バックナンバー7・天部


18回目 大自在天と他化自在天

今回お話いたします、大自在天(だいじざいてん)と他化自在天(たけじざいてん)は、よく混同されます。名前が似ているので間違いやすいのです。専門書であっても混同されている場合があったりします。しかし、この天部はまったく違う天部ですし、その住む世界も異なっています。
天部は、上下関係があります。住む世界、自分の持っている天界によって、ランクがあるのです。そのランクからすると、大自在天の方が上になります。しかも、かなり上です。
天界は、大きく分けて三つのランクに分かれます。下から欲界(よっかい)、色界(しきかい)、無色界(むしきかい)です。(この三つの世界を合わせて三界といいます。ただし、欲界には人間界以下の世界も含みます。つまり、天界の一部〜地獄までの世界を欲界というのです)。それぞれの世界は、その中にまたランクがあります。

欲界の中の天部は、六つのランク・・・・・下から下天(げてん)、刀利天(とうりてんまたは三十三天)、夜摩天(やまてん)、兜率天(とそつてん)、楽変化天(らくへんげてん)、他化自在天・・・・に分かれています。有名な帝釈天がいる世界は、下から二番目の刀利天です。四天王がいるのは下天ですね。意外と下の方なんです。
他化自在天が住まう世界が、欲界の最上位の他化自在天という世界です。自分の住む世界に、自分の名前がついているという、ちょっと変わったパターンですね。(ちなみに夜摩天も自分の住む世界に自分の名前がついています。夜摩とは閻魔様のことで、本名をヤマといいます)。
欲界の最上位に位置していますから、他化自在天は帝釈天よりも偉い存在です(変な言い方ですが・・・)。帝釈天よりも強いのです。権力もあります。しかし、あまり人間界には登場しません。というのは、上位の天部になればなるほど、あまり人間界と接触しないようになるのです。上位の天部で人間界と関っていることで知られているのは、次の上のランクの色界の下位に位置する梵天や弁財天くらいのものでしょう。

さて、他化自在天ですが、どんな天部かといいますと、その元は魔神でした。お釈迦様が覚りを得るための瞑想をしていたとき、邪魔をした魔物の一人なのです。つまり、魔王パーピマンの配下のものだったわけです。(お釈迦様が覚りを開かれるお話は、「お釈迦様物語」にあります)。その魔神の一人であった他化自在天は、お釈迦様が覚りを得たとき、魔力を押さえつけられ、天界に住まう神へと変化させられたのです。お釈迦様の力により、魔物から神へと変えられたわけですね。(最後まで抵抗したパーピマンは闇の世界へ落ちていきました)。
で、現在は何をしているのかというと、何もしていません。いや、単に楽しんでいます。自分いる世界以下の楽しみや快楽を自分自身も自在に受けて、楽しんでいるのです。
つまり、あなたが何か楽しいことをしていたとしたら、そのとき、他化自在天もあなたの楽しい思いを受け止めているわけです。あなたの楽しみは、他化自在天の楽しみでもあるのですね。
そういう神ですから、みなさんが大いに楽しめば、他化自在天も大いに楽しみ、喜ぶのです。ただ、それだけの神なんですよ、他化自在天は。
とはいえ、それだけではない場合もあります。他化自在天の姿を見てください。図1の中央にいるのが他化自在天です。両脇は眷属の天女ですね。他化自在天の手には弓と矢が握られています。他化自在天は、この弓矢で何をするのか・・・・。詳しくは説かれていません。が、おそらくは愛のキューピッド役をしているのではないでしょうか?。
魔力を封じられた他化自在天は、欲界の最上位から人間が楽しむ姿を眺めているのでしょう。人間が安楽に楽しく生活できる姿を見て、喜んでいるのです。で、退屈になったら、人間に矢を放ち、恋愛騒ぎなどをおこして、人間界に楽しさを与えている・・・のかもしれません。


              
   @他化自在天と眷属           A大自在天         B大自在天とその妃・ウマ    C大自在天女(伎芸天)
      

さて、続いて大自在天です。
大自在天は、色界の最上位に住んでいます。色界には17の世界があります。(下位のほうには梵天が住んでいます)。最上位の世界は、名を色究竟天(しきくぎょうてん)といいます。
欲界とは、その名の通り欲の世界です。天人・天界の神々といえでも欲がある、という世界です。帝釈天などは妃が何人もいます。人間よりも欲が深い?かもしれません。ところが、色界になると、欲はありません。欲望を超越して肉体だけが残った世界、それが色界です。色界という文字からすると、色欲に満ちた世界かと思われますが、実はまったく逆なんですね。欲があるとすれば、それは仏法を聞きたい、修行するもの・正しく生きるものを助けたい、という欲だけでしょう。つまり、菩薩に大変近い存在なのですね。ですので、色界とは大変清浄なる世界なのです。(ちなみに無色界は、肉体もなくなり精神のみの世界、魂のみの世界です)。
その清らかな世界でも、最も清らかなところに位置するのが大自在天です。そこに至るまでには大自在天も大変だったのです。

大自在天は、もとはインドの神・シヴァ神でした。シヴァ神といえば、欲望の塊のような神です。暴君・暴神です。で、そのあまりにも深い欲望を見かねた大日如来が降三世明王にシヴァ神の欲望を何とかするよう命じます。降三世明王は、シヴァ神とその妃の烏摩(ウマ)をふんずけてしまいます。二度と欲望を起こさぬように。(バックナンバー4、降三世明王の項参照)。こうして、欲望を捨て去ることができたシヴァ神は、仏教の(特には密教の)守護神として生まれ変わったのです。
大自在天は、いろいろな姿に変身します。十二天の伊舎那天(いしゃなてん、バックナンバー6参照)は、大自在天が怒ったときの姿といわれております。
また、天界においてさまざまな伎楽を楽しんだときに美しい天女が現れたという伝説があります。その美しい天女は伎芸天(ぎげいてん)といい、あらゆる伎楽を奏でたそうです。その技量はどんな天部の神々も適うものではありませんでした。実は、この伎芸天とは、大自在天の変化した姿だったのです。大自在天も欲は捨てたとはいえ、天界の伎楽のお祭りには参加したかったのでしょうね。しかし、すべての欲を捨て去った神が住む色界の、しかも最上位にいる大自在天がお祭りを楽しむわけにはいきませんので、伎芸天の姿をして参加したのでしょう。ですので、伎芸天のことを大自在天女(だいじざいてんにょ)ともいいます。なお、伎芸天は諸芸上達の祈願をかなえるといわれております。

大自在天の姿は、目が三つに手が八本というのが基本です。青黒い水牛に乗っています。伎芸天の時は、美しい女神の姿をしています。妃である烏摩とは、大変仲がよろしいようです。

他化自在天はもと魔物、大自在天は暴神シヴァ。どちらも仏法によって魔力を封じられ、欲望を封じられたのです。そして、両神も今は天界を楽しんでいるのです。人間界でいえば、昔はやんちゃをやったご隠居・・・・といったような、そんな神様ですね。合掌。



19回目 その他の天部

今回は、あまり有名でない、一般には知られていない天部のお話です。そうした天部の中には、もはや名前だけ・・・という天部も存在しています。時代とともに忘れ去れて行った天部の神もいるんですよ。

@散脂大将(さんしたいしょう)
ソウシンニャヤシャ大将、正了知(しょりょうち)大将ともいわれています。毘沙門天の眷属のうちの一人(毘沙門天の眷属は5人または8人いる)なのですが、なぜかこの大将のみが、古くから独立して図像に表現されました。とはいえ、現存している図像は大変少ないようです。この神は、いわゆる護法善神(ごほうぜんじん)と呼ばれる神のうちの一人です。

A深沙大将(じんじゃたいしょう)
玄奘三蔵法師が天竺へ経典を受け取りに行ったとき、玄奘を守護するために現れたとされる神です。毘沙門天の化身ともいわれています。胸にドクロを三つほどつけた首飾りをさげ、お腹に子供の顔をつけているという、グロテスクな姿で表現されます。とても善神には見えないのですが、その姿に似合わず、善神の一人なんです。しかも、大般若経典の守護する十六善神の一人にも数えられます。高野山の霊宝館の常設展示室に像が展示されています。その姿は、確かに悪魔的に見えます。これが善い神?、と思えるくらいですが、悪神ではありません。これは、俗説なんですが、西遊記の沙悟浄のモデルともいわれているそうです。

B宝蔵天女(ほうぞうてんにょ)
という名前がついていますが、吉祥天と同じです。吉祥天の別名と思って頂いてもいいでしょう。

C氷掲羅天(ひょうぎゃらてん)
ひょっとしたら名前くらいは聞いたことがあるのではないでしょうか?。名前の文字から水神系の神かと思われがちですが、実は関係ありません。この神は、鬼子母神の最愛の子ヒリョウカのこと(鬼子母神の項参照してください)です。鬼子母神が抱えている赤ん坊が、この氷掲羅天です。

D韋駄天(いだてん)
足が速い神で有名な韋駄天です。もとは、インドの神スカンダです。別名にケンダというものもあります。経典にはその姿は説かれていないのですが、日本においては図像があります。多くは、甲冑を身につけ、合掌した腕のうえに剣を横たえるという姿で造られています。一般にシヴァ神の子という説があります。天部の軍隊の将で(天部には軍隊があります。有名なのは帝釈天の軍隊です。阿修羅との戦いを何度も行いました)、走るのがとても速く、素早く動いて敵(悪神)を駆逐する、といわれています。お釈迦様が毒キノコの毒によって涅槃に入られたとき、お釈迦様の主治医ジーヴァカからお釈迦様の元に薬を届けるように委託されたのですが、韋駄天の足でも間に合わなかった・・・という話もあります。

E襄虞梨童女(じょうぐりどうじょ)
観自在菩薩(観音様ですね)の化身で、雪山の奥深くに住し、毒に悩まされている人々のその毒を抜く神、といわれています。その姿は、童女という名はついていますが、童女ではなく、大人の女性として表現されます。多面(顔がたくさんある)で手が4本、手に毒蛇を握る、という姿があります。図像はきわめて少ないです。

F執金剛(しゅこんごう、別名:仁王 におう)
金剛力士ともいいます。大きなお寺の門の左右に立っているあの仁王さんのことです。執金剛とは、金剛杵(こんごうしょ、独鈷や三鈷、五鈷といったもの)を手にとって仏法を守護するもののことをいいます。もとはインドの鬼神です。姿は、皆さんご存知のように、力強く怒っている姿ですね。筋肉隆々で表現されます。また、片方は口をあけ、片方は口を閉じています。口をあいてるほうを「阿形(あぎょう)」、閉じているほうを「吽形(うんぎょう)」といいます。
「阿吽の呼吸」の「阿吽」ですね。この「阿」とは、インドの50音の始まりの「阿字(あじ)」、「吽」は50音の終わりの「吽字」のことで、「阿吽」で「物事の始めから終わり、人の生から死」までを表しています。まあ、すべての始まりから終わりまでがお寺にはある、という意味で阿吽の姿で仁王さんは立っているんですね。

             
@散脂大将      A深沙大将      B宝蔵天女       C氷掲羅天       E襄虞梨童女      乾闥婆        迦楼羅   

   
*夜叉(やしゃ)
薬叉(やくしゃ)ともいいます。もとは、羅刹と同様、人を食らうというインドの鬼神でした。のち、お釈迦様に教化(きょうげ)され、毘沙門天の眷属となります。帝釈天の天界トウリ天の守護役を勤めているそうです。女性の夜叉女(やしゃめ)という神もあります。夜叉の妻、といわれています。

*乾闥婆(げんだつば)
もとはインドの音楽の神ガンダルバといいます。密教では、子供に禍をもたらす悪神を懲らしめるという神として祀られます。甲冑を身につけた武将形で表現されますが、図像は少ないです。

*迦楼羅(かるら)
ガルダという空想上の鳥です。金翅鳥のことです。鳥の中の王とされ、悪竜を捕らえて食う、とされています。人の姿で顔や頭が鳥、という姿で表現されることが多いです。不動明王の火焔(後ろにある炎)の中に鳥が描かれるのですが、それがこの迦楼羅です。このことから、火の鳥とも言われます。

*摩侯羅伽(まごらか)
蛇の神格化したもの。が、なぜか音楽の神として祀られました。横笛を吹いたり、歌を歌ったり、という姿で表現されます。次の緊那羅もそうなのですが、こうした音楽神は、他の神や仏・菩薩のために妙音なる音楽を奏で、供養をする、喜ばせる、という存在です。

*緊那羅(きんなら)・・・・楽器を奏でる神。鼓をもつ姿で表現される。

*天(てん)
天女や天界に住むものの総称です。天界に生まれ変わったものは、すべて「天」と呼ばれる存在に属します。ですから、あなたが、もし天界に生まれ変わったら、「天」と呼ばれるようになるのです。

*竜王(りゅうおう)
竜神です。水中に住まいである竜宮があります。お釈迦様が覚りを得たとき、二大竜王がお祝いに現れたといわれています。(その竜王の名をナンダ竜王・バナンダ竜王といいます)。竜王は、雨を操ります。ですので、雨乞いの法である請雨法(しょううほう)は、竜神に祈ることが多いです。弘法大師は、神泉苑にて竜神に雨を祈りました。ちなみに、竜神には善い竜と悪い竜があります。竜神がすべていい神であるとは限りません。また、神といえど、竜は竜です。竜神のみを祀ったり、お参りしたりするのはあまり賛成できません。竜神は、神の眷属である、ということを理解しておきましょう。竜神にお参りするのではなく、竜神を使う神や菩薩・明王をお参りしたほうがいいですね。
また、よく「私には竜神がついている」などとバカげたことを言う方がいますが、これは喜ばしいことではありません。人に使われるような竜神(人につくような竜神)は悪竜以外にはいませんから。

*阿修羅(あしゅら)
これはご存知ですよね。興福寺の阿修羅像は、大変有名です。阿修羅は、戦いの世界である修羅界の王なのですが、もとは善神です。帝釈天に自分の娘をさらわれたことを恨み、帝釈天に戦いを挑み、善神の地位から落とされてしまいました。この話だけ聞くと、なんで阿修羅が天界を追われるの?、と思うでしょう。阿修羅は悪くないじゃないか、と。確かに、阿修羅が怒るのは無理もありません。大事な娘を帝釈天とはいえ、さらわれてしまったのですから。
しかし、実はさらわれた本人・・・阿修羅の娘・・・は、それを望んでいたんです。阿修羅の娘は、もともと帝釈天の妻になることを望んでいたんです。もちろん、阿修羅にも異存はありません。賛成していました。ただ、阿修羅は普通に結婚させたかっただけです。それを阿修羅は怒っているんですね。いつまでも。
「あぁ、もっと立派な結婚式をさせたかった。それを勝手に連れて行きおって。帝釈天め〜。」
といつまでも怒り続けているから、天界を追われてしまったんです。娘は幸せなのに。
いつまでも怒り続け、帝釈天に相手にされなくなっているのに恨み続け、戦いを挑み続けるので、海中の世界へ落とされてしまったんですよ。本来は、娘思いの心優しい善神だったのです。ちょっと哀れですよね。

さて、以上、夜叉から阿修羅までを八部衆といいます。すべて、もとはインドの古い神で仏教にとっては他宗の神々でした。それがお釈迦様に教化(きょうげ)されて、お釈迦様を守護する神として仏教の神となったのです。そして、仏教を信仰するものを守る神・・・諸天善神・・・として祀られるようになったのです。
もちろん、前半に紹介した神も善神です。こうした善神は、目立たないですが、諸天善神として、御札にもその力が入れられています。あなたの家にある厄除けや祈願などの御札をよく見てみてください。「諸天善神 皆来守護」って書かれてないですか?。実は、名前も姿もよくわからない神にお世話になっているんです。たまには、「お世話になってます」と思ってあげてください。合掌。



20回目 星宿

今回は、星宿の天部についてお話いたします。
星宿の天部とは、いわば星の神のことです。古代インドは、天文学と数学が異常なくらい発達していました。とある文献には、木星の衛星についての記述がある、といわれているくらいです(どうやってみつけたのでしょうか?。望遠鏡も無い時代に・・・・)。 で、その天文学が行き着いたところが、
「星には神々が宿っており、その中でも、大きく人間に影響を及ぼしているのが北斗七星、九曜、十二宮、二十八宿といわれる星々で、それらの星は地上に生きるものの運命や運勢、災厄、寿命に大きく関っている」
ということだったのです。古代インドの人々は、それらの星に開運や息災、延命の願いを込めて祈りました。そうした習慣が仏教にも取り入れられ、「星祭り」という厄除けの法会が行われるようになったのです。我々の生活に大きく関っている星の神とはどのような神なのか、それぞれについて簡単に紹介しておきます。

@北斗七星
夜空に見える北斗七星は、皆さんよくご存知でしょう。あの柄杓形をした星座ですね。古代インドでは、この北斗七星は、特別視されてきました。この星は、特に人々の寿命に関っている、と考えられてきたのです。密教には、「北斗法・北斗護摩法」という北斗七星に祈願をする法があり、これは星祭りの基本となっています。
北斗七星には、それぞれ次のような名前がついています。(ご真言もありますが省略します)。
貪狼星(とんろうせい)、廉貞星(れんていせい)、巨門星(きょもんせい)、武曲星(ぶきょくせい)、禄存星(ろくぞんせい)、破軍星(はぐんせい)、文曲星(もんきょくせい)。
もちろん、姿かたちもあります。中国色の強い神像で表現されています。下の星曼荼羅では、中心の次の円周の上半分に描かれますし、妙見曼荼羅では中心の妙見菩薩の周囲に描かれます。
(星曼荼羅、妙見曼荼羅については、後ほどお話いたします。)


A九曜
九曜とは、一週間の曜日プラス二曜です。つまり、日曜日〜土曜日に二曜を足したものなのです。詳しくその名前を書いておきましょう。
日曜星(にちようせい・・・スーリヤ)、月曜星(げつようせい・・・ソーマ)、火曜星(かようせい・・・アンガーラカ)、水曜星(すいようせい・・・ブダ)、木曜星(もくようせい・・・ブリハスパティ)、金曜星(きんようせい・・・シュクラ)、土曜星(どようせい・・・シャナイシュチャラ)、羅喉星(らごうせい・・・ラーフ)、計都星(けいとせい・・・ケートゥ)
これらの九つの星のことを九曜というのです(カタカナ名はインドでの名前)。
これらは、太陽系の星が元となっています。日曜星は太陽ですね。月曜星は月、以下、火星・水星・木星・金星・土星に対応しています。残りの羅喉星は、日食や月食を起こす星(太陽や月の邪魔をする星があるとされていました。または、あとで述べますが、阿修羅にも関わりがあります)のことです。計都星はハレー彗星のことです。

羅喉星ですが、これは阿修羅の怒りの塊とも、阿修羅自身とも、阿修羅のため息(愚痴の塊)とも、言われています。阿修羅は、もと天界の神でしたが、帝釈天との戦いに敗れ、海中へと落とされてしまいました。その後も阿修羅は怒り続けているのですが、たまに太陽や月に怒りの矛先を向けるのです。
「オノレ〜、太陽神に月神め〜。帝釈天の味方をしおって・・・。かつては、わしの足元にひれ伏していたものを・・・。許さん。」
そう阿修羅は叫んで、太陽神や月神の邪魔をするのです。それが日食や月食なんですね。日食や月食は、阿修羅の復讐なんですね。
ところで、日曜星の神である太陽神と月曜星の神である月神は、日天や月天とは同じではありません。日天の眷属に太陽神(日曜星)、月天の眷属に月神(月曜星)がいるのです。このあたり、複雑な関係があります。一人の天部の神には、多くの眷属がいますし、名前も似たような感じですので、混乱します。実際、ごちゃ混ぜになっている解説書もあります。
また、計都星ですが、西洋の方はハレー彗星を発見したのはハレーさんだと思っているようですが、とんでもありません。古代インドの人々や古代中国では、よく知られた星でした。誰が発見したかはわかりませんが、古代インド人や古代中国人はほとんどの人々が知っていたのではないでしょうか。災いの星としてね。

これらの星は、その年の幸運・不運を司ると考えられています。現在でも行われている九星占いは、この九曜が元となっています。このHPでも今年の運勢や今月の運勢が載っていますが、この九曜の動きを見て運勢を割り出しているのですよ。ですので、生まれ年によって、毎年どの九曜に当たるかはわかりません。今年の運勢表をご覧ください。ちなみに、日曜星は吉運、月曜星も吉運、火曜星は凶運、水曜星は末吉、金曜星は半吉、土曜星も半吉、羅喉星は凶運、計都星も凶運です。

九曜は、星曼荼羅では北斗七星と同じ周の中の下半分に描かれます。妙見曼荼羅では登場しません。


B十二宮(じゅうにくう)
西洋占星術で言う十二星座とほとんど同じです。西洋の十二星座は黄道上の星座ですが、この十二宮も黄道上の星座なのです。ですので、すべて一致しているわけではないですが、大変似ています。ちょっと比較してみましょう。右側が十二宮です。
牡羊座・・・白羊宮(びゃくようくう、メーシャ、羊の図)
牡牛座・・・牛密宮(ごみつくう、ヴリシャ、牛の図)
双子座・・・夫婦宮(ふうふくう、ミトナ、男女の姿)
蟹 座・・・巨蟹宮(きょかいくう、カルカターカ、蟹の図)
獅子座・・・師子宮(ししくう、シンハ、ライオンの図)
乙女座・・・少女宮(しょうにょくう、カンヤー、少女の姿)
天秤座・・・秤宮(ひょうくう、ツラー、天秤を持った老仙人の姿)
蠍 座・・・蝎虫宮(かっちゅうくう、ヴリシュチカ、蠍の図)
射手座・・・弓宮(きゅうくう、ダヌ、弓矢を持ち歩く天人の姿。下半身が馬となっている図もある)
山羊座・・・摩竭宮(まかつくう、マカラ、摩竭という怪魚・・・一説にシャチホコのこと・・・の図)
水瓶座・・・賢瓶宮(けんびょうくう、クンバ、宝瓶に蓮華の蕾を三つさした図)
魚 座・・・双魚宮(そうぎょくう、ミーナ、二匹の魚の図)
どうですか、ほぼ一致するでしょ。この十二宮も占星術に使いますが、西洋占星術ほどの使い方はしません。基本的な性格判断程度に使うだけです。本格的な占星術に使うのは、次の二十八宿です。
十二宮は、星曼荼羅では外から二番目の円周の中に描かれます。妙見曼荼羅にはありません。


        

A、星曼荼羅                  B、妙見曼荼羅
C二十八宿(にじゅうはっしゅく)
月の一ヶ月間の運行経路上にある28の星の神のことです。この28の星の神は、人々が生まれ持った性格や運勢、相性、適職などを支配している、といわれております。また、日の吉凶についても司っています。ですので、この28宿(実際に使用するのは27宿、牛宿を除く)は、ある人の運勢を占ったり、性格を見極めたり、また周りにいる人間と自分との相性や男女の相性を占ったり、適職を選んだり、自分にとって運のいい日や行事を行っていいか悪いかの判断等をするために重要な役割を持っているのです。この占いの方法が、密教占星術といわれる宿曜法なのです。この占星術の元になっているのが、「文殊菩薩及諸仙所説吉凶時日善悪宿曜経」、略して「宿曜経」というお経なのですよ。

ちなみに、28宿の名前(漢訳の名前)だけ紹介しておきます。姿に関しては、省略します。どうしても知りたい、その図像が見たい、という方は、うちのお寺に節分の日に来てください。その日は、星祭りの法会を行っていますので、星曼荼羅を掛けて、星供養護摩を修法します。じっくり星曼荼羅を拝める日でもあります。この日以外は、公開しません。28宿の名前は次の通りです。
東方・・・昴宿(ぼうしゅく)、畢宿(ひっしゅく)、觜宿(ししゅく)、参宿(しんしゅく)、井宿(せいしゅく)、鬼宿(きしゅく)、柳宿(りゅうしゅく)
南方・・・星宿(せいしゅく)、張宿(ちょうしゅく)、翼宿(よくしゅく)、軫宿(しんしゅく)、角宿(かくしゅく)、亢宿(こうしゅく)、宿(ていしゅく)
西方・・・房宿(ぼうしゅく)、心宿(しんしゅく)、尾宿(びしゅく)、箕宿(きしゅく)、斗宿(としゅく)、牛宿(ぎゅうしゅく)、女宿(じょしゅく)
北方・・・虚宿(きょしゅく)、危宿(きしゅく)、室宿(しっしゅく)、壁宿(へきしゅく)、奎宿(けいしゅく)、婁宿(ろうしゅく)、胃宿(いしゅく)
二十八宿は、星曼荼羅では一番外側の円の中に描かれます。


さて、「宿曜経」には、今まで書いてきたような、北斗七星や九曜、十二宮、二十八宿の星の神々についてのことが詳しく説かれています。その内容は、主に占星術なのですが、その他に付随するものとして、星曼荼羅(北斗曼荼羅ともいう)、または息災延命・開運厄除の祈願法なども説かれています。それをもとにして行われる祈願祭が「星祭り(星供養)」なのです。星祭りでは、北斗法を用いて、一字金輪頂王、北斗七星を中心に九曜、十二宮、二十八宿の星の神々に祈願するのです。その際には、北斗曼荼羅を祀ります。

次に、その星曼荼羅についてお話いたしましょう。星の神々を描いた曼荼羅には、大きく分けて星曼荼羅(北斗曼荼羅)、妙見曼荼羅の二種類があります。上の写真を参考にしてください。
A、星曼荼羅・・・正式には北斗曼荼羅といいます。一字来輪頂王(いちじきんりんじょうおう)という如来を中心にし、その周囲に北斗七星と九曜、次の周囲に十二宮、最外円に二十八宿を配します。多くは、神の姿で描きますが、梵字で表現された北斗曼荼羅もあります。なお、一般的に北斗曼荼羅は円で描かれますが、長方形式の北斗曼荼羅もあります。
星祭りには、主にこちらの北斗曼荼羅が使用されます。宿曜経をもとにした曼荼羅は、この北斗曼荼羅だからです。宿曜経に説くところの星の神々を表現しているのは、北斗曼荼羅なんですよ。

B、妙見曼荼羅・・・妙見菩薩というのは、菩薩には属さずに天部に属します。北極星の神のことで、北斗七星を支配します。そのために星供養に用いられるのです。妙見曼荼羅は、中心に竜の背に乗った妙見菩薩を描き、その周囲に北斗七星を描きます。この場合、星で表現したり、神の姿で表現したりします。その周りに干支を配します。干支は、獣頭人身の姿で、甲冑をつけた将軍として表現されます。この妙見曼荼羅にも円形のものと長方形のものとがあります。
こちらの曼荼羅は、宿曜経によって描かれているのではありません。ですので、星供養には用いることはありますが、星に関連した神が描かれるのは、北斗七星だけなので、本来の北斗法にはあわないと思われます。

以上、星宿部についてお話いたしましたが、星に神々があり、我々も星の影響を受けている、という考えは、私たち人間も宇宙の一員なのだという認識を与えてくれます。こうしてみてみると、古代の人々の方が、現代人よりも宇宙的視野で物事を捉えることができたのでしょう。現代の人々は、もっと自分たちが宇宙の中の存在である、ということを知った方がいいのかも知れませんね。合掌。



21回目 その他の神様

今回は、名前は知られているけどよくわからない、そんな神様についてお話しましょう。身近にはよく聞くけど、その実態は知られていない、そんな神様の話です。仏教で説く、天部の神々からはちょっと外れますが、仏教にも関わりがあるので紹介しておきます。

*八幡様
八幡神社、といえばわかりますよね。全国各地にたいていは、あるのではないでしょうか?。さてこの八幡神社の祭神である八幡様とは、どんな神様なのかご存知でしょうか?。
八幡様というのは、もとは「応神天皇」です。応神天皇はご存知でしょうか?。応神天皇は、第5代天皇で、仁徳天皇の父親でもあります。5世紀前後に政務を執り行ったらしい方です。詳細は定かではありません。
ということですので、八幡様というのは日本古来の神道の神様なのです。(一説によると、八幡は「ヤハタ」であり、「秦氏」の関係の神ではないか、という説もあります。秦氏ですので、それは製鉄につながります。したがって、八幡神は、製鉄の神ではないか、とも言われているそうです。また単に焼畑の神ではないか、という説もあります。こちらはヤキハタ→ヤハタとなった、という説ですね。そのほかにも色々な説があります)。
が、しかし、仏教が日本に伝わって、神道と一緒になってしまった結果、生まれてしまったのが、「八幡大菩薩」なのです。
神道には、「菩薩」という存在はありません。もちろん、「如来」もありませんよね。神のみです。色々な神様がいますが、神以外の菩薩や如来、というものはないのです。しかし、八幡大菩薩という菩薩が生まれてきてしまったのです。完全なる神仏習合体です。
これには、本地垂迹説(ほんじすいじゃくせつ)という考え方が絡んできます。簡単にいいますと、日本の神々は、如来や菩薩の化身である、という説です。たとえば、天照大神は大日如来の化身、ということですね。この本地垂迹説によると、八幡神は「阿弥陀如来の化身」となるのです。この説は、平安時代には定着していたようです。有名な石清水八幡宮には、石清水八幡曼荼羅という曼荼羅がありまして、これによると八幡宮の三社は、阿弥陀三尊(阿弥陀如来、観世音菩薩、勢至菩薩)に置き換えられる、とされます。
(このほかにも、熊野曼荼羅が有名です。熊野神社の祭神がすべて如来や菩薩に比されています)。
つまり、八幡神は、「応神天皇」であり、「阿弥陀如来」であり、「阿弥陀如来の化身の菩薩」(これが八幡大菩薩)でもあるのです。神仏習合により、それが定説になってしまったのですね。
なお、僧形八幡神(そうぎょうはちまんしん)なる像があるのですが、この像は、お地蔵様の姿をした八幡神です。まさに、八幡大菩薩・・・です。


*金毘羅さん
香川県にあります金毘羅神社はどなたもご存知だと思います。しかし、その祭神は知ってますか?。一般的には、海の神だとか、船の安全を守る神だとか、商売繁盛の神様だとか、言われておりますね。しかし、その元の神様は・・・・?。
実は金毘羅さんというのは、薬師如来の周りを固め守護する十二神将のうちの一人、宮毘羅(クビラ)のことなのです。ですので、金毘羅さんは、日本古来の神ではなく、仏教の天部の一人なのです。宮毘羅は、元の発音は「クンビーラ」ですので、金毘羅の方が近いですね。
本来は、薬師如来を守護するのが役割です。また、お釈迦様がいらしたころのマガダ国の都をを守護する神でもありました。そこから転じて、香川県松尾寺の伽藍を守護する神として祀られ、その後、金毘羅さんとして独立したのです。ですので、金毘羅さんは、香川県、いや四国全体を守護している神なのです。


*権現様
権現というのは、「権」という言葉と「現」という言葉からできています。「権」というのは「仮に」という意味です。「現」は「現ずる」という意味ですね。ですので、「権現」というのは、「仮に現じたもの」という意味になります。じゃあ、誰が仮に現じたのか・・・・。それは、仏様であり、菩薩様であります。
仏・菩薩が、より人間に近い存在として現れたのが「権現様」なのです。人間により近い姿ですから、それは狩衣を着た神であったり、山ノ神として祀られる存在であったりします。最も有名な権現様に、「蔵王権現」という権現様がいらっしゃいますが、この権現様は、弥勒菩薩の化身といわれています。
昔々のこと、役行者(えんのぎょうじゃ)が金峰山中で修行をしていたとき、この乱れた世界を救うには弥勒菩薩のような優しい姿ではダメだ、と仏様に祈ったところ、弥勒菩薩が恐ろしい姿に変化して、「これよりは我を蔵王権現として祀れ」と言ったとか・・・。以来、金峰山では蔵王権現を本尊としてお祀りしているのです。
権現様は、どこにでもいらっしゃいます。身近な存在です。しかし、それはすべて仏・菩薩の変化身なのですよ。


荒神様
かまどの神様、といえばわかるでしょうか?。昔は、かまどの上に「荒神様」の御札をはってお祀りしたそうです。かまどがなくなった今でも、台所に荒神様の御札をはったりすることがあります。そもそも台所の神ですからね。
ところが、実は荒神様を説くお経はないのですよ。日本古来の神が、仏教と出合って、荒神という神を造り出した・・・という説もあります。いずれにせよ、荒神様の由来は定かではないのです。
ですが、荒神伝説は各地に残っています。荒神というくらいですから、もとは「荒ぶる神」であったようです。たとえば、日光。日光はもとは「二荒」と書いたそうです。よく荒れた土地だったようですね。で、そこには地を荒らす荒神がいたのです。それを弘法大師が鎮めた・・・で、名前を「日光」に変えたのだそうです。本当かどうかはしりません。伝説です。
高野山にも荒神伝説があります。弘法大師が高野山を修行の地として整地しようとしたところ、その地にもともといた荒神が邪魔をしたのだそうです。で、弘法大師は法力によって荒神を高野山から追放し、立里(たてり、高野山の外れの山)に封印したのだそうです。それが、今日の立里荒神であり、高野山の守護神になっているのだそうです。
まあ、伝説は色々ありますが、いずれにせよ荒神様というのは、地の神の一種であるようです。地主神の一人なのでしょう。ですので、粗末にすると、祟りますよ。


*風神・雷神
仏教では、風神は風天、雷神は帝釈天として解釈しています。日本には古来より雷神を「鳴神(なるかみ)」として祀られています(賀茂神社の御神体でもあります)。
風神・雷神として一対にするのは、千手観音の眷属である二十八部衆の中に風神と雷神が一対になっていることに由来します。東京の浅草寺では、寺門にこの二神を祀るので、「雷門」という名がついているのだそうです。
風神・雷神は、建仁寺にある俵屋宗達が描いた屏風絵が有名ですね。

                  

   僧形八幡             蔵王権現             青面金剛(庚申)

道祖神
さへ(塞)の神と呼ばれています。本来は、村落を外敵・・・疫病や災いをもたらすもの・・・から守るための神のことです。結界の神、境界の神ですね。また生死も司る神ともいわれているそうです。さらには、道路神として、旅人の安全を守る神でもあります。
仏教の影響を受け、六道輪廻にちなんで「六観音」や「六地蔵」を道祖神として祀る村落もあります。よく田舎の山道や田んぼの中の道を通ると六地蔵さんが祀ってあることがありますよね。この場合の六地蔵尊は、村に疫病神(あとで話します)が入り込まないようにという、結界のためのお地蔵様なんですよ。その他に男女の神像や丸い石、「神」や「神霊」と書いた石を置いたりするところもあるようです。
いずれにせよ、村の番人という役割の神ですね。


庚申
こうしんさん、です。庚申塚、と書かれている石を見たことはないでしょうか?。それは、その昔、その地に庚申様が祀られていたのでしょう。庚申様は一時期、大変流行った神様なのです。で、庚申塚は、その名残なんですね。
庚申様は、別名・青面金剛(しょうめんこんごう)として祀られます。六本の腕を持ち、憤怒の形相をしています。もとは、疫病や鬼病を流行させる神で、次に話す疫病神の仲間でした。そこから転じて、病魔や悪鬼を寄せ付けない神として祀られるようになったのです。
そこへ、中世以降、道教思想と混合され、庚申信仰が生まれます。それは庚申講という行事にもなりました。道教の説によると、人間の身体の中にはサンシ虫という虫がいて、60日ごとに巡ってくる庚申の日の夜にその虫が天帝(帝釈天のこと)に人間の罪とがを言いつけに行くのだそうです。サンシ虫の報告を受けた天帝は、その報告によって、罰を与えたり、寿命を縮めたりするのだそうです。なので、サンシ虫を身体の外に出さないために庚申の日は一晩中寝ないで起きているんです。それが庚申講なのです。サンシ虫を身体から出さなければ、病気にはならない、寿命は縮まない・・・・つまり、病魔には襲われない。こうして疫病の神であった庚申は、病魔を寄せ付けない神となったのです。
庚申さん=青面金剛は、もとは疫病の神であったため、恐ろしい存在でもあります。一つへそを曲げると、祟ります。この祟りは大変なものです。村一つが疫病で全滅・・・ということもあるくらいです。なので、庚申講が廃れてしまうと、塚を造って供養をしたのですね。庚申講が行われていたところでは、青面金剛が祀られていたでしょうから。祟り封じのために塚を造ったのでしょう。
ちなみに、「見ざる、言わざる、聞かざる」の三猿神も庚申の本尊です。


疫病神
やくびょうがみ、です。本名を行疫流行神(ぎょうやくるぎょうじん)といいます。毎年毎年村々にやってきて、疫病を流行らせる神様ですね。流行り病の神です。この神は、誰もが恐れる神ですよね。できれば来て欲しくないし、会いたくないです。なので、疫病神が来ないように、前もって祈ったりします。しかも、その疫病神は、毎年同じ疫病神が来るとは限りません。流行り病に様々な種類があるように、疫病神にもいろんな神がいるのですよ。ですから、疫病神が来ないように祈るときは、
「当年行疫流行神(とうねんぎょうやくるぎょうじん)」
とお唱えします。今年の流行り病の神様、ということですね。
私たち真言宗の僧侶は、ご本尊の供養法の中で、この当年行疫流行神も含めて、供養いたします。嫌って仲間はずれにしたりしません。仲間外れにしたりすると、祟るかも知れませんからね。というか、密教はあえて仲間外れを作りません。どんな神や魔物も仲間としてしまいます。なので、疫病神も供養の対象の中に入っているのです。
ちなみに、注連縄や高野山で使用している絵絹は、この疫病神除けも兼ねてます。また、疫病神の中には、疱瘡神のように病名がついて特別扱いになっている疫病神もいます。庚申(青面金剛)ももとは疫病神の仲間でしたが、人間側に寝返った神です。


貧乏神
貧乏の神様ですね。この神には絶対会いたくないです。とり憑かれたら大変です。あっという間に貧乏になってしまいます。どんなに財産があろうとも、どんなに資産を持っていようとも、一気に無一文です。それが貧乏神なんですね。
貧乏神は、一説にはいろいろな神様をお参りしすぎるとやってくる、とも言われています。つまり、あっちの神様、こっちの神様、そっちの神様などと欲深く神頼みした入りすると、
「そんなに神様の助けがいるのなら、じゃあワシも・・・。」
といって、貧乏神も一緒にやってきてしまうんだそうです。で、貧乏神が来てしまうと、他の善神は一緒になるのを嫌がって去ってしまうのだそうです。結果的に残るのは貧乏神のみ。神頼みしていた欲の深い願主は、一気に貧乏へ・・・。
祈っていた者が貧乏になってしまうと貧乏神は去っていく・・・・ことはありません。いつまでも貧乏神は残っています。なので、貧乏神にとり憑かれたら、ず〜っと貧乏のままなのですよ。貧乏神を取り去る方法は、一つしかありません。それは、貧乏神を祀ってあげ、死に物狂いで働くこと、です。昼夜なしに働いて働いて働いて働き続けることです。貧乏神を祀って・・・・。
すると、やがて貧乏神は福の神に転じます。そうして福を授けて去るのです。
「よく頑張ったのう。おかげでワシも福の神になれたわい。お礼に福を残しておいてやろう。」
といってね。こうなれば、大成功です。また元の、いや元以上の財を築けるでしょう。これが貧乏神から救われる唯一の方法なのですよ。もし、あなたが貧乏神にとり憑かれてしまったら、怠ることなく昼も夜も必死になって働いてください。そうすれば、必ず貧乏神は福の神となって、福を授けてくれるでしょう。
ちなみに、貧乏神の姿は、やや腰が曲がり、ボロをまとい、無精ひげを生やした痩せ細った老人です。なので、無精ひげやボロの着る物は、やめたほうがいいと思いますよ。最近流行ってますよね。わざわざ穴のあいたジーパンをはいたり、汚い口ひげやあごひげを生やしている方。それと、部屋を片付けられない、ごみを捨てられない、という方。こういう方は、貧乏神が仲間だと思いますので、気をつけましょう。


このほかにも、わが国には様々な神様がいます。それはもともと日本にいた神であったり、あとから神に祀り上げられた奇人?であったり、怨霊であったり・・・・。日本は、本当に神の多い国です。いわゆる八百万の神ですね。こうした神様については、仏教の神とは離れてきますので、ここではお話はしません。興味のある方は、神道系の本や民俗学の本で調べてみてください。結構楽しいですよ(妖怪系の本にも掲載されている神もいますけどね)。
合掌。



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