街の北側は、南側よりも人の生活の匂いがしなかった。 もとより南側に向かって傾斜のかかった地形である。しかも、その南側は海に面し、街 自体が漁業を中心としているのだから、まあ当然と言えば当然なのだが。 ルーティンたちは、この街で最も高い場所にいた。しかし、そこにはまるでこの街を見 守っているように立っている巨樹が一本、あるだけだ。それ以外は何もない。 いや、『何もない』というのは、進化を重要視する人間の身勝手な観念から見た話であ って、そこには巨樹がそびえ立ち、足元には草花が生い茂り、柔らかな土の感触があり。 吹き付ける潮風は頬を撫でてゆき、雲無き夜空には星が瞬いている。それは、人が介入し ないからこそ存在することが可能な、皮肉にも美しい光景だった。 あるいは、元のままの姿を持つものに対して『美しい』と表現すること自体、間違って いるのか。 「…調子はどうだ? 大丈夫か?」 相棒の声に、閉じていた瞳を半分開く。 例の巨樹の幹に寄りかかって休んでいたルーティンは、相棒に笑みを返した。 「…ああ、休んだ分だけ楽になったよ。 もともと魔法術を使いすぎたことによる精神的な疲労だから、少し休めば動けるように もなるさ」 …とはいえ。 精神容量をギリギリまで使った魔法術の使用は、さすがのルーティン・ザ・マジック・ マスターにもこたえていた。 念のために断っておくと、少し休めば…というロックへの言葉に偽りはない。実際、今 も動けないわけではないのだ。ただの精神的疲労なのだから。しかしまあ、精神と肉体と いう相反する存在が、なぜか、どういうわけか密接につながっているのは、言うまでもな い。精神が疲れれば、肉体も疲れてしまうものだ。 そもそも、魔法術の使用に対して精神的疲労が生じるのは、魔法術使用時に精神容量を 必要な分だけ一瞬にして取得するのに対し、魔法術使用後に取得した精神容量を開放する 行為に少しばかり時間がかかるためである。当然それは大技になればなるほど顕著に確認 できる現象で、こればかりは、常人の五倍の精神容量を持つルーティンとて、例外にはな らない。むしろ精神容量が大きいことで、妙な勘違いをする輩も少なからずいる。好き勝 手に何も考えずに魔法術を連発し、気付いたら疲労で動けなくなっていた、などという事 態に陥るのだ。修行中の魔道士がよくやることだが、精神容量の大きな魔道士の卵は、特 にそのケースによく陥りやすい。 ちなみに、 「…そもそも魔法術って物自体、古代の人間が作り出したものだからね。自然に発生した 技術じゃないから、必ずしも人間の身体や精神に対応してるわけじゃない。まあ、多少の リスクは仕方ないさ。でもまあ、それでも少し疲れる程度で済むんだから、人間の産物と しては、それほど悪くないだろう?」 というのは、ルーティンの弁である。 「…さて」 休み始めてから数分後、そんな感じでルーティンは切り出した。表情にまで出ていた疲 弊の色は、だいぶ薄れている。 「これからどうしよう?」 「…どうするの?」 「どうするんだ?」 「……」 見事なまでに空気が重たくなった。 「…あ、あのさ」 やっとの思いで、うめくように言う。 「…全員質問しても、意味がないと思うんだけど」 「そりゃそうよね」 「だよな」 「でも、実際どうするわけ?」 「なんかこう、どうにかしないとな」 「どうにかしたいわよね」 「当然、どうにかしないとな」 「むしろ、どうにかすべきよね」 「ってゆーか、どうにかするしかないんじゃないか?」 「そりゃそうよね」 「だよな」 「でも、実際どうするわけ?」 「なんかこう、どうにかしないとな」 「うーだー!」 ロックとレジィの掛け合いが二週目に入ったところで、ルーティンは唸った。 「分かった。もうこの上ないくらい密度の薄い会話だったけど、何が言いたいのかはなん となく分かった。分かったから、黙ってろ二人とも」 頬を引きつらせながら、それでも極力平静さを装い、ルーティンは話を本題に戻した。 「…まず現状の把握。次に対策の模索。でもって行動開始。意義は?」 「意義なーし」 「あたしも意義なーし」 「……」 再び、間。 あまりに軽いロックとレジィの賛同に、ルーティンは半眼になって二人を睨んだ。 「……もしかしてお前ら、最初から面倒なことは俺に任せるつもりだったんじゃないだろ うな?」 「それは誤解だ。真っ赤な誤解だ」 「なんだよ『真っ赤な』って。合ってるのか使い方? しかもなんか、やたらと反応早い し」 「な、何言ってるのルーティン、あたしたちは切迫よ」 「切迫じゃなくて潔白だろ。差し迫ってどうする。しかも、どもってるし。 つーか二人とも、言い訳の量だけ信用性がなくなることに気付けよ」 『…………』 冷静かつ容赦のないツッコミに揃って沈黙するロックとレジィは放っておいて、ルーテ ィンは話を進めた。 「取りあえず始めるぞ。まず現状の把握。 今の段階で分かってることを思い出してみよう」 ルーティンがそう言い終えるや否や、 「…ねえ、その行為に意味はあるの?」 真っ先に、レジィが反論してきた。 「なんか、気付くと結構やってるわよね、その確認作業みたいなの。それって無駄っぽく ない?」 「無駄じゃないさ。こうやって再確認することで、忘れていたことを思い出したり、気付 かなかったことに気付いたりできるんだから」 「それに、俺らの仕事は命がかかってるからな。確実な状況把握と対処は、俺たちハンタ ーの常識なんだぜ」 「ふぅん…」 感心したように、レジィ。 「…なんだかプロみたいね」 『プロなんだって』 あっさりと意外そうに言うレジィに、ルーティンとロックは即座に揃ってツッコミを入 れた。 「…とにかく」 話を戻す。 「まずは現状の把握だ。二人とも思いつく限りでいいから、今回のこの一件について分か っていることを言ってみてくれ」 「街の人間が全員操られてる」 ルーティンが促すや否や、ロックが言う。 「しかも、その操られた街の人間たちが、訪れた旅人を次々と…」 ロックの言葉を継ぐように口を開いて、しかしレジィは、セリフを中途半端なところで 切り、何か思考するように拳を顎にあてた。 そして。 「…ねえ」 数秒ほどしたところで、再び口を開く。 「…なんか、おかしくない?」 「…ふむ」 軽く腕を組んで、つぶやくようにルーティンは言った。 「なんか、おかしい感じだよな」 「…なんだよ、なんかおかしいか?」 ロックは話についてこれていない。 「…ロック、ちょっと想像してみろ。 例えば、一人のハンターの男がこの街を訪れたとしよう。理由はなんでもいい。恐いも の見たさでも、ちょっとした興味でも、難事件を解決して売名したかったんでも、なんで もいい」 「…ああ」 「で。そのハンターが街を訪れた日の夜、今夜の俺たちみたく、操られた街の人間に襲わ れる」 「…まあ、順当なとこだよな」 「男は必死に逃げ回るが、いよいよ袋小路に追い込まれてしまう。 そこで男は、飛行魔法術で空へ逃げた」 「あちゃあ」 「そう。これは失敗だったわけだ。さっきの俺たちと同様、操られた魔道連盟の魔道士た ちに、狙い撃ちにされる」 「へー、ピンチだな、そりゃ」 「…そう。そうなんだよ」 組んでいた腕をほどく。 「確かにピンチではあるんだけど、絶体絶命って感じじゃないんだよな。 さっきの魔道士たちの攻撃にしても、あの魔法術は衝撃系で威力も低めだから、仮に当 たったところで、大したダメージにもならないんだよな。そりゃまあ、当たったら痛いけ どさ」 「じゃあ、街の人たちを操ってる真犯人は、あたしたちを殺すのが目的じゃない、ってこ と?」 「でもよ、帰ってきたヤツがいないんだろ? それって死んでるってことじゃねぇの?」 「最初の被害者が半年前でしょう? 行方不明って言ったって、限度があるわよね」 「でも俺、宿屋のおばちゃんにフライパンで襲われたし」 ルーティンの言葉に、ロックとレジィが固まった。 「…笑いのネタとしては、ベタだけど良くないか?」 「…勘弁してくれよ」 辟易して、ぼやく と、そこで何か思い出したように、ルーティンは視線を上げた。 「…そうそう、そういえば気になることがもう一つ。 なあ、レジィ。ハンターズ・ギルドは、魔道連盟ともつながりがあるよな?」 「…あるけど、何?」 「操作系魔法術に関する噂か何か、聞いたことないか?」 「噂?」 「魔道連盟は徹底して秘密主義だから、俺たちみたいな一般のハンターには分からないこ とが多いんだ」 「ち、ちょっと待って。どういうこと?」 「この街の全ての人間が操られてることに気付いたときから、ずっと考えてた。そんなこ とが可能なのかどうか。 最初は、それを可能にする魔法術か何かがあるんだと思ったんだけど、俺が知る限りで は、そんな魔法術は存在しない。単に忘れてるだけかと思って、持ってる本とかで調べて みたりもしたんだけど、結局、そんな魔法術のことは書いてなかった」 「……新しく広範囲型の操作系魔法術が開発されたとか、そういう噂を聞いたことがない か、ってこと?」 「情報非公開が基本の魔道連盟だって、人間の集まりだ。どれだけ隠したって、どこから か情報が漏れるものだと思うんだ。まあ、そんなものが本気で開発されてたら、明らかに 禁呪だろうけど」 「…なんだ、キンジュって?」 再び、ロックが質問してきた。 「使用を禁じられている魔法術のことだよ」 「使うとどうなるんだよ?」 「使うと、人体に色々影響が出る。 禁呪ってのは基本的に、『人には扱いきれない魔法術』か『人道に外れた魔法術』のこ とを指してる。大概、人の精神容量を無視したものや、人の身体が耐えられないほどの威 力を持つものだったりするんだ。 で、禁呪を使ったのがバレると、魔道士として追放に近い扱いを受けることになる」 「自分たちで開発したくせに、使えないのかよ?」 「古代の人間も、精神状態は今の人間と大差ないってことさ。多分、魔法術に対する追求 心が強すぎたんだろ。いや、もしかしたら周囲の期待もあったのかな。とにかく、魔法術 開発時代当時の研究者たちは、躍起になって魔法術を開発したことだろうさ。一つ魔法術 が完成すると、次はもっとすごい魔法術を…ってな。 分かるか? もっと『いい』魔法術じゃなくて、もっと『すごい』魔法術を求めていた んだ。同じ研究をしてる他者を出し抜いて、自分の名前を未来に残すことしか頭になかっ た。そうなると、禁呪を開発してしまうことだって、自分のステータスの一部になるって わけだ」 「…なんつーか、ムチャクチャな話だな」 「笑い話にもならないよ。越えちゃいけない境界を見定めることすら、満足にできないん だからね。 使えない魔法術なんて、あっても無意味なだけだよ。ぶっちゃけた話、禁呪ってのは、 過去の研究者のエゴ、そのものさ」 と、ここで小さく肩を竦め、ルーティンは、ずっと考えあぐねているレジィに視線を向 けた。 「…どうだ?」 「…ううん、そんな話、聞いたことない」 「噂もか?」 「…全然…。 あたしだって一応、魔道士だし、そういう話題には敏感なつもりだけど…」 「…そうか。そうだよな…」 一つ一つの事柄を確実に処理し、理解しながら、ルーティンは思考を巡らせていく。 そんな折、ふとレジィは、誰というわけでもなく切り出した。 「そういえば、あたしも気になってる事があるんだけど。 どうして、こうも確実性のない襲撃で、今までこの街を訪れた旅行者や旅人は、逃げ切 ることができないのかしら?」 「その気になりゃあ、逃げ切れそうなもんだよな。つーか逃げ切れるだろ、これは」 「でしょ? どうしてかしら?」 「…ああ、それはこういうことさ」 なんでもなさそうに言って――表情は、まだ何かを考えている――ルーティンは右手を 空に向けた。 「砕け光弾、〈レイ・マグナム〉」 耳をつんざくうような激しい音とともに、光弾が夜空に打ち上げられる。 しかし、光弾は夜空をある程度昇ったところで、突然、何かに衝突したように、バチッ と弾けた。 「…なんだ、今の?」 全く意味が分かっていないロックの横で、レジィが何かに気付いた様子でルーティンを 見た。 「…今の、もしかして…」 「そう、結界。この街をきれいに包み込んでる」 事も無げに言うルーティンは、まだ何かを考えている。 ロックとレジィは、互いに顔を見合わせ、 「…結界なんて、いつから気付いてたの?」 「さっき空飛んでたとき、すごい集中攻撃されただろ? あのとき、避けた何発かが、上 空を一定距離進んだところで消滅するから、もしかしたらと思ったんだ。お前らは下から の攻撃に集中してたから、分からなかったのも無理はないさ」 「でも、この街をすっぽり覆うような、そんな巨大な結界を作り出すなんて不可能よ。人 間に――ううん、例え人間じゃなくたって、できる芸当じゃないわ」 「…うん。普通は無理だ。もちろん俺にもできない。 でも、この街の人間全てを操る操作術と掛け合わせて考えると、話が少し変わってくる んだよな」 「…どういうことだ?」 「知ってはならないもの……過ぎた技術、アウター・テクノだ」 過ぎた技術、アウター・テクノ。 一七〇年前にこの惑星に下り立った、別の惑星からの来訪者――彼らが持っていた技術 を、そう呼ぶ。進歩の順番を狂わせ、とてつもないサイエンス・ショックをもたらしたも の。本来、当時の技術レベルでは知るはずのなかったもの。知ってはならなかったもの。 それだけ魅力的なもの。人によっては、《パンドラの箱の魔法》、《知ってはならないも の》、《神の力》などと表現する人もいる。 「アウター・テクノなら、ある程度の不可能は可能になる。確か、人間の精神に似せたシ ステムか何か、あったはずだ。そういうものを使って、擬似的に自分の精神容量を増大さ せて、犯人は操作術で街の人間を操り、街を結界で覆ったんだ。それなら、無理ではない だろう?」 「アウター・テクノなんて…。 そんなもの、そうそう簡単に見付かるようなものじゃないわ。現実性が、まるでない。 極論よ」 「そうでもないぜ。 一七〇年前にこの星に下りてから、来訪者が完全に絶えるまでの期間は、だいたい二十 年から二十五年。それに、この地上の色々な場所から、彼らの技術で作られたであろう物 品が見付かっているのも事実だ。つまり来訪者は、ここを自分たちの新しい故郷にしよう としたんだろう。文献に残っている、来訪者たちの境遇が真実ならな。 ともかく、彼らがこの星を訪れたのは事実だし、どんな目的にせよ、彼らが地上を飛び 回っていたのも事実だ。世界のあちこちから彼らの技術が掘り出されるのは、別におかし なことじゃない」 「…でも、それにしたって、その技術を探すことは簡単じゃないはず…」 「…誰が言った?」 「え…?」 「…犯人が、最初からこの犯行を行うつもりで、アウター・テクノの産物を探していたな んて、誰か言ったか?」 「…!」 ルーティンが何を言いたいのかに気付き、レジィは小さく声を上げた。 ルーティンはうなずき、続ける。 「つまり、こう考えることもできる。 今回の事件の真犯人は、最初からこの事件を仕組んでいたわけではなかった。むしろ、 そんなことを考えてすらいなかった。ところが、不可能を可能にできるものを偶然見付け たことで、心の奥底に眠っていた――押し込められていた欲望が、一気に膨れ上がっちま った、とかな」 「それが、アウター・テクノの産物……ってこと?」 「可能性は少なくないと思う。まあ、どっちにしたって、許される話じゃない。気持ちは 分からなくもないけどな。 とにかく、今回のこの事件に、普通の人間には絶対実現不可能な力が働いているのは事 実なんだ。街の人間を全員操っている操作術といい、この街をすっぽり覆っている結界術 といい、どちらも魔法術として存在してはいるものの、その効果は桁外れだ。魔法術を扱 っている辺り、犯人が魔道士であることに間違いはないと思うけど、例え誰であろうと、 こんな真似したら一瞬で精神が壊れるよ。人間業じゃない」 「…じゃあ、複数人数で起動するタイプの操作術、もしくは結界術っていうのはどう? これなら、人数に比例して魔法術の効果を上げることができるわ。そもそも、あたしが 魔道連盟の情報を聞き逃している可能性だってあるんだし、もしかしたら、そういう魔法 術が開発されていたのかも」 「……あのな、一人で起動した結界術で、一体何人を守れると思ってるんだ? せいぜい 四人か五人が限度だ。防御壁の強度に重点を置いたら、範囲はもっと狭まる。操作術なん か、どう頑張っても一人が限界だぜ? これだけ広範囲に作用する操作術や結界術を発生 させられる数の人間が、どこにいるんだよ。そもそも、この手の使用頻度の高い魔法術は 研究が進んでて、最も無駄なく効果的に使えるよう、すでに構成が完成されてる。特に結 界術なんて、これ以上の効率化は無理だ」 「…なんでそんなことが言い切れるのよ」 「俺はプロハンターであると同時に一流の魔道士でもあるの。魔法術の研究くらい、当然 やってるに決まってるだろ」 不満そうなレジィの疑問に、にべもなくルーティンは答えた。自分で自分を『プロ』や 『一流』と評するあたりが、なんともすさまじい。色々な意味で。 「そういうわけだから、もしも操作術や結界術の効果を広げたい場合、ごく単純な意味で の精神容量の広さが求められる。でも、当然そんな精神容量を持つ人間なんて、この世に は存在しない。でも、現にこの現実がある」 「魔族とか……竜族とかは駄目なのか?」 必死に話について来ようとしているのが表情から見て取れるロックが、言う。 しかし、ルーティンは首を横に振った。 「…確かに、魔族や竜族は人間よりも強い力を持ってはいるけど、それにしたって、街一 つの住人を全て操って、しかも標的を逃がさないように街を結界で覆うなんてことはでき ないはずだ。そんなことが可能だったら、俺たち人間は、とっくにこの地上から消え失せ てるよ」 「…うーん…」 「……こうやって色々考えてみると、ルーティンのアウター・テクノ説もまんざらじゃな いみたい」 「結構、筋は通ってるだろ?」 「…よく分かんねぇ」 「あ、ロック、頭から煙が出てるわよ」 「出るかっ!」 「オーバーヒート気味なんじゃない?」 「あっさり話を進めるな!」 「…ねえ、ルーティン」 「流すなあああっ!」 叫ぶロックを、これでもかというくらいに無視し、レジィはルーティンに言った。 「結界があったから、今まで誰も逃げることができなかったのかしら?」 「…全く否定はできないけど、多分、結界は保険の範囲だと思う」 「保険?」 「ああ。最悪の場合でも、旅行者や旅人を街から逃がさないための。 おそらく真犯人は、自分の手で俺たちの命を奪いたいんだと思う。どっかの学者が言っ てたよ。『人間は、支配したがる生き物だ』ってな。他人の命を奪う行為は、その中でも 間違いなく、最高の支配に分類できる。 でも、それだけじゃない」 ルーティンは、一瞬の間を置いた。 「操った街の人間たちに、標的にした旅人や旅行者を襲わせて、その標的が信じがたい現 実に恐怖しながら逃げ回る様を見るのが、楽しくて仕方ないんだ。圧倒的な人数で、少数 の標的を肉体的にも精神的にも袋叩きにするのが、気持ちよくて仕方ないんだよ。だから 死なない程度の襲撃だったんだ」 「…いじめっ子みてぇだな」 「狂ってるわ」 「他人の命を掴む支配と、その命を奪う支配――。一度で二度おいしいってわけさ。 …さて、と」 すっ――と立ち上がって、ルーティンは背伸びをした。 「だいぶ休んで疲れも取れた。そろそろ行こうか」 「…行くって、どこに?」 「決まってるだろ。 真犯人か、もしくは真犯人に近い人物のところさ」 「真犯人が分かったのか?」 「いや、そうじゃない。 さっきの結界だけど、あれは基本的に術者を中心にして展開されるものだ。つまり、こ の結界の中心に、この結界を作り出した張本人がいる可能性が、断然高い」 「そいつが真犯人か」 「…もしくは、それに近い人物。俺は後者だと思うけど」 「まあ、順当なところよね」 「だな。 じゃあ、ロック、ここで問題だ」 「俺にか?」 「…ちょっと」 自分を指差すロックにうなずき返し、レジィの言葉は聞かなかったことにした。 「ロックが理解してりゃ、だいたい大丈夫だろうと思って」 「…なんか今、さらっと馬鹿にされた気が」 「気のせいだ。気のせい」 ルーティンは表情一つ変えずに言った。 「んじゃあ、問題。 今回の予想されうる犯人像から、ちょっと分析してみよう。 まず第一問――」 「…ねえ、ちょっと」 どうやら、諦めてはくれないらしい。なおも食い下がってくるレジィに、ルーティンは 吐息した。 「…なんだよ。今からクイズやるのに」 「明らかに大事な何かが間違ってるとしか思えないことを平静と言わないで。 そのクイズに、なんの意味があるわけ?」 「あるさ。相手の人物像を分析することで、どうやったら相手の精神を追い詰められるか が理解できる。と同時に、ロックの混乱を最も簡単に治療できる」 「やっぱ俺、どうも馬鹿にされてる気が」 「そんな事実はない」 やはり、唸るようなロックの言葉をあっさりと否定し、 「…それって、なんか外道っぽくない?」 「そんなことはない」 いかがわしいものを見るようなレジィの言葉をも、きっぱり否定。 どうやら他に意見はないようなので、ルーティンは気を取り直して本題に戻った。 「じゃあ行くぞ、まず第一問。 今回の事件の真犯人が好む、標的のタイプとは、一体どんなタイプでしょう?」 「…それって、どんなタイプの標的が真犯人にとって一番嬉しいか、ってことだよな?」 「その通り」 「だったら、やっぱ自分の思った通りに追い詰められてくれる標的の方が、真犯人にとっ ても一番嬉しいだろうな」 「よし、続けて第二問。 今回の真犯人が最も嫌だと思う標的のタイプは、なんでしょう?」 「…それは、さっきの逆じゃないか? だから、思い通りに追い詰められてくれない標的 だったら、真犯人も面白くないだろ」 「…じゃあ、最後の第三問。 真犯人が最も燃えるのは、どんなタイプの標的でしょう?」 「…はあ?」 ロックは首を傾げた。 「なんだ、それ。 真犯人は、俺たちを一方的に追い詰めるのが楽しいんじゃなかったのかよ?」 「それは最終的な話さ。あまりに思い通りに事態(こと)が進むと、意外性っていう刺激が なくなって、追い詰めてる方も面白みがなくなってくるんだ。だから、多少でも抵抗して くる標的の方が、真犯人にとっても嬉しいんだよ」 「なんか、すげぇわがままだな、おい」 「感情が本能に直結って感じね」 「張り巡らせた絶対的不利な状況を掻(か)い潜(くぐ)って、自分のところまで標的が辿り 着くのを、真犯人は待ってるんだ。力と知識を必要とする、かなりシビアな状況をだ。そ して、自分のところまで辿り着いた標的を、自分の手で仕留める。大した根性だよ」 ゲームスタートは深夜。街の全ての人間が寝静まった頃。 まず手始めに、標的が宿泊している宿の従業員を操って、眠っている標的を襲う。 そのとき、標的が襲撃に気付けばセーフ。そうでなかったらアウトとなる。 襲撃に気付いた場合、狭い部屋の中では動きを制限されるため、標的は取りあえず襲撃 者を黙らせる。この『黙らせる』の範囲は人それぞれで、大概は死なない程度に黙らせる が、中には相手を完全に敵だと信じ込み、命を奪ってしまう場合もある。深夜の襲撃とい う事実と、明かりを落とした薄暗い部屋の中というシチュエーションでは、襲われた標的 の冷静さが露呈される。襲撃者の命を奪ってしまうことも仕方のないことと言えなくもな いが、どちらにしても、それは真犯人にとって大した問題ではない。標的が最初の関門を クリアしたことに、なんら変わりはないのだから。 標的は最初の関門をクリアして一瞬こそ落ち着くが、すぐさま自分の宿泊している宿に 大勢の街の人間が群がっている事実に気付いて、慌てる。大体この段階で、標的は、街の 人間がなんらかの理由で操られ、なんらかの理由で自分を襲ってきていることに気付く。 しかし、相手が相手だけに傷付けるわけにもいかず、標的は逃げることを選択する。 ここで最初の分岐。どう逃げるか。 宿泊していた部屋が一階であったなら、標的は手近で手薄な窓から外へ逃げ出す。出口 は一つだけではない。出たい場所から出ればいい。 ところが、もし宿泊していた部屋が二階であった場合は、そうもいかなくなってくる。 手近な出口である窓は確実に手薄だが、飛び降りるのはリスキーだ。無謀すぎる。 「俺たちの場合、俺が飛行魔法術を扱えたから、深く考えずに窓から外に逃げたよな」 だが、それは無論のこと犯人の予定の範疇である。 「…それが、あの魔法術の集中砲火だったわけさ。 あの集中砲火も、使われていた魔法術は極めて殺傷力の低いものだったけど、犯人にと っちゃ、標的が楽しませてくれるかを試す基準になったてはずだ」 「…じゃあ、あの魔法術の嵐を突破できなかったら、アウトになってたのか?」 「犯人としては、その程度の張り合いもない標的なら、十分アウトだろうな」 「ねえ、さっきからアウトとかセーフとか、何言ってるの? 別にアウトだからって、ど うこうなるわけでもないでしょう?」 「いや、俺たちが犯人にアウトだと思われたら、その瞬間、このゲームは終わるさ。で、 朝になったら魔法術を解いて、何事もなかったように昼間を過ごすんだ」 「…でも、それって全部、ルーティンの想像でしょう?」 「…まあ、それはそうだけどな」 あっさりと認めて、ルーティンは肩を竦めた。 「じゃあ、今の段階で確実に分かることを。 俺たちは今、操られた街の人間たちの攻撃をなんとか振り切った。でもって、この街が 巨大な結界で包まれて――少なくとも俺に逃げる気はないけど――逃げられない状況にな ってる。さらに、結界は術者を中心に発生させるものだということが分かっていて、その 術者が、この事件と明らかに関係を持っていることが簡単に想像できる。 さて、これからどうしようか」 ルーティンの問いに、ロックとレジィは声を揃えて言った。 『結界の術者に会う』 「まあ、聞くまでもなかったかな」 もう一度、肩を竦めて、ルーティン。 「…よし、それじゃあ…」 ぱしんっ、と左の掌に右の拳を打ち付け、ルーティンは不敵に笑んだ。 「行くぞ。 今度は、こっちが反撃する番だ」
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