((PART2))


 もし幸いにして、英国戦艦Pinaforeのコーコラン船長役を演じている8年生のブレンダンを観た人がいるとしたら、彼が初めて『プロの俳優になろう』と思った瞬間を目撃したことになる。だが、シアトル郊外のレッドモンドにあるSacred Heart教区立学校での<デビュー>は決してさい先の良いものではなかった。数週間後NYで再び会った時に、ブレンダンがその時のことを話してくれた。
 「ケープを空中に投げ上げたら、頭の上に落ちちゃたんだ。そしたら、観客の大笑いが聞こえてきた。ケープの暗闇の中で、『闘うか逃げるか?・・・このまま家に帰っちゃおうか?それとも、続けようか?』って、自分に問いかけていたよ。」

 演ずれば演ずるほど、ブレンダンは今まで知らなかったものが心に沸き上がってくるのを感じていた。それは、<集団に属している>という感覚だった。
 引っ越してばかりいた生活を振り返る時、彼は、自分の子供時代をいろいろな画像の連続として思い出す。オタワに居る時に滑ったリドゥ運河、オランダ時代に訪れた、アムステルダムにあるアンネ・フランクの家・・・やがて、スライドの回転木馬はスピードをゆるめ、ハイスクール時代で止まる。トロントのUpper Canada Collegeという名門の寄宿学校である。やっと落ち着けるということはとても嬉しかったのだが、ブレンダンは、ここで若者としての大きなジレンマに遭遇したのだった。

 カナダの名士の息子達と共に学んだ年月で、彼は「高貴な生まれとそうでない者とは別々」だということを知った。「かなり見下されていたからね。でも、(家から遠く離れていることで)自分のやりたいことが出来た。」
 いじめられることは言うに及ばず、くだらないからと言う理由で演劇クラブを解散させられたりもした。それでも、ブレンダンは緑溢れる中庭の真ん中で過ごす時間が大好きだった。
 最終学年に上がる前の日、彼の父はカナダ政府の役職から退いて、Holland American Linesの重役になった。その結果、授業料の補助金が受けられなくなったブレンダンは退学せざるを得なくなる。「ショックだった。厳しい現実社会に入る前の最後の一年をあそこで過ごすのをとっても楽しみにしていたのに・・・。ほんとにがっかりしたよ。」と言って、懐かしい寄宿舎の部屋を思い返す。「でも、きっぱりあきらめて、今まで先延ばしにしてきたこと---俳優になるための訓練を受ける---を始めようと決心したんだ。」

 Labor Day(9月第一月曜日)の数日前、17歳のブレンダンは、シアトルにあるCornish College of the Artsという小さな学校に入学するためのオーディションを受けた。Cornishでは、映画に出演するのは<退廃的>なことだとされており、ブレンダンは舞台俳優としての訓練を始める。生徒によって制作されたクリストファー・デュラン作"The Marriage of Bette and Boo"に主演し、彼は、友達との付き合いを犠牲にしてまで劇に没頭した。
「ブレンダンは人と一緒に行動することがなかった。いつも、ちょっと<アウトサイダー>だったね。」と、CornishのHal Ryder教授は、自分が育てた優秀な生徒について、電話で語ってくれた。「彼はときどき、『自分はみんなとは違うんだ』と感じるようだね。人と一対一で向き合うんだ。結婚式では、まわりに良い友達がたくさんいるというのに、わざわざ私と話す機会を2度も作ってくれた。10分か20分くらい一緒に座ってただ話をしただけだが・・・。彼の演じるアウトサイダー的な役というのは、彼自身にもあてはまるところがあるのだと思う。」

 Cornishを卒業した後、ブレンダンは一年間地方劇団でプロとしての<実習>をし、“恋のドッグファイト”という映画('91のナンシー・サヴォカ監督作)で、役を得る。彼が最初にスクリーンでしゃべったセリフは宝石のように貴重なのだ。---"How would ya like to eat my shit?"---シアトルでの撮影にはたった一日参加しただけだったが、主演スターのリヴァー・フェニックスに出会ったことで、ブレンダンの人生が変わった。
「リヴァーは敵意でいっぱいの人なんじゃないかって予想してた。」と、彼は言う。「彼にはよそよそしく冷たくして欲しかったんだ。でも、ほんとに優しくていい人だった。全く、戸惑ってしまったよ。僕は、俳優はLAにいれば仕事があるものだと思い違いをしてた。すごく<ネコをかぶって>いたんだ。だって、もし一本でも映画に出ていたら、僕もさっさとLAに行ってただろうから。で、その夜、家に帰る途中で考えたんだ。『LAに行こう!それがいい。シアトルで<実習>なんかやってる場合じゃない。舞台には、もっと後で、NYででも立てるじゃないか!』ってね。」
リヴァー・フェニックスに感謝!だ。・・・ということで、ブレンダンはマウンテンバイクを車に積んで南に向かった。

 とは言え、リヴァーとブレンダンというのはちぐはぐな組み合わせではある。前者はコカインとヘロインのやり過ぎ、後者はマンガのキャラクターを演じ過ぎるという運命にあったわけだが。リヴァーが足繁く通ったという(どちらかというと見苦しい)場所は、ブレンダンに言わせると「僕にはまるで縁のない世界だった」そうだ。'93にリヴァーの死を聞いた時、彼は大きなショックを受けた。「悲しかったよ。本当に有望な一人の俳優が、活躍の場を見つけたばかりだったというのに・・・。」リヴァーの母親が息子を賛美していた様子を未だに思い出すことが出来るという。「彼のママは、まるでとうとうと流れ続ける川のことを話しているように、穏やかだった。彼の家族のことに立ち入りたくはないんだけど、彼女のことばは僕の心に真実として響いた。リヴァーの足跡は、弟のホアキンがりっぱに継いでいるから・・・。」と、ここでブレンダンは一息おいてから、彼がリヴァーの死を深く悲しんだ理由を、もう一つ聞かせてくれた。「リヴァーは僕にとって、羅針盤の中にあるひとつの方位のような存在だったんだ。」
しかし、リヴァーが死ぬ頃にはブレンダンも気が付いていた・・・二人が共演できたのは、全く思いも寄らないようなことでもないのだと。「(映画界の)キャンパスは狭くなってきていたからね。」

 事実、ブレンダンは、全く違う2つの作品で・・・“原始のマン”では、ポーリー・ショアと共演し、ニューイングランド地方の名門寄宿学校での反ユダヤ問題を扱った“青春の輝き”で主役を張るという・・・映画界への力強いデビューを飾っている。
フランシス・F・コッポラ監督作“ランブル・フィッシュ”と同様に、“青春の輝き”のキャスト(マット・デイモン、ベン・アフレック、クリス・オドネルなど)は、次世代のハリウッド主役俳優達のロゼッタ・ストーンのようなものだった。ブレンダンは、中でも最も重要な役、ディヴィッド・グリーンを演じた。
アメフトの腕を買われての奨学生であるディヴィッドに、コーチは、ユダヤ人であることを隠すようにアドバイスする。だが、クォーターバックの座をディヴィッドに奪われた級友(デイモン)にこのヒミツを知られて、手痛い反撃に遭うことになる・・・。

 ブレンダンは、この役を得る前に、いくつかのオーディションとスクリーンテストをパラマウントの撮影所で受けなければならなかった。だが、その時にはすでに出演契約が済まされていたようなものだった。
「オーディションというと、ほとんどの俳優達は、弱気になって臨んでしまうの。それで、エネルギーを浪費してしまう。でも、<選ばれし者>が現れた時は違うわ。ブレンダンは自信に溢れていて、役をうまく演じられるという信念が感じられたの。」と、キャスティング・ディレクターのJane Jenkinsは語る。
彼女は、十年近く前に初めてブルース・ウィリスをオーディションしたとき以来の、髪の毛が逆立つような衝撃を感じたという。


PART3につづく・・・)



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