仏様神様、よもやばなし

ばっくなんばぁ~9

第十三話 現代訳「三教指帰」③

前回の続きで、蛭牙公子への本格的な説教が始まります。さてさて、亀毛先生、どんなお説教をするのやら・・・。
巻の上 亀毛(きぼう)先生論2
亀毛先生、蛭牙公子を前に、本格的に説教を始めますな。
「蛭牙よ、お前の性質を見ると、両親を侮っておろう。両親に挨拶すらしない。それにだ、世間の人たちを小ばかにして、哀れみの気持ちなど少しも持っていない。狩猟ばかりして山野を歩き回っているかと思えば、魚を獲るために海に船をこぎだしている。一日中ふざけたことばかりしているのは、州く(しゅうく・・・「史記」に登場する極悪人)よりひどい。一晩中賭博をしているのは嗣宗(しそう・・・「晋書」でるばくち打ち)もかなわぬほどだ。ためになることは何一つ話さず、遊びとなると寝食すら忘れる。清く正しい行いなど全くしない。何でも呑み込んでしまう谷間のような貪欲さしかない。獅子や虎のように獣を何でも食べてしまう。クジラも及ばないほど魚を食べる。肉を見て『これが前世の父母兄弟の肉かも知れない』と観じてその肉を食べないという気持ちなどさらさらない。不殺生の戒めなど意に介していない。酒を飲んで酔っ払った様は、酒に飢えた猿すら恥じ入るほどだ。食べ物を求めて走り回る様は血に飢えたヒルも及ばない。酔っ払って蝉のようにうるさくわめく。草の葉の端にのる水滴ほどの酒さえ禁じた仏教の戒めなどもかまわない。昼夜の区別なく食べまくっている。一日一日の仏戒など眼中にない」
亀毛先生、舌鋒鋭く蛭牙公子の日常生活のダメさ加減を列挙していきますな。ま、それにしても、蛭牙くん、そうとう貪欲ですな。すごい食欲ですな。食べているか博打をしているか、そのどちらかという生活のようです。が、亀毛先生の指摘は、これで終わりではありませんな。まだまだ続きます。

「髪の毛の乱れた下女のような下品な女を見ても、登徒子(とうとうし・・・楚の好色で有名な人)以上の性欲を燃やす。見目麗しいご婦人を見たら、その欲望はなおさら燃え上がる。術婆伽(じゅつばか・・・王女に恋して死んだ漁夫)のように恋でいつも胸を焦がし、さかりのついた春の馬や夏の犬のように色欲で身悶えている。仏教が教えるように、女を見て老猿や毒蛇と思え、などということは全くない。妓楼で遊びまわる様はサルが梢で戯れているようであり、学校へ行けば行ったであくびばかりしている。それはまるで、兎が木陰で眠っているようなものだ」
蛭牙くん、女性の方もお盛んなようですな。髪の乱れた下女、というのは、身分の低いいやしい女ということですな。まあ、昔のことですから、そういう女性も多くいたのでしょうな。そんな、まあいわば汚らしい女性にも欲情したのですな。それどころか、まあ、目に入る女性すべてに欲情していたようで・・・。始末に悪いですな。しかも、一般の女性だけでなく、妓楼・・・売春宿・・・にも出入りしていたようで。なかなかどうして、すごい精力の持ち主ですな。それほど盛んに女性と交渉を持っていれば、学校へ行っても寝るしかないですな。というか、蛭牙くん、学校へ行っていたんですな。これは驚きです。一応、学生だったようですな。まあ、不良学生です。飲む打つ買うどころじゃないですな。こんな状態ですから、勉強など一切致しません。亀毛先生、そこも責めますな。

「蛭牙よ、お前は昔の人のように、勉強するために首に縄をかけたり、股をキリで刺したりすることは全くない。盃を手にしてカニを追うように飲んで遊んでばかりいる。古の人のように蛍の光で勉強することなど思いもしない。いつも酒代の金を杖の先に括り付けて歩き回っている。たまに寺に入って仏像が眼に入っても、懺悔など全くせず、かえって邪心を起こす。一度仏の名を呼べば最後には悟りを得るという『法華経』の話や、一銭の油を仏に献上して最後には仏の位になると予言された老婆の話など、お前は全く知らない」
このくだりは、序文にも出てきたことですな。昔の勉強家は、中国の故事に倣って、首に縄をかけたり、キリで股をさしたりして眠気を除けたのですな。また、夜は蛍の光で勉強に励んだのですな。もちろん、蛭牙くん、そんなことは一切しません。それどころか、そんな故事も知らないほどでしょう。彼の頭の中は、酒と女ですな。そんな状態だから、ひょんなことからお寺に入っても、仏像すら目に入らないのですな。たまたま目に入っても何とも思わない。それほどなので、仏教の話は全く知りませんな。亀毛先生、儒教の先生なのですが、ついつい仏教的な話までしてしまっています。それほど、この時代は仏教の逸話は民間に語り継がれていたということですな。亀毛先生の説教はまだまだ続きます。

「先生のそばにいて親しく教えを受けても、自分の過失を責めようともせず、かえって先生の教えを恨む。先生の丁寧な教えは子に対するよりも親切で、兄弟の子に対するよりも重いということなど考えてもいない。他人の欠点を暴き立てるだけで、昔の人に立派な戒めを顧みない。いつも口数が多く、『孔子家語』に説く『口を慎む』という教えを考えない。善をそしる邪な言葉は、肉親をも滅ぼすということを知りながら、また言葉は君子の肝心であり栄達に関わるという教えを知っていながら、口を慎むことはない。蛭牙よ、お前の愚行はこのようにたくさんあって、禹(う・・・命名の名人)の筆をもってしても書ききれるものではない。隷(れい・・・黄帝時代の数学者)のそろばんであっても計算できないほどだ。お前のようにうまいものをたらふく食べて、百年たってもそれは動物の一生のように無駄ななことであり、暖かい良質の着物を着て四季を過ごしてもその生活の虚しさは犬や豚の生活と同じである」
蛭牙くん、よい教えを聞いても説教を受けても反省はしませんな。むしろ、説教をする先生を恨みます。まあ、こんな生徒はいつの時代にもおりまして、いわゆる不良学生ですな。彼らは、説教を受けてもうるさいと思うだけで、なかなか態度が改まりませんな。それどころか、悪口をいったり、無駄なおしゃべりばかりしていますな。いつの時代も、不良がすることは同じなのですなぁ。千年の時が経ても、不良は同じことをするのです。虚しいですなぁ・・・。

「蛭牙、よく聞け。儒教の『礼記(らいき)』という書にある『父母が病気の時には、その子である青年は髪をとかないし、家の外に出て飛び回らない。音楽遠慮し、酒を飲んでも顔色が変わるほど飲まないし、歯を出して大笑いしない」という一節は、親族を思うことが切実であって、とても我が振りを整える気にならないという意味なのだ。また『近所に不幸があるときは、臼をつきながら杵つき音頭を歌わないし、里で死者の供養があるときには街路で誰も歌わない」という。これは、他人の憂いに同情して、親しい人でも知らない人でも区別しない、ということである。世間の人は、知らない人に対してもこのようであるのに、お前は親しい人に対してもひどい仕打ちをする。たとえば、親類の人が病気の時に医者を呼んでも、お前は薬の毒味をするような誠意がないから、親族の賢い人たちは冷や汗を流すのだ。近所で悲しい出来事があっても、お前はともに憂いてその家を慰問するようなことをしないから、道理の分かった思慮分別のある人は、お前を見て心に怖れを抱き、穴があれば入りたいと恥じ入るのだ。よいか蛭牙よ、人間は禽獣とは違うのだ。木や石と同じというわけにはいかない。人間の姿をしているのだから、オウムや猩々(しょうじょう)のような禽獣とはわけが違うのである」
さて、蛭牙くんの悪行三昧を列挙してきた亀毛先生、いよいよ本格的な説教に入りますな。人としての常識を問い始めます。まずは、親族への思いですな。そして、親族や近所での不幸があった時の態度ですな。蛭牙くんの態度を見ていると、それは人間らしいものではなく、動物と変わらない、それは恥ずかしいことであり、周りの者も恥ずかしく思うことなのだ、と教えますな。お前は、獣と変わらないんだよ、とね。人間の姿をしているのだから、獣と同じではいかんだろう、というのが、亀毛先生の教えですな。
この説教、蛭牙くんはどう思っているのでしょうか?。じつは、それについては、語られてないのですな。まあ、大人しく亀毛先生の説教を拝聴しているのだと、思っていてください。
「そんな不良の蛭牙くんが大人しく聞いているの?」
などという疑問は、この際抜きにしてください。いやいや、案外、こういう不良は有名な先生の前では大人しいのかもしれませんし、ひそかに亀毛先生のことを尊敬していたかもしれませんしね。
ま、とにかく、蛭牙くん、先生の説教を大人しく聞いているのですな。なので、亀毛先生の(おもしろくない)説教は、まだまだ続くのです。

「蛭牙よ、もしお前が悪いことをする心を入れかえて専心に孝行をすれば、中国で高柴(こうさい)が父の死後三年間血涙を流したとか、郭巨(かくきょ)が孝行によって黄金の釜を掘り当てたとか、孟宗(もうそう)や王祥(おうしょう)が寒中に筍を得たり鯉をとったりとか、丁蘭(ていらん)のような二十四孝の人々以上の美名を流すであろう。その心を忠義にうつせば、朱雲(しゅうん)が欄干を折り、師経(しけい)が窓をこわし、弘演(こうえん)が自分の肝を出して死んだ主人の肝と入れかえたり、また比干(ひかん)が諫言して胸を割かれたという事例以上に、忠義の名誉を得るだろう。儒教の経典を習うことにお前がむかえば、東海に学者を建てた包咸(ほうかん)や、西河の地で教授した子夏(しか)らの碩学さえ驚いてあやまるであろう。史書ならば、屈原(くつげん)とか楊雄(ようゆう)、司馬相如(しばようじょ)のような文人でも黙って敬礼するだろう。書道ならば、虎が臥すような雄大な字を書いた中国の書家たち・・・王羲之など・・・も筆を捨てて恥ずかしがるだろう。弓術に向かえば、昔の名人で太陽を射落としたというゲイや猿を泣かせた養由基(ようゆうぎ)なども弦を切って歎くであろう。また戦略ならば、張良とか孫子などの兵法の大家も『三略』の兵法書が役立たたないとなげこう。農業ならば、名の知れた豪農でさえ、穀物の蓄えがないに等しいと心配しよう。政治ならば、『天知る、地知る、我知る、子知る』といい賄賂を取らなかった楊震(ようしん)以上に名声を高めるであろう。裁判をすれば、三度退けられて正義を守った柳下恵(りゅうかけい)よりも美名を流そう。潔白で慎み深ければ、孟子の母や孝威(こうい)のようであろう。操正しく善い行いをすれば、伯夷(はくい)や許由(きょゆう)のようであろう。もし、お前が医術や技芸に向かえば、心臓や胃を手術する技術は見事であろう。鼻端に薄くついた白土を鼻を傷つけず斧でけずり落とした匠石(しょうせき)とか、木で鳶を作って飛ばせたという公輸般(こうしゅはん)の巧みをしのぐであろう。
もしこのようであれば、湖のように広い人物の大きさは叔度(しゅくど・・・度量が広いことで有名だった)と等しく、数千尺の松のように堂々たる器量はゆすう(晋の人)に比すべくもない。お前を見る人はお前の深さを知ることができず、お前を仰ぐ者はお前の高さを計ることもできないであろう」
さんざん蛭牙くんの悪行をあげた亀毛先生、今度は、蛭牙くんを褒めはじめますな。蛭牙くん、君が本気を出していろいろなことをすれば、どんな分野であっても、古の達人をしのいでしまうであろう、それくらい君は才能があるんだよ~ん、てなもんですな。簡単に言えば、このようなことを亀毛先生は言っているのですな。くどくどと・・・。
まあ、褒められて嬉しくない人はいませんからね。亀毛先生のこの作戦は、なかななかよいかもしれません。お前はひどい奴だ、と蹴落としおいて、でも才能はあるんだよ、それもすっごい才能が、と引っ張り上げる。注意だけして蹴落としっぱなしの昨今の先生よりは、いい先生ですな。フォローがちゃんとできていますからね。
さて、この亀毛先生のフォロー、まだまだ続きますな。それは次回に・・・。
合掌。


第十三話 現代訳「三教指帰」④

巻の上 亀毛(きぼう)先生論3

亀毛先生の蛭牙公子への説教とおだては、まだまだ続きます。
「蛭牙よ、郷土の良いところを選んで一家をなし、土地の良いところを選んで家を造り、道を床とし、徳を寝床として寝て、仁を敷物として座り、義を枕として臥せ、礼を布団として寝て、信を礼服として生活するべきだ。その日その日を慎み、短時間でも惜しみ、怠けず研鑽し、善悪を考えよ。忙しい時にも書物を捨てず、いつも紙と筆をはなさないことだ。そのようであれば、学問上の議論で朱雲が五鹿充宗(ごろくじゅうそう、しゅうんとともに易学の人)を打ち負かしたように、また戴憑(たいひょう)のように議論で50人に勝つことができるであろう。果てしない弁舌の泉が大海のように湧き上がり、美しい文章が青々とした樹木のように栄えるであろう。勝れた分筆は玉のようであり、孫綽(そんしゃく)や司馬相如(しばそうじょ)以上の宝玉を連ね、黄金のように輝き響いて、楊雄(ようゆう)や班固(はんこ)以上に美しい花を咲かせるであろう。離騒(りそう)の伝を書いた劉安(りゅうあん)のように、即座に名文を書き上げ、「鸚鵡賦」をつくった禰衡(せいこう)のように、たちまちに書いて一字も添削されない。すぐれた韻文を使い、立派な詩文を自由に作るであろう」
徳や仁・義・礼・信を重んじて怠けず努力すれば、過去の偉い儒者や学者よりもすぐれた才能を発揮できるんだよ、と亀毛先生は蛭牙くんをおだてますな。君はやればできるんだ、ということですな。しかし、おだて方にもほどがある、と私なんぞは思ってしまうんですが、蛭牙くんくらいひねくれていますと、これくらいおだてないと通用しないのかもしれません。亀毛先生の説教はまだまだ続きますな。

「蛭牙よ、それくらいになると、遠くから馬車が来て門外にひしめき、贈り物としてたくさんの絹や玉が庭園の店のように並べられるであろう。魏の文侯(ぶんこう)が段干木(だんかんぼく)をそのあばら家に訪ねて礼を尽くしたようなことになれば、寗戚(ねいせき)のように牛の角を叩いて仕官を求める必要などない。周の文王が太公望を草庵に訪ねたようなことになれば、馮驩(ふうかん)のように剣をたたいて立身出世を求める必要もない。大臣の位に登るのも偶然というわけではないし、高級の官吏になるのも自分で宣伝しなくてもいい。卿大夫(けいたいふ)の位に就くのも、地面のゴミを拾うように一瞬にしてできるし、蘇秦(そしん)が苦学して得た大臣の印綬は、踵を返すほど簡単に得られよう。父母に対して孝養するように君主に忠義をたて、誠心をもって同僚と交われ。干将(かんしょう)のような立派な剣を腰に下げガチャガチャと音を鳴らし、玉の笏(しゃく)を帯に挟んで威儀を整えよ。朝廷の御殿に出入りし、宮廷に登るのだ。朝廷に入って政治に関われば、その名誉は天下に普く広がる。外に出て一般の人々に善政を施せば、人々からの非難はない。その名は史書に記されるし、栄誉は子孫に伝わる。生きているうちは高い爵位を得て安定するし、死んだ後は立派なおくり名が贈呈される。これは永久不滅の立派な業績であって、これ以上に望むべきことはないのだよ」
亀毛先生、一生懸命勉強すれば、高級官僚も夢ではない、と蛭牙くんに説きますな。しかも、お前は善政ができる人間だ、などとおだてます。そして、高級官僚になることがこの世の幸せであり、その名誉は子々孫々伝わることなのだ、と教えますな。そうした名誉を得ることが、この世の幸せなのだ、と。まあ、いつの時代も同じでして、高級官僚や政治家になることがこの世の幸せなのだ、と信じている人はいるんですな。その実、いろいろな人間関係やハードな仕事、批判でヒーヒー言うことになるのですが、亀毛先生がいうような、とてつもなく勝れた人物になれば、そんな心配はいらないのですな。しかし・・・、そんな勝れた人間はいないのが現実です。亀毛先生、ちょっとおだてすぎですな。
亀毛先生の口は、まだ止まりません。

「蛭牙よ。人は生前には楽しい思いをする日もあるが、死後には一緒に楽しむ人はいない。天の牽牛星(けんぎゅうせい)は孤独を悲しみ、年に一度は織女星と会う。水中にいる鴛鴦(えんおう)も雌雄一緒にいることを喜ぶ。だから、『詩経』に『婚期の遅れる女の嘆き』という詩が載っているし、『書経』にも堯帝(ぎょうてい)が二人の娘を舜(しゅん)に嫁がせた話が載っている。人は、女の誘惑に負けないような男でない限り、配偶者を求める。また子登(しとう)のような孤独な隠者でなければ独りで寝ることを喜ばない。男は必ず降る雨となる巫山(ふざん)の女神のような美女を良家から求め、雪が風に吹かれて飛ぶような黒髪が、風に揺らぐような、曹植(そうしょく)が見た女神のような美女を名族から選ばねばならぬのだ。婚礼の日ともなれば、迎えの車が大きな音を立てて、盛大に道にあふれ、見送りの行列の馬が躍り上がって城郭の外にまで行く。嫁の従者が続き、袂を幕として日光を遮り、手輿(たごし)をかいて歩く者や馬を御する者たちは流れるほどの汗をかいている。里帰りの行列の輿の上にかかる紫色の天蓋は、大空に飛んで雲の流れのようになり、詩集のある美しい着物は、地面をかすめて風のように過ぎていく。婚礼には、花嫁を迎えるにも送るにも、すべて丁寧な儀式を行うものだ。
奥の部屋では、新郎新婦は対等の立場で飲食をし、同じ瓢(ひさご)を割って作った杯で酒を飲み、そして結ばれる。珠すだれを巻き上げ、美しい花嫁と対面し、黄金の床を掃き清めて立派な新郎と並ぶのだ。琴瑟(きんしつ)以上に調和する音楽を奏で、夫婦仲良く一緒になり、それは膠(にかわ)や漆以上に離れない。ともに老いるまで仲良く暮らし、東海のヒラメをあざ笑い、死んで同じ墓に入るのは、南方の比翼の鳥以上である。生涯にわたって何の憂いもなく、百年の楽しみを味わうことができるのだ」
さてさて、高級官僚になって、名を馳せることができれば、名家や名氏族から嫁を貰うことができるのですな。蛭牙くんが付き合っているような、小汚いそこら辺の女ではありません。身分の高い、いわゆる高嶺の花の女性を嫁にできるのですな。その婚礼は、これまた派手で素晴らしいものだ、と亀毛先生は言います。そして、仲良く過ごし、死んだ後も同じ墓に入れ、と説きますな。それが、本当の幸せなのだ、と。つまり、
『わしの言うことを聞いて勉学に励めば、お前は才能があるから、立身出世も意のまま、国民も公家も皆お前を崇めるぞ。そして、良家の娘を嫁にもらい、生涯楽しく暮らすことができるのだ。その栄誉は、子々孫々まで伝わるのだぞ。どうだ、蛭牙よ、すごいだろ』
ということなのですな。それをくどくどと過去の偉い人の例をあげて説いてきたわけです。まあ、こういう人って今でもいますよね。特に先生に多そうですな。まあ、間違ってはいません。若者はおだてに乗りやすいですからね。大人のようにひねくれていませんから。純粋ですからね。おだててまっとうな道に進めるように導くのは、教師の仕事ですな。しかも、こんなにご褒美があるのだ、と示すのも大事ですな。現物で得られるものがなければ、人は努力しませんから。人参がぶら下がってなければ、人は働きませんからね。
と、亀毛先生、長々と説教をしてきました。そろそろ、蛭牙くんの気持ちが聞きたくなります。なので、まとめに入りますな。

「蛭牙公子よ。愚かな行為や考えは早く改めて、わしの教えを習うがよい。もし、そうなれば、親に仕える孝行も主君に仕える忠義も完全なものとなろう。友と交際する美徳も備わり、子孫を繁栄させる喜びも満足できるであろう。身を立てる本も名をあげる要も、今まで話してきた通りだ。孔子の言葉に『田畑を耕していても飢えることはあるが、道を学びさえすれば、仕官して給料を得ることができる』とある。これは本当のことだから、よく肝に銘じておくがよい。さて、どうする、蛭牙よ」
亀毛先生、蛭牙くんに答えを迫りますな。「どうするのだ、わしに従って栄誉・金・良家の嫁などを得たいか?、さぁ、どうする」というわけですな。まあ、あれだけ素晴らしい世界があるのだ、とクドクドと説かれたあとですからな。その誘惑は大変大きなものですな。なので、蛭牙くん、跪いて言いますな。
「はいはい、謹んで仰せに従います。今よりこの後は一生懸命に先生の教えを習います」
ま、単純ですな。元がバカですから、よく考えていないのですな。しかも自惚れが強いですし。ちょっと考えれば、「そんなの無理でしょ。簡単にはいかないでしょ。劣等生の不良が東大を目指せ、っていうようなものでしょ。しかも、官僚になれという。そりゃ、とても無理」とわかるのですが、蛭牙くんにはわかりませんな。「俺、できそう。頑張る」てなもんです。もっとも、人が伸びるためには、こうした単純さは必要ですけどね。無謀な単純さも、時には人を成長させますから。そう思えば、人は、ちょっと単純なほうがいいのかもしれませんね。初めからあきらめるよりは・・・。
蛭牙くんの態度に、父親も喜びますな。

父親の兎角公、椅子から降りて丁寧に敬礼して言います。
「まことに結構なお話でした。昔、スズメがハマグリになったという話を聞いて疑念を持っていましたが、今は蛭牙の鳩のような心がたちまち鷹の心に変わるのを見ました。ところで、昔の話に葛仙公(かっせんこう)の白飯が黄色い蜂になったことや、左慈が身を羊に変えたということを聞いて、そんなことがあろうかと疑っていましたが、今の先生の御高説によって、蛭牙の狂気が真人間になったのを見て、これはあの昔話以上の不思議なことだと思いました。いわゆる『果汁を求めて酒をもらい、兎をたたいてクジカを手に入れる』ということですね。昔、陳亢(ちんこう)が伯魚(はくぎょ)から詩を聞き、礼を聞いたときの感激も、今日の先生の優れた教えには及びますまい。これは、蛭牙にとっての誡めであるだけでなく、私にとっても生涯の教養の糧となるものです」
兎角公、本音がちらりと見えていますな。本当は、あまり期待していなかったようですな。ところが、期待以上の結果が得られ、大喜びです。ま、ちっと失礼な話ですが、とんでもない不良の蛭牙がそう簡単に話を聞くとは思っていなかったわけです。あらま不思議、あの不良が真人間になったわい、ありがたや、ありがたや、てなもんですな。

こうして、亀毛先生、立派に仕事を果たしますな。面目躍如です。で、やれやれと思っているところに、珍客がやってきます。それが、虚亡隠士(きょぼういんし)ですな。次回からは、この虚亡隠士の巻に入ります。
合掌。



第十三話 現代訳「三教指帰」⑤

巻の中 虚亡隠士(きょぼういんし)論1

今回から新しい人物が登場します。名前はわかりませんが、呼び名は虚亡隠士(きょぼういんし)と言います。この人、一見、バカな人のように見えますが、その実、道教の達人ですな。智慧のあることを隠し、自分に徳があるような素振りすら見せません。まるで狂人のように振る舞っております。髪の毛は蓬のように乱れている、というのですから、しばらく洗髪はしていないようですな。遠い昔の仙人も顔負けのボロボロの衣装をまとっております。
この人、いつからいたのか、亀毛先生がしていた蛭牙君への説教を聞いておりました。で、偉そうに胡坐をかき、にっこりと笑って・・・きっと歯はないのでしょうなぁ・・・話し始めますな。
「あぁ、おかしなことだ。あなたが人に教えることは、まことにおかしい。初めには、あなたは高価な毛皮の衣を見て、龍や虎に対する勢いのようであったが、後の方には小さなヘビを見て子ネズミに向かうようなものだった。自分の身に重い病気があるのに、それを治さずに、どうして他人の腫れた足のことをとやかく言うのか。あなたは、彼の治療をしない方がましだ」
どうやら、亀毛先生の教えに不満があるようですな。亀毛先生の教えが、初めは勢いがあったのに尻すぼみだ、と指摘しております。これは、亀毛先生の教えが、初めは広大な君子の教えであったのに、途中から俗世間的な無難な生活をするように諭したからでしょう。虚亡隠士は、そこが気に入らないのですな。「エラそうなことを言っても、結局は、無難な生活かよっ!、そんなことしか言えないお前さんは、そりゃまるで病人だよ、そんな病人に、こいつは治せないよな」ってことなのでしょうな。なかなか手厳しいですな。そのように厳しい批判をされた亀毛先生、「何をいうか!」と反論するかと思いきや、すっかり呑まれてしまいます。

虚亡隠士の言葉を聞いた亀毛先生は、びっくりしてしまい、恥じ入って虚亡隠士の前に進み出て
「先生にもし別の教えがおありでしたら、どうかお教えください。私は兎角公に頼まれて、仕方がなく、あわてて説教してしまったまでです。どうか先生、我々に教えを示してください」
と、頼み入ります。まあ、何とも情けない話ですが、虚亡隠士のもつ雰囲気に負けてしまったのでしょうな。虚亡隠士、亀毛先生の頼みを聞き入れたのかいないのか、ともかく喋りはじめますな。
「光り輝く太陽は光が盛んで明るいけれども、目に障害がある人はその光を見ることはできない。ゴロゴロとなる雷の音は激しいけれども、耳に障害がある人にはその響きを信じない。ましてや黄帝の秘密の記録は凡人の耳には遠くて聞こえないだろう。道教の天尊である黄帝の秘術をみだりに説けるものではない。生贄の動物の血をすすって誓いを立てても、聞くことは甚だ難しい。骨に約定を刻み込んでもこれを伝えることは容易くない。なぜならば、短い釣瓶で井戸の水を汲もうとする者は、水を汲めないのは井戸の水が枯れているからだと疑うし、小さい指で海の潮を測ろうとする人は、海の底がすくそこだと思ってしまう。道を授けるのに相応しい人物でなければ、秘密を口に出して伝えるわけにはいかないし、立派な人物でなければ、書物を入れた文箱を示すことなく地下に隠す。それからのちに、機会を見て初めて開き、人を選んで伝えるものなのだ」
虚亡隠士、「お前さんたちに、重要な教えを聞く資格があるのかい?」と問いかけておりますな。その資格がない者には教えられないよ、と。

亀毛先生たち、そんな秘密の教えならば、余計に聞きたいですな。なので、必死に頼み込みます。
「昔、漢の武帝は不老不死の仙術を求めて、ねんごろに西王母にお願いをしました。費長房は壺中の老人から仙術を得ました。我々は幸いに先生に巡り合えましたので、邴源(へいげん)が千里を遠しとせずに孫崧(そんすう)を尋ねるようなことをしないで、彭祖(ほうそ)のように万年の命を保つことができれば、それはまことに結構なことです。幸いなことです」
と、亀毛先生・兎角公・蛭牙公子の3人で前に進み出て、丁重に敬礼をして虚亡隠士に願います。さらに
「どうか重ねてのお願いですが、お教え願います」
と頭を下げますな。虚亡隠士
「壇を築いて誓約をすれば教えてあげましょう」
と言い放ちますな。
壇とは、道教の神々を祀る祭壇のことですな。また道教でいう「誓約」とは、家畜を生贄にしてその血をすすって誓いを立てることですな。うぉ、ちょっとグロテスクですな。家畜を生贄にする・・・とは、西洋の黒魔術っぽいですが、道教にもあるのですねぇ。いやいや恐ろしいことで。

さて、ここまで言われれば、亀毛先生たち、やらずにはいられませんな。壇を築き、生贄を用意しますな。そして、虚亡隠士の仰せを聞いて、亀毛先生らは言われた通りに壇に昇って誓いを立て、生贄を生める穴に臨んで誓いを交わしますな。約束事がすんだので、さらに教えを請いますな。すると虚亡隠士がいいます。
「よろしい。あなた方はよく聞きなさい。これから不死の神仙の術をあなたたちに授け、長生きの秘密の方法を説き聞かせよう。かげろうのような短い命を亀や鶴のように長生きにし、足の不自由な驢馬のように遅い足を、翼のある龍のように速く走れるようにしてあげよう。日・月・星と一緒に存命し、八人の道士と向かい合い、朝から渤海の中の三つの神山の白銀の宮殿で終日ゆったりと遊び、暮れ方から渤海の東の五岳の黄金の宮門を通って、終夜ぶらつくことができるようにして進ぜよう」
亀毛先生たちは、即座に答えます。
「はいはい、どうかお聞かせください」
と。虚亡隠士、満足そうにうなずき話し始めますな。
「天地が万物を創り出すのに、あれこれの区別はしない。それはちょうど溶鉱炉で鋳物をするように、事物を創造するのに憎しみや愛情のとらわれを離れているのだ。たとえば、赤松子(せきしょうし)と王子喬(おうしきょう)という仙人をわざと長寿にしたわけではないし、才子であった項橐(こうたく)と顔回(がんかい)を短命にしたわけでもない。ただ自然の本性を保つか保てないかで、長寿になるか短命で終わるかの違いとなるのである。生命を養う方法や長生の術は大変多いので、詳しく述べることはできない。ただ、大筋を述べて、いくぶんか教えてあげよう。
昔、秦の始皇帝や漢の武帝は、内心では超俗の仙術を得たいと願っていたけれども、普段のうわべの生活は世間一般と同じである。楽器が喧しくなるので聴覚が鈍り、錦や刺繍の贅沢な衣服がきらびやかなので目がくらむのだ。彼らは、赤い瞼や朱の唇をした美人をしばらくも手放すことができないし、新鮮な魚や生きた獣をわずかな食事にも欠かさない。動物の死骸を積み上げて見物し、川のように血を流すようなことをする。このような残忍なことは、詳しく述べられないほど多い。少しの水を流しても大きな穴から漏れるようなもので、心と行為が食い違うから徒労を重ねるばかりである。円い蓋を四角い箱にかぶせて合わせようとし、冷たい氷にキリで穴をあけて火を出そうとするようなもので、まことに馬鹿げている。
しかし、世間の人が思うのは、『帝王のような貴人でも、その求めるものを手に入れることはできなかったのだから、普通の凡人はどうして得ることができよう』ということだ。そして仙術は架空のでたらめであり、怪異の術であると言い張る。けれども、そう思うのは誤りである。漢の武帝の臣である欒太(らんたい)や始皇帝と武帝は、仙道の中のカスであり、瓦礫のようにつまらない者である。深く憎むべきやからである。そういうわけだから、仙道を伝えるには必ずその人を選ばねばならない。それは身分の尊卑によるのではない。あなたたちは、専心に勉強して、後世の非難を受けることのないようにしなさい。よく学ぶということは、今言ったようなこととは違うのだ」

虚亡隠士、初めに注意をしますな。本当の道教・・・仙術・・・とは、世間で言われていることとは違うのだ、というのですな。始皇帝や武帝が求めたこと・・・不老不死・・・は、邪道だ、というのですよ。彼らを完全に否定しておりますな。あんなものは、カスであり、仙術ではない!、ということですな。あの連中がいるから、世間の者は「仙術なんて!」とバカにしてしまう、というのです。始皇帝も武帝も、仙術を求めながら、俗世間の暮らしから抜けられなかったからダメなのだ、とも言っております。「本当に仙術を学ぶということは、始皇帝や武帝がやったこととは違うんだよ、君たちわかっているかい?」と念を押しておりますな。そう、虚亡隠士は、道教に対する誤解が許せないのですな。そんなものじゃない、世間で言っているようなものじゃない、本当の道教は違うんだよ、ということです。まずは、それを心得よ、というのですな。
そうして、「私が説く道教が本物だ」と意識付けをしておいて、虚亡隠士は一気にその教えを説き始めます。それは切れ目がないので、次回に回しましょう。今回はここまでです。
合掌。


第十三話 現代訳「三教指帰」⑥

巻の中 虚亡隠士(きょぼういんし)論2

虚亡隠士の「仙道を伝えるに値する人とは」という説教が続きますな。
「まず、手足の及ぶ範囲では小さな虫すらをも傷つけす、肉体においては精液や唾液すらもこぼさない。肉体は汚れを離れ、心は貪欲をもたない。目は遠くの方を見ることをやめ、耳は長いあいだ聞くことなく、口は粗末な言葉を言わず、舌にはうまいものを食べない。親には孝行であり、他人には誠実であり、また憐れみ、慈しみの心を持つ。大きな財産もゴミのように捨て、万乗の帝王の位でも草履を脱ぐように棄てる。美女を鬼か化け物のように思い、爵位や給与を腐った鼠のように見る。静かに世事を遠ざけ、心安らかにして俗事に関わらない。このようにして後に学べば、仙道を得ることは極めて容易である。俗人が最も好むことは、仙人がもっとも忌み嫌うことである。もしそれから離れるならば、仙人となることは難しくない。
五穀は内臓を腐らせる毒であり、辛味ある五菜は目をそこなう毒である。酒ははらわたを切る剣であり、豚や魚を食うことは寿命を縮める矛であり、見目麗しい美女は命を切る斧であり、歌舞音曲は寿命を奪うマサカリである。激しく笑い歓び、過度に怒り悲しむことなどは、みなひどい損害を与える。
自分の身のうちにこのような害悪をなすものがある。このような害悪を絶たなければ、長生久存はできない。俗生活をしながら、このようなものを離れるのは難しい。そしてこれを絶てば、仙道を得ることは簡単だ」
虚亡隠士、仙道を得たいのなら、まずは俗世間から離れねばならないと説きますな。世俗的なことからは、すべて離れよ、捨てよ、と申されます。性的な行為はもちろんのこと、歌ったり踊ったりするのもダメ。喜怒哀楽が激しいのもダメなのです。しかも、普通の人が食べているものすらダメなのですな。そういう覚悟のある人の身が、仙人の道に入れるというのですな。いやはや、何とも厳しい。これでは、ほとんどの人が無理ですな。まあ、だからこそ、古来、仙人は少ないのでしょうけど・・・。
では、何を食べて生きていけばいいのか?。虚亡隠士、それを説きはじめますな。

「この大要を考案したうえで、次のようなものを服用するのがよい。
白朮(はくじゅつ)・黄精・松脂・穀実などの除病延命の仙薬を服用すると、身の病を除く。蓬の矢・葦の矛・神符・呪禁などは、外からの難を防ぐ魔除けの道具である。呼吸するのは夜半から日中までとし、季節に応じて調整する。天門にあたる鼻孔をたたいて、醴泉(れいせん)である唾を飲み、身を潤すのだ。地中より玉石を掘り出して、仙薬として飲む。朝は霊芝類の草芝(そうし)、それに肉芝(にくし)を服用して飢えをいやし、夜には松の根にできる伏苓(ふくりょう)や松脂からなる威僖(いき)で疲れをいやす。日中に姿を隠し、夜半には目が見えて字を書く。地下のものを透視し、水上を歩くことができる。鬼神を駆使し、飛龍と駿馬に乗る。刀を飲み、火を飲み、風を起こし、雲を起こすような不思議な術も不可能ではない。どんな願いも叶えられる。
また、白金(銀のこと)や黄金は天地の精髄であり、神丹・練丹は昇仙の霊薬であるが、これを服用するには方法があり、これを調合するには秘術がある。一人がこれに成功すれば、その人の一族はみな昇天する。わずかな薬を服用するだけで昼間に天に昇る。その他の神符を飲み、生気を食う術とか、遠い道のりを速く行くとか、凡人の身体を変えて仙人になるなどの不思議なことは、数えきれないほどたくさんあるのだ」
ちょっと怪しくなってきましたな。一般の食べ物を食べないで、仙薬を服用せよ、というのですな。しかし、その仙薬というのが、ちょっと怪しいですな。漢方薬とは違いますな。仙薬です。なので、まあ、普通は服用しちゃいけません。
いろいろな術を使って魔除けもしますな。まあ、確かに今日でも道教の霊符というのは伝わっておりますな。しかし、呼吸を夜半より日中に限定するのは、不可能ですな。死んでしまいます。さらに、最終的には、金属を食え、と言ってますな。銀なんぞ食ったら死にますな。結局は、怪しい薬によって、幻覚を見ろ、と言っているようなものですな、これは・・・。まあ、現代の科学的知識がある方ならば、こんなことを真に受ける人はいませんな。あ、たまにいますけどね。神秘的なことにあこがれていっちゃっている人・・・。いけませんな、天に昇るとか、不可能です。当たり前の話ですな。それは幻覚です。このような仙薬は、危険なドラッグなのですよ。
しかし、昔の人はわかりません。ふむふむなるほど・・・てなもんですな。なので、誰も虚亡隠士の言葉を疑いません。虚亡隠士の話はまだ続きますな。

「もしその道術にかない、これを修得することができれば、老人の身体をかえて若返らせ、白い髪を黒くし、寿命を延ばし、死期を記入する名簿から名前を削除し、この世の生活を非常に長らえることができる。高いところでは天空を飛び回り、低いところでも高さ4千里の空中をさまよう。心を励まして天上の八極(八方の際限)に飛び、心に油をさして九空(八方と中央)に遊ぶ。太陽の街に遊楽し、天帝の殿堂にゆったりと楽しむ。機織りをしている織姫星を見て、月の精である姮娥(こうが)を月の中に探す。上代の五帝一人である軒帝を訪ねて友とし、神術を使う王喬(おうきょう)を求めて従者とする。鵬(ほう・・・大きな鳥)が風床に臥するのを見て、仙薬を嘗めて昇天した淮犬(わいけん)のあとを見る。天馬星を訪ね、牽牛星の住所へ行く。意のままに寝そべり、また昇ったり降りたりする。あっさりとして欲はなく、静かで声もない。天地とともに長く存在し、日月とともに久しく楽しむ。何とそれは素晴らしいことか。また、その住居はいかにも広大であることか。東王公(とうおうこう)と西王母(さいおうぼ)のことは怪しむに足りない。私が聞き学んだ道家の天神の秘術は、以上のとおりである」
いやはやすごいですな。仙術を極めると、もはや神となるのですな。若返るだけではありません。空中をどこまでも飛んで行けますな。空中で寝ることもできます。それどころか、宇宙まで行けますな。いや、もちろん、薬の作用による幻覚ですな。ですが、昔の人は、『本当にできる』と信じておりました。仙人の存在も信じていましたな。なので、こういう話をされると、「すげぇ~」となってしまいます。このように、道教の仙術を学べば、すべてが自由自在、俗世のことなんぞはるかに超えてしまいますな。虚亡隠士、得意顔ですな。で、そろそろまとめに入ります。

「世の中のことを振り返って考えてみると、人々は貪欲に縛られて心を悩まし、愛欲の鬼につながれて心がもやもやしている。いつも朝夕の食事や、夏冬の衣服のためにあくせくしている。浮雲のようにはかない富を願い、水泡のように空しい財宝を集め、分不相応の幸福を求めて、雷のようにはかない我が身を養う。わずかな楽しみが朝にあれば、天にも昇ったような思いで喜び、夕方にちょっとした心配事があれば、塗炭の苦しみあったように思う。楽しみの音楽がまだ終わらないうちに、もう悲しみの音楽が聞こえる。今日は大臣であっても、明日はもう家来となる。初めはネズミを狙う猫のように威張っているが、終いには鷹に狙われたスズメのように恐れおののく。草の露のようなはかないものをたのんで、朝日が照るのを忘れ、枝についた葉を頼みとし、風や霜が来て葉を枯らすのを忘れている。あぁ、なんと痛ましいことか。愚かなことでは『よしきり』という鳥と同じである。本当に言いたらない。そもそも私の先生の教えとあなたが説くことと、私が好むこととあなたたちが楽しむことと、いったいどちらが優れており、どちらが劣っているのであろうか?」
虚亡隠士の言わんとすることは、まあ、一理ありますな。栄誉栄華を望んでも、明日はわかりませんからね。それが世の中です。ちょっと前まで大臣だ、と言っていた人が、翌日には大臣の席から滑り落ちている・・・。それが世の中ですから。いくら財や富を築いても、死んでしまえばどうしようもありませんな。朝には元気な姿をしていたものが、夜には棺桶の中、ということもしばしばあることですな。世の中は、はかないものです。そう考えれば、儒教の説くところと、俗世を離れ仙術に生きる道教と比較すれば、どちらが精神的に優れているか、ということがわかりますな。が、しかし、道教は、怪しいのですけどね、基本的に。考え方は、素晴らしいのですが、対応の仕方が、怪しいのですな。結局は、薬を使って現実から逃げてますからな。
とはいえ、この話を聞いていた亀毛先生も蛭牙くんも、もはや圧倒されておりますな。虚亡隠士の言葉に負けてしまっております。なので、二人とも、虚亡隠士の前に跪いてしまいますな。

亀毛先生、虚亡隠士の前に跪いて言います。
「私どもは、幸いにして、とてもよい会合に出席でき、偶然に立派なお言葉を拝聴いたしました。よくわかりました。魚屋の店が非常に悪臭を放っているのと、方壺にかたどった香炉が至ってよい香りを放っているのと違うように、また醜いシュビ(陳の国の醜いの名前)とよい顔の子都(しと)が全く違うように、金と石ほどもかけ離れており、薫香と悪臭は全く比較になりません。これからは、一生懸命に心を鍛錬し、先生の道教の教えをよく味わいたいと思ます」
敗北宣言ですな。私の儒教は魚屋の悪臭であり、醜い人の顔であり、石である、というのですな。で、道教は芳香であり、イケメンであり、金であるというのです。全く比較にならないほど、道教は優れている、と認めてしまったのですな。なにも、そんなにあっさりと・・・とは思いますが、まあ、俗世にこだわる教えでは、俗世を越えた教えには、負けますな。フィールドが違いますからね。こうして、儒教VS道教は、道教の圧勝で終わりますな。

以上で、巻の中は終了します。次は、巻の下、いよいよ、仏教代表・仮名乞児の登場ですな。続きは次回から・・・。


第十三話 現代訳「三教指帰」⑦

巻の下 仮名乞児(かめいこつじ)論

今回より巻の下に入ります。巻の下の主役は、仮名乞児さんですな。初めに彼の紹介があります。
「仮名乞児という者がいる。どこの誰か、詳しいことはわからないが、草ぶきのあばら家に生まれ、貧家で成長した。喧噪たる俗世間を離れ、仏道を信じ修行に励んでいる。髪を剃り落とした頭は、銅の甕のようである。顔に艶はなく、土瓦のようであり、やつれており、全くさえない。足は骨ばって池のほとりにいる鷺の足のようであり、短い首は筋張っていて、泥にまみれた亀のようである。五つに割れてつなぎ合わせた木製の鉢を入れる袋は、牛のエサ袋のようであり、いつも左手に掛けている。百八顆(か)の数珠は馬の尻がい(馬具の一種)のように右手にかけている。道祖神の粗末な草履をはき、牛皮の靴は履かない。馬を引く縄を帯にして犀(サイ)の角で飾った立派な帯はしない。草で編んだ座具をいつも持っており、それを見た市場の乞食すら恥ずかしくて顔を隠し下を向いてしまうほどだ。縄で編み上げた椅子を背負うのを見て、牢獄にいる泥棒も膝を抱え、上を向いて嘆くほどである。環のとれた錫杖は、薪売りの杖にしか見えない。鼻筋は曲がり、眼はくぼみ、顎がとがり、角ばった目をしている。ゆがんだ口には髭はなく、子安貝のようである。口はみつくちで歯が抜け、すばしこい兎のようでもある。たまたま彼が市場に入ると、瓦や小石が雨のように彼に降り、渡し場を通れば馬糞を投げられる」
まあ、なんともはや、仮名乞児くん、ひどいありさまですな。とりあえず、貧乏です。生家も貧乏です。仏道にいそしんでおりますから、髪の毛は剃っておりますな。で、その頭は銅製のカメのように丸いのですな。で、ガリガリです。顔色も悪いのでしょう。艶もなく、カサカサなのでしょうな。身につけているものも質素と言えば聞こえがいいですが、市場をうろつく乞食すら恥ずかしく思うような恰好をしている、というのですから驚きですな。そんな彼が市場を歩けば石つぶての雨が降り、川の渡し場に現れれば馬のクソが投げつけられる・・・とまあ、なんていうか、嫌われものですな。現代にこのような人物がいれば、完全に変質者ですな。ま、それくらい変わった人であるのですよ、この仮名乞児くんは。
そんな彼にも友人がいるようですな。

「私度僧(勝手に出家した僧、正式な僧侶ではない)の阿毘法師(あびほうし)は仲の良い友人である。光明居士は信心深い施主・・・支援者である。ある時は奈良の金峯山(きんぷせん。異説に伊予の金山出石寺がある)に登って雪に遭って困り果て、ある時は伊予の石鎚山に登って断食して苦労をした。ある時は、住吉の海女を見て心惑わされ気になって仕方がなくなり、ある時は土地の尼(女性のことかも)に心惹かれたりもしたが、無理にその気持ちを捨てた。山中での修行では霜をはらって野菜を食い、それは遠い昔の子思(しし)のような質素な生活であったし、雪をかいて肘を枕にして寝ることもあった。これは孔子の戒めにも合うことである。野宿をすれば、青空が我が家の屋根である。部屋を作る必要もない。白雲が白い帳(とばり)のように山にかかるから、帳は必要ない。夏はゆったりとした気持ちで襟をひらき爽やかな風にむかう。冬は縮こまって裾を覆い、燧帝(すいてい・・・火を最初につけた人)が初めてつくった火を守る。どんぐり飯や苦菜は月に十日すら食べられない。紙の衣や葛の着物を着て、両肩は隠れることがない。わずか一本の枝に巣をつくり半粒のエサで満足するミソサザイのように少欲知足の生活をしている。何曾(かそ・・・陳の人、贅沢な人だった)のようにうまい物を食べないし、田子方(でんしほう)が贈った暖かい皮製の衣など望まない。人に生まれたこと・男であること・長寿であることの三楽を楽しんだ栄啓期(えいけいき)や漢の四人の白髪の老人も、質素無欲な生活という点では、彼には敵わない。外見はおかしいけれども、その志は堅固で不壊である」
貧乏神のような仮名乞児くんにも友人がいますな。それは阿毘法師という私度僧です。昔は、国の許可なく僧侶になることはできませんな。どのお寺にも年に何人まで出家者を許す、という許認可がありました。しかし、そんな国の法律にとらわれず、勝手に修行僧となる者がいたのですな。それを私度僧といいます。彼らは、多くは山岳を徘徊し、修行をしますな。仮名乞児くんも同じです。金峯山に登ったり、石鎚山に登ったりして修行をしますな。そんな仮名乞児くんにも支援者がいます。それが光明居士ですな。支援者がいるなら、もう少し着る物や食事を何とかしてやればいいのに、と思いますが、仮名乞児くんがそれを望まないのでしょう。質素で、欲のない生活を信条としております。
が、たまには誘惑に駆られることもあるのですな。そこはやはり男子ですな。海女さんの姿にドキドキしたり、その土地土地の女性に欲情もしたりしたのでしょう。が、そうした興奮や欲情も捨て去り、すっかり枯れておりますな。現代のお坊さんとはま~ったく異なり、質素で無欲な生活をしているのですよ。見た目はみすぼらしく変質者っぽいかもしれませんが、その志、心は金剛不壊ですな。ま、私たちのような現代のフニャフニャな僧侶とは、ほど遠い存在なのです。

そんな志を持った仮名乞児くんに説教をする者がいたのですな。まあ、説教したくなる気持ちもわからなくはないですが、外見で判断しちゃいけませんよね。そういうことをすると、手痛い目にあいますな。
ある人が、仮名乞児に言いました。
「私の先生から聞きました。天地間の万物の霊長は人間であると。そして、、その人間のすぐれた行為とは孝行と忠義であると。その他にもいろいろな行為があるけれども、この忠と孝は最も重要である。だから、父母からいただいた自分の身体を損なわないようにせねばならぬ。主君に危機があれば、進んで自分の命を投げ出して主君を助けねばならぬ。そのようにして自分の名をあげ、祖先の名を世に知らしめることは、大変大事なことであり、一つも欠いてはいけないことなのだ。また一生の楽しみで最も重要なことは財産を作ることと出世である。百年来の親友でも妻や子を愛する気持ちには及ばない。子路(しろ)は、出世して孝行をしようと思った時には両親が死んでいた。曾子(そうし)が立派な家に住めたのは主君に仕えてからのことである。
あなたには、親もあり主君もある。なのにどうして親への孝行や主君への忠義をつくさないのか。ただいたずらに乞食の仲間に加わり、虚しく課役を逃れる連中の中に混じっている。それは先祖を辱めることであり、汚名を子孫に残すことである。これは極刑に処すべきことであり、君子の恥とするべきことである。そういうことをあなたは行っているのだ。親族があなたに代わって恥ずかしがり、他人もあなたを見て顔を隠す。そんことではいけない。早く改心して忠孝に努め励むべきだ」
まあ、こう説教されるのもやむなし、とは思いますが、その説教の内容は仮名乞児くんのような仏教者にとっては、「どーでもいいこと」ですな。親に忠孝を尽くさない人が極刑になるほどの罪なら、お釈迦様も同罪ですな。否、もっとひどいかもしれませんな。なんせ王子の身でありながら国も親も捨てたのですからね。さらには、一族の多くの者も自分の子供も出家させ、跡継ぎを絶えさせたのですからね。さらに、国王に従わず説教をした側ですし。儒教の考えからすれば、お釈迦様は極悪人になってしまいます。仏教者である仮名乞児くん、もちろん反論しますな。

「仮名乞児はげんなりして尋ねた。
『忠孝とは何か?』
ある人はそれに答えた。
『家内にある時はにこやかに親に仕え、その意向を察して一生懸命に親に勤めること。出入りするときには父母に挨拶をして、両親の部屋を夏は涼しくし冬は多々かくしておくこと。夜には寝具を用意し、朝は安否を気遣い、穏やかな態度で父母に孝養を尽くすこと。これを孝というのである。たとえば虞舜(ぐしゅん)や周文王は孝行をして帝位についたし、董永(とうえい)やハクカイは孝行のゆえに美名をはせた。40歳のころに孝行の気持ちを主君に向け、主君が間違っている時には、あえて主君を諌めた。上は天体の現象を考え、下は地理を調べた。古のことを考慮し、今の政治に役立てた。遠方の民も助け、近くの民の生活も安定させた。天下の政治を行って、帝王を正し、助けた。すると、その子孫は繁栄し、名誉は後代にも及ぶ。これが忠義である。伊尹(いいん)・周公旦・箕子(きし)・比干(ひかん)などはよい例だ』
と」
仮名乞児が問いますな、「忠孝とは何ぞや」と。もちろん、わかって聞いているのですな。で、彼に説教をした人物が正直に答えますな。親に尽くすこと、主君に尽くすことだ、と、胸を張って答えますな。で、それを受けて仮名乞児の反論が始まりますな。

「仮名乞児が答える。
『親を大切にし、主君の非を正すのが忠であり孝であるという、あなたの御高説、謹んで承りました。私は不肖な人間ですが、禽獣とは違います。忠孝のことは心に留めていて、頭から片時も離れません。それができないことを深く嘆いてもいます。父母は大切に私を育ててくれました。その御苦労は五山のように高いし、その御恩は江・河・淮(わい)・済の四川よりも深いです。それは、骨身に刻み付けています。どうして忘れることができましょうか?。ご恩に報いようとしても、それは無限であり、ご恩を返そうとしても返すことはできません。孝子が孝行を尽くせないことを嘆いた『南垓(なんがい)』や『蓼莪(りくが)』の詩を歌って恥ずかしく思い、悲しんでいます。親に恩返しをするという鳥を見て、それができない私は終日悩み、魚を獲って祖先を祭るというカワウソを思って、一晩中苦しんでいます。河を切り開いて水を通そうとしている間に魚は店先に並べられてしまうというたとえのように、グズグズしてられません。季札(きさつ)が徐君に剣を与えようとしたときには徐君は死んでいました。そのように雑事が多すぎて、孝行をする時期を失ってしまってはいけない。老いた両親はすでに墓に近付いているのです。私が愚鈍なために、父母の哺乳の恩を返す方法がない。日月が遠く過ぎ去って親の短い命も残り少ない。家の財産は乏しく、壁や屋根は傾いている。私の二人の兄は次々と亡くなったので、涙がいく筋も流れる。一族の数が減っていくので、私は心で泣いているのです。来る日も来る日も、悲しみにはらわたが引き裂かれる思いです。何と悲しいことでしょう。進んで仕官しようと思っても、私を雇ってくれる主人はいないし、家にいて黙っていようとしても私の就職を期待する老いた親がいます。進退が窮まったのを嘆き、居ても立っても居られないうろたえています。その自分の気持ちを表すために詩を作ってみました。
力を尽くして田畑を耕そうとしても まるで力なし
寗戚(ねいせき)が牛の角をたたいて仕官を求めたように
主に仕えようとしても寗戚のような能力は無し
知識なしに官職にいると 無能のそしりを受け
貪って徒食すれば 無為無能で屍に等しいという戒めを残す
ごまかして禄を食めば それは正しいことではない
善政を賞讃する詩は いにしえの周の国だけで聞こえる
孔子は天の許した聖者であり 席の温まる暇もなく遊説した
愚鈍な私は進んで仕官するか 退いて沈黙するか
進もうとしても才は無し 退こうとすれば親に責められる思いがする
進退両難に陥り 嘆息するばかりなり』
仮名乞児くん、とりあえず、忠孝の気持ちはある、といいますな。しかし、その能力がないのだ、と言い訳します。まるで、昨今のニート君のようですな。まだ本気を出してないだけ、てな感じですな。が、しかし、この能力がない、ダメ人間なんです、というのは、目くらましですな。とりあえず自分を蔑んでおいて、相手に対し「反省しているんですよ」という態度を示して見せただけですな。本音ではありません。そのあたりもニート君と同じですな。異なるのは、ニート君には確固たる志がないですが、仮名乞児くんにはあるのですよ。本音は違うのですな。
では、その本音はどういうものか。それを彼は、手紙でしたためるのですな。

「詩を作り終わって少し彼は考えていたが、次のような手紙を書いたのだった。
『小さい孝行は体力を使ってするが、大きな孝行というのは広く人々に慈愛を及ぼし、不足ないようにすることである』と私は聞いている。だから泰伯は髪を剃って入墨をし、永く未開の地に入ったし、摩訶薩埵(まかさった)は衣を脱いで裸になり飢えた虎にその肉体を与えた。それがために、その父母は悶絶して地に倒れるほどの悲しみを受けたし、親戚は天に向かって悲嘆した。これは両親にもらった肉体を破滅させ、一族を傷心させたことになり、そうしたことではこの二人以上の者はいないであろう。あなたが言われる通りであるとすれば、この二人こそ親不孝者であります。しかし、それにもかかわらず、泰伯は大徳と言われ、摩訶薩埵は大覚者である仏陀となった。ならば、最終的にその道が合致すればいいのであって、目先の小事にこだわる必要はない。目連尊者は前世に母の苦しみを覗き、那舎長者はちちょを餓鬼道から救った。それはむしろ大孝ではないか。また善知識ではないか。
私は愚鈍ではあるが、正しい教えを学び、古人の立派な遺風を仰いでいる。いつも国家に対して私の隠れた徳行を廻向し、両親とすべての人々にことごとく陰の功績をゆずっている。六波羅蜜のうち前の五つが福行、第六は慧行であり、それらすべてが忠であり孝である。しかし、あなたは、ただ身体を動かし、身を曲げて敬って父母に仕えることだけを忠孝としているが、干公(うこう)の善行によって子孫が栄えたことや、厳延年(げんえんねん)の悪徳のために母が墓掃除をしなければならなかったことを考えない。なんと料簡の狭いことか。
この手紙は、十分に委細を述べていないので、後に再び明らかに述べよう』
と」
これが仮名乞児くんの本音ですな。忠孝と言うけれども、父母に直接する忠孝もあれば、人々のために尽くす忠孝もある、ということですな。父母への恩は、人々への慈悲で返すことができるのだ、ということですな。
虎に身を与えたという話は、ジャータカですな。お釈迦様の前世譚です。お釈迦様がシッダールタとしてこの世に誕生する直前のことですな。ある国王子だった彼は、鹿狩りの途中、飢えた虎の親子に遭遇しますな。それを見て哀れんだ王子は、自らの身体を虎に与えます。しかし、虎はもう力尽きようとしていたので、王子をかみ殺すことすらできません。そこで、王子は、自らを剣で刺し、力なき虎でも食べられるようにしたのですな。血のにおいをかぎ、やっとのことで王子を食した虎は、子に乳を与えることもできたのですな。当然ながら王子の父母や一族はこれを悲しみ、虎を憎みますな。ものすごく親不孝ですな、王子は。しかし、このおかげで菩薩としての修行は終了し、仏陀は誕生するのですな。さて、仏陀となることと一時的に親不孝をすることと、どちらが重いことなのでしょうか?。仏陀の前には、一時的な親不孝は吹き飛びますな。
儒教的親孝行は、ほんの目の前の親孝行ですな。本当の親孝行は、そんなことよりも、世間に対して返すことの方であると言えますな。それが仏教的親孝行です。ただ親に従い、尽くせばいい、というわけではありません。たとえ、親に逆らっても、親を嘆き悲しませても、世間の人々が安楽に暮らせるよう日々精進することの方が大切なのですな。そのほうが、大きな功徳になるし、大きな親孝行になるのです。
親を捨てても、その者が出家すれば、その家の先祖は救われ、子々孫々栄えると言いますな。目先の親孝行なんぞ、どうということはないのですよ、仏教者にとってはね。もっと、大きな恩返しをしているのですから。
と、そのようなことを仮名乞児くんは手紙に簡単にしたためたのですな。しかし、それは十分な言葉ではありません。なので、後日、また詳細を述べます、と結んでいます。
その詳細は、次回に致しましょう。

合掌。


ばっくなんばぁ~10


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