仏様神様、よもやばなし

ばっくなんばぁ〜6

第十話 お釈迦様のとんでもない弟子の話D

今回は、仏教教団最悪の尼僧の話をします。最悪と言っても、殺人とか窃盗とか不倫とかいった、とんでもない事件を起こしたわけではありません。いわば「しょーもないこと」を次々と起こしてしまったのです。そういうあきれるような尼僧のお話です。
彼女の名前は、ストゥーラナンダーといいます。何かとお騒がせ行為を行い、そのために多くの戒律ができたのです。彼女の行為が、尼僧の戒律が僧侶の戒律よりも100項目多くなった一因にもなっています。その驚きの行為を紹介していきましょう。

(1)出家してしまえばいいのよ
ある日のこと、ストゥーラナンダーが托鉢をしていると、女性の悲鳴が聞こえてきた。さらに、それに続き男性の罵声が聞こえてきた。何事かとストゥーラナンダーは声のした方に行ってみると、どうやら夫婦げんかのようだった。夫が妻に怒り、怒鳴りつけているのだ。しばらく様子を見ていたストゥーラナンダーは、ケンカがおさまり夫が消えたのを見計らって、その家に托鉢に行った。
「私は仏陀の弟子です。どうか食べ物の布施をお願いいたします」
ストゥーラナンダーがそういうと、その家の妻は、泣きながら答えた。
「尊者よ、私には深い悩みがあり、お布施どころではありません」
「おぉ、それはいけない。私があなたの苦しみを癒すよう力になりましょう」
ストゥーラナンダーは、優しい声でそう言ったのだった。
「実は私の夫は乱暴者ですぐに私を殴るのです。子供もいるので我慢してきましたが、もう耐えられません。あの男と別れたいのです」
「なんだ、そんなことですか。ならば簡単ですよ。出家すればいいのです。そうね、今すぐ出家しましょう。さぁ、私についてきなさい」
「えぇ、今ですか?」
「そう、こういうことは早い方がいい」
ストゥーラナンダーは、戸惑う妻の手を取ると、さっさと尼僧の精舎へ連れてきてしまった。
夕方になり、夫が家に帰ると子供たちが泣いていた。事情を聞くと「尼僧が母を連れて行った」というではないか。夫は、
「あの尼僧め・・・。うちの事情も知らない癖に勝手なことを・・・。しかし、今日はもう遅い。今から尼僧の精舎に乗り込むわけにもいかない。明日にしよう」
と思い、その日は子供の世話に明け暮れたのだった。
しかし、翌日になっても、子供の世話や家の掃除などで手間がかかり、仕事に行くまもなくあっという間に日が暮れてしまった。
「困ったことだ。まったく、女房が普段何もしていないことがよくわかった。これは手間がかかって大変だ。仕事すらいけない」
夫は、途方に暮れたのだった。
しばらくたったある日のこと、その家の付近をストゥーラナンダーが托鉢しているのを夫は見つけた。彼は、ストゥーラナンダーの頭から布をかぶせると、自分の家に連れ帰った。
「お前のせいで、女房がいなくなった。お陰で俺は毎日家事に追われ仕事にも行けない。こうなったのもお前のせいだ。今日から、お前が家事をやれ」
夫は、ストゥーラナンダーにそう命じて、仕事に出かけた。彼女は、精舎に逃げ帰ろうとしたが、幼い子供たちを見捨てるわけにもいかず、家事をすることにした。そうして、彼女はその家を逃げ出すきっかけを失い、ずるずるとその家に滞在してしまったのだった。しかし、いつまでもその家にいるわけにもいかず、彼女は隙を見て精舎へ逃げ帰った。そして、ちょうど居合わせた修行僧に事情を説明し、助けを求めた。修行僧は、すぐにお釈迦様に報告をした。
お釈迦様は、すぐに修行者を集め、
「その家の事情をよく調べることなく、夫の許しも得ないで妻を出家させてはならない。その家の妻を出家させるときは、事情をよく調べ、夫の許可を得ること。勝手に出家させれば、その家庭を壊し、不幸にすることとなる。そのような所業は、罪になることを知りなさい」
と戒律に定めたのだった。ストゥーラナンダーは、小さくなり、自分が出家させた妻を元に返したのだった。

こんなのは序の口です。そんなに大したことではないですな、ストゥーラナンダーにとっては。まあ、このように彼女は思慮分別が足りないのですな。


(2)だって野菜じゃん
祇園精舎近くに仏教教団によく布施をする長者が住んでいた。その長者は、にんにくを多く栽培し、それを生業としていた。また、他にも野菜を少し作っていた。
ある年のことである。その年は飢饉に襲われ、街の人々も食に困っていた。そのために托鉢に出ても十分な食べ物を得られなかった。特に尼僧にまわる食は少なくなっていた。それを知った長者は尼僧に
「私の菜園に食物をとりに来てください。どうぞ野菜を好きなだけ持って行かれるといい。ただし、にんにくだけはダメです。にんにく畑だけには近づかないでください。あれは、大事な商品ですから」
と申し出たのだった。尼僧たちは、「これで救われる」と喜んで長者の菜園に出かけた。
尼僧たちが野菜を採っていると、一人だけにんにく畑でにんにくを採っている尼僧がいた。それはストゥーラナンダーだった。彼女は、「そこへ入ってはいけません。にんにくは採ってはダメです」と他の尼僧に注意されたが、
「え〜、なに言ってるのさ。にんにくだって野菜でしょ。私は野菜を採っているの。野菜は採っていいっていったじゃん」
と平気な顔をして言ったのだった。これを知った長者はたいそう怒り、ストゥーラナンダーから野菜とにんにくを取り上げ、彼女を菜園から放り出してしまった。
この出来事を他の尼僧から聞いたお釈迦様は、ストゥーラナンダーを呼んでいった。
「ストゥーラナンダーよ、お前の行為は守るべき定めを逸脱している。決められたことは守らねばならない。よいか、これより、尼僧はにんにくを採って食べてはいけない。それは戒めである」
こうして、尼僧だけの戒律ができたのだった。

屁理屈をこねて、自分に都合のいい解釈をしたのですが、屁理屈は屁理屈。通じるわけはないですな。身勝手な一人の行為が大勢に迷惑をかけてしまった、さらに規制ができてしまった、という典型的な話ですね。しかし、こうした「一部の人間が不正を行ったがために、変な規則ができてしまった。そのため真面目にやっている人が迷惑を被る」というのは、現代でもよくある話です。迷惑なんですよねぇ、こういう人物は。


(3)この私を手ぶらで返すつもり?
祇園精舎の近くに一代で巨万の富を築いた長者がいた。しかし、年老いて重い病気にかかってしまった。あらゆる医者を呼んで診てもらったが、病はいっこうに良くならなかった。彼には家族もなく、独りぼっちであった。彼は決意をした。
「ここまで富を築くまでには、随分と人を泣かせてきた。苦しめたこともたくさんあった。あぁ、今その報いがやってきたのだろう。こうなったからには、この財産はすべて寄付してしまおう」
彼は、仏教教団を始め、様々な修行者や聖者、宗教団体に財産をすべて寄付したのだった。召使も暇を出し、広い屋敷も、自分が亡くなった後にはあるバラモンに寄付することにしておいた。
そんなある日のこと、ストゥーラナンダーがその長者の屋敷に托鉢にやってきた。長者は、
「ごらんのとおり、この家には何もない。わしのすべての財産を分け与えてしまった」
とか細い声で言った。しかし、ストゥーラナンダーは、家を去ることなく
「それは素晴らしいことをしましたね。財産を布施することは、とても多くの徳が得られますから。でも、私たちのような女性は、そうした恩恵にあずかることができません。どうか、私にもその分け前をください」
と図々しくも言い放ったのである。長者は嘆きながら言った。
「なんでもっと早くこなかったのか・・・。残っているものと言えば、わしが寝ている寝具だけだ」
「なんということでしょう。あなたは、私に手ぶらで帰れというのですか?。あなたの寝具などいりません。こんな大きな屋敷ですよ。探せば何かあるでしょう。托鉢に来た尼僧を手ぶらで追い出すなんて・・・。きっと、あなたには災いが訪れるでしょう」
「ち、ちょっと待っておくれ・・・。わしは、徳が積みたいのじゃ・・・。あぁ、そうだ、あれがあった」
長者はそういうと、ゆっくりと起きると、のそのそと奥の部屋に入って行った。しばらくすると、長者が手に紙切れを持って戻ってきた。
「この家に残っていたのは、これだけじゃ。これは、以前、人の貸した金の借用証じゃ。これを持っていけば、金になるかもしれん」
ストゥーラナンダーは、それを聞き、長者の手からその借用証を奪った。ふと、長者が思い出したように言った。
「あぁ、待て待て・・・。そういえば、その人は、もうかなりの高齢なはずじゃ。しかも、貧しくて貧しくて大変な思いをしている人じゃった・・・。あぁ、もう生きているかどうかもわからん。いや、生きていたとしても、その金を返すことなどできないじゃろう。悪いことは言わん、そんなものは破り捨ててしまってくれ」
長者は、そう懇願したが、ストゥーラナンダーは澄ました顔で言い返した。
「いいえ、いただいたものは大切にしなければいけないというのが世尊の教えです。私は、この借用証を大切にします。破り捨てるなど、そんなことはできません」
「そうか・・・。それならば、もし、その人が生きていても、その人にひどい仕打ちなどしないようにしてくだされ。その人を苦しめたりしないでくだされ。お願いします」
「もちろん。わたくし、これでも出家者ですよ。弱い者いじめなどしませんわ」
ストゥーラナンダーはそういうと、さっさと長者の家を辞したのだった。
しばらくして、その長者は亡くなった。ストゥーラナンダーは、「よしっ」というと、長者が金を貸したという老人の家に行った。
「ご老人、長者にお金を借りているでしょう。長者が亡くなったからといって、借金が消えるわけではないですよ。借りたものは返す、これは道理ですよね」
その老人は、雨漏りがするような粗末な家に住み、ぼろをまといガリガリにやつれて、今にも死にそうな老人であった。
「あ、あぁ・・・。返さなくてはいけないと思っていたのですが・・・。ほれ、この通り・・・・。家には病人もいて、私もこのありさまです。申し訳ないが、返しようがないのです・・・」
「何を言っているの?。この証書があるんですよ。いいですか、必ず返してください。今すぐ返してください。明日ではダメです。今日、働きに出て、今日のうちに返してください。そうしないと、あなたは罪人になります」
ついに老人は泣き出してしまった。その様子に近所の人々が集まり始めた。ストゥーラナンダーは、ここぞとばかりに大声で言った。
「私は、あの長者の代理でお金を取り立てに来ているんです。泣いたって許しませんよ」
すると、一人のバラモンがストゥーラナンダーの前に立って言った。
「おい、尼僧がどうして借金取りをしているのだ。しかも、その長者は亡くなっているではないか。さらにだ、私はよく知っているが、あの長者は取り立てなど一度もしなかったぞ。このご老人が貧しいことを知っていて、金をとりたてるどころか、施しもしていたくらいだ。お前、おかしいだろう。出家者のくせに借金を取り立てるとは・・・。世尊に報告してやる」
そのバラモンの言葉に、近所の人々もストゥーラナンダーを責めたてた。
この話は、すぐにお釈迦様の耳に入った。すぐさま、修行僧がやってきて、ストゥーラナンダーを捕まえ、お釈迦様の前に引き出した。
「ストゥーラナンダー、またお前か。お前はいったい何をやっているのだ。これより、新しい規則を作る。もしも尼僧が他人の証書を持ち、その人の死後、それを自分のものしようとすれば、それは罪を犯したこととなり、罰を科さねばならない」
お釈迦様は、そういうと、厳しい目でストゥーラナンダーを眺め、去って行った。あとには、打ちひしがれたストゥーラナンダーだけが残っていた。

托鉢に行って、何も得られないから帰れない・・・などということはありません。何も得られらないことも多くありました。托鉢は、相手に強制することではありません。ましてや、金品を布施しろ、などとは言いませんでした。食べ物を少しだけ鉢の中に入れていただく・・・、それが托鉢です。ストゥーラナンダーは、そこを理解していなかったのですね。
しかし、こういう図々しい人ってたまにいますよね。
「何さ、あの家に行ってもお茶の一杯すら出てこない」
って文句を言うオバサン、たまにいますよね。あるいは、「手土産くらい、用意するのが常識よ」みたいな顔をする傲慢なオバサンもいますよね。図々しい人には、困ったものです。まあ、こういう人は、嫌われるのですけどね・・・。


(4)もらったものをどうしようと勝手でしょ
ストゥーラナンダーは、数々の不祥事をおこしたのではあるが、意外にも教えを説くことには長けていた。自分では教えの通りに実践できなくても、人に教えを説くことはうまかったのである。なので、たまに宮中に呼ばれることもあった。
その日は、マッリカー夫人がストゥーラナンダーを宮中に呼んで教えを聞いていた。一通り説法が終わったあと、マッリカー夫人が言った。
「ストゥーラナンダー尊者よ、あなたの五衣(ごえ、尼僧の正装用の衣。下着、中着、上着のほかに、右肩を隠す衣と、腰巻が加わる。尼僧は、五衣を着用する習わしであった)、とてもボロボロですよ。他の衣はないのですか?」
「マッリカー夫人、私には、新しい衣を布施してくださるような人が一人もいません。ですから、仕方がないのです」
「あらそう、それはお気の毒に・・・。そうだ、私がその衣を布施いたしましょう」
「それは大変ありがたいことです。では、すぐにでもいただきたいのですが・・・」
「よろしいわ。今、用意しましょう」
夫人はそういうと、衣装箱から高価な布を取り出し、ストゥーラナンダーに渡した。
「夫人、せっかく高価な布を布施していただいたのですが、私にはこの布を染めたり、縫ったりするお金がありません。できれば、そうした費用もいただけると助かります」
ストゥーラナンダーは、図々しくもそう言ったのであった。マッリカー夫人は、
「それくらいは容易いことよ」
というと、布に少々のお金を包んで、ストゥーラナンダーに渡したのだった。
数日後のことである。再び宮中にストゥーラナンダーがやってきた。しかし、その姿を見て、マッリカー夫人は驚いてしまった。なんと、ストゥーラナンダーは、以前来た時のようにボロボロの五衣を身に着けていたのである。
「ストゥーラナンダー尊者、どうしたのですかその衣?。なぜまだそのようなぼろを・・・」
「マッリカー夫人、喜んでください。私は、このようなボロを身に着けていても、まっすぐ仏道を歩んでおります。あの高価な布は、私の蔵の中にしまってあります」
「せっかく差し上げた布なのに・・・。蔵の中にしまっていては、役に立たないのではないですか?」
「夫人、本当に高価なものをいただきました。でも、私のようなものを包むにはこのボロでちょうどいいのです。食べるものも食べずに衣だけ立派というのもおかしな話ですしね」
しれっとした顔をしていうストゥーラナンダーに疑問を感じたマッリカー夫人、さらに彼女を問い詰めた。
「ストゥーラナンダー、あなたあの布を売ってしまって、食べ物に変えたのでしょう。蔵とは、あなたのお腹のことですね?。そんなことをしていいのか、他の尼僧や世尊に尋ねます」
夫人は、そういうとすぐさま祇園精舎に向かったのだった。
すぐにストゥーラナンダーがお釈迦様の前に連れてこられた。
「ストゥーラナンダー、まさかとは思うが、汝は布施された布を売ってしまい、食べ物を買って食べてしまったのか?」
お釈迦様の厳しい声に、ストゥーラナンダーは土下座して
「申し訳ありません。食べてしまいました」
と言ったのだった。お釈迦様は、あきれ果て
「新たに決まりを作る。布施された衣や布、染め代、縫製代金は、食費に当ててはならない。これを犯した者は罪になる」
お釈迦様も、他の尼僧もがっくりと肩を落とすのであった。

本来、布施されたものは、教団のものとなります。それを平等に分け合って、衣を作ったりしたのです。布を染めるのは、修行者自らしましたし、衣を縫うのも修行者が自分で行いました。外の業者に依頼することは滅多にありませんでした。それは、尼僧に限らず、全修行僧に課せられたことでした。ストゥーラナンダーは、それさえも破っていたのです。
まあ、しかし、「もらったものだから、どうしようと私の勝手じゃん」ということを、平気な顔して言う人っていますよね。それを下さった方の心情も踏みにじって、自分勝手に処理してしまう人って、世の中にはいますよね。まあ、確かにあげたものだから、どう使おうといいのですが、しかし、それも使いようによりますよね。
たとえば、お寺に寄付をしたのに、その寄付金を飲み食いや遊興費に使われたのでは、寄付した側はがっかりします。何のための寄付なのか、と残念に思いますよね。寄付した側は、少しでもお寺の役に立てば、という思いで寄付したのでしょうからね。
そういえば、あの東北の大震災の復興予算も、このストゥーラナンダーと同じようになっていますな。復興には使われないで、全く関係ないところに予算が流れていってしまっている・・・。あれ、税金ですよ。しかも、復興を待ち望んでいる地域は、いっぱいあるんですよ。あの予算でも全く足りないくらいなんですよ。でも、あいつら官僚は、それを搾取していってしまってますな。恐ろしいことです。ひどいですな。これでは、いくら時間がたっても、復興はできなんじゃないかと、そう思いますねぇ。ストゥーラナンダーの上をいってますな。残念なことに・・・。

さてさて、思慮分別が全くないストゥーラナンダー、マイペースのストゥーラナンダーですが、まだまだ彼女がやってしまったことは、沢山あります。次回も、この話の続きです。お楽しみに。
合掌。



第十話 お釈迦様のとんでもない弟子の話E
今回も、仏教教団最悪のお騒がせ尼僧ストゥーラナンダーの話をします。あまりにもバカバカしい話ですが、今でもこんな感じの女の人、いますよねぇ。身勝手で、人の話を聞かず、トラブルばかり起こしている人。そう、あなたの周りにもいるでしょ。でもねぇ、こういう人は、どうしようもないのですよ。お釈迦様ですら手を焼いたくらいなのですから。今回も、お釈迦様の手を煩わせたストゥーラナンダーのしょーもない悪行をどうぞ。

(5)あなたは私の手下よ
ストゥーラナンダーが托鉢をしていると、大勢の人が固まっているのが見えた。どうやら騒ぎがあったらしく、彼女はその中に入って行った。すると、やせた女が髪を振り乱して叫んでいた。内容は些細なことだった。そのやせた女は、相手の女・・・体格がよく気の強うそうな女だった・・・を口汚くののしっていた。やがて、やせた女は気の強うそうな女に掴み掛って行った。あっという間に大ゲンカとなった。しかし、何のことはない、やせた女が瞬く間に気の強うそうな女を倒してしまったのだ。それを見ていた町の人々は、やせた女を非難した。
「あんな些細なことで、何もそこまですることはないだろ」
「ひどすぎるだろう。いきなり殴りかかるなんて」
「なんて汚い女だ。口も汚いが、やり方も汚い」
周囲の人々の非難にやせた女は
「うるさい!、てめーらも、同じ目にあわせてやろうか!、おい、どうなんだよ!」
と怒鳴りかかったのだった。その勢いに、非難していた町の人たちは黙り込んでしまった。やせた女は、肩をいからせ、人々を睨み付けていた。そこへふと、手が伸びてきた。その手は、やせた女の肩をだき、女を群衆の外へ連れ出した。それはストゥーラナンダーだった。
「さぁ、こっちへおいで。あんなところにいては、あなたはみんなのさらし者だわ」
ストゥーラナンダーは、優しくそういうと、やせた女を街外れの木陰に連れ込んだ。
「さぁ、顔を洗いなさい。髪も・・・こんなに汚れている。綺麗にしましょう」
やせた女は、ストゥーラナンダーの優しさに、急にしおらしくなった。今まで、他人に優しくされたことなどなかったのだ。あっという間に、やせた女はストゥーラナンダーになついてしまい、彼女のとりこになってしまった。そうして、街で有名だったこのやせた性悪女は、ストゥーラナンダーにつき従い、やがて出家したのである。
街では、
「あの性悪女を大人しくして出家させたストゥーラナンダーはすごい尼僧だ」
という評判が立った。ストゥーラナンダーは鼻高々だった。しかし、実際は、全く違っていた。性悪女を出家させたのは、尼僧同士の揉め事になった時、自分の味方をさせるためだったのである。ストゥーラナンダーはよくもめ事を起こしていた。そのたびに他の尼僧から叱られるので、他の尼僧をののしる仲間を欲していたのだ。やせた女は、好都合だったのである。
ある時、ストゥーラナンダーは尼僧の一人と争った。当然ながら、理不尽なことを言っているのはストゥーラナンダーだった。そのため、次第に他の尼僧もこの争いに加わり、彼女を非難し始めたのだ。彼女につき従っていたやせた性悪女は、状況がよくわからず、黙っていた。多くの尼僧から非難を受けたストゥーラナンダーは、やせた性悪女を伴い大人しく自分の部屋に戻ったのだった。そして、彼女に食ってかかった。
「あんた!、いったい何のためにあんたを出家させたと思ってんの!。あんたは、私に救われたんだよ!。それを恩と思わないのかっ!。少しは恩返しをしてもらいたいもんだわね!」
やせた性悪女は
「状況がよくわからなくて・・・。それに相手のことも知らないんで・・・」
とストゥーラナンダーに謝った。ストゥーラナンダーは、
「いいわ。あの連中の弱点を教えてあげる。いいかい、よく覚えるんだよ」
といい、尼僧たちが気にしていることを教えたのだった。こうして、尼僧たちにとって、性悪な女が二人になったのである。
それ以来、ストゥーラナンダーが他の尼僧と言い争いを始めると、やせた性悪女はストゥーラナンダーに加勢した。その口調は激しく、彼女にののしられた尼僧は、泣き出したり、ショックのあまり倒れたりしたのだった。そうした争いは、精舎内だけでなく、街でも起きるようになっていた。こうして、精舎内でも街でも性悪な尼僧が二人に増えた、という評判がたってしまったのだった。
ある日、お釈迦様はストゥーラナンダーとやせた性悪女を呼び出し、多くの尼僧たちの前で彼女らを叱った。
「出家者が言い争いをして恥ずかしくはないのか。何のために出家したのか?。それが理解できなければ、教団を去ってもよい。よいか、今後、性悪な女を出家させてはならぬ。性悪でケンカ好きにな女を出家させた者は、罪となる」
お釈迦様の厳しい言葉にストゥーラナンダーは頭を下げた。性悪女も、無言で深々と頭を下げたのだった。

まあ、ストゥーラナンダーの悪知恵の働くこと。自分の味方を増やそうなんてねぇ。でも、浅はかなんですな。結果は初めからわかっているのにねぇ。バカですよねぇ。でも、こういう人っていますよね。「自分は悪くない!、あいつらが悪い!、私に加勢しなさい!」っていう人。で、挙句の果てに味方になっていたはずの者に裏切られ、孤立するんですな。
この話の性悪女も、その後出てきません。ストゥーラナンダーと組んで悪さをしたという話がないようです。ということは、この性悪女は改心したのかもしれません。あるいは、俗に戻ったか、ですね。結局、ストゥーラナンダーは孤立していたようです。まあ、それも初めから見えている結果・・・ですよね。それがわからないのがストゥーラナンダーなんですな。


(6)だって欲しいんだもん
コーサラ国の首都シュラーバスティーのとあるところに、若い彫金師の夫婦がいた。ある日の朝、夫は見事な金の腕輪を家に忘れていってしまった。妻は、
「あら、あの人、こんな大事なものを忘れて行ったわ。届けたほうがいいのかしら」
と迷っていた。そんなところへ、ストゥーラナンダーが托鉢にやってきた。
「奥さん、あたしに何か食べ物を施してくださいな」
ぶっきらぼうな言い方に妻は、ちょっとびっくりしたが、
「あぁ、はい、いいですよ」
と答え、金の腕輪をなくすといけないので自分の腕にはめ、奥に入って大麦を炒ったものを鉢にいっぱい盛ってあげたのだった。
「はい、どうぞ」
差し出された鉢を受け取りながら、ストゥーラナンダーはその妻の腕にはまっている金の腕輪に目が行ってしまった。
「奥さん、それ、素晴らしい金の腕輪ですね。この大麦とはえらい違いだ。奥さん、功徳が積みたいんでしょ。だったらさ、こんな大麦じゃなくて、その腕輪を施すべきよね」
彼女は、妻にそう言ったのだった。ストゥーラナンダーのあまりの迫力に、たじたじとなってしまった妻だったが
「こ、これはちょっと・・・。たぶん、夫が忘れたものですし・・・」
と腕輪を施すことを断った。しかし、ストゥーラナンダーは
「何を言ってるのかわからないわ」
と言って、さっさと妻の腕から腕輪を引き抜いて、持って行ってしまったのだった。それはほんの一瞬のことだった。
しばらくして夫が
「大事な腕輪を忘れてしまった。どこにやった?」
と帰ってきた。妻が尼僧が来て自分の腕から引き抜いてしまったと告げると、夫はすぐに外に出て行った。幸い、ちょうど別の家から出てくる腕に金の腕輪をはめたストゥーラナンダーと出くわしたのだった。
「あ、この泥棒め!。その腕輪を返せ!」
「何言ってるのよ。これはあたしに施されたものよ!」
夫に詰め寄られたストゥーラナンダーは腕輪を飲み込もうとした。夫は、彼女を取り押さえると、口から腕輪を取り出した。
「なんてヤツだ。尼僧のくせに!。お釈迦様に言いつけてやる!」
こしうしてこのできごとは、お釈迦様の耳に入ることとなったのである。
お釈迦様は、大きくため息をついた。
「ストゥーラナンダーよ、お前は何のために修行をしているのだ。出家者として恥ずかしくないのか?」
「はぁ・・・。ですが、あの金の腕輪が欲しくて・・・。金の腕輪を施してもらってはいけないという戒律もないですし・・・」
「そうか、ならば、新たに戒律を定めよう。今後、托鉢で金や銀などの高価なものを求めてはならぬ。もし、それを破ればこれは罪となる。以上だ」
後には、打ちひしがれたストゥーラナンダーだけが残っていた。

欲しいから持って行ってしまった。恐ろしい限りですね。しかしこういう人は、現代にもいます。女性に限らず、ですが。万引きをする人がいい例ですね。
「欲しかったので、ついつい・・・」
まあ、たいていの場合は、欲しい&スリルのために万引きするのでしょう。多くの場合、お金は持っているようですからね。あれは、その瞬間のスリルを楽しんでいるのでしょうけど。案外、ストゥーラナンダーも、周囲の者に逆らったり、欲しいものを無理やり手に入れることに快感を覚えていたのかもしれません。哀れな者だったのかもしれませんねぇ。


(7)だって欲しいんだもん2
竹林精舎でのある日の午後のこと。尼僧の精舎では、まだ悟りを得ていないすべての尼僧たちが瞑想にふけっていた。しかし、ストゥーラナンダーだけは、気持ちが落ち着かず、周りのことが気になって瞑想どこではなかった。ふと、顔をあげると、別の精舎から将軍が出ていくのが見えた。
「あの精舎は、ダルマディンナー尼僧(マガダ国の将軍ビサーカに嫁いだが、その後出家。悟りを得、尼僧の尊敬を集めた)の部屋だわ。あぁ、何か布施の品を持ってきたのね。従者もいるわ。あら、なんて素敵な従者だこと。かわいらしいわぁ。そうだわ、あとでダルマディンナー様のところに行って、何が布施されたのか見てきましょ」
ストゥーラナンダーは、そう思うと早く瞑想の時間が終わらないかとばかり思って過ごしていた。
「瞑想は終わりですよ。さぁ、少し休んで、そのあと、各自師に従い教えを学びなさい」
指導者の尼僧の命に従い、尼僧たちは休憩を取った。ストゥーラナンダーは、すぐさまにダルマディンナーの部屋に行った。ダルマディンナーは、静かに結跏趺坐して座っていた。
「どうなさったのですか、ストゥーラナンダー」
「いえ、あの・・・まあ、これは素晴らしい布ですこと。あぁ、先ほどの将軍のお布施ですね」
「そうですが、それがなにか?」
「あの、わたし、こんな立派な布を見たことはありませんので・・・、その見せていただいてもいいでしょうか?」
「見るだけでしたら、どうぞ」
ストゥーラナンダーは、布を手に取ると、「すばらしい、すごい、柔らかい」などと言いながら、布に顔をうずめたり、肌にこすり付けたりしていた。
(ストゥーラナンダーは欲が深い。この者は、この布が欲しいのだ。哀れな者だ。このような高価な布を身につけたら、どんな禍が降りかかるとも知らないで。しかし、この者は手に入れるまで引き下がることはない。困ったものだ・・・)
ストゥーラナンダーの心を見抜いていたダルマディンナーは、
「あなた、この布が欲しいのでしょう。しかし、物欲は捨てねばなりません。世尊がおっしゃっていますわよね。わかっているのかしら?」
と、ストゥーラナンダーに遠まわしで注意をしたのだが、そんなことを気にするストゥーラナンダーではなかった。
「そうですね。物欲は慎まねばなりません。それは、ダルマディンナー様も同じですわよね。まさか、ダルマディンナー様ともあろうお方が、この布に執着しているわけは・・・ありませんよね。いくら、夫だった人からの布施と言えども」
この言葉に、ダルマディンナーは、何も言い返せなくなってしまった。
(知ってはいたけど、ここまでズルイ知恵が回るとは・・・。あきれてものが言えないわ。一度、痛い目にあったほうがわかるのかしら。仕方がないわねぇ・・・)
「ストゥーラナンダー、私は物欲がありません。ですから、その布に執着ありませんよ」
「じゃあ、私がもらっていいですね」
そういうや否や、ストゥーラナンダーは高価な布を胸に抱き、ダルマディンナーの部屋をさっさと出て行ってしまったのであった。ダルマディンナーは、その後ろ姿を悲しそうに眺めていたのだった。
自室に戻ると、ストゥーラナンダーは、布を抱きしめてはしゃいでいた。そして、さっそく身に着けてみた。
「なんてしなやかなの。あら、私にぴったりだわ。まるで、私のための布のようだわ」
彼女は、その着心地にうっとりとしていた。
ストゥーラナンダーは、もうその布を脱ぐことができなくなっていた。結局、そのまま寝てしまい、朝になってそのままの姿で托鉢に出かけたのだった。他の尼僧から、
「出家者がそのような高価な布を身に着けるなんて!」
と言われたが、彼女は
「いいじゃない。私はダルマディンナー様からもらったの。文句があるなら、ダルマディンナー様に言ってちょうだい」
と言い返したのだった。しかし、街に出ると、非難の声はストゥーラナンダーの予想以上だった。
「なんだ、あの尼僧は。あんな高価な布を身に着けているぞ。あんな尼僧は今まで見たことがない。出家者として恥ずかしくないのか」
街中でそういわれても知らん顔をしていたストゥーラナンダーだったが、人々のストゥーラナンダーへの非難の声はお釈迦様の耳にも入ったのだった。
早速、ストゥーラナンダーはお釈迦様の前に呼び出された。
「お前は何と情けない者なのだ。何度言ったら理解できるのだ」
「で、でも・・・この布はダルマディンナー様から・・・」
「聞いている。あまりにもお前の欲が深く、意地汚いから、わざと布を渡したとね。痛い目に遭わないと理解できないだろうと思った、とダルマディンナーは、言っていた。まさにその通りだ。ダルマディンナーには非はない。非があるのは、ストゥーラナンダー、汝だ。お前のような者のために、戒律を一つ増やす。今後、出家者は、高価な布を身に着けてはならぬ。もし、これを犯せば、それは罪となる」
後には、泣き崩れたストゥーラナンダーだけが残っていた。

欲しいものがあると、どうしても欲しいのですな、ストゥーラナンダーは。それが手に入るまで、うるさく付きまとう女なのです。まさに性悪ですな。しかし、現代社会においても、欲しいものが我慢できない者は、たくさんいます。男女問わずね。笑い事ではありませんな。欲もほどほどにしておかないと、痛い目に遭います。少欲知足(しょうよくちそく)、欲は少なく、満足を知ることが大事ですね。


(8)誘惑するから仕返しよ
ある日のこと。ストゥーラナンダーは、久しぶりに洗いたての衣を身に着け、托鉢に出た。彼女は、街を男に媚びを売るような振る舞いで歩いていた。元々、彼女は肉感的で男好きするような女だった。普段は、小汚い恰好をし、あまり沐浴もしないだらしのない姿のため、男は振り向いたりすることはないが、きれいな身なりをすれば、男の目を引く容姿を持っていたのである。彼女自身は、そのことを十分に承知していた。
清潔な衣を身に着けたその日は、昔のことをストゥーラナンダーに思い出させた。彼女は、知らず知らずのうちに人通りの少ない裏通りを歩いていた。ふと気が付くと、香売りの男が後ろをついてきていた。そして
「ちょっとそこの尊いお方、私のところにこないかい?。いいことしようじゃないか」
と彼女に声をかけてきたのである。ストゥーラナンダーは、内心嬉しかった。
(私もまだまだ捨てたもんじゃないわね。でも、私はこれでも出家者だから・・・)
「何をおっしゃるのですか。私は出家者です。どうしてあなたみたいな人と俗なことができましょうか。立ち去るがよい」
心とは裏腹に、彼女は理性を保った。しかし、男を見れば見るほど、心は揺れ動いた。男は、彼女の気持ちを見抜いたように近付き、手を取った。
「あっ・・・、あなたって・・・悪い人ね・・・」
彼女は身体が熱くなっているのがわかった。そのまま、男に身体を任せたかった。しかし、男の身をすっとかわすと
「お、お前は悪いヤツだ。お前のような者は、幼いころに父親に殺されてしまえばよかったのだ。お、お前なんぞ、象とかトラとか毒蛇とかと交わっていればいいのだ」
と男をののしった。しかし、男は怒るどころか、さらにニヤニヤして
「女はね、男を求めているときは、そういうひどいことを言うのだよ。うふふふ。本音を言ってごらん」
と、彼女の耳元でささやいた。彼女は、今にも心が折れそうだった。
(このまま抱かれてみたい・・・・でも、もしそうなったら・・・私の出家生活は終わりだわ。いくらなんでも、男と交わることは世尊は許してくれない・・・。あぁ、こんな男、本当に死んでしまえばいいのに。私をこんなに苦しめるなんて・・・。こんなヤツ許せないわ。そうだわ、この男に痛い目に遭わせてやる)
いつの間にか、ストゥーラナンダーの心は、男に対する怒りに変わっていたのだった。
「いいわ、私は精舎の中に一人部屋を持っているの。夕方にこっそり忍び込んできなさい。そうすれば・・・楽しめるわ」
彼女は、男を罠にはめることにしたのだった。
男は、ストゥーラナンダーに言われた通り、こっそり夕方に彼女の部屋に忍び込んでいた。尼僧たちは、定められた修行を終え、各自の部屋に戻って行った。ストゥーラナンダーも、彼女の部屋に戻って行った。
(ふふふ。来てるわね。私を誘惑したバツを受けなさい)
彼女は、部屋に戻ると大声で叫んだ。
「キャー、泥棒よ、泥棒がいるわ!。私の部屋に泥棒がいるわ!。誰か助けて!」
これには男は驚いてしまった。走りに走って男は逃げ、捕まることはなった。しかし、男はストゥーラナンダーを許せなかった。男は、街中に
「ストゥーラナンダーは、俺を部屋に誘っておいて、泥棒呼ばわりしたんだ。ひどい尼僧だ。あの女は、そうやって男を弄んでるんだ」
と言いふらしたのだった。この噂は、すぐさまお釈迦様の耳にも入ったのだった。
お釈迦様は、尼僧全員を集めた。そして、ストゥーラナンダーに事の真相を問いただした。彼女は、すべてを告白し、尼僧たちに謝ったのだった。
「男の誘惑に負けなかったのは、よかった。しかし、そのあとがいけない。なぜ仕返しなどしようとしたのか。しかも、それに尼僧の部屋を利用するとは。浅はかにもほどがある。よいか、今後、悟りを得ていない尼僧は、個人部屋を持ってはいけない。集団で生活するように。よいな。これを破れば、罪となる」
お釈迦様は、厳しい顔をしてストゥーラナンダーを眺めたのだった。

男性の僧・・・ビク・・・は、悟りを得ていないと個人の部屋は持てませんでした。しかし、尼僧は、当初は個人部屋が持てたようです。女性の場合、なにかと不自由な面があるから、ということだったのでしょう。しかし、これを契機に、尼僧も悟りを得ていない者は、個人部屋が持てなくなりました。
そいえば、男性の僧の場合、個人部屋が持てない理由の一つに、自慰行為にふけるから・・・というのがあったと思います。元々は、僧侶も個人部屋があったのかもしれませんね。
いずれにせよ、出家修行者は、悟った者以外は、個人部屋を持てなくなったわけです。個人部屋を持てば、悟りを得ていない欲のある者は、何をするかわからないですからね。お互いにお互いを監視する意味で、集団生活をすることになったのでしょう。ま、それにしても、ストゥーラナンダーはやってくれます。誘惑された仕返しをするんですからね。
なお、誘惑された場合の正しい答えは、
「私のどこが好きなのか?」
と問い返すことです。そうすると、男は「君の目が素敵だ」とか「その唇だ」とか「その身体だ」とか「君のすべてが」
とか答えます。そしたら、その言われたものを与えればいいのです。
もし、眼が素敵だと言われたら、眼をえぐって男に与えようとすればよいのです。唇が・・・と言われれば、「ちょと待って唇をはぐから」と言えばいいのです。その身体が・・・と言われれば、身体のどこかを切り落としてでもあげればいいのです。
「そんな痛いことはできないじゃないか」
と思われるでしょう。ですので、何も本物を与えることはないのですよ。「ちょっと待って、今、目の玉取り出すから」でいいのです。身体をそぐわけにはいかないから、そこで脱糞でもして「こんな汚い身体を欲しいの?」と言えばいいのですな。
ま、そうやって男の気をそぐのが一番いい、ということですね。妙に媚を売るな、ということですな。尼僧たるもの、男に褒められようとも、ニヤニヤして喜ぶな、ということなのです。ま、坊さんも同じですな。女性に色目を使われても、簡単になびかないように注意しないといけませんねぇ・・・。


(9)食い物ためなら何でもするわよ
シュラーバスティーに、大金持ちの貿易商が住んでいた。彼は、仕事が忙しく、貿易のため自宅にいることは少なかった。そのため、彼の妻は、やがて浮気をするようになった。
ある日のこと、その妻が浮気相手の子供を妊娠してしまった。困った妻は、浮気相手に相談をした。その男は、すぐに堕胎の薬を用意して、妻に飲ませた。薬が効き、妻は子供を流産したのだった。
しかし、困ったのは、その子供の死体の始末であった。布に何重にもくるんでみたが、どう処理すればいいのか妻は迷った。
そんなところへストゥーラナンダーが、その家に托鉢にやってきた。
「奥さん、何か食べ物を施してくださいな。こんな大きな家のお金持ちなんだから、ちょっとくらい食べ物があるでしょ。施してくださいよ」
いつものように彼女は、ぶっきらぼうに言ったのだった。しかし、どうもその家の妻の様子がおかしいことに彼女は気が付いた。そのとたん、
「あら、奥様、何か悩み事でもあるのでしょうか?。浮かない顔をしていらっしゃる。私は出家の身。困った方を助けるのが私たち尼僧の勤めですわ。さぁ、私に相談してください」
と優しい声で言ったのだった。そういわれた妻は、ストゥーラナンダーを初めてよく見た。そして、彼女が持っている大きな鉢に目が留まった。そう、ストゥーラナンダーは、大食漢であったため、他の尼僧よりも二回り以上大きな鉢を持っていたのである。
「この鉢なら・・・・。尼僧様、どうかお助け下さい」
妻は、ストゥーラナンダーにすべてを打ち明けた。彼女は、
「そういうことですか。ねぇ、奥様。もし、私があなたを助けたら、今後、毎日、たくさんの食べ物を施してくださいますか?」
「えぇ、もちろんです」
「ちょっと珍しい食べ物なんかも入ったりしてますか?」
「えぇ、そりゃあもう」
「わかったわ。助けてあげましょう」
ストゥーラナンダーはそういうと、鉢を差し出した。妻は、おろした子供をその鉢に入れた。ストゥーラナンダーは、黙ってその家を出たのだった。
彼女は、人目のつかない通りを選んで、淋し場所へと足を進めた。やがて、街外れのうらぶれた場所へと出た。さらに進むとうっそうと茂る林があった。その中に入っていくと、崩れた空き家があった。
「ここなら安心だわ」
彼女は、鉢から布にくるまった胎児の遺体を出すと、その空家の土間に捨てたのだった。その時だった。
「そんなところで何をしている」
と声をかけたものがいた。見れば、街のゴロツキたちだった。どうやら、この崩れた空き家をねぐらにしていたようだ。
「何も・・・」
ストゥーラナンダーはとぼけたが、ゴロツキたちに脅され、すべてを白状したのだった。
「大金持の奥様にも困ったものだが、この尼僧にも困ったものだ。世の中腐ってるなぁ。俺たちゃ、まだましな方だよな」
そういうと、ゴロツキたちはストゥーラナンダーをおいて外に出て行った。貿易商の妻を脅しに行ったのだった。ついでに、ゴロツキたちは、「とんでもない尼僧に会った」と街で言いふらしたのだった。
ストゥーラナンダーが精舎に戻ったころ、精舎内は大騒ぎになっていた。彼女は、すぐさまお釈迦様に呼び出された。
「ストゥーラナンダー、事情を説明しなさい」
お釈迦様にそういわれ、彼女はすべてを告白した。
「汝は、どこまで愚か者なのだ。托鉢の食事と引き換えに堕胎した子供の遺体の処理をするなどとは・・・・。出家者として恥ずかしくないのか。本来ならば、その貿易商の妻の行為を正すことが大事であろう。欲にとらわれた心を正すのが、尼僧の勤めであろう。それが、一緒になって欲に走るとは・・・・。そもそも、そのような大鉢を持っていることがいけないのだ。欲を慎むべき者が、そのような大鉢を持つから、このような愚かな行為を犯すのだ。よいか、今後、尼僧は大鉢を持ってはいけない。これを尼僧教団の決まり事とする。ストゥーラナンダー、汝はしばらく謹慎していなさい」
お釈迦様の厳しい声が響いたのであった。

ストゥーラナンダーという人は、どこまでも欲の深い人だったようです。食べ物に執着し、金銀に執着し、身に着けるものに執着したのですね。特に、食べ物には、ものすごい執念を持っていたようです。また、意地も悪く、しょっちゅう他の尼僧と争いごとを起こしていたようです。欲深で、根性が悪く、妬んだり、ひがんだり、嫉妬深くもあり、それでいて自分が一番、と思っていたようですね。本当に嫌な女だったわけです。
そんなストゥーラナンダーは、数々の問題を起こすのですが、そのたびにお釈迦様は叱るだけで、教団を追放するようなことはしませんでした。本来ならば、これだけ人々や他の修行僧に迷惑をかける者は、教団追放になるのですが、彼女はなっていないんですねぇ。
それには理由があります。お釈迦様は、ストゥーラナンダーのような者は、教団内に止めておいた方が安全だと判断したからです。もし、彼女が、出家者ではなく、一般人だったらどうでしょうか?。きっと、間違いなく犯罪を犯していることでしょう。詐欺事件に、窃盗、ひょっとしたら殺人事件も起こしたかもしれません。教団内で監視し、管理していたからこそ、この程度の事件で済んでいたのです。お釈迦様は、それを見越していたからこそ、彼女を教団から追放するようなことはしなかったのでしょう。野に放てば、何をするかわからない、ならばここで縛り付けておこう・・・ということですね。
お釈迦様が、手を焼いたほどなのです。そんな者が、一般社会に出たならば、とんでもないことをしでかしたでしょう。出家者だからこそ、この程度で終わったのです。
お釈迦様時代のような教団があり、正しい教えを伝える者がいる仕組みがあったならば、この世でも、犯罪はもっと減るのではないかと思います。ただ、刑務所に入れ、矯正をしているとはいえ、出所後は困難が待ち受けています。仕事がない、誘惑が多い、怠け心が出てしまう・・・・などなど、生きにくいことは間違いないでしょう。
しかし、お釈迦様がいらしころのような教団施設があれば、食べることには困らないし、自分自身の誘惑に負けないよう指導も受けられます。就職を探す必要もありません。出家してしまえば、生活のことで悩まされることはないので、本当の意味で矯正ができるのではないかと思います。人は、まず食っていくことが成り立たないと、話になりませんからね。まともな生活を送れないから、犯罪に走ることも多々あるのですから。
お釈迦様はこのことをよく知っていたのではないかと思います。だからこそ、ストゥーラナンダーのような、どうしようもないものでも、教団追放はしなかったのでしょう。それは、お釈迦様の慈悲心だったのでしょう。ここに、仏教の真の救いが見られると思います。仏教とは、やはり救いの教えなのですね。

さて、今回で、お釈迦様のとんでもない弟子たちのお話は終わります。次回からは、また新しいお話をしたいと思います。内容は、今のところ未定です。ご希望がありましたら、メールください。
合掌。



第十一話 拝み屋は仏教か密教か?@
今回から新しい話です。この話題を選んだのは、
「あるところで見てもらったら、こういうことをすればよくなると言われたんです。で、その通りに行ったのですが、少しもよくならないんです。その見るところは、仏像とかもあり、お寺みたいになっていました。あれって、お寺なんですよね?。一応、仏教なんですよね?」
という話をよく耳にするからです。
この話に出てくる「見てもらえるところ」とは、いわゆる「拝み屋さん」ですね。町や村の片隅で、小さなお堂を構え、町や村の人たちの悩みを聞き、解決策を授けるという「拝み屋」さんなのです。
私は、拝み屋さんは決してよくない存在だとは思ってはいません。私も拝み屋のようなこともしますし。ですが、最近、ちょっとひどいな、という拝み屋さんが増えてきたように思います。昔の拝み屋さんは、もっと親切だったというか、相談者の方に対し、もっと真剣に対応していたように思えます。ですが、最近の拝み屋さんは、やたら金銭を請求したり、いい加減な話をしたり、うそ臭いことやらせたり、どうも怪しい方が多いように思います。また、すぐに霊能者などとと言って、人心を惑わすようなことを言ったりするんですね。しかも、さも仏教や密教の正しい教えを行っているようなことを言ったり、そういうイメージを作ったりしています。我々から見たら、怪しいことこの上ないですね。
ですので、今回は、この「拝み屋」について、正しい理解をしていただくために、お話しいたします。

*拝み屋はいつからいたか?
拝み屋さんは、いつからいたのでしょうか?
その歴史を尋ねれば、これはもう古くから、としか言いようがないですな。おそらくは、奈良時代以前、ですね。もっとも古い拝み屋さんで最も有名な人は、何といっても「卑弥呼」でしょう。いろいろな呪術を行い、人心を操り、政治を行った・・・という卑弥呼が、最も有名で最古の拝み屋ですね。そう、彼女も拝み屋なんですよ。
しかし、卑弥呼が拝み屋第一号ではありません。きっと、その以前から拝み屋はいたのでしょう。宗教の始まりは、シャーマニズムですからね。そう、拝み屋とは、シャーマンのことでなのです。その意味では、拝み屋は世界各地に存在していますな。
日本の場合、卑弥呼以前は、よくわかっていませんな。しかし、いきなり卑弥呼が登場するわけではないでしょうから、彼女以前にもシャーマン的な人はいたのでしょう。ただ、卑弥呼が突出していたのでしょうね。
この卑弥呼の流れは、やがて古神道と呼ばれるようになります。

古神道は、呪術を中心とした神道です。信仰の対象であるのは神様なのでしょうが、その活動は主にお告げや祈願にあるでしょう。村人たちは、古神道のお堂に通い、様々な相談事をします。将来の心配事や決めかねている事が相談内容ならば「お告げ」の出番です。病気や願い事に対応するときは「祈願」ですね。まあ、中には怪しい祈願・・・呪い・・・もあるでしょうな。
で、こうした古神道の主は、多くは女性ですな。巫女さんです。なぜ巫女なのかというと、神様が男性の場合が多いからです。巫女は、男性の神と結婚をすることにより、神の力を受けますな。神との婚姻により、神がかり・・・を得るのです。で、お告げをしたり、不思議な力を使ったりするようになるのですな。ちなみに、この巫女は、現代の巫女とは少々異なります。というか、バイト的巫女さんじゃあダメですな。真剣に神との婚姻関係を結ばねばなりません。しかも、処女でないとだめですね。神様は、清いものが好みです。結婚相手も清くなければなりません。
で、神との婚姻が上手くいきますと、正式な巫女となり、神がかりができるようになります。これは余談ですが、巫女という言葉は、卑弥呼から生まれたのかも知れませんね。卑弥呼以前は、神のお告げをする者は、どうも身分は低かったようです。なので、卑しい巫女・・・で卑巫女(卑弥呼)なのかも知れませんね。
まあ、いずれにせよ、巫女さんは、神と婚姻関係を結び、お告げをする存在だったのですな。ま、それもやがて神道になりますと、神主の下に配属されるようになるのですが・・・。
まあ、このように日本には、仏教伝来以前から、古神道という呪術中心の拝み屋さんが既に存在していたわけです。その拝み屋さんは、主に女性が担当していたのです。彼女らは、若いころは巫女としてお告げを行い、年齢を経ていった後は、「お告げ婆さん、お告げ婆、イタコ」などと呼ばれるようになったのですな。

仏教伝来以前から、拝み屋の土壌は既にあったのですな。そこへ、仏教が中国や韓国から伝わってきますな。もちろん、その当時の国家は正式な仏教を取り入れますな。怪しい、呪術的な仏教ではありません。大陸から新しい文化や技術とともに、仏教も伝来してくるのです。その仏教は、国を平和に維持するためにはとても良い教えを持った宗教、として伝わってきます。いわゆる鎮護国家のための仏教ですな。しかし、鎮護国家と言いましても、これも祈願の一つですな。現に聖徳太子も四天王に反乱軍の平定を祈願しておりますな。ですから、いわばこれも呪術と言えなくもありません。
そう、当時日本に伝わった仏教は、祈願を中心とした呪術的要素の強い仏教だったわけです。もちろん、正しい仏教・・・悟りを求めるための仏教・・・も伝わっております。しかし、純粋な仏教だけではなかったのですな。その当時は、仏教はすでに大乗仏教となっていましたから、祈願や国の安泰を図るための仏教の要素が濃くなっていたわけです。人々の心をつかむのも容易いことだったわけですな。なぜなら
「祈りなさい。祈れば救われるのです」
と説けばよかったのですから。また、仏教者・・・僧侶たちは、仏に祈願することで、人々の精神的安楽を図ったのですな。国は次々と大寺を作ります。民衆はびっくりですな。このような世界があるのだと、驚き、そして信じてしまうわけです。ま、人間は今も昔も単純ですからね。特に、日本人は輸入物には弱いですな、昔から。で、古くからいた巫女やお告げ婆よりもお寺に向かうようになります。
「あんな大きなものをこさえてしまうくらいだから、さぞ効き目があるだろう」
ということで、祈願の場所はお寺へ移っていくんですね。しかし、お坊さんは、祈願をするだけです。お告げはしません。もちろん、病気を治すこともしません。ただ、仏様に祈願をするだけです。民衆は、これでは物足りないのですな。将来の不安は、祈願だけではぬぐえないですからね。
そこで、「お告げははやっぱりオババのところだ」となり、お告げをする拝み屋さんは、生き残りができたわけですな。

同時期、仏教の中にも呪術的要素を前面に出した僧侶もいましたな。こうした者は、「行者」と呼ばれていました。代表的な行者さんは、役行者ですね。
役行者は、一応僧侶です。ですが、いろいろな呪術を行い、様々な奇跡を起こしています。神通力を身につけて、空を飛んだという説もあります。真偽のほどは知りませんが・・・。ま、そうした大げさな伝説は別として、いろいろな呪術を行ったことは事実です。病気平癒や祈願など、人々のために様々な呪術を行い、いろいろな山で修行をし、寺を建立しておりますな。この役行者の流れは、やがて修験道と呼ばれるようになります。いわゆる山岳宗教ですな。
この修験道、役行者もそうだったように、仏教・・・特に密教の影響を色濃く受けております。

密教は、弘法大師空海が日本に伝えたのですが、それは正式な密教です。正純密教・・・純密・・・と言われております。これに対し、雑多な密教があります。きっちり整理されていない密教ですね。これを雑密(ぞうみつ)といいます。この雑密が日本に伝わったのは、はっきりと年代はわからないのですが、案外古いんですよ。役行者がいたころには、雑密は日本に入っていたんですね。
役行者がいたころには、いくつかの密教経典が日本に伝来していました。ですが、しっかり体系付けて伝来したわけではなく、多くの大乗経典に混ざって日本に入ってきていたのです。ですから、そうした密教経典は埋もれていました。ま、見ても分からない・・・という大きな理由があるのですけどね。
密教経典は、そのまま読んでもよくわかりません。その内容を教えてくれる人がいないと読んだだけではわからないようになっているのです。役行者は、初めに孔雀法を学んだとされています。おそらくは、中国から来た僧侶に教えてもらったのだと思います。また、そのころは、密入国者もたくさんいたようで、山や村をウロウロしながら行者として生きていた者もたくさんいたようです。役行者もそういう人たちから、いろいろな呪術を学んだのでしょう。
弘法大師も大学を飛び出して、私度僧(勝手に出家してしまった僧侶)になり、野山を駆け巡っていて別の私度僧・・・おそらくは修験者・・・に出会い、虚空蔵求聞持法を学びますな。
つまり、平安時代初期には、修験者の拝み屋さんや私度僧の拝み屋さんは、存在していたわけです。お大師様も行方不明の7年間は、そうした修験者のようなことをしていたのではないかと思われますな。拝み屋をやっていたのでしょう。四国や九州、奈良、和歌山あたりの山中には、修験者や私度僧は多く存在し、民衆のために祈願や祈祷をしていたのですな。そうした人たちは、中国から伝わった知識も豊富だったでしょうから、病気を治したり、井戸を掘ったり、生きる術を教えたりもしたのでしょう。正式なお寺の僧侶よりも頼られていたのではないかと思われますな。正式なお寺の僧侶は、一応官位ですから、仏教の知識は豊富でもあったでしょうが、一般民衆が望むようなことには、応えられなかったでしょうからね。簡単に言えば、
「いくらありがたい説教を聞いても、腹の足しにはならねぇ」
「説教じゃ、病気はよくならねぇ」
と言うことだったのです。それに対し、修験者や私度僧は、一般の人々のリクエストにしっかり応じていたのですな。まあ、そうしないと、彼らも生活ができないですからね。そりゃ、必死になりますわな。正式なお寺の僧侶は、毎日お経をあげて、もっともらしい説教をしていれば、国から生活の保障をされてましたからね。もちろん、すべての正式な僧侶が民衆に受け入れられなかったわけではありませんよ。民衆のために食事を振る舞ったりもした寺や僧侶もいますからね。が、民衆の相手は、多くは修験者や私度僧が務めていたのですな。
この時すでに、お寺VS拝み屋、の構図が生まれていたわけですな。

拝み屋さんの歴史は古いんですよ。その元は、卑弥呼以前にまでさかのぼることができるのです。で、仏教が伝来し、雑密が伝わり、祈願や加持祈祷が広まっていくんですね。ここに、古神道系の拝み屋と密教系の拝み屋、修験道系の拝み屋が誕生するのですな。簡単にいえば、神様系なのか、行者系なのか、仏教系なのか、と分かれていくのです。まあ、すべて混合と言うタイプもありますし、行者+仏教、と言う場合もありますな。ま、いずれにせよ、拝み屋さんの歴史は、実に古いのですよ。

さて、次回は、この拝み屋さんと密教の関係をもう少し詳しく見ていきたいと思ます。では、続きは次回に。
合掌。


第十一話 拝み屋は仏教か密教か?A
街中や村の拝み屋さんのところに行くと、仏様が祀られていることがあります。その仏様は、観音様であったり、お地蔵様であったり、お不動様であったり、弘法大師様であったりします。間違っても、伝教大師ってことはないですな。
それなりにお堂らしくしてあり、お参りができるようにもなっていますな。で、たまに・・・月に一度くらいのペースで・・・拝み屋さんが皆と一緒にお経をあげたりもしていますな。あるいは、時折、「キエー、エイ!」なんて奇声を上げてお祓いと称する行為をしている場合もありますな。
が、多くの場合、そのお経はなんだか読み方が怪しかったり、お祓いは独自の方法だったりしますな。まあ、拝み屋さんにしてみれば
「これは、仏様が私に教えてくれた方法なのだ」
ということなのでしょう。
拝み屋さんは、多くの場合、誰から教わることもなく、突如、拝み屋さんになったりします。どこかの宗派に属して、修行したということもない方が多いですな。ただ、拝み屋さんをやっている人について、いろいろ教えてもらった・・・ということはあるようです。つまり、弟子入りした、ということですね。そうして、拝み屋さんは、拝み屋さん独自のお経や作法を伝えている節があります。
もっとも、そうした伝統なく、突然、神がかり的に拝み屋さんになる方もいます。しかし、そうした方も、たいていは別の拝み屋さんのところに行って、見たり聞いたりしてきますな。で、見よう見まねでお経を読んだり、お祓いをしたりしますな。門前の小僧習わぬ経を読む・・・と同じですな。

前回もお話ししたように、拝み屋さんの歴史は古いのです。で、なぜかその伝統というか、技術や技はずーっと受け継がれてきているようなのです。多くは、口伝のようですけどね。
前回、拝み屋さんには、古神道系・修験道系・密教系、およびその混合型があると書きました。まあ、大まかに分けるとそうなります。その中でも、修験道系は、多くの場合「先達(せんだつ)」という方が拝み屋さんをやっているようです。先達という方は、修験者について野山を巡り、滝に打たれもし、お経も習い、真言や手印も習ったかたです。一応、修行らしきことはしているのですな。こうした先達は、時たま自分の信者を連れて高野山や大峰山への参拝、四国88ヶ所巡りなどを主宰しております。で、自らのお堂を持ち、そのお堂で庶民の相談事に対応したりしています。本尊様もありますな。多くは、不動明王ですね。で、役行者や弘法大師も祀ったりしています。修験道と密教がごちゃ混ぜになっている場合が多いですな。読むお経は、般若心経が主です。稀に観音経も読んだりしますな。
たまに、高野山奥の院を参拝していると、こうした先達・・・修験道系拝み屋さん・・・に出会いますな。たいていは、数名〜十数名の信者さんを連れております。大きな声で般若心経を唱えたり、ご廟の前で神がかり的お告げなんぞもしたりしますな。印を結んで真言も唱えますな。おまけに、お大師様に関する説教もしますな。
が、よくよく聞いていると、まあ、お経は何とか聞くに堪えられますが、印が違うことはよくありますな。お大師様に関する話も、???ということもあります。
昔は、滝に打たれる行者さんの姿をよくTVで見かけたりもしました。そういう場合、ほとんどの行者さんがお不動さんの印を間違えているのです・・・ということに、我々は気が付きます。不動明王真言はあってます。が、印が違うんですね。
「おいおい、そんな印はないよ」
という印をして滝に打たれているのですな。
これは、思うに、むか〜しむかし、行者さんが、真言宗か天台宗の密教のお坊さんの真言と印を真似たところから始まるのではないかと思います。そのころに、間違って覚えてしまったのでしょうな。あるいは、遥か昔の雑密時代の行者さんが、間違って覚えて、それがそのまま行者仲間に伝わったのか、でしょう。いずれにせよ、間違って覚えた印なのでしょうね。こうしたことはよくあることで、真言の覚え間違い、ということもありますな。あるいは、間違って伝わっていた、という場合もありますな。

拝み屋さんの伝統は、拝み屋さんの間で伝わっているものがあります。特に修験道系は、先達が自分の師から学んだことを、多くは口頭で伝えていきますな。言葉で教えていくのです。次第という経本があるわけではないことが多いですね。彼らは、伝承という方法で、弟子へと伝えていくのですな。もちろん、修験道の作法集もありますし、次第集もあります。ありますが、それを読んで学んで・・・というよりは、口で伝えたほうが早いのですな。自分もそうしてきたから、弟子にもそのように・・・ということなのでしょう。
そのようにして伝わってきた作法の中には、密教と重なる部分は、実は多くあります。そもそも、修験道が雑密を多く取り入れているのですから、真言宗の正純密教と重なる部分は、あって当然ですね。雑密(ぞうみつ)は、まだ整理されていない密教なのですから、整理された後の密教と重なっているところがあるのは、当然のことなのです。
ですが、雑密と正密は、似ているし、重なっているのですが、異なるものなのですよ。ここが、拝み屋と密教のお寺との違いなのですな。

先にも書きましたように、雑密を取り入れた修験道系拝み屋さんは、多くの場合、印が間違っていることが多いです。たまに、真言も違っています。さらに根本的なことを言えば、仏様の祀り方を知りません。そりゃそうです。雑密は、整備されていない密教なのですから。
雑密とは、主に作法を重視した経典を独自に理解した私度僧たちが行っていた密教です。独自に理解しているため、真言の読み方や印を間違うことがおきます。あるいは、仏様の祀り方や教えは、私度僧は割愛しますな。自分のお堂を持っていないのだから、それは仕方がありませんな。お堂がないので、仏様の祀り方など学んでも意味がないのですな。
私度僧は、野山がお堂です。旅から旅で、野宿が基本ですね。たまに、村の家に泊めてもらったりします。が、一定の土地に定着して自分のお堂やお寺を持つことはしません。そんなことをしたら、国に捕縛されてしまいますからね。そもそも私度僧は違法な存在なのですから。
彼らは、自由に野山や村々を駆け巡り、密入国したした密教僧くずれや密教僧の真似事をしている拝み屋に密教の作法を教えてもらいますな。で、それを覚え、村人たちの相談ごとに乗ったり、病を治したり、不思議なことをして、生活をしていくのです。
雑密でも正密でも、密教には、基本的に現世利益的要素がある作法が大変多いんです。特に病気平癒を祈る作法や雨乞いは、密教ならではのものでしょう。奈良や平安初期時代などは、村人の心配事は、まずは病ですな。それから田畑の作物がちゃんとできること、でしょう。そうした願い事に応えることができるのが、密教なのです。密教には、当病平癒の祈願の法もあれば、請雨法(しょううほう、雨乞い)という祈願もあります。五穀豊穣を祈る作法もあります。土地の神、天の神、明王、菩薩、如来・・・ありとあらゆる神や仏に祈願する、いろいろな作法があります。そりゃ、当時の拝み屋さん、修験道系行者、私度僧は、みんな学びますわな。なぜなら、人々がそれらを求めているからです。

その当時の拝み屋さんたちは、純粋に人々を救いたい、と願っていたことでしょう。
「官位のある坊さんは、何もしないし、何もできない。なぜなら、密教を知らないからだ。ならば、我らが庶民の間を駆け巡って、人々を救おうではないか・・・・」
拝み屋さんの出発点は、こういう姿勢だったのではないかと思うのですな。そういう思いを実現化してくれるのが、密教の作法だったわけです。
ですから、拝み屋さんや先達さんの間に伝わっている、お祓いなどの儀式や作法は、大変密教に近いものなのですな。
ですが、似て非なるものなのです。やはり、拝み屋さんは拝み屋さん、先達は先達であり、正式な密教の僧侶とは、異なるのですよ。

「そんなの異なったていいじゃないか。効果があればいいのだから」
と思われる方もいらっしゃることでしょう。確かにそうですね。何もしない正式な密教の僧よりも、庶民の苦しみに応えてくれる拝み屋さんの方が、人々にとっては好ましい存在でしょう。その通りだと思います。
しかし、大きな落とし穴がここには存在するのですよ。大きな罠と言ってもいいかもしれません。それは、簡単に言ってしまえば、大事な教えを知らない、ということにあります。大事な教え知らないからこそ、恐ろしさも知らないし、自分を磨く、自分の修行ができていない、ということがあるのです。これが実に恐ろしいことなのですな。
たとえば、拝み屋さんというのは、
「病気や怪我は治せるけど、医者としての知識はない」
というのと同じようなものなのです。病気や怪我には対応できるが、医者としての知識はないから、自分が病気になることなど考えてもいないのですな。むしろ、自分は人助けをしているから病気などにはならない、と信じている節もあるくらいです。そんなことはないんですよ。医者だって病気になります。また、ちゃんと医学を習っていない医者が間違いを犯すように、見誤りを犯すのですな。いや、ちゃんと学んだ医者ですら、見立て違いを犯すのですから、当然ながら、拝み屋さんも見立て違いを犯すのです。ここに大きな落とし穴があるのですね。

さて、次回は、この拝み屋さんの落とし穴について、お話しいたしましょう。では、続きは次回に。
合掌。



第十一話 拝み屋は仏教か密教か?B

拝み屋さんと僧侶の違いはなんでしょうか?
それは、修行をしているかどうか、仏教を学んでいるかどうか、ですね。
特に密教系の拝み屋さんは、密教の正しい知識がないと、拝み屋さんが話す内容にゆがみが生じることがあります。あるいは、理屈が通っていないことや、話が矛盾していることが見受けられます。
「そんなこと有り得んだろ」
のような話が出てくるのですね。特に多いのが、神仏をごちゃまぜにしてしまっている場合です。
仏教においては、仏様と神様の領域は、整然と整備されています。序列もあります。また、仏様は仏様で、如来なのか、菩薩なのか、明王なのか・・・で分類されます。神様は神様で、インド系(仏教系)の神なのか、日本古来の神なのか、土地神なのか、木の神なのか、神としての序列はどの程度なのか・・・といった区別があります。それを知らないことが多いですね。なので、祀り方も知らないのですな。仏教系の神様を神棚で祀ったり、仏様よりも神が上であるというようなことを説いたり、しめ縄を張り巡らし御幣を垂らしているのに、祀っているのは不動明王だったり、まあ、神仏ごちゃまぜですな。お参りに来た人に拝み方を指図するのですが、それもいい加減だったりしますな。
間違っている・・・のではないのですが、間違っているんですよ。確かに古来、神仏習合で祀っていましたが、ごちゃまぜではありません。一線は引いてあります。仏様が本尊で、神は守護の役割、といったようにね。なんでもOKの密教であっても、ごちゃごちゃにはなっていません。整理はされているんです。序列もあります。まあ、こうしたことを拝み屋さんは学んでいないので、神仏の話になると、あれ?ということが多々出てきますな。

そのほかにも、供養とお祓いの区別ができない場合が多いようですな。拝み屋さんは、何でもかんでもお祓いをしたがります。何か問題があって相談に行くと、すぐに「お祓いが必要です」などと言いますな。いったい何を祓うんだか・・・。
たとえば、こんなこともありますな。とある拝み屋さんが、ある人を見て、
「あなたのおじいさんが、恨めしそうな顔をして立っています。これはいかん、お祓いをしなければ・・・」
といったそうです。これ、おかしいんです。恨めしそうに立っていた人は、その相談した人のおじいさんです。身内ですよね。身内をお祓いするって、おかしくないですか?。これ、お祓いの意味が解っていない証拠ですよね。
お祓いは、邪悪なもの、邪気、悪運、悪い気、悪霊等、その対象者に禍をもたらすものを祓うのです。で、その中には、身内の霊は含まれません。身内の場合は、それが例えば悪霊化していたとしても、祓うものではないのです。あくまでも身内は、その人にとっての先祖ですからね。「先祖無くして我が命なし」です。先祖を祓ったりしたら、自分の根源を祓うようなものになります。
では、どうするのか?。先祖は祓うのではなく、供養するものでしょう。先祖供養ですな。これは当然のことですね。お祓いと供養の区別がつかないと、このような間違いを犯してしまうのです。
こうしたことは、お祓いは何たることであるか、供養とはどういうことであるか、という知識がないために起こる間違いですね。何でもかんでもお祓いすればいい、供養すればいい、というものではない、ということです。正しい知識があって、その知識に照らし合わせ、対処していくべきなのです。それには、やはり、正しい修行をしなけれないけないですし、正しい教えを学ばなければならないのですよ。正しい修行をしていない、正しい教えを学んでいない・・・だから、矛盾や間違いが生じるのですな。

もう一つ重要なことがあります。それは、正しい修行をしていないがため、自分自身を律することができない、ということです。これが大きな落とし穴になるのですな。
たとえば、拝み屋さんで陥りやすいのが、金銭欲にとらわれること、です。欲に目がくらんで・・・ということですね。
「これは大変だ。悪霊にとり憑かれている。これを祓うには、ン百万円かかる」
「○○神のたたりを受けている。これを納めるには、このような祈願を1年しなくてはならない。それには、ン百万円かかる」
こういう話は、本当によく聞きます。
おそらくは、その拝み屋さんも、拝み屋をやり始めたころは、真面目だったのではないかと思うのです。ところが、拝み屋をやっていくうちに、
「これは儲かるぞ」
と思ってしまうのでしょう。金の欲に負けてしまうのですな。
拝み屋さんのところに相談に来られる方は、悩んでいるから来るのです。悩み、苦しんでいるから、相談に来ているんですね。で、そういう方は、簡単に拝み屋さんの言うことを信じてしまいます。その結果、多額の金銭を支払うことになるのですな。つまり、困っている人の弱みに付け込んで、多額の金銭を要求するようになってしまうのです。これが、拝み屋さんが陥るもっとも典型的な罠ですね。
ちゃんと修行した僧侶は、そうした罠には滅多なことでは陥りません。なぜなら、自分の欲望を律することが僧侶である、という自覚があるからです。一応、曲がりなりにも・・・であっても、修行をしていますし、仏教や密教の教えを学んでいます。欲望に負けてはいけないし、その欲望をコントロールするのが、自分たちの役目である、ということくらいは認識していますな。
ですから、真言宗や天台宗など、密教系の和尚さんは、
「拝み屋と一緒にするな」
と言いますし、思っています。学んできたことが違う、修行してきたことが違う、という自覚も自負もあるのですよ。
ここが、拝み屋と僧侶の違いなのです。
もちろん、僧侶すべてが、欲望をしっかりコントロールし、悪事を働いていない、とはいいません。中には、淫行を働いてしまった僧侶もいますし、大きな金銭に目がくらんで・・・いう僧もいるでしょう。
しかし、ほとんどの僧侶は、そうした欲望には負けないですね。自分をわきまえております。

「行者の末路は哀れ」
と昔の人は言ったそうです。行者とは、修験道系の拝み屋さんのことですが、まあ、拝み屋さん全般と思っていただいて結構でしょう。
拝み屋さんは、仏教の本質を学んでないうえに、ちゃんとした修行をしていないので、自分の行くべき道を見失いやすいのですね。自分の最終目標は悟りである、ということを知らないのです。
「先生、先生」
などと皆からチヤホヤされ、面白いように人々が自分の言うことを聞き、金銭を自分のところに持ってくる・・・。次第に、有頂天になり、威張りだし、さらに金銭を要求したり、中には、色事を要求したりもする。そうこうするうちに、初めはその拝み屋さんの言うことはまともだったのに、最近はおかしくなった・・・という声が上がりはじめます。気が付けば、誰もその拝み屋さんには寄り付かなくなってしまい、拝み屋さんが一人残ってしまうのです。誠に哀れですな。
拝み屋さんであっても、仏教の本質を学び、自分を律することができ、欲に負けず、人々のために・・・と心得ていれば、哀れになることはないのですけどね。残念ながら、そうした拝み屋さんの話は、私は聞いたことがないですね。

もう一つ。拝み屋さんは、やたらと霊的なことを扱います。これがまた危険なのですな。拝み屋さん自身は、
「わしには力がある。だから霊なんぞ平気だ」
と自負しておりますし、そういう姿勢を見せなければなりません。そうじゃないと、信用が得られない、と思っているんですね。しかし、これが危険なのです。「自分は霊になんぞ負けない」という強がりが、危ないんですよ。負けることだってあるんです。
悪趣・悪鬼・悪魔は、常に修行者の隙を狙っています。ですから、我々は自らの身を守る法を学びます。また、このことにより、我々だって危ないのだ、という自覚を持ちますな。拝み屋さんは、それを知りません。自分はやられない、と思い込んでいます。ここに大きな落とし穴があるんですな。
いろいろな霊をちゃんとした知識もなしに、経験と勘とハッタリだけで処理してきたツケは必ず回ってきます。どんどん、どんどん自分の中に悪いものが蓄積されてしまうこともあります。やがて、年を経ると、その蓄積されたものが表面に出てきてしまいます。それは、「哀れな末路」への流れなのですな。

拝み屋さんは、仏教の知識も、密教の知識も、学んでいません。また正式な修行もしていません。自分の師に教えてもらった、あるいは、ある日を境に拝み屋に転職した、という場合が多いのです。仏教などの知識は、市販の本や聞きかじりでしょうし、修行は、見よう見まね、でしょう。なんとなくやっていれば、それなりの姿になっていく・・・というものですな。
つまり、拝み屋さんは、その方が何と言おうが、
「仏教でも密教でもない」
のです。もし、「わしは密教を学んで・・・」という拝み屋さんがいたならば、師はどこの御寺院さんで、本山はどこに所属しているのか、どのような修行をしたのか、資格はあるのか、を問うことです。それにちゃんと答えられないようでは、まったくもってダメですね。それは、ハッタリですな。

拝み屋さんは、仏教や密教、修験道、古神道の流れを汲んでいることはあるでしょう。しかし、現代では、それもかなり薄れてしまっているのではないかと思います。怪しい場合が、多いでしょう。ですから、拝み屋さんは、仏教でも密教でもないのです。似ているかもしれませんが、それは似ても似つかないもの、なのです。拝み屋さんは、あくまでも、拝み屋さん独自のものなのですよ。
とはいえ、世の中の人々は、何かと拝み屋さんを頼ることが多いですね。それは、坊さんの責任です。真言宗の坊さん始め、密教系のお坊さんは、もっと積極的に人々の相談を受けないとだめだと思います。また、霊的な話をすぐに否定しないで、聞いてあげる、ということが大事でしょう。それをしないから、霊的な話を聞いてくれる拝み屋さんに走ってしまうのでしょうな。怪しいかも、と思っていてもね。そこは、やはり、僧侶の責任だと思いますな。坊さんも、葬式してりゃいい、供養してればいい、ではいけないのだと思いますね。

余談ですが、もし、あなたに霊感がある、何かといろいろな霊が見えてしまう、その人の先がわかってしまう、というのならば、ちゃんと修行してください。正しい仏教や密教を学び、正式な修行を受けてください。そうすれば、あなたの持っているその霊感が本物かどうかわかります。本物ならば、すばらしい僧侶になるでしょう。人々のためになる僧侶となるでしょう。もし、まがい物だったり、悪霊のせいで見えていたりしたのなら、修行中に消えてしまうでしょう。いや、きっと修行には入れないでしょうね。修行の前に、逃げ出すことになるでしょうな。
また、もし、見えてしまう体質というか、性質というか、それを治したい、何とかしたい、と思うのでしたら、ご相談ください。放っておくと、危険なことになりかねません。そうした体質を治す・・・見えてしまうものを見えなくする・・・こともできないことはないですから。あんなものは、見えない方が幸せですからね。
さらに、もし、霊的な能力が欲しいと思っている方がいらっしゃるならば、それはやめておいた方がいいでしょう。霊的な能力が身につくと同時に、大きな責任が覆いかぶさってきます。厄介事が増えるだけです。危険も増えます。曲がり間違ったら、哀れな末路を送ることになります。霊的能力なんぞ、ない方が楽です。知らないで通れることならば、知らない方がいいのですよ。マンガみたいなことはありません。恰好のいいものでもありません。霊的能力なんぞ、望まないことです。よくは知りませんが、新興宗教に「修行すれば霊能者になれる」と説いている宗教があるらしいですが、そう簡単に霊能者なんぞになれるわけがありませんし、そんな者にはならないほうが身のためですな。本物の霊能者になったならば、苦労が増えるだけですから。つまらない言葉に騙されないようにしてくださいね。

ということで、拝み屋さんは、仏教でも密教でもなく、実は似ても似つかないものなのです。どうぞ、そこのところを誤解なきようにしてくださいね。
合掌。



第十二話 私的お大師さん考@

今回から新しいお話を始めます。で、何にしようかといろいろ考えたのですが、そういえばお大師様について自分の意見をあまり話していないことに気付いたんですね。そこで、今回から、お大師様について、私が日頃思っていることをつらつら書いていこうかと思います。えー、たぶん、偏見に満ち満ちておりますので、不快に思われる方もいらっしゃるとは思いますが、そういう方は、読むのをやめてください。今回から書く内容は、あくまでも「私的」ですからね。偏見たっぷり、私自身の意見ですから。反論は無し、ということで、ご了承ください。それと、高野山では「空海・高野山検定」なるものが始まるそうですが、これを読んでも参考にはなりませんので、あしからず。なお、私は検定試験は受けません。3級も取れなかったら恥ずかしいですしね。

あ、お大師様と書きましたが、当然のことながら、真言宗の開祖・弘法大師空海のことです。というか、私は、「空海」と書くのが好きではありません・・・もうすでに、私的なお大師さんの話に入ってますけどね・・・。お大師様・・・というのも実はピンときません。まあ、そう書いていますが。
一番しっくりくるのは、「お大師さん」ですね。お大師様と書くと、ちょっと遠い存在のような気がします。「空海」と書くのは、とても失礼でしょう。よく本や雑誌などで「空海」という文字を目にしますが・・・喫茶店の名前やTシャツのメーカーにもありますよね・・・ちょっと腹が立ちますな。一瞬、ムッとしますが、無視することにしています。「空海」なんて書くな!とは言えませんからね。ま、ともかく、私としては、お大師さんなのですな。どんなときでも、お大師さんなのですよ。

大師・・・と言いますが、大師がついているのは、お大師さんだけではありません。ですが、昔から「大師は弘法にとられ」と言われておりますように、大師と言えば「弘法大師」ですな。他の大師と言えば、比叡山天台宗の開祖・伝教大師最澄さんがいらっしゃいますな。有名な大師といえば、弘法大師と伝教大師くらいで、他にも慈覚大師(天台宗・円仁)とか智証大師(天台宗・円珍)、慈眼大師(天台宗・天海)、見真大師(親鸞さん)、円光大師(法然さん)、興教大師(覚ばんさん)など、そのほかにもいっぱいいるのですが、大師と言えば、やっぱり弘法大師ですよね。まあ、大師号まで頂いている高僧の方なのですが、どの方もお大師さんの足元には及びませんな。実際、法然さんは知っていていても、円光大師は知らないでしょう。天海僧正でもそうですよね。天海という名は有名でも、慈眼大師という号を下賜されていたとは、知らない方の方が多いでしょうな。ま、ともかく、大師と言えば弘法大師・・・お大師さん・・・なのですよ。お大師さんには、他の大師は、かなわないのですな。

さて、「私的お大師さん考」ですが、その生涯を簡単に説明しながら話を進めていきたいと思います。
お大師さん、西暦774年(宝亀5年)6月15日に讃岐国・・・現在の香川県・・・に生まれますな。生まれた地は明確にわかっております。多度郡屏風ヶ浦となっておりますな。そこは現在、善通寺という真言宗のお寺になっておりますな。寺の名前は、お大師さんの父上のお名前「佐伯善通」からとってあります。というか、父上の邸宅を寺に改装したのですな。で、佐伯家の菩提寺として善通寺はスタートしております。お大師さん関係の宝物も多々ありますな。
そう、父親は、佐伯善通という地方の豪族ですな。母親は、阿刀家という、これもまた讃岐国の豪族ですな。お大師さんは、地方豪族の家に生まれたのです。
地方豪族とはいえ、なかなかの勢力を持っていたようです。阿刀家側では、後に皇太子の家庭教師を務める阿刀大足(あとのおおたり)という方も出ておりますので、単なる地方豪族だったわけではないようですな。ちなみに、お大師さんも叔父である阿刀大足から教育を受けておりますな。
お大師さん、佐伯家の三男して生まれます。なお、誕生日ですが、これは実は定かではありません。一説によると、お大師さんの師である恵果阿闍梨の師である不空三蔵さんが入滅したのが、774年6月15日なのだそうで、その際に不空さんが「私は恵果の弟子になり、密教を学びくる」と言ったとか。それが根拠でお大師さんの誕生日が6月15日になっているのだそうです。つまり、お大師さんは、不空三蔵の生まれ変わり・・・と言うわけですな。
不空さん入滅の際に恵果さんに「いずれ汝の弟子となり、密教を極めにやってくる」と言ったんだそうで、また、恵果阿闍梨も入滅の際にお大師さんに「かつては汝は我が師であった。この世では、汝は我が弟子となった。我も、いずれ汝の弟子となろう」と言ったとか。まあ、高僧は、このように師となり弟子となりして、何度も生まれ変わり、やがて究極の悟りの世界に至るのかもしれませんねぇ。そう思うと、私なんぞはまだまだ、まだまだ、まだまだ・・・・ですなぁ。
ちなみに、不空三蔵は、当時では「怪物」と恐れられたほどの高僧だったそうです。密教の法力は他に比べるものなどいない、傑出した高僧だったそうですな。国王からの信任も厚く、何度も国の危機を救ったとか。お大師さんの活躍を思えば、なるほど不空さんの生まれ変わりだったのかも・・・と納得できなくもないですな。
ま、そういうことで、誕生日は6月15日になっております。この日は、高野山では「青葉まつり」が行われておりますな。ぜひ一度、御参拝されるといいですね。

さて、お大師さん、御幼少のころより頭脳明晰で、とても優秀だったそうです。これは、嘘でも大げさでもありません。実際に、中央の大学に合格しているくらいですからね。当時、地方出身者が中央の大学に合格するなんて、有り得ないことですから、本当に優秀だったのです。中央の大学は、エリートのための大学ですから、地方の豪族の息子なんぞ、よほど優秀でないと入れないのですよ。試験官が、「なんじゃこりゃ、天才か?」と思うくらい優秀じゃないと、試験すら受けさせてもらえないんですな。しかも、強い後ろ盾がないと受験資格はありません。お大師さんは、その両方が備わっておりました。勉学の方は抜群に優秀。後ろ盾は叔父さんがいます。その時は、皇太子・・・親王・・・の家庭教師をしておりました。親王から口添えはいただけますな。で、中央の大学に入ったのです。

話は戻りますが、お大師さん、お子さんのころからとても優秀で、「貴物(とうともの)」と呼ばれていたそうです。名前は「真魚(まお)」と言ったのだそうですが、周囲の大人たちは「貴物」と呼んでいたのだそうですな。まあ、あだ名ですな。
どれほど優秀だったかと申しますと、絵を描けばさささっと見事な仏様の絵をかくし、漢詩は得意だったそうだし、手先は器用でさささっと仏塔を作ったりもしたそうです。まあ、伝説なので真偽のほどはわかりませんが、なにせ不空さんの生まれ変わりですから、それくらいのことをやってのけたかもしれません。
私が思うに、きっとお大師さんは、それほど一生懸命に勉強していたわけではないと思います。ご自身の著作に「蛍の光を集め、キリで足を刺して勉学に励んだ古人よりも一生懸命勉強した」という記述がありますが、どうも白々しいように思えますな。お大師さんらしくないように思います。そんな努力、お大師さんには似合わないですな。
普段、そんなに勉強しなくても、ちょっと本を読んだり、簡単に勉強をしたりしただけで、とても優秀な人っていますよね。普段は飄々としているけど、いざとなると才能を発揮していつもトップの成績・・・。まあ、漫画の世界にしかいないような人ですが、実際にそういう人っていますよね。「天才だなぁ・・・」と思えるような人。お大師さんのイメージは、どちらかというとそっちじゃないかと思うんですよ。一生懸命に勉強に励んでいる姿が思い浮かばないんですな。のんびりと好きな本を読んで、それがすべて身についている・・・・。そんなイメージがありますな。必死に机に噛り付いている姿は、どう考えてもあり得ないですな。まあ、叔父さんに教育は受けていたでしょうから、そこそこ勉強はしたのでしょうけどね。叔父さんも、教えがいがあったでしょうな。何も言わずとも、すいすい問題を解いていったのでしょうから。

さて、子供のころの伝説に、がけから飛び降りた、と言うものがあります。あくまでも伝説です。
お大師さん、お子様のころ、自分の生きる価値について悩んだのだそうです。
「私は、人々を救う道につきたい。しかし、私のその資格はあるのだろうか?。それほどの価値が私にあるのだろうか?」
で、ある日のこと、がけに立って、
「もし、私に人々を救う資格があるのなら、仏様、私を御救い下さい。もし、私のその資格がないのなら、この命は終わって、その資格を持った者に生まれ変わらせてください」
と祈り、がけから飛び降りたのですな。すると、仏様・・・観音様だったそうですが・・・「あらあら大変」と言って、がけから飛び降りたお大師さんを救ったのだそうです。こうして、幼き頃のお大師さんは、人々を救う道に進むことを固く心に決めたのだとか・・・。
もちろん、伝説です。というか、後付けの話でしょうな。お大師さん、子供のころは、まだ僧侶になるとは決めていなかったのではないかと思います。もし決めていたのなら、三男坊ですし、勉強するよりも出家した方が先の道はありますからね。優秀だったのですから、大きなお寺に弟子入りすることも可能だったでしょう。有力な叔父さんもいましたし。
当時は、僧侶は官僚制でしたから、各寺院に1年に出家者を受け入れる人数が決まっておりました。勝手に出家することは許されていませんでした。勝手に出家した者は、私度僧と呼ばれ、まあ、犯罪者扱いですな。世の仕組みからドロップアウトしたもの、アウトロー、ホームレス的扱いになりますな。下手すりゃ捕縛されることもあります。なので、お子さんのころから、人々を救う道、仏教の道を目指していたのなら、つまらん官僚の勉強などせずに、出家していたでしょう。そのほうが早道ですからね。
おそらく・・・。お子さんのころは、仏道に進むとは決めていなかったのでしょうな。周りは「お前は優秀だから、せめて朝廷の下級官僚でもいいから、出世しておくれ・・・」などと言われていたのでしょう。期待もされていたのでしょう。特に、叔父さんは、お大師さんの出来に、大きな期待を持っていたのでしょうな。自分の教え子、というひいき目もあるうえに、甥っ子ですからね。期待もしますわな。

まあ、このようにお大師さん、本当に優秀だったのですな。脳の出来具合が違うんですよ、こういう方は。いや、決してひがんではいません。そんな脳は持ち合わせていないことくらい、重々承知しておりますし、そんなに優秀だと責任が重いですからね。そういうのは、否ですな。
ま、それはいいとしまして、優秀なお大師さん、中央の大学に特別に入学することになります。あくまでも特別です。
と言いますのは、当時の中央の大学・・・大学は中央にしかありませんでした。地方には地方の学校のようなものがあったそうです・・・は、13歳くらいから入学して、16歳には卒業していたのだそうです。遅い人でも・・・成績があまり良くない子供ですな・・・16歳くらいまでには入学していたのだそうです。
お大師さんが入学したのは18歳の年です。この年齢からしても、お大師さんの入学が特別だったことがわかります。
また、大学は、お公家さんの子息のための学校でした。朝廷に関わるお役人さん、もしくは有力な貴族、公家の身分の子供しか入学は許可されません。前にも書きましたが、よほど優秀か、特別な後ろ盾がないと入学は無理なのです。

叔父の阿刀大足は、桓武天皇の皇子である伊予親王の家庭教師をしていました。お大師さんは、15歳になって上京し、叔父のもとで試験勉強に励むことになります。まあ、その時すでに優秀だったでしょうから、勉学に関しては大学に通う資格は十分にあったことでしょう。ないのは、身分だけですな。大学入学の許可が下りるまでに3年を要していますな。その間、お大師さんは何を思っていたのでしょうか?
「ちぇっ、身分なんて・・・。そんなもの関係ないのに・・・・」
と思っていたでしょうか?。理不尽な仕組みだ・・・・と。
おそらく、それは思っていたでしょう。当時の15歳、16歳と言えば、ほぼ大人ですな。中には、結婚をする者もいたことでしょう。有力な公家の子ならば、そういうことも多々あったでしょう。
そんな年齢に達していたお大師さん、考えることは現代の15〜16歳のお子さんのようではありませんな。もっと大人びています。
「身分に縛られる制度を何とか変えられないものだろうか・・・。それには自分が上に行かねばならないだろうな・・・」
地方の豪族の子が、いくら優秀だからといって、国の仕組みにまで言及できるのか・・・。しかし、叔父の姿を見て、それは可能かもしれない、と考えていたのではないでしょうか。
「叔父は、儒学に詳しい、教え方が上手い、と言うだけで親王の家庭教師になり、親王や天皇の信頼を得ている。もし、伊予親王が天皇になれば、叔父は相談役くらいにはなれるであろう。この国の仕組みを変えるには、玉の信頼を得ることだ・・・。それには何としても大学に行かねば・・・。叔父すらいけなかった大学に・・・」
ま、お大師さんならば、これくらいのことは考えたでしょうな。この時点では、仏教の道に進むことは考えていなかった、と私は思っています。もし、そうであれば、叔父の所で大学入学許可を待っている間に、叔父に相談しているでしょう。
「官僚の道はあきらめました。私は仏道に進み、そこから世の中を変えていきたいと思います」
と。つまり、この時点では、お大師さんは大学に進むつもりだったのです。それが、自分のためであり、家のためにもなるのだ、信じていたのでしょう。
その決心がどこでどう変わってしまったのか?。
折角入学できた大学をお大師さんは、飛び出してしまうんですな。
続きは次回に・・・。合掌。

ばっくなんばぁ〜7


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