バックナンバー2・菩薩部
観世音菩薩編
1回目 聖観世音菩薩
今回から、菩薩の紹介に入ります。先ずは、菩薩の代表的存在であります、観音様から紹介いたします。しかし、観音様と言っても大変種類が多いんです。聖観音・千手観音・十一面観音・如意輪観音などなど・・・。とてもじゃないですけど、一回ではお話できません。ですので、有名どころは一回ずつ紹介したいと思います。あまり知られていないところは、まとめてお話するつもりです。 今回は、その一回目としまして、すべての観音様の大元であります、聖観世音菩薩についてお話し致します。 観音様と言えば、いろいろな姿があることは、今、お話ししたところですが、どのお姿も、元は一つです。その元の観音様が必要に応じて変身した姿が、そうした様々なお姿の観音様なのです。 で、その大元の観音様が「聖観世音菩薩(しょうかんぜおんぼさつ)」と呼ばれる観音様です。略して「聖観音(しょうかんのん)」と称されています。 うちの寺の本尊様も聖観音様です。(図1)。うちの観音様は、キンキンなのですが、絵画で描く時は、ふつう派手に描きます。(図2。尤も、菩薩はお地蔵さんを除き、派手に描きますが・・・前回の話参照。)。 ほとんどの観音様は、図1や図2のように立ち姿で描かれることが多いですね。たいていは、蓮華の上に裸足で立っています。衣装は派手めで、胸が顕わになっている場合が多いです。 よく、「観音様は女性?」と聞かれることがありますが(以前、お気楽庵にもありましたね。)、図2を見てもわかりますように、胸は女性のそれではありません。ならば男性?。というわけでもありません。菩薩は、すでに性の別を超えておりますので、男性でも女性でもないのです。ですので、観音様も男性でも女性でもありません。よく、隠語ですが、女性の一部分をさして「観音様」と呼ぶようですが、それは、観音様が母のように優しい存在だからでしょう。また、古くから、観音様の尊像が優しい理想的な女性のように造られてきたからでしょう。それで、観音様が女性、と取られることが多いのですね。尤も、観音様になる以前は、ある国のお姫様でしたので、女性っぽいのは仕方がないのかも知れません。(ある国のお姫様が修行して、覚りを得て観世音菩薩となられた、という伝説があります。)余談でした・・・・。 |
1、うちの寺の本尊さんです 2、派手な格好をしてます 3、蓮華を持ってます |
4、与願印 5、曼荼羅(胎)上では 6、阿弥陀三尊の場合 |
お姿の話の続きです。聖観音様かどうか、見分けるには、やはり「手」に注目してください。ほとんどの場合、聖観音様は、右手に蓮華を持ち(図3)、左手を与願印(よがんいん、図4)にしています。この蓮華は、まだ開いていない、つぼみの蓮華です。専門用語では「未敷蓮華(みふれんげ)」と言います。これは、観音様がまだ完全な覚りを開いていない、と言うことを表しています。完全な覚り、というのは、如来の覚りのことです。前回の菩薩のところでもお話しましたが、すべての菩薩は、一切の衆生を救うことを誓いとしています。で、その誓いが達成されなければ、如来にはなりません。観音様の蓮華もそれを意味していますので、まだつぼみなのです。すべての衆生の苦しみをなくした時、その蓮華は開くのです。 左手の与願印というのは、「願いをかなえてあげましょう」という印です。人々に対し、「与えましょう」という意味で、前に差し出しているのです。「我に一心に願いなさい。されば、与えよう。」ということですね。 さて、聖観音様の他の姿には、図5や図6のような姿もあります。 図5は、曼荼羅に描かれている聖観音様です。聖観音様は、胎蔵会曼荼羅(バックナンバー参照)に描かれています。また、阿弥陀さんと勢至菩薩と一緒に描かれたり、造られたりする場合は、図6のように、手に蓮台を持っています。これは、阿弥陀三尊と呼ばれるもので、中央に阿弥陀如来、向って右に蓮台を持つ観音様、左に合掌する勢至菩薩を描きます。これは、死を迎えたものを、阿弥陀様たちが阿弥陀浄土(極楽のことですね)にお迎えに来た時の様子を表したものです。死者は、観音様の持っている蓮台に載せられ、極楽浄土へ連れて行ってもらえるんですね。その時の姿が、図6です。これは、立ち姿ですが、多くは、座った姿で描かれます。 ところで、聖観音様は、どんな菩薩様なのか、ご存知でしょうか。とぉ〜っても優しい仏様、と思った方、正解です。そう思った方、多いんじゃないでしょうか。観音様、と言えば、有名ですからね。その姿も優しそうですし。 その観音様ですが、どんな菩薩様か一言でいえば、それは、「慈悲」の菩薩でしょう。一切衆生が苦しんでいる姿、悩んでいる姿を見て、そういう人々を慈しみ、悲しんでいるのです。で、その人が、「観音様お救いください」と一心に願えば、その声を聞き、救いに現れるのです。それが、観音様です。 あらゆる方法を使って、観音様は私たちを救ってくれます。時には、自らを犠牲にして・・・。もし、あなたの周りに自分を犠牲にして、他人のために生きているような方がいましたら、それは生ける観音様ですね。 私などは、慈悲の仏様である観音様を本尊としているのですから、もっと慈悲深くならなければいけないのでしょうが、そこはそれ・・・・。生きているものの業といいましょうか・・・。寺も維持しなきゃいけないしねぇ・・・。辛いところですよねぇ。 実は、観音様は、阿弥陀様の極楽浄土から出張してきている菩薩様です。唐突に変な話をはじめましたが、お経にはそう説かれているんです。 私たちがいる世界は、娑婆世界という名前の、お釈迦様の仏国土です。本来ならば、お釈迦様の浄土とならなければいけない世界なのです。しかし、娑婆世界は、浄土となる前にお釈迦様が入滅してしまいました。そして、娑婆世界は無仏の時代となったのです。次に如来が現れるのは、56億7千万年後の弥勒如来様。それまでは、如来がいない、暗黒の時代なのですね。その無仏の時代の救い人となるように、お釈迦様から任命されたのが、地蔵菩薩様です。つまり、お地蔵さんは、お釈迦様から直接、この娑婆世界を救うことを託されたのです。弥勒如来が現われるまで・・・・。 が、しかし、この娑婆世界の人々の心は、あまりにも醜いものが多すぎたんですね。お地蔵さんの手だけでは足らないくらいになってしまいました。お地蔵さん、大忙しなんです。汗をかきかき、必死に働いています(だから、お地蔵さんに水をかけてお参りするところが多いのです。)。その様子を西方極楽浄土から見ていた阿弥陀さんが、自分の下で修行していた観音さんを呼んで、「娑婆世界は大変なようだ。お前、地蔵菩薩を手伝ってあげなさい、修行にもなるでしょうから。」といわれ、この娑婆世界に出張に来ることになったのです。 その際に、いきなり菩薩としてやってきたわけではなく、インドに近いある王国の第三王女として生まれ、過酷な修行を経て、観世音菩薩となったのです。そして、お地蔵さんの手助けをしているわけです。観音様のちょっとした秘密・・・ですね。 観音様の働きは、「観音経」(かんのんぎょう・・・正式名「妙法蓮華経観世音菩薩普門品第25(みょうほうれんげきょうかんぜおんぼさつふもんぼん)」)に説かれています。その中には、「33種類に変身して人々を救う」と説かれています。これが、札所の三十三観音の由来ですね。その変身の姿は、ここでは割愛致します。いずれ、お経の話で「観音経」についてお話し致しますので、その時までお待ちください。「待てない」という方は、観音経はどちらかと言えば優しいお経で、訳本もいくつか出ていますので、そちらを読んでみるのもいいかと思います。 なお、観音様をお参りするときは、「南無観世音菩薩(なむかんぜおんぼさつ)」と唱えるか、「おん あろりきゃ そわか」と唱えるといいでしょう。 合掌。 |
2回目 千手観音菩薩
千手観音と言えば、どなたもご存知でしょう。多くを語るまでも無いと思います。あの手がいっぱいある観音さまです。わかりますよね。 なぜに、あんなに手がいっぱいあるのか・・・・・。それは、観音様には、たくさんの救う手がある、ということを表しているのです。観音様は、数多くの人々を、あらゆる手段を用いて救ってくださる、ということを表すために、千手観音は誕生したのです。 千手観音様は、正式なお名前を「千手千眼観自在(または観世音)菩薩(せんじゅせんげんかんじざい(かんぜおん)ぼさつ)」と言います。「千手千眼」というくらいですですから、千の手をもち、千の眼を持っています。 えっ?、どこに・・・・と思いませんか?。 千の手はわかりますよね。千手観音様には、手がいっぱいありますからね。じゃあ、千の眼はどこにあるのでしょうか。ご存知の方は、仏教通ですね。 千の眼は、実は、手のひらにあるのです。千手観音様の千の手のひらには、それぞれ眼がついているのです。千手観音様は、千の眼で衆生の苦しみを見て、千の手で救って下さるのです。それが、千手観音様なのです。 先ほどから、千手観音様の千の手、と言ってますが、多くの千手観音像や絵画には、実は、千本の手があるものは、大変少ないんです。千手観音は、大変古くから信仰を集めていた観音像ですが、その初期の像、奈良時代や平安初期の頃の千手観音像は、実際に千本の手を持つ像や絵画が多く造られたようです。唐招提寺金堂の千手観音像や藤井寺の千手観音像は、実際に手が千本ある像ですね。 しかし、千本の手を造るのは大変です。書くのも大変です。数を間違えてしまいそうです。それでは、造ったり書いたりするのは大変だ、というので、省略方法を考えた坊さんがいたのです。しかし、昔の坊さんは頭がいいですよね。今の坊さんと大違いですね。 どうしたのかと言いますと、本来ある手二本を別として、40本の手に略してしまったのです。手前に本来の2本の手、左右に各20本ずつ分けたのです。トータルで42本です。なぜ、そんなふうに省略したのか、その省略してもいい正統な理由は何だったのか・・・・。 |
1、向って左側 2、全体像。 3、向って右側 |
4、宝篋手 5、三鈷鈎手 6、傍牌手 7、楊枝手 |
ちょっと難しい話になります。 この世界には、25種類の世界があると思ってください。生あるもの−動物であろうが、虫であろうが、魚であろうが、人間であろうが、生命があるものは、その25種類の世界の中に生きています。もちろん、この世界には、地獄界も餓鬼の世界も、畜生・修羅・天の世界も含みます。人間界だけのことではありません。神々の世界も含んでのことです。つまり、輪廻転生する世界を細かく分けると、25種類になる、ということです。それが、どういう名称で、どんな世界なのかは、ここでは省略したします。話が難しくなりますから、。 いずれにせよ、地獄から神々の世界に至るまで、細かく分けると、生あるものは25種類の住処に分けられる、ということです。 そういう、25種類の世界に生きているものを救うのが、観音様の働きです。ならば、手はとりあえず、千本なくてもいいじゃないか、40本で構わないじゃないか、と考え出した坊さんがいたんですね。 どういうことかわかりますか。 40本×25種類ですよ。これで千になるでしょ。 一本の手で、25種類の世界に生きるものを救うならば、手は40本あればいい、ということなのです。それで、千手観音の像や絵画は、手を千本も造らなくなったのです。千本も書かなくなったのです。 40本の生きとしいけるものを救う手と、本来の2本の手があればいい、ということになったのですよ。これで、千本分の働きがあるじゃないか・・・・とね。 で、現在、見られる千手観音の多くは、手が42本になっているのです。何にでも理由があるもんですねェ。 さて、次に、頭に注目してください。どうですか。顔がたくさんあるでしょう。 一般的に、千手観音は、11の顔を持っています。本来の自前の顔があって、その上に10面の顔が載っています。全部で11面ですね。「十一面四十二臂(じゅういちめんよんじゅうにひ)」これが一般的な千手観音像です。(普通、仏様の場合、手の数は、2本4本と数えません。本の変わりに臂(ひ)を使います。2本の手の像ならば、2臂(にひ)、6本の手の像ならば6臂(ろっぴ)と言います。) 希に、顔の数が、27面の像(京都法性寺)がありますが、これは大変少ないですね。本当に希です。普通は、「十一面四十二臂像」です。仏像でも絵画でもね。 ところで、千手観音様は、その数多くの手に、様々な道具を持っています。何も持っていない手もありますが、そういう場合は、印を結んでいます。それぞれの手がどんなものを持っているか、どんな印を結んでいるのか、ざっとあげておきます。 先ずは、両手で合掌しています。片手で施無畏印(せむいいん)をしています。片手で甘露印をしています。道具を持っていない手は、この4本です。次に、のこり38本の道具の名前をあげておきます。 日輪手(にちりんしゅ)、月輪手(がちりんしゅ)、五色雲手(ごしきうんしゅ−五色の雲)、 頂上化仏手(ちょうじょうけぶつしゅ)、化仏手(けぶつしゅ)、 宝印手(ほういんしゅ−宝の印鑑)、如意宝珠手(にょいほうじゅしゅ)、宝篋手(ほうきょうしゅ−宝箱−図参照)、 化宮殿手(けぐうでんしゅ−如来の住む宮殿)、宝経手(ほうきょうしゅ−お経本)、 数珠手、宝輪手、宝剣手、金剛杵(独鈷)手、三鈷杵手、三鈷鈴手(さんこれいしゅ)、 三叉戟手(さんさげきしゅ)、三鈷鈎手(さんここうしゅ−図参照)、鉞斧手(えつふしゅ−斧)、 宝瓶手、軍持(かびん)手、宝弓手、宝箭手、錫杖(しゃくじょう)手、 髑髏宝杖(どくろほうじょうしゅ^−どくろのつえ)手、羂索手(けんさくしゅ−ロープ)、 宝鉢手、宝鏡手、玉環手(ぎょくかんしゅ−宝の輪)、傍牌手(ぼうはいしゅ−図参照)、 宝螺手(ほいらしゅ−法螺貝)、白払手(びゃくほっしゅ−白いほっす)、 白蓮華手、紫蓮華手、青蓮華手、紅蓮華手、楊枝手(ようじしゅ−図参照)、葡萄手。 以上、38臂です。 よくわからなくてもいいですし、覚えることもありません。ただ、42本の手は、それぞれ、意味があるのだと、それだけを覚えて置いてください。様々な道具を使って、衆生を救っているのだと・・・・。 なお、千手観音様は、ねずみ年生まれの方の守り本尊でもあります。お参りするときは、「南無千手観世音菩薩(なむせんじゅかんぜおんぼさつ)」と唱えるか、「おん ばざら だらま きりく」と唱えるといいでしょう。 |
まずは、如意輪観音からお話いたしましょう。 如意輪観音(にょいりんかんのん)という観音様、聞いたことがある方もいらっしゃると思います。観心寺の国宝の如意輪観音像は有名ですよね。 如意輪観音は、像でも絵画でも、ほとんどが座っている姿をしています。(下図1参照)。しかし、他の仏像などのように、結跏趺坐(けっかふざ−あぐらに似た感じ。座禅時の座り方)をしているわけではなく、右足を立てています。いわゆる立てひざをしているわけです。 これが食事時なら、行儀が悪い座り方になってしまいますが、もちろん行儀悪く座っているわけではありません。これには、意味があるのです。 この右足を立てた座り方は、悪を打ち伏せる座り方なのです。いわゆる、「降伏座(ごうぶくざ)」といわれるものです。座り方は、右足のかかとを左足の足の裏につけます。左足は、あぐらの状態です。で、その左足の土踏まずに右足のかかとをつけているんです。これが、魔を滅ぼす座り方なんですね。ほとんどの如意輪観音像がこの座り方をしています。 続いての特徴はその手でしょう。如意輪観音の手は、たいてい6本になっています。六臂像(ろっぴぞう)といいます。手が6本あり、右足を立てひざしてる像があれば、それは如意輪観音と思っても間違いないでしょう。 ところで、如意輪観音の名前の意味ですが、これは、「自分の意志の如くに法輪を巡らすことができる観音様」という意味を表しています。ですので、如意輪観音は、必ず法輪という仏具を左手に持っています。(下図2参照)。 この法輪という仏具は、法−教え−を広めるための仏具です。その使い方は、この法輪を持っている菩薩や修行者が投げるだけです。菩薩や修行者が、この法輪を投げると、法輪は勝手に飛んでいき、勝手に教えを広めていく、のだそうです。現在で言えば、CMを流しているセスナ(最近見ないですねぇ)ですね。 また、法輪を飛ばして、衆生の様子を観たりもするのです。言わば、リモコンのカメラですね。 で、それを自分の意志のままに自由に扱えるのが、如意輪観音なのです。 如意輪観音のもう一つの働きは、衆生の財宝を守る、衆生の貧困を取り除き財宝を与える、ことにあります。如意輪観音は、聖観音(観音様の大元です)が、衆生の財宝について瞑想している状態に入った時のお姿なのだそうです。 なので、如意輪観音は、必ずその右手に宝珠を持っています。宝珠(下図3参照)とは、宝を生み出す珠のことです。古来より、宝珠はどこにあるのか、或いは、どうやって作るのか、が議論されてきました。が、本物の宝珠を手に入れたものはいないようですね。 ですので、如意輪観音は、衆生に教えを自由に説き、なおかつ、衆生が貧困で困っていたり、財産を守るために困っていたりする者を助ける働きをする観音菩薩なのです。 こういう働きがあるので、如意輪観音は、古くから信仰の対象となったわけです。 金銭的に困っているあなたや、不況が荒れ狂う現在の日本には、如意輪観音の活躍が欲しいところですよね。 尚、その他の如意輪観音の手は、右手に数珠を持ち、もう一本の右手で頬杖をしています。左手は、蓮華を持つ手と、後ろ手にして身体を支えています。(図が見難くて申し訳ございませんでした。) |
1、如意輪観音 2、法輪 3、如意宝珠 4、准提観音 |
続きまして、准提観音(じゅんていかんのん 上図4参照)についてお話いたします。 この観音様は、ご存知の方、少ないんじゃないでしょうか。ご存知の方がいたら、その方は、仏像マニアかも・・・。 まずは、そのお姿についてお話いたします。 准提観音の最大の特徴は、手の数でしょう。たいていの場合、准提観音の手は、全部で18本あります。その手は、身体の前にて左右2本ずつで印を組んでいます。残りは、千手観音のように様々な仏具を持っています。たいていは、千手観音と同じような三鈷や宝剣、戟(げき−杖のようなもの)、数珠、法輪、鏡、蓮華、瓶などを持っています。 その他の特徴としましては、額に眼があります。この眼は、すべてを見通す仏様の眼です。この眼で、人々の心を見通し、ウソや隠し事も見抜いてしまいます。 ということで、准提観音の外見的特徴としましては、目が三つ合って、手が18本、となります。これを仏教では、「三目十八臂(さんもくじゅうはっぴ)」といいます。 この准提観音さんは、別名を七倶胝佛母(しちぐていぶつも)といわれております。この名前は、過去すべての仏の母、という意味があります。これは、観音様に母性を求めたために生まれてきたのではないかと思います。 この名前があるためか、准提観音の働きは、「子授け」にあります。特別な法があり、「准提観音求児法」といわれている秘法です。 母の如く優しい観音様。それが准提観音様なのです。 |
まずは、十一面観音からお話いたします。 十一面観音(じゅういちめんかんのん)という観音様も、聞いたことがある方が多いのではないでしょうか。長谷寺のご本尊といえば、わかりますか。 十一面観音の特徴は、その頭です。これは、見ればすぐにわかります。何せ、お顔が11面もあるのですから。 その11のお顔も、全部合わせて11面のタイプ(図1参照)と、自前の顔は除いて11面あるタイプ(図2参照)があります。 一般的に、十一面観音は、像の場合、自前の顔とその左右の顔の三面が菩薩面(寂静相)、右側(向って左)三面が瞋怒面(しんぬめん、威怒相)、左側(向って右)三面が狗牙上出面(利牙出現相)、後ろ一面が大笑面(笑怒相)、頂上一面が佛面(如来相)となっています。絵画では、後面が書けないので、図のように前に出しています。 また、図2のように、自前の顔を別として、十一面を載せ、さらに阿弥陀如来を置く場合もあります。 その他の特徴としては、手が4本である場合が多いようです。四臂(図1)または六臂(図2)ですね。持っているものは、蓮華や宝瓶、数珠、宝珠、法輪などが多いようですが、多少の異なりはあります。 さて、十一面観音ですが、なぜに十一面も顔があるのでしょうか。これには、諸説あります。そういう場合、どれもが、難しい理屈ばかりのものです。十地がなんたら、十婆羅蜜がうんたら、十一億の諸仏がどうたら・・・・などなど。どれを見てもさーっぱりわかりにくいんですね。 ですので、そういう昔からある難しい説は、捨てておきまして、簡単に説明しましょう。 なぜ十一面も顔が必要なのか・・・・。 人間、誰だって、様々な表情を持ってますよね。たまには怒るし、好きな人の前ではニヤニヤ、ニコニコしてるし、やさしい顔もするし、泣いたりもします。それと同じです。 観音様の様々な表情を表したのが、十一面観音さんなのです。これはね、我々の姿そのものを映しているんですよ。 「君達は、こんな表情を持っているんですよ。人に対するとき、こんな顔で会っていないかい。こんな表情をしていないかい。こういう表情で会ったほうがいいよ。」 ということですよね。我々の心の現れを、映し出してくれているんですね。で、諭しているんです。それが、十一面観音さんなのです。 十一面観音さんのそれぞれの顔をよぉーく見ると、怒っている顔でも、どこか悲しそうな顔をしています。どこか愁いているような顔をしています。笑っている顔を見ても、どこか悲しそうな顔をしています。(そう見えるのは、私だけかな。) どの顔を見ても、その中には、菩薩の大慈悲心があるように、そのように見えます。皆さんはどうでしょうか。(写真が見難くて申し訳ないです。) |
図1 十一面観音 図2 十一面観音 |
図3 馬頭観音 図4 馬頭観音頭上 |
続きまして、馬頭観音(ばとうかんのん 上図3参照)についてお話いたします。 この観音様は、観世音菩薩の種類に入れようか、不動明王などのように憤怒尊の部類に入れようか、迷うところですが、「明王」ではないので、一応、観世音菩薩の仲間として入れておきました。 と迷うのは、その姿です。観音というには程遠いような、怒りの形相をしています(図3、4参照。見難いですが)。 目は三つ。牙もあります。普通は身体の色は赤色です。顔は三面。手は8臂。という姿が多いようですね。たいていの場合は、正面の2臂で印を結んでいます。その他の手に持っているものは、武器類や蓮華、数珠、宝瓶が多いようです。 また、図4のように、頭に馬の顔を載せている場合が多いですね。或いは、頭に馬の顔がついた冠を載せていることもあります。図3の場合は、見難いですが、頭に阿弥陀如来を載せ散るのですが、その阿弥陀如来の手前に馬の顔を描いてあります。阿弥陀さんが馬の面を持っているような感じで画かれています。 馬頭観音の名前の由来ですが、もちろん馬を守るための菩薩ではありません。なぜ馬を頭に載せているかというと、馬が草を貪り食うように、この菩薩は人々の煩悩を貪り食う、という菩薩だからです。普通の観音様が、苦しみを取り除いてくれるならば、この馬頭観音は、苦しみの元である煩悩そのものを取り除いてくれるのです。ですから、慈悲の深さは、実は多数の観世音菩薩の変化身の中で最も深い、と言われています。 馬頭観音は、その姿ゆえ、馬を扱う職業の方が、馬の供養の為に祀ることが多いですね。競馬場などに行くと、馬頭観音が祀ってある祠があるようです。馬の供養のための馬頭観音、と思われているようですが、それは、実は逆なんですね。あとから、馬の供養が始まったんです。 煩悩が多くて悩んでいる方は、馬頭観音をお参りするといいですよ。煩悩を食ってください、とね。 次に、不空羂索観音(ふくうけんじゃくかんのん)についてお話いたしましょう。 この観音様については、知らない方のほうが多いでしょう。漢字だけならば読めないでしょうね。しかし、割と早くから信仰されていたようです。天平時代には名作の像が多いと言われています(東大寺や広隆寺の像)。 ですが、現在では、あまり知られていない部類の観音の変化身にはいるのではないでしょうか。また、密教の宗派でも、どちらかといと、真言系ではなく、天台宗で拝まれる場合が多いようです。 その姿は、三面二臂で目が三つ、或いは、一面八臂で目が三つの場合が多いようです(図5参照)。ちょっと図が見難いので、はっきりとわかりにくいかもしれません。 馬頭観音もそうですが、この三つめの眼は、額にあります。これは、佛眼です。如来の目ですね。何もかも見通してしまう眼です。ですから、ウソも隠し事も、この佛眼を持つ仏様の前では、バレテしまいますよ。まあ、他の仏様にしても同じですけどね。 この不空羂索観音の名前の羂索とは、実は魚網のことです。ですから、名前の意味するところは、「すべての衆生を漏らす事無く(不空という部分の示すところ)、魚網で捕えるが如く救い取る(羂索の意味するところ)観音」ということになるのです。 また、この不空羂索観音の呪を唱えると、二十種類のご利益を得られると言われています。それは、たとえば、無病である、姿形がよい、人に恵まれる、六根清浄、財産を守る、水難火難を受けない、飢えない、いくさで死なない、悪霊から守られるなどなど・・・・です。いっぱいご利益があるんですよ。 今回も、観音様の変化身についてお話いたしました。次回で、この観音様の変化身について終了です。もう一回だけ、観音様変化身シリーズをお付き合いください。合掌。 |
図5 不空羂索観音 |
まずは、白衣観音からお話いたします。 白衣観音(びゃくえかんのん)という観音様は、聞いたことがある方が多いのではないでしょうか。否、ほとんどの方が一度は見たことがある観音様だと思います。ほら、お土産屋さんにあるような、真っ白な陶器でできた観音様ですよ。座っていたりして、頭からすっぽり衣を被っている・・・・。よく、置物でありますよね。その観音様が白衣観音です(図1参照)。 ところが、実は、この姿、お経にはないんですよ。白衣観音は登場しますよ。しかし、姿が違うんですよ(図2参照)。私たちがよく見かける、頭からすっぽり衣を被った姿は、どうやら唐時代の創作らしいのです。おそらく、名前の白衣から、そういう姿を想像したのでしょうね。今では、お経に説かれている姿よりも有名になってしまいました。白衣観音といえば、頭から衣を被った観音さん、と定着してしまいましたね。 さて、この白衣観音様、阿弥陀如来の従者とも説かれ、また、釈迦如来の従者とも説かれています。さらには、すべての観音の母とも説かれています。 こうしたことから、白衣観音は、母親像と重ねられ、「安産、子授け、水子、育児」の観音様として多くの信仰を集めてきました。水子観音として、よくその姿が見られますよね。それには、ちゃんと、こういうわけがあったのですよ。 また、白衣観音様は、どちらかというと色っぽく、女性的に造られたり、描かれたりするのは、子授けの観音様でもあるからなのです。 白衣観音様は、お寺の本尊様には、見られない観音様です。どちらかと言うと、大きな石造で境内に立てられていたり、掛軸だったりしますね。 |
図1 白衣観音 図2 白衣観音(経典上) 図3 葉衣観音 図4 多羅尊観音 |
次、楊柳観音様(ようりゅうかんのん)です。 この観音様の名前を知っている、という方は、かなりの仏像の通ですね。一般的には、まず聞かない名前の観音様です。ご存知ないほうが普通ですね。 楊柳(ようりゅう)というのは、柳の枝のことです。ですから、この観音様は、右手に柳を持っています。或いは、瓶にさした柳を持っています。こういえば、「見たことある」という方、増えるんじゃないでしょうか。古来より、よく絵画に描かれてきた観音様です。 普通は、右手に蓮華を持っているのですが、この観音様は、柳の枝を持っているんですよ。柳の枝を持った観音像って、博物館などで見たことがある方、いらっしゃるんじゃないでしょうか。 この観音様は、別名・薬王観音とも言いまして、種々の病難の消滅や平癒することを働きとしている観音様です。つまり、病気の時に祈るといい観音様ですね。 とは言え、実際に祀ってある寺は、ほとんどないのですが。まあ、聖観音様なら、オールマイティーですから、楊柳観音様の代わりも勤めますけどね。 この観音様は、次に紹介しますが、三十三観音のうちの一人です。 他にも、観音様には様々な観音様がいらっしゃいます。たとえば、三十三観音もそうですね。霊場めぐりで知られている三十三観音ですが、それぞれ名前があります。観音様の紹介の最後として、三十三観音を紹介しておきます。 1、楊柳(ようりゅう)観音 2、龍頭(りゅうず)観音 3、持経(じきょう)観音 4、円光(えんこう)観音 5、遊戯(ゆうぎ)観音 6、白衣(びゃくえ)観音 7、蓮臥(れんが)観音 8、滝見(たきみ)観音 9、施薬(せやく)観音 10、魚藍(ぎょらん)観音 11、徳王(とくおう)観音 12、水月(すいげつ)観音 13、一葉(いちよう)観音 14、青頸(しょうきょう)観音 15、威徳(いとく)観音 16、延命(えんめい)観音 17、衆宝(しゅうほう)観音 18、岩戸(いわと)観音 19、能静(のうじょう)観音 20、阿耨(あのく)観音 21、阿麼提(あまだい)観音 22、葉衣(ようえ)観音(図3) 23、瑠璃(るり)観音 24、多羅尊(たらそん)観音(図4) 25、蛤蜊(はまぐり)観音 26、六時(ろくじ)観音 27、普悲(ふひ)観音 28、馬郎婦(めろうふ)観音 29、合掌(がっしょう)観音 30、一如(いちにょ)観音 31、不二(ふに)観音 32、持蓮(じれん)観音 33、灑水(しゃすい)観音 と、まあ、以上のようなのですが、その姿が描かれたり、像として造られたりする観音様は少ないですね。もちろん、全部覚える必要も無いですし。 三十三観音の意味するところは、「観音様は、ありとあらゆる姿をとって、私たちを救って下さる」と言うことなのです。それは、「観音様は、どこにでもいる。どんな人でも観音様のようなやさしい心を持てる」と、知ることが大事なのですね。あなたのそばにも、観音様がいらっしゃるかもしれませんね。あなたは、気付いていますか・・・? 以上で、観音様シリーズを終了します。次回からは、その他の菩薩様を紹介いたします。合掌。 |