HOME言葉と音の世界言楽〜gengaku〜 > 深い谷底のロイダリウム


第二幕 クラミニウムは命を喰らう


「……マジで?」
「まさか。まだクラミニウムの加工方法が確立されて間もない頃の、小さなゴシップに過
ぎない話だよ。伝説みたいなものだ」
 昼下がりのロイド工房〈白練工房〉から、親しげな話し声が聞こえてくる。
 一人は、工房の主をしている少年セスタ。もう一人は、その工房をよく訪れている街の
少年、リックスだ。短い銀色の髪はツンツンと逆立ち、額に巻かれたトレードマークのバ
ンダナは、今日も彼の好きなグリーンである。どこか勝ち気で幼い雰囲気を持っているよ
うに思えるが、セスタより頭ひとつ分ほど背の高い彼は、実はセスタと同い年である。
「クラミニウムが本来、独特の乳白色を持つ物質だということは知っているだろう?」
 問いかけたセスタにリックスはうなずき、「オレ、あの色好きだ」と言った。「僕も同
感だよ」とセスタは笑顔で応じた。セスタは珈琲の入ったカップを左手に持ち、作業用の
机とセットになっている椅子に腰掛け、珈琲が苦手なリックスは、ミルクのたっぷり入っ
た紅茶のカップを右手に、工房の窓に近い壁に寄りかかっている。
「あの乳白色が人の精神に感応して変色するとき、それはとても上質な生命力を放つよう
になる。古い人々にはその様が、まるでクラミニウムが触れた者の命を吸い取って変化し
たように見えたんだろう」
「でも、実際にはそんなことはないってわけだ」
「もちろんだよ。クラミニウムが本当に命を吸い取る魔石だったら、僕らロイド技師は揃
って短命になっていないと辻褄が合わない」
「……そっか、確かにそうだよな」
 呟いて、リックスは視線を中空に向ける。
「グルックの爺さんなんか、とっくに七十歳だもんな」
「正確には、今年で七十一歳だよ。彼くらいの年齢になってもロイド技師を続けていられ
たら、僕にとってこれほど幸福なことはない」
 言いながらセスタは席を立つと、カップを作業机の上に置き、製作中の新しいロイドを
前後左右からチェックし始めた。まだ部位ごとにパーツが分かれているが、胸部に膨らみ
のある胴体と、華奢な両腕を見る限り……。
「……女の、ヒューマノイド?」
「そう見えるかい?」
 セスタは意味深な笑みで、逆に尋ね返す。
 釈然としないものを感じて、リックスは眉間に皺を寄せた。
「そう見えるも何も、そうとしか見えない」
「どうして? まだ頭が無いし、下半身も無いのに」
 改めてそうツッコミを入れられると、妙な不安がリックスの中に生まれる。
「…………もしかして、それ、人じゃないの?」
「いや、人だよ。ちゃんとした女性のヒューマノイドになる」
 あっさりと言い放ってニヤリと微笑むセスタに、リックスは数秒ほど呆気に取られてか
ら、我に返って半眼で睨んだ。
「……ありえねえ」
「うん、ありえるわけないよね。ここまで作って、人じゃないなんて」
「そうじゃなくて」
「わかっているよ、リックス。からかったりして悪かった」
 謝罪の言葉を、笑顔で言ってくる。
「これは、街の外から来たという、ある人の依頼で作っているんだよ。一度は考え直すよ
うに言ったんだけど、結局、彼はロイドの製作を依頼してきた」
 完全に文句を言うタイミングを逃してしまった。
 いくらなんでも、それはずるいだろ――そう胸中で呻くリックスに気付いているのかい
ないのか、セスタは再びロイドのチェックに取り掛かる。
 ――と。
「さっきの話だけどさ」
 急に話を振られて、リックスは一瞬、面食らった。同い年のロイド技師は驚くほどのマ
イペースであり、長く友人として付き合っているリックスですら、彼の思考回路がどうな
っているのやら、想像のつかないことが多い。
 セスタは特に気にした様子もなく、「さっきの、クラミニウムの話」と言い直した。
「あの話には、実は、ちょっと面白い仮説があるんだよ」
「面白い仮説?」
 ああ、と頷いて、セスタは言った。
「クラミニウムが命を吸い取る魔石だったら、という話をしただろう? でもそれは、あ
くまでもクラミニウムに意志がないという前提があっての話だ。もしクラミニウムに意志
あるいは思考があって、吸い取る命を選んでいるとしたら?」
「……そんなの、それこそありえねえよ」
「どうして?」
「石に意志っていう、冗談のセンスがそもそもありえねえ」
「それは僕もそう思う」
 セスタは声を上げて笑った。
「でもねリックス。クラミニウムは本来、ただの変色鉱石なんだよ。それに間違いはない
んだ。ところが、加工されると自ら思考し、その意志で行動するようにもなる。どう加工
するか、にもよるけどね」
「……」
「そうなると、加工前には無かったものが、加工後には有る、という構図が出来上がる。
何もないところに何かを生み出すなんていう行為は、世界の法則に反しているし、現実的
じゃない。とするならば、加工後のクラミニウムには、加工前には無かった何かが加わっ
ていることになる」
「それが命だっての? でも、それはないって、さっき言ってたじゃんか」
「それは前提があった上での話だ。事実、命を吸い取られていないという確証は、今現在
においても何もない」
「……マジで?」
「マジで。現に、短命のロイド技師だっているだろう?」
 笑顔で肯定するセスタに、リックスは顔を引きつらせた。
「で、でも、グルックの爺さんとか」
「うん、そうだね。だからこそ、クラミニウムが吸い取る命を選んでいるんじゃないか、
なんていう話が出てきたんだけどね」
 セスタは、手に持っていたロイドのパーツを、作業机に置いた。
「ねえ、リックス。落ち着いて考えてみれば、これは大した問題じゃないんだよ」
「落ち着いて考えられるかよ。命に関わるんだぜ?」
 どうも真剣に悩み始めてしまったらしいリックスに、セスタは苦笑して肩を竦めた。
「どんなことをしていたって、早く亡くなる者は早く亡くなるし、長く生きる者は長く生
きる。いいかい? 重要なのは、クラミニウムが命を吸い取るなんていう逸話を持ってい
なかったとしても、僕らロイド技師が揃って百二十歳まで生きるわけじゃない、というこ
とだよ。……つまりね」
「……?」
 難しい顔をして考え込むリックスを見ながら、セスタは小さく笑った。
「寿命が延びるかもしれないというレベルじゃあ揺らがないのと同様に、寿命が縮むかも
しれないというレベルじゃあ、僕らの手を止める理由にはならないのさ」