「…そういうことか」 我ながら冷静でいられることに驚きを感じつつ――もしかしたら、そう感じる感覚自体 が麻痺してしまったのかもしれないが――ルーティンはつぶやいた。 「…街の人間に目撃者がいなかったのは、街の人間全員が実行犯だったせいか」 「そういうこった。ご丁寧に操られて、街中総出で犯罪の片棒を掴んでたわけだ」 「操られて?」 やっと驚愕から覚めたレジィが、不思議そうに尋ねてくる。 「じゃあ、何? 真犯人が別にいるっていうこと?」 「ああ。まず間違いないよ」 「あの目を見りゃ分かるだろ。どう考えても『自分で考えて行動してます』って感じじゃ ないぜ」 「…じゃあ、誰が真犯人なの?」 「それは、俺たちだってまだ分からないさ」 「それを、これから調べるんじゃねぇか」 「…」 やたらと息の合ったルーティンとロックの言葉が、レジィのプライドをつつく。一人だ け除け者にされているような心持ちだ。 「…で、まずどうするわけ?」 急激に気分を害しながら放った言葉は、どんな馬鹿でも読み間違えないほど、明瞭に彼 女の心境を物語っていた。 ただ、レジィの心境を理解することと、その後のフォローができるかどうかでは話が全 く違うわけで。 「…なんだよレジィ。なんで急に怒ってるんだ?」 「何言ってんだよロック。それはさっき、気持ちよく寝てるところを俺のせいで起こされ たからだって、本人が言ってたじゃないか」 「あーあー、そうだったな。わり、睡眠不足で記憶が曖昧になっちまっててさ」 「あー、それだったら俺も同じだから、全然問題ナッシング」 「そうかそうか、問題ないか」 「ああ」 「はっはっはっはっ」 「……あんたたちは……」 会話に比例してハイになっていくルーティンとロックは、どうやら冗談というわけでは ないらしい。今や精神的には完全に置いてけぼりをくらったレジィは、じんじんとこめか みに染み渡る頭痛にイラつきながら、取りあえずルーティンの――ロックよりは力で勝て そうな気がしたのだ――首を絞めた。 「だから、ま・ず・ど・う・す・る・の?」 「…ちょっとヤバイぞ、レジィ。指が頚動脈にいい感じで」 どうやらレジィの寝不足も深刻なようだ。おかげでルーティンは自分を取り戻したが。 「…ともかく…」 解放された喉元をさすりながら、ルーティンはぼやいた。 「今みたいな、事実ばかりが先行した状況じゃあ、何もできない。できるだけ早く、多く の情報が欲しいんだ。 レジィ。お前のおふくろさん、何か教えてくれなかったか?」 「…お母様が知ってるわけないわよ。 そもそも、この事件が全く解決の兆しを見せないから、お母様から、誰か知り合いに腕 の立つ人は思いつかないかって聞かれて、それであたし、思いつく限りで一番頼れそうな 人間を教えてあげたんだもの」 「…なんか俺、レジィのおふくろさんの行為に作為的なものを感じるぞ」 うめくようにつぶやくロックに、ルーティンはうなずいた。 「多分、それは間違ってない気がする」 「お母様、あんたたちなら期待できるかもって言ってたわよ。もともと実力はあるし、今 じゃ結構有名だしね」 「ハンターズ・ギルドを束ねるベロニカ総統のご息女から、『一番頼れそうな人間』に選 んでいただけるとは光栄です」 「茶化すのはやめて」 「けどよ、街の人間は全員あんな状態だぜ? 情報どころじゃねぇよ」 「でも、相手のことを知らないまま勝負を挑むってのは、危険極まりないんだよな…」 「……ちょっとルーティン、あんた、まさか……」 ゴクリ、と唾を飲み込んで、レジィは言った。 「あんたまさか、今夜は何がなんでも逃げ延びて、明日、街に出て情報収集するつもりじ ゃないでしょうね?」 「……その方が、ハンターとしてのビジネスの確実性は格段にアップするんだ。だから、 本当はそうしたいんだけど」 「そんなの無理に決まってるじゃない! 何考えてるのよその頭はッ!」 「だあああああっ、わめくな騒ぐな首を絞めるなっ! 『だけど』って言っただろ! 頼むから最後まで話を聞いてくれっ!」 取り乱して暴れだすレジィを怒鳴って黙らせ、ルーティンは咳払いを一つした。 「…だけど! …だけど、今はそんな悠長なことをしてられる状況じゃない。だから…」 「…だから?」 「……取りあえず、ここを離れよう」 『は?』 ロックとレジィが揃って間抜けな反応を示すのと、 なにやら階下から物音がしたのとは、ほとんど同時だった。 「…な、何? 今の音」 「多分、操られた街の人が、この宿に入ってきた音だと思うけど」 「間違いないよな」 「…冷静に分析されるのは結構ですけどね、これであたしたち、掛け値なしのピンチに陥 ってると思うんだけど」 「大丈夫。なんとかするさ」 「その自信はどこから…。 だいたい、なんとかなるなら誰も苦労なんか…」 「違うよ、レジィ」 「…え?」 聞き返してくるレジィに、ルーティンは不敵に笑んだ。 「なんとか『なる』んじゃない、なんとか『する』んだ」 ※ 「導け白翼、〈フリップ・フラップ〉!」 ルーティンが言葉を発すると、彼と、彼の両手をそれぞれ掴むロックとレジィの足元で 風が巻く。やがて三人の身体が中空に浮いたところで、ルーティンは部屋の窓から深夜の 市街上空へと飛び出した。 「やっぱいいよな、空飛べるってのはさ。気分いいぜ!」 真っ先に歓声を上げる、ロック。 「…こればっかりは、風系魔法術を使う魔道士の特権よね」 こちらも、まんざらでもなさそうなレジィが、同調する。 「…でも、術者は大変そうだけど」 「こら、そこ。誰に向かって言ってんだ」 心外そうに反論してきたルーティンを、レジィは見上げた。 「つらくないの?」 「俺を誰だと思ってるんだよ。俺は――」 「はいはい、分かってるわよ。 ルーティン・ザ・マジック・マスターさん?」 通常、魔道士としての才を持つ者が魔法術を習得するには、魔法術の元となる魔法言語 を精神領域下に焼き付ける、『導入(通常はインストールと表現される)』というプロセ スをクリアする必要がある。ただし、現段階で魔法術が複数(その実際の数と系統は、魔 道士たちの機関『魔道連盟』が極秘としている)に系統分けされていることに対し、人間 の精神意識下における容量は非常に小さく、普通の人間では、一系統の魔法術を習得する ので精一杯である。そこで、その人物が持つ先天的属性(プロパティ)を調べ、それに合 った系統の魔法言語をインストールするのだ。これが、世間でも一般的に知られている、 魔法術使用可能までのプロセスである。 しかし、言うまでもなく例外は存在する。一体どういうわけか、常人の五倍の精神容量 を持つルーティンは、十系統の魔法言語をインストールしている。昼間、センティストで 大陸鉄道が賊の襲撃に遭遇したとき、その賊の一人が、魔法術を扱うルーティンを見てパ ニックに陥っていたのは、そういう経緯があったからである。 「…でも、マジック・マスターは言いすぎだよな。マスターしてないもん」 恥かしそうに言うルーティンを、ロックは笑った。 「何言ってんだよ。二つ名ってのは、そういうもんだろ? いいじゃないか。俺ら、ちょっとした有名人だし」 「…まあ、そうだけどさ」 「はいはーい。ルーティン先生、質問」 「どうぞ、レジィ君」 「ルーティンってさ、確か精神容量が普通の人間の五倍あるのよね?」 「…うん。そうだけど」 「でもさ、ルーティン、使える魔法って五系統どころじゃなかったわよね。計算が合わな いんじゃない?」 「…ああ、それはちょっとした仕掛けがあるんだよ。 『圧縮』って言ってさ、魔法言語を精神意識下でまとめるんだ。 例えば、『火』の系統に属する魔法術は、それぞれ威力も効果も違うけど、根本的なと ころ――魔法術の発射準備完了までのプロセスとか――はみんな同じなんだ。そういうと ころを一つにまとめれば、それだけ精神容量に余裕ができるってわけさ」 「ああ……そういうことね」 今の説明だけで理解したらしく、レジィは感心した様子でうなずいた。ロックは、何や ら気分でも悪そうに頭を抱えている。 「ただ、『圧縮』された魔法言語は、魔法言語として機能することはできないんだ。だか ら、圧縮した魔法言語を使いたいときは『展開』っていう処理をして、魔法言語を元の状 態に戻す必要があるんだよ」 「…じゃあ、ルーティンは魔法術を使うごとに、その『圧縮』と『展開』を行ってるって こと?」 「うん、そう。俺の場合は、物理的に作用する魔法術を『物質界』、精神面に作用する魔 法術を『精神界』にそれぞれパッケージングして、必要に応じて展開するようにしてる。 もともと精神容量が他人より大きいから、それくらいの分割でも大丈夫なんだ。 実際、圧縮には圧縮率ってのが絡んでて、その圧縮率を上げれば上げるほど、精神容量 には余裕ができるんだけど、その分だけ展開に時間がかかるから、魔法術の速射性に影響 が出てくるんだ。本当はもっといろんな魔法術も使ってみたかったんだけど、そういう問 題が あったから、最低限必要な魔法言語だけインストールしたんだよ」 「要するに、ルーティンが精神容量をオーバーした魔法言語をインストールできているの は、それらを小さく圧縮することで魔法言語一つ一つによる精神容量の占有を小さめてい るから、ってこと?」 「その通り」 「…俺、どっちもよく分かんねえ。前から何度も教えてもらったけど、それでも分かんね え」 「ふっ。一度聞いただけで理解したあたしとは違って、体力お馬鹿には、ちょっと難しか ったかしらね」 「なんだと!」 「あー。いちいち喧嘩するなよ」 「喧嘩じゃないわよ」 「喧嘩じゃねえよ」 「…あのね。そういうのを、世間一般じゃ喧嘩ってゆーんだよ」 「へー、初耳だな」 「うそつけ」 「あたしも初耳」 「うそつけ!」 ほとんどヤケになる勢いで怒鳴ると、ルーティンは苛立ちをまとめて吐き出すように、 大きくため息をついた。 「取りあえず、これだけは言っとくぞ。 さっき、今夜一晩を逃げ切るのは無理だ、って言ったけど、速攻で解決するにしろ、相 手が誰なのかを特定できない今の段階じゃ、こっちから攻撃に出ることはできない。 でも、方法はある」 「…どんな?」 「キーになってくるのは、この街で旅人の失踪事件が囁かれるようになる半年前から今ま で、この街の真相を見て帰ってきた者がいない、っていうところだ」 当初、この街での旅人の失踪は絶対ではなかった。 サンマリノは大陸最大の漁港である。大陸内の他の国や街はもちろん、海の向こうから やってくる人々でも賑わっていた。無論、旅人の類も多くこの街を訪れていた。それだけ 多くの人間が溢れかえっていた中で、一体どういう手を使ったのか、旅人を標的とした失 踪事件がランダムに発生するようになる。そのランダム性は時間とともに失われ、今では こうして、旅人が必ず消える街が出来上がっているわけである。 だが、それだけのことがあったにもかかわらず、今まで誰一人として、この街が夜にな ると著しく変貌することを口にした者はいなかった。 「それって、この街で事件に遭った旅人は、例え何があろうと、最終的には必ず失踪して るってことか?」 「そういうこと。で、街の人間が揃って操られているくらいで、旅をやってる人間がそう そう簡単にやられるかを考えてみると、これがいまいち、説得力ないんだよな」 「今のあたしたちみたいに、飛んで逃げることもできるから?」 「それもあるし、ある程度の力があれば、操られた一般人を傷付けずにやり過ごすことも 不可能じゃないと思う。逃げる方法は結構あるんだ」 「じゃあ、それでも生きて帰ってきた人間がいないってことは…」 「うん。生きて帰れない理由が、他にあるってことだ」 「…何か、心当たりでもあるみたいな言い方ね?」 「……」 ルーティンは数秒ほど黙った。 「…この街…さ、魔道連盟の支部があるんだよ」 「…」 言いにくそうに切り出したルーティンの一言に、今度はロックとレジィが黙った。 話を聞くために黙った、という感じではない。掴んだ手を通して伝わってくる感情は、 できれば知らないほうが良かったかも知れないことを知ってしまった、という、後悔の色 が強かった。 二人ともルーティンの話す話題の先が読めているようだ。その先読みした内容も、これ からルーティンが話す内容と、ほぼ違いはないだろう。しかし、万が一ということもある ので、一応、ルーティンは話を続けることにした。 「…それで、さ。大人数で展開した包囲網を少人数の人間が突破して、しかもその少人数 勢力が空に逃げちゃったら、大人数勢力はどうするかな」 「特大ヒント付きのスペシャルクイズ。当てなきゃ馬鹿丸出しってことか。 …あんま答えたくねえなあ」 「…あ、あたしも嫌よ。答える気なし」 なぜか揃って解答を渋る二人に、ルーティンは確信を得た。 二人が想像していることと、自分の予想していることとが、間違いなく一致しているこ とに。 「…なんだか二人とも想像ついてるみたいだけど、一応、解答者なしってことで、正解の 発表を」 「発表すんなよ」 即座にストップが入った。 「こういう場合、話がそういう方向に進むと、なぜかそれが本当になるっていう恐ろしい セオリーがあるだろ?」 「…まあ、そうだけど。多分、大丈夫だよ。それって大概、話がそれらしくなった段階で 道は決まってるから」 「…いや、フォローになってないし」 「それに、なんとなく分かるんだ」 「…何が?」 「…いや、ほんとに『なんとなく』なんだけど…」 そこまで言ったところで、ふと何かに気付いたように、ルーティンは眼下に広がるサン マリノの街並を見下ろした。 「…どうしたの?」 「……」 レジィの言葉に無言を返し、ルーティンはなおも眼下への注意を強めた。 何かを、見つけようとしているようだ。 「…ルーティン?」 ロックの言葉にも特に反応はせず、ルーティンは小さく吐息した。 「…やっぱりな…」 「何がだよ?」 「…さっきの話の続きだよ」 「『なんとなく分かる』ってやつ?」 「そ」 「何が分かるんだよ」 「うん…」 どこか諦めたようにルーティンは言った。 「…俺たちみたいなキャラクターってさ、なんか特に意識とかしなくても、厄介事の方か ら勝手に近付いてくると思うんだ」 「あ、それあるかも知れねえ…な…」 言いかけて、何か激烈に嫌な予感を感じ、ロックは語尾をかすれさせた。 「…ルーティン。お前、今、何を見下ろしてた?」 「…そういえば、さっき魔道連盟の支部がどうとか…」 「……まあ、冗談言ってられる状況じゃないし、ハッキリ言うけどさ」 「…言っちゃうの?」 「言う」 やはり、あまり気が乗らないらしいレジィに、ルーティンはきっぱりと言った。 「いいか。この街の人間は、おそらく全員、間違いなく何者かに操られている。それは何 度も言ってるから分かってるだろうけど、その操られてる人間の中に、この街の魔道連盟 支部に配属されている魔道士もいるんだ。 …で、その魔道士連中が今、揃って俺たちを狙ってる」 「――っ!」 「俺はお前らを運ぶのに両手を塞がれてるから、大した魔法術も使えない。 なるべく早く下りられる場所を探すから、それまでなんとか持ちこたえろよ」 「…ちなみに、相手の数は?」 「いっぱい」 「うわ」 「分かりやすいけどタチ悪いわ、それ」 冗談で言ったわけではないのだが、少しばかり気の利かせ方に問題のあるルーティンの 一言は、見事に二人の気を害してしまった。 「…で、ルーティン。その『いっぱい』の魔道士連中が操られて、これから派手に人を的 当てゲームよろしく狙ってくるのを、お前に片手を預けた俺とレジィでどうにかしろって のか?」 「…」 一瞬、間が空いて。 「こうなった以上、他に方法がないだろ?」 「…ふぅむ…」 何やら、思案するような仕草をわざとらしく見せて、ロック。 「ま、他ならぬ相棒の頼みだ。こっちの命もかかってるしな、なんとかするさ」 「頼むよ」 「ただし、これは貸しだからな」 「…」 「ちゃんと返せよ。『晩飯一回おごり』で手を打とう。すげえ、俺ってば優しい」 「…」 「あたしも貸しよ。ちゃんと返してね。 言っとくけど、あたしはロックほど安くないわよ。乙女をこんな危険な状況に追い込ん だんだもの。それなりのことはしてもらわないとね」 「…」 「あ。そういえば、そもそもルーティンとロックがあの宿でのたくたやってなければ、こ ういうことにはならなかったのよね。 ロック、あんたにも貸し一つよ。ちゃんと返してね」 「何ぃっ!」 「だああっ、貸し借りの話は後にしてくれ! 来るぞ!」 『――!』 ルーティンの言葉に、ロックとレジィの注意が一瞬にして眼下に向けられた、その時。 どこからか放たれた一発の光弾が、三人に急速接近する。 「甘いぜ!」 反応したのはロックだった。素早く突き出した右手の掌に、弾けるようなエフェクトと ともに緑色の光弾が生まれる。 魔法術を扱えないファイターたちが編み出した技、気孔だ。 「ぶっ飛べ、〈気弾〉!」 ロックの手から歯切れよく打ち出された光の弾は、寸分の狂いもなく、迫り来る光弾に 重なるように衝突し、集束し、霧散する。 「おっしゃ、余裕っ!」 「馬鹿、一発防いだくらいでガッツポーズなんかとってる場合か、ロック! すぐ次が来 るぞ!」 「いっ――!」 さきほどの『いっぱい』よりも現実味のある、切羽詰ったルーティンの声に、さすがの ロックも一瞬うろたえ、行動に隙が生じる。 その瞬間を待っていたかのように、その瞬間が来るのを分かっていたかのように、今度 はまとめて何発かの光弾が打ち込まれる。 が。 「阻む者、〈フォース・フィルド〉!」 やはりこちらも展開を予測してか――レジィの発生させた力場の壁が、襲いかかる光弾 群をことごとく弾く。 その全てを防ぎきったところで、レジィはロックに微笑みをかけた。あえて表現するな ら、その笑みは「ふふん」といった感じである。 「男っていいわね。なんでもないことで喜べて」 完全に嫌味である。 しかしロックも負けてはいない。 「あー、女の合理さも少しは勉強したほうがいいかもな。無意味なくらい」 沈黙、きっかり五秒間。 「その喧嘩買ったわよっ!」 「上等っ!」 「だから喧嘩はやめろって――」 言いかけて、ルーティンは気付いた。 今のこの瞬間――この瞬間は。 相手にとって、最大級の好機だ。 「――っ!」 慌てて、言い合うロックとレジィを黙らせようとした、その瞬間。 今度こそ、まさに怒涛(どとう)のように打ち込まれる光弾群。 しかも、今回の数は十や二十で片付く量ではない。 「おっ――」 瞬間、時間が止まったような感覚を覚えたのは、果たして気のせいだったのか。 「おいっ!」 ロックが怒鳴った。だが、無論それで状況が好転するわけもなく、光弾群は、さながら 夜空を逆に突き抜ける流星のように、一丸となって三人に襲いかかる。 「…くっ…!」 ただ一人、相手の詳しい数をだいたい理解していたルーティンは、小さく呻きつつ、し かし意識下では、すべきことをしていた。 ▼増幅魔法、ブースト・マジック。 ▼現実行魔法術を、増幅率二倍、時間制限一秒間で設定。 ▼魔法術の効率最適化処理、スキップ。 ▼…設定完了。 ▼キーワードによる処理開始、実行可能を確認。 ――よし! それらは全て、精神世界でのなんでもない行為。 しかし、それらは全て、現実世界での一瞬にも満たない出来事。 目を見開き、ルーティンは力強く言葉を放った。 「増幅!」 全身に、何かが圧し掛かってくるような感覚。確かな実感。 光弾の群れが、今まさに襲い掛かろうとしたその瞬間、そこにいるべきルーティンたち の姿は突如として掻き消え、本来のターゲットを失った光弾群は、夜空の高みを求めて高 く高く昇り、消えた。 …いや。ルーティンたちは掻き消えたのではない。 掻き消えて見えるほどのスピードで、移動したのだ。 「…え?」 今さらのように、辺りをきょろきょろと見回すロック。彼にしてみれば、視界に収まっ ていた風景が一瞬にして変化したようなものである。無理もない。 「な、なんだ? 助かったのか、俺たち?」 「違うわ」 ロックの言葉を微妙に訂正して、レジィは頭上を見上げた。 「ルーティン、大丈夫?」 感謝ではなく、気遣うような物言いのレジィに疑問を感じ、ロックも頭上を――頭上の ルーティンを見上げる。 少々疲弊した様子の相棒を、そこに見た。 「お前、本当に大丈夫なのか?」 「…ちょっと疲れたけど、なんとか」 「疲れた、って…」 「待って、ロック。話をするにしても、ここは危険すぎるわ。 ルーティン、取りあえず――」 完全に冷静さを取り戻して、レジィは街の北側を指差し、 「――あっちへ、飛ばして。 疲れてるところを悪いんだけど、でも、ここで操られた魔道士たちに、魔法術で蜂の巣 にされるよりは――」 「…ああ、分かってるよ」 ルーティンは、見かけよりも活力のある声で応えた。 「こんなところで駄弁(だべ)ってる場合じゃない、ってことだよな?」 「できる?」 「えっと…」 ルーティンはそう言って、再び意識下での処理を開始した。 ▼増幅魔法、ブースト・マジック。 ▼現実行魔法術を、増幅率二倍、時間無制限で設定…。 ▼…警告。過去五分以内における再使用を確認。 ▼…警告。精神意識下における過負荷、及び長時間の使用を自動考慮。 ▼増幅率を一・四に修正後、再設定。 ▼…設定完了。 ▼キーワードによる処理開始、実行可能を確認。 「…くそ」 意識下での処理を終えたところで、ルーティンは舌打ちした。 「やっぱり、さっきほどの出力は見込めないか…」 「…無理?」 「いや、無理じゃない。でも、さっきはとっさのことで、力の使い方とか効率とか、そう いうの全く考えずに魔法術を使っちゃったから、今も意識下に後処理しきれてない領域が 残ってるんだ」 「どれくらい、いける?」 「さっきが通常の倍で、今度はせいぜい一・四ってところ」 「それでいいわ。それ以上のことは、あたしとロックでなんとかする。 ロック、いいわね?」 「…ああ。 難しいことはよく分かんねえけど、要するに、今からルーティンが安全なところまで最 大速度で飛ばす間、俺とレジィが敵の攻撃に注意してりゃあいいんだろ?」 「…ま、まあ、それはそうだけど…………あんた、ホントにあたしとルーティンの話、聞 いてた?」 「いいよ、ロック。それだけ理解してりゃ十分だ。難しかったところは、後でちゃんと説 明するさ」 「…後で、だな?」 『後で』というところを強調して――その表情は不敵に笑みながら――聞き返すロック に、ルーティンも不敵に笑んで返した。 「ああ。ここを切り抜けた後でな!」 すでに勝った気でいる。二人とも、大した自信と根性だ。 「飛ばすぞ! しっかりつかまってろよ!」 「おう!」 「無理はしないでよ! 私が依頼した仕事ではあるけど!」 ルーティンの手を掴むロックとレジィの手に、今まで以上の力がこもる。 「よし……行くぞ! 増幅っ!」 再び、全身に重圧感。 先ほどよりも効力を抑制しているが、それでも、すでに増幅魔法を一度使用し、疲労し たルーティンの身体に、二度目の増幅魔法はきつい。 だが、だからといって『できません』で終われる話でもない。まだ多少の無理でどうに でもなる話だし、何より今は命がかかっているのだから。 「――んなろおおおおおおおおおっ!」 身体の奥底から湧き上がり、胸の奥で滾るものを、声に出して体外に解き放つ。 意識下で練り上げられ、組み立てられた精密な設計書が、精神エネルギーによって現実 の世界で具現する。 魔法術、発動。 再び、ルーティンは風になった。 先ほどよりもスピードは落ちているが、それでも自分以外の二人にも魔法術の効果を及 ぼし、これだけのスピードを出すなど、並の魔道士にできる芸当ではない。 だが、感嘆はすぐさま緊張に変えられた。 暗闇に閉ざされた市街地のいたるところから、光の弾丸が次々と撃ち込まれる。 「来たな!」 ロックは右手を突き出した。 「名誉挽回! 押し潰せ、〈波弾〉!」 放たれた緑色の光球は振動音を伴い、押し寄せる光弾群を目掛けて突き進む。 と、次の瞬間、球の形状をしていたロックの光弾が突如、伸ばされた菓子の生地の如く 広がった。 滑稽としか表現しようのない状況。 まさに網さながら。撃ち込まれる光弾のことごとくを、ロックの放った光の膜が受け止 める、受け止める。そりゃもう、片っ端から受け止める。 ある程度の光弾を受け止めたところで、ロックは掌を強く握る。 光の膜が、今度は包み込むように集束。その内側で、受け止めた光球がぽこぽこと弾け ているが、光の膜に威力を完全に殺され、被害は全く無い。 光の膜は小さく小さく縮こまり、やがて目にも見えないほど小さくなったところで、パ チン、と破裂した。 「へへっ、どうだ! 俺の技はただ攻めるだけのシロモノじゃないんだぜ!」 「すごいぞロック、その調子だ!」 「いいわよロック、その調子!」 「おうっ!」 ルーティンとレジィに褒められ、ロックのやる気は俄然高まった。 一瞬にして、おそろしいほどのチームワークと、その形成。間髪置かずに襲いくる敵の 第二波にも、一瞬とて動じない。 「レジィ、もしものときの防御、頼むぞ!」 ロックは一方的に叫んで、すでに光球の生み出されている右手を――鳩にパンのかけら でも撒くように――払った。 「弾け飛べ、〈霧弾〉!」 ロックの次なる技は、無数の小さな気弾を生み出すものだった。だが、無論ただそれだ けのものではない。それらは移動という移動を全くせず、空中に浮遊して停止している。 地上から見たとき、もしもロックの持つ気の色が緑色でなく然るべき色であったなら、夜 空に輝く星と見分けがつかなかっただろう。そのくらい、ロックの放った気弾群の数は多 く、その一つ一つは小さかった。そしてその小さな気弾の一つ一つが、まさに霧のごとく 密集し、ルーティンたちへ襲いかかろうとする敵の光弾の行く手を遮る。 ――そして。 光と光が衝突し、破裂音と明滅を激しく繰り返す。 「…なんか、花火みたいね」 ポツリとそんな感想を口にするレジィに、ロックは首をかしげた。 「なんだそりゃ?」 「東の大陸に古くから伝わる遊びよ。実際に見たことはないけど、本で読んだことがある わ。火薬を包んだものに火をつけて、火花が散る様を見て楽しむの」 「へえ…」 「その中でも『打ち上げ花火』って呼ばれる類のものは、色々な色のついた小さな火薬の 玉を、丸い容器の中に模様を描くように詰めて、それを大砲――ほど物騒なものでもない けど、まあ筒状のもので夜空に打ち上げて破裂させるの。そうすると…」 「…あんな感じに、なるわけだ」 眼下で今も続いている光の明滅を見下ろして、ロック。 「…東の人間は独特の文化を築いているとは聞いてるけど、まさか火薬まで玩具にしちま うとはな。すげぇもんだ」 「本当の花火は、すごく綺麗らしいわ。一度くらいは見ておきたいわね」 ――まあ、何にせよ。 ロックの言っていた『もしものとき』は訪れなかった。操られた魔道士連中の攻撃は、 全てロックの気弾群に遮られ、ルーティンたちに届くことはなかったのだ。 いまだに続いている破裂音を背後に置き去り、すでに彼らは、次なる話題――東の大陸 の話に夢中になっていた。
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