ルーティンとロックの活躍により、大陸鉄道を占拠しようと画策した野盗たちはあっさ り撃退され、列車は予定より三十分ほど遅れて、太陽が最も高い頃、終点・漁港サンマリ ノに無事到着した。 が。終点で列車を降りたのは、ルーティン、ロック、レジィの三人だけ。これでは、降 車後、終点で降りたのが自分たちだけだと気付いたルーティンが、思わず『あらら』とつ ぶやいたのも仕方のないことと言えよう。 日はまだ落ちていない。繁華街は人の気配が少ないどころか、店の人間を探すことさえ 難儀に感じられた。 皆、明らかに何かを恐れている。自分以外の全てに疑心を持っているかのような、そん な空気が伝わってくる。この街はほとんどゴーストタウンだ。正直、気味が悪い。 「…こ、こりゃまた……見事な廃れようで」 「全く褒め言葉になってないわよ、ロック」 すっかり重苦しい雰囲気に飲まれてしまったロックの冴えない一言に、素早くレジィの 冷静な突っ込みが炸裂。ロックを黙らせる。 「…とにかく、取り合えずどこかの宿に部屋をとろう」 すかさずルーティンがフォローを入れる。これは効果的だった。 「そうね。そうしましょ。 いつまでもここに突っ立ってる理由はないし、第一、無意味極まりないもの」 おそらく自覚はないのだろうが、いちいち癪にさわる言い方で納得すると、優雅とすら 表現できる足取りで、レジィはつかつかと繁華街へ足を進める。 ほっ、と胸を撫で下ろすルーティン。 その横で、ロックが耳打ちするように言った。 「俺、どうもあいつ、苦手だ」 苦笑。 「…俺も。なんかこう、あいつの感情のベクトルを向けられると、妙に反抗できないって いうか、なんていうか」 「悪い奴じゃあ…ないんだけどな」 「個性的なんだ。いろんな意味で」 「それは、いい言い方だろ?」 「『ズレてる』って表現もできる」 「俺はそっち」 再び苦笑。 丁度その瞬間、当のレジィがこちらを振り向いたので、二人は自分たちの会話が聞かれ たのかと戦慄したが。 「何してるの? 早く行くわよ」 …どうやら会話が聞かれたわけではないらしい。 二人は顔を見合わせて肩を竦め、足早にレジィの後を追った。 ※ 「あたしがこう言うのも変だけどさ。…あんたたち、本気かい?」 ルーティンが直感的に決めた宿屋で、彼が部屋を用意してもらおうとしたとき、宿の女 主人の口にした最初の言葉がそれだった。 表通りの大きな宿を何件か回ったが、どこにも店の主がおらず、チェックインができな かった。ようやくこの宿を見つけた頃には、少し西の空が赤くなり始めた頃だった。 店はなかなか良い。街の大通りからは少し離れた位置にあるが、一階は軽食屋もやって いて、わざわざ食事のために宿を出る必要がない。後で聞いた話では、この軽食屋、夜に はバーに変わるのだとか。女主人の頑張りが目に浮かぶ。 しかし、やはり建物の中に客の気配はなかった。 「あんたたちだって知らないわけじゃないだろう? この街は呪われちまってる。下手な 話、町の外で野宿した方がマシってくらいにね。それでもこの街に宿をとる気かい?」 「ええ。まあ仕事ですから」 ルーティンの言動には微塵の迷いもなく、同時に年齢相応な感情すらも見受けられなか ったが、それでも女主人を納得させることはできなかった。 「仕事、ねぇ…。そうやって、ちょっとした仕事のつもりでこの街に泊まってったハンタ ー連中は、みんな行方知れずになっちまってるよ。冗談抜きで、一人残らずね。 あんたたち二人も、ハンター、だろう? そっちのお嬢ちゃんは、ちょっと違うようだ けど」 ルーティンとロックは顔を見合わせた。道理で、どう見ても成人には見えないルーティ ンが『仕事』という単語を使っても、驚かなかったわけである。 「…よく分かるね」 「ま、こういう仕事を長くやってるとね、雰囲気から、なんとなく客のことが分かっちま うのさ。あんたたちハンターは、旅人と比べて野性味がないっていうか、自然から遠い気 がするからね。より人間っぽい、って言ってもいいさ。 それに、あんたたちは仕事人って感じじゃないしね」 「…なるほど」 「で、その『なんとなく』で分かることが、もう一つ」 女主人は、何かを諦めたように微笑んで、 「…あたしが何を言おうと、あんたたちはこの街にとどまるつもりだろう?」 「まあね。でも俺たちは大丈夫だよ。自分自身を守れるくらいには鍛えてるから」 「あたしが今まで忠告してやったハンター全員、揃って同じようなこと言って行方不明」 「あちゃあ」 顔に手をあてて『やっちまった』のポーズをとるロックに、女主人が初めて、笑みを見 せた。 「まあ、あんたたちも遊び半分で来たわけじゃないみたいだし、そこまで言うなら泊める けど、でも安全にだけは、気を遣っておくれよ」 「はい」 「もちろん」 「当然よ」 真摯な女主人の言葉に、三人は三様の返事をする。それぞれ言葉こそ違うが、どうやら 三人とも『ここは素直に言うことをきいておいた方がいい』とは思ったようだ。少なくと もルーティンはそうだった。鋭い女主人が特に反応を見せなかったあたり、おそらくこち らの意図はバレているだろうが。 「さて、と」 仕切る直すように、女主人は言った。 「泊めると決めたからには、あんたたちはお客様。あたしも、ただのお節介妬きじゃなく て、宿屋の主人として振る舞わなくちゃね。 いらっしゃい。『精霊の吐息亭』へようこそ。どんな部屋がお好みだい?」 「えっと…」 どうしたものかと、ルーティンは困った。 仮にも訪れた旅人が一人残らず消えるという街である。別々の部屋に泊まるよりは、一 つの部屋にまとまっていた方がよい、と言えなくもない。だが、同行しているのがロック だけならともかく、レジィもいるとなると。 「…どうする?」 どうも自分の一存で決める話ではないような気がして、背後を振り返り、話を振る。 反応は、ロックよりもレジィの方が早かった。 「愚問ね、ルーティン」 レジィはカウンターまで歩み寄ると、口元に優しげなえ身をたたえながら。 「あたしは当然、一人部屋で。 どんな理由があろうと、例えルーティンとロックであろうと、男と同じ部屋で寝るわけ にはいきません」 「どうして俺が出て来るんだよ?」 「俺も同じく」 揃って手を上げるルーティンとロックに、レジィは微笑んだだけだった。 「一人部屋で、お願いします」 「…まあ、分からない心境でもないけどね」 女主人は説得をしようともせず、レジィに部屋のカギを差し出した。 「キーホルダーに彫ってある番号が、部屋番号。お嬢ちゃんは、3号室ね」 「はい」 「チェックインのときに、部屋代と、部屋においてある飲み物、食べ物の請求をさせても らうから。食べた分、飲んだ分だけね。料金表は部屋にあるから。もちろん、飲酒はダメ だよ。あと、要望があれば、午後十一時までならルームサービスも受け付けるから」 「ありがと、おばさん」 「…いいかい? 何かあったら、すぐに助けを呼ぶんだよ?」 「ご心配、どうも。 大丈夫。どんな危険も自分一人で乗り越えられると思うほど、あたし、うぬぼれてるつ もりはないですから。危険を感じたら、すぐに助けを呼ぶわ。いつも冷静なルーティンと ロックが、血相を変えて、あたしの部屋に入ってくるくらいに」 淑やかにうなずいて部屋のカギを受け取ると、レジィは揃って表情を強ばらせているル ーティンとロックを振り返り、しなやかな動作で頭を下げた。一応(失敬)令嬢というだ けのことはあって、その仕草は様になっている。 「じゃあルーティン、ロック、お先に」 「おう」 「じゃあ、後で」 宿泊部屋のある二階へと上がっていくレジィを見送って、ルーティンはロックに話を振 った。 「ロックはどうする?」 「…ん?」 ロックは一瞬、目線を上げて馴染みの思考モードに入ると、真っ向からルーティンの目 を見て、はっきりと言い切った。 「野郎と寝る気はナッシング」 「…お前とゆーやつは」 半眼でロックを睨みつけ、多少の頭痛を感じながら、ルーティンは唸った。 「…一人部屋で、ってことだな?」 「女のレジィが一人部屋で、男の俺たちが仲良く二人部屋ってわけにはいかないだろ」 そんなことしたら格好がつかない、とでも言いたそうに、ロック。これがこの男の性格 である。女のレジィが聞いていたら、そういう男女区別をするな、と間違いなく憤慨して いたことだろう。同じ女である宿屋の主人はといえば、そういった男の気持ちもなんとな く分からないでもないのか、ロックの発言に大した突っ込みもしなかったが。 取り合えず、さしあたって何をすればよいか決まっただけでも良しとし、ルーティンは 女主人に言った。 「…俺たちも、一人部屋でお願いします」 ※ 部屋をとった後は自由行動として解散し、ルーティンは街へ繰り出した。 気候は悪くない。潮の香りを放つ風が頬を撫でる感触は、とても気持ちがいい。 もとより街の南にある港へ向けて傾斜のかかった地形に、白を基調とした建物が立って いる様相も、どこか清潔感と芸術性が感じられ、思わず見入ってしまいそうな美しさすら 感じられた。 だが、その街をさらに引き立て、にぎわせる旅行者が、ここにはいない。営業している 商店もなく、旅行者を対象に土産物を扱っている類の店はもちろん、旅行者でなくとも利 用する食材屋さえ人間が見当たらなかった。 こんなにも人間の気配を感じ取れるというのに。 「…この大陸と他の大陸とを結ぶ海の出入り口が、まさかこんな状況とはな」 かつて繁華街だった大通りは、閑散と静まり返っていた。広い道幅が、その閑散さに拍 車をかけている。 (…嫌な空気だ) 人のいない街――いわゆるゴースト・タウンが醸し出す空気は不気味だが、人の気配だ け感じる空気というのはそれ以上だと、今この瞬間に痛感する。 身体を覆う圧迫感。そしてこの息苦しさ。気軽に情報収集する気など、すでに塵と化し ている。そもそも人間に会わないのだ、どうしようもない。生憎と、ルーティンはギネス 級の鈍感男でもなければ、周囲の空気など全く気にかけない究極の自己中でもない。 だから分かる。 この街の空気は、異常だ。 (さすがに、どうしようもないな、これは) 結局、ルーティンは街の人間との接触を一度すら成功させられないまま、適当なところ で散歩をやめ、嫌な気分を引きずって宿に戻った。 ただ一つ、妙な違和感を、拭いきれないまま。 ※ 少しずつ、包み込むように日は傾き、夜が訪れ、更けていく。 ルーティンは、部屋のベッドに寝転んでいた。 本当は、自由時間を満喫した後で集まり、夕食にしようと思っていた。ところが、どう も食欲が起こらない。ロックやレジィも同じような精神状態らしく、夕食を食べる気にな れない、と言ったルーティンに対し、いとも簡単に賛同し、同調してきた。 原因は、今さら言うまでもないだろう。この街を覆っている重苦しい空気が、どうも夕 食などという悠長な気分にさせてくれないのである。 「張り詰めてる? いや、恐れてるのか?」 夕食を取りたくても取れず、空腹感があるせいか、眠気は襲ってこなかった。夜だとい うのに、ルーティンの思考回路は快調に働いている。 「……なんか違うな。張り詰めてるとか恐いとか、そういうレベルじゃなくて、もっとこ う、冷めてるっていうか…」 無意識のうちに思考の断片を言葉として発散させている。それはルーティンが集中して いる証拠である。 「…妙だ。おかしい」 確信したようにつぶやいて、ルーティンは上体を起こした。 この街に来たのは、何も今回が初めてというわけではない。海の向こうの大陸にも行っ たことはあるし、その大陸へ向かう船は、このサンマリノから出ている。まあ、この街で 旅行客や旅人の失踪事件が騒がれるようになってからは、大陸の外に出るようなことがな かったので、この街とは縁遠くなっていたのだが。 ただ、この街で宿泊することになったのは今回が初めてである。 起こした上体を再びベッドに横たわらせ、両手を頭の後ろで組んだ。 (…どうしてこの街なんだ? どうして旅人ばかりが消えるんだ? 何よりどうして、 ここまで人が消えていながら、目撃者が一人もいないんだ?) 次々と挙がってくる疑問、疑問。 話自体は単純なのに、何か釈然としない。 「…まあ、それも今夜、全て分かるだろうけど」 そう。今夜、全てが判明する。 この街で起こっている、不可解な失踪事件の真相が。 「俺たちが無事に生き残るか、相手が俺たちを捕えるか…………勝負だ」 奇妙だが心地良い震えが、全身を伝っていく。 ルーティンはワクワクしていた。 ――そうして、どれだけの時間が経っただろう。 空腹感がピークを通り過ぎ、やっと眠気が漂ってきた頃、その眠気に身を委ねようとし ていたルーティンは、どこからか近付いてくる明確な気配に気付いた。 …キィ……キィ……キィ……。 木製の床が小さく悲鳴を上げ、気配の主の足取りを正確に知らせる。本当に眠っていた なら、気付かない程度の悲鳴だった。 まだ、遠い。一階だろうか。 しかし、確実に近付きつつある。 ――来た――! かぶったシーツの中で、わずかにわななく両手――ゾクゾクしているのだ――を握り締 め、ルーティンは息を潜めて近付いてくる気配に意識を集中した。眠気など、とっくに吹 き飛んでいる。 ……キィ……キィ……キィ……キィ……。 近付いてくる気配は、まるで機械人形のような足取りだった。歩調も、一歩一歩の足に かかる力も、全て一定。少しの乱れもない。取り立てて足音を忍ばせているようにも感じ られず、その足取りから相手の意図を探ることは困難に感じられた。 しかし、相手が何を考えているにせよ、こんな真夜中に他人の泊まっている部屋に来る ような輩なら、少なくとも仲良くはなれないな、とルーティンは思った。 ……キィ……キィ……キィ……キッ……。 不意に、悲鳴がわずかに音質を変える。どうやら階段に差し掛かったらしい。 いよいよ二階へ来るつもりだ。 (この宿屋に泊まってるのは俺たちだけだ。となると、やっぱり相手は噂の失踪事件の犯 人ってことか…) 胸の鼓動が、少し速度を増す。 …キッ……キッ……キッ……キッ……。 …キッ……キッ……キッ……キッ……。 …キッ……キッ……キッ……キィ……。 再び、しばらく同じ調子の足音が続いて、また元の足音に戻る。距離はさらに近付き、 おそらく、もう部屋を出て通路に出れば、問題の相手と十分に対峙できるはずだ。 ルーティンは、今すぐ起きて通路に出ようかと思い――やめた。宿泊している部屋の中 で、階段から一番近い位置にいるのは、他の誰でもない、ルーティンである。ロックやレ ジィの寝ている部屋の方が犯人に近いなら、寝ているかも知れない二人に危害が及ぶ前に 行動を起こす。まあ、普通の神経を持つ犯人なら、わざわざ遠くにいるロックやレジィを 襲撃したりはしないだろう。ルーティンはそう考えていた。 …キィ……キィ……キィ……キィ……。 足音はさらにはっきりと聞こえるほど近付き、そして――。 …キィ……キィ……キィ…。 足音が。 止まった。 ルーティンの部屋の前で。 「……」 息をひそめ、扉の向こう側にいる気配への注意をそのままに、いつでも瞬時に魔法術を 発動できるよう、準備しておく。 (…魔道士は、常に冷静であるべし……か) ふと、魔法術の手解きを受けた恩師の表情が脳裏に閃き、その恩師の口癖が思い出され る。かなりの堅物だったが、その分、信頼できる師だ。 ただ困ったことに、ルーティンは優しそうに見える外見と違って、かなり活発な性格だ ったりする。いざというときの落ち着いた判断力はなかなかのものだが、そのついでに行 動力までもが発揮されてしまうあたり、とても魔道士とは思えない。それは、十七歳とい う年齢のせいもあるだろうが、大半は地だ。そうでなければ、扉一枚を隔てたところに敵 かも知れない人物がいるこの状況下で、どうやってワクワクなどできようか。いや、でき るはずがない。そんな人間がいるとしたら、それはほとんど変態である。 (…魔族とかだったら、やっぱ先手必勝だよな。命あってのものだねだし、余裕ぶってや られたら馬鹿みたいだし) どうやら、今のような精神状態を、彼の中で『余裕』とは言わないようだ。 (…あ、でも人間でも油断はできないか。魔道士だったらタチ悪いし) 自分のことを棚に上げて、よく言う。間違いなく自覚のない発言と言えよう。 (ま、どっちにしても、まずは――) そこまで考えたところで、ルーティンは扉の向こうにいる気配に動きを感じ取り、思考 を止めた。ついでに、不自然でない程度で眠った振りをする。 二人を隔てていた唯一の壁――部屋の扉のノブが、ゆっくりと回る。 扉は訪問者を簡単に招き入れ、受け入れられた訪問者の黒い影は、恐ろしいほど時間を かけて、ルーティンの眠っているベッドの横まで来る。 そこで、また数秒の間。 「…」 ルーティンは薄く目を開ける。 と、その瞬間だった。 「!」 それまでとは比べ物にならない俊敏な動きで、影が何かを振り上げる。 その『何か』が、雲間を脱した月の光に妖しく黒光りしたとき、ルーティンは準備して いた魔法術を素早く発動させた。 「壁よ阻め、〈フォース・フィルド〉」 振動音のようなものが響き、ルーティンの周囲の空気が波紋を描く。 精神エネルギーの具現。 ルーティンの言葉に呼応して、彼の精神エネルギーが不可視の障壁となり、襲撃者の攻 撃を防――。 …カン。 障壁に弾かれた襲撃者の武器が、妙に間の抜けた音を出した。 「…へ?」 思わず声を上げ、体を起こす。 と、同時に、弾かれた襲撃者の武器が、起き上がったルーティンの眼前に落ちてきた。 「…」 数秒ほど、目の前に落ちてきた物体を凝視して。 ルーティンは、その物体を無造作に手に取った。 皿のような形状のものに、棒状の取っ手。そしてあの間の抜けた音。 間違いない。 襲撃者が武器として持っていた物。それは料理に使うフライパンだった。 「…」 さらに数秒、手にしたフライパンを眺めると、ルーティンは部屋の出入り口へ向かおう とする人影の進行方向に、掌を向けた。 「穿て光弾、〈レイ・バレット〉」 威力を最小限に抑制された光の弾丸が、襲撃者の真ん前を通過して壁に着弾する。 「…人を真夜中に襲っておいて、失敗したからって、さっさと帰る気かい? こっちは睡眠を妨げられてイラついてるからね。今度ヘタな真似すると、その頭、ふっ 飛ばしちゃうぜ?」 とても睡眠不足とは思えない快活な声で、あっさりと恐ろしいことを口にする。まあ、 襲撃者の足止めには成功したようだが。 「…さて…」 ルーティンは改めてベッドに座り直すと、左手で例のフライパンをもてあそびながら、 襲撃者の影を見据えた。 「こーんなもんで襲ってきて、一体どういうつもりだい? 一応、これでもハンターやってる身だからね。仕事柄、野宿なんかも少なくないから、 夜襲には慣れてるんだ。…まあ、慣れてるって言っても、それは言葉そのままの意味で、 実際に眠ってるところを襲われたら、いくら俺でもやられるんだけどさ」 とぼけた様子で喋りながら、しかし視線だけは、襲撃者の反応を見逃さぬよう、鋭い。 「それにしたって、フライパンってのは、ちょっとどーかと思うんだけど。そりゃまあ、 こんなもんでも殴られたら痛いだろうけど、どうせ台所のアイテムを持ってくるなら、包 丁とかの方が良かったんじゃない? 俺の命が欲しいのなら、さ」 ――でも、多分それは違うな。相手の目的は俺の命じゃない。 自分の言葉を。自ら心の中で否定して、ルーティンは相手の反応を待った。 しかし、期待していた反応は、返ってこない。 それどころか、相手は身動き一つすら、見せなかった。 何か、おかしい。 「…まあ、答えたくないなら、別に答えてくれなくてもいいけどね」 おそらく待っても無意味だろうと悟り、ルーティンは痺れを切らした。 「とりあえず、俺をわざわざフライパンなんかで仕留めようとした、あんたの顔………… しっかり拝ませてもらおうか!」 のんびりした空気から一転、ルーティンは驚くべき素早さでベッドから立ち上がり、開 いた右手を引き寄せた。 「光よ曝せ、〈ウェル――」 ルーティンの右手の中に、直径一センチほどの光の玉が生まれる。 その手を天井へ向けて払い、ルーティンは魔法術を発動させる言葉の残りを紡ぐ。 「――リット〉!」 放り投げられた光球は、放物線を描きながら天井へ飛んでいき、激しく光を弾けさせ、 部屋中を明るく照らした。光度と輝度を上げれば、目潰しにも使える照明魔法術だ。 が。 「…ッ!」 光の中に浮き上がった襲撃者の姿を見て、さすがのルーティンも息を詰まらせる。 正気を失った瞳でこちらを睨み付けてくるその人物は、あろうことか。 この宿の、女主人であった。 「…あんた…!」 放心気味につぶやいたところで我に返り、ルーティンは打って変わって緊張感をみなぎ らせて女主人を睨み返した。 「…あんた、なのか?」 問う。 しかし、返ってくるのは奇妙な唸り声。ただそれだけだ。 確認しなくても分かる。女主人は、自我を失っているのだ。爛々と見開かれた瞳は、は っきりと狂暴であると同時に、どこか虚ろである。 今の彼女に言葉をいくらかけたところで、果たしてどこまで届くのか。 (…どうりで、何を話してもいまいち会話してる気になれないと思ったら…) 身体の中を、何か熱いものが駆け抜けていく。 それは、とてつもなく不条理なものに対する、怒り。 (…嫌な感じだ。どうしようもないくらい腹が立つ) つい数時間前に見た、お節介だが人なつっこい、女主人の表情が思い出される。 そしてその表情が、今の彼女の狂気に満ちた表情と重なる。 胸焼けに似た気分を味わいながら、ルーティンはさらに問いかけた。 先ほどよりも強く、鋭く。 「あんたなのか?」 何度も。何度でも。 言葉自体は届かずとも、何かを伝えようとしていることは届くように。 「あんたが犯人なのか!」 言葉とともに一歩踏み出す。 その瞬間、人のものとは思えない咆哮を上げて、女主人が突っ込んできた。 完全に前傾姿勢。人間が獣の真似をしようとしたら、こんな感じだろうか。だが、敵意 の視線はもちろん、何より一定以上の距離を縮めたとたん、それまでの拮抗を崩して襲っ てくる様は、まるで――いや、もはや獣ではないか。 しかし、突っ込んでくるだけの相手にやられるほど、ルーティンは弱くはない。 身構えつつ、頭の中では睡眠魔法術の発動準備を整え。 闘牛かイノシシよろしく突っ込んでくる女主人を寸前で避け。 勢いあまってベッドに突っ込み、大きく体勢を崩す彼女に、ルーティンは準備しておい た魔法術を放った。 「〈フィル・エデン〉!」 空間に小さな波紋を描き、魔法術発動。 起き上がろうと足掻いていた女主人の身体から、ふっ――と力が抜ける。 「…」 女主人の安定した寝息を耳にしたところで、ようやくルーティンも、安堵の吐息ととも に構えを解いた。 そこでふと、隣室で寝ているはずの相棒のことが思い出される。 「…まったく、隣の部屋で相棒が襲われてるってのに、なんで起きてこないんだよ」 「…いや、起きてたんだけど、なんか邪魔しちゃ悪いと思って、気を利かせてみたり」 「そういうのは『気を利かせた』って言わないんだよ」 いつの間にか部屋の出入り口に立っていたロックの言葉に驚きもせず、ルーティンは背 を向けたままツッコミを入れた。 「お前、最初から気付いてただろ、ロック」 「街の宿屋だからって熟睡できるほど、平和ボケはしてないからな」 しゃあしゃあと言い切る。 「だったら助けてくれてもいいのに…」 「よく言うぜ。ホントは楽しんでたくせに」 「……へへ」 照れ隠しに笑って、ルーティンは鼻先を人差し指でこする。 と、そこで、あることに気付き、振り返らないままロックに尋ねる。 「…そういえば、レジィは?」 「『そういえば』って、何よ。あたしのことを忘れてたわけ?」 すこぶるご機嫌斜めといった感じのレジィの声に驚き、振り返る。 かなり険悪な目つきのレジィが、苦笑するロックの横に立っていた。 我ながら、なぜ気付かなかったのか不思議に思うルーティンだったが、取りあえず、こ れだけはハッキリしていた。 こいつは、このレジィは、やばい。 「…な、なんだよ。いるならいるって、言ってくれてもいいのに」 「気が利かなくて、ごめんなさいね。寝起きで頭がボーッとしてるの」 「…そ、そう」 「せっかく気持ちよく寝てたのに、いきなり誰かさんが真夜中に乱闘騒ぎなんか起こして くれるもんだから」 「乱闘って」 さり気なくツッコミを入れてみるが、そんなものが通じるレジィではない。 「そもそも気に入らないのは、か弱いあたしを襲わないで、ほとんど絶対無敵のルーティ ンを襲ったっていう、まさにそこよ」 「そんなむちゃくちゃなこと言われても」 「なんとなく、雰囲気で分かったんじゃないか?」 「ちょっとロック、どういう意味よそれ」 「…まあ、それはともかく」 「ともかくじゃな――」 食い下がってくるレジィを、ロックは口元に人差し指をあてるジェスチャで制した。 「…ルーティン」 「ん?」 「お前…この街でなんか目立つようなこと、した憶えあるか?」 「…はあ?」 ロックが何を言いたいのか分からず、ルーティンは間の抜けた声で聞き返していた。 「あるわけないだろ。人畜無害な若手実力派ハンター相手に、接触すらとろうとしてくれ ない街だぜ? 目立つも何も、その元になるものがないよ」 「今すげえ自分のこと持ち上げたな。…レジィは?」 「あるわけないじゃないの馬鹿」 「うあ何気にムカツクことを」 一瞬こそヤな感じの空気が漂ったが、どうやらロックはそれどころでないらしく、あっ さりと退いて話を戻した。 「…ともかく、みんな身に憶えはなし、だよな」 訝るルーティンとレジィの視線を受けながら、ロックはすたすたと窓際に歩み寄った。 「…じゃあ、もう一つ質問」 窓の外――というより、下を見下ろしながら、言う。 「この宿に、俺たち以外で泊まってる人間、いたか?」 「…?」 一瞬の硬直の後、ルーティンとレジィは視線を重ね、さらにその後、それぞれの個性で ――ルーティンは腕を組み、レジィは口元に軽く握った拳を当てて――思考を巡らせた。 「…いなかった、と思う」 「あたしも」 「…だよな」 「なあロック、一体どういうことだよ」 「…うん。 少なくとも、今ので三つ、ハッキリしたことがある」 ロックはルーティンたちを振り返り、片手の指を三本立てた。 「一つ。俺たちはこの街で、まだ有名じゃない。 二つ。この宿に俺たち以外の客はいない」 ここで、間。 「…三つ目は?」 ルーティンが促すと、ロックは肩越しに窓外を指差し、 「窓の外、見てみな。答はそこにある」 「…」 再び、間。 漂いかけた沈黙の空気を払うように、ルーティンは窓辺に歩み寄り、そこから外を見渡 し――。 「――!」 言葉を、失う。 あとを追うようにやって来たレジィも、同様に窓外の景色に視線を送り、一瞬にしてそ の表情から余裕が消え、驚愕とともに言葉を失う。 まるでゾンビのように、どこか意志の感じなれない足取りで群がってくる人々の波が見 えた。彼らは一様にして、この宿屋を取り囲まんと集まってきている。月明かりが、彼ら の気味の悪さを増長していた。 「……今の段階でハッキリしたこと、その三つ目は」 その口調になんら変化をもたらさず、ロックはあっさりと言った。 「…それは、いつの間にか俺たちが、有名人になってるってことだ」
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