思えば――――
まだ陽も昇らぬ早朝のシャルル・ド・ゴール空港で、全ての運命が決定したような気がする。そう、荷物をロンドンまで持って行くと決まったあの時だ。
その日は日曜日。香港からの長いフライトを終え、パリの玄関口であるド・ゴール空港に降り立った僕達。当初の予定では、このまますぐにパリ市内に入り、一日かけて華の都の街並みを散策するつもりであった。そして、次の日はスイスへ移動し、最後にドイツへ、というところまで計画を練っていたのだ。
だが結局、僕達はそうしなかった。それどころか、その日以降の計画をすべて大きく変更してまで、あえて翌日の月曜日にパリをまわることにしていた。理由は簡単である。パリ市内のシャンゼリゼ大通りにある、プジョーのブティック併設のショールームに行くためだ。このショールームは、ちょうど日曜日が定休日だったのである。そんなことで…と思う人もいるかも知れないが、僕にとってはとても大事なことだったのである。
そこで、パリ観光をやめたこの日、僕達は思い切って、ド・ゴールで飛行機を乗り継いで、ロンドンに行くことにした。夜には、国際列車ユーロスターを使い、ホテルを予約してあるパリに戻ってくるという、いわばフランスからイギリスへの日帰り海外旅行だ。予約したロンドン・ヒースロー空港行きの飛行機への乗り継ぎには時間の余裕があったので、僕達は一度パリ市内に入り、宿泊するホテルに荷物を預けることにしていた。身軽な状態でロンドンに行きたかったのだ。
しかし、ド・ゴールでそんな僕達の前に立ちはだかったのが、長い長い入国審査の列であった。前方を見てみると、早朝のせいか係員は2人だけで、大勢の人の列が流れる気配は全くない。もちろん、ここを通らないわけにはいかず、ただ待つだけで何もできないまま、貴重な時間がどんどんと過ぎ去っていく。気が付いたときには、パリ市内に一度寄ってから確実に空港に戻ってくることは、到底不可能となってしまっていた。
こうして僕達は、重いリュックを背負ったまま、ロンドンへ行かざるを得なくなったのである。
途切れた円
ロンドンでの楽しい時間は、あっという間に過ぎた。これから、パリに着く最終の列車で戻らなければならない。今、僕達がいるタワーブリッジから、ユーロスターの発着するウォータールー駅までは、そう遠くはない。だが、僕達は一度、最初にヒースロー・エクスプレスで降り立ったパディントン駅に戻らなければらなかった。ロンドンまで運んできてしまった重たい荷物が、パディントン駅の荷物預かり所にあったからである。かなり回り道になるが、それでも今から行けば十分に間に合う、そういう時間だった。「そしたら、サークル・ライン(地下鉄の環状線)でパディントンに行こうよ。ここの区間を乗れば、サークル・ラインを今日一日でちょうど一周することになるし、いいじゃん。」そう提案したのは、僕だった。
しかし、僕達の乗ったサークル・ラインの列車が途中のファリンドン駅に到着したとき、この悲劇の幕は開いた。なんと、他の乗客が何事もなかったように、ぞろぞろと降車し出したのである。それだけではない。みんな出口へ向かっているのだ。不思議に思い、駅の案内板を見てみた。すると、何とこの先が工事運休になっているではないか。乗車したタワー・ヒル駅では、そんな説明は全くなかったはずなのに。
ここで初めて、ユーロスターに乗れないのでは、という不安が僕達を襲った。ユーロスターは、乗車前に空港同様のチェックが入るため、遅くとも発車20分前までには行っていなければならない。この足止めは、僕達にとっては、かなり致命的であった。
ふと振り返ると、駅員らしい恰好をした女性がいた。この運休に関してのガイドをする係のようだ。聞くと、どうやらすぐ近くから、代行バスが出ているようなのである。それに乗ればパディントンには行ける。しかし、バスで怖いのは渋滞だ。渋滞にはまってしまったら、もしかしたらユーロスターの時間に間に合わなくなってしまうかもしれない。ロンドンの道路状況などまったくわからない僕達にとって、これはリスクの大きすぎる賭けであった。
他にいい案はと思い、持ってきた地図を開いてみる。すると、地下鉄の路線図ではわからなかったのだが、このファリンドン駅から500m程の距離に、セントラル・ライン(地下鉄の中央線)のチャンスリー・レーン駅があることに気付いた。このセントラル・ラインに乗れば、途中でパディントン行きの路線に乗り換えられる。そう思った僕達は、チャンスリー・レーン駅を目指して勇んで歩き出した。何とか間に合いそうな目途は立ったのだ。
しばらく歩くと、ロンドン地下鉄の“UNDERGROUND”マークが見えた。チャンスリー・レーン駅だ。だが、何か様子がおかしい。人が地下へ出入りしている気配が全くないのだ。僕達は嫌な予感がした。そして近づいてみると案の定、階段にシャッターが下りているではないか。僕達は愕然とした。何ということだ・・・タワーブリッジに行く際に使おうとしたテンプル駅もそうだった。このチャンスリー・レーン駅も、日曜日は閉まっている駅だったのだ。
僕達の不安は、ここでかなり現実味を帯びた“焦燥”に変わった。僕達の乗るのは最終の列車なのだ。これに乗り遅れるということは、ユーロスターもパリの宿もキャンセルし、その上ロンドンに取り残され、新たな列車と宿を取り直さなければならないということである。それだけではない。明日一日しかないパリでの観光が、半日になってしまう。だが、うろたえていても何も始まらない。ここまで来たら、とにかくセントラル・ラインの次の駅まで行くしかない。僕達は遂に駆け足となった。
ようやくのことで次のホルボーン駅に駆け込む。とはいえ、時間はかなり厳しくなっていた。セントラル・ラインからパディントン行きの路線に乗り換えられる駅は2つ。だが、乗り換えにもそれなりの時間がかかるだろうし、どちらから行っても、もう間に合わない…。すがる思いで再び地図を開く。すると、やはり路線図ではわからなかったのだが、このセントラル・ラインのランカスター・ゲート駅は、乗換駅ではないものの、パディントン駅から5〜600m程のところにあるではないか。これなら、東京に例えれば、千代田線の湯島で降りて上野駅へ行くようなものだ。「よし。ランカスター・ゲートから走ろう」
ランカスター・ゲート駅を出てからは、もう必死だった。僕達は、脇目も振らずに走った。とにかく、パディントンから1本でも早い電車に乗って、ウォータールーへ行かなければならない。またその前に、リュックも受け取らなくてはならないのだ。
息を切らせてパディントン駅に着き、構内の人込みを縫うように駆け抜け、荷物預かり所へ飛び込む。かなり焦る僕達。だが、そんな焦りをよそに係員はマイペースで、しかも僕のリュックと間違えて、赤の他人のカバンを取り出してくる。「It’s not mine!」それは僕の口からこの旅で初めて出てきた、極めて自然で流暢な英語であった。
何とかしてリュックを受け取った僕達であるが、同時に体力の消耗も倍増することになる。急がなければならないのに、10日分の荷物という重いハンデも背負ってしまったからだ。それでも再び、ひたすら走る。そして地下鉄に乗るのだが、席が空いていても立ったまま動かない。座るという動作に、体力を使う余裕もなかったのだ。ウォータールーに着き、またもや走る。だがもうほとんど時間は残っていない。ようやくユーロスターの改札へ…
…僕達の乗る列車は、まだチェックイン手続きを行っていた。間に合ったのだ。パリに行けるのだ。僕達は安堵の気持ちでいっぱいになった。とはいえ、もう二度とこんな思いはしたくない。
そうして息遣いも落ち着いてきた頃、一緒に旅をしていた伝統工芸さんがつぶやいた。「考えてみたら、パリに行くユーロスターだったら一時間後にあと1本あったから、これに乗り遅れたとしてもなんとか(パリには)行けたんだな。」
そう、僕達の乗ったユーロスターは、実はパリ行きではなかったのである。
繰り返される悲劇
乗り違えたわけではない。僕達は、あえてベルギー・ブリュッセル行きの最終のユーロスターに乗っていた。理由は簡単である。ユーロスターだけでなく、フランスの高速列車TGVにも乗るためだ。今回の旅の中でTGVに乗れるチャンスはここしかなく、ブリュッセル行きのユーロスターが途中停車するフランスのリールまで行き、そこから始発のパリ行き最終のTGVに乗り換えて、パリに入ることにしていたのである。そんなことで…と思う人もいるかも知れないが、僕達にとってはとても大事なことだったのである。
僕達の乗ったユーロスターは、宵闇のロンドンを静かに走っていた。同じ車両にはベルジウム・カラテの一団が乗り合わせ、その陽気にはしゃぐ姿に、この車両の国際性を感じずにはいられない。今日一日いろいろあったが、あとはリールで乗り換えるだけだ。先程までの激走の疲れは、少しずつではあるが確実に和らいできていた。
しかし、運命のいたずらが再び僕達を振り回し始めた。僕達の乗ったユーロスターがリール・ヨーロッパ駅に到着する予定時間は、22時30分。だがその時間になっても、全く到着する気配がないのだ。またそれが当然の如く、遅れが出ていることに関しての車内放送は一切入らない。ようやくリールに近付いたユーロスターが速度を緩めたとき、すでに20分近い遅れが出ていた。次に乗るパリ行きのTGVの発車時間は23時。10分あればなんとか乗り換えは可能だろう。普通ならば、だ。
だか実は、TGVが発車するのはリール・フランドル駅。同じリールとはいえ、リール・ヨーロッパとは別の場所にある駅なのだ。それでも30分あれば、かなり余裕を持って移動できたはずだったのだが、正直なところ10分というのは相当厳しい。またもや僕達は、焦燥に駆られた。今度こそ乗り遅れたら、後はない。本当に最終のTGVなのだ。またもや走らざるを得ないであろう。僕達は覚悟を決めた。
ようやくユーロスターはリール・ヨーロッパ駅に停車した。だがここで、僕達の覚悟をあざ笑うかのような大アクシデントが発生する。ここからは一刻を争うというのに、なんと列車のドアが開かない。ボタンを何度押しても開かないのだ。
動揺、焦燥、絶望。言い尽くせない負の感情が僕たちに湧きあがる。この日これまでの数々のアクシデントを考えると、このままドアが開かない‥なんていうことは十分に起こり得ることだ。そうなれば、TGVに間に合わないどころか、ベルギーに行ってしまうではないか。ドアの前でうろたえる僕達を乗せたまま、無情にもユーロスターはゆっくりと動き始めた。終わった・・・。明日の朝食はワッフルだ。
愕然とするなかユーロスターが動き出したのは、今までとは逆の方向であった。だが、不思議に思う間もなく列車は再び停まり、ここでボタンを押すと、ようやくドアが開いた。
どうやら運転士が停車位置をオーバーしてしまい、やり直すためにバックしたようだ。だいぶ遅れている上に停まり損ねるという、これでもかという程の時間のロス。一分一秒も無駄にできない状況の中、このダメ押しは効いた。なんとかリールに降り立つことが出来た僕達であるが、その時すでにTGVの発車時間まで10分を切っていた。ウォータールー駅で安心してクルマの雑誌を買い込んだ為、荷物は更に重くなっている。何よりも、リールの地図を持っていないので、そもそもどちらに行けばいいかもわからない。それでも僕達は、ただがむしゃらにリール・フランドル駅を目指すしかなかった。
そこから先の光景を、僕は一生忘れることはないだろう。リール・ヨーロッパの駅を出ると、そこは何もないところだった。ただ、駅の方向を示すような看板と、キレイに整備された通りを見つけたので、その道に賭けて走った。もし別の方向に行ってしまっていたら、もう全てが無意味となる。でも、今は走るしかない。走るしかないのだが、荷物が体に重くのしかかり、スピードは遅く、足取りも覚束ない。苦悶しながら走っていると、左手にホテルらしき建物があるのが目に入ってきた。『どうせここに泊まることになるんだ、もう休んでしまえ』悪魔が囁くのを振り払いながら、なお必死で走る。すると正面に、駅舎らしき建物が見えてきた。リール・フランドル駅だ!だが、時計を見ると、もう23時になっていた。
それでも、ここで走ることをやめる訳にはいかない僕達は、駅構内に駆け込む。すると・・・TGVがいる!!間違いない、あれだ。まだ乗れるのか。最後の力を振り絞り、突端式のホームに停車するTGVを目指してひたすら走る。だが、あともう少しでTGVの最後尾にたどり着かんとするその時、とうとう発車を告げる合図が構内に響き渡った…。「待って〜!」それは伝統工芸さんの口から出てきた、魂の叫びともいえる日本語であった。
――1時間後、僕達はパリ北駅にいた。そう、リール・フランドルの駅員さんは、僕達を受け入れてくれた。最終のTGVに乗ることができたのだ。ゆったりしたハイセンスな一等車が、疲れ切った僕達の体を優しく包んでくれた。
ロンドンからパリへ移動した結果だけをみれば、すべて予定通りの列車に乗って、パリには予定通りの時間に到着。だがその道のりは、想像を絶する過酷なものであった。僕はホテルの部屋に入るや否や、静かに眠りについたのである・・・・。
僕達を乗せてパリ北駅までやって来たTGV。ありがとう。
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