――――文献に曰く。 かつて「彼ら」は、自分たちが立っている大地を、星の全てを、自分たちだけのものだ と勘違いした。自分たちが未来永劫に繁栄し続けていくことを疑わなかった。何が起こっ ても、自分たちで必ず解決できると思いこんでいた。 だから好き勝手に自分たちの理想を実現して、代わりに星を傷つけた。 今から二二〇年前――――。 やがて、自分たちの星が、自分たちの行為によって、いずれ自分たちの生きていける環 境ではなくなってしまうことを知ると、「彼ら」は、いとも簡単に住み慣れた星を捨て、 新たな新天地を探す研究に明け暮れ、広大な宇宙を行く船を作りだし、空間と空間をつな げて超長距離を移動する手段を生み出し、死を間際にした星を残し、旅立った。 死せる星――――その名を、『母なるアース』と言った。 そして、今から一七〇年前。 母星を発った銀河航行船の一隻が、一つの惑星を発見した。 かつて住んでいた星と酷似した環境を持つその星を、彼らはすぐさま、『新天地』とす る。 星には五つの大陸が在り、一つの大陸を他の四大陸が囲んでいた。彼らは中心に位置す る大陸に下り立ち、そして――――。 そして、現在に至る。 彼らが行使していた科学力は、この星にもともと住んでいた人間にとって、あまりに高 度すぎた。いきなり空から降りてきた鉄の塊から、見たこともない格好の人間が出てきた り、それまで肉弾戦で力を発揮していた剣士が、細身な来訪者の片手にすっぽり納まって いたL字型の武器――後に、これが銃と呼ばれるものであることが分かった――にあっさ り命を奪われたり。順序をわきまえない急激なサイエンス・ショックが、この星に住まう 人々の科学に対する感覚を壊してしまった。当時、狂喜乱舞するついでに気も触れ、高々 と笑いながら投身自殺をした科学者が多かったのは、そのせいだと言われている。俗に言 う『科学の混沌』と呼ばれている時代だ。 先住していた人々は、超越された科学力に魅了され、その技術を欲しいと思った。しか し、来訪者たちはすでに長すぎる時間を宇宙の航行に費やしてしまい、何かを成す前に絶 えてしまった。結局、来訪者たちは本来の目的を果たすこともできず、ただ訪れた惑星の 先住人たちに驚異的な科学の遺物を残しただけだった。 …だが、先住人たちが、己の力でこの技術を手にしようとしたのは、言うまでもない。 彼らにしてみれば、それはあまりにも魅力的な存在だったのだ。 そうして残された超科学と、それまで先住人たちが培ってきた文化とが統合されて出来 上がったのが、現在のこの世界である。相変わらず剣士や魔道士は存在しているし、人間 以外の種族――妖精族、竜族、魔族など――も存在していて、かつてこの星に下り立った 来訪者たちが見たら、まず間違いなく『漫画か小説の世界に来たみたいだ』と口を揃えて 言ったであろう世界観である。しかし、ハンターズ・ギルドに設置された『端末』は明ら かに場違いな雰囲気を醸し出しているし、蒸気機関とはいえ鉄道が存在し、金持ちなどは 電気で夜の闇を削るというのだから、いかにこの世界の科学が来訪者によって引っ掻き回 されてしまったか、分かろうというものだ。余談だが、来訪者によってもたらされた技術 に関する情報の詳細は、それらを統括する科技連――科学技術連盟なる組織のトップシー クレットとされ、一般市民はもちろん、皇族、貴族にいたるまで、誰もその実態を認識し ていない。 何にせよ、現在、人々がこの状態になんら違和感を覚えるどころか、まったく普通に受 け止めてしまっているあたり、人の持つ環境適応能力の高さというか、便利さに対する貪 欲さというか、そういったものを思い知らされてしまうのも、また事実である。 生まれた星こそ違えど、来訪者と先住人たちの観念は近かった、というわけだ。 ※ さて。 謎の差出人――といっても、本人たちには送り主が解っているようだが――によるメー ルを受け取ったルーティンとロックは、適当な昼食を済ませ、漁港・サンマリノ行きの大 陸鉄道に乗り込んでいた。 この鉄道というものが開発されて以来、世界を自分の足で渡り歩く、いわゆる従来の旅 人は減り、その代わりに旅行者と呼ばれる人間が数を増やした。徒歩や馬車を使っていた ときのように、狂暴で獰猛な魔物や、賊による襲撃の心配が極端に減少したためだ。大都 市間を数時間で結ぶ高速車両を、どうして魔物や、馬にまたがった賊が襲撃できよう。も し仮に根性のある賊がいたとしても、どうこうする前に轢き殺されてしまう。今も変わら ず活動を続けている賊と言ったら、せいぜい海賊ぐらいなものであろう。陸の賊は、すっ かり商売上がったり、なのだ。 しかし、お約束というべきか、時代の最先端を行くものは決して安価ではない。一定レ ベル以上の高所得者に利用が限定されてしまうのが、大陸鉄道の現状だ。旅行を『金持ち の道楽』と表現する人間がいるのも、仕方ない。 ちなみにルーティンとロックは、ハンターという商売柄、所得にはあまり困っていない 人種である。とはいえ、今回の大陸鉄道の利用は、二人にとって、ちょっとした贅沢でも あった。 「…それで、結局あいつ、メールに何書いてたんだ?」 大陸鉄道の切符(指定席券。普通券よりニ割高。ちょっと贅沢)に書かれた席番号の席 に腰を下ろしたところで、いきなりそう話を切り出したロックに、ルーティンは一瞬、首 を傾げた。 「…どうして俺に聞くんだよ」 「いや、こういうことは、ミスター頭脳派に聞くのが一番だろ? だいたいあのメール、やたら文字数が多いんだよ。用件は手短く的確に、が基本だ。俺 にはそーゆークソ長いメールを読む習慣ねぇし」 「お前の場合は習慣どうこうじゃないだろ」 「しかし、結局は折れてしまう優しいルーティンなのであった」 「なんでナレーション風?」 「さっすが我が相棒。相手の欠点をさり気なくフォローするとは」 「話聞けよ。まったく。褒めてもメシはおごらないからな」 先に釘を打ってから、ルーティンは話を本題に進めた。 「メールの中身は、別に複雑なものじゃなかったよ。全体の一割に挨拶と無駄話、一割に 依頼内容、残り八割は依頼についての資料だった」 「依頼についての資料? なんだ、そりゃ? サンマリノで起こってる事件って、旅行者や旅人をターゲットにした連続失踪事件のこ とだろ?」 「…多分これは、あいつなりの気の利かせ方だと思うけど」 「今どき誰でも知ってるような大事件の資料に、メールの内容の八割を費やすようなこと が、気の利かせ方?」 「…多分」 最初は、誰も気にとめなかった。 こんな時勢である。旅人が旅先で音信不通になることなどザラだし、運悪く行方知れず になったり、そのまま帰ってこなかった、などということも、決して珍しくはなかった。 それでも彼らは旅をする。そこに世界があるからだ。旅人とは、そういうものである。 だから、だろう。漁港サンマリノにある一軒の宿屋の一室から、ある朝、宿泊していた 旅人が荷物だけ残して突然いなくなったときも、何かよほどの急用が宿泊客の身に生じた のだろう、と誰もが思った。そう思っただけだった。当の宿屋の主人も、宿泊料金は前払 いですでに受け取っていたため、少なくとも損はしない――そのくらいにしか考えていな かった。ただ、このままいつ帰ってくるのかも分からない客のために部屋を空け続けてお いては、代わりに他の客を入れられない分、客の回転が悪くなって損になる。宿屋の主人 は消えた客の荷物をまとめて保管し、その部屋に次の客を入れた。 だが、結局。 消えた客は、戻ってこなかった。 「今の段階で分かってることは、次の五つ」 事件のあらましを説明して、ルーティンは片手を広げた。 「まず、事件がサンマリノだけで起こっているっていうのが一つ目。 で、旅行客や旅人ばかりが失踪していて、なぜか街の人間は一人も消えていないってい うのが二つ目。 三つ目は、日帰りの旅行客や、休憩で寄っただけの旅人は消えていないということ。 四つ目が、街の人間に目撃者が一人もいないってこと。 でもって最後の五つ目は、当初は全ての旅人が消えているわけではなく、ある程度の期 間で何人か消えていたけど、現在では確実に失踪している、ってこと」 「…三つ目の『日帰り』の話を聞いている限り、事件は夜に起こってる感じだな」 「それは間違いないと思う。 それに、一つ一つの失踪事件に間隔をあけたり、行方不明になっても不思議じゃない旅 人なんかを狙ってるあたり、なかなか考えてるよ」 「かと言って、単細胞な野生の魔物にできる芸当とも思えねぇ」 もはや、事件に何かしらの人為的な力が働いていることは、言うまででもなかった。 「だな。でも、そうなると――」 「ああ。分かんねぇこともある」 それはつまり、事件がサンマリノに集中していることを客観的に見て、当事者も近くに いるかも知れないという、容易な結論へ辿り着くこと。 「街の人間に目撃者が出ないほどの実力を持ってて……これだけ計画的にやっといて、あ と一歩、足りない感じなんだよなぁ」 「…なんか、バレることは計算に入れてるみてぇだよな」 「もしくは、バレることは犯人にとって大した問題じゃないのかもな。 まったく妙な話だよ。聞けば失踪した人たち、まだ遺体すら出てきてないっていうじゃ ないか」 「マジ?」 「うん。未だに行方不明ってことになってるらしい」 うんざりした様子で、ルーティン。ロックも、これから起こるかもしれない事態を想像 し、少なからず嫌な予感を感じたようだ。顔を見れば、ルーティンには分かった。 「厄介なことになりそうだな」 「同感」 「報酬、ふんだくってやらなきゃな」 「いくらもらっても、割に合わない気がするけど」 はあ、と再び――しかし今度は、同時に揃ってため息をつく。 それが会話に丁度いい区切りをつけ、二人はしばらく、車窓の外に広がる景色を無言で 眺めた。 …十秒。 ……二十秒。 ………三十秒。 …………四十秒。 ……………五十秒。 そうして、無意味に一分が経過した頃。 不意に、二人は互いの顔を見た。 「…なあ、ルーティン」 「…あのさ、ロック」 残りのセリフは、みごとにハモる。 『…いつになったら出発するんだ?』 そう。 間もなく発車します、というアナウンスが確かにあったにもかかわらず、列車は一向に 動き出す気配を見せていなかった。さっきの一分間の沈黙は、出発の瞬間を待っていたか らに他ならないのだが。 ロックは数秒ほど目線を上げて――何か考え事をするときの、彼の癖だ――この状況を 説明できる『何か』を導き出すことができたのか、俺に向かって、こう言った。 「…幻聴?」 「そこまで精神的にヤバくなってるつもりはないんだけどね、俺は」 苦笑まじりに、ルーティンは間髪おかずにすぐ返した。ロックが何を言うか、だいたい 想像がついていたのだ。 ロックは一瞬沈黙して、改めて言った。 「…結局、何があったんだろうな?」 それにはルーティンも同感である。 「さあ? でも、多分――」 あくびをかみ殺しつつ――大して興味もなさそうに――ルーティンは言った。 「――ロクなことじゃないと思うけど」 ルーティンが言い終えるのとほとんど同じタイミングで、それは起こった。 両隣の客車へ続く扉が共に荒々しく開け放たれ、そこから現れる、どう見ても気品の欠 片も持ち合わせていないような格好と顔の男が一人ずつ、計二人。それぞれが片手に持っ ている湾曲刀は、明らかな優越性と攻撃性を誇示しており、とてもじゃないが仲良くなれ そうではなかった。だからといって、仲良くしたいわけでもないが。 賊である。 「…ほんとだ、ロクなことじゃねぇや」 向かって車両の前方から入ってきた男が、武器を振り上げながら朗々とお約束のセリフ ――いわゆる『たった今この列車は』とか、『命が惜しくば』とかいう類のものだ――を 吐いている様を見て、ロックはつぶやいた。 「大陸鉄道が賊の襲撃に遭うなんて、珍しいよな。てゆーか、今までそんな話、聞いたこ とないよな?」 「走ってるときは無敵の列車も、止まってるときならタダの鉄の箱。簡単に襲撃できるっ てわけさ。見事な発想の転換だよ。こんな大都市の真ん中まで来るリスクと比較して、そ れだけの価値があるかは別だけど」 「…もうちょっと別の方向で生かしてくれないもんかな、そういう発想の転換ってのは」 「それができるなら、わざわざ賊なんかやってないだろ」 「…それもそうか」 ルーティンの言葉によほどの説得力があったのか、ロックは拍子抜けするほどあっさり 納得して、次の問題を提示してきた。 「……で、どうするよ?」 「……」 ルーティンはロックに無言の返事を返し、思案するフリをした。別にロックのセリフの 意味が通じなかったわけではない。 「…面倒なこととは、なるべくお近付きになりたくないんだよな。無意味に疲れることも 含めて」 言いながら、不敵に笑んで見せる。 ロックも同様の笑みを浮かべた。 「…ま、俺も面倒なことと仲良くなりたいとは思わねぇけど、このまま放っておけば放っ ておくだけ、俺たちがサンマリノに着くのも遅くなるし、な」 「遅くなればそれだけ、」 「あいつに小言を言われることになる」 「そういうこと」 「んじゃま、さくっと――」 「――片付けちゃいますか」 二人は同時に席を立った。 揃って通路に出ると、ルーティンは車両前方へ、ロックは後方へ向かって、それぞれ落 ち着き払った様子で足を進める。他の乗客が怯えて縮こまっている中、二人たちの行為は 嫌でも賊たちの目についた。 「…おいガキ、止まれ」 車両前方にいた男が、平然と近付いてくるルーティンに右手の湾曲刀を突きつけた。 「なんだ、てめぇは」 「なんだ、って……」 ルーティンはうんざりした様子で後頭部を掻いた。 「……おじさんの後ろにある車両に行きたいだけなんだけど」 「…自分の立場が分かってんのか、小僧?」 男は下品に口元を上げた。 「今、てめぇらは俺たちに意見できるような立場じゃねぇんだよ。もちろん対等にお話で きる立場でもねぇ。今、てめぇらの命は俺たちが握ってる。それが分かったら、さっさと 席に戻れ。静かにしてれば命までは――」 「刃物一本持ったくらいで、よくそこまで強気になれるもんだね」 辛辣極まりないルーティンの言葉が炸裂。セリフを不安定に切られた賊の男は、一秒か けてルーティンの言葉を理解し、次の一秒でみるみるうちに顔を紅潮させる。突きつけた 湾曲刀を持つ手が、ものの見事に傷付けられたプライドにわななく。 「…てめぇ…ッ…!」 怒りのあまり、男が武器を振り上げた、まさにその瞬間。 「…あ、それはちょっと感心しないな」 他の乗客たちが悲鳴を上げる中、場に全くそぐわない、落ち着き払ったルーティンの一 言が、男の動きを止めた。 「そんなもの振り回して、誰か傷付けてみなよ。それだけで傷害罪、ヘタして殺しちゃっ たら、殺人罪だよ? 殺人罪の最高刑、知ってるだろ?」 文句なしの死刑であるが。 「そんな説得が通じると思って――」 「あんたら、野盗だよな? 今までは警察の目の届かないところで適当にやってこれたか も知れないけど、ここは大陸の交易中継都市のド真ん中だぜ? 上手く入ってくることは できても、こんな騒ぎ起こした後で、逃げ切れるかな?」 「…」 一瞬、男の目に動揺の色が浮かぶ。 ルーティンには、それで十分だった。 力の限り足を振り上げ、渾身の蹴りを男の鳩尾に叩き込む! 魔道士ゆえのパワー不足は、足を使うことでカバー。ぐり、という、あまり聞きなれな い効果音をも響かせて、直前まで紅潮していた男の顔を、一瞬にして真っ青にした。 そのまま苦悶の表情とともに気絶――するかと思いきや、男は見開いた目に涙すら浮か べながら、 「……そ、そんな、ひきょ――」 「刃物片手に脅してきておいて、言えたセリフかよ」 「ううううう」 ごく正当なルーティンの反論にうめく他なく、男は目元に浮かべていた涙を中空に―― ここでスローになったら、絵としてかなり恐ろしいことになる――散らせながら、通路上 に倒れこんだ。気絶している。 乗客たちが感嘆の息をもらす中、ルーティンは気絶した男に歩み寄り、腰を下ろして、 男の頭部に自分の掌をかざした。 ▼魔法言語統合環境『物質界』 ▼実行待機状態へ移行 ▼魔法言語統合環境『精神界』 ▼実行可能状態へ移行 ▼実行可能、確認 「…楽園を夢見よ、〈フィル・エデン〉」 言葉に呼応して、ルーティンの掌の周辺で空間がわずかに波打つ。 と、痛々しくゆがんでいた賊の男の顔が、不意にほぐれた。気持ちよさそうに大口を開 けて眠っている。 「…あんまり力、入れたつもりはなかったんだけどな」 まったく自覚のないことをつぶやいて、ルーティンは立ち上がった。 「悪いけど、しばらく眠っててよ。こっちがあんたの仲間とやりあってるときに、後ろか ら襲われても困るからね」 振り返ると、すでに車両後方から入ってきた賊は倒れて――こちらも気絶している―― おり、ロックの姿も見えない。だてに普段から『素早く無駄なく手際よく』と口にしてい るわけではないようで、こういうときのロックときたら、やたら頼りになる。 「…俺も負けてられないな」 爽快な高揚感を自覚しながら、ルーティンはいよいよ、やる気になった。 ▼魔法術言語統合環境『精神界』の実行可能状態を解除、実行待機状態へ変更。 ▼魔法術言語統合環境『物質界』の実行待機状態を解除、実行可能状態に設定。 「…いくぞ」 己を鼓舞するように静かに吠えて、ルーティンは前方の車両へ乗り込んだ。 すぐさま、二人の武装した男を視界にとらえる。 「な、なんだてめ――」 ごが。 「がはっ!」 顔面に一発見舞って黙らせる。いきなり鉢合わせた通算二人目は、反応こそ早くともそ の後の動作が遅かった。 男が完全に沈黙したことを一瞬で確認すると、ルーティンは同じ車両の離れたところに いるもう一人に向かって、右手でしっかり狙いをつけた。 「咆哮に戦け、〈ウィン・ハウル〉!」 ばんっ、という、何かが破裂したような音が聞こえたかと思うと、狙いをつけていた男 は否応なく弾き飛ばされ、倒れる。当たり所が悪かったのか、何やら身体を丸めて呻いて いるが、ルーティンは全く気にせず、先に黙らせた男に歩み寄り、右手をかざした。こち らの男はルーティンのパンチを良い感じで受けてしまったらしく、鼻からぼたぼたと血を 流しながら、それでも苦し紛れに笑って見せた。 「…へっ、こんなことして……タダで済むと思――」 「お約束は聞く気ありません。〈フィル・エデン〉」 こてん。 ルーティンの睡眠魔法術を受け男は、何やら妙に軽い音をたてて、心地好い眠りの世界 にあっさりと堕ちた。 「…これでよし、と。 そっちのあんたも、ちょっと眠っててもらうからな」 「ひっ…!」 振り向くと、ルーティンの魔法術に倒された通算三人目は情けない声を出しつつ、尻餅 をついた状態で後ずさりする。 「…て、てめぇ、何者だ…!」 なぜかパニックに陥り、言葉が言葉にならない賊の男。 「…さっき俺に風の魔法術……今はそいつに眠りの――」 「――へえ」 感心したように、ルーティンは言った。器用に片方の眉を上げる。 「…ただの賊かと思ってたけど、意外と知ってるみたいだな」 「…!」 瞬間、男の表情に確信が走り、ほぼ同時に恐怖でゆがんだ。 「…ま、まさかてめぇ…! 魔法術を極めし者、マジック・マスター、ルーティン=アーキテクト!」 「ぴんぽーん」 「ひいいいいいいっ!」 今日び、ある程度名の知れたハンターならば、二つ名や異名の一つや二つ、あったとこ ろで珍しくはない。それは裏を返せば、名が知れていることを判断する材料となるが、だ からといって、どうというものではないはずだが。 だが、ルーティンの二つ名――というよりも、ルーティンの名前を知ったとたん、この 賊の男、まるで死神でも前にしたかのような狼狽を見せている。あまつさえ泣き出しそう な勢いすら感じさせながら、激しく怯えた視線でルーティンを見て、叫ぶ。 「こっ…殺されるッ!」 「…失礼な奴だな。勝手に人を殺人鬼みたいに」 とはいえ、周囲の乗客たちに向かって、とびきりの愛想とともに一応のフォローはして おく。もとより屈託のないルーティンの表情と、彼が賊を殺さずに倒しているという事実が、 一瞬にして取り巻きたちの不信感を打ち砕いてしまった。 「…さてと」 ルーティンは改めて賊の男に歩み寄った。 「あのさ、おっさん」 しかし、口が悪い。 「眠ってもらう前に、ちょっと聞きたいことがあるんだけどな」 「…」 男は引きつらせた表情のまま、何も言わない。いや、言えないのか。 「あんたらの親玉、いるんだろ? 居場所、教えてくれない?」 「…だっ、誰がそんな真似」 この期(ご)に及んで、なおも強がる男に、ルーティンは吐息した。 「ご立派な忠誠心……と、言いたいところだけどね」 すくっ――とルーティンは立ち上がると、男の向こう側にある扉(ご丁寧にも『運転室 につき、これより関係者以外の入場をお断り致します』と書いてある)の向こう側に向か って、 「…聞こえてるよな?」 普段と全く変わらない、敵意のない口調が逆に恐ろしい。 「生憎だけど、俺たち急いでるんだ。いつまでも野盗相手に手を抜いて戦ってられるほど 暇でもない。もし、そっちにやる気があるなら、せめて堂々と出てきて俺と戦ってくれな いか。その気がないなら、さっさと消えてくれ。俺は手加減しないし、負ける気もない。 十秒待つ」 一方的に話を終わらせて、扉の向こうの反応を待つ。 と。 何やら扉の向こう側が騒がしくなったかと思うと、今度は扉をスライドさせて開けるよ うな音が一回し、そしてその後から、元の静寂がついてきた。 その間、わずかに三秒である。 「……」 念のため、さらに二秒ほど待ってから、ルーティンは賊の男を見下ろした。 「…逃げちゃったみたいだね、あんたらの親玉。ま、野盗の信頼関係が厚くないことくら い、分かりきってはいたけど」 「うううううぅ」 呪詛のように呻く男に、もはやこのままにしておく理由がないことを悟り、ルーティン はうつむく男の頭部に右手をかざした。 「…終わったか?」 丁度、車両後部の扉を開けて、ロックが姿を現す。 「あらかたな。親玉は逃げちゃったけど」 「逃げちゃった? 逃がしちゃった、の間違いじゃないのか?」 「…あれ、分かった?」 「バレバレだっつの」 「さすが相棒」 「…あのな」 すっとぼけるルーティンに、ロックは肩を落としてため息をついた。表情はそれほど落 胆した様子でもないあたり、おそらく、これが二人の関係というやつなのだろう。 「笑って誤魔化すなって。だいたい、お前って甘すぎ……」 ふと何かに気付いた様子で、ロックはセリフを途中で止めた。その視線は、ルーティン 以外の何かを見ている。 ルーティンは、ロックの視線の延長線上に視線をはしらせて――。 ――そこに、先ほどよりも怯えたように見える賊の男を見た。 「…あ…ああ、あ……」 男は震える指先でロックを差し、言葉にならない言葉をなんとか言葉にしようと、口を パクパクさせている。 「……俺?」 自分自身を指差して、ロック。 男の表情から急激に血の気が引いていく。 「…ロ、ロック……ロック=トーレス……。 閃光の如き衝撃、ライトニング・インパクト、ロック=トーレス……まさか…」 男は、すでに焦点の合っていない視線で、ルーティンとロックを順々に見、そしてゆっ くりと――それこそ、スローがかかっているかのように――倒れつつ、気でも触れたよう に引きつった笑い声を上げながら、その一言を口にした。 「……死と破壊の具現……」 「あ。今の最後のは聞きとがめたぞ」 何やら敏感な反応を示して、『また知らない間に妙な二つ名が増えてるな』とぼやくル ーティンの横で、ロックは倒れた男の襟首を掴み、無理矢理に起こした。 「おい、おっさん、今のは――」 ぐいん。 効果音を出すとしたら、まあそんなところか。男の目を見据えて文句を言ってやろうと したロックであったが、男は首を後ろに倒してしまい、だらしなく口を開きながら真上を 見上げてしまった。 「あ、てめ。ナメた真似しやがって」 ぐいん。 「…俺が優しくしてるうちに…」 ぐいぐいん。 「…あのさ、ロック」 さすがに見かねた様子で、ルーティンはロックを止めた。 「…ただ単に気絶しちゃっただけだと思うけど」 「……」 数秒の沈黙の後、ロックはさらに数回ほど男と視線を合わせようと努力して。 「……器用な真似しやがって」 「もしかして、本気でナメられてると思――いや、やっぱいいや」 ルーティンは突っ込みかけて――その返答次第では大変疲れることになるかも知れない と思い――やめた。 「…まあ、とにかく片付いたし、いいか」 「せめてルーティンが親玉を逃がしてなけりゃなぁ。 ギルドの賞金首リストに載ってる奴らだったら、ちょっとした収入になったのに」 「あー、なるほど、そういう手もあったか」 「お前って意外と雑なところあるよなー。せめて確認してからにしろよ、相手逃がすのと かさあ」 「そこまで言わなくてもいいだろ」 「――そいつらだったら、ギルドの賞金首リストに載っている奴じゃないわ」 不意な声の闖入に、しかしルーティンとロックは声にならない悲鳴を上げ、押し黙る。 示し合わせたようなタイミングで声がした方を振り向くと、そこには二人が予想してい た通りの人物が悠然と立っていた。 年齢は、ルーティンやロックと同じくらいに見える。今しがたのセリフ回しから見ても 明白だが、なかなか気は強そうだ。旅慣れしているようで、格好もらしい感じである。 「あんたたち、もう少しハンターとして自覚のある行動をとってもらわないと困るわ。あ んたたちハンターは、言わばハンターズ・ギルドの顔。あんたたちが周囲に与えたイメー ジが、そのままギルドのイメージになるんだから」 やたらとよく通る声で、女はルーティンとロックに言う。その口調は怒っているわけで はなく、むしろ嗜めるような優しさすら感じられた。 この女こそ、ルーティンとロックに匿名のメールを送りつけた張本人、レジィ=アグメ リア。ハンターズ・ギルドを束ねる女傑・ベロニカ=アグメリアの娘にして、無類の旅行 好き、外出好きで知られる、行動力あふれるお嬢様である。 レジィの存在を確認した瞬間、引きつったような表情を見合わせて、ルーティンとロッ クは同時に思い出していた。例のメールに一行、『なお今回は、強力な助っ人が二人の助 けとなるでしょう』と書かれていたことを。
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