街の中心、噴水広場。 そこに三人は、奇妙な光景を見た。 広場の中心――ということは、結果的に街の中心ということでもあるのだが――にある 噴水塔を、魔道連盟所属の魔道士連中が囲んでいる。 その数、ざっと二十人以上。詳しく数える気など起こらなかったが、少なくとも三十人 は堅いだろう。これから何かの儀式でも始めるかのような雰囲気で、彼らは互いに手をと り合い、噴水塔に背を向けて立っていた。その瞳は、何者かに操られていた街人と同様、 虚ろに濁っている。 「…なあ」 そんな異様な光景を前に、ロックは誰というわけでもなく、つぶやいた。 「俺の聞き間違いだったか自信がないんだけど、街を覆うほどの結界を作り出すのって、 こんな人数でできるんだったっけか?」 「…普通は、絶対に不可能だ」 ルーティンは答えて、さらにこう付け加えた。 「…つまり、今のこの状況は、明らかに普通じゃないってことだけど」 「そうなるよな。 ま、取りあえず、俺の耳が悪いわけじゃないってことだけでも分かったから、俺はそれ でいいや」 「よくないって」 あっさりと楽観的なことを言うロックにすかさず突っ込みを入れて、ルーティンは吐息 した。 「…まあ、こういうのに限って、種を明かしてみると意外に大したことなかったりするの は、事実だけどな」 「…ねえ、ルーティン」 不意にレジィがルーティンを呼び、細くて白くて長い指で、空間のある一点を指した。 「…あそこに、何かあるわ」 「…ん…?」 ルーティンは目を凝(こ)らした。 レジィが指差す延長線上――噴水塔のてっぺんよりも少しばかり上のところに、何かが 浮いている。夜の暗闇が強く、月明かりだけでは色まで判別できないが、おそらく原色で ないのは確かだろう。深い青色か、深い緑色……そんなところか。その輪郭線が円を描い ていることは確認できた。 だが、それだけの情報でも、ルーティンにとっては十分である。操られた魔道士たちが 織り成す奇妙な光景と、街がすっぽりと結界に覆われている事実とを照らし合わせれば、 彼の知識は、あの闇夜に溶け込みそうな球体が一体どういうものなのか、ある程度の範囲 で導き出してくれる。 だが、それを信じるのは、さすがの彼にも少々抵抗があった。 「…まさか、あれ……限り無き世界、〈インフィニティ〉…!」 「…何だって?」 「…アウター・テクノだよ。簡単に言っちゃうと、精神容量を一時的に大きくするんだ。 本物は始めて見るけど……多分、間違いないと思う」 「へえ…」 ロックは視線を、例の球体に移した。 「ってことは、魔法術も使い放題か?」 「使い放題…は語弊があるとしても、まあ、それに近い状況を作ることはできる」 「…つまり…」 レジィがルーティンに尋ねる。 「噴水塔を囲んでいる魔道士たちの精神容量を〈インフィニティ〉で広げて、その精神容 量を利用して、真犯人が街を覆う結界を発生させているってこと?」 「そういうこと」 「……来訪者の技術ってのは、すごいもんだな」 「全然すごくない」 感心した様子で腕を組むロックとは対照的に、ルーティンはいささか強めの語気で言い 捨て、苦々しい表情で操られた魔道士たちを見る。 何か、知っているようだ。 ――機嫌悪そうだと思ったら――。 ハンターとしては多少知識に頼りないロックであるが、長く相棒として付き合ってきた ルーティンのことなら、何を考えているか、どんな精神状態か、その時その時である程度 は分かる。それを理屈ではなく感覚で感じ取るところを、以前ルーティンは『ロックらし い』と評している。 その、『らしい』と評されたロックの感覚が、今、ルーティンの精神状態を的確に把握 していた。 今のルーティンは、何かに対して激しい怒りを感じている。 もとより『頭脳派』を自称するルーティンであるが、決して冷静沈着というわけではな い。世の中で一般的に『仕方ないこと』と分類されるものに対しては、むしろロックの方 が冷めていることもある。 今回の一件もそうだ。アウター・テクノの持つ効果のすさまじさは、さすがのロックと て知っている。実物を見たことはほとんどないが、それでも来訪者たちの技術力というか 科学力というか、そういったものを痛感しているのは事実だ。偶然か必然かはさておき、 そういった過剰に発達した技術を手にして、人格が破綻してしまった人間も、ルーティン とともに何人か見ている。だからこそロックは思うのだ。それだけ魅力的な光を見付けて しまったなら、その光を求めて一直線に走ってしまうことも、むしろ人として仕方ない、 と。もちろんルーティンとて、そういった人間の本能――生まれながらに持つ劣等感と、 それを克服しようと『力』を求めること――は理解しているはずである。しかしながら、 その結果として得た『力』に溺れ、誇示し、優越性に浸るだけの存在を、ルーティンは徹 底して嫌う。かくいうルーティンは強力な魔法術を操る超一流の魔道士であり、人によっ ては、そんなルーティンの性格が、己の実力に対する自信から形成されたものだと思って いる。そう思われるのは仕方ないが、こいつは決してそんな男ではない。それはロックが 一番よく理解している。こいつは例え超一流の魔道士でなくとも、今のように理不尽な現 実を嫌うだろうし、一方的な力の支配を嫌うだろう。本人は否定するだろうが、ロックは そんなルーティンを頑固者だと思っている。 「…ルーティン。 あのアウター・テクノ、なんか欠陥があるんだな?」 「…」 ルーティンは押し黙ったまま、しばらく例の球体を見据えていたが、やがて肺に溜めて いた息を一気に吐いて、こう言った。 「…普通、魔道士の間で『精神領域』って言うと、それは魔法言語を導入したり、導入し た魔法言語から魔法術を起動したり、とにかく魔法術に使用する精神的意識領域のことを 指すんだ。でも、『精神領域』って言葉が示す本来の意味は、記憶領域や思考領域とかも 含めた、総合範囲での精神的意識容量のことを指す」 「…お、おい。それじゃあ、何か? 記憶とかを保管してる精神領域を、無理矢理に魔法術用の精神領域にしてんのか?」 「ご名答」 レジィの言葉が、冷徹に響く。 「じゃあ、記憶領域に保存されてた記憶は、どうなるんだよ?」 「…その辺は、明確な現象が確認されてないんだ」 「なんだよ、それ」 「そりゃそうよ」 考えるまでもない、とでも言いたそうに、レジィ。 「そんなことのためにわざわざ実験用の人間を用意して、〈インフィニティ〉で精神容量 がどう変化していくかを調べたりしたら、外道とか鬼畜とか言われて、もう散々に叩かれ ちゃうもの」 「魔道連盟は世間体を大事にしてるからね。 でも、多分その本心は、他人を犠牲にしてでも〈インフィニティ〉の効果を調べたいと 思ってるだろうけど」 「うわ、えげつなー」 「とかく堅物はそんなもんさ。 あと、エリート思考の奴とかもな」 「要するに、自信過剰な人たちのことよね」 「そういうことだ」 「…で」 一通り話し終えたところで、ロックは視線を〈インフィニティ〉に向けた。 「あれ、どうすんだ?」 「…そうだな…」 ルーティンは軽く腕を組んで、唸る。 「下手に〈インフィニティ〉を破壊して、その影響を受けてる魔道士連中に何かあったら まずいよなあ。かといって、このまま放置しておいても、問題の根本的な解決にはならな いし…」 「ねえ、もともと〈インフィニティ〉の効果で精神はイっちゃってるんだし、これ以上ど うなろうと大差ないんじゃない? 壊しちゃえば?」 「なんてこと言いやがんだよお前は」 なぜか楽観的に恐ろしいことを言い出すレジィを、さすがに聞きとがめたロックがたし なめる。 「…まあ、それは最終手段、かな」 苦笑まじりにもルーティンがロックに同調すると、レジィは気分を害して頬を膨らませ た。 「じゃあ、どうするの?」 「いちいち怒るなよな」 「何か言った? ルーティン」 「い、いや、別に。 とりあえず、〈インフィニティ〉を停止させよう。そのために、まず効果範囲にいる人 間が起動している魔法術を止める」 「効果範囲って、どれくらいだ?」 「前に本で読んだ内容が正しければ、だいたい半径数メートルから、大きくてもせいぜい 十数メートル」 ルーティンは即答するが、『本で読んだ内容が正しければ』という部分に、ロックは少 なからず不安を感じた。 「…お前の見た本が間違ってたら、どうすんだよ」 「仮にそうだとしても、やるしかないだろ。 俺たちは万能じゃないんだ。失敗することもあるさ」 「そりゃまあ……ん、まあ、そうだけど」 「つーわけで、俺があの魔道士連中の起動してる魔法術を無効化させるから、その間、別 の奴らの相手は任せたぞ」 「…………」 数秒、しっかりと間が空いて。 「は?」 「え?」 ロックとレジィ、揃って疑問を投げかけてくる。 「どういうことよ、今の」 「別に他の奴の気配なんかねえぞ」 「…いや、今は邪魔とかなさそうだけどさ」 ルーティンは肩を竦めて、言った。 「なんかこう、素直にこっちの思うようにやらせてくれないような、そんな気がするんだ よな」 「さすがに大丈夫だろ」 「あたし、嫌よ。これ以上疲れるの」 「…そんな果てしなく自分勝手なことを平然と言われても」 「だいたい、いっつもルーティンがそれらしいこと言うもんだから、話がそっち方向に進 んじまうんじゃねぇか」 「俺のせいかよ」 「ことの発端はいっつもルーティンよね。これって、ルーティンが厄介事を引き付けやす い体質ってこと? それともルーティンが厄介事に好かれやすい体質ってこと?」 「俺の体質を勝手に決めんなよ」 「じゃあ、どんな体質?」 「んなこと聞くな。論点がズレてる」 「…ケチ」 「そういう問題でもないだろ。どうしてお前ら、そんなに気が合ってんだよ」 「おいおいルーティン。今のはいくらなんでも失礼だぞ」 「明らかに失礼よ」 「…自覚ないのか」 ルーティンは深々とため息を吐いた。 「…分かった。 根拠のない自信で大丈夫だと思うのでも、疲れたくないと勝手に思うのでも、俺が変な 体質でも、とにかくなんでもいい。相手は相手の都合で襲ってくるからな。 俺が〈インフィニティ〉を止めるまでの間、それを邪魔しようとしてくる奴がいたら、 片っ端から殺さない程度に黙らせるんだ。これで納得か?」 「…い、いや、えーと」 「…もしかして、怒った?」 「よし、納得したな」 一方的に話を終わらせて、ルーティンは、〈インフィニティ〉の方を向き直った。 「さっさと終わらせるぞ。でもって、一秒でも早くこの事件を解決して、一ミリ秒でも早 くこの街を出てやる。今のこの状況は、俺の精神衛生上、あまりよろしくない気がしてな らないからな。なんつーかこう、俺という人格が壊れそうだ。間違って人を殺しちゃう前 に、なんとかしなくちゃな」 「…………。 …俺、邪魔者の排除、やる」 「…あ、あたしも」 「よぉし」 急に物分かりの良くなった相棒たちになんら疑問を感じることもなく、うんうん、と満 足そうに数回うなずいて、ルーティン。 一瞬後、その視線を鋭くさせて、構えはそのままに、両の拳を引き寄せる。 ▼魔法言語統合環境『物質界』 ▼実行待機状態へ移行。 ▼魔法術言語統合環境『精神界』 ▼実行可能状態へ移行。 ▼実行可能確認。 ▼魔法術無効化魔法術、起動準備。 ▼魔法術起動に必要な意識領域の確保。 ▼…確保、完了。 ▼処理の続行を許可。 ▼魔法術無効化魔法術、ロジック展開。 ▼効果範囲、指定座標から半径十メートルに設定。 ▼…設定完了。 ▼魔法術無効化魔法術、実行。 「いくぞ!」 引き寄せていた両手を突き出し、叫ぶ。 「沈め静寂、〈シンク・シー〉」 〈インフィニティ〉の宝玉を中心に、半径十メートル圏内の空間が、一瞬――本当に一 瞬だけ、硬直したような錯覚を覚える。気のせいか確認しようと瞬きした次の瞬間には、 硬直したと思われる空間が多くの多角形によって形成された多面半球体に包まれている。 その多面体が妖しく反射光を放つと、一瞬のうちに多面体に無数の亀裂が走り、まるで一 陣の風にでも吹かれたかの如く、一方向に破片を散らす。 効果範囲内で起動している魔法術を無効化する、魔法術無効化の魔法術だ。 しかし、ルーティンの行動は、それで終わりではない。 すぐさま、今度は両手を胸の前で軽く絡み合わせる。 ▼睡眠魔法術、起動準備。 ▼魔法術起動に必要な意識領域の確保。 ▼…確保、完了。 ▼処理の続行を許可。 ▼睡眠魔法術、ロジック展開。 ▼効果範囲、指定座標から半径十メートルに設定。 ▼設定完了。 「しばらく眠ってろ!」 胸の前で絡み合わせていた両手を、前方に向かって突き出す。 ▼睡眠魔法術、実行。 「楽園を夢見よ、〈フィル・――」 しかし。 今まさにルーティンが眠りの魔法術を発動させようとしたその瞬間、事態が急な展開を 見せた。 それは、比喩ではない。 ぐいん、と、確かに音がした。空間がある一点に向かって吸い込まれるように集束し、 同じ速度で元に戻る。 「…くそ」 状況を逸早く察知したルーティンは、罵声とともに舌を打った。 そこは、先ほどと寸分違わぬ空間と見せかけて、先ほどとはまるで違う空間。 「内包型の結界か…」 「なんだよ、ナイホウって」 即座に聞いてくるロックに、答えたのはレジィだった。 「相手の攻撃を遮断するのが通常の結界なのに対して、内包型――つまり、相手を包み込 んで閉じ込めるタイプのことよ。詳しい言い方をすれば、原理は空間の位相を少しだけず らして元の空間から切り離して、元の空間に酷似した偽物を作り出すわけ」 「閉じ込……」 レジィの説明の後半は全く理解を超えていたが、少なくとも自分の置かれた状況に気付 くことはでき、ロックは表情をみるみる引きつらせる。 セリフの残りは、半ば悲鳴じみたものになった。 「閉じ込められてんのか、俺ら!」 「そ」 こともなげに、ルーティンは淡々と答えて続ける。 「まあ、正確には、閉じ込められた、と表現すべきだろうけどな」 「丁寧に文章更正してる場合じゃないだろ。 よくこの状況で落ち着いてられるな」 「落ち着くも何も、もともと逃げられなかっただろ」 ルーティンは鼻先を指でこすりつつ、笑った。 「お前、かなりいいリアクションだったぞ」 「嬉しかねーよ」 「俺は楽しかった。ものすごく」 「うるせ。それよか、どうすんだよ。これから」 「…どうもこうもなあ」 ルーティンは周囲を軽く一瞥しながら、言った。 「…探査系の魔法術でも使って、近くに人の気配がないかを確かめてもいいけど、あれ結 構疲れんだよな。できるなら、もっと落ち着いた状態で使いたい」 「心配なのはそっちか」 「いや、まあそれもそうだけど、というより――」 周囲を見回すのをやめ、視線を落とす。 「――わざわざ閉じ込めたんだから、あっちから何か仕掛けてくるんじゃないか?」 その瞬間。 ルーティンがセリフを言い終えた、まさにその瞬間。 何かが空気を貫いて、ルーティンの足元の地面をえぐった。 「うおっ!」 声を上げたのは、ロック。 「おい! なんか今、飛んできただろ! ルーティン、おい! 大丈夫か、おい!」 「大丈夫だよ。ただの光弾魔法術。牽制だ」 ルーティンは全く落ち着いていた。 「言ったろ? 犯人は自分の手で標的にトドメを刺すつもりだって」 「だってお前、それはお前の予想の話だって言ってたじゃねぇかよ」 「…お」 思わぬところでロックに鋭く突っ込まれ、ルーティンは唸った。 「そうだったっけな」 「お前、時々ものすごい場面でボケるよな。いつか死ヌぞ」 一瞬、ロックの言葉にルーティンの表情が引きつった。 「…大丈夫さ。殺気がなかったから、もとから当てる気はなかっ――」 「手馴れた暗殺者なんか、殺気消して標的を殺したりするけどな」 「……」 ルーティンは言葉に詰まった。 いや、ロックに大した他意や悪意はないのだろう。それほど陰険な真似ができる男では ないし、そんなところまで思考できる嫌味な性格でもない。 ただ、そういった性格である分、逆に説得力があるというか、性質(タチ)が悪いという か、なんというか。 「うーむ」 ルーティンは眉をひそめて腕を組んだ。その状態のまましばらく何事かを考えている様 子を見せると、何かに気付いたのか、ぽん、と手を打ち合わせてロックを見た。 「お前、実はすごく天才?」 「いやワケ分かんねぇ」 「…ぬ」 即座に返され、うめく。 そこへ、ルーティンとロックの遣り取りを見かねたレジィが入り込んだ。 「ねえ、そろそろその話は終わらせて……あっちに集中してくれない?」 『あっち?』 ルーティンとロック、揃って異口同音に聴き返し、レジィが指差した方――さきほどル ーティンに向かって光弾が撃ちこまれた方を見る。 数十メートルほど離れたところに、人影を一つ、見付けた。 「…なんだ、あれ?」 目を細め、その影の正体を確かめるようにしながら言うロックに、その影の正体に気付 いたルーティンが言った。 「…魔道連盟の魔道士だな」 「そうね。着てる服で分かるわ。 相変わらず動きづらそうな、象徴性ばっかり前に出てる服よね」 魔道連盟の制服に対するレジィの評価はかなり低かったが、そんなレジィも含めて、三 人は唯一人で立っている魔道連盟の魔道士を不審に思っていた。 「今の攻撃は、あいつか?」 「…さあ? でもまあ、そうじゃないかな」 誰が牽制を仕掛けてきたかなど、ルーティンにとってはそれほど重要なことではなかっ た。過程よりも結果に重きを置くルーティンにしてみれば、結果として攻撃ではなく牽制 だったという事実と、自分が無傷だったという事実がそこに在れば、それで十分である。 「あいつも操られてんのか?」 「多分ね。攻撃してきておいて無反応ってのは変だけど、そうじゃなくても、お互いに肉 眼で確認できるこの距離で無反応ってのは、それだけで妙だ」 「…なんだ、そっか」 なぜか残念そうにつぶやいて。 「んじゃあ、いちゃもんつけて仕返ししても反応はナシか。面白くねーな」 「……取りあえず誤解を招く発言はそのくらいにして」 さり気なくロックの発言をたしなめつつ、同時にルーティンは精神下で睡眠魔法術の起 動準備を進めた。 「眠っといてもらおう。色々と面倒なことにならないうちに」 「せんせー、しつもん」 これまた、ロック。 「はいどうぞ、ロック君」 今がそんな悠長なことをしていられるときでないことは知っていたが、まあ操作系魔法 術で操られている魔道士――と、それを操っている黒幕――に何をされても、それほど深 刻な事態に陥ることはないだろうと思い、ルーティンはロックを促した。 「実はずっと気にってたんだけどさ。 なんで操作系魔法術で操られた人間に睡眠魔法術が効くんだよ。どっちかっていうと、 眠ってた方が操りやすい気がするんだけど」 「ふむ」 ルーティンは、ロックの質問を脳裏で反芻して。 「…そういうロジックなんだよ、としか言いようがないな」 ひょい、と肩を竦めて、言った。 「もともとは、対象のあらゆる精神状態に関係なく操作できるような魔法術にするつもり だったみたいだけど、そうするとロジックがものすごく大きくなって、並の人間の精神容 量じゃ起動すらできないことが分かったらしいんだよな。で、色々と妥協されて出来上が ったのが、今の操作系魔法術ってわけだ。俺は正直、操作っていうより転身って感じがす るけどな」 「…へえ」 ロック、生返事。 だいたい理解度はこんなところだろうと思いながら、ルーティンは続けた。 「それ以外にも、操作系の魔法術には欠点がいくつかあって、例えば起動するまで時間が かかったり、効果範囲がやたら狭かったり、他にもあるんだけど、とにかく使い勝手の悪 い魔法術さ」 「……でも、そんな使い勝手の悪い魔法術も、来訪者の技術と重ね合わせて使うことで、 あたしの理想を形にしてくれたさね」 ――! 最後のセリフは、ロックはもちろんレジィのものでもなかった。無論、ルーティンが自 分で言って自分で否定したわけでもない。 反射的に振り向いてみても、そこに先ほどまで立っていた魔道士はいなかった。 代わりに。 「…あんたが…さ」 酔ったような、まったりとした絡み付くような口調で、声の主は言った。 「…あんたが、あんまり焦らすもんだから、我慢できなくなっちゃったじゃないのさ」 「…あ、あんた…!」 声の主を視界に認めたとほぼ同時に、ロックは驚愕を表情に表し、言葉にならない言葉 を口にする。レジィは口元に手をあてていたが、その瞳は、やはりロックと同じく驚愕に 彩られていた。 ルーティンは無言のまま、声の主を見る。 「…あのとき…」 声の主の言葉は、明らかにルーティンに向けられていた。 「あたしが一応の建前で街を出ることを勧めたにも関わらず、あんたたちが街に留まると 言った、あのとき……あたしはうんざりしたもんさ。 ああ、また余計な仕事と、面白くもない遊び道具が、勝手にあたしの手の中に入ってき た、ってね」 「…」 「それだけ、あたしも歳をとったってことなのかね。あんたたちのこと、第一印象で決め 付けちゃったし。でもまあ、そんな偏見がいい意味で裏切られて、今こうして最高の楽し みを堪能できてるわけだけど」 「…確認ついでに、聞いときたいんだけど」 まだ表情を変えず、ルーティン。 「数時間くらい会わなかった間に、口が悪くなったように聞こえるんだよな。 昼間に会ったときと、今と。……どっちが本当のあんたなんだ?」 「…どっちが?」 明らかな嘲笑を伴って、声の主は言った。 「どっちが本当で、どっちが嘘か。 そんなものが、今なんの役に立つんだい? こんなことを聞くあたしが変なのかい? それとも、あんたはあんたの個人的な感情で、それを知りたいのかい?」 「役に立つかどうかなんて知ったこっちゃないな。 ただ知りたいから知りたいって言うのは、知りたい理由にならないかい?」 一瞬の静寂を、経て。 声の主――『精霊の吐息亭』の女主人は、気でも触れたかのように、高らかに笑って見 せた。 ※ 「意外」 ひとしきり笑ってから、すこぶる嬉しそうに彼女は言った。 「そっちの坊ややお嬢ちゃんみたく、驚くと思ってたのに。あんた、あたしを見ても全然 驚かないね。 ……気付いてたのかい?」 「…あんたが真犯人かも知れない、とは考えてた」 あっさりと、ルーティンは認めて。 「確証は全くなかったし、ほとんど『可能性がないわけじゃない』程度のレベルではあっ たけど」 「…へぇ」 「操られてたわりには、俺の襲撃に失敗して逃げようとしたり、追い詰められて突っ込ん できたり、なんか妙に表現力があるな、くらいには疑ってた。でも、その程度だ。正直に 言ってしまえば、得体の知れない相手に関して先入観を持たないのが、俺の考え方なんだ けど」 「大した洞察力だね。 夜中に襲われておきながら、よくそこまで落ち着いてられるもんだ」 ルーティンは肩を竦めた。 「妙な話だけど、襲撃には慣れてるんだ。それに今回は、いわく付きの街で一晩寝ようっ て意識があったし。 日帰りの旅行客や、立ち寄っただけで宿を取らなかった旅人が教われていないことを含 めて考えると、夜中に何か起こるだろうっていう予想は簡単につく。 …そういや、あんたに使った睡眠魔法術、あれ、効いてなかったんだな」 「反魔法術、アンチ・マジックを意識下に常駐させてたのさ。念のための措置だったんだ けど、正解だった。あの場で起動したりしたら、バレるからね」 「なるほどな」 「…………」 再び、無言。 恐ろしいほど、静かな、空気。 「…で」 わざとらしく言って、彼女は微笑んだ。 昼間の彼女とは全く重ならない――別人と言っても過言ではないかも知れないと思える ほど、ひどく凄惨で静謐な笑みを、その表情にたたえて。 「あんたは、あたしに何が聞きたいんだい? 魔法術を極めし者、マジック・マスター、ルーティン=アーキテクト」 「…」 一瞬――本当に一瞬だけ、ルーティンの表情に驚愕の色が走る。 彼女は、よりいっそう嬉しそうに表情を緩めた。 「一般市民のあたしが、ハンターの二つ名を知ってるのが意外かい?」 「…ちょっとだけ。 でも代わりに、今のあんたの言葉で、あんたが少なくともただの一般市民じゃないこと は分かった」 ハンターの存在自体は周知だが、そもそもこの二つ名というもの自体、ハンターたちの 間で使用されるようになったものである。しかも公に始まったことではないから、その存 在を知っている者の方が、むしろ少ない。同業者か、もしくは魔道連盟や騎士連盟、貴族 連盟、そして科学技術連盟といった公的機関に属する人間に限られる。 「…あんた、一体…」 ようやく口を開く程度に落ち着いたロックが言うと、ふふふ、と彼女は笑った。 「一般市民のあたしが操作系の魔法術を使って、こんなことやってるのが不思議かい? 閃光の如き衝撃、ライトニング・インパクト、ロック=トーレス。大したことじゃない さね。ただ単に、あたしが魔道連盟所属の魔道士だった。…それだけのことさ。まあ、さ すがにあたしも、あんたたちがそうだとは思わなかったけどね」 「元魔道連盟魔道士ってわけか。 なるほど。それなら、俺やロックの二つ名を知ってても、おかしくない」 「知ってておかしくない、なんてレベルじゃないさね。知らない方がおかしいくらいさ。 あんたたち自覚ないのかい?」 「…あんまり深く考えたことないんだ、悪いけど」 「そうかい。 まあ、こういうもんは当人より他人の方がよく理解してたりするもんさね」 彼女は大して気を害した様子は見せなかった。 ルーティンは一歩踏み出す。 「この際だ。聞きたいだけ聞かせてもらってもいいかな」 彼女は片手を差し出し、こちらを促した。 「好きなだけ聞くといいさね。答えられるだけ答えてあげるから。 ただし、あんたたちの望む返答ができる保障はしないよ」 余裕に満ちた表情。 「あんたアウター・テクノを使ってるよな」 「さっき見ただろう? 使ってるよ」 「俺が言ってるのは〈インフィニティ〉のことじゃない。あれ以外に、少なくとももうひ とつ、アウター・テクノを使ってるはずだ」 「…ああ、〈オール・トゥルー〉のことを言ってたのかい」 あっさりと認める。 それこそ、隠すほどのことでもなかったかのように。 だが。 「〈オール・トゥルー〉…」 その言葉を反芻したルーティンの表情が、少しばかり険しくなった。 続く言葉も、幾分低くなる。 「……あんた、アウター・テクノには詳しいのか?」 「無知ではないけど……まあ、魔道士としては無知も同然だね」 「今あんたが持ってるアウター・テクノは、〈インフィニティ〉と〈オール・トゥルー〉 の二つ……だよな」 「ああ、そうだよ。それは嘘じゃない。正真正銘、二つだけさ」 「どこで見付けたんだ?」 「あたしと彼の運命的な出逢いかい? プライベートなことには黙秘させてもらうよ」 しゃあしゃあと、すっとぼける。 どうやら、まともに話す気はないらしい。 「…じゃあ、質問を変えるよ」 ルーティンにとっても大して重要な話ではなかったので、それ以上の追及や追究はしな いことにした。そうしたところで、彼女が素直に話してくれるとも思えなかった。 「あんたはアウター・テクノに対して無知だと言ったけど、それならどうやって使い方を 知ったんだ?」 次の疑問をぶつける。 彼女は、口元にうっすらと笑みを浮べた。 「知ろうとする必要はなかったよ。触れただけで、頭の中に直接情報が入ってきた」 「…自動起動型、オート・ラン・タイプか」 ほとんど想像していた通りの返答に、げんなりする。 触れた人間の記憶容量に己の情報を強制的に焼き付ける、自動起動機能。 使用者がアウター・テクノについて全くの無知であっても、まるで前から知っていたか のように、問題なくその性能を発揮できるようになる。 だが、ルーティンにとって問題だったのは機能そのものではなく、その機能がもたらす 情報の方にあった。 「…もしかして、あんたは……知っていたのか?」 その問いに、彼女は片方の眉を器用に上げて答えた。 「いまいち要領を得ない話だね。何が聞きたいんだい? はっきり言わないと、伝わるも のも伝わらないよ?」 「…」 ルーティンは黙って彼女を見た。 その事実を知っていて知らない振りをしているのか――そう思ったのだが。 彼女の瞳と表情からは、それを読み取ることはできない。 「…あんたは……知ってたのか? 〈オール・トゥルー〉が持つ致命的な欠陥を」 「…欠陥?」 欠陥という単語に逸早く反応したロックは、その視線をすぐ近くにいるレジィに向け、 小声で尋ねた。 「…どういうことだよ。 〈インフィニティ〉といい〈オール・トゥルー〉といい、アウター・テクノってのは、 欠陥品だらけなのか?」 「…それは…」 「――一般的には、知られていない事実さ、ロック=トーレス」 何事かを言いかけたレジィを遮って、彼女が言った。 「ハンターズ・ギルドで当然のように設置されている『端末』が、来訪者の技術によって 作られたものを基本としていることは知っているね? ああいうレプリカは全く欠陥がな いってのに、なぜかオリジナルは、どうしようもない欠陥が付いてるのさ」 そこまで言って、彼女は視線をルーティンに向ける。 そして、セリフの残りを言葉にした。 「…まるで、故意に欠陥品を作ったかのようにね」 「…!…」 確かな確信に膨らむ怒りを、爆発させぬよう必死に押さえ込みながら、ルーティンはさ らに一歩、踏み出した。 「…あんた、知ってたんだな。 〈オール・トゥルー〉が、対象者たちの記憶を混濁させる欠陥を持ってることを」 「…なんだって?」 反射的に聞き返してくるロックに、ルーティンは言った。 「…〈オール・トゥルー〉は、効果範囲内にいる対象者複数の精神容量へのアクセスを可 能とさせ、結果的に巨大な精神容量を確保するものなんだ。 ロック、さっき『精神領域』について説明したこと、憶えてるか?」 「…魔道士連中が使ってる『精神領域』って言葉の範囲と、本来の『精神領域』って言葉 の範囲では違いがある……って言ってたやつか?」 「そう、それだ。 〈オール・トゥルー〉は、本来の意味での『精神容量』が対象になる。効果範囲内にい る人間全員の思考回路から記憶領域まで――その全精神容量の中から、必要時に必要量の 精神容量を確保する。それが〈オール・トゥルー〉なんだ。 何が致命的かって、確保した精神容量の開放に規則性がないってこと。…つまり、確保 した精神容量を確保した人間に戻す機能が、〈オール・トゥルー〉には無いんだ」 「…お、おい…」 ルーティンが何を言おうとしているのか。 それに気付いてしまったロックの声はかすかにかすれ、その表情はにわかに引きつって いた。 「…それって、もしかして――」 「――ごちゃ混ぜだ」 ルーティンの言葉は、ロックが思っていた以上に冷たく、そして重たく響く。 「夜になったらスイッチ・オン。朝になったらスイッチ・オフ。それを繰り返しただけ、 〈オール・トゥルー〉効果範囲内にいる人間の記憶や思考が掻き回される。誰にも知られ たくない記憶も、忘れたくない思い出も、特定の人間と共有していた秘密も、昨日何をし たのかも、明日何をしようと思ったのかも、男の考えてることも、女の考えてることも、 大人も子供も関係ない。精神領域で形成されたあらゆる情報が、その対象になるんだ」 例えば、今まで家族として同じ屋根の下で過ごして来た親子が、今日にはお互いを全く の他人だと思うこともある。 例えば、今まで全く面識のなかった人間同士が、なぜか突然、知り合いになっていたり もする。 「でも、それならまだいい方さ」 言いながら、ルーティンは昼間街に出たときに感じた違和感を思い出した。 「きれいに記憶が動き回ってるだけなら、まだいいんだ。 でもさ。……例えば男の記憶に子供を産んだときの思い出が残ってたり、十歳の子供に 四十年前の記憶が残ってたりしたら、さすがにおかしいと思うよな」 自分の記憶の矛盾に気付いた者は、同時に知らない間に自分の中で何かが起こっている ことを悟る。 常識的に考えて、明らかにあるはずのない記憶の存在。その存在に動揺する反面、よく よく考えてみると、あるはずの記憶が無いことにも気付く。 信じられずとも、考えるはずだ。 自分の記憶はおかしい。 あるはずの記憶がない。すっぽりと抜け落ちてしまっている。 ないはずの記憶がある。これは自分の記憶じゃない。 それなら。 抜け落ちた記憶はどこに。 ないはずの記憶はどこから。 本当の自分の記憶は、どれ。 「…〈オール・トゥルー〉なんて、大したネーミング・センスだよ」 つぶやくように吐き捨て、ルーティンは彼女を見据えた。 昼間の街を思い出す。 あのとき感じた違和感の正体。 あれだけの人間の気配を確かに感じていたのに、どこにも人間同士が接触している場面 が無かった。 当たり前だ。 誰もが疑心暗鬼の中にいて、誰との接触も拒んでいるのだから。 「答えてもらうぞ」 それは、とても十七歳の少年が発した声とは思えない、低く抑え付けられた、声音。 「どうして欠陥に気付いていながら、あんたは〈オール・トゥルー〉を使ったんだ。 どうして欠陥に気付いていながら、あんたは〈オール・トゥルー〉を使えたんだ」 「…」 彼女は、無言。 そのまま反応を得られないか、もしくは余裕ぶった笑みを見せられるか、そのどちらか だろうと思っていたルーティンだったが。 「…話してあげても……いいけど、さ」 彼女は、自嘲とも言える笑みを、ルーティンに見せた。 「多分、あんたには理解できないよ、ルーティン=アーキテクト」 「ああ、多分そうだろうな。 街の住民全員の記憶をめちゃくちゃに引っ掻き回してまでアウター・テクノを使ったあ んたの気持ちなんか、俺には理解できない」 「手厳しいね」 「その様子じゃ、〈インフィニティ〉の欠陥にも気付いてたんだろ?」 「あれも自動起動型だったからね」 「…あんたは、そこまでして、何が欲しかったんだ?」 「力、だよ」 速答で返された言葉に、ルーティンは気が滅入るのを自覚した。なまじ予想していた回 答だけに、なお一層、滅入る。 「そんなもののために…」 「『そんなもの』?」 信じられない、とでも言いたそうにルーティンの言葉を復唱して、彼女は首を振った。 「あんたは力を持ってるから、そんなことが言えるんだよ、ルーティン=アーキテクト」 「…力があることは否定しないけどな。 でも、例え力がなくても、俺はあんたみたいなことはしないよ」 ――頑固だからな、ルーティンは。 このとき、ルーティンの言葉を聞いたロックは、そう思っていた。 しかし。 「そんなこと、分かったもんじゃないさね」 彼女は、そんなルーティンの言葉を一蹴した。 「さっきも言ったろう? あんたは力を持ってるから、そんなことが言えるのさ。 実際にあたしと同じ立場に立てば、あんただって変わる。目の前に全てを支配できるほ どの力があったら、あんただって、あたしと同じようにその力を求めるさ」 「…確かに、俺だって人間だ。そんなものを目の前でちらつかされたら、どうしようもな いくらい欲しくなるかも知れない」 「当たり前さね。そうでなかったら逆に恐ろしいよ」 「…けど」 彼女を見るルーティンの瞳に、ふっ――と憂いともあわれみとも取れる複雑な感情の色 が滲んだ。 「…やっぱり、俺にはできないと思うんだよな。 例え赤の他人だとしても、そいつらの記憶をめちゃくちゃにして力を得るなんてさ」 「じゃあ、あんたにはない勇気が、あたしにはあったってことだね」 「…勇気?」 ルーティンの瞳から、先ほどまでの複雑な感情の色が一瞬にして消え去った。今のルー ティンの瞳には、今にも炸裂せんばかりの怒りの色が、はっきりと浮かび上がっている。 「冗談じゃないぞ。 勇気ってのはな、絶対に超えなきゃならない自分の壁を超えるときに引き出すものだ。 間違っても、自分の欲望を思うままに実現した、その理由の正当化に使っていい言葉じゃ ないんだよ」 「…手厳しいね」 「どうも勘違いされてるみたいだから、はっきり言わせてもらうけどな。俺だって、最初 から今みたいな力があったわけじゃないんだぞ。これでも一応の努力ってやつは、やって きてるんだ」 「そうかい」 特に感銘を受けた様子もなく、無表情に彼女は言った。 「それは、努力すれは力を得られるだけの才能が、あんたにはあったってだけの話さ。 結局、あんたとあたしとじゃ違いすぎる。あたしには無いものを、あんたはいくつも持 ってるからね」 「…」 ルーティンは説得を諦め、吐息した。 今の彼女の心は、己に対する強い自信で満ちている。 それを崩さなければ、説得は通じない。 「…俺たちをどうするつもりだ?」 ルーティンの言葉に、彼女はすこぶる嬉しそうな笑みを見せた。 「どうするつもりもないよ。ただ、あたしを満たしてくれれば、それでいい。 満たしてくれるだろう? あたしを。 …魔法術を極めし者、マジック・マスター、ルーティン=アーキテクト」 「俺はあんたを止めるぜ。何がなんでもな」 「…あたしはね、この街に住む何千っていう人間の精神容量を手にしてるんだよ。 そのあたしを、止めるって? ちょっと自信過剰なんじゃないのかい?」 「俺も、あんたに教えてやるよ。 魔道士としてのレベルが、精神容量の大きさで決まるわけじゃないってことをな」 「自惚れ、そこまでくると見事だね」 「ごちゃごちゃ言ってないで、自惚れかどうか、確かめてみればいいだろ?」 あくまで一歩も退かず、強気の発言を続けるルーティン。その内容は子供じみた理論を 展開しているかのような、なんとも収拾のつかないものだったが、相手をその気にさせる には十分な内容だった。 「…確かに、そうだね」 あっさりと、彼女は話に乗ってくる。 あまつさえ、これからはじまることを、楽しみで待ちきれなさそうにしながら、わずか に両手を広げ、ルーティンに微笑みかける。 「残念だね。長生きできなくて」 ルーティンは不敵に笑み、彼女に返す。 「生憎と、百までは生きるつもりなんだ」 彼女はさらに、嘲笑を返してきた。 「あんたには今日ここで、あたしのために死んでもらうさ。百どころか、二十歳にだって なれない。それが運命だよ」 「そうかい」 ルーティンは肩を竦めた。 「…じゃあ」 瞬間的に素早く腰を低く身構え、視線を鋭く光らせる。 「そんな勝手な運命は、打ち砕いてやるよ」
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