第131回 課題文 解説


お待たせしました!

今回は、
ポジティブ心理学の提唱者、
マーティン・セリグマン博士(Martin E.P. Seligman)
のエッセイです。

セリグマン博士の代表作の一つ、
The Optimistic Child

『つよい子を育てるこころのワクチン』
(枝廣淳子訳、ダイヤモンド社)
というタイトルの日本語訳で出ています。
機会があれば、ぜひお読み下さい。

尚、
セリグマン博士の文章は、
第6回課題文でも
扱いました。

さて、
ポジティブ心理学とは
何でしょう。

従来の心理学が
精神障害や人間の弱さを
研究してきたことと対照的に、
幸福感、長所、心の健康などに
焦点を当てます。

とは言え、
一次的な快楽を求めるのではなく、
生きがいややりがいなど
もっと深い充実感を研究します。

セリグマン博士は
もともと、うつ病と異常心理学に関する
世界的権威でしたが、
学習性無力感の研究から
ネガティブさよりポジティブさに
関心を向けることが
幸福のカギとみなすようになり
ポジティブ心理学の創設に
至りました。

どうすれば、
どんな困難に遭っても、
しなやかに、打たれ強く、
勇気と忍耐とをもって
前向きに人生を歩んでいけるのか…。
くじけがちな私にとっては
興味深いテーマであります。

さて、訳出のヒントですが、
もともとは新聞に載った
エッセイです。

文体は「だ・である」調にし、
あまりくだけすぎず、
それでいて、気軽に読める
読みやすい訳文を
目指しました。

今回は久々に応募者があり、
千田良一さんが応募してくださいました。
千田さん、ありがとうございました。

千田さんは
企業で海外事業のお仕事をされる傍ら、
通訳者としても活躍され、
プロの通訳者、翻訳者、英語の先生を対象に
本も出版されています。

そのようなプロの方のお目に留まり、
応募していただいて
大変嬉しいです。

寄せていただいた
コメントもぜひお読みください。

私の訳例も載せますが、
あくまでも一例として
参考にして下さい。

ここ
セリグマン博士のTEDでのプレゼンが
見られます。

◆ 第131回 課題文

 ポジティブ心理学の第一人者、マーティン・E.P.セリグマン博士の Humans Aren't Built To Live in the Past の冒頭を訳してみましょう。人と他の動物を区別する能力は何かが語られます。前向きな気持ちになれるように訳してください。


(1) What sets us apart from other animals ? Various answers have been proposed―language, tools, cooperation, culture, tasting bad to predators ―but none is unique to humans.

(2) What best distinguishes our species is an ability that scientists are just beginnning to appreciate: We contemplate the future. Our singular foresight created civilization and sustains society. It usually lifts our spirits, but it's also the source of most depression and anxiety, whether we're evaluating our own lives or worrying about the nation.

(3) Looking into the future is a central function of our large brain, as psychologists and neuroscientists have discovered―rather belatedly, because for the past century most researchers have assumed that we're prisoners of the past and the present.

 [ 出典: 2017年6月4日付け The New York Times Weekly Review ]

[語句のヒント]
 (1) set O from〜 Oと〜を分ける (2) species 生物の種 


(1) What sets us apart from other animals ? Various answers have been proposed―language, tools, cooperation, culture, tasting bad to predators ―but none is unique to humans.

What sets us apart from other animals ? 「私たちと他の動物を分けるものは何だろう」。

ここは us をどう訳すか、迷いました。「私たち」でもいいですが、「私たち人間」「私たち人類」とことばを足した方がわかりやすいと判断しました。

「分けるものは何だろう」の他、「何が違うのだろう」「どこが違うのだろう」「違いは何だろう」も思いつきました。

Various answers have been proposed 「様々な答えが提唱されてきた」。

language, tools, cooperation, culture, tasting bad to predaters 「言語、道具、共同作業、文化、捕食動物にとっても美味しくない」

cooperation もいろんな訳語があります。「協力」「共同」「共同作業」「協調性」「連携」「助け合い」。要は「皆で力を合わせて何かする」「ということ。「皆で何かする」という意味が一番伝わるであろう「共同作業を選びました。

tasting bad to predaters「捕食動物にとっても不味い」は、冗談が入っているので、ユーモラスな訳をつけたいところです。「捕って食べても不味い」とか。

but none is unique to humans. 「しかし、どれも人間特有のものではない」「しかし、どれも人間特有のものとは言えない」。

(2) What best distinguishes our species is an ability that scientists are just beginning to appreciate: We contemplate the future. Our singular foresight created civilization and sustains society. It usually lifts our spirits, but it's also the source of most depression and anxiety, whether we're evaluating our own lives or worrying about the nation.

What best distinguished our species is an ability that scientists are just beginning to appreciate: 「私たちの種を最も際立たせるものは、科学者たちが今まさに認めつつある能力である」。

species は生物学の分類での「種」で、単複同形の名詞です。「ひとつの種」なら a species になります。our species 「私たちの種」とは「私たち人類」のこと。どちらにしようか迷いましたが、生物学の話なので「私たちの種」としました。

: We contemplate the future. 「(すなわち)私たちは未来について思いを馳せる」。:の後ろは「能力」を具体的に説明している箇所。

future は「将来」「未来」、ふたつの訳がまず思い浮かびます。どちらにしようか迷いましたが、「過去、現在」との並びで「未来」としました。

全部まとめると、「私たちの種を最も際立たせているものは、科学者たちが今まさに認めつつある能力である:私たちは未来について思いを馳せる」となります。

これだと直訳調なので、「際立たせているもの」は「際立たせる特徴」とことばを補い、私たち」が二回出てきて耳障りなので、二回目の「私たち」は消しました。

最終的には、「私たちの種を最も際立たせる特徴は、科学者たちが今まさに認めつつある能力:未来についてあれこれ思いを馳せるところにある」としました。

contemplate は、think よりもっと「じっくり考える」という感じです。「あれこれ思う」「あれこれ思い煩う」「思いを馳せる」など。

Our singular foresight created civilization and sustains society. 「私たち並外れた先見の明が文明を創設し、社会を支えている」。

これだと直訳調なので、「この未来を見越す並外れた能力のおかげて、文明が成立し、社会が存続している」としました。

It usually lifts our spirits, but it's also the source of most deppression and ansiety, 「それは、たいていは気分を高揚させてくれるが、ほとんどの抑うつと不安の源でもある」。

主語の It 「それ」とは、「未来について考える能力」を指します。ここは訳出して、「未来について考えると気分が高揚するのが常だが、このことが、ほとんどの抑うつと不安の源にもなる」。

whether we're evaluationg our own lives or worryng about the nation「自分自身の人生を評価していいようが、国家を憂いていようが」。

千田さんはここを「自分自身の人生や国家に関しての不安材料でもあり、それが多くの場合、気分の落ち込みや心配事の要因となる」とすっきり訳出されています。

(3) Looking into the future is a central function of our large brain, as psychologists and neuroscientists have discovered―rather belatedly, because for the past century most researchers have assumed that we're prisoners of the past and the present.

Looking into the future is a central function of our large brain, 「未来をあれこれ考えることは私たちの大きな脳の中心機能である」。

look into〜は「〜を覗く」。look into the future 「未来を覗く」とは、前述の contemplate と同じ意味に解釈しました。「未来をあれこれ考える」でもいいですが、「未来を思考する」にするとかっこよく聞こえます。

large brain はひょっとして「大脳」のことかと思いましたが、確認できず、「大きく発達した私たちの脳」としました。

as psychologists and neuroscientists have discovered 「心理学者と神経科学者が発見した通り」。

rather belatedly, because for the past century most researchers have assumed that we're prisoners of the past and the present. 「かなり遅くになってからだが、前世紀の研究者たちの大部分は、私たちが過去と現在に囚われていると仮定していた」。

rather belatedly 「かなり遅くなってから」は、「遅ればせながら」の方が心地よく響くので、これに変えました。

assume は「仮定する」「思い込む」など幅広い訳が考えられます。英英辞典によると、believe without proof 「根拠なく信じる」。このニュアンスがわかった上で、どうしようかと迷いましたが、「科学者」が主語なので「仮定する」としました。

■ 千田良一さんの訳

何が我々と他の動物たちを分かつのか? 聞かれる答えはいろいろだ。言語、道具、協力、文化、捕食者にとって味がまずいなど。しかし、そのどれもが人間に特有なものとは言えない。

人類という種が最も特徴的なのは、今、科学者が認識し始めている能力:将来をじっくりと考えることである。他に類のない我々の洞察力が文明を構築し、社会を維持している。我々の未来への思いは、通常、気分を高揚させるが、時において、自分自身の人生や国家に関しての不安材料でもあり、それが多くの場合、気分の落ち込みや心配事の要因となる。

未来への志向は、心理学者や神経科学者が発見した、我々の大脳の中心的機能であるが、それはかなり遅まきながら発見されたもので、20世紀の時代、研究者の大多数は、我々が過去と現在のとりこになっていると思い込んでいた。

[千田さんのコメント]
通訳・翻訳の難しいところの一つは、どの程度「意訳」が許されるか、だと思います。一般大衆向けに通訳する場合、また、小説一冊を丸々翻訳する場合は、いわゆる「超訳」が最適だと思いますが、学習者を意識して翻訳する場合は、直訳に近く、しかも、日本語としておかしくない表現にする必要がありますよね。今回の課題でも、「学習者を意識して翻訳」したつもりですが…

■ 小沢の訳

私たち人類と私たち以外の動物との違いは何だろう。言語、道具、共同作業、文化、捕って食べても不味いなど、様々な答えが提唱されてきた。しかし、どの答えも人類特有のものとは言えない。

私たちの種を最も際立たせる特徴は、科学者が今まさに認めつつある能力:未来についてあれこれ思いを馳せるところにある。この未来を見越す並外れた能力のおかげで、文明が成立し、社会が存続している。未来について考えると気分が高揚するのが常だが、同時に抑うつと不安の源にもなる。自分自身の人生を振り返っていようが、国家を憂いていようが同じである。

未来を思考することは、大きく発達した私たちの脳の中心機能で、遅ればせながら、心理学者と神経学者が発見した通りである。遅ればせながらと言うのは、前世紀の研究者たちの大部分は、私たちは過去と現在に囚われていると仮定していたからだ。

[小沢のコメント]
未来をあれこれ思い煩うから不安が募り、うつになるという理論は説得力がありました。未来のことは思い煩わず、今を精一杯生きるよう心がけたいです。