バックナンバー6・天部
9回目 風天と地天
今回は、風天と地天についてお話しいたします。 <風天> 「ふうてん」と読みます。風の神です。有名な絵画で、「風神雷神図」というのがありますが、あの風神と同じと思って頂いて結構です。風の神ですから。ただし、仏教ではあまり「神」とは言わないので、「風神」ではなく「風天」になります。 顔は、やや恐ろしげです。目つきの悪い老人・・・といった感じで表現されることが多いようです。姿は、甲冑を身にまとい、独鈷のついた槍を右手で持ち、左手には軍持という扇のようなものを持った形で描かれることが多いです。青牛の上に座っている姿で描かれることもあります。風天というだけあって、全体的に風に揺られている姿で描かれます。たいていの場合は、向かって左から右に風が吹いているように描かれるようですね。 風天は、字のごとく風の神ですから、暴風雨除け・台風除けを祈念される神です。台風が来ないように、大風が吹かないように祈願する対象となる神様ですね。 また、風が空中を流れ進むことが迅速であることから、風天は、仏様の教えが自由自在に世間に流れていく・・・・ということも表現しています。つまり、仏教が人々の間にすばやく伝わっていったことを象徴しているのです。 ちなみに、風の神である風天と風邪の神は、一緒ではありません。風邪の神は、風天・風神とは異なります。風邪の神は、疫病神(やくびょうがみ)や流行神(るぎょうじん・・・はやり神)といわれる神に属します。風天は、病気の方とは関係なく、自然の風の神なのです。 |
風天 地天 |
<地天> 「じてん」と読みます。「ちてん」ではありませんので、ご注意を(「ぢてん」と書いてもいいです)。地面の神様のことです。 姿は、どちらかというと菩薩の姿のように表現されます。多くの場合、右手は手のひらを前面に見せ、差し出すような形をし、左手には花をたくさん盛ったかごを持ちます。大変、やさしげな表情で描かれますし、武器を持ったりもしません。しかし、姿は優しいのですが、実際はちょっと恐ろしい神様でもあります。大体において、人間が神様をないがしろにするときは、天罰を食らうものなのですが、なんせ地天は大地の神ですから、罰も大きいようです。 人がその土地に住もうと思う場合、地天の許可を得なければなりません。つまり、大地の神に住むことの許しを得るのです。これがいわゆる地鎮祭にあたります。 地鎮祭とは、本来、地面の神様である地天に、様々なお供え物をして、その地に住むことの許しを請う儀式なのです。まず、地鎮祭をする土地をきれいに掃除し、縄(しめ縄ですね)で魔が入らぬよう結界をします。お供え物などをならべ、地天にその地に住まうことの許可と、工事の安全、土地自体の安泰を願うのです。 地天の許しを得ないで、勝手にその土地に住めば、地天は怒ります。 「人間ごときが、わが地を汚した」 と・・・・・。 お経には、こう説かれています。 「地天が喜ぶとき、地は繁栄し、作物は大いに育成し、衆生は歓喜す。しかし、地天が怒るとき、地は荒れ、大地は裂け、作物は実らず、衆生は苦しむであろう・・・・。」 ですので、その地に住もうと思うのなら、地天に喜んでいただくのが大事なのです。 作物は大地なしでは育成されません。我々は、地面なしでは住むこと、生活することができません。大地は我々の基盤であります。ですから、大地に感謝するという意味で、地天を祀るのです。 古来、人々は自然の中に神を見出し、その神を祀り、祈ることによって自然を大切にしてきました。自然に感謝してきました。しかし、そうした心が最近では忘れ去られているようです。 自然への感謝。それは自ずと自然を守ることへとつながり、生命を大切にするという心へとつながっていくのでしょう。 今、世界を構成する要素として、地・水・火・風(ち・すい・か・ふう)を司る神様に感謝の気持ちをささげ、自然を大切にするという心を取り戻したいものですね。合掌。 |
10回目 日天と月天
今回は、日天と月天についてお話しいたします。 <日天> 「にってん」と読みます。もちろん太陽の神です。もう一つ、曜日の中の日曜の象徴でもあります。 曜日というのは、皆さん西洋のものと思われているのではないでしょうか。ところが、インドには古くから曜日があったのです。日曜から始まり土曜日まで、ちゃんと存在しています。その中でも日天は、曜日の代表で、このあとお話しする月天以外の曜日(星でもあります)とこれに蝕(日食や月食を操る)、彗星加えた星を支配する天です。 インドでは、古くから太陽、月、火星、水星、木星、金星、土星の七星と、日食や月食を起こす蝕(ラゴウ星)、彗星(計都星)の九星の運行により、占術を行ってきました。その曜日の吉凶やその年の吉凶、個人的運勢の吉凶など、その占術は西洋の星座占いの比ではありません。こうした占術は、密教占星術とも呼ばれています(詳しくは宿曜経というお経に説かれています。弘法大師以来、真言密教ではこの占術を使います)。 話がそれましたが、曜日は実はインドが発祥でもあるのですよ。 さて、日天ですが、日天は、この曜日を司る天でもあります。つまり、月以外の星の運行を司っているわけですね。(こういう発想があること自体、驚きですね。現代の天文学では、太陽が中心となって太陽系の惑星がその運行を定められている、とわかっていますが、今から数千年も昔に、インド人はそのことを理解していたのです。驚きですよね。) 星の運行を司っている、ということは、星の吉凶、すなわち、人の運勢にも関わりがある、ということです。ちなみに、日天である日曜星は、吉の星です。(今年の運勢のページを参照にしてください。) 日天の姿は、菩薩系の姿です。顔つきは優しいほうですね。右手に太陽を持っています。あるいは、太陽を先端に載せた杖、または蓮華を持っています。座像の場合、馬に乗っています。 日天とよく似た菩薩に日光菩薩がありますが、関係はないです。日光菩薩・月光菩薩は薬師如来の眷属になりますからね。参考までに・・・・。 |
日天 月天 |
<月天> 「がってん」と読みます。月の神ですね。月天は、日天の支配下には入りませんが、日天に従う存在です。支配は受けないが、従っている・・・という、ちょっと微妙な存在です。 また、二十八宿という宿曜を支配します。 二十八宿というのは、先ほど日天のところでも述べました密教占星術に使用する星です。これも宿曜経というお経に説かれています。最近、密教占星術が流行っているようですが、それはこの二十八宿のうち、二十七宿を使った占術です。宿曜占い・・・・とも言われています。 インドは、先ほども述べましたように天文学が大変発達していました。そのオマケとでも申しましょうか、占星術も発達していたのです。先ほどの曜日に蝕と彗星を加え九星とし運勢を占う方法(九星術)や、西洋占星術のように十二星座(十二宮といいます)を使って占う方法や、二十七宿を使って占う方法などがあります。この中でも、もっとも的中率が高いのが、二十七宿を使った宿曜占いです。宿曜も星であり、神々であります。 その宿曜を束ねているのが、月天なのです。なお、月天は、吉星です。 こうした星の関係は、すべて宿曜経というお経に説かれています。また、その星の吉凶の影響をなくし、凶を吉に変えるのが北斗法という作法で、節分に護摩をたいて祈願するのも、この北斗法によって行われているのです。(和尚の怪しい部屋を参照してください。北斗曼荼羅の写真もあります。見えにくいかも・・・ですが・・・。) さて、月天の姿ですが、左手に月を持っています。その月の中には、たいていの場合、ウサギが描いてあります。上の写真ではわかりにくいですが、どちらの月にもウサギが描かれています。 月にウサギがいる・・・・というのは、日本独特のものではありません。やはり、インドや中国の影響です。日本だけ・・・ではないのですよ。 座像は、アヒルに乗っています。顔つきは、やはり菩薩系で、優しい顔をしています。 帝釈天のお話から今回の日天・月天までで10人の天部、神についてお話をしてきました。実は、この10人の天部に伊舎那天(いしゃなてん)と羅刹天を加えて十二天として特別に祀ります。ですので、次回は、十二天の残りの二人・・・・伊舎那天と羅刹天・・・・の天部についてお話を致します。合掌。 |
11回目 伊舎那天と羅刹天及び十二天
<伊舎那天> 「いしゃなてん」と読みます。伊舎那天は、大自在天が怒ったときの姿を現している、とされています。つまり、大自在天の憤怒身(ふんぬしん)ですね。大自在天というのは、インドの古代神シヴァ神のことです。このシヴァ神が仏教に取り入れられて大自在天という名前になりました。大自在天については、また別枠でお話いたします。 伊舎那というのは、インドの言葉のイシャーナの音写です。意味は、「自在、主宰」です。つまり、伊舎那天はインドの神の中でも自由自在であり、主宰者でもあったわけです。まあ、もとがインドの最高神のシヴァ神ですからね。そういう意味合いがあってもおかしくはないでしょう。 しかし、仏教ではあまり目立った存在ではありません。十二天の中の一人の神、という程度でしょうか。それほど重要視されることはなかったようです。 さて、その姿ですが、身体は青色、目は三つ、髪は赤く、右手に先が三鈷になっている槍状のものを持ち、左手に杯を持っています。また、首からはドクロの首飾りをさげています。牛に乗る姿で描かれることもあります。 もともと、シヴァ神は、破壊や暴悪の神でもありますから、その姿を踏襲しています。伊舎那天の持っている杯には血の酒が入っているそうです。 また、二人の眷属がいて、一緒に描かれることもあります。 憤怒の神ですから、主に「魔除け」の働きがあります。後ほど、十二天のところで説明いたします。 |
伊舎那天 羅刹天 |
<羅刹天> 「らせつてん」と読みます。羅刹、すなわち鬼ですね、その王というか主というか、そういう存在の神です。羅刹たちの神、といえばわかりやすいでしょうか。 羅刹というのは、ご存知の方も多いでしょうが、死体を食らう悪鬼です。その悪鬼にも神がいるんですね。仏教では、そういう神も仲間はずれにはしません。一緒に祀ってしまいます。 羅刹天は、破壊や破滅を意味する神です。世の中は、始まりがあれば終わりがあり、創造があれば破壊もあるのです。身を立てることがあれば、身を滅ぼすこともありましょう。陽の部分だけではなく、陰の部分もあるのです。 仏教は、世の中のすべてを見ます。すべてを受け入れます。ですから、神々でもよい神ばかりではないのです。破壊や滅亡を司る神も、排除はしないのです。始まりと終わり、創造と破壊、そうしたものをすべて含んで初めて、真理なのですから。 ですから、羅刹天という神も祀られるのです。 さて、その姿ですが、身は肉色または黄、右手に剣を持ち、左手を剣印に結びます。白い獅子に乗っていて、二人の天女、二人の鬼を伴うことが多いようです。 <十二天> さて、帝釈天のお話から今回の伊舎那天と羅刹天までと多聞天をひとまとめにして、「十二天」として扱います。特に密教では、この十二天が世の守護に当たる、としています。そして、それぞれの神に10の方角と宇宙を守護させているのです。以下、方角と各神々の対応です。 *帝釈天・・・東方の守護。神々の王。 *火天・・・東南方の守護。地水火風のうち火を支配。 *閻魔天・・・南方の守護。冥界・疫病神の王。 *羅刹天・・・西南方の守護。悪鬼羅刹の主。 *水天・・・西方の守護。地水火風のうち水を支配。 *風天・・・西北方の守護。地水火風のうち風の支配。 *多聞天・・・北方の守護。夜叉を支配。 *伊舎那天・・・北東方の守護。諸々の魔の支配。 *梵天・・・上方の守護。宇宙の創造。 *地天・・・下方の守護。地水火風のうち地を支配。 *日天・・・太陽、曜日、吉凶の支配。福門。 *月天・・・月、二十八宿等の支配。寿門。 以上のように、世の中の現象や方角等を司る神を配したわけです。 密教では、その修法によっては、これら十二天を屏風に描き、祀ることがあります。特に、灌頂では、必ず十二天屏風を用います。それは、灌頂という重要な修法が、一切の魔に邪魔をされず、順調に完了するさせるために、十二天を祀るのです。十二天は、方角を守護するとともに、一切の神々や魔性のものを支配するからです。十二天を祀れば、魔物もおとなしくなって、邪魔をしない、というわけですね。 以上、十二天でした。次回からは、天部の続きをお話いたします。合掌。 |
12回目 大黒天
今回から、七福神の神様を順に紹介いたします。といいましても、七福神のうち、弁財天と毘沙門天は、もうすでに終わってますので、そのほかの神々のお話を致します。今回は、大黒天です。 大黒天は、皆さんよくご存知じゃないでしょうか。名前はよく聞きますよね。大きな袋持っていたり、米俵に載っている姿を見たことがある、という方も多いでしょう。七福神の中でも、大きな袋をもった姿で描かれたり、造られたりしています。 しかし、それは本来の大黒天の姿ではありません。大黒天の本当の姿は、実は恐ろしいものなのです。 大黒天は、もとはインドの神です。本名を「マハー・カーラ」といいます。「マハー」は「大いなる」です。「カーラ」は「黒、黒きもの」と言う意味があります。ですので、「マハー・カーラ」は、「大いなる黒きもの」となりますね。で、そういう神なので、「大いなる黒き神」となるのです。つまり「大黒という神」、「大黒天」となったのです。 インドでは、マハー・カーラは、主に破壊の神として祀られていました。どちらかと言えば、悪神です。なんせ破壊の神ですからね。インドでも黒は不吉な色なのです。 「我を信仰するものに力を与え、敵対者を破壊し、戦いに勝利させる」 と言うのが、大黒天だったのです。ですから、その姿は、大変恐ろしいものです(下図@)。手は6本、目は三つ。顔は三面。前の左右の二手で剣を横にして持っています。次の二手の左は牝羊の角、右手は人間の髪を握っています。後ろの二手は象の皮の衣装を持ち上げています。首には、どくろの首飾りをしています。これが、大黒天の本来の姿です。 しかし、このように恐ろしい姿の大黒天ですが、ただ単に破壊するだけではありません。破壊した後、「財を与え、構築する」という働きもあります。 仏教に大黒天が取り入れられたのは、この部分です。一説には、破壊ばかりしている大黒天をお釈迦様が注意し、「破壊ばかりしないで構築することをこれからは考えよ。それだけの力があるのだから、善いことに使え。人々が求めるならば、財を与えよ、食を与えよ。」 と諭した、とあります。それ以来、大黒天は破壊の神ではなく、財福の神となったのです。また、「食を与える」ということから、寺院の食堂や厨房に祀られるようになったのです。 厨房に祀られるようになった・・・ということには、別の説もあります。厨房にはかまどがあります。かまどはすすで汚れて真っ黒です。大黒天は、「大いなる黒き神」です。「かまどの黒」と「大黒天の黒」が、一緒になってかまどのある厨房に大黒天が祀られるようになった、という説です。 いかにももっともらしいのですが、もともとインドの寺院でも厨房や食堂に大黒天が祀られていたことからしますと、この説は後付けのように思います。俗説ですね。 |
大黒天@ 大黒天A |
ところで、福神としての大黒天は、@のような恐ろしい姿では描かれません。Aのように神王の姿で、金嚢を持つか担いでいます。どくろの首飾りもしていません。頭には帽子をかぶっています。 よく七福神で見かけるのは、A図よりも太っていて福福しい姿ですよね。これは誇張した姿です。福神としての大黒天は、布袋を持ったおとなしい商人といった感じです。この姿は、主に中国で生まれた姿です。 日本では、大黒天はその「ダイコク」という読みが「大国主命」と似ていたため、混同されるようなりました。そのため、「大国主命」の姿と中国で発展した福神の大黒天の姿が混ざってしまったのです。 そうして誕生した姿が、あの七福神での姿・・・でっぷりと太って米俵に乗り、大きな布袋持ち、打ち出の小槌をもつ・・・となったわけです。この姿は、日本独自の姿です。 こうして、もとはまったく別の神だったのですが、混同されてしまい、日本独特の大黒天が生まれたのです。 大黒天には、このほかに「三面大黒」という姿があります。これは、毘沙門天・弁財天・大黒天の合体した姿です。七福神ならぬ三福神・・・ですね。この三面大黒は、別名「出世大黒」とも言われています。拝めば出世する、といわれているためにこの別名があるのです。なお、この三面大黒は天台宗のオリジナルです。 真言宗では、食堂に大黒天を中心に左右に毘沙門天と弁財天を祀ります。天台宗のように合体させてはいません。 本来、破壊の神であった大黒天ですが、今では財福の神です。もちろん、大黒天法には、戦勝を祈る作法もありますが、今では不要な作法ですね。大黒天さん自身も破壊や調伏を祈られるよりは、五穀豊穣や財物の祈願をされる方が嬉しいことだと思います。怖い顔の大黒天よりも、大国主命と一緒になった福福しい大黒天がいいですね。 合掌。 |
13回目 布袋・恵比寿・寿老人・福禄寿
七福神のうち、毘沙門天・弁財天・大黒天の三天は、インドの神がもとになっています。他の七福神の神、布袋・恵比寿・寿老人・福禄寿は、出身が異なります。中国であったり日本の神であったり・・・・。インド組の神は終わっていますので、残すは中国・日本組の神ですね。今回は、その中国・日本組のお話です。 <布袋> 布袋さんは、大きな袋を持っています。おなかがでっぷりと出ておりますね。布袋腹、などいう言葉も生まれております。このお腹は、裕福さを表しているとか。まあ、やせ細った姿よりも、でっぷりとしたお腹を持っていた方が、福福しいことは確かですね。 袋の中には、生活に必要な道具類がすべて入っている、といわれております。 布袋さんは、いつも笑顔です。その笑顔は、何ものにもとらわれない、悠々自適さを表しています。な〜んにも憂いなく、怒ることもなく、悩むこともなく、苦しむこともなく、自由に楽しく生きている、という姿なのです。一切のこだわりを捨てた状態ですね。 布袋さんは、布袋和尚ともいい、禅僧カイシ和尚の姿、と言われております。また、弥勒菩薩の変化身とも言われております。 十牛図では、最後に布袋さんが出てくるのですが、これは悟った後の姿で、この悟った後こそが重要である、と言われているようです。つまり、覚りよりも悟った後、いかに生きるか・・・ということですね。 布袋さんのように飄々と、何にもとらわれず生きていけるか、が大事なのです。 <恵比寿> 恵比寿さんは、七福神の中では唯一日本の神です。大国主命の子供である、とも言われたり蛭子尊とも言われたり、夷三郎とも言われたりします。 姿は鯛を釣る姿で表現されます。「海老で鯛を釣る」のことわざの元とも言われています。これは恵比寿が鯛を釣った姿であること、恵比寿が商業の神であること、恵比寿と海老の駄洒落、から生まれたことわざですね。小さな元手で大きな利益を得ることを意味しています。恵比寿さんは、そのことわざそのものを表しているわけですね。 |
布 袋 恵比寿 福禄寿 寿老人 |
<福禄寿> 短身で、頭が異様に長いのが特徴です。一目でわかりますね。また、見事なひげを生やしています。 南極星の化身で宋の時代に出現した道士といわれたり、あるいは、福の神と、禄の神と、寿命の神が合体した神、とも言われています。その名の通り、福徳と俸禄と寿命を与える神です。 <寿老人> 老人星の化身と言われています。あるいは、老子の姿、とも言われています。長寿の神、仙人ですね。寿老人は、杖を持ち、吉祥の鹿が伴います。 名前の通り、長寿をもたらす神です。 よくこの福禄寿と寿老人は混同されます。福禄寿に鹿を伴わせたり、寿老人を短身で長頭に表現したりします。入れ替わるんですね。 これは、そもそも元が同一だからです。寿老人も福禄寿も、元は南極星の化身でありました。それがいつの間にか、ベツモノに変化していったのです。そもそもは、同じ神だったわけです。ですから、入れ替わって紹介されていても、間違っているわけではありません。それでもかまわないのです。 さて、七福神ですが、その成立は室町時代頃と考えられています。現代のようになるまでには、いろいろメンバーは入れ替わったりもしています。福禄寿と寿老人を同体とみなして吉祥天を入れて女神を二人にしたり、猩々という妖怪のような神のような・・・を加える場合もあります(猩々は猿田彦神社からの由来のようです)。 現在のメンバー・・・毘沙門天・大黒天・弁才天・布袋・恵比寿・寿老人・福禄寿・・・に固まったのは江戸時代とか・・・。一説には、天台宗の怪僧・天海僧正が天下泰平の基として、徳川家康に祀るように勧めたとか。 その際、七福神は、 「毘沙門天は威光、大黒天は有徳、弁財天は愛嬌、布袋は大量、恵比寿は律儀、福禄寿は人望、寿老人は長寿」 の七福を与える、と説いたそうです。 一般的には、 「毘沙門天は勝負運、大黒天は五穀豊穣、弁財天は財宝、布袋は裕福さ、恵比寿は海の幸と商売繁盛、福禄寿は俸禄(給料のことですね)、寿老人は長寿」 を与えると説かれています。 江戸時代には、七福神を船に乗せた宝船も成立しています。この絵を恵方に飾ったり、枕の下に入れて吉夢の見る、という習慣もこの頃生まれたようです。 七福神めぐりや、七福神を乗せた宝船の絵を祀って、あなたも七つの福を得られるといいですね。合掌。 |
14回目 鬼子母神
今回は、「おそれ入谷の鬼子母神」で有名な「鬼子母神」についてお話いたします。 仏教の神々は、ほとんどがインド出身でして、たいていは「○○天」と「天」がつきます。が、鬼子母神だけは、日本の神様のように「神」が最後につきます。ですが、鬼子母神は、確かにインドの神です。日本の神ではありません。 鬼子母神は、本名を「ハーリーティー」、音写して「訶利帝母(かりていも)」といいます。 この訶利帝母、実はインドの悪神でした。その悪神がお釈迦様に諭され、善神になったのです。そこには、こんな物語があります。 お釈迦様がいらした頃、マガダ国の首都ラージャグリハには、夜な夜な子供を誘拐して食べてしまうという恐ろしい鬼神が現れました。子供を持った親たちは震え上がり、どうにかして欲しいと国王に訴えますが、相手が鬼神では国王の軍隊でもどうにもなりません。そこで人々は、お釈迦様に助けを求めました。 お釈迦様はその声に 「わかりました。何とかしましょう。安心していなさい。」 といって、精舎をあとにしました。 訶利帝母のもとに行ったお釈迦様は、訶利帝母が留守をしているときに、神通力で訶利帝母の末っ子の娘ヒリョウカを隠してしまいます。訶利帝母には、子供が500人もいたのですが、その中でも末っ子のヒリョウカを最も可愛がっていました。その子がいなくなってしまい、訶利帝母は狂ったように探し回りました。神通力で探しても見つかりません。 「おぉ、どこへいったのヒリョウカ、おぉぉぉ。そうだ、お釈迦様ならヒリョウカを見つけられるかもしれない。お釈迦様に聞いてみよう。」 訶利帝母は、早速お釈迦様に、娘はどこへ行ったのかわかりませんか、と尋ねに行きました。するとお釈迦様は、 「汝は、500人も子供がいるではないか。一人くらいいなくなってもいいではないか。」 と冷たく言い放ちます。その言葉に訶利帝母は、泣いて訴えました。 「とんでもないお釈迦様。子供は何人いても可愛いものです。どの子も大事な子供です。たった一人いなくなっても、それはそれはつらいものなのです。ですから、どうか、私の娘の居所を見つけてください。」 「汝はそういうが、汝は人々の子をさらっているではないか。そういう家庭のなかにはたった一人しか子供がいない家もあろう。そのような親の悲しみやつらさは、どうでもいいのか?。よその子を盗んでおいて、自分の子がいなくなったら大騒ぎをするのは、あまりにも身勝手ではないかな。」 と、お釈迦様は訶利帝母を強く叱責しました。この言葉に、訶利帝母はハッとします。 「あぁ、私はなんていう愚かなことをしていたのか。500人のうち一人でもいなくなれば、これほど悲しく苦しいものなのに、私は数少ない子供をさらって食らっていた。あぁ、恐ろしいことをしていた。どうか、お釈迦様、今より決して子供をさらったりはしません。ですから、ヒリョウカを見つけてください。」 訶利帝母は、そのように泣いて反省したのです。その言葉にお釈迦様はにっこりうなずかれ、神通力で隠していたヒリョウカを訶利帝母に返しました。 「よいか訶利帝母、今後は子供を守護する神となるのだ。子育てをする親を守護し、子供を守る神となるのだ。わかったね。」 と優しくさとしたのでした。このときより、訶利帝母は子供や子のある家庭を守護する神となったのです。 その後、インドでは家庭に訶利帝母の姿を描いた絵を祀り、子供の無病息災を祈る風習ができたといいます。それが日本にも伝わったわけですね。 |
さて、鬼子母神の姿ですが、日本の場合は、神になってからの鬼子母神の姿を描きます。恐ろしい鬼神の姿ではありません。名前は鬼子母神ですけどね。 鬼子母神の姿を描くときは、必ず子供を一緒に描きます。その人数は二人ないし三人です。鬼子母神に寄り添っている場合もあれば、周りで遊んでいる姿を描く場合もあります。いずれにせよ、子供の守護神であることを表現していることには間違いありません。(参考までに、ガンダーラ彫像に端正な鬼子母神とその周辺に21人の子を彫った名品があるそうです。) 鬼子母神のほかの特徴としては、ほとんどの場合、右手に吉祥果(きっしょうか、きちじょうか)を持っています。ざくろによく似た果実なのですが、日本のざくろとは違います。この果実は、魔除けとなる果実なので、吉祥果と呼ばれています。 密教では、子供の守護神のほかに、星曼荼羅にも描き、吉祥を祈ることもあります。また、日蓮主では特に鬼子母神は重要視されます。冒頭に書いた「おそれ入谷の鬼子母神」で有名な東京入谷の鬼子母神も日蓮宗のお寺です。 さてさて、お子さんに手を焼いている親御さんたち、あるいは、お子さんが病弱だという親御さんたち。鬼子母神に祈ってみてはどうでしょう。あなたのお子さんたちをよく守護してくれるかもしれませんよ。 また、お子さんを邪険にしたり、大事にしていない親たち、鬼子母神に怒られても知りませんよ・・・・。 合掌。 |
15回目 摩利支天
摩利支天は、戦いの神・勝利の女神として、日本では祀られてきました。特に戦国時代には、多くの武将が戦勝祈願をしたのです。その理由は、摩利支天の特徴にあります。 そもそも摩利支天は、インド古来からの神です。本来の名前をマリーチー、マーリシー、と言います。それを音写して摩利支、としたのです。 摩利支天は、元来、太陽や月の光を神格化したものです。インドは暑い国です。太陽が輝くと、陽炎がたちます。あの陽炎が、実は摩利支天なのです。夏になるとよく見ますよね。あのモワモワとした空気の乱れのようなもの。カゲロウです。あの陽炎そのものが、摩利支天なのです。 インドでは、月の光でも陽炎がたったのでしょうか?。インドの夜を見てみるとわかるのでしょうが、夜でも暑ければ、陽炎が立つこともあるのでしょう。で、その陽炎は、太陽や月の光によってできる、と考えられたわけです。 ですので、太陽や月の光そのものも、摩利支天である、とされたのです。 ここからは、摩利支天が戦の神となった理由はわかりません。戦の神となったのは、こんな逸話からなのです。 天界は、長き世に渡って、帝釈天と阿修羅が戦っていました。その戦いは、たいていは帝釈天の一方的勝利だったのですが、たまに帝釈天も苦戦をすることがあります。 ある戦いのとき、帝釈天はやや苦戦していました。阿修羅の攻撃は、太陽や月をも巻き込みそうな勢いでした。そのとき、摩利支天は太陽と月を守り、阿修羅を惑わせたのです。陽炎によって・・・。幻を見せたのですね。 そのおかげで、帝釈天は阿修羅軍を破ったのです。 この逸話から、摩利支天は、日のあたるときも、月が照るときも、敵の目から兵士を守ってくれる、というご利益が生まれました。つまり、摩利支天のお守りを持っていれば、敵に見つかることなく、敵軍の中に進入できる、と信じられたわけです。 こうしたことから、わが国では、戦の神となったのです。 |
摩利支天を祀る宗派は、多くは密教系です。特に修験道では、魔を祓う作法で使う場合があります。太陽や月の光で闇のもの(魔物)を退治する、という意味からでしょう。 摩利支天の姿は、 @手が二本(二臂)の場合・・・天女形で表現します。左手に天扇を持ちます。その扇の中には「卍」を書きます。右手は、手のひらを表にして下に垂れます。この姿は少ないです。 A顔が三面で手が六本(三面六臂)の場合と、顔が三面で手が八本(三面八臂)の場合 どちらも、中央正面お顔はややきつめの天女の顔、左の顔は憤怒顔、右は優しい天女顔となっています。どの面も眼が三つあります。頭には宝塔を載せています。 左右の手には、六本の場合、弓や矢、杖、線、針、金剛杵を持ています。八本の場合は、これにロープと鉤状の武器を加えます。 いずれも、イノシシに三日月を載せ、その上に立っている姿で表現されますが、多くは三面八臂で表現されるようです。 イノシシに乗るのは、どんな相手にでもひるむことなく突き進む、ということを表しています。 摩利支天は、戦の神といっても、戦う兵士を守護するのが役目です。また、魔物を退治することもその役目です。魔物とは、外敵もありましょうが、内なる魔物もありましょう。それは、戦いにおいて最も害のある内なる敵、弱気、というものです。その弱気を祓う役目もあるのです。 スポーツ選手や受験生の皆さん、或いは日夜仕事で戦っているサラリーマンの皆さん。その戦いを勝ち抜くため、内なる弱気を祓うため、摩利支天をお参りしてみるのもいいかもしれませんね。 戦国の世ではない現代では、摩利支天も暇かもしれませんから、しっかりお参りすれば、味方になってくれるかも知れませんよ。合掌。 |
16回目 聖天(歓喜天)
聖天(しょうでん)さんといえば、商売繁盛の神様として有名です。古くは、水商売の女性からも信心を集めていました。現代でも、飲食街に聖天さんを祀ってある地域があるようです。 聖天さんは、本当の名前を「大聖歓喜天(だいしょうかんぎてん)」といいます。或いは、単に「歓喜天」といいます。「聖天」というのは、「大聖歓喜天」の「聖」と「天」を残し、省略した名称・・・・といわれています。なお、一般的には「聖天」は「しょうてん」と読みますが、仏教的には「しょうでん」と読むのが慣わしです。まあ、私たちも「しょうてんさん」といいますけどね。 仏教的、といいましても、この天部は、主に密教系の天部です。真言宗や天台宗で祀ることがほとんどですね。他宗派は、あまり祀らないようです。 聖天さんの姿をご存知の方は、多いと思います。頭が象で身体が人間ですね。単体で祀られることもありますが、多くは、同じ象の頭をした二体が抱き合っている像が知られています。「あぁ、あの象の像ね」と思われた方もいらしゃるでしょう。この姿から、水商売の女性に参拝されるようになったのですね。恋愛の神として。実際、この二体の象の頭の神は、抱き合っている姿なのです。愛し合う二人を表現しているのです。これには、理由があります。 聖天さんは、もともとはインドの悪神でした。父は暴れん坊のシヴァ神、母親はその妃のウマ。その子供が聖天さんで、本名をガーネーシャ(あるいはガネシャ、別の説ではヴィナーヤカ)といいます。いわば、神の子、ですね。生まれたときは、見目麗しい男の子だったそうです。 が、この神の子であるガーネーシャ、父親に似て暴れん坊で、また母親にも似てわがまま。親も手を焼くほどの悪神だったのだそうです。さらには、親のシヴァ神にも逆らうことはなはだしく、ついに堪忍袋の緒が切れたシヴァ神、ガーネーシャの首をはねてしまうのです。 そのまま放っておくと、神とはいえ死んでしまいます。心配した母親は、あわてて首をくっつけようとガーネーシャの首を探すのですが、見つかりません。仕方がないので、そばにいた象の首をはね、その頭を彼にくっつけてしまったのです。 哀れガーネーシャ。それ以来、頭は象、身体は人間と言うバケモノになってしまったのです。 |
この説には、いろいろあります。首をくっつけたのはシヴァ神だったとか、「お前なんぞ象の頭のほうがマシだ」といわれて、象の頭になってしまったとか・・・。さまざまな説はありますが、いずれにせよ、ガーネーシャは、生まれつきこの姿であったわけではく、また好きでこの姿になったわけではありません。なので、本人は相当ショックだったようです。それ以来、さらに悪神となり、魔性の集団の王となってしまいます。特に、真面目に修行をしている仏道修行者の前に現れ、さまざまな誘惑をし、修業の邪魔をします。そこで、お釈迦様は観音様にガーネーシャを何とかするよう命じるんですね。 あるとき、池のほとりでガーネーシャが、一人淋しくたたずんでいました。己の姿を池の水に映して泣いていたのです。その後ろから、同じような姿をしたものが近付いてきました。頭は象、身体は人間、と言う姿をしたものでした。 「なにを泣いているのです?。」 近付いてきた象頭は彼に声をかけました。彼は、振り返ると、自分と同じ姿をしたバケモノに驚きます。 「お前は・・・・。いや・・・、私は己の醜い姿を見て・・・。お前もわかるだろう。こんな姿をしていれば、世の中の誰も相手にはしてくれない。お前もそうであろう。だから・・・・。」 「ガーネーシャ、あなたは本当は淋しいのですね。本当は、心優しい神なのですね。もし、あなたが、悪いことをやめ、仏道に帰依するのなら、私はあなたのそばにずっといるでしょう。あなたを命の限り、愛するでしょう。」 「そ、それは本当か?。私に愛をくれるのなら、私は仏道に帰依しよう。」 「本当です。さあ、この胸にいらっしゃい・・・。」 こうして、二人の象の姿をしたバケモノは抱き合ったのです。そして、ガーネーシャは、もう一人の象頭に導かれ、お釈迦様の元へ行き、今までのことを懺悔し、善神になるのです。 このもう一人の象の頭をしたバケモノは、そう、観音様の化身なのですね。 観音様に導かれ、仏教に帰依したガーネーシャは、修行の邪魔をする悪魔の排除や、吉運を授けたりするようになりました。また、愛を与えられ救われたので、愛情に関する祈願に応じています。 といいましても、この聖天さん。一度帰依して祈願し始めたら、死ぬまで付き合うつもりでお参りしてください。そうすれば、ご利益も絶大でしょう。しかし、聖天さんに祈願し、あっちに祈願し、こっちに祈願し・・・・では、ご利益は期待できません。(まあ、他の仏様や天部でもそうですが、特に聖天さんは・・・)。 聖天さんをお参りするのなら、聖天さん一筋がいいのです。裏切りはいけませんよ。さらに、我々僧侶の間でも、聖天さんは怖い存在です。一度、聖天さんのお参りの作法を始めたら、毎日しなければいけません。どうしてもできないときは、できない日にち分を前もってお参りしておきます。でないと、バチがあたります。なので、聖天さんを祀るには覚悟がいります。利益は大きいんですが、ちょっとでもサボれば・・・・・。そういう神なのですよ。 さて、聖天さんの姿ですが、一般的には二体が抱き合っている姿・・・双身図・双身像・・・なのですが、単体で表現されるときは、手が6本でさまざまな武器をを持っています。なお、象の鼻は向かって左のほう、右曲がりと決まっています。 また、ガーネーシャと言わずに「ガネシャ、ガネーシャ、あるいはヴィナーヤカ」などと呼ばれています。このヴィナーヤカは、ガーネーシャが率いた魔性集団の呼称、とも言われています。 このような聖天さんですが、あなたが愛が欲しいならば、聖天さんに祈願してもいいのではないかと思います。でも、祈願が成就しても、月に一回のお参りを続けることをお勧め致します。それを続ける自信がない方は、他の仏様に祈願した方がいいかもね。合掌。 |
17回目 荼吉尼天(稲荷明神)
今回は、荼吉尼天(ダキニ天)についてお話いたします。 初めに断っておきます。荼吉尼天は、鬼神です。一般の方は、できれば関らない方がいいです。大変危険で、扱いが難しい神です。間違っても、荼吉尼天(あとで説明いたしますが、日本ではお稲荷さんとして祀られています。)を自らの屋敷や自分の守護神にしないようにしてください。また現在、屋敷うちに祀ってある方は、荼吉尼天をおろそかにしないよう、しっかりお祀りするか、信仰をやめて本来の天界へと帰ってもらうか、どちらかにしてください。もし、荼吉尼天(お稲荷さん)を信仰するというのなら、伏見稲荷や豊川稲荷のような、大きな稲荷神社にお参りに行くのがいいでしょう。個人的には、祀らないほうがいい神です。 そういう神であるに関らず、日本国内には、あちこちにその社が存在しています。「お稲荷さん」がそれです。 稲荷明神は、もともとは日本古来の神でした。その名前の通り「稲の荷」が増えるようにして下さる、つまりは五穀豊穣の神だったのです。 ところが、仏教が日本に伝来すると、稲荷明神と荼吉尼天が同一視されるようになったのです。荼吉尼天も五穀豊穣の神です。また、身分の低いものの望みをかなえる神でもありました。一般の農民の神であった稲荷明神と荼吉尼天が一緒にされるのに何の問題もなかったわけです。 こうして、日本独自の稲荷明神=荼吉尼天が生まれたのです。ですから、みなさんがご存知のお稲荷さんは、実はもともとはインドの鬼神「荼吉尼天」だったのです。 荼吉尼天は、インドで信仰されていた神です。その歴史は古く、お釈迦様以前から信仰がありました。神といっても、鬼神に属します。魔物系の神ですね。インドでは、魔物も神として祀ります。鬼子母神ももとはそうですし、前回お話したガネーシャもそうです。ただし、その多くは仏教に取り入れられ、善神としてわが国では信仰を集めました。 荼吉尼天もその中の一人です。もとはインドの魔神で、人の死体を食らう神でした。しかし、その力は偉大で、身分の低い者たちや農民には広く信仰されていたようです。特に、人の死に関しては、6ヶ月前に予言するということをしました。ですので、荼吉尼天を深く信仰したものは、人の死の予言を聞けたようです。ただし、死を予言するだけで、そのものの命を奪う、ということまではしません。ただ予言し、その者が死を迎えたら、その死肉を食らうだけです。 荼吉尼天は、女性の神です。一般的にはその姿は、狐(日本では狐ですが、インドでは狐ではなく、狐に似た山犬かジャッカルのような動物だったようです)にまたがった姿で表現されます。狐は、乗り物であり、またお使いをする手先でもあります(図@参照)。一般的には、三面で二本腕が多いのですが、手が八本という場合もあります。 曼荼羅上では、鬼神の姿で描かれ、杯をもつ荼吉尼天を両側にして、人肉を食らう荼吉尼天を描きます(図AB参照)。 荼吉尼天像は、秘されるのが普通で、公開はほとんどされません。また、その修法も秘法となっています。 お稲荷さんのことを狐・・・と勘違いしている方が多いようですね。これは、荼吉尼天の姿が秘され、そのお使いである狐だけが前面に登場していることから生まれた誤解でしょう。荼吉尼天(お稲荷さん)は、狐ではありません。狐に乗った女神です。思い違いをしていた方は、訂正してください。 そういう神が仏教に取り入れられ、五穀豊穣の神として生まれ変わったのです。そして、それが日本に伝わった時 、稲荷明神と一緒になったわけです。 ちなみに、稲荷明神は男神で表現されます。狩人の姿をとっていることが多いようです。 |
@荼吉尼天 A曼荼羅上での荼吉尼天 B人肉を食らう姿 |
お稲荷さんといえば、あちこちで見かけますよね。これは、江戸時代に爆発的に流行したためによるものです。それは、「お稲荷さんを祀れば、お金持ちになれる。商売繁盛する。」という説が信じられたためです。ですから、ちょっとした商売屋さんは、ほとんどがお稲荷さんを祀りました。村や町で祀ったところもあります。あなたの家にも、小さな祠はありませんか?。もしあれば、それは昔、お稲荷さんを祀ったものでしょう。つまりは、荼吉尼天を祀ったものなのです。 ところが、ここに大きな間違いが生じます。 お稲荷さん、すなわち荼吉尼天は、実は大変気まぐれで、我が侭な女神なのです。祀り方が気に入らなかったり、お参りやお供えを少しでもおろそかにすると、 「私の助けはもう要らぬか。では、去るとしよう・・・。」 といって、去っていってしまいます。荼吉尼天は、しっかり祀ればその利益も大きなものです(魔力によるものなので、あまり感心はしませんが)。ところが、人は大きな利益を手に入れると、それは自分の実力によるもので神仏の力じゃない、と勘違いしやすいのですね。あるいは、大きな利益に我を忘れ、それをもたらしてくれた神に感謝することを疎かにし、祀ることを怠るようになってしまうのです。 仏・菩薩や高位の天部はそれでも構わないのですが、鬼神と言われる天部はそうはいきません。祀ることを疎かにした罰を下すか、あるいは見捨てて去ってしまいます。前回、聖天のお話でも、最後まで信仰をすること、といったのは、そういう理由があるからです。 神が罰を下せば、大きな禍となります。また、神が去れば、そこに残るものは神の使いであったものか、魔物です。聖天が去れば残るのは、魔物の集団ヴィナーヤカですし、荼吉尼天が去れば、残るのは乗り物や使いの狐でしょう。主人がいなくなった魔物や使いは、好き勝手にふるまいます。そうすれば、その家に禍が生じるのは当然ですね。いわゆる狐憑き・・・ということになるのですよ。 そして、かつては栄華を誇っていた家も、哀れな末路へと転がり落ちていくのです。 ですから、自分の屋敷うちに荼吉尼天(お稲荷さん)を祀ることは避けたほうがいいのです。あとあと面倒見れなくなるのはわかりきったことですから。迷惑を被るのは、子孫なのですからね。 もう一つ、荼吉尼天の恐ろしい面をご紹介しておきます。荼吉尼天は、深く信仰する者の願いを必ず成就させます。その代わり、その者の魂を渡さねばなりません。(一説には心臓を渡す約束をする)。 「もし、願いがかなえば、私の魂(あるいは心臓)をやろう。」 と誓うわけです。すると、荼吉尼天は魂(心臓)と引き換えに、その者の願いをかなえるのです。これは恐ろしい秘法です。一説によりますと、平清盛がこの秘法をした、といわれております。清盛の生涯を見れば、それがいかに愚かなことかよくわかると思います。 荼吉尼天のような鬼神は、確かに大きな力を持ってはいますが、最後まで面倒を見てくれるとは限りませんし、たとえ願いをかなえてくれてもそれは一代限りのものです。間違っても、荼吉尼天の秘法などしないようにしてください。 荼吉尼天は、個人で祀ってはいけない神なのです。信仰をするのなら、大きな稲荷神社に行くことですね。合掌。 |