バックナンバー4・明王部



1回目 不動明王@

不動明王(ふどうみょうおう)・・・名前くらいは聞いたことがあるのではないでしょうか。大きな身体で、火焔を背負って、恐ろしげな顔をしているのが不動明王です。まあ、明王はほとんどが炎を背負い、恐ろしい顔をしているのですけどね。(例外もあります)

なかでも不動明王の特徴といえば、右手に剣を持ち、左手に縄を持っていることですね。姿は、座像や立像、どちらもあります。(図1,2参照)  足の下は、磐石(ばんじゃく)、或いは瑟瑟座(しつしつざ)と呼ばれる、堅固な座です。何事にも動じない、揺らぐことのない決意を表しているのです。

この右手の剣は、一般的に不動剣(ふどうけん)と呼ばれますが、この剣に竜が絡みついた剣もあります。この場合は、特に「倶利迦羅龍剣(くりからりゅうけん)」と呼ばれています。剣の柄は、三鈷(さんこ)状になっています。左手に持っている縄は、羂索(けんさく)と呼ばれるロープです。

さて、そのお顔ですが、図1のアップをご覧になればわかるかと思いますが、恐ろしい顔をしていますよね。丸顔なんですが、やや小太りの童子顔が基本です。ただし、怒りの形相ではありますが。
髪型ですが、左肩には、編んだ髪(この髪を「辮髪(べんぱつ)」といいます)が垂れています。これは、不動明王のみに見られる髪形です。
額には、水波型の皺が3本あります。目は顔の中心により、一般的に右目は大きく開き、左目は下を見ているように半分閉じているような目をしています。これは、右目で天上界を左目で衆生界を見ているということをあらわしています。つまり、下から上まで、満遍なく見渡している、ということですね。一切の悪は見逃さないぞ、という意味なんです。(両目をカッと見開いている像もあります。)

次に、口元に注目してください。踏ん張っている、というような口でしょ。しかも、牙が2本出ている。この牙も、よく見ればわかると思いますが、上と下を向いていますよね。右の牙が上を向き、左の牙が下を向いています。これも、上から下までの一切の悪に対する威嚇の牙、という意味なんですよ。

身にまとっている炎は(本来は身体全体に炎をまとっている)、通常「迦楼羅焔(かるらえん)」と呼ばれています。迦楼羅とは、インド神話の伝説の鳥で、いわば火の鳥ですね。その鳥の形をしています。まれに、龍形の場合もあります。

さて、以上が、不動明王の身体的特徴です。下の図を参照してください。(この不動明王は高野山のものです。実物を拝したい方は、高野山へお参りください)。



               
 
      1、不動明王坐像         2、不動明王立像    3、二童子付き

なぜ、不動明王は、このように怒りの顔をして、剣やロープを持っているのか。それは、不動明王の働きによります。
不動明王は、人々の心の中に巣くう「魔」、「悪い心」を滅する・・・・という仏様です。心の中の悪や魔をその剣でぶった切り、そのロープで縛り上げ、暴れないようにしてしまうのです。そして、善の心を持つように、善行をするように導くのです。人々の煩悩を滅する働きがあるのですよ。ですから、煩悩の多いものは、不動明王をお参りするといいですね。
また、仏道を信じず、悪いことばかりしている者を助けたい、更生させたい、と願う人がいれば、その者は不動明王一心に拝むといいでしょう。不動明王は、その願いをきっと聞き届けてくれることでしょう。

不動明王は、魔を滅ぼすための仏様です。その魔は、心に巣くう魔−煩悩−であったり、病魔であったり、災いという魔であったり、霊的な魔であったりします。そうした一切の魔を滅ぼして、人々に幸運をもたらすのです。その拝む方法が、護摩(ごま)なのです。
護摩祈祷には、様々な本尊様がありますが、不動明王護摩は、その代表的なものです。一般的に、護摩といえば不動護摩でしょう。
不動明王を本尊として、護摩祈祷を行うのは、災いや病魔などの「魔」から身を守るためのものであり、「魔」を滅ぼすためのものであるのです。そして、様々な祈願をかなえてくれるのです。
あらゆる「魔」を滅ぼし、幸福を与える・・・・。これが不動明王なのです。




2回目 不動明王A

一般的に不動明王には、二人の童子(どうし)が従っています。しかし、本来は、8人の童子がいます。童子は、不動明王の手足となって働く役割を担っています。つまり、不動明王の部下・・・ですね。
童子のそれぞれの姿は、下の写真を参照してください。名前は次の通りです。
@制痩゙童子(せいたかどうし)          A矜羯羅童子(こんがらどうし)
B清浄比丘童子(しょうじょうびくどうし)      C恵光童子(えこうどうし)
D恵喜童子(えきどうし)               E烏倶婆伽童子(うぐばかどうし)
F阿耨達童子(あのくたどうし)           G指徳童子(しとくどうし)
(これらの童子像は、すべて高野山真言宗本山金剛峰寺所蔵の像です。)

通常は、@とAの童子が不動明王に従います。つまり、制痩゙童子と矜羯羅童子が不動明王の左右に描かれたり、三尊像として祀られるわけですね。

これらの童子は、一応、仏弟子ということで、袈裟(けさ)を身に着けています。ただし、@の制痩゙童子のみは、元のお経によりますと、「性格が粗暴なので袈裟を着けていない」そうです。また、Gの指徳童子は、毘沙門天のように鎧兜を、袈裟の上に身に着けています。
ちなみに、Fの阿耨達童子がまたがっている動物?は、伝説の生物である麒麟です。

童子は、不動明王の部下・・・ということで、厳しい表情で作られたり、描かれたりするのですが、やはり童子であるため、どことなく子供っぽい表情であり、かわいげがありますね。とても、あの不動明王の部下、とは思えないようなところがります。ぜひ、実物を拝観していただきたいと思います。

                
 @           A          B         C      

                
   D          E           F           G
              
ところで、明王というのは、実は如来の変化身であります。
如来は、人々のために静かに瞑想している存在ですよね。とても穏やかでやさしい表情をしています。そして、菩薩に指示をして人々を救ったり、やさしく導いたりするのです。しかし、世の中には、やさしさだけでは救われない場合もありますよね。やさしく言っても聞かない場合や、強い魔性のものの場合は、やさしさや慈悲心だけでは、救いきれない場合もあります。
そういう場合のため、如来は怒る必要もあるわけです。菩薩の慈悲心を補うために・・・。その如来の怒った姿が、実は、明王なのです。

中でも、不動明王は、大日如来の化身であります。大日如来が、魔を滅ぼすため、怒りの状態になった姿が不動明王なのです。ですから、不動明王は、明王の中心的存在であり、その働きもオールマイティーなのです。そういう点もあって、明王といえば不動明王であり、不動信仰が広まったのでしょう。

ここでちょっと、不動明王にまつわるよもや話を・・・・。
不動明王は、五色に配されます。青不動・赤不動・黄不動・白不動・黒不動です。この中で、特に有名なのは、青不動・赤不動・黄不動でしょう。青不動と黄不動は、天台宗寺院に多く見られます。赤不動は、高野山の赤不動明王図が有名です。
で、聞きなれない白不動・黒不動ですが、これは別の言い方に変えるとわかるのではないでしょうか。それは、目白不動・目黒不動です。
そう、東京の目白と目黒ですね。あの地名は、目白不動・目黒不動に由来しているのですよ。目黒不動は今でもあるのではないでしょうか。目白不動はどうなのでしょう? その辺りのことは詳しくは知りませんが・・・。
もともとは、目青・目赤・目黄不動もあったのではないかと思います。青不動を中心として、江戸の街を守るために、五色のお不動さんを祀ったのではないかと思います。意外なところに、仏教(この場合は、密教ですが)のなごりが残っているものですね。

そのほかにも、不動明王は、お不動さんを中心として、降三世明王(ごうざんぜみょうおう)、軍荼利明王(ぐんだりみょうおう)、大威徳明王(だいいとくみょうおう)、金剛夜叉明王(こんごうやしゃみょうおう)を四方に配し、五大明王として描かれたり、祀られたりします。(東寺の金堂がそうですね。)
次回は、その五大明王について、2回に分けて紹介いたします。合掌。



3回目 愛染明王

前回、五大明王について紹介します、と予告いたしましたが、ごめんなさい、資料が間に合わなくて、今回は愛染明王を紹介させていただくことになりました。まあ、予告はずしは、よくあることなので、ご勘弁をお願いいたします。

ということで、今回は、愛染明王についてお話いたしますね。
愛染明王・・・愛染さん・・・。この名前をご存知の方、聞いたことがある方は、意外と多いのではないでしょうか。昔は、確か「愛染堂」のかつらの木に絡んで、恋愛が繰り広げられたTVドラマがあったとか・・・。私は、時代が違うので見たことはありませんので、違っているかもしれませんが・・・。
それはさておき、愛染さんの名前を知っている、聞いたことがある、と言う方は多いと思います。

この愛染さん、変わった名前ですよね、よく考えてみると。「愛に染まる明王」で愛染明王なんですから。
この名前は、実は愛染さんの働きそのものなんですよ。
愛染さんは、愛の明王なんです。愛欲、情欲、愛情を清い心、清い愛情にまで昇華させる明王なんです。個人的愛欲、ドロドロとした愛欲をもっと大きな、聖なる愛情にまで変化させるという働きを持った仏様なのです。ですので、その身体の色も真っ赤です。赤色は昔から愛の色だったんですね。赤く燃える愛の炎・・・ってことです。
密教では、この欲望を聖なるものへ変化させることを「煩悩即菩提(ぼんのうそくぼだい)」といい、密教の根本思想でもあります。

密教では、煩悩をなくせとか、煩悩を消すようにとかは、あまり言いません。それよりも、煩悩がなければ覚りも得られないのだから、煩悩を消す必要はない、と説きます。たとえば・・・・。
愛欲は愛欲のままでいいじゃないか、その愛欲で苦しんでいるのなら、愛欲を覚りへのきっかけとしてくれる仏様を拝めばいいではないか、そして、その愛欲を大きな愛へと、聖なる愛へと育て上げればいいではないか、そのための教えがあるんだよ・・・・。
と、そう説くのですよ。煩悩を覚りへのきっかけにして、煩悩を消し去るのではなく、別の聖なる力に変えていこう、というわけです。ここに密教の真髄があるんですね。
で、その煩悩を聖なる力に変えてくれる仏様の代表格が、この愛染明王なんですよ。愛染明王は、ドロドロとした愛欲を聖なる愛へと変化させてくれる明王なのです。



           

1、愛染明王         2、天弓愛染       3、両頭愛染
    
上の写真は、すべて愛染明王ですが、タイプが異なります。
1の愛染さんは、最も一般的な愛染明王です。標準型とでも言いましょうか。で、2の愛染さんは、天弓愛染(てんきゅうあいぜん)という名前がついております。ちょっと見難いですが、天に向かって弓を引いている姿をしています。実はこれ、いわゆる愛のキュービットにあたるんですよ。
天弓愛染は、恋愛成就の明王なんですよ。 えっ?仏教にもそんな仏様がいるの?と思われるかもしれませんね。仏教では、愛はいけないもののように説きますからね。しかし、密教は異なるんですよ。恋愛がしたい、愛が欲しいと望むのなら、その愛を与えてあげましょう。あなたに最も相応しい愛をあげましょう、だから、祈願しなさい、と説きます。なんせ、煩悩即菩提ですから、愛を望んでもいいのです。
恋愛成就を望む方、恋人が欲しい方、結婚したいと思っている方、この天弓愛染明王を一心に拝むといいのではないでしょうか。

3の両頭愛染(りょうずあいぜん)は、不動明王との合体型です。
密教には、ご存知の方も多いと思いますが、金剛界と胎蔵界の二つの世界があります。簡単に言えば金剛界が智慧で胎蔵界が慈悲ですね。或いは、金剛界が理論または父親・胎蔵界が愛情または母親、ととってもいいでしょう。このほうがわかりやすいですね。
で、金剛界を代表する明王が不動明王です。そして、胎蔵界を代表する明王が愛染明王なのです。不動明王が理や智慧、父親であり、愛染明王が慈悲・愛情・母親であるのです。
理想は、智慧と慈悲、理と情と分けるのではなく、その両者が合体したものですよね。それが、完璧な状態でしょう。その完璧な姿を現したのが、この両頭愛染なのです。智慧と慈悲、理論と愛情、父と母の統合型なのですよ。
理想と愛情の狭間に悩む方、頭ではわかっているけど感情的にはどうも・・・と悩んでいる方、そういう方は、この両頭愛染を拝むといいでしょうね。

とはいえ、2の天弓愛染も、3の両頭愛染も珍しいタイプなので、そうそう出会えるものではありません。ですので、基本となっている普通の愛染明王を拝めばいいのです。愛欲に苦しんでいる方、煩悩にさいなまれている方、抑えがたき情欲に苦しんでいる方、恋愛下手な方、結婚願望のある方など、愛に関する悩みのある方は、愛染明王に祈願してみるといいでしょう。
なお、どうしても天弓愛染や両頭愛染を拝みたい・・・と言う方は、高野山の霊宝館(れいほうかん)に行ってみてください。きっと拝むことができると思いますよ。
また、お近くに愛染明王さんが祀られてない・・・という方も、高野山へ行ってください。伽藍に愛染堂があります。そこで、じっくりお参りしてくるのもいいではないでしょうか。合掌。



4回目 五大明王@

五大明王と言うのは、不動明王を中心として、4人の明王で構成されます。その4人の明王は、東西南北にも配されます。その4人の明王は、
東方・・・・降三世明王(ごうざんぜみょうおう)、南方・・・・軍荼利明王(ぐんだりみょうおう)
西方・・・・大威徳明王(だいいとくみょうおう)、北方・・・・金剛夜叉明王(こんごうやしゃみょうおう)
と言います。
このように配されますが、実際に像や図では、四方に安置されたり、描かれることはありません。仏教の場合、四方は位置がずれるんです。東方と言っても、それは東南になるんです。同様に南方は南西に、西方は西北に、北方は北東になるのです(ただし、曼荼羅の場合は、東西南北はずれません)。ですから、五大明王も、その像を安置したり、描いたりする時は、実際には、東南に降三世明王、南西に軍荼利明王、西北に大威徳明王、北方に金剛夜叉明王を安置したり、描いたりするのです。+型ではなくて、×型ですね。

で、像を配置する場合は、北が奥になり、南は手前になります。なので、南東は手前右角、南西は手前左角、西北は奥の左角、北東は奥の右角、になります。
絵画に描く場合は、上が北で下が南に当たります。ですので、南東は右下角、南西は左下角、西北は左上角、北西は右上角、になります。
ということなので、図1のような五大明王頭の場合は、右下が降三世明王、左下が軍荼利明王、左上が大威徳明王、右上が金剛夜叉明王となります。(なお、この図は、うちのお寺にある五大明王図です。掛け軸になっています。描かれたのは、今から約380年前です。)

さて、前置きはこのぐらいにして、本題に入りましょう。まずは降三世明王からです。


            

1、五大明王図         2、降三世明王         3、大自在天とその妃・烏摩(うま)  

      
降三世明王名前は、「三世を降伏(ごうぶく)する」明王である、ということに由来します。「三世」というのは、「さんぜ」と読みます。アニメの「何とか三世」の「三世」ではありません。つまり、「三代目」という意味ではないのです。「三世(さんぜ)」というのは、「貪瞋痴(とんじんち)」のことなのです。
「貪瞋痴」というのは、「貪り」と「愚痴や妬み」と「愚かさ」のことです。まあ、簡単に言えば、諸々の欲の根源ですね。分不相応に求める貪欲さ、他人を妬んだり羨んだり、愚痴ったり、文句ばかり垂れている行為、そうした行為の根本原因である真理を知らない、真理を知ろうとしない愚かさ、のことを言うのです。
降三世明王は、その三種の悪を無くしてしまう、打ち滅ぼしてしまう、降伏してしまうという働きがある明王だから、降三世明王というのですよ。欲にかられて悩んでいる方、人のことをついつい妬んだり、愚痴ばかり言っている方、そういう愚かな思いから脱出できないでいる方は、この降三世明王をお参りして、その力で心の諸悪を滅ぼしてもらうといいでしょう。

ところで、この降三世明王は、人のような者をふんずけています。この人は、人ではなく神様です。なんと降三世明王は、神様をふんずけているんですよ。(図3参照)
この神様、名前を大自在天(だいじざいてん)といいます。左足で踏まれているほう、向かって右に横たわっているほうです。で、降三世明王の右足を支えている女性は、その大自在天の奥さんです。名前を「烏摩(うま)」といいます。大自在天というのは、実はインドの神様「シヴァ神」のことです。シヴァ神は、色界(しきかい)という天界の中心に鎮座する神様です。

天界は、いくつかのランクに分かれているのですが、大きく分けると欲界(よくかい)、色界(しきかい)、無色界(むしきかい)の三種に分けられます。それぞれの世界に、また細かいランクがあるのですが、それはまたの機会にお話します。
で、欲界というのは、欲望をまだ多く持った天界のことです。ほぼ人間に近い世界です。色界は、根本的欲望をなくして肉体だけを残した天界です。無色界は、物質的なものをすべて滅し去り、清らかな精神のみが残っている天界(いわば魂の根源ですね)のことです。
で、シヴァ神である大自在天は、この中の色界の頂点の天界の主です。欲望はすでにありません。なぜ、そのような神様と妃が降三世明王にふんずけられているか。すでに「貪瞋痴(とんじんち)」から離れているのに、なぜふんずけられないといけないのか。理不尽ですよね。それには、このような事情があるのです。

「大自在天であるシヴァ神は、欲望の象徴の神であった。当時インドでは、この大自在天を信仰の中心とした宗教があった。その宗教は、表向きは普通の宗教であったが、その実は、怪しい儀式を行い、欲望の果てを追求するような宗教であった。どろどろの欲にまみれた宗教だったのである。そこで、大日如来は、降三世明王に大自在天を降伏し、その邪教を滅ぼすように命じた。その命に従って、降三世明王は、みごと大自在天を降伏し、その邪教を滅ぼしたのであった。こうしたことから、降三世明王は、大自在天を踏みつけているのである。二度と大自在天が欲望を起こさぬように。このおかげで、大自在天は、欲望を無くすることができ、色界の最上神となったのである。」

つまり、大自在天が欲望をなくすことができたのは、降三世明王のおかげ・・・ということなんですね。そのことを忘れないためにも、大自在天ほどの欲望の王者でも屈服させることができるのだということを、示すために降三世明王は、大自在天夫妻をふんずけている姿で描かれるのです。合掌。



4回目 五大明王A

前回の続きで五大明王のうち、軍荼利明王・大威徳明王・金剛夜叉明王について紹介します。

*南方・・・・軍荼利明王(ぐんだりみょうおう、下図1参照)
この明王は、南に配されます。軍荼利という名は、インドの言葉の「クンダリー」を音写したものです。意味は、「とぐろを巻くもの」という意味で、つまり蛇のことですね。ですので、軍荼利明王は身体に蛇を巻きつけています。下図1では、軍荼利明王の身体に巻きついている蛇は、白蛇になっていますが、これには決まりはありません。真っ黒な蛇が巻きついている場合もあります。
しかし、軍荼利明王は曼荼羅上の宝生如来の化身でもありますから、白蛇のほうが相応しいように思えますね。白蛇は宝を生むとされていますからね。
さて、この軍荼利明王、どんな働きをするかといいますと、「障害を取り除く明王」と言われております。私たちは、生活していくうえで、様々な障害に出会います。それは、降って沸いたような災いであったり、病気であったり、困難であったり、それはもう様々な障害と出会います。出会った人物が障害になっている場合もありますしね。邪魔な人間・・・と言う場合ですね。
本来、軍荼利明王は、災いや困難、病気のような障害を取り除くために手を合わされていました。実際、軍荼利明王の別名を甘露軍荼利明王(かんろぐんだりみょうおう)ともいいまして、命を永らえるといわれる甘露水(かんろすい)をくださる明王、としても崇拝されていましたから。また、軍荼利明王のある真言は、水を甘露水に変える真言でもあります。ですので、本来、軍荼利明王は、人々に甘露の水を潅いで、災いから救ってくださる明王なのです。

ところが、時の権力者たち、力を持つものたちは、それで満足しなかったんですね。「障害を取り除く明王なら、目の上のたんこぶも取り除いてくれるのだろう」と、僧侶に「障害になっている人物を倒すための修法」を依頼するんですよ。つまり、敵を倒すための祈願ですね。これは、すべての明王にいえることなのですが、明王は、調伏のための仏様とされるようになってしまうのです。本来の働きとは異なった方向へ行ってしまったんです。


*西方・・・・大威徳明王(だいいとくみょうおう、下図2参照)
この明王を見て、真っ先に目に付くのは動物に乗っていることではないでしょうか。この動物、実は水牛です。大威徳明王は、水牛に乗って、大きな弓矢を構えている姿をしているんですよ。
で、この弓矢、誰を狙っているかと言えば、それは閻魔大王なのです。大威徳明王は、閻魔大王に向けて弓矢を構えているのです。水牛に乗っているのは、牛はインドでは神の使いだからです。神の使いにまたがる明王ですから、偉いのです。偉大なんです。徳があるんです。で、大威徳明王なのですね。


               

1、軍荼利明王           2、大威徳明王            3、金剛夜叉明王     

なぜ、閻魔大王を狙って弓矢を構えているかと言いますと、それは閻魔大王が、人々にやたら死をもたらさないように・・・・と見張っているんですね。インドでは、閻魔様は一種の死神のように思われていました。閻魔様が人の寿命を決めているのだと、そう考えられていたのです。閻魔様には、わがままで身勝手なところがありました。自分の好き嫌い、気分で人の寿命を決めることも多々あったとか・・・・。で、人々は、無量の寿命を持っていると言われている無量寿如来(阿弥陀如来のことです)に祈ります。すると、閻魔様を監視する明王、大威徳明王が現れたのです。
つまり、大威徳明王は、閻魔様が暴走しないように見張っているわけですね。そして、長寿を祈ったのです。

しかし、閻魔をも打ち砕く・・・というところから、大威徳明王は、主に調伏を祈願するための明王になります。特には、戦の勝利を祈るための明王になっていくのです。
鎌倉時代には、単独で祀られ、戦いの勝利を祈願することがあったようです。


*北方・・・・金剛夜叉明王(こんごうやしゃみょうおう、上図3参照)
姿かたちは、図2の軍荼利明王に似たところがあります。どちらも蓮華座に片足を乗せて、もう片方の足は高くあげています。これは、すばやく動くさまを表しているのだと言われています。
軍荼利明王と異なるところは、その持ち物でしょう。軍荼利明王は、胸の前に印を組みますが、金剛夜叉明王は胸の前で、五鈷鈴(ごこれい)と五鈷杵(ごこしょ)を持ちます。どちらの明王も、他の手にはそれぞれ様々な武器を持っていますが、特に目立って異なる点は胸の前の手でしょう。金剛夜叉明王のほうがやや攻撃的に見えます。
それもそのはずで、金剛夜叉明王は、魔を砕く明王なのです。

金剛夜叉明王は、一切の魔を破砕する明王なのです。魔を打ち破ってくれるわけです。この場合の魔というのは、人の心にすくう魔のことです。魔が差す・・・・の魔ですね。恨み妬み、呪いなどの心のことです。いつまでも恨み続けて、呪い続けてどす黒くなった心を打ち破ってくれる明王なのです。ゆがんだ心を真っ直ぐにしてくださる明王なのです。
ですので、他の人に恨まれたり、呪われたりしたら、この明王に祈るのがいいかもしれませんね。恨んだり、呪ったりしている相手のその気持ちを打ち破ってくれますからね。恨みや呪いを破砕してくれるのですからね。
また、恨んだり妬んだりしているかたは、この明王を祈るといいでしょう。綺麗な心を取り戻せるでしょうから。


以上、2回に分けて五大明王についてお話してきましたが、五大明王は、各々単独で祀られることは少なく、多くは不動明王を中心とした五大明王の形で祈願されました。
その多くは、戦勝祈願でした。つまり、戦いの勝利のために祀られたのですね。しかし、本来は、災いや、病魔、煩悩、欲望、心にすくう魔性を打ち砕くための明王なのです。
災いや悪運、ご自身の魔性で苦しまれている方は、五大明王を祀ってもらい、特別に護摩祈願されるのもいいかもしれませんね。合掌。



5回目 烏枢沙摩明王

烏枢沙摩明王。この字は正確に読めない方のほうが多いのではないでしょうか。難しいですよね。これは「ウスサマミョウオウ」と読みます。
読みを言えば、「あ、聞いたことがある」という方もいらっしゃるのではないでしょうか。あるいは、下の図を見て、何となく見たことがあるかな・・・という方もいらっしゃるのではないでしょうか。
どこで見たのか、どこで聞いたのか・・・・。
それはきっと、京都や奈良などのお寺のトイレではないでしょうか。お寺のトイレで見かけたのではないでしょうか?
そうなんです。烏枢沙摩明王は、簡単に言えば、トイレの仏様なのです。

トイレの仏様・・・と言うのは、正確ではありません。もともとは、そうではなかったようです。
烏枢沙摩明王は、本来は、一切の不浄、穢れ、汚れをきれいに焼き尽くしてしまうという仏様です。初めは、人々の心の中にある不浄な気持ち、汚い部分をきれいになくしてくれる明王だったのです。
ですので、別名「不浄潔明王」とも言われております。不浄を清潔に変える明王ということですね。
また、枯れ木に宿る木の神を祓う働きや毒蛇の災難から身を守ってくれる明王とされていました。ですが、その中でも、「不浄を清潔に変化させる」という部分が主に注目されるようになって、烏枢沙摩明王が祀られるようになっていくのです。

というのは、そういう仏様が他に見当たらなかったためだと思われます。一般に、仏様、菩薩様、というのは苦しみから救ってくれる・・・というパターンが多いですよね。明王などは、魔物から守ってくれる、という働きです。
ところが、烏枢沙摩明王は、「不浄を清潔に変えてくれる」のです。ちょっと他の仏様とは働きが異なりますね。実生活に直接関わってきます。昔は、今のように清潔ではなったでしょうから、「不浄、不潔」というのは、大きな問題であったわけです。
こうしたことこら烏枢沙摩明王は、まず、お産の穢れを取り除き、お産を楽にしてくれる明王として祀られるようになったのです。昔は、お産は穢れ多きものとされていました。出血が多く、胎盤等の処理が大変だったからですね。また、お産で命を落とすものも多かったために、血に誘われて羅刹がやってくると考えられていたのです。
で、その羅刹をよけるため、不浄を清潔に変えると言われている烏枢沙摩明王をお産の際に祀るようになったのです。


               

      
そこからさらに発展をしまして、穢れ多き場所である便所・・・・トイレに祀られるようになったのです。トイレの不浄を浄に変える、トイレの穢れを消す、ということなのです。
ですので、お寺のトイレにはよく烏枢沙摩明王の姿を描いた御札がはってあったり御真言が書いてあったりします。その真言は、
「オン クロダノウ ウンジャク」
といいます。トイレにこうした真言を書いた紙がはってあるのを見たことありませんか? 「トイレは清潔にしましょう」などと書かれた後にこの真言が書かれてあるのを見たことないでしょうか。

修行者は、この真言を3度乃至7度唱えてから用を足すんですよ。急いでいるときなどは大変ですよね。がしかし、この真言を唱えて、体内の不浄なものを出すとともに、心にある不浄な気持ちをも出してしまう、と思うんです。そういう観想をしながら用を足すんですよ。ま、実際にはそんな余裕は、なかなかないのですが・・・・。
しかし、このような観想は必要だと思います。本当はね。体内の物質的不浄物、不要物を体外に出すとともに、心の中の不浄な部分をも体外にだす。そう思うことは大切でしょう。日頃のそうした思いの積み重ねが、心を清めてくれるのではないかと思いますね。
そして、体内から出た不浄なものを処理してくださる人々、施設に感謝することも忘れないようにしたいですね。そういう気持ちが、不浄を浄に変えていくのでしょうから。

ひところ、掃除ができない、片付けられないという人がTVなどで取りあげられましたよね。「汚ギャル」、「ゴミ屋敷」などと呼ばれたりしましたよね。ゴミの中で生活している人たちです。
そいう方が身近にいましたら、烏枢沙摩明王に祈るといいかもしれませんね。あなたの娘さんが掃除をしない・・・という娘さんだったなら、烏枢沙摩明王の御札を頂いて、娘さんの部屋にはっておくのもいいかもしれません。
で、一心に烏枢沙摩明王に祈ってみましょう。祈りが届けば、その娘さん、掃除をするようになるのではないでしょうか・・・・。

一つ言い忘れておりました。烏枢沙摩明王の御真言を何度も唱えてみてください。早口で。気付きませんか?
「オン クロダノウ ウンジャク」
ですよ。何度も何度も早口で唱えると・・・・。
初めの部分、「オン クロダノウ・・・・」が「ウンコロダノウ・・・」と聞こえてきませんか?
もう、何が言いたかったのかおわかりでしょう。大便の俗語であります「ウ○コ」は、烏枢沙摩明王の御真言が語源だったらしいんですよ。俗説ですが、案外正解かもしれませんね。お坊さんが早口で烏枢沙摩明王の真言を唱えているのを聞いた方が、大便のことをそう呼ぶようになったのかもしれませんね。
ということは、「ウ○コ」と言うたびに、知らず知らずのうちに烏枢沙摩明王の御真言の一部を唱えていた・・・・わけですよね。ありがたいことです・・・・。合掌。



6回目 孔雀明王

今回は、孔雀明王(くじゃくみょうおう)についてお話いたします。
孔雀明王のお名前は、ご存知の方は多いのではないでしょうか。昭和50年代でしたでしょうか、孔雀明王の力を得たお坊さんが主役のマンガが大流行いたしました。映画にもなりましたね。高野山にも撮影に来ていたくらいです。思いだしましたか?。そうそう、あのマンガです。
しかし、あれはマンガの世界のお話です。現実にはちょっとない話ですね。あのマンガを読んで、勘違いをされている方は、大変多いようですが、マンガはあくまでもマンガです。マンガと現実を混同されないように・・・。

とはいえ、確かに孔雀明王の働きの中には「悪を滅ぼす」と言うものがあります。孔雀明王を説いたお経によれば、
「孔雀明王の御真言を唱えれば、一切の諸毒、畏怖、災難、煩悩を滅し、安楽を得させる」
と説かれています。ここから、孔雀明王は諸悪を滅ぼす、と言われるようになったのでしょう。ですので、魔を祓うための法として、孔雀明王が拝まれたことは、多々あります。
しかし、その時の魔とは、病気であったり、天変地異のような自然に対するものです。マンガのような妖怪?、魔物?、と言ったものではないのです。
(勘違いされている方が本当に多いんですよ。あのマンガも罪なことをしましたねぇ。しかし、マンガと現実を混同するほうが、いけないと言えばいけないんですが・・・。)

ですから、孔雀明王は、天変地異のときに拝まれる事が多かったようですね。特に拝された法は、「請雨止雨(しょうう・しう)法」であったようです。つまり、雨乞いや長雨を止めるために参拝されたのです。それは、孔雀明王が、孔雀の性質を持っているからです。


            

高野山金剛峰寺所蔵 快慶作 国宝孔雀明王像
「孔雀は毒蛇をも食らう」と言われています。毒蛇でも食べちゃうんですね。そこから、孔雀明王は、一切の害毒を消す、と言われるようになったのですが、それともう一つ、毒蛇にも強いことから、蛇の親玉である一切の竜を支配する、とも言われているのです(蛇と竜は異なる性質のものですが、形状が似ているため、同類、もしくは、竜は蛇を支配する、と考えられたのでしょう)。
竜は、雨を司ります。雨を降らしたり止めたりするのは竜の役目・・・と言われています。その竜を支配しているのが孔雀明王なのです。ですので、竜が機嫌を損ねて、或いは人々に対する天罰のため等等の理由で雨が降らなかったり、大雨が続いたりしたら、人々は孔雀明王に祈ったのです。竜を鎮めてくれ・・・・と。
それが、「請雨止雨の法」なんですね。孔雀明王は、主にそのために祀られることが多かったようです。

しかし、孔雀明王の姿を拝しておりますと、いかにも魔物を退治してくれそうな、そんな感じがしますよね。大変神秘的です。
孔雀明王は、明王とはいいますが、他の明王のように、怒りの顔をしてはいません。火焔も背負ってはいません。怒った顔ではなく、ちょっと冷たい、キリリとした、厳しいお顔をされています。鋭利なキリのような、冷たく鋭い目つきです。睨みつける・・・と言うのとは、ちょっと違いますよね。他の明王とは明らかに、その姿は異なっています。
孔雀明王の姿を拝しておりますと、孔雀に乗ったその姿は、優雅で神秘的で、他の明王とは異なる強さを感じさせます。特に高野山にあります国宝の孔雀明王像を拝しますと、その印象は強く感じますね(図参照)。そのお姿を拝した者を離さない、独特の魅力がありますよね。

孔雀明王を参拝できるのは、主に、高野山と京都は仁和寺ですね。高野山は伽藍にあります孔雀堂、仁和寺の孔雀明王図は有名です。
ご自分の心に毒を持つ方、強い煩悩に悩んでいる方は、ぜひ、孔雀明王をお参りされるといいのではないでしょうか。また、身体に毒素の多い方(つまり病気で苦しんでいる方ですね)もいいかもしれません。そうそう、毒舌の方なんかは、特にいいですよね。ぜひご参拝されることをお勧めいたします。



7回目 その他の明王

今回は、あまり名前の知られていない明王についてお話いたします。今回お話しする明王は、一般の方が参拝できることは大変少ない明王ですし、あまり関わりがないであろう明王です。一応、このような名前の明王もいらっしゃいますよ、ということで紹介いたします。

1、太元帥明王(たいげんすいみょうおう、下図1参照))
よく大元帥明王と書いている本がありますが、「大」ではなく「太」が正しい名前です。読み方も、「だいげんすい」ではなく「たいげんすい」です。知らない方は、よく間違えるところです。真言宗では、「太元明王(たいげんみょうおう)」と略して言い習わしています。
この明王は、明王として祀られる以前は、実は悪い神・・・鬼神(きしん)・・・だったのです。
どんな鬼神だったかといいますと、子供をさらって食ってしまう・・・という、それは恐ろしい神だったのです。ところが、仏様に教え諭され、仏教の仲間に入ったのです。それ以来、村や町、国を悪い鬼、魔物から守る役割を担うようになりました。(このように昔は悪い神だったが、仏様によりよい神になったという神様が、仏教の中には結構います。教えを受ければ、どんな悪い者も善人になれる・・・・ということを教えているのですね。)

初めは、太元帥明王は護国のために祀られていました。今でも、正月に国家の安泰、平和を祈願するために太元帥明王の修法が行われています。
ところが、太元帥明王の前身が悪神だったことから、次第に敵国を滅ぼすために修法されたり、敵対する者を調伏するために修法されるようになりました。ですので、こちらのほうで名を知っている方がいるかも知れません。
しかし、敵対する者を調伏するために祈る・・・というのは、本来邪道です。それで、「はい、わかったよ、調伏してあげよう」と聞いてくれる仏様はいません。
もっとも、相手の者が、世の中のガンのような者だったり、その者の存在が社会の敵、完全に100%相手が悪い、というような場合は調伏されることもあるでしょう。それでも、死を与えるようなことはありません。生き方を変えるようなチャンスを与える、ということはあるでしょう。仏様は、そうしたものです。こちらの勝手や都合によって、相手を調伏する・・・なんてことは、ありません。ある本に、簡単に怨みを晴らすようなことが書かれている場合がありますが、それは大きなウソですので、ご注意ください。
特に、太元帥明王は誤解を受けやすい明王です。実際は、個人的な調伏なんて事はないのですよ。


         

   1、太元帥明王              2、大輪明王        3、無能勝明王
2、大輪明王(だいりんみょうおう、上図2参照)
一切の悪い業による障害を消し去ると言われている明王です。
業というのは、行いのことです。カルマの訳語です。カルマというと、何か悪い過去の因縁、どうしようもない悪縁のように捉えられていますが、実際はそうではありません。カルマは「業」そのものです。「業」とは、行動のことです。行いですね。それは良くも悪くもなく、行いすべてをさす言葉が「業(=カルマ)」なのです。
その業の中でも、悪い業により生じた様々な障害を取り除いてくれる、という明王なのです。つまり、自分自身でこの世で行った、あるいは、自分の前世に行った悪い行いによって生まれてきた悪い結果を取り除いてくれる、というわけですね。
まあ、なんと都合のよい・・・・と思われた方もいらっしゃるでしょう。しかし、ちゃんと自分が行った悪い行為を反省しなければいけませんよ。反省し、二度としません、と誓わないことには、効果はありません。でないと、悪いことばかりしておいて、その報いが来ないように祈ることになってしまいますからね。


3、無能勝明王(むのうしょうみょうおう 上図3参照)
この明王は、お釈迦様が菩提樹の下で覚りを開いたときに、この明王を頼んで魔軍を退散せしめた、といわれている明王です。つまり、お釈迦様が覚るために、魔物・・・様々な誘惑・・・・からお釈迦様を守った明王なのです。
ですので、誘惑に弱い方は、意志の弱い方はには、強い味方になってくれる明王といえますね。
とはいえ、あまり祀られているわけではありませんから、参拝はできません。残念ながら・・・。


4、歩擲明王(ぶちゃくみょうおう)
六道に輪廻する者や罪深い者に、「覚りを得たい」と思う心を起こさせるという明王です。明王ですので、そのほかにも、諸々の悪い心を壊してしまう・・・という働きもあります。


5、大可畏明王(だいかいみょうおう)
不空羂索観音(ふくうけんじゃくかんのん、バックナンバー2、4回目参照)の化身の明王です。別名を「不空大可畏明王観世音菩薩」ともいいまして、観音様と明王の合体型ですね。

6.馬頭明王(ばとうみょうおう)
馬頭観音(ばとうかんのん、バックナンバー2、4回目参照)と同じです。馬頭観音の古い名称・・・と思っていただいて結構です。


以上、明王について紹介してまいりましたが、明王については今回で終了です。合掌。



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