしいと私は知りました。今では心が安らいでおります」 「カールダーインよ。よくぞ悟った。修行僧たるもの、どんな些細なことであろうとも、どんなに強く惹かれることであろうとも、すべての欲を捨て去らねばならないのだ。そのことを忘れないように」 「もう二度と、欲に負けることはありません」 こうして、カールダーインは悟りを得たのだった。 悟りを得たあとのカールダーインは、全く別人のように穏やかになっていた。あの女性を引き付ける特有な笑顔はなくなり、いつも引き締まった顔をしていた。修行僧の中には、「本当は別の人間ではないのか」と疑う者もいるくらいであった。修行僧たちは、彼のことをマハーカルーダーインと呼ぶようになった。そして、彼はよく宮中に出入りし、国王やマッリカー夫人に教えを説いたのである。 ある日のこと、彼はとあるバラモンの妻が強欲であることを神通力で知った。そこで彼は、この強欲な妻を教化しようと、彼のバラモンの家に托鉢に訪れた。 「また修行僧かい!。お前らにやるような食べ物はない。まあ、ここにはこんなに美味しそうな餅があるけどねっ」 女は、そういうとカールダーインの目の前で餅を美味しそうに食べた。カールダーインは黙って立っていた。 「なんだい、なんだい、とっと帰んな!。いいかい、たとえお前の目が飛び出そうが、餅は絶対にやらないよ。これはみんな私のものだ!」 すると、カールダーインは、神通力で両目を飛び出させた。女は驚いたが 「そ、そんなことで驚かないね。その目ん玉が、お椀ほどの大きさになっても、この餅はやらないよっ」 と叫んだ。すると、カールダーインの飛び出した目は、お椀ほどの大きさになった。 「そ、そんなことで驚かないさっ。そのままお前が逆さになっても餅はやらないっ」 すると、カールダーインは、そのまま逆さになった。 「きーっ!、ふん、お前がここで死んだって、この餅はやらないっ。絶対やらない。さっさと帰れ!」 すると、カールダーインは、その場で倒れてしまった。倒れた彼は、息をしていなかった。女は驚きのあまり、 「あー、許してください。修行僧がここで死んだとあれば、私は罰を受けてしまいます。餅を好きなだけ上げますから、生き返ってください」 その言葉を聞き、カールダーインは立ち上がったのだった。そして、 「あまり強欲な心はいけません。私のもの、私のもの、と独り占めしていては、餓鬼になってしまいます。私は、餅が欲しくてここに来たのではない。もし、あなたに施しの気持ちがるのなら、この餅は祇園精舎へ持っていくがよい」 そう言って彼は立ち去ったのであった。バラモンの妻は、ハッとして自分の強欲さに気付き、すべての餅を祇園精舎へ持っていったのであった。 カールダーインは、このように欲にとらわれた者を気付かせることが多くあったのであった。 ある日のこと。あるバラモンの夫婦の家にカールダーインは托鉢にやってきた。そのバラモンは、まだ年若い夫婦だった。托鉢をしていて、カールダーインは、そのバラモンの妻が、こともあろうに盗賊のかしらと不倫関係になっていることを知った。カールダーインは、後日、またそのバラモン夫妻の所に托鉢に訪れ、邪淫の罪がいかに深いかということを説いて帰って行った。バラモンの妻は、カールダーインに不義がバレていることにあわてた。そこで不倫相手の盗賊の頭にカールダーインを始末して欲しいと依頼したのだった。 しかし、カールダーインは宮中に出入りし、特にマッリカー夫人のお気に入りの尊者である。下手なことをしてバレたなら、自分の命も危ない。盗賊の頭とバラモンの妻は、計画を練ったのであった。 それから数日後のこと、バラモンの妻は、病気にになってしまったとカールダーインを家に呼び寄せた。 「尊者様は、お気づきでしょう。私は不義を働いております。その罪で、このような病気になってしまいました。どうか、私を哀れんで教えを説いてください」 カールダーインは、バラモンの妻を哀れみ、教えを説いた。しかし、彼が帰ろうとすると、彼女は「もっと聞きたい」と言って、彼を帰そうとしなかった。カールダーインは、そこで気付いた。神通力で彼女の心を覗くと、すべてがわかった。そしてそれは避けることができないことであることも知った。涅槃の時が来たのだ、と悟ったのである。 外が暗くなるまで、彼は教えを説いた。そして、「ではそろそろ、私は去りましょう」とバラモンの家を出た。そして、彼は祇園精舎へ帰る途中、盗賊に首をはねられたのだった。 翌朝のこと、精舎にカールダーインの姿が見えないことに、彼の弟子たちが騒ぎ出した。彼らは、お釈迦様にそのことを報告しにいくと、 「カールダーインは、涅槃に入った。彼の遺体は、ここからとあるバラモンの家の行く途中の畑の肥溜めの中にある」 とお釈迦様は告げたのであった。そして、お釈迦様を始め、長老とカールダーインの弟子たちは、その肥溜めに向かった。お釈迦様の神通力により、肥溜めの中からカールダーインの遺体が出され、汚れが落とされた。切り離された頭も身体につけられ、その遺体は火葬にされたのであった。 なお、カールダーインを殺害した盗賊の頭とバラモンの妻は捕えられ、公開処刑されたという・・・。 カールダーインの最後は、悲惨なものでしたが、本人はすでに悟りを得ていたので、どうということはなったようです。それよりも、彼は悟る前の罪が多かったことを恥じており、どのような死に方をしたとしても、すべて受け入れるつもりであったことでしょう。悟りと罪とは、そういう関係にあるものです。 今、いろいろ罪を犯してしまっている僧侶も、それはすべて自己責任である、どのような死を迎えようとも、死後どこへ行こうともすべて自己責任である、と悟って遊んでいることでしょう。そうであるならば、僧侶がどのような遊びをしようとも、それは自由なのですよ。いや、それは僧侶だけではありません。どんな人であれ、どのような行為をしようとも、それはすべて自己責任なのです。死後、自分の行為により、たとえ地獄に落ちるようなことがあっても、その後始末を子孫に頼まない覚悟が必要ですね。その覚悟ないのならば、罪を犯すような行為はしないことですな。 さて、悪僧カールダーインのお話はここまでです。彼のお陰で、たくさんの戒律が増えてしまったのですが、それでもまだ彼は悟りを得ることができたのです。そこが救いですな。お釈迦様の弟子の中には、とんでもないことをしでかしても、全く反省のない、ある意味すごい弟子がいるのです。その弟子と比べたならば、カールダーインなんてかわいいものです。 お釈迦様の弟子で最強最悪の弟子とは・・・・。 その名を「ストゥールナンダー」といいます。彼女・・・そうストゥールナンダーは女性なのです・・・は、仏教教団の秩序を乱す、最悪の尼僧だったのです。次回からは、彼女のとんでもない行為の数々を紹介していきます。 合掌。 |