HOME言葉と音の世界言楽〜gengaku〜 > 深い谷底のロイダリウム


序幕 誰も彼には届かない


 少なからず彼を知る者にとってみれば、これから私が語る話は意味のないものになるだ
ろう。
 しかし、それでもあえて語らせていただきたい。いや、私はむしろ、語りたいのだ。こ
うして改めて言語化するだけでも、これまででは思い至らなかった何かに辿り着けるので
はないか――そんな気が、私はするのだ。
 カナタ・キリシマという人物が、我々の拙い想像力では到底捉えられない領域にいるの
であろうことは有名である。彼は我々の期待を適度に裏切り、それと同じだけ応えてくれ
る。我々は、彼が何か行動を起こすたびに、それが信号機の点灯プロセスの如く我々の予
測可能範囲内にあるのか、それとも全く未知の世界を見せ付けられるのか、その結果を見
届ける行為に高揚するのだ。
 彼は稀代のエンターテイナである――そう言ったのは、我が国が誇る科学者にして彼の
父親でもある、ドクタ・キリシマことクニカズ・キリシマだ。確か、カナタ・キリシマが
オルタニアス・システムによりその名を世界中に轟かせた直後の発言だったと記憶してい
る。世界が彼を認め盛り上がる中、マイクを向けられた父親の対応は極めて冷静であった
ことが印象深い。
 そう、彼は科学者ではなく、エンターテイナなのだ。我々に不安と期待の小さな種を植
え付け、ときには安定や安堵として、ときには驚愕や歓喜として開花させる。我々は、彼
から一瞬たりとも眼を離すことはできない。それは一種の義務なのではないかと、近頃の
私は思っている。
 科学を愛する者として、彼の領域に一歩でも踏み込み、彼の世界のほんの一端にでも触
れたいという欲求は否定できない。しかし、残念ながら、私では届かない。私にはそれだ
けの能力がない。それは認める他にない現実であり、事実なのだ。
 私には、それが悔しくさえある。
 私でさえそうなのだから、科学を愛し、日々追究を続ける諸氏に至っては、私など比較
にならない複雑な感情を持て余していることだろう。なんと言っても、父親をして天才と
言わしめた人物である。仕方がない、という言葉はあまり好きではないが、無理もない。
 しかし私は、無理と承知しながらも彼の領域に届きたいと思考する一方で、誰一人さえ
彼に届いてほしくないとも思考している。無論、彼の父親も含めて。
 そう、誰も彼には届かないのだ。届く必要などないのだ。
 彼はそういう存在なのだから。
 まるで、遥か上空を往く鳥のようである。存在自体に目立った特異性を持たずとも、そ
こに秘められたポテンシャルは想像を超えている。地に足を付けた我々は、求め伸ばした
両腕をむなしく空振りさせる以外に、道を見出すことはできない。ある分野での活躍だけ
に留まらず、周囲の者が何か全く違ったことをさせたくなる存在――それこそが真の天才
であると、私はここに断言しよう。

 さて、カナタ・キリシマの代名詞といえば、読者諸氏には言わずと知れた、オルタニア
ス・システムであろう。
 加速的時空間における精神形成のシミュレーション考察と位置付けられたこのシステム
については、発表直後のインタビューの中で、当人が以下のようにコメントしている。
「システムを成立させることは技術的に難しい話ではありませんし、オルタニアスの持つ
非日常性は、意識せずにいられないほど異質なものではありません」
 彼は、自らに対する周囲の評価を過剰あるいは過大だとの認識を示すと同時に、システ
ムの本質はオルタニアスという世界そのものではないことを明言した。
 しかし、では何が本質なのかという問いには、彼は明確な言及を避けている。
「言語化するということは、そこにある種の限定、あるいは制限を生み出す行為になりま
す。可能性を否定することと同義です。言ってみれば、呪いのようなものですね」
 自ら作り上げた世界を「こういうものだ」と決め付けたくないと思っている、と解釈し
て良いだろう。「空を鳥が飛んでいる」と表現するより、「空を何かが飛んでいる」と表
現すると、飛んでいるのは航空機かも知れないし、もしかすると未確認飛行物体かも知れ
ない。空という条件を消去すれば、なお面白いことになる。彼は出来る限りその条件を少
なくし、我々の思考に余白を与えているのである。
 事実、彼はオルタニアスについて世間が示すあらゆる見解を否定しないし、肯定もしな
い。それがどれだけ否定的なものであろうと、どれだけ将来性を認められようと、彼は決
まってこう答えている。
「それがあなたの見解であるなら、それが全てです」
 しかし、彼はこのような悩ましい対応をしながら、一方ではこうも言っている。
「精神の形成というものの根幹にあるもの。それは人と、彼らを取り巻く世界。この二つ
に尽きるでしょう。……ああ、前言と矛盾してしまいますね。話せば話すほど世界を限定
してしまうというのに、僕もまだまだ拙く、幼い」
 はにかんだように微笑むと、彼も年齢相応の青年なのだと気付かされる。
 この発言を端的かつ手前勝手に解釈すると、人と世界が変われば、ある人格、ひいては
その精神の構築に、多大な影響を及ぼす、と言っているように見える。つまり彼は、オル
タニアスのような加速的時空間を、今後も我々に見せるつもりなのではないだろうか。こ
の私の妄想が現実のものとなるのかどうか、読者諸氏には、その行く末をどうか見届けて
ほしい。
 オルタニアス・システムが発表されてから、間もなく一年が経過しようとしている。オ
ルタニアスは未だに底の見えないシステムだが、そろそろ彼の示す新たな世界に触れたい
と思うのは、決して、私だけではないはずである。
 読者諸氏よ、待とうではないか。彼の新たな世界が示される時を。
 私も待とう。
 彼より数十年も早くこの世界に生まれたしまったことを、惜しみながら。

      (VRタイムズ紙の元編集長、故エイジ・ツツミ氏の遺した手記より抜粋)