61年前、広島が世界で初めての原爆被爆を受けた時、焼け爛れ瀕死の様子だったアオギリは、九死に一生を得、次春見事に芽を出し、葉を出し、やがて花をつけ、立派にタネを残したと言います。当時75年間も草木も生えない荒野になると言われていた広島に緑がよみがえりました。
このアオギリの蘇生を目にした広島の被爆者、市民は、そのしたたかな、強い生命力に触れ、大いに励まされました。
アオギリは、再生・復興広島のシンボルとして、そして「再び原爆を使わせない」という反核・世界平和のシンボルとして広く注目されました。
被爆アオギリは、後に被爆した場所から平和公園に移植され被爆の実相を伝える「物言わぬ語り部」としての役割を果たしています。 広島市は、その意義を重視し、およそ10年前から種子から生える苗木を被爆アオギリ二世と称し、希望する学校などへ無償で配布しました。
実際にこの被爆アオギリに励まされて生きてきた被爆者、沼田鈴子さんらが、被爆の実相を語り継ぎ、アオギリ二世を植え育てることの意義を国内外へ広めています。
目下、日本国内はもちろんのこと海外でも二世は植栽され、成長を続け、その役目を果たしています。
2004年9月に襲来した台風第16号により広島公園内の被爆アオギリ2本のうち1本が倒伏する災害が起こり、人々を心配させました。
被爆アオギリは、植え直しされましたが、はたして立派に立ち直れるか心配されています。幸い今年は青々と青葉を付け見事に蘇って花を付けています。なにかの保護・救済措置が必要かもしれません。
これを機会に、これまで被爆アオギリ2世を植え、育てている小中学校、高校や公共,市民団体、市民のいわゆる育ての親、管理者の代表が被爆アオギリの木の前に集まり、母アオギリに2世の成長の様子を報告し、激励し、あわせて今後の行動について話し合うことは、意義あることと思います。
その集まりを「アオギリサミットの集い」と名付け、参加を呼びかけます。