Der Weg nach Bayreuth  09 神々の黄昏

 

さて、いよいよ指環最終日の8/12()。天候はまた下り坂になり

小雨のぱらつく肌寒い朝となりました。本日は「ぶらり途中下車

の旅 バイロイト版」と洒落込むことにしました。バイロイトか

らローカル線の支線が出ていて、中心部から東側にあるヴァイデ

ンベルグという街まで走っています。1両編成のオシャレな気動

車が1時間に1本走っているので、それに乗って田舎町の散策に

出かけることにしました。バイロイト駅5番線ホームから出発です。

 

 

この路線は当初バイロイトから北東へ24qのところにあるヴァルメン

シュタイナハという街まで通っていたのですが、たぶん利用客の減少か

なにかで一時廃止になってしまい、最近になってヴァイデンベルグまで

復活したという路線です。日本でいうと広島の可部線みたいな感じですね。

グーグルの空中写真で見ると線路跡がほとんど残っていて現在ヴァルメン

シュタイナハまでの路線も復活させるかどうか検討中とのことです。

それにしても乗った感じでは乗客は行きは私1人、帰りは10人程度と、

北海道のローカル線なみの乗車率。その割に1時間に1本と神奈中の

ローカルバスより密なダイヤなところが不思議ですね。

 

 

こちらは線路の幅が広軌(新幹線とか京浜急行とかがそう)なので車両が

広いです。5人掛けなんて新幹線以外は見たことなかったです。

 

 

さて、ヴァイデンベルグには20分ほどで到着したのですが、雨で街の

メインストリートは誰一人として歩いていません。ワゴン車の中で鶏の

丸焼きを焼いている移動店が出ていましたがお客さんはいません。金融

機関とパン屋兼カフェは開店していて、中に人が少しいました。とりあ

えず、小高い丘の上にある教会を目指すことにしました。教会のある丘

の上はヴァイデンベルグの役場関係が集まっていてここが取りあえず街

の中心部みたいでした。役場は平常通り業務をしていましたが、ここも

歩いている人は皆無でした。1時間ほど付近を散策して、バイロイトに

戻りました。雨も上がったので祝祭劇場に寄って併設のお土産屋さんで

買い物をして戻りました。

 

本日の昼飯はひさびさに醤油味のものが食べたくなったので、リヒャルト

ワーグナー通りにある「BONSAI」という店で焼きそばと北京スープとい

うのを食べました。ドイツ風のケルテスエッセンもいいのですが、やっぱり

温かいスープに焼きそばは美味い!!けっこう人気店らしくて、テイクアウ

トの人も多数いたので、ぜひ寄ってみて下さい。€10でおつりがきますよ。

 

さて、昼寝の後はいよいよ指環も最終日の「神々の黄昏」です。さすがに4日間

同じ席だと、お互いに顔見知りになるので、席に着くときにはみなさん挨拶をして

くれるようになりました。右隣はドイツ人の老夫婦、左隣はドイツ人の親子(父と息子)

で、前の席はご夫婦と娘さんの3人家族でした。家族でバイロイトに来られるなんて

幸せですね。きっといい思い出になると思います。

 

 

最終夜の黄昏ですが、まず音楽面ではハーゲンのステファンミリングが圧倒的な存在感で

素晴らしかったです。序幕と第1幕合わせて2時間弱かかるのですが、全然長いと感じま

せんでした。普段自宅で聴くときは、いつも眠くなるんですが…。第2幕の合唱もよかっ

たです。オーケストラもよく鳴っていました。葬送行進曲素晴らしかったです。文句なし

です。それで問題の演出ですが、神々の黄昏の演出の特徴は

 

○旅立つジークフリートにグラーネの代わりに赤ちゃんの人形を渡す

○ジークフリートを殺すとき槍ではなく棒で撲殺する

○ハーゲンがジークフリートから指環を取ろうとしてジークフリートの手が上がる芝居がいっさいない

○ラインの乙女の服装がシックになっている

○最後に油らしきものを撒くが実際に火はつかない

○ブリュンヒルデの自己犠牲の後のト書きは全く無視

 

といったところでしょうか。最後に出てくるニューヨーク証券取引所のセットは何の意味

があるのでしょうか?新しい秩序の象徴なのでしょうか?もしそうだとしたら、あまりにも

チープな発想ですね。あとあれだけビデオを駆使してわけのわからない映像を垂れ流してい

たわけですから、最後の場面こそはビデオの威力を発揮してほしかったですね。実際にはラ

インの乙女がすっきりした顔して河のほとりにたたずんでいる映像で幕となりましたが、何

かもうひと捻りあっても面白いんじゃないかと思いました。はっきり言ってやっていること

がすべて中途半端なんですよ。脚本を読み替えするのなら徹底的にやらないと観客に真意が

伝わらないと思いますね。4部作を通じて一貫していたのは観客の注意力を見事に散漫にし

たことぐらいですかね。観客の拍手は全て見えないオーケストラと指揮者、歌手の歌唱に対

してのみ送られていたように感じました。ただ4夜通じて体を張った演技を見せた黙役俳優

にかなりブーイングが浴びせられていましたが(カーテンコールに出てきたのは後半2作)

それはちょっと違うんじゃないかなとも思いました。俳優は演出に忠実に演技をしているの

であってブーイングを浴びるべきなのはカストロフでしょう。黄昏終演時に演出陣も挨拶に

出てくると思っていましたが、まったく挨拶がなかったのは大変残念です。カストロフの演

出については4年目に入った今年でも賛否というよりは否の方が多い反応があります。そこ

がパトリスシェローの演出とは全く異なるところですね。私はその道のプロでもなんでもな

いのでその良し悪しを偉そうに論じることは控えたいのですが、すくなくとも万人に受け入

れられる類のものでないことは確かであり、この演出の意図するところについて演出家本人

から丁寧な説明が必要なのではと思いました。この演出の出だしの頃は、権力の象徴として

指環の代わりにオイル、そして社会主義対資本主義の対決、新しい秩序の台頭といったこと

を表現したいのではないかと考えられていましたが、舞台を見る限りではタキシードやドレ

スを着て畏まって拝聴している我々の持つワーグナーへの先入観への挑戦、揶揄、破壊とい

ったものを目論んでいるのかなとも思えました。「お前らの常識なんて所詮その程度さ…」と

でもいいたげな演出でしたよね。しかし、こういう演出がありなのなら、極論すれば「見え

ないオーケストラ」の向こうを張った「見えない舞台」などという考え方が出てきてもおかし

くないですね。「ワーグナーの音楽に集中させるのがカストロフの意図」などという論評を

される方もいらっしゃいますが、それでは音楽と舞台の一体化を目指した総合芸術としての

楽劇というワーグナーの高邁な理想はどうでもいいのでしょうか?やはり我々として大切なの

は、解らないものは解らない、受けいれ難いものは受け入れないとはっきり、そして素直に

言うことだと思いますね。とはいうものの、非常に満足して祝祭劇場の下り坂を歩いていく

自分がいたのも事実です。たぶんカストロフの指環に満足したのではなく、バイロイトで

ワーグナーを聴いた自分に満足したのでしょうけれども…

 

(左から黙役俳優、ラインの乙女、ハーゲン、グンター、グートルーネ、ジークフリート、ブリュンヒルデ、指揮者)

 

(閉幕後の祝祭劇場 次に来るのは何年後になるかな?)

 

10.おわりに