HOME言葉と音の世界言楽〜gengaku〜 > 深い谷底のロイダリウム


第三幕 ロイドをお願いしたいのですが


 という第一声は、語彙に多少の差こそあれ、工房を訪れた者に高い確率で共通する。ロ
イドを製作する工房において他に何をしていると思われているのか、セスタは少し気にな
っている。しかし、実際に尋ねたことは一度もない。
 街の外からわざわざ来たという、その男の第一声もまたイレギュラではなかった。ただ
し、作るロイドの種類を口にするところまでは。
「ヒューマノイドをお願いしたいのです。女性の、ヒューマノイドを」
 なるほど、確かに街の外から来たというこの男の主張は正しいようだと、セスタは自身
の中で納得した。何にしても例外は否定できないが、この街の者がヒューマノイドの製作
をロイド技師に依頼することは、まず無いと言えるからだ。
 もちろん、だからどうということはない。相手が何者かという情報は、セスタにとって
意味を持たない。
「わかりました。ご注文を承ります。
 さて、どのような女性のヒューマノイドを製作いたしましょうか? どのようなという
のはつまり、外見的な特徴のことですが」
 髪の形から尋ねようとしたところで、男はセスタに一枚の写真を差し出した。
 写っていたのは、花の手入れをしている女性の姿である。穏やかで優しい表情をしてい
た。透き通りそうなほどに柔らかく白い肌と、長くて細い指先が印象的だ。そのあまりに
自然体の被写体を見る限り、彼女はよほど撮影者に心を許しているか、あるいは撮影者が
シャッタのタイミングを告げなかったのだろう。
「半年ほど前に亡くなりました、私の妻です」
「なるほど」
 写したのはこの男か……そんなことを、セスタは考えた。しかし口には出さない。
「つまり、亡くなった奥様のロイドを作る、ということで間違いないですね?」
「……はい」
「……」
 セスタは、写真に向けていた視線を上げ、男の目を覗き込んだ。
「本当に大丈夫ですか?」
「えっ?」
「今の返答、即答と解釈するには微妙なタイムラグがありました。
 奥様のロイドを製作することに、気持ちの整理がついていないのではありませんか?」
「い、いえ! ちゃんと整理してきました。確かに、妻を亡くしてからしばらくは、なん
とも言えない喪失感に気持ちも落ち込んでいましたが、ロイドの話を聞いて、一生懸命に
働いて金も貯めましたし!」
「その結果が、今の状態なのですよ?」
「……」
 男はセスタの言葉に絶句し、肩を落とした。泣き出してしまいそうな表情で、視線をゆ
っくりと床に落とし――
「落ち着いて聞いてください。何も僕は、あなたにロイドを作りたくないと言っているわ
けではありません」
 男の視線が跳ね上がった。
 セスタは目を細め、穏やかに語りかける。
「現実的な話をしましょう。
 ご存知とは思いますが、ロイドは決して安い買い物ではありません。それに見合うだけ
の価値はあるでしょう。しかしながら、どれだけ精巧に作り上げても、ロイドはロイドで
す。それ以上にはなりません。ましてや、実在した人物のロイドとなれば、本物との差は
比ぶべくもありません」
「…………」
「あなたがどれほど奥様を愛し、必要とされているか。それは、このわずかなやり取りか
らも少なからず伝わってきます。だからこそ、一時的な感情で重要な決断をしてもらいた
くはないのです。端的に申し上げれば、わざわざ奥様のロイドを作る必要があるのか、奥
様のロイドでなければならない理由があるのか、ということですね」
「理由は……」
「いえ、込み入ったことですから、僕に言う必要はありませんよ。それに、簡潔に言語化
できるほどの浅い間柄でもないでしょう。
 しかし、同時にあなたは気付いているのではありませんか? 何をしても、亡くなった
奥様の代わりにはならない、ということを」
「…………」
 男の視線は少し下がり、どこか空間の一転を見つめていた。心の中にあったであろう様
々な思いを指摘されたことで、いくらか気持ちが落ち着いてきたように見えた。
 ――とりあえず、最初の壁は攻略したと判断して良いだろう――
「――ところで、この街には何日か滞在されるのですか?」
「えっ? あ、ああ、ええ、帰りに利用する大陸鉄道が到着するまで、一週間ほど」
「なるほど」
 セスタは口の端を持ち上げて微笑んだ。
「では、こうしてはいかがでしょう?
 この街に滞在している間、街の様子を見て回るのです。ここはロイドの街ですから、人
とロイドが共生する光景には事欠きません。それらを参考にしていただき、街を出る一週
間後までに最終的な判断をしていただく、ということで」
「……確かに、ええ、そうですね……私はまだロイドとの生活というものを知りませんし
……うん、少し考える時間をいただくのは、私にとって良いことかもしれませんね」
 男は視線をセスタに向けると、今度は納得した様子で頷いた。
「決まりですね」
 セスタも頷き返した。
「では、一週間後に最終的なお返事をいただくということで。もちろん、その間に別の工
房で良い話を見付けたら、そちらで作っていただいて構いませんよ。あなたが最も納得で
きるロイドを作ってください」
「ありがとう。感謝します。珈琲も美味しくいただきました」
「どういたしまして」
 握手を最後に、男は晴れやかな表情で工房を後にした。


「彼はもう一度、ここへ来るでしょうか?」
 男が去って数分後、飲み終わった珈琲のカップを片付けながら、アイサがセスタに尋ね
た。
「最終的に依頼する技師が僕になるかはわからない。けど、彼は必ずロイドの製作を誰か
に依頼するよ」
「なぜですか?」
 アイサが重ねて尋ねると、セスタはクスリと小さく笑った。
「彼はね、亡くなった夫人をロイドとして蘇らせるという行為に、いわゆる倫理的な抵抗
を感じているんだよ。死者は何も要求しないし、何も解釈などしないのにね」
「要求も解釈も、全ては生きている者の都合です」
「その通りだ。
 ともあれ、彼は今、その抵抗を無力化する他者、あるいは環境を求めている。それを達
成することで、彼は自らの行為を許すんだよ」
「許されますか? つまり、彼は彼を許しますか?」
「必ずね」


 一週間後。
 セスタの予測通り、男はロイドの製作を正式に依頼していた。
 彼が最終的にロイドの製作を依頼したのは、結局セスタ本人であった。